香川県立厳科大拶単術鞠敢
民衆に対する二つの相反する見解 136
福 家 集 木 ′、太
Two differe血t views on the Masses
By Makita FUKE
(Lecture工Of P王Iilos〇phy) (Received Apri130;1954) 1 ギリシャの大領プラiンは,ノその有名な国家篇に於て,一役の抱懐する腰想田を描いている.ダラー ンの理想国は,完全に.統一調印のとれた正義の支配する全体主義の国家である.∴そこ紅は三、つの階級 があり■,最上位にほ真理の認識に.到達した哲人が,統治者階級として国政を綜覧七,次億紅は守護者 階級が国家 力士守られ,各自他あ領分を犯すことなく,自己た与えられ年職登を忠実に・遂行する−を由.そ本潜とす る・それ故国家の構成員各々が有線体のそれぞオ℃の部分の如く,全体の祇祉P られて‥い、るのであって,資本主義園内軋於けるように・,個人の生活の為に或る職郎鹿草す−る云 考えは全く排除せられる.統治者階級にほ愛智,守護者階級にほ勇ち私 庶民階級に揉節制の徳が主と して割当てられ,各々の階級が投もよくこれらの徳を発揚して,全体として正義の徳が駿も・よく発現 せられるように,各自が自己の峨虜砿励瀾する時,理想困ほ汲もよく理恵由たり縛るのセある.この 捜想周の全体主義的性柏ほ,瀧冶省守盛者二億故に対する,財塵並紅婦人子嘩の蒸着に奴踏棋軌 ゾ てヤ、る瀾/)て家族制度は全廃である小家族制度の存離許すことは,個人の意嘩が家牌ぬる合併鱗 向して,国家と云う全体に向うことを妨げ,以て国家の調和統一一に害をなす・こ?ことをプ射ンほ 明敏に.も洞察した国家の統…一・の為にほ,家族制懐をも暁止.し,国民常列し噂なろ個人¢為の生活を 否定したのである.蜂や蛾の社会相徹底した有機体的統一一・を人間の社会が保ち得るや否や疑間である やミ,プラトンはかくの如く個全体が出米る限り”一・つであること、ユがよいと二考え.たのであるげけれど も国は一つになるとと.が成る程隊以上転進んでいけば,もほや国でなくなる与し、うこと揉附や、せあ る・何故なら国はその本性上一一魔の多数であって,より以上に一・つになれ払国特国たるヱと卑止め で家粧なるだろうし,家は人になるだろうから・」(アリ√ストテレス政治学!261aトそれはと匿角極瀾 な個人主義否定がまた個性否定個人の率福否定を招来しほしないかと云う疑問ほ当然起る‘然しこれ に対しプラ下ンほ単なる個人的事業を草笛とほ考えない・全体の福祉に・,正義の実現に貢献すること に,無上の幸福が見出されると考えるのである.(全体へ帰依することキこよって個の個たる所以が最 もよくあらわれるとすれほ,或る意味に於てプラfソは個人主義否億セあるが個性否恵そほない㌣む しろその反対であると云う解釈もなり立.つが今は上の問掛こ立ち入ら一ない..) 以上がプラトンの鷺想固の大体の模様であるが,これむ現代潅祉各室義国家 と比較して見たい,勿 論対照的な意味に於で允づ杜夫主義l董像iこ於ても享?の階級を見f#す∈七呵醐持な、し1?、′.′即ち−濁 りの上馴旨導部と共産党員と一腰人民と・そして社会主義国家の指貌老カさ,プチ,卜㌢の所謂質入貴覧 軍鱒して,.芙際政治だけでなぐて,唯物準の理論に・於こも指導者であるらと笹興味韓.卜∴∴(隠し奉の 軽重鱒・孝ほちる・プラーンに於ては・認識が先位するが, 社会主義国り指導者に=於では一夫践煎靡位す る・)又†・方抹極めて小,他方は睦めて大であると云う禰連ほあるが,共喀全体主義鳳である・共産 主義(その名称からして全体主義を曲挺する)はその哲学的基礎である弁証法的唯物論力東史的唯物琴6巻第1号り9髭)
