発行:日本大学英文学会
〒156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40 日本大学英文学部英文学研究室内 Tel (03) 5317-9709 (直通) Fax (03) 5317-9336
第91号
目 次
-日本大学英文学会-
英 文 学 会 通 信 英 文 学 会 通 信
《ご挨拶》
ご挨拶-「愛」と「富」と「虚無」- ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日本大学英文学会会長 寺崎 隆行 2 英文学科主任挨拶 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日本大学文理学部英文学科主任 吉良 文孝 3
《エッセイ》
「生活と芸術-アーツ&クラフツ展」を観て ‥‥‥‥‥‥‥ 日本大学通信教育部教材課長 佐々木 健 4 四半世紀の年月を経て ‥‥‥‥‥‥‥ オークラアクトシティホテル浜松(東京支社)勤務 名倉 雅彦 5 人のこの世に生あるは、事を成す為にあり ‥‥‥‥‥‥‥ 日本大学高等学校英語科教諭 清水 陵司 6 「お遊びに終わらない小学校英語教育」を目指して ‥‥‥‥‥‥ 日本大学文理学部講師 池田 和子 7 大切にしていきたいこと-大学院生活を終えておもうこと- ‥‥ 日本大学理工学部講師 青木 啓子 9
《特 集》
私的回顧 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 金沢大学名誉教授 最上 雄文 11 英語学とわたし ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日本大学名誉教授 川島 彪秀 12
《学会賞受賞》 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 13
《特別講演会報告》
ジョウアン ・ シャトック先生特別講演会報告 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 日本大学文理学部教授 原 公章 13
《月例会報告・予定》 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 15
《新刊書案内》
新刊書案内など ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 16
《事務局・研究室だより》
退任挨拶 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 元日本大学文理学部助手B 有川 夕貴 18 退任挨拶-たからものになった四年間-‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 元日本大学文理学部副手 前田 京子 19 宜しくお願いします‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日本大学文理学部助手B 青木 明香 20 着任のご挨拶 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日本大学文理学部助手B 森尾 文恵 21 2009・2010 年度運営委員 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 21 2008年度行事報告、2009年度行事予定ほか ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 21 2007年度決算報告 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 23
新年度を迎え、会員諸兄姉にはお元気で、それぞれ の分野でご活躍のことと拝察いたします。
百年に一度といわれる経済・金融危機が今世界を 襲っています。民族や思想や宗教や文化の壁を凌駕す る形で、世界が経済と IT で同一方向を目指している 中での出来事です。この危機は 1929 年にアメリカで 始まった「世界大恐慌」と比較され、またそれを脱す る手がかりもその歴史上の教訓に半ば求められていま す。ただ歴史的には、この後すぐ世界は「第 2 次世界 大戦」を経験することになります。当面の経済危機脱 出には政策、外交といった行政上からの手立てが不可 欠なのでしょうが、人類の歴史がサインカーブのよう に繰り返してきた「繁栄」と「崩壊」のリズムの、と りわけ後者が懸念されます昨今です。
1920 年代は、S. フィッツジェラルドの言葉をかり ますと、「1919 年の不確実性は終わった。・・・アメリ カはかつてなかった程の大きな、派手な浮かれ騒ぎを するだろう」と、まさにアメリカが「繁栄」する時代 ですが、その 20 年代最後の年にアメリカ経済が「崩壊」
します。この「繁栄」と「崩壊」の関係は、今引用に 挙げた作家個人についても言えることですが、ここで は 1925 年に出版されたこの作家の、映画でもおなじ みの代表作『偉大なるギャッツビー』について考えて みたいと思います。この 25 年という年は、アメリカ 最大の自然主義作家 T. ドライサーの『アメリカの悲 劇』が出版される年でもあり、「自然主義」文学と「ロ スト・ジェネレーション」といわれる作家たちのいわ ゆる「モダニズム」文学とが迎合する年でもあります。
『アメリカの悲劇』では、主人公 C. グリフィスが立身 出世欲から自らの子供を身ごもった女工ロバータを殺 そうとボートで湖に漕ぎ出し、寸でのところで殺害を 思いとどまります。しかし弾みでボートが転覆し、ク ライドはロバータを見殺しにして逃亡します。作品後 半は、死刑判決に至るまでの裁判過程が、アメリカ社 会の矛盾と力学を浮き彫りにする形で描かれます。我 が子の無実を信じて奔走するグリフィス夫人に、とり わけアメリカの母親像を見る作品でもありますが、こ の作品が社会の犠牲になっていく主人公の悲劇が作家 の視点から描かれるのに対して、『偉大なるギャッツ
ビー』は語り手ニックの視点を通して、ギャッツビー への見方が「最も軽蔑する」人物から「偉大なる」人 物への転換が語られる作品です。ギャッツビーの中に
「緑色の光」で象徴される「希望を見出す非凡な才能」
としての ‘romantic readiness’ をニックは見ることに
なります。
『アメリカの悲劇』が時間系列の中にクライドの社 会に翻弄される悲劇が語られるのに対して、『偉大な るギャッツビー』は立身出世を東部ニューヨークに 求めて、エリート証券マンとして船出したニックが、
ギャッツビー体験を通して、トムやデイジィーが体現 する退廃した現実世界の実相を知り、中西部に戻って から、ニューヨークでの体験を語り直すという、ニッ クの意識に封じられた時間の中で語られます。ギャッ ツビーはデイジィーという夢の対象を振り向かせるた めにのみ豪華なパーティーを開きますが、パーティー には外灯に群がる「蛾」のように連日大勢の客が押し 寄せ、彼が持つ巨万の富に群がります。華やかなパー ティーが引けたあと、一人残るギャッツビーが醸し出 す「孤独」の描写は絶妙です。作品後半はギャッツ ビーの富に傾きかけたデイジーの運転する車が、皮肉 にも夫トムの愛人マートルを轢き殺します。そしてふ たりはその罪をギャッツビーに被せて、身を隠します。
ギャッツビーはマートルの夫ウィルソンに射殺され、
屍をプールに浮かべますが、その描写は、「虚無」を 背後にして生と死が逆転するように描かれます。「死 者」が「生者」に、「生者」が「死者」に取って代わ ります。葬儀はパーティーに群がった客は勿論誰一 人列席せず、田舎から出てきたギャッツビーの父親と ニックとほんの数人で行われます。
ニ ッ ク が ギ ャ ッ ツ ビ ー の 中 に 見 る ‘romantic
readiness’ とはどのような精神性でしょうか。トムや
