『とはずがたり』 には二条の歌を含めて全部で一五九首が見ら . れ るが 、松村雄二によると、作品中に挿入されているこれらの歌 は、 登場人物たちの心情の詩的な抒情としての機能よりも、物語 を進行させる散文的な有意味な契機として積極的・意識的に選択 (1) 使用されているという。 また田中貨子は「日記とはいえここに はフィクションの部分がかなりあって、 物語に描かれるような す』) シーンが何回も登場する」 ことに注目して、rとはずがたり」が 日記文学でありながら物語的な性格の強い作品であると述べてい .る。 二条は自分の半生をあたかも物語の世界で起こり得ることの ように描いているが、その中に挿入されている歌 が、 ある劇的な 場面を描く上で効果を挙げているのは確かである。 菊田茂男は和歌と物語との関係について、「抒 情的和歌と叙事 的物 語とがそれぞれ独自のジャンルを形成して裁かな展開を見せ たが、その基盤に相互の深い交流と影響の事実があったことは十
はじめに
『と
はずがたり』
分に考慮される必要があるだろう」として、「和歌が地の文を促し、 地の文は和歌の存在を補いつつ、 しかもそれによって―つのまと まりと、 次のプロットヘ展開していくきっかけを与えられること により、しだいに持続的な生と場を基盤とする物語的様式と世界 (3) が形成されていくのである」 と言う。rとはずがたり』に挿入さ れている歌がその世界に融合・調和して、作品のプロットの展開 にいかなる効果を挙げているかを検討するためには、歌がその詠 まれた状況を叙述した地の文とどんな相oo
性を持っているかをも 考えなければならないとおもわれる。 本稿は、 地の文から和歌へ、 和歌から地の文へと、有機的なっ ながりを持ちながら展開していく『とはずがたり』の贈答歌群を 中心に、その詠まれた和歌と地の文との相関性について具体的に 考えてみたものである。 rとはずがたり」における贈答歌の数(二首一組の維数〉は、 和歌と物語との関係↓四答歌を中心として1金
粉
における地の文と和歌との相関性について
淑
92-巻一に九組、 巻二に五組、 巻三に八組、 巻四に九紐、 巻五に二紐 で、 合わせて三一二組ある。また贈答の 相手は、 後深草院をはじめ 、 と して雪の曙・有明の月・亀山院・兼平・遊女・資宗・常良・女 房・久我前大臣らであるが、 和歌の数から見ると、 後深草院とは 七首、 雪の曙とは五首、 有明の月とは四首で 、 そ のほかの人々と はそれぞれ二首あるいは一首である。 それに胞答歌の三分の二が いわゆる宮廷編に集中していること、 また二条が贈答した相手が • ほ とんど男性であることが目を引く。 ここでは二条の前半生に大きな影響を及ぽした三人の男性(後 深草院・雪の曙・有明の月)のうち、 特に雪の曙との楊合を中心 に検討してみたい。 文永七年(ーニ七0)元旦、 院の御所で一 人の女房として晴 れ舞台に立った十四歳の二条が、 その日、 自分の局に戻って来る と、 雪の昭から豪華な衣裳とともに愛を告白する歌が送られて来 (4) た 。 「昨日の雪も今日よりは跡踏みつけん、 行く末」など柑きて 御文あり。(中略) っぱさこそ誼ぬることの叶はずと浩てだに慣れよ鶴の毛 衣 ( 巻一・―ニページ) 今日からは踏み 込んで二条に求愛の手紙を送る由を世いて、 綬< 贈歌では、 たとえ夫婦になることが叶わなくとも、 せめてこの衣 裟だけは浩慣らしてほしいと歌ってお り、 前文 (地の文)とは一 心ざしありてしたため賜ぴたるを、 返すも情なき心地しなが ら、 致しない妙なニュアンスの一首になっている。 これに対して二条 は、 「よそながら慣れてはよしや小夜衣いとど袂の朽ちも こ そすれ思ふ心の末空しからずは」など書きて返しぬ。 (巻一・―ニページ) せっかく心をこめて用意して下さった衣裳を、 二人が一緒になれ ないのに〈滸恨れ〉るわけにはいかないと言いながらも、 歌に続 く「思ふ心の空しからずは」の一文には、 いずれは結ばれること への期待感がこめられていることに 注意したい。 二条の愛を確か めた曾の曙が、 契りおきし心の末の変らずは一人片敷け夜半の狭衣 (巻一、 一三ページ) の一首とともに、 再ぴ衣裳を送り届けて来るに及んで、 もはやニ 条にはそれを返すことはできなかったのである。 かくて二条はその衣裳を父大納言雅忠の前で披露する。 三日、 法皇の御幸この御所へなるに、 この衣を培たれば、 大 納哲、「なべてならず色も匂ひも見ゆるは。御所より賜はり たるか」と言ふも、 胸騒がしくおぼえながら、 「常盤井准后 より」とぞ、 つれなくいらへ侍りし。 (巻一、 一三ベージ)
