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ジョージ・オーウェルの 『ビルマの日々』『象を撃つ』における 支配者の顔,仮面の表象

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ジョージ・オーウェルの

『ビルマの日々』

『象を撃つ』における

支配者の顔,仮面の表象

はじめに:オーウェルの原点

ジョージ・オーウェル(George Orwell)は『動物農場』(Animal Farm 1945)と『1984年』(Nineteen Eighteen Four 1949)の著者として日本でも その名がよく知られている。二つの作品は彼の代名詞的な作品であり,い ずれも全体主義社会の恐怖を描いたものである。国家権力による自由であ るはずの私的生活の制限や管理,監視,抑圧の様子が描かれる両作品は, 社会に生きる読者に政治,権力に対する無関心や不感症に対する警鐘を鳴 らすものとなっている。 今年2020年はオーウェルの没後70年となる。21世紀となった現代でもこ の作家の魅力と存在感はまったく色あせていない。むしろ,より注目が集 まったと言っていいだろう。近年,注目されるようになった社会の分断や 強権的な権力者の登場,それにおもねる偏向的な報道をするメディア等の キーワード:ジョージ・オーウェル,ビルマの日々,植民地,コロニアリズ ム,象を撃つ

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社会問題や社会不安の影響を受けてかオーウェルの作品が注目され,再評 価の動きが進んでいるように思われる1)。奇しくも2020年は感染症の世界 的な流行という困難に直面し,公衆衛生の為に私的権利の一時的な制限も やむなしという雰囲気も広まり,不穏な空気が社会を覆っている。この現 状は,我々に現在進行形でオーウェル作品が放つ警鐘が未だ有効な世界に 生きていることを実感させる。ここで今一度,この作家の作品に注目に注 目してみたい。 オーウェルは,その生涯で社会の分断と対立,差別,全体主義社会の権 力による人々の抑圧や扇動など現在もなお人類社会にとって重大な課題と 向き合い,作品の題材とし続けた。彼には,その生涯に渡って,重要な諸 問題に目を向けるに至る契機となった時期がある。その契機は,彼が19~ 24歳までの比較的若い時期の経験である。この時期を経て,彼は本格的に 作家へと転身していくことになる。 1922年~1927年の期間のおよそ5年間,彼は植民地ビルマ駐在の警察官 として植民地に関わり,その地に駐在した。このキャリアを経て,その後 彼は作家としての道を歩むことになるのだが,この駐在時代こそが,作家 オーウェルの社会に対する観察眼を養う契機であり,彼の作風を決定づけ るような原体験を得る機会となった。それほどまでにこの時の経験は彼の 人格に衝撃を与えるものであった。 彼が,植民地ビルマで宗主国英国の末端の統治機構の職員として体験し たことは彼の後の著作でも言及は度々登場する。『象を撃つ』,『絞首刑』な どのエッセイはこの時代を舞台とし,英国内の貧困を書いたルポルター ジュ『ウィガン波止場への道』(The Road to Wigan Pier 1937)の一部で もこの時代が回顧される2)。彼の最初期の長編小説である『ビルマの日々』 もこの時代の経験に着想を得たものである。彼の植民地ビルマの体験がこ うして度々,回想されるということは,その経験の比重は決して小さいも

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のではなく,彼の人生に終生影を落とした重要な体験であったことの証左 であろう。 本稿では,作家オーウェルの作家としての重要な啓示を得たこの時期を モチーフにした作品に注目する。その中でもオーウェルの名エッセイとし て名高い『象を撃つ』(Shooting an Elephant 1936),そして最初期の長編 小説の『ビルマの日々』(Burmese Days 1934)の二つを取り上げ,考察対 象としたい。前者のエッセイは作家オーウェルの等身大の体験談に近い形 で語られた散文,後者の小説も同じ体験に着想を得て創作したフィクショ ンである。一方のエッセイは1936年に執筆,発表され,もう一方は1931年 ごろより執筆され,1934年に発表された。二作品は執筆時期も近く,帝国 主義による植民地支配に対する批判という主題を共有しているが,もう一 つ特筆すべきものを共通して持っている。それが仮面や顔の痣といった顔 をめぐる表象である。これらは二つの作品の中で帝国主義に対して批判的 な視座を持つ人物の内面と関わる描写として強い存在感を持っている。そ してこの共通の要素からは作家のこの表象に対する一定のこだわりや意義 を見出し得るように思われる。ここでは,まずテーマが短く凝縮された エッセイ『象を撃つ』を分析し,作家の主題と重要な表象を抽出,確認す る。そして,その上で『ビルマの日々』にある同様の主題と近似した表現 を概観し,この二つの作品に共通する主題と表象の関係性とその意義を検 討し,オーウェルが植民地体験で得た知見や思想に迫る研究の第一歩とし たい。 Ⅰ 『象を撃つ』:オーウェルの植民地,現地人への視点 『象を撃つ』はオーウェルのビルマでの体験をもとに書かれた散文作品 である。ここで書かれるビルマの警察官の「私」は,オーウェル本人がモ デルとなっており,起こる事件の様子なども彼の体験に基づいている。主

