Title
管理会計の歴史的位置に関する一考察
Author(s)
宮井, 久男
Citation
沖縄短大論叢 = OKINAWA TANDAI RONSO, 1(1): 33-53
Issue Date
1985-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10607
管理会計の歴史的位置に関する一考察
宮 井 久 男
I はじめに H 管理会計概念と管理会計の歴史的位置 血 管理、管理計算、管理会計 W おわりに I は じ め に 管理会計の生成をいつの時点に求めるかに関しては、その論者の管理会 計観、基礎としての「管理J
という概念規定に従って異なり、定説とされ るものはないといえる。管理会計の生成時点を明確』とするためには、その 前提として、いかなる会計現象を管理会計と認識するのかという管理会計 そのものの概念規定が明確になっていなければならない。管理会計の生成 をいつの時点に求めるかという問題は、管理会計自体をし1かに把握し、そ の歴史性を明確にさせる乙とを意味しているのである。乙の問題を考察す る際、その体系化論とも関連しながら、企業会計の二大支柱とされる財務 会計との関係で論じられるのが一般的である。つまり、乙の問題は性格的 に、会計そのものの本質論議に連続してし1く課題となるのである。したが って、管理会計の歴史的位置を考察するという意義は、会計そのものの本 質へ迫る、管理会計的側面からのアプローチであるといえるのである。 そ乙で本稿では、まず、従来から主張されてきた管理会計の歴史性、管 理会計の概念規定に関する諸説について概観し、それぞれの特徴とその拠 って立つ管理会計観、会計観について整理を試みる。そして、乙の作業に。 。
内 。
基づいて、次にわれわれはこの問題を考察する上できわめて重要な概念で ある官理について、そもそも管理とは向か、という視点から問い直し、乙 の管理と計算が歴史的にいかに関係を取結んできたのかを考察してしぺ。 つまり、管理、管理と計算、そして管理会計という順序で考察を進め、わ れわれなりのこの問題に対する見解を導き出すベく、その基本的枠組の構 築を課題とするものである。
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管 理 会 計 概 念 と 管 理 会 計 の 歴 史 的 位 置 管理会計をし1かに定義するかに関しては、多くの論者、機聞によって試 みられているが、その場合まず考察の対象とされ、また、今日もっとも広 (1) く一般に認められている定義 といわれているのが、アメリ力会計学会 (以下、 AAAとする)の1958年管理会計委員会報告書の規定である。そ乙 でまず、乙の報告書に規定されている菅理会計概念とその規定からくる生 成過程のとらえ方を検討していくことにする。 報告書は、管理会計について次のように規定している。I
管理会計とは、 経済実体の歴史的および計画的な経済的データを処理するにあたって、経 営管理者が合理的な経済目的の達成計画を設定し、また乙れらの諸目的を 達成するために知的な意思決定を行うのを援助するため、適切な技術と概 念を適用することで、ある(
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0 つまり、経営管理者の目的達成のための計画 設定、そのための意思決定に役立つための歴史的、計画的な経済データの 処理技術、概念の適用が管理会計であるとするのである。報告書ではさら に、 「広義に解すると、すべての会計が管理会計となるが、やや狭い意味 においては、管理会計は、目的、卓越した観点、および潜在的な経営管理 への利用を重視する乙とに特色がある。菅理会計では企業の内部K重点が (3) おかれる 」と述べられ、広義に解するとすべての会計が管理会計となると いう表明と狭義での経営管理への利用の重視、企業内部利用の重点が示さ れている。報告書の管理会計の定義に従って、広義に解釈すれば、管理会 -34-計の生成は当然の乙ととして会計の生成時点、に求められる。では乙れを狭 義に解釈して考察した場合、いつの時点に生成時点を求められょうか。乙 の場合には、会計に対する企業外部からの要請、会計情報の公表との関連 で把握されていく乙とになる。乙の点を報告書は、会計は発生当時や初期 の発展過程においては、主に経営管理を志向しており、会計の基本的目的 は、ほとんどすべて、経営管理者が共同事業の資産、負債および成果を勘 定処理しようとする必要性を満たす乙とに向けられていた。したがって、 会計の初期の歴史を探究してみると、会計は、外部の要請よりも経営管理者 の内部的必要性を満足させる乙とを目的として発展したものである乙とが 示されていると述べているい)。乙乙では、管理会計の生成を、会計そのもの の発展過程の中に見い出し、会計自体が、生成期には経営管理者の内部的 必要性のために存在していたと考えているのである。もちろん乙の乙とは、 時代錯誤的に、当時の会計の管理会計的性格を
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年時点の管理会計と同 一視する乙とを意味しない。つまり、会計は、発生当時においては、とく に内部的な経営管理者の使用目的を満たすために発展し、また、ほとんど 全面的に乙の目的に使用されていたが、当時の手続や概念は、今日あるよ うな内部経営管理者の必要性を満たすに足るものではなかったし、また全 くそれに適するものでもない。会計の発生当時に管理会計の端初的形態を 見い出すとともに、1
