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福島県いわき市・岩間地区での復興・防災緑地事業のこれまでの経緯

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Academic year: 2021

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(1)福島県いわき市・岩間地区での復興・防災緑地事業のこれまでの経緯 The Process of the Disaster Prevention Open Space at Iwama in Iwaki City, Fukushima 清水泰博. 東京藝術大学. KIYOMIZU Yasuhiro Tokyo University of the Arts. 今回ここに私が書いておこうと思うのは、震災後から関わっ ている福島県いわき市岩間地区の防災緑地計画の概略である。 これが東北被災地の復興の動きの一例であり、その過程でのデ ザイン提案の報告である。 最初にこの場所を訪れたのは震災後4ヶ月後の2011年7 月、この時は主に小名浜周辺の状況を見る為に来たのだが、小 名浜から南下し、たまたま入ってはいけない場所に車で入って しまい(ここは危険なので入ってはいけない場所だとその後に 知った)、岩間地区のあまりの惨状を見てしまった。小名浜港 から南に向かい、小浜から岩間に行くには少し上り坂になって いて、岩間海岸を望める場所からヘアピンカーブを下ることに. 写真3 津波によって流された巨大な堤防があちこちに散在している. は新たに大きな土嚢が多く積まれていた。. なる。その頂の場所から最初に見た岩間海岸周辺の状況は息を. その後も東北の被災地の調査は、環境デザイン部会として. 飲むような惨状で、かなり高い場所にある道路のガードレール. は南三陸、石巻などに行き、個人的には気仙沼、陸前高田など. さえ津波によるものだろうか、捩じれるように曲がっている状. にも行っていた。そんな時期に同じ東京藝大の彫刻科の北郷悟. 態。その下は全壊住居は既に片付けられ、半壊の住居群が僅か. 先生から、いわき市の岩間地区の復興に関わってもらえないか. にある程度であった。道路だったところには津波によって破壊. との話を頂いた。北郷先生は地元いわきの出身で、参加したの. された巨大な堤防があちこちに流されて散在していて、津波の. は北郷先生、建築科の元倉真琴先生と私の3人で、その後い. 巨大な力を実感させられた。そして堤防がなくなった海沿いに. わきには頻繁に行くことになった。最初に3人で訪れたのは 2012年の1月で、いわきの NPO 法人勿来まちづくりサポート センターが運営する「なこそ復興プロジェクト」の代表の舘さ んたちと初めて会議を持った。 この NPO は2006年に法人として活動を始め、震災までも 様々な活動をしてきた組織であるが、2011年3月の震災を受 けて、「いわき市勿来地区災害ボランティアセンター」を設立 し、その後今の活動を続けている。この折の会議は流された防 潮堤の保存を求める活動のこと、岩間の被災地に計画される復 興公園についてであった。. 写真1 2011年7月の被災地・岩間海岸の様子. 私の手元にある当時の資料の記録によると、2012年1月に は「岩間地区土地利用計画図(案)」があり、海沿いを緑地に し、被災住宅の高台移転と区画整理にて土盛りした場所への移 転計画が進められていた。その時点では当初の住民の1/3が 高台に、1/3が当初の場所の区画整理地に、1/3が他の地 域への移住を希望していることを聞いた。 この時期の我々からの提案としては、公園は復興事業ではあ りながら、今後のいわきの復興に相応しい観光ネットワークづ くりの一部にもなるようなものとして、震災復興だけには終わ. 写真2 左手は土嚢、正面に見えるのは常磐共同火力勿来発電所. 46. デザイン学研究特集号 Special Issue of Japanese Society for the Science of Design Vol.23-1 No.89 2015. らせないようにというものであった。当時のこの地及び隣の被.

