国立防災科学杖術七ンター研刎O 箏4号 1欄年9月
551,311,235:551,491:551,577・61(521・26)
川崎市久末の灰津波災害の発生機構について斗
宗*
飯 島 弘
1.2■5.
目 まえがき一一一一一一一一一一一一一一一一一 1 川崎市久末付近の自然条件一一一一一一一一 1 2.1 下末吉台地の地貨一一一一一一一一一一一 5
2・2 関東ロームの土質特性一一一一一一一4 2.3 久末付近の台地の地下水一一一一一一一5 24 下末吉台地周凄の谷田の水利一一一一一5 灰津波発生に至るまでの経過一一一一一一一6
次
4.灰津波発生についての椅諭一一一一一一一 7 4.1 崩壊した石.炭灰の特性一一一一一一一一 7 4.2 灰津波発生時の状涜一一一一一一一一 8 4.3 台地と石炭灰の地下水の挙助一一一 8 4.4 灰津1波発生のメカニズムー一一一一・・11 5. まとめ一一一一一一一一一一一一一一一一一一11
1.まえがき
1965年6月26日午後9時45〜50分,川崎市久末大谷(おおやと)の谷頭部に捨土された石炭灰
が突然崩壌し,谷中にあった新しい住宅群を埋没した.その惨状は詳紬に報道された.人口の犬都市集申の動きにつれて,都市局辺地域は宅地造成をはじめとする大規模な目然条件の改変が進 められている.特に最近における計画の大規模化,土木概滅の大型化により,自然改変の度合および改変の 遠度は急遠に増犬している.その反動として,都市域地盤災害も深刻の度を加えつつある.経済・社会活動 の活発な都市1こ発生する災書の多くは自然と人為の要素が入り組んで,明確な因果関係を捕えがたいのが普 通である.この困難さをもたらす第一の原因は災害を意識する前と後の基本的な各種実測資料を欠くことに
ある.
この報告は地下水の挙動を手がかりとして,灰津波発生の概樽について推論・考察を加えたものである.
一般的な例にもれず,ここで取上げる灰津波災書の場合こも信頼できる実測資料は皆無に近く,多くの仮定 の上にたたざるを得なかった.しかし必要な資粋こついて,正確な実測を累積することにより推論の精度を 向上することは可能であろう.
この報文の表題および申文に灰津波という言葉を用いている.それはこの語が崩壌時の様相を巧みに表現 しているだけでなく,崩壌の発生概構の巾に地震発生から津波到達までの間にある時差に似たものが降雨か ら崩壌までの閻にあったと推論されたのであえて用いた.
2・川崎市久末付近の自然条件
灰津波は下末吉台地の東端近くで樹枝状に入り込んだ谷奥に発生した.下末吉台地とは横浜市鶴見区下末 吉付近の台地を模式地として付けられた名称である.久末の台地と模式地との間に鶴見川があり現在は分離
・・I H・Iiコima: On the Mechani8IIコ1◎f the Acciaenta■ F■y−Ash F■ow at Hi8a8u・e・
Kalwa・8a・k1 Ci1;y,Ka・nagawal Prefecture
}国立防災科学技術セソター第2研究部地表変動防災研究室
国立防災科学技術センクー研究速報 第4号 1966年g月
しているが,元来は一連の台地であった.下末吉台地の頂面には浸食をまぬかれた平たん面が残っているが,
多くの小谷に刻まれて復雑な地形を呈している.多摩川の沖積地にのそむ下末吉台地東端では漂高40㎜前
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1 久末 古くからある家 ■
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300M 、_
捨土位
図一1 川崎市久末付近地形図
後,西方の多摩丘陵に接する付近では標高50〜55囮に達する.台地の東端部には蟹ケ谷・犬谷・後谷戸
・殿谷戸・寺谷など台地を刻む小さな谷に由来する地名を多くみる.これらの谷の面積はほとんどが10h・
以下で1950年代の空φ写真によれば水田として利用されていた.当時からある住宅の分布をみると,水 田面より数皿高い谷の斜面に立地しているものが多い.住宅の立地を決定する要翁こはいろいろ考えられる が,生活のための水を得ることの難易は条件の一つと考えられる.取水技術の未発達の時代に谷斜面の中位
付近から冬期でもかれることなく湧出する湧水は利用しやすいものであったと考えられ乱
川寄市久末の灰津波災書の発生機榊こついて一飯島
2.1 下末吉台地の地質
下末吉台地東端部付近の代表勺な地質桂状図を図一2に,露頭の写真を写真一1に示す.下末吉台地は,
第3紀層ないし洪積層の基盤をおおい・海成ρ下末吉層および3層のローム層よりなっている.
