時制体系をめぐる対照言語学的視点
日 時:2010
年11
月13
日(土)14
時~17
時 場 所:京都大学吉田南キャンパス 総合人間学部棟1B05
(地下1
階) 発表者:井元秀剛・和田尚明・金水敏 司 会:春木仁孝 はじめに 春 木 仁 孝 時制研究は冠詞などの限定詞の研究とともに言語研究の中でも大きな位置を 占めるが,多くの研究と同様,大きく三つの研究態度があると言える.一つは 様々な言語の時制体系をどのように記述・分析するかという一般言語学的な観 点からの研究であり,もう一つは個別言語の特定の時制の様々な用法をどのよ うに記述・分析するかという観点からの研究であり,さらには個別言語の特定 の時制の現われ方や他の時制との交替についてテキストに即して記述・分析し ていくというかなりミクロな研究である.この談話会での発表は対照言語学的 視点という名前をつけたことからも分かるように,第1
の視点よりの研究発 表であった. 井元秀剛氏はメンタルスペース理論によって,フランス語と日本語の時制を 記述するとどういう問題が出てくるかを述べ,スペースの展開が逆になるので はないかという話をされた.和田尚明氏は「時制構造レベル」と「時制解釈レ ベル」を設定して,さらに形態的に絶対時制部門と相対時制部門を分ける.い ずれもかなりマクロな観点からの時制研究の枠組みを提案したものである.一 方,金水敏氏は浜田秀(2001
)「物語の四層構造」における物語のテクストを 四つの層に分けて考えるという提案の可能性を探られた.この発表はマクロな 視点とミクロな視点を結びつけるという点で興味深かった.研究においてはマ クロな視点とミクロな視点のいずれもが重要であるが,さらに重要なのはその 両者をどう結びつけるかという点である.その点において今後3
氏の研究が どのように発展していくのか興味を持って見守りたい. (大阪大学)メンタルスペース理論が用意する時制対照研究のための装置 井 元 秀 剛 発表者は井元(
2010
)『メンタルスペース理論による日仏英時制研究』にお いて,この理論を使った対照研究の試みを行った.そこで,この理論の特徴を 紹介し,対照研究に有力な道具を提供してくれているということを示すという 趣旨の発表になった.メンタルスペース理論では,
BASE, V-POINT, FOCUS, EVENT
という4
つの基本スペースとPAST, PRESENT, FUTURE
というスペース間の時間関係の組み合わせで,動詞の時制を記述する.これは一見すると,古典的な
Reichenba ch
のS, R, E
というポイントのスペース版で,基準となるポイン トを一つ増やしただけのようなものに見えるが,2
つの大きな特徴がある.1
つは単に時制形態の価値を記述するためだけの装置ではなく,談話の進行に 伴って移動していくダイナミックなものであること,もう一つは個々のスペー ス間の時間関係を1
つの単位と捉えていることである.実際「過去形」「現在 形」「未来形」というような用語が汎言語的に時制カテゴリーとして用いられ るが,これはあくまでも話し手の位置を基準にした時間関係であり,この「過 去形」をメンタルスペース的に記述すると,BASE
およびV-POINT
からPAST
の位置にEVENT
とFOCUS
がある,ということになる.実際典型的な英語の過去形やフランス語の単純過去はそのように記述することが可能であ る.これに対し日本語の「シタ」形が示すのは
V-POINT
からPAST
の位置 にEVENT
がある,ということだけであって,これに「過去形」というレッ テルを貼るのは好ましくない.旅行の計画を話していて (1
)京都に行った後で,奈良に行きます. と言えば,ここで従属節で用いられた「行った」に含まれる「シタ」形は,V-POINT
のおかれた主節の「奈良に行く」という事態が実現するスペースか らみてPAST
の位置にあるスペースで,「京都に行く」というイベントが記述 されているというだけなのである.主節に現れた「シタ」形が英語のように 絶対テンスとしての過去形の価値をもつのは,主節においてはV-POINT
とBASE
が重なるからにすぎない.さらに英語やフランス語は
BASE
を出発点としてBASE
→V-POINT
→FOCUS
→EVENT
のようにスペースが展開してくのに対して,日本語ではEVENT
を中心としてこの逆の順序でスペースが展開していくと考えると様々な現象がうまく説明できる.たとえば,(
1
)のように前件P
と後件Q
が継起 的関係にあるとき,P
のテンスは相対テンスに限られるが,P
シタ時Q