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年当時のものとの質的相違を強調している(
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乙の ように把握される管理会計に対して、報告書では、財務会計をし、かにとらえて いるのであろうか。報告書は、財務会計の生成要因を五点列挙してし唱。(
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)
所 有者が広範に散在した会社形態が発生し、所有のための独立会計が必要になっ た。(
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)
会計を通じて第三者の利益を保護しようとする社会意識が芽生え始めた。 (3)独立の公認会計士という新しい職業が発生した。(4)企業K対する課税を規定 した諸法律が通過した。(5)企業の法的規制を規定した諸法律が通過した。乙 れらの発展が会計に対する影響要素となり、財務会計の生成基盤を形成し、そ の乙とはまた管理会計の立場に影響を与えるものになったと考えている。報告 書は、これらの影響が前世紀中に会計に及ぼされ、その進展が財務会計を生成、 発展させ、菅理会計につしては、「外部の要因が、内部的な経営管理者の使用に -35ー供するという当初の目的にとって代ったわけではなかったが、内部目的を 遮蔽するにいたったので、管理会計は、近代的な経営管理者のますます繕 (6) 大する必要性を満足させうる程十分には進歩しなかった」と指摘
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てい る。それ故に乙そ、科学的管理法にみられる経営管理技術の進歩に比較し て、管理会計の相対的遅れを重視し、飛躍的発展の必要性を説いているの である。乙の点は、ハリスン(G.C. Harrison)の指摘にもみられ、乙の 歴史的脈絡の中で標準原価計算論を確立していったといえd
九そこで、報 告書における菅理会計と財務会計の歴史的位置づけを整理すると次のよう になる。報告書は会計を経営管理における機能ないし利用目的に関連して 区別しているのであるが、その場合、会計の生成当初は管理会計的側面に 重点がおかれており、その後、前述のような諸要因のもとに財務会計が生 成、発展し、乙の財務会計が「内部目的を遮蔽するにいたったので」官理 会計は十分に進歩しえなかった。しかし、科学的管理法に触発されて、独 自的発展の必要性が認識されてきた。AAA
の報告書では、広義に解するとすべての会計が管理会計となると 述べられているが、財務会計を含めて広く管理会計として把握しているの がマクファランド(W.B. McFarand)の説である。マクファランドは、I雇 史的接近法によれば、所有主の財産状態を記録する技術としての起源から、 近代的管理会計は、会計士が意思決定の結果を評価する際、管理者を助け るために経営活動からの損益を測定する乙とに着手した時始まった。歴史 的記録を実践する乙とが基本的会計機能であり続けるとともに、より大き な強調が、今や、著積された経験を、将来財政的成果に影響する諸活動へ のより有用な指針にする乙とに置かれている。経営管理者は、以前には、 会計報告書から利用可能な限定された財務データを補足すべく、直観力や 個人的な観察力に主に依存していた。しかし今や、広範な経済情報を収集、 分析、解釈する諸機能が広く、会計士に託されている(8)Jと述べ、また、 「企業と外部世界との関係は、トップマネジメントの重要な機能である。 財務データに対する政府要求への応諾もまた、経営管理者責任である。し たがって、本研究は、外部報告を管理会計の一つの絶対的に必要な局面で・ - 36ーあると考えている(9)Jとして、財務会計を管理会計領域に含める見解を示 している。さらにボディ(J.F.Body)は、管理会計ある用語は、近年作り 出された新しいものではなく、その歴史は長く、形態的にはさまざまに存 在してきた。そして、今日みるような予算管理や標準原価計算へと発展し てきたのであると論述している{叱管理会計を企業会計の機能的側面から 規定していく方向は、乙のようにその考え方を拡大していくと、財務会計 領域をも含んだ概念として把握されることになる。元来、会計は、伺らか の管理的要請に基づいて実践されてきたのであろう放に、乙のこと自体は 当然、の乙とではある。クロスマン (P.T. Crossman)をして「本質的には、 (11) すべての会計は管理会計である 」といわしめる所以である。 わが国では、吉田弥雄氏、溝口一雄氏の説が、管理会計を経営官理に対 する機能的側面から把握する代表的見解であろう。吉田氏は、菅理会計を 企業会計の経営管理に対する役立ちという機能的側面に焦点をあてた呼び 名で・あるとされる(ベつまり、吉田氏は、会計を、企業の経済活動(企業資 本の循環運動として把握される)を貨幣価値的数値によって測定し、記録 し、分析、解釈して、企業内部の経営者・管理者にその経営管理に役立つ 情報を伝達するとともに、企業外部の利害関係者に企業の経営成績と財政 状態を報告する行為であると規定され、そ乙に示された情報提供対象 K関 連して、二つの会計の機能的側面を設定される。つまり、企業会計におけ る一つの側面は、 「経営管理者(経営者と管理者を総称する)の経営管理、 すなわち意思決定、計画と統制に必要な資料を収集・記録・計算・分析・ 解釈・伝達して、経営管理者の管理的利用に供しなければならない。乙の ような企業会計の機能的側面は、管理会計と呼ばれる(13)Jとし、これに対 して、 「企業をめぐる株主・債権者・政府・労働組合・一般公衆などの外 部利害関係者に財務諸表を公表し、これによって企業利益の配分について 関係者の利害調整に役立たなければならな ~\o このような企業会計の機能 (14) 的側面は、財務会計 (financialaccounting)と呼ばれる Jとされる。い わゆる管理会計と財務会計の区分は、吉田氏にあっては、個々の計算技法 にあたえられるものではなく、企業会計の機能的側面からみて行なわれる - 37一
