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「
戦後 総 決算 」 の一考 察
中曽根時代 とその後
初 瀬 龍 平
は じめ に
「戦 後 総 決 算 」 と は 、 第2次 大 戦 後 の 日本 の 政 治 ・外 交 ・社 会 の や り方 の 総 体 を 見 直 そ う と す る 政 治 的 意 思 ・政 策 を 指 す 言 葉 で あ る 。 「戦 後 総 決 算 」 を代 表 す る の は 、 中 曽 根 康 弘 首 相(1982年11月 ∼87年11月)の 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」 で あ る 。 し か し、 こ の 言 葉 を 最 初 に 用 い た の は 、1971年 の 自民 党 有 力 政 治 家 ・大 平 正 芳(の ち の 首 相1978年12月 ∼80年6月)の 「戦 後 の 総 決 算 」 で あ る 。 中 曽 根 の25年 後 に は 、安 倍 晋 三 首 相(2006年9月 ∼07年9月)が 「戦 後 レ ジ ー ム か ら の 脱 却 」 を 提 唱 して い る 。 同 じ 「戦 後 総 決 算 」 と い っ て も、 「戦 後 」 の と ら え 方 が 、 一 様 で あ る 訳 で は な い 。 大 平 と 中 曽 根 の 間 に は 、 違 い が あ り、 中 曽 根 と安 倍 の 間 に も、 違 い が あ る 。 し か し、こ の3人 に 共 通 して い る 面 も あ る 。 本 論 で は 、中 曽 根 の 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」 を 中 核 に お き な が ら、1970年 代 後 半 か ら2000年 代 に い た る 時 間 幅 で 、「戦 後 総 決 算 」 の 展 開 に つ い て 分 析 し て い く 。 そ の な か で 、「戦 前 」・ 「戦 後 」 の と ら え 方 や 、 そ れ ぞ れ の 政 策 に 関 連 して 、 ど の よ う な 面 で 共 通 性 が あ り、 ど の よ う な 面 で 相 違 点 が あ る の か 、 ま た 、 そ れ ら の 時 代 的 背 景 や 世 代 間 の 差 異 に も注 目 す る 。 こ の 作 業 を 通 じ て 、 「戦 後 総 決 算 」 の 時 代 性 と歴 史 性 を 明 ら か に し た い 。 以 下 、 第 一 に 「戦 後 」 の 原 点 と 「戦 後 総 決 算 」 の 関 係 、 第 二 に1970年 代 の 「戦 後 の 総 決 算 」、第 三 に1980年 代 の 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」、第 四 に 「戦 後 レ ジ ー ム か ら の 脱 却 」 な ど、1990年 代 以 降 の 展 開 を 整 理 す る 。 最 後 に 、 全 体 の 議 論28 京 女法 学 第1号 表1 「戦後 総決 算」 の歴 史 的背 景 戦後総決算 封 印 ・埋 め込 み 国内政治 外交 経済 ナ シ ョナ リズ ム 戦後総決算 日本国憲法(占領政策) 東京裁判(占領政策) 平和条約(占領政策) 政治体制 憲 法 改 正 ・政 府 憲法 改正 ・保 守政 治家 護憲 教育基本法 ネオリベ ラル ・国 内 国際政治 ア ジア国際政 治 ア ジア政治 外交 安全保障 集団的自衛権 ・政府 異論 国際連合 国際経済 日本経済 対外経済 ネオリベ ラル ・対 米 国民生活 ナ シ ョナ リズ ム 靖 国参拝 歴史認識 教科書 問題 東京裁判 パル判決 入管体制 国際化 1950∼60年 代 もはや戦後で はない 1970年 代 戦後 総 決 算 ・大 平(=吉 田+民 主 主 義) 国 民 主 権 と、 平 和 主 義 と、 象 徴 天 皇 制 と、 平 和 条 約 と、 占領政治脱却、55年 体制の成立 改憲 と護憲 鳩 山 内 閣 、 自民 党 保 守本流、非武装中立 終戦か ら冷戦へ 朝鮮戦争 独 裁体制 新 旧 日米 安 保(反 ソ ・中)、 日 韓 基 本 条 約 吉 田路線 否定 国連加盟へ 経済復興 貧窮 うれ うべ き教科書 吉 田 ・裁 判 支 持 批 判1962年 に 神話化 旧植民地人 ・国籍剥奪 55年 体 制 護憲 保 守本流、非武装 中立 小 さい 政 府 ・大 平 米 中 和 解 、 日中 国 交 回復 、 中 ソ対 決 ベ トナム戦争 開発独裁、権 威主義体 制、韓 国民族 主義 日米 安 保(反 ソ)、 日中 国交 回 復 吉 田 ドク トリン 非武装中立 非核三原則 否定 ア ジア ニ ー ズ 所得倍増 日米経済摩擦 大東亜戦争肯 定論 家永裁判 ・杉本判決 くす ぶ る批 判 old comers (出所)筆 者作成
「戦後 総 決算」 の 一考 察(初 瀬) 29 1980年 代 戦 後 政 治 の 総 決 算 ・中曽 根(e反 吉 田) 1990年 代 2000年 代 戦 後 レ ジー ム脱 却 ・安 部 埋 め込 まれた排外 主義 埋 め込 まれた自衛権 封 じ込 まれた東 京裁判批判(戦 争肯定論) 残 された領土確定 55年 体 制 公式 には否定 中曽根 保守本 流、非武装 中立 中曽根/改 正理念 中 曽根 の 臨 調 ・民 営 化 ・労 組 潰 し 新冷戦 イ ン ドシナ 問 題 民主化、 天安門事件 対 米 軍 事 協 力 、 政 治 大 国 、 国 際 責 任 論 、 日 韓 経 済 協 力 、 日 中 友 好21世 紀 委 員会 中 曽 根 の 対 米 軍 事 協 力 ・1%枠 撤 廃 ・ペ ル シ ャ湾 掃 海 艇 断 念 否定 中 曽根 敵国条項 削除の狙 い プ ラ ザ合 意 、 円 高 不 況 経 済 大 国 、Japan as No.1、 空 洞 化 前 川 レポ ー ト、 日米 構 造 協 議 、 海 外 直 接 投 資 MOSS協 議 経済大 国/中 流意識 中 曽根 の 伝 統 的 ナ シ ョナ リス ト ・単 一 民 族 論 中 曽 根 ・1回 の み で 中止 中曽根 のア ジア侵 略認定 ・近隣諸 国 条項 第1次 ・第2次 で 外 交 的 解 決 、 保 守 派 の教 科 書 、 藤 尾 文相 罷 免 批判 の明瞭化、中曽根 はパス new comers 中 曽 根 の 国 際 国 家 ・留 学 生 ・日文 研 、 外 国 人 人 権 、 指 紋 押 捺 55年 体 制 の崩 壊、連 立政 権、 社会 党消滅 、連合の成立 公式 には否定 中 曽根 保守本流 、非武装主義 冷 戦 終 焉 、 グ ロ ーバ ル 化 、 国 際協 調 ア ジア国民国家体系 中 国 ナ シ ョナ リズ ム 樋 ロ レポ ー ト、 日米 安 保 再 定 義 、 国 際 貢 献 論 安保再定義 PKO参 加 否定 バ ブル経済 空洞化 日米構造協 議 国 旗 ・国歌 法 細 川 ・河 野 ・村 山 発 言 、 国 内 政 治 問 題 自由主義史 観、国 内強 硬派の政治集 団化 批判派の政 治勢力化 90年 改正 多文化共生 、外国人労働 者、地方参 政権 二大政党 国民投票法 中 曽 根 、 小 泉 、 安 倍 旧保 守 本 流 、 連 合 、9条 の 会 安倍/改 正実 行 小泉の郵政民営化 グ ロー バ ル 化 、 反 テ ロ戦 争 、 力 支 配 の 世 界 ア メ リ 東アジア共同体論 北朝鮮問題 自衛隊イ ラク派遣 否 定 安倍 常任理 事国入 りの狙 い 中国の経済大国化 バ ブル崩壊 金融の 自由化 金 融の 自由化 格 差社会 安 倍 の 保 守 的 ナ シ ョナ リス ト、 国 内 外 の ナ シ ョナ リズ ム対 立 小 泉 強 行 、 安 倍 取 り や め 安 倍 「そ の 時 代 の 国 民 の 目 で 」・ア ジ ア 解 放 教 科書の 日韓 ・日中共同研 究 安倍/批 判派勢 力 安倍/遺 族訪問 安倍/三 都主、多文化 共生
