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保険本質論の研究動向

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目 次 1.本稿の位置づけ 2.戦前の文献 3.戦後初期の文献 4.保険本質論の文献 5.先行研究としての保険学説 6.独自の保険学説 7.保険学説名の精査

1.本稿の位置づけ

筆者は小川[2009a,b]において,戦前,戦後初期のわが国のテキスト的な 文献を取り上げて,保険教育と保険学の体系をテーマに考察を行った。その考 察方法は,戦前から戦後初期(1960年代まで)の文献の特徴を把握するという 方法であったため,わが国の保険研究の動向を探るという側面を持った。そこ で,テーマの視点を変えて保険研究の動向に焦点を当てた考察を行うこととし, 拙稿で得られた保険研究の動向に関わる成果に,足もとまでの研究動向を加え て,「保険研究の動向」として研究報告を行った1)。その際に,小島昌太郎の説

保険本質論の研究動向

小 川 浩 昭

―――――――――――― 1)本報告は,生命保険文化センター主催の「保険学セミナー」(2009年9月14日,於富士火 災海上保険本社)における「保険研究の動向」である。多くの有益な質問をしてくださ った先生方に,感謝申し上げる。本稿は,それらの質問のなかで小島昌太郎の保険学説 に対する質問に答えることを通じて,保険本質論の研究動向を探るものである。

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を独立した保険学説「共通準備財産説」としたが,これに対して「経済生活確 保説」とすべきではないかとの疑問が出された。 戦前の保険本質論争が,一般的にゴッビ(Ulisse Gobbi)―マーネス(Alfred Manes)― ―印南博吉の流れを汲む入用充足説対フプカ(Joseph Hupuka)―小島昌太郎―近藤文二の流れを汲む経済生活確保説を中心に行わ れたことからすれば,小島の説を「経済生活確保説」と解すべきとの見方も可 能である。また,ほとんど評価されなかったフプカの説を小島が経済生活確保 説として完成させたとの評価もある(近藤[1939]p.120)。小島の説をフプカ を始唱者とする代表的な保険学説の一つである「経済生活確保説」とするのか, 独自の保険学説として捉えるべきか。 もともと保険本質論の考察において注意しなければならない点の一つとして, 次の点があげられる。それは,精緻な定義文を求めて支持する学説の定義文を 修正するということがしばしばみられるが,その修正を単なる定義文の修正と みるか,元の学説を発展させた独自の学説とみるかの判断をしなければならな いということである。明らかに単純な文言修正であれば判断は簡単であるが, 定義文の修正が大きな独自の意義を持っている場合は,独自の保険学説と捉え た方が適切な場合もあろう。小島の説はフプカの定義文の大幅修正というより も,フプカの目的が保険契約の法律的性格の解明にあったことからすれば,単 なる定義文の修正ではなく,フプカの説を保険学説として完成の領域に持って いったとの先の近藤の評価となろう。この点からするならば,独立した保険学 説とする意義がありそうである。経済生活確保説は入用充足説に対するアン チ・テーゼとして提示された側面があり,その点を強調して「将来の入用の充 足」に対する「将来の入用のための現在の保障の確保」という意味で「経済生 活確保説」とされるのであろうが,小島の定義文では「共通準備財産の作成」 が重視されている。この点に着目するならば,「共通準備財産説」として独立 した学説と捉えることもできそうである。また,現にそのように捉える論者も 少なくない(磯野[1937],園[1942],加藤[1947],庭田[1995])。研究報 告の際の質問に対しては,「経済生活確保説」との見方も可能であるが,小島 の学説で最も重視されているのは共通準備財産であり,「共通準備財産説」と

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する有力な先行研究もあると回答したが,その回答では不十分で保険学説名を 確定させるような研究が必要であると感じた。特に,保険本質論重視の伝統的 保険学を考察するに際して,各論者や文献がいかなる保険学説に拠っているか, その学説名を確定させておくことは基礎的な作業に思われる。伝統的保険学の 再評価を現代の保険学の重要課題としている筆者の学問的立場からは,この基 礎的な作業は非常に重要であるため,小島の学説を明確にするということを契 機に本稿において行う次第である。 小川[2009a,b]における保険学説名は,考察した文献で取り上げられてい る学説名を参考としつつ,保険本質論争が下火になった時点でのテキスト的な 文献,すなわち,保険本質論争や各保険学説に対する評価がある程度定まって いると思われる時点のテキスト的文献で,保険学説の考察を意欲的に行ってい る本田[1978],庭田[1995]の学説名に主として依拠している。本稿では, これらの文献も再度参照しながら,これまで不十分であった保険学説名の考察 を行い,筆者なりの各文献が拠って立つ保険学説名,あるいは各論者の保険学 説名を確定させる。こうした考察自体が,わが国の保険研究の動向を探ること にもなろう。 そこで,本稿では改めて,小川[2009a,b]で取り上げた文献の保険学説名 を考察する。そのために,支持する学説,(支持する学説がある場合)定義文 の修正を行っているか,(定義文の修正を行っている場合)単なる定義分の修 正で終わっているか,または,独自の保険学説といえるか,などをチェック項 目とした考察を行う。 なお,保険学説名を確定させることを目的とした本稿ですでに「入用充足説」, 「経済生活確保説」との名称を使用しているが,各文献の考察においてはその 文献が使用する学説名に従い,ここまでの論述を含むそれ以外のところでは, 確定させるまでの便宜的な名称として,基本的に庭田[1995]に従うこととす る(図1参照)。ただし,図1の「損害填補(契約説)」は「損害填補契約説」, 「経済保全説=経済生活確保説」は「経済生活確保説」,「(相互)金融(機関) 説」は「相互金融機関説」とする。

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また,小川[2009a,b]で取り上げた戦前,戦後初期の文献をあらかじめ示 しておこう。 小川[2009a] (1)奥村英夫[1912],『保険通論』第3版,東京博文館。 (2) [1921],『保険学綱要』改訂版,巖松堂。 (3) [1927],『保険学講義』明治大学出版部。 (4)小島昌太郎[1929],『保険学要論』日本評論社。 (5)柴官六[1931],『保険学概論』賢文館。 (6)末高信[1932],『私経済保険学』明善社。 (7)酒井正三郎[1934],『保険経営学』森山書店。 (8)三浦義道[1935],『保険学』改訂11版,巖松堂。 (9)磯野正登[1937],『保険学総論』保険経済社。 (10)勝呂弘[1939],『保険学』叢文閣。 (11)近藤文二[1940],『保険学総論』有光社。 図1.庭田[1995]における保険学説 (出所)庭田[1995]p.32の図。 損害填補(契約)説 損害分担説 危険転嫁説 損害説変形説 技術(特徴)説 欲望充足説=入用充足説 所得説=貯蓄説 経済保全説=経済生活確保説 経済生活平均説 共通準備財産説 (相互)金融(機関)説 経済準備説 予備貨幣説 経済的保障説=新予備貨幣説 人格保険説 生命保険否認説 統一不能説=択一説 保険学説 損害説 非損害説 二元説 個人経済的・ 微視的・主観 的説(心理的 加入動機) 社会経済的・巨視的・ 客観的(貨幣操作的)