のである。したがって、技法的にみた場合、管理会計の技法には予算、標 準原価計算、
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分析などとともに簿記も含められる乙とになる(
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乙の ように管理会計概念を企業会計の機能的側面として把握するならば、必ず しも1920年以降の予算、標準原価計算などの確立を待つ乙とはない。それ 以前にも経営管理に役立つ情報提供機能は存在しており、吉田氏は、 「会 計は歴史的にみて、まず所有主的経営者 (owner-managers)が内部目的の 一 、 ( 1 6 ) ために役立たせるために行むったものとみるべき Jであるとして、上述 のAAA報告書のいう、会計の初期段階における管理会計的性格の見解を 妥当なものと考えられている。このような立場の見解は、溝口一雄氏にも みられる。溝口氏は、 「管理会計の本質を規定し、これを体系化するため (17) のより正しい接近方法は、会計の機能的側面を中心とするものである 」 と述べられ、複式簿記を管理会計の原初形態と考えられている。 このような見解に対して、とりわけAAAの管理会計委員会の報告書に 関連しながら、黒沢清氏は、 「けだし前期的企業形態たるジョイント・ヴ ェンチャーの会計が、元来、内部目的を主眼として管理会計であったと主 張されているが、かような前近代的な会計制度の特徴が、本来の意味で管 ( 1時 理会計であったという意味は、はなはだ不条理である Jと批判的であり、 山辺六郎氏も「中世の組合企業の会計を、主として管理会計であった、と 三A.M~?(1骨 していると乙ろには大いに異同聞かある 」と述べられている。これらの批 判は、テイラー (F.W. Taylor)を中心として展開された科学的管理法を 基礎に会計的発展を遂げ、体系化されてきた領域と同列視することへの異 論であり、それはまた、初期的段階における会計をどのように把握してい くかの問題を含むものとなっている。つまり、その考え方、把握の仕方は、 科学的管理法以前の会計が、管理会計的側面と財務会計的側面との未分化 の状態であわせ持っていたとする考え方であろう。 さらにそうではなく、管理会計は財務会計の中から出現したのではなく、 むしろ会計は財務会計と管理会計の競合として出発したとする青木茂氏の 見解がある。青木氏は、原価計算発生史について資本主義経済成立前夜に おけるイタリ一半島とイギリスの会計事情を考察され、財務会計と管理会 - 38ー計の関係は、会計成立の当初より存在していたと考えざるをえないという 結論を導き出しておられる。つまり、会計は生まれながらにして商業簿記 一財務会計なる系譜と原価計算一管理会計なる系譜とを合わせもっていた のであり、乙の二つの流れは時に相より時に相はなれ、それが発達史を形 成しつつ近代会計学の完成へとその巨歩を運んだのであると論じ、管理会 計の独自的生成、発展を主張されているのである円 乙れに対して辻厚生氏は、菅理会計の解明に際しては、以上のような計 算技術に着目したり、あるいはその実践的意義を経営管理目的に関連づけ て把握する方法では、問題を解決できないとして、それは、管理会計と財 務会計との異同・関係が問われる限りは、乙のような問題を提起した事情 の歴史的考察、換言すれば、管理会計として総括されるに至る生成発展の 過程の究明を必要とするからにほかならないという立場にたって見解を表 明されている。そ乙で、乙の場合、まず会計の管理的性格を工業会計に聞 して検討し、管理概念の歴史的・社会的規定を検出する乙とが起点となる として、管理という範障と会計の管理的性格について検討されている。辻 氏は管理を次のように規定される。
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管理とは、あくまで生産と不可分離 的であり、基本的には生産過程の管理として、生産手段である労働対象、 労働手段および労働力の効果的利用・保全と結びついてのみ成立する概念 であり、その出発点はマニュファクチュア=工業制手工業である制」。乙の 観点K立脚して、辻氏は、会計の管理的性格の検出は、具体的には工業会 計に即して把握されるべきであり、かっ、マニュファクチュア以前の段階 である問屋制家内工業にあっては範鴎としての検出は求め難いというべき であるとされ、マニュファクチュア以前の会計の管理的性格の意味すると 乙ろを含めて次のように基本的な考え方をまとめられている。I
会計の管 理的性格は、古代における王侯の財産の保全管理機能において、中世の当 座性冒険商業企業にあっては所有関係の記録計算として、損益の分配計算 を目的とする航海別収支計算による出資者持分の管理に求める乙とができ た。さらに、前期的資本としての家内工業ないし問屋制家内工業制のもと では、材料の数量管理が他面では労働力の管理に代位するという意味にお - 39ーいて決定的な意義をもつものとして摘出したのである。しかし、古代の王 侯会計や冒険商業の会計は、生産資本ではなく、もっぱら所有関係の確定 計算にすぎない以上管理的性格の範障とはなりえなし」管理とはあくまで 生産と密接に結合した概念であり、基本的には生産過程の官理として生産 手段の効果的利用・保全の問題である。それ故、管理範曙はすぐれて労働 の生産性との関連において、社会的労働の生産力(
