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Richard Florida and Martin Kenney. "Transplanted Organizations: The Transfer of Japanese Industrial Organizations to the U.S.." American Sociological Review, vol. 56, June 1991: 381-398

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長野大学 紀要 第13巻 第4号 360-363頁 1992

書 評〕

Richard Florida and Martin Kenney. "Tran splanted Organizations:

The Transfer of Japanese Industrial Organizations to the U.S.."

American Sociological Review, vol.56, June 1991:381-398.

評者は最近奇妙な事実の符号 に気がついた。先 日アメ リカ合衆国議会の雇用委月会において、性 や人種の平等に抵触す る恐れのある日本企業の雇 用慣行が厳 しい議論の狙上に登 ったように、欧米 先進国のいわゆる 「日本叩 き」 と呼ばれ る日本企 業 に対す る批判は とどまるところを知 らない。 し か し他方同 じ欧米先進国のなかか ら、かか る強大 な競争力 を生み出す 日本の企業経営の独 自な特徴 に関す る賛美が後 をたたないの もまた事実である。 後者が存在す るか らこそ、前者が結実す るのであ るか ら、この ようなアンビヴァレン トな評価が並 存す るの も、考 えてみれば当然の事 なのか もしれ ない。 さて

、R.

フロ リダ と

M.

ケニーは、従来の欧 米先進国の企業 とは異なる日本企業のフレクシブ ルな生産 システムに 「フジツー イズム」 とい うタ イ トル を冠 して分析 して きた研究者 である(1)。評 者がここで紹介す る彼 らの新 しい論文のテーマは、 合衆国に進 出 した 日本企業が、 日本的生産 と労働 の組織 をどのように移植 し、その移植 された組織 は合衆国の社会文化環境 とどの ような関係におい て存在 しているのか を解明す ることにある。彼 ら はこの 目的のために 自動車産業 を事例に調査 を計 画 した。 日本企業の融資、 もしくは 日本 と合衆国 の企業の合弁に よってつ くられた完成車 メー カー

8

社お よびそれ らへ部 品 を供給す る企業

2

2

9

社 が 調査の対象である。彼 らは、前者に関 しては、 ホ ンタか、ニ ッサ ン

、NUMMI

、 トヨタ、マ ツダ、ス バルーイスズ

(

SIA)

6

社 を

1

9

9

0

年 に訪問調 査 し、後者に関 しては

1

9

8

8

年に郵送調査 を実施 し 73社か ら回答 を得 た。 これ らの調査が この論文の 基礎的デー タを成 している.

Eiji Kyotani

彼 らの提示す る重要 な論点 を最初 に整理 してお

こう。

(む 従来の産業社会学 と組織論における組織 と環 境の関係に関す る定説は、環境が組織 を一方的に 規定す るとい う解釈 であった。す なわち、組織は 一定の社会文化環境 を母体 として生 まれ、それ と は異なる社会文化環境には適用不可能である。あ るいは仮に通用 された として も、 その場合には組 織は新たな環境に即 して修正 を加 えられねばなら ない。彼 らはこの定説に対 して、合衆国の社会文 化環境のなかへ 日本的組織 を移植す る日本企業の 試みの分析 をとお して、組織はその機能要件に即 して環境 を変容 させ ることもあ りえること、換言 すれば、組織 と環境の関係は後者が前者 を規定す るとい う一方的な ものではな く、相互的なもので あるとい う新 しい解釈 を提示す る。「われわれの研 究は、組織がその環境 を形成 しうることを、そ し てまさにそれを行 うことを示す

」 (394) かか る解釈 を得 ることによって、組織はその母 体 となった特定の環境か ら解放 され普遍性 を獲得 す ることがで きる。 したがってまた生産 と労働の 日本的組織 も、 日本独 自な社会文化環境か ら引 き 離 されて、他国の社会文化環境に も移植可能 な普 遍性 を有す るもの として措定 され る。 (診 日本的組織は労働者の肉体的能力ばか りでな く知的能力 をも生産過程に合体 させ るまった く新 しい組織モデルである。それゆえに、それは両者 の分経の徹底 をめ ざして きた旧いフォーディズム とは異なる、両者の統合 をめ ざす労働組織の新 た なオー タナテイヴである(2)0 ③ 組織 と構成員 との間の長期 にわたる関係の持 続、構成員同志の相互作用 と相互依存の関係、問 - 1