0M
〃表土
Tc
M
クラソク帯
軽石
S山 埋費土
10
S 砂
写真一1 台地断面を示す露頭、手前の 植木の先端付近に基盤(三浦層群)
との不整合面がみえる.
15
M1
シルト・砂
Tc:立川口.ム S 下末吉層 M 武蔵野p一ム
Mi 三浦固群
SL:下末吉ローム 図一2 漂準地質柱状図(関東ロームによる)1) 基肥后淳
台地の基盤は鮮新統三浦層群の上部層および上部洪 積層よ1)なる.台地東部の末吉付近では三浦層群の 砂層が,久末付近では泥岩が墓盤を構成している.基 盤を不整合におおって海成下末吉層が分布する.不整 合面は局部的に凹凸に富むが,その標高は横浜西部で
30〜40固台地東端の日吉方面では15皿ぐらいま
で低下する.久末の付近では標高25皿付近に不整合 面が認められる.一般に基盤岩類は難透水層である.Mi!oIloku hi 間il05hi
− 1
≡lHl1川川11 ≡llI,■■、.」.,..,.、、、、......
口酬・如ローム
1囚 下楠0一ム ロ 下末剖 囮 三沽に廓
図一3 下末吉台地の地亘断面図 (胴稟口・ム1こよる)
国立防災科学技術セソター研究童軸 第4号 1966年g月
.I) 下末吉o.
下末吉層は上記基盤層の波食台ないしその沖合に堆積した浅海性堆積物である.台地の東部に行くほど層 厚を増し,久末付近で5〜8凪,日吉付近では10皿を越える部分もある.一般には基盤の凹所を埋めるれ
き層,中部の砂・シルト層および上部の粗粒砂層の3部層に分けられる.
iii) 下末吉回_ムo
下末吉台地に分布する最下位のローム層で,下末吉層の上部砂層を整合におおう.久末付近では厚さ3四 前後で,上部こ黒色の埋没土じょうが認められる.
1V) 立川・武蔵野o一ムO
下末吉層を不整合におおって分布する.久末付近の台地には8皿前後の厚さで発達する.立川・武蔵野ロ ーム層の境界付近にはクラック帯が存在する.
2.2 関東o一ムの土貫特性
下末吉台地に分布する三層のロームのほかに,さらに噴出時代の古い多摩ロームを加えて関東ローム層と 総称されている.回一ムとは土質工学の定義によれぱ次のような粒度組成(重量百分率)の土をさしている.
砂:30〜50%
シルト :30〜50%
粘土二〇〜20%
関東ロームと呼ばれる赤土について粒度分析を行なえぱ,上記定義に該当しない部分も相当にある.しか し第四紀(105年)以降の火山活動によりもたらされた火山灰が浅海ないし陸上に堆積した地層群を指し て関東ロームという名称は盛んに用いられている.
i) 関東0・ムの骨楮む造
関東ロームの大部分は火山灰が陸上に堆積したもので,水中堆積物とは異なる骨格をもつ.関東ロームの 樽成粒子は,かんらん石・輝石・角閃石・石英・長石類などの結晶や粘土化した火山ガラスおよび非晶質の
アロフェ1■などが骨格を形成し,風化生成物がそれらを膠結している.
1i)閻げき比
間げき比・は土の空げき部分の容積と土粒子部分の比と定義されている.関東ロームについての多数の実 測によれぱG=3〜4の範囲にあるものが多い.普通の沖積粘土の間げき比がε=1.5〜2.5の範囲にある のと比ぺて非常に大きい.これはi)の骨格構造と関連をもつと同時に次にふれる浸透能あるいは保水性と 密接な関連をもつ.
1ii) 含水比
含水比ωは次のように定義される.
灰ω
ω =一X 100
∫
ここに ω:含水比(固体部分に対する%),〃ω :水の童置,κ :固体部分の重艮
関東ロームの自然含水比は80〜180%の間にあり,平均は110%前後と考えられている.
iV) 雨水の浸透能と透水性 ・)
蔵田 によれば,関東ロームは層厚わずか1四で100血m程度の連続降雨を飲みこみうる浸透能力をも つといわれている.また地表部等を除き常時一定の含水蚤を保持し,直接地下水面を上昇せしめるた瑚こは,
少なくとも・50皿四前後の連続降雨がなけれぱならないと述ぺている.