堺 論の当然の帰結として∴プラt、ンの偲想国同様,有機体的全体主義(個性の白鼠を認めない全体主革) た.らざる、:を得ない小唯物論拘認識論ほ意識は物質の模写乃至反映と考冬る・この模写説は素朴英在論 よ,り徹底した模写説・であるり知覚内容が外物の模写たるは云う迄もないが,これが受容形式たる空間 時間思惟形革たる範疇も共軋物質り存在形式の反映である 性の側面は勿論,自発性の側面も亦物質の反映となる・・例えば現在人間は或る出来事・を思惟するのに 困単性甲範疇な用いること・ほ確かである・然し原慨結果などの概念をもた・ない原潜人もいる・何千年 にわたる良き経琴の騰勢人類は因果性を先験形式として用うるようになったのであると唯物論的琴 識論は云う付 こゝ峯模写論的立場を徹底させれば,唯物論は或る意味に於て整合性を得るが,反面碍 識軍観の独立性ほ脅かされる・意瓢そのものが物質の働き,物質め模写なのである・認識主観そのも のが目然の界映なのである・か」卑立場では,人間の自発性も真に自発的なものでなく,単に葺観隼 然か思われてい亭だけで?真実は受働的なものとなる・結局個性は否定せられざるを得ない‥これに 反し観念論ほ,仮令それが誤謬であやとしても,人間の独立性人格性を想定する?に都合が草し」 た唯物史観が個性否定となること喀云う迄もない・人間ほ生れ落ちると,個々の人間の息志と咋独卑 阻発展する社会関係に入ると.云うのであるから・ 次鞍かゝる全体主義の当然の帰結とし■”こ,家族制炭教育側麦に迄徹底した統制が行われることにな る.プラトンの理想国に於ては,有能なる戦士や統治者を養成する為,極めて厳格な統制が文芸教育 についで行われるのであるが,この点何れの社会主義周に於ても剛家であろ.う・又現在ソ連邦に・於て 家族制蕨がないのでほなかろうが,共産主義の理想ほ将来これを廃止するにあると′敬われる・「■家施 ?廃止!共産主義者のこの恥知らずな意図をこ対してほ,もっとも急進的な人々でも激昂する・.J「い ずれに・せよ共産主義者のいわゆる公認の婦人共有とやら軋対して,わがプル㌔ヨアたちの、しめす高 潔な義憤ほどわらうぺきものはない・・」などの文句が共産党宣言にある両極端ほ相似ると云ラ諺の 通り,全く対既約な哲学に.基礎を置く両国家形態の問に相似た点がある. 2 全体主鵡国に於てほ厳格なる階級組織の下に飯盛なる統制な必然とするのであるから,全体主義者 ほ人間の天賦の差を主張する考え方並に性感説に左柏するものと∴云い得る.これに反、し自由主義的 民主主義或ほ権力支配を排する無政府主義略,自由平等の放念及び性善説を基礎とするものと考えて よかろう.(勿論−一・概にこうと許り云小樽ないのであるが).全体主義者プラトンほ完全に性悠説の考 え方に.立つ.「睡既中に頗をもたげる欲望だよ,魂の他の部分,つまり憩性的であり,おとなしくて 欲望を抑制している部分が眠り,腹一一麻飲み食いした為に,野獣的で粗暴な部分が跳ねあがり眠りを 押しのけて進もうと.し,自分のやり口をやりとげようとする場合にほね,御承知のよう紅,そのよう な場合に.ほそれは何でも敢でする,すべての羞恥心と.叡智とからすっかり解き放されているのだから ね,つまり母親と.だって他の絶とだって,いや神様や動物と.だって抱きつくような妄想をおこしで嘩 らず,何を殺してならんとも思わず,何を遠臆して食べまいとも思わないリ ー・音にして云えば,馬鹿 なことも無恥なこと・も何∵つしないことがないのだ・」(プラトン」蚕家5開聞闇正三訳)プラ」ソによ れば,すべての人は,最も理性的な人でさえ,限りない単発欲,野軟性の対当彗を為するり これが魂の 理性的な部分が休息する、睡眠時に活動サーる.