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(12)印南博吉[1941],『保険経営経済学』笠原書店。 (13)西藤雅夫[1942],『保険学新論』立命館出版部。 (14)園乾治[1942],『保険学』慶應出版部。 小川[2009b] (1)加藤由作[1947],『保険論(総論)」巌松堂。 (2)加藤由作[1948],『保険概論』新訂3版,巖松堂。 (3)近藤文二[1948],『保険論』東洋書館。 (4)印南博吉[1950],『保険経済』東洋書簡。 (5)印南博吉[1954],『保険経済』改定版,東洋書簡。 (6)印南博吉[1967],『保険経済』新訂版,東洋書簡。 (7)印南博吉[1952],『保険論』三笠書房。 (8)佐波宣平[1951],『保険学講案』有斐閣。 (9)白杉三郎[1954],『保険学総論』再訂版,千倉書房。 (10)園幹治[1954],『保険学』泉文堂。 (11)大林良一[1960],『保険理論』春秋社2) (12)相馬勝男[1963],『保険講義要領』邦光書房。

2.戦前の文献

(1)奥村英夫[1912],『保険通論』第3版,東京博文館,(2) [1921],『保険学綱要』改訂版,巖松堂。 初期の文献奥村[1912],粟津[1921]では保険学説の考察はなされず,こ の点において保険本質論にあまり積極的ではない。そのため両者とも損害説で の把握になったものと思われる。奥村[1912]は,保険の定義文からは損害填 補契約説といえるが(奥村[1912]p.1),保険の本質的要素を「同危険の団体」, 「損害の分配」とする点(同p.97)において損害分担説といえる。いずれにし ―――――――――――― 2)小川[2009b]では大林[1960]を取り上げていないが,戦後初期の重要なテキスト的 文献の一つといえるので,本稿では取り上げる。

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ても,奥村[1912]は損害説に立つと理解する。粟津[1921]は,粟津 [1913](『保険通論』)で保険を経済的必需を充足するための制度としたが(粟 津[1921]p.9,粟津[1913]p.14),粟津[1921]の保険の要素の考察では 「損害分担説」に立つ。いわば入用充足説から損害分担説への回帰であり,保 険学説の進化に逆行する動きといえる。これは,粟津[1913]では生存保険の 説明に優れるので入用充足説を支持したが,「経済的必需の充足」は広範過ぎ る観念で大局を捨て小異に走ることになるので,当時限定的な観念として避け られていた災害または危険を重視して損害分担説を支持することにしたとする (粟津[1921]p.9)。今日「リスク」が重視されるなかで,従来の損害発生の 可能性としてのリスクが再び従来同様に損害概念と結びつけて把握されるよう になってきたが,これは粟津に見られる損害説回帰に似た動きといえよう。な お,保険学説の考察を行わないが両者とも保険の本質を重視していた。特に, 粟津[1921]では保険本質論重視のドイツ保険学がかなり取り上げられる。 (3) [1927],『保険学講義』明治大学出版部。 こうした損害概念重視に対して志田[1927]はゴッビが提唱し,マーネスに よって広められた入用充足説を「財産入用説」として紹介し,これを支持する。 ただし,マーネスの定義文に若干問題ありとして,修正して独自の定義文を下 す。 マーネスの定義 保険は相互主義に基づく経済施設にして偶然かつ見積もりう べき財産入用の充足を目的とするものなり。(志田[1927] p.7 志田の定義   保険とは偶然性を有する特定の原因事実を予見し,これによ り惹き起さるべき財産を予定する多数の人々が結合し,その 原因事実の発生したる際予定せる財産入用を充足するため, 各自が計算上公平なる分担に任ずる経済制度なり。(同p.8) 修正点は,営利保険も包含するため「相互主義」という用語を避けたこと,

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人の生死の財産入用は見積もれないことから「見積もりうべき」という表現を 避けたことである。このように定義文を独自に精緻化するものの入用充足説を 支持し,ワグナー(Adorf Wagner)の定義を取り上げて損害概念を重視する見 解を批判する。保険学説は損害説から非損害説へと進化したが,粟津[1921] と対照的に,志田[1927]はこの流れに沿ったものといえる。 (4)小島昌太郎[1929],『保険学要論』日本評論社。 小島[1929]は,保険学は保険の本質を基礎に置かなければならないとし, 極めて保険の本質を重視する。本書では,従来の伝統的な保険学説にとらわれ ず,全く自由な立場から論述するとする。 「余りに定義に於ける字句の精彩を尊び,総ての理論をこれより演繹する態 度をとり,それが理論を進めるについての一標識たることを忘却するときは, ものの本質の研究が,ややもすればその本領を逸して,概念の遊戯に堕する危 険を伴う」(同p.55)との指摘は,その後の保険本質論偏重の伝統的保険学に 向けられた批判を先取りする卓見といえよう。 さまざまな保険学説を取り上げた上で,優れた学説としてフプカの説を「経 済生活確保説」として紹介する。フプカは保険を次のように定義する。 保険契約とは当事者の一方(保険契約者)が,未来の欲望を確実に充足せん とするの目的を以て,一定の事件又は時点(保険事件)に対し,相手方(保険 者)より給付を受くることを約する有償契約であって,その給付の支払い範囲, または反対給付との関係は,保険契約者または第三者の財産若しくは人身に関 する不確定なる事情によりて定まるものである。(同pp.203-204) しかし,この優れたフプカの学説を含めて従来の保険学説は保険の静態に着 目したものであるが,保険の動態にも着目すべきとして,次のように述べる。 「『社会生活を営む人類が交換原則の下に於て,その所要の物的資料を未来 の偶然なる変化に処して,なお,確実に獲得使用するを可能ならしめることを 工夫』して出来たものが即ち,『経済生活を安固ならしむるがために,多数の

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経済主体が団結して大数法の原則に従い,経済的に共通準備財産を作成する仕 組』なのである」(同p.56)とする。後者は従来からの定義で静態的定義とし, 前者は動態的定義として本書において登場する。そして,共通準備財産の作成 が,保険の本質的根底をなすものとする(同p.105)。後に詳しく吟味するが, 独自の学説「共通準備財産説」とすることができるのではないか。 (5)柴官六[1931],『保険学概論』賢文館。 柴[1931]は冒頭で保険を次のように定義する。 保険とは人類が共通危険を緩和補正する為に団体を作り,その共栄を図ると 共に団体員が蒙りたる損害を総員に於て分担救援する制度である。(同p.3) 従来は損害填補という消極的職能に着眼して説明していたが,共同の福祉増 進を図るという保険の積極的作用を看過してはならぬとする。また,保険を経 済的制度とのみ思考するのではなく,倫理的又は政治的な価値があるものと捉 え,自らの説を独自の保険学説「分担救援説」(同p.59)とする。しかし,損 害填補は消極,積極という観点から捉えられるべきものではなく,生命保険が 捉えられないという点に問題の核心がある。これでは,損害説から非損害説へ の進化が捉えきれない。 (6)末高信[1932],『私経済保険学』明善社。 末高[1932]は,独自の学説名を織り交ぜながら体系的に保険学説を整理し た上で,いくつかの学説の優れた要素を織り込んで,保険を次のように定義す る。 保険とは,私有財産制度の下に於て,偶然なる特定の事情に由来する経済生 活の不安定に対し之を保全し,或はその需要を確実に充足せしめ,又は更に進 んで之を強固にし,又は之を一層発展せしめんが為め,社会的に,且個別経済 に対しては時間的に生活資料の平均を獲得する目的を以て,蓋然率及びその他

