ジ ョウジフ
.
マ ッ
シ
i の学史的位置
││三上隆一ニ﹃近代利子論の成立﹄(一九六九年・未来社)によせて
1 1
林 昇
ジヨウジフ・マッシ
IC 20 ]u yZ
目的回目︒)
とい
う名
は︑
経済学史上にユニックな仕事を残しながらも久しく忘却さ
れ︑その生涯さえあきらかでない人びとのひとりである︒おなじ十八世紀のイギリスでいえば︑ジエイコブ・ヴァン
ダlリントやウィリアム・テンプルペむろんサl・ウィリアム・テンプルとは別人)やジヲウジフ・ハリスがマッシ
!と相似た境遇におかれている︒だがこれらの人物のなかでもとくに︑
マッ
シ
lの伝記のきだかでないことはいちじ
るしい︒彼はその没年が一七八四年であること︑ロンドンのセント・アンドルi教会に埋葬されたことがわかってい
るだけで︑その職業も推測の域を出ない│││砂糖貿易商だったという司能性が多いが
ll
ので
ある
︒
しかし︑このマッシーが一七四八年ごろから一七六
O
年にかけて一五OO
冊(ないし一六七二点)におよぶ︑経済学文献の蒐集をおこない︑それを手放してのちに手稿の﹃経済学文献目録﹄(﹀ロ﹀
q F
与
2 ‑
s ‑ z r u
内 丘 同 町 市
Z出 呂
σ
ジョウジフ・マッシ!の学史的位置
九
ジョ
ウジ
フ・
マッ
シ!
の学
史的
位置
四0
︒同
﹀ロ
FO B
えの
B ︒ 52 2ω
日 目O OZ Ea pw
百 円
u y
z F
口 出 回 )
を残してそれがこんにちまでブリティッシュ・ミュlジ
アムに保管されていること︑また殺が利子論史上の重要文献﹃白然利子率論﹄を最初として約四口点の論著を出版し
たということは︑確定され事実である︒彼はその同時代では︑ジョウサイア・タッカlに次いで多産な経済論説家だ
った
ので
ある
︒
それなのになぜ彼は忘却されたか︒それは彼のおびただしい小冊子のうち︑相当な学史的意義を持つものが上記の
﹃自然利子率論﹄だけといってよく︑﹁政治算術家Lとしての彼は見るべき成果に達しなかったからであり︑またこ
の﹃自然利子率論﹄さえ︑のちに出たスミスの﹃国富論﹄の光輝のまえにその存在を薄くしたからである︒この点︑
有力な一冊の著書﹃貨幣万能﹄(一七三四年)を残したまま久しく忘れられたヴアンダーリントとマッシ!とは︑半面
でながら似かよった運命を持っている︒
しかし︑比較的最近の論説であるマサイアスの業績を除いても︑
マッ
シ
i
の利
子論
は︑
マッカロックやマルクスに
はすでに注目され評価されていたのであって︑わが国でも︑古︿大正十四年に高垣寅次郎博士がこれに言及されて以
来︑高橋誠一郎博士(上記の﹃文献目録﹄をも解題)︑高木暢哉教授らがかなり詳細にこの対象を分析されている︒
わた︿しも︑もう二
O
年も昔のごとと思うが︑当の﹃自然利子率論﹄すなわち入吉岡a h q s s
向︒白
色町
さな
h n
史 的
g
品 ︑
HF
問見ミミミ勾むなミ.EH
町若
丸山
N tM
認 可
問 診
HF
向め
き泣
き同
誌な
久句
弘司
S点 目
安
3N NU両
足︑
h N3 h
出 足 唱 ︑
・
hb
円 砕 旬 ︑
SH ph H叫 同
Sh FR H3
円SS
叫 門 出 向 可 司 門 出 ・
HL
Oロ 仏 ︒
P H寸 一
山 ( } 少
﹂ ︑
一橋大学のメンガi文庫にかよって読み︑いちおうの抜書きをとったことがある︒そ
のノ
lトはもう黄ばんでおり︑ポレッグスプエンやペティなどからの抜書きハハル版のベティも当時改簡単には入手
できなかった﹀と一冊に同居している︒こういうノlトのつくりかたから見ても︑わたくし自身は︑のちにしばしば
﹃自然利子率論﹄に触れる論説を室聞きながらも︑今までマッシlに十分な関心を払ってきたとはいいがたい︒ところ
が︑理論家でありケインズの研究者であり︑さらに学史の領域にも広く出入した﹃貨幣的経済理論の研究﹄の著者で
ある三上隆三教誌は︑一O年前にホランダ!の翻刻版の﹃自然利子卒論﹄に偶然接したとき︑おそらくは氏の専門領
域のゆえに︑本文六二ページのこの小冊子のとりことなり︑同時にその著者が忘却された人物であることを知って︑
その利子論を深く研究すること︑および﹁極東の一孤島国で彼の全著作を読もうとする﹂ことをこころざし︑
マイ
ク
ロフィルムの利用によってついにその目的を達成した︒その成果が本書すなわち﹃近代利子論の成立﹄であって︑そ
れは
凶ぐ
+ ω
∞
k r y
︑マッシ!の詳細な書目白日y︑人名索引ご)・から成る大冊であるばかりではなく︑
マッ
シ
lにかんし
ては︑世界で最初の
l l
万一にもドイツでの学位論文などに対象をおなじくする研究があるかもしれないが
li
理論的ないし学史的研究である︒本書のメリットとしてこの端的な事実がまず明記されなければならない︒著者はこの成
果を学界にもたらした動力を︑みずから︑﹁執念にも近いような筆者のマッシーへの傾倒ぶり﹂としるしている︒
しか
し他
面︑
マッ
シ
iの諸論説のすべてを遍歴してのちの三上教授の実感は︑本書の補論﹁マッシlの生涯と業
マッシーはその生来の経済論説家としてのすぐれた才能を伸ばすにはあまりにも時論績﹂で述べられているように︑
家でありすぎ︑研究対象を分散させることによってエネルギーを浪費
L i
‑ ‑
またわたくしの思うところでは時論家と
してもデフォiやタッカiの洞察力とヴィジョンとを欠き│ll︑理論史的意義を担うそのほとんど唯一の著書﹃白然
利子
率論
﹄が
︑
マッ
シ
l白身にとって﹁底辺の狭い孤高の書﹂
ページ)となっているということであった︒し( 四 30
たがって三上教授の本書は︑
マッ
シ
iの全労作を読破したという用意の上に立ちながらも︑やはり彼の司自然利子率
論﹄を中心として分析した研究となっている︒著者は﹃自然利子率論﹄一のほかに
﹃イ
ギリ
ス鋳
貨論
﹄ (0 2ミ ミさ ま
ジョ
ウジ
ア・
マッ
シ!
