<特集><災害復興制度の研究>米国・緊急事態管理庁
の組織再編とその影響
著者
村上 芳夫
雑誌名
先端社会研究
号
5
ページ
101-152
発行年
2006-12-16
URL
http://hdl.handle.net/10236/11496
────────────────── * 関西学院大学
米国・緊急事態管理庁の
組織再編とその影響
村上
芳夫
* ■要 旨 どの国の法と政策においても、市民の生命と財産を護ることは、その政府の 政策の最優先順位に位置づけられている。なかでも災害に対する政府活動は、 典型的な「政府の責任」である。この点、米国には緊急事態管理庁(FEMA) という素晴らしい組織があるといわれてきた。しかしながら、2005 年 8 月に 米国のメキシコ湾岸を襲ったハリケーン・カトリーナは、ニューオリンズを水 没させ 1,500 人以上の死者を出した。この大災害に対する FEMA の準備と対 応は不適切だと非難され、政府もそれを認めざるを得なかった。1990 年代の クリントン政権下で、FEMA 長官が強いリーダーシップを発揮して大胆な組 織改革を行い、連邦政府の緊急事態行政を大きく前進させた。9.11 で FEMA の対応が高く評価されていたことを考慮すると、今回のハリケーン対策の失敗 は皮肉ともいえる。緊急事態管理がうまく働かなかった原因は、ブッシュ政権 での大幅な連邦政府組織の再編にあり、国土安全保障省(DHS)の新設とそれ に伴う自然災害への根本的な政策転換がカトリーナの大惨事を招いたといわれ ている。なかでも、行政組織を制御する政治構造システム(政治的リーダー シップ)と都市装置である社会基盤を制御する社会技術的システムが相互にう まく機能しなかったことが、被害を大きくしたといわれている。本稿は、前者 の政治構造システム上の要因に注目し、FEMA の DHS 移管に関する政治過程 を取り上げ、それが災害対応にどのように影響を与えたかを考察する。最初に 連邦政府の緊急事態管理に対する歴史を簡単に振り返ったあと、1990 年代の クリントン政権での FEMA 改革と 9.11 後のブッシュ政権による省庁再編によ る FEMA の移管を検討する。そして、移管による FEMA の緊急事態管理政策 の変化が、ハリケーン・カトリーナの甚大被害にどう影響したかを検討する。 そのなかで、FEMA という行政機関が、なぜ大災害への不十分な対応を繰り 返すことになるのか、その政治構造的なメカニズムにも言及する。1
はじめに
阪神淡路大震災のとき日本政府の緊急対応が遅れたのに対し、米国には緊 急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency: FEMA)という素晴 らしい組織があるといわれた。どの国の法と政策も市民の生命と財産を護る ことが政府の最優先順位に位置づけられていることから、政府の災害対応活 動はうまく働くのが普通だとされている。災害に対する政府組織の運営・活 動の継続的維持は、自治体を含む〈政府の典型的な責任〉である1)。とりわ け 21 世紀の先進諸国(そして、都市型社会)では、緊急事態への対応と復 興の管理活動についてかなりよく形成・整備された施策と計画を備えている [Comfort, 2005]。政府の官僚機構は、適正手続きに基づいた物的・人的資源 の動員、有効なリーダーシップを含む専門技能を持つ人材の常態的な確保、 そして、明確に定められた任務の遂行、という 3 つの特徴を具えて災害に対 処している2)。ここにいう、適正手続きによる動員とは、中央政府と地方政 府との間で定められた法的・行政的手続きに従って災害対応発動が素早く実 行されることであり、有効なリーダーシップとは、専門化に伴う専門技能 [Rourke, 1984]を持つトップ行政官が迅速に対応することであり、そし て、成功している行政機関は任務目的が明確で使命感を持つ職員が目的を共 有していることを意味する[Downs, 1967]。 とはいえ、決定された政策・計画とその実施およびそれから生じる効果と の間には乖離が常にある。政策の目的や狙いが政策の実施段階において、意 図されたようには必ずしも働かないことから、政策の失敗は「政策実施の失 敗」でもある。優先順位の高い政策であればあるほど、政府の意思決定者は 過去の政策実施の失敗から多くのことを学習し、できる限り失敗を繰り返さ ないことが求められる3)。その意味でも災害への対応活動は、一定程度の蓄 キーワード:緊急事態管理、FEMA、国土安全保障省、 ハリケーン・カトリーナ、行政改革
積を前提にしていることから、相対的に「うまく働くのが普通」である。災 害対応活動に関するこれらの 3 特徴が全て機能すれば、危機管理に携わる行 政機関の活動は適切に作動し、米国でも少なくとも 2004 年までは適切に働 いていたといわれている。 しかしながら、2005 年 8・9 月に米国のメキシコ湾岸を襲った 2 つのハリ ケーン、カトリーナとリタは、1980 年代末から 1990 年代初期における大規 模災害4)に対する〈政府の政策と対応の失敗〉を再現させることになった。 90年代初期の政府対応の失敗に向けられた告発と批判が FEMA を大きく変 容させ、クリントン政権では FEMA 長官が強いリーダーシップを発揮して 大胆な組織改革を行い、選挙民と行政機関との関係を改善し、職員の士気を 高め、連邦政府の緊急事態行政を大きく前進させた[New York Times, Sept. 9, 2005; Schneider, 2005]。実際、FEMA 改革が特筆されるほどの高い評価を 受けていたことを考慮すれば、今回のハリケーン対策が不適切であったのは 皮肉なことである。緊急事態管理がうまく働かなかったことは、ブッシュ政 権における大幅な連邦政府組織の再編、つまり自然災害に対する根本的な政 策転換の結果ともいわれている5)。 そこで本稿では、まず FEMA のフォーマルな任務と組織に触れ、つぎに 連邦政府の緊急事態管理に対する歴史を簡単に振り返ることにする。そし て、1990 年代のクリントン政権における FEMA 改革とその効果に言及し、 さらに 9.11 後のブッシュ政権による「国土安全保障省」(Department of Home-land Security: DHS)の新設に見られる政府機構再編が緊急事態行政なかでも FEMA のそれにいかなる変化をもたらし、ハリケーン・カトリーナの甚大 被害に至ったかを検討する。そのなかで、FEMA という行政機関が、なぜ 大災害への不十分な対応を繰り返すことになるのか、それが構造的に抱えて いるメカニズムにも言及する。
2
FEMA
の任務と組織
2. 1 任務と役割 FEMA は、米国内の大規模災害に対応する連邦政府の中心的な行政機関 である。カーター政権のもとで 1979 年に設置され、小規模ながら独立した 連邦政府の行政機関として緊急事態管理を担当してきたが、9.11 後の省庁再 編に伴って 2003 年 3 月に新設された DHS に移管された。この大掛かりな 組織再編成によって、それまでの FEMA の任務と権限の一部は同省の他部 局に移され、あるいは、他省庁の権限が FEMA に移譲されたが、その任務 の多くはほぼ継承された。もっとも、この再編によって生じた DHS 内での FEMAの役割と権限とその活動の評価については、後に見るように、様々 な議論が起きている。 FEMA の役割は、国民にあらゆる危険に対する心構えを涵養する活動 (教育・研修)に関する指導、全国的な災害事件への連邦政府の対応・復興 活動の効果的な管理、危険の軽減(減災と予防)活動の構想と計画、危険時 の第 1 次対応機関である州・自治体政府の警察や消防等の訓練、そして、国 家洪水保険事業の管理運営である6)。国土安全保障法には、FEMA の職務と して、(a)一般規定に、(1)ロバート T.スタッフォード災害救助緊急援 助法(以下、スタッフォード法とする)に規定されている職務と権限を遂行 し、(2)緊急事態管理プログラムによって国民を導き支援することにより、 人命と資産の損失を軽減し全ての危険から国を防護すること、とある。後者 のプログラムとは、(A) 危険と被害の軽減、(B)あらゆる危険への準備・ 軽減・対応・復興の危機管理専門職を確保する計画の策定、(C)救急装 備・補給、避難、食糧・医療措置などの提供、緊急行動の実施による対応、 (D)地域社会の再建による復興、(E)事前の災害抑止策、計画策定、対 応・復旧に関する努力の調整による効率向上、である。