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科学的基礎の上に立つ所の共通準備財産を形成せんとする経済上の施設である。 (同p.15) 末高[1932]では入用充足説を「需要説」,経済生活確保説を「保全説」と しているが,定義文の「需要」,「保全」はこれらの学説の一部を取り入れたも のと思われる。現代の生活において需要を平均的に満たすことを重視し,保険 を「需要平均の制度」(同p.1)の一つとしていることから,保険の目的が「生 活資料の平均の獲得」となっているのであろう。また,末高自身は学説名を明 示していないが,保険そのものを「共通準備財産を形成する経済施設」と捉え ているので,共通準備財産説といえよう。 (7)酒井正三郎[1934],『保険経営学』森山書店。 酒井[1934]は,商業学に対する危機意識に基づきながら海上保険を中心と した考察をするなど,かなり特異な考察を行う。海上保険を次のように定義す る。 海上保険とは海上の危険に脅かされる海上企業関係者の生活安定を目的とす る間接的・内部的金融の仕組みである。(同p.21) 保険の本質は,保険団体に拠出された共通準備財産から欲求の充当を受ける こととするので,保険本質論としては共通準備財産説に近いといえる。しかし, 仕組みを内部的金融の仕組とするので,財産の形成自体ではなくそこからの取 り崩し・資金の流れの仕組みをより重視しているのが特徴であると思われる。 この点から,金融説に分類される場合があるのであろう(白杉[1954])。後述 する米谷隆三の「相互金融機関説」に含まれると考える。 (8)三浦義道[1935],『保険学』改訂11版,巖松堂。 三浦[1935]は,第2章「保険本質論」で保険学説を含めた保険の本質につ いての考察を行う。経済生活を需要充足行為とし,一般論として展開して,需

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要説支持の伏線を張る(同pp.53-61)。なお,三浦は「需要」という用語を重 視している。保険学説の考察は,体系的整理を指向せず,時系列的に生命保険 否認説,技術説(Vivante1891)3),客観的危険説(Krosta1911),所得構成説 (Hülsse1914),損害説(Wagner1891),需要説(Gobbi1897)を取り上げる。

独自の学説の提唱ではないが,「需要」という用語重視が特筆される。

(9)磯野正登[1937],『保険学総論』保険経済社。

磯野[1937]は,第3章「保険の本質」で保険学説を含めた保険の本質につ いての考察を行う。損害説,生命保険否認説(Laband,Elster),技術説 (Vivante1891),不利益説(Wagner1891),統一不能説(Ehlenberg,松本烝 治),所得構成説(Hülsse1914),共通準備財産蓄積説(小島昌太郎),需要説 (Manes)を取り上げ,需要説はドイツにおける通説といえ,著者もこれを支 持するとする。小島の保険学説を独立した学説「共有準備財産蓄積説」として いるのが注目される。 (10)勝呂弘[1939],『保険学』叢文閣。 勝呂[1939]は,第1章第2節「保険の本質」で保険学説を含めた保険の本質 について考察する。損害分担説(Wagner1888),危険転嫁説,生命保険否認説, 生命保険即慰藉保険説,危険平均説,貯蓄説または所得説,技術説,経済生活 確保説,偶発的欲望説・充足説(ゴッビ・マーネス)を取り上げるが,損害分 担説,充足説以外は簡単な考察ですませ,両学説を画期的とし,充足説を支持 する。充足説については,前述の志田のマーネスの定義の修正,相互主義とい う用語を削除するという試みに対して,むしろ定義中に挿入すべきとしている。 マーネスの定義を充足説として,ワグナー(Adolph Wagner)の損害填補説, ゴッビの偶発的欲望説を止揚したものと高く評価する。特に,「偶発的入用」 という用語を使用して,保険を次のように定義する。 ―――――――――――― 3)ここでの括弧書きは,三浦[1935]で指摘されているものをそのまま記載している。磯 野[1937],勝呂[1939]も同様である。

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保険とは偶発的入用を予見し,之を相互的に充足せしむる目的を以って多数 人団結し,各自公平なる分担に任ずる経済制度を謂う。(勝呂[1939]p.30) 独自の保険学説というよりも,マーネスの充足説を精緻化したものといえよ う。 (11)近藤文二[1940],『保険学総論』有光社。 近藤[1940]は,第2篇「保険の本質」で保険学説を含む保険の本質の考察 をする。損害填補説,損害分担説,賭博説,生命保険否認説,欲望満足説,欲 求充足説,客観的危険説,貯蓄説,交換取引説,確保説を取り上げ,保険本質 論の発展過程をみる。わが国では無視されているヘルマン(E m a n u e l Herrmann)の「賭博説」を高く評価しているのが注目される。後述の印南 [1941]も賭博説に言及しているが,もともと極めて簡単に各学説を取り上げ ているに過ぎず,賭博説も近藤を先行研究として学説名をあげている程度なの で,近藤の賭博説重視の点は戦前の保険本質論において例外的といえる。しか し,小島の保険本質論を「経済生活確保説」として支持し,それはフプカの立 場を基礎として保険を定義したもので,経済生活確保説とする(同p.74)。そ の上で,自ら保険を次のように定義する。 保険とは,資本主義社会において偶然が齎らす経済生活の不安定を除去せん がため,多数の経済単位が集まって全体としての収支が均等するように共通の 準備財産を形成する制度である。(同p.133) 独自の定義文ではあるが,「共通準備財産を形成する制度」として保険を捉 えているといえるので,内容的には小島の定義文の修正といえよう。 (12)印南博吉[1941],『保険経営経済学』笠原書店。 印南[1941]は,第2章「保険事業の本質」において保険の本質について考 察する。ただし,保険本質論が考察の中心ではなく,加入目的との関係で保険

