2017
年度日本甲殻類学会・学会賞受賞論文研究紹介
テナガホンヤドカリに見られる繁殖期後の大鋏脚の再生
Regeneration of major cheliped after the mating season in the hermit crab
Pagurus middendorffii
石原(安田)千晶
1*・和田 哲
1Chiaki I. Yasuda and Satoshi Wada
はじめに
2017年度の日本甲殻類学会論文賞に,テナガホ ンヤドカリ Pagurus middendorffiiを対象として,繁 殖期の重要な武器形質である大鋏脚を繁殖期直前に 自切したオスにおける再生パターンを記述したわた したちの論文(Yasuda & Wada, 2015)が選出され た.本研究は,これまでに本論文賞を受賞されてい る,膨大かつ緻密な野外の個体群データから対象種 の生活史を明らかにしていく素晴らしい研究成果 (Takahashi & Goshima, 2012; Nakayama & Wada, 2015;
なお,それぞれの研究紹介論文である五嶋ら,2016 と中山・和田,2017には,興味深い行動実験デー タも併せて紹介されている)とは性格の異なる室内 実験系の成果であり,その価値を高く評価していた だいたことを心から嬉しく思う. テナガホンヤドカリは,右の鋏脚が肥大化するホ ンヤドカリ属の一種である.本属では一般に,オス が繁殖期に左の小鋏脚を用いて交尾・産卵間近なメ ス を ガ ー ド す る (Imafuku, 1986; Goshima et al., 1998).ガード中のオスとメスの奪取を試みる単独 のオスは右の大鋏脚を用いて闘争するが,テナガホ ンヤドカリを含む複数の種で,このオス間闘争の勝
敗がオス同士の体長の差よりも大鋏脚長の差に基づ いて決することが示されている(Yasuda et al., 2012; Yasuda & Koga, 2016b).このように繁殖期のオスに とって非常に重要な大鋏脚は,一方で捕食者回避の
際などに自切して失われやすい形質でもある(
Rob-inson et al., 1970; Wasson et al., 2002; 松尾ら,2015). そのため本研究では,繁殖期が差し迫った時期に自 切が起こったオスは,そうではない時期に自切した オスと比べて,エネルギー投資を高め,より素早く 大きな大鋏脚を再生させる,という仮説を立て,各 オスを2か月室内飼育することによりこれを検証し た. 本稿では,受賞論文の紹介・解説と共に,繁殖期 まで間のある時期に同様の実験を実施し,大鋏脚を 自切したオスの脱皮と再生を記述した Yasuda et al. (2014) についても併せて紹介する.なお,両研究の 調査地である北海道南部の函館湾葛登支岬におい て,テナガホンヤドカリは毎年10月末から12月初
旬に繁殖する(Wada et al., 1995).そのため,Yasu-da & Wa1995).そのため,Yasu-da (2015) で は10月 中 旬 に,Yasu1995).そのため,Yasu-da et al. (2014) では7月末に自切操作を実施した.いずれの 実験も,大鋏脚の自切操作を実施していないオスを 同様に飼育し,自切したオスとの比較に用いた. 7 月に自切した個体の脱皮再生パターン 受賞論文の実験と比較するため,まずYasuda et al. (2014) に基づき,非繁殖期の7月末に大鋏脚を自 切させたオスの応答について概説する.7月の自切 個体は,大鋏脚の再生の有無にかかわらず,自切さ 1 北海道大学大学院水産科学研究院海洋生物学講座 〒041–8611 北海道函館市港町3–1–1
Laboratory of Marine Biology, Faculty of Fisheries Sci-ences, Hokkaido University, Hakodate, Hokkaido 041– 8611, Japan
せてから脱皮までに平均28.2日(±6.76 SD)を要 した(94例).この脱皮までの日数は大鋏脚を自切 させていない個体(平均27.5日±12.24 SD,91例) と平均日数では有意に異ならないものの(Welch’s t-test, t=-0.433, p=0.666),自切させたオスでは有 意にばらつきが小さく(F-test, F=3.239, p<0.001), 大鋏脚を自切すると脱皮期間がある程度同調しやす い傾向が示された. 脱皮の際に大鋏脚を再生させた個体は自切後16 日目から観察され,実験終了までに92.6% の個体が 自切後の脱皮で大鋏脚を再生させた(94例中87例 が再生).大鋏脚を自切したか否かにかかわらず, 飼育期間中に脱皮しなかった個体はいなかった. 自切後の脱皮で大鋏脚を再生させた87例は,自 切で失われた元の大鋏脚に対して,大鋏脚長で平均 86.63%(±17.12 SD), 大 鋏 脚 の 幅 で 平 均71.71% (±13.03 SD)にあたる大鋏脚を出現させた.長さ・ 幅共に自切操作時の体長が大型であった個体ほど再 生の程度が低下し,体長と大鋏脚長・幅の一次直線 の傾きは,元の大鋏脚よりも再生された大鋏脚にお いて有意に緩やかになった(一般化線形モデル,体 長と再生の交互作用, t≦-6.356, p<0.001).一方, 脱皮前後における体長の成長量は,大鋏脚の再生が 観察された16日目以降に脱皮した個体を用いて比 較した.