(2)

36-京谷栄二 題解決-の構成員の参加等の 日本的組織の特徴は、 日本 の企業の内部においてばか りでな く、企業間 相互の関係において も同様 に見 られ る。 したがっ て彼 らは、組織内部の特徴 と組織間の特徴 とが シ ンメ トリー を描 くとい う仮説 を提示す るO 最後の点は興味深い問題提起であるが、ケニー とフロ リダ もまだ十分 な検証 を経ていない試論 と して提出 しているので、以下第一 と第二の論点 を 対象に評者の コメン トを述べ る。 まず第-の論点、組織 と環境 に関 して. 彼 らは組織が環境 を変容 させ る例 として合衆国 へ進出 した 日本企業 を取 り上げているが、 しか し その進出に際 して 日本企業 は、 い くつかの点 にお いて 日本国内におけるの とは異なる管理方式でア メ リカの労働者 を処遇 している。 したがってこれ らの点においては組織が環境 を変容 させ るとい う よ りは、組織が新 たな環境に即 して 自らを修正 ・ 変容 させ ていると解釈 しうる。かか る例 を示す も の として賃金体系が上げ られ る。 日本企業の賃金 体 系は、人事考課によって個々の労働者の賃金に 細かな格差 を設け競争 を促進す る点に-つの特徴 を兄い出 しうるカ」 一能力主義的に編成 された年功 型賃金体系 としての特質- 、 しか し合衆国への進 出企業は個人別の細かい賃金査定 を実施 してお ら ず、賃金体系は 「よ り標準化 され、画一的」な も のになっている (389)。かか る相違は 日本企業が、 労働者内部におけ る格差 を可能 な限 り排除 しよう とす る合衆国の労働者文化 との抵触 を予測 して、 日本的組織の特徴の一部 を修正 させ た もの と考 え られ る(3)。 また職場におけ る日常 の生産活動 に責 任 をもつ 「ティーム ・))- ダー」は、労働組合の 存在す る工場では経営が選ぶのではな く、労使合 同委員会によって選ばれ る (386)。職場の末端職 制の選別 に労働組合が直接関与す ることなどは 日 本 国内の企業においては考 えられない。 この点に おいて も日本企業は合衆国の労働組合が保持 して きた社会文化環境への適応 を迫 られている。 した が って彼 らも賃金体系 と労働組合 においては、 日 本的組織が合衆国の環境に即 して幾分修正 されて いることを認め ざるを得 ない (391)。彼 らは組織 が環境要 因を変容 させ る点に着 目す るのであるが、 しか し評者の観点か らすれば、 この ように 日本的 組織が合衆国の環境のなかで修正 ・適応 を迫 られ 〔書 評〕 361 てい る点 も同時に重視 され るべ きである。なぜ な らば異文化環境 との接触 をとお して、 日本の社会 文化環境のなかでは時に当然視 されて しまう日本 的経営 とそれ を支 える日本的労使関係の特質が、 よ りグローバルな価値尺度 を基準 として反省 を迫 られ るか らである。 第二の論点、労働者の肉体的及び知的能力を統 合す る日本的組織の移植 につ いて。 「労働 と生産組織の 日本的 システムの主要な 目 的は、労働者の集団的知性 を生産 と工程 の間断な き改善 に結び付けることである」 (387)。彼 らは、 これ を可能に している日本の労働者の作業改善 を 志向す る 「ボランタ リズム」 は、 日本独 自な社会 文化環境の産物ではな く、 日本企業の組織的実践 の賜物であると考 える。 したがって労働者のかか る 「ボランタ リズム」の育成 とそれに もとづ く作 業改善 の実施 とは、適切 な組織的実践が施 され る ならば合衆国の社会文化環境において も可能であ ると主張 され る。そ して彼 らの調査結果の示す と ころでは、完成車 メー カー6社すべてが労働者参 加方式 と