また、(b)連邦対応 計画(Federal Response Plan: FRP)での FEMA の任務として、大統領令第 12148号・第 12656 号により策定された FRP の主務官庁となり同計画を改 定することが要請されていた7)。要するに、災害サイクルにおける緊急事態への「対応」、「計画策定」、「復興」、「被害軽減(減災・予防)」、「準備」を 管理運営することが FEMA の任務である。その意味で、FEMA は、連邦制 や憲法構造からして過去にも現在にも調整・計画機関であって、災害時にお いて中心となる指揮命令を実施する権限を有しているわけではない。 2. 2 組織 まず DHS とその主要部局を構成する FEMA の位置を確認しておこう。 A国土安全保障省(DHS) DHSは、9.11 の後、テロの脅威と攻撃から米国を防衛するための包括的 な国家戦略を策定し実施することを目的に、設置された新設の省である。 〈国境警備・運輸安全〉、〈緊急事態準備・対応〉、〈科学・技術〉、〈情報分 析・社会基盤保護〉という 4 つの分野において危機管理とテロ対策を統括的 に機能させるため、各省庁に断片化されていた部局を統合し、国防総省につ ぐ約 22.5 万人の職員を擁する巨大省となった。DHS は 2003 年 1 月 24 日に 発足し、同年 3 月 1 日に公式にその業務を開始した。初代長官には、元ペン シルバニア州知事のトム・リッジが就任し、ブッシュ政権の 2 期目の 2005 年 2 月には元連邦高裁判事のマイケル・チャートフに交替した。 DHSの組織は、設置当初の 2003 年 3 月と 2005 年 10 月の段階では部局の 名称など少し異なっているが、基本的には変わっていない。DHS の行政機 構は、長官、副長官 1 名、次官 5 名を長とする基幹組織から構成されてい る。この基幹組織と並存して、長官または副長官が直接管轄する組織には、 幾つかの主要な下位組織と省全体に共通して関わる多様な機能をもつ組織が あることから、それらを統轄するため、長官室に主席特別補佐官およびその 下に事務秘書官と軍務連絡官が置かれている。長官・副長官の直接の指揮に 服するのは、市民・移民サービス担当や市民・移民サービスオムブスマンを はじめ、沿岸警備、特別警備、プライバシー、公民権・市民的自由、国際問 題、立法問題、州・地方調整など 15 の担当官(名称は様々)が管轄する多 様な部局である。基幹組織にはそれぞれの機能を担当する次官の下に、情報 分析・基盤保護、科学技術、国境・運輸安全、緊急事態準備・対応、管理運
私的部門調整 特別長官補佐官 首都地域調整室 州・地方調整・ 準備室 立法問題室 公共問題 (広報)室 国際問題室 US沿岸警備隊 長官事務 秘書 主席長官補佐官 軍務 連絡官 市民・移民 サービス 監察総監 Inspector General 法律顧問 長 官 副 長 官 公民権・ 市民的自由 プライバシー室 市民・移民サー ビスオムブスマン USシークレット サービス 麻薬取締室 次官 管理運営総局 主席 財務官 主席 情報官 主席 人材官 主席 調達官 行政 サービス PPB 次官補 国土安全 保障調査 調査 開発室 システムエン ジニアリング ・習得室 情報分析 次官補 情報防衛 次官補 税関・国境 防衛局理事 移民・税関 執行次官補 BTS政策 次官補 運輸 安全局 次官 科学・ 技術総局 次官 情報分析・ 基盤保護総局 次官 国境・運輸 安全総局 次官 緊急準備・ 対応総局FEMA 長官室 総局Directorate 局Component 営の 5 つの総局(directorate)が設置され、それぞれの総局の下に次官補 (あるいはそれ相当の担当官)が管轄する庁・局・班・システム・プログラ ムなどの名称で局(component)やそれに相当する組織が置かれている(図 1)。その他、諮問的な組織として、祖国安全保障諮問会議、国家基盤諮問 図 1 国土安全保障省(DHS)組織図 (注)Bob Wise(全ウェストヴァージニア州知事)のカトリーナ後の復興に係わ る公聴会に向けての経済開発・公物・緊急事態管理に関する運輸・基盤小 委 員 会 証 言 ( 2005. 10. 6. ) で 提 出 資 料 、 DHS の ホ ー ム ペ ー ジ 、 茂 木 (2003)を参考に筆者が作成
会議、重要基盤パートナーシップ諮問会議、緊急準備・障害者関係機関間調 整会議などが設置されている。 B緊急事態管理庁(FEMA) DHSが設置される以前の FEMA は、どの省にも属さない独立した行政機 関であり、省に準じて「緊急事態管理庁」と訳されることも多く、その長官 は大統領を頂点とする内閣の構成員であった。しかし、FEMA は、新設さ れた DHS に移管され、基幹 5 総局の 1 つとして、緊急事態・準備対応次官 が 所 管 す る 「 緊 急 事 態 ・ 準 備 対 応 総 局 」( Emergency Preparedness and Response-EPR)を構成する 1 局になった。組織図のうえでは、FEMA は EPR 担当次官の下に置かれているが、EPR は FEMA を中心に他の省庁から移管 された幾つかの部局・室から構成されており、EPR の実態は FEMA そのも のといって差し支えない(したがって、以下では詳しい説明が必要な場合を 除いて、EPR を FEMA とし EPR 担当次官を FEMA 長官としている)。次 官は大統領でなく直属上司の DHS 長官に報告する義務を負うことから、全 体的な省庁再編によって FEMA は局レベルに格下げされたといえる。FEMA の初代次官(長官)はマイケル・ブラウンであったが、ハリケーン・カト リーナへの対応の責任をとり 2005 年 9 月に辞任し、現長官は前米国消防局 長のデイヴィット・ポアソンで 2006 年 4 月に就任した。 FEMA(EPR)の組織は、次官のもとに主席補佐官と業務運営官が置か れ、部(division)・室(office)には基幹組織である減災(軽減)、準備、復 興、対応、国家安全保障調整の各部の他、全米被害管理システム(National Incident Management System: NIMS)統合センター、戦略計画・評価、政策 等の組織が長官・副長官の直接指揮の下に設置されている。その他に、それ ぞれの機能に対応する法務(法律顧問)、権利平等、国際問題、政府間問 題、立法問題、公共問題担当の各室、官房に当たる管理部門には管理・サー ビス促進、財務・調達管理、人事課、情報技術サービスの各室が設置されて いる。また、地方の出先機関として、全国 10 カ所に地域事務所(regional of-fices)があり、FEMA の事業を州・地方レベルで運用するための重要な装置 となっている(図 2)。地域事務所の所長は、連邦・州・地域・地方諸機
対応部 人的資源室 財政管理室 調達管理室 施設管理・ サービス部 情報技術 サービス部 減災部 NIMS 統合センター 復興部 長官室-FEMA- 長官 −R.David Paulison 作戦長官 Kenneth Burns 副長官・湾岸復興担当 Gilbert Jamicson 国家安全 保障調整 フロリダ 長期復興部 地域作戦室 戦略計画 ・評価室 政策室 地域事務所 I∼X 法務部 平等権 国際問題 政府間関係 立法問題 公共事務室 関、産業、その他の公私グループとの接触や関係において、FEMA 長官の 代理人として FEMA が設定した国家事業目標をそれぞれの地域において遂 行すること、および、国家政策を発展させる任務を負っている。 FEMAの職員は、常勤と非常勤から成り、常勤はワシントン DC に約 1,700 名、10 カ所の地域事務所に約 800 名と合計 2,500 名、また非常勤の災害予備 役として 5,000 名以上が非常時に備えている。FEMA の常勤職員数は、DHS 職員全体の約 1% 強を占めるに過ぎず、DHS 内では小規模な行政機関であ る。また、FEMA と関係する部局には、以下のようなプログラムがある。 連邦保険局(Federal Insurance Agency: FIA)」は、国家洪水保険事業(National Flood Insurance Program: NFIP)と国家犯罪保険事業(National Criminal Insur-ance Program: NCIP)を管理運営している。NFIP は、将来の洪水による損害 を軽減するため、同事業の氾濫源管理規制を採用し執行するコミュニティ