デイジィーやパーティーに群がる客が体現しますよう に、現実は虚偽や醜悪さや裏切りや誹謗・中傷に満ち 溢れています。ギャッツビーの夢の対象としてのデイ ジィーとその実態には無限の乖離があります。しかし その現実を抜きにしては夢の実現はありえません。読 者が驚異しますのは、現実がいかにあろうと、その現 実を一身に引き受けて、言い訳も口実も一切持たず、
ある意味で喜んで命を賭けうるギャッツビーの「ロマ ンティックな覚悟」にあるのではないでしょうか。こ のような「覚悟」に、作家は「希望を見出す非凡な才 能」「偉大な」を託します。現実の経済・金融状況が いかにあろうと、この 「 覚悟 」 の持続こそが私たちの 時代に肝要なのではないでしょうか。
会員の皆様のご健康とご検討をお祈りいたします。
《ご挨拶》
ご挨拶
-「愛」と「富」と「虚無」-
日本大学英文学会会長 寺崎 隆行
《ご挨拶》
当初この 4 月より英文学科主任に就任予定であった 松山幹秀先生が体調を崩され、急遽、5 月よりその任 を引き継ぐことになりました吉良です。身に余る職責 ではありますが、会員の皆様のご協力をいただき、
この重責を果たすことができればと考えております。
何卒よろしくお願い申し上げます。
さて、本年度は新たに学部新入学生 152 名、大学院 新入生 6 名を迎え、前年度主任であった保坂道雄先生 の(松山先生に代わる1か月間の)主任代行のもと、
何とか新年度のスタートをきることができました。
わが英文学科を選択する受験生の数も、昨年度は大幅 に増加し(本年度は昨年度に比して微減となったもの の)、ほんの少し安心して見ていられる受験者数の安 定推移を示しています。少子化による大学全入時代の 今、地方のみならず、都市部でも多くの大学がその存 亡の危機に直面するなか、日本大学文理学部英文学科 が高く評価されつつあることの表われであると教員 およびスタッフ一同心より嬉しく思っております。
と同時に、新入学生ならびに在校生の期待に応えるべ く、その責任の重さを痛感しております。一方、大学 院の入学者は、前期課程 4 名、後期課程 2 名と、例年 の入学者数に比べると若干少ないものではあります が、いずれの入学者もその目的意識が高く今後が期待 されます。私などの院生時代に比べ、ここ数年の院生 を見ますと、月例会など学内での発表の質も高く、ま た学外でも立派な発表をし、目をみはるものがありま す。授業を通して垣間見られる先輩から後輩への愛情 溢れる叱咤激励や白熱した議論などは頼もしい限りで、
確実に次の世代が育っています。
本年度は英文学科の教員・スタッフに若干の異動が ありました。助手として縁の下の力持ち役を務められ た前島洋平さんが(学組新制度移行に伴い)助教とな り、授業を担当するかたわら、研究補助(かつての 助手)の仕事もするという、いわゆる二足のわらじ で英文学科に尽力いただくことになりました。また、
長らく副手として英文学科を支えて頂いた前田京子さ んと、同じく副手(正式には助手B)として昨年 4 月 から 1 年間お世話になった有川夕貴さんが退任されま した。お二人のご尽力にはこの場を借りまして感謝申 し上げます。後任の新任助手Bとして、この3月に英 文学科を卒業した青木明香さんと森尾文恵さんを迎え ました。着任早々、他のスタッフと共に、ガイダンス
および授業始めで忙しい 4 月には、学生の対応に追わ れ、休みも返上して毎日夜 8 時、9 時まで配付資料の 作成や事務整理に奮闘いただきました。こうしたス タッフの学科ならびに日本大学英文学会を支える努力 に、教員一同、本当に感謝しています。
さて、英文学科では、来年度(22 年度)のカリキュラ ム改訂に向けて、少人数のワーキンググループが編成さ れ、真に教育効果が上がるカリキュラム作成のためのい ろいろな議論がなされてきました。新しい時代に向けて の学生のニーズに応えるべく、そして、英文学科で(の 専門科目を)学んだという証が得られるようなカリキュ ラムの再検討をしてまいりました。その結果、(英文学 科の専門科目だけに限って言えば)大きく 2 つの能力の 涵養を目指したものとなりました。身につけさせるべく その 2 つの能力とは、コミュニケーション能力と、(しっ かりと読み、書くための)英語の基礎学力です。
コミュニケーション能力の涵養のためには、少人数 のクラス編成や個々の習熟度に見合ったきめ細かな指 導が求められることは言うまでもありませんが、真の コミュニケーション能力(私は、これを「人間力」と 呼んでいます)を身につけさせるための授業内容を学 生たちに提供しなければなりません。たとえば、日本 語で話して魅力のない人間は、それをそっくり英語に して話してみても、まず間違いなく、魅力のない人間 でしょう。この理屈は極めて単純明快なものですが、
そういった「真のコミュニケーション能力とは何か」
を学生たちに考えさせられるような授業を期待してい ます。また、ご存知のとおり、次期改訂の高等学校学 習指導要領では、「英語の授業は英語で。」が謳われて いますが、それに対応すべく教職コース科目に関連し た授業科目の充実もはかっております。
もう 1 つの能力、つまり、基礎学力についてですが、
昨今の学生たちの、読み、書くための英語基礎学力の 欠如は問題です。これは、多くの専門家たちが分析す るように、いわゆる‘ゆとり教育’がその遠因の一つ でしょう。ゆとり教育世代が初めて入学し、私がまだ 一年生の担任をしていた頃の話ですが、授業中に一人 の女子学生が、「先生、筆記体は書かないでください。」 というのです。なぜかと問うと、「読めないからです。」 という返事が返ってきました。そこで、他にも同じよ うな要望を持っている学生がいるのではないかと尋ね てみると、5、6 人の学生が手を挙げたのです。これ には驚きました。これは、ゆとり教育の名のもとに 教育内容の厳選が行なわれた結果です。筆記体が読め ない、書けないということが基礎学力の欠如とは直接 関係はないかもしれませんが、しかし、一事が万事で す。英語基礎学力の充実をはからなければなりません。
英文学科主任挨拶
日本大学文理学部英文学科主任 吉良 文孝
今年は昨年より 10 日ほど早く春一番が吹いた。梅 の花が馨しい日差し暖かな2月の休日を利用して、久 し振りに上野公園に行ってみた。目当ては東京都美術 館で開催されている「生活と芸術 - アーツ&クラフツ 展」である。本企画は、19 世紀後半にイギリスで興っ たデザイン運動「アーツ&クラフツ」の広がりを、イ ギリス、ヨーロッパ、そして民芸運動が花開いた日本 の美しい工芸作品等から辿るものである。約 280 点の 展示品は、東京都美術館とロンドンのサウスケンジン トンにあるヴィクトリア&アルバート美術館(以下V
&Aと表記)の共同企画により、V&Aと日本国内の 美術館等から集められた。
以前から「アーツ&クラフツ」を牽引した中心人 物が装飾芸術家、詩人、小説家、思想家、出版業者 及 び 社 会 主 義 運 動 家 等 の 幾 つ も の 顔 を 持 ち、19 世 紀のイギリスで最も博学多才な人物で、「近代デザ インの父」と称されるウイリアム・モリス(William Morris,1834-1896, 以下モリスと表記)であったこと は知っていたが、私が何よりも今回の展覧会に興味を 持つきっかけとなったのは、数年前に約 130 年前に制 作された1枚の美しいアンティークタイルのオリジナ ルを購入したことにある。そのタイルの制作者は、モ リスの同志として当時のイギリスの装飾美術界をリー ドし、特に陶器やタイルの制作において傑出した才 能を発揮したウイリアム・ド・モーガン(William de Morgan,1839-1917, 以下ド・モーガンと表記)であった。
一昨年の9月に、大学からの命を受けて、イギリス の高等教育及び文化事情についての視察・研修を行う ためにイギリス各地を訪問する機会に恵まれ、この研 修の終盤に一週間程ロンドンに滞在した際にも、ナ ショナル・ギャラリー、テート・ブリテン、テート・
