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皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題

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Academic year: 2021

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(1)皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題. 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題 高 乗 智 之 1.はじめに 2.天皇の行為をめぐる従来の解釈と問題点 3.若干の考察 4.おわりに. 1.はじめに  令和の御代替りに際し,政府は,天皇の位を皇太子もしくは皇位継承者 に譲る一連の儀式を「皇位継承に係わる儀式」として位置づけ,平成の御 代替りの時の政府見解を踏襲するとした。平成の御代替りの際,政府は, 儀式の一部を「国事行為」とし,その他の儀式を「皇室行事」とした。し かし,皇位継承に係わる儀式は一連のものであるにも関わらず,何故にこ れを二分しなければならないのかという点については,必ずしも議論が決 着していないと思われる。  例えば,政府は,即位に係わる一連の儀式(1)についても,剣璽等承継の 儀と即位後朝見の儀を「国事行為」とし,その他の儀式を「皇室行事」と した。これは,皇位の証として皇室に伝わる三種の神器の承継について, 天叢雲剣と八尺瓊勾玉の 2 つを受け継ぐ儀式が国事行為となり,八咫鏡を 承継する儀式が皇室行事となることを意味する。また,同様に即位の礼は 国事行為とし,即位と密接な関係にある大嘗祭は皇室行事としており,そ の他の儀式についても同様な取扱いがなされている。  この背景には,憲法の国事行為に対する理解と政教分離原則に対する解 釈の影響があると思われる。従来の政府見解では,国事行為のみが「国の 儀式」(国家的な儀式)であるという認識があるようにも思える(2)。また, 23.

(2) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年). たしかに,天皇の即位に伴う一連の儀式は,歴史的に形成されてきた伝統 文化であるとともに宗教的色彩を帯びていることは否めない。しかも皇位 の存在の歴史が長ければ長いほど,それに関する儀式が多かれ少なかれ宗 教的色彩を帯びることは当然のことであるとも言える。しかし,この点に ついては,この宗教的色彩に注目して,一連の儀式に内閣が関与すること は憲法で定める政教分離原則に違反するという見解も少なくない。  はたして,憲法は,皇位継承に係わる儀式を国家の重要な行事(「公事」) とすることを否定しているのであろうか。また,皇位継承が皇位そのも のと密接に関わるものであることを考えると,憲法第 7 条 10 号にいう 「儀式」とは一線を画するものなのではないか,という疑問が生ずる。  この問題は平成の御代替りの際にも論じられたが,本稿では,改めて天 皇の地位と行為の本質について検討するとともに,皇位継承に係る一連の 儀式をめぐる憲法問題について若干の問題提起を試みたい(3)。. 2.天皇の行為をめぐる従来の解釈と問題点 (1)政府見解の特徴 ①天皇の行為分類について  政府は,天皇の行為分類について「従前から天皇の行為につきましては, 国事行為,公的行為及びその他の行為というふうに三つに大分してきてい るわけでございますが,そのうちのその他の行為,すなわち国事行為,公 的行為以外の行為の中にも,純粋に私的なものと公的性格ないし公的色彩 (4) があるものとに区分される」 とする(5)。この点について政府は,平成 31. 年の答弁においても基本的には同様の立場を採っており,「天皇の行為は, ①国家機関としての行為である国事行為,②象徴としての地位に基づいて (6) 公的な立場で行われる公的行為,③その他の行為の三つに分類」 される. と述べる(7)。 ②大嘗祭と宮中祭祀(皇室祭祀)について  大嘗祭については,昭和 21 年の金森徳次郎国務大臣の答弁では,「改正 24.

(3) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題. 憲法におきましては,宗教上の意義をもつた事柄は,國の當然の儀式とは いたさないことになつております。從つて皇位繼承に關する諸種の儀式の 中につきましても,宗教的なる意味を多く含んでおりまするものは―或は 少しでも含んでおりまするものは,皇室典範の中に取り入れることが困難 (8) である」 とし,「宗教的な面,たとえば大嘗宮の御儀ということになりま. すと,皇室典範はわれ關せず,こういう態度である,それがなくなるかと いえば,それがなくなるということはおそらくあり得ないと思うのであり (9) ます,この外において行われる」 と述べている(10)。.  これと関連して,宮中祭祀(皇室祭祀)については,金森国務大臣が「天 皇御一人の面におきまして,これは私生活ということは語弊がありますけ れども,公生活でない面,その面におきましては從前通りのお祭り等は行 (11) わせらるるもの」 と述べ,昭和 60 年の前田内閣法制局部長の答弁では,. 「宮中祭祀が公事として行われるというようなことはできない…(中略)… 宮中祭祀が,宗教的活動に当たるといたしましても,私的な立場で宮中祭 祀が行われることにつきましては何ら問題はない」(12)としている。  一方で,昭和 34 年皇太子御成婚の際は, 「結婚の儀」(「賢所大前の儀」), 「朝見の儀」,「宮中祝宴の儀」を国事行為としたが,この点については, 結婚式の性格上,「その家の方式で行う,その信ずるところで行うことが, (13) むしろ憲法の精神に沿う」 とした。.  また,大嘗祭の挙行等については,政府は「皇位が世襲であることに伴 う,一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから,皇位の世 襲制をとる我が国の憲法の下においては,その儀式について国としても深 い関心を持ち,その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えら れる。その意味において,大嘗祭は,公的性格があり,大嘗祭の費用を宮 (14) 廷費から支出することが相当である」 としている。.  このように,政府は,皇位継承に係わる諸儀式を意味する「皇室行事」 や皇室祭祀については, 「私人」としての立場での行為であることを前提と している。また,昭和 34 年の皇太子御成婚の際の賢所での儀式については 25.

(4) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年). 国事行為としたが,これについては「私人」としての信仰の自由を根拠に 正当化している。 (2)政府解釈の問題点  以上のように,政府は天皇の行為を①国事行為,②公的行為,③その他 の行為に分類し,さらに③の「その他の行為」は「私人」としての行為で あることを前提に,③-A 純粋に私的なものと③-B 公的性格があるものに 分けることができるとしている。その上で,各種の祭祀については「私人 としての立場」で行われるもの(「公生活でない面」で行われるもの)と しており,「公的性格があるもの」だとしても私人としての行為の範疇と して捉えていると言える。  その中でも,大嘗祭については,世襲制度に伴う重要な儀式であるから, 宗教的色彩が否定し得ない点をみれば国の儀式(国事行為)とすることは できないが,「皇室行事」(その他の行為)と位置づけた上で,公的性格が あることから宮廷費を充てる,との論理を展開している。この点は,昭和 天皇の大喪の礼に係わる儀式の取扱いの際も同様であった(15)。  しかし,ここで留意すべき点は,大嘗祭を含めた「皇室行事」が「公的 性格を有する」として「純粋な私的行為」と区別するとしても,政府は, 「皇室行事」をあくまでも私的な行為の範疇として捉えているということ である(16)。  また,「その他の行為の中でも公的性格を有するもの」という場合に何 をもって判断するかについては,「国としてその行為を行うことについて 関心を持ち,人的または物的側面からその援助をするのが相当と認められ (17) る側面を有することを公的性格がある」 とする。しかし,これを素直に. 受け止めれば, 「国が関心を持てば私人の行為が公的性格を持つ」(つまり, 私的な行事か公的な行事かは国が関心を持つかどうかによって決まる)と いう論理にも聞こえるし,「公的性格を有する私的な行為」という意味で あれば,さらに難解な理屈になる。また,いわゆる「公的行為」と「公的 26.

