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(1)

視点 日本の金融危機が叫ばれて久しいが、米国においても、80 年代∼90 年代初めにか けて、3,000 行近くの金融機関が破綻し、破綻処理コストが約 21 兆円にも達すると いう金融危機が発生した。米国の金融危機とはいかなるものであったのか、またそれ はなぜ発生したのか、そしてどのように解決して現在のような強い金融システムに回 復したのであろうか。また、地域と運命共同体である地域金融機関、小規模のコミュ ニティバンクはどのようにしてそうした金融危機や地域経済への打撃を乗り越えて いったのであろうか。これら米国の金融危機を検証することは、現在の日本の金融機 関にとって、有益なヒントとなると考えられる。 要旨 ・米国の金融危機発生の原因は一つではなく、マクロ経済、法制、規制、金融環境、 地域経済および金融機関経営等の諸要因が複雑に関連して発生したものである。 ・テキサスでは石油バブルや不動産バブル崩壊により、数、規模ともに最も深刻な 金融危機が発生した。北東部およびカリフォルニアでは、いずれも冷戦終結等に 伴い地域経済の低迷、不動産バブルの崩壊が発生し、特に北東部では大型の金融 機関破綻が起こった。 ・銀行の破綻は預金保険だけで処理できたが、S&L の破綻においては、破綻処理の ために税金が投入された上、不祥事も多く、S&L スキャンダルとも言われた。 ・最近の金融機関破綻の傾向としては、信用力の低い貸付先に対する融資、流動化・ 証券化、ハイテク化および不祥事等により複雑化し、かつ破綻処理も高コストと なっている。 ・危機をサバイバルした金融機関は特別にドラスティックな改革をしたわけではな く、基本に忠実な経営により難を逃れている。 キーワード 米国金融機関、地域金融機関、連邦預金保険公社(FDIC)、破綻

米国における金融危機と地域金融機関のサバイバル

S C B

BANK

NEW YORK 通信

(第15−5号)

(2004.3.17)

総合研究所

(ニューヨーク駐在) 〒104-0031 東京都中央区京橋 3-8-1 TEL.03-3563-7541 FAX.03-3563-7551 http://www.scbri.jp/

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目次 はじめに 1.米国における金融危機 (1) 米国金融危機の概要 (2) 地区毎の金融危機の状況 (3) 金融危機の原因 (4) 本稿の構成 2.南西部テキサス等の銀行破綻 (1) 概要 (2) 破綻の原因 (3) 大銀行の破綻 (4) サバイバル (5) 考察と教訓 3.北東部および協同組織的金融機関の破綻 (1) 概要 (2) 北東部における商業銀行の破綻 (3) 貯蓄銀行の破綻 (4) サバイバル (5) 考察と教訓 4.カリフォルニアの銀行破綻 (1) 概要 (2) 経緯 (3) サバイバル (4) 考察と教訓 5.S&L 危機 (1) 概要 (2) 経緯 (3) S&L スキャンダル (4) サバイバル (5) 考察と教訓 6.最近の金融機関破綻とその特徴 (1) 概要 (2) 最近の金融機関破綻の状況と原因 (3) 最近の主な破綻金融機関 (4) 対策と考察 7.全体考察と教訓 (1) 金融システム全体としての考察 (2) 各金融機関にとっての教訓

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(別紙1) 取材協力1 参考文献 はじめに 日本では、バブル崩壊後金融機関の破綻が相次ぎ、破綻しないまでも公的支援を受け ている金融機関を含めれば、多くの金融機関が以前よりも健全ではない状況にあり、戦 後最大の金融危機に直面していると言われて久しい。ただし、金融危機は日本だけで起 きているわけではなく、諸外国においても珍しいわけではない。 米国においても、現在では金融機関は、規模にかかわらず繁栄を謳歌している。2003 年9月時点での平均の総資産利益率(ROA)は 1.37%にも達し、ここ数年は約 9,000 行の 金融機関のうち、破綻するものは多くても年間 10 行程度である。しかしながら、米国に おいては、80 年代∼90 年代初めにかけて、3,000 行近くの金融機関が破綻し2、総資産で 約 9,000 億ドル(約 100 兆円3、破綻処理コスト(預金保険の損失)は 1,900 億ドル(同 約 21 兆円)にも達する金融危機が発生した4。米国の金融危機とはいかなるものであっ たのか、またそれはなぜ発生したのか、そしてどのように解決して現在のような強い金 融システムに回復したのであろうか。また、米国の金融危機は特に一部の地区において 厳しい状況であったが、地域と運命共同体である地域金融機関にとって、地域経済に問 題が生じた場合、どのように対処すべきなのであろうか。そしてミクロレベルでいえば 現在繁栄している金融機関、特に小規模のコミュニティバンクはどのようにしてそうし た金融危機や地域経済への打撃を乗り越えていったのであろうか。 80 年代の米国でこのような大規模な金融危機が発生したにもかかわらず、その5∼10 年後には日本で同様の金融危機が発生してしまった、という事実は、残念ながら米国の 経験が日本には生かされなかったと言わざるを得ない。こうしたことから、本稿では、 米国の金融危機について改めて検証し、日本の金融業界にとって今後参考になるであろ うと思われる点について考察することとしたい。本稿が日本の金融業界が米国金融業界 のような復活を遂げられることに、本稿がいささかでも一助となれば幸いである。 1 本稿作成は、FDIC(連邦預金保険公社)をはじめ、監督当局、学会関係者および多くの米銀関係者等 のご協力がなければなしえなかったものである。この場をお借りして深く感謝申し上げたい。 2 本稿でいう「破綻」は、特に断りがない場合は広義で捉えており、ペイオフや事業譲渡(P&A)方式だ けでなく、預金保険による資金的援助も含まれる。 3 特に断りがない場合、本稿では為替レートは$1=¥110 換算としている。 4 本稿における総資産、破綻処理コストは当時の価値であり、現在価値ではさらに大きくなる。

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1.米国における金融危機 (1)米国金融危機の概要 (グラフ1−1)米国金融機関の破綻の推移 データ出典:連邦預金保険公社(FDIC) グラフ1−1は、1980 年∼2002 年までの米国金融機関5について、破綻金融機関数、そ の総資産の合計、および破綻処理コスト6の推移を示したものである。特に 1988 年から 1991 年までは、毎年合計で 15 兆円相当規模の金融機関が破綻しており、ピークの 1989 年には 500 を超える金融機関が破綻するという異常な事態であった。FDIC(連邦預金保 険公社)〔1997〕によると、1980 年∼1994 年までに約 1,600 行の銀行および 1,300 行の S&L が破綻し、破綻処理コストでみると銀行で 363 億ドル(約4兆円相当)、S&L7で 1,601 億ドル(同 17.6 兆円)にも達している。特に S&L の破綻処理コストのうちの 1,321 億ド ル(同 14.5 兆円)については、最終的には税金が投入された8 (2) 地区毎の金融危機の状況 80∼90 年代の米国金融危機はこのように大規模なものであったが、必ずしも 1930 年代 の大恐慌のような全国的なものではなく、一部の地域において特に状況が厳しいという 5 本稿でいう「米国金融機関」には連邦預金保険制度に加盟している商業銀行、貯蓄銀行、貯蓄金融機 関。(かつて貯蓄貸付組合(S&L)と呼ばれていた金融機関)を含み、リテールを行わない預金保険非 加盟のホールセール金融機関および信用組合を含まない) 6 本稿でいう破綻処理コストは、預金保険公社が預金者や受け皿金融機関に支払った金額等から、預金 保険公社が資産売却等で回収した金額、つまり預金保険公社にとっての損失額を意味する。

7 Savings and Loan Association、貯蓄金融機関または貯蓄貸付組合と訳される預金取扱金融機関。個

人顧客を主な対象とし、70 年代までは伝統的に住宅ローン中心の資産構成であった。 8 こうしたコストについては、金利・機会費用等をどこまで含めるかにより異なるが、本稿では FDIC の データを使用している。 0 200 400 600 800 1,000 1,200 1,400 1,600 1,800 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 0 100 200 300 400 500 600 総資産(左目盛) 破綻処理コスト(左目盛) 破綻金融機関数(右目盛) 億ドル 行

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特徴があった。米国は広く、経済規模も巨大であるため、経済の状況が地域により大き く異なるためである。 (グラフ1−2)主要州および米国全体の名目経済成長率の推移 -5.0% 0.0% 5.0% 10.0% 15.0% 20.0% 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 ニューヨーク カリフォルニア テキサス 米国全体

データ出典:U.S. Department of Commerce, Bureau of Economic Analysis, Regional Economic Analysis Division -- May 2003.

