07382079
包也 山
九 日日 バ FFq﹄
一 一 一 一 口 仰
野 と 中 世 人
熊 野 を 通 し て み る 中 世 民 衆 像
教科@領域教育専攻 社会系コース 木 村 光 二
〈序章〉
その時代を支え、歴史をつくってきたのは名 もなき民衆である。それ故、民衆の思いを探っ ていくことが、真の歴史を知る手がかりになる と考える。中世社会は、どの時期よりも宗教が 影響を与えていた時代であった。そこで、中世 社会の民衆が、宗教とと、う向き合っていたか、
また反対に民衆の思いに宗教がどのように応え ていたかを探ってみることを本稿の目的とした。
そこで、中世の人びとに広く認知・信仰され、
庶民信仰化していたと思われる熊野信仰を媒体 として論を進めていく。
〈第一章 ケガレ意識と熊野〉
平安期、貴族層から始まった「ケガレ」意識 が、中世社会では、時代が下るにつれ民衆へも 広がっていった。そこで、ケガレ意識を足がか りに中世の民衆を考えていくのが、第一章の目 的である。熊野がいつの頃からか「何者をも拒 まずJ と人びとに認知されていたこと、「浄不 浄を嫌わずjという熊野の開放性などから、中 世のケガレ意識と熊野という両面から中世の民 衆の精神世界を探ってみる。
( 1 )熊野の特異性
熊野が他の霊場と異なる所(特異性)を洗い 出すことによって、中世の人びとが何を求めて いたかを見いだそうとした。熊野信仰を色々な 角度から分析すると、熊野の特異性は以下の三
指導教員 大 石 雅 章
点であろうと思われる。
①「何者をも拒まずJという熊野の開放性
②熊野信仰の根本が、「死と再生Jにある。
③熊野のお札(熊野牛王宝印札)
この三点を足がかりに、中世の人びとが何を熊 野に見いだ、したかを探ってみる。
( 2
)中世社会のケガレ意識中世社会で、最も織れていると考えられてい たのは、非人である。その中でも瀬者が特に綴 れた存在として認識されていた。これは、起請 文の文面に、「今生受白瀬黒瀬重病、来世墜無 間地獄Jという記述が頻繁に見られることから も窺える。但し、中世前半では彼らに対しては、
賎視感もありながら畏怖の念・聖視感も残って いたが、中世後半(南北朝以降)は、賎視され るだ、けの存在になっていた。このケガレ意識が、
中世社会を考える上で大事な要素であり、民衆 の精神形成と繋がっていたと思われる。
( 3)
r
織れ」と熊野信仰既に院政期から熊野には、瀬者・障害者ある いは女性が訪れていたことは、貴族の日記等で 確認できる。神仏にすがる以外に救済の道がな かった彼らにとって、どこよりも開放的であっ た熊野が救いの拠り所となっていたであろうこ とは想像に難くない。それがいつ頃からか、あ るいはどういう理由からなのかは、様々な見解 がある。可能な限りその部分を追求し、分析し てみる。
氏U
っ ︐
UQd
〈第二章民衆の熊野信仰〉
( 1 )時代を映し出す熊野
「何者をも拒まずJや「浄不浄を嫌わずjと いう熊野の姿勢は、熊野が元々成立当初から内 包していたという部分もあったかもしれないが、
それを実証する史料は歴史学上残されていない (神話の部類は別にして)。いつの頃からかわ からないが、人びとにそう認知されていたので ある。これは、自然とそうなったのではなく、
時代思潮を分析し、人びとの要求を受け入れよ うとする熊野側の努力(営業努力)があったれ ばこそであろう。つまり、熊野の受け入れ姿勢 をみることは、時代が何を求めていたのかを知 る手がかりになるのではないだろうか。
( 2
)熊野聖と民衆民衆を熊野まで繍導したり、熊野のために勧 化・勧進活動をする宗教者達を熊野聖と一括り
にした。彼らの勧化・勧進活動の内容を分析す ることは、中世の人びとの願いを知ることにな ると考えた。多種多様の熊野聖から、「修験聖j
• r
念仏聖J・「熊野比丘尼Jを選び、分析した。O修験聖
彼らの熊野先達としての部分ではなく、在地 に居住し、民衆の宗教的悩みに応えた部分を重
教者である。〆その活動から、中世の女性の宗教 的欲求や思いを知ることが出来ると考える。
( 3 )勧化方法からみる熊野信仰と民衆 勧化・勧進方法(道具)から、中世民衆の精 神世界を分析した。代表として、説経(小栗判 官)、絵解き(那智参詣隻茶羅)、賦算(熊野 牛王宝印札)を取り上げた。
0
説経(小栗判官)「小栗判官Jの話を構成する主要素を分析し、
中世の人びとの思い・要求を検証する。
O
絵解き(那智参詣隻茶羅)那智参詣憂茶羅に隠された宗教的主張を見い だし、当時の民衆の死生観や考え方の分析を試 みた。
0
賦算(熊野牛王宝印札)お守りとしての要素を重視し、すべての部分 で宗教にすがる中世民衆像を見いだした。
〈終章熊野を適してみる中世民衆像〉
まとめにかえて、第一章・第二章の中世の人 びとと熊野(信仰)との関係から、具体的に見 えてくる中世民衆の精神世界や願い等を浮き彫 りにするという試みを行った。今回は、熊野信 仰との関わりから中世の人びとの内面を検証し 視した。医療行為・災厄除去・吉凶占い・加持 ‑たので、主に宗教面が中心になった。しかし、
祈祷などである。この部分を分析することで、 生活のあらゆるところで宗教が影響していた中 中世民衆の宗教に依存する姿が見えてくる。 世社会であるがゆえに、中世民衆の精神世界の
O
念仏聖 重要な部分を占めると考えている。そのような熊野の念仏聖の中核をなしていたのが時衆で 民衆の思いや願いを知ることによって、中世と あった。彼らは、賦算と説経をその勧化・勧進 いう時代性や真の歴史が見えてくるのではない 方法とした。女性に対しての開放性、非人(特 だろうか。ただし、人の内面を探るという研究 に瀬者)に対する救済を唱導し、熊野の開放性 の性格上、史料も少なく図難な点は多々あった。
を推し進めたと考えられる。 今後は、よりたくさんの史料を発掘・駆使し、
O
熊野比丘尼 さらに民衆史の研究を深めていきたいと考えて 絵解きなどから女性を主な対象とした女性宗 いる。‑327‑