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人公の語り手は,英国人の植民地警察官であり,街の治安を守ることをそ の職務としている。この散文作品の粗筋は彼がある日,象の暴走事件に遭 遇し,対処を迫られるというものである。まずは,作品の背景となる当時 の英領ビルマについて確認しておく。 英国は,20世紀初頭まで長らくアフリカやアジア諸国を植民地としてそ の統治下に置いていた。ビルマもまたその一角であり,英領インド帝国の 一部としてその支配下に編入されていた。オーウェルはこの地に,赴任す ることになったのだが,当時のビルマは植民地インドの中でもとりわけ治 安が悪く,犯罪や騒乱が絶えない地であった。当時インド本土には,第一 次世界大戦の影響と現地のナショナリズムの高まりという情勢を受けて, 英国から段階的な自治が認められつつあった。現地人を立法府と行政府に 部分的に参加することを認める両頭制が敷かれ,現地人による政治参加が 期待されたが,当初,この制度の適用はビルマ州だけは除外されたのであ る。それだけに,現地人の落胆は大きく,反英感情も強烈なものとなった3) 彼のビルマ関連のエッセイや小説はこうした時期が背景としており,『象 を撃つ』では,迫真性のある文章でオーウェルが感じた現地の反英的な空 気を読者に伝えている。

In Moulmein, in Lower Burma, I was hated by large numbers of peo-ple - the only time in my life that I have been important enough for this to happen to me. I was sub-divisional police officer of the town, and in an aimless, petty kind of way anti-European feeling was very bitter. No one had the guts to raise a riot, but if a European woman went through the bazaars alone somebody would probably spit betel juice over her dress4)

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上の引用はエッセイ冒頭部であるが,彼は,周囲の現地人からは大変憎ま れていたと語る。反英,反ヨーロッパ人感情はすさまじく,道行く西洋人 は投石や汚物を投げられるなどの嫌がらせの対象であり,警察官は最も目 立つ国家権力の尖兵で,恰好の憎悪の投影対象であった。 それでは,こうした環境下にあって,語り手は,どのような目で植民地 の統治体制と支配される現地人を見ていたのだろうか。結論から言えば, 彼は実際に植民地で暮らし,その実態を見るにつれ,英国の植民地支配体 制に疑問を持ち,被支配層の現地人に同情心を感じていた。植民地の支配 者階層として君臨しながらも反帝国主義的な視点を持っていたと言ってい いだろう。 英国をはじめとして西欧は,植民地統治の建前として,インドやアフリ カは欧州諸国に比較すると文化,文明の洗練度で劣った存在であり,彼ら を統治し,保護することは成熟した文明国としての使命であるという言説 を建前として掲げていた。いわゆるオリエンタリズムに基づく広く浸透し た言説であるが,オーウェルもエッセイの語り手もこの言説とは無縁では なかった5)。しかし,現地の状況はこうした建前が必ずしも真実ではない ことを痛感させるに充分であった。 オーウェルがビルマの地で目撃したのは,統治者である白人が現地人に 向ける理不尽な抑圧と暴力,そして苛烈な差別的視線であった。西洋人は 理不尽に彼らをむち打ち,搾取し,それを当然として平然と暮らす。そう した情景は彼に心境の変化をもたらすのに十分であった。警察官という職 業柄,白人による現地人に対する暴力的,虐待的な所業を目撃することは 頻繁にあったようであり,それは『象を撃つ』の中でも語り手の口を通し て,次のようにもれなく記されている。

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The wretched prisoners huddling in the stinking cages of the lock-ups, the grey, cowed faces of the long terms convicts, the scarred buttocks of the men who had been flogged with the bamboos - all these op-pressed me with an intolerable sense of guilt.(19)

投獄され,劣悪な環境で疲弊し,鞭打たれる現地人の姿は衝撃的な印象を 彼にもたらした。西洋は東洋やアフリカなどの人種や文化を野蛮で非文明 的なものとして蔑視していたが,オーウェルがビルマで実際に対面したの は,西洋人がむき出しにした野蛮であった。異人種を非理性的な暴力で屈 服させる様子は本国英国では見る事のなかった異様な悪徳であった6)。彼 はこうした状況を見て,認識を改め,現地人に同情し,彼らを抑圧する帝 国の支配体制に疑問を持つようになった。実際に,作中では次のように オーウェルは語る。

For at that time I had already made up my mind that imperialism was an evil thing and the sooner I chucked up my job and got out of it the better. Theoretically - and secretly, of course - I was all for Bur-mese and all against their oppressors, the British.(19)

帝国主義による植民地支配は正真正銘の悪であり,今,自分は統治機構の 尖兵としてその一角を担うが,このようなものは倫理的観点からは辞して しまった方が良い。これがエッセイで描かれた語り手の見解であり,基本 的なオーウェルの植民地に対する見解である。だがその一方で,ここで現 地人に対しては,複雑な感情を抱いていたこともエッセイを精読すると垣 間見ることができる。確かに同情的ではあったのだが,彼の現地人に対す る感情はその一方で,同じ人間として対等な存在として扱うまでの博愛的