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)の発展に結びついている 」。 以上みてきたように、管理会計をいかにとらえ、その生成時期をいつに 求めるかについては多くの見解が存在する。管理会計を経営管理に対する 役立ちの側面からみる立場でも、計算技法の特徴に重点を置いて分類した り、財務会計との関係を相対的独自性で考察したり、あるいは双方未分化 の時代が会計の初期Kはあったとする説などその把握の仕方はさまざまで ある。また、 AAAの管理会計委員会報告書では、広狭両義のとらえ方を 提示し、広義では、すべての会計は管理会計であると論じている。狭義に は財務会計と管理会計の二大領域が存在する訳であるが、最近では、乙の 二つの会計を統合的にとらえようとする動きがある。乙の動きには二つの 方向があり、その一つは、上述の広義に近い立場で、広い意味での経営者 機能のうちに両者を統合していこうとするものであり、もう一つの方向は、 企業会計の本質を「情報」という概念を用いながら、そのシステムの中に 両者を統合していこうとする、 AAAの1966年に公表された基礎的会計理 論報告書(25)の立場である。そして、乙れらの見解の相違の基礎にはそれぞ れの説が唱える菅理概念が横たわっているのである。最後にみた辻氏の見 解は、乙の問題への取組みに関しては、計算技術に着目したり、その実践 的意義を経営管理目的に関連づけて把握しようとしても問題は解決しない という、重要な示唆を含むものではあるが、その場合においても考察の起 点である管理概念が重要な役割を果たしている。しかし、それぞれの説を 分岐する基本的要素の管理概念であるにもかかわらず、その検討は必ずし も十分に実施されていないように思われる。そ乙でわれわれは、以上の諸 見解を念頭に置きながら、次に、管理自体の検討を行ない、その「計算」 - 40一との関係、 「会計」とのかかわりについて、順次考察していく乙とにする。 皿 管 理 、 管 理 計 算 、 管 理 会 計 官理会計に関する概念規定について、いくつかの説の検討を行なってき た。しかし、そ乙で使用されている管理という概念については、必ずしも 明示されておらず、その把握の仕方の相違がそれぞれの見解を分ける重要 な要素となっていると考えられた。そ乙で次に、以上の諸説を念頭に置き ながら、管理という用語について基礎的考察を進め、順次乙の用語が「会 計」という用語と結合する乙とは何を意味するのかを検討していく乙とに する。 さて、われわれが管理会計と会計に付して使用している管理についてで あるが、そもそも管理とはし、かなる意味をもち、用いられているのであろ うか。まず『広辞苑j(第二版)の管理についての記述をみてお乙う。乙乙 では、 「①菅轄し処理する乙と。とりしきる乙と。@財産の保存・利用・ 改良を計る乙と。@事務を経営し、物的設備の維持・管轄をなすこと
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と されている。そして、そ乙で用いられている「管轄」という言葉について は、I
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菅」は門戸を開閉するかぎ、 「轄」は車輪の外れるのを防ぐく さび)権限によって支配する乙と。また、その支配の及ぶ範囲。国 家または公共団体が取り扱う事務について、地域・事項・人件上、 限界された範囲」と記述されている。つまり、管理とは、権限によ って支配したものを処理する、あるいは運用する行為を指している のである。橘博氏は、言葉というものは、およそ歴史的過程のある 一定期聞にわたって、日常無数の人びとによりくりかえされた社会 的諸活動の蓄積を反映しているという考えから、乙の管理について 辞典的検討を加えられている。まず、日本語の管理について各辞典から引 用され、さらにフランス語、ドイツ語、英語の管理という用語を検討し、 総括的に三段階Kまとめて整理されている。つまり、管理とは、第一段階-41-においては、総括的にみて、 「あつかう、処理する、執行する、整理する、 操作・操縦する、持続する、とりかかる、くわだてる、どうにかして…… する、道具をつかう
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などのように、人間の諸活動のうち、もっとも一般 的な行動形式をとらえているとされ、次に、第二段階のまとめでは、 「む ける、ねらう、注意する、解決する、導く、ある方向をとる、促進する、 成功する、方策を発見する、総覧する、所期の目的を達する」などを含み、 乙れらは、あくまでも、個人のつよい主体的意志のあらわれを意味してい ると総括される。そして、最後に、第三段階として、集固または個人にた し1するもっともつよい主体的意志の明確な表示に相当する内容が総括され る。つまり、 「指導する、推しすすめる、統御する、配置する、考案する、 組織する、安定させる、支配する、方法をさだめる、目標・方針をあたえ る、事業を経営する、作業の執行をはかる、有効な統制をはかる、個人の 意志にしたがわせる、はたらかす、指揮する、影響下におく」などが含ま れると総括されている。そして、第三段階の総括には、今日の工場経営に おける中枢的機能を基本とする配置、組織、考案、安定、支配などという 重要な内容が含まれているとされ、以上を踏まえて、菅理は、はじめの素 朴な段階における取り扱い、処理という、単純な日常的行為をも広く含め て、作業、任務への明確な取り組みと、その命令を含むとまとめられてい る似L