80 年代∼90 年代の米国経済を概観すると、グラフ1−2にあるように地区により経済 成長の推移がかなり異なっている。まず、米国全体(実線)としては、82 年、86 年、91 年、2001 年に景気低迷期がある。北東部のニューヨーク州の名目州内総生産伸び率は、 米国全体の景気変動にほぼ連動しているが、西海岸のカリフォルニアは、米国全体にほ ぼ連動しているものの、変動幅がより大きく、特に 90 年代前半の不況の影響が大きかっ たことがわかる。一方、南部テキサスは特に 80 年代は米国全体とは異なる動きをしてお り、しかもかなり景気変動の幅が大きかったことがわかる。 図1−1は、1980 年以降の米国における金融機関破綻の数を、州ごとに示したもので ある。これによると、特にテキサスを中心とした南西部、ボストン・ニューヨークを中 心とした北東部、およびカリフォルニアにおける金融機関の破綻が顕著であったことが わかる。一方、アイダホ州(ID)、ネバダ州(NV)等においては、金融危機といえるほど の状況ではなかった。こうしたことから、本稿では、特に金融機関の破綻が多かったテ キサス、北東部、およびカリフォルニアの状況について、第2章以降個別に解説するこ ととする。

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(図1−1)1980∼2002 年の州別破綻金融機関数 (グラフ1−3)主要地区の金融破綻の推移(破綻金融機関の総資産・百万ドル) 0 10,000 20,000 30,000 40,000 50,000 60,000 70,000 80,000 90,000 100,000 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 0 1 2 南西部 北東部 カリフォルニア データ出典:FDIC ただし、グラフ1−3をみてわかるとおり、金融危機の発生したタイミングは、南西 部、北東部、カリフォルニアのそれぞれの地区が一様であったわけではない。前掲の経 済成長率の変動にもあるとおり、景気・不景気のタイミングは米国内でも地区により異な カリフォ ルニア 214 34 42 14 17 1 6144 134 120 15 18 6 29 28 4 20 84 29 21 13 29 4 27 31 24 60 49 18 28 10 30 5 6 157 データ出典: FDIC 53 19 2 7 68 162 99 69 39 18 15 14 8 南西部 テキサス 851 北東部 マサチューセッツ 52 ニューヨーク 69

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っている。金融危機発生の経緯の詳細な説明は各章に譲るが、テキサスを中心とした南 西部では、80 年代後半に商業銀行および S&L の破綻が集中的に発生し、金融危機の規模 も他の地区を上回っていた。これに対し北東部では、まず 80 年代前半のオイルショック 後の金利上昇に伴う逆ザヤ現象により貯蓄銀行の破綻が多く発生し、その後 90 年代初頭 には、もっぱら信用リスクを原因として貯蓄銀行および大型の商業銀行が破綻した。一 方カリフォルニアでは、テキサスと同じ時期にまず S&L の危機が発生し、北東部と同じ 時期に今度は商業銀行の破綻が続出した。 (3) 金融危機の原因 イ.金融破綻の原因 金融危機を検証するにあたり、まずその発生原因を探る必要があるが、これほど大き な金融危機の原因は決して単純なものではなく、様々な要因が重なり、発生したもので ある。図1−2は、米国金融危機発生の原因を図解したものである。詳細は各章に譲る として、共通事項として考えられる破綻原因について簡単に触れておきたい。 ①マクロ経済 米国で金融危機が発生した 80 年代より前、特に 70 年代の米国金融機関の経営は概 ね好調であった。しかしながら、米国を取り巻く国際経済環境は、変動為替レートの 導入、OPEC 諸国の台頭、農産物価格の乱高下など、それまでの安定成長から、大きな 変動の時代へと変化していく過程にあった。金融の世界においては、変動すなわちリ スクであり、米国の金融機関にとっても潜在的なリスクは高まっていった。 ②法制・議会 米国では、80 年代前半まで銀行の支店設置規制が厳しく、銀行にとって地理的にリ スク分散ができない要因になっていた。また、80 年代初頭の法改正で S&L に対して商 業用不動産融資等のハイリスクな業務を認めたことが、結果的にテキサスやカリフォ ルニア等の不動産バブルを助長させることにもなった。 ③規制・当局 S&L に対しては、80 年台初頭になってハイリスクの商業用不動産融資等が認められ た一方、その監督・検査体制は必ずしも効果的に機能していなかった。また、金融機 関の自己資本比率の重要性も現在ほど認識されていなかった。一方、新設金融機関に 免許を与える免許当局に関しても、自由競争推進の観点から比較的自由に金融機関新 設を認めていたことが、過当競争を生んでいた。 ④金融環境 70 年代には既に金融環境は変化していた。当時、短期金融商品として MMMF(マネ ー・マーケット・ミューチアル・ファンド)が台頭し、金融機関の預金を奪うようにな ってきていた。また、大銀行は、大企業の直接金融化および発展途上国融資の失敗に より、リテール金融に回帰しつつあり、このことが競争激化の要因となった。また、 金利さえ払えば証券会社等が預金を集めてくれるブローカー預金制度も、金融機関の 急激な成長に拍車をかけた。

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(図1−2) 80 年代の米国銀行・S&L 危機の因果関係 変動為替レート導入 原油価格乱高下 農産物価格乱高下 金利上昇 支店設置規制(リスク分散困難) S&L の不動産融資業務規制緩和 預金保険限度額引上げ 預金金利規制撤廃 積極的な新設銀行認可 非効率な監督組織 利益相反(FHLB) 甘い会計基準 自己資本比率規制未発達 FISLIC の基金不足 監督当局の移転(TX) マクロ経済 地域経済 金融機関経営 規制・当局 金融環境 法制・議会 MMMMF 等への預金流出 大銀行の発展途上国融資の失敗(地元回帰) CP 等直接金融化による大銀行のリテールシフト ブローカー預金による資金調達 地域バブル崩壊 (農業・石油・不動産) 過度な不動産ブーム 過度な競争 冷戦終結・軍事産業斜陽化 金利ミスマッチ 過度なリスクテイキング 投機的商業不動産へ集中 ノンバンカーの参入 不祥事・過度な贅沢