30 京女 法学 第1号 を総 括 す る(表1「 『戦 後 総 決 算 』 の歴 史 的背 景 」 参 照)。 1 「戦 後 」 の 原 点 と 「戦 後 総 決 算 」 戦 後 日本 の 出 発 は 、 連 合 国 の 占領 政 策 、 実 際 に は ア メ リ カ の 占 領 政 策 と、 そ れ に 対 す る 日 本 側 か ら の 微 妙 な 修 正 の も と に 進 め ら れ た 。 新 しい 憲 法(日 本 国 憲 法 、1946年1年11月3日 公 布 、47年5月3日 施 行)は 、 基 本 的 人 権 、 国 民 主 権 、 平 和 主 義 、 象 徴 天 皇 制 を特 色 と して い た 。 東 京 裁 判(46年5月 一 48年11月)は 、 戦 前 日本 の 政 治 指 導 者 ・軍 事 指 導 者 な ど28名 を 「平 和 に 対 す る罪 」、 「通 例 の 戦 争 犯 罪 」、 「人 道 に 対 す る 罪 」 で 裁 く も の で あ っ た 。 少 し後 年 の こ とで あ る が 、対 日平 和 条 約(1951年9月8日 調 印 、52年4月28日 発 効) と 、 そ の 後 の 近 隣 諸 国 と の 平 和 条 約(52年 日華 平 和 条 約 、78年 の 日 中 平 和 友 好 条 約)、 国 交 正 常 化 の 条 約(65年 の 日 韓 基 本 条 約)は 、 日本 を 国 際 社 会 に 復 帰 さ せ る もの で あ っ た 。 い ず れ も、 戦 後 日本 の 民 主 主 義 、 平 和 主 義 、 国 際 協 調 主 義 を 指 向 して い た 。 「戦 後 総 決 算 」 が 問 題 と す る の は 、 一 般 的 に 、 こ れ ら の 戦 後 日本 の 理 念 、 も し く は そ の 運 用 の 仕 方 で あ る 。 そ こ で 、 「戦 後 」(反 戦 ・平 和)の 否 定 は 、 反 射 的 に 「戦 前 」(戦 争 ・侵 略)の 肯 定 と な る 。 し か し、 「戦 後 総 決 算 」 が 、 す べ て の 「戦 後 」を否 定 し て い る の で は な い 。 「戦 後 」も 長 くな っ て い る か ら、 初 期 の 「戦 後 」 と対 立 的 な 「戦 後 」 も生 ま れ て い る 。 「戦 後 総 決 算 」 は 、 日 米 安 保 体 制 と い う 「戦 後 」 や 、 ネ オ ・リ ベ ラ リ ズ ム の 国 内 改 革(小 さ い 政 府) とい う最 近 の 「戦 後 」 を 肯 定 す る こ と に な る 。 と こ ろ で 、 い ま振 り返 っ て み る と 、 平 和 主 義 、 国 民 主 権 、 国 際 協 調 主 義 な ど戦 後 日本 政 治 の 原 点 に は 、 「戦 後 総 決 算 」 へ の 補 助 線 が 、 目立 た な い 形 で 埋 め 込 ま れ て い た(あ る い は 封 じ込 ま れ て い た)(1)。 (1)「埋 め込 む」 「封 じ込 む 」 とい う表 現 は、 「密約 」(日 米 安保 体 制 に伴 う)と は意 味 が異 な る(石 井2010参 照)。 「密約 」 はその存 在 自体が 関係 国民 に隠 されて い るの に対 して、 本論 が注 目す るの は、 公表 、 明記 されて い る こ とにつ い て の、見 逃 されが ち な解釈 の 力 であ る。
「戦 後 総 決 算 」 の 一 考 察(初 瀬) 31 第 一 に 、 日 本 国 憲 法 は 、 前 文 で 平 和 主 義 を 謳 い 、 第9条 で 「戦 争 の 放 棄 と 戦 力 及 び 交 戦 権 の 否 認 」 を 明 記 して い る 。 第9条 第1項 は 「日本 国 民 は 、 正 義 と秩 序 を基 調 と す る 国 際 平 和 を 誠 実 に 希 求 し 、 国 権 の 発 動 た る 戦 争 と、 武 力 に よ る 威 嚇 又 は 武 力 の 行 使 は 、 国 際 紛 争 を解 決 す る 手 段 と し て は 、 永 久 に こ れ を 放 棄 す る 」 と規 定 し、 同 第2項 は 「前 項 の 目的 を 達 す る た め 、 陸 海 空 軍 そ の 他 の 戦 力 は 、 こ れ を 保 持 し な い 。 国 の 交 戦 権 は 、 こ れ を 認 め な い 」 と 規 定 す る 。 問 題 は 、 第2項 の 「前 項 の 目 的 を 達 す る た め 」 と い う但 し書 きで あ る 。 こ れ が あ る こ と に よ っ て 、 「前 項 の 目的 を 達 す る た め で な い 」 戦 力 は 保 持 で き る 、 とい う解 釈 が 生 ま れ る 余 地 、 す な わ ち 自衛 権 の 可 能 性 が 生 ま れ る 。 こ の 但 し 書 き は 、 日本 政 府 原 案 に も な か っ た も の が 、 特 別 委 員 会(芦 田 委 員 会)の 審 議 中 に 付 け 加 え ら れ た も の で あ る(古 関2009、290-304頁)。 平 和 主 義 の な か に 自 衛 権 、 自衛 戦 争 の 可 能 性 が 埋 め 込 ま れ て い た 。 「戦 後 総 決 算 」 で は 、 こ こ の と こ ろ が 肥 大 化 して い く。 第 二 に 、占 領 終 了 後 の 日本 は 、近 隣 諸 国 と の 関 係 で 、台 湾 との 平 和 条 約(1952 年)、 中 国 と の 平 和 友 好 条 約(78年)、 韓 国 と の 国 交 回 復 の 基 本 条 約(65年)で 、 領 土 問 題 を棚 上 げ し た だ け で な く、 戦 前 の 日本 盟 主 意 識 を 引 き ず っ た ま ま 、 相 手 国 の 国 民 の 要 求 や 希 望 を排 除 し歴 史 認 識 問 題 も 回 避 す る形 で 、 交 渉 を 進 め た(和 田1992/川 島 な ど2009/鄭2011/毛 里2006)。 最 終 的 に は 、 日 韓 共 同 コ ミ ュ ニ ケ(1956年6月20日)の 「過 去 の 関 係 は 遺 憾 で あ っ て 、 深 く反 省 して い る 」 と 、 日 中 共 同 声 明(72年9月29日)の 「過 去 に お い て 日本 国 が 戦 争 を 通 じて 中 国 国 民 に 重 大 な 損 害 を 与 え た こ と に つ い て の 責 任 を 痛 感 し、 深 く反 省 す る 」が 、政 府 間 レ ベ ル に お け る 日本 政 府 の 歴 史 認 識 の 公 式 態 度 と な っ た 。 し か し 、 こ の よ う に 、 戦 後 日本 の 国 際 社 会 復 帰 で 重 要 な 条 約 に 、 近 隣…諸 国 と の 「歴 史 認 識 問 題 」 の 芽 が 埋 め 込 ま れ て い た 。 第 三 に 、東 京 裁 判 の 批 判 は 、ア メ リ カ の 占 領 下 で 、封 じ込 ま れ て い た 。 マ ッ カ ー サ ー 総 司 令 官 に よ る 昭 和 天 皇 不 訴 追 の 決 定 も あ っ て 、 日本 国 民 か らす る 裁 判 へ の 関 心 は 薄 く、 批 判 の 目 も 弱 か っ た(Futamura 2008, pp.69-71)。
32 京 女法 学 第1号 し か し、占 領 が 終 わ る と、 こ の 封 印 は 開 か れ る こ と に な る 。 東 京 裁 判 批 判 は 、 「歴 史 認 識 問 題 」 の な か で 強 ま っ て い く。 い ず れ に せ よ 、 東 京 裁 判 の な か に 封 じ込 ま れ た 問 題 が 、 「戦 後 総 決 算 」 で 意 識 的 に 取 り上 げ られ る こ と に な る。 第 四 に 、 日本 国 憲 法 第11条 は 「国 民 は 、 す べ て の 基 本 的 人 権 の 享 有 を 妨 げ ら れ な い 。」 と 規 定 し て い る 。 国 民 と は 、 日本 国 籍 を 有 す る 者(憲 法 第10条 、 お よ び 国 籍 法[1950年7月1日 施 行])で あ る 。 で は 、 外 国 人 、 す な わ ち 日 本 国 籍 を 有 し な い 者 に は 、 基 本 的 人 権 は 、 ど の よ う に 保 障 さ れ る の で あ ろ う か 。 憲 法 制 定 過 程 で 、GHQ(連 合 国 総 司 令 部)案 で は 、「す べ て の 自然 人(All natural persons)は 法 の 前 に 平 等 で あ る 」 と な っ て い た が 、 日本 側 の 審 議 過 程 の な か で 「人 問 の 平 等 」 が 「国 民 の 平 等 」 に 取 り替 え ら れ た(古 関2009、 173頁)。 こ の よ う に み る と、 「国 民 主 権 」 は 外 国 人 排 除 の 可 能 性 を 内 包 す る も の で あ っ た 。 平 和 条 約 発 効 時 で 、 外 国 人 の ほ と ん どが 、 日本 国 籍 を奪 わ れ た 旧 植 民 地 の 人 々(ほ と ん ど が 韓 国 ・朝 鮮 人 、 つ い で 台 湾 人)で あ っ た 。 彼 ら に は 日 本 国 内 で 権 利 と し て の 人 権 の 保 障 が な か っ た 。 こ の こ と は 、 「戦 後 総 決 算 」 の な か で 「国 際 国 家 日本 」 や 国 際 化 の 議 論 に 関 係 し て く る 。 第 五 に 、 対 日平 和 条 約 で あ る 。 こ の サ ン フ ラ ン シ ス コ会 議 に は 、 朝 鮮 、 中 国 は 招 か れ ず 、 ソ 連 は 参 加 し た が 、 署 名 し な か っ た 。 条 約 の な か で 、 日本 が 放 棄 す る こ と に な っ た 、 千 島 列 島 が ど こ か ら ど こ ま で が 明 記 さ れ て い な か っ た 。 竹 島 ・独 島 は 、 韓 国 側 の 強 い 要 請 に も拘 わ らず 、 最 終 的 に 放 棄 先 に は 明 記 さ れ な か っ た 。 ア メ リ カ は 、 千 島 列 島 、 竹 島 ・独 島 で は 、 日本 と相 手 国 の 領 土 紛 争 の 芽 を 残 した ま ま に し て い た(原2005/孫 崎 2011)。 こ の こ と は 、 本 論 で の 「戦 後 総 決 算 」 と は 直 接 に は 関 係 しな い が 、 日本 人 の ナ シ ョナ リ ズ ム を喚 起 す る 契 機 と して 、 「歴 史 認 識 問 題 」 で 触 媒 的 働 き を す る こ と に な る 。 2 「戦 後 の 総 決 算 」-1970年 代 一 「戦 後 総 決 算 」 の さ き が け は 、「神 武 景 気 」 の な か で の1956年 版 『経 済 白 書 』 の 標 語 「も は や 戦 後 で は な い 」 で あ る 。 そ れ は 、 後 年 か ら振 り返 る と、 「敗