のよ うに同時だと,P
は絶対テンスとしてでも相対テンスとしても解釈できるがそ れはなぜなのか,など,いくつかの具体例をとりあげて示した.(大阪大学) 日英語時制現象の対照言語学的分析 和 田 尚 明 本発表では,①日本語の「タ」形・「ル」形と英語の過去形・現在形は同じ 時制構造をもつのか,②「タ」形・「ル」形は「絶対テンス」・「相対テンス」・ 「アスペクト」の
3
通りに多義的なのか,という論点を設定し,筆者提案の時 制理論を用いることで,①「タ」形・「ル」形と過去形・現在形の時制構造は 異なるが,同じ時制解釈値をもちうる,②「タ」形・「ル」形の時制構造はそ れぞれ1
つだが,上述の3
通りの時制解釈が可能となる,と主張する. 本時制理論は,時制形式そのものがもつ抽象的な時間情報(文法的時間情報) を担う「時制構造レベル」と,時制構造情報がそれ以外の意味的・語用論的・ 統語的要因ならびに文脈の影響を受けて,最終的な時制解釈値に辿りつくプロ セスを担う「時制解釈レベル」を区別する.また,述語に付随する人称・数・ 法と一体化した時制形態素(A-
形態素)が関与する絶対時制部門と,A-
形態 素以外の述語を構成する要素(人称・数・法と一体化しない時制形態素( R-形態素)と述語語幹)が関与する相対時制部門を区別する.A-
形態素は話者 の時制視点(時制形式選択の直示的中心=VSPK
)との位置関係によって値 が定まる「時間区域(文法的時間帯)」を,述語語幹は「出来事時」を,R-
形 態素は出来事時と基準時との「時間関係」を表す. まず,論点①から考察する.(
1
)a. John was in Paris last week. / b. Mary is in Paris now.
(
2
)a.
健は先週パリにいた./ b.
茜は今パリにいる.(
1
)では,A-
形態素である-ed
と-s
がそれぞれ「過去時区域」と「現在時区域」を表し(述語語幹
be+{-ed/-s}
に分解可能と仮定),be
が表す出来事時は各「時間区域」内に生じる.独立節のもつ特徴や時間表現の影響を受けた結 果,
VSPK
は発話時に置かれる.その結果,「過去時区域」は「過去時」に,「現在時区域」は「非過去時」に対応し,当該出来事時は過去時・現在時に当ては まる(状態述語は通例,未来時は指さない).(
2
)では,R-
形態素である-ta
と-ru
がそれぞれ出来事時と基準時の間の「先行性」・「非先行性」を表す.同 様の時制解釈のプロセスを経て基準時は発話時と同定されるので,「タ」形は 過去時,「ル」形は現在時に言及する.以上から,主張①が導ける. 次に,論点②へと移る. (3
)a.
健は,茜が着く2
時間前に出発した.b.
陽子は,徹が帰宅した3
時間後に出発する. (4
)直美はすでに出発した. 「タ」形・「ル」形は,(2
)では「絶対テンス」を表すが,(3
)の下線部では「相 対テンス」を,(4
)では「アスペクト」を表すとされる.それぞれ「先行性」・「非 先行性」を表す「タ」形・「ル」形が,(3
)では時間節のもつ特徴から主節時 基準の時間関係(「相対テンス」の解釈)を表し,(4
)では独立節なので発話 時基準の先行性を表すが,完了読みを促す「すでに」の影響により「現在完了 相」の解釈となるからである.以上から,主張②が導ける. (筑波大学) 物語構成のための階層的時間把握 ―芥川龍之介「羅生門」を例に― 金 水 敏 浜田秀(2001
)「物語の四層構造」(『認知科学』8-4, 319
—326,
日本認知科 学会)は,時間表現の類型に基づいて,(日本語の)物語のテクストを4
つの 階層「発話部」「前景部」「背景部」「コメント部」に分けることを提案した. 発話部とは「音声的ミメーシス」として最前景に措かれ,語りの時間進行と物 語の時間進行が一致する.つぎに前景部と背景部は次のような日本語アスペク トの機能に基づいて分類できる.また,背景はいわゆる“アクチュアリティ” の観点から,微視的背景と巨視的背景に分けられる.前景,微視的背景,巨視 的背景の性質をまとめると次のようになる. 【前景部】 運動動詞完成相,可視動詞・属性動詞のイベントフレーム解釈 ●具体時・時間の流れを持つ. 【微視的背景】運動動詞持続相,存在動詞の知覚フレーム解釈,一時的状態を示す形容 詞文・名詞文 ●具体時を持つが,時間の流れは持たない. 【巨視的背景】 恒常的な属性を持つ形容詞文・名詞文,運動動詞の習慣相 ●具体時を持たない.恒常的な属性は時間の流れを持たないが,習慣相 は持つことができる. 本発表ではこの提案に基づき,芥川龍之介「羅生門」(