銀行・S&L 危機

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⑤地域経済 テキサス等の産油州では、オイルショックに伴う石油価格上昇により石油バブルや 不動産バブルが発生した。一方、北東部ではハイテク産業、カリフォルニアでも軍事 産業が繁栄していたことから、不動産バブルが発生した。こうしたバブルは、石油価 格下落、ハイテク産業の競争力低下、冷戦終結等により崩壊することとなり、地域経 済に深刻な影響を与えた。こうした地域的経済要因が、先述したような地域による金 融機関破綻状況の違いとなってあらわれている。 ⑥金融機関経営 金融危機といっても、全ての金融機関が破綻したわけではなく、多くの金融機関は 生き残っている。破綻した金融機関における過度なリスクテイキング、商業用不動産 融資への傾注、金融界以外の人間の参入、不祥事等、金融機関経営を主因とする破綻 要因も多い。 ロ.破綻要因の分析 金融機関の破綻の原因は1件1件異なっているものの、全体的な傾向や共通点がある ことも事実である。特に重要な共通点として、FDIC の分析によると、マクロ経済の動 向、競争的環境、銀行のリスクテイク、および法制・規制的要因等が挙げられる。 このことから、マクロ経済要因として米国のGDP 成長率、競争的環境要因として新設 銀行数、金融機関のリスクテイキング要因として不動産融資増加率、規制要因として支 店のない単店銀行の銀行全体に対する割合を用いて、各年の破綻銀行数との関連を重回 帰分析したところ、各要因とも数値が大きくなるほど破綻銀行数が大きくなるという傾 向があった(ただし統計的に有意水準を満たしていたのは新設銀行数のみ。回帰分析の 詳細は別紙1)。つまり、GDP 成長率が高く、新設銀行数が多く、不動産融資増加率が 高く、支店のない銀行の割合が大きいほど金融機関の破綻が多い。GDP 成長率が高いほ ど破綻銀行が多いことは矛盾しているようにも思えるが、経済がジリ貧になっても銀行 が破綻することは必ずしも多くなく、むしろ経済が好調でバブルが発生し、それが崩壊 した際に金融機関の破綻が多いと解釈することも可能である。(ただしGDP 成長率と破 綻金融機関数の関係は非常に弱く、統計的に有意ではない) (4) 本稿の構成 本稿では、地域と金融機関との関係という見地を重視していることから、第2章でテ キサス等の南西部、第3章でボストン等の北東部、第4章でカリフォルニアのそれぞれ について、地域と破綻の関係、および危機をサバイバルした金融機関の成功要因等を検 証する。第5章では、S&L スキャンダルとも言われ、特に破綻処理コストが甚大であっ たS&L 危機について解説し、第6章では、危機が去った後、つまり最近の米国の金融破 綻について考察する。そして最後に全体を通して、我々日本の金融関係者が米国の金融 危機から学ぶべきことを検証する。

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2.南西部テキサス等の銀行破綻9 (1) 概要 米国の金融機関破綻を考察するにあたり、80 年代のテキサス州を中心とする南西部の 銀行破綻問題を欠かすことはできない10 1980∼1994 年における米国全体の銀行破綻のうち、数にして 39%、総資産にして 40% はテキサス州の銀行であった。同期間の合計では、総資産ベースでみて同州の銀行資産 の 44%を占める銀行が破綻したことになる。特に、ピークであった 1987∼1989 年におい ては、米国の銀行破綻のうちの、件数で 71%(491/689 行)はテキサスを中心とする南 西部11の銀行であった。特に 1987 年には、テキサス州の銀行資産の 25%に相当する 4,730 億ドル(約 53 兆円相当)の銀行が破綻した。また 80 年代後半∼90 年代前半の間に、総 資産規模で同州のトップ 10 の銀行持株会社のうち9行が、破綻または他行に買収される という壊滅的な状況であった。さらに、銀行だけでなく S&L の破綻に関しても、テキサ スが中心であった。 (グラフ2−1)1980∼1994 年州別破綻金融機関数12 データ出典:FDIC グラフ2−1は、1980∼1994 年までの、州別の破綻金融機関数の上位 10 州を示した ものであるが、テキサス州における破綻が他州を圧倒していることがわかる。さらに、 オクラホマ、ルイジアナ等のテキサスと隣接する南西部の州の銀行破綻が多かったこと がわかる。これだけの壊滅的な銀行破綻はどのようにして起きたのだろうか。また、生 き残った銀行は、どのようにしてこの危機を乗り越えたのであろうか。 (2) 破綻の原因 80 年代後半のテキサス州において大規模な金融破綻が起こったことについては、以下 のような原因が考えられる。

9 本節は主に FDIC〔1997〕(FDIC の Web サイト

http://www.fdic.gov/bank/historical/history/index.html )を参照している。 10 S&L の破綻については、別途第5章で扱うこととし、本章においては、主に商業銀行の破綻を扱う。 11 ここでいう南西部とは、テキサス、オクラホマ、ルイジアナ、ニューメキシコおよびアーカンソー州 0 100 200 300 400 500 600 700 テキ サス カリフ ォル ニア オクラ ホマ ルイ ジアナ リノイ フロリ ダ カンザス コロラ ド アイ オワ ミズーリ 商業銀行 スリフト 行

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イ.原油価格の下落 米国における原油価格は、1973 年および 1979 年のオイルショックにより、1バレル当 たり 1973 年の 2.75 ドルから、1981 年には 36.95 ドルまで上昇した。オイルショックは日 本や米国の大部分の地区には大きな打撃であったが、産油州であるテキサス、オクラホ マ、ルイジアナ州にとっては、地域経済にプラスに機能し、さらに、石油を掘れば儲か るという石油バブルをもたらした。産油州における多くの銀行はこうした原油発掘事業 および関連事業に積極的に融資を行った。銀行によっては、原油価格が1バレル当たり 60 ドルにまで上昇することを前提にし、審査基準を甘くしてまで石油ビジネスへの融資 拡大に凌ぎを削っていた。 その後、先進諸国の省エネ、非 OPEC 産油国の増産や OPEC 諸国の政策変更等により 1981 年から原油価格は徐々に低下し、1986 年には1バレル当たり 10 ドルにまでに下落 した。高コスト構造の米国産石油はそうした低価格では競争力がなく、多くの採掘事業 が行き詰まり、米国内の油井数は 4,000(1981 年)→757(1986 年)に激減した。原油採 掘事業の中には、バブル期にありがちな、原油価格が上昇しつづけることを前提とした ものもあり、それらは価格上昇が止まっただけで打撃を受けることとなった。ほぼ同時 期に、天然ガスについても、規制緩和等により価格が下落し、産出地区であった南西部 に打撃を与えた。しかしこうした状況にもかかわらず、多くの銀行関係者が、原油価格 の下落は一時的なものであり、いずれ回復すると楽観的に考えたことにより対応が遅れ、 結果的に金融機関の損失は拡大した。 ロ.不動産 石油産業が没落したことにより、南西部の銀行はそれに替わるものとして、当時好調 であった不動産融資に傾注することとなるが、これに拍車をかけたのが一連の税制改正 であった。 1981 年の税制改正13により、不動産にかかる償却期間が短縮され、さらに定率法によ り投資後早期に多額の減価償却費が計上でき、これが損金とみなされることとなったた め、税額を減らすことができるようになった。その上、不動産を転売する場合のキャピ タルゲインにかかる税率(20%)は、法人税(当時最大 50%)よりも低かったため、不動 産投資の税引後収益率は高くなった。さらに、不動産事業の損金は、一般事業の損金と 相殺できたため、不動産事業への投資には大きなメリットがあった。これらのことから、 不動産投資は他の投資よりも有利となり、不動産ブームが発生した。 ただし、この不動産ブームには必ずしも実需が伴っていたわけでもなく、1981∼1983 年にかけて、テキサス州の主要都市であるダラス等の商業用不動産の空室率は 8%から 20%代後半にまで上昇した。にもかかわらず、建設ラッシュは続き、銀行も融資条件を 緩和して融資を拡大し、開発業者も不採算事業であっても建設・開発を促進した。中に 12 S&L と貯蓄銀行を合わせてスリフトと呼ぶ。 13 The Economic Recovery Tax Act of 1981