図 2 FEMA 組織図(2006 年 1 月)
出典:Hennry B. Hogue and Keith Bea,“Federal Emergency Management and Home-land Security Organization: Historical Development and Legislative Options,” CRS Report for Congress(Update June 1, 2006)から
(自治体)の住民に利用できる洪水保険を作成している。約 18,000 のコミュ ニティが NFIP に参加(任意加入)しているが、それは自己支援事業であっ て、全ての納税者に支払い基金や運営上の支出を義務付けているわけではな い。NCIP は、資格のある州においては FIA が犯罪保険を適切な価格で販売 する権限を与えている。また、米国消防庁も FEMA と関係の深い部局であ り、消防、危険物、緊急医療の分野において、FEMA の諸活動に指導、調 整、支援を提供している。
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連邦政府の緊急事態管理政策の変遷:4 つの時期
FEMAは 1979 年に設置されて以降、2 度の大きな改革が行なわれた。最 初の改革は、1992 年に南フロリダを襲ったハリケーン・アンドリューへの 政府対応の反省から生まれたもので、もう 1 つは 9.11 後の DHS 設置に伴う 行政機構の再編である。前者は、クリントン政権の基本政策の 1 つである 「政府再生」(Reinventing Government Initiative: RGI)と連動し、再生運動の お手本といわれた。この改革の成果は、米国のみならず阪神淡路大震災を経 験した日本でも高く評価され、日本版 FEMA の設立が国会でも議論され た。それに対して後者の改革は、ブッシュ政権下でテロ対策のために新設さ れた DHS への FEMA 移管であり、その結果の一つは 2004 年のハリケー ン・ウィルマや翌年のハリケーン・カトリーナの災害対応に示されることに なる。以下に、カーター政権で FEMA が設立されるまでの時期、および、 設置後の 2 度の改革を挟んだ四つの時期に分けて概観する。なお、時期区分 の基準は、猟官制の名残と政権交代に伴うポストへの論功行賞が不可分であ ること、そして、それによる緊急事態管理政策の基本方針が変更されている ことから、政権の交代時とした。 3. 1 前史:∼1979 年の FEMA 設置まで 米国における連邦政府の緊急管理の起源は、1803 年「議会法」(Congressional Act)にまで遡る。ニューハンプシャー州ポーツマス大火の後、タウンと州が復興を図ったが財源不足のために頓挫した。この状況に対して、連邦議会 は、州・地方政府への災害援助という法的措置で応えたのである。この 1803 年の議会(特別)法は、政府が自然災害の被害者を救済した最初の法律とい われている。それ以後、1930 年代までハリケーン、地震、洪水などの天災 に応じて災害後の救援や補償のために特別法が 100 回以上も制定された。そ のなかには、1830 年代のニューヨーク大火における商人への義務・関税免 除やリンカーン大統領暗殺時の怪我人の補償に関する特別法も含まれてい る8)。 20世紀に入ると 1932 年にフーバー政権は、大恐慌対策として復興金融公 社(Reconstruction Finance Corporation: RFC)を設置した。それは、銀行や 企業へ向けた連邦資金の貸し付けだけでなく、災害にも連邦資金を提供する 任務を負っていた。RFC は、地震等の災害の後で特定の公共施設の修理と 再建に災害ローンを設定する権限をもっていたことから、連邦初の災害対応 行政機関と考えられるようになった。1934 年には、公道局(Bureau of Public Roads)に、自然災害で被害を被った道路と橋梁に資金を提供する権限が与 えられた。この洪水統制法は、陸軍工兵隊(Army Corps of Engineers)に洪 水調節・灌漑事業の実施権限を与え、陸軍工兵隊が洪水災害の復興に重要な 役割を果たすことになったのである。 こうして連邦政府レベルにおける自然災害への対応が充実していったが、 災害の都度制定される特別法に基づく救済措置は連邦の行政機関間の協力を 欠くことも多く、また官僚的な形式主義の煩わしさもあり、大統領に行政機 関の活動を調整する権限を与える新たな法の制定が促されることになった。 こうして 1950 年の「災害救助法」(Disaster Relief Act)は州・地方政府の救 助活動を補完するため、必要があれば連邦の資源を使うことができること、 そして、そうすべきであることを明言したのである。また、この法は州・地 方政府が連邦の救援を要請できる〈標準的なプロセス〉を規定することに なった。その意味で、「災害救助法」は緊急救助を提供する初めての一般的 な国家政策の枠組みを確定し、緊急事態管理という政策領域におけるその後 の政府活動に大きな影響を与えることになった。なお、災害援助の調整は、
その後 1973 年まで大統領府に置かれた国防動員局(1953−58 年)、国防文民 動員局(1958−61 年)、緊急事態計画局(1961−68 年)、緊急事態準備局(1968− 73年)といった行政機関の所轄を行き来することになるが、いずれも一貫 して大統領府に設置された組織の下で行なわれてきた。
しかし、1973 年にはこれらの任務は「住宅都市開発省」(Department Hous-ing and Urban Development: HUD)の連邦災害援助局(Federal Disaster Assis-tance Administration: FDAA)に移され、初めて大統領府の外の行政機関でそ の任務を遂行することになった。FDAA は、1960 年代から 1970 年代初期に 発生した一連のハリケーン(1962 年カーラ、1965 年ベッツィ、1969 年カ ミール、1972 年アグネス)と地震(1964 年アラスカ大地震、1971 年南部カ リフォルニア・サンフェルナンド地震)といった大災害に対する連邦政府の 救援・復興活動を担うことになる。これら災害の経験にもとづき、議会は災 害時における連邦政府の責任の範囲を拡大する一連の法律を制定した。連邦 の災害援助の対象が特定集団(農村居住の農民)、新たなタイプの災害支 援・救済(一時的住居支援、緊急避難所設置、食料切符、ビジネスロー ン)、別形態の危険緩和(予防的統制タイプの強調)へと拡大した。1968 年 の「国家洪水保険法」は住宅所有者に新たな洪水被害への補償を提供し、1974 年「災害救助法」改正では大統領が災害宣言の手続き過程を確立することに なったのである。 こうして 1970 年代末までに、連邦政府はかなり総合的な公的災害支援プ ログラムを用意することになったが、問題はこれらの事業や計画そのものが 煩雑で多過ぎることであった。とりわけ連邦政府レベルでは、個々の事業・ 活動は調整されることもなく分断され、災害支援に対する責任が幾度となく 様々な省庁に移管・分散されることによって、誰が災害救援の責任者である かが分からない状態に陥っていた。原子力発電所と危険物輸送にかかわる危 険が自然災害の範疇に加えられたときに、100 以上の連邦機関が、災害、危 険、緊急事態に関係していた。そのうえ、災害が発生した時に同時平行的に 進む事業と政策が州・地方政府においても数多く在ったことは、さらに連邦 の災害救援活動を複雑なものにしていた。州・地方政府の災害対策が連邦の