「戦 後総 決算 」 の一考 察(初 瀬) 33 北 を 抱 き しめ て 」(ジ ョ ン ・ダ ウ ア ー)の 日 々 か ら離 脱 し 、「国 民 所 得 倍 増 」(池 田 勇 人 首 相 、1960年)へ の 一 歩 と な る も の で あ っ た(Dower 1999/中 村 1993)。 「戦 後 の 総 決 算 」と い う 用 語 を最 初 に 使 っ た の は 、大 平 正 芳 で あ る 。 大 平 は 、 1971年9月 に そ の 率 い る 派 閥 「宏 池 会 」 青 年 研 修 会 で の 講 演 「日本 の 新 世 紀 の 開 幕 」 で 「わ が 国 は 、い ま や 戦 後 の 総 決 算 と も い うべ き転 機 を 迎 え て い る 。 こ れ ま で ひ た す ら 豊 か さ を 求 め て 努 力 して き た が 、 手 に し た 豊 か さ の 中 に は 必 ず し も真 の 幸 福 と生 き が い は 発 見 さ れ て い な い 。 … な りふ りか ま わ ず 経 済 の 海 外 進 出 を 試 み た が 、 ま さ に そ の 進 出 の 激 し さ の 故 に 外 国 の 嫉 視 と抵 抗 を 受 け る よ う に な っ て き た 」 と説 き、 戦 後 日 本 の 経 済 成 長 主 義 に 警 鐘 を 鳴 ら し て い た(大 平1977、97頁)。 大 平 は 、 首 相 就 任 後 の 施 政 方 針 演 説(1979年1月25日)で 、 総 合 的 安 全 保 障(節 度 あ る 自 衛 力 、 日 米 安 保 体 制)、 日米 友 好 関 係 の 維 持 ・強 化 、 市 場 経 済 の 維 持 、 内 需 拡 大 、 政 府 開 発 援 助 、 行 政 の 簡 素 化 、 財 政 再 建 、 日本 型 福 祉 社 会(家 庭 基 盤 の 重 視 、 自 立 自助 ・思 い や り ・相 互 扶 助 の 仕 組 み 、 適 正 な 公 的 福 祉 な ど)な ど を 強 調 した 。 大 平 の 政 治 主 張 は 、 中 曽根 と は 、 護 憲 と軽 軍 備 ・経 済 主 義(吉 田 ドク ト リ ン)の 尊 重 と い う点 で 違 っ て い た(福 永2008、 225、270頁)。 し か し、 日 米 安 保 体 制 の 強 化 、 小 さ い 政 府 、 福 祉 政 策 の 見 直 し と い う 点 で は 、 大 平 は 中 曽 根 と 同 じ く ネ オ リ ベ ラ ル 的 で あ っ た 。 日本 政 府 と し て 初 め て 公 式 に 、ア メ リ カ を 日 本 の 「同 盟 国 」 で あ る 、 と発 言 し た の も 、 79年5月 訪 米 時 の 大 平 首 相 で あ っ た(川 内1982、130頁/福 永 2008、243頁)。 大 平 の 施 政 方 針 演 説 の 作 成 に は 、香 山 健 一(学 習 院 大 教 授)、 佐 藤 誠 三 郎(東 大 教 授)、 公 文 俊 平(東 大 教 授)が 関 係 し て い た(川 内1982、101頁)。 こ の 3人 は 、 そ の 後 中 曽 根 の 有 力 な 学 者 ブ レー ン と な る 人 々 で あ っ た(中 曽 根 首 相 時 代 に 高 坂 正 発 ・京 大 教 授 が 加 わ っ た)。80年6月 に 大 平 首 相 が 急 逝 せ ず 、 大 平 政 権 が 続 い て い た 場 合 に 、 中 曽 根 政 権 と 同 様 の ネ オ リベ ラ ル 的 「戦 後 総 決 算 」 政 策 が 展 開 さ れ た か も しれ な い 。
34 京女 法学 第1号 3「 戦 後 政 治 の 総 決 算 」-1980年 代 一 中 曽根 政 権 は 、「戦 後 政 治 の 総 決 算 」を 政 策 目標 に 掲 げ た(2)。そ の 狙 い は 、「敗 戦 の 結 果 失 わ れ た 良 き も の を 取 り返 し 、 日本 の 本 来 の 扉 を 開 く」(中 曽 根 2004、17頁)こ と に あ っ た 。 そ れ は 対 外 的 に 「世 界 の 平 和 と 繁 栄 に 積 極 的 に 貢 献 す る 国 際 国 家 日本 の 実 現 」 と、 国 内 的 に 「二 十 一 世 紀 に 向 け た 『た く ま し い 文 化 と福 祉 の 国 』 づ く り」 を 目 指 す こ と で あ っ た(世 界 平 和 研 究 所 編 1995、146頁)。 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」 は 、1980年 代 の 経 済 大 国 化 を 承 け て 、 政 治 大 国 へ の 意 志 表 明 で も あ っ た 。 憲 法 改 正 問 題 中 曽根 は 、 憲 法 改 正 論 者 と し て 、 自 主 防 衛 論 者 と して 、 ま た 古 い タ イ プ の ナ シ ョナ リ ス ト と し て 知 られ た 、 反 ソ ・反 共 の 戦 後 派 の 代 表 的 な保 守 政 治 家 で あ っ た 。 そ の 政 策 構 想 に は 、 大 方 の 予 想 に 反 し て 改 憲 論 へ の 言 及 は な か っ た 。 彼 が 首 相 に 就 任 し た 当 時 、 自 民 党 の 内 外 に 改 憲 論 の 勢 い が あ り、 改 憲 論 者 か ら 中 曽 根 首 相 へ 強 い 期 待 が あ っ た 。 し か し、 彼 は 、 就 任 直 後 に 「内 閣 は い ま 憲 法 改 正 問 題 を 政 治 日程 に の せ る こ と は し な い 」(1982年12月13日 衆 議 院 予 算 委 員 会)と 明 言 し た 。 こ れ は 「国 民 に 安 心 感 」 を 与 え 、 「混 乱 」 を 防 ぐた め で あ っ た(渡 辺 編 著2002、278頁)。1986年 に 中 曽 根 は 、 自 民 党 衆 議 院 議 員1年 生 の 集 ま りの 会 で 「私 は 現 憲 法 は 米 国 の 押 しつ け 憲 法 だ と 訴 え 、 改 憲 問 題 に取 り組 ん で き た が 、 国 民 の 理 解 は得 ら れ な か っ た 。 … 人 ロ の 大 多 数 を 占 め る 戦 後 世 代 が 理 解 で き る よ う な 、 説 得 力 の あ る もの を 国 民 に 問 い か け な け れ ば な ら な い 」(牧1988A、196頁)と 述 べ た 。 こ こ で 、 彼 は 、 改 憲 論 を 放 棄 した の で は な い 。 彼 の 言 お う とす る こ と は 、 内 容 に つ い て 新 し い 世 代 を 含 む 国 民 の 合 意 が 得 ら れ る ま で 、 改 憲 手 続 き を延 期 す る こ とで あ る 。 こ の 背 景 に は 、 日本 国 憲 法 に 対 す る 彼 の 一 定 の 評 価 も 関 係 し て い た 。 彼 は 現 憲 法 の な か で 、 基 本 的 人 権 ・自 由 ・平 和 ・国 際 主 義 ・人 道 主 義 ・文 化 主 義 な ど を 「宝 石 の よ う に き ら め く」も の と し て 評 価 し て い た 。解 釈 と い う政 治 的 用 具 も 残 っ (2)「戦後 政治 の総 決算 」 につ いて は、 別稿(初 瀬2011)参 照 。