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は、バブルに浮かれて借入者に担保を評価させる銀行まであった14 しかしながら、南西部の不動産ブームの発端は、それまでの石油ブームにより地域経 済が繁栄していたからであり、実態経済の裏付けのない不動産ブームが続くはずがなか った。レーガン政権下の 1986 年には再び税制が改正15され、減税の一方で、前掲の税制 優遇措置が見直されることとなった。商業用不動産に関して、前掲のような優遇(短い 償却期間、定率法、不動産損失と一般事業利益との相殺)がなくなったことで、不動産 投資の旨みはなくなり、テキサス州の不動産価格は下落した。 (グラフ2−2)原油価格と米国南西部におけるオフィスビル価格の推移(1982 年=100) 0 20 40 60 80 100 120 197 7 197 8 197 9 198 0 198 1 198 2 198 3 1984 1985 198 6 198 7 198 8 198 9 原油 オフィスビル データ出典:White〔1992〕 この結果、商業用不動産の空室率はさらに上昇し、商業用不動産に傾注していた銀行 は多くの不良債権を抱えることとなった。ここにきて銀行はようやく、不動産開発・建設 は、着工∼竣工までの期間が長いため、完成したときには需要がなくなるというリスク があること、借入れの比率、つまりレバレッジが高いハイリスクのビジネスであること、 を改めて認識することとなった。テキサス州の都市部では、1986 年からの不況により住 宅価格も下落し、テキサス州の銀行の多くは甚大な打撃を受けた。 ハ.農業 前掲のグラフ2−1にあるとおり、銀行破綻の数が多かった州には、農業に依存して いる州が多くあった。テキサスをはじめ南西部は農業にも大きく依存していたが、高コ スト構造、農地価格下落および穀物価格の下落等による問題を抱えていた。1977 年∼1993 年までに、テキサス州内だけで 36 行の農業銀行16が破綻した。 14 FDIC〔1997〕

15 Tax Reform Act of 1986

16 米国では、銀行のうち農業関連融資が多い銀行を農業銀行と呼んでおり、例えば FDIC では貸出の 25%

以上が農業関連である銀行を農業銀行と呼んでいる。農協のような商社機能まで持つ協同組合組織で はなく、形態的には普通の商業銀行である。

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ニ.金融機関間の競争の激化 1982 年のガーン・セント・ジャーメイン法により、それまでは住宅ローン中心であっ た S&L 等のスリフト17の貸出対象にかかる規制が緩和された結果、スリフトは商業用不 動産融資等に積極的に進出し、商業銀行との競争が激化した。 さらに、80 年代前半までの石油・不動産バブルにより、多くの新設銀行が誕生し、競争 が激化した。新設銀行は収益基盤を確立するため積極的に融資を拡大した結果、既存銀 行よりも破綻する割合が高かった。免許当局も、金融機関の競争・淘汰を市場原理に任せ るレッセ・フェ−ル的な考えから、銀行免許を積極的に付与していた。 こうした競争の激化は、預金金利の上昇と貸出金利の下落を通じて銀行の収益悪化を 生み、貸出を増やすために多くの銀行では融資基準を緩和したことから、不良債権の火 種ができることとなった。 ホ.規制上の問題 テキサス州では支店設置に関する規制が厳しく、1876 年テキサス憲法以来、銀行は支 店を設置することができなかったため、本店しかないユニット(単店)銀行がいくつも あった。また州際支店(州をまたがる支店)の設置規制があり、大手銀行も州の外へは 行き場がなかった。このため、営業地区・支店網を広げることにより、地域のリスクを 分散させることが、テキサス州においては困難であった。一方、1956 年銀行持株会社法 の 1970 年の改正により、銀行持株会社が複数の子銀行を保有することは可能となってい たので、同州の大規模銀行グループでは、持株会社の下にそれぞれが銀行免許を持つ数 多くの単店銀行がぶら下がるという奇妙な構造になっていた。例えば、テキサス州最大 の破綻銀行であるファースト・リパブリック銀行グループは、1988 年の破綻時には 40 も の子銀行を有している、という非効率な組織とならざるを得なかった。1987 年にようや く支店設置規制が緩和されたが、時は既に遅く、テキサスでの銀行大崩壊は始まってい た。 このように、テキサスの銀行破綻は原油価格下落が引き金となったものの、それ以外に も、不動産、農業、リスク分散を妨げる規制、等が複合的に組み合わさることにより銀行 に、より大きな打撃を与えた。不動産の税制変更は全国的に行われたが、テキサスの銀行 破綻がほかの地区よりも大きかった理由としては、テキサスの場合、石油・天然ガスのエ ネルギーバブルの崩壊と、不動産の税制優遇廃止によるバブル崩壊がダブルパンチで来た ためといえる。テキサスでは、石油産出地区の銀行(メキシコ湾岸他)、大都市における 不動産融資に傾注した銀行(ダラス、ヒューストン)、その他の農業地区の銀行と、大都 市だけでなく地方の銀行にまで破綻が及ぶ事態となった。さらに、規制緩和や金融機関同 士の競争の激化が事態をより深刻なものにした。 17 貯蓄銀行(第3章で解説)および S&L(同第5章)をあわせてスリフトと呼ぶ。いずれも個人を対象 とした預金取扱金融機関である。

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(3) 大銀行の破綻 テキサス州は経済規模において、カリフォルニア、ニューヨークに続き全米 50 州で第 3 位の大きな州である18。にもかかわらず、現在の連邦準備銀行(FRB)のトップ 50 銀 行持株会社リストには、テキサス州を本拠地とする銀行グループはひとつもない。これ は、先述のとおり、単店銀行規制により大きな銀行が育ちにくかったことが原因のひと つであるが、それと同時に、主要な大銀行の殆どが 80∼90 年代に破綻または買収されて しまったことも大きな理由である。80 年代のテキサス州の 10 大銀行で危機を乗り越えた のはわずか1行(カレン/フロスト銀行グループ)だけとなっている。FDIC〔1998〕に よると、この時期におけるテキサスの大規模銀行破綻としては次のようなものがある。 ①ファースト・リパブリック銀行グループ19 ファースト・リパブリック銀行グループは、1987 年に、当時テキサス州で総資産規模 第2位のリパブリック銀行グループと、3位のインターファースト銀行グループが合併 してできた銀行グループである。合併後のファースト・リパブリックは、テキサス州で 1位、全米でも 11 位の銀行グループとなった。しかしながら、合併時点で両行の資産は 既に石油・不動産バブル崩壊により痛んでいた。合併のわずか9か月後には FDIC(連邦 預金保険公社)の支援を受け、その4か月後には破綻のためブリッジバンク方式20の事業 譲渡による破綻処理が行われ、最終的には当時のネイションズバンクグループ(現在の バンク・オブ・アメリカ)に事業譲渡されることになった。FDIC は、同行の破綻の原因 として、経営陣の弱さおよび取締役会の監視機能の欠如、ずさんな会計処理、資産の質 の悪化、内部管理体制不備、ならびに資金繰りの困窮等を指摘している。 本件により、大銀行の破綻処理にはブリッジバンク方式が有効であることが実証され たが、その反面、FDIC 史上最も大きな銀行の破綻処理として 38 億ドル(約 4,180 億円) という最大の破綻処理コストがかかることとなった。なお、破綻する前に同行の損失が 大きいことが広く一般に明らかになったことで、急激な預金流出が発生したが、FDIC で はこれを「市場規律が機能している証拠」としてプラスに評価している点は興味深い。 また、問題銀行が2つ合併しても問題が大きくなるだけ、という基本的事項を再確認し た事件とも言えよう。 ② Mコープグループ ファースト・リパブリックの破綻処理が行われたわずか4か月後の 1989 年3月に破綻 した M コープは、ファースト・リパブリックに次いでテキサス州で2番目(全米 36 位)

18 US Census Bureau, Statistical Abstract of the United States 2002 によると、1999 年のカリフ

ォルニアの州内総生産は 1.2 兆ドル、ニューヨークは 7,500 億ドル、テキサスは 6,900 億ドル。ちな みに、テキサス州の州内総生産は、カナダ一国の GDP にほぼ匹敵するほどの規模である。 19 当時のテキサス州の大銀行では、持株会社の下に多くの子銀行がぶら下がるという形態が普通だった ため、単体の銀行というよりは、銀行グループといえる。 20 最終的な譲渡先金融機関が見つかるまで一時的に破綻銀行の資産を管理・運営する銀行。日本でいう 一時国有化に近い。