モダン及びⅤ&A等の主要な美術館や博物館を巡るこ とができた。その中でもⅤ&Aが所有する膨大な量の コレクションに圧倒されたことや、同美術館で数多く のモリスの作品に出会えた時の感銘を今でも忘れるこ とはできない。その意味でも、今回日本で開催された 展覧会は、私にとって約一年半振りのモリスの作品と の再会の場であったばかりでなく、「アーツ&クラフ
《エッセイ》
《エッセイ》
「生活と芸術 - アーツ&クラフツ展」
を観て
―ウイリアム・モリスについて考える―
日本大学通信教育部教材課長 佐々木 健
‘基礎力なくして応用力なし’です。そのため、これ まで 2 年次のみに配していた「英文法」に加え、1 年 次に「英文法基礎」(仮称)を必修科目として置きま した。ここでは、しっかりとした読み、書きに通ずる 基礎的な文法知識をみっちりと教え込もうというわけ です。「英文法基礎」で学んだ内容がコミュニケーショ ン能力の養成にも直結するものであると考えます。
また、基礎学力の充実ということに付言するならば、
1 年次必修科目の「英語基礎演習」では、徹底した英 語読解力の涵養をはかります。近頃、随分と活字離れ が進んでいますが、英文学科の学生もご他聞に漏れな いようです。授業を通して学生たちの英語読解力のな さを痛感することしきりです。しかし、言うまでもな く、英語読解力の欠如は、その実、日本語力の欠如に 起因するものなのです。「英語を読む」とはいったい どういうことなのかを実感させるような授業を学生に 提供しなければなりません。世間一般で何かと批判の 多い訳読主義を擁護して、平泉・渡部論争のなかで 渡部昇一氏(『英語教育大論争』文芸春秋)が力説した、
「母語である日本語との格闘」に根ざした授業が英語 基礎演習でも期待されるところです。
さて、英文学科の学生に対していささか苦言を呈し た感がありますが、そんなマイナス面ばかりではあり ません。現在、文理学部では、玉川大学通信教育部と の間に「小学校教員養成特別プログラム」に関する協 定を結んでおり、卒業と同時に小学校教諭 2 種免許状 取得の機会が与えられています。このプログラムを生 かし、中学・高校のみならず、小学校の教壇に立つ英 文学科卒業生も何人もいます(そう言えば、このプロ グラムではありませんが、この 3 月で退任された有川 夕貴さんも、自ら小学校教諭への活路を見出し、在学 中に教員免許状を取得して地元茨城の教職に就いた積 極的な学生の一人でした)。また、昨年度より、大学 院課程の先取り履修が可能となり(大学院進学後、そ の履修科目の単位が認定されます)、昨年に引き続き、
今年度も数名の熱心な英文学科学部 4 年生が大学院の 授業を先取り履修し、学部の授業に、あるいは大学院 の授業にと奮闘しています。
以上ここ数年間の英文学科の様子を申し述べました が、これまでの永きにわたる英文学科の伝統に裏打ち された活気溢れる今日の英文学科の姿があるのも、ひ とえに日本大学英文学会会員の皆様のご理解とご協力 の賜物であると心より感謝申し上げます。これまで以 上に英文学科を盛り上げ、その輝かしい未来を築くた め、現スタッフは全力を尽くす所存ではありますが、
それと同時に、会員の皆様の一層のご協力を切にお願 いする次第です。
ツ運動」を先導した彼の同志であったロセッティ、バー ン=ジョーンズ、ド・モーガンらをはじめとして、多 くの芸術家達の作品を一同に鑑賞することができる興 味深い企画でもあった。
そもそも「アーツ&クラフツ」のイデオロギーの 柱石となったのは、ジョン・ラスキン(John Ruskin, 1819-1900, 以下ラスキンと表記)が唱えた労働や手 工芸に対する思想と言われている。彼は中世の工芸 職人が置かれた労働状況の方が、当時のイギリス産 業社会の中で機械化されていた労働状況よりもはる かに健全であったと考え、機械よりも人間の手によ る仕事の重要性を説いた。このラスキンの思想に強 く影響を受けたモリスは、ラスキンが擁護していた ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti,1828-1882)らラファエロ前派の芸術家と交 流を深めながら、当時イギリス社会で支配的であった 機械第一主義の考えや工業化が進む中で奴隷化されて いる労働者の状況を憂いた。さらに、彼は大量生産に よって生み出される製品の粗悪さや醜悪さを非難する とともに、中世の手工芸に芸術本来の姿を求め、手に よって作られるデザインを発展させようと考えた。
つまり、モリスは中世のギルド的な社会を理想とし、
職人の手による伝統的技法を復活させ、中世にあった 人間同士や自然との調和の復活を願うと同時に、生活 を形づくる日常性の中に芸術を引き込もうと考えたの である。こうした理念・思想がモリス自身を「アーツ&
クラフツ」の旗頭とならしめることになったと言えよう。
モリスは、1861 年に「モリス・マーシャル・フォー クナー商会」を設立し、彼自身の説いた芸術理念を実 現するために、以後装飾デザイナーとしてのみなら ず、作家としても遺憾なく才能を発揮して活発な活動 を続けるが、晩年は「理想の書物」を制作するため に、ロンドンの西郊ハマースミスにある自宅近くに 私家版印刷所「ケルムスコット・プレス」(Kelmscott Press,1891-1898)を設立する。
同印刷所は、8年間に 53 書目 66 巻を刊行したが、
その中でも 1896 年、モリスが亡くなる3か月前に完 成した『ジェフリー・チョーサー作品集』(The Works of Geoffrey Chaucer, 1896)は、彼がオックスフォード 大学に在学していた頃からの親友であった画家のエ ドワード・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones,1833-1898)との共同制作によるもので ある。この作品は、モリスが同印刷所で制作した書物 の中でも最高傑作として名高く、活版印刷術の完成以 来、世界で最も美しい本と称されている。残念ながら、
本展覧会では、この『ジェフリー・チョーサー作品集』
は展示されなかったが、モリスがデザインした本作品
二十六年ぶりに母校の門をくぐった。
今回このような機会ができたのは、在学中からの旧 友である佐々木健氏(現日本大学通信教育部教材課長)
の一本の電話からだった。「今度(十二月十三日)英 文学会の研究発表が母校であるので、時間があったら 気軽に来ないか」というものだった。最初は、私のよ うに既に英文学から随分遠ざかってしまった人間が参 加するにはあまりにも場違いではないかとの思いから 躊躇したが、恩師の先生(中島邦男先生)や同級生(保 坂道雄先生)も来るからというので思い切って懇親会 に出席することに決めた。
当日、下高井戸の駅に降り立つと、その変わりよう に目を見張った。二十余年の月日が流れたことを改め て実感した。校舎への一本道を歩いていくと街並みも 大きく変わり、友人たちとよく利用していた小さな食 集の最初の物語『騎士の物語』の冒頭を飾る装飾頭文 字“W (Whilom)”のデザイン原画とその試し刷りを 見ることができた。まさにモリスが長年実践してき た芸術理念の集大成とも言うべき美しい書物の何点か を、今回直接目にすることができたのは幸運であった。
最後に、モリスは「中世の彩飾写本についての若干 の考察」という断章の中で印象的な言葉を述べている ので紹介したい。
「<芸術>の最も重要な産物でありかつ最も望まれ るべきものは何かと問われたならば、私は<美しい家>
と答えよう。さらに、その次に重要な産物、その次に 望まれるべきものは何かと問われたならば、<美しい 書物>と答えよう。自尊心を保ちつつ、快適な状態で、
よき家とよき書物を享受することは、すべての人間社 会がいま懸命に求めていくべき喜ばしい目標であるよ うに私には思える」(川端康雄訳)
モリスの死後 110 年を経た今でも、彼が創り出した 美しいデザインは人々を魅了してやまない。理想の社 会の実現を目指しながら、終生日常生活に根ざした美 を追求し、努力し続けたモリス。彼の残した業績は、
後世の世代に大きな影響を与え、モダンデザインの道 を切り開いた。大量消費社会と言われて久しい今日、