(5) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題. 性格を有する皇室行事」の差異も分かりにくい。このような一連の答弁に 見られる理論的な混乱の背景には,従来の憲法学説の影響が少なからず存 在すると思われる。 (3)従来の学説  日本国憲法では,天皇は憲法第 6 条・第 7 条に列挙されている所定の国 事行為のみを行い,しかもそれらの行為については,「内閣の助言と承認 を必要とする」として,内閣がその責任を負うこととされている。ここで 従来議論されてきたのは,国事行為以外の行為について,すべて私人とし ての行為(私的行為)と考えるのか,それとも一部に公的行為の領域が存 在すると考えるのか,という点であった。  学説は,従来,国事行為,私的行為のほかに公的行為の存在を認める三 行為説(三分説)と国事行為と私的行為しか認めない二行為説(二分説) に大別され,さらにそれぞれの学説が分岐し,近年では,それをさらに細 分化する学説も提唱されているところである。  三行為説は,国事行為以外の公的行為を「象徴的行為」として憲法上認 める立場である(18)。例えば,清宮四郎教授は,「天皇には,日本国家を構 成する特別の一員として,象徴としての地位,国家機関としての地位及び 私人としての地位の 3 つの地位が認められ,それに応じて,天皇の行為に も,象徴としての行為,国家機関としての行為及び私人としての行為が認 (19) められる」 とする。すなわち,この見解は,天皇の公的な性格を有する. 行為には,「国家機関としての地位に基づく国事行為」と「象徴としての 地位に基づく象徴的行為」の 2 つがあるとし,国事行為以外の公的行為に ついても内閣が直接または宮内庁を通じて間接に責任を負うことを憲法が 要請していることを主張するものである(20)。  二行為説は,憲法第 4 条 1 項の文言を重視し,天皇は憲法に定める国事 行為と私人としての私的行為以外の行為をなし得ないとするものである。 例えば,影山日出弥教授は「第一条からはいわゆる『象徴行為』または 27.

(6) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年) (21) 『公的行為』が成立する余地は困難であ」 るとし, 「『国事行為』が明文で 4. 4. 列記された事項の範囲に限定されていることはいうまでもない。『国事行 為』と区別された『公的行為』の規定がないことは自明のことである」 (傍 点原文のまま)とする。また,芹沢斉教授は「天皇が象徴として行う公的 性格を有する行為は憲法所定の国事行為に限られるはずであり,公的行為 (22) は単なる違憲の憲法実例と評価されるべき」 であるとする。つまり,こ. の説は,天皇が象徴でありうるのは憲法が定める権能を行う場合に限られ, 公的意味を持つ行為は憲法で列挙されている国事行為を行うことに限定さ れるという立場から,それ以外の公的性格を有する行為をすべて認めない とする立場である。しかし,基本的には二行為説に立ちつつも,天皇の公 的行為をすべて違憲であるとはせずに一定の行為を国事行為に含めたり, あるいは準国事行為としたり,その他一定の行為を憲法的習律として認め る学説も存在する(23)。  以上のように学説は分岐しているが,ここでの論点は,憲法で定める国 事行為以外の公的行為の合憲性についてである(24)。そのため,従来の学説 を適用すれば,「皇室行事」や皇室祭祀は,いずれの見解に立ったとして も私的行為に分類されるのが通例である(25)。この点,二行為説に立つ横田 耕一教授は,「現在行われている国事行為以外の天皇の公的な行為はすべ (26) て違憲である」 とし, 「皇室祭祀や皇室の慣行はあくまでも皇室の私的問 (27) (28) 題」 であるから「皇室祭祀に努めることは天皇の公的な務めではない」. としている。  このように,皇位継承の儀式をめぐる憲法上の論点は,第一に天皇の行 為分類論からみた「皇室行事」や皇室祭祀の位置づけ,第二に「皇室行事」 や皇室祭祀と政教分離の関係の二点に集約することができる。. 3.若干の考察 (1)「皇室行事」と天皇の行為分類  これまで見てきた天皇の行為分類論については,次の疑問がある。 28.

(7) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題.  第一に,天皇の行為分類論が皇室経済法の経費区分との関係で論じられ る傾向にある点である。例えば,新聞報道の「代替わりに伴う大嘗祭につ いて,国費ではなく,天皇ご一家の私的活動費『内廷会計(内廷費)』で まかなうべきだとし『身の丈にあった儀式』とすることが『本来の姿』と (29) の認識を示された」 との記事や「天皇陛下の退位に伴う儀式のうち国事. 行為の『退位礼正殿の儀』を除く皇室行事はすべて,天皇家の私的費用で (30) ある『内廷費』で賄われることに決まった」 との記事の表現は,宮廷費. が公的行為に支出されるもので,内廷費は私的行為に支出されるものであ るとの認識を示すものであるといえる。しかし,皇室経済法における区分 についての立法過程においては,金森国務大臣が「内廷費宮廷費の分け方 は,非常にはつきり限界はございません,内廷費と考えまするのは,大體 個人的な意味のもの,宮廷費と申しますのは個人と公けとの兩面が合體し (31) ておるような意味のもの」 としており,両者は截然と区別をされていな. い。それにも関わらず,このような単純な区分論が広まっているのは,憲 法学上の三行為分類論と皇室経済法の経費区分とが混同されて捉えられて いる点に原因を求めることができると思われる。  第二に,天皇の行為分類の中で「その他の行為」とされている部分が必 ずしも明確に整理されていない点である。例えば,祭祀・私的財産の管理 などは純然たる私的事項としつつ,行幸,謁見,国内巡幸,皇太子の教育 などは宮内庁所管の「広義の国家事務」としている(32)。そして,この広 義の国家事務については,宮内庁の上級行政機関としての内閣が責任を負 うものとしている(33)。また,「私的行為」との関連で言えば,もしも政府 が三種の神器を皇室の私有財産と認識しているのであれば疑問である(34)。 皇位と密接不可分の由緒あるものが何故に私有財産となるのであろうか。 逆にそれらが私有財産であるならば,剣と勾玉を受け継ぐ儀式がなぜ国事 行為とされるのかが疑問となる。  第三に,政府は,剣璽等承継の儀と即位後朝見の儀を国事行為として挙 行する根拠について,現行皇室典範第 4 条の「即位」から二つの儀式を 29.