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に大きな銀行グループであり、その処理コストも同様に FDIC 史上2番目に大きな破綻で あった。破綻の原因はやはりエネルギー関連および不動産融資に集中しすぎたことであ った。最終的には同行も、ブリッジバンク経由で中西部の有力銀行であるバンク・ワンに 事業譲渡されることとなった。 ③ ファースト・シティ銀行グループ 1988 年時点で、ファースト・シティ銀行グループはテキサス州で4番目に大きな銀行グ ループであった。同行もリスクの高い建設・開発貸付を増やしていたため、1987 年にダ ラスやヒューストンのオフィスビルの空室率が 31%にも達する状況になると、同行の資 産は著しく悪化し、1988 年に FDIC に対して支援を申し出ることになった。FDIC は同行 グループに5億ドルの資本注入等の支援を行った結果、一旦は同行の経営も立ち直った ものの、その後の国際業務の失敗などにより 1990 年第3四半期には再び赤字に転落した。 同行ではテキサス経済の回復を楽観視しすぎたことが災いし、資産の質はその後さらに 悪化し、1992 年 10 月に同行は再び破綻、ブリッジバンク経由でケミカル銀行(現 JP モ ルガン・チェース銀行)に事業譲渡されることになった。つまり、同行は事実上2度破綻 したわけであるが、この点は FDIC においても問題視されることとなった。資本注入で新 たな資金を得た同行は、短期的かつ積極的に収益を上げる必要があると考え、リスクの 高い取引、国際業務や未知の地区の取引などに手を出し、結果的に失敗したと FDIC では 分析している。 (4) サバイバル 次に、生き残った銀行と破綻した銀行は何が異なるのか、テキサスの教訓を考えるこ としたい。以下ではまず、FDIC によるマクロ的な調査を紹介した上で、筆者が実際にテ キサスで金融危機をサバイバルした銀行への取材に基づく調査結果を紹介する。 イ.FDIC による調査 FDIC〔1997〕の調査によると、都市部であるヒュ−ストンとダラスにおける、破綻銀 行と破綻しなかった銀行の、総資産に占める不動産融資の比率を比較すると、1984 年頃 まではいずれも不動産融資の比率を高めている。ただし、破綻した銀行はその後も 1986 年頃まで不動産融資の比率を高めていったのと反対に、破綻しなかった銀行は 80 年代半 ば以降、不動産融資の比率を下げている。つまり、ある程度バブルに乗ることは、特に バブルの初期段階ではやむを得ないが、バブルの途中で、これがバブルであると気づく かどうかが大きな分かれ目となるといえる。 テキサスで破綻した大手銀行も、1980 年代当初は自己資本比率が業界平均よりも 25% も高かったが、その後不良債権処理のため自己資本を食いつぶすことになった。FDIC で は、自己資本比率の高さは重要であるものの、それが絶対ではないことにも留意すべき であるとしている。 ロ. サミット銀行のサバイバル

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①サミット銀行の概要 設立:1975 年1月 総資産:770 億円 所在地:フォートワース市の中心部からやや南西 店舗数:7(ブルーカラー中心の地区) 職員数:250 人 ②サバイバル ・同行では、テキサス州の銀行の多くの破綻原因となった石油関連融資は行っていない。 理由は、石油の世界は知らないので踏み込んでいない、ということである。同行は、 そのビジネスがわからなければその世界に入ってはならない、という哲学を持ってい る。一方、石油と同様にテキサス銀行危機の原因の一つとなった不動産融資について は、ある程度は行っていたものの、同行にはノウハウがあったので難を逃れることが できた。 ・ただし商業用不動産融資でも、大規模オフィスビル、ショッピングセンター、大規模 土地開発などの大きなプロジェクトには手を出さなかった。同行は、不動産でも比較 的簡単に売れる小さなものを手がけ、また、小さな工場が設備を拡張するための融資 などにも積極的に対応した21。不動産関連でも、事務所ビルのように空室になるリス クのあるものはあまり行わなかった。また、例えば融資期間が 15 年となるような長 期案件でも、金利は5年見直しとし、金利リスクを回避した。 ・金融危機を乗り切れた理由は、評判にある。同行は、設立以来 30 年間同地で営業し、 地元では中小企業向け商業融資のコミュニティバンクとしての評判を確立してきた。 コミュニティを代表する銀行として顧客に支えられてきたし、優秀な人材も多くいた。 ・また、中小企業向け融資に集中し、借入顧客と強いリレーションシップがあった上、 自己資本比率も高水準であった。 ・同行では、顧客が不幸にも不良貸付先となってしまった場合、まず一緒に問題解決策 と、その中でも同行に出来ることを考える。例えば、既存貸出を政府中小企業庁(SBA) 保証付きローンに切り替えたり、他の銀行、アセットベースのファクタリングやリー ス会社などのノンバンクを紹介する。また金利を低くしたり、支払いスケジュールを 変えるなど、貸出条件の変更が可能かどうかも考える。単に顧客が延滞したから関係 を完全に切るようなことは、風評の悪化につながるので行なわない。ただし、決断し なければならないときは決断する。回収見込みがない場合は、もはや融資を更新でき ないと伝えることとしている。 ハ.ノース・ダラス銀行のサバイバル ①ノース・ダラス銀行の概要 設立:1961 年3月 21 米国でいう不動産融資は、不動産担保融資という意味なので、事務所や工場などを担保にした事業融 資が含まれる。一般の住宅ローンを含めることもある。

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総資産:922 億円 所在地:ダラス市北部 店舗数:5(ホワイトカラー・富裕層中心の地区) 職員数:166 人 ②サバイバル ・同行の強みとしては、設立以来 42 年間基本的な所有者(株主)が変わっていないこ とから、同じ経営理念で保守的に経営をつづけてこられた点が挙げられる。また、十 分な自己資本もあり(11∼12%)、流動性も高く、総資産に対する貸出金の比率は常に 50%程度に押さえていた(当行と同じ規模の銀行では、総資産対貸出金比率 80%程度 も珍しくない22 ・同行では 70 年代の不況の際に不良債権化した石油関連融資をすべて償却し、その後 石油関連融資は行なっていない。これは、同行規模の銀行にとっては、石油採掘融資 は金額もリスクも大きすぎるとの判断に基づくものであった。 ・不動産関連融資についても、大きなビル建設資金融資は行なっておらず、半分はリス クの低い住宅関連融資である。近隣の他行は 100%融資(プロジェクトが 100 万ドル なら 100 万ドル融資すること)を行なっていたが、同行は必ず掛目を掛けており、借 主に対し自己資金をある程度用意するよう求めていた。同行も不動産バブルの影響は 受けたが、大損害というほどではなかった。顧客は中小企業が多く、この意味では顧 客に支えられたかたちとなっている。 ・同行の与信方針は保守的であり、過大な信用リスクはとらない。このため、本来なら 得られたであろう機会損失も大きかったであろうことも承知しているが、それでよい と判断しているとのことであった。 ニ.シチズン銀行のサバイバル ①シチズン銀行の概要 設立:1968 年 7 月 総資産:370 億円 所在地:ワクサハチエ市(ダラス市の 50 キロmほど南) 店舗数:8(ブルーカラー中心の古い町が主な営業地区) 職員数:150 人 ②サバイバル ・同行が生き残った最大の要因としては、不動産査定など、不動産融資に対しての対応 方針が保守的であった点が挙げられる。破綻した銀行の多くは担保価値の 100%で融資 額を設定していたため、不動産価格が下落するとすぐに担保割れしてしまったが、同 行では融資の掛目を 60∼80%に設定していたため、ある程度の余力があった。例えば、 ワクサハチエ北方の土地開発に関連して、同行にも総額百万ドルの融資案件が持ち込 まれたことがあったが、当初2∼3年は利息支払を据置くなど、融資条件を緩和しな