かゝる考え方から当然胤人にあってほ欲情の節月払 国家 に.あってほ文芸の統制即ち神々の不徳を物語る神話,放姿なる饗宴を描いたり慈人が登場する劇や詩 の放逐を主張する結果になる. 古今の哲学老中へテクレイlス,プラトン㌧、ニ−チ,ショ−ぺンハウエルなどの名を挙げると, 彼等の間に十・脈相単ずる性格が感ぜられるり それは彼等が貴慮主義者で大衆を預祝することである. この点に:ついてはき−チェが撮も極端であるL.「人」く.は悦楽の泉てあるしかるに,愚衆が来って共香川県立農科大学学蘭報告 138 に飲む時,すべての泉ほ汚毒される.われほ.一∵切の純潔なるものを愛する.われほ.汚綾なる看たちぬ 歯を剥きだして笑うロと飢渇とを見るに堪え.ない.かれらはかれらの限を泉の中に.投げた.いまや, いとわしい笑が泉の中よりわが方へと反映する,.かれらほ描き水をかれらの浮蕩を以て汚毒した∴ヾか れらがかれらの汚らわしい夢を悦楽と呼んだとき・,かれらは更に言葉をも汚毒した.」(ツァ卓トら ストテ第二部愚衆竹山道雄訳)かゝる言葉憾ニ」−・チェ常数多く見出される.プラトンは斯くゐ如く辛 辣苛烈ではないとしても,極めて皮肉な督喩で民衆俗流政治家及び似而非哲学者などを諷刺しセい る.「多くの船についてである粧せよ,或は一一つの船をこついてであるにせよ,次のような也尭車力吏起 草場合を想像してごらんなさい・・大きさとカと紅関してほ実際あらゆるものを凌密するが,然しヰの 惑い・十 人の船主がいる.この船主ほ亦視力が弱く,航海に潤する知識紅ついても心得がない,船貞蓮 はどうかと云うに,各舵取りの職ほ眉分が司るべきものだ七考えて,この職を回っでお互紅争うてい る.然し船員遜の弛も留ってこの技術に.ついて学んだ事がなく,」その師匠が経であったかも何時学ん だかも告げることが出来ない..のみならず船員達ほ,操舵の技術は一腰に習得し得ないもの産室主張 し,誰かこれを習得し得るものだと主張するものがあったら,即坐にこの人をひせ裂こうとする,更 に船員連ほ絶えず船主の所に押しかけ,船主をし・こ自分瀞こ舵をまかせるよう、に.,あらゆる療謀を行 う一.そ↓て自分連でなく,他の人々が船主の好意を得るような 或は船から拗り出し,船主を眠り薬か酒或はその他軍手厳に.よって,自分のカの中におさめ,それか ら自身船の指導権を引受け船中の事はすべて処野するに到るであろう.かくして船員達ほ,かゝる人 にふさわしく,飲淫)や歌えの大騒ぎをしながら航海する。.その上彼等は,船主を説得するか或は船主 虹暴力を加えることによって船の支配権を手中におさめる努力をなした際に.有能な助力者として緻 舞ったものほ誰でも,船の撃や操舵術並に船の装備に関する事柄に深く通じたものとして質讃する. 然し彼等の意に従わないものは役立たずとして非難する… 真正の舵取りたるものほ,彼が真に.船を操 らんとする場合には,年や四季凰の動きやその他の専門に属するすべての事償.対して,入念紅気をづ かわなければならないものだと云うことさえ,彼等船員達ほ知らない.真の操舵術そのものに関して ほ,船員達ほむしろこの技術の習得習練は舵取りの地位の獲得とは相容れないものであると信じて いる‖ 従ってこのような出来事が船中で行ほれる場合,真実に操舵の知識を有するものが,そのよう な事情におかれた船の乗組員から本当軋星を見る人だトおしゃべりだ,訂分軋知用だとよはれるのほ 当然と思わないかね.」(プラトン国家488)この督喩で大きさとカとに.於てはすべでのものを凌駕 するが,耳が遠くて冒艮が恐く,船のことに.ついての知識もない船主とはアテナ・イの民衆である.