「戦後総 決算 」 の一考 察(初 瀬) 35 て い た 。 現 憲 法 で も、 自衛 隊 の 存 在 も 、 個 別 的 自衛 権 だ け で な く集 団 的 自衛 権 も 合 憲 と解 釈 で き れ ば 、 憲 法 改 正 を 急 ぐ 必 要 は 減 る(中 曽 根1978、189、 246頁/中 曽 根1996、23頁)。 教 育 改 革 で も、 彼 は 臨 時 教 育 審 議 会(1984-87 年)を 設 置 し た が 、 教 育 基 本 法 の 改 革 は 見 送 っ た 。 行 革 大 平 後 の 鈴 木 善 幸 内 閣(1980年7月 一82年11月)で 、 中 曽 根 は 行 政 管 理 庁 長 官 と し て 、 第 二 次 臨 時 行 政 調 査 会(土 光 敏 夫 会 長)の 直 接 責 任 者 と な っ て い た 。 そ の 第 一 次 答 中(緊 急 提 案)(81年7月)は 、 行 革(行 財 政 改 革)の 理 念 を 「活 力 あ る福 祉 社 会 の 実 現 」 と 「国 際 社 会 に 対 す る 貢 献 の 増 大 」 と 表 明 し た 。 こ の2つ の 理 念 は 、 翌 年 誕 生 の 中 曽根 政 権 で 、 そ の ま ま 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」 の 基 本 的 ス ロ ー ガ ン(上 述)と な っ た(中 曽 根1996、369頁)。 中 曽 根 は 、行 革 を 米 国 の レ ー ガ ン大 統 領 、英 国 の サ ッチ ャ ー 首 相 の 改 革 と並 べ 、 「い ず れ も従 来 の ケ イ ン ズ 理 論 を 中 心 に し た 管 理 さ れ た 経 済 と、 過 剰 な 福 祉 主 義 に よ る ス タ グ フ レ ー シ ョ ン 、 そ して 勤 労 規 律 の 弛 緩 の 克 服 を 目 指 し 、 経 済 的 自 由 主 義 を 主 軸 に 、 市 場 機 能 の 伸 長 、 民 営 化 、 規 制 解 除 、 補 助 金 削 減 な ど に よ る い わ ゆ る"民 活"の 奨 励 と"小 さ な 政 府"を 期 し た 」(中 曽 根1992、 305頁)も の と 説 明 す る。 こ の 三 人 は 「自 由 な 経 済 、 強 い 国 家 」(Gamble 1988)を 求 め て い た 。 行 革 の 効 果 は 、中 曽 根 に よ る と、「国 鉄 の 分 割 民 営 化(87 年4月 実 現)は 、 国 労 の 崩 壊 、 総 評 の 衰 退 、 社 会 党 の 退 潮 に 拍 車 を か け て 、 55体 制 を 終 末 に 導 く大 き な 役 割 を 果 た し た 」(中 曽 根2004、170頁)。1990年 代 に 、冷 戦 の 終 結 も あ つ て 、戦 後 日本 政 治 は 大 き な 変 動 期 に 入 る こ と に な る 。 日米 関 係 外 交 政 策 の 核 は 、 「吉 田 方 式 」(吉 田 ドク トリ ン)の 是 正 に あ っ た 。 中 曽 根 の 考 え で は 、吉 田 首 相 は 、経 済 復 興 の み に 目 を奪 わ れ 、 経 済 第 一 主 義 を と り、 防 衛 や 憲 法 問 題 に つ い て 長 期 的 基 本 的 国 家 観 を 持 た ず に 、 利 己 的 な 一 国 平 和 主 義 を す す め て き た(中 曽 根1996、419頁 。 中 曽 根1998、101-102頁 。 中 曽 根2004、50-51頁 。 中 曽 根 な ど2004、85-87頁)。 こ れ に 対 し て 、 中 曽 根 が
36 京女 法学 第1号 推 進 し た の は 、 日本 の 防 衛 力 の 増 強 、 自衛 隊 の 海 外 派 遣 、 と 日米 同 盟 関 係 の 強 化 で あ っ た 。 す で に1970年9月 の 訪 米 時 に 、 中 曽根 は 防 衛 長 官 と し て 、 レ ア ー ド国 防 長 官 に 米 軍 の 核 持 ち 込 み を 容 認 す る 発 言 を し て い た(朝 日新 聞 2000年12月20日)。 対 米 関 係 で 、 中 曽 根 は ロ ナ ル ド ・レ ー ガ ン大 統 領 と の 「ロ ン ・ヤ ス 」 関 係 を 強 調 し た 。 中 曽 根 は 、 レ ー ガ ン と の 会 談(1983年1月)で 、 日米 は 「運 命 共 同 体 で 、 同 盟 関 係 に あ る 」 と の 見 解 を表 明 し、 新 聞 記 者 に 、 日本 列 島 は ソ 連 の 空 軍 、 海 軍 に 対 して 大 き な 空 母 の よ う な も の で あ る(通 訳 の 意 訳 で 「不 沈 空 母 」 と訳 さ れ た が 、 首 相 は そ の ま ま 「不 沈 空 母 」 訳 を 認 め る)、 と説 明 した(牧1988A、66、67頁/牧1988B、68-77頁)。1983年 に は 、 中 曽 根 は 、 ソ 連 が 先 に 東 欧 に 配 備 し たSS20を 撤 去 し な け れ ば 、 ア メ リ カ は12月 ま で に パ ー シ ン グⅡ を 西 欧 に 配 備 す る と い うNATO(北 大 西 洋 条 約 機 構1)決 定 を 積 極 的 に 支 持 し た(中 曽 根1996、430頁)。 こ れ は 、NATOの 対 ソ 戦 略 を 日 米 安 保 の 対 ソ 戦 略 と結 び つ け る も の で あ っ た 。 しか し 、 首 相 と し て の 中 曽 根 は 、 専 守 防 衛 を 受 け 入 れ 、 非 核 三 原 則(67年 以 降 、 持 た ず 、 作 ら ず 、 持 ち 込 ま せ ず)に つ い て も支 持 を 公 言 し て い た(3)(中 曽 根1978、247頁)。 1987年9月 に 、 中 曽 根 首 相 は 、 イ ラ ン ・イ ラ ク 戦 争 に 関 連 し て ペ ル シ ャ湾 に 、 自衛 隊 の 掃 海 艇 あ る い は 海 上 保 安 庁 の 巡 視 船 を 派 遣 し よ う と し た が 、 後 藤 田 正 晴 官 房 長 官 は 「ペ ル シ ャ 湾 は 既 に 交 戦 海 域 に な っ て い る 。 軍 事 紛 争 に 巻 き込 ま れ る 恐 れ の あ る 行 動 は 絶 対 に と っ て は い か ん … 自衛 艦 と か 巡 視 船 と か を ペ ル シ ャ 湾 に 派 遣 す れ ば 、 イ ラ ン は 必 ず 日本 を 敵 視 し ま す 」 と述 べ 、 官 房 長 官 の 職 を 賭 し て 反 対 した(後 藤 田1989、104-107頁)。 歴 史 認 識 問 題 靖 国 神 社 公 式 参 拝 は 、 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」 の も う 一 つ の 核 で あ っ た 。 中 曽 根 首 相 は 、1985年8月15日 に 靖 国 神 社 に 公 式 参 拝 した 。 彼 の 言 葉 に よ れ ば 、 (3)中 曽 根 は 首 相 と し て 、 日 米 間 の 核 持 ち 込 み(introduction)密 約 を 知 っ て い た に 違 い な い(朝 日新 聞2010年3月10日)。
「戦 後総決 算」 の一 考察(初 瀬) 37 85年 は 「ち ょ う ど終 戦 四 〇 年 の 記 念 の 年 で あ っ た 。 歴 史 の 区 切 りで あ る か ら 、 日本 国 の 総 理 大 臣 と して は 公 式 の 資 格 で 英 霊 に 相 対 し な け れ ば な ら な い と 感 じた 」(横 山1994、31頁)。 し か し、 こ の 公 式 参 拝 は 、 中 国 、 韓 国 な ど ア ジ ァ 諸 国 か ら の 強 い 抗 議 を 呼 び 起 こ し た 。 こ の と き、 中 曽 根 は 、 「開 明 的 で 親 日 的 な 政 治 家 」 で あ る 胡 耀 邦 総 書 記 が 失 脚 す る こ と を お そ れ 、 こ れ 以 上 の 靖 国 参 拝 を 止 め る こ と に した(中 曽 根1996、463頁)。 1986年 に教 科 書 問 題 が 起 こ っ た 。 高 校 用 教 科 書 『新 編 日本 史 』の 内 閲 本 が 、 5月27日 に 検 定 審 議 調 査 会 で 合 格 と な っ た が 、 そ の3日 ま え 、24日 の 『朝 日 新 聞 』 が 、 こ の 「復 古 調 」 教 科 書 を ス ク ー プ した 記 事 を 掲 載 した 。 こ れ を 契 機 と し て 、 韓 国 を は じめ 、 中 国 な ど ア ジ ア 諸 国 の 政 府 、 新 聞 、 世 論 が 、 近 現 代 日 本 の 対 外 行 動 か ら侵 略 色 を 薄 め る 記 述 に 関 し て 、 激 し い 抗 議 活 動 を展 開 し た 。 こ れ を 受 け て 、 文 部 省 は 、 政 府 と外 務 省 と協 議 し て 、5月30日 か ら7 月3日 に か け て 、82年 の 「近 隣…諸 国 条 項 」(「近 隣…の ア ジ ア 諸 国 と の 間 の 近 現 代 の 歴 史 的 事 象 の 扱 い に 国 際 理 解 と 国 際 協 調 の 見 地 か ら必 要 な 配 慮 が さ れ て い る こ と」 『朝 日新 聞 』82年11月24日 夕 刊)を 使 っ て 、 検 定 終 了 後 の 内 閲 本 に 対 し て 、 一 般 の 検 定 手 続 き を 越 え て 、 全 体 で4回 の 修 正 要 求(計127カ 所) を指 示 し た 。 問 題 の 教 科 書 は 、 基 本 的 に修 正 要 求 に 応 じて 、7月7日 に 検 定 合 格 と な っ た 。 こ れ を も っ て 、 外 交 問 題 は 、 一 旦 終 息 した(村 尾1987/高 橋 1986/段2007)。 し か し 、 藤 尾 正 行 文 相(86年7月22日 就 任)が 、9月 発 行 の 『文 藝 春 秋 』10月 号 で 、 「日韓 の 合 邦 と い う の は 、 … 形 式 的 に も 事 実 の 上 で も 、 両 国 の 合 意 の 上 に 成 立 して い る わ け で す 」(藤 尾1986、125頁)と 発 言 し 、 日韓 間 の 外 交 問 題 に 発 展 した 。 中 曽 根 首 相 は9月8日 に 藤 尾 文 相 を 罷 免 し(牧1988A、179-193頁)、 ま た 、9月20日 に 訪 韓 し、 全 斗 換 大 統 領 に 「心 か ら 遺 憾 の 意 」 を 表 し た(「 朝 日新 聞 』1986年9月21日)。 1986年9月16日 に 、 中 曽 根 首 相 は 国 会 で 靖 国 参 拝 に 関 連 して 「A級 戦 犯 の 問 題 が 惹 起 さ れ ま し た 。 や は り 日本 は 近 隣…諸 国 あ る い は ア ジ ア 諸 国 と の 友 好 協 力 関 係 を 増 進 し て い か な け れ ば 生 き て い け な い 国 で ご ざ い ま す 。 … 国 際 関