の学
史的
位置
四
ジョウジフ・マッシ!の学史的位置
四
ミ
QH Sh HD S
司
PS A¥
のミ
ミぜ
QF本文三二ページ)をも瑚論的なパンフレットであるとし︿六五︑四Oた
口 g
一ページてそれ以外にも︑円各階層の租視の計算﹄(ハリミ号室比也君巴¥吋
h HH h h
﹂言
︑向
︑
h N さ守ミ
sqpF3pbhh
ミ 町 色 可
GEr・¥巴可口芯町
F Q
司 ︑
︑
口町
∞)
など
のよ
うに
︑
マッシ!の先人グレゴリ・キングのいっそう根本的・国民経済的な表
111各階層の収入と支出との表
l l
i と対照させて分析してみたいという興味をそそらせる労作もあるが︑著者自身の
みとめているように︑
マッ
シ
lの全著作には︑カンテfロンの﹃経済の本質﹄やステュアiトの﹃経済学原理﹄にく
らべられるような︑理論的体系化はやはり見られないのである︒
﹂のことの結果︑三上教授のマッシーへの傾倒は︑この人物の﹁全著作を読もう﹂とする氏の目的を達成させた
が︑その結果として氏は︑これらの全著作を批判的に再構成しようとすることの意読をみずから積極的には評価しな
いよ︑つになり︑こうして本書は︑やはり近代利子論史上のマッシlに照明をあてた研究として刊行されたのである︒
むろん著者はそのはしがきで︑﹁マッシi自身が行なった研究範囲はひろく︑
した
がっ
て︑
マッ
シ
1の完全な研究に
はいろいろの視角││たとえば経済思想・社会思想・経済史・財政・貿易・社会政策等々ーーよりの分析が必要であ
り︑本書のように利子論中心の研究は︑お上そ完全なマッシI研究といいうるにはほど遣いものといわなくてはなら
ムい
﹂︿
六ペ
ージ
)と
書か
れて
いる
︒し
かし
︑
マイナーなものをマイナーなものとして確定すること︑問︒ω己
百円
DO四白色4
であると確認することも︑ときには研究上不可欠な労働であって︑わたくしもステュアiトの﹃経済学原理﹄第三編
﹁貨幣と鋳貨一の分析をこころみたとき︑このような考えに到達することによってみずからを慰めたおぼえがある︒
むろ
ん︑
マッ
シ
lの多くの論説から今後いくつもの遺珠が発見されないとはか︑ぎらない︒しかしそれでも︑わたくし
は三上教授の研究の徒労の反面にもやはり敬意を表しておきたい︒そこには良の客気が感ぜられないではないけれど
も︑
やは
り︑
マックス・ヴェiバーのつきの言葉が︑ことに昨今でのように学問への枕潜をはばむ時代にあっては︑
﹃近代利子論の成立﹄を是認するために引用されるべきであろう︒
l i
﹁学問に生きる者は︑ひとり白己の専門にと
じこもるととによってのみ︑自分ははここにかかかいUトホ勝るわわわ仕事を成しとげたという︑おそらく生涯に二
度とは味われぬはずの深い喜びを感じることができる︒じっさいに価値がありまた完壁の械に達しているような業績
は︑こんにちではみな専門家的に成しとげられたものばかりである︒︑だから︑自分で目かくし革をつけるようなこと
のできない人ゃ︑また自分の全霊をうちこんでたとえば或る写本の或る個所の正しい解釈を得ることに夢中になると
いったようなことのできない人は︑学問にはまず縁遠い人びとである﹂有職業としての学問﹄)︒
2
しかし︑本文六二ページの﹃自然利子率論﹄をまぎれもない主対象として︑どうして本文三八四頁の大冊司近代利
子論の成立﹄を書くことが︑三上教授にとって可能だったのであろうか︒それは父カルペッバーからリカ!ドまでの
二
00
年間にわたるさまざまな利子論の検討をたての糸とし︑マルクスやケインズの利子論の理解を横の糸として︑そのなかで一‑百然利子率論﹄のユニックで積極的な学史的位置と理論的意義とを明示するという構成を︑三上教授が
本書で用いたからである︒そうしてこのたて糸と横糸とは︑本書では有効に織りなされながらも︑たて糸の部分にか
んする叡述の領域と視野との広さは︑横糸の部分にかんするものよりも比重が大きく︑したがって本書は学説史家三
上陸三の存在を︑同氏の上掲の前著﹃貨幣的経済理論の研究﹄とともに︑いなぞれよりもたしかに強烈に︑印象づけ
るものとなった︒﹃近代利子論の成立﹄は︑その研究の手つづき︑その諸考証の方法の点でも︑まさしく本格的な学
ジョ
ウジ
ブ・
マッ
シ!
の学
史的
位置
四
ジョ
ウジ
フ・
マッ
シ!