乙のようなまとめを受けて、資本主義的企業における菅理は、組織、 安定、支配、執行、統制という企業経営にとって重要な内容を含んでおり、 それは、 「上位の支配的・専制的地位にある者が、下位の被支配的地位に おかれた者にたいする、特定物的要因の確保と整理、利用をふくめての、 強固な明確な意志にもとづく行為の命令・指揮、服従、強制作業の実現を (25) 期待する乙とにほかならない」とされる。このように、ここでは管理とい う言葉の意味すると乙ろを整理し、それを素朴な規定から順次三段階に区 別され、最後の第三段階の規定をみる場合、資本主義企業の工場経営の基 本的機能の諸側面を総括的K
表現しているものとして把握されている。と くにその中でわれわれが注意すべきことは、管理という用語の中には計画 という内容と統制という内容が、素朴な規定であれ、一貫して存在してい - 42る点である。ただ乙乙では、第一段階から第三段への総括を必ずしも歴史 的変遷過程とはみなしておらず、相互の関係も明らかではない。それは、 基礎とした資料的制約でもあろうが、しかし、少なくとも管理という用語 には、計画、統制という行為が内容として包含されている点を確認してお く必要がある。 そ乙で、以上のような管理K関する基礎的理解をもって、次に、乙の管 理が歴史的にいかに位置づけられるかについて検討していく必要がある。 乙の点で、ソ連邦とチェコスロヴァキアの研究者の共同労作である『人間 一科学一技術』の記述が示唆に豊んでいる。そ乙ではまず、組織と管理は、 いかなる社会制度においても欠かせない部分であるという基本的な性格規 定がなされ、その乙とは、すでに個人的労働の最も簡単な労働過程ですら、 準備の段階(目的にもとづいて具体的な活動計画をたてる)、遂行の段階 (技術にたすけられて労働対象にはたらきかける)、そして、制御の段階 (労働過程の調整と結果の点検)を必ず含んでいる乙とによると説明されて いる刷。それは、社会的生産についても、その発展のすべての歴史的・具 体的領域について同様の乙とがいえるのである。つまり、計画、執行、統 制が、いかなる労働過程にも含まれている故に、管理はあらゆる社会制度 に不可欠であるとするのである。もちろんそれぞれの社会制度、社会的発 展段階に規定されて、管理システムは異なる様式をもっ乙とになる。した がって、 「管理の性格は、生産諸力・生産諸関係とそれに対応する上部構 造の三者の発達水準によって決まる。逆に、社会的分業と組織および管理 は、生産諸力に影響をおよぽし、生産諸力は、現存する組織と管理のシス テムが、生産諸力の発達水準と生産諸関係の性格に適合しているとき、最 もよく発展をとげるのである。生産諸関係とその上部構造の要素と同様に、 管理システムも相対的な独立性をもっている。それが生産諸力の一般的発 達水準に照応するかしなし、かによって、それは、社会の進歩を早めもする 車内 し、遅らせもする
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。乙乙に述べられている管理の普遍的性格と社会の発 展過程で‘の具体的現象については、いわゆる「管理の二重性論」で論議さ れている規定の仕方に対応している。つまり、そ乙では「すべての結合さ-43-れた社会的労働の特殊的分化形態としての指揮・監督機能(労働)について の規定を「素材的規定
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(=I
物質的技術規定J
)
と呼び,それが同時に剰 余価値生産にもとづく資本主義的搾取=抑圧である乙とを示す規定を「資 本主義的形態規定J( = I特殊社会的経済規定J)倒」と呼ばれ,それらの 関係については,I
それは,一者にたいする、他者一般、ではなしそれ に、固有な他者、との相互関係であり,同時に,相互に他者を一分子をも含んで いないという対立(物)の統一=対立といえる制」と論じられる。乙のよう な歴史的発展過程における管理の基本的枠組を把握し,考察すると,初期 の管理システムは未熟なものであったであろうし,I
管理は,はじめ(た とえば手工業の作業場において)は,いちじるしく経験的性格を帯びてい て,それは, 18世紀から 19世紀にかけての産業革命期に,機械制大工業に おける分業と協業の深化と関連してはじめて科学的になりはじめた剛」と いえるのである。 管理会計の管理を以上のように考えるならば,一方の「会計」はどのよ うに規定されるであろうか。その基本的性格を考察するために,会計もま た「計算」の一種,一つの形態であるとの視点から考察していきたい。 この「計算」概念を考える際,ソ連邦のウチヨット(yqeT )概念,つま り「計算(yqeT )J概念についての検討が,われわれに乙の問題での基本 的視角を与えてくれる。そ乙で乙乙では,パシレンコ(n.H.Bac日JIeHKO) の所論に依拠して検討してみたし可。パシレンコはまず,I
ソビエトの会計( oyxraJITepCKHH yqeT )は,経済計算( X03HHCTBeHHhlH yqeT )の