父雅忠の「御所より賜りたるか」との問に、 二粂は「常盤井准 后より」 と嘘をついて、 当然のことながら事実を明かすことはし なかった。一方、 雪の曙は以前から二条が成人するのを待ってい て、 その時が来たら求婚するつもりだったと思われるが、 この年 明けとともに早くも院が二条を思い人として出仕させたことに当 惑したのであろう。相手が院であるからには初めから勝負になら ないのは分かっているけれども、 雪の曙としてはせめて自分の二 条への恋情を伝えたく、 豪華な賠り物に付けて前文と歌が一致し ない妙な手紙を送ったのであり、 二条もこれから起こりうる状況 . を 熟知していたからこそ父雅忠にあえて嘘を曾ったのであった。 したがって、 ここでの地の文はまさに和歌を補いつ つ、 しかも それが―つのまとまりとなって次のプロットヘ展開していくきっ かけを与える点において、 和歌と地の文との相関性がよくうかが えるのである。 さて後深草院と二条が初夜を過ごした翌 日、 酋の曙から次のよ うな手紙が届いた。 昼つ方、 思ひよらぬ人の文あり。見れば、 • r今よりや思ひ消えなん一方に煙の末のなぴき果てなば これまでこそ、 つれなき命もながらへて侍りつれ。今は何事 をか」などあり。 (巻一、 一八ー一九ページ) ]一条が今後、 院一人のみに靡いてしまったならば自分は死んでし まおうというほどの、 この熱烈な恋の贈歌に対して二条は、 「かかる心の跡のなきまで」とだみつけしたる、標の簿様に 書きたり。「忍ぶの山の」とある所をいささか破りて、 知られじな思ひ乱れて夕垣なぴきもやらぬ下の心は とばかり書きて選ししかども、 とは何事ぞと、 われながらお ぽえ侍りき。 (巻一、 一九ベージ) 自分の本心はどちらへも靡き切れずに悩んでいるという意味の歌 を通して、 実際 は院との初夜を拒ん だことを示峻している。 しか も右の文面によれば、 二条はかつて雪の曙が賠ってくれた「消え ねただ忍ぶの山の峰の雰かかる心の跡のなきまで」(r新古今集』 (5) 恋二、藤原雅経)の歌が彩色で描いである簿様の、その第二句「忍 ぶの山の」の所を破って、 そこに自分が院の寵愛を拒んで〈雪の 曙のことで思い悩ん だ〉ことを知らせるべく、「知られじな」の 歌を書き付けて送ったというのである。院からの後朝の歌には返 事も出さず、家族みんなを困らせた二条の、 こんな大胆な行為は、 何を意味するのだろうか。自分が院の女になっ ても、 自分の本心 は雪の曙を愛していることを、^忍ぶの山〉という部分を切り取っ て送ることで間接的に知らせようとし たのである。それは返歌そ のものもさることながら、 ^忍ぶの山〉という歌語が象徴するイ メージからも、 二条の心情には舌の曙との愛情関係に門を閉ざし たくないという意味合いが潜めてあったことがわかる。 このような二人の関係は、 翌文永九年八月の二条の父雅忠の死 を契機として、 さらに濃密なものとなる。
