金
・
水銀の分量比をめぐって
堀部
猛
11年料屏風条にみる鍍金 『延喜式』巻十七 (内匠寮) の鍍金に関する規定について、近世の き る。 専 門 と す る 考 古 資 料 の み な ら ず、 文 献 史 料 も 積 極 的 に 取 り 上 げ、 が「 滅 金 」 と 水 銀 を 挙 げ て い る こ と に あ る。 「 滅 金 」 が 何 を 指 し、 水 銀 の用途は何であるのか、また、なにゆえこうした規定となっているのかが課題となっ ている。 内匠式では「滅金」は金と水銀を混和した金アマルガムを指し、その分量比は一対 三としている可能性が大きいこと、それに続く水銀は「酸苗を着ける料」として梅酢 などで器物を清浄にする際に混ぜ、また対象や部位によりアマルガムの濃度を調節す るのに用いるものとして、式が立てられていると解した。鍍金の料物を挙げる内匠式 の多くの条文では、水銀が滅金の半分の量となっており、全体に金と水銀が一対五の 分量比となるよう設定されている。この分量比は、奈良時代の寺院造営や東大寺大仏 の鍍金のそれとほぼ同じである。以上のような滅金と水銀による料物規定は内匠式特 有のものであり、実際の作業工程に即して式文を定立したことによると評価できる。 【キーワード】 延喜式、内匠寮、鍍金、料物、滅金 akeshi様 は 書 か ず、 料 物 が 列 挙 さ れ る。 鍍 金 の 料 物 は「 滅 金 」 と 水 銀 で あ り、 11条 の 「 年 料 屏 風 」 か ら 32条 の「 四 尺 屏 風 」 ま で、 実 に 二 一 も の 製 品 の 料物として見える (3 ( 。大半が木材を黒漆で塗り、鍍金を施した飾り金具を つける調度品や乗り物である。 内匠式に料物が見える古代の鍍金は、水銀と金の粒子を混和して金ア マルガムを作り、 これを銅の表面などに塗り、 加熱して水銀を蒸発させ、 研磨して仕上げるものである。小林行雄氏は奈良時代の寺院造営に際し て作成された帳簿から鍍金に関する記載を丁寧に辿り、これを内匠式の 規定と比較することを試みている。そこで焦点となっているのは、金と 水銀の分量比である。奈良時代の帳簿類では、金アマルガムを作るため の練金と水銀それぞれの分量が示され、どのような分量比で混和してい る の か が 明 快 で あ る。 一 方、 内 匠 式 で は 練 金 と 記 さ ず に、 「 滅 金 」 と 水 銀の分量で示される。ここでの「滅金」が何を指すのか、また滅金とは 別に計上される水銀の用途が何であるのか、小林氏は解釈をする上での 課題を挙げるにとどめ、断案を下すことは控えている (( ( 。 『 延 喜 式 』 に 対 す る 小 林 氏 の ア プ ロ ー チ は 文 献 史 学 の 側 か ら み て も 水 準が高く、示された課題の持つ意味もまた大きい。内匠式の意味すると ころを可能な限り読み解き、氏の示した課題に応えることは、古代の技 術史や工芸史に資することにもなろう。多分野協働を掲げる本共同研究 では、現在も伝統技法として金アマルガムを用いた鍍金を行っている工 房での聞き取り調査も実施した。本稿は、こうした鍍金に関する技術史 的見地からの調査も踏まえて内匠式の規定について考察し、右の課題に 迫ることを目的とする。
はしがき
古代日本の律令国家は、製造や加工を担う現業部門を官制に組み込ん でいた。そうした官司では、技術を有する官人などの技術労働力を編成 するとともに、官司機構などを通じて原材料を調達し、製造・加工を恒 常的に行っていた。大宝令・養老令の官制では、たとえば典鋳司や鍛冶 司のような職掌を冠する官司が多く置かれていたが、延暦~大同期を中 心に実施された官司の統廃合を通じて、中務省のもとに集約するかたち で手工業生産官司は再編される (1 ( 。中務省被管であった内匠寮もこの時期 に再編強化された官司の一つであり、天皇周辺の調度品をはじめ各種製 品の製造・加工を担った。 内匠寮が行う製造・加工の具体的な内容は、 『延喜式』に詳しい。 『延 喜 式 』 巻 十 七 の 内 匠 式 は、 供 御 の 食 器、 調 度 品、 武 器、 乗 り 物、 伊 勢・ 賀茂両斎王が用いる品々など、個々の製品ごとに、製造・加工に要する 材料(料物)と標準作業量(功程)が定められている。内匠式の多くの 部 分 は、 こ の 料 物 と 功 程 に 関 す る 規 定 で 占 め ら れ て お り、 各 種 の 製 造・ 加工にどのような原材料が用いられ、いかなる工程をもって実現してい るか、ある程度うかがうことができるものも少なくない。それゆえ、こ れまでも考古学、美術史、有職故実など幅広い分野で、古代の技法や工 程 を 知 り う る 恰 好 の 史 料 と し て 用 い ら れ て き た。 そ の 代 表 的 な 研 究 は、 小林行雄『古代の技術』 『続古代の技術』であろう (2 ( 。 内匠式でも特に多くの条文に見える技法は、漆塗りと鍍金である。鍍 金は、水銀を使用しておもに銅製品の表面を金の薄い皮膜で覆う金属表 面 処 理 の 技 法 で、 今 日 で は 金 メ ッ キ と い わ れ る。 「 金 銅 」 の 名 で 呼 ば れ るものがこれにあたり、古代では仏像や寺院の荘厳、器物や調度品など に広く用いられた金属加飾技法である。内匠式の条文は製品の細かな仕❶
内匠式
11年料屏風条にみる鍍金
1 内匠寮による屏風製作 奈良時代の「国家珍宝帳」には一〇〇帖もの屏風が記されており ( 5 ( 、内 裏や宮内の各施設では相当数の屏風が用いられていたことをうかがわせ る。そうした屏風の調進をおもに担ったのが内匠寮であった。 『延喜式』 巻十七 (内匠寮) には、 屏風の製作に要する材料 (料物) と標準作業量 (功 程 ) を 定 め た 条 文 が 四 条 に わ た っ て 立 て ら れ て い る。 11年 料 屏 風 条、 25 屏風条、 31伊勢初斎院条、そして 32野宮装束条である。まず、前段の二 つの条文から見ていこう。 25条 は「 高 五 尺、 画 二雁 幷 草 木 之 類 一」 と あ っ て、 料 物 に 朱 沙 や 金 青 な どの顔料を列記する。画面に用いる絹を屏風各扇に張り、絵を描いたい わば完成品としての屏風を指す。条文は、そうした屏風の製作に必要な 料 物 と 功 程 を 定 め て い る。 一 方、 11条 は 「 年 料 五 尺 屏 風 骨 五 十 帖 料 」 と あって、 画面となる紙や絹、 顔料が見えない。屏風の形状は、 文字通り、 画面部分のない屏風の骨組であり、これに角金具と漆塗りの押木(各扇 の四周の縁に廻す枠木)を付けただけのものである。 11条はこうした骨 組 だ け の 屏 風 を 定 常 的 に 毎 年 五 〇 帖 も 製 作 し て い た こ と を 示 し て お り、 天皇ないしその周辺から注文があれば画面のある完成品の屏風も製作し たことを 25条はうかがわせる。 31条 は 伊 勢 斎 王 が 初 斎 院 で 用 い る 調 度 品 の 一 つ と し て「 五 尺 屏 風 四 帖 」、 32条 で は 帰 京 に 際 し て 準 備 す る も の と し て 「 四 尺 屏 風 四 帖 」 が あ り 、 製作のための料物と功程が定められている。 屏 風 専 門 の 工 人 も 内 匠 寮 に は 置 か れ て い た。 大 同 四 年 ( 八 〇 九 ) に 分 野 ご と の 工 人 数 が 定 め ら れ た な か に、 長 上 工 と し て「 屏 風 一 人 」、 番 上 工に「造屏風工四人」が見える (( ( 。