の学
史的
位置
四 四
史的業績であって︑われわれは本書に︑理論家から学史家への転身という︑比較的すくない事例の一つを見るわけで
ある
右の事情は本書の諸章の配列と︑ぞれら藷章の各節の構成からよく知られる︒この前者だけをここにしるせば︑序 ︒
説
経済学の揺箪期︑第一章十七世紀イギリスにおける利子論争︑第二章マッシ!の利子論︑第三章
マッ
シ
i
利子論の周辺︑第四章近代利子の特質︑補論マッシ!の生涯と業績︑なのであって︑しかもここでの第四章も︑
その第一節が近代利子の歴史的性格と題されて︑グレシャムの著作とされる己二宮内︑主寄託ミ
s h 弐 若 宮 内 F E E
内 向 匂 の
・
58
︑匿名者のい
bR S3
市 営
︑
s q g
ミ幅広足︑ペティ︑ヵンティロン︑ケネl︑
!ド︑およびケインズを取扱い︑第二節がマッシl利子論の意義と題されているが︑この二つの節が全章を成してい
ハチ
スン
︑
スミス︑リカ
るのであって︑この章もまた学史的分析であることが知られるのである︒
﹂うして︑三上教授は本書で︑
﹀百 円山 ぬ吋
∞︒
P
し
﹁ ・
u
∞
m H 1 } )
︒P
z‑
一切 門戸
8田
0・
﹄・ 一口
m w D H E o p
同‑ u
のm w H U
﹃w
H ‑ h ( u r n g Z 門 戸
2
・同 ‑一
m H H
Y口 内
‑ h 一 ﹁
o o W 0
・河
‑一 口戸
‑ H U
叩旬
︒円
︑昨 日M o
色o ‑
︒円 山口 口] 句︒ 匂叩
M 1
・同 町叩 吋︒ ロロ 問︒ 円山 口ω 4 0 p m g F
の・ 一切
O
ユ
H 1 0
可 ︑
ω・
一の
8・H
出向 円目 的地 ト﹃
・一 剛山 口同 ロタ ロ・ 山一 回己 口} 話回
OD
W 可‑ 一同 吉岡 帽の
‑ u
阿C
DF
の‑
uF 担 当
w
一﹁
・一 円︒ 口付
0・H・hy
角 田 ︼
M1
DO♂
︒ ・一
γ向 田
口 ] 叩 山
﹁
w
叶 ︐ ・
h
宮町
0 田
5 0 P H W
一足
H H U ロ 円一
一Z
︒込 町切
‑ h り
︺1
2 q w d q ‑
一 司
O印 日 け 日
H 4 5 1
・足
‑一
ρ5 8m qu
吋‑
uω BE r
︒ ・
hg og p
﹄‑ h
叶ロ ロW 2
﹄‑ 一寸 ロ品
︒ゲ
﹀・
HP
M‑
一︿告白
2
日 目
DH
W
﹄‑ h
︿O
︼丹 田町 少司
・巳
・同
・
らの
︑
スミスの先人の業績をさまざまな角度から利用
しているのみならず︑たんに言及している重商主義者たちの名は右の範囲よりいっそう広汎であり︑そういう人物や
その諸説に対する研究文献も︑マッカロックやロッシャl以来レットウィンその他にいたるまでかなり十分に利用さ
れているのである︒だから本書は︑ケネl︑テュルゴ1︑スミス︑リカlド︑およびそれ以後の諸文献に対する分析
の部分を除いても︑重商主義の研究書としてだけでその存在を主張できるものであり︑とくに第一章l第四章を
? 7
じて
は︑
マッ
シ
lの最高の論敵であったロックの利子論がそれ自体として詳細に吟味されていて︑それは本書にロッ
ク研究の一文献としての資格をもあたえることを許すであろう︒
以上のことを述べたのちでならば︑ここでただちに︑
マッ
シ
Iの利子論の内容︑その学史的位置と意義とについて
の︑三上教授の理解と主張とを聞くことが︑すでに最も有益であろう︒
まず︑利子の源泉と利子率の決定とについて︑﹃自然利子率論﹄はどのように論じているか︒この書の最終章﹁自
然利子率の規制的諸原因について﹂
3 D F O C S O B
‑
認の包括悶えF O
Z由HE‑
mH
仰H
と 巾
︒ 向 日 三 四 円
︒ 印 円
︹
℃
‑ K 匹
︑ 可 由
N︺
)に
おけるマッシ!の主張を︑三上教授の説明に従いつつ跡づけてみよう
ol la
﹁マ
ッシ
lの利子についての積極的理論
は︑
まず
︑
なぜ利子が支払われるかという問題から始められる︒︹彼によれば│(以下︹
︺内
は小
林)
︺商
品の
所有者は︑物それ自体にたいしてと同様︑その商品がもたらすすべての利益にたいしても権利をもっている︒したが
って︑ある商品を借りたものは︑その商品が生みだした果実︑すなわち利益についても︑商品自体と同様に︑その所
有者にたいしてある義務を負うものなのである︒したがってもしも一
00
ポンドの貨幣を一年間活用した結果︑経常的には︑困難や危険の費用をつぐなったうえに︑なお五ポンドの利益をあげうるのならば︑︹この借手は︺当然
に借入れ金の返済時には︑元金の一
00
ポンドとともに︑一年間に経常的にはその元金が生みだすであろう利益五ポンドをも支払わなければならない︒たとえ借り手が五パーセントの利潤をあげえなくても︑借金すればそれだけのプ
レミアムは支払わねばならないのである︹以上の説明の部分は︑
高木
暢哉
﹃利
子学
説史
﹄(
一九
四二
年)
︑
二O四│五
lジに翻訳文として掲げられている︺︒︒ へ
しか
し逆
に︑
五パーセント以上の利潤をあげえても︑支払うものは五パi
ジョ
ウジ
フ・
マッ
シ
lの
学史
的位
置
四五
ジョウジフ・マッシ!の学史的位置四六
セントのみのプレミアムでよいのである︒いま︑この五パーセントによって示される内容そのものこそが自然利子お
よび自然利子率なのである︒したがってマッシlは︑利子が支払われるのは︑貸し付けられた一元本が利潤を生むから
と答えることによって︑利子の源泉は利潤であるという考えを明白にしたわけである
LC
八三四ページ)︒それはめ
ちにアダム・スミスが定式化したのとおなじ考えである︒ぞうしてマッシ!のばあい︑この利潤←利子という考えが
消費貸借に対してもおし拡げられ(その逆ではなくて借手が借金によって利潤をあげるととが一般的に同能である
かぎり︑どんな性質の借手も利子を支払わなければならないとされる︒この考えは︑マルクスの認識︑すなわち︑資
本として機能する局面での貸幣の使用価値は資本に転化した貨幣の生崖する利潤に存する︑という認識と同様のもの
であ
る︒
したがってマッシ!のばあい︑﹁借用したものの使用にたいして利子として人々が支払うものが︑その借りたもの
の作りだすことのできる利潤の一部分公司即ースえ
5 0
句
B
冒とであるならば︑この利子はつねにそれらの利潤公吉田︒p c
宮山)によって規制されねばならない
j 一
(民
ミミ
ミ同
ミ由
弐
EE
位d
︑℃
・お
﹀
ということになる︒こうしてマッシl
は︑﹁ペティやロックにみられるような︑利子率を規制するもの︑
基準
を︑
地代や土地の購買年数といった封建制的
要因にもとめることを排除し︑利潤率︑ヨリ正確には一般利潤率という近代的資本関係・要因のみにこれを求めたわ
けで
ある
﹂(
一八
五ペ
ージ
﹀︒