再び彼の残した足跡を振り返ることは、私たちにとっ て意味深いことなのかもしれない。
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四半世紀の年月を経て
オークラアクトシティホテル浜松 東日本統括支配人兼東京営業所長 名倉 雅彦
平成 20 年9月 30 日と 10 月 22 日。私にとって人生 で忘れることのない日となった。両日ともに教員採用 試験の合格通知が届いた日である。
思えばこの日まで長い道のりだった。教師になろう と決意した 14 歳の時から 15 年余り。中学生の頃は野 球部の練習に明け暮れ勉強はそっちのけ…。高校生の 頃は硬式野球部の練習とバンド活動に熱中し勉強は そっちのけ…。気づけば大学受験には失敗、それまで の悪行三昧がたたって、高校を卒業する時に両親から は「もう勝手にしなさい!」と突き放され…。大学に 行って教師を目指したいことを両親に頭を下げてお願 いし、「予備校には行かず、朝6時から昼 12 時までア ルバイト、その後図書館に行って勉強。参考書、模擬 試験、受験料など受験にかかる必要経費はアルバイト 代から捻出する。」という条件で浪人することを許し てもらい、なんとか大学に合格。しかし大学では友人 との遊びやバンド活動に熱中し、単位不認定を繰り返 しながらなんとか卒業…。その後大学の紹介で非常勤 講師として働き始めたが、自分の教科の能力の低さか ら失敗ばかり…。
非常勤講師として働き始めてから、がむしゃらに勉 強し始めた。非常勤講師とはいえ、夢だった教師にな ることができたからである。実際に教壇に立ち、生徒 の成長を見ながら仕事ができることが楽しくて仕方が なかった。教科の能力が本当に低かったため、授業の 準備にはかなりの時間と労力を必要としたが、それで も時間をいとわず懸命に仕事をした。がんばって教え たことが生徒に伝わった時、生徒の悩みを取り除くこ とができたり共有することができた時は嬉しくて仕方 がなかった。卒業した生徒が会いに来てくれたときは 涙が出るほど感動した。そこから少しずつではあるが め上げたことを思い出す。
今はホテルマンとして海外のお客様と応対する機会 もあり、その頃の研究が少なからず生かされていると 感じることもある。
最後に、今回この様な場を与えてくれた友人と日本 大学英文学会に感謝すると共に、母校の益々の発展を 祈念し、私自身「日大人」としての誇りを持ち続けて いきたいと思う。
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人のこの世に生あるは、
事を成す為にあり
日本大学高等学校英語科教諭 清水 陵司 堂もなくなっていた。何か寂しいような懐かしいよ
うな気持ちが交錯する中、周りの風景をゆっくり楽 しみながらとうとう母校の正門に辿り着いた。当時 の面影を残していたのは本部棟と旧英文科の研究棟 くらいであった。構内に足を踏み入れると学生時代 の四年間の思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡っ た。
専攻の英語学、英文法、音声学、英米文学、フラ ンス語のほか、一般教養の心理学、政治学や、教員 になるために必要な教育原理、教育基本法などの教 科を学んだこと。講義後、よく友人達と行きつけの 喫茶店で授業のこと、将来のことをいつまでも語り 合ったこと。今になって思うと、その頃はとても充 実した時間がゆっくりと流れていたように思える。
そんな中でもシェークスピアとの出会いが、私に とって大きな影響を与えた。多感な年頃であったせ いか、その頃の私は様々なことに興味を持ち、考え、
触れることで自分を見い出そうとしていたのかもし れない。あの有名なハムレットの独白「To be or not to be, that is the question.」そのものだったのだろう。
授業の中で読んだ「ロミオとジュリエット」のロミオ がジュリエットに告白するシーンを夢中で暗唱した こと、大学から頂いた奨学金で小田島氏訳の「シェー クスピア全集」を購入し片っ端から読み漁ったこと、
NHK が当時放送していた BBC のシェークスピア作品を 食い入るように見たこと、俳優座や文学座が上演し た「ハムレット」や「ヴェニスの商人」を友人と見 に行ったことなど、まるでシェークスピアおたくそ のものでもあった。人生の格言あり、社会的風刺や 皮肉あり、人間の愛おしさ、醜さ、強さ、弱さなど、
ありとあらゆるものが散りばめられており、何度読 んでもその度に新鮮な驚きを感じたことを今でも覚 えている。
こんなシェークスピア好きから、人と人との生き た言葉のやりとりや表情、仕草に興味を持ち、卒業 論文ではまだ当時ほとんどの学生が扱ったことの な い「 異 文 化 間 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン ―Intercultural communication」 に テ ー マ を 絞 っ た。 そ の 題 材 に 決 めたのはテネシーウィリアムズの「Cat on a hot tin
roof」。映画の中に出てくるポールニューマンとエリ
ザベステイラー扮する主人公たちのやりとりを見な がら、日本人とアメリカ人のBody Languageの違い、
Eye Contactの特徴や感情の表現方法について比較研
究した。家庭用ビデオデッキはまだ希少で大変高価 だったため、たまたま持っていた友人から一定期間 借りて、小遣いで買った映画のビデオを見ながら何 度も何度も一時停止や巻き戻しをしながら論文を纏
結果が出始めた。教員採用試験も1次試験を突破す ることができるようになっていった。周りの先生方も 少しずつ仕事を任せてくれるようになっていった。26 歳の時には結婚し、2年後には子どもが生まれた。あ とは専任教員となって、たくさんの生徒とかかわるこ とができれば人生は最高だ!と思い始めた。
しかし、やはり人生はそんなに甘くない。毎年教員 採用試験を受けていたが、1次試験を突破しても2次 試験で、2次試験を突破しても最終面接で落とされて しまう。6年間の受験のうち何度か最終面接までいっ たが、採用されない。周りの非常勤の先生が教員採用 試験に合格し、どんどんいなくなっていくたびに悔し くて寂しくて仕方がなかった。自分は教師に向いてい ないのではないか、もうあきらめざるを得ないのでは ないかと何度も考えた。家庭を持っている以上、この まま非常勤講師では生活していけない。預金通帳と新 聞の求人欄を毎日眺める時もあった。
そんなある日、妻と部屋を掃除していると、ある本が 見つかった。「竜馬がゆく(司馬遼太郎著)」である。
大学浪人の頃に人生で初めて買った本で、少なくとも 10 回以上は読み返した本である。そこには忘れかけ ていた自分の信念があった。
「人のこの世に生あるは、事を成す為にあり」
江戸幕末の志士坂本竜馬が、目標を達成することの 大切さを海援隊員に話したときの言葉で、私の座右の 銘である。妻は「あなたは教師しかできないよ。他の 仕事をすることになったら、絶対に死ぬまで後悔する。
家のことは大丈夫。受かるまでやり続けなさい。」と 言ってくれた。28 歳の冬。涙が止まらなかった。
ここから再び猛勉強が始まった。子供がまだ小さい ので、早めに家に帰らなければならない。そのため朝 は早めに出勤し、できるだけ早い時間に仕事を終わら せる。仕事が終わった後は必ず2時間学校で勉強。夕 方6時頃には家に帰り、子供が寝ている隙を狙ってま た勉強。今思えば、まるで大学浪人の頃にやっていた
「朝6時から昼 12 時までアルバイト、その後図書館に 行って勉強。」という決まったスケジュールで毎日過 ごすようになっていた(家事は妻にまかせっきりに なってしまったが…)。
そして平成 20 年9月 30 日。神奈川県公立高校教員 採用試験の結果発表。ホームページで自分の受験番号 を探した。合格していた。にわかには信じられず、コ ンピューターを再起動してホームページを再確認する という作業を2度3度繰り返した。何度見ても、間違 いなく自分の受験番号がある。今までのことが走馬灯 のように頭の中をグルグルと回った。父に電話し報告 すると、受話器の向こうで母が泣いているのが聞こえ