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学説に若干言及しつつ保険本質論が考察されるに過ぎない。ゴッビに始まりわ が国では志田を代表的支持者とする入用充足説とフプカに始まりわが国では小 島を代表的支持者とする経済生活確保説の2説のみが問題とするに足り,入用 充足説,志田の保険の定義を支持する。小島の学説を独自の学説とせず経済生 活確保説としている。 (13)西藤雅夫[1942],『保険学新論』立命館出版部。 西藤[1942]は,第2編「保険の本質とその機構」で保険の本質を考察する が,保険学説を取り上げたり,保険の要件などを考察する通常の考察とは異な り,資本を中心とした経済学的考察を行う。保険の本質として金融性を重視す るが,機構として捉える新しい見方に立つとしているので,一応ここでは独自 の保険学説「機構説」としておこう。定義自体にはこだわらないとしつつ,次 のように定義する。 保険とは,偶然なる事件のうちにありて,なお経済生活確保のために,多数 人が共同して,貨幣を獲得するところの仕組みである。(同p.4) 「経済生活確保」という文言から,経済生活確保説の影響を強く受けている といえよう。 (14)園乾治[1942],『保険学』慶應出版部。 園[1942]は,第1章「保険の意義」,第2章「保険の定義」で保険学説を含 む保険の本質を考察する。共通準備財産説に米谷隆三の相互金融機関説の表現 をとりいれ,次のように定義する。 保険とは経済生活を安定せしめるために多数の者が団結して合理的計算を以 て作成する相互主義の金融施設である。(同p.38) 印南[1956]では,米谷説を「相互金融説」とし,これに即した上記の園の

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説を「相互金融機関説」(印南[1956]p.373)とする。また,園の保険学説の 推移を子細に考察した庭田[1972]では,「共通準備財産説と相互金融機関説 を一体化されたもので,主力は相互金融機関説のところにありとされる」ので, 相互金融機関説と位置づけられるとする(庭田[1972]p.Ⅳ)。園[1942]で は米谷の説を「相互金融機関説」としていることから,印南[1956]の名称の 使い分けは不正確であろう。二つの学説を折衷させたことに保険学説史上の意 義があると思われることから,二つの学説を折衷した独自の学説「共通準備財 産説+相互金融機関説」とすべきではないか。園自身はこの学説を独自の学説 とするか否かを明示していないが,本稿では両学説を折衷した独自の学説と捉 える。 以上の文献に対して,(1)支持する学説,(2)定義文の修正を行っている か,(3)独自の保険学説といえるか(修正または独自の学説),(4)取り上 げている保険学説をチェック項目として整理すると,表1のとおりである。 表1から「支持する学説」は,損害説2,入用充足説5,共通準備財産説2, 経済生活確保説1,独自の学説4(共通準備財産説を除く)となる。共通準備 財産説も経済生活確保説の流れを汲むことからすれば,入用充足説と経済生活 確保説関連が8を占め,やはり両者が戦前の保険本質論の中心であったことが 確認できる。独自の学説もそれなりに多いといえるが,柴の分担応援説は損害 分担説に,西藤の機構説は経済生活確保説に,園の共通準備財産説+相互金融 機関説は共通準備財産説に近いことからすれば,入用充足説と経済生活確保説 中心の傾向は,「支持する学説」の単純な結果よりも一層強いといえよう。定 義文の修正もあまり見られず,戦前の保険本質論の展開は,入用充足説,経済 生活確保説を軸に,各保険学説を考察して支持する学説がどの学説であるかを 明示することに主眼が置かれたといえる。

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表1.戦前の文献における保険本質論 × × × 支持 学説 定義文 修正 修正or独 学説 保険学説 考察 a s d f 奥村 1912 粟津 1921 志田 1927 1931 小島 1929 注)1.「 a 支持する学説」の括弧書きは、支持する学説名が明示されていないが、定義文や内容から判断したものを示す。 2.酒井[1934]「 d 修正 or 独自の学説」の括弧書きは、定義文や内容から米谷の学説に含まれるとしたもの。 (出所)筆者作成。 × × × 修正 × 損害填補説 損害契約説 損害分担説 人格保険論 生命保険否認論 危険転嫁説 非損害填補説 統一不能説 統一可能説 技術的特徴説 偶発的欲望充足説 所得構造説 経済生活確保説 × 填補契約説 損害分担説 危険転嫁説 生命保険否認説 統一不能説 偶発的欲望充足説 経済生活確保説 経済生活確保説 (損害説) (損害分担説) 財産入 用説 (独 自・ 共通準備財産説) 分担応援説 末高 1932 修正 給付説 損害説 原始的損害説 損害填補説 損害分担説 危険転嫁説 新損害説 人格保険説 生命保険否認説 非損害説 区分説 一元説 ・技術説 需要説 ・所得説 保全説 (共通準備財産説) 独自 ・分担応援説 × × 損害説 生命保険否認説 技術説 不利益説 統一不能説 所得構成説 共通準備財産 蓄積説 磯野 1937 勝呂 1939 近藤 1940 西藤 1942 印南 1941 修正 損害分担説 危険転嫁説 生命保険否認説 生命保険即慰藉保険説 危険平均説 貯蓄説 また は所得説 技術説 経済生活確保説 偶発的欲望説 入用 修正 損害填補説 損害分担説 賭博説 生命保険否認説 欲望満足説 欲望充実説 客観的危険説 貯蓄説 交換取 確保説 × × 損害分担説 賭博説 生命保険否認説 客観的危険説 貯蓄説 静態論的保険本質論 交換取 財産保全説 現在欲望説 確保説 確保入 用充足説 × × 充足説 需要説 × × 酒井 1934 (金融説) (相互金融機関説) × × 生命保険否認説 技術説 客観的危険説 所得構成説 損害説 需要説 統一不能説 三浦 1935 需要説 充足説 経済生活確保説 (機構説) 1942 × 損害説 損害填補説 損害分担説 危険転嫁説 人格保険説 生命保険否認説 非損害説 一元的解釈不能説 技術説 欲望充足説 所得説 経済保全説 (共通準備財産説 +相 互金融機関説 (独 自・ 共通準備財産説 +相互金融機関説) 独自 ・機構説 表1.戦前の文献における保険本質論

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また,保険学説の体系的整理を試みているものは,次の図の通りである。 図2.小島[1929]の保険学説 (注)網掛けの名称は筆者が便宜的につけたもので、その他は小島[1929]による。 (出所)小島[1929]pp.149-152から筆者作成。 人格保険論 生命保険否認論 填補契約説 損害分担説 危険転嫁説 非損害填補説 技術的特徴説 偶発的欲望充足説 所得構造説 経済生活確保説 統一不能説 統一可能説 損害填補説 保険学説 図3.末高[1932]の保険学説 (出所)末高[1932]pp.2-3の図。 損害填補説 損害分担説 危険転嫁説 人格保険説 生命保険否認説 原始的損害説 新損害説 損害説 非損害説 区分説 一元説、技術説、需要説、所得説、保全説 給付説 保険学説

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各保険学説を取り上げた考察が多い割には,体系的な整理があまりなされて いない。支持する保険学説の選択が重視され,保険学説の体系や系譜はあまり 重視されなかったようである。