木材に漆を塗る漆工、金具や釘などの 鋳造や鍛造、また鍍金などの加飾を担う金属工など複数種の工人がこれ に加わり、屏風の製造にあたっていた。 個々の料物の用途などを比較的詳しく規定するのは 11条である。それ は内匠式全体のなかで屏風に関する最初の式条であることによろう。本 稿が対象とする鍍金についても、 11条に詳しい。鍍金される銅製品が明 示 さ れ、 材 料 と な る 水 銀 な ど も 鍍 金 に 用 い る 旨 が 細 か く 示 さ れ て お り、 古代の鍍金技法を知る上で有益な内容を備えている。まずはこの 11年料 屏 風 条 を 検 討 し て い き た い。 や や 長 い が、 『 訳 注 日 本 史 料 延 喜 式 中 巻 』 所載の校訂文を左掲する。 年料五尺屏風骨五十帖料、 榲榑大七十五村、 以 二一村半 一宛 二一帖 、 一 五十村近 江国所 レ進、廿五村上奏所 レ請、 檜 榑 十 村、 七 村 押 木 一 千 二 百 枚 料、三村鋳 レ釘押形料、 波 多 板 四 枚、 作 二 鋳物 押形 一料 熟 銅 百 卅 二 斤 十 三 両 二分、 卅九斤十三両二分作 二肱金一千二百枚 一 料、 以 二十二両 一充 二廿四枚 、 一 斤別加 二 損分一両 、 一 九十三斤鋳 二 五分花釘一萬八千六百只 一 料、以 二一斤 一得 二二百隻 、 一 滅 金 百 三 両 四 銖、 五 十 両 塗 二 肱 金 一 料 、以 二 一 両 一 充 二 廿 四 枚 、 一 五 十 三 両 四 銖 塗 二 花 形 釘 一 料 、以 二 一 両 一 宛 二 三 百 五 十 隻 、 一 滅銀廿五両、 鏤 二肱金 一料、以 二 二分 一 充 二 廿四枚 、 一 水 銀 八 十 三 両 二 分 二 銖、 廿五両塗 二肱金 一料、 卅九両三分二銖 塗 レ釘料、十八両三分合 レ銀滅料、 鉄 四 廷、 三廷鋳 レ 釘湯鑵料、 一 廷鋳 レ 釘押形固料、 漆 一 斗 二 升 五 合、 以 二二 合 五 勺 、 一 充 二 押木廿 四 枚 、 一 絹 一 丈、 布 二 端 二丈、 石見綿四斤二両、 麻大十斤、 掃墨四升、 油一升、 酢九升三合、 猪 髪 十 把、 篦 百 五 十 株、 塗 二 花 形 釘金 一料、 筆 十 五 管、 画 二 肱 金 一 料、 墨 二 廷、 同 料、 洗 革 四 枚、 伊 予 砥 七 顆、 青 砥 三 枚、 炭 七 十 一 斛 七 斗、 和 炭 六 十 七 斛 九 斗、 単 功 二 千 八 十 四 人、 作 レ 骨 工 二 百 五 十 人、 以 二 一 帖 一 充 二五 人、 一 作 二 肱 金 一工 千 三 百 人、 火 作 四 百 人、 錯 磨 四 百 人、 鏤 打 堺 瑩 五 百 人、 作 二 花 形 釘 一四 百 卅 四 人、 鋳 六 十 二 人、 錯 三 百 十 人、 塗瑩六十二人、夫百人、 「 屏 風 の 骨 」 と い う 語 が 示 す よ う に、 本 条 の 屏 風 は 画 面 部 分 の 張 ら れ ていないもので、その製造に必要な各種の材料と標準的な作業量が示さ れ る。 作 業 量 は、 「 単 功 二 千 八 十 四 人 」 す な わ ち 仮 に 一 日 で 作 る 場 合 の 人数と、その内訳が 「骨を作る」 「肱金を作る」 「花形釘を作る」 の三種の本条では、鍍金を施すことを 「塗る」 あるいは 「金を塗る」 と表現する。 肱金は滅金五〇両 (「滅金」 ① ) と水銀はその半分の二五両( 「水銀」 ① ) を用いて鍍金がなされる。肱金の鍍銀に用いる滅銀の分量は滅金の半分 であり ( 「滅銀」 ① )、全面に鍍金したうえに、部分的に鍍銀を施す仕様 とみられる。鍍金が 「塗る」 とされるのに対し、鍍銀が 「鏤む」 とあるの は、 こ の こ と を よ く 示 し て い る。 下 文 に あ る 筆 の 用 途 が「 画 二肱 金 一料 」 とあり、墨もそれと同じとある。肱金を鍍金し、さらに文様の一部に鍍 銀をする際、鍍銀しない箇所をマスキングするために墨が使われた可能 性が指摘されている (( ( 。 一方、花形釘は五三両四銖の滅金と三九両三分二銖の水銀を用いて鍍 金がなされる。花形釘という形状から推察するに、鍍金は頭部にのみな さ れ た と 考 え ら れ る。 下 文 の「 篦 」 す な わ ち 矢 竹 の 用 途 が「 塗 二花 形 釘 金 一料 」 と あ る の は、 竹 に 釘 を 差 し 込 み、 頭 部 を 鍍 金 す る た め に 用 い た こ とを小林行雄氏は想定している。 以上のように、内匠式 11条では、屏風の角金具である肱金と釘を鍍金 するための料物が示されている。個々の物品と数量、そして用途は式文 に 示 さ れ る が、 こ こ で い う 「 滅 金 」 が 何 を 指 す の か、 ま た 鍍 金 の 工 程 は どのようなものであったのかは、式だけでは見えてこない。古代の鍍金 に関するまとまった史料は、 『延喜式』 のほかに、奈良時代の寺院造営に 伴って作成された帳簿がある。節を改めて奈良時代の鍍金に関する記載 を検討したい。 2 鍍金の工程と滅金 銅製品などの表面を金で覆う鍍金は、古代では水銀を用いた金アマル ガム法という技法で行われた。それは、金の小片と水銀を化合させて金 アマルガムを作り、あらかじめ研磨して梅酢などの酸で清浄にした銅製 品の表面にこれを塗布し、三五〇度ほどに加熱して水銀を蒸発させたの 工程に分けて示されている。 「 骨 を 作 る 」 と は、 檜 榑 と 榲 榑 を 用 い て 枠 木 と 枠 内 の 桟 を 作 る こ と、 そ し て 屏 風 各 扇 の 四 周 の 小 口 に 付 け る 押 木 の 製 作 と 漆 塗 り な ど を 指 す。 五〇帖の屏風に対し、押木は一二〇〇枚とあるので、屏風一帖あたり押 木の数は二四枚となる。一扇あたり四枚つける押木が二四枚必要という ことは、本条の屏風は六扇で構成されるいわゆる六曲屏風ということに なる。 「 肱 金 を 作 る 」 と は、 屏 風 の 角 金 具 で あ る 肱 金 の 製 作 を 指 す。 肱 金 の 枚数は押木と同じ一二〇〇枚で、ここからも六曲屏風であることが確認 で き る。 肱 金 は 熟 銅 を 用 い て 作 ら れ る 銅 製 品 で、 釘 が 「 鋳 」 と あ る の に 対し、 「作」 とあること、その製作に当たる工人も「火作四百人」とある ことから、 鍛造によって作られることがわかる。最後の 「花形釘を作る」 は、熟銅を用いて一八六〇〇本作られる、頭部を花形にかたどった釘の 製作を指す。鋳造のため、檜榑で鋳形土を詰める 「押形」 も作られる。 このうち銅製の肱金と花形釘には鍍金が施され、肱金については部分 的に鍍銀もなされたことが料物の記載から判明する。鍍金と鍍銀の材料 となるのは、滅金と滅銀、水銀の三種の物品であり、次のように用途と 分量が定められている。 「滅金百三両四銖」… ① 「 五 十 両 塗 二肱 金 一料 、 以 二一 両 一充 二廿 四 枚 一」 ②「 五十三両四銖塗 二花形釘 一料、以 二一両 一 宛 二三百五十隻 一」 「滅銀廿五両」… ①「鏤 二肱金 一料、以 二二分 一充 二廿四枚 一」 「水銀八十三両二分二銖」… ①「廿 五 両 塗 二肱 金 一料 」 ②「卅九両三分二銖塗 レ釘料」 ③「十八両三分合 レ銀滅料」