(2) 災地の小浜地区の区画整理案も都市近郊部に見られるような計. い要求だったからである。また緑地全体のイメージがコンサル. 画で、この海沿いの場所に相応しい区画整理の形が必要なので. タントの示す平面や断面などの図面では住民の方々には理解さ. はないかとも思った。. れにくいことを感じた。そこでこの場所の将来の可能性のイ. その後の2012年6月には震災復興土地区画整理事業に係る. メージ・スケッチを何枚か作成した。. 都市計画案の縦覧が行われ、この時点で都市計画を行う範囲が 示され、道路幅員や道路標準断面、土地利用計画案などが示さ れた。7月には住民説明も行われ、その後海沿いに高さ7.2m の防潮堤を計画し、2012年度内に図面化を行うとされた。そ の時点で海側はコンクリート、陸側は復興公園としての緑地と いう方向性を示された。12月には岩間地区復興事業説明会が 開かれ、計画の概要、事業実施までのスケジュール、整備スケ ジュール(この時点では2015年度内完成予定)などが示され ている。この時期あたりから、いわき市ではそれぞれの地域で 各々街づくり活動が行われ始め、いわき市内に7箇所計画され る防災緑地の一つ、永崎地区においては2013年3月に「永崎 地区防災緑地ワークショップ」の第1回目が行われている。. 画1 流された堤防を保存するスペースの提案スケッチ. 2013年度には、福島県いわき建設事務所復旧・復興課から 「岩間町防災緑地ワークショップ」を開催するにあたり学識経 験者として我々が呼ばれることになった。我々の参加は NPO 法人「勿来まちづくりサポートセンター」からの推薦で、ワー クショップは2013年6月に第1回をスタートさせ、初回は計 画されている防潮堤の大きさを実際に確認することから始めら れた。単管足場にて作られたものを実際の場所で見て、その大 きさを実感出来るようにしたものであった。. 画2 広い海を眺められる場所になり得ることを示すスケッチ. これとほぼ同時期に、別に NPO 法人「勿来まちづくりサポー トセンター」から、流された防潮堤以外にモニュメントの提案 を求められた。それは「タイムカプセル」として後世に残すも ので、被災の記録(筑波大学の学生たちが被災地を取材し、そ の内容を映像、画像資料としてまとめたもの)を中に納め20 写真4 単管足場による防潮堤高さの検証. 年後に開けることを前提にした容器のようなイメージであっ た。これは地元企業や住民からの寄付を中心に進めようとする. その後ワークショップは2ヶ月間に計4回行われ、コンサル. もので、藝大の我々(北郷、元倉、清水)のチームが受託研究. タントの作成した案に対して住民がグループ毎に議論し(我々. として受けデザインを検討した。最終的には地上部のモニュメ. はアドバイザーとしてそれぞれのグループの中に入る)、まと. ントは新たな始まりを示すような卵の形とし、地下に古墳の玄. めとして各議論内容が発表されるような形式であり、我々は最. 室のような空間を設け、そこに資料を納めるものとした。また. 後にコメントするような形であった。この時期の議論では緑地. この地下空間には藝大生の指導によって、地元の子供たちに壁. 内にトイレを計画すべきかどうかが大きな話題になった。これ. 画を描いてもらおうという提案でもあった。その後、県からは. はトイレの管理は地元でしてほしいとの要望が県からあったか. 管理の簡易化の要望があり、今では収納庫はハンドホール程度. らでもあるが、僅かの世帯数しか残らない地域にとっては厳し. の大きさのものとなっている。 デザイン学研究特集号 Special Issue of Japanese Society for the Science of Design Vol.23-1 No.89 2015. 47.

(3) ことになった。このワークショップは日本郵便㈱及び独立行政 法人「環境再生保全機構」からの助成金によるもので、より地 元住民の意見を復興計画に活かす為のものである。このワーク ショップからは芝浦工業大学の中村仁先生が学生数名と共に コーディネーターとして加わられ、ワークショップは2014年 の6月から地元の方々、行政の方々に集まってもらって5回行 い、それを準備する為のコア会議は5回行われた。. 画3 モニュメントとしての「タイムカプセル」のパースと図面. 写真5 コア会議にて市民ワークショップの進め方などを討議する. またこの時期に新たに、堤防上から海へと降りられる階段を. 実際の施工が行われようとしているこの段階でのワーク. 2つ作る計画があることを聞き、単なる階段に終わらせるので. ショップでは、具体化してきた県からの計画に対して議論する. はない可能性を指摘し提案を行った。提案したのは、広島への. ことになった。そこで我々がすべきことは現時点での疑問点、. イサム・ノグチ提案の橋(「Yuku」と「Tsukuru」 )を引き合い. 問題点を住民の皆さんに伝え、意識を共有することであった。. に出したもので、2つの階段に鎮魂の意味合いを込めて、それ. 行政からの専門的な言語だけでは一般の人々には理解出来ない. ぞれのテーマを「偲ぶ」と「生きる」とした。これは私の研究. 部分があることが多く、行政側の意図を通訳し、また疑問点を. 室の大学院生有志と検討した自主提案である。2つの階段双方. 行政及び市民の方々に伝える役割である。. に、弧を描く壁のような部分をつくり、二つの壁で「海を抱. この折には特に植樹密度のこと、新たに造成される法面につ. (いだ)く」また「海に抱(いだ)かれる」を主テーマとした. いての疑問を投げかけ、新たな提案も行った。既に防災に有効. ものであるが、現時点ではどのような形で実現出来るかはまだ. となる法面が背後にある部分では、海を見渡せる場所として防. 未定である。. 潮林を出来るだけ省くことが出来るのではないか、また道路と 緑地部分も同じ自治体が行うのであれば、もっと融合して出来 ないかということなどである。ここは日常に使われる場所とし て、領域を跨いでうまく繋ぐことが必要と思われたからだ。県 からは道路法面は道路を守る部分であり、休息場所のような場 所を設置することが出来ないとされた。そこで道路法面に設け る平らなスペースは緑地に近い下部部分に限り、面積も小さく して、この部分だけ法面部分は階段状とし、ステージのように も利用出来る場所として再提案している。これはこの平地の部 分が今後はイベントなどが出来る場所として利用されることを. 写真4 海辺階段2つの一つ「偲ぶ」のスタディモデル. 48. 考えてのことである。 県からは災害復旧事業であるので工事は最小限にしなければ. その後の2014年度からは、改めて NPO 法人「勿来まちづ. ならない旨が伝えられ、それはある程度理解出来ることでは. くりサポートセンター」からの依頼を受け、更に検討を続ける. あったが、工事費を削減する提案を併行した上でこの提案を行. デザイン学研究特集号 Special Issue of Japanese Society for the Science of Design Vol.23-1 No.89 2015.