QC

サー クルを実施 してお り、 また部 品 供給企業では50%弱が前者 を、60%が後者 を実施 している。それでは 日本 と異なる合衆国の環境の なかで、進出企業で働 く労働者の間に如何 に して この 「ボランタリズム」は形成 されているのであ ろうか。彼 らは単純 に組織が環境 を変化 させ ると 考 えているのではな く、その実現のために組織が 取 る戦略 を重視 している。「組織の移植 の成功の如 何 は 自然的で もなければ 自動的で もない。それは 組織がその要件に見合 うように環境 を形作 る戦略 的行為 にかかっている」(395)。実際に、進出 日本 企業 は合衆国の労働者のなかに「ボランタ リズム」 を育成す ることをめ ざして用意周到かつ強力な戦 略 を展開 している。 まず 日本企業は従業員の採用 において 「日本的モデルに 『適合す る』労働者」 (388)を慎重に選別 している。 また工場の操業開 始に際 しては、「すべての完成車 メー カーが、操業 開始に先立 って、中心 となるべ き従業月 を日本の 関連工場 に

3

か ら

6

カ月派遣」 し、 日本人の熟達 した指導員の もとで訓練 を受 けさせ、 その後 日本 人の指導員がアメリカの工場 に来て 3カ月か ら2 年の問指導 を行 っている (388)。そ してほ とん ど の従業員が 日本的モデル-馴化すべ く、 6か ら8 - 13

(3)

7-362 長野大学紀要 第13巻第4号 1992 週間の導入教育 を受けている。 どの工場の経営者 も 「率先 して働 く労働者に対立す るアメ リカ的な 障壁 を取 り除 く」ために集中的な努力 を傾けてお り、 さらに トヨタのケースに至 っては、 日本的モ デルにふ さわ しい集団志向的態度、問題解決能力、 (仕事 に対す る)率先性 をもった人材 を育成す る ためにロー カル ・スクールや その他の社会教育機 関に働 きかけている (388)。かか る深刻 な社会的 影響 を日本企業が及ぼ している事実 に按す る時、 問題は単に 「組織一環境関係」のレヴェルで取 り 扱われ る事項 をこえているように思われ る。 日本 企業は合衆国の労働者 をいわば内面か らつ くりか えようとしているのである。合衆国の労働者の伝 統に激震 を与えるかか る日本企業の行動 を 「組織 一環境」の認知枠のなかでのみ処理す る彼 らの分 析は、あ ま りに も形式的で皮相 なのではなかろう か。評者は、その認知枠 をこえてかか る事態の進 展に対す る評価の如何 を彼 らに問いたいのである。 日本的組織 を日本独 自な社会文化環境か ら解放 して、旧いフォーディズムを超 えるポス ト・フォ ーディズムの新 たなオー タナティヴであると主張 す る彼 らの基本的スタンスか ら推察すれば、かか る動向 を彼 らは非効率 なフォーディズム と化石化 した合衆国の労働者の伝統 を打破す る好機 として 積極的に評価す るのか も知れない。 しか し合衆国 の労働者の 「日本化」は、かれ らが伝統的に保持 して きた経営に対抗す る自律的な規制力 を萎縮 さ せ、経営の意思に包摂 された範囲において しか 自 律性の発揮の余地が許 されない労働者に彼 らを転 化 してしまうか もしれない危険 を有す る (評者は 日本の労働者のなかにはかか る特質が形成 されて いると考 える)。そ してその帰結は、労働時間や労 働密度 をは じめ とす る労働諸条件において、合衆 国の労働者が今 日まで築 きあげて きた水準の後退 を彼 らが甘受す ることにつ なが りかねない。 日本 企業の合衆国への進出が生み出す諸問題 はこの よ うに、「組織一環境」論の認知枠 をこえる広が りを 必然的に内包 しているように思 われ る。 また彼 らの調査の限 りでは、上記の如 き戦略 を とお して、日本企業は仕事 を志向す る日本的な「ボ ランタ リズム」 を合衆国の労働者のなかに形成す ることに成功 している。 しか しそれ をもって直 ち に 日本的組織の特徴 を日本の社会文化環境か ら切 り馳すのは早計にす ぎないだろうか。 なぜ ならば 日本の労働者の間にかか る 「ボランタ リズム」が 一般化 したのは、戦後におけ る戦 闘的労働組合の 勃興 とその後の敗北、そ して高度経済成長期 にお け る労使協調路線の確立 とい う政治領域 まで も含 めた戦後 日本の労使関係の変動の歴史的過程のな かにおいてである。すなわち 「日本的労働 ボラン タ リズム」の特質は現代の 日本的労使関係 と切 り 離 し得 ない一対の もの として存在 しているのであ る。 フロ リダ とケニーの研究の重要 な論点の紹介 と コメン トを叙述 したが、 しか し彼 らの調査 はこの 他 に も、 日本企業が制服、社員食堂、オープ ン ・ スペー スの事務所等の点において従業員 を 「平等 主義」で処遇 してお り、それが合衆国の労働者に よって も歓迎 されていること、 しか し他方同時に 性や人種の点では 日本企業は差別的であること、 また完成車 メー カー と部品供給企業 との間に賃金 格差 などの点で 日本におけ ると同様 な「二重構造」 を持 ち込んでいること等々、重要かつ興味深い事 実 を析 出 している。 日本企業の管理 システムの特 質 とその存立構造、そ してその労働者に及ぼす影 響 を、 日本社会全体 の構造 と特質 との関連におい て究明 して きた評者の観点か らすれば、 日本的 シ ステムの他国-の適用可能性 を追求す る彼 らの研 究には拭い稚い一面性が内在す る。 だが しか し、 国際化のなかで 日本企業が グローバルに経営 を展 開 し、その企業経営の特質が各地 で異文化 インタ ー フェイスを余儀 な くされている今 日、彼 らの調 査 は重要 な素材 を提供 しているといえよう(4)0 (きょうたに えい じ 助教授) (1991.

