平成15年12月1日
御首神社社務所
謹啓
師走
の
候
、皆
様方
に
お
か
れ
まし
ては愈
々
御健
勝
の
事
とお
慶び申し
上げ
ま
す
。
天皇皇后両陛下
に
おかせ
ら
れては、今年も八月十五日の終
戦記
念日に
日
本武
道館で
行
わ
れ
た、恒
例
の政
府
主
催
「
全国
戦
没者追悼式」に御臨席にな
られ、全国戦没者のご霊前
で黙祷
を捧
げられ
ま
した。
引き
続き
天
皇
陛
下
より
「ここ
に
歴史
を
顧
み
、
戦争
の
惨
禍
が
再
び
繰
り
返さ
れ
な
い
こ
とを切
に
願
い
、全
国
民
と共
に戦
陣
に
散
り戦禍に倒
れ
た人々に対し、心
から追
悼
の意を表し、世界の
平和
と我
が国
の一層
の
発展
を祈りま
す」
とのお言葉があ
りま
した。しか
し
ながら近年
国
外で
は、バリ島や
イ
ラ
クでのテ
ロ
事
件、北
朝鮮の核問
題
など、平
和
と
は程遠い現
状
で
あ
ります。
天皇陛下のお言葉の中に
も
あり
ま
す
ように、
世界中の人
々
が
こころを一つにして、真の平和が一日も早く訪れることを祈
るば
かりで
あ
り
ま
す。
又、国内では異常気象(
冷夏)
で
、
米
作が十年
ぶりの不作
に見舞
わ
れ、特
に
北
海
道・青
森
・
岩
手・
宮城の四
県が
著しい
不作
と
の
報
道
、
そ
して
九
月
二十
六日に
は
十勝
沖で
震
度
六の
地
震が発生し、北海道太平洋岸東部を中心に多大な被
害をもた
ら
し
、釧路や帯広
など
多
く
の神
社の鳥居・灯籠など
、
石造
物
倒壊の被害が続出
いたし
ま
した。被災者の方々には
心
よりお
見舞
いを申
し
上げ
ますと
共
に一
日も早
い
復興
をお祈
り
申し上
げます。
さて
、本
年も残
す
とこ
ろ
あ
と
一
ケ
月
と
な
り
ま
した
が、今
年
を振り
返
ってみます
と
、国内
外
を問
わ
ず
暗
い
事
件
の多
い年
で
あり
ました。来る
平
成
十六年は
少し
で
も
よい
年で
あ
り
たいと
懇願
いたす
次
第
で
す。
最後
になりま
した
が皆様の
ご
健
勝
と
ご多幸を祈念いたしま
して
ご
挨
拶
と
さ
せ
て
い
た
だ
き
ま
す
。
宮
司
三
浦
篤
御 首 神 社 社 報
(2)
人
間
の
身
体は
一
切
神さ
まから
授
かっ
たもので
あり
、ど
ん
な
人間に
も心と身
体
が
あり
ま
す
。
そ
の心は目には見
え
ないし、身
体
とは働き
が違い全く異質な
もので
あ
ります。身体も健康
で
あれば自由に働い
て
く
れ
ま
す
が
、ケ
ガを
して
寝込
めば
ベ
ッ
ド
か
ら下り
る
こと
も出来
な
いし、お腹をこ
わ
せ
ば美味し
いも
のも食
べ
られない。そ
んな時
で
も
心は
自由
で
す
から
、目を
閉
じ
て
世界一周をす
る空想
も
出来るし、
恋
人の
姿を
思
い
起こ
して
自
分
を
慰
めるこ
と
も出
来ます
。
心は
身体の
よ
う
に
時
間
と空間
に
し
ば
られ
る
と
い
う
ことが
な
い
。
従
っ
て心の
働
きは
自由といって
よいで
し
ょ
う
。人
間はこ
の
自由
な心と
、
不自
由な身体
で
も
って
こ
め
世を
生きて
ゆ
く訳
で
す
が
、
こ
れ
を
船
に
た
とえ
れば
、
身
体が船
で
心が舵
の
ようなも
の
で
あります。海のは