各地の砂質回一ムの実測から関東ロームの透水性は60〜150◎皿■aayの樋囲にあると考えられる.
川O市久末の灰津波災書の発生良Oについて一飯島
2.3 久末付近の台地の地下水
台地の地下水のあり方は,台地を構成する地質と地形に支配される.以下・久末付近を中心とする台地の 地下水の特牲を列挙する.
i)下末吉台地は地質の項でふれたように透水性の悪い基盤層が比較的浅い所にある・したがって台地の 地下水面は基盤との不整合面より高い位置にあり,台地の周縁部には地下水面の不連続面が序在している.
すなわち台地東端の日吉付近でも不整合面は標高15皿を有し,がけの斜面に露出し・沖積平地の不圧地下 水面との間に十数皿の落差があり,斜面に湧1畑;みとめられる.
ii)台地の浅層地下水は,台地上への降雨によってかん養される不圧地下水である.
1ii)地下水面の形態は地肋こ支配され複雑な形をとっている.
iV)台地の下末吉層は滞水層となりうる.基盤層の埋没谷に当る部分には砂れき層が分布し・れき径φが 5〜20cmに達することもある.
V)台地表面をおおう関東ローム層は特異な土性を示す.すなわち,空げき量は他の土に比ぺて大であり
保㌻㌘雌鴛㌶套叢膿篤早臭鳩急ま,2、、月に最低水位.二なり,。一・月に
最高水位になるという.また最高水位に達する直前の7月に二次的な低水位期のあることを指摘し・関東地 方の降水量の季節的配分と調和的であると述ぺている.(図一4参照)
久末付近の台地の不圧地下水の水位変動もほほ同様な傾向をたどるものと考えられる・
2.4 下末吉台地局縁の谷田の水利
1955串こ修正測量を行なった1万分の1地形図から概測すると,灰津波の発生した久末の大谷にも約 7haの谷田がみられる.付近の地形および谷田の規模から考えて水田の用水を他から引いてくることは考 えがたい.したがって7h aの水田の用水は32.5haの集水区域に降る雨こよりまかなわれていたと考え るのが妥当である.(図一1参照)
目本農業と水利用(1960)りこよれば,わが国の水田用水は要かんがい期闇を3か月とみて,
lO,000〜14,000㎜3/h。
を使用しているという.したがって7haの谷田に要する水量は
70,000 〜98,000 囮3/3か月
となる.つぎに水の循環について単純化して考えると次の関係がある.降水総量1: 表面流出量十大地蒸発量十地下浸透量
ここで,
‡ 表面流出量 : 降水総量の30%
大地蒸発量 二 年間 800㎜皿
と仮定する.灰津波の発生した大谷の智二は,雨水等を一時貯留するための溜池などの設備は認められない
そこで,統計的な雨量から表面流出量を算出してみる.図一4に東京(1876〜1950)・横浜(1897
〜1955,ただし1925を除く) の月降水量の累年平均値を示す.主かんがい期と考えられる6月・
7月.8月の5か月間の横浜における降水量を合計すると517mmとなる.この地区のきか月間の表面流
出量を8とすれば・一!・1・一(・…γ1・)!m・・・・・・…/1・・一・へ…㎜・÷・へ…㎡
となる.
蔵田延男 水理地質学,p.208によった.
臼立防災科学技術セ:!ター研究速叡
第4号 1966年g月
すなわち,7haの水田の用水70,000〜98,000m3に対し表面流出量は34,000㎜3前後と考え
られる.両者の差36,000〜64,000皿3は,一度地中に浸透・保留され,徐々に湧出する地下水1こよ って補われていたものと推定される.試算によって得られた補給水量の幅が大きく,仮定条件に疑問の点もあるが,この谷田において地下水の 占める童要性は理解できよう.図一4に示す関東地方
臨海地帯の降水特飽ま,12月・1月が最少降雨期に
当り,9月に最大のビークがある.しかし7月に例外 ・覧 なく二次的な谷がみられることは注目すぺき点である.
