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r 居上公美子

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Academic year: 2021

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「人格の完成j再考

一鈴木大拙の「実在j と f自覚jに 着 目 し て ‑

学校教育専攻 総合学習開発コース 居 上 公 美 子

1  問題の所在と研究の目的・方法

ヒトを人へと成長・発達させる目的が教育 一般にはある。だが,近代学校の成立以降,

とりわけ近年になって,その目的と教育現実 が君離し

r

学びからの逃走jなどの問題が

生じている。生きてゆく力を育むこと,今,

これが求められている。それを「生きる力J と捉えるならば,その牽引役とされたのが総 合的な学習の時間である。「生きるJとは,

生活の中で子どもが自らを創りあげてゆくこ とであり

r

生きる力j とはその過程,すな わち「人格の完成Jの過程に生じる力と解す ることができる。それゆえ,総合的な学習へ の着目は

r

人格の完成jを教育の中核に据

えることの要請である。だが,

r

人格の完成j

論議は,そもそも教育基本法制定時に既にな されていた。しかし,その内実は理想主義的 であり,現実存在としての人間の対立や矛盾 への視点は考慮、されなかった。そこで本研究 では,現実の生活を肯定的に捉え,対立や矛 盾を積極的に超えようとした禅思想に着目

r

人格の完成jの意味内容を再考する。

その際に重視し依拠したのが,鈴木大拙の 禅思想、である。その理由は,彼が二元論的な

「実在Jの認識法への固執から逃れる視座を 禅に見出していること 禅を宗教の一修行法 ではなく,自らの生き方を拓く標としたこと にあるO それゆえ,本研究によって対立や矛

指 導 教 官 山 崎 洋 子

盾を超えつつ「人格の完成Jへと向かう人間 観,動的で重層的な教育関係を意味あるもの に捉え返す視点の獲得が期待される。

本研究の目的は次の 4点に集約される。① 大拙の生涯をたどりつつ,なぜ彼が禅に二元 論的認識を超える視座があると考えたかを明 らかにし,②「人格の完成Jを禅思想、の文脈 において捉えるため 大拙のいう「実在Jの

「自覚」の枠組みと人間観を解明し,③「実 在jするあらゆる事物の意味や価値を考察し,

そこでの自己のありょう,構え,自覚の過程 を「十牛図Jによって解釈し,最後に,④「人 格の完成Jの意味内容を考察する視座とそこ に至るための総合的な学習の理論的枠組みを 提示する。なお文献としては, w一禅者の思 索

I J

(1987) , W禅と精神分析

I J

(2000) , Manual 01  Zen Budism(2003)を中心的に用いるO

2 研究の概要

第一章では,禅と大拙の生涯の特徴を描出 した。禅とは,隈想して心身を統一すること により実在のありのままの姿を洞察し,世界 の真の姿である一如性を自覚する仏教の一つ の修行法である。それが中国に伝えられ, 日 常生活全てが禅とし、う現実生活に徹底する禅 観が作られてゆく。それを作った禅を宗とす る禅宗派の人々の教旨は「不立文字,教外男Ij 伝,直指人心,見性成仏jであり,自らの体 験 に よ っ て 自 己 の 中 に あ る 宇 宙 の 創 造 の 意

p o  

HU

(2)

図,つまり「仏性」を掴み,悟りを得ようと する実践性を特徴とするD これを彼が西洋に 向かつて説いたのは 内側からの西洋の心の 理解によって,二元論的思惟のよさを認めつ つも,その限界を超える必要性を感じたから である。禅を西洋世界に説くため,彼は自ら の生活を禅で生きた。彼の語る禅は人間の問 題を考える哲学になり,そして思想となった。

この禅思想の人間観を中心に取り上げて考 察したのが第2章である。教育基本法の「人 格の完成Jには,人間の個体の尊厳ある精神 とし1う人格概念と儒教の合理的な生き方を求 める人間の完成の理念があるが,禅思想、の「人 格の完成Jにつながる人間観の枠組みを考え るためには「人間の精神j と「ことわりJが 鍵概念となる。人間の遼巡鴎賭する行為は,

人間に特有の精神の働きである「意識Jによ る。それは自己を客体化し外界の価値を取り 入れる働きである。この「意識Jは「無意識j

の創造の意図によって働いており,人間はこ れによって作られている。また「無意識Jは,

この世の「ことわりJである「天地自然の原 理J,すなわち「宇宙の創造の意図jによっ て作られている。それゆえ,両者はつながっ ており,後者のあらわれが禅でいう「自由j

であり,それが「ことわりJにかなった姿,

つまり禅思想、の「人格の完成Jを意味する。

このことは禅思想では「実在jの「自覚j

によって可能となるため,第3章ではその具 体的な意味内容を考察した。「実在Jとは,

自己以外の「実在Jとの関係,すなわち「即 非jによって「実在J として存在する,いわ ば「実在」の内面の相反する力の相克が生命 の維持と変化そのものを生むのであり,それ が「実在の真相Jである。また,その「実在」

の認識が「自覚Jであり,それは「無分別の 智慧jを働かせることで可能となるD しかし,

そのためには「主一客jの合ーが不可欠であ り,その一連の過程を描いたものが「十牛図」

である。それは,①主体の意志によって「実 在」の真の姿を求めるところから始まる。そ して,②知性によってそのおおよその位置が 示され,③感覚を働かせることによってそれ と出会う。しかし④外界とつながる「意識」

がそれを掴むことを邪魔する。そこで,⑤い つ起こるとも知れない「意識jを主体の弛ま ぬ意志で静めることにより,⑥「主一客jの 合ーがなるが,⑦主は客そのものに客は主そ のものとなり

r

主‑客」未分となる。そこ で,③宇宙の創造の意図と一体となる「空j

の状態を経て,⑨全生命の源を感じ,⑩再び 二元世界へ立ち戻ってくる。こうして,人は人 となり,質的な飛躍を遂げる。これは神秘的 な変容ではなく, 日々「我Jを捨てて生きる ことによってなるのである。

3 研究の成果と課題

本研究のオリジナリティは,これまで理想 主義的な位置に留まっていた「人格の完成」

論を大拙の説いた禅思想と「十牛図J(英語 版)~こ依って考察し再考した点にある。彼の

「十牛図Jの解説は,異なるものを内に含み つつ人となる過程を詳細に述べており,それ は理想主義に陥らない「人格の完成jへの道 である。それゆえ,近代的な学校制度におい て捨象されてきた禅思想への着目が,今後の 学校教育には求められている。なぜなら,現 実の子どもや教師は極めて矛盾を抱えた存在 であるため,大拙的にいうならば,逆説的に,

それこそ人となる可能性をもち,それらが新 しい文化を創造するカとなるからである。

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