それと一緒に働かざるを得ないことから、全国知事会は関係機関の削減を求 めて、カーター大統領に連邦の緊急事態機能の集約化を要請することになっ たのである。 3. 2 新設 FEMA: 1979∼1992 年(カーター・レーガン・ブッシュ政権) このように緊急事態への対応は、行政機関、議会、そして、法整備がいわ ばパッチワーク状態となっており、緊急事態の対策と責任の所在は必ずしも 明確ではなかった。こうした状況を「集権的、固定的、統合的な緊急事態管 理機関」へと一元化するため、カーター大統領は 1978 年に『第 3 次行政組 織再編計画』を発表し、そのなかで全政府レベルでの緊急事態救援システム の構造・管理・運営を強化する方針を打ち出した。そして、政府活動をリー ドする新たな行政機関として、「連邦緊急事態管理庁(FEMA)」構想が提案 されたのである。その主要な任務は、(1)連邦の諸資源の動員、(2)連邦の 活動と州・地方政府の活動との調整、(3)災害対応における公私部門活動の 管理・マネージメント、であった。その時に用いられた「一機関、一長官、 一接点(one agency/one official/one point of contact)」という標語は、総合的 な緊急事態管理を担う FEMA に対するカーター大統領の高い期待感を端的 に表していた[NAPA, 1993:15]。 カーター大統領は、1979 年の執行命令 12127(3.31)と同 12148(7.20) によって、分断状態にある災害関連の事業や任務を新設 FEMA に統合し た 。 こ の 行 政 改 革 に お い て FEMA に 移 管 さ れ た の は 、 連 邦 保 険 局 (HUD)、国家消防庁(商務省)、全国気象サービスコミュニティ準備課と連 邦準備局(一般調達庁)、連邦災害援助局(HUD)、民間防衛準備局(国防 総省)の諸権限、および、緊急放送システム(商務省と大統領府)に関する 権限である。先の標語に示される〈一つ屋根の下で多数の事業を運営する〉 行政機関は、究極的に緊急事態への対応活動の調整を有効なものにする一種 のシナジー効果をもつと考えられ、FEMA の初代長官ジョン・メイシー は、自然災害準備と民間防衛活動との類似点を強調したのである。 こうして、FEMA は、「小さな単発的な事態から国家安全保障を含む究極
的な緊急事態である戦争に至るまで、〈全範囲〉の緊急事態に共通する指 揮・統制・警告システム」といったあらゆる危険に接近できる「緊急管理統 合システム」(Integrated Emergency Management System)を開発することに なったのである9)。そして、この新しい行政機関は、最初の数年間に非常に 多くの災害と緊急事態に挑戦することになる。そのなかには、1978 年ナイ アガラのラブカナル汚染、1979 年スリーマイル島原子力発電所事故、1980 年キューバ難民危機、が含まれている。その後も、1989 年サンフランシス コ・ロマプリエタ地震と 1992 年ハリケーン・アンドリューの被害は、全国 的な注目を FEMA に集めることになった。 FEMAが設置されて 10 年、1988 年には画期的ともいわれるスタッフォー ド法が制定された(正確には法律第 93−288 の修正)。同法はそれまでの災 害政策の矛盾を明らかにし、「緊急事態」の定義を改め、自然災害における 公的機関の責任と義務を拡大した。さらに、同法は政府間のシステムを横断 する緊急事態管理に関わる政府諸機関がいつどの様に危機状態となるかの手 順を確定した。つまり、災害への政府対応が地方レベルから州を通ってどの ように全国政府にまで到達するかを詳細に定め、同時に、災害に対する軽減 と復興での多様な局面を通して、他の政府諸機関との関係における FEMA の責任をより明確にしたのである[Schneider, PAQ, 1998]。 しかしながら、法的整備が進展したにもかかわらず、FEMA は必ずしも 高い評価を得ていたわけではなかった。全米行政アカデミー(National Acad-emy of Public Administration: NAPA)の報告書(1993)によれば、最初の 14 年間、FEMA は、「混乱と愚かな行為」によって有名になり、「ワシントン のロドニー危険地帯」10)という評判を立てられていた。だが、こうした FEMA の悪評は、この行政機関の制度設計の欠陥に起因しているともいわれてい る。FEMA は、その政治的任命職であるトップリーダー達のスキャンダル に加え、使命遂行に必要な専門技能や影響力が乏しいにもかかわらず、国家 安全保障の重要な役割を担っていることを理由に、その能力以上の調整権限 を要求する行政機関とみなされていた[NAPA, 1993]。なかでも、FEMA が 様々な省庁からの寄せ集め行政機関であったこと、および、過多の政治的任
命職(大統領選挙後の論功行賞においてポスト争いに敗れた公職者のゴミ捨 て場といわれた)によって生じる縄張り争いが絶えず、「局あって庁なし」 という状況は期待されたシナジー効果を生むどころか、自然災害への国内プ ログラムを十分に遂行さえできなかった。また、FEMA を構成する部局の 統制に関係する議会の委員会・小委員会の数が他の行政機関と比べて格段に 多いことは、縄張り争いを一層激しいものにしただけでなく、行政機関の責 任やその統制を極めて複雑なものにした(その政治・行政関係の基本構造は 現在も変わっていない。表 1 と表 2、参照)。
縄張り争いのなかでも最悪といわれたのは、国家準備局(the National Pre-paredness Directorate: NPD、民間防衛・国家安全保障を担当)と「州・地方 事業支援局」(the State and Local Programs and Support Directorate、自然災害 対策を担当)との間で生じた。この 2 つの局にある高レベルの秘密保持は、 相互の意思疎通を妨げることになった。1993 年には、約 3,000 人の FEMA 職員のうち 1,900 人が機密事項を取扱っていたといわれる。こうした局間の 分裂は、レーガン政権の冷戦時代に最高潮に達し、民間防衛・国家安全保障 に係わる政策課題や事業が優先される一方、国内事業の自然災害対策は軽視 表 1 FEMA の大統領任命職と上院承認委員会 職位(9) 上院所管の委員会 長 官 執行レベルÀ 政府問題 government affairs 副長官 執行レベルÂ 政府問題 連邦保険局長(FIA) 執行レベルÂ 銀行、住宅、都市問題 米国消防庁官(USFA) 執行レベルÂ 商務、科学 補佐官 執行レベルÂ 環境・公共事業 補佐官(NP) 執行レベルÂ 軍事 補佐官外部問題 PASレベルÂ 政府問題 一般監査 政府問題 無任所 GS-18(空白のまま) 出典:NAPA,1993 年,p. 74.
表 2 FEMA 関係の議会の委員会(26) 予 算 割 当 上院 復員軍人省(Veterans Affairs)、住宅都市開発省、 独立機関予算割当小委員会 下院 VA, HUD,& 独立機関予算割当小委員会 民 間 防 衛 上院 軍事サービス、戦略軍小委員会 下院 軍事サービス、軍隊導入小委員会 防 衛 生 産 法 上院 銀行、住宅、都市問題 下院 銀行、住宅、都市問題 経済安定小委員会 エネルギー&商務、商務・消費者・競争小委員会 司法(小委員会なし) 災 害 対 応 ・ 復 興 上院 環境・公共事業、水資源・運輸小委員会、インフラ 下院 公共事業・運輸、水資源小委員会、監督・監査小委 員会 地 震 被 害 減 少 上院 商務、科学、運輸、科学・技術・宇宙小委員会 下院 科学、宇宙、技術、科学小委員会、審査・監督小委 員会 内務・島部 insular、鉱業・天然資源小委員会 緊急食料・避難所 上院 政府問題(小委員会なし) 下院 銀行、財政、都市問題、住宅・都市開発小委員会 消 防 上院 商務、科学、運輸、商務省委員会 下院 科学、宇宙、技術、科学小委員会、審査・監査小委 員会 連 邦 保 険 行 政 上院 銀行、住宅、都市問題、住宅・都市問題小委員会 下院 銀行、住宅、都市問題、政策小委員会、調査研究、 保険 放 射 線 緊 急 準 備 上院 環境・公共事業、原子力規制小委員会 下院 エネルギー・商務、エネルギー・電力小委員会、内 務・島部問題 エネルギー・環境小委員会 CERCLA , HAZMAT , HMTUSA(総合環境・ 危険物・危険物輸送) 上院 環境・公共事業、スーパーファンド小委員会、海 洋・水保護、商務、科学、運輸、陸・海上運輸小委 員会 下院 エネルギー・商務、運輸・危険物資小委員会、公共 事業・運輸、陸海上運輸省委員会 出典:NAPA,1993 年,p. 71.