ち、 磨 い て 仕 上 げ る (( ( 。 こ う し た 工 程 を よ く う か が う こ と が で き る の が、 奈良時代中期の 「造金堂所解」 である (( ( 。天平宝字三年 (七五九) から四年 にかけて行われた法華寺の伽藍整備に伴う造営工事の事業報告として作 成された ((1 ( 。古代寺院では、仏像や堂内を荘厳する各種の仏具に鍍金が施 されたが、法華寺の造営の場合も鍍金のために金と水銀が多く消費され たことが記録されている。 請水銀 合壹仟壹伯貳拾陸両 九百八十二両二分滅練金百九十六両二分料 以金一両充水銀五両 八十五両二分雑銅物金塗酸苗着料 五十八両散用料 八両東大寺作物所上 五十両山堂寶冠作所上 練金百九十六両二分滅料水銀九百八十二両二分 合得滅金千百七十九両 卌九両三銖絞定損 一両別一銖 絞下水銀卌九両三銖 惣 定 滅 金 千 百 廿 九 両 三 分 三 銖 水 銀 百 卅 四 両 二 分 三 銖 用尽酸苗着料 鍍 金 の 材 料 と し て 入 手 し た 水 銀 ((( ( と 練 金 の 用 途 を 詳 細 に 記 載 し て お り、 鍍金の工程をよく伝えている。大要は、練金一九六両二分と水銀九八二 両 二 分 を 混 和 し て 滅 金 一 一 七 九 両 を 作 り、 こ れ を 絞 っ て 遊 離 ( 「 絞 定 損 」 ) し た 水 銀 四 九 両 三 銖 を 取 り 除 い て、 最 終 的 に 滅 金 一 一 二 九 両 三 分 三銖を得たことを記載する。内匠式との関連で注目されるのは、一つは 滅金の生成、もう一つは水銀の用途である。まずは、滅金から検討して いきたい。 右の「造金堂所解」から確認できるのは、滅金の語が金と水銀を混和 した金アマルガムを指すことである。アマルガムとは、水銀と他の金属 との合金であり、金は水銀に溶けるように吸い込まれた状態になる。そ の 分 量 比 は、 「 以 金 一 両 充 水 銀 五 両 」 と あ る よ う に、 金 一 に 対 し 水 銀 五 の割合で混和される。 「 滅 練 金 百 九 十 六 両 二 分 」 と あ る よ う に、 金 ア マ ル ガ ム を 作 る こ と は 「 滅 」 と 表 現 さ れ る。 こ う し た 表 記 は、 天 平 六 年 ( 七 三 四 )、 興 福 寺 西 金 堂造営の事業報告として作成された「造仏所作物帳」にも見える ((1 ( 。 充内匠寮物 練金小十三両一分五銖 経蔵高座隅銅等塗料 銀一両 経蔵厨子番銅等合料 水銀小三斤一分 金滅塗料 内匠寮より造仏所に充てられた物品 ((1 ( の数量と用途を記録するが、水銀 の 用 途 は「 金 滅 塗 料 」 と さ れ る ((1 ( 。「 金 を 滅 し 塗 る 料 」 と 読 み、 水 銀 を 用 い て 金 ア マ ル ガ ム を 作 る こ と、 そ し て 器 物 に 塗 る こ と を 指 す と 考 え ら れ る。 『 類 聚 名 義 抄 』 や 『 色 葉 字 類 抄 』 に よ れ ば、 「 滅 」 は 「 け す 」 と よ む。 金アマルガムを作る際に、水銀に金が溶かし込まれ、それがあたかも消 えるように見えることから「滅」の語で表記されるのであろう ((1 ( 。 「 造 金 堂 所 解 」 で も う 一 つ 注 目 し た い の が、 水 銀 の 用 途 と し て 記 さ れ る 「酸苗を着ける料」 である。あらかじめ八五両二分を取り分けておき、 滅 金 を 作 る 際 に 絞 り 下 し た 水 銀 も こ れ に 合 わ せ て 一 三 四 両 二 分 三 銖 と し、 用 い 尽 く し た と あ る。 「 酸 苗 」 の 語 は 『 延 喜 式 』 そ の 他 で 見 る こ と が できないが、鍍金をする器物の表面を梅酢などで油分を取り除く際、梅 酢のなかにも水銀を入れて器物に付着させ、その上で金アマルガムを塗 布することを小林行雄氏は想定している。この技法は、後述するように 江戸時代でも行われており、この小林氏の想定は妥当であると考えられ る。水銀は、金と混和して滅金を作ることのほかにも、器物に滅金を塗 る工程でも用いられていることに注意したい。
い る こ と が あ り ― 特 に 銀 は 多 い ―、 料 物 を 単 に 金・ 銀 と 記 す と そ の 用 途が不分明になることもある。滅金・滅銀の語を用いることで、鍍金や 鍍銀に使用することも明示できるという利点もある。 右の理解からすれば、内匠式 11条の滅銀は、銀六両一分に対して水銀 一八両三分であるから、銀と水銀の分量比は一対三となる。肱金の鍍金 に用いる滅金は、金二五両に対して水銀二五両であるから、金と水銀の 分 量 比 は 一 対 一 と な る。 花 形 釘 の 鍍 金 の 場 合 は、 お よ そ 一 対 三 と な る ((1 ( 。 『 延 喜 式 』 で は、 物 品 の 数 量 を 示 す 場 合、 あ ら か じ め 分 量 比 を 設 定 し、 そこに所定の数量を当てはめたと思われるものが散見し、数量は整数比 となることが多い。こうした特徴にも右の理解は符合する。 し か し な が ら、 「 造 仏 所 作 物 帳 」 「 造 金 堂 所 解 」 の よ う な 帳 簿 類、 ま た 『 延 喜 式 』 で も 製 造・ 加 工 に 要 す る 物 品 と そ の 量 を 一 つ ず つ 挙 げ る の が 一般的であり、右のごとき表記法はかなり異色であるといわざるをえな い。 さ ら に 問 題 な の は、 そ の 分 量 比 に あ る。 「 造 金 堂 所 解 」 で は、 「 以 金 一両充水銀五両」とあるように、金と水銀の分量比は一対五である。一 方、肱金の鍍金の一対一という分量比は、奈良時代のそれとかけ離れて おり、その差異を十分に説明しえてはいない。次章では、奈良時代の鍍 金 に 関 す る 史 料 を も と に、 『 訳 注 日 本 史 料 延 喜 式 』 で 提 示 し た 右 の 理 解 について、金と水銀の分量比を中心に検証していきたい。
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金アマルガム法における金と水銀の分量比
1 造寺・造仏と鍍金 鍍金の技術は、古くは古墳に副葬された馬具や装身具などにみること ができる。それが七世紀以降になると、寺院の出現に伴い、金銅仏をは じめ堂内を荘厳する各種の仏具などに鍍金は多用されるようになる。正 さ て、 「 造 金 堂 所 解 」 か ら 導 か れ る 以 上 の よ う な 知 見 を 踏 ま え、 内 匠 式 11年料屏風条の規定に立ち戻ると、次のような問題につきあたる。一 つ は、 滅 金 を 構 成 す る 金 と 水 銀 の 分 量 比 で あ る。 「 造 金 堂 所 解 」 で は 滅 金を作るのに用いる金と水銀それぞれの量が明示されているが、内匠式 では滅金の分量のみが記され、そこに含まれる金の量が示されない。内 匠 式 を も と に 年 料 の 屏 風 の 製 造 に 必 要 な 金 の 分 量 を 算 定 し よ う と し て も、式文だけでは困難である。 もう一つは、内匠式 11条で滅金とは別に分量が示されている水銀の用 途である。滅金や滅銀が水銀に金や銀を混和したアマルガムであるとす れば、なぜさらに水銀が計上されているのだろうか。式で計上される水 銀 の 量 は、 肱 金 の 場 合、 滅 金 五 〇 両 に 対 し て 水 銀 は そ の 半 分 の 二 五 両、 花形釘の場合、滅金のおよそ四分の三もの水銀が「塗る料」として計上 されている。これを「造金堂所解」に見える「酸苗を着ける料」の水銀 に当てるには、あまりにも量が多い。この点はすでに小林行雄氏が指摘 した問題点であるが、氏は断案を下すことは控えている。 