(8) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年). 導き出すことができる点を挙げるが(35),これは下位法から憲法を読むもの であるという点を指摘できる。また,皇室の祭祀や儀式については,旧登 極令や旧皇室祭祀令などに基づいて行いながらも,それを「私的行為」と して位置づけているという点も疑問である(36)。  これらの点については,園部逸夫元最高裁判事の見解が注目される。園 部元判事は,皇位継承や大喪の礼の際の一連の儀式を国事行為と皇室行事 に分けることによる弊害(各儀式の完結性に対する疑念)を指摘する。そ して,この点については「天皇の行為論を構成し直すことがなければ,解 (37) 決できない問題」 であるとし,天皇の行為について独自の視点から 5 つ. の分類を示している(38)。  この 5 分類の中でも「皇室行為」は,「従来,『その他の行為の純然たる (39) 私的行為』と分類され」 ていたものであるとし,私人としての天皇が意. 思決定を行うもので,例として皇室内部の諸行事の実施や宮中祭祀の主宰 を挙げている。これらの行為については,「国の制度上の地位にもある皇 族との関係の行為でもあり,公的な皇族の在り方に影響を及ぼし得るとい う点から,皇室行為の在り方に国が全く無関係であっていいということに (40) はなら」 ないことから,内容によって宮内庁が責任を持つべきである,. とする。  たしかに,園部説は,従来の議論よりは具体的かつ実務的観点から分析 しており,ここでいう「皇室行為」 (祭祀や皇室行事)は「純粋な私的行為」 と区別する見解であるとみることができる。しかしながら,この説は,宮 中祭祀や皇室行事の公的性格を踏まえつつも,結局は「私人としての行為」 として把握するものであり,先に示した疑問がそのまま当てはまる。  ところで,天皇の本質については,従来,祭祀主としての公的側面が指摘 されてきた。それは,皇位そのものに「民族性,国民性に基づく歴史的, 伝統的宗教祭祀や道徳」の象徴性があるとの指摘である(41)。また, 「象徴と してのお務めについての天皇陛下のおことば」(42)では,巡幸,戦災地の訪問, 被災地への訪問によって, 「国内のどこにおいても,その地域を愛し,その 30.

(9) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題. 共同体を地道に支える市井の人々のあること」を認識し, 「天皇として大切 な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬 愛をもってなし得た」とされており,そこでは象徴天皇としての務めと伝 統的な天皇としての務めが一体的なものであることが示されている。  この点,下條芳明教授は,天皇の各行為の性質上の違いについて再分類 し,①国政行為,②外国交際行為,③国民的・文化的儀式,④皇室祭祀お よび行事,⑤私的行為の 5 類型を提示する(43)。特に,④の皇室祭祀および 行事については, 「皇室の内的活動でありながら,天皇制の存続にとって不 可欠であり,また,象徴天皇の地位の保持に重要な影響を及ぼすという性 (44) 質を持つ」 とし,「象徴天皇制の存続に関わりが深い皇室行事や祭祀は,. 性質上,憲法にいう『国事行為』とは異なる『公事』と考えることがで (45) き」 るとしている。.  この見解は,「国事行為」以外にも「公的な領域」が認められるとする 三行為説を前提としつつ,皇位そのものの存在が「公」の性格を有するこ とを認めるものである。そして,従来の学説においては「私的行為」に分 類されている皇室祭祀について,この見解では象徴天皇に特徴的な「公事」 であるとするところに特徴がある。  たしかに,天皇(皇位)そのものが立国法に基づく公の存在(公共的存在) であることからみれば,それを支える皇室もまた公の存在であるというこ とができる。また,即位は個人の私的自由意思によって行われるものでは ないのであって,宗教的色彩があるからといって即位に関連する儀式を私 的な行為ということはできないと考える。そうであれば,政府見解のいう 「皇室行事(その他の行為の公的色彩がある行為)」は公的性格のある私的 行為を意味するのではなく,本来は下條説のいうところの「皇室祭祀及び 行事」というカテゴリーに包摂されるものであり,国事行為とは異なる国 家的公事を意味すると考える。. 31.

(10) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年). (2)天皇(皇位)の本質と「皇室行事」 ①学説の紹介  即位と密接不可分の関係にある大嘗祭が国家公共的な性格を有するとし た場合,それが「国事行為」に該当するのかについては見解が分かれると ころである。  大嘗祭を国事行為として挙行するべきであるとする立場は,小森義峯教 授の学説である。小森教授は,「重要なことは,大嘗祭は,即位の礼の後, 即位の礼と一体不可分のものとして,天皇の御一代に一度必ず行われてい る,ということである。即位の礼が皇位継承という法的事実の発生を内外 に宣明する儀式であるのに対し,大嘗祭は,道統ないし霊統の継承という, (46) 即位の精神的内容を象徴する儀式である」 とする。そして, 「即位式につ. いては,現行憲法下においても『国事行為』として認められている。した がって,即位式と一体不可分である大嘗祭についても,国事行為として当 (47) 然認められなければならない」 と述べている。なお,大嘗祭は長年にわ. たる伝統方式の域を出ないものであり,その効果としても神道を援助,助 長,促進し又は他の宗教に圧迫,干渉を加えるものでないから,憲法の禁 止する宗教的活動には当たらないとしている(48)。  一方,大嘗祭を含めた皇室祭祀は国事行為ではないとする立場は,大石 義雄教授の学説である。大石教授は, 「皇室祭儀といふのは,天皇によって 行はせられる祭儀のことである。この祭儀権は,日本はじまって以来の天 (49) 皇固有の権限であり,聖域権限である」 とし, 「天皇の内廷権限であり, (50) 日本はじまって以来の不文憲法に根據する」 とする。そして, 「天皇は,. いつ,どこにをられても,国の象徴であり,また国民統合の象徴といふ公的 (51) 地位にお立ちになってをられるのである。公的地位は無私の地位である」. ことから,「国事行為を行はせられるときはもちろん,内廷生活を行はせ (52) られてゐるときも,象徴といふ公的地位から離れるときはない」 とする。. さらに,皇室祭儀が内廷行為であるということは,「俗界政治権力の介入 を許さない性質」の事柄であることを意味するとしている(53)。 32.

(11) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題. ②天皇(皇位)の 2 つの公的側面  従来の学説が指摘するように,天皇(皇位)の公的性格は,本来一体的 なものであるが,これをあえて大別すれば 2 つの側面がある。それは,日 本国憲法第 1 条の天皇は「日本国の象徴」であるという側面と,「日本国 民統合の象徴」であるという側面である。  この規定は,天皇に対して「国の象徴・国民統合の象徴としての機能 を果たし,日本という国の全体性と日本国民の一体性を具現することを (54) 期待」 するものであり, 「日本国の象徴は対外的に政治団体としての国を. 表現することを指し,国民統合の象徴は対内的に全国民が団結して国家を (55) 形成する契機」 を示すものである。換言すれば,天皇の地位(皇位)が. 政治権力組織上(state)からみても「象徴」であり,総体としての日本 国民(the people)の面からみても「象徴」であることを意味する。前者 は政治的意味の国(state)の象徴を意味し,後者は精神的,文化的,歴 史的共同体としての国(nation)の象徴を意味する(56)。これは,伝統的存 在としての天皇(皇位)そのものが象徴性を有していることを前提にして, これをあえて分ければ,1 つの側面が state の象徴としての性質を有する ことを示し,もう 1 つの側面が過去現在未来へと連綿と続く国民全体(the people)の象徴としての性質を有することを示すものである(57)。  state の象徴とは,国家機関としての天皇を意味し,現実の権力作用に 国家作用としての伝統的権威を付与する元首としての役割のことを指す。 この側面は,天皇が元首として行動する時に限って皇位が国家機関とみな されて,その機能を発揮するものである。これは,政治的な活動であるこ とから,立憲君主制の原理に基づいて,憲法に限定列挙された国事行為 を内閣の助言と承認によって行うこととなる。すなわち,例えば,国会の 召集,衆議院の解散などをはじめとした国事に関する行為(matters of state)の規定は明らかに国政に関する権能を含むものであるから限定的 に列挙し,さらに天皇の政治的無答責を担保する内閣の助言と承認が必要 になるのである。 33.