したがって具体的にいえば︑自然利子率は一般利潤率によってその上限を劃されるわけ
であるが︑その範囲でどこにおちつくかは︑資金に対する需要と供給との関係でさまると考えるべきである︒しかも
いっそう具体的な点で︑
マッ
シ
lはロックとスミスとをつなぐ認識の伝統の中間に立って︑利潤と利子とは折半され
るのが妥当であると述べたのちに︑とくに︑一般的利潤
( S E E S H U B
呂田)以上の特別利得守弘
BR es
弓の包ロ)
は借手に帰するものであることを指摘している︒こうして︑貸手の受けとるものは一般利子率
(8 5g g
何回
円巾
え HD Z5 2)
であ
り︑
借干の手に残るものは︑平均利潤ネの文配下でなお個々のばあいに差違を見ぜる利潤率からこの
一般利子率を引き去ったものである︑ということになろう︒しかし︑以上の想論的展開ののちにマッシiがとくに法
則ハ河口目︒)として樹立したかったことは︑一白然利子率は個々人民とってのトレードの利潤
( F O H
U B 呂
田え
寸吋
白骨
Z
同ι
山門
門広
三回
門的
)に
よっ
て規
制さ
れる
﹂な
・臼
・一
八六
ペー
ジ)
とい
うこ
とで
あっ
た︒
ところで右の展開に対する三上教授の理解に従えば︑マッシ!にあっては︑﹁利子が利潤より派生したものである
ということは︑利子がそれぞれの企業の具体的利潤の一部分を構成するという関係以たつものではなくて︑むしろ経
済全体として生みだされた利潤の平均率
ll
iマッシ!の言葉では一般的利潤
( g B H H M O D
‑ u g 吉田 )
ーにかかわるも
めで
あり
︑
かかる利潤率によって利子率が規制されるものであるということ﹂が知られていたということであり︑ま
た﹁利子率を規制するといわれる利潤率は︑平均的な諸条件のもとで資本があげうるであろうと考えられる一つの拍
象的な社会的平均利潤率であって︑かかる平均利潤率を成立させる根源は︑あくまでも個々の企業によって生みださ
れる具体的な利潤率の存在ではあるが︑それが直接には︑社会一般に通用する利子半を規制しているものではないと
いうこと﹂が知られていたというととであるご八七ページ)︒
そうして︑ここにいう一般的利潤が上記のように近代的な平均利潤率と考えられるべきものであること︑
マッ
シ
i
が﹁一般的利潤率とともに利子率を考えたということは︑その背後に初期産業資本の発展という事実の存在の観念的
反映を物語るものであり︑ひいては彼が初期産業資本育成のための保護主義者でもあったことに結びつくのである︒
とい
うの
は︑
いわゆる前期的資本の時代には︑一般的な利潤率・利子率は存在せず︑存在するものは個々の偶然的・
ジョウタフ・マッシ!の学史的位置
四 七
ジョウジフ・マッシ!の学史的位置
四 /i、
特殊的利潤率と利子卒︑あるいは投機的なそれであったからである﹂
(一
九0ページ)ということは︑利子論史上の決
定的転轍子︑近代利子論の真正の樹立者としてマッシiを評価しようとする︑著者の主張の理由づけと歴史的根拠と
であった︒このようにしてまた︑﹁マッシ!の
85 50 DH UB E
と自
52門
巳吉田円以
1C
江口たる用語法をみると︑mその量
‑質において︑また時代的制約において大きな隔差があるとはいえ︑マルクスによって完成された平均利潤率・特別
利潤・特殊剰余価値概念の胎動をここに見出すのである﹂︿向上)とい︑7指摘にまで︑著者の叙述は進んでいる︒ただ
しこの指摘そのものが︑平均利潤率にかんして︑すでに平瀬巳之官口教授の﹃経済学の古典と近代一﹄(一九五凶午︑一一一五
三ページ)に示されていることは︑若者も言及しているのではあるが︒ーーだが︑以上のような論述からマッシi
い い 対
しであたえている︑三上教授のワざの評価は︑むしろ氏に学問的決断を必要とさせたであろう︒﹁マッシl
はグ
レ
l
ト・ネlムでもなく︑またカンティヨンやヒュlム以下のものであっても︑被の利子論の内容そのものにおいては︑
彼等同時代人にいささかの遜色をもみせるどころか︑逆に数段抜きん出ているといっても過言ではない︒
マッ
シ
lを
経済日利子学説史において位置づけをこころみるならば︑実にマッシiは利子論におけるスミスを先駆してあまりあ
るものといいうるのである︒スミス理論の完成者としてのマルクスにおいてさえ︑価値・剰余価値理論による基礎づ
け以外にはそれになんの改良の手も加えられなかったのである︒しかし︹﹃自然利子率論﹄は︺それだけのものでな
く︑もっとひろく︑現代利子論のすべてが立つ基本利子涼理を提供しているものといいうるのである﹂(二二六ページ﹀︒
(この視点からする著者の特白なケインズ理解については︑三
C
二五ページを参照)︒3
上掲の﹃各階層の租税の計算﹄の存在をいちち7保留するとすれば︑
マッ
シ
lは成功しなかった政治算術家であっ
たが︑その経済学書のコレクションの読破から得た彼の体験は︑彼に政治算術家の枠をこえること︑経済学の確立の
ためには必要な材料の取捨選択がおとなわれている歴史的説明(呂田
g H F S 一宵
g g c
の必要なこと号実感させた︒
彼が小冊子﹃経済学論﹄(入山勾毛主的
S H
むと
室内
もお
門町
三宮
町門
官同
きミ
ミ古
久む
さミ
ミQ
WH
叶凸O﹀でこの必要を力説した
ことを︑われわれは三上教授の手引きによって知ることができる(五六l
八ペ
ージ
)︒
hJ‑v
︑ ︑
企fK4HNそこに存ずる問題点には
のちに触れることとして︑ここではふたたび﹃自然利子率論﹂一にたちもどって︑
マッ
シ
lがロックの利子論のふくむ
前近代的要素から税却するために︑政治算術的方法と結合した一種の歴史的方法を用いたことを︑確認することには
若干の興味がある︒
﹃近代利子論の成立﹄の第一事﹁十七世紀の利子論争﹂は︑文献の取扱いの点でも︑理論的分析の点でも︑きわめ
て密度の高いすぐれた章である︒それは父カルペッパーにはじまってロッグに終る︑いわゆる第一次・第二次の利子
論争を︑とくみに整理しつつ跡づけて︑この論争が利子引下げ←淫済繁栄という論理を政策的主張の基礎とする︑利
子引下げu原因論と︑利子率は貨幣量によって規制されるものであるから利子率への統制ほ無効かつ有害であり︑そ
の低下は外国貿易のプラスに期待すべきであるとする︑利子放任u結果論との︑二つのグループによって戦わされつ
て
コ、
ロックの出現によって結果論の勝利に終ったプロセスを明確にしているのみならず︑この利子放任u
結果
論が
︑
十八世紀にはいって︑ロi︑カンティロン︑テュルゴーらを支配し︑労働価値論史上の一古典である匿名者の﹃貨幣
‑公
債利
子論
﹄(
めも
さ司
司︑
§恥
伐と
臼
qSNpqN
ミ両
立札
口¥
足雲
市︑
. J
寸印∞吋﹀を例外として︑利子引下げ原因論の殿将でHu
あるステュアlトをも制肘した事情を指摘している︒
ヲョ
ウジ
フ・
マッ
シ!