稲の育成過程で比較的用水量が増し,蒸発・蒸散量が
300ふえる時期に,雨量が減少する傾向がある.換言する ならば,谷田の用水の地下水に依存する度合が最も増
大すると考えられるのは7月と推定される. 酬 台地の地下水位変動に関する実測資料がないのが残
念であるが,常識的に考えて,1965年5月は例年
より地下水位が上昇し,台地局縁から浸出する地下水 2.0 量はふえ,同時に浸出の時期も早まったことが推測さ
れる.
150 3.灰爺皮発生に至るまでの衝o
石炭灰の捨土の経過および灰津波発生前後の気象状
況については,東京管区異常気象報告第6巻第2号 。。。
(1965)2)にふれられているので以下に抜粋する.
i) 石炭灰の拾土の経過
1964年10月 二谷頭部に石炭灰の捨土開始. 5.
1965年の初め :捨土の高さ約20皿,幅70㎜
臭行100四に達する.
123456 12
1965年2月11目:市当局は捨土φ止を指示.し _M・,.かし捨土は続行された. 図一・舳畑の脾平舳と・…榊舳水■
1965年4月23目:市当局は業者に防止工事を指示.こ柵二対し業者は石炭灰斜面上の高さ15囮付近
に流出防止の段をつけ,ふもと(住宅側)に1囮程度の流れ止め板をつけた.1965年6月26日121時50分ごろ事故発生.
ii) 1965年6月26旦〜278の気象擾況
熱箒性低気圧と東支那海の低気圧が共に東進し,本州南岸に停滞していた梅雨前練が北上した.東京都で
は26目タ刻から降り出した雨は25時ごろからしだいに強ざを増し,27目1時20分すぎには毎時独回
を越す強雨となり4時ごろまで続いた.神奈川県下では26日タ刻より降り出したが,23時ごろから雨勢が強まり夜半すぎから2ア日夜明けに かけて,毎時30mを越す強雨となった.横浜における1時閻降水量は図一5のとおりである.
また事故発生前1週間の降水状況について,横浜および事故現地に最寄りの観測所である溝ノロにおける 観測結果は次ぺ一ジの表のとおりである.
図一6の降水量は,横浜の当日の9時から翌日9時までの日降水量を示す.6月26日に1077皿囮に
違する降雨が記録されているが,上書己引用と図一5から,主たる降水は事故発生の21時50分以凌にあった、
岨○昌1;1昌 I/戸︑1︒ \︑一
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ラ ㌧。・
!︑・〃■ 1.︑︑︑・1
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23456789101I
川崎市久末の灰津波災書の発生機螂について一飯島
目6月2・日21日22圓23目24目25目
地名
償浜 O.O lO・6 6・4
溝ノIコ 7.5 6・9 1.2
O.2
(単位1:mm,日界9時)
ことがわかる.溝ノロの資料,横浜の1時間降水量か
ら推定して,現場付近の6月25日以降6月26目21 時50分の事故発生に至る4目間の総降水量は3m
程度であったと考えられる.
次に,図一4にみられるように1965年の月降水
量は1月〜4月の間は例年より少なく,5月に入って 約400皿囮の降雨があった.しかも5月中旬〜6月 初旬には40〜60囮mの連続降雨がみられた.(図_6) これが地下水に与えた影響は大であったと考 ロー5 口 京 .引 一〇■oI■^■^えられる.
4一灰津波発生についての権諭 4.1 崩擾した石炭灰の特性
ここでいう石炭灰とは微粉炭を燃焼するときに発生 するもので,高温で加熱されるので表面は融解してガ ラス化している.セメントの混和剤として利用されて いるフライアヅシュとは.この石炭灰の微粒部分を精 製したものである,セメントにフライアッシュをある 程度混入すると,強度の低下をきたすことなく未凝固 状態のコンクリートの流動性が増大する.これはフラ
イアソシュの形状が球形に近く,流動性の増大に寄与 ローH・岬 一舳目□・1咋。閉 するためと考えられている. 塑性限界二測定不能
次にこの石炭灰について酒井5)が土質試験を行なづ 間げき比:α92(深さ40㎝の試料)
ている. 含水比:42%( 〃 )
粒度組成:シルト質ローム(シルト質66%) 一軸圧縮強さ:O・2kg/c㎡( 〃 ) 液性限界:測定不能 比 童:2・06
この土質試験結界から石炭灰の土質的特徴として次の諸点をあげることができる.
i)石英の比童2.65などと比ぺて,きわめて軽い土であること.
ii)微粒子を多く含む組成でありながら,液性限界試験・塑性限界試験が適用できなかったことは・他の 同組成の土に比ぺて粒子間の結合力,すなわち粘着力がきわめて乏しいこと.
iii)間げき比が0.92ということはゆるい状態で堆積していること.
iV)強度的にも弱いこと.