(12) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年).  したがって,国事行為は,対内的にみれば各国家機関の活動に正当性を 究極的に付与する権威的行為として機能を発揮し,各機関意思を国家意思 へと止揚させる権威を付与する元首としての行為である。この国事行為の 性質は,いわゆる政務行為であって国家機関としての役割に伴う行為,す なわち政治的な意味を有する行為である。  なお,この点については,清宮教授の「象徴としての行為について,特 に注意を要するのは,国家機関としての行為との区別である。憲法上の天 皇の象徴としての地位と国家機関としての地位とは無関係ではない。機関 としての地位は象徴としての地位を背景としているということはできよう。 しかし,象徴であることと機関であることとは,もともと別のことであり, (58) 象徴としての行為と機関としての行為とを同視することはできない」 とい. う指摘が妥当すると思われる。 ③天皇(皇位)の本質と「皇室行事」  これまで述べてきたように,まず立国法(不文法)に基づく伝統的存在 である天皇(皇位)があり,その後に成文憲法が立憲君主制の要請に基づ いて「国事行為」(政務行為)の規定を設けたという関係からみれば,国 事行為は天皇が国家機関として政治上の役割を発揮するものであって,そ の活動は限定的なものとなると同時に内閣の助言と承認が必要となる。こ の視点からみれば,政治上の問題ではない皇位継承に関する儀式について, これを「国事行為」とすることは,本来的に政治介入を許さない領域につ いて内閣の介入を許すことになり,妥当ではないと思われる(59)。  また,この state と nation の両側面について大日本帝国憲法下の法体系 に基づいて考えてみると,帝国憲法第 1 条が皇位の本質を示し,第 4 条 が国家機関としての天皇の役割を示している点,大枠において法体系が 「政務」(帝国憲法)と「宮務」(旧皇室典範)に分かれていた点(「宮中・ 府中の別」)と対応する。  この視点からみれば,かつて伊藤博文が旧皇室典範のことを「皇室の家 法」と述べたが,その意味も「私的存在の法」ではなく「公共的存在の法」 34.

(13) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題. の意味として捉え直すことができるのではないだろうか。この点について, 美濃部達吉教授は「その内容に於いては,決して皇室御一家の事にのみ止 (60) まるものではない」 とし,皇位継承については「決して皇室御一家の内 (61) 事ではなく,最も重要なる國家の憲法の一部を爲すもの」 であり, 「皇位. 繼承の外,皇室典範には尚攝政法,皇室と國家との關係,皇室と人民との (62) 關係に付いての規定をも包含している」 ことから, 「その制定者から云え. ば皇室の法であるが,その實質から言へば單純の皇室法ではなくして,同 (63) 時に國家法でなければならぬ」 と指摘する。このように,旧皇室典範(宮. 務法体系)にもいくつかの側面があり,大別すれば,①皇室内部問題(皇 室大権)の側面(皇族の監督や懲戒など),②皇位継承に関する事項や摂 政に関する事項(統治大権)の側面,③祭祀に関する事項(祭祀大権)の 側面がある。そのため,新嘗祭が皇室祭祀令にいう祭祀(上記③)とされ ていたのに対して,大嘗祭は皇位継承に係わる儀式(上記②)として登極 令に定められていた。このことからも,宮務法体系に位置づけられてはい るものの,皇位継承と一体をなす大嘗祭は,政務と祭祀が帰一する接点, 換言すれば政務と祭祀の根底をなすものとして位置づけられていたという ことができる。これを総合すると,「皇室の家法」という言葉は,皇室の 私的な法を意味するのではなく,議会の介入(政治権力の介入)を受けな い領域であることを意味するものだったのではないかと思われる。  このように考えるならば,state と nation の両側面を象徴する「皇位」 を継承することは,「国事行為」(政務行為)ではなく,「公的行為」(象徴 行為)でもなく,ましてや「皇室の私事」でもなく,それらの根底をなす 国家公共的な行為(公事)であると言うことができると思われる。  そうすると,先に挙げた大石説にみられるように,皇位継承に関する儀式 は,宮務法体系に属するものであることから,本来的に政治介入を許さない 領域であると言い得るものであり,特に即位と一体をなす大嘗祭は公事の 中でも重要な公事,基本的公事,あるいは重要な国家行事であるといえる。 したがって,皇位継承に関する諸儀式を内閣の助言と承認を必要とする 35.

(14) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年). 「国事行為」と位置づけることは,その根底をなす重要な公事を政務行為 に従属させることになり,妥当ではないと考える。 (3)大嘗祭と政教分離 ①大嘗祭違憲論  大嘗祭を国家的行事として扱うこと(内閣が関与すること)を違憲とす る立場は,それが政教分離違反に当たることを指摘する。例えば,宮沢俊 義教授は,国事行為としての儀式について,「儀式は,国家機関としての 天皇が,その職務の一部として,執行し,参列するものであるから,いか (64) なる宗教とも,まったく無関係のものでなくてはならない」 とし,「明. 治憲法のもとでは,即位の礼や,大喪の礼をはじめとして皇室関係の儀式 はほとんどつねに神社的(神ながら的)儀式であった。日本国憲法のもと では,これは許されない。すべての国家的な儀式は,宗教から厳に絶縁さ (65) れなくてはならなくなった」 とする。また,横田耕一教授は,大嘗祭は. 神道式で行われる宗教儀式であり,「最初から最後まで神道祭祀以外のな にものでもない。大嘗祭が,国及びその機関に行うことを禁じている『宗 (66) 教的活動』に属することは明白」 であるとし,目的効果基準に照らして (67) も「大嘗祭が公的に,国家的行事として行われることは認められない」. とする。また,旧皇室典範および皇室令はすべて廃止されたのであり「皇 室典範が予想している儀式は,天皇について即位の礼と大喪の礼の二つだ (68) けである。そしてこれら以外に特段の法令は存在しない」 から,大嘗祭. を公的な儀式として行うことは許されないとする。したがって,皇位継承 に係わる儀式について「平成の式典が踏襲されれば…(中略)…それは『違 (69) 憲のデパート』である」 とする。ここでは,①「私的な宮中祭祀」に対し. て宮内庁が関与することの問題点,②現行の皇室典範においては即位の礼 しか認められていないこと,③諸儀式には国民主権の原理に反する要素や 政教分離の原則に反する要素が多く含まれていることを指摘している(70)。. 36.