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ければならない案件であったので、同行は断った。このことで地元の不動産業者から は、地元のコミュニティ開発を支援しないと批判されたが、結果的には同行以外のワ クサハチエ周辺の銀行は、このような条件を緩和した融資を積極的に行っていたこと もあり、すべて潰れた。 ・同行でも、最悪時には自己資本比率がピーク時に比べて8ポイント下がり、7.5%にま で下落した。不良債権処理には 87 年から 93 年までかかったが、当行の場合は、不良 債権を処理するに十分なキャッシュフロー収入があった。 ・また同行では、ガス・石油など、リスクの高いエネルギー関連融資は行なっていない。 ただし、ガソリンスタンドなどディストリビューターに対しては融資している。もっ とも、このワクサハチエ市があるエリス郡には、そもそも大規模な油井はなかった。 ・厚い自己資本は重要である。レバレッジを大きく効かせる23場合、経済が停滞した場合 のダメージが大きい。 ・この地域でも、工場が移転して外に出るなど、地元ではコントロールできない問題に より地域経済が停滞することもある。そのような場合は、顧客と一緒に最善の策を考 えるしかない。例えば、ダラスの北のプラノ地区では、テレコム(電話通信)関連企 業が多く進出していたが、テレコム業界の低迷から、土地余りや人員の解雇など多く の問題を抱えている。こうした問題はどの産業について起こるか事前にはわからない ため、特定の業種に集中しないよう、業種を分散していくしかない。 ・同行がこれまで大きく不良債権を積み上げずにやってこられたのは、たまたま近隣に 油井がなかったという地理的条件に加えて、運もよかったのかもしれない。ただしこ れまでの歴史を通じて、地元の発展に尽くしてきたことは間違いない。YMCA や病院 に対し寄付をし、街の中心部の再開発計画にも協力しており、子供博物館設立に人や 金を出している。大きな銀行はコミュニティに金を投入しないのに対し、コミュニテ ィに機会を作るというのが同行の考え方である。 ・30 年前は、田舎の銀行は不動産関連融資はやっていなかったが、20 年くらい前から住 宅ローンに取り組むようになり、その結果保有した住宅ローン債権をフレディーマッ クなどに売るようになった。金融機関が貸し出した住宅ローンをフレディーマックに 売った後も、顧客からの資金回収は引続き当該金融機関が行う。金融機関が住宅ロー ンをフレディーマックなどに売る理由は、金利リスクは銀行を殺す(銀行の収益を悪 化させる)からである。同行では、金利リスクを取らないようにしており、貸出の 95% は変動金利となっている。固定金利とする場合でも、1∼2年毎に金利見直しとして いる。同行では、金利を予測できる人はいないと考えている。銀行にとってコントロ ールできないリスクをとることは、銀行経営を危うくする。これは銀行経営にとって 非常に重要なことである。 22 米国では預貸率よりも、貸出金/総資産 比率がよく使われる。 23 一般に、自己資本に対して借入れの割合を増やすことを「レバレッジを効かせる」という。レバレッジ とは「てこ」のことであり、レバレッジが効いていれば好調時には利益が大きくなる一方、不調にな ると損失が拡大する傾向がある。つまり、リスクが大きくなる。

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(5) 考察と教訓 ・テキサスでは、原油価格が下落している時に、またそのうち価格は戻るだろうと楽観 していた関係者が多かった。また、不動産についても、空室率が上がっているのに、 建設ラッシュは続き、銀行も融資を続けた。典型的なバブルといってしまえばそれま でだが、バブルの恐ろしさは自分が中にいるときはそれがバブルであるとなかなか信 じられず、収益機会を逃すという焦りのあまり、投融資を続けてしまうことである。 その点は、日本の株・不動産バブルと共通している。また日本において、1990 年の株 価暴落後もその後しばらく不動産バブルが続いたのと同様に、テキサスにおいても、 1981 年に原油価格がいったん下落してもしばらくは不動産バブルが続いた。このよう に、不動産バブル崩壊には時間差がある点も共通している。さらにテキサスにおいて、 原油価格が右肩上がりに上昇し続けることを前提に銀行が融資を続けた点も、日本の 80 年代後半∼90 年代前半の不動産に対する対応と酷似している。(しかも石油も不動 産も地球上に有限であるため、希少価値に信憑性があり、バブルになりやすいと思わ れる。) ・金融機関はバブルに弱い。バブルが膨らんでいる時は、それに追いついて行かないと 膨大な機会損失が発生すると考え、焦ってしまう。期待のしすぎはバブル特有のもの である。また、競争のしすぎにも問題があるといえる。その時はどんなによく見えた としても、行き過ぎは禁物である。過熱気味と思われる場合は、一歩引いて客観的に 見ることも必要である。FDIC が指摘しているとおり、バブル発生初期において、こ れに乗ることはある程度やむを得ないが、時々冷静になることは重要であろう。(も ちろんそれがバブルであると見抜くことが、まず重要でありかつ困難なことではある が。) ・米国金融危機の最大の教訓の一つが厚い自己資本の重要性であり、その教訓が早期是 正措置の導入に繋がった。ただし厚い自己資本は重要であるが、前掲の FDIC による 調査にもあるとおり、それが絶対のものではない。当局等が資本注入をした場合、そ の資本を銀行がどのように活用していくかモニタリングをしていくことは重要であ る。業績回復を焦るあまり、必要以上にリスクをとってしまう傾向があることはファ ースト・シティ銀行が立証済みである。 ・貸出先の多くが小口/多数の中小企業に集中している銀行は、大口の不動産開発融資 を多く行なっている銀行よりもリスクは低いといえるだろう。例えば、サミット銀行 が危機をサバイバルした理由も、貸出資産の多くが中小企業向けに集中しており、か つ業種も特定の産業に集中していなかったことから考えれば納得がいく。同行の場合、 中小企業取引に集中することで、大規模な石油開発・不動産開発から遠ざかったこと から、結果的に危機を免れることとなった。また、ノース・ダラス銀行が危機を乗り 越えられた理由も、サミット銀行と同様に中小企業取引に集中しており、大きなプロ ジェクトに手をださなかったことが挙げられる。一方、大銀行であるファースト・リ パブリック銀行等は、不動産開発融資に傾注したことが破綻の原因となった。

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・また、保守的な経営者の考え方、哲学およびその実践がサバイバル銀行の共通点とな っている。サミット銀行では、知らない分野には手を出さないという保守的な経営哲 学が徹底している。ノース・ダラス銀行では、低い貸出/総資産比率、保守的な融資 方針がサバイバルの理由となっている。さらに、シチズン銀行が生き残れた理由は、 融資方針(担保掛目)が保守的であったり、不適切な不動産開発融資を行わないこと に対してコミュニティに批判されてもその信念を通したことである。顧客の声を聞く ことは重要だが、常に正解とは限らない。 ・もちろん顧客が重要ではないということではなく、いざというときに金融機関を助け てくれるのはやはり顧客である。金融機関もビジネスであるかぎり、いい時もあれば 悪い時もある。悪いときに耐えられるのは自己資本が厚いからであるが、さらにプラ スのキャッシュフロー(収益)があるからこそ、耐えそして回復できる。優良顧客と の良好な関係があれば、厳しい時でもそうしたプラスのキャッシュフローを得ること ができる24。生き残った銀行も危機の際にはそれなりに損害を受けたが、顧客とのリ レーションシップが強いため、顧客に支えられた、つまり優良顧客からのプラスのキ ャッシュフローがあった、ということは言える。その点、現在の日本の金融機関の場 合は、不良債権が残っているだけでなく、デフレにより不良債権が増加しており、さ らにゼロ金利によりスプレッドが薄く、プラスのキャッシュフローもそれほどない、 という意味で当時のテキサスの場合よりも不運で困難な状況にあると思われる。 ・ノース・ダラス銀行は、株式会社形態ではあるが非公開であるため、株主からのプレ ッシャーが少ない点において、協同組織的金融機関に似ている。また、総資産におけ る貸出金の割合を50%以下に抑えると同時に、債券運用の割合を多くすることにより、 貸出ではリスクが地元に集中してしまうことから、地元経済の浮き沈みの影響を強く 受けることの問題を緩和している。(つまりコミュニティバンクであっても、債券運 用であれば地元経済の影響を受けない。もちろん経費を抑えて債券運用が半分でもや っていける収益体質にしておく必要はある。)こうした点において、同行は特に日本 の地方の信金とビジネスモデルが似ているといえる。こうした銀行も米国では厳しい 危機を生き残り、成功していることから、信金のビジネスモデル自体に大きな問題が あるとは考えにくい。 ・前掲の3行のコミュニティバンクが破綻の危機から逃れられた理由として、石油関連 融資を行わなかったことが共通点であるが、その理由は、信念(知らない分野は手を 出さない(サミット))、経験(少しやってみて失敗したからやらなかった(ノース・ダ ラス))、運(回りに油井がなかった。(シチズン))と区々であることは興味深い。サ バイバルする銀行に共通点もあるが、相違点もある。つまり、生き残り、成功してい くやり方は一つではない。