38 京女 法学 第1号 係 に お き ま し て は 、 我 が 国 だ け の 考 え が 通 用 す る と 思 っ た ら 間 違 い で あ り ま して 、 一 方 的 通 行 と い う も の は危 険 で あ り ます 。 特 に ア ジ ア 諸 国 等 々 の 国 民 感 情 も考 え ま して 、 国 際 的 に 通 用 す る 常 識 あ る い は 通 念 に よ っ て 政 策 と い う もの は 行 う の が 正 し い 」 と 答 弁 し た(1986年9月16日 衆 議i院本 会 議)。 こ の 考 え は 、 教 科 書 問 題 に も 適 用 さ れ る も の で あ っ た 。 さ ら に 、 中 曽 根 は 、 次 の よ う な ア ジ ア 認 識 を も っ て い た 。 「戦 争 に よ っ て 世 界 の 諸 国 に 、 と く に ア ジ ア の 国 々 に 非 常 な 災 難 を ひ き起 こ し た こ と は 、ど う見 て も 日本 の 黒 星 で あ り、き わ め て 大 き な 責 任 が あ る 」(中 曽 根1978、188頁)。 「日本 の 場 合 は 、 イ ギ リ ス 、 ア メ リ カ に は 普 通 の 戦 争 、 中 国 、 東 南 ア ジ ア に は 侵 略 、 韓 国 に は 併 合 とい う 帝 国 主 義 的 行 為 を や っ て い る ん で す ね 。や は り間 違 い は 間 違 い と し て 反 省 し詫 び る べ き だ と思 い ま す よ 」 (中 曽 根1996、61頁)。 「東 京 裁 判 史 観 は 正 当 で は な い 」 と思 う が 、 「昔 の 皇 国 史 観 に は 賛 成 し な い 」(中 曽 根2004、32頁)。1945年 の 敗 戦 当 時 、中 曽根 は 「日 本 を 、開 戦 と敗 戦 に 導 い た と きの 指 導 者 に は 、大 き な 怒 り を 禁 じ得 な か っ た 」 (柳 本2007、102頁)。 国 際 国 家 日本 最 後 に 、 「国 際 国 家 日本 」 の 実 現 に つ い て は 、 中 曽 根 は 、 日本 の 「ワ ン ・ ス テ ー ト、 ワ ン ・ラ ン ゲ ー ジ 、 ワ ン ・ネ ー シ ョ ン 」(中 曽 根1978、192頁)を 高 く評 価 して い る 。彼 は 単 一 民 族 国 家 論 者 で あ る 。そ の 彼 の 国 際 国 家 論 に は 、 世 界 の 諸 国 で の 多 民 族 ・多 エ ス ニ ッ ク 状 況 や 多 文 化 主 義 に つ い て の 視 点 が 欠 け て い た 。 以 上 を ま とめ て み る と 、 中 曽 根 の 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」 で 、 も っ と も 順 調 に 進 ん だ の は 行 革(ネ オ ・リ ベ ラ リ ズ ム)で あ っ た 。 取 り残 さ れ た の は 憲 法 改 正 で あ り、 挫 折 し た の は 靖 国 神 社 公 式 参 拝 で あ る 。 日米 安 保 強 化 と 国 際 貢 献 は 、 時 代 を 先 取 り し て い た と い う意 味 で 挫 折 し た 。 歴 史 認 識 問 題 で は 、 そ の 時 点 で 国 際 紛 争 を解 決 し た が 、 そ れ で は 、1990年 代 以 降 の 問 題 の 再 発 を 防 げ な か っ た 。
「戦 後総 決算 」 の一考 察(初 瀬) 39 4 「戦 後 レ ジ ー ム か ら の 脱 却 」 な ど 一1990年 代 以 降 一 中 曽 根 の 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」 の 後 に くる 「戦 後 総決算」 政 策 は 、 安 倍 首 相 の 「戦 後 レ ジ ー ム か ら の 脱 却 」 で あ る 。 こ の 間 に 約25年 が 経 過 し て い る 。 し か し、 そ の ま え に 、 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」 の 後 の 展 開 と し て 、1990年 代 と 2000年 代 の 初 期 を み て お く こ とが 必 要 で あ る 。 そ の う ち 、2000年 代 初 期 は 、 小 泉 首 相 の 構 造 改 革 と 「日本 型 ポ ピ ュ リ ズ ム 」 の 時 代 で あ る 。2006年 に 小 泉 首 相 を 引 き継 い だ の は 、 安 倍 晋 三 で あ る 。 彼 は 、 小 泉 内 閣 で 重 要 ポ ス ト(官 房 副 長 官2001年4月 ∼03年9月 、 官 房 長 官05年9月 ∼06年9月 、 そ の 間 に 自 民 党 幹 事 長03年9月 ∼05年9月)を 歴 任 し た 。 中 曽 根 と小 泉 、 ま た 小 泉 と安 倍 の 問 に は 、 連 続 と 断 絶 の 両 面 が み られ る 。 1990年 代 1989年 末 に 冷 戦 が 終 結 し、 ソ 連 が91年 末 に 崩 壊 し た 。 こ の 国 際 情 勢 の 変 化 に 対 し て 、96年4月 に 橋 本 龍 太 郎 首 相(96年1月 ∼98年7月)・ ク リ ン ト ン 大 統 領(93年 ∼2001年)に よ っ て 、 日米 安 保 再 定 義 が な さ れ た 。 そ れ は 、 中 曽 根 の 言 葉 に よ る と 「対 ソ 日米 軍 事 同 盟 か ら、 ア ジ ア ・太 平 洋 の 政 治 軍 事 同 盟 」(中 曽 根1996、30頁)へ の 転 換 で あ っ た 。 中 曽 根 の 願 い は 、90年 代 に 強 化 さ れ た 形 で 実 現 さ れ た 。 国 内 政 治 で は 、1990年 代 に は 、55年 体 制 が 崩 壊 し 、 自 民 党 の 国 会 勢 力 も一 時 衰 退 し た 。93年8月 か ら 日本 新 党 ・細 川 護 煕 首 班 の 非 自民 ・非 共 産8党 派 連 立 内 閣(∼94年4月)、94年6月 か ら は 日 本 社 会 党 ・村 山 富 市 首 班 の 自社 さ(新 党 さ き が け)内 閣(∼96年1月)と な っ た 。 こ の 変 動 期 に 、 歴 史 認 識 問 題 を め ぐる 国 内 政 治 も劇 化 し た 。 政 府 側 で は 、 細 川 首 相 が93年8月10日 に 記 者 会 見 で 、 「(この 前 の 戦 争 に つ い て)私 自 身 は 侵 略 戦 争 で あ っ た 、 間 違 っ た 戦 争 で あ っ た と い う ふ う に 認 識 を し て お り ま す 」(細 川1993)い う見 解 を 述 べ た 。 宮 澤 喜 一 内 閣 の 河 野 洋 平 官 房 長 官 は 、93年8月4日 に 、 「い わ ゆ る 従 軍 慰 安 婦 」 の 存 在 を 認 め 、 こ れ に 「お 詫 び と 反 省 の 気 持 ち 」 を 表 す 談 話 を 発 表 し た(河 野1993)。95年8月15日 に は 、 村 山 首 相 は 「わ が 国 は 、 遠 く な