て
に
は幸福がある
としよ
う
。
そ
し
て
神さまは「
こ
の海
の向こうに幸福があ
る
。あ
なた
に船を貸してやるか
ら
上
手
に舵をとって
幸福をつかみなさい」と
い
って
おら
れ
る
よう
な気が
い
たし
ます。
心
が
自由とはいうもの
の、好きなように放任すればヒモの切れ
た
凧の
ように
ど
こ
ま
で
も
飛
ん
で
い
って
し
ま
う。
心を
自
由
に
さ
せて
お
く
と危険
で
あり
、
や
が
て
は不幸
に
なる
と
い
う不安
が
内在し
て
いるので
す。
心は自
由
なものだけ
に
この
ような
無
秩序と混乱を無限
に引き
起
こす
可能性がある訳です。しかし
反
面、理性の働
き
に
よ
っ
て
よ
い
方
向に
進んで
ゆ
く可能性も持って
いる。このように心と
いう
ものは
誠
に
複
雑で
奇
妙
な
も
ので
あ
り
ます
。
普通我
々
が意
識をする部分
を
顕
在意識
と呼び、意識し
な
い部分を
潜在
意識と
呼
んで
います
。
美味
しいも
の
が食べ
た
いと
か、
すてき
な
外国旅行がしたいという
よ
うな心の働きはす
ぐ
に
分かりますが、潜
在意識はそうはいかない。例
えば寝言のなかで、日頃
は
親
し
くして
いる
人を、
無
茶苦
茶に罵倒したりし
て
周囲の
人
間を
驚かすことが
あ
ります。目
が
醒
め
て
か
ら
本
人に
聞いて
も
全然
記憶が
無
い。
睡眠中
な
ど
、
抑制
が
ゆるん
だ
時
に
意
識の
底に隠
れ
て
い
た怒り
が
出て
き
た
も
の
で、隠さ
れた本
心
とも
理解出来ま
す
。
人
間
普
段
は、
顕在
意識
の範
囲で
社会
生活を
営
んで
いて
、
理
性で
も
っ
て
秩
序
を守る
と
か
、
倫理
・道徳が優先いたしま
す。し
か
し
、
理性
にしても道徳にしても、これらは非
常に堅苦
しいもの
です
か
ら
、
そ
れに反発しようと
する衝
動
が自
分自身の中に
生じ
て
く
る。これを
本
能
と
でも
いいま
し
ょうか。本
能
とは人間
が生き
て
ゆこう
と
する欲望
即ち
、食欲と
か性
欲
と
か
動
物一
般に共通した
欲望
で
、
道徳
或いは
善
悪以
前の原
始
的な
もので
あ
ります。
宗教
ではこの本能か
ら
生じた欲望
を
悪
の
根元
だ
と
考
え
るの
です。
特にキリスト教や
仏教
で
は
禁欲
主義をとり、
欲望をできる
だけ遠ぎ
け
よ
うとす
る
ので
す。欲
望
を本能の赴
くままに放任すれば
、人間の
世界は闘争の世界と化し、平和は失
わ
れ
て
そ
の結果、一方或いは
両
方と
も
傷
つ
き
倒
れ
て
ゆ
く
。
その
果て
に
到
達す
る
の
は
幸
福で
は
な
く
死
御 首 神 社 社 報
(3)
ちょ
っ
と
一
言
であり
破
滅
で
あ
り
ま
す
。
と
こ
ろで
、世間
一般の
人
々は
素直に
欲
望
を
肯定して
生
き
て
い
る。
欲
望
を肯
定し
、それ
を
満た
す
こ
とを求め
て生き
て
ゆく
人
間
が
実
に多
い。
お金を
儲
け
た
いと
い
う
物欲を否
定する者
はいな
い
し、
性
欲
を
否
定し
たら、この世の中は
み
な独
身者ば
かりに
なって
し
まう。食欲を
否定した
ら
健
康
な
人
は
病気になり、子供も成長が止
ま
っ
て
しま
う。
そう
します
と
、こ