3.戦後初期の文献

(1)加藤由作[1947],『保険論(総論)」巌松堂,(2)加藤[1948] ,『保 険概論』新訂3版,巖松堂。 加藤[1947]は,第2章「保険および保険学の意義」で保険学説を含めた保 険本質論の考察を行う。ゴッビの学説を「欲望充足説」としてマーネスの「需 要説」と分けている。続いて経済生活安定説(フプカ)4) ,客観説(技術説, クロスタ(Benno Krosta)),共通準備財産説が取り上げられ,著者は需要説を 支持する。小島と明記していないが,わが国一部の学者が唱えるところとして, 共通準備財産説を指摘する。したがって,小島の説を独立した保険学説と捉え ―――――――――――― 4)ここでの括弧書きは,加藤[1947]で指摘されていたものをそのまま記載している。印 南[1950]も同様である。 図4.園[1942]の保険学説 (出所)園[1942]pp.19-38から筆者作成。 損害填補説 損害分担説 危険転嫁説 人格保険説 生命保険否認説 一元解釈不能説 技術説 欲望充足説 所得説 経済保全説 共通準備財産説 相互金融機関説 非損害説 損害説 保険学説

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ていると思われる。かなり絞り込んだ保険学説の考察である。本書は危険から 考察をはじめ,損害概念と関連させてこれを重視するが,需要説の「財産上の 需要」を「抽象的損害」と捉えて,需要説と損害概念の整合性を図っているの が注目される。この点において,損害説を乗り越えるための需要説という位置 づけから逸脱する見解といえよう。加藤[1948]は,保険学説の考察はないが, 加藤[1947]と同様な立場にたつ。 (3)近藤文二[1948],『保険論』東洋書館。

近藤[1948]は,ゴッドル(Friedrich von Gottl-Ottlilienfeld)理論との関係 でゴッビや入用充足説について考察するが,保険学説の考察などを通じた通常 の保険本質論の考察はなされない。小島の保険本質論を含めて,保険の歴史性 が問題とされていないとする。 (4)印南[1950], 『保険経済』東洋書簡,(5)印南[1954], 『保険経済』 改定版,東洋書簡,(6)印南[1967] ,『保険経済』新訂版,東洋書簡,(7) 印南[1952],『保険論』三笠書房。 印南[1950,1954,1967]は『保険経済』の初版,改訂版,新訂版である。 印南[1950]では入用充足説を支持し,志田の定義文(志田[1927]p.8)に 基づいた考察を行う。また,入用充足説と経済生活確保説の論争にもふれる。 その他,稼得確保説(白杉三郎),ヘルマンの説,保険基金説(マルクス(Karl Marx)),蓄積原理説(酒井正三郎),保証貯蔵説,保険金融説(米谷隆三)を 取り上げる。ヘルマンの説は保険企業の立場に立ち,保険基金説は社会経済的 立場に立つとする。しかし,国民経済の構造に即して保険を的確に把握できて おらず,酒井正三郎の説を「蓄積原理説」として高く評価する。ただし,蓄積 原理には経済的裏付けがないとして,「保証貯蔵説」を提唱する。印南[1954] は印南[1950]と同様であるが,印南[1967]では,自ら提唱した「経済準 備説」に基づく。印南[1950,1954]では定義文は志田に従いながら保証貯 蔵説を主張するが,印南[1967]では定義文も経済準備説となる。 印南[1952]は,保険本質論の考察がない。

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(8)佐波宣平[1951],『保険学講案』有斐閣。 佐波[1951]は,伝統的保険学に批判的で,特に保険本質論重視を批判する。 保険学説を一々列挙し,一々批判していくといったやり方に批判的であるが, 保険の定義を行い,要件を使った分析など,佐波自身の考察は伝統的保険学の 枠内にある。保険を読んで字の如く,「人々を危険から確保する経済制度であ る」(同p.43)とする。ここからブレーク・ダウンして,保険の対象の「危険」 を考え,保険の存在目的を明白にし,保険の仕方である危険からの確保につい て考え,保険固有の仕組・組織を明白にする。定義文から要件を導き出しそれ に基づく考察と同様な考察であり,保険本質論としては危険を重視する立場と いえるが,確保が強調されている点では経済生活確保説的でもある。実際,印 南[1956]は佐波を経済生活確保説とする(印南[1956]p.260)。ここでは, 経済生活確保説とする。 (9)白杉三郎[1954],『保険学総論』再訂版,千倉書房。 白杉[1954]では,第2章「保険の本質」において保険の本質の考察を行い, 第3章「保険の本質に関する学説」において保険学説の考察を行う。保険を次 のように定義する。 保険とは,一定の偶然的事件に対して,財産の形成を確保するため,多数の 経済単位が集合し,合理的な計算の基礎に基づいて,この目的達成のために必 要な資金を分担醵出する経済制度である。(白杉[1954]p.15) 前述の印南[1950,1954,1967]では白杉の学説を「稼得確保説」として いたが,この定義文からは「財産形成確保説」とでもすべきものである。初版 の白杉[1949]では保険の目的を「稼得の確保」としており,印南は初版に基 づいて論述していると思われる5) 。なお,再訂版の白杉[1954]では,「稼得 ―――――――――――― 5)印南[1956]において,「ただし白杉氏は,その近著『保険学総論』の初版では,稼得確 保説を主張し(19,20頁),その再訂版では,財産形成確保説を主張している(23頁以 下)」(印南[1956]pp.233-234注(2))としている。したがって,印南[1967]では, この白杉の修正を織り込めたはずである。

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の確保」から「財産形成の確保」への修正の理由は明示されていない。保険学 説としては,損害説とそれ以外の学説に大別されるとした上で,損害填補説, 生命保険否認説,損害分担説,統一不能説,技術的特徴説,貯蓄説,財産形成 説,偶発的欲望説および入用説,経済生活確保説,経済生活平均説(末高信), 金融説(米谷隆三,酒井正三郎)を取り上げる。わが国の独立した学説として, 経済生活平均説,金融説を指摘しているのが注目される。 (10)園幹治[1954],『保険学』泉文堂。 園[1954]は,第1章「保険の本質」で保険学説を含めた保険の本質の考察 を行う。保険を次のように定義する。 保険とは,偶然の事件に原因する経済不安に対する善後策で,経済の安定を 図るに必要な手段を,合理的に算定せられた醵出を以て,多数の経済主体が協 同して,相互に調達する経済施設である。(同p.17) 共通準備財産説+相互金融機関説といえる園[1942]と異なり,「相互主義 の金融施設」という文言が落ちている。なぜ,このような修正をしたのかの説 明もない。先に取り上げた園の保険学説を考察した庭田[1972]では,米谷説 を「金融機関説」と呼びかえて批判しているので,この修正は相互金融機関説 を放棄したことを意味するとする(庭田[1972]p.Ⅳ)。さらに,園[1955] における次の定義文を取り上げ,「保険経済安定説」とすることも可能である とする(同p.Ⅴ)。 保険は経済を安定させるために必要な手段を,合理的に算定せられた費用を 以て,多数の経済主体が協同して調達する経済施設である。(園[1955]p.21) この定義文は園[1954]の定義文を洗練したものといえ,これをもって「保 険経済安定説」とするならば,園[1954]の定義も「保険経済安定説」とよん で差し支えないであろう。しかし,庭田[1995]では園の保険学説自体が取り