(4) い、無駄な部分をなくし、デザインでの少しの工夫でより活性. に書かれた文面などを含め、改めて強烈なメッセージに心を揺. 化出来る可能性を今も探っている。この法面への提案について. さぶられた。丹下健三氏の原爆ドームへの軸線を基に計画され. は地元住民の方々からの賛同を得て、県に意向を伝えている状. た平和公園などは今でも強烈な印象を与えてくれる。. 態であり、決定は2015年度以降のことになる。. 東北も今のこの機会にこそ、被災地に出来る防災緑地(公 園)は普段から快適に過ごせる休息の場であると同時に、その ような過去を振り返ることが出来る場所として作っておく必要 があると思う。. ■デザインの復興への関わりかた 今まで3年あまりいわきのこの地域に関わってきて思うこと は、初期段階は土木主体であり、その後にデザインが参加する のではないということだ。今回は比較的初期段階から関われた が悪戦苦闘である。デザインは土木事業で決められた上での化 画4 道路法面の一部を公園側からステージのようにして使う提案 (CG 作成:芝浦工業大学・中村研究室). 粧をすることではない。私は環境デザインとは柔道のように相 手との関係で、相手の力を利用してデザインしていく方法では ないかと思っているのだが、相手の動き(実際の復興事業の変. ■震災遺構について 震災遺構に関して言えば、ここ岩間の流された堤防の保存に. 化)に反応しながらデザインしていく必要性をとても感じてい る。. はそれほどの反対はないとは思うのだが、様々な被災地を見て. 最後に、今の岩間町の世帯の移動状況予測を述べておく。当. きて思うことは、南三陸町の防災庁舎のような犠牲者の出た場. 初の岩間町の世帯数は134、そのうち家屋流失などの被災で区. 所は遺族への配慮から撤去する方向に向かいがちで、犠牲者は. 画整理対象地区内となった93世帯のうち当初はどこに住むか. なく、津波に打ち勝って現存しているいわきの旧豊間中学校校. の意向は各々1/3づつくらいだったのだが、今は現位置希望. 舎などは保存されやすいようだ(旧豊間中学校校舎の保存は防. 5世帯、高台希望10世帯で、80世帯弱は岩間町を離れて生活. 災緑地内にあることもあって断念されたようだが、陸前高田の. する道を選択している。これが4年を経た被災地の実状である。. 奇跡の一本松の保存が早期に実現したように)。これが現地で の実際の感覚だと思う。最初期は希望を持てるものを残したい という感覚であり、次第にその意識は変わってくるようだ。そ のような点で、環境デザイン部会でも提案した、南三陸町の防 災庁舎の保存は、最終的に宮城県の意向で2031年までという 期限を絞り、しばらく時を置こうという結論になったことは喜 ばしいことのように思う。 先日久しぶりに広島を訪ね、原爆ドームや平和資料館、平和 公園、「原爆の子の像」のモニュメントなどを見て、またそこ. 図2 岩間防災緑地・基本断面図. 図1 岩間防災緑地・全体平面図(全長約1km、墓地部分含んだ面積約4.4ha). デザイン学研究特集号 Special Issue of Japanese Society for the Science of Design Vol.23-1 No.89 2015. 49.

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