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な観点には立っていない。現地人の味方であると彼らの肩を持つような発 言をエッセイの中で書き留めつつも,それと同じ筆で,彼らを the evil-spirited little beasts(19)と称し,同等の人間とは考えておらず,その上, 英国人を罵倒する彼らに対して,憎悪の感情はやはり感情的な反応として 彼の中にあり,“I thought that the greatest joy in the world would be to drive a bayonet into a Buddhist priest’s guts”(19)という表現の中に薄暗い暴力 的感情をのぞかせている。ここから考えられることは,同情をしてはいる が,それはあくまでも優越する白人とその下位に属する有色人種という人 種偏見による人種の序列を前提とした同情心であるということである。 オーウェルは人種偏見による優劣の二項対立の言説を捨てきれてはいない。 それ故に彼の言動には,彼らを beast などの非人間化した表現で,部分的 にではあるが,見下してしまう傾向が散見されるのである。あくまでも既 存の人種観の枠の中で,現地人に対する過度な抑圧や虐待,資源の理不尽 な簒奪に対して批判的であり,同情心を見せていると解すべきであろう7) Ⅱ 支配者の仮面 反帝国主義的な視座が確かに主人公には設定されている。しかし,それ は胸中に密かに抱いているだけで,公的にそれを明言し,活動に移すとい うことはしない。飽くまでも彼の秘密の本音の感情である。作家オーウェ ルの観察眼は,なぜ,声を発することができないのか,英国の尖兵を取り 巻く見えざる圧力についても踏み込んで冷徹に分析する。 『象を撃つ』の中で主人公の私は,良心の呵責を抱えつつ,少し考えた 上で自制する。英帝国に仕えるもの,統治する西洋人には,発言してはい けないこと,やってはいけないこと,逆にしなくてはいけないことが数多 く付きまとう。オーウェルの目はこうした規範の中に支配者を拘束する力 のようなものがあることを見出す。象撃ちの事件の中で,まさに象を銃で

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撃とうとする瞬間,それが確実に存在することを実感するのである。語り 手は感じた現場の雰囲気は次のようなものであった。

象の暴走の一報を受けて,現場に駆け付ける。だが,件の象はある程度 落ち着きを取り戻しており,射殺の必要はなかったのだが,その際に彼は 自分の周囲や背後に無言の圧力が作用しているのを感じる。

But at that moment I glanced round at the crowd that had followed me. It was an immense crowd, two thousand at the least and growing every minute. It blocked the road for a long distance on either side. I looked at the sea of yellow faces above the garish clothes[…], all certain that the elephant was going to be shot. They were watching me as they would watch a conjurer about to perform a trick. They did not like me, but with the magical rifle in my hands I was momentarily worth watching. And suddenly I realized that I should have to shoot the elephant after all. The people expected it of me and I had got to do it ;(22) 現地人は騒動を聞きつけて,彼を取り囲み,彼の行動を好奇の目で見つめ る。彼は群衆の目から無言の圧力を察知する。周囲の人々は英国人が暴れ る象を撃ち殺すという見世物を期待する。彼自身はそこまでするには及ば ないと冷静に考えるのだが,熱狂した大衆はそれを許さない圧力を醸し出 す。もはや,撃たずにこの場を立ち去ることが許されない空気が場を支配 してしまうのである。彼自身も,“I was not thinking particularly of my own skin, only watchful yellow faces behind.”(23)と語るように,自分自身以 上に自身の背後で一部始終を目撃しようとする現地人の視線を強く意識し, 彼らに見せなくてはならない姿が何か,とるべき行動は何か,それだけを

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優先的に考えようとする異常な思考に無意識のうちに陥る。彼らの目前で 求められる姿は,いかなる状況でも動じない支配者たる,威厳ある強い白 人である。現地人の前で恐れや弱さを見せてはならない,恐れない勇敢な ものでなくては な ら な い(A white man mustn’t be frightened in front of ‘natives’ ; and so, in general, he isn’t frightened(23))という支配者として のあるべき姿,現地人からは常にそのように見られなければならないとい う規範意識に脅迫的に駆られるのである。結局,彼はこの圧力に押されて 象を射殺することになるが,この時,自身を支配したこの圧力を冷徹な目 で分析する。

I perceived in this moment that when the white man turns tyrant it is his own freedom that he destroys. He becomes a sort of hollow, posing dummy, the conventionalized figure of a sahib. For it is the condition of his rule that he shall spend his life in trying to impress the ‘natives’ and so in every crisis he has got to do what the ‘natives’ expect of him.(22)

英国人は植民地ビルマの支配者であり,多くの現地人を従える存在である。 しかし,それは彼が自由に振る舞い,君臨することを意味しない。支配者 は君臨したその時,むしろ,その自由を奪われる。彼は,周囲が期待する 英国人の 像(the conventionalized figure of sahib(23))に 操 ら れ る 木 偶 (a sort of hollow, posing dummy(23))のようになってしまうのである。 支配者は支配者らしくしなくては務まらない。統治される人々もそれを期 待する。支配者は一度,権力の王座に就くと,個を犠牲にして被支配者に 自らの存在を印象付ける為に腐心しなければならず,いざという時には, 威厳を保つために相応の力を示さなくてはならないのである。支配者の象,

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イメージが彼の内面を脅迫的に彼の心身を支配するようになるのである。 オーウェルはこうした統治機構の尖兵に掛かる見えざる力を「仮面」と 顔という表現を交えて次のような言葉で表現する。“He wears a mask, and his face grows to fit it.”(22)体制の尖兵は仮面を被らなくてはならない, そしてその素顔はいつしか仮面に合わせてぴったりと合わせて順応して成 長してしまうと彼は表現する。仮面は,支配者英国人の像であり,後半の 仮面に合わせて顔がはまり込むという表現はそのイメージ(規範)の内面 化に他ならない。あるべき姿を受容し,本来の自己を拘束し,規範に従っ て適切な行動を心がける。仮面劇の演者が役を演じるように本来の自己を 調節あるいは封殺し,行動や発言をしなくてはならないということである。 そして,これが長期に及ぶと彼の人格はいつしか規範に馴染み,本来の自 由な意思を持った自己が支配者の像に取り込まれてしまう。これこそが オーウェルが帝国主義の内部にあって見出した知られざる抑圧的な力で あった。 『象を撃つ』で描かれた象撃ちの事件は主人公の「私」にとって,こう した帝国主義による植民地支配の内部に密かに根付き,人々を蝕む権力の 構造的な悪に気づく契機となったのである。この点は後年のオーウェルの 『1984年』における人間を支配する体制にも通じる所でもあり,多くの先 行研究においても指摘される所である。一例として George Woodcock は この点について次のように述べる。

