Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Feb.-Mar. 2017] │ 10
日々が綴られている︒﹁ペン画の上で狂氣のジユンスイにもふれたが﹂︵一九三五年一月二
十三日・光春宛/図録一一七頁︶という記述に︑瑛九の受胎を認めることができる︒
さらに︑﹁ぼくはしらねえよ︑とぐつたり不眠の肉体を他人の肉体として感覺する﹂︵一
九三六年七月十七日・光春宛/図録一三二頁︶という記述には︑﹁杉田秀夫の肉体﹂を﹁他人
の肉体﹂として感覚している﹁瑛九という装置﹂﹇註
杉田秀夫ではない︒﹁瑛九という芸術家﹂は﹁杉田秀夫という人間﹂に宿ったが︑﹁瑛九と 2﹈の作動が示唆されている︒瑛九=
いう装置﹂をこの世に定着させたのは山田光春である︒光春は︑友人の伝記ではなく︑自分がその誕生に深く関与した装置について書いている︒ここに︑光春が瑛九に注いだ﹁異例な情熱﹂﹇註
3﹈の動機がある︒光春宛の手紙と︑光春旧蔵の重要な作品が一堂に会す
るレアル展は︑瑛九の受胎から誕生までを迫真的に体感できる稀有な機会といえる︒
﹇板﹈
│
・≠
瑛九という名のガラス絵︒ガラスの板に塗られた絵具の層を︑描画面とは反対側のガ
ラス越しに見ることで成立するのがガラス絵である︒一般的な絵画では絵具は上に塗り重ねられていくが︑ガラス絵では最初に塗られた層が視線に最も近い︒ガラスに塗り重
ねられた杉田秀夫の人生を︑反対側からガラス越しに見る︒目まぐるしく変転した作風
が圧縮され︑瑛九という作家像が出現する︒だから︑瑛九をイメージすると︑いつでも︑最初に塗られたデビューの時期が鮮明に見えている︒では︑瑛九という名のガラス絵に
とって︑ガラスの板とは何か︒それは︑山田光春という存在である︒光春自身がガラス絵を手がけていたこと︑﹃瑛九﹄を読むときに光春の存在が透明化していることから︑瑛九という名のガラス絵が想起された︒興奮/虚無︑野心/挫折︑欲望/絶望︑友情/絶縁︑高揚/喪失︑⁝⁝光春は︑杉田秀夫の人生の全てを受けとめる抵抗のある面であ
り︑同時に︑瑛九という作家像を可視化す
る透明なフィルターである︒
レアル展の第二の意義は︑ペン・デッ
サンとコラージュを視野に入れたフォト・
デッサンの再考である︒﹃みづゑ﹄三七三号︵一九三六年三月号︶に﹃眠りの理由﹄に近い作品︵以下
Aタイプ︶一点と︑カメラで撮影
したガラス乾板に描画を加え︑引伸ばして ﹇器﹈
│
瑛九≠
杉田秀夫
瑛九という名のパフェ︒短期的な集中と放棄を繰り返した杉田秀夫の人生と︑目まぐ
るしく変転する瑛九の作風が︑層状に重なっている︒一口食べてもパフェを食べたとは言
えないように︑ある時期の作品だけを見ても瑛九を見たことにはならない︒層を貫通さ
せて掬い上げる行為を繰り返すことでパフェを味わうことができるように︑瑛九の魅力
を味わうには︑時代やジャンルを越境する見方を繰り返さなければならない︒つまり︑パ
フェとは水平方向に広がる共時性の積層であり︑パフェを食べることは垂直方向に通時性を貫通させる運動の反復である︒だから︑パフェには組成を可視化するガラスの器と︑垂直方向の運動を担う長く先の細いスプーンが必要なのだ︒では︑瑛九という名のパフェ
にとって︑ガラスの器とは何か︒それは︑杉田秀夫の濃密な人生と瑛九の多様な作風の重層を見事に可視化した︑山田光春の﹃瑛九評伝と作品﹄﹇註