てきた。
その約1ヵ月後、平成 20 年 10 月 22 日。日本大学 付属校の教員採用試験の通知がきた。仕事を早めに済 ませ帰宅し、震える手で封筒を開けた。すると1枚の 紙に、
採用高等学校名 日本大学高等学校
と書いてあった。なんと、今まで勤めてきた学校に採 用が内定したのである。この時もにわかに信じること ができず、通知を裏返しては見直す作業を数回繰り返 した。翌日から、校長先生や教頭先生、周りの先生方 や大学でお世話になった先生に報告した。すべての先 生が喜んでくれた。15 年越しの夢が叶った瞬間だった。
これからは専任教員としてクラス運営や校務分掌 等、非常勤講師のときには見えなかったたくさんの仕 事が待っている。不安はもちろんある。しかし、今ま で自分がやってきたことを活かし、先輩の先生方から たくさんのことを教えていただき、一生懸命やりたい。
そして、夢や目標を持ち、そのために努力ができる生 徒を育てていきたい。すべては生徒のために。応援し てくれたすべての人たちのために。
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「お遊びに終わらない小学校 英語教育」を目指して
日本大学文理学部講師 池田 紅玉 ( 和子 ) 文部科学省では、平成 20 年3月に小学校学習指導 要領の改訂を告示し、平成 23 年度から新学習指導要 領のもと、小学校5・6年生で週1コマ「外国語活動」
(英語教育)を必修化し、そろばん指導に関しては、3・
4年生の2学年で現在より時間数を増やし、そろばん を使った足し算、引き算を定着させると発表した。
私は東京都文京区茗荷谷にある筑波大学附属小学校 の1学級(生徒数は1クラス 40 人。小学2年生でス タートし、3年生の終わりまで。)で、2007 年4月か ら 2009 年3月まで2年間、原則として週1回1コマ
(1コマ/ 40 分間)、計 60 回ほど「英文暗誦&バイリ ンガルそろばん」の授業をおこない、今年3月に保護 者対象の「おさらい会」を最後に、研究授業を無事終 了することができた。
長年大学の教壇に立っている者としては、対象が まったく異なる小学校低学年生に対して行った2年間 の英語教育の経験は、何にもかえがたいものになった。
予想をはるかに越えた生徒の熱中ぶり、大きな声で
についているルビのような感覚で導入した場合の教 育効果をみる。英語を聞いているだけで正しい発音 が自然にできるようになるというのが、真実である かどうかを検証する。
6.親子で取り組む家庭での復習(宿題)を課すこと で、親子間の対話の量を増やし、親子で一緒に学び 合い、成長する意義や楽しさを伝える。
筑波大学附属小学校 2部3年
英語の暗誦+ 「バイリンガルそろばん」
“おさらい会& Show,Show,Show”
2009 年3月6日(金曜日 13:30 ~ 15:00)
【プログラム】
(5時間目 13:30 ~ 14:10)
1.英語で挨拶
2.40 Apples(40 個のリンゴたち)
40 人の入場(全員)
3.英詩の暗誦 Apples, Peaches…
(誕生月を教えてね) ソロ +(全員)
4.12Months a Year (12 ヶ月の歌)(全員)
【数が出てくる英詩の暗誦】
5.One Potato, …
(おいもがたくさん) ソロ +(全員)
6.1,2,3,4 Mary at the Cottage Door,…
(1,2,3,4 メリーさんが戸口にいるよ)
ソロ+(全員)
7.1,2 Buckle My Shoe, … (1,2 靴をとめて) ソロ 8.2,4,6,8 Meet Me
(2,4,6,8 庭の門で会いましょう) ソロ 9.1,2,3,4,5 I Caught a Fish Alive
(1,2,3,4,5 生きてる魚をつかまえた) ソロ 10.One for Sorrow
( 1は悲しみ、2は喜び ) 生徒 ( 7人 )
【英詩の暗誦】
11.I Took a Trip ( 世界を旅する詩 ) 生徒 (12 人 ) 12.Rain( 雨 ) ソロ+ ( 全員 )
13.The Wind( 風 ) ソロ+ ( 全員 )
14.Roses Are Red ( バラは赤い ) ソロ+ ( 全員 ) 15.Five Little Monkeys
( 5匹のいたずらお猿さん ) 生徒 ( 7人 ) 16.Five Little Monkeys の歌 ( 全員 )
嬉々として日本語と英語でスラスラ長文をも暗誦する 姿、英語のリズムと発音の素晴らしさに、私は毎時間 感動し、「我が意を得たり!」と思うことも多かった。
小学校英語の常識と言われていることが、必ずしも常 識ではないことを、研究授業の中から発見することも 多々あった。
原稿用紙数枚のこのエッセイの中で全てを語り尽す ことは不可能である。早い時期に、私自身の感覚と感 動が失せる前に、この2年間の研究活動についての報 告をまとめなければならないと感じている。ここでは、
最初に設定した研究の目的をご紹介し、最後に「おさ らい会」のプログラムを参考までに添付しておいた。
指導法の実際、生徒の様子や反応、生徒の英語の発音 などにご興味を持たれた方は、授業や「おさらい会」
の記録 DVD もあるので、池田にご連絡ください。
小学校で行う英語教育が中学英語やその後の英語学 習に影響を与えることは言うまでもない。小学校英語 は独立して完成するものではなく、延長線上に中学英 語、高校英語~があることを忘れてはならない。それ を忘れての議論や意見交換は意味がない。
教育を語る際、机上の空論で終わらせないために教 師は何をなすべきか?一生問い続けていきたい。
【最初に設定した、研究授業の目的】
1.池田が長年の研究や経験をもとに、「 気休め 」 や
「お遊び」に終わらない小学校英語教育を実践しな がら、指導法を模索し確立する。英語教育が専門で はない日本人の小学校の先生(担任)や授業設計を 専門としない ALT にも、自信を持って教えることの できる方法や教材を提示すべく、実際の授業で試し ながら、それらを日々見直し改良する。またその結 果を公表することで、他の小学校や教育界に、議論 の材料を提供する。
2.「英文暗誦&バイリンガルそろばん」導入が、「英 語教育」という狭い枠を超え、算数、国語、日本の 伝統文化理解、国際理解、情操教育、コミュニケー ション能力、運動能力(手先の器用さや敏捷性が養 われるなど)を伸ばす可能性を含んでいることを示す。
3.生徒の可能性と能力を信じて、具体的かつ高い到 達目標レベルを設定し、「努力すれば高い目標にも 到達できるのだ」という成功体験を生徒に与え、根 気強く頑張ることの尊さを伝える。
4.日本語にはない音声体系を持つ英語を聞き、真似 ることで、生徒に母国語以外の発音やリズムを体験 させ、言葉自体を学ぶ楽しさや奥深さに気づかせる。
5.英語の文字を読むことができない児童に発音を教 える方法として、近似カナ「魔法のカナ」を、漢字
【40 個のことわざの暗誦:日本語&英語】
17.「バイリンガルことわざ伝票」をめくりながら、
ことわざの復習 ( 全員 )
18.ことわざを日本語と英語で各自発表 ( 全員 )
★★★★★★ 休憩 ★★★★★★
( 6時間目 14:20 ~ 15:00)
【バイリンガルそろばん】
19.Yellow Beads, Blue Beads…
歌 ( 6色そろばん ) ( 6人 ) 20.I Like Soroban
( そろばん大好き ) 歌と振り付け ( 全員 ) 21.Soroban Fingers
( そろばんフィンガー ) 歌と振り付け ( 全員 ) 22.歌 そろばんチャチャチャ 歌と振り付け 23.そろばんフラッシュカード
24.楽々おつりの計算のコツ ( 大そろばんを使う ) 25.1 桁~6桁の英語による計算 ( 全員 )