(15) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題. ②若干の考察  以上の検討を踏まえると,次のように整理することができる。  第一に,政教分離が state(国家機関)と church(宗教団体)の分離で あるとすれば,そもそもの問題が生じないという点である(71)。先にも述べ たように,天皇(皇位)には,国家機関(state)の象徴としての面と歴史 的伝統的共同体(nation)を象徴する面の 2 つの側面があり(憲法第 1 条) , 国家祭祀を行う側面は,歴史的伝統的共同体を象徴する天皇の行為である。 そして,即位に関することはそれらの源泉となる行為であって,これを先に 述べた視点から言えば,大嘗祭は「公事中の公事」であって,少なくとも国 家機関としての天皇の行為(国事行為)ではない。そうであれば,憲法 20 条 3 項が禁止しているのは,あくまでも国家機関が行う「宗教的活動」のこ とであるから,公事中の公事として行われる皇室行事はこの規定に抵触する ものではないという議論も成り立ち得る。しかし,この場合においても,他 の側面において天皇は国家機関としての役割も担っている点, 「公事中の公 事」であるが故に内閣が相応の配慮をするという意味で何らかの関与をす べきであるという点からみれば,さらなる検討が必要であると思われる。  第二に,皇位継承に関する諸儀式に対して内閣が何らかの形で関与する 場合,憲法第 20 条及び憲法第 89 条との関係が問題となる。本来の政教分 離の目的が個人の信教の自由の保障を担保するためのものであるとすれ ば,いわゆる目的効果基準によって合憲性を判断することも一つの選択肢 である。最高裁判決によれば,憲法第 20 条 3 項の宗教的活動とは,国家 機関の行為の目的が宗教的意義をもち,その効果が宗教に対する援助,助 長,促進又は圧迫,干渉等になるような行為を指す。つまり,憲法 20 条 3 項の禁止する宗教的活動は,「特定宗教のため,または特定宗教に反対 (72) するための活動で,宗教色をもつ活動のすべてを含むものではない」 と. いうことである。  この点,百地章教授は,「大嘗祭が宗教的意義をもつこと自体を否定す (73) ることはできない」 が,「見方によっては,内容に立ち入ることなく,. 37.

(16) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年) (74) あくまで伝統的な皇位継承儀礼の一つと位置づけることも可能」 である. とし,「大嘗祭そのものは皇室独自の伝統的宗教儀式によるものであって, これは『皇室神道』などとよばれることもあるが,いわゆる神道とは異な るほか,皇室自体も宗教団体でない以上,特定宗教を援助することにはな (75) らないと考えられる」 とする(76)。.  この見解にみられるように,皇位は世襲である(憲法第 2 条)との規定 は,大嘗祭などの宗教的意義を包含する伝統的皇位継承儀式を当然に予定 しているものということができる。また,皇位の存在の歴史が長ければ長 いほど,それに関する儀式が多かれ少なかれ宗教的色彩を帯びることはむ しろ当然のことであり,大嘗祭は長年にわたる伝統方式の域を出ないもの である。さらに,皇位継承は私的な自由意思で行われる性格のものではな い。したがって,内閣が国費支出や行事の事務処理等をするなどの相応の 配慮を行うことは社会的儀礼としても当然に許容される範囲内であり,特 定の宗教団体に対する援助,助長,促進または圧迫,干渉等になるような ものではないと言える(77)。  第三に,これまでのことを総合すると,大嘗祭は,皇位の継承(憲法第 2 条)に不可欠な儀式であり,皇位そのものの本質(憲法第 1 条)に大き な影響を与えるものであることから,たとえ種々の儀式に宗教的色彩が帯 びていたとしても,それは憲法自身が容認するものであって,憲法第 20 条や憲法第 89 条の例外として考えることができると思われる。これは, 同一法形式内における原則と例外の関係のことを意味するが,それを違っ た表現で述べているのが長谷部恭男教授の「飛び地」論(78)である。長谷 部教授は,「日本国憲法の作り出した政治体制は,平等な個人の創出を貫 徹せず,世襲の天皇制(憲法 2 条)という身分制の『飛び地』を残した。 残したことの是非はともかく,現に憲法がそのような決断を下した以上, 『飛び地』の中の天皇に人類普遍の人権が認められず,その身分に即した 特権と義務のみがあるのも,当然のことである…(中略)…こうした視点か らすれば,一般社会において妥当すべき政教分離原則が,皇室の行事につ 38.

(17) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題 (79) いても妥当する原則と考えるべきかについても一考を要する」 とする。. ここでいう「飛び地」とは,いわゆる原則と例外の関係でいうところの例 外規定ということであろう。  憲法は,天皇とそれを支える皇室を特別の地位(公共的性格を有する存 在)として位置づけている。そして,即位は本人の私的な自由意思によっ て行われるものではない。しかも, 先に述べたように天皇の地位については, 国家機関としての役割と国民統合の象徴としての役割という 2 つの側面を 憲法第 1 条によって確認している。したがって,天皇の御代替りは, 「日本 国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇」の即位を意味するのであっ て,皇位継承の本質は state と nation の帰一を示していると考える。  また,憲法第 2 条は皇位が世襲であることを確認したものであり,皇位 継承には,歴史的伝統的な皇位継承儀式が行われることが包含されている とみることができる。特に,諸外国の例を見るまでもなく,歴史的に形成 されてきた国家においては国家的儀式に宗教的色彩が帯びることが少なく ない。ましてや極めて長い歴史が続くわが国においては,皇位継承儀式に 宗教的色彩が伴うことは,むしろ当然のことであると言える。  この意味からいえば,皇位継承における一連の儀式を重要な国家的行事 (公事中の公事)として行うことは,憲法第 1 条と第 2 条を根拠に憲法第 20 条・第 89 条の例外として考えることができるのであって,天皇の即位 が円滑に滞りなく行われるようにすることは,憲法が禁ずるものではない と考える。. 4.おわりに  以上述べてきたように,皇位継承に関する儀式は皇室の私事の範疇を超 えた国家公共的なものであるにも関わらず,政府が一部を「国事行為」と し,一部を「皇室行事」とするに至った原因は,憲法解釈における混乱に あったといえよう。  第一に,国事行為(政務行為)が国家作用(公共性を有する行為)の全て 39.

(18) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年). ではなく,国事行為のみが国家的行事を意味するものではないということ を前提にしなければならないと考える。  第二に,皇位継承儀式は皇位の本質と密接に関わるものであることから, 国事行為とは一線を画した性質の国家公共的なものである。むしろ,皇位 継承は,宮務法体系に属しながらも政務的な要素も包含していることから, 政務と祭祀の根底に位置づけられるものであると考える。したがって,皇 位継承儀式は,内閣の助言と承認(政治介入)を前提とする国事行為では なく,ましてや皇室の私事(私的行為)ではなく,公事中の公事であり, 重要な国家行事であると考える。また,これらのことは,憲法第 1 条と第 2 条に包含されるものであって,憲法第 20 条・第 89 条の例外として考え ることができると思われる。  ここで留意すべき点は,天皇の行為論や政教分離に関する従来の学説が 天皇の政治利用の禁止にあったという点である。これを本稿のテーマに近 づけてみれば,皇位継承の儀式は重要な国家的行事(公事)であるが,そ れはあくまでも国事行為とは異なる次元での公的側面という意味である。 すなわち,先の大石説にみられるように,政治勢力からの皇室の相対的な 分立(「宮中・府中の別」)を基にしたわが国の統治原理からみれば,皇位 継承に関する儀式については政治介入を許さない領域であることを意味す る。この皇室(宮中)が政治勢力(府中)に不当に介入されないという考 え方(「宮中と府中の別」)は,わが国における伝統的な統治原理であり, 同時にこれが政治権力に対する抑制原理となるものであると思われる。こ のような伝統的統治原理に基づく権力抑制原理は,立憲主義における権力 抑制原理とも親和性があると考えるが,宮中と府中の別(関係性・距離), あるいはわが国における伝統的な統治原理(不文憲法)の考察については, 今後の研究課題としたい。. 40.