24 第5章 S&L 編で紹介する 1946 年の映画”It’s a Wonderful Life”(邦訳名「素晴らしき哉、人生」

は、米国コミュニティバンカーのお気に入りの映画であるが、S&L の経営者が顧客のために尽くし、 また顧客に支えられるという内容であり、米国コミュニティバンカーは顧客を支え、支えられること に誇りを持っていることを取材の際によく感じることがある。

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・危機を乗り越えた銀行はいずれも、テレビのドラマにでもなるようなドラスティック な改革をしたわけではなく、あたりまえのことをあたりまえにやっただけのことであ る。ただし、そのあたりまえのことをバブルという狂気の中で実行することは相当な 勇気を必要とするとも考えられる。 3.北東部および協同組織的金融機関の破綻25 (1) 概要 第2章で述べたように、80 年代の米国の金融破綻はテキサスをはじめ南西部が中心で あったが、90 年代に入ると、銀行破綻の中心は西海岸(カリフォルニア州)と北東部に 転移した。 グラフ3−1は、1980∼1994 年に破綻した金融機関の、総資産合計額で見たトップ 10 州について、商業銀行とスリフトに分けて示したものである。これを前掲のグラフ2−1 の破綻銀行数のグラフと比較すると、首位と2位のテキサス、カリフォルニアは変わらな いものの、3位以下の州は大きく異なっている。総資産で見るとカリフォルニア(大都市 ロスアンゼルスを擁する)、イリノイ(同シカゴ)、フロリダ(同マイアミ)、等の人口の 多い大型州における破綻の規模が大きかったことがわかる。 (グラフ3−1)1980∼1994 年州別破綻機関の総資産合計(単位:10 億ドル) データ出典:FDIC さらに、ニューヨーク、ニュージャージー、マサチューセッツといった、北東部の州が トップ10 州のうち約半数を占めている。つまり、大都市・工業中心の北東部では、南西 部の農業州ほど破綻金融機関数は多くないが、破綻金融機関の資産規模は大きかったこ 25 本稿でいう北東部は、メイン、ニューハンプシャー、バーモント、マサチューセッツ、ロードアイラ ンド、コネチカット、ニューヨークおよびニュージャージー州のことであるが、特に被害の大きかっ たマサチューセッツ州を中心に概観する。なお、本章におけるデータ等の情報は、特に断りがない場 合は FDIC データベースおよび FDIC〔1997〕〔1998〕を参照している。 0 20 40 60 80 100 120 140 160 テキ サス カリ フォ ルニ ア ニュー ヨー ク イリ ノイ フロ リダ ニュー ジャ ージ ー マサ チュー セッツ ペン シル バニ ア アリゾ ナ コネ チカット 商業銀行 スリフト

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とがわかる26。この理由として、南西部の農業州の多くには北東部よりも強い支店設置規 制があったため、規模の小さな銀行が多かったことによるものといえる。 また、北東部の金融機関の特徴として、歴史的な経緯から、個人を主な顧客対象とする 協同組織的(相互会社形式)27なスリフト(貯蓄銀行・S&L)が多くあった。80 年代の 初めになると、北東部の州において、これらスリフトが相互会社形式から株式会社形式 に転換することが認められたが、北東部における金融破綻の特徴として、これら株式会 社化した協同組織的金融機関の破綻が多かった点も挙げられる。 (2) 北東部における商業銀行の破綻 イ.地域経済の停滞 北東部では、冷戦の終了により、レーガン政権時代に拡大した軍需産業が低迷し、こ れが北東部でのコンピュータ産業の低迷につながり、さらに 1987 年の株価暴落(ブラッ クマンデー)によるニューヨークの金融・証券界への影響などで、地域経済自体が停滞し た。さらにその後の、コンピュータ産業の競争激化により、北東部の企業は立ち遅れる こととなった。 ロ.不動産ブーム発生・崩壊 北東部の銀行破綻の最大の原因は、不動産問題である。1983 年から 1989 年にかけて、 北東部で不動産ブームが発生し、銀行もこのブームに乗り不動産貸付を増加させた。北 東部の銀行の資産増加率は、1983 年の年率1%から 1986 年には 12%に増加した。また 同地域における銀行の不動産融資の総資産に対する割合(中間値)も、この間に 25%か ら 51%にも伸びた。 北東部の不動産ブーム(83 年∼89 年)は、テキサス州(81 年∼86 年)等よりも後で あり、本来はそれらの教訓があるはずであった。しかし北東部では、同地区の不動産は テキサスなどとは異なり、保守的な計画を元に開発されていると考えられていた。例え ば、北東部では人口増加率は低いにもかかわらず住宅価格は上昇していたが、この点に ついては単に、将来的に価格が上がるという期待の元、よりよい住居に住みたいという 需要から上がっていたのが実態であった。こうして、結果的にはテキサス州等の教訓は 生かされず、北東部においてもバブルが発生することとなった。 26 破綻の有無にかかわらず、北東部の金融機関が大きくなっていく傾向は続いており、2003 年3月時 点で、北東部の銀行・スリフト数は全米の8%であったが、総資産は 27%を占めるようになっており、 支店設置規制緩和等により、銀行の資産がニューヨークなどの北東部に集中するようになってきてい る。 27 米国金融機関における協同組織は相互会社形態となっており、後述するように日本の会員出資型協同 組織とは異なる点もあるが、相互扶助的または慈善的な発想から設立された点などは共通点もある。 このため、本稿では、概念としての米国の協同組織金融機関を「協同組織的.金融機関」、組織形態と して言う場合を「相互会社」、マサチューセッツ州の金融機関免許のひとつとして固有名詞的に「協 同組織銀行」(原語は”Co-operative Bank”)と表現している。

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ハ.結果 80 年代終盤になり、地方経済の低迷と共に北東部の不動産ブームは終焉した。ボスト ン地区における商業用不動産の空室率は 1990 年には 17∼18%に達し、1988 年から 1991 年にかけて、商業用不動産の賃貸料指数は 22%も下落した。不良債権の急速な拡大によ り、北東部の銀行は 1989 年頃には経営が悪化した。ニュージャージー州では、産業が分 散しているためバブルの懸念は少ないと楽観視されていたが、80 年代終盤に不動産価格 が下落すると、同州で2番目に大きな 240 億ドルのミッドランティック銀行の経営が悪 化し、PNC 銀行に合併されるなどの影響が現れてきた。 同地区において、商業用不動産融資への過度な傾注から破綻した 1991 年のバンクオブ ニューイングランド(総資産 230 億ドル)のケースは、現時点でみて米国最後の大型銀 行破綻となっている。同行の破綻処理では、FDIC が預金保険限度額を超える預金を含む 預金全額を保護したため、「大きすぎてつぶせない」too big too fail28の問題が再燃した。