( 英語で問題を読み上げる生徒 ) ( 6人 ) 26. C D に よ る「 バ イ リ ン ガ ル そ ろ ば ん 」 問 題 1,2,3,4、5桁 ( 全員 )
27.人間そろばん ( 全員 )
【歌】
28.歌 英訳版の「さくら」 ( 全員 )
29.歌詞の暗誦 Thank you.( ありがとう ) ソロ 30.歌 Thank you. ( ありがとう ) ( 全員 ) 31.英語で御礼のスピーチ
だ時期の数々の切り抜き。何年も前の「want to do リ スト」。そのほとんどの内容が、今は生活の一部となり、
そうあることが当たり前になっている。自分自身を見 つめ直す意味も込めて、そんな言葉や想いたちから、
いま思う「わたしが大切にしていきたいこと」をここ に記したい。
『本を読むこと』
ひたすら「受信」に努めることに専念できる時間。
大学院生活には時間があった。これは大変に幸せなこ とである。思索や感性をつくっていくのは多くの「受 信(読書)」であるし、「受信」し続けたからこそ「発 信」することができる。様々なジャンルの、優しい本 から専門書までを手にとり、色々な世界を旅した。ど んなに難しく感じる内容でも、吉田松陰の「読書百遍、
意 自ずから通ず」という言葉を胸に読み進んだ。ま だまだ研究者としても人間としても未熟であるけれど も、これからも、この「本を読むこと」を大切にし、
知見を深め、研究者としても人間としても魅力ある人 物になれるよう努力をし続けたいと思う。
『締め切りを作ること』
うまく時間と付き合えないでいた。大学院時代、時 間は目の前に沢山あったのに、いつも何かに追われて いるようだった。気が休まらなかった。自由なはずな のに、自由ではなかった。茂木健一郎さんの「「自由」
という言葉は、何時訪れるか分からない「終わり」の 予感の中でこそ輝く」という言葉に出会って、分かっ た。いつも何かしら抱えていたわたしは、目の前にあ る「自由」な時間中ずっとその何かを抱え続けていた のだ。ずっと先のことであるのに、それを気にして、
抱え続けて、いつも心は追われていた。自由な時間な はずが、休むことなく気ばかり焦らせて過ごしていた のだ。それは仮の「自由」であって、自由ではない。
いつか「終わり」は来るのだが、その先にはまた何か が待っている故、追われる心に終わりはなかった。
締め切りをつくること。それによってわたしたちの時 間は輝きはじめる。締め切りをつくった上で、自分の キャパシティを見極め、そのタスクにはどの位の時間 を要するかを計算し、その上で、そのかかる時間を差 し引いた時間を自分の「自由」時間とする。まだまだ 器用にはできないのだが、締め切りをつくり、タイム マネージメントをし、時間とうまく付き合っていくと いうこと。大切に心に留めておきたい。
『Try (Trial) and Error』
「できないのは、できるとおもわないから」である。
大学院時代 8 年間を紐解いてみた。色々なことを書 き溜めていたノート、ダイアリー etc… 忘れていた古 い大切な友人に再会するように、大切な言葉がたくさ んひょっこりあらゆるところから顔をだした。ちょっ とした同窓会が始まった。新聞記者を目指す知人に触 発され、新聞を一字一句逃さず毎日 5 時間かけて読ん
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『大切にしていきたいこと』
-大学院生活を終えておもうこと-
日本大学理工学部講師 青木 啓子
縁」、誰しもが、周りの方々との「ご縁」の中にある。
わたし自身、恩師の言葉や後ろ盾、後押しやご尽力に よって、ここまで辿りつくことができた。感謝しても しきれない程のご恩がある。曹洞宗の開祖、道元は「修 行者の天分は素材であり、導師は彫刻家である」と書 いた。この言葉に、わたしは心の中にある漠然とした おもいに名前をつけてもらったような感覚を覚え、深 い感銘を受けた。
また、周りの人を大切にすると、不思議と自分の周 りは愛情で溢れてくる。わたしたちが車であるなら、
愛情はガソリン。わたしたちが花であるなら、愛情は 水や太陽・栄養素。これらが欠けると植物がうまく育 たないように、人間もうまく機能しなくなる。わたし は大学院時代、周りの方々から、先生方から、そして 何よりも両親からの沢山の愛情の中にいて、また今も その中にいる。だからこそ、頑張れるし、笑顔でいら れる。これらの愛情に応える為に、笑顔でいること・挨 拶をすること・礼儀をつくすこと。これらを基本におい て周りの人を大切にすることを、これからも大切にして いきたい。笑顔と挨拶は、コミュニケーションの潤滑油。
ピカソは、「笑わないとその日が無駄になる」と言った という。人生を大切に生きていく上で、周りの人を大切 にする上で、これらは欠かせない要素なのであると思う。
『自分を大切にすること』
自分を大切にすること。わたしは、「周りの人を大 切にする」ことと同じくらい、「自分を大切にする」
ことを大切にしていきたいと思っている。これもわた しの人生においてとても大切な Style の 1 つである。
それを実行するには「無理をしない」ことが大切であ ると大学院生活を通して学んだ。無理をすると、笑顔 でいられなくなる。大学院時代前半のわたしは、うま く力を分配することを知らなかった。いつでも全力投 球、そして最後まで力が続かなくなる。笑顔がなくな る。うまく力を配分していくことが、笑顔で過ごす秘 訣であると学んだ。
また、「No と伝える」こと。これも自分を大切にす る為に欠かせない要素である。いつも自問するよう心 掛けている言葉がある。“What's your priority?” これ はハワイ大学留学時代に大切な友人からもらった言葉 である。それまでのわたしは、目に付いたものに手を つけては自分の第一優先事項を大切に出来ないで、自 分を大切にできないでいた。無駄に労力を放出してい たのだ。1 番大切だと思うものから手をつけていき、
そして自分を、自分の第一優先事項を大切にする為に No と伝える。これができれば、その次に Yes と言え る時に、心からの笑顔で言うことができる。自分を大 かの松下幸之助さんも、「成功するまで続けず途中で
諦めてしまえばそれで失敗である」と言い、上杉鷹山 は、「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬ は人の 成さぬなりけり」と言う。これらの言葉が本 当に意味するところを知ったのは、恥ずかしながら大 学院に入ってからである。それまでも、やろうと思え ば何でも出来ると思っていたし、やろうと思ったもの は成し遂げてきていた。しかし、その「何でも」の意 味するところは、どれも手を伸ばせば簡単に手に入る ものに限られていた。その「何でも」には、大きすぎ る壁や、とうてい越えられないであろう山は含まれて いなかった。
けれども、その「大きすぎる」や「越えられないで あろう」は、自分の心が設定した形容詞であったこと に気づいた。自分自身ができないと決め付けていただ けであったのだ。「できない」を「できるかもしれない」
に変え、その「かもしれない」の可能性にかけ、1 歩 踏み出してみた。すると、思っていたよりも簡単に「で きる」自分がいた。こういう経験を重ねてゆくにつれ、
「できるかもしれない」の内容レベルは少しずつ上がっ ていき、心の基礎体力値は上がっていった。大学院入 学前にもっていた、「留学したい」というただ漠然と した夢を、在学期間中 2 度叶え、今はより鮮明な選択 肢が目の前にある。
もちろん、Try すれば Error することもある。けれ ども、「人は道に迷って、道を知る」。失敗することに よって、色々と学ぶことができた。そしてその失敗し た痛い経験を胸に、次回は痛い思いをしないようより 努力しようと頑張るモチベーションを得られた。誰か が言っていた。「過ちを避ける唯一の方法は経験を積 むこと。経験を積む唯一の方法は過ちを犯すこと」で あると。どんな困難も、将来の自分をつくる為に神様 が与えて下さったもの。そして、ちょっとキツイくら いの方が面白い。そうやって楽しみながら Try するこ とを覚えられたのは、大学院生活の大きな収穫の 1 つ であると思っている。この経験を忘れずに、これから も大切に、共に歩いていきたい。