絶え ず船主をとり巻いて迫り,舵をわたすことを強請する船員逮とほ,政権を手中に.おさめる為に如何な る策謀をも辞せない政治家運である.天文気象等航海術に.関して心得があるが,却って無用の長物と してうとんぜられる真正の舵取りと.は哲学者逮をさす.そして船員逮は航海に関する技術の真面目な る研究ほ,舵取りの地位につくことゝは全然別個の問題であることを知っている.舵取りの地位妃づ くには,力と大きさに於ては優れているが,耳ほ遠くて眠が近い従って低能な船主即ち民衆を説得す るのが早いし,又これ以外紅方法がないり現代の世情を考える時,この密輸ほどうしてもこ二千数百年 輌に云われた青紫とほ思われないハ 世ほ正.に.民主主義の牒代である.民衆はその数の為にカがある. すべてのものほ大衆の名に於て事を行い,大衆の支持を揚言し,彼等の機嫌を取ら結ぶ七と.に狂奔し ている.民衆は然し世界の情勢にうとく,誰が自分の寅の味方であるか識別する能力をもたない」結 局聾桟敷に.おかれ,航海術について何の御存知もない政権亡者たる船員遵に国家なる船をまかしでし まって,何処で何時船が難破するかも知れないのに平気な疾している,国民は「大きくてカある」か も知れないが,「■家畜」の取扱いを受ける.「丁渡,或る人が大きくて強い家畜を育てる時,′よく注 意してその習性や欲望を観察する場合と同じことである.即ちどのようにして近づけばよいか,どの ようにして触ったらよいか,どのような奪にどのような原因で一一一番気むづかしくなるか,また一番お
第6巻第1号(1954) 139 となしくなるか,それぞれ牒㍉た場合監どのような声を出す習性であるか,また他の者がどのような 声を出す時におとなしくなったり粗暴になったりするかを観察▼しなければならぬ.人は長い間一一」緒に いてそ′れらがすっかり分ってしまえば,それを\智慧とよぴ,術知として体系づけて教えようとかゝ る1・しかもそれらの思いや欲望のどれが発しいか,醜いか,善いか,憩いか,正しいか,不正である か本当にほ何も知らない… それなのにその大きい動物がどう思うかということにもとづいて,それら すべてに名目を与えて,それが脊ぶものを善と.よび,嫌うものを慈とよぶ.それらについて他に.は何 の理論も持たないのだ..」(プラナン国家493鹿田正三訳)民衆にとっていかにも有難い讐喩である. 家畜ほ大切にせられる,然しそれほ毛をち掌られ,乳を搾られ,或ほ終に屠殺されて肉を食われる為に であ畠こ現代の民主政治の真相が,かくの如きものでないと誰が保証し得ようか.こゝはプラトシが 民主政治に対1する見解を述べた所ではないが,凡そ抜の傾向を知ることが出来る.(プラIソは民主 政治には反対であるが,彼の理想国がかってのヒットラー・,ムッソリ−・ニの全体主義と.似たものゝよ うに.考えるのほ,彼の哲学の甚しい曲解である.ヒットラーー・,ムッソリーニの政治は民主政治より更 に.一、段墜落した僧主政治の形態に属するもので,プラトンの最も排撃する所である.) 3
このような民衆蔑視の傾向にある哲学者に対して,時流に阿る−・連の哲学者癖(プラ†ンの時代に