CERCLA: the Comprehensive Environmental Response, Compensation, and Liability Act HAZMAT:危険物(Hazardous Materials)FEMA は『危険物・WMD、対応、計
画、予防訓練ガイドライン』を発行
されたのである。冷戦終結後も、FEMA はもはや大統領府の注目さえ引か なかった。FEMA は官界で顰蹙をかっていたにもかかわらず、政策作成者 にはその組織的弱点を克服しようとする切迫感は全くなかった。FEMA が 適切に機能していたと見られたのは、1979∼1988 年の大統領緊急事態宣言 でも FEMA の限界能力を超える大災害に至らなかったからである。しかし ながら、1989∼1992 年に出された一連の大統領宣言では、政府対応の不手 際による災害の拡大という批判を招き、FEMA に世間の注目が集まること になった11)。 3. 3 政府再生と FEMA 改革:1992∼2000 年(クリントン政権) 1990年代の前半、なかでも 1992 年 8 月のハリケーン・アンドリューによ る大きな被害(損害額 208 億ドル)の経験から、緊急事態対応における政府 機関の役割と政府間関係を改善するための様々な提案(FEMA の廃止を含 む)が出された。それには、マスメディアだけでなく、NAPA、会計検査院 (US General Accounting Office: GAO)、議会監視委員会、下院の勧告も含ま れていた。FEMA も様々な批判に対して黙っていたわけではなく、連邦政 府に〈指針と指令〉にもとづく改善計画を提出した12)。この連邦対応計画 (FRP)は 1992 年 4 月に策定され、26 の連邦機関と赤十字との間で協定が 結ばれた。FRP では、災害時における連邦資源を調整し動員するための青 写真を提示し、公的組織と市民に対する様々な種類の緊急事態支援をグルー プ化し、機能別領域ごとに指導的な連邦機関を対置させている。さらに、こ の計画は大規模災害時に様々な連邦機関に割り当てられている任務と活動の 詳細な枠組みを提供している。FRP は、特に破局的な事態に対応する全国 政府の役割と責任を詳細に定めたのである。 政権交代とともに、クリントン大統領は、「国家業績評価」(National Perfor-mance Review: NPR)に代表される「政府再生」の下、これらの勧告や計画 に応答するかのように、新政権の戦略的ターゲットとして FEMA の改革に 乗り出した。 「1993 年、クリントン大統領はジェームズ L. ウィットを新 FEMA 長官に
任命した。ウィットは、緊急事態マネージャーの経験をもつ初の長官となっ た。彼は、災害救済と復興活動を合理化し、災害への準備と減災に新たな力 点を置き、職員を顧客サービスに集中させる広範な改革を始めた。また、冷 戦の終了は、ウィットが FEMA の限られた資源を民間防衛体制から災害救 済・復興・緩和の事業により多く向け直すことを可能にした」(www.fema. gov)。 FEMA改革の手本となった 138 頁にわたる NAPA の研究は、その解決方 法を明確化し、国家安全保障から全危険アプローチを用いた国内緊急管理へ とその強調点の移行を助言した。報告書の意味するところは、FEMA の 〈非軍事化〉であり、そうしなければ「その運営は分断されたまま働き続け る危険性」があったのである[Hollis, 2005:4]。1993 年 4 月、FEMA 長官 に就任したウィットは、「あらゆる危険への総合的な緊急事態管理」にリー ダーシップと支援を与えることが FEMA の最優先任務であることを表明し た。これほど明確・直裁に、FEMA の組織的使命を表現したものはなかっ た。こうして FEMA の目指すべき方針が確定されるとウィットは改革を実 施し、FEMA 改革はベストプラクティスとして構造改革の引証基準といわ れるまでになったのである。 まず、彼は議会の批判(上院議員ミクルスキー(歳出予算小委員会議長) や下院議員ウェルディンなど)を沈静化することに成功した。ミクルスキー は、NAPA 勧告を焼き直した法案を提出したが、ウィットは、その法案を 否定も肯定もしなかった。そこには明らかにウィットに対抗する部分も見ら れた(例えば、FEMA の政治的任命職の削減、FEMA 機能の国防総省への 継続的移管、大統領府の国内危機監視局の設置など)が、結果的には廃案と なった。しかし、1993 年 11 月以降、ウィットはこの法案の条項に盛られて いた幾つもの項目を採用することによって組織改革を進めた。組織内のコミ ュニケーション、なかでも国家準備局と州・地方事業支援局との関係を改善 し、職種による縄張り意識を撤廃することによって FEMA 内の一体化が図 られ、その過程で今まで顔を合わせたこともない職員が出てきたともいわれ る[ウィット&モーガン,2003]。
また、顧客志向のサービス・情報提供や事業評価によって、議会や選挙民 との関係を改善することも職員の士気を高めることに結びついた。さらに、 大統領が災害宣言をする前に対応を始動できるように法解釈の見直しが行わ れ、柔軟に対応できるように改められた。それまで、官僚自身が作成した規 則と先例主義が自らを縛っていたのである[ウィット&モーガン,2003]。 こうして短期間に FEMA は、能力の低い政府組織から効果的な緊急事態管 理組織へと変容した。1993 年ミシシッピー川の中西部大洪水、1994 年カリ フォルニアのノースリッジ大地震、1995 年オクラホマシティのビル爆破事 件などでは改革の成果が発揮され、FEMA の活動に対して世論やメディ アも好意的な評価を下すことになった[Wamsley and Schroeder, 1996:245)。
顧客指向に基づく改革の効果は、FEMA の『年次個別援助調査』(Annual Individual Assistance Surveys)でも示され、1996 年ヴァージニアでの「国家 緊急管理協会」の挨拶で、ウィット長官は FEMA の顧客サービスが 80% の 支持を得たと報告し、1998 年には 85% になったとインタビューに答えた。 1999−2002年の 4 年間における支持率の傾向を見ると、FEMA の事業に対す る支持は 1998 年の 85% から安定的に推移し、2001 年の財政年度後には 91 %の最高値となった。これらの数字と 1979−1998 年の支持率の比較評価は できないが、明らかなことは FEMA が 9.11 での救援活動によって最高の支 持率を得たことは確かである。なぜなら、FEMA 設置以来の最大の被害額 と最も衝撃的な事件といわれる 9.11 後も連邦政府の災害対応策をリードす ることになり、GAO の報告書によれば、FEMA は 88 億ドルの災害援助を NY市に提供し続け、それは連邦政府の援助総額の 43% に当たるとされて いる[GAO, 2003b]。こうして、GAO、議会、世論の全てが、FEMA の能力 の改善と向上を認め、前例のない災害に適切に対応したと確信していたので ある[Hollis, 2005:7]。 3. 4 9.11対応と政策変更:2001∼2006 年(ブッシュ政権) 2001年 2 月、ブッシュ政権の発足とともに、大 統 領 は FEMA 長 官 に ジョー・オールボーを任命した。同年 5 月 8 日、ブッシュ大統領は、国防総
省、保健福祉省、司法省、エネルギー省、環境保護局、その他の連邦政府機 関での「大量破壊兵器の管理を取り扱う全連邦事業」の責任者にチェイニー 副大統領を任命した。この事業にはテロを含むあらゆる緊急事態や災害に対 応するための能力の構築に必要な計画、研修、装備、訓練が含まれ、州・地 方政府と密接に連絡を取りあって「最大限の効果」を発揮するため、完全な までの統合・調和・包括性が必要とされた。こうして、FEMA 内に「国家 準備室」(the Office of National Preparedness: ONP、いわゆるテロ対策室)が 設置された13)。また、オールボー長官は 1997 年に司法省に設立されていた