『周りの人を大切にすること(笑顔・挨拶・礼儀)』 大沢在昌さんの言葉がよく頭をよぎる。「強くなけ れば生きていけない。優しくなければ生きていく資格 がない」。また、カエサルは、Clementia(寛容)とい う精神で、「自分の考えに忠実に生きること、そして 他人もそうであって当然」としたと何かで読んだ。わ たしは、この「周りの人を大切にする」ことを大切に していきたいと思っている。これは、「ご縁」を大切 にすることとつながっている。「袖振り合うも他生の
ておりましょう。
§ 2. The Making of English
Bradlyの好著と評されるその本に森村豊先生が詳密 な註を付けられたreprint版を古書店で入手しました。
戦時中の出版かも知れませんが美しい印刷の版でし た。やがて OE, ME の勉強のため森村先生に入門(研 究科)したわけです (1954 年 )。
§ 3. テーマ
教職に就いてから後、A-S 廃語史が研究テーマとな り、これには大塚髙信先生や諸家数名から声援を賜り、
又一時「科研費」に採用されました。J. R. Aiken曰く、
語のobsolecenceは眞に大なる社会的現象なるが故、
語の発生や発展より一層illuminatingなり―これに対 する学問的関心は払われるに値するにも拘わらず從来 全く然らざりし (English Present and Past, 1930)。
§ 4. 約束
細江『精説英文法汎論』は詳細なsyntaxの書ですが第 一巻しか出ません。original『英文法汎論』に照らして見 れば完結には少くとも 5, 6 巻の続巻を要したでしょう。
著者御遺族に続巻の執筆権をお願いしました所、OK の約 束を頂きました。篠崎書林店主にも話しました。約束は 行使されぬままです。この大作中の文例には一々出典が 明記され随所に綿密な註が執拗なまでに念入りに施され て行くその手法は敬服の外ありません。
§ 5. 心残り
ある院生が英語学で論文を書きたいがとの如何に も腑甲斐なき相談に来たことがありました。手初に Canterbury Tales (序のみでも)文中のGERMAN系、
ROMANCE系、その他系各語の一々に(text のまま)
色分け塗りして提出してはと奨めました。その作業を その人は果せず仕舞でした。多少ともその作業が進展 した場合、学問にまで到達せぬまでも用語の系統別分 野が一瞥で把握さるべき着色地勢図風の見取図位は出 来たと惜まれます。
§ 6. †古語英和辞典
国語に関しては「古語辞典」があります。英和辞 典は類書が溢れんばかりですが、それらでは英語古 典を幡く手掛りになり難い。即ち淋しくも古典に扉 を開き得べき英和辞典が無いのです。時代を通ずる spelling の多様性に対応すべき検索システィムを備 えた綜合的辞典編纂が望まれます。1984 年頃でした が、‘The humble petition of obsolete English’なる提案
私的回顧
金沢大学名誉教授 最上 雄文
《特 集》
《特 集》
切にできてこその心からの笑顔で。こちらもまだ、中々 器用にはいけないが、いつも自問しながら歩んでいけ ば、その先に自然に “My priority” を優先して大切に 行う自分がいるに違いないと思っている。自身の内側 が充実しているからこそ、周りの人にも自分にも優し く微笑むことができるのであろう。
最後に、これもわたしが『自分を大切にする』上で とても大切なこと「心とからだの fix day」; わたしが 名づけた、心や体のゆるんだネジやタガをしめ直す為 の日である。メンテナンスがされてないと、わたした ちの体や心は、うまく動かない。モンテーニュの、「自 分の家に、自分の機嫌だけをとっていられる場所、自 分を隠す場所を持たない人間はみじめなものだ」とい う言葉に出会い、人にはひとりきりで過ごす「心とか らだの fix day」が必要であると深く思ったのを覚え ている。わたしたちは、いつでも「自分」ではいられ ない。「自分」を見失う時もある。そんな時には、大 切な「自分」を守るため、また周りの人を大切にする ため、笑顔で過ごすため、心や体のゆるんだネジやタ ガをしめ直す。忙しさの中にあって心を亡くしそうに なった時にこそ、忘れないでいたい。
ここにはじまった同窓会からの1部をとろとろと書 き連ねてしまった。大学院生活を終えておもう『大切 にしていきたいこと』。この先どんなに大変な時も、
心が挫けそうな時も、“Keep trying”。私が私である為 に、これらの大切な友人たちと共にゆっくり楽しく歩 んでいきたい。笑顔とともに。
§ 1. 出会
金沢に在った「髙師」に入学したのは昭和 23 年でした。
そこでOnions, Curme, Sweet, Jespersen, Poutuma等の学者名
とか“Century”, NED(赤表紙)等の辞典に出会ったの
です。即ち「英語学」を知りました。文法文献“Essentials” や細江『英文法汎論』(及び『精説』)を入手したのもそ の頃でした。
NEDは後年青表紙のOEDとなり更にそれの別巻
supplementsも出、縮刷版も出、更に増補改訂新版も出
ました。音声表記は新版の方が親しみ易い方式になっ
ことが私の英語学の学習、研究を言語科学、一般言語 学、そして応用言語学から音声学、音声科学、臨床音 声学、応用音声学を含むフォネティック・サイエンシ ズ、そしてスピーチ・コミュニケーションの研究へと 拡げさせてくれたということが出来る。
スピーチ・コミュニケーションの研究領域ではオー ラル・インタプリテーション、スピーチ・クリティシ ズム、パブリック・コミュニケーション、インタパー ソナル・コミュニケーション、ディベート、異文化(間)
コミュニケーションなどにわたっての研究が主たるも のであった。
これらのフォネティック・サイエンシズやスピーチ・
コミュニケーションの研究領域では特にジョセフ・A・
ワグナー、ジョン・アイゼンスン、アール・R・ケイン、
C・M・ワイズそして J・ジェフリー・アワーといった 先生方の影響を大いに受けていると言えよう。
私には現在までに共著 32 冊、18 冊、学術研究論文 主要なもの 48 点(全部で 70 点)、そして、学会発表 98 回の研究業績があるが、著書、学術研究論文はフォ ネティック・サイエンシズとスピーチ・コミュニケー ションの研究領域のものが主たるものであるが、私の 共著に関する話題について述べよう。
カ リ フ ォ ル ニ ア 大 学 ロ サ ン ゼ ル ス 校 の 大 学 院 時 代 の 恩 師、 ジ ョ セ フ・A・ ワ グ ナ ー 博 士 と の 共 著 Essentials of Effective Speaking, ( 南 雲 堂 1970 年 ) ; The British and American Public Address Series: ( 英 潮 社 1970-1989) ; The Great Speeches of Franklin Delano Roosevelt ( Ⅰ ), The Great Speeches of Franklin Delano Roosevelt ( Ⅱ ), T h e G r e a t S p e e c h e s o f J o h n F . Kennedy ( Ⅰ ), The Great Speeches of John F. Kennedy ( Ⅱ ), The Great Speeches of Richard M. Nixon, The Great Speeches of Harry S. Truman, The Great Speeches of General Douglas McArthur, The Great Speeches of Dwight D. Eisenhower, The Great Speeches of General R.