一〇■o■川^
2一一, ●,
孟 30 如 岬
一〇■oI.^■^
・●100■●0■
10 20 30 10 10 30 IO■5 I .、 1…
国立防災科学技術セソター研究遠報 第4号 1966年g月
4.2 灰津汲発生時の状況
酒井の記籔によれぼ崩壊・流出した土量は約40・000囮3と推定され,流出した土は下流数百皿に達し,
2〜3㎜の厚さに堆積していたという.このような流出状況から盛られた石炭灰の内部は水で飽和されてい たのではないかと推定している.
また前記・異常気象報告の記述によるとr石炭灰はあっというまに数百固の谷を走り,その問退避の予知 などできなかった」と表現されている.
これらの記述から推論すると・石炭灰は崩壊発生と同時に液状化し水に近い状態で傾斜ヂ〜3切谷底を_
挙に流下したものとみられる.
この状態こ類似した崩壊・流出の型を示した盛土の例が新潟地震の報告書6)の中にみられる.すなわち,
羽越本線221・240㎞付近の旧沼沢地上に高さ7囮の砂丘の砂を使った盛土があった.この盛土が地
震発生と同時に長さ150囮にわたり破壊し,盛土の砂は液状化して,線路巾心から115匝離れた水田中 にまで流出したという.ここで,盛土荷重により沼沢地堆漬物は圧密沈下を起こしていて,地震発生醐こは 盛土下部の砂は地下水面以下にあり水で飽和されていたものと推定されている.この場合の液状流動化の原 因は地震による振動であることは疑問の余地はない.今回の灰津波には振動の原因となるような記録は見出せない.
しかし盛土が破壊する際に液状化して流動した上記2例から。共通的な条件を引出せぱ次の3点である.
i)土が砂ないし砂状の土,換言すれば粘着力の乏しい土である.
ii)土はゆるく盛られている.
1ii)土の相当部分が水で飽和されている.
4.3 台地と石炭灰中の地下水の挙■カ
灰津波発生の現場付近の地下水のあり方については前項でもふれた.さらに地下水の挙動と灰津波のメカ ニズムとの関連について推論を進めるために次の試算と観測を行なった.
i) 石炭灰が拾てられる以前の谷頭部の排水■
第1段階として石炭灰が捨てられる以前の谷頭部から排出される水量について試算を行なった.実測資料 に乏しく・問題を単純化するために,二次元の問題として取り扱った.すなわち,地下水の供給は谷頭方向 からだけあると仮定し・不透水層は傾斜していないものとして計算を行なった.図一7に示すように不透水 層の表面に横軸(z軸)をとり,縦軸(γ軸)に地下
水位をとった.z=Oの点は台地の地形上の分水界と
した.
均一な透水性を有する地盤における不圧地下水の単 位幅当りの地下水浸透流量9は定常状態の場合次式で
与えられる.
9:一ム・γ・与← . ω
11〕式を変数分離によりとけば
・一上云土 (・1
をうる.ここに
た:透水係数(5×10」◎凪/sθc)
z二分水界からの路長(4・=8×103仰)
ゐ:地下水位
である.〜,ん2を与え,50凪の谷頭幅から湧出
図一7 谷■8■50oO水位 ・と9水■ρO 仙 15川O・・n■・・.〕
川崎市久末の灰簑波災害の発生侵竈について一竈島
する日排水量ρを示したのが図一7である.浸潤面低下曲線は次式によって与えられる.
γ:ムi一・/α(ん言一ム;) 13〕
図一7によれば ん1=2囚,ム2=1⑭のとき ρ筥3−97皿3/day ム1=4ω,ん2=1囮のとき ρ昌28−3が/day ん1=6皿,ん2=1囮のとき ρ:4Z5四・/day
となることがわかる.関東地方の台地の地下水面は年間を通じて数囮の昇降を示すといわれているが,圓俳 水量ρは上記仮定条件下においても大きく変動することがわかる.