Orwell is making two points. First, a ruling class sacrifices is own freedom in more or less exact proportion to the degree of tyranny with which it exercises its power ; in later books he carries this idea to its logical conclusion until in Nineteen Eighty-Four absolute power equals absolute loss of freedom to members of the party. The second

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point, that the ruled dominate the rulers,[…]8) . Woodcock はこのエッセイの語り手の姿から二つの原理を見出す。一つは, 支配層はその支配力を強めるに従って,自身の自由を犠牲にすることにな るということ,そしてもう一つは被支配者層が実は,支配者を無意識的に 支配するという転倒した構造があるということである。より厳密に言えば, ここで支配層を拘束する力は被支配者の視線と言うべきであろう。いかに 支配者然として見えるか,あるべき規範に従っているように見えるかとい うことを確認する人の目が支配者の心身を縛り付けるのである。これは後 年の『1984年』の全体主義国家のオセアニアの支配層にも通じる原理と言 えるであろう。オセアニアの官吏や党員などの支配者層には一切の自身の 自由が許されていない。支配層の上位はもちろん,下位の被支配層も含む 周囲の視線を意識し,支配への疑念を持っても自らを支配者らしく律して, 本心を口にすることなど考えられず,ただ自身に周囲から要請された姿を 表面上演じる。その姿は『象を撃つ』の語り手に相通じるものがあり,こ こにその雛形を見ることもできる。 意思表示や発言を封じられ,必要な規範の仮面をつける生き方を実際に オーウェルも現地のインド帝国警察の職務を遂行する中で強いられたこと は言うまでもない。その結果がこのエッセイであり,後の作品群にも影を 落としている。 支配者として,良心的な感性や感覚をあえて閉ざし,支配者英国人とい う仮面に自らを明け渡し,役割を演じる。こうした生き方は性分が良心的 であればあるほど,強烈な心理的な負担が伴う。ここまで見た『象を撃つ』 では主人公が為政者,支配者を縛り付けるシステムに気が付くに至る粗筋 の作品であるが,それに気が付いた人間が表面上は適格な人間を装いなが らも良心との間で葛藤,煩悶する姿はこのエッセイに先行して執筆された

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長編小説により踏み込んで描かれている。また,このエッセイで登場した 仮面と顔の比喩表現の原型となるような顔にまつわる表象が登場し,葛藤 する帝国主義の尖兵の心理が効果的に表されている。 Ⅲ 『ビルマの日々』:Flory の反帝国主義的視座と孤独 最初期作の一つ『ビルマの日々』(Burmese Days)は,『象を撃つ』と 同様に英領ビルマを舞台とする作品であり,商用で植民地ビルマに長期滞 在する男を主人公として現地人との友情や現地白人共同体での人間模様を 描く作品である。主人公 John Flory は材木商として,英国の植民地事業 の一翼を担い,職業は違うものの,『象を撃つ』の語り手と同様に,英国 の植民地支配に加担しながらも英国の植民地に対して疑念を持ち,現地人 や現地文化に同情,理解を示す反帝国主義的視点を持つ人物である。 この初期小説を,後年オーウェルは振り返って,巧な比喩表現や言語的 な技巧を追及して,執筆したものと自ら評している9)。実際,この小説に は様々な技巧があるが,その中でも目を引くものとなっているものが,先 のエッセイ中の仮面の比喩とのつながりを感じさせる顔の比喩である。作 中で,良心の葛藤を抱えながら体制に順応して生きる主人公の苦悩が技巧 を凝らして印象的に表現されている。ここからは,この小説に視点を移し, 主人公が抱える苦悩,葛藤を顔の比喩描写との関係から見て行く。 まずは,彼の帝国主義への批判的視点を今一度確認し,その中で主人公 の降りかかる苦悩がどのようなものであったかを見ておく。Flory は生活 する中でやはり植民地の理不尽な実態に気が付き,『象を撃つ』の語り手 と同様の心境に至る。即ち,英国による統治は理念として掲げられる成熟 した英国人による現地人の保護や指導とは程遠く,実体は支配層の白人た ちによる現地人への不当な搾取と抑圧で despotism に他ならないという見 解である。テキストでも次のように語られる。“he had grasped the truth

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about the English and their Empire. The Indian Empire is a despotism - benevolent, no doubt, but still a despotism with theft as its final object.”10) しかし,体制の実体を嫌悪しながらも,本音はやはり彼もまた公言できな い。彼もまた植民地の支配者層としての仮面を帯びなくてはならないので ある。そのようにしなくてはならない空気が蔓延する現地の白人社会に彼 は生きることを余儀なくされ,それは以下のような言葉で表される。

we sell our souls in public and buy them back in private, among our friends. But even friendship can hardly exist when every white man is a cog in the wheels of despotism.(69)