(19) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題 註 ( 1 ) 主に皇霊殿神殿に奉告の儀,賢所の儀,剣璽等承継の儀,即位後朝見の儀を挙げ ることができる。 ( 2 ) 例えば「剣璽等承継の儀を国の儀式として行うことについて」(昭和 64 年 1 月 7 日閣議決定)において「国の儀式」という場合は「国事行為」を意味している。「天 皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う国の儀式等の挙行に係る基本方針に ついて」(平成 30 年 4 月 3 日閣議決定)では,「国事行為である国の儀式として」 としている。 ( 3 ) この問題についての先行研究は本文に挙げたもののほか,例えば, 『法学セミナー 増刊 総合特集シリーズ 1「現代天皇制」』(日本評論社,昭和 52 年),横田耕一・ 江橋崇編『象徴天皇制の構造』(日本評論社,平成 2 年),笹川紀勝『自由と天皇制』 (弘文堂,平成 7 年), 『ジュリスト特集「象徴天皇制」』933 号(有斐閣,平成元年), 『法律時報特集「転換期の象徴天皇制」』61 巻 6 号(日本評論社,平成元年),『法学 セミナー増刊 総合特集シリーズ 33「天皇制の現在」』(日本評論社,昭和 61 年), 百地章「憲法と大嘗祭」佐藤幸治・初宿正典編『人権の現代的諸相』(有斐閣,平 成 2 年)などを挙げることができる。本稿は,これらの先行研究に多くの示唆を受 けている。 ( 4 ) 平成 2 年 4 月 17 日第 118 回国会衆議院内閣委員会議録第 3 号 13 頁。 ( 5 ) なお,ここでいう「公的行為」については,従来より「国事行為,それから単な る私的なことというだけでなく,その中間に象徴としての公の御行為はある」(昭 和 39 年 3 月 19 日第 46 回国会衆議院内閣委員会議録第 11 号 3 頁)と述べてきた。 ( 6 ) 平成 31 年 3 月 13 日第 198 回国会参議院予算委員会議録第 8 号 5 頁。 ( 7 ) 「②象徴としての地位に基づいて公的な立場で行われる公的行為」については, 「憲法第一条に規定する『日本国の象徴であり日本国民統合の象徴』としての地位 に基づいて公的な立場で行われるものであり,憲法上の明文の根拠はありませんが, 象徴としての地位にある天皇の行為として当然に認められる」と述べる(同会議録 5 − 6 頁)。 ( 8 ) これに続けて「三種の神器を授受するということは,恐らく實際において行わる ることと思つております。しかしその中には,殊に賢所のお祭りのごときは,宗教 的意味をかなり含んでおるものと存じまするが故に,これを皇室典範に取り入れる ことは困難であるわけであります。また大嘗祭は,同じような理由によりまして, 皇室典範の中に取り入れることもできません」と述べている(昭和 21 年 12 月 6 日 第 91 回帝國議会衆議院速記録第 6 号 69 頁)。 ( 9 ) さらに「御大礼の中にも宗教的色彩の篭もっているものと,それから色彩の篭もっ ていないものと二つに分けうる,例えば賢所大前の儀というようなのは,これはど うしても宗教に組み合わされますから,表向きの皇室典範の御大礼にはなりません」 とする(昭和 21 年 12 月 11 日第 91 回帝國議会衆議院皇室典範案委員會議録(速記) 第 4 回 29 頁)。 (10) 大嘗祭については「皇室内部の御儀式として,続行せられて行くことであろう」. 41.

(20) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年) と述べる(昭和 21 年 12 月 17 日第 91 回帝國議会貴族院皇室典範案特別委員會議事 速記録第 1 号 6 頁)。なお,この延長線上に昭和 54 年の真田内閣法制局長官の「神 式のもとにおいて国が大嘗祭という儀式を行うことは許されない」との答弁もある (昭和 54 年 4 月 17 日第 87 回国会衆議院内閣委員会議録第 7 号 16 頁)。 (11) 昭和 21 年 12 月 11 日第 91 回帝國議会衆議院皇室典範案委員會議録(速記)第 4 回 29 頁。 (12) 昭和 60 年 3 月 7 日第 102 回国会衆議院予算委員会第 1 分科会議事録第 1 号 12 頁。 (13) 昭和 34 年 3 月 26 日第 31 回国会参議院予算委員会第 1 分科会会議録第 4 号 6 頁。 (14) 平成元年 12 月 21 日閣議口頭了解。 (15) 味村治内閣法制局長官は,葬場殿の儀は「日本国の象徴でございますし,日本国 民統合の象徴であられました昭和天皇を葬送申し上げる儀式でございますので,国 民的敬弔の対象として公的な性格をお持ちであります」と述べた(平成元年 2 月 10 日第 114 回国会衆議院内閣委員会議録第 2 号 6 頁)。また,宮尾宮内庁次長は,葬 場殿の儀について「皇室のいわば私的ではなくて公的な行事だというふうに考えて いるわけでございます。公的性格を持った皇室の行事である」と述べている(平成 元年 2 月 14 日第 114 回国会参議院内閣委員会議録第 3 号 9 頁)。 (16) この点,例えば,即位の礼・大嘗祭訴訟東京地裁平成 11 年 3 月 24 日判決では, 大嘗祭等は「皇室神道における祭司としての天皇が主宰するものであって,国事行 為(憲法 7 条)あるいは天皇の公的行為としてではなく,天皇個人あるいは皇室の 私的な信仰に基づき行われるべきものであり,また,それゆえに皇室行事として行 われたものとみるべき」としており,ここでいう「皇室行事」は私的行為の範疇に 入るとの認識が示されている。 (17) 平成 2 年 4 月 17 日第 118 回国会衆議院内閣委員会議録第 3 号 14 頁。 (18) なお,三行為説の中でも国事行為以外の公的行為については,公の地位にある者 一般に期待される行為として「公人的行為」とみる立場もある。この見解の特徴は, 天皇の象徴規定に国事行為以外の公的行為の根拠を求めるのではなく,天皇の場合 に限らず,一般的な公的地位にともなう現象の問題の一つとして位置づける点にあ る(小嶋和司『憲法の争点(新版)』有斐閣,昭和 60 年 45 頁)。 (19) 清宮四郎「天皇の行為の性質」杉原泰雄編『国民主権と天皇制』(三省堂,昭和 52 年)248 頁。 (20) 清宮四郎『憲法Ⅰ』(有斐閣,昭和 46 年)152 頁参照。 (21) 影山日出弥「今日における主権論争と主権論の再構成」杉原泰雄編『国民主権と 天皇制』(三省堂,昭和 52 年)115 頁。 (22) 芹沢斉「象徴天皇制をめぐる課題」 村みよ子編『憲法研究』創刊号(信山社, 平成 29 年)48 頁。 (23) さしあたって,国事行為説は,宮沢俊義−芦部信喜『全訂日本国憲法』日本評論 社,昭和 53 年 84 頁参照,準国事行為説は, 口陽一『憲法Ⅰ』青林書院,平成 10 年 122 頁を参照。 (24) ここで論点となっているのは,例えば①外国元首との親書親電交換などの儀礼的. 42.