1﹈︵以下﹃瑛九﹄と略記︶であ
る︒瀧口修造が同書の推薦文において瑛九支援の厚みを表現した﹁地層﹂という言葉と︑同書の小口に出現する層状の構造から︑瑛九という名のパフェが想起された︒そのパフェ
を味わうには︑自らの視線を︑長く先の細いスプーンのように駆使しなければならない︒
﹁瑛九1935│1937 闇の中で﹁レアル﹂をさがす﹂︵以下﹁レアル展﹂と略記︶の第一の意義
は︑東京国立近代美術館が近年収蔵した山田光春旧蔵の作品と資料の紹介である︒手紙などの第一級の貴重な資料が︑瑛九誕生前後の状況を生々しく伝えてくれる︒三六年のペン・デッサンは︑三四年末から三五年の初め︑瑛九と名乗る前の杉田秀夫と光春
が指宿に滞在して取り組んだ集中的な制作に由来する︒先に戻った光春に宛てた手紙
には︑どれだけ描いても突破できないデッサンの宿命的な限界である﹁意識﹂との格闘の
ガ ラ ス の 光 春 │ 瑛 九 の 乱 反 射
梅津元 ﹁瑛九1935│1937 闇の中で﹃レアル﹄をさがす﹂展
会期二〇一六年十一月二十二日│二〇一七年二月十二日 会場美術館ギャラリー
4﹇二
階﹈
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焼付けた作品四点︵以下
Bタイプ︶﹇挿図﹈が掲載されているように︑発表当初からフォト・
デッサンには二つの傾向があった︒さらに︑ガラスの板に直接描画したものを引伸ばし
て焼付けたフォト・デッサンも制作されている︵以下
Cタイプ/本誌六二一号の谷口英理の
論考・挿図を参照︶︒整理すると以下のようになる︒・
・ Aタイプ=デッサン︵絵画性︶を導入したフォトグラムカメラ不使用・ガラス原板不使用
・ Bタイプ=デッサン︵絵画性︶を導入したフォトグラフカメラ使用・ガラス原板使用 Cタイプ=フォトグラフとして成立しているデッサンカメラ不使用・ガラス原板使用 型紙等を用いた﹁瑛九版フォトグラム﹂は
Aタイプを示す︒
Bタイプと
用技法と拡大解釈してもフォトグラムではない︒この三タイプがフォト・デッサンの本来 Cタイプは︑応
の射程であることを確認した上で︑﹁技法としてのフォト・デッサン﹂に注目すると︑﹁印画紙によるデッサン﹂という瑛九の言葉が明快な定義として響いてくる︒一方︑﹁理念と
してのフォト・デッサン﹂に注目すると︑写真原理と絵画原理の交流が見えてくる︒
形態的な類似が見られる
Aタイプとペン・デッサンは﹁意識の圏外﹂を志向し︑奇怪
な印象が共通する
︵焼付︶に介入する Bタイプとコラージュは﹁理性の圏外﹂を志向している︒写真の制作 Bタイプと︑写真の流通︵印刷物︶に介入するコラージュは︑カメラに
よる撮影で得られたイメージを暴力的に変容させる︒
Bタイプは︑撮影された画像と
ガラス乾板への描画︵場合によっては印画紙への描画も加わる︶のコラージュと見なせる︒
通点が見えてくる︒このように︑三タイプのフォト・デッサンを︑その技法と理念の両面 Cタイプを︑﹁意識の圏外﹂と﹁理性の圏外﹂を取り込む方法ととらえると︑版画との共
から包括的にとらえると︑﹁杉田秀夫の意識と理性の圏外を取り込む装置﹂としての瑛九が出現する︒レアル展は︑
Bタイプ︑