あうてはソフィスl)成増大衆の味方であることを宣言する思想家群がある.特に現代に.あって−はマ ルクシ∵ズムが抑圧された階級忙義憤を覚えで立ち上っている..然しプロレタリアを物神化するのは何 もマルクレズムにほ限らないL.甥代ノ阻想の大勢ほ凡て民衆崇拝に走ろているへ 世ほ挙げて民主主義の 時代である小(ブラ千ンの時代と現代と民衆の本質がさまで適って釆ているように∵思えないt・然るに・民 衆にづいて正反サ【っ評価が出て来る所に問題がある.誠実にして何ら他から期待する所のない哲学者 は菖分虻思う所を悍りなく述べるが,政策や戦術を考慮するものは故意に.或は無意識に真実を歪曲す るい)今日の世界にはっ 共薮主倭国と自由圏家群との鋭い対立があって,お互に悪口を云いあってい るい ソ連邦に会わしむれは,白由国家群に於ける議会主義は民衆瞞着の手段であり,自由世界の宗家 アメリカ白身フフ1・シ′ヨ化して,その本質を暴露しつゝある.真の民主主義は.ソ連邦に於てのみあると 云うことになる・之に卑しアメリカの見解によれば;’共産主義国には強制労鰍と監獄があるに・すぎな い.何れに.しろ,共嗟世「界,白由世界,第三勢力おしなべて共通なこと.ほ,民衆の為とか,盛り上る カとか,平和梯護とかを呼号していることである.勿論これに対して何ら反対すべき理由はない..只 次にマルクシ∵ガムがいかにプロレタリアを革命の主体として考えようとも,指導者と一版大東との間 に.階級分化が起ること.を述べたい.換言すれば,プロレタリア独裁と云っても,独裁するものは小数 の職業革命家であって,大多数のプロレタリアは依然として被支配階級としてとゞまることになる・ 4 侍て−アルク 云うことである… 中世封娃社会に生きた者は,封建的な考え方をなし,近世資本主義社会に・生活する ものは,個人主義的白由主義的な考え方をする.日本の封建時代にほ,士畏工商の階級があった為, 階級観念が確立し,又主従道徳がよく発達した.それで大名などが過行する時,首姓達は土下坐したそ うであるl明治母代になって,かゝる封建制ほ取除かれた.然し旧来の社会関係から元の蒲主に対す る尊敬の念,その他士族平民の区別に於ける旧来の意識ほ一・挙にして払拭されたわけでない.「これ は意識の変化の方が,外部条件の変イヒよりおくれることを示すものであるり」然り仁意識の変化は外 部条件の変化よりおくれるn もしこれが逆であったら唯物論ほ成り立たなくなる.現在の自由平等の 思想の洗礼を叉けた眼を以て封建時代を顧るならば,人ほ領主の横暴抑圧された農民の姿に人道的な香川県立農科大学学術報告 i沓0 憤り凌感ずるであろう巾然し当時の人達は封建的な慣習や制度を当り輸の尊として受入れ■く怪しむ所 がなかった.封建社会の中匠.あ・ろて,その社会体制と衝突するような考え方をすることは出来ない. 然しこの社会内に於て物質的生産力が漸次発展を遂杭 現存の生産関係と矛盾するようになりこれが 成る程腱汲化すると,封建的生産関係ほ顔壊して,社会構造は変革を受ける= 社会革命′甘起って資本 主義社会となれば,漸次封建的な考え方ほ失われて,資本主義的意識即ち自由主義的個人主義的思想
が優勢と、なる.マルクリズム紅よれば,社会と云うものは人間の意志とは独立にそれ自身の動き方を
するものである,′そうすると人間が目己の意志∵を以て社会を変革しようと.企てるには及ばないこと弧
なるように見えるが,マルクス主義ほこの点について適った夙に説明している・ 革命が起るに柊二つの 度一軍土発周すると,社会の集塵関係に合わなくなり仁生産供係が却って生産力発展の蛭稽となる・そして生産力の発展ほ逐に虫垂関係を,従ってこの生産関係を基礎とする政治法律制定などを打ち破る
らと匠な挙∴具体的に云え・ば,資庵主義の内即時包蔵す.る矛盾一丁生産力の発展と生牽関輝との,琴 いてほ生I蛋の社会化と生産手段の私有との−Lは資本主義が発達するにつれてそれだけ増大する.こ の矛盾、を避ける為に,支配階級ほ色々の経済相淫(貨銀引下げ,盛業合理化等)を儲ずるであろう. 然しその総菜ほ依然として資本主義社会内郎の矛盾を増大させるだけである.この矛盾を単なる弥縫 箱で蔽いかくせなくなヶた晩′帝国主義やファシズムが起る・かゝる段階に迄来れば,、もう革命の客観的条件が成熟したと云う・然し準物史観に・よれば,寧翫的条件の成熟だけでは,未だ革命は成就㌧