「国内準備室」(the Office of Domestic Preparedness: ODP、テロ対策費を配 分)を吸収し、9.11 後に新たに創られた一連の緊急事態資金(地方への補助 金含む)の監督権限を FEMA に取り込もうとした。 9.11への FEMA の対応 が 示 す よ う に 、 そ れ ま で 非 軍 事 化 さ れ て い た FEMAは、ここ 50 年の米国に対する最大のテロ犯罪に効果的に対応した。 ウィットのもとで構築された構造的調整は、2000 年の政権交代でも暫くは 機能し続けることができた。なぜなら、国家安全保障・民間防衛中心の路線 よりも総合的・包括的な緊急管理に対する〈全危険アプローチ〉が、FEMA 成功の不可欠な要素と認識されていたからである。つまり、このアプローチ は、新任のオールボー長官のもとでも、任務作業を遂行する方法としてブッ シュ政権で暫定的にせよ確保されていたのである[Hollis, 2005:7]。 9.11直後の 10 月 8 日、大統領令 13228 によって、「テロの脅威・攻撃から 米国を防衛するための国家戦略を策定し実施するため」、大統領府に「国土 安全保障室」(the Office of Homeland Security: OHS)が設置された。ONP は 新設の OHS と協力して調整活動を行うことになり、ここに FEMA は初め て緊急事態対応官が大量破壊兵器に対処するための訓練と装備確保を支援す ることになった。だが、こうした FEMA の任務の重点変化は、2002 年に入 りすぐに持ち上がった DHS 構想の問題点にもなった。なぜなら、2002 年 9 月、GAO は『危険の軽減──FEMAの多元的危険軽減事業への変更提案が 示す難題』という報告書を提出したからである。 「9.11 以後のテロ対策の強調により、FEMA が DHS へ移管されるなら
ば、軽減と自然災害の重視が弱くなるかもしれない。元 FEMA 長官のよう な移管反対者は、仮に本来は国土安全保障問題に専念すべき大規模省に FEMAが再配置されることになれば、国土安全保障と関係のない活動は追 いやられるであろう。反対者が言いたいのは、そうした機能を専ら担う行政 機関の資源がすでに国土安全保障の任務に移転されており、さらにそれが続 けられることになれば、国家安全保障活動以外の分野での連邦の能力は後退 する、ということである」[GAO-02-1035, 2002]。 また、会計検査院長は、議会において、「巨大な圧力の下に置かれること になる新省に包摂されるとき、FEMA のような行政機関の非安全保障機能 は、適切な資金源、注目、可視性、支持が得られる……ようにケアされる」 必要があると発言していた[GAO, 2002a]。事実、FEMA の 2003 年財政年 度の予算要求額は 67 億ドルになり、2002 年度の約 3 倍にもなっていたが、 その最大分(35 億ドル)は州・ 地 方 の テ ロ 対 策 に 配 分 さ れ た の で あ る [GAO, 2003]。GAO の報告書が強調するように、自然災害の影響を軽減す る諸施策(橋や建物の構造強化という改善や洪水保険契約者数の増加)に使 われる費用と違い、テロ関連の危険軽減資金の効果は不明であった。FEMA の職員は、テロ軽減のための費用便益法の開発が、事件の可能性を計算する のに利用できるデータがないことから容易でないこと、そして、予算の大半 をテロ軽減事業の資金に当てるにしてもその効果に問題があることを予見し ていた[GAO, 2002b]。換言すれば、FEMA 移管批判者の懸念とは、ウィッ トによる FEMA 再生が国家安全保障から国内緊急対応への政策転換であっ たことから、DHS への統合による〈FEMA の再軍事化〉はその有効性を再 び奪うという恐れであった。軍事化と国家安全保障への責任拡大が、自然災 害対応という FEMA の中核任務を犠牲にするであろうことを FEMA の職員 達は気付いていたようである14)。 国土安全保障法(公法 107−296 号)は、2002 年 7 月 26 日に下院(賛成 295、反対 132)で、11 月 19 日に上院〈賛成 90、反対 9〉で可決され、同月 25日にはブッシュ大統領が同法に署名し、DHS 設置法が発効した。こうし て、FEMA は、災害に対する「全危険」アプローチを自然災害ではなく主
表 3 DHS と移管された部局(2003 年 3 月発足当初) 国土安全保障省DHS 部門 担当業務 組み入れられる組織 旧所管省庁 予算(100万ドル)職員数(人) 国境警備・ 輸送安全 主要国境の 警備 交通輸送機 関の安全確 保 税関 財務省 3,796 21,743 連邦保護局 共通役務庁 418 1,408 入国管理局 司法省 6,416 39,459 動植物検疫部 農務省 1,137 8,620 運輸安全局 運輸省 4,800 41,300 応急対応・ 準備・復旧 緊急事態へ の準備・訓 練 緊急事態発 生時の関係 機関連絡調 整 連邦危機管理庁(FEMA)FEMA 6,174 5,135 国内事案緊急援助チーム 司法省 − − 国家対処準備室 司法省(FBI) 2 15 放射線事案対処チーム エネルギー省 91 − 戦略的国家備蓄・国家 災害医療システム 保健福祉省 1,993 150 エネルギー安全・安定 プログラム エネルギー省 − − 科学・技術 大量破壊兵 器によるテ ロの脅威へ の準備・対 応の指揮 プラム島動物疾病セン ター 農務省 25 124 環境観測研究所 エネルギー省 1,188 324 生物・化学・放射線・核 対策プログラム エネルギー省 2,104 150 国家生物戦防衛分析セ ンター 国防総省 420 − 情報分析・ 社会基盤保 護 各連邦機関 が入手した 国土安全情 報の分析 連邦コンピューター事 故対応センター 共通役務省 11 23 国家社会基盤保護セン ター 司法省(FBI) 151 795 インフラ設 備 ( サ イ バーインフ ラを含む) の安全性の 向上 国家通信システム 国防総省 155 91 国 家 社 会 基 盤 シ ミ ュ レーション・分析セン ター部 エネルギー省 20 2 重要社会基盤安定室 商務省 27 65 シ ークレッ ト・サービス 要人警護 シークレット・サービ ス 財務省 1,248 6,111 沿岸警備 領域警備 沿岸警備隊 運輸省 7,274 43,639 合計 37,450 169,154 出典:「米国連邦政府危機管理組織再編後の運用実態と課題(1)」『季刊・消防科学 と情報』NO. 74、2003 年・秋号から
に国土安全保障問題に向けることになった。それは FEMA の基本政策およ びその使命の根本的な変更といってよく、それまで FEMA の活動は、自然 災害 99%、国家安全保障 1% といわれるほど自然災害対策を重視する方針 をとってきたからである[茂木,2005:7]。2003 年 3 月に、FEMA は他の 22の連邦機関・プログラム・オフィスと合流し、国土安全保障省となった (表 3、参照)。トム・リッジを長官とする新省は、緊急事態と災害──自然 と人為の双方の──から国家安全保障に至るまでのアプローチを再調整する ことになった。そして FEMA は、副長官から長官になったブラウンの下 で、2004 年の最悪といわれるハリケーンシーズンにおける対応の一部失敗 と 2005 年のハリケーン・カトリーナによる破局を迎えることになる。
4
行政改革と FEMA