植民地にあって,多くの英国人は植民地の暴政の一角を担う歯車であり, 体制を是として順応し,従属することが大原則となる。そのため,各自, すべての発言,思想を抑制し,統治体制を揺るぎないようにしなくてはな らないのである。そこには,想いのままに考え,話し,友情を育むという 土壌は存在し得ない。不毛な社会なのである。Flory は,現地の公的な場 では,自分の魂を売り渡すかのようにその自由意思を抑制し,その場で求 められた適切な行動や意見のみを忖度して,公言,行使する。結果として, 彼は,被支配者におもねることなく,堂々と威厳に満ちて行動する,有色 人に優越する白人,統治者たる立派な英国人というロールモデルを適切に 演じなくてはならなくなる。この環境下にあって,彼には,本心を話すこ ともできず,それを共有する相手もいない。必然的に強烈な孤独感に慢性 的に苛まれることになる。これこそが,彼の苦悩である。この小説では偽 りの仮面を被り続ける支配者階級の孤独の解消が核たる主題となる。

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Ⅳ 支配者の醜悪な顔 Flory は孤独感を解消しようと,本音を共有できる友人やパートナーを 求め続け,腐心する。しかし,孤独を解消する為に人と関わろうとすると, 必ず植民地支配体制に対しての順応という問題に直面しなくてはならず, 本音との間に葛藤を抱えることになる。その際に彼の心理と連動して存在 感を持ってくるものが,彼の顔である。彼の顔は帝国主義,植民地支配に 関する葛藤や苦悩と関わる表象として機能する。劇中での彼の顔は次のよ うな特徴的な風貌となっている。

The first thing that one noticed in Flory was a hideous birthmark stretching in a ragged crescent down his left cheek, from the eye to the corner of the mouth. Seen from the left side his face had a bat-tered, woe-begone look, as though birthmark had been a bruise -for it was a dark blue in colour.(14)

彼の顔には大きな痣が生まれつきあり,痣は左側の頬に目元と口角を部分 的に覆うように掛かっている。痣は彼の風貌を大きく損ない,醜いものに してしまっているのだが,もちろん,単なる物理的な瑕疵ではない。彼の 顔は,象徴性に富み,数多くの読みの可能性を備えている。Daphne Patai や Praseeda Gopinath による研究において,密かに抱く反帝国主義的な視 座による周囲からの心理的な孤立11)や植民地を統治する英国人男性として の欠陥や逸脱などを暗示するもの12)として指摘されている。いずれにして も,顔は彼の通常のあるべき姿,規範と比しての内面の不完全さ,逸脱, それによる孤立を示す表現と解されている。これらに加えて,さらに顔の 痣の顔面での詳細な位置を考慮に入れると,次のような意味も付け加える

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ことが可能ではないだろうか。 彼の目元から口元にかけて頬を傷のように痣は顔を覆っている。目と口 に痣が掛かるということは,現実に目,口を閉ざしながら,支配体制へ加 担する彼の欺瞞とそれに対する罪悪感を視覚的に表象していると見ること もできるのではないか。物語の文脈に従って,痣の顔は規範からの逸脱, 孤立感を示す表象とこの罪と罪悪感の表象の二つの効力を持つ。同調圧力 のある白人社会で彼が過ごす場面では,支配者英国人としての弱さや不完 全さ,劣等感を示し,植民地支配という悪に加担する決定的瞬間には,彼 の欺瞞や罪悪感を読者に象徴的に示すのである。 Ⅳ!1 顔の表象1:支配者の虚勢,劣等感の暗示 現地の白人社会において Flory は痣のある顔を隠して生きる。厳密に言 えば,痣のある顔面の一部の周囲の同胞の視界から隠すのが習慣となって いる。同僚はもちろん,想いを寄せる女性 Elizabeth Lackersteen の前で も彼は痣を隠す。もちろんこれは物理的な美醜の問題による劣等感による ものだが,先に述べたこの顔の象徴性を考慮に入れると,無意識的レベル で彼が感じている劣等感を読み取ることもできる。植民地において,英国 人は立派な統治者であり紳士でなくてはならない。すでに見たようにこれ は大前提である。現地人の前ではもちろん,同胞の白人の前でも,現地人 への同情や体制に加担する罪悪感などあってはならず,それらを持つこと は統治者として,まともな英国人男性としての弱さや欠損に他ならない。 Flory の顔を同胞の前で隠す行為は,英国人としてあるまじき精神的な弱 さを隠そうとする無意識の虚勢を読み取ることもできる。 Ⅳ!2 顔の表象2:罪の暗示 Flory は植民地支配に伴う現地人への収奪や理不尽な暴力には賛同しな

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い立場をとっているが,そのような彼であっても,孤独による精神的な疲 弊に耐えかねて衝動的に彼が悪とする行為に手を染めてしまう。Ma Hla May という現地人女性との関係がこれに該当する。彼女は金で買われた 愛人で,Flory は気まぐれに彼女と肉体関係を持ち,孤独の中で鬱積した 性的欲求のはけ口の対象とする。彼女を一人の女性として愛情を示すこと はなく,飽くまでも金銭で買う性対象という関係に留まり,同じ人間とし て扱わない。彼らの関係は西洋人男性による現地人女性への差別であり, 性的な搾取に他ならない。この関係は彼が本心で嫌悪するものであるが, 孤独観に悩まされる彼は,刹那的な渇望に駆られて自分が最も嫌う行動に 及んでしまうのである。その際に痣の顔は,その存在を不気味に主張する。