Ford, The Great Speeches of Jimmy Carter, そ し て The Great Speeches of Ronald Reaganなどはワグナー博士と 一緒に、ハリウッドの NBC へ出かけて行き、録音、録 画テープの寄贈を NBC から受けながら執筆したスピー チ・クリティシズムに関する著作である。
1977 年度の秋、英語学演習 ( Ⅱ ) のクラス(当時 は 3 年生のクラスであった)で私はクラス全員に「ア メリカのフォード大統領から手紙(私信)が来た。」
「カーター大統領からも手紙が来ている。」と言ってク ラス全員をビックリさせたことがあった。クラスの大 多数の学生は信じていなかったようで、「今からこれ らの私信をみんなに回覧するから・・・」と言って回
英語学とわたし
日本大学名誉教授 川島 彪秀
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を表明しました(日本英語表現学会『英語表現研究』
Bulletin 14)。
§ 7. 婦人騎乗姿
‘トマス・ハーディのこだわり-A Girl on Horseback’
なる拙稿エッセイ(平成 3 年)で申しました通り、ハー ディの諸作品中、horsewoman姿崇拝症といった男達 が 登 場 し ま す。 そ の こ と に 因 み 中 世Coventry伝 説
(Godiva vs. Peeping Tom)にも言及しました。巷間流 布の説では Tom が禁断の裸体騎馬夫人を窃覗したため
struck blindの罰を受けたと言う。この俗説はギリシャ
(Artemis vs. Actaeon)伝説からの類推、暗示によるか も知れません。しかしハーディ作品流の視点で捕え た場合Tomは単なる裸体行進の往来なら、禁を冒し てまでpeepすることは無かったでしょう。裸体なら ずとも神々しくも気高い騎馬夫人の御降臨とあらば peep の憧望は抑制し難かったでしょう。struck blind の目に遭ったのは夫人から後光(?)として発する慈 悲の光明が閃烈過ぎる輝かしさでしたからでしょう。
§ 8. あとがき
学業的拙志は大なりとの思いはあったのですが、
stamina不足と怠惰の故に見るべき成果をあげず仕舞
でした。今更どうこう文句を言うことはありません。
どうぞ皆様しっかりおやりなさいませ。
2009 年 3 月
私の英語学の学習と研究はフェルディナン・ド・ソ シュール、オット・イエスペルセン、ポール・ロバーツ、
H・A・グリースン、ハロルド・E・パーマ、W・ネルスン・
フランシス、ロバート・ラド、チャールズ・C・フリー ズなどにはじまると言ってよい。
特に、わたしがハロルド・E・パーマやダニエル・
ジョウンズ、ジョン・S・ケンニョン、チャールズ・K・
トマス、ジョン・アイゼンスン、そして、C・M・ワイ ズなどの影響を受けて、音声学をはじめとするフォネ ティック・サイエンシズの方向に目をむけた理由の一 つは当時は構造言語学盛んなりし、時代というものが あったからだと思う。さらに、カリフォルニア大学ロ サンゼルス校の大学院でロバート・ラド、チャールズ・
C・フリーズ、C・M・ワイズという先生方に教わった
覧したことがあった。
この話は 1977 年の国際太平洋コミュニケーション 学会(当時、私はこの学会の国際副会長の任期中で あった)の 6 月の大会で、出版されたばかりのThe Great Speeches of Gerald R. Ford と The Great Speeches
of Jimmy Carterを同大会に出席していた知友の学者達
に贈呈したのであったが、その時、同大会に出席して いた友人、スタンレイ・G・リィヴズ博士(イリノイ 州立大学教授)にも贈呈したら、しばらく経過した後 に、「君はこれらの著作をフォード大統領とカーター 大統領にも贈呈したか?送ったか?」と聞くので、「い や贈呈していない。送っていない。」と答えると、リィ ヴズ教授は「どうして大統領たちに送らないのか?
送れよ。送れ。」と何回となく、大会期間中言うので、
二人の大統領に贈呈したその後の話であった。
私との共著には前述の恩師、ジョセフ・A・ワグナー 博士とのほか、ドナルド・W・クロフ博士(現ウエス トバジニア大学名誉教授)、ウエイン・H・オックス フォード博士(現ハワイ大学マノア校名誉教授)、G・
ブルース・ローガンビル博士(現カリフォルニア大学 ロングビーチ校名誉教授)、ジェイムズ・C・マクロス キー博士(現ウエストバジニア大学名誉教授)、ヘレン・
ウォング博士(ハワイ大学マノア校名誉教授)、そし て前述のリィブズ(現イリノイ州立大学名誉教授)ら 6 名との共著がある。
私の英語学、音声学、スピーチ・コミュニケーショ ンの学習と研究にその土台を作って下さったのは青山 学院大学の豊田實博士、加藤正男先生、藤原喜多二先 生、森下捨己先生、春木猛博士、レズリー・クレップ ス博士(ドクター・クレップスは後にオクラホマ州立大 学の教授となった先生であった。)の各先生方であった。
また、スタンフォード大学のジョン ・ アイジエンス ン博士、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のジョセ フ・A・ワグナー博士、アール・R・ケイン博士、J. J.
トンプソン博士、リオ・グッドマン-マラマス博士、
ロバート・S・キャスカート博士、ロバート・ギレン 博士の適切な御指導と御教示を受けることが出来たの は極めて幸せであった。
さらに、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の大学 院でハーバード大学のロバート・ラド博士、ミシガン 大学のチャールズ・フリーズ博士に言語学の神髄を教 わったことも極めて幸せなことであった。
また、ルイジアナ大学の C・M・ワイズ博士に同じ くカリフォルニア大学で音声学の大学院のセミナーの クラスで教わったことは応用音声学の広範囲な研究領 域にわたって Research が展開できる神髄を自分のも のとし得た素晴しい機会であった。
私にはまだ、英国のロンドン大学(ユニヴァシティ・
カレッヂ)の大学院での言語学、音声学の研究領域で の話題があるが、本稿では述べないでつぎの機会にゆ ずることにする。
(以下の「シャトック先生講演会」報告は、2008 年 11 月7日付けで学部に提出した「報告書」に加筆・
訂正したものであることを、あらかじめお断りいたし ます。)
このたび、奈良女子大学の横山茂夫教授の呼びかけ で、同大学が招聘したレスター大学教授で、人文学部 長、ヴィクトリア朝文化研究センター長、ジョウアン・
シャトック(Joanne Shattock)先生の講演会を、奈 良女子大と文理学部英文学科の共催で開催した。日時 は、2008 年 11 月6日(木)午後4時 20 分から5時 40 分、
会場は3号館 3305 教室であった。講演会の会場、プ ログラム、ハンドアウト、パワーポイント、立て看 板など、全ての準備は、英文学科の前島助手を中心 に、一條助手、及び4人の副手の協力によって行っ た。
講演会には、英文学科在学生が 80 名ほど、大学院 生が 10 名ほど、他大学からの聴講者が 10 名ほど、英 文学科教員(専任・非常勤)8名が出席し、併せて 100 名をはるかに越すという盛況であった。他大学か ら参加されたのは、明治大学、駒沢大学、中央大学、
江戸川大学、大東文化大学ほかの教員・学生であり、
日本ギャスケル協会会員、日本ジョージ・エリオット 協会会員も数名出席した。また、元日本英文学会会長 で東京大学名誉教授、海老根宏先生ご夫妻もお見えに なった。
ジョウアン・シャトック先生
特別講演会報告
日本大学文理学部教授 原 公章
《特別講演会報告》
《特別講演会報告》
《学会賞受賞》
《学会賞受賞》
本学会員の中條清美先生(生産工学部准教授)が英語 コーパス学会より学会賞を授与されました。受賞対象は
「英語学習語彙研究とパラレルコーパスを利用した DDl に関する研究」です。ここにご報告いたします。