(21) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題 交際,②外国公式訪問,③外国の国家儀式への参列,④国会開会式への出席とお言 葉の朗読,⑤国民体育大会,植樹祭などの各種行事への出席,⑥園遊会,正月の一 般参賀などの行事,⑦国内巡幸,⑧謁見,⑨内奏の位置づけである。 (25) 大石眞教授は,従来の学説を再構成し,天皇の行為を国事行為,準国事行為,公 人行為,私的行為の 4 つに分類するが,皇室祭祀や皇室行事は「公務以外のもの」 (職 務としての公的行為以外のもの),すなわち私的行為と位置づけて考察範囲から除 外している(大石眞「天皇の『公務』と退位をめぐる諸問題」 村みよ子編『憲法 研究』創刊号,信山社,平成 29 年,14 − 18 頁参照)。 (26) 横田耕一「憲法精査不在の天皇代替わり」『法律時報』91 巻 6 号(日本評論社, 令和元年)2 頁。 (27) 横田,同論文。 (28) 横田,同論文。 (29) 平成 30 年 11 月 30 日付産経新聞。 (30) 平成 31 年 3 月 9 日付東京新聞。 (31) 昭和 21 年 12 月 17 日第 91 回帝国議会衆議院皇室典範案委員會議録(速記)第 8 回 24 頁。 (32) 憲法調査会事務局『憲法運用の実際についての第三委員会報告書―天皇・戦争放 棄・最高法規―』(大蔵省印刷局,昭和 36 年)30 頁。 (33) この点については,責任に関する一般論として,「宮内庁が内閣のもとにありま す以上は,それはまたその行為に対して宮内庁のお世話をいたしておることについ ての責任は,やはり直接とか間接とかいうことと同時に,本来基本的に申しますと, やはり内閣に責任がある」と述べる(昭和 39 年 3 月 19 日第 46 回国会衆議院内閣 委員会議録第 11 号 3 頁)。また,「皇室関係の国家事務というのは,内閣総理大臣 の統括されます宮内庁長官以下の宮内庁の所管事務になっております」と述べる (昭和 39 年 4 月 23 日第 46 回国会参議院内閣委員会会議録第 26 号 9 頁)。そして, 「私的行為についても,天皇が全く個人として天皇の御意思どおりで動くのではな くて,やはり広い意味の行政の一部として天皇のお世話をすると申しますか,公的 行為なり私的行為というものが憲法の趣旨に従って行われるようにいろいろ配慮す る,そういうものが行政の責任であろうと思います。このことは,御承知かと思い ますが,宮内庁法の皇室関係の国家事務あるいは先ほどもお話が出ておりましたけ れども,その上の総理府,さらには最終的には内閣の責任という形で行政組織の上 でもそれぞれの機関が事務を分担して,そして天皇の公的行為なり,あるいは私的 行為について行政の責任を尽くしている」と述べる(昭和 50 年 3 月 14 日第 75 回 国会衆議院内閣委員会議録第 6 号 9 頁)。 (34) 三種の神器については,「陛下の御身位に当然伴う品でございまして,今の法律 の所有権論で申しますれば,陛下とともに伝わる御私有でございまして,これは永 久に後嗣に伝える立場のものであると申し上げるほかはない」とし,「公けの立場 におられる陛下の御所有でありまして,今の言葉でいえば御私有であって,これを 世襲の後嗣に伝えられる品である」と述べる(昭和 34 年 3 月 5 日第 31 回国会衆議. 43.

(22) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年) 院内閣委員会議録第 14 号 8 頁)。また,三種の神器に関する質問に対しては,「こ れは陛下の私有財産ということになろうと思います」と述べる(昭和 50 年 5 月 29 日第 75 回参議院内閣委員会会議録第 9 号 14 頁)。ただ,「皇位とともに伝わる由緒 あるものと,こういうことでございまして,国有財産にはなっておらないんでござ います。しかし,そうかといって全くの私的な皇室のものかというと,まあこういっ た由緒あるもの,皇位とともに伝わる由緒あるものという側面もございます」(昭 和 52 年 10 月 25 日第 82 回国会参議院内閣委員会会議録第 2 号 10 頁)と述べたり, 「三 種の神器というようなものをどう考えるかと,これを国有財産と言い切れるのかと いうことになりますと,やはりいろいろとお考え方というのは出てまいると思いま す。しかし,天皇家の全くの私有のものでどうなってもいいというものでもなかろ うと思います」(昭和 55 年 3 月 27 日第 91 回国会参議院内閣委員会会議録第 6 号 18 頁)と述べる点も注目される。 (35) この点については,「踐祚に關する規定,すなわち天皇崩御になりますれば,皇 嗣すなわち踐祚を遊ばされるという規定が一つでありまして,これは先にも御指摘 になりましたように,文字こそ變つておりまするけれども,ほとんどそのままに今 囘の改正案の中にはいつておる」と述べる(昭和 21 年 12 月 5 日第 91 囘帝國議會 衆議院議事速記録第 6 号 4 頁)。その後,「践祚というのは,即位されて直ちに行わ れる一連の儀式,あの場合には四つ書いてございますが,四つ全部が全部国事行為 になるということを申し上げるわけではございませんが,やはりそのうち,即位を したということを中外に宣明されるといいますか,そういったような一定の儀式が 要るのじゃなかろうか」と述べている(昭和 54 年 4 月 20 日第 87 回国会衆議院内 閣委員会議録第 9 号 7 頁)。また,「践祚という言葉は現在の憲法,法律のもとでは 即位という言葉になっております」(昭和 63 年 11 月 8 日第 113 回国会衆議院決算 委員会会議録第 10 号 17 頁)と述べる。さらに, 「即位に関連する儀式というものが, 旧制におきましては,先帝崩御後の直ちに行われる践祚の儀式,それから喪明け後 に行われる即位礼,大嘗祭等を含む儀式等があったわけでございます。もちろん現 在の皇室典範の中には践祚の意味も含めまして即位という言葉だけに表現をされ て」いるとし,「登極令で定められた儀式というものも,皇室の長い伝統に基づい た儀式と考えてよろしいかというふうに私どもは考えております」(平成元年 11 月 2 日第 116 回国会衆議院決算委員会議録第 2 号 29 頁)と述べる。その他,「旧登極 令等に規定をされております皇室の長い伝統的な行事というものは,今日において も十分重要な皇位継承儀礼として行い得る」(平成 2 年 4 月 17 日第 118 回国会衆議 院内閣委員会議録第 3 号 4 頁)とも述べている。あるいは,剣璽等承継の儀につい ては,「皇位を継承されました新天皇が即位のあかしとして剣及び璽を承継される, あわせて国事行為の際に使用される御璽及び国璽を承継される」ものであるとし, 皇位とともに伝わるべき由緒あるものを「承継される儀式でございますので,そう いう意味で憲法に違反するというようなものではない」(平成 2 年 5 月 24 日第 118 回国会参議院内閣委員会会議録第 3 号 21 頁)と述べる。なお,「衆議院議員村上弘 君提出天皇『代替わり』儀式問題に関する質問に対する答弁書」 (平成元年 2 月 14 日). 44.