制 一種である 」という基本的位置づけを明確にしている。乙の点は,われ われが管理会計の歴史的位置づけを考察していく上で,その立脚点をど乙 に設定するかという場合の基礎を与えてくれる。乙の乙とは,自明の乙と のようであり,また重要な指摘となる。パシレンコは,会計を経済計算の 一種とみるのであり,その研究に際して,まず,その経済計算自体の一般 的特徴を考察する必要があるとして,経済計算の論述から始めている。 パシレンコによれば,広義にいう経済計算とは,まさしく経済の計算で あり,人間社会の経済活動の計算,つまり衣,食,住等々での必要性を充 -44一
足するための物質的福祉の生産と分配に含まれる人聞社会の経済活動計算 である。乙のような把握の仕方からすれば,計算概念は,歴史的にはかな り古いものとなる。それは, 14世紀ないしは 15世紀に生成したとされる複 式簿記よりもはるか以前に生成していることとなる。
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計算は,人間社会 の発展過程で生成し,人聞社会は,その必要充足のために経済活動,つま り管理と点検を必要とする物的生産を行なってきた。乙の目的のために乙 そ計算は生み出された門ので、ある。計算という行為は,人聞がその生存の ために物的生産活動を行なうに伴い生成してきたものとして把握されてい る。そして,物的生産は,管理と点検を常に必要としていたのであり,こ れとの関連でも計算がとらえられている点は,きわめて重要な視点である といえよう。そ乙で人聞社会は,生産力の発展に伴い,生産関係と社会機 構を変化させてきたが,それに伴って社会的生産管理と点検の用具として の計算の特徴も変化を遂げていく乙とになった。したがって,それぞれの 社会構成体のもとでは,計算はそれぞれ独自の目的,内容,意義を有する こととなる。原始共産制社会においては,基本的な生産関係は,人による 人の搾取のない生産手段の社会的所有が特徴となっており,そ乙での計算 は,共同体の所有物と経済活動を反映し,共同体の領分にあり,その全成 員,全社会の関心となっている。それに対して,封建制社会,資本主義社 会のもとでは,基本的生産関係は,生産手段の私的所有に基づいている。 社会は,敵対階級に分かれている一生産手段を所有している搾取者とこれ らの手段を持たない被搾取者。したがって,I
計算も搾取者階級一生産手 段の所有者の手にある。計算は,搾取者階級に奉仕し,隷属と搾取の手段 のーっとなり,階級的性格を帯びる僑lJのである。そして,社会主義社会 Kおいては,計算は別の特質を有してくる。乙の社会には,資本主義社会 とは異なり,搾取者も被搾取者もなく,計算は搾取の手段たりえないもの となり,逆 R.,計算は,全勤労者,全社会主義社会の利益となる。以上の ように,この見解によれば,計算は歴史的に条件づけられている。つまり, 一定の生産手段や社会機構に関連したものと理解されている。したがって 計算は, 1(1)計算の特徴,内容,目的,課題を決定する当該社会機精と密 E 1 uA
-接に関連している。 (2)ある社会機構から他の社会機構への歴史的発展過程 における変化によって,計算も変化する。 (3)階級的社会機構のもとでは, 支配階級が自らの利益に奉仕せしめる用具であるという階級的性格を帯び (担) る 」と総括されるのである。 以上のような経済計算に関する基本的認識をもちながら,その具体例と してパシレンコは,社会主義における計算と資本主義における計算の比較 を行なっている。資本主義と社会主義というそれぞれの社会構成体にはそ の条件に対応した計算が存在し,特質をもっている。その特質をあげれば, 第一は,生産手段の私的所有に基づく資本主義機構のもとでは,計算は, 個々の私的所有企業とその連合体の範囲内に限定され,経営資本家の意思 で孤立的に別個に策定され,実践されていることである。計算の一つの形 態である会計に限定してみた場合,いわゆる企業の内部計算としての管理 会計のこのような性格は容易に理解されうる。財務会計の場合,形式的に は国家の規制として公表制度が確立している。わが国の場合,商法,証取 法Kより公表制度として統一基準があり,それに依拠しながら,課税目的 から税法が整備されている。乙れらは,一見,先のパシレンコの指摘と矛 盾するように思われるが,乙の制度は,生産の社会化の進展を契機としな がらも,具体的機能面では現実を歪曲して公表することによって企業の最 大限利潤を保障するように働いている。資本主義会計の統一性は,
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統一」 という名のもとでの自由な会計,内容的にかなりの幅をもたせた弾力性の ある統一性であり,したがって,その資料は,国家の経済政策,計画立案 の基礎としての役立ちにも限界がある。乙れに対して生産手段の社会的所 有に基づく社会主義における計算は,国家によって確立された統一規則, 形式 K従って実践される。そして,各企業,全国民経済を包括し,反映す る社会主義計算は,統一システムをもら,統一的な国家の指導下にある。 このような資本主義と社会主義の根本的差異から,第二に,その計算の目 的K明確な差異がある。資本主義における企業の基本目的は,最大利潤の 獲得にあり,資本家は,収入と支出をコントロールし,利潤の源泉を分析 し,その増大の可能性を探究するために計算を利用する。つまり,利潤を 46-引き出し,その間断のない増加のためのコントロールが,資本主義のもと での計算の主要な目的なのである。それに対して社会主義における企業の 基本的課題は,国家計画の遂行にある。,究極的には,計画諸課題は,すべ て,その遂行指標を与える計算によってシステム的なコントロールを必要 とする。国民経済計画遂行のためのコントロールが,社会主義計算の最も 重要な目的である。第三1[,乙れは第一点、においても言及しであるが,公 表性に関する差異である。企業の計算は,資本主義においては,