内 匠 式 に お け る 以 上 の よ う な 問 題 に 対 し、 『 訳 注 日 本 史 料 延 喜 式 』 中 巻の註釈では、一つの試論として次のような理解を提示した ((1 ( 。水銀の用 途 ③ 「 十 八 両 三 分 合 レ 銀 滅 料 」 で 「 銀 に 合 わ せ て 滅 す 」 と あ る こ と か ら、 こ の 水 銀 こ そ ア マ ル ガ ム を 作 る た め に 銀 と 混 和 す る 水 銀 と 捉 え、 「 滅 銀 廿五両」のなかにこの水銀一八両三分が含まれると解した。模式的に表 す と、 「 銀 X + 水 銀 一 八 両 三 分 = 滅 銀 二 五 両 」 と な る。 滅 銀 二 五 両 か ら 水銀一八両三分を差し引いた量が銀になり、銀が六両一分とわかる。 この理解を肱金の鍍金にもあてはめると、 「金X (二五両) +水銀二五 両=滅金五〇両」となる。この表記法は、滅金や滅銀の量とそれに含ま れ る 水 銀 の 量 を 示 す だ け で、 金・ 銀 と 水 銀、 そ れ を 混 和 し て 作 る 滅 金・ 滅銀の量すべてを簡潔に示すことが可能な、合理的な書式であるとも評 価できる。また、内匠寮は鍍金や鍍銀以外にも金や銀を加飾その他に用倉 院 文 書 に は 寺 院 の 造 営 工 事 に 伴 っ て 作 成 さ れ た 帳 簿 類 が 残 さ れ て お り、鍍金に用いた金と水銀の分量が個々の製品ごとに記されている。 前章で検討した 「造金堂所解」 では、金一に対し水銀五の割合で滅金、 すなわち金アマルガムを作り、そのほかに「酸苗を着ける料」として水 銀を少量用いて鍍金を行ったことが記される。この一対五という分量比 が、奈良時代にあってはごく標準的なものであったことは、小林行雄氏 の研究に詳しい。氏は、興福寺西金堂の造営に伴って作成された「造仏 所作物帳」の次のような記載から、金・水銀の分量比を総覧している。 下節裁銅十二枚 各高一寸九分 広四寸六分 料銅一斤九両二分 練金小二分 水銀小三両 ((1 ( 堂内を飾る幡の透彫金具について、製作に要した銅とそれを鍍金する のに用いた練金と水銀の数量を記載する。練金と水銀は、一対六の分量 比 と な る。 「 造 仏 所 作 物 帳 」 で は こ う し た 記 載 が お よ そ 三 〇 種 の 銅 製 品 で列記されており、小林氏によれば一対六の比率のもの一三件、一対五 の 比 率 の も の 五 件 、そ の 中 間 の 各 種 の 比 率 を 示 す も の が 一 一 件 、一 対 六 ・ 五 の も の が 一 件 あ る。 お よ そ 金 一 に 対 し 水 銀 五 ~ 六 の 分 量 比 で あ り、 「 造 金堂所解」のそれと大きく変わることはない。帳簿上の数字合わせに過 ぎない可能性もあるが、その分量比は製品によって意識的に増減されて いることも注意される。 右のように、奈良時代の造寺造仏で鍍金は広く用いられたが、奈良時 代にとりわけ多くの金と水銀を用いて鍍金を施したものは東大寺大仏で あ る。 聖 武 天 皇 は 天 平 十 五 年 に 「 盧 舎 那 仏 金 銅 像 一 軀 」 の 造 立 を 発 願 し 〔『 続 日 本 紀 』 同 年 十 月 辛 巳 条 〕 、 翌 年 十 一 月 に は 紫 香 楽 の 地 で 盧 舎 那 仏 の 体骨柱が建てられた 〔『続日本紀』 天平十六年十一月壬申条〕 。平城還都後、 事業は平城の地で再開され、仏体の鋳造は天平勝宝元年(七四九)にお よ そ 完 成 す る。 「 大 仏 殿 碑 文 」 〔『 東 大 寺 要 録 』 巻 二 〕 に よ れ ば、 鍍 金 は 天 平 勝 宝 四 年 三 月 に 始 め ら れ た 。 同 碑 文 が 「 始 奉 レ塗 レ金 、 未 レ畢 之 間 、 以 二 同 年 四 月 九 日 、 一 儲 二於 大 会 一奉 二開 眼 一也 」 と 記 す よ う に、 鍍 金 が 始 ま っ てわずか一月足らずで開眼供養会が行われている。このとき鍍金はごく 一部しか施されていなかった。鍍金がいつ完成したのか、明確なことは わからない。光明皇后が奉献した宝物の出用帳には、 天平勝宝九歳に 「沙 金 貮 仟 壹 拾 陸 両 」 を 「 奉 塗 大 仏 像 料、 下 充 造 寺 司 」 と 記 さ れ る ((1 ( 。 少 な く とも開始から五年経っても鍍金は終了していなかったようである。 東大寺大仏の鍍金に関しては、金と水銀、またそれを合わせた滅金の 量が次のように記録されている。 ( 1)「延暦僧録(聖武天皇) 」 〔『東大寺要録』第一〕 塗練金四千百八十七両一分四銖、 為滅金二万五千百卅四両二分銖、 右具奉 レ塗 二御躰 一如 レ件 ( 2)「延暦僧録(佐伯今毛人) 」 〔『日本高僧伝要文抄』第三〕 銅四十五万七十斤三両、滅金二万千百二十四斤二両二分二銖 ( 3)「大仏殿碑文」 〔『東大寺要録』巻二〕 用熟銅七十三萬九千五百六十斤、白 一萬二千六百十八斤、練金 一萬四百卌六両、水銀五萬八千六百廿両 ( 1) は、 練 金 四 一 八 七 両 一 分 四 銖 に 水 銀 を 混 和 し て ( 水 銀 の 量 は 明 示 さ れ て い な い ) 滅 金 二 五 一 三 四 両 二 分 を 作 り、 大 仏 の 「 御 躰 」 を 鍍 金 し た と い う 意 で あ ろ う。 金 と 水 銀 の 分 量 は ほ ぼ 一 対 五 と な る。 ( 2) は 滅 金 の 量 の み を 記 す の で、 金 と 水 銀 の 分 量 比 は わ か ら な い。 ( 3) は、 練金と水銀の量が示される。 単純にこれを合わせた数量を滅金とすれば、 ( 1) の そ れ と は だ い ぶ 異 な る。 ( 3) は「 金 銅 盧 舎 那 仏 像 一 躰、 結 跏 趺 坐 高 五 丈 三 尺 五 寸 」 に は じ ま り、 仏 像 の 各 部 位 の 寸 法、 続 け て 「 銅 座 高
金膏中に仍ほ金分甚少きの水銀少し許を交せ、此水銀を除かむが為 に、 其金膏を皮に包みて搾るべし。これに因りて其水銀濾過し去り、 皮内に残る所の金膏は水銀二分金一分の和物となるなり。 … ( 中 略 ) … 次 に 其 器 に 金 膏 を 塗 擦 れ る こ と、 務 め て 同 齋 な る を 要 とす。此には所謂る水銀層水なる者を用ふ。此薬水は消酸の中に少 量の水銀を溶解せる者にして、其器を此薬水中に投すれば、瞬間に して水銀の薄層を被るなり。爾後銅筆と名つくる打ち扁めさる銅線 を以て、金膏を器上に塗擦すべし。其素地を設くるが為に容易に攤 開することを得べし。 「 金 膏 」 と 記 さ れ る の が 水 銀 に 金 を 混 ぜ た 金 ア マ ル ガ ム で あ る。 「 六 倍 量 」 の 水 銀 を 加 え る の で、 そ の 分 量 比 は 金 一 に 対 し 水 銀 六 と な る。 江 戸 時代であっても、分量比は古代と大きく変わることがない。さらに注意 されるのが、できた金アマルガムを水の中に移す際に分離した水銀の処 理に関する記述である。金を少量含むアマルガムを皮に入れて搾り、水 銀 を 濾 過 し て 皮 内 に 残 っ た 金 ア マ ル ガ ム が 「 水 銀 二 分、 金 一 分 の 和 物 」 で あ る と 記 す。 こ う し た 記 述 か ら す る と、 先 に 『 延 喜 式 』 か ら 想 定 し た 金と水銀の分量比が一対一というのがいかに濃いもので、器物に塗るの も容易でないことが想像される。 