l

l.12 受理) 注 (1) 彼 らの 「フジツーイズム」に関す る評者の分析 は、京谷栄二、「ポス ト フォーディズム段階の労働 過程論争- 日本的労働過程のフレタンビリティと は何か-」、『長野大学紀要』第13巻第 2号 ・3号合 併号、1991.12、および彼らと加藤哲郎 ・R.ステ イ-ヴンとの間に交わされた論争に関する評者の 分析 として 「日本的労働過程のフレクシブル ・シス テムとは何か-国際論争 『日本的経営は世界に何を もたらすか』の展開のために

-

」、季刊 『窓j第11 - 13

(4)

8-京谷栄二 号、1992. 4を参照 されたい。 (2) 彼 らは 日本的組織モデルの本質 は、 テ ィラー ・シ ステムか ら最近のCh.セイベル らの主張す るフ レク シブル ・スペ シャラィゼ イシ ョンまで含めて、従来 の組織モデル を特徴付け る 「機能の専 門化」の対極 に位 置す る 「機能の統合」にある と主張す る。 そ し て 日本的組織 モデルの特徴 を、高度 な職務統合、労 働 者の肉体 的能力 と知性 との統合、緊密 なネ ッ トワ ー クを もつ生産複合体 の三 点 において整理 してい る (395)。 (3) 熊沢誠の調査 によれば、人事考課 を とお して個 々 人の賃金 に格 差 を付 け よ うとす る 日本 企業 の試み 〔書 評〕 363 は、イギ リスと ドイツにおいては、「同一労働 同一賃 金」の原則 に固執す る労働者の強固な平等主義文化 の抵抗 にあ って修正 を余儀 な くされ てい る。熊 沢 誠、『日本的経営の明暗』、筑摩書房、1989、第1部 第3章。 (4)評者は、 ケニー とフロ リダの研究は 「フジツー イ ズム」の主張 も含めて、21世紀の合衆国の経済発展 に資す るもの として、生産 と労働 の 日本的 システム の特徴 を分析 しようとす る、実戦的かつ政治的な意 Eqのバ イア スが強 くか け られ た もの であ る と判 断 している。 - 13

参照

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