40 京 女法学 第1号 い 過 去 の 一 時 期 … 植 民 地 支 配 と侵 略 に よ っ て 、 多 くの 国 々 、 と りわ け ア ジ ァ 諸 国 の 人 々 に 対 し て 多 大 の 損 害 と 苦 痛 を 与 え」た こ と に つ い て 、「痛 切 な 反 省 」 と 「心 か ら の お 詫 び の 気 持 ち 」 を 表 明 す る 談 話 を 発 表 し た(村 山1995)。 こ れ に 対 して 、 安 倍 晋 三 な どの 自 民 党 な ど の 強 硬 派 ナ シ ョナ リ ス トは 、 自民 党 「歴 史 ・検 討 委 員 会 」(93年8月 、 安 倍 委 員)、 自民 党 「終 戦50周 年 国 会 議 員 連 盟 」(94年12月 、 安 倍 事 務 局 長 代 理)、 「「明 る い 日本 」 国 会 議 員 連 盟 」(96 年6月 、安 倍 事 務 局 長 代 理)、 「日本 の 前 進 と歴 史 教 育 を 考 え る 若 手 議 員 の 会 」 (97年2月 、 安 倍 事 務 局 長)、 超 党 派 「日本 会 議 国 会 議 員 懇 談 会 」(97年5月 、 安 倍 副 幹 事 長)な ど を 結 成 して 、 細 川 談 話 、 河 野 談 話 、 村 山 談 話 に 強 く抗 議 し た(歴 史 ・検 討 委 員 会 編1995、443頁/日 本 の 前 途 と歴 史 教 育 を 考 え る 若 手 議 員 の 会 編1997/俵 な ど2006、68-77頁/渡 辺2007、202-205頁)。 安 倍 は 、 従 軍 慰 安 婦 の 河 野 談 話 は 、 証 言 者16人 の 聞 き取 り調 査 に つ き 「何 の 裏 付 け も 取 っ て い な い 」 と批 判 し て い た(日 本 の 前 途 と歴 史 教 育 を 考 え る 若 手 議 員 の 会 編1997、449頁)。 教 科 書 問 題 で は 、2001年 に 扶 桑 社 版 の 『新 し い 歴 史 教 科 書 』 が 検 定 を通 過 し た 。 こ の 教 科 書 は 、 安 倍 が 支 援 し て い た も の で あ る(安 倍 ・岡 崎2006、141頁)。 小 泉 首 相 2001年 の9/11事 件 後 に 、小 泉 純 一 郎 首 相(2001年4月 ∼06年9月)は 、「自 分 は 大 統 領 と共 に い る 。 テ ロ との 戦 い で 大 統 領 を 助 け る 」 こ と を 表 明 し た(4)。 2003年 の ア メ リ カ の イ ラ ク 侵 攻 に 際 して も、 小 泉 首 相 は 、 ブ ッ シ ュ 大 統 領 の 「大 変 、苦 渋 に 満 ち た 決 断 」 を 支 持 し た(読 売 新 聞 政 治 部2006、134、160頁)。 自衛 隊 の 海 外 派 遣 は 、1991年 湾 岸 戦 争 後 の ペ ル シ ャ 湾 掃 海 艇 派 遣 、1992年 の カ ン ボ ジ ア 派 遣 以 来 のPKO(国 連 平 和 維 持)活 動 か ら、2001年 以 降 の ア フ ガ ニ ス タ ン 空 爆 に 関 す る 米 艦 船 な ど へ の イ ン ド洋 の 給 油 活 動(お よ び イ ー ジ ス 艦 の 派 遣)、2003年 以 降 の イ ラ ク へ の 陸 上 自衛 隊 派 遣(給 水 ・医 療 支 援 ・ (4)首 相 就 任 以 前 の 小 泉 は 、 自 衛 隊 のPKO派 遣 に む しろ 慎 重 で あ っ た(久 江2002、52-56頁)。
「戦後 総決算 」 の一 考察(初 瀬) 41 学 校 と道 路 の 補 修)と 航 空 自衛 隊 派 遣(空 輸 活 動)へ と、 展 開 し た 。 国 際 貢 献 に 関 す る 中 曽 根 の 意 図 は 、1990年 代 以 降 の 展 開 で 、 実 現 さ れ る こ と に な っ た 。 靖 国 神 社 公 式 参 拝 に つ い て は 、 小 泉 首 相 は 、 独 特 の 論 理 を も ち 、 独 特 の 行 動 を し た 。 小 泉 首 相 は 、2001年11月 に 中 国 北 京 郊 外 の 盧 溝i橋 を 訪 れ 、 そ の 日 に 「侵 略 に よ つ て 犠 牲 に な っ た 中 国 の 人 々 に対 し心 か ら の お 詫 び と哀 悼 の 気 持 ち を も っ て 、 い ろ い ろ な 展 示(中 国 人 民 抗 日戦 争 記 念 館)を 見 さ せ て い た だ き ま し た 」 と感 想 を 述 べ て い た(小 泉2001)。 彼 は2005年 に は 「我 が 国 は 、 か つ て 植 民 地 支 配 と侵 略 に よ っ て 、 多 くの 国 々 、 と り わ け ア ジ ア 諸 国 の 人 々 に 対 し て 多 大 の 損 害 と苦 痛 を 与 え ま し た 」 と発 言 し た(小 泉2005)。 しか し、 小 泉 首 相 は 、2001年 か ら毎 年 、8月15日 以 外 に 参 拝 し て お り(若 宮2006、20 頁)、 最 後 の 年(2006年)に は8月15日 に 「心 の 問 題 」 と して 、 「総 理 大 臣 で あ る 、 人 間 、 小 泉 純 一 郎 」 が 参 拝 し た(小 泉2006)。A級 戦 犯 の 合 祀 に つ い て は 、 彼 は 批 判 者 に 対 して 「現 に 東 条 英 機 氏 のA級 戦 犯 の 問 題 が た び た び 国 会 の 場 で も論 ぜ ら れ ま す が 、 そ も そ も 、 罪 を憎 ん で 人 を 憎 ま ず とい う の は 中 国 の 孔 子 の 言 葉 」(衆 議 院 予 算 委 員 会 、2005年5月16日)と 切 り返 し て い た 。 安 倍(自 民 党 幹 事 長)は 、 小 泉 の こ の よ う な 認 識 を 当 然 の こ と と して 、 受 け い れ て い た 。 そ れ は 「総 理 が 自 然 な お 気 持 ち で 参 拝 を さ れ る 、 そ し て そ れ を 静 か に 国 民 も見 守 る と言 う こ と が 、 最 も 正 し い 姿 だ ろ う と 思 う の で す 」 と い う も の で あ っ た(安 倍 ・岡 崎2004、145頁)。 安 倍 首 相 安 倍 首 相 は 、 そ の 施 政 方 針 演 説(2007年1月26日)で 「戦 後 レ ジ ー ム か ら の 脱 却 」 を 説 い た 。 す な わ ち 「終 戦 後 の 焼 け 跡 か ら 出 発 して 、 先 輩 方 が 築 き 上 げ て き た 、 輝 か しい 戦 後 の 日 本 の 成 功 モ デ ル に 安 住 して は な り ま せ ん 。 憲 法 を 頂 点 と し た 、 行 政 シ ス テ ム 、 教 育 、 経 済 、 雇 用 、 国 と 地 方 の 関 係 、外 交 、 安 全 保 障 な ど の 基 本 的 枠 組 み の 多 くが 、 二 十 一 世 紀 の 時 代 の 大 き な 変 化 に つ い て い け な く な っ て い る こ と は も は や 明 ら か で す 。 … 今 こ そ 、 こ れ ら の 戦 後
42 京女 法学 第1号 レ ジ ー ム を 原 点 に さ か の ぼ っ て 大 胆 に 見 直 し、 新 た な 船 出 を す べ き と き が 来 て い ま す 。」 こ れ は 、 戦 後 日本 政 治 の 全 面 的 清 算 論 で あ る 。 こ の 主 張 は 、 「わ れ わ れ 自 民 党 も ま た 戦 後 社 会 の 『呪 縛 』 に よ っ て 、 そ の 行 動 範 囲 、 思 考 範 囲 が 限 定 さ れ て い た の だ と思 い ま す 。 何 に よ っ て 縛 ら れ て い た か と い え ば 、 『敗 戦 』 と 『戦 前 的 な も の へ の 反 発 』 で す 。 戦 後 の 日本 に は 戦 争 へ の 深 刻 な 反 省 と同 時 に 、 恐 怖 感 に も似 た 国 家 へ の ア レ ル ギ ー 反 応 が 生 ま れ た 。 … 戦 後 の 日本 に は こ う し た 『自縄 自縛 』 の 考 え が 根 強 く、 最 も典 型 的 な 例 が 、 憲 法 改 正 に 関 す る 議 論 で す 」 と い う 「戦 後 」 の 認 識 に 基 づ く も の で あ っ た(PHP研 究 所 編2006、40-41頁)。 施 政 方 針 は 、 具 体 的 に は 、 「日 米 同 盟 を 一 層 強 化 し て い く必 要 」、 「米 国 と 連 携 して 、 弾 道 ミサ イ ル か ら 我 が 国 を 防 衛 す る シ ス テ ム の 早 急 な 整 備 」、 「集 団 的 自 衛 権 の 行 使 」、 「北 朝 鮮 と の 拉 致 問 題 の 解 決 」、 「中 国 と は 、 両 国 国 民 に と っ て お 互 い に 利 益 と な る よ う 、 戦 略 的 互 恵 関 係 」、 「韓 国 と の 間 で も 、 未 来 志 向 の 緊 密 な 関 係 」、 「イ ラ ク に つ い て は 、 航 空 自衛 隊 の 支 援 活 動 やNGOと も連 携 したODAの 活 用 に よ り、 我 が 国 と し て ふ さ わ し い 支 援 」、 「ア フ ガ ニ ス タ ン と そ の 周 辺 で の 国 際 的 な テ ロ の 脅 威 を 除 去 、 抑 止 す る 国 際 的 な 取 り組 み に 対 し、 引 き続 き協 力 」、 「安 全 保 障 理 事 会 の 常 任 理 事 国 入 り」、 「日 本 国 憲 法 の 改 正 手 続 き」 な ど を 挙 げ て い た 。 安 倍 首 相 が 、 小 泉 内 閣 の 政 策 を 引 き継 ぐ こ と は 、 あ る 意 味 で は 当 然 の こ と で あ っ た 。 そ れ は 、 構 造 改 革 の 継 承(小 さ な 政 府 、 規 制 緩 和 、 自 由 な 競 争 、 地 方 分 権 、 セ ー フ テ ィ ネ ッ ト に 、 安 倍 が 「再 チ ャ レ ン ジ 」 を 追 加)(藤 田 2006、40-48頁)、 日 米 同 盟 関 係 の 強 化(「 堂 々 た る 双 務 関 係 」 へ)(安 倍 ・ 岡 崎2006、63頁)、 ミサ イ ル 防 衛 シ ス ム へ の 参 加(「 専 守 防 衛 ・ ・に 最 も即 し た 防 衛 シ ス ム 」)(安 倍 ・岡 崎2006、92頁)、 ア フ ガ ニ ス タ ン ・イ ラ ク 作 戦 で の 米 軍 支 援 体 制(「 日本 独 自 の 選 択 」 に よ る イ ラ ク へ の 自衛 隊 派 遣)(安 倍 2006、135頁)、 集 団 的 自 衛 権 へ の 道(「 国 家 が もつ 自然 の 権 利 」 と し て の 集 団 的 自 衛 権)(安 倍2006、132頁)、 お よ び 憲 法 改 正 ・教 育 基 本 法 の 改 正 で あ っ