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上げられておらず,また,本田[1978]でも取り上げられておらず,一般的に は園の保険の定義は独立した保険学説と見做されていないようである。園自身 も積極的に独自の保険学説と主張するわけではないが,保険学説の考察を行う 園[1961]では,社会保険を包含するために独自の保険学説を提唱しているこ とが示唆される。共同準備財産説+相互金融機関説(園[1942])から相互金 融機関説の放棄(園[1954])によって共通準備財産説になるのではなく,社 会保険の包含を意識した独自の保険学説を指向したと思われる。保険は経済の 安定に必要な手段を調達する経済施設とすることから,独自の保険学説「経済 安定説」とする。 ところで,学説間の関係に対して,「保険の作用もしくは目的を広く経済的 に探究する欲望充足説,貯蓄説,経済保全説などの諸説があり,これ等の諸説 を総合発展せしめた共通準備財産説,経済生活平均説,稼得確保説などがあり, 更にこれとは全く相異して保険の成立する方法に留意した技術説,金融機関説 などがある」(園[1954]p.53)との重要な指摘がある。この指摘に従えば, 共通準備財産説を経済保全説(経済生活確保説)等から一段高い学説と考えて おり,また,金融機関説は異質としていることから,園[1942]では異質なも のを合体させたような保険学説を展開していたことになる。 なお,保険学説の体系も園[1942]と異なる。保険学説の体系の修正につい ても説明はないが,両者を比較すると,大きく損害説,非損害説に二分してい たのに対して,二元説を追加した点が修正点といえる(図4,5参照)。これ は園[1942]で損害説に含めていた人格保険説,生命保険否認説,非損害説に 含めていた一元的解釈不能説を二元説として把握したためと思われる。損害説, 非損害説を損害概念またはそれ以外で一元的に把握する学説とし,二元的に捉 える学説を別範疇としたものと思われる。 (11)大林良一[1960],『保険理論』春秋社。 大林[1960]は,冒頭の第1章「保険の概念」で保険の本質を考察し,最終 の第8章「保険学」で保険学説を考察する。保険を生活危険により偶発する一 定の経済的必要(入用)を予定する多数の経済単位が,技術的基礎によって,

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相互にその必要を充足することであるとする(同p.15)。したがって,経済必 要充足説(入用充足説)の立場に立つといえる。しかし,保険学説の考察にお いて,志田のように入用額に応じた技術的に公平な負担を要求する場合は,社 会保険を包含できなくなるので,偶然率による保険料というのを放棄するとす る(同p.186)。保険学説については,生命保険,社会保険の登場によってさま ざまな異説が登場したとし,そのうちの主要なものとして,生命保険否認説, 広義の損害分担説,統一不能説,技術的特徴説,協同体説,財産形成確保説, 経済生活確保説,経済準備説,経済必要充足説(入用充足説)を取り上げる。 (12)相馬勝男[1963],『保険講義要領』邦光書房。 相馬[1963]は,第Ⅲ講第3章で保険の定義として印南の経済準備説をとる とし,保険を次のように定義づける。 保険とは,一定の災害その他の偶然事件に対する団体的経済準備で,多数の 経済体が結合し,確率計算に基づいて公平な負担を行なう経済施設である。 (同p.29) 特に,災害に対する経済準備であるとし,「災害経済準備説」の立場とする (同p.31)。そして,第Ⅳ講第1章「保険の時代区分的考察」では,保険学説に ついて言及する。わが国では入用説と確保説の対立となり,両者を止揚するも のとして経済準備説が登場したとする。経済準備説を高く評価する。ここでは 一応独自の保険学説「災害経済準備説」とする。 以上の文献について,戦前と同様な整理を行うと表2のとおりである。

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表2.戦後初期の文献の保険本質論 × × 欲望充足説 需要説 (入 用充足説) 経済生活安定説 客観説 (技術説) 共通準備財産説 支持 学説 定義文 修正 修正or独 学説 保険学説 考察 a s d f 加藤 1947 加藤 1948 近藤 1948 印南 1950 1954 印南 1967 印南 1952 佐波 1951 白杉 1954 1954 大林 1960 相馬 1963 注)1.「 a 支持する学説」の括弧書きは、支持する学説名が明示されていないが、定義文や内容から判断したものを示す。ただし、「需要説 (入 用充足説) 、「経済必要充     足説 (入 用充足説) 」は、入用充足説の別名を示す。 2.近藤[1948]は、通常の保険本質論の考察はないが、入用充足説、経済生活確保説は取り上げられるので括弧書きとした。 3.相馬[1963]は、保険学説を取り上げた考察はないが、保険学説の流れを簡単に整理しているので「 f 保険学説の考察」を△とした(相馬[1963]pp.41-42)。 (出所)筆者作成。 需要説 (入 用充足説) × × × 需要説 (入 用充足説) × × × (入 用充足説) (経済生活確保説) × 損害分担説 入用 充足説 経済生活確保説 稼得確保説 ヘル 保険基金説 貯蓄原理説 保証貯蔵説 × 損害分担説 入用 充足説 経済生活確保説 稼得確保説 ヘル 保険 ンド説 貯蓄原理説 経済準備説 保証貯蔵説 保証貯蔵説 経済準備説 (経済生活確保説) (財産形成確保説) 財産形成確保説 経済準備説 経済安定説 経済安定説 経済準備説 災害経済準備説 × × × × 修正 × × 損害填補説 生命保険否認説 損害分担説 統一不能説 技術的特徴説 貯蓄説 財産形成説 偶発的欲望説 およ 経済生活確保説 経済生活平均説 金融説 × 損害説 損害填補説 損害分担説 危険転嫁説 財産保全説 二元説 人格保険説 生命保険否認説 二元択一説 非損害説 技術説 欲望充足説 (入用充足説) 貯蓄説 (所得説) 経済保全説 共通準備財産説 金融機関説 その 諸説 経済生活平均説 稼得確保説 × × 生命保険否認説 広義 損害分担説 統一不能説 技術的特徴説 協同体説 財産形成確保説 経済生活確保説 経済準備説 経済必要充足説 (入用充足説) 経済必要充足説 (入 用充足説)

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表2から「支持する学説」は,入用充足説3,経済生活確保説1,独自の学 説5である。戦前との比較では,定義文の修正を含めて,印南を中心に独自の 保険学説を追求する姿勢が強いといえる。入用充足説と経済生活確保説を軸と した論争から独自の学説を模索する動きといえよう。一方,佐波のように戦前 からの考察が保険本質論偏重とする批判も生じている。この点において,保険 本質論の研究ひいては保険の研究が転機を迎えつつあったといえるのではない か。 また,保険学説の体系的整理を試みているものは,次の図のとおりである。 戦前よりさらに保険学説の体系的考察,系譜などに対する考察がなくなった。 図5.園[1954]の保険学説 (出所)園[1954]pp.53-54から筆者作成。 人格保険説 生命保険否認説 二元択一説 技術説 欲望充足説(入用充足説) 貯蓄説(所得説) 経済保全説 共通準備財産説 金融機関説 その他の諸説   経済生活確保説          稼得確保説 非損害説 損害説 二元説 保険学説 損害契約説 損害分担説 危険転嫁説 財産保全説