の世は
欲
望の
上に成
り
立って
い
ること
に
なります。
欲
望
は
も
とも
と
自
己
中
心的
であり
、
相手
の
立
場
な
どか
ま
っ
ては
おれ
ないという傾向が
根底に
あ
ります。そし
て
次
から次へ
と湧
い
て
くる
泉の
ような
も
ので
、
い
つ
ま
で
も
無
く
な
ら
ない
ので
、
絶
え
ず
充足を
求
めな
がら満
た
され
ること
の
少な
い飢え
た
狼の
ような
も
ので
す。
現代の難病
と
いわれる「
癌
」ですが、ガンとは人間
の
体
内
に生じ
た反
乱
軍
で
あ
り
ま
す。
身体
全体
のこと
な
ど
少
しも考
え
ないで
、
自
分
だ
け
が
ど
んどん大きく
なっ
てゆ
く
の
で
全
く
困
ったもの
です。欲望に
もガンに似
た
性格があり
ま
す。
自分
ば
か
り勝
手なことを主張し
て
満
足を追い求め
、その挙げ句は身体全
体を破滅さ
せ
て
し
ま
う
。
し
か
し、
よくよ
く
考え
ると
欲
望
は
人
間がつ
く
っ
た
もので
は
ない
の
です。人間が神さまによっ
てつ
く
ら
れ、神さま
の
働きによっ
て
生き
ている以
上、欲
望
も
神
さま
の働きによるも
の
でし
ょう
。その欲
望が
絶対に幸福を保証し
な
いというの
で
あれば、神さまは欲望を人間に
与え
る筈は
な
いと
思う。
欲
望は
悪の
根
元
、
不
幸の
根
元
で
あ
るとば
か
り
は
い
え
ない
し
、
そ
の
反面欲
望
の
充
足に
むかっ
て
進
む
こ
と
によ
って
人間が成長し
、幸福
を
つか
むことも
出来
るのですから、欲望
を
一切
否定する訳ではありません
。ただそ
の中に潜む、あま
りにも自己中
心的なも
のを改める
こ
と
が
出来れば、
欲
望
が
幸福
の邪魔
を
する
こと
もな
いし、
喜
びを
生
む
こ
と
が出
来る訳で
す。
「欲
望
と
の共
存」
これは
容
易に
は達成
出
来な
い
も
の
で
すが
、しか
し自己中心の欲望を抑制
し
て、
そ
こ
から神さま
の
教えに生きてゆ
く
生
活
に
転
換し
てゆけば、禁欲
をし
なく
ても幸福
で明るい
通が
開
け
て
くる
。これ
が
信
仰
で
は
な
い
かと
思うので
す。
禰宜
上松
雅之
受付
で代理の方が「
祈
祷を受
け
たいと申し
て
おりま
す
。歩行が困
難な
為、車
椅
子
で
すがご
祈
祷で
き
ま
すで
しょ
うか」こんな
お尋ね
が
よくごぎい
ま
す。
当
神
社で
は、事
椅
子に
お乗り
に
なっ
たままで
拝殿
(祈祷
場
所)
に
上がる
こ
とは、階段
な
どの障害物があり
、付き添いの方
が
お見
えに
な
っ
ても
大変
です。従
って遥拝所(
よう
はいじ
ょ
)に
て御祈祷をお
仕え
させて
頂
いて
お
り
ま
す
。
遥
拝
所と
は、
本
殿
から
離れ
たところ
から
、
お
ろ
が
む
(
お
ま
いり
す
る)
場所のことで
あります。
当
神
社の
遥拝所は、平
成の御大典記
念事業と
し
て
、平成
二
年に
境
内参道西側に完成いたし
ま
した。以来、毎日大勢のお方がおまいり
をされ
て
いま
す
。
近年
は多
数
の
人が
こ
の遥
拝所
で
ご
祈祷をお
受け
に
な
っ
て
い
ま
す
。
又、
車で
遥
拝
所前
迄行
けま
す
の
で、降
車
が
困
難な
方
で
も、車に