「戦 後総 決算」 の 一考察(初 瀬) 43 た 。 安 倍 は 、 憲 法 の 前 文 「わ れ ら は 、 平 和 を 維 持 し、 専 制 と隷 従 、 圧 迫 と偏 狭 を 地 上 か ら永 遠 に 除 去 し よ う と 努 め て ゐ る 国 際 社 会 に お い て 、 名 誉 あ る 地 位 を 占 め た い 」 に つ い て 、 敗 戦 国 と し て 連 合 国 へ の 「詫 び 証 文 」 の よ う な も の で あ る 、 と み る(安 倍2006、122頁)。 安 倍 に は 、 日本 国 憲 法 の 評 価 に つ い て 、 中 曽 根 に み ら れ た よ う な 一 定 の 留 保 は み ら れ な い 。 天 皇 制 に つ い て 、 安 倍 は 「日本 で は 、 天 皇 を 縦 糸 に し て 歴 史 と い う 長 大 な タ ペ ス ト リ ー が 織 ら れ て き た の は 事 実 だ 。 ほ ん の 一 時 期 を 言 挙 げ し て 、 どん な 意 味 が あ る の か 」 と 主 張 す る(安 倍2006、84頁)。 安 倍 の 発 言 に は 、 中 曽 根 の 戦 前 の 天 皇 制 観 に あ る よ う な 、 緊 張 感 は 認 め られ な い 。 安 倍 は わ ず か1年 間 の 間 に 、 憲 法 改 正 の 国 民 投 票 法(2007年5月)を 成 立 させ 、 ま た 教 育 に つ い て も教 育 基 本 法 の 改 正 (2006年12月)を 実 現 した 。 防 衛 庁 に つ い て は 、 こ れ を 防 衛 省 に 昇 格 させ た (2007年1月)。 歴 史 認 識 問 題 安 倍 は 、 歴 史 認 識 に つ い て 「そ の 時 代 に 生 き た 国 民 の 視 点 で 、 虚 心 に歴 史 を 見 つ め 直 し て み る 」 こ と を 説 く(安 倍2006、26頁)。 安 倍 は 、 東 京 裁 判 に つ い て 、 「平 和 に 対 す る 罪 」、 「人 道 に 対 す る 罪 」 を事 後 法 で あ る と 批 判 し た 。 「国 内 法 で 、 か れ ら を 犯 罪 者 と は 扱 わ な い 、 と 国 民 の 総 意 で 決 め た 」 こ と を 強 調 す る 。 した が つ て 、A級 戦 犯 の 靖 国 神 社 合 祀 を ご く当 然 の こ と と 考 え る (安 倍2006、69-71頁)。 彼 は 、2007年8月 に イ ン ドを 訪 問 し た と き、 コ ル コ タ(カ ル カ ッ タ)で パ ル 判 事 の 長 男 に 会 い に 行 っ た 。 こ れ は 、 安 倍 が パ ル 判 決 は 「日本 無 罪 」 の 判 決 と み て い る か ら で あ る(中 里2011、3-4頁)。 安 倍 も、 首 相 に な る こ と に よ っ て 、 そ れ 以 前 の 持 論 の 一 部 を 変 更 せ ざ る を 得 な か っ た 。 た と え ば 、 靖 国 神 社 公 式 参 拝 で あ る 。 安 倍 は 、 こ れ を 控 え る こ と に した 。 さ ら に 、 安 倍 首 相 は 、 村 山 談 話 に 関 して 、2006年10月5日 の 国 会 で 「ア ジ ア の 国 々 に 対 し て 大 変 な 被 害 を 与 え 、 傷 を与 え た こ と は 厳 然 た る 事 実 」 で あ る と 述 べ 、 「こ の 談 話 に つ い て 、 新 た な 談 話 を つ く っ て そ れ を刷 新
44 京女 法学 第1号 す る と い う考 え を 私 は 今 持 っ て い な い わ け で あ り ま し て 、 閣 議 決 定 した こ の 文 書 は 、 当 然 私 の 内 閣 に お い て も生 き て い る 」 と 答 弁 し た 。 こ の と き 河 野 談 話 に つ い て も 「私 の 内 閣 で 変 更 す る もの で は な い 」 と答 弁 した(衆 議 院 予 算 委 員 会)。 安 倍 は 、 同 年10月8日 に 訪 中 、9日 に 訪 韓 し、 小 泉 政 策 で 冷 え 込 ん だ 近 隣i諸国 と の 関 係 を修 復 す る こ と に 努 め た 。 と こ ろ で 、2007年3月 に ア メ リ カ下 院 で 、 日本 の 従 軍 慰 安 婦 に つ い て の 謝 罪 要 求 決 議 が 問 題 と な っ た と き 、 安 倍 首 相 は 、3月5日 の 国 会 で 河 野 談 話 に つ い て 「基 本 的 に 継 承 し て い く」 が 、 「官 憲 が 家 に 押 し 入 っ て い っ て 人 を 人 さ ら い の ご と く連 れ て い く と い う 」 「狭 義 の 意 味 に お い て の 強 制 性 」」 は な か っ た 、 と反 論 して い た(参 議 院 予 算 委 員 会)。 し か し、 安 倍 内 閣 が 小 泉 内 閣 の ネ オ ・リ ベ ラ リ ズ ム を 継 承 す る 限 り、EPA、 FTAな ど の 関 係 で 、 ア ジ ア 諸 国 との 友 好 関 係 を 無 視 す る こ と は で き な か っ た 。 安 倍 の 「戦 後 日本 か ら の 脱 却 」 は 、 歴 史 認 識 問 題 に つ い て 、 国 際 関 係 の 現 実 的 考 慮 に よ っ て 、 そ の 真 意 か ら後 退 せ ざ る を得 な か っ た 。 こ の こ と は 、 中 曽 根 の 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」 で も、 同 様 で あ っ た 。 しか し、 両 者 の 問 に は 、 決 定 的 な 差 異 が あ る 。 そ れ は 、 中 曽 根 の 「戦 前 」 観 に は 、 日本 の ア ジ ア 侵 略 が 定 着 し て い た の に対 し て 、 安 倍 の 「戦 前 」 観 に は 、 そ の よ う な 認 識 が 薄 弱 で あ る こ とで あ る 。 最 後 に 、 安 倍 は 、2006年 の サ ッ カ ーW杯 で 、 ブ ラ ジ ル 出 身 で 日本 に 帰 化 し た 三 都 主(サ ン トス)の 活 躍 に つ い て 、 「み ん な が 心 か ら 拍 手 を お く る 。 日 の 丸 の 旗 の も と に戦 っ た 者 は 、 出 身 国 が ど こ で あ ろ う と仲 問 で あ る と い う意 識 、 そ れ は 共 同 体 に た い す る 帰 属 意 識 」 と述 べ る(安 倍2006、80-81頁)。 さ ら に 安 倍 は 「日本 の 国 柄 とそ の 理 想 に 共 鳴 して 、 … 日本 人 に な りた い 人 が い た な ら、 大 き く扉 を 開 か な け れ ば な ら な い 。 そ れ は と り も な お さ ず 、 日本 の ダ イ ナ ミズ ム に つ な が る か らで あ る 」 と も 述 べ て い る(安 倍2006、158頁)。 こ れ は 、 「国 際 国 家 日本 」 論 に 伴 う 中 曽 根 の 矛 盾 に つ い て 、 エ ス ニ ッ ク に は 多 民 族 で 、 国 籍 で は 単 一 国 民 と い う 、 単 一 国 家 主 義 で 解 決 し よ う と す る も の
「戦 後総 決算 」 の一考 察(初 瀬) 45 で あ る 。
終 わ りに