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4.保険本質論の文献

ここまでの考察は小川[2009a,b]などの一連の研究として行っているため, テキスト的文献を取り上げての考察となっているが,保険本質論についてはこ れをテーマとした優れた研究書があるので,そちらのほうもみておこう。戦前 の小島[1928],近藤[1939]と戦後の印南[1956]である。 (1)小島昌太郎[1928],『保険本質論』改訂再版,有斐閣。 第1章「緒論」は,保険学はいかなるものであるかを考察する。保険学は経 済学の一分科であるとする。保険は他の一般の経済現象と同様に,物的資料の 獲得使用が交換原則の下に行われる場合にのみ存在するとする。保険学を集合 科学と捉えるドイツ保険学協会の見解を否定する。なお,本書は小島[1925] の改訂再版であるが,本章と財産保全説を加えたことが初版に対する主要な追 加事項・修正事項である。 第2章「保険の成立」は,保険史の考察である。保険類似の原始的制度,原 始的保険のうち偶然に対抗する手段が純化して現代的保険となったとする(同 p.53)。そして,保険の本質研究の対象となるのは,この現代的保険であると する。現代保険の成立の証跡として1720年の二大勅許会社の設立,1762年の オールド・エクイタブルの設立をあげる。なお,原始的保険と現代的保険の分 類基準は合理的料率を基礎とするか否かに求めている(同p.148)。 第3章「保険の本質に関する学説の発展」は,保険学説を考察する。特に, 保険学説の史的研究がほとんど行われていないことに問題意識を持っているた め,保険学説史の考察が中心となる。保険学説の発展的系統を図6のように捉 図6.小島[1928]における保険学説の発展的系統 (出所)小島[1928]p.157の図。 人格保険論 生命保険否認論 危険転嫁説 財産保全説 非損害分担説 技術的特徴説 偶発的欲望充足説 所得構造説 経済生活確保説 統一不能説 統一可能説 損害分担説 損害填補説

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える。

これはあくまでも発展的系統を示すもので,保険学説の分類は図7のように 捉える。

これらのうち主たるものとして,損害填補説(Samuel Marshall,E.A.Masius, Gephard, Ketcham, R.Riegel)6 ), 損 害 分 担 説 ( Adorf Wagner, Brämer, Victor Ehrenberg) 危 険 転 嫁 説 ( Phillippovich, Willett), 財 産 保 全 説 (Gerhard Jessen),人格保険説(Josepf Kohler),生命保険否認説(Stobble,

König,Thöl,Tissier,Leveil,Malss,Reuling,Predöhl,Rüdiger, Hinrichs,Laband,Cohn,Elster,Willett),統一不能説(Victor Ehrenberg), 技術的特徴説(Cesare Vivante,Herrmann,Conrad),偶発的欲望充足説 (Wilhelm Lazarus,Ulisses Gobbi,Alfred Manes,Emminghaus,Moldenhauer,

Wörner,Lexis,Loevy),所得構造説(Friedrich Hülsse),経済生活確保説 (Joseph Hupuka)を考察する。 この考察において注目される点をあげると,次のとおりである。危険転嫁説 については,この学説そのものよりも,「危険」の概念について詳細に考察す る。初版(小島[1925])にはない「財産保全説」を紹介するが,損害分担説 ―――――――――――― 6)ここでの括弧書きは,小島[1928]で指摘されているものをそのまま記載している。 図7.小島[1928]における保険学説の分類 (出所)小島[1928]のp.158の図。 経済的損害分担説 人格保険説 生命保険承認説 生命保険否認説 技術的特徴説 偶発的欲望充足説 所得構造説 経済生活確保説 損害填補説 損害分担説  (危険転嫁説) 財産保全説 統一不能説 統一可能説 損害という概念を 本とするもの 損害という概念を 本とせざるもの

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への回帰といった学説なので,保険学説の進歩に貢献した学説のみを取り上げ る場合には無視してかまわない学説とする(小島[1928]p.237)。「生命保険 否認説」,「技術的特徴説」は小島の命名である。ゴッビの学説とマーネスの学 説を分けず,マーネスの修正を重視していない。Bedürfniss (ゴッビ), Bedarf(マーネス)の用語の違いも重視しない(同p.208)。基本的に学説を古 い順に取り上げているが,所得構造説よりも古い経済生活確保説を最後に取り 上げ,高く評価する。 本章の最終節でまとめが行われるが,保険の本質については,保険の本体, 保険の職能,保険の方法(技術)が明らかにされなければならないとし,この 3つの観点からまとめている。そして,保険の特殊性が特に現れるのは方法で あるとし,保険の特殊の方法とは共通準備財産の作成とこれを作成するに要す る醵金の特殊な算法とする(同p.260)。著者の共通準備財産作成重視の姿勢が 明確にされる。 第4章「保険と経済との根本関係」は,保険が経済生活を安固ならしめる方 策のうちいかなる地位を占めるかを考察して,保険と経済との根本関係を明ら かにする。現代の経済において経済生活が不安定になることを所得の考察から 始め,その方策を規律的なる経営と準備財産の作成に求める。そして,保険を この準備財産を作成する特殊の仕組みとする(同p.287)。 第5章「保険の本質」は,保険の重要要素を考察して保険の本質を解明する。 保険を次のように定義して,特質を導き出し,それぞれについて考察を加えて いるので,パターン化した考察といえる。 保険とは,経済生活を安固ならしむるがために,多数の経済主体が団結して 大数法の原則に従い,経済的に共通準備財産を作成する仕組みである。(同 p.421 保険の本質を解明するためには特質をあげるだけでは不十分で,保険の限界, 保険類似制度,保険の分類についても述べるところがなければならないとする が(同p.333),これらは伝統的保険学にみられるパターン化した考察項目であ

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る。保険本質論重視の伝統的保険学のパターン化した考察項目が,改めて保険 の本質と密接に関係していることが確認できる。これらのことが考察される最 終章は,テキスト的な内容である。 テキスト的考察を含む保険本質論以外の考察も行われるが,保険学説の体系 的整理がなされ,その後の保険本質論の研究に多大な貢献をしたと思われる。 また,本書でも共通準備財産の作成を重視する小島の保険本質観を確認できる。 (2)近藤文二[1939],『保険経済学』第2巻(保険学の本質),甲文堂書店。 本書は「保険学の本質」とされるが,前半が保険学説史,後半は著者の保険 本質論が展開されており,第3編「保険の本質」として6章構成であるため,ま さしく保険本質論の書といえる。第3編とされるのは,第1巻に第1,2編が収め られているからである。全体を通じて保険学の在り方を問うような面があるの で,「保険学の本質」とされるのであろう。 第1章「保険本質論の発展」は,保険本質論の歴史的発展について考察する。 その考察は,次のような独特のものである。法律学者による学説を整理して, 特に保険団体の把握に限界があるので,あまり詳しく取り上げても意味がない とし,経済学者の見解に注目すべきとする。損害填補契約説,危険転嫁説,人 格保険説,生命保険否認説,二元説は法律学者によるものということで簡単な 考察で済まし,ワグナーを中心に損害分担説,ヘルマンの賭博説,エルスター (Ludwig Elster)の生命保険否認説,ゴッビの欲望充足説,マーネスの欲求充 足説(Bedarfstheorie),クロスタの客観的危険説,フュルセ(ヒュルセ (Friedrich Hülsse))の貯蓄説,小島の経済生活確保説を取り上げる。ゴッビ, クロスタ,ヒュルセ等によって保険の技術的特性が深められたとし,この技術 的特性と保険の経済的目的を結び付けた保険の統一的構成を最初に試みたのが 小島であるとする。小島の経済生活確保説を最も優れた保険学説とするが,他 の学説との共通の欠点として,資本主義との関係が不十分であるとする。 なお,本章の結論部分で図6の小島の見解に対して,次の図8のような見解を 提示する。