When Flory had done with her he turned away, jaded and ashamed, and lay silent with his left hand covering his birthmark. He always re-membered the birthmark when he had done something to be ashamed of.(53) 愛人と同衾した後,彼は痣を意識し,触れて確認し,手で覆う。痣に触れ る,覆う行為は,自分の成した醜悪な行為に関する精神的な動揺を暗示す る。彼の顔は英国の植民地への加担の罪,蛮行を知りながら沈黙する罪の 表象である。顔を意識し,押さえる行為は,自分が成した罪を思い返し, それを振り払うかのように抑え込もうと苦悶する彼の精神を示している。 明らかに自分の良心に反する罪を犯しながら,彼はそれと劇中で向き合 うことはなく,目を背け続ける。愛人の存在をひた隠しにしながら,同胞 の女性 Elizabeth に恋をし,将来的には結婚しようと試みる。だが,彼の 犯した罪からは,逃れられず二人の関係は破綻を迎える。二人の関係を決 定的に破綻させるのは,彼が搾取した愛人 Ma Hla May である。彼女は

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Elizabeth の目の前で彼との愛人関係を暴露し,彼がそれまで培っていた 彼女からの評価を絶望的なまでに引き下げる。その際に彼の顔は存在感を やはり強く主張する。

His face appalled her, it was so ghastly, rigid and old. It was like a skull. Only the birthmark seemed alive in it. She hated him now for his birthmark. She had never known till this moment how dishonour-ing, how unforgivable a thing it was.(286)

彼がひた隠しにしていた現地人女性とのおぞましい関係が暴露された時, 彼の顔もまた周囲に向かって暴露される。痣の顔は骸骨のように不気味で, 顔面に何かが取りついて生きているかのような存在感を放つ。この顔の露 呈により彼女の気持ちは完全に彼から離れてしまう。この時の顔は表象的 には,彼の隠蔽してきた罪悪の露呈であり,人生の恥部の露呈である。彼 が過去に現地女性を性的に搾取したこと,それを黙殺してしまおうとした 罪がここに象徴的に露呈し,彼を破綻させるのである。 Elizabeth との関係が絶望的となった Flory は,未来を悲観し,銃で自 ら命を絶つ。死亡した彼の顔からは,不思議なことにこれまで彼を苛んで きた痣は消える。(With death, the birthmark had faded immediately, so that it was no more than a faint grey stain.(294))死と同期するように顔から 消失する痣は,死によるこれまで彼に付きまとっていた罪悪感や苦からの 解放を意味しており,痣の象徴的機能を備えていたことを改めて意識させ る。このように顔はこの小説において主人公 Flory が体制の中で経験する 個としての苦悩を表象し,読者にそれを印象的に示すものとなっている。

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まとめ:二つの作品の接続性と今後の研究展望 最後に二つの作品の関係性をここで考えてみよう。『象を撃つ』は顔を 覆う仮面,『ビルマの日々』では顔の痣がそれぞれ,前者が支配階級であ る白人を縛り付ける規範による圧力,後者がその力に蝕まれる者の苦悩の 表象となっていた。小説は1931年ごろ,エッセイは1936年ごろからの執筆 であり,時系列的には小説がやや先行する。現状においては推測に頼らざ るを得ない部分は多いが,顔をめぐる表象にオーウェルが小説の創作を行 う中で一定の価値を見出し,重要な表現として,後発の作品に形を変えて 発展させて継承させたのではないか。 すでに見たように,先行する小説は技巧や美文に重きを置いて書かれ, 後年,オーウェルは,「気の抜けた本を書いたり,華麗なだけの部分や意 味のない文章をうっかり書き,飾り立てた形容詞やごまかしをしてしまっ ている」13)と反省しているが,見方を少し変えれば,この作品は技巧的な 修練の場であり,恰好の実験の場であったと見ることもできる。この機会 を通して得たいくつかの技巧の中で得た一つの成果として,顔を巡る表現 があったのではないか。それを実証するように,その後のエッセイやルポ ルタージュ作品や『1984年』などでも人間の顔を巡る表現は多く,そのこ だわりをうかがうこともできる14)ことから,後年,作家として成熟してか らも継続して重要視していた可能性も高い。 顔は,人間の個性が最も前面に出るパーツであり,内面がにじみ出る場 である。オーウェルは二つの作品で社会の見え難い場所で生きる人間の 個々の苦悩に焦点を当てている。作品の読者として想定される宗主国に暮 らす人々にとって植民地は遠い。そこに生きる人々と聞いても,それは単 なる最大公約数的な抽象的なイメージやステレオタイプのイメージの枠を 出ない。顔の表現は,それを覆し,過酷な体制の中で生きる個々の内面的