以 上 に み て きた こ と か ら 、 「戦 後 総 決 算 」 に つ い て 、 次 の こ と が 確 認 で き る(表2「 『戦 後 総 決 算 』 の 流 れ 」 参 照)。 第 一 に 、 大 平 首 相 、 中 曽 根 首 相 、 安 倍 首 相 と 、1970代 後 半 か ら2000年 代 ま で の 「戦 後 総 決 算 」 で 、 全 体 に 共 通 し て い る こ と は 、 小 さ い 政 府 、 強 い 軍 事 力 とい う ネ オ リ ベ ラ ル な 政 策 で あ る 。 こ の 意 味 で は 、2000年 代 初 期 の 小 泉 首 相 の 政 策 も 、 実 質 的 に 「戦 後 総 決 算 」 の 一 環 と な っ て い る 。 あ る い は 、 日本 で は 、 ネ オ リ ベ ラ ル 的 政 策 が 「戦 後 総 決 算 」 と い う纏 い を つ け て 、 登 場 し た と も い え よ う。 第 二 に 、 中 曽 根 の 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」 で ま だ 抑 制 さ れ て い た 憲 法 改 正 、 教 育 基 本 法 改 正 、 自 衛 隊 の 海 外 派 遣 、 歴 史 認 識 問 題 な ど は 、1990年 代 か ら 2000年 代 に か け て 、 次 第 に 解 禁 さ れ 、 安 倍 の 「戦 後 レ ジ ー ム か らの 脱 却 」 で 「戦 後 総 決 算 」 は 、 政 治 過 程 と し て 一 定 の 終 結 に い た っ て い る 。 こ の な か で 、 戦 前 生 ま れ の 中 曽 根 と、 戦 後 生 ま れ の 安 倍 の 問 で 、 戦 争 体 験 の 有 無 が 、 政 治 判 断 で 大 き な 差 異 を 生 ん で い る こ とが 、 見 落 とせ な い 。 第 三 に 、 靖 国 神 社 公 式 参 拝 と 「歴 史 認 識 問 題 」 で 、 中 曽 根 首 相 の と っ た 自 制 方 式 は 、2000年 代 に 小 泉 首 相 に よ つ て 破 ら れ た 。 しか し、 安 部 首 相 の も と で も 、外 交 戦 術 と し て の 自制 が 復 活 して い る 。 日韓 歴 史 共 同 研 究(200-05年 、 07-10年)、 日 中 歴 史 共 同研 究(2006-10年)な ど も試 み ら れ て い る 。 「歴 史 認 識 問 題 」 で は 、 一 国 の 国 内 向 け の 解 決 方 式 に 、 つ ね に 国 際 問 題 化 す る 可 能 性 が 、 残 っ て い る 。 第 四 に 、 中 曽 根 の 「戦 後 政 治 の 総 決 算 」 は 、1980年 代 に 日本 の 経 済 大 国 化 を承 け て 、 政 治 大 国 へ の 意 思 表 示 で あ っ た 。 こ れ に 対 し て 、2000年 代 で は 、 安 部 首 相 の 「戦 後 レ ジ ー ム か ら の 脱 却 」 に 、 政 治 大 国 へ の 意 思 表 示 よ り も、表2 「戦後 総決 算」 の流 れ 期間 政治 ス タ イル 目標 改憲 教育基本法 保 守主義 ネ オ ・ リ ベ ア ラ リ ズ ム ナ シ ョ ナ リス ト 日本 とア ジァ 靖国神社参拝 歴史認識問題 日米関係 日米安保 自衛 隊の海外展 開 大平政権 1978.12.7^-80.6.12 ア ー ウ ー 宰 相 戦後の総決算 護憲 保守本流 小 さ い政 府 田園都市国家 日中国 交 回復 実行 同盟関係 関心 中曽根政権 1382.11.27^-1987.11.6 パ フ ォ ー マ ン ス/ロ ン ・ヤ ス 関 係 ロ ゴ ス 戦後政治の総決算 一 時停 止 改 正 で き ず 新保守 自由主義 行 財政 改 革 国鉄 分割 ・民 営化 国 家 ・国 民 ・国 民 共 同体 ア ジア侵 略 の 認識 中止 気 配 り ロ ン ・ヤ ス 関 係 強化志 向 強 い 関 心 だ が実 現 せ ず 宮 澤 ・細 川 ・村 山 ・ 橋 本政 権 1990年 代 細 川 談話 、 河野 談 話 、 村 山 談話 樋 ロ レ ポ ー ト、 ナ イ ・ レ ポ ー ト、 再 定 義 小泉政権 2001.4.26^ 2006.9.26 パ フ ォー マ ン ス/小 泉 劇 場 パ トス 聖域 なき構造改革 改憲志向 改正志向 ネ オ ・リベ ラ リズ ム (竹中 平蔵) 構造改革 郵政民営化 新 しい タイ プ ア ジ ア 侵 略 の 認 識 発 言 強行 無神経 ブ ッ シ ュJrの 驚 く ほ ど親米 対米協力の実践 非 常 に積 極 的 に なる 安倍政権 2006.9.26^ 2007.9.26 美 しい 国 へ 戦 後 レ ジ ー ム か ら の 脱 却 国民投票法 改正 保 守 主 義 十 ネ オ ・リ ベ ラ リズ ム 小泉継承 復 古 的 タイ プ 東京裁判の否定 断念 個 人 と して戦 前 日本 の 肯 定 、 首 相 と して 政 治 判 断 とも に汗 をか く関 係 積 極 的 、 防衛 省 昇 格 (出所)筆 者作 成 ま 如1 ド Q{II
「戦 後総 決算」 の一 考 察(初 瀬) 47 国 内 の ナ シ ョ ナ リズ ム と の 共 鳴 が 目 立 っ て い る 。 こ こ に は 、 格 差 社 会 が 進 行 し て い る 国 内 の 不 安 定 状 況 が 、 反 映 し て い る の か も し れ な い 。 第 五 に 、 「戦 後 総 決 算 」 は 、 ど れ も 「戦 後 」 を 意 識 し て い る と い う意 味 で 、 「戦 後 」現 象 で あ る 。 した が っ て 、ポ ス ト 「戦 後 」 の 世 代 が 増 え て く る な か で 、 次 第 に 「戦 後 総 決 算 」 と い う政 治 用 語 の 使 用 価 値 は 、 減 衰 し て い く もの 、 と 思 わ れ る 。
48 京女 法学 第1号 【参 考 文 献 】 安 倍 晋 三 ・岡崎 久 彦 2004 『こ の 国 を 守 る 決 意 』 扶 桑 社 安 倍 晋 三 2006 『美 し い 国 へ 』 文 藝 春 秋 石 井 修 2010 『ゼ ロ か らわ か る核 密 約 』 柏 書 房 大 平 正 芳 1977 『風 塵 雑 姐 』 鹿 島 出 版 会 川 内 一 誠 1982 『大 平 政 権 ・554日 』 行 政 問 題 研 究 所 川 島真 ・清 水 麗 ・松 田 康 博 ・楊 永 明 2009 『日台 関 係 史1945-2008』 東 京 大 学 出版 会 小 泉 純 一 郎 2001 「中 国 人 民 抗 日戦 争 記 念 館 訪 問 後 の 小 泉 総 理 の 発 言(記 録)(2001年 10月8日)」http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/剛worldjpn/(2011年8月31日 ア ク セ ス) 小 泉 純 一 郎2005 「戦 後60年 に あ た っ て の 小 泉 総 理 大 臣 談 話(2005年8月15日)」 http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/∼worldjpn/(2011年8月31日 ア ク セ ス) 小 泉 純 一 郎 2006 「小 泉 総 理 イ ン タ ビ ュ ー(2006年8月15日)」http://www.ioc.0-tokyo. ac.jp/∼worldjpn/(2011年8月31日 ア ク セ ス) 河 野 洋 平 1993 「慰 安 婦 関 係 調 査 結 果 発 表 に 関 す る 内 閣 官 房 長 官 談 話(1993年8月4 日)」http://WWW.IOC.u-tokyo.ac.jp/∼worldjpn/(2011年8月3!日 ア ク セ ス) 古 関 彰 一 2009 『日本 国 憲 法 の 誕 生 』 岩 波 書 店 後 藤 田 正 晴 1989 『内 閣 官 房 長 官 』 講 談 社 世 界 平 和 研 究 所 編 1995 『中 曽 根 内 閣 史 資 料 編 』 世 界 平 和 研 究 所 高 橋 史 郎 1986 「新 編 日本 史 『検 定 』 全 記 録 」 『諸 君 』9月 号 俵 義 文 ・魚 住 昭 ・佐 高 信 ・横 田 一 ・本 誌 取 材 班 2006 『安 倍 晋 三 の 本 性 』 金 曜 日 段 瑞 聡 2007 「教 科 書 問 題 」 家 近 亮 子 ・松 田 康 博 ・段 瑞 聡 編 著 『岐 路 に 立 つ 日 中 関 係 』 晃 洋 書 房 鄭 敬 蛾 2011「 歴 史 認 識 を め ぐ る 日韓 摩 擦 の 構 造 とそ の 変 容 」 菅 英 輝 編 『東 ア ジ ァ の 歴 史 摩 擦 と和 解 可 能 性 』 凱 風 社 中 里 成 章 2011 『パ ル判 事 』 岩 波 書 店 中曽根 康 弘 1978 『新 しい保 守 の論理 』講 談社 中 曽根 康 弘 1992 『政治 と人生』 講談 社 中 曽根 康 弘 1996 『天地 有情』 文 藝春 秋 中曽根 康 弘 1998 『日本 人 に言 って お きたい こ と』PHP研 究所 中曽根 康 弘 2004 『自省 録』新 潮 社 中 曽根 康 弘 ・西 部適 ・松 本健 一 2004 『憲 法改 正 大 闘論 』 ビ ジネス社 中村 隆英 1993 『昭和 史Ⅱ l945-89』 東 洋経 済新 報社 日本 の前 途 と歴 史教 育 を考 える若手 議 員 の会編 1997 『歴 史教科 書へ の疑 問』 展転 社
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