ない,自然必然性と、逮つ∧て歴史的必然性とほ,人間が手を拭いて傍観していても,或る挙が必ず起る ことな意味す苛ものでない小歴史揉人間の行為に・よ㌧って作られる・従って革命が失際に起り得るに・は 客観的条件が熟すると共に,革命意識が昂揚して,.実践闘争が行われる必要がある.これが革命の主 観的舜件てあるけ それでは実践閥争の主体ほ推であろ′うかり資本主義社会に於ては抑庄階級たる資本家キ麟抑嘩階級キJる労働者が対立するのであるから,当然プロレタリアが革命実践の主体たらねほな
畑狗・所で7Jロレタリアが如何にして革命意識をもつに到るであろうか・硯実の社会の矛盾が労拗老 の慮誠に反映して畢命意識な生ぜしめると云うのが東野唯物論の公式的湖明である・勿論こ・れにほマ ルクレダムの本な読むとか同僚碇啓発されるとかの機縁があるのが普通である・然し革命の緊迫性が なければ碍什ら巫た革命意識榛貢物とほならない・従って労働省が社会主義者として自覚するに到ろ 追ほ,啓蒙宣伝を受けろことによって,首ら現実社会の矛盾や不合理に・タ‖寸■くことであると思われ卑,かくの如くにし宅今迄日本のみなら1ず世界各国に・於て,多くの社会主義老が輩出したのである郎
㌧かしこ・れほ全民赦の数と比較すると九牛の一発にすぎない…外に革命の緊迫を予告するが如き経済的恐慌失業倒産がある場乱入は共壷主義の合恩的な説明を聞くと,その人が忽ち社会主嵐者となる
よう紅思うのほ甚しい思い違いである.旧来の社会によって育成された意識は,一一一朝忙して変革されるものでない..社会の不合理や矛盾を指摘されても,直ぐに戌程と合点するとほ.限らない.一・体社会
に.於ける不令書!や矛盾ほ何時の他に.も存在する巾 とれに虜付くか否かはその人の能力や性格紅依存する事柄である.一かく云えほとて唯物論の立場を離れて,観念論をもち出すわけでない・社会関係が忠
昭を決定する,そして社会関係は常をこ矛盾を包赦する・この社会関係が意識に反映される場合,当該社会関係を肯定的に反映する場合と,それが矛盾を含む故に,人によっては否定的に反映する場合が
あ卑・例えば,お酌錮笹不慮気を造出する資本主義社会の巾にあって,失業の脅城にさらされ,己が 家族の衣卑を得る為に益々卑榔こなってゆくものもいる・かゝる人達ほ現存の社会秩序の変革など夢にも思わず?とに角与えられた社会秩序の中で生きねばならぬと考えるだけである。実に「人は何に
でも馴れる動物であるr」(ドス†イエフスキ−)汚濁の檻に住ぬばきたないと云う感じもなくなる・ 矛盾せる社会環境の中にあれほ却って矛盾せ感じなくなると云い得・る筈である・− これに反し,社会に存する不合「ご㌘.に馴れるのでなくしてこれに反招し∼′これが除去に.,即ち自分逮の二射云環域の改善に向
第β春風1号(1媚4) ラ人選も〉、る・ニだから社食喋購の意識こ対する反喚軋はこ通り冬?耳,そのどららを採る声、は考?ふ ′ の韓力隼よって決草られる外年い“ ち山革国衆喀嘩やて保守白勺で現存社貧細織を肯定する側隼且ち,小数の先覚者やミ現存の華会秩原鞍対 レて否定的な琴唇を年季・草する隼アサアンズ.ヰ?琴論を正確に・把握し経済恐慌のヰ?て照る野望寮 洞零す早年キは万人?革くなし得る所で鱒・ない小d)数中老昼社会甲動き笹敏嘩に収応す尋やミ,本多数 1■、ノ
中馬衆呵岬り承識をもら続け争の嘩琴である∴勿箪強力な五和噂ゎれる場合,、木衆牢威肴観衆 、.′て′しモ