『 萬 寶 玉 手 箱 』 で も う 一 つ 注 意 さ れ る の が、 右 の 引 用 部 分 の 後 段 で あ る。ここでは、作った金アマルガムを器物に塗る工程を説明する。金ア マルガムを塗る前に硝酸の中に少量の水銀を混ぜたものを用意し、器物 を こ こ に 入 れ る こ と で 水 銀 の 薄 層 を 作 り、 そ の う え で 「 銅 筆 」 で ア マ ル ガムを器に塗り付けるとする。水銀の薄層で下地を作っているので、ア マルガムを均しく広げることができると説明する。金アマルガムを塗る 前 に 酸 の な か に 水 銀 を 入 れ る 技 法 で、 奈 良 時 代 の 「 造 金 堂 所 解 」 に 水 銀 の用途として見える 「酸苗着料」 は、 これにあたると考えられる。 一丈」以下で台座の大きさを記し、それらに用いた銅や練金、水銀など の量を記す。 ( 1)が文字通り 「御躰」 の鍍金であるのに対し、 ( 3)は台 座も含めた鍍金の料物を書き上げたものと推測される。金と水銀の分量 比 は 一 対 五・ 六 で、 総 量 こ そ 違 う も の の、 分 量 比 は( 1) と さ ほ ど 変 わ らない点は注意しておきたい。 奈良時代にあっては、造寺・造仏における鍍金は、およそ金一に対し 水 銀 五 と い う 分 量 比 で 混 和 さ れ た 滅 金 ( 金 ア マ ル ガ ム )を 使 用 し て い る ことが確認できた。この分量比は、やはり当時の標準的なものであった と認めるべきなのであろう。 2金・水銀の分量比 奈 良 時 代 の 造 寺・ 造 仏 に 関 す る 史 料 が 示 す、 金 ア マ ル ガ ム ( 滅 金 )の 金と水銀の分量比は古代特有のものなのであろうか。 まずは、近世の技術書から繙いてみたい。若狭・小浜藩医で蘭学者の 杉 田 成 卿 ( 一 八 一 七 ― 一 八 五 九 ) が 安 政 五 年 ( 一 八 五 八 ) に 著 し た 『 萬 寶 玉 手 箱 』 は、 成 卿 自 身 が 「 附 言 」で 「 此 書 ハ 予 ガ 本 業 の 暇 異 国 の 諸 書 の 中 に 見 当 た り ぬ る 簡 便 利 用 の 方 法 を 抄 録 せ る 者 」 と 記 す よ う に、 「 廉 価 の 夜 燈 を 作 る 法 」 に 始 ま る 多 種 多 様 な 五 四 も の 「 方 法 」 を 紹 介 す る。 そ の 一 つ に、 「 二 十 二 鍍 金 法 」 が あ る。 冒 頭 に「 鍍 金 の 法 二 種 あ り。 即 ち 一 ハ 燥 道 と 曰 ひ、 一 ハ 混 道 と い ふ 」 と、 二 種 類 の 鍍 金 方 法 に つ い て 使 用 す る 器 具 も 含 め て 詳 細 に 紹 介 す る。 こ の う ち の 「 燥 道 」 が、 ア マ ル ガ ム に よ る鍍金を指す。本稿の問題関心に関わる部分を翻刻した (11 ( 。 燥道にて鍍金するには、先つ黄金を金膏となす。其法次の如し。即 ち 金 少 許 を 鉄 匙 に 入 れ、 六 倍 量 の 水 銀 を 加 え て 炭 火 上 に 温 む れ ば、 金速に溶けて水銀に和す。右の如くして金膏となれば、これを水中 に 傾 け 移 す べ し。 こ れ に よ り て 水 銀 の 一 部 離 れ 去 る と 雖、 残 留 せ る
古代の鍍金を考えるうえでも重要な知見に富む 『萬寶玉手箱』 により、 金一に対し水銀五~六という分量比が決して古代特有のものでないこと が 明 確 に な っ た。 金 の 分 量 を 増 や す と、 ア マ ル ガ ム は ど の よ う に な る の か。 『東大寺要録』 などに残る東大寺大仏の鍍金の記録に触発され、復元 的 に 実 験 を し た 成 果 も あ る。 荒 木 宏 氏 ら に よ る 「 ア マ ル ガ ム 塗 金 実 験 」 は、 その成果が次のようにまとめられている (1( ( 。 ( 1) 金の材料は、かなり純度の高い市販の金箔を用いた。 ( 2) アマルガムは金二、水銀一では硬くて塗れない。金一、水銀三 のものが使いやすい。金一、水銀五では軟らか過ぎて使いにく い。しかし、きれいには塗れる。アマルガムの色は、いずれも 銀白色で金色はない。 ( 3) 塗る試片は、普通の銅板と大仏の分析資料の残片 (11 ( を使った。 ( () 試片の面をペーパーできれいに磨き、その上に青梅の酢(おろ し金ですって、こしたもの)でよくぬぐった。 ( 5) 試片の上にアマルガムを鉄へらで塗りつけ、硬い布でこすると 一面に白くつく。 この際余分のアマルガムをぬぐい去らないと、 あとで塗金のむらができる。 ( () ア マ ル ガ ム を 塗 っ た 試 片 を 、 三 五 〇 度 位 の 温 度 で 一 時 間 程 度 焼 く と 黄 色 に な る 。 こ れ を バ フ 等 で 磨 く と 、 つ や が 出 て 塗 金 に な る 。 ( () 右 の 方法 を 二 回 か 三 回繰 り 返す と 、 か な り よ い 塗金面 が 得 ら れ る 。 ( () 試片は銅板でも、青銅鋳物(大仏分析用資料の残片)でも差は 見られない。 ( () 磨いた試片に水銀を塗りつけ、表面に銅のアマルガムを形成さ せておき、その上に金アマルガムを塗ってもよい。またその時 アマルガムでなく金箔を押しつけると、直ちに表面に金アマル ガムを作ってよく着く。こうして三五〇度位で焼くと、きれい な塗金を得る。 ( 10) 梅酢の代わりに、薄い硝酸を使うと仕事は容易で、仕上がりが よい。また水銀を硝酸に溶かし、 硝酸水銀として塗金面に塗り、 その上に金アマルガムを塗ると一番よく着く。 こ の う ち ( 2) に よ れ ば、 金 と 水 銀 の 分 量 比 が 一 対 五 は 軟 ら か く て 使 いにくいがきれいに塗れること、一対三の分量比がそれよりも使いやす い こ と が 示 さ れ て い る。 「 純 度 の 高 い 市 販 の 金 」 や 現 代 の 水 銀 で 得 ら れ た成果であることも多少考慮する必要はあるが、実験から得られた成果 のもつ意味は小さくない。金二に対して水銀一では硬くて塗れないこと は、 『 延 喜 式 』 か ら 導 き 出 し た 一 対 一 と い う 分 量 比 が や は り 成 立 し え な いことを示唆している。 3現代の錺金具製作における鍍金 今回の共同研究では、二〇一六年より工芸品等の製造技術を研究する 分 科 会 が 始 動 し、 そ の 当 初 か ら 鍍 金 が テ ー マ と し て 取 り 上 げ ら れ て き た (11 ( 。そのなかで古代史料からのアプローチばかりでなく、実際に金アマ ルガムを用いた鍍金を実際に行っている技術者の方から、工程や金・水 銀の分量などについて具体的に話を伺わせていただく機会をもつことが 企図された。現在、一般的なメッキに金アマルガム法が用いられること はなく、その技術を伝える方は限られている。今回、幸いにも錺金具製 作の選定保存技術保持者である京都の森本安之助氏 ((株) 森本錺金具製 作 所 ) に ご 協 力 い た だ く こ と が で き た。 京 都 市 下 京 区 に 工 房 が あ り、 創 業は一八七七年、現在は四代目にあたる。国宝などの錺金具修理をはじ め、建築錺金具、神宝装束、社殿内の調度品の製作などを手がけられて いる。 現地での調査は、次の通りに実施した。