、 して 、 「心の内はいかに いかに」と訪ひし人、(中略)夜もすがら 言ふほどに、明け行く鎖の声聞ゆるこそ、げに逢ふ人からの 秋の夜は、言葉残 りて烏嗚きにけり。「あらぬさまなる朝帰 りとや、 世に冊えん」など言ひて、 婦るさの名残も多き心地 別れしも今朝の名残をとり 添へ て骰き誼ねぬる袖の露かな はした者して、車へつかはし侍りしかば、 名残とはいかが思 はん別れにし袖の 露こそひまなかるらめ 夜もすがらの名残も、 誰が手枕にかと、 われながらゆかしき ほどに、今日は思ひ出でらるる折節、檜皮の狩衣箔たる侍 、 文の箱を持ちて中門の程にたたずむ 。 (6 (巻一、 四六1四七ページ) 父雅忠の死後、 悲しみのどん底にあった二条に対して、毎日の ように「心の内はいかにいかに」と心配してくれている雪の曙が、 九月十日過ぎに直接二条を訪ねて来た。一一人は一晩を語り明 かし た。一一条は地の文で、 凡河内拐恒の「長しとも思ひぞ果てぬ昔 よ り逢ふ人からの秋の夜なれば」(『古今集』恋三)と、r伊勢 物語』 二十二段の男の歌「秋の夜の千夜を一夜になせりとも言葉残り て 烏や鳴きなむ」を踏まえ ) て、 「げに逢ふ人からの秋の 夜は、 言葉 残りて鳥嗚きにけり」と、 相手次第で一晩があまりにも早く明け てしまった名残惜しさを吐露するとともに 、 贈歌において〈袖の 翁という歌語を使いながら、 父の死による悲しみの上 に、 また 雪の躇との名残惜しい別れが誼なった今朝の悲しみを訴えている。 これに対して雷の昭は、 男女の契りを持ち得なかった「あらぬさ まなる朝帰り」を恨みながら 、 品広の露〉は自分とは関係なく 、 父との死別を悲しむ涙だと、 二条の恋慕の情を疑いはぐらかす よ うな歌を返している が、 これは 恋歌の贈答の常であって、 いま悲 しみの極にある 1 一条にとって、 雪の昭こそが真に頼れる存在だっ たのは言うま でもない。別れに臨んで二条の方から先に歌を送っ ているところにも、 そう いう彼女の本心が読み取れるであろう 。 この贈答歌を迎して、 1 一人はそれぞれ相手の愛情を確認するこ とができた。 これを契機に二人は 深い関係になるのである。 彼よりの使なりけり。 いと細やかにて、 忍ぴあまり ただうた たねの手枕に露かかりき と人や咎むる よろづあはれなる心なれば、 かやうのすさみごとも名残ある 心地して、 われもこまごまと書きて、 秋の露はなべて草木に惜くものを袖にのみとは誰か咎めん (巻一、 四七1四八ページ) 二条が雪の曙と語り明かした昨夜の名残に浸っている 時、 彼から の歌が届いた。 あなたへの思いに堪えかねて一夜を過ごしただけ なのに、 私の袖に涙の露がか かった(二人は結 ばれた) と人が見 咎めるでしょうか、 と 言って来たのに対して、 二条は〈秋の露 〉 はすべての草木 に骰くものなのに、あなたの袖だけが濡れている などと見咎める人はあるまい、との返歌をし たというのであるが、
(巻一、 五一ページ) 右は新枕の翌朝、 二人が交わした後朝の歌である。 二条に別れ て帰る道中は涙にくれて有明の月までがつらく恩われたとの歌に 対して、 二条は 涙に溜れた私の袖には今あなたの面影が浮かんで 帰るさの袂は知らず面影は袖の涙に有明の空 ここで注目されるのは、 歌が地の文を促し、 次のプロットヘ展開 していくという歌と地の文との相関性を考えてみるならば、 二人 の贈答歌はあるけれども、 次の地の文では日常生活に戻り、 二条 の亡父の四十九日の仏事に関すること が柑かれているということ である。 やがて二人は後深草院の目を気にしながら新枕を交わしてしま 〇 、つ 長き夜すがら、 とに かくに言ひつづけ給ふさまは、げに唐国 の虎も涙落ちぬべき程なれば、岩木ならぬ心には、 身に換ヘ んとまでは思はざりしかども、 心のほかの新枕は、御夢にや 見ゆらんと、 いと恐ろし。 (巻一、 五一ベージ) 二条は雪の暗との密通が院にばれることを恐れている が、 ここに は彼女自身の心の葛藤は示されていない 。 つまり地の文から推察 してみると、 彼女は内心、 雪の暉と結ばれたことに感激していた と思われるのである。 帰るさは涙にくれて有明の月さへつらき東雲の空 (巻一、 五一ページ) いると応じている。男の歌の直前に、 「烏の音におどろかされて、 夜深く出で給ふも、 名残を残す心地して、 又寝にやとまでは思は ねども、 そのままにて臥したるに、 まだ束猿も明けやらぬに、 文 あり」と記された地の文を読む と、 この時の二条がいかに幸せな 気持に没っていたかがよくわかるであろ う。 二条にとっては雪の 躇との愛人関係こそが、何にも まさる充実感を味わわせてくれる ものだったのである。 