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第2章「理論経済学的保険本質論」は,一定の経済学的立場に立って保険の 本質の理解を試みた学者の説を考察する。ウィレット(Allan H.Willett),リー フマン(Robert Liefmann),イェッセン(Gerhard Jessen),リンデンバウム (J.Lindenbaum),ヘルペンシュタイン(Franz Helpenstein),ローテ(Bodo

Rothe),ウェディンゲン(Walter Weddingen)を取り上げる。

第3章「保険の精神」は,保険を支配する経済意識について考察する。それ は,偶然を契機として資本主義経済制度が齎すところの経済生活の不安定を除 去しようとする保険加入者の普遍的意識であるとする。保険を一般的に指導す る精神は,安定主義,合理主義,個人主義であり,企業保険はこの上に営利主 義,家計保険は欲求充足主義が加わるとする。 第4章「保険の形式」は,保険の組織形態について考察する。もっとも根本 的なものを保険団体とする。 第5章「保険の方法」は,保険の技術的構成について考察する。それを,小 島に従い,共通準備財産を作成することおよびこれを作成するに要する醵金を 特殊の方針に基づき算出することとする。 第6章「保険の本質」は,精神,形式,方法の三方面からの本質的特性を総 合して,保険概念を規定する。保険を次のように定義する。 保険とは,偶然を中心として資本主義経済社会が齎すところの経済生活の不 安定を除去せんがため,多数の個別経済が利益社会的集団を構成し,全体とし 図8. 近藤[1939]における保険学説の発展的系統 (出所)近藤[1939]p.143の図。 欲望満足説 貯蓄説 経済生活確保説 生命保険否認論 生命保険是認論 賭博説 客観的危険説 損害分担説 損害填補説

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てこれを見る場合,各個別経済が経済生活の安定化を妨げる事件として予定せ る一定事件の発生に当たり,現実に受け取るべき金額と均衡せしむるが如き計 算の下に,醵金を為すことにより,共通の準備財産を形成する制度である。 (同p.358) ゾンバルト(Werner Sombart)の理論経済学の立場から保険の本質を考察 して,制度としての保険においてこれを統一的に把握するとする。この場合の 保険の本質とはゾンバルトの形態的理念として構成されたものなので保険の形 態的本質であり,それは保険と資本主義経済組織との意味関係の理解という目 標に向けた出発点であるとする。さらに形態的本質と現象形態の保険の底に横 たわる社会的価値の流れがいかなる意味を持つかを明らかにする必要があり, それを保険料の社会経済学的本質=保険の実体的本質に求める。続いて,この 点に関連した馬場克三との論争を振り返る。 保険学説史の部分は,小島を先行研究としつつも,資本主義経済と保険との 関わりを重視するという視点から,小島をはじめとする先行研究に対する批判 も随所にみられる。保険の定義文が登場するが,小島の経済生活確保説を支持 しているといえ,それをより精緻化させるために独自の定義を行っているとい えるので,独自の学説ではなく,経済生活確保説である7) 。小島[1928]と読 み比べるとかなり保険本質論についての理解が深まるといえ,保険本質論の必 読の書といえよう。 なお,本書に続いて第3巻,第4巻と保険学の体系としてまとめていく予定で あったが,変更され,その代りに近藤[1940]が刊行された(金子[1977] p.107)。 (3)印南博吉[1956],『保険の本質』白桃書房。 本書は独自の学説「経済準備説」を提唱するための書である。従来の保険学 ―――――――――――― 7)近藤は小島の説を「経済生活確保説」とよんでいるので,ここでの名称はそれに従って いる。

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説は主観的立場に立つという根本的欠陥を持っているので,全く新しい保険学 説として「経済準備説」を提唱したとする。これは社会保険,社会保障の基本 把握のためにも適切であるとする。 序論は,保険の本質を規定する定義がどのような性質のものであり,どのよ うな問題があるかについて考察する。保険本質論についての方法論的考察であ り,従来あまりみられなかったものである。固定的定義と歴史的定義の考察な どを行いながら,従来の学説の欠陥が主観的に捉えていること,歴史性が認識 されないことにあり,そこに生命保険,損害保険をいかに一元的に捉えるかと いう課題が加わり,この三つの関門である客観性,歴史性,一元性を首尾よく 突破した学説はないとする。 第1部「保険本質論の諸相」は,保険本質論の発展の跡をたずねる。各学説 の問題点,その後の本質論にいかなる影響を与えたかを考察する。比較的古い 保険本質論として,損害填補説,損害分担説,生命保険二重性格説,コーラー (Josef Kohler)の保険本質論,生命保険否認説,統一不能説を取り上げる。 第2部「入用充足説の沿革」は,第1部の考察で損害概念によらない統一的な 保険学説が要求されるに至ったことが明らかにされたとし,このような学説の うち最も優良な学説である入用充足説を考察する。 第3部「経済生活確保説と入用説との対決」は,入用充足説(入用説)と経 済生活確保説(確保説)の是非を論ずる。 第4部「経済準備説の主張」は,自らの保険学説を提唱する。従来の学説の ほとんどが主観主義の立場に立っており,例外的に客観主義の立場に立つ者も 保険の機能の把握に失敗しているとして,保険の機能を「経済準備の社会化」 とする。 附論として「資本論と保険の本質」を考察する。 本書は本文455頁(附論を除く)もの大著である。それでいて全編保険本質 論に関する考察であり,およそ内外の保険本質論に関してすべてカバーされて いると言っても過言ではないほどである。小島[1928]も保険本質論の文献と して優れているが,歴史的考察や教科書的考察が含まれ,必ずしも全編保険本 質論ではないことと比較すると,改めて本書の重厚さがわかる。ただし,独自

表 2 から「支持する学説」は,入用充足説3,経済生活確保説1,独自の学 説5である。戦前との比較では,定義文の修正を含めて,印南を中心に独自の 保険学説を追求する姿勢が強いといえる。入用充足説と経済生活確保説を軸と した論争から独自の学説を模索する動きといえよう。一方,佐波のように戦前 からの考察が保険本質論偏重とする批判も生じている。この点において,保険 本質論の研究ひいては保険の研究が転機を迎えつつあったといえるのではない か。 また,保険学説の体系的整理を試みているものは,次の図のとおりである。 戦

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