・ 調査日 二〇一七年一二月四日(月) ・ 調査協力者 (株)森本錺金具製作所 森本安之助氏(文化庁・ 選定保存技術保持者〈錺金具〉 ) ・調査者 仁藤敦史・小倉慈司・清武雄二(国立歴史民俗博 物館) 西川明彦(正倉院事務所) 堀部 調査は、金アマルガムの製法、材料となる金と水銀の分量比、鍍金の 工程、使用する器具などについて教えていただくことを目的とした。森 本餝金具製作所では、伝統的な鍍金技法として、金アマルガム鍍金と水 銀箔焼付鍍金 (11 ( を行っている。水銀箔焼付鍍金は硝酸水銀(水銀を硝酸に 入れて反応させた化合物)の溶液を表面に塗り、そのうえに金箔を数回 重ねて合金とし、これを加熱して水銀を蒸発させる技法である。本稿で 扱う『延喜式』その他の古代史料で水銀箔焼付鍍金が行われたことを示 すものはなく、金アマルガム法より後に広がった後発的な技法とみられ る (11 ( 。本稿は水銀箔焼付鍍金を直接対象とするものではないが、伝統的な この二つの鍍金はそれぞれに特徴があり、いずれの作業も実際に見せて い た だ い た。 調 査 の 重 要 性 に 鑑 み、 金 ア マ ル ガ ム と 水 銀 箔 焼 付 鍍 金 の 二つの鍍金法について、聞き取りした内容と作業の様子について報告す る (11 ( 。なお、水銀は人体にとって有害であるため、厳重な回収設備を備え た作業室で鍍金作業が行われたことを附言しておく。 水 銀 箔 焼 付 鍍 金 ― 聞 き 取 り で 森 本 氏 は「 箔 鍍 金( め っ き )」 と い う 呼 称 を 用 い て い た の で、 本 稿 で も 以 下 こ れ に 従 う ― は、 硝 酸 水 銀 溶 液 を 塗ったうえに、三度金箔を重ねる。さらに水銀を少し塗り、また金箔を おく。金箔は三度、五度、七度などがある。実際に見せていただいた作 業では、表面をよく磨いた銅板片に藁灰をすりつけて、まず脂気をとっ た。 藁 灰 と は、 稲 藁 を 燃 や し、 燃 え 尽 き る 前 に 水 で 消 し た も の で あ る。 藁灰で擦る前は水をはじいていた銅板が、擦った後では水をはじかなく なることも見せていただいた。藁灰で擦った後に全体に万遍なく梅酢を 写真1 「苗ワラ」 201(年12月(日 筆者撮影 写真 2 金屑と水銀の塊 201(年12月(日 筆者撮影
塗り、そのあとに硝酸水銀溶液を塗った。金箔を載せ、タオルで上から こすると、箔の金色が沈んでいく。三枚を重ね、水銀を少し足してさら に 三 枚 載 せ る。 炭 火 の う え で 少 し の 間 加 熱 し て か ら お ろ し、 「 苗 ワ ラ 」 ( 写 真 1) で 上 か ら 擦 っ て い く。 「 苗 ワ ラ 」 と は 細 い 藁 を 糸 で 束 ね て 作 る も の で、 加 熱 後 に 力 を 入 れ て 表 面 を 擦 る と、 き れ い な 金 色 に 仕 上 が る。 聞き取りの際に、箔鍍金したものと、アマルガムで鍍金したものをそれ ぞれ見せていただいたが、金アマルガム法にくらべて箔鍍金はやや鮮や かな金色であり、対してアマルガム鍍金は深みのある金色になる。錺金 具の多くは彫金がなされているが、彫りが深ければ金アマルガム、浅け れば箔鍍金が有効であるという。使用する金の分量は、箔鍍金のほうが 少なくて済むとのことである。 アマルガム鍍金も実際の作業を見せていただいた。用意いただいてい たのは、 水の入ったフラスコの中に水銀と金屑を入れたもので (写真2) 、 銀色を呈した針金状の塊になっている。所定の量を入れれば、自然とこ の よ う な 形 状 に な る と の こ と で、 「 水 銀 は 金 が 大 好 き だ か ら、 全 部 金 の ところにいく」との言葉が印象的であった。もう一つ用意いただいてい たのが、 乳鉢に入った金アマルガムで ( 写真3 )、 フラスコ内の水を取り、 加熱して乳鉢の中で混和させるという。形状はペースト状で、乳棒で上 から押すと金の細かな粒が残っていることがわかる。 金と水銀の分量比は、基本は金一に対し水銀三の割合、例えば金二〇 グラムに対して水銀六〇グラムを使用するという。管理上からも、一回 あたりこの八〇グラムを作ることが多いという。実際の作業では、形状 が複雑なものを鍍金する場合は金アマルガムが平均してよくまわるよう にやや薄い (水銀の割合が多い) もの、逆に形状が単純なものは濃い (水 銀の割合が少ない)アマルガムを用いるという。乳鉢に入れた金アマル ガムは、傾ければ下に薄いもの、上に濃いものが残る。それを部位や対 象によって使い分けるという。また、濃いものが必要な場合、木綿の手 拭いで水銀を絞ることもあるとのことである。所定の分量比で金と水銀 を混和しても、実作業という局面では濃いものと薄いものを選択的に用 いているという点が重要である。 ほかの分量比についても尋ねた。金一に対し水銀五では薄く、 「ちょっ とシャブシャブ」という表現を使われていた。金一に対し、水銀一では かなり濃く、実際に作業するのは無理だろう、と明言された。銅板など のうえにアマルガムをのせて広げるとき、馬毛ブラシを用いるとのこと であったが、 一対一の分量比では伸ばす際にブラシの痕が残ってしまい、 きれいな鍍金層を作ることができないだろう、とのことであった。 金アマルガムを用いた鍍金は、箔鍍金と同じ銅板で行われた。面の部 分は箔鍍金を施し、猪目透かしや小口の部分は箔が入りにくいので、そ こだけアマルガムを施すとのことであった。乳鉢を傾けて鉄釘のような 形状の箆でアマルガムを掬い、透かしや小口に塗った。アマルガム鍍金 写真 3 乳鉢の中の金アマルガム 201(年12月(日 筆者撮影
写真 4 竜首水瓶
東京国立博物館所蔵 Image:TNM Image Archives
の場合、アマルガムの塗布は一回で済ませるという。 文 化 庁 の 選 定 保 存 技 術 保 持 者 に 認 定 さ れ て い る 森 本 安 之 助 氏 よ り 、 金 ア マ ル ガ ム に よ る 鍍 金 の 作 業 を 見 せ て い た だ き 、 お 話 を う か が え た こ と は 得 難 い 機 会 で あ っ た 。 古 代 の 鍍 金 技 法 を 考 え る 本 研 究 の 問 題 関 心 に 即 し て い え ば 、 次 の 二 点 が 特 に 重 要 で あ る 。 一 つ は 、 内 匠 式 の 解 釈 か ら 導 き 出 し た 金 一 に 対 し 水 銀 一 と い う 滅 金 ( ア マ ル ガ ム ) の 分 量 比 は 、 そ の ま ま で は 使 え な い こ と 。 二 つ め は 、 鍍 金 す る 金 物 の 部 位 や 形 状 に よ っ て 、 ア マ ル ガ ム の 濃 度 を そ の 都 度 調 整 し な が ら 使 用 し て い る こ と 、 こ の 二 点 で あ る 。 4竜首水瓶の鍍金 本章の最後に、古代に製作された実際の製品からも、鍍金について 検討を加えておきたい。ここで取り上げるのは、鍍金と鍍銀について 科 学 的 な 調 査 が な さ れ た「 竜 首 水 瓶 」 〔 国 宝・ 東 京 国 立 博 物 館 蔵〈 法 隆 寺 献 納 宝 物 〉〕 で あ る ( 写 真 4) 。 全 高 四 九 ・ 九 セ ン チ メ ー ト ル、 胴 径 一 八 ・ 九 セ ン チ メ ー ト ル、 注 ぎ 口 を 竜 頭 に、 把 手 を 竜 身 に か た ど り、 胴部に天馬(ペガサス)を線彫で表す、法隆寺献納宝物を代表する名 品である (11 ( 。 材質は、かつては銀製とされてきたが、蛍光X線分析法による化学 組成の調査により、鋳銅製で鍍金と鍍銀を施したものであることが判 明した。