2−4節で水田の水収支について概算を行なった.その結果,用水φで地下水に依存すると推定される水量
は36,000〜64,000皿汐0daysと考えられた.そこで65,O00皿3の値をとり,台地周縁の延長
2,200エロから均等に湧出すると仮定し,谷頭部の幅50皿から排出される水量ρを算出すると
ρ二 16Q3/aay
となる.
ρから逆にん1を算出すると ん1: 3.58四
となる.すなわち,地下水位が台地の分水界付近で不整合面上3.5回前後にあれぱ約700皿3/dayの水 が台地局辺から排出されうることを示している.
1i) 石炭灰カ輪てられた後の排水■l
i)と同じ仮定条件下で,台地から供給される地下1畑…石炭灰末端から排出される旦を推定してみる.ω 式を積分して
ドー1。岳・・ 1・〕
ここで積分定数6を決めると.図一8において Z=α十6 のとき γ=ん2
したがって
^2
C=α十6+k2 2 15〕
2g
(5庫を14)式に代入すれば 此2
z=T(ムダジ)十α十6 {6〕
がえられる.ここで
6=8×103c皿
κ2=1×10■4c皿/sec
と仮定して16〕式から各水位における排水量を算出したのが図一8である.
図一7と図一8から捨土前後の排水条件の変化の概況をみることができる.すなわち,捨土前は〜=6m のとき約5つ皿3/dayの排水が谷頭で考えられるのに対し,捨土後に石炭灰末端からの排水可能量は〜
=0四としても約1四3/dayと約50分の1にすぎない.
m) 1見地における領案と測定
事故発生から約1年後の1966年6月7目,現場で観察と湧水量の概査を行なった.谷頭部にはまだ崩
壌をまぬかれた石炭灰が残っていたが,図一9に示す部分から湧水が認められ,事故後に設置された仮の水 路によって排水されている.地点①における水は主として谷頭部分の延長150囮〜200皿の間から湧出したものとみられ,その水量ρは140皿3/day前後であった.下流の地点②では水量ρは160囮γday
となっている.図に示すごとく谷の両岸部に数か所で湧水が認められ,i)の試算喧に近い湧水量が確かめられた.
国立防災科学技術セソター研究速報
第4号 1966年g月
写真一2 事故発生から10ヵ月たった現地を台地 から望む.中央にみえるのは事故の後に打たれ たシートバイル.埋没した家屋15むねはンー トバイルの下流で谷が右に曲がるあたりに建っ ていた.谷剛こ点在するのは古くからの農家.
㌔ ・。 }.
4、一.
写真一3 事故発生後作られた排水路
谷頭から250皿前後で1966
年4月この程度の湧水が集められ ている 後に呑える家も内部は完 全に破壊されている.これらの資料から事故発生に至る間の地下水の挙動 を推論する.ある期間,台地の地下水位(ん1)が一定 セあれぱ1i)の試算により石炭灰を浸透して排出され る地下水量は供給可能量の約50分の1にすぎない.
h州{V・・■
9、
o
← 臼■ 石ロロ 1 顯.O 水位^1と石則灰竈■よりのP水■0とのOO
δ〜
②
図一9 8カ(困所およ己声口I元…o□月〒■一匿1
もし石炭灰ちゅうを透過するより,容易に流れうる部分があれぱ,大部分の水はその部分1こ集中したと考え
られる.
現地の観察によれぱ次の二通りの水みちが考えられる.
a)台地斜面と石炭灰の接触面
b)バイピソグ作用により盛土内部に水みちができた.
川5市久末の灰P波災書の莞生蠣いについて一竈島
a),b)とも十分に考えられるが,事故後発掘された土管の存在および一挙に40,000囮3の崩壊を 引き起こ寺ノカニズムの可能性を考えるとb)の挙動がより優位であったと推定される.
4.4 灰津波莞生のメカニズム
水で飽和された土中を水が流動するとき,土の骨格樽造と水の摩擦により浸透圧が作用する.すなわち浸 透圧は流線に沿う土に働<水頭差である.断面1の土に対し長さzの区間に作用する浸透圧をpとし,水頭 差を△^,水の単位容積重量を〜とすれぱ
P=△ん ・ ■・ 7〃 {7〕
となり単位容積当りの浸透圧をρとすれば次のごとくなる.