それにしても、 二条は誰しも知るように後深草院の寵愛を受け ていて、 しかも折から院の子を懐妊している身でありな がら、 雪 の昭とも相思相愛の仲になっているのであって、 通常の女とは異 なる二条の特異性がよくうかがわれるところである。 ともあれ、 こうして雪の曙との愛に浸っている時に、 院から手 紙が来た。 「いかなる方に思ひなりて、 かくのみ里住み久しかるらん。 この頃は、 なべて御所ざまもまぎるる方なく、御人少ななる に」など、常よりも細やかな るも、 いとあさまし。 (巻一、 五一ー五ニページ) 何に心ひかれて里住みが長いのかと尋ねる手紙に対して、 二条 の反応はrいとあさまし」だっ た。 これは二人の行動の背後に院 の眼が働いていたことを間接的に知らせる場面でもあったのであ る 。 文永十年十二月、 l 一条と雪の曙が夜を共にしている時に、 また
院から手紙があった。 いつ もよりむつまじき御言の葉多くて、 「うば玉の夢にぞ見つる小夜 衣あ らぬ袂 を重ねけりとは さだがに見つる夢もがな」とある もいとあさましく、何をい かに見給ふらんとおぼつかなくおぽゆれど も、 思ひ入り顔に も何とかは申すべき。 ひとりのみ片敷きかぬる袂には月の光ぞ宿り皿ぬる われながらつれなくお ぼえしかど も、申しまぎらかし侍りぬ。 (巻一、 六五ベージ) 院は 〈小夜衣〉〈袂〉〈重ねけり〉と言葉を連ねながら、 二条が 他の男と枕を交わしている夢を見たと言って来たのであ る。 これ に対して二条は、 涙に濡れた私の袂には毎晩月が宿っているのみ と、 独り寝のさ ぴしさをか こつ歌を返しているが、 ここでも院に 二人の行動は 感知されていたことが知られるのである。 しかし、 新枕の相手とも 言いたいほどの「浅から ざりし心ざし の人」であった雪の曙との関係 は、 その後、 二条が伏見の御所で 兼平と犯した梢事(巻二巻末)など、 一辿の出来事以降、 さすが に「問遠にのみ」なって行った。 だからと言って、 二人の関係が完全に終わったわけではない。 弘安四年(―二八一)五月のこと、雪の昭から「里居の程の関守 なくては、 自ら立ちながら」と嘗き涼えて、 梃しと思ふ心に似たる根やあると緑ぬるほどに涸るる袖かな (巻三、 一六六ページ) という歌が届けられた。この時、 二条は 硬き根をば心の外に かけそへて いつ も袂の乾<澗ぞなき (巻三、 一六七ページ) と返している。すなわち、 雪 の昭の命四るる袖〉に対して自分の 萩〉は^乾く間〉もないと応じ、 二人が疎遠になってい た問、 ずっと辛い気持でいたことを訴えたのである。雪の曙がその夜、 二条を訪ねて来たことは、 歌に続く地の文に「げによしなき心地 せしかど、いたう更かしておはしたり」とあるので明らかである。 憂かりし事の節々を、 いまだうち出でぬ程に、 世の中ひしめ く。「三条京極、 宮小路の程に火出で来たり」と酋ふほどに、 かくてあるぺき事ならで、 急ぎ参りぬ。 さるほどに、 短夜は 程なく 明け行けば、 立ち焔るにも及ぱず。明けはなるるほど に、「浅くなり行く契り知らるる今宵の疎分け、 行く末知ら れて、心憂くこそ 」とて、 絶えぬるか人の心の忘れ水あひも思 はぬ中の契りに (巻三、 一六七ベージ) 二粂が雪の曙に逢えなかった間のr憂かりし串の節々」を「いま だうち出でぬ程」に周りが騒ぎ 立て た。院の御所の近くで火事が 起こったのだという。雷の昭は急いで帰り、 その夜は遂に戻って 来なかった。せっかく二人が緩りを戻すチャンスと思っていたニ 条はひどく失望し、 その時の心情を「今宵しもの阻りは、 ただ事