銅全体にまず鍍金を施し、その上に全体に鍍銀を施す。さら に天馬や竜、紐帯の上に再び鍍金を施すという手の込んだ工程を経て 作られている。鍍金した上に鍍銀を施すことは内匠式 11条の肱金に同 じである。銅に直接鍍銀しようとすると、銀がのりにくいため、こう した方法がとられたと推測されている (11 ( 。 注目すべきは、科学的調査によって明らかになった鍍金層・鍍銀層 の厚さである。部位によって鍍金・鍍銀の層の厚さに違いがあること が報告されている。注口部先端や把手の部分は層が薄く、水瓶の胴中央 で厚いという。特にこの水瓶の最も目立つ天馬の部分は、金の下地層の 上に中間層として銀の層があり、さらに表面の鍍金層があるが、表面の 金がかなり厚く鍍金されているという。 『 延 喜 式 』 で は、 鍍 金 の た め に 見 積 も ら れ た 分 量 は 定 め る が、 そ れ を どのように塗るのかは書かれない。 現代の工業製品を見慣れた眼からは、 鍍 金 層 が 均 一 で あ る と い う イ メ ー ジ を 持 ち や す い が、 鍍 金 の 施 工 に は、 部位や製品によって意識的に厚さをもたせることがあることを、竜首水 瓶は示してくれる。鍍金層に厚さをもたせるには、アマルガムの金の分 量比を高め、塗る回数を増やすことで行うのであろう。 森 本 安 之 助 氏 よ り う か が っ た よ う に、 金 ア マ ル ガ ム を 塗 る 工 程 で は、 金・水銀の分量比の調節をその都度行っている。古代の工人たちも、工 芸品などの鍍金作業では部位や製品によって濃度を調節していたのであ ろ う。 こ の こ と も、 『 延 喜 式 』 に お け る 滅 金 と 水 銀 の 理 解 の 鍵 に な る と みている。
❸
鍍金と『延喜式』
1内匠式の再検討 近 世 の 技 術 書 や 現 代 の 錺 金 具 製 作 に 関 す る 調 査 か ら 得 ら れ た 知 見 は、 およそ次の三点にまとめることができる。第一に、金アマルガムの分量 比 が 金 一 に 対 し 水 銀 一 で は 器 物 に 塗 る こ と は で き な い。 第 二 に、 金 ア マルガムは鍍金する器物の部位や形状によって濃度を調整しながら塗ら れ、意図的に鍍金層を厚くすることがある。第三に、水銀は金と混和し てアマルガムを生成するほかに、梅酢などに混ぜて器物の表面にあらか じめ着けるという用途がある。特 に 右 の 第 一 点 目 は、 『 訳 注 日 本 史 料 延 喜 式 』 で 示 し た 理 解 の 根 本 的 な修正を迫る。繰り返しになるが、 内匠式の滅金として示される分量は、 その下に続く水銀を含むもので、滅金から水銀の分量を減じたものが金 の分量であるとの解釈を提示していた。内匠式 11条の肱金の鍍金につい て、右の理解を模式的に表すと次のようになる。 金X(二五両) +水銀二五両=滅金五〇両 こうした解釈から、 11条では肱金を鍍金するのに、金と水銀の分量比 を 一 対 一 と し て 定 め た と 解 し た。 同 じ よ う に 滅 金 が 水 銀 の 倍 の 量 で 示 さ れ る の は、 続 く 12条 か ら 32条 ま で、 内 匠 式 に 多 く 認 め ら れ る ( 表 1) 。 しかしながら、右のような滅金と水銀の理解が奈良時代の帳簿、近世の 技術書、そして現代の錺金具製作での調査所見、いずれとも矛盾すると なると、この式文の理解はもはや成り立たない。 小林行雄氏をはじめ従前の理解では、滅金が金と水銀を混和した金ア マルガムを意味するにもかかわらず、滅金の半分程度の量となる水銀を どう理解するかが難解であった。しかし、金アマルガムを実際に塗る局 面 で は 濃 度 の 調 整 が 行 わ れ る こ と、 水 銀 が 金 と 混 和 す る ば か り で な く、 「 造 金 堂 所 解 」 で い う と こ ろ の「 酸 苗 を 着 け る 料 」 と し て 梅 酢 に あ ら か じめ混ぜる技法があることから、内匠式が定める通り、滅金とは別に用 意される水銀と解する余地がでてきた。 このことから、本共同研究のメンバーで森本錺金具製作所の調査にも 参加された清武雄二氏は、内匠式の新たな試案を筆者に提示された。内 匠式の滅金が森本錺金具製作所で用いる金一に対し水銀三の分量比と仮 定すると、その半分の量の水銀を計上することで、全体に金一に対して 水銀五の分量比となる。半分の分量で計上される水銀は、金アマルガム である滅金の濃度調整ができるよう式が立てられているのでは、という のが清武氏の提案であった。 具 体 的 に 内 匠 式 11条 の 肱 金 で 見 て み よ う。 肱 金 の 鍍 金 に 用 い る 滅 金 32 32 32 32 31 31 31 31 31 31 31 31 2( 25 2( 23 22 21 20 12 11 11 番号 条文 四尺屏風 菅翳 腰輿 輿 銀鍋子 車榻 捧壺 大笠柄 小行障 五尺屏風 几帳 白木斗帳 厨子 屏風 牛車 腰車 腰輿 御輿 斗帳 几帳 年料屏風 (花形釘) 年料屏風(肱金) 物 品 十両二分 一両 小七両 小一斤十二両 小三両 四両 小一両二分 小一両二分 小八両 十両三分 小一両 小五両 小五両二分 小二両二分 小二十両 小十両三分 小一両一分 小一斤十四両 小六両二分 一両一分 五十三両四銖 五十両 滅 金 五両一分 二分 小三両二分 小十四両 ――― ――― ――― 三分 ――― 五両二分 二分 小二両二分 小二両三分 小一両一分 小八両 小三両三分三銖 小二分三銖 小十五両 小三両一分 二分 三十九両三分二銖 二十五両 水 銀 2対1 2対1 2対1 2対1 2対1 約2対1 2対1 2対1 2対1 2対1 5対2 約 2.(対1 2対1 2対1 2対1 5対2 約 1.3対1 2対1 滅金・水銀 分量比 表1 内匠式における滅金と水銀
五〇両が一対三の分量比で金と水銀を混和したものであるとすると、金 一二両二分、水銀三七両二分となる。この水銀に別に計上されている水 銀二五両を合わせると六二両二分となり、その比率は金一に対し水銀五 となる。鍍銀の場合も見ておこう。滅銀二五両は、一対三の分量比に当 てはめると、銀六両一分、水銀一八両三分となり、これに水銀一八両三 分を加えると、水銀の合計は三七両二分となり、銀一に対し水銀六の整 数比となる。 この理解は、滅金についていえば、金一に対し水銀三という分量比で あるという仮定に立っている。しかし、このこと自体は内匠式に定めら れ て い な い。 金 と 水 銀 の 分 量 比 を 示 さ ず と も、 「 滅 金 」 と 記 せ ば 一 般 に 了解できる標準的な分量比があり、それを内匠式は前提としている可能 性がある。用例を踏まえて、検証してみよう。 まず確認できるのは、 『延喜式』を除くと、 「滅金」の用例が極めて限 られることである。寺院資財帳では、水銀や練金・沙金などの金の保有 は 書 か れ る が、 滅 金 と し て 保 有 す る 分 量 を 記 載 す る も の は な い。 「 造 金 堂所解」で示されるように、また森本錺金具製作所でもそうであったよ う に、 通 常 は 作 業 現 場 で 金 と 水 銀 が 混 和 さ れ 金 ア マ ル ガ ム が 作 ら れ る。 滅金として数量を明記する用例が少ないのは、滅金の状態で調達や保管 がなされないことによる。 滅 金 と し て 分 量 を 記 し て い る 例 と し て は、 「 安 都 雄 足 啓 案 」 が あ る (11 ( 。 