△ゐ
ρ:Z 〜 18)
一方,土に浸透圧が作用し,バイピングやポイリングを発生する限界条件は次式で与えられる.
o_1
.= 191
ε十1
ここに,0:土の真比童, 。:限界動水こう配.19武によって問題の石炭灰の 。を求めると 。=O,55 となり,同r閻げき比の砂に比ぺて約64%しかない。
ここで図一8の例について考えてみる.〜=6m,〜=O mの浸潤面をとった場合,平均動水こう配
を とすれぱ,z=177皿(のり先きから3囮)のときγ=40−5c皿, :O−53 z=178回(のり先きから2囮)のときγ=352cm, =O,67
となる.すなわちのり先きから1〜2mの間に石炭灰の限界動水こう配 ・=0・55を越える点があり,も しこの部分に空間があれぱ石炭灰が沸謄状態になることを示している.
次に事故直後の写真に谷頭から下流に埋設されている土管がみられた.この土管は谷頭部の湧水の一部を 集めて下流に流すための施設と考えられる.したがって捨土開始からある期間は湧水を排出していたことは 考えられる.捨土の進行につれ,土管が埋没されたとしても,18威のZが小なる状、態では,その延長部に水 みちを作ることは容易に考えられる.すなわち,崩壌直前の盛土状態において,水みちなどを考慮しない条 件下での上記試算においても石炭灰の先端部は不安定であり,かつ捨土の過程において水みちが形成される 可能性は十分にあった.
以上の各種資料および仮定から灰津波発生のメカニズムを次のように推論する.
i)1965年5月下旬以降の降雨によって,石炭灰の盛土はかなり水で飽和されていた.
ii)石炭灰φに埋設されていた土管の先端からのり先に向かって水みちが形成されていた. これは捨土の 進行につれて延長されていった.
iii)水みちが形成されるとバイビ1■グが促進され,水みち上部および先端の石炭灰が流失し,盛土内部に 空胴が発生した.
iV)空胴は,土管に沿ってしだいこ谷頭方向に拡大され,動水こう配の増大と共に加速度的に進んだ.
V)空胴が谷頭に近づくと動水こう配の増大および透水断面の増大1はり,水みちの排水量は急速に増加 した.空胴の相当部分は水で溝たされる状況を呈した.
V1)空胴上部の石炭灰の均衡が破れ,プロック状に陥没した.
Vii)間げき水圧は急上昇し,のり先き付近では噴砂をともない液状流動を発生した.
5.ま と め
灰津波災書の発生壌樽について各種の資料に基づいて,また多くの仮定をおいて考察を加えてきた.その 要約は次のごとくである.
1)灰津波は背後の台地から供給された地下水の作用によって発生したもので,事故発生当目の雨とは無
国立防災科学技術セソクー研冗遠靱 第4号 1966年g月
関係である.
ii)台地をおおう関東ロームの特性および1965年5月下旬〜6月初旬の連続降雨が,灰津波を発生せ しめた地下水のかん養に最も深い関係をもっていたと考えられる.
1ii)捨土開始前後における谷頭部の地下水の挙動は大幅に変化した.
iV)石炭灰盛土申に水みちが作られ.,バイピング作用によって空胴が発生し・谷頭部に向かって進行して いった.
V)空胴上部の石炭灰が陥没し,間げき水圧の急上昇,せん断強さの減少を招き飽和状態の石炭灰は液状 流動を発生した.
以上が本報告の要約であるが,メカニズムの核心にふれる部分の資料こ乏しく・定性的・観念的な記述に とどめざるを得ない点が多かった.
終わりに水利・水理問題について適切なご助言を賜わった丸山第2研究部長・原稿の校閲をしていただい た大石研究室長および気象資料の収集について協力を借しまれなかった熊谷研究貫に心からお礼申し上げる・
む 考 文 畝
1) 農林省農地局編(1960):目本£業と水利用・水利科学研究所・
2) 蔵田延男(1955):水理地質学・朝倉書店.
3) 山本荘毅(1962):地下水の動態一関東平野を例として一科学・52・Nc・12・岩波書店・
4) 東京管区気象台(1965):東京管区呉常気象報告・6・No・2・
5) 酒井淳行(1965):川崎市久末の石炭灰崩れ.地すべり・2・脆・1・
6) 多田美朝外(1964):新潟地震調査報告・鉄道技術研究報告・No・448・
1) 関東ローム研究グループ(1964):関東ローム・築地書館・
8) 河上房簑(1963):土質力学.森北出版.