i
営業の 秘密」によって,社会的公表とコントロールから免れており,資本家は, カムフラージュし,歪曲し,故意に虚偽の資料を発表している。その資料 では,資本家の利益は縮少され,労働者の賃金は誇張されている。資本主 義のもとでの計算は,本質的に秘密であり虚偽である。乙の場合,資本家 はいかなる資料をもって自らの利潤蓄積を管理するのかが問題となる。乙 れは簡単にいえば,そのつどその企業によって設定された目的とそ の企業をとりまく環境に左右されながら,その企業の独自的手法によって 展開されているとみるのが妥当であろう。それらを生み出す基盤は,経済 過程の変化にあるのだが,以上に述べられてきた資本主義企業の特徴,計 算の特質から,現象的には,ど都合主義的計算方法としてあらわれるであ ろう。乙れに対して社会主義のもとでは,搾取はなく,計算の歪曲もない。 その必要性が基本的には存在しないのである。その資料は,社会的に公表 され,経済運営に活用される。乙の乙とは,勤労者に対して企業の業務管 理への参加の可能性を保障する。社会主義の計算は,公然としており,真 実である。したがって,支配階級である資本家階級の手中において,その 利益の保護,勤労者の搾取と圧迫の強化の用具となっている資本主義社会 における計算は,明らかに階級的特徴を有している。それに対して,社会 主義社会における国民経済の発展と改善,勤労者の利益保護,共産主義建 設の最重要な用具の一つである社会主義計算は,全人民的,社会的に有用 同 な特徴をもっているのである。 以上みてきた計算は,経済計算を意味しており,それは,会計だけを意 味しているものではない。i
多面的で,複雑な国民経済は,多様な計算指-47-標への全面的反映を要求する。そのために社会主義における国民経 済 計 算 で は , 経 営 技 術 計 算 (OnepaTHBHOー TeXHH'IeCKH員 y'leT,)
会 計 (6yxraJlTepCKHiI y'le T ), 統 計 (CTaTHCTH'IeCKH量 y明 T )
が適用されている制
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のである。乙乙に経営技術計算とは,主に現 物指数や労働指数によって測定され,個々の作業現場での計画遂行 状況に関する情報入手を課題としている計算をいう。企業のすべて の経済活動を包括しない経営技術計算は,貨幣指数による一般化を必 要としない。したがって,特定の文書システムももちあわせていな1,¥0基 本的には,会計や統計の原始書類を利用し,当座の作業指導と点検を行な っている。r
経営技術計算資料は,その発生時点で直接,日常的点検と経 済的過程の指導のために利用される。つまり,経営技術計算への基本的要 請は,情報入手の迅速性である町。具体的にいえば,たとえば機械の操業 度,契約の締結とその遂行状況,労働時間利用に関する情報,生産高ノル マの遂行K関する情報などである。乙れに対して統計は,一般化のための 大量経済現象の反映とその法則性の調査,解明のために存在している。企 業においては,たとえば労働者・職員の人数,生産量,労働生産性の増大 等々について調査・研究され,個々の企業の資料は,部門,国民経済全体 でまとめられ一般化される。統計は,国の全経済生活の広範な方面の包括 可能性,企業活動の深い科学的研究と分析の可能性,国民経済の状態と発 展の研究を保障し,当座の計画化,指導,統制のためだけでなく,展望計 画,計画構造,方向のための基礎を提供する。したがって統計は,経済計 算の中にあって,その指導的役割を受けもっているので・ある。さて,会計 は,r
計画化,指導,統制のために,企業の経済活動をシステマティック K反映し,各作業を当座手続において反映し,続いて経済活動過程並びに 全体に関する資料を総括し,総合する同」。その場合,会計においては資料 を統一貨幣指数によって総合化されると乙ろに特質がある。つまり,会計 の基礎には,統一目的の相互関連的部分としての企業の全手段と作業の反 映という原則が横たわっている。経営技術計算や統計の場合と異なる乙の ような会計的特質のゆえに,その個々の要素別および全体についてのすべ-48-ての企業経済活動のシステマティックな相互関連的反映が保障されるので ある。乙れらの経営技術計算,会計,統計は,資本主義社会においても存 在はしている。しかし,そ乙には計画経済の統一的システムは存在せず, 資本家の私的経済的利害に奉仕し,それぞれ個々の計算は,相互関連的な, 国民経済的立場からの統一計算システムを構成していなしh 社会主義社会 においては,それらは,
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全面的に国民経済を包括し,国家指導のもとで の統一システムとなっている。それらは相1