成長量は,大鋏脚を自切させた個体では平 均0.35 mm(±0.14 SD, 87例),自切させていない 個体では平均 0.42 mm(±0.16 SD, 78例)となり, 自切させた個体において有意に低下した(一般化線 形モデル,t=-3.163, p=0.002). 10 月に自切した個体の脱皮再生パターン 本実験も7月の実験と同様の手順で実施したが, 予想に反し,繁殖期直前に自切した10月の個体は7 月の個体に比べて次の脱皮までに時間を要するこ と,また脱皮の際に大鋏脚を再生させた個体の頻度 や大鋏脚の再生の程度も低下することが明らかと なった. 繁殖期直前に大鋏脚を自切したにもかかわらず, 10月の自切個体では,その多くが本種の主たる繁 殖期である11月ではなく,繁殖期が終了した後に 脱皮と大鋏脚の再生を示した(図1).その結果, 自切後の脱皮までに要した日数は平均で44.0 日(± 6.78 SD, 80例)となり,また,初めて再生が観察さ れたのも自切後33日目で,これは11月下旬にあた る.いずれも7月に比べて約2週間遅い値である. さらに,脱皮における大鋏脚の再生頻度も83.8% (80例中67例)と若干低下し,10例では飼育期間中 図1. 大鋏脚を自切したオス(自切再生群)と自切しなかったオス(対照群)における脱皮した個体数.自切 再生群において,暗色部は脱皮の際に大鋏脚を再生させたオス,白色部は再生させなかったオスの数を 表す.対照群において,縦線部は脱皮したオスの数を表す.灰色の領域はテナガホンヤドカリの主たる 繁殖期である11月を示す.脱皮までの平均日数は,自切再生群において44.0日(±6.78 SD),対照群に
一 度 も 脱 皮 が 観 察 さ れ な か っ た(脱 皮 頻 度, 88.9%). 一方,本実験が実施された冬季は,通常,野外の テ ナ ガ ホ ン ヤ ド カ リ は ほ と ん ど 脱 皮 を し な い (Wada, 2000).これを踏まえ,大鋏脚を自切してい ない個体(対照群; 脱皮頻度,54.0%; 脱皮までの平 均日数,51.3日±7.89 SD)と自切した個体(再生 群)の脱皮頻度と脱皮までに要した日数を比較した ところ,再生群の方が有意に高い頻度で,また短い 期間で脱皮に至った(Coxの比例ハザードモデル, z=5.523, p<0.001; 図1). 再生群の67例で再生した大鋏脚は7月に比べると 小型であり,元の大鋏脚に対して,大鋏脚長で平均 72.72%(±11.02 SD, 図2), 大 鋏 脚 の 幅 で 平 均 66.22%(±11.67 SD, 図3)の大きさだった.7月と 同様,大型個体ほど再生の程度は低下し,体長と大 鋏脚長・幅の傾きは,再生された大鋏脚において有 意に緩やかになった(図2・3,表1).大鋏脚の再 生が観察された33日目以降に脱皮した個体を用い て体長の成長量を比較したところ,再生群では平均 0.27 mm(±0.34 SD, 79例),対照群では平均 0.29 mm(±0.20 SD, 26例) と な り,7月 と は 異 な り, 群間に有意差は検出されなかった(一般化線形モデ ル,t=-0.263, p=0.793). 以上の結果から,テナガホンヤドカリのオスは, 非繁殖期と比べ,繁殖期には大鋏脚の再生に対する 投資を小さくすることが示唆された. 表1. 一般化線形モデルによる元の大鋏脚と再生 した大鋏脚の比較(誤差分布に正規分布を 仮定した) (a) 大鋏脚長と体長の関係性 推定値 標準誤差 t P 切片 0.233 0.383 0.583 0.561 体長 1.653 0.087 19.013 <0.001 再生 0.456 0.563 0.810 0.419 体長×再生 -0.652 0.124 -5.260 <0.001 (b) 大鋏脚の幅と体長の関係性 推定値 標準誤差 t P 切片 0.307 0.243 1.262 0.209 体長 0.875 0.055 15.865 <0.001 再生 0.461 0.357 1.290 0.200 体長×再生 -0.463 0.079 -5.892 <0.001 体長は,その指標として盾長を測定した.Yasuda & Wada (2015)を一部改変 図2. 大鋏脚長と盾長の関係.丸印と実線は元の 大鋏脚長(大鋏脚長=0.23+1.65*盾長,67 例)を,バツ印と点線は再生した大鋏脚長 (大 鋏 脚 長=0.68+1.00*盾 長,67例) を 表 す.回帰直線の傾きは互いに有意に異なっ た.Yasuda & Wada (2015) を一部改変
図3. 大鋏脚の幅と盾長の関係.丸印と実線は元
の大鋏脚の幅(大鋏脚の幅=0.31+0.88*盾
長,67例)を,バツ印と点線は再生した大
鋏 脚 の 幅(大 鋏 脚 の 幅=0.77+0.41*盾長, 67例)を表す.回帰直線の傾きは互いに有 意に異なった.Yasuda & Wada (2015) を一部 改変
繁殖期直前のオスが再生を延期した理由 飼育実験より,テナガホンヤドカリでは,大鋏脚 がオスの繁殖成功度上重要な武器形質であるにもか かわらず,繁殖期直前に大鋏脚を自切させたオスの 多くが,繁殖期中ではなく繁殖期後に脱皮と再生を おこなうことが明らかになった.受賞論文では,こ の理由として,成長と繁殖という2つの関心に見ら れる対立からの説明を試みた.