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動向を表現し,伝える絶好の媒体として彼の意識に留まり続け,活用した のではないかと推察される。 これらの表象群には,さらに複数のコンテクストを視野に入れることで さらなる意義を見出し得る豊饒さがまだある。今回の考察の重要な関連事 項として,オーウェルのジェンダー/セクシャリティーへの意識は,実際 一定の先行研究がなされており,一考の価値があろう15)。帝国主義体制の 支配者・被支配者の関係は男性・女性の非対称的な権力関係とも類似し, 絡み合う。支配者としての規範と男性性は渾然一体となっており,今回検 討した規範からの逸脱や葛藤は男性としての挫折や劣等感とも接続するも のである。この文脈から顔の表象はまだ読みを追及する余地があり,以後 の研究において調査,検討することで,作家が植民地体験を通して得た思 想や世界観の核心により深く迫ることが期待できると思われる。 注 1)2016年の米国でのトランプ政権の誕生とともに,オーウェルの作品はにわ かに注目を集め始めた。日本にも波及し,それはなおも継続しているように 思われる。2020年9月現在,オーウェル関係の出版物は,数多く公刊されて いる。2020年7月に川端康雄による『ジョージ・オーウェル 人間らしさへ の賛歌』が岩波新書より,小野寺健によるオーウェルのエッセイ集の翻訳, 『一杯のおいしい紅茶』の文庫版が中公文庫から出版された。また,前年の 2019年にも光文社から光文社古典新訳文庫『あなたと原爆 オーウェル評論 集』が発売されている。関連する書籍の出版は多い。

2)The Road to Wigan Pier(London : Penguin Books, 2014,),pp. 128~142. 3)植民地インド帝国では,1919年に制定されたインド統治法(モンタギュー =チェルムスファド改革)により,首府のデリーにインド総督やインド高等 文官による専制的な支配体制を残しながら,地方の州政府には部分的な自治 を認める両頭政治が導入された。ビルマ州には当初,適用外であったが, 1923年に遅れて導入されることになった。オーウェルのビルマ時代はこの法 律の変動期に辺り,反英的な空気は強かったようである。

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4)George Orwell “Shooting an Elephant” George Orwell : Essays,(London : Pen-guin Books, 2000), pp. 18!19. 本稿での『象を撃つ』(Shooting an Elephant)の引用は,すべてこの版に よるものである。 5)オーウェルは少なからず,植民地インド帝国に対しては,神秘的,異国情 緒を感じる国として魅力は感じていたようである。Stephen Ingle はこの頃 のオーウェルに関し,“He was a young man with a desire to experience the world at a time when nobody set off with a rucksack and sleeping bag to take

a gap year.(Ingle p. 14)” と述べ,彼が海外に対して若者らしい情熱的な冒 険心を持っていたことを指摘している。また,インドに関して,自分の出生 とのつながりを意識してインドへ帰るのだという言動をして,ロマンティッ クな感情をのぞかせていたと言われる。(Ingle p. 15)もちろん,この異国 への憧憬は,西洋による偏見で作られたステレオタイプのイメージ,合理的 な西洋と非合理的で堕落した東洋という対立のイメージが前提にある。この 二項対立は,サイードの言う所の「非ヨーロッパのあらゆる民族・文化を凌 駕するものとしてみずからを認識するヨーロッパのヨーロッパ観」(サイー ド『オリエンタリズム』上巻 p. 30)を背景としている。オーウェルは西洋 的な合理ではとらえられない神秘的魅力を持つものとして,憧憬の対象とし ていた可能性は高いが,オリエンタリズム的な枠組みによるものに他ならな い。 6)オーウェルが植民地で見た人種による差別は母国英国にあった出身階級と いう出自や門地の差によるものとは質を異にするものであった。The Road to

Wigan Pier に お い て “There was no obvious class-friction here, because the

all-important thing was not whether you had been to one of the right schools but whether your skin was technically white.”(Orwell The Road to Wigan Pier p. 132)と記しており,差別の本質がその人の経歴,出身などのではなく, 生来の肌の色というもので区分けされ,否応なく抑圧されることが彼にとっ て衝撃的なことであったことをうかがわせる。 7)オーウェルの植民地と現地人に対する姿勢は,両義的で曖昧な点がある。 帝国主義による植民地支配を理不尽な搾取であると否定する一方,既存の人 種の優劣の序列や帝国の存在を完全には否定しきれておらず,後年の作品に

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もその痕跡がある。1947年発表のエッセイ The Lion and the Unicorn におい て,大英帝国の繁栄は,植民地から吸い上げた富によるものとしながらも, 帝国植民地の独立は,植民地のインドにも利するものでもなく,インドのよ うな貧弱で未熟な農業国は,まともに独立を保持することは難しく,日本や

ロシアに征服されるリスクが高いとしている。(Orwell The Lion and the

Uni-corn p. 171)こうした曖昧で不完全な側面は Alex Zwerdling(Zwerdling pp.

134!135)や Ahmad Ghaforian, Ahmad Gholi(Ghaforian and Gholi p. 1363) など複数の研究においても多く指摘されている所である。

8)George Woodcock The Crystal Spirit : A Study of George Orwell,(Boston : Lit-tle, Brown, 1966), p. 79.

9)オーウェルは1946年に発表されたエッセイ Why I Write の中で初期の作品 を振り返り,次のような言葉で『ビルマの日々』を表している。“I wanted to write enormous naturalistic novels with unhappy endings, full of detailed de-scriptions and arresting similes, and also full of purple passages in which words used partly for the sake of their sound. And in fact my first complete novel, Burmese Days, which I wrote when I was thirty but projected much ear-lier, is rather that kind of book(Orwell Why I Write p. 2)彼は技巧を凝 ら し た文章と比喩(厳密には直喩)に満ち,悲劇的な結末に至る作品を若い頃は 書きたかったと考えていたようであり,その熱意の反映が『ビルマの日々』 であったことがここに示されている。数ある技巧の中でも言葉の響きや直喩 にオーウェルは特に注目していたようであるが,様々な技巧に彼は当然目を 凝らしていたことは想像に難くない。故に本稿で着目する暗喩も当然視界に 入っており,技巧の一つとして当然取り入れられたと考えられる。

10)George Orwell Burmese Days,(London : Penguin Books, 2009,)p. 68.