全体の根幹をなすフォト・デッサンについて再考する貴重な機会となっている︒ Cタイプの出品はないものの︑瑛九の制作活動
﹇破片﹈
│
1937≒
1957 瑛九という名のパフェが︑垂直に圧縮されてガラス絵に変容する︒パフェの各層が圧縮されて薄く重なり︑ガラスの器はトポロジー的変換によって一枚の板へと変形する︒そう
して出現する構造は︑ガラス絵と同様である︒では︑その圧縮は︑何によって可能になる
のか︒版画の﹁プレス﹂によって︑である︒ペン・デッサン︑油彩画︑フォト・デッサン︑コラー
ジュ︑それらすべての技法に関わった経験が︑版画に圧縮されている︒プレス機で圧縮さ
れるパフェ︒ガラスの器が砕け︑杉田秀夫の人生が閉じる︒プレス機で圧縮されるガラス 絵︒ガラスの板が割れ︑瑛九という装置が止まる︒粉々に砕けて宙を舞うガラスの破片
に光が射し︑プリズムのように色を孕む︒色彩をまとったガラスの破片が︑カンヴァスに突き刺さる︒微細な色彩は︑砕け散ったガラスの破片︑カンヴァスに突き刺さる瑛九の破片︒痛ましくもある点描に宿る︑神々しい光︒
レアル展の第三の意義は︑一九三七年と一九五七年を接合する視点の示唆である︒瑛九誕生前後のピークからの﹁退却﹂を︑瑛九は自覚していた﹇註
集中的な探求は︑手紙の高揚感が伝える多方面での活動という成果を生んだ﹇註 九は︑﹁意識﹂と﹁理性﹂の圏外に出る格闘を︑狂気に触れる極限まで続けた︒短期間の 4﹈︒三五│三七年の瑛
5﹈︒
しかし︑﹁意識と理性の圏外﹂への志向には︑﹁闇﹂への下降というリスクがつきまとう︒事実︑三七年以降の瑛九は︑精神的な危機に陥り︑﹁闇の中でレアルをさがす﹂ために必要な光を再び手にするまで︑約二十年を要したのである︒
︽田園︾を見る︒降り注ぐ光を浴びる存在が見えてくる︒長い時間見ていると︑色彩の凹凸を感じるようになり︑あるヴィジョンが舞い降りる︒ひとつひとつの筆触は︑ガラスの器が砕けた破片︑ガラスの板が割れた破片なのではないか︒点描は技法であると同時に︑
ガラスの破片を表現している︒ならば︑光を浴びる存在は︑ガラスの破片を身体で受けと
めている︒だから︑この絵は︑牧歌的であると同時に︑どこか痛ましい﹇註
6﹈︒ 飛び散るガラスの破片が︑カンヴァスに突き刺さる︒破片の集積が面を成し︑光の乱反射が色を生む︒思い起こそう︒ガラスの器は光春の著書︑ガラスの板は光春の存在︒砕けて飛び散るガラスの破片は︑実は︑光春の破片であった︒杉田秀夫の人生が発する光と︑カンヴァスに突き刺さる光春の破片が︑瑛九の乱反射を生む︒﹁瑛九1935│1937 闇の中で﹁レアル﹂をさがす﹂は︑杉田秀夫の精神と肉体に宿った﹁瑛九という装置﹂と︑瑛九という作家像を成立させた山田光春の﹁異例な情熱﹂が︑拡散相互反射する濃密に凝縮された時空間を出現させている︒︵埼玉県立近代美術館主任学芸員/芸術学︶
註1
山田光春﹃瑛九評伝と作品﹄青龍洞︑一九七六年︒
2﹃生誕
10 0年
記念瑛九展﹄︵宮崎県立美術館ほか︑二〇一一年︶掲載の拙稿を参照︒
3
瀧口修造﹁瑛九を待ちながら﹂︵註
1の刊行案内に掲載された推薦文︶︒
4
木水育男﹁瑛九・友の会・ぼく﹂﹃瑛九からの手紙﹄瑛九美術館︑二〇〇〇年︑一八八頁︒
5
例えば︑大谷省吾が注目する一九三六年三月九日・光春宛/図録一二八│一二九頁︒
6﹁悲痛な悩みを通して歓喜に到達した絵画﹂山田︑前掲書︑四四三頁︒