天平宝字七年に、滅金二両一分、熟銅六両、炭三斗、薪一荷を「栄造帯 所 借 用 物 」 と し て 書 き 上 げ て い る。 「 栄 造 帯 所 」 が い か な る 機 関 で あ る の か 判 然 と し な い が、 列 挙 さ れ る 物 品 か ら す る と、 何 ら か の 金 銅 製 品 (革帯を造る所であれば、 飾りにつける 銙 などか) の製造を行うのに必要 な一連の物品と推測される。ここでは、金と水銀でなく、金アマルガム である滅金の数量が書かれている。この啓が機能するということは、金 と 水 銀 の 標 準 的 な 分 量 比 と い う も の が 共 有 さ れ て い た 可 能 性 を 示 唆 す る 。 も う 一 つ は、 延 喜 五 年 ( 九 〇 五 ) の「 筑 前 国 観 世 音 寺 資 財 帳 」 〔『 平 安 遺 文 』 一 九 四 号 〕 で あ る。 「 聖 僧 物 」 と し て 「 沙 金 五 両 」 を 挙 げ、 そ の 分 注に 「四両斉衡二年相博、塗講堂花瓶十二口料滅金廿両代所納」 とある。 や や 意 味 が 取 り づ ら い が、 花 瓶 一 二 口 の 鍍 金 に 用 い る 滅 金 二 〇 両 の 分 と し て、 沙 金 四 両 を 斉 衡 二 年 ( 八 五 五 ) に 交 換 入 手 し た 旨 を 記 す。 滅 金 二〇両を作るのに要する沙金が四両なので、金と水銀の分量比は一対四 となる。こうした分量比を認知したうえで、沙金を保有し、資財帳にそ の旨を記載したことが注目される。 滅金二〇両より沙金四両を差し引いた水銀分の一六両には、金アマル ガムの濃度調整や花瓶の表面にあらかじめ塗る水銀の分も見込んでいる かどうかはよくわからない。いずれにしても、古代にあっては、鍍金に 要する金と水銀の標準的な分量比というものが、多少の幅を含みながら も共有されていたことは認められよう。 内匠式の規定も、右のように共有されていた滅金の分量比を前提に式 条が立てられたと推測される。式文ではそれが金一に対し水銀三である ことは直接示されないが、下文の水銀を含めると一対五の整数比となる ことは重視すべきであり、清武氏の試案は首肯される。次節では内匠式 ば か り で な く、 『 延 喜 式 』 全 体 に 広 げ、 鍍 金 に 関 す る 内 匠 式 の 料 物 規 定 の式意を探っていきたい。 2『延喜式』における鍍金の料物 内 匠 式 11条 の よ う に、 滅 金 と 水 銀 で も っ て 鍍 金 の 料 物 を 定 め る こ と は、一部に水銀の規定を欠く条文もあるものの、内匠式においておよそ 共 通 し て い る。 し か し、 『 延 喜 式 』 全 体 に 目 を 向 け る と、 そ れ が 内 匠 式 特有のものであることがわかる。内匠式以外では、鍍金の料物を練金と 水銀で示すものと、滅金のみで示すものの二種に大別される。 練金と水銀の分量で示すものでは、斎宮式 (3造備雑物条、木工式 2(年
料条、兵庫式 21大祓横刀条などがある。斎宮式 (3条は、最初に製作す る物品を列挙し、その料物をまとめて記すなかに「錬金小十一両一分 二銖、銀大五斤十一両、水銀小五斤三両」を挙げる。用途を特定する ことはできないが、製作物には輿や腰輿が見える。 木 工 式 2(条 は、 年 料 と し て 宮 内 省 よ り 請 け る も の と し て、 「 練 金 一 両、 銀 一 両、 水 銀 一 両 」 が あ る。 用 途 は 示 さ れ な い が、 「 熟 銅 四 斤 八 両 二 分 三 銖 」 が「 作 二 大 祓 刀 一 料 」 と あ る の で、 少 量 の 金 ア マ ル ガ ム を作って大祓の刀を部分的に鍍金することを指すのであろう。単位が 正しければ、練金と水銀の分量は一対一である。練金の全てを金アマ ルガムとするのか、一部を別の用途にまわすのかは不詳である。兵庫 式 21条 で は、 「 二 季 大 祓 横 刀 八 口 」 の う ち 二 口 は「 金 装 」 で、 そ の 料 物として「練金一分、銀一両、水銀一両」がある。金装ゆえ、練金と 水銀で金アマルガムを作り、鍍金に用いるのであろう。その分量比は 金一に対し、水銀四となる (11 ( 。 これに対し、鍍金の料物を滅金のみで示し、水銀を規定しない条文 もある。伊勢大神宮式 2(調度条、同式 2(神宝条、左右馬式 (3女鞍料条 である。伊勢大神宮式 2(条は、神宮宮殿を飾る釘や鎹などの金属製品 についての規定で、料物として熟銅、半熟、滅金、銀を挙げる。伊勢 大神宮式 2(条は、二一種の神宝と、それらすべての製造に要する料物 と し て 熟 銅、 半 熟、 滅 金、 金、 銀 な ど を 挙 げ る が、 水 銀 は 見 え な い。 左右馬式 (3条は、女鞍の製作に要する物品のなかに「熟銅大三両三分 二銖」と「滅金大一銖七分之五」を挙げるが、水銀は見えない。製作 に際しては、これらの条文をもとに物品の請求が行われたのであろう が、滅金の総量を示すことで式としては機能しえたのだろう。滅金と 記せば、一般に了解できる標準的な数量比があったことをここも伝え ている。 鍍 金 の 料 物 を 挙 げ る『 延 喜 式 』 の 条 文 は 管 見 の 限 り 以 上 で あ る が、 内匠式と同じように滅金と水銀の分量を定めるものはない。それは、鍍 金を多く手がける内匠寮特有の規定と理解すべきであろう。これまでの 検討から、鍍金の工程には、金アマルガムを塗るのに先立ち、梅酢で器 物を清浄にする際にも水銀を使用し、さらに対象や部位によりアマルガ ムの濃度を調節して鍍金を行うことが明らかとなっている。こうした作 業を恒常的に行う内匠寮では、式文が日々の製造・加工を支える物品請 求手続きの根拠となり、また基準として機能した。それだけに、実際の 作業工程に即して、水銀の分量を調節できるよう式文が立てられている と考えられる。 以 上 の よ う な 理 解 に 立 っ て、 内 匠 式 11条 に 立 ち 戻 っ て み よ う。 「 水 銀 八 十 三 両 二 分 二 銖 」 の 分 注 は、 ①「 廿 五 両 塗 二肱 金 一料 」、 ②「 卅 九 両 三 分二銖塗 レ釘料」 、 ③「十八両三分合 レ銀滅料」の三つに分かれる。① ② は 「 塗 る 」 と あ る の で、 金 ア マ ル ガ ム を 塗 る 際 に 必 要 に 応 じ て 濃 度 調 節 に用い、また酢の中に混ぜて器物に塗るのに用いることを含意するので あ ろ う。 ③「 合 レ 銀 滅 料 」 も そ の 用 途 は 同 じ な が ら、 滅 銀 の 用 途 が「 鏤 む る 料 」 の た め、 ① ② の よ う に 「 塗 る 料 」 と は 書 け な い こ と か ら、 鍍 銀 に用いることを明示するために 「合 レ銀滅料」 としたものと推測される。 実際の鍍金作業で濃度調整などが行われることは、奈良時代の仏像や 仏具の製作でも変わらないだろう。しかし、それは文字としては残りに くい。先に検討を加えた「造金堂所解」や「造仏所作物帳」は、造営工 事の事業報告書としての性格が強く、原材料をどれほど使用したかを記 録 す る こ と に 力 点 が 置 か れ る。 東 大 寺 大 仏 の 鍍 金 の 記 録 も、 銅 や 練 金、 水銀の量を記すことでその事業の壮大さを説明しようとする。いずれも 重要なのは個々の材料の使用量の記録であり、官司運営に必要な細則を 定めた『延喜式』とはもとよりその性格・機能を異にしていることに留 意しなければならない。