にはあらじ L と密いているが、その予想は不幸にも的中すること になる。 その夜、帰ったまま戻って来なかった雪の曙から、明け方になっ .て届いた右の歌に、 二条 は次の一首を返した。 契りこそさても絶えけめ涙河心の末はいつも乾かじ (巻三、 一六七ー一六八ページ) 二人の愛は絶えてしまったのかと嘆く省の昭の歌に対して、 二条 は二人の関係が絶 えてしまっても自分の嘆きの涙はいつまでも乾 くことはないと歌っている。予想していた通 り、 二人の仲はこの . 賭 答歌をもって幕を閉じるのだ が、 これに続く地の文を見ると、 かくてしばしも里住みせば、今宵に限るぺき事にしあらざり しに、 この暮に、「とみの麻あり」とて車を賜はせたりしかば、 参りぬ。 (巻三、 一六八ページ) のように、 これまで長きにわたって愛し合って来た雪の曙との別 れについての心情には 触れないで、普通の日常生活に戻った二条 の姿が描かれているのである。 • 以 上、 二条と雪 の曙の間に交わされた贈答歌は五首あったが、 それらを逐次見てきて、そ こには贈答の形式、 すなわち返歌の中 に贈歌の詞を詠み込みながら二人の感情を伝えてはいるものの、 やはり二人は常に人の眼を気にしなければならぬ関係だったので、 和歌と地の文とのつながりには限界があるように思われた。もち ろん地の文を通して和歌が詠まれた事情や状況などが推察できる とともに、 それが―つのまとまりとなって次のプロットヘ展開し ていくきっかけを与え、 歌と地の文との緊密な相関性があったこ とも否定できない。 しかし、 全体的に地の文が簡深に書かれているとか、 歌とは全 く関係のない内容が奮かれている等の点を考えてみると、 人目を 避けながら隠れて逢いに来る人 に、自分の本音を表出することは できなかったのであろう。結局、和歌から物語へ展開していくた めの地の文の表現が簡深ではある が具体的でなかったのは、 表向 き自由が利かない二条の囮かれていた環境が、 彼女に選択の余地 を与えなかったことにあるのではなかったかと思われるのである。
物語的な場面との関係
『とはずがたり』に は、あたか も物語に描かれるようなシーン が何回も登場している。それは二条が、 波乱に宮んだ自分の半生 を物語にでも出てくるもののように感じていたからであろう。実 体験したことを反努する時、 二条 はそれをただ単に「日記」とし て書 くのではなく、 かのルジュンヌの酋説を踏まえて酋うならば、 「過去の自分を描き出しながら、 しかもその過去を自分の永遠の 願望に従って意味付け、そしてそれを未来に差し出」すぺく、「日 (7) 記文学」を世いたのである 。以下、そのような『とはずがたり』 の中に描 かれた劇的で物語的な場面をいくつか取り上げ、 その場 面に見られる地の文と歌の関係について考えてみたい。「一人行かん遊の御送りも」など誘ひ給ふも、「心も知らで」 など思ふべき御事にてはなけれども、 思ひ乱れて立ちたるに、 隈なかりつる有明の影、 白む程になり行けば、「あな心苦し のや うや」とて引き乗せ給ひて、 御車引き出でぬれば、 かく とだに言ひ置かで、 昔物語めきて、 何となり行くにかなどお ほえて、 鏡の音におどろくとしもなき夢の名残も悲し有明の空 道すがらも、今しも盗み出でなどして行かん人のやうに契り 給ふも、 をかしとも言ひぬべきを、 つらさを添へて行く道は、 涙のほかは言問ふ方もなくて、 おはしまし箔きぬ。 (巻 l 、 ニ ― ー ニニページ) これは後深草院と初夜を過ごした二条が、 その翌朝見送りに出 たところ、 院が盗むようにして彼女を御所 へ連れて行く場面であ る。 王朝の物語には男が愛する女を盗み出す話があるが、 ここに は函匹氏物語』夕顔巻で源氏によって某院へ連れ出される折のタ 顔が、 その不安な心境を詠じた一首「山の瑞の心も知らでゆく月 (8) はうはの空にて影や絶えなむ」が引かれて おり 、 後統の二条の 独白歌「鎌の音に・・・ 」 と相まって、 彼女の前途を暗示するものと (9) して甚だ効果的な引歌になっている。作者はこのようにして昔 物語の女主人公の運命に己れを重ね つつ、 昔物語めかして描くこ とにこだわっているのである。 次に、 二条が雪の暗と密会している折しも、 他の男との不倫関 係を疑う手紙が院から届いた場面(巻一、 六五ページ。前掲)に ついて言えば、「うば玉の夢にぞ見ゆる小夜衣あらぬ袂を菰ねけ りとは」という院の歌に対して、 二条は「ひとりのみ片敷きかぬ る袂には月の光ぞ宿り誼ぬる」と、巧みにごまかして返歌を送っ たが、 統く地の文では自らの本心を「われながらつれなくおぼえ し」と告白している。 