の学
史的
位置
四九
ジョ
ウジ
フ・
マッ
シ
lの
学史
的位
置
。
五こういう事情のもとにありながら︑﹃自然利子卒論﹄はどういう新しい111むろん原因論とはまったく別の
l i
論理
でロックを批判したのか︒この冊子はもともとロックの批判を目的とし︑開巻と同時にそれが展同されるが︑その論
点は︑自然利子率が第一には貨幣量に対する負債の量の比率に上ってきまり︑第二には貨幣量に対するトレードの量
の比率
QD HM
勺g
OE OD SS
冊目
・
によってきまるという︑ロッグの主張
( 円 四 ・
﹄ ・ 円 ︒
口 付
0・
句ミ
諮問
のき
切に
同ミ
さロ
ミ.
志向
hq S3 3h b¥
同志
向可
皇︑
SLE
注品志向5
窓口
¥図
書問
︑︑
E O N ‑
宅・
由
l ll
口)に集中される︒
マッシーによれば︑まず︑ロックの第一の論点は搾史的事実に反する︒なぜなら︑こんにちと過去との比較は︑
ロ
ツ
グのあげたパiミュダ島の例にもかかわらず︑むしろ著移の風潮のもたらす負債の額の増加にもかかわらず︑利子率
はかえってこれに逆行して低下していることを示すからである︒ーーーだが︑三上教授の指摘するように︑ロックは右
のはあいに︑﹁住民相互の負債に比して一国の貨幣が僅少すぎるとき﹂に自然利子率が引上げられると述べて︑
貨 幣
量が時代によって変化すろことを否定していないのだから︑との点ではマッシ!のおこなった批判は的はずれであ
る(一六六ページ)︒だがこのばあいマッシi
ば ︑
公債が政府の消費信用であって生産者への貸付けではないこと︑後
者の利子率のみが利得の率に制約され︑前者の利子率は借手の必要によってどうにでも動くものであること︑を指摘
して︑﹁国債の利子率と経済的市場的な利子率である彼のいう自然利子率とは全く別個の原理によってきまるもので
あるということを明確にした﹂(一六七ページ﹀︒
﹂ の 一 地
醐 占 山 は
︑
マッ
シ
1白身の利子論が成立するための理論的前携で
ある
な ︒
お︑
つい
でな
がら
︑
マッ
シ
lが右の論点にかんして︑﹁自分の土地を改良するために借金するジェントルマンや︑
トル
Iドをいとなむために借金する商人や実業人は︑彼らの越えることのできない限界を持っている︒彼らが貨幣を
使っ
て一
O
パーセントを得ることができるばあいには︑彼らはこの貨幣に対して五パーセントをあたえるであろうカf
一
O
パーセントをあたえようとはしないであろう﹂守℃・21 3
と述べていることに︑注意を払っておきたい︒
これは利潤・利子折半の考えだが︑さきにマッシi
が ︑
一(
U0
ポンドの借入れ金が経常的に五ポンドの利益をあげう
るものならば︑元本の返済時にはこの五ポンドをも支払わねばならないと述べたとして︑一二上教授の説明を紹介した
にもかかわらず︑マッシ!の真意ではむろん︑ここにわたくしの引用した文章での五パーセントが自然利子率なので
あって︑経常的な五ポンドの例がそうなのではない︒三上教授はとくにこの点について︑前近代的な高利子率は労働
の全剰余の地主による収奪とパラレルな現象であり︑金銭の貸借にあたって地代率を考え︑地代率H利子率を推論す
るペティ←カンティロンの伝統はここに根ざしていること︑
マッ
シ
lが決定的にそこから脱却したことを︑強調して
いる
ので
ある
(第
四章
第一
節)
︒
ロックの第二の論点に対するマッシ!の批判は有力である︒
マッ
シ
lはみずからに混乱をふくみつつも︑ロックの
なかに無意識に並存する︑貨幣の流通必要量的見解と貨幣数量説的日ル解との矛盾を指摘して︑
ユ 国 の 貨 幣 と ト レ
!
ドとの聞の釣合い不釣合いということ︹すなわち流通必要量︺は話の種にはなるが︑無意味なものである︒交換商品
としての貨幣の価値は︑その数量が変化するに応じて騰落するのであるから︑貨幣の豊富な時︑多額の貨幣は労働者
の賃銀・地主の年収入︑あるいはブローカーの取引の支払いにおいてなにごともおこさないであろう︒貨幣が稀少な
場合も少額の貨幣は同様になにごともおこさないであろう︒したがって︑この場合︑どこで釣合いが成立するのか︑
不釣合いがはじまるのかわからないのである﹂(苫・勾ごと指摘して︑みずからは一貫して数量説の立場を採る︒
ー マ
ルクスがこのマッシiの立場を検討することから﹁貨幣数量説批判への理論的突破口を﹂見いだしたとする三上教授
ジョ
ウジ
フ・
マッ
シ!