お乗
りに
なった
ま
ま
で
御祈
祷を
させ
て
項
き
ま
す。
拝殿
と遥拝
所
とでは
場所こそ違いま
す
が、
御神徳は何ら変わ
りが
ごぎいません
。そのよ
うな折には
、
遠慮
なく
社務所へお
申
し出
にな
って
下
さ
い
。
権禰宜
大野
弘樹
御 首 神 社 社 報
(4)
▼西宮神社例
祭
( 相殿
) 七月
十七
日
午
後
三
時
▼末廣稲荷
神
社例祭
八月
十日
午後
三時
▼夏
越大祓
八月
十日午後三時半
前日
の
大
雨
と
はう
っ
て
変
わ
り、
太
陽
が
照
り
つけ
る
猛
暑
の
中、
多
く
の
御
参
列
を
得
て
夏
越大
祓の
神事が厳粛に
斎
行
され、日々知ら
ず
知ら
ずの
うちに
受
け
犯
し
て
いる罪
や
穢・災
厄
を払
い清
め
て
い
た
だき
ました。
引き続き
まし
て
お
祓い
所役を
先
頭に
宮司以
下祭
員・総代・一
般参列者の順に茅の
輪
をく
ぐ
り、皆
様方
が諸々の罪・穢
を
託さ
れ
ま
した
人形(
ひ
と
が
た)を忌火に
てお
焚き上
げ
致し
まし
た。
祭
事
報
告
▼長
寿祈願祭
九月
十五日午
後
四時
平
成
五年から行われて
きた長寿祈願祭も今
年
で
十
一
年目
となりま
した
が
、
宇留生地
区
の
長寿会連合
会
を中心に書
寿
以上
の方々
に
多数
御参
列し
て
項
き
ま
した。
▼神明神社例祭
十月
十七
日
午
後
三
時
▼七五三参
り
十一月
一
日
~
三十
日
七五三参
りは、
子
供が三
歳
・
五
歳・
七歳を
無事に迎えられたことを
神
様に感謝申し
上
げ、これから先の
健
や
か
な
成長を願う
も
ので
あり
ます。
そ
の昔はこの
年
齢
ま
で
無
事に成長
するということが難しい
時
代もありました。
現在
でもこの人生
儀礼は受
け
継
が
れ
、十一
月の
各週
末と
もな
ると
、
全国の
各神社は大賑
わいを見
せま
すが、当
神社
でも晴
れ
着姿
で参
拝される家族連れ
が多く、特に
十五日にはぬ
いぐるみ
と
遊
んだり、コリント
ゲ
ー
ムを楽し
む
子
供たちで
一杯で
した。
▼崇
敬会大祭
十一
月
三日
午
後
二
時
崇敬会大祭は、
御
首
の
大神様に無病息災・
生業
繁栄・
家
内安
全そして
子
孫繁栄の
御守護
を戴
く、当
神
社崇
敬会会
員のた
め
の年
一回の
大祭です。
大祭当日は全国
各
地から多くの会員の御参
列を
い
た
だ
き
、
御
出
席
の
皆
様
に
は
御
神
前
にて
一人
一人の
お
名前をご報
告
申し上げ、
最
後に
金幣申
を
奉っ
ていただ
き、
厳粛に祭典を終
え
るこ
と
が
出
来
まし
た。
▼新嘗祭
十一
月二十三日午
後三時
権禰宜
永井
雅和
当神社
で
は、毎年
大鳥居を始め拝殿・稲
荷
神社
鳥居等
に
掲げ
る注連縄を奉
製致しており
ま
す
。そ
の同
じ
藁
を
用
いま
し
て
、
神
棚
用
と
車
両用のしめ縄
を調製いたし
、皆様方
のご家庭
にも(
お
祓いし
て
)お頒
か
ち致
しま
す。
奉
製
の都合上、
数
量を
限定させ
て
頂
き
ま
す
ので
悪しか
ら
ずご
了承下
さ
い。
ご希望
の
方
は
十二
月
二
十
日
迄に
、電話
又
は
社務所に直接お申し
込
み下さい。
尚、
郵
送
ご
希
望の
方は、
郵
送料を
別
途
お
送り