こうした教訓もあり、その後 FDIC 改革法(FDICIA)が成立したことにより、FDIC は保 険対象外預金を保護することが難しくなった。 (3) (削除)貯蓄銀行の破綻 次に、時期的には(2)の北東部の商業銀行の危機(主に 1990 年代初頭)と前後するが、 北東部の貯蓄銀行の2回にわたる危機について解説する29 イ.米国の貯蓄銀行 米国の預金取扱金融機関は、一般的に大きく分類すると、商業銀行、貯蓄金融機関(ま たは貯蓄貸付組合(S&L))、貯蓄銀行および信用組合の4種類がある。S&L と貯蓄銀行 をあわせて一般にはスリフトと呼ばれるため、両者は混同されがちであるが、S&L(本 稿では第5章で詳しく取扱う。)と貯蓄銀行は歴史的経緯がかなり異なる。一言で言えば、 自分達の住宅資金を調達するために一般庶民が資金を出し合い、協同組織的に設立した 金融機関を源流とするのが S&L である。一方、地元の成功者が慈善事業的に、労働者や 低所得者に対し小口預金を貯めるインフラ・機会を提供する、というのが貯蓄銀行発生の 経緯である。貯蓄銀行はもともとヨーロッパを起源としており30、米国での相互会社形式 の貯蓄銀行は 1816 年のフィラデルフィア貯蓄協会が最初である。その後、周囲の州に貯 蓄銀行は広がっていったが、北東部・中東部の州が大部分であり、コネチカット、マサ チューセッツ、ニュージャージーやニューヨークなどの9州が預金量ベースでみて貯蓄 銀行の 95%を占めており、北東部に分布が偏っている。(西部などでは、S&L や商業銀 行形態が普及した。)貯蓄銀行は全体としては繁栄を続け、1930 年代の大恐慌の時期にも 繁栄していた。 28 米国においては、大銀行の破綻の場合には預金が保護され、小銀行ではペイオフにより清算される傾

向があったことから、特に小銀行からみて、Too big to fail は公平性の点から問題視されていた。 1984 年のコンチネンタルイリノイ銀行(シカゴ市)の破綻処理の際に特に問題となった。

29 特に断りがない限り、本節は主に FDIC〔1997〕を参照している。

30 貯蓄銀行に類似した「協同組織的」な米国の信用組合の場合は、カナダのデジャルダンが源流となっ

(24)

なお、設立当初の貯蓄銀行の多くは協同組織的な相互会社形態であった。米国の相互 会社形態は、日本の信用金庫のような会員出資型協同組織形態とはいささか異なり、む しろ財団法人や年金基金の形態に近いとも言えるかもしれない。貯蓄銀行は設立当初に 自己資本に当たる基金が集められ、その後は毎年の利益が基金に積み重なり、自己資本 が増えていく。会員または顧客から事後的に出資金が集められることはなく、ましてや 株式会社のように新株発行により市場から自己資本を調達することもできない。また、 理事会はあるものの、株主や出資者がいないため、一般的には株主総会に当たるものが なく、つまり議決権にあたるものがない31。このため、経営者にとっては、比較的監視の ない自由な組織形態となっている。 ロ.第一次貯蓄銀行危機(80 年代初頭) オイルショックに伴い、米国では 79∼82 年にかけて金利が上昇した。預金者は貯蓄銀 行から預金を引き出し、利回りのよい MMMF などに投資するようになり、1980 年には 107 億ドルの預金が貯蓄銀行から流出した。これにより、貯蓄銀行の流動性リスクは高ま った。これに対応するため監督当局も自由金利型の預金を貯蓄銀行に認めたが、自由金 利のため預金調達コストが上昇して貯蓄銀行の収益は逆ザヤとなった。これに加えて、 当時の貯蓄銀行の運用資産は長期の住宅ローンや米国債が中心である場合が多かったた め、金利ミスマッチから貯蓄銀行の収益はさらに悪化した。1980 年に、貯蓄銀行業界は 戦後初めて赤字となり(123 百万ドルの赤字)、81 年には業界全体の赤字額は 17 億ドルに まで増大した。貯蓄銀行に 100 年間以上も積重ねられてきた自己資本は、あっという間 に毀損した。 特に MMMF やマネーセンターバンクなどとの競争が厳しかったニューヨークの貯蓄 銀行の経営は苦しく、多くの貯蓄銀行は債務超過となった。1981 年のグリニッジ貯蓄銀 行が経営危機に陥った際、ラジオが誤って同行が破綻したと発表したため、パニックを 恐れた FDIC は、「同行の預金は全額保護される」、という米国では異例の声明を出し、支 援付きでメトロポリタン貯蓄銀行と合併させた。同行は総資産 25 億ドルという、当時で は FDIC 史上3番目の大型破綻であった。 第一次北東部貯蓄銀行危機においては、このように多くの場合 FDIC が貯蓄銀行の預 金を全額保護したため、実際には取付け騒ぎはほとんどなかった。米国では、先述のバ ンクオブニューイングランドのように、預金を全額保護することに関しては批判が多い が、この時にはさほど批判はなかった。貯蓄銀行には破綻の責任を取るべき株主に該当 する者がいないこと32、長短の金利逆転という要因は個別貯蓄銀行自身に責任はないもの と扱われたこと、などによるものである。 31 一般的には本文のとおりだが、米国の相互会社形態の金融機関でも、総会にあたるものがある場合も ある。 32 株式会社の銀行の場合、FDIC の支援付きで破綻銀行が他行と合併すると、本来出資額を失うことによ り責任を取るべき株主が保護されてしまうという問題がある。

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ハ.第二次貯蓄銀行危機33(90 年代初頭。時期的には北東部商業銀行危機と重なる。 表3−1にあるとおり、1990 年1月∼1994 年3月までに、ニューイングランド地区34 は、672 行の預金取扱金融機関のうちの 88 行(13%)が破綻したが、そのうち 41 行は貯 蓄銀行であった(同地区の貯蓄銀行 396 行の 10%)。さらに破綻貯蓄銀行には、1984 年 ∼1990 年の間に相互会社形態から株式会社形態に転換した 77 行のうちの 17 行の銀行が 含まれていた。つまり、株式会社転換した貯蓄銀行の 22%が破綻しており、この数字は 転換していない貯蓄銀行の破綻率 7.5%(24/319 行)を大きく上回るものであった。 貯蓄銀行が多かったマサチューセッツ州では、1985 年に、貯蓄銀行が相互会社形態か ら株式会社形態へ転換することを認めた。相互会社形態から株式会社形態へ転換するメ リットとしては、自己資本の調達が容易になること、自己資本の増加の結果として貸出 金などの資産を増加させることが容易となること、さらに経営者が株主となることによ り、キャピタルゲインが期待できること、また従業員には従業員持株会やストックオプ ションというインセンティブを与えることができること、があげられる。一方、留意点 としては、これまでは顧客中心に考えていればよかったが、株主という新たな、そして 大きなステークホルダー(利害関係者)が加わるため、株主や証券アナリストへの対応 が必要となる。さらに、株主資本がなかった相互会社形態に株式会社転換と同時に多量 の資本金がキャッシュとして流れ込むことになる35 (表3−1)ニューイングランド地区の破綻金融機関数(1990.1∼1994.3) うち破綻金融機関 全金融機関数 数 率(%) 商業銀行 276 47 17.0 貯蓄銀行 396 41 10.4 うち株式会社転換行 77 17 22.0 合計/平均 672 88 13.1 データ出典:FDIC 株式会社となった以上、株価を上げることが経営者としての最大の使命となる。自己 資本として増えた資金を有効に投資しないと利益率が下がり、株主からもプレッシャー を受けるたり、株価が下がって買収の対象となってしまう懸念がある。株価を上げるた めには、自己資本利益率(ROE=当期利益/自己資本)を上げる必要があるが、ROE に は、 自己資本 総資産 総資産 当期利益 = 自己資本 当期利益 × つまり「ROE=ROA×財務レバレッジ」という関係 があるため、総資産当期利益率(ROA=当期利益/総資産)を転換後も一定に保つ場合、

33 本節は、Eccles & O‘Keefe〔1995〕を参照している。

34 北東部のうち、ニューヨーク州およびニュージャージー州を除く6州

参照

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