の学
史的
位置
五
ジョ
ウジ
フ・
マッ
シ
Iの
学史
的位
置
五
の推測(一七三ページ)は︑たんなる推測にとどまっているが︑ともあれマッシーはこの理論的立場を︑歴史的だと彼
みずからが考える方法と結合して︑
フリ
i
トウ
ッド
の﹃
物価
年表
﹄(
のな
さミ
円S
︑ 町 内 P
SS S
一 色 可
S
尽A
きミ
ミ岡
高山
札 hp
‑ hs
旬n
︑見
守町
平ミ
ミ
D 1 3 u S
旬︒刊
誌吋
可︒
ロき
さな
§︑
︾こ
言目
立︒
CC MS
・2
J H
吋C
FN Eo pw
ヨ品
目)
を駆
使し
つつ
︑
ロックの利子論│iA﹁法定最高利子率の副引きさやけがトレイドの発展をはばむことを重視し︑その原因として利
子率の引きさげがトレイドに必要な一定比率の貨幣量の不足を招来すると考え︑さらに︑その背後に︑貨幣量の多寡
によって利子率が規制されるという利子率決定理論をもっていた﹂
(一
二四
ペー
ジ
) l
の核心を批判しようとナるの
l
であ
る︒
マッシーはまず︑理論的ならびに政治算術的検討を加えたのちに︑価値が時代によって変化しない商品として小麦
を採る︒これは﹁不変の価値尺度﹂論の先駆である︒そうして彼はこの前提から︑各時代の貨幣量の多寡はとうぜん
それぞれの小麦の価格に反映すべきこと︑したがって貨幣量と利子卒とを結合させるロックの理論を採るとすれば︑
各時代ごとに小麦の価格と利子率とのあいだに反比例的関係が一貫して見られるはずだと述べ︑それが実証でさない
こと
を︑
フリ
lトウッドに拠りつつこれを補完した簡潔な表︑すなわち﹁利子率と小麦価格との表﹂(﹀叶白σ‑00同
同 耐 え
go hH DZ 32
・目白血
p a
日日出
︒同
J H J H
円S
︹日
)・
九日
仏︺
)に
よっ
て示
して
いる
ので
ある
︒
ニ上教授はこの表の内容を説明
しているがご七七│八ページ)︑ここでは直接に表そのものを示してみよう(次ぺI
ジ ) ︒
この表はそれ自体としては難解な点を持たない︒マッシーはこのような手続きで︑ロックの利子論の第二の論点を
打破できるとした︒この手続きは正しいとはいえないけれども︑事実の客観的把握への努力を︑一二上教授はここに認
めて
いる
(一
七九
ペー
ジ)
︒
最初に述べた︑﹃自然利子率論﹄における積極的理論の展開は︑この批判にひきつづいて
小麦の価格によって決定された,交さまざまの棺隔さまざまの相隔もしも貨幣が最近の20年間にトレードに対
換される商品としての貨幣の価値,たった時点におたった時点におして持った比率が自然利子率の4パーセン
ないしトレードに対するその比率ける法定利子率ける自然利子率トだったことの理由だとすれば,ロック氏
の法則にしたがえば,それは以下のように平均価格の採らこんにちの貨変らなければならないはずである。れた年間幣での価格
S. d.
1444 ‑1460 o 12 1 法定されず ほぼ10パーセン9Y2 トだと思われる 1646 ‑1665 2175% 8% 守%2
1666 ‑1685 2 6 3% 6 5 2Y2
1686 ‑1705 2 5 9% 6 5 2Y2
1729 ‑1748 1 8 6 5 4 4
お))0~ミ与三時8~-%tQ。
"<:t
規融~件...IJ出44RZトドベJ8凶&;'現眼目Z刊「税ト心4回総5Z内線十...IJ8令書量,~rf, 8蟻咲寺hEZ寝~-%tQベjニ小臨帯電,̲̲̲̲)‑K!為P
\;J{lTI終日Z件特さ252寵斗.J.-f0\;J型車布\J平~tQ...IJニ小手塩,))8~寵慢トモ思ドーJやや今-GtQ))...IJ8.l;鞘,I~題特〔わニ\;J~
:λm かられ・トトふ-G'Ûゆ丑~~:J.;\脳同111
︹小麦の価格は‑クオーダーあたりのもの
li
小林
U
ジョ
ウジ
フ・
マッ
シ
lの
学史
的位
置
五四
利子率︺はトレードの量とそれにたずさわる人々の数との比率によって規制される﹂(二0
⁝一
一ペ
ージ
)と
いう
意見
︑
ラP
'‑
の点にかんして保護主義とともに他の一面でおこなわれた政治的・経済的自由の主張(二O
四ペ
ージ
)l
li
これらによ
ってマッシーは︑地代率n利子率という息考を根底とする前近代的利子論をほぼ完全に振り切った︒しかもそのうえ
一上教授の強調するところによれば︑マッシーのばあい︑利潤とは一般的利潤
(8 85 3p oE
凶 )
であり一般利潤
率(
間8
0 5 H
周 知
円 ︒
︒ 同
H U H ‑
︒宮)を持つものであって︑これらの概念はその内容の点で︑﹁たとえばマルクスのいう一般
的利
潤率
(山
口ぬ
O B o ‑ S M U g E E Z )
︑あるいは平均的利潤率(ロロ
RE
長巳
立印
有O
円とろに匹敵するものである﹂(三二B
五ペ
ージ
)︒
事実
マッ
シ
lは︑ささに引用した﹃白然利子率論﹄
のな
かの
言葉
︑
﹁自然利子率は伺々人にとってのトレ
イドの利潤によって規制される﹂といっ表現をみずからなお不十分と考え︑それより一
O
午後に刊行した﹃イギリス鋳貨論﹄(前掲)では︑さきの言葉をいいな恥心して︑﹁年収入を生むことのできるものとしての貨幣の価値は︑各国の
それぞれにおける個人にたいするトレイドの一般的利潤つ
Z8 5B OD
‑ι
g出Z
え
吋g
a o g E ( H 2 5
とるによってz
規制される﹂
( O Z
さぬ きま
5
ミ3 t
ことむ
S
ミ
. 号 室
NW 3E P
匂‑
・一八八ページ)と述べているのである︒││N
三上款授は︑博捜の成果であるこの文京の発見に力づけられて︑
マッ
シ
Iの利子論の近代性︑その点での学史よの裁
然たる卓越を強調する︒こうして︑一マッシーこそ真の近代利子概念の発見者││i利子論をして︑科学的経済学にお
ける正規的構成要素としての理論的市民権を獲得しうるまでに発展せしめた人物といいうろのである﹂(一二
二ペ
ージ
﹀
という︑究極の評価が生まれる︒
わたくしはマッシーへのコ一上教授の傾倒に敬意をいだく者であるし︑
﹃自
然利
子率
論﹄
に対する氏の学史的位置づ
けにも積極的な意義をみとめたいと思う︒
‑て ご‑
︑
ムザ
/ふ
/
マッ
シ
lの一般的利潤ないし一般利潤率がマルクスの一般的利潤率
ないし平均利潤率に﹁匹敵する﹂内容を持つ概念だという︑三上教授の主張には︑学史の研究者の一人として疑問を