FEMA の設置以降、米国政府(州・地方を含む)の緊急事態管理政策は 絶えず変化してきた。FEMA は、設立当初から基本的に〈自然災害重視の 全危険アプローチ〉を採用してきたものの、時の政権とトップリーダーの政 策、そして、FEMA の組織環境である政治構造そのものが FEMA の対応と スタンスに影響を与えてきた。政策の重点が自然災害に振られれば緊急事態 管理はそれなりに成果を上げたと評価され、反対に国家安全保障に傾けば破 局的災害を被むりその批判の矢面には FEMA が常に立たされるという構図 が繰り返されてきたのである。そこで以下に、二つの政権での FEMA をめ ぐる行政改革の実施過程とその政策結果に言及し、こうした構図が生み出さ れる政治−行政構造を明らかにすることにしよう。 4. 1 クリントン政権における政府再生・国家業績評価 NPR と FEMA 改革 4. 1. 1 ウィット改革 クリントン政権における NPR の前提は、「政府再生」に示されるよう に、破綻した政府システムの「修復」にあった。それは、政府の活動、運営 の仕方、活動の社会への影響を再検討する時期が到来したことを宣言し、再生運動の一般的な目的が誰にも受け入れられる〈政府を低費用でより良く働 かせる〉ことに置かれた[NPR, 1993]。当初、こうした目的を達成する特 定の管理的・組織的な改革には、ほとんど関心が払われなかった。多くの行 動計画が政府再生戦略の一部として認知されてはいたものの、それらは政府 能力の改善や公共サービス活動の再考・再生・再焦点化の単なる「表明」に 過ぎなかった。そうしたなかで、緊急事態管理システムの改革は、最も人気 がありかつ期待の大きな戦略対象となった。多くの〈再生原則〉が災害対応 システムに組み込まれている多様な行政組織とその実務に適用され、改革努 力の大半が FEMA に向けられたのである[GAO, 1993b]。 その象徴的な出来事は、1993 年 4 月にクリントン大統領が知事時代の部 下でありアーカンソー州の緊急事態管理庁(State Emergency Management Agency: SEMA)の専門官であったウィットを FEMA 長官に任命したことで あった(そのトップスタッフ達は FEMA 地域事務所の出身者であった)。そ して、1996 年には長官の地位は、直接大統領に報告義務を負う閣僚レベル に引き上げられた15)。もちろん、政府再生アプローチは、最近注目されてい る自然災害研究における被害者や現地の重視と同様の概念を使っているわけ ではない。しかし、いずれも同じ決定的なポイント、すなわち公行政はその 顧客のニーズに気を使わねばならないことを強調している。政府再生アプ ローチに従えば、政府機関は市民に対してより〈説明可能かつ応答的〉であ るように再構築・再編されなければならなく、FEMA 改革はその実現過程 そのものであった。 FEMAの再生は、ウィットが長官に就任すると直ちに始まった。すでに 見たように、ウィットは、「あらゆる危険への総合的な緊急事態管理」(全危 険アプローチ)にリーダーシップと支援を与えることを FEMA の最優先任 務に置いて改革を実施した。最初に、ウィットは FEMA の組織的・構造的 な変更を行った。いくつかの行政単位が新設され、既存の組織事務も統合さ れ、任務と責任が各事業分野に移管された。さらに、連邦救援チーム、つま り 4 時間以内にいかなる出来事に対しても展開できる新たな「素早い対応部 隊」が FEMA 内に設置された。その目的は、各部署・事務所・部隊の特定
機能を明確化し、組織全体を横断する事業調整を促進し、機関の速やかな対 応能力を改善することであった16)。 つぎに、ウィットは FEMA の日常的な展開を可能にする戦略的諸目標を 確認した。その最も重要なものは、全政府レベルおよび公私部門を横断す る、より強力な緊急事態管理の枠組みの構築であった(それは FEMA 設置 以来の目標であったが、掛け声倒れでそれまで実現したことはなかった)。 FEMAの主な任務は、他の行政機関が提供する諸資源を交通整理する「特 別媒介機関」(conduit)として活動することにある。FEMA 高官達は、これ まで他の行政機関が協力するという仮定のもとで活動したが、今では緊急事 態管理分野で先見的な行動をする地位にいなければならないと認識するに 至った。こうして FEMA は、中小企業庁、運輸省、保健福祉省(Department of Health and Human Services: DHHS)といった他省庁との作業関係を強化 し、州・地方の緊急事態管理運営への資金と支援を強化し、被災地域の政府 とビジネス界との強力な公私パートナーシップの構築を行ったのである。 さらに、ウィットは FEMA の公共サービス機能を強化した。FEMA は自 然災害に関する正確で時機を得た情報を市民に提供する責任があり、市民が 適切な支援態勢を整えることができるように手助けするだけでなく、災害援 助を受けるにはどこに行けばよいのかを被災者に知らせる責務を負ってい る。ウィット長官は、この分野での FEMA の役割を強調し、緊急事態の現 実に敏感になるような公的情報の提供キャンペーンに一層の重点を置いた。 それは災害支援の給付と提供を促すコンピュータ処理を活用し、(1)災害に 備える市民、(2)災害時における政府支援の利用の保障、(3)直接的な財政 援助の実施の強化、を目的にしていた。 最後に、ウィットは、FEMA 職員の「地位強化」を試みた。彼は組織内 に欠けていた献身と自己信頼の新たな感覚を浸透させようとした。職員の士 気の低下には、いくつか要因がある。まず、連邦政府内での FEMA の器量 が常に問題であった。既述のように、連邦省庁のなかでも FEMA の規模は 非常に小さく、少ない運営予算と地方事務所勤務の職員を含め僅か数千人の 常勤職員がいるに過ぎない。多くの他の行政機関と比べても、FEMA は議
会の多種多様な委員会・小委員会に報告しなければならない。したがって、 FEMA の活動は、常に審査され、細かく調査され、評価されている。それ に加え、FEMA は内部リーダーシップの問題に悩まされ続けてきた。1989 年から 1993 年まで長官不在であったし、政治的任命職のごみ捨て場となっ ていた。FEMA 職員の士気は低く、FEMA への批判はそれをさらに悪化さ せた。ある議員は、FEMA 職員の多くが官僚バカだと発言したといわれて いる。ウィット改革は、こうしたイメージだけでなく、職員の態度を変える ことをデザインしていた。責任感と義務感の付与による職員の士気の強化 は、連邦政府の災害救援活動に不可欠な部局に FEMA を変身させ、一般公 衆の目から見ても FEMA の評判を高めたのである。 要するに、ウィットは FEMA の本来の任務に再び焦点を当てることでそ の地位を強化し、消費者指向、運用の合理化、公私組織との強力な関係の開 発、能力の指標設定、職員間の団結心の惹起を試みた。こうした考えは、全 て政府再生運動の原則から直接引き出されたものであり、それは自然災害に おける政府能力の改善を目指した改革パッケージを示している。 FEMAを変質させた政府再生アプローチには、明らかに強みがあった。 第 1 に、政府再生の本質は漸増的な改革手法であり、既存の制度・構造の枠 組みの上に構築されるため、既存の応答体系を壊して新機軸を創出する必要 がなかった。つまり、FEMA は、多くの災害状態ですでに成功してきた技 術的専門技能、運用手続き、組織関係を利用することができる。このこと は、政策作成者がシステム改善の問題にもっぱら集中する余地を残すことに なる。第 2 に、政府改革戦略は、政治的にも有利であった。政府再生運動 は、明らかにクリントン大統領の積極的な支持があり、ゴア副大統領が率い る NPR 機動部隊が設立された。この大統領委員会は、政府再生運動の中心 的考え方を布教しようとしたのであり、実際に FEMA が行ったように、政 府再生原則を展開した連邦機関は大統領からの政治的支持を得ることができ た。このことは、前のレーガン・ブッシュ政権の下で冷遇されていた行政機 関の命運とは雲泥の差がある。第 3 に、政府再生アプローチは、政府活動と 市民の反応との結びつきを強調する唯一のアプローチである。とりわけ政府