Kendall & Wolcott (1999) は,繁殖への関心が高 まったオスでは,繁殖行動を継続させるために自身 の生理学的な状態が変化し,その結果として成長へ の関心が低下する可能性を指摘している.テナガホ ンヤドカリは繁殖期が1年におよそ1か月しかなく, またメスも年に一度しか産卵しない(Wada et al., 1995)ため,繁殖機会が非常に限られた種であると 言える.さらに,ホンヤドカリ属の交尾前ガードは 小鋏脚でおこなわれ,野外では,複数種において, 大鋏脚を欠損している交尾前ガードオスも散見され る(Yasuda et al., 2011; Yasuda & Koga, 2016a).これ らを併せて考えると,繁殖期直前に大鋏脚を自切し た本種のオスは,オス間闘争上は不利であると考え られるものの,繁殖期には脱皮再生よりも繁殖行動 を優先的におこなう生理的状態となり,大鋏脚の再 生への投資が繁殖期後に延期された可能性がある. 繁殖期後に再生された大鋏脚の機能 甲殻類にとって,大鋏脚は繁殖成功度を高めるだ けでなく,摂餌や捕食者回避,餌をめぐる闘争など 様々な場面で機能する形質である(例えばSneddon et al., 1997; Giraud, 2011).本研究において多くのオ スが繁殖期後に大鋏脚を再生させたことから,この 再生された大鋏脚は繁殖以外の場面に寄与すること が示唆される.ヤドカリ類の大鋏脚は,個体が貝殻 を引っ越す前に新たな殻の質を評価する際や(
El-wood & Neil, 1992),他個体と貝殻をめぐって闘争 する際に重要な機能を果たすことが知られている (Neil, 1985; Imafuku, 1989; Elwood et al., 2006).ヤ ド カ リ の 背 負 う 貝 殻 の 大 き さ や 種 は, 生 理 耐 性 (Davenport et al., 1980),捕食者回避(Vance, 1972;
Mima et al., 2003),脱皮に伴う体成長(Fothering-ham, 1976; Blackstone, 1985)など様々な適応度成分 に影響を及ぼすため,繁殖期後に大鋏脚が再生すれ ば,将来に獲得できる貝殻の質をより高めることに 繋がり,自然淘汰上有利となるかもしれない.さら に,本研究においては,Yasuda et al. (2014) と異な り,再生群と対照群の体長の成長量に有意差がな かった.大型個体の優位性は複数の場面で指摘され ており(Davenport, 1972; Neil, 1985),この結果も繁 殖期後の脱皮が自然淘汰と関連があることを支持し ている. まとめると,本研究とYasuda et al. (2014) を併せ て,テナガホンヤドカリのオスが示す,繁殖期まで の期間に対応した脱皮再生の柔軟な応答パターンが 明らかとなった.二つの時期で再生された大鋏脚の 機能を検証するために,今後の更なる精査が期待さ れる. 謝 辞 本研究を進めるにあたり,様々な点においてご協 力頂いた北海道大学水産学部海洋生物学講座の皆 様,及び有益な助言を頂戴した和歌山大学教育学部 の古賀庸憲教授とChris Norman博士に厚く御礼申し 上げます.また本稿の掲載にあたっては,下村通誉 編集委員長をはじめ,CANCER編集員の先生方に 大変お世話になりました.厚く御礼申し上げます. 文 献
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