いだくことを避けられなかった︒周知のように︑平均利潤率という概念は︑スミスの同国富論﹄第一一編第七章の冒頭
に︑つぎのような文章のなかでも明示されているものである︒﹁あらゆる社会またはその近隣には︑労働や資財のきま
ざまの用途ごとに︑賃銀と利潤との双方についての通常率または平均率(︒
E 5 2 U 1 2 2 0 3 m σ E g g p a
話回
m g
PDQ宵
OBE2
︑ 巾 弓
‑a EO B己 H H 叩
G 広
三宮
口円
︒内
宮ず
O C 門
凶口
広
225
というものがある︒わたしが後段で明らかにす
るであろうように︑この率は︑一部はその社会の一般的諸事情︑つまりその貧富︑その進歩︑停滞または衰退の状態
によ
って
︑
また一部はおのおのの用途の特殊な性質によって︑自然に規制されるのであるし(大内・松川訳﹃諸国民の
品﹄
︑二
冊本
︑
I
一四
一一
一ペ
ージ
﹀︒
そう
して
︑
)れもまた周知のように︑スミスは停滞的状態にある国としては中国を︑
衰退的状態にある固としてはインドのベンガルをあげることとなるのだから︑スミスのばあいめ平均利潤率が近代産
業資本の利潤率︑だけをいうものでないことはたしかである︒ところがマッシlもまた︑こういうスミスと照応するよ
うに︑利子率の空間的差違にかんして︑三上教授の紹介に従えは︑﹁イギリスの利子率が四パーセントであり︑
オラ
ンダ
が一
ニパ
ーセ
ント
︑
フランス・ドイツ・ポルトガルが五または六パーセント︑西インド諸島・束インドが七︑八ま
たは九パーセント︑トルコが一
O
一二パーセントであって︑それらのすべてが同一利子率でないのも︑それぞれの国の利潤率がそれぞれに異なっているからであると答えるのである﹂(一八八ページ)︒
そこ
で︑
マッ
シ
lが一方に近代的な平均利潤率の概念を樹立しつつも︑他方で右のようなスミス的説明をするの
ー︑三上教授によってL彼の﹁不在意といわなくてはならない︒封建制社会の利子率u高利貸内子率と資本制近代的
利子率とはその水準の決定原理が違うのである︒したがって経済体制の相違を無視して︑性格の違う利子率より逝算
ジョウジフ・マッシ!の学史的位置
五五
ジョ
ウジ
フ・
マッ
シ
i
の学
史的
位置
五六
して国民経済的・地域的利潤率を比較計算することには意味がないのである﹂(一八九ページ)ということになる︒だ
が︑それでもなお︑三上教授は右にすぐつづけて︑﹁しかしそのことはマッシlの創始した利子理論の意義を否定す
ることにはならない︒それぼたんなる空論ではない︒ただそれの適用の方向が誤っていたにすぎない︒彼の利子原理
は彼の未来日彼の時代以後︑すなわち資本制経済の発展とともにますますその真価を発揮するものなのであるL
同
上)と強調される︒
三上教授の考えかたには理由がある︒ジェイムズ・ステュアI
トは
︑
一七五八年にはすでに脱稿していた︑
彼σ〉
﹃経語学原理﹄第二編で︑トレードが確立された国では製造業は一定の販路︑労働の規制された円ほどよいの孟︺価
格︑およびインダストリから生ずる一定の利潤
( 8 2 m E
官 ︒
2525
ロ 四 同BBE
門吉
田可
ちに
よっ
て︑
かな
︑り
ず繁
栄
する
・・
・・
﹂
( U 3 H
町 民 ︑ 百
四 師 ︑ 切
} 内 ・
F C町
田℃
・守
)Lr)述べ︑すすんでこの一定の利潤を妥当な利潤(円巾山田{)ロ
ω σ ]
巾 日
)H
C同日六)
と
時叫んでいるのである
(Q
gち・巴︒資本制経済の発展にともなって︑平均利潤率の概念の確立のためにはその機が熟し
たかに見える︒
しかし︑われわれはここで卜分に注意深くなければならない︒右のステュアlトのばあい︑商品の価格の語構成要
素にワいての相当詳細な分析がおこなわれており︑妥当な利潤はさらにすすんで高すぎない利潤
利潤とは結局︑流通過程において生ずる譲渡利潤
QB
宗
( 5
0 己叩門知円︒買え芹)
という表現をもあたえられているが公立心・)︑
それ
でも
︑
口 問
)Cロ
丸山
5
︒3 8 )
なのであり︑本来の産業利潤の認識についてはかすかな萌芽がみとめられるにすぎないのである︒
産業資本家の近代的な利潤は労働者の賃銀と区別されずに︑そうして﹁利潤﹂が譲渡利潤であるかぎり︑現実価格
ハ円
g
ご丘町ゆ)すなわち生産費(胃5 0 8 a )
のな
かに
組み
こま
れる
(口
町田
匂・
‑4
) ︒ つ支 り︑
ステュア1トの段階では
まだ︑原始蓄積という基礎過程に制約されて︑経済は単純商品生産のモデルで︑生産は独立生産者のモデルで把握さ
れていたのであって︑そのかぎり資本家と労働者との区別は分明でなく︑したがってまた利潤範曙と賃銀範曜との区
別もあいまいであった︒だから︑第一に︑
胃丸
山門
とい
い
ヨ田宮という言葉がスミス以前の文献にしばしば用いられ
ているとしても︑それはカッコつきの﹁利潤﹂であり﹁賃銀﹂なのであって︑トレードに上る
85 20
ロガ
円︒
民門
的と
い
つでも︑そこに賃銀部分が混入していることは︑通に毛利山向︒のなかに利潤部分が混入するのとおなじく︑
ふっ
︑つ
の ことであったし︑第二に︑独立生産者がプロレタリアートとちがって商品販売者の機能含兼ねたかぎり(スミスの
﹁商某社会﹂!)︑利潤が流通過程から生ずるという観念は避けがたかったのであって︑それはペティにおける剰余利
得守口
U R E n
‑ m W 2 8 )
の概念が童会主義的帰結をともなったこと(渡辺輝雄﹃創設者の経済学﹄︑第一篇第四家)とも結合
する︑重商主義の理論的制約なのであった︒
マッ
シ lのいう
g B E E
F
えまは︑正しく訳すれば一般的﹁利潤﹂ないし一般的利得なのである︒それスミスのばあいの平均利潤卒が買え広の語を単数で示しているのに︑マッシ
lのいう一般的利潤が複数で
あらわされていることにも︑われわれはいちおう注意を払っておきたい︒こうして︑さきに触れたように︑平瀬教授
だか
ら︑
にま
た︑
がマッシlの理論と平均利潤率の思想とを結合させたとしても︑それは前者が後者の﹁胎動﹂だという意味にしかす
ぎなかったことに(平瀬︑前掲︑三五三ページヌわれわれは留意しておかなければならない︑その点以上にマッシiの
﹃自然利子率論﹄を評価することは
li