アノ㌣′ク打徴求匿償俗化されて,郎ぎ卑近な事柄を採りあげる有井談議とならね嗜なら・顕し†・)かく庵りて柊埼椀 ‖ゝ、、‘■
明率尊命怠静柊醸成写れる筈がなト従っ手さく宥巽思想家紅よって云わ叫る次のような草葉薙ぎ喋 甚だ畢閏.であ・牢・「寅の革命とはすべての飯盛者が払薮主義者として自覚する所やゃ壌宣す考もの/≠ 蘇く、て・なら額卜革命主義はか⊥意時に即い?も,国即最大多数ので串拳?軒射㌣十岬準聯丁隕
ノ 骨が社会喜義思想特典鳴すれほ,無血革命が易々として成立する・・無産者中大部分町叩堵打利酒 「願樗暦学虹鱒関心奉るが故に;共産主義者の種々奉る戦渦が必撃となって来る申でち卑1ノ心数奇乾 よ湧■雪国串本衆をひきず∵/つ耳革命匹・向わやる隼は如何にすればよいかゞ閏琴と年や?であ■翫パ碑鷹 )ヽ 柊組機甲カを利用す二挙こと,、強力な宣伝に皐って大衆の心をつかむキと以外鱒ない・、■こ皐粒プ誓柾タ J(ユ タアが物神化写れ拳秘鐸ザある・・大衆が臥党鱒鱒眉分の後年ついて来るならばプ大衆に媚攣る埠零時 少しもない・ついて、芦ないものをつ∨、てこ革せようとする為に,‘・あらゆる甘言を以、てびきぜ霞公賓や毒 蛭1ニ耳来る・難が哲学革於け芦墳麟主車者ほ大衆に何ら革むる所がない・卒慮に大胆粧大衆を叱咤す る・∴升戸上¥棒彼の放ぜ国に・符て哲学的教賛を身につけなければならないのほ,統治者及び守護者階(、−ノ} 級や,「席民階級時日?題外とした・哲学者甲方で民衆をかように見下すならば,民衆ほ反対牲,ノ「哲学終身
を入わ肇若松時分準黎華や眉宰・それ笹堪れただけ軍手を引.くということなく,相当跨い軍使・熊笹湛準 1ノ
するほどの人々は,多くほ全く駄目になったと迄云わないにしても芙虹凧がわり匿なり∴寅梗皐準ポ ′い キ評判せられる人々で宰えも忍方のおぼ・め隼なや仕事く哲単)に・よつて国に風琴な人甲幣額ナてい 希・ト(ギアトン国家鱒7回田範ざ準)と云うであろう・かく′甲如く民衆は哲学匿無理解で毎や・′、与、句 昧鞍才芦ト叫噂閏那町聴酢錘研究を課さなかった−葱た人間匿・ほ座れながら匡」㌧て曖劣?羞煎 〔: あり妄十国展学問匪ま階級の生ずる所以を人乍に・倍率しめる為に,国家に・一つの作り碍を許さるヂ章票 あるとした・・その揮り諦ほ儀治考とな挙大将を授与され丁こいるものは,1鱒生の際紅金卑まずられ!㌻、守 護者となるものほ.鋭をまぜられ仁駄犬及び工人にほ鉄と銅とが混入したと云うようなものである. (プラヤン国家415)このような能力の差の為隼,耐述したように単に社会の動きに,随順する大衆 と,社会の効き・の中に.ありながら,この社会の動きのよつて来る所以を洞察する小数者との区別が生 鞠夕立ヰ大東紅塵待す■べがらざる1ことセナ分経験した筈せあ1る・・彼ほ幾度も革命の予言をなした 紘ノ′妾′あ妻臓幻滅め慈舶味わ融 そあっ養.∴座吻史観め創始者であるマルク如ミ,客観的条件は成熟すと判断したのであ 姦件が欠けた為庭番命姦ミ成就しなかちたのであるかい戎ほ彼の判断ほ誤りで,客観的条件も主観的条 件も■欠如▲■● 計画も大東め脊索感廟ぬ冷感してし、たのであるか.明た後二溜でほないり唯物史観庭個人軽;酪…▲環煉垂
線やあ‘る/てかi畠史観紅立もなから/今俄紅婁観的条件に大なる期待を寄せ,多■くの無産者が革命に
立ち上る七主を垂む−みほおかしい..大衆ほ常に受動的保守的である,少数の潜鋭が,唯物論を身紅つ 軌抑痙された大衆の冬の下に瀾争することほあり得る・然し大衆が意識的に革余を支持するとほ考 えられない.(マルクスの生きた時代は労拗省の革命意識の最も昂揚した時であった・その時代ですi4畠 香川県立鹿和犬学学術疲替 ら革命は起ら\なか・つた・現代の大衆は革命どころか眠り込んでしまって−いる・