下さい
正月用
しめ縄の頒布
御 首 神 社 社 報
(5)
我
が
国は
遠い苦
か
ら年の瀬の
大
晦日
には心
身
を
祓い清
め
る神
事(身楔祓・大祓等)が各
神社
に
於
いて
執り
行わ
れて
まい
りまし
た
。
こ
れ
は新
しい年を迎え
る為の
神
事
で
あり、
一
年
間
の色々な罪
や穢
れを祓い清め
て、
希望
の新
年を迎えるので
あ
り
ま
す。
そし
て夜
とも
なりま
す
と、各
ご
家庭
ではお
正月を迎え
る
準備で
慌
ただしく、注連縄
や
鏡
餅等を飾り付け、
年越そばを食べて除
夜
の鐘
の音
を聞かれることと
思います。
元旦には、先
づ
氏
神
様
に参拝し
、続い
て
恵
方に
当たる
社
寺に
参拝され、
そ
れから
レ
ジャ
ーなど楽しん
で、
正月
三ケ日を
過
ご
されるの
が一
般的な
パ
ター
ンで
は
な
いで
しょう
か
。
皆様方に
於かれ
ま
し
て
は、お
正
月に参拝さ
れる際、晴れ着・洋服
と
身
なりはそ
れぞれ違
って
いて
も
、
真新
しい服
装
で
こ
ころ
新
た
に、
今年は良い年
でありま
す
よ
うに、或いはお金
が儲
かりますよう
にと
か、家族
全員が
健
康に
暮ら
せます
よ
うにと、
人によって
置
かれて
い
る生活環境や立場
が違う
よ
うに、様々
な
願い
で
参
拝され
る
ことで
し
ょ
う
。
今や初詣は国民的
行事になっておりま
す
が
お正月休みを利
用
し
て
旅行等に出掛
けられる
予定のあ
る万も
、
先
ず
初
詣
をし
て頂
き、心身
共に新たな
生
命の甦りをお願い
さ
れ
まし
て、
無事にお正月
をお過
ご
し下さい。
ー年の初めの例
と
て
終り
な
き
世
の
め
で
た
さ
を
松竹た
て
て門
ごとに
祝う今日
こ
そ
楽しけれー
当神
社
で
は新年を迎
え
、一月元
旦午前
0
時
より
皇室の
弥
栄と
団の隆
昌
・世
界平
和・氏子
崇敬
者の繁栄とご
多幸を
お
祈りする、
元
旦祭
を斎行
致
しま
す
。
尚、お正
月中は
混
雑す
ること
が
予想
され
ま
すが、御
祈祷も
平
常通り午前九時よ
り午後
五
時頃
まで
執
り
行
な
って
お
り
ます
ので
、
是
非ご
参拝頂
き
ますようお願い申し
上
げま
す。
権禰
宜
高田
豊彦
御首神社
大幟
一対
几帳
一対
未廣
稲荷
神社
小幟
十対
以上
あり
がと
うご
ぎい
まし
た。
御
首
神社の御神徳に感謝し、
当
社を
崇敬さ
れる
方はど
な
た
で
も入
会
出
来ますの
で
、
御参
拝
の
折社務所にお
申し出下さい。尚、郵便に
て
も
受付出
来
ます
ので
、
申
し込
み用
紙を
御請
求頂ければ
、
お送りさせて頂
き
ま
す
。
一、
神前にて
入会
報
告
祭
が
執り
行わ
れ
ま
す。
一、
誕
生
日
に
は
特
別祈祷
が
行わ
れ、
神
符
が授
与さ
れます
。
一、
春の
例
大
祭、
秋の崇
敬
会大
祭には
御
案
内
申し
上
げ
、
大
祭特別
祈
祷神
符及
び
お
供
え
等が
授与さ
れ
ます
。
一、
夏越、
年
越大
祓にはご案内申し上
げ
、ご
祈祷
致しま
す
。
本年度崇敬会よりの奉納
崇敬会
入
会のご案内
初
も
う
で
会
員
の
特
典(抜
粋
)
御 首 神 社 社 報
(6)
▼年
越大祓
十二月三
十日
午後
三時
▼元旦祭
一
月一
日
午前