本稿での『ビルマの日々』(Burmese Days)の引用は,すべてこの版によ

るものである。

11)Daphne Patai, The Orwell Mystique : A Study in Male Ideology,(Amherst : U of Massachusetts p, 1984), p. 23.

12)Praseeda. Gopinath “An Orphaned Manliness : the Pukka Sahib and the End of Empire in A Passage to India and Burmese Days.” Studies in the Novel Vol. 41, No. 2(Summer 2009)p. 216, p. 221

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Gopinath は,主人公 Flory を植民地の統治者として高潔な英国人として の男性性を追求し,現実の統治者の姿とのギャップに絶望する者と捉える。 顔は彼の帝国の統治者の紳士としての挫折や劣等感を身体的に明示するもの としている(p. 216)。その他にも,彼は現地人に同情的なことから,彼の 白人種としての純潔性からの潜在的逸脱を暗示していることも指摘されてい る(p. 221)。

13)George Orwell “Why I Write” George Orwell : Essays,(London : Penguin Books, 2000), p. 7.

ジョージ・オーウェル「なぜ書くか?」『あなたと原爆オーウェル評論集』

秋元孝文訳 光文社 2019年 p. 252.

14)後の『1984年』を見てみると,舞台のディストピア社会中で「表情犯罪」 “facecrime”(Orwell Nineteen Eighty-Four p. 71)という概念が登場する。こ れは文字通り,不適切な表情をすれば,それは当局に対して叛意を抱いてい る可能性ありとして,拘束対象とされてしまうというものである。また,ス ペイン内戦のルポルタージュ,Homage to Catalonia も人物の顔や風貌から 話が始まっている(Orwell Homage to Catalonia p. 1)。このようなことから, 顔(face)に対して作家が重要な意味を見出していたことが見て取れる。 15)ジェンダーに重心を置いたオーウェル研究の例として,Daphne Patai の

The Orwell Mystique : A Study in Male Ideology がある。同研究において,フェ

ミニズム的な視点から作品に様々な問いが成されており,重要な研究である といえる。本稿においても重要なものの一つと認識している。また,このよ うな視点の研究からは,オーウェル作品にある misogyny 的(女性嫌悪的) な側面も見出されており,そうした作家の性意識も見逃すことのできない要 素である。この視座からのオーウェルの表象のさらなる検討,考察は未だ余 地がある。 参考文献

Ghaforian, Ahmad and Gholi, Ahmad. “A Postcolonial Reading of George Or-well’s Shooting an Elephant With Special Reference to Edward Said’s Oriental-ism and Binary of the Self and the Other.” Language Studies Vol. 5. No. 7, (July 2015)pp. 1361!1367.

(23)

Gopinath, Praseeda. “An Orphaned Manliness : the Pukka Sahib and the End of Empire in A Passage to India and Burmese Days.” Studies in the Novel Vol. 41, No. 2(Summer 2009): pp. 201!223.

Ingle, Stephen. Orwell Reconsidered, New York : Routledge 2020.

Larkin, Emma. Secret Histories : Finding George Orwell in a Burmese Teashop, Lon-don : John Murray, 2004.

Orwell, George. Burmese Days, London : Penguin Books, 2009. ―. George Orwell : Essays, London : Penguin Books, 2000. ―. Homage to Catalonia, London : Penguin Books, 2013. ―. Nineteen Eighty-Four, London : Penguin Books, 2000.

―. “The Lion and the Unicorn” George Orwell : Essays, London : Penguin Books, 2000. pp. 138!188.

―. The Road to Wigan Pier, London : Penguin Books, 2014.

―. “Shooting an Elephant” George Orwell : Essays, London : Penguin Books, 2000. pp. 18!29.

―. “Why I Write” George Orwell : Essays, London : Penguin Books, 2000. pp. 1!7. Patai, Daphne The Orwell Mystique : A Study in Male Ideology, U of Massachusetts

P : Amherst, 1984.

Said, Edward W. Orientalism, London : Penguin Books, 2003.

Shabanirad, Ensieh and Marandi, Seyyed Mohammad. “Edward Said’s Oriental-ism and the Representation of Oriental Women in George Orwell’s Burmese

Days.” International Letters of Social and Humanistic Sciences Vol. 60(2015): pp. 22!23.

Zwerdling, Alex. Orwell and the Left, New Haven and London : Yale University p, 1974.

Woodcock, George. The Crystal Spirit : A Study of George Orwell, Boston : Little, Brown, 1966.

秋田茂『イギリス帝国の歴史アジアから考える』中央公論新社 2012年

エドワード・W・サイード『オリエンタリズム』(上・下)今沢紀子訳 平凡

社 1993年

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木村雅昭『大英帝国の盛衰イギリスのインド支配を読み解く』ミネルヴァ書房 2020年 ジョージ・オーウェル『あなたと原爆オーウェル評論集』秋元孝文訳 光文社 2019年 中村隆之『野蛮の言説差別と排除の精神史』春陽堂書店 2020年 根本敬『物語ビルマの歴史王朝時代から現代まで』中央公論新社 2014年

参照

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