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1<:補足しあっており,経営技 術計算の情報は会計資料によって確認され,統計のための第一次資料とな り,会計資料は国民経済規模でのより深い処理のために統計によって活用 されている制」。このような経済計算を構成する三者の相互関係の強化とい う観点から,近年,その総合問題について議論されてきた。また,乙れに 先がけて会計・統計の統一システムの徹底化を推進してきたのがドイツ民 主共和国であり,チェコスロヴァキアの「統一社会・経済情報システム」 である。乙のように社会主義における会計,その中に包括されている「管 理会計」的側面の考察は,常に,他の経済計算との関連の中で行ない,そ の歴史性をみていく必要がある。 以上われわれは,管理会計とは何か,その歴史的位置は奈辺にあるのか を考察する上で,必ずしも十分には検討されてきていないと思われる「管 理」そのものの検討と,その管理と関連していかに「計算」という行為, 認識様式が存在し,発展するのかという基礎的考察を進めてきた。その考 察の中から次の点が会計,管理会計の歴史性,歴史的位置をみていく上で の必要な観点として指摘しえよう。まず第一点は,管理とは,いかなる社 会においても不可欠な要素であり,個人的労働の最も簡単な労働過程です ら存在し,準備の段階(目的にもとづいて具体的な活動計画をたてるわ 遂行の段階(技術にたすけられて労働対象に働きかける),制御の段階(労 働過程の調整と結果の点検)を含んでいるという乙とである。第二点は, 乙のように普遍的に存在する管理は,生産力と生産関係そしてそれに対応 する上部構造の発達水準に規定されて形態を具現するという乙とであり, 第三点は,乙のような管理にとっては,すべてのレベ‘ルで』情報の処理を不 - 49ー可欠としている,とりわけ計算情報を必須としている乙とである。したが って,管理の普遍的性格に対応して計算,経済計算も普遍的に存在する認 識様式の一つで・あるといえるのである。第四点は,管理のために存在する 経済計算の歴史性,歴史的形態規定性についてである。経済計算は,管理 の性格,内容に対応して,したがって究極的には生産力,生産関係に規定 されてその具体的形態を具現する。第五点は,第四点の強調的,具体的指 摘ではあるが,経済計算は前述したようにその存在する歴史的諸条件に基 礎づけられ顕現する。したがって,その内容もその時代的要請に関連して 変化する。社会主義における経済計算の場合,その構成要素である経営技 術計算,統計,会計が,統一システムの中で機能し,近年では,それをさ らに強化しようと統合化の方向で推移している。しかし,資本主義以前に あっては,必ずしもそのような統一システムが形成されず時代的制約をも っている。そ乙でわれわれは,経済計算の形態を規定する経済基盤ととも に,その経済計算の構成要素相互間の位置,役割を歴史的に考察していく 必要がある。われわれが,管理会計の意義,会計と管理会計,財務会計と 管理会計の関係,その歴史的位置を検討していく場合,以上のような基本 的視角をもって考察していく必要がある。
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お わ り に
本稿において,われわれは,菅理会計の概念,その歴史的位置を明確に するために,乙の問題に関連するいくつかの見解に依拠しながら検討を進 めてきた。まず,われわれは, AAAの官理会計委員会報告書をはじめと するいくつかの見解を整理した。そ乙では必ずしも管理概念が明確になっ ておらず,その規定の仕方がそれぞれの管理会計観を形成しているとの視 点から,次に菅理概念、について検討を行なった。そして,乙の管理と会計 とがし、かに関係をもち管理会計という領域が形成されてくるのかを,経済 計算の歴史性という視点から考察してきた。そこで,乙乙では,乙れらの - 50一考察を踏まえての,乙の問題に対するわれわれなりの基本的視角を提示し て,本稿の結びに代える乙とにしたい。 いかなる労働過程においても,すでに個人的労働の最も簡単な労働過程 ですら,準備の段階(目的に基づく具体的な活動計画をたてるわ遂行の 段階(技術に助けられて労働対象に働きかけるわそして,制御の段階(労 働過程の調整と結果の点検)を,必ず含んでいる乙とによって,管理は, いかなる社会制度においても不可欠である。われわれは,まず,管理の普 遍的性格を確認する必要がある。そして,乙の管理の遂行にあたっては, 計算情報を必須の基礎としている。乙のような管理の一般的規定に対応し た計算を,われわれは,管理計算と呼びたいと思う。したがって,管理計 算は,管理の普遍的性格に対応して,普遍的性格をもっている。管理は, 普遍的性格をもっとともに,それは,歴史的・特殊社会経済的規定を受け て実存する。つまり,
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管理の性格は,生産諸力,生産諸関係とそれに対 応する上部構造の三者の発達水準によって決まる」のである。経済計算も また,管理計算という一般的規定を受けると同時に,歴史的・特殊社会経 済的規定を受けて実存する。われわれは,乙の歴史的・特殊社会経済的規 定に関連して,パシレンコの所論に依拠し,とりわけ,資本主義における 経済計算と社会主義にお貯る経済計算との比較から考察してきた。さらに, そのように歴史的・特殊社会的に規定されて実存する社会主義経済計算に ついて,その構成要素である経営技術計算,統計,会計の性格とその役割, 三者の相互関係をみてきた。乙の点で強調されるべき乙とは,それらは決 して個別的にのみ検討されるべき性格のものではなく,常に相互関連的に 位置づけられる必要があるという乙とである。そして,われわれが考察の 対象としている管理会計は,乙のように規定されている会計の一領域,側 面なのである。したがって,管理会計概念およびその歴史的位置を明確に していく場合,以上に展開された基本的視角あるいは枠組を基礎に考察さ れていく必要があり,引き続き,管理論における成果や他の基礎的あるい は隣接諸科学における成果を踏まえて,従来からの管理会計の歴史性に関 する論議の再検討を試みていく必要がある。 唱 E -EU注)
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