○時
▼左義長
一
月十
五日
午前十
時
▼浄
火祭
二
月
三
日
午前十
時
皆様が
奉
納さ
れた帽
子
や祈願絵馬
、御
祈祷
の際に御神前に
奉
っ
て
頂きました
金
幣串
や、
そ
の
ときにお
渡し致しまし
た紅白
串
を、そ
の
年
の
厄
男
達が
心願成
就
を祈願し、火炉に
てお
焚き
上
げ
す
る
神事で
す
。
この日
に
限りまし
て、ご不
要になりま
し
た
帽子等が
ご
ぎ
いました
ら
、
お焚き上げ
頂
い
て
も結
構です
の
で、
お持ち
下
さい。
▼祈
年祭
二
月
十五
日
午後
三時
五
穀
豊穣を祈ると共に、皇室
の
御隆昌と国
家の
安泰又、あ
らゆる産業の発展
と
国力の充
実を
祈願す
るお祭
りで
あります
。
▼御鍬神社例
祭
三
月
十七日
午後
三時
正式
に
は
鍬山神社
と称し
、
豊受
大神(
外
宮)
の御分霊を
お祀り
し
て
いる境内社の一年に一
度の
お祭りです。
▼例大祭
四
月
二
日
午後
三時
年に一
度
の大祭で、当日
は
献幣
使を迎
え
、
伶人・総代を始め、多
数の参拝者
で
いっぱい
にな
ります。そして
氏
子区域の
有志子
供
達に
よる
子供神
輿
の御
巡幸
や
、
打ち
磯子の
奉納が
行わ
れ、
境
内
の
特
設舞
台で
は
演
芸など
が
催
さ
れるなど、終日賑わ
い
ますの
で
是非例大祭に
多数
ご
参
拝
い
ただ
き
ま
して
、大
神様の
御
神徳
を戴い
て
下
さ
い
。
▼南宮神社例
祭
五
月
四
日
午後
三時
当神
社
の
相殿(本
殿
の
向か
って右
)
に
お
鎮
まり
になって
いる
南宮大
社
の
御
分霊の
金
山
彦
命を
お祀い
た
し
て
おります。
▼お
田植
え
祭
六
月
初
旬
境内
の御神
餞
田で新
嘗
祭に献穀
する稲
の
田
植え
を
す
る
神
事で
す
。
▼農
休み祭
六
月二十日
午後
三時
田植
え
作
業
の
後に
、
無
事
に
田植
えが終
わ
っ
た事に感謝を申し上げ、
暴風雨に遭わ
な
いよ
う又、様々
な
病害虫に侵
さ
れることな
く
、無
事に
実りの
秋
をむ
かえら
れ
ます
ようにと祈
念
するお祭りです。
権禰
宜
大島
洋紀
古来よ
り
「
大
厄
には
諸々の
災
難、
身体
の変
調
の
がれ
難し」といわれ、
年回りに当る方の
みならず御家族に
まで
も
災
禍
が
及
び
何かとままな
らぬ
こと
が多くなりま
す。
前後三
年
間に
渡り忌み慎
ま
な
け
れば
なりま
せ
ん。
御祈
祷を
受け
毎
日
を平
穏
に
過ご
しまし
ょ
う。
迎春
に
あ
た
り
、毎
年
[ 幟
] を新調致しており
ます
ので
、
ご
希
望
の
方
は
ご
一報
下
さ
い
。
男子
女子
昭和 48年
平成16年厄年に当る生れ年
前 厄 本 厄 後 厄
42歳昭和 39年
25歳
昭和 38年昭和 37年
昭和 56年 昭和 55年昭和 54年
33歳
19歳
昭和 47年昭和 46年
昭和 62年 昭和 61年昭和 60年
祭
事
案
内
御首神社「の
ぼ
り」奉納の受付
御
首
神
社
社
務
所
岐阜
県
大
垣
市
荒
尾
町
一
二
八
三の
一
TE
L
( 〇五八
四
) 九一―
三
七〇
〇
ホー
ムペー
ジ
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