(23) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題 では,「剣璽等承継の儀及び即位後朝見の儀は,日本国憲法の趣旨に沿ったもので あるから,旧法令が規定するところと同じ内容及び形式のところがあったとしても, 憲法上何ら問題がないと考える」としている。 (36) 例えば,「旧皇室祭祀令に載せられておりましたお祭りの中でも…(中略)…多く のものは旧令を尊重されまして,伝統を尊重されまして,いまの陛下もそのまま続 けていらっしゃる」と述べる(昭和 54 年 5 月 29 日第 87 回国会参議院内閣委員会 会議録第 12 号 39 頁)。 (37) 園部逸夫『皇室法概論―皇室制度の法理と運用― 〔復刻版〕』 (第一法規,平成 28 年) 310 頁以下。 (38) 園部説では,①国事行為(国家機関として行う憲法上の行為),②公人行為(象 徴としての地位に基づき,公人として行う行為),③社会的行為(象徴としての地 位を背景にしつつ,私人として行う行為),④皇室行為(私人として皇室を構成す る者として行う行為,宮中祭祀の主宰),⑤私的単独行為(私人としての立場で, 私人単独で行う行為)の 5 分類を提唱する。 (39) 園部,同書 115 頁。 (40) 園部,同書。 (41) 三潴信吾『日本憲法要論』(洋版出版,平成 4 年)81 頁。 (42) 平成 28 年 8 月 8 日「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」http:// www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12(最終アクセス令和 2 年 1 月 1 日) (43) 下條芳明『象徴君主制憲法の 20 世紀的展開』(東信堂,平成 17 年)142 頁以下。 (44) 下條,同書 142 頁。 (45) 下條,同書 143 頁。 (46) 小森義峯「現行憲法下の大嘗祭合憲の法理」『法と秩序』17 巻 3 号(裁判の独立 を守る会,昭和 62 年)3 頁。 (47) 小森,同論文 5 頁。 (48) 小森,同論文。 (49) 大石義雄「皇室祭儀と憲法との関係」皇室法研究会編『現行皇室法の批判的研究』 (神社新報社,昭和 53 年)147 頁。 (50) 大石,同書。 (51) 大石,同書 148 頁。 (52) 大石,同書。 (53) 大石,同書 148 − 149 頁。 (54) 尾高朝雄『国民主権と天皇制』(国立書院,昭和 22 年)185 頁。 (55) 田上穣治『日本国憲法原論』(青林書院,昭和 60 年)56 頁。 (56) ここでいう nation と state の視点については,三潴,前掲書 38 頁以下,慶野義雄 『国民の政治学』(嵯峨野書院,平成 18 年)35 頁以下,百地章『憲法の常識 常識 の憲法』(文春新書,平成 17 年)28 頁以下を参照。 (57) 三潴,前掲書 99 頁以下参照。 (58) 清宮,前掲論文 251 頁。. 45.

(24) 憲法研究 第 52 号(令和 2 年) (59) 大石,前掲論文 149 − 150 頁参照。 (60) 美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣,昭和 2 年)107 頁。 (61) 美濃部,同書。 (62) 美濃部,同書。 (63) 美濃部,同書。 (64) 宮沢俊義−芦部信喜『全訂日本国憲法』(日本評論社,昭和 53 年)141 頁。 (65) 宮沢,同書。 (66) 横田耕一「大嘗祭の法的諸問題」 『キリスト教と大嘗祭』 (日本キリスト教書販売, 昭和 62 年)112 頁。 (67) 横田,同論文。 (68) 横田耕一「皇室典範をめぐる諸問題」『法律時報』48 巻 4 号(日本評論社,昭和 51 年)48 頁。 (69) 横田,前掲論文「憲法精査不在の天皇代替わり」2 頁。 (70) 横田,同論文 2 − 3 頁。 (71) nation(国家共同体)と religion(宗教)の関係については,慶野,前掲書 76 頁を参照。 (72) 小嶋和司『憲法概説』(良書普及会,昭和 62 年)194 頁。 (73) 百地章「憲法と大嘗祭」『人権の現代的諸相』(有斐閣,平成 2 年)183 頁。 (74) 百地,同書。 (75) 百地,同書。 (76) また,昭和天皇の葬場殿の儀に関しては,「皇室には伝統的な宗教儀式(祭祀) が伝えられており,歴代天皇はもちろん,昭和天皇も皇室祭祀にはことのほか熱心 であられた。であれば,そのような伝統的宗教儀式の採用は,皇室の『長い宗教的 伝統を単に承認するだけ』であって,そのことが直ちに特定宗教の援助となるわけ ではない」(百地章『憲法と政教分離』成文堂,平成 3 年 94 頁)とする。 (77) この点については,小森義峯教授の前掲論文を参照されたい。 (78) 長谷部恭男『憲法(第 3 版)』(新世社,平成 16 年)134 頁。 (79) 長谷部,同書。. 46.

(25) 皇位継承に係わる儀式をめぐる憲法問題. A Study on the Succession to the Imperial Throne and the Constitution of Japan Tomoyuki Takanori Summary The purpose of this paper is to examine the succession to the Imperial Throne from the viewpoint of the Constitution of Japan. The government has decided that only part of the succession to the Imperial Throne is “acts in matters of state” in the Constitution. Regarding this decision by the government, there are two viewpoints. One is, everything involved in the succession to the Imperial Throne should be considered “acts in matters of state”. Another viewpoint is that it’s unconstitutional to use the succession to the Imperial Throne as a public event. However, Article 1 of the Constitution states that The Emperor has two public aspects. The Emperor shall be both the symbol of the State and of the unity of the people. In addition, Article 2 states that the Imperial Throne is dynastic. This gives reason to believe that the succession to the Imperial Throne is carried out through traditional rituals. Given the reasons above, the Japanese Constitution does not explicitly prohibit to use the succession to the Imperial Throne as a public event. In addition, the “acts in matters of state” is a function of the Emperor as a national institution. However, the Imperial Throne not only acts as a function of the national institution, but also a symbol that represents the unity of the people. Therefore, it is reasonable to think that the ceremonies of succession to the Imperial Throne should not be considered as an “act in matters of state” but rather a public event. The Emperor is the symbol of the State and of the unity of the people, making inheriting the Imperial Throne the most valuable public act that is fundamental to the nation.. 47.

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参照

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