もうーつ、作中もっとも劇的な場面として後深草院の葬送の条 を挙げておこう。 やがて京極表より出でて、 御車の尻に参るに、 日暮し御所に 侯ひつるが、事なりぬ とて御車の寄りしに、 慌てて、履きた りし物もいづ方へか行きぬらん、裸足にて走り下りたるまま にて参りしほどに、(中略)ここよりや止る止ると思へども、 立ち帰るべき心地もせねば、 次第に参るほどに、物は履かず、 足は痛くて、やはら.つつ行くほどに、皆人には追ひ遅れぬ。(中 略)空しく帰らんことの悲しさ に、 泣く泣く一人なほ参るほ どに、 夜の明けし程にや、事はてて、 空しき遜の末ばかりを 見参らせし心の中 、今まで世に永らふ るべしと や思 ひ けん。 (巻五、 三0五ー三0六ページ) 崩御した院の棺に少しでも近い所でお別れしたい一心で、 二条 は人目も憚らず裸足のまま下りて霊柩車を追って 行く。 この楊面 が強烈な印象を与えるのは、夢中になって院のあとを追い統ける 狂女にも似た二粂の姿が、 まさに真に迫る箪致で描かれているか
日記文学は過去の自分を描いたものではあるが、 執箪時の自分
四
お
わりに
らであろう。 以下、 露消えし後の御幸の悲しさに昔に帰るわが袂かな (巻五、一―10六ページ) の一首をはじめ、 右の場面の悲愴な心惜を引きずりながら詠んだ 院追慕の二条詠は十首に及ぶ。 かかる御あはれも、 また秋の霧と立ち上らせ給ひしかば、 な べての雲居もあはれに て、 雨とやなり給ひけん、 霙とやなり 給ひけん、 いとおほつかなき御旅なりしか。 . い づ方の雲路ぞとだに埠ね行くなど幻のなき 世なるらん 、 ( 巻五、 三0九ー三一0ベージ) 煙となって院の魂が昇った所と思えば空一面が慕わしく思われ るというのだが、 ここに は諸注が指摘するとおり、 r源氏物語』 の葵巻の源氏の歌「のぼりぬる煙はそれとわかねどもなべて雲居 のあはれなるかな」、 同じく劉馬鉗の亡妻追悼詩を引く「雨とな り雲とやなりにけむ、今は知らず」の条、 さら には桐壺巻の帝の 歌「尋ねゆく幻もがなってにても魂のありかをそこと知るべく」 (10) などを取り込むこ とで 、 二条自身の抑えがたい院への追慕を、 愛する者を失った光源氏や桐壷帝の心境と巧みに重ねな がら物語 化したのである。 の願望も自ずから加わるであろうから、 何ほどかの虚構が交じる ことは避けられず、 作品が物語化される可能性も森くなるのであ る。『とはずがたり」には、二条が自分をあたかも『伊勢物語』『源 氏物語」などの昔物語に出てくる女主人公のように仕立てている 場面が少なくない。 この作品が日記文学と言われながら、物語的 性格が強いと評され る所以である。 本稿は、 rとはずがたり」に挿入されている歌がプロットの展 開に果たしている効果を検討するため、 歌が詠まれた状況などを 叙述した地の文との相関性について、 主に二条と酋の曙との間で 交わされた贈答歌を中心に検討すると ともに、 昔物語の歌や叙述 を踏まえた物語的な場面についてもいささか考察を試みた。前者 に関して は、 和歌から日記、 すなわち物語へ展開するための地の 文が具体的でないことが指摘できそうだ。 もちろん、 雪の曙との 間で交わされた贈答歌には、 地の文を通して和歌が詠まれた事情 や状況が推察でき、 しかもそれが―つのま とまりをもって次のプ ロットヘ展開していくきっかけを与え、 歌と地の文との間に緊密 な相関性があったことも否定できない。一方、 波乱に宮んだ自分 の半生を物語めかして描いた場面からは、作者二条 のオ裳と、 物 語的日記rとはずがたり』の方法上の特色も舌取できるように思 われるのである。 注 (1) 松村雄二「 r とはずがたり』文体論断章」 (r 共立女子短期大学-100-研究室受贈図書雑誌目録冒 福岡教育大学国語科研究論集(福岡教育大学国語国文学会) 四 紀要(文科)』第二九号、 昭和六ー・ニ) (2)田中貨子 r 日本古典への招待