三上教授はこの点で注意ぶかくないことはないが︑すでにしるしたところからも知られるように︑氏のマッシーへの傾倒ぶりは︑必要な自己制御をあやうく越えそうである
│
li︑結局マッシ
に対する過大評価ということになるであろう︒
ジョウジフ・マッシi
の学
史的
位置
五七
ジョウジフ・マッシI
の学
史的
位置
五八
利潤が剰余価値の一部であって︑勤労所得である貫録とは別個の範噂であること︑利潤率と賃銀率とのあいだには
さまざまな対立関係があること
1 1
資本主義の経済的・社会的分析にとって決定的に重要なこの認識は︑テュルゴl
をかすかな先駆者としてスミスが最初に確立したものであった︒また︑いわゆる進歩的状態にある北アメリカやイギ
リスでは︑前期的独占を排除しつつ相互に競争を深める諸資本が︑低率の︑近代的意味での平均利潤率を成立させっ
つあるという認識も︑タッカlについでスミスが明確にしたところであった︒だが︑スミスのこういう認識は︑分業
請を前提とする彼の商品論
i
l交換価値の理論的・体系的分析i!ーの展開のなかではじめて成立したものである︒こ
のことは語を換えていえば︑スミスがはじめて学史の原始蓄積段陪を脱し︑資本制的蓄積の段階の出発点に立った者
だったということを意味する︒マッシーが利子を利潤からの派生物として捉え︑そのうえこの利潤を一般的利潤のこ
と︑だと述べたことは事実だが︑
このばあいの利潤が資本家の所得であっ?そとに賃銀部分をふくまないという認識
は︑はっきりと示されているわけではない︒われわれはこの単純な事実を知ったうえで︑マッシ!の利子論の持つ近
代位︑あろいは近代への荊芽性を理解しなければならない︒利子論史上での転轍手としてのマッシlの位置は確立し
ているけれども︑その位置は重商主義を大きく転換させることのできる位置ではなかったわけである︒狭義のドグメ
ンゲシヒデの上でマッシ!の占めるJ意義は︑広︑汎な経済思想と経済組論体系との流れのなかでは︑結局大きいものと
はいえないであろう︒ケネーやテュルゴiはむろん別よして在︑カンティロン︑ヒュiム︑タッカl︑
ハリ
ス︑
ス
ア
ュア
lトらの名にくらべて︑マッシiの名はやはりマイナーであることを免れないのである︒一二上教授の力作である
木喜がい︿ぶんかの不調和感をまとっているのは︑つまりはとの理由によるものであろう︒
5
マルクスによれば︑平均利潤率はつぎのようにして成立する︒﹁諸商品がその価値どおりに売られるとすれば︑
す
でに展開されたように︑相異なろ詰生産部面において︑そこに投下された資本量の相異なる有機的組成に応じて︑甚
しぐ相異なる利潤率が生︑ずる︒
しか
し︑
資本
ば︑
利潤率の低い部面から去って︑上り高い利潤主産む他の部面に移
る︒この不断の出入移動によって︑
一言
でい
えば
︑
かしこでは利潤率が下がり︑ここでは上がるというのに従って行
なわれる種々の部商のあいだの資本の分配によって︑
資本
は︑
種々の生産部国における平均利潤が同じになるよう
な︑したがって諸価値が生産価格に転化されるような︑需要にたいする供給の比率を生ぜしめる︒与えられた一国民
社会における資本主義的発展が高ければ高いほど︑すなわち︑当該国の状態が資本主義的生産様式に適合していれば
いるほど︑資本は多かれ少なかれ︑この均等化を達成する﹂弓資本論﹄第三巻第二編第一G章︑岩波文庫版第六分冊三O六
i七
ペー
ジ
) o l ‑ ‑
労働価値論にもとづく交換価値の分析(それが資本主義の分析にみちびぐ)が︑スミスおよびリカ
ードにおける挫折を経て︑生産価格という概念の成立を可能とさせるような平均利潤概念の樹立をつうじて︑マルク
スによる解決に到達するまでには︑長い理論史的な苦闘があった︒ところが三上教授は︑右のマルクスの文草を引用
した直後で︑﹁したがって︑マッシ!の一般的利潤率なる概念は極めて歴史的なそれであるといわなくてはならない﹂
(三二五ページ﹀という︒この﹁したがって﹂という言葉には︑三上教授自身がその意図に反して犯している︑非歴史
的な判断が感︑せられないであろうか︒
平均利潤率の成立は︑さきの引用につづ︿マルクスの言葉を三上教授が要約したところによれば︑つぎの諸条件を
ジョウジフ・マッシ!の学史的位置
五九
ジヲ
ウジ
フ・
マッ
シ!
の学
史的
位置
。
ノ、前提としている︒﹁川資本が可動的であること・・・・︹さらにその前提として︺︑同社会の内部における完全な商業的自
由︑川自然的独占以外の・・・・あらゆる独占の排除︑的自由にされうる社会的資本の無組織的大量を・・・・集積する信用
制度の発展︑同資本家たちの支配への種々の生産部面の従属︑例人口の大きな密度︒制労働力を一部面から他の部面
へ︑また一つの地方的生産点から他の地方的生崖点へ移すことの迅速性︒︹さらにまた︺このための前提として︑
(a)
労働者の移動を妨げるあらゆる法律の廃止︑
ω
自分の労働の内容にたいする労働者の無関心︑山内
あら
ゆる
生産
部面
に
おける労働の︑簡単労働への可能なかぎりの還元︑同労働者たちの間でのあらゆる職業的偏見の根絶︑判資本制生産
様式のもとへの労働者の従属﹂(一二二五l六ページ)がそれである︒﹂れらの諸前提をマッシlの時代のイギリスがど
の程度にみたしていたであろうか︑いったいマニュファクチュア時代の労働者がここに指摘されているような立場と
意識とをどの程度持ったのであろうか︒
ところが︑歴史的事実についていえば︑産業革命前夜のイングランドでは︑一面では労働者の地域的移動は
li
通
説ほどでなくとも││まだ円滑ではなく︑プロレタリアートとしての彼らの社会的陶冶は不十分であったが︑他面で
は資金の広汎な移動がおこなわれるようになっており︑これを前提として︑すくなくとも特定の製造業部門ll
ーた
と
えば製鉄業ーーーにあっては︑生鹿価格範噂の成立を示唆すろような利潤率の平均化が生じていた︑とする見解が︑経
済史家の側から新たに提出されている︒それはセヴァlン河畔のビゥドリで立った鉄の相場の分析によって︑大河内
暁男教授が提示されたものである(同著﹃近代イギリス経済史研究﹄︹一九六三年︺第三章)︒一ニ上教授は︑自説の裏づけに
最も有利と思われる大河内教授のこの書に言及することがなくて終った︒しかし︑大河内教授がその主張にみずから
付したさまざまな制限をここで挙げないとしても︑問題は結局︑経済学史の展開と経済史の展開とは︑単純な並行関