の災害対応では、政府運営と市民行動との一致の程度が決定的に重要である ことを示している。 4. 1. 2 ウィット改革の成果 では、FEMA 改革が、現実の災害対応に具体的にどう生かされたのであ ろうか。改革前と改革中・後の対応について、幾つかの事例を取り上げてそ の効果を対比させてみよう。緊急事態への対応過程においては、基本的に公 的組織が、公正なルーティンと能率的な方法によって、その管理を行うこと になっているが、80 年代後半と 90 年代初期の幾つかの大災害への対応では それが必ずしも適切に働かなかったといわれている。 〈FEMA 再生前の例〉 1989年 9 月 18 日、ハリケーン・ヒューゴがヴァージン諸島を、翌日には プエルトリコを襲い、死者 18 人、数千人のホームレス、10 億ドルの損害 をもたらした。政府資源の投入が必要とされたが、島の状況は政府の救援活 動を極めて困難にしていた。被災者は孤立し、最悪の被害地域では略奪と暴 動が起こった。ことを一層複雑にしたのは、地方当局が米国本土との連絡だ けでなく相互にコミュニケーションが取れなかったため、州・地方の緊急事 態管理機関はルーティンの政策と手続きに基づく災害支援を確立できず、連 邦政府が直接介入して緊急事態に対応した。このトップダウンによる介入 は、政府の救援活動の中心に位置する FEMA が設定し、個人、家族、ビジ ネスの災害復興・支援を可能にした。しかし、初期対応に遅れた政府は非効 率で混乱状態にあるというイメージが先行してしまったことから、FEMA の活動は影が薄くなった。政府はこの災害状態に準備ができていないと見な され、結果的にヒューゴへの政府対応は、公衆の目からすれば、明らかに失 敗と映ったのである。 ヒューゴは、同月 22 日に米国本土を襲い、サウスキャロライナのチャー ルストンと州の中心部を破壊した。数千人が避難場所、食料、水、電気、下 水もなく、家屋、道路、橋、埠頭は破壊され、木々が根こそぎ倒された。再 度、政府資源の投入が必要であった。全政府レベルの緊急事態管理職員は、 ヒューゴの上陸前に対応措置を完了してはいたが、救援活動の調整と統合が
されていなかった。そのうえ、政府の政策と手続きが、大災害や孤立した被 災地には不適切なもので、災害支援は遅く非効率であった。それは政府対応 への強い批判を生み、全国的に政府(とくに連邦)の災害救援活動はサウス キャロライナで失敗したと見られた。FEMA が批判を受け、ヒューゴでな く FEMA が本当の災害だと言われた。最終的に、この事が長く政府の準備 不足と無能力という印象を人々に与えることになった。 1992年 8 月、ハリケーン・アンドリューがマイアミの南 35 マイルの沿岸 数郡を襲い、少なくとも 30 人の死者、17 万 5 千人の避難民、150 万世帯の 停電被害をもたらした。南フロリダの損失は 200 億ドルに達し、最大の損害 をもたらす自然災害となった。救援と復興を措置する政府の責任は、全資源 を動員し、組織化し、輸送することであったが、そのシステムが十分準備さ れていなかった。多くの公的組織が対応できず、民間組織も遅く非効率で あった。事態の悪化を招いたのは、どの救援活動もほとんど調整がされてい ないと思われたことであった。多くの被災者は、自力救済を試み、政府には 期待できないと感じていた。連邦政府は、この状況を打開するため、標準的 な活動手続きの多くを変更したが、むしろ事態を悪化させた。それは秩序 だって行なわれず、政策実施システムを混乱させ、政府活動に対する大きな 非難を浴びることになった。連邦政府は、災害対応システムの貧弱な能力し かないと非難され、州・地方政府も完全にお手上げ状態であった。連邦政府 だけがこの大規模災害に対処できる資源と権限をもっていたが、不幸にして FEMA はこの災害に緊急にかつ効果的に対応できなかったし、しようとも しなかった。再度、ハリケーンではなく FEMA が本当の災害だといわれ、 結果的に政府全体の対応はひどい失敗と見なされたのである。 〈FEMA 再生後の例〉 上記の失敗に対して、政府の災害対応システムを改善するための提案や勧 告が数多く出された。なかでも FRP は、FEMA 改革に直接焦点を当て、全 レベルの政府対応システムを改善する一連の管理・組織的な行動計画といっ てもよかった。FEMA 再生後、FRP をもとに FEMA が大規模自然災害にど のように対応したかを見ることにする。
1993年 4 月 1 日から 7 月 31 日まで、平年の 10 倍の雨が中部に降り、そ の降雨量はミシシッピー川とミズーリ川を溢れさせ、9 つの州で洪水が起き た。ミネソタから南東ミズーリまでの農村地帯は完全に浸水し、数百の道 路、堤防、ダムが水に流され、数千人の住民が家や農地を追われた。この大 洪水は、40 人の死者、100∼150 億ドルの損害をもたらした。その対応過程 は、基本的に地方レベルで始まり、手順の上でも方法的にも州を通り、最終 的に連邦政府に達した。地方政府は、住民の避難、洪水地域へのアクセスの 規制、洪水増加の防止に集中した。州の職員は、地方の境界線上の活動を調 整し、州の資源を被災地に送った。FEMA 派遣の職員は、最初から〈技術 的な援助と支援の提供〉の責任に専心し、州・地方当局の手に負えないこと が明らかになるまで、対応・復興過程に直接加わることはなかった。それら に参加した時でさえ、FEMA 職員は救援活動を引継いだだけで、下位レベ ルの政府職員の活動に取って代ることはなかった。むしろ彼らは支援能力の 範囲内で活動し、州・地方の緊急事態管理職員と一緒になって被災状況を調 査し、被災地に資源を送る働きをした。結果的に、FEMA は災害状態時に 責任とリーダーシップで称賛を受け、全体的にみて政府の救援努力は適切に 運ばれることになった。被災住民も政府職員もこれらの基準に基づいて行動 したことによって、復興努力は非常に成功したと見られた。 1994年 1 月 17 日午前 4 時 21 分、地震がロスアンジェルスを襲った。主 なフリーウェイ、橋、ビル、水道管は破壊され、電線は引きちぎられた。ガ ス管が破れ、それが引火して火災を起こした。資産、ビル、道路、などの被 害は、300 億ドル以上と推定された。61 人が死亡し数百人以上が負傷した。 政府間対応システムが直ちに始動し、まず地方の災害準備計画が働き、担当 職員は最重要問題に向け活動を始めた。州の職員は、州レベルでの援助を動 員し、地方の活動と調整を進めた。連邦政府の資源と援助が必要なことは誰 の目にも明らかであった。地方、州、連邦の職員は、連邦の緊急事態対応過 程を効果的なものにするために密接に連絡を取り一緒に働いた。数時間以内 に、最大の被害地域が甚大災害宣言を受け、FEMA は救援活動を動員し調 整する権限を与えられた[GAO, 1994]。FEMA は速やかに対応し、被災住
民にサービス、手続き、任務を伝え、様々な公私組織からの支援給付を調整 する役割を果たした。FEMA は、標準的な運用手続きと官僚的なレッド テープとは無縁であり、支援を必要とする市民を救助することに関心が向け られた。つまり、FEMA 職員は州・地方の職員と救援活動を通して共に働 くことにより、政府間災害救援の調整役として有効な役割を果たした。結果 的に、FEMA のリーダーシップは、救援活動全体に直接的な影響をもつこ とになり、ロスアンジェルス地震での政府対応はほとんど非難を受けること なく、救援活動は広く成功と見られた。 1997年 3 月の最初の週、悪天候がテキサスと中部を席巻した。その結果 生じた嵐が竜巻を引き起し、コミュニティを破壊し、数百人の負傷者を出 し、アーカンソーでは 23 人が死亡した。その嵐は大量の雨を降らし、オハ イオ川渓谷沿い 12 州以上の地域で最悪の洪水が記録された。数千人の住民 が避難し、数百の家屋とビジネスが破壊され、29 人が死亡した。この天候 は、数百億ドルの資産の損失をもたらした。全政府レベルの緊急事態管理機 関は、迅速かつ効果的に対応した。地方と州の職員は厳しい状況を直ちに検 討し、利用可能な資源を組織的に展開した。しかし、全体の過程が完璧に働 いたわけではなく、このシステムにも問題と破綻があった。ある地域では、 洪水が極めて急激に生じたため、地方の緊急事態管理職員はそれを予測でき ず、担当地域に警告を出せなかった。市民は危険な状況を知ることができず に、避難を拒否した市民もいた。しかし、州と地方の職員は、前もって確立 された枠組みの内で働くことに集中し、連邦政府も被災者のニーズや問題に 大きな気配りをし、被災地への支援と技術援助の提供に集中した。手始め に、連邦職員は避難勧告、洪水調節政策、ゴア副大統領の洪水地帯への慰 問、を行った。数日して、大統領は竜巻と洪水が大災害であることを宣言 し、連邦補助金を 12 州の個人やビジネスが利用できる措置をとった。FEMA は、全体的な対応過程に責任を持つ地位に置かれた。復興過程でも竜巻・洪 水地域への援助に重要な役割を果たし、多数の被害評価報告書を認定し、数 千軒の仮設住宅の建設や軽度被害住宅の修理費を支払った。FEMA は、ま た、カウンティ単位の被害をカバーできるように連邦補助の拡大にも対応し