デジタル監視社会における個人情報保護と
情報セキュリティ管理
根本忠明,服部伊人,佐藤健一
Research on Organizational Information Security Management
and Privacy Protection of Personal Data in the Digital Surveillance Society
Tadaaki Nemoto, Yoshihito Hattori, Ken-ichi Sato
要 約
21 世紀に入り,組織体の情報セキュリティ管理と個人のプライバシー保護と間で,これまで とは大きく異なるタイプの問題が次々と発生し,政府・企業・個人は,それぞれ,新しい事態に 困惑しその対応に苦慮している。 これらは,IT革命(デジタル革命)と政治・経済・社会のグローバル化とが結びついた大変 革によってもたらされたものである。この新しい問題に適切に対処するためには,それぞれの領 域で生起している問題について実態把握を行い,全体像を明らかにすることが,なによりも重要 となる。 本研究では,監視社会という視点から,個人(国民,従業員,消費者)と組織体(国家,公企 業・私企業)のそれぞれのレベル間で発生している組織体の情報セキュリティ管理と個人のプラ イバシー保護との相克について実態を把握・整理すると共に,特に新しいタイプの問題について 事例を取り上げ,問題解決に役立つヒントを提供しようとするものである。1.はじめに
IT革命による電子社会の到来は,「誰もが,いつでも,どこでも,IT技術により繋がる社会」 を実現しようとしている。このすべてが簡単に繋がる社会は,これまでの人類のコミニュケーショ ンを革命的に変えはじめている。 電子社会は,地球上のすべての人達が,IT技術を自由にかつ安価に利用できるように変えよ うとしている。国家や大企業といった巨大組織,また支配階級や富裕層の人々によるIT技術の 寡占的な利用を,近い将来,終わらせることになるであろう。 言い換えれば,新しい社会は,地球上の人々が自由に情報を発信・受信し,コミニケーション することを容易にする。強大な国家権力をもってしても,国民や民族の自由なコミニケーション をこれまでのようにコントロールすることは,近い将来困難になるであろう。これを実現に導くIT技術の代表が,インターネットと3Gケータイ(第三世代携帯電話)で ある。当初の携帯電話はインターネットに接続していなかったが,今日の3Gケータイはインター ネットへの接続が前提になっており,パソコンを凌ぐネット端末になろうとしている1)。 この 2 つのIT技術の利用は,一部の先進国に止まるものではなく,地球上のすべての国で行 われるものになりつつある。最初は先進国で始まり,これらの国では国民の大半が利用するにい たっている。現在は,中国,インド,ブラジルといった新興国での普及が著しく,先進国の後を 追っている。さらに,アフリカなどの最貧国といわれる国々でも,急速に普及しはじめ,普及率 は低いが地域社会を大きく変え始めている2)。 すなわち,これらのIT技術は,国家の枠を超えて地球上の何処とでも,非常にリーズナブル なコストで,誰ともコミニケーションすることを可能にした。それは,インターネットというネッ トワークが,従来の電信・電話といった通信ネットワークと基本的に異なり,国家の管理下にな い国境を超えたオープン・ネットワークであることによる。誰でも自由に参加できるのである。 しかし,これが大きな弱点にもなっている。性善説に立ってボランティアによって構築されて きたインターネットは,生い立ちからしてセキュリティには無防備だった。それが,ビジネスの 世界に開放されるようになって,悪用しようとする者達による攻撃に対して脆弱性を曝け出すこ とになった3) 。その対策に追われているのが実状である。 もうひとつは,パソコンや3Gケータイといった高性能でありながら安価なマシンを,誰もが 常に携帯し,簡単に操作できるという点にある。IT技術の技術的革新と価格破壊の進行が,新 しい社会を実現させたのである。 これによって,かつては一部の人達しか所有できなかった高性能マシンを,誰もが常時持ち歩 き,簡単に情報の受発信できる電子社会が,わずか 20 年という短い時間で実現したのである。 超大国と最貧国,国家と国民,大企業と消費者との間のコミニケーションの流れは,革命的に変 わり始めたのである。 しかし,このIT革命と呼ばれる革命のスピードの速さゆえに,ITを取り巻く既存の仕組み が追いつけず,様々なところで混乱を起こしているのも事実である。IT革命の進行を阻止しよ うする動きも各地で生起している。 このようなIT革命をさらに複雑にしているのが,政治・経済・社会のグローバル化と混乱に 伴う,国家間の対立であり,民族の対立であり,富の再分配に伴う新旧勢力の対立である。この ような混乱と対立が,IT革命に伴うIT技術を自分達に有利に利用し,コミニケーションの流 れを自分達に都合よくコントロールしようとする動きをもたらしている。 国民によるインターネットの閲覧を厳しく監視している国家も少なくない。国家の監視強化に 対して,国民側も対抗策を講じている。たとえば,サーバー(ネットワークを支えるコンピュー タ)を国外に置き,海外から情報発信したり,監視の目をくぐってウェブを閲覧するソフトも無 料で配布されている4)。 しかし,20 世紀のアナログ主導の時代と異なり,国民に対して国家が,圧倒的に有利な技術 を独占できる時代では無くなってきている。インターネット自体が,国家の支配下にはない。国 家はインターネットを利用させてもらっているに過ぎない。世界をつなぐインターネットは,国 家が国民のコミニケーションを独占的にコントロールできる時代の終焉を象徴している。 逆に,国家機関や大企業のウェブサイトでは,海外からのサイバーテロや自国のハッカーに侵 入され,情報流出や情報改竄といった被害が頻発している。先進国であれ新興国であれ,国家は
内外からのゲリラ攻撃に対して,防御にまわらざるを得ない事態が続いている。 さらに,国家や大企業がきちっと管理すべき国民や顧客の個人情報が,組織内部の構成員に よって,外部に流出する情報漏洩事件がとまらない。職員によって故意に持ち出されたり,職員 のパソコンを介して本人の気がつかないうちに,情報漏洩するケースが増えている。 すなわち,国民一人一人が情報機器を常時携帯し,オープン・ネットワークを自由に利用でき る社会においては,官公庁や私企業は,国民や顧客の個人情報保護のために,今まで以上に高度 なセキュリティ対策が問われている。公務員や従業員も,自分自身の個人情報流出やプライバ シー侵害に,絶えず晒されているのである。 問題は,組織体対個人という単純な構造に止まらない。組織体対組織体(政府,大企業,非営 利団体ほか),集団対集団(民族,宗教団体,富裕層ほか),個人対個人の問題も含まれるのであ る。しかも,組織体,集団,個人は,誰もが被害者にも加害者にもなるのである。 このように,国境を超えて利用されるIT技術の進化と普及による電子社会の到来は,個人情 報やプライバシーといった以前から問われてきた問題を,抜本的に見直すことを我々に迫ってい る。日本学術振興会でも,「情報倫理の構築プロジェクト」という研究プロジェクトをスタート させている5) 。 本研究の目的は,新しいIT技術による電子社会における組織体と個人の間でのコミュニケー ションが抱える問題について,個人情報保護と組織の情報セキュリティ維持という観点から,21 世紀を迎えて最初の 10 年間に,各分野で発生している個々の問題を総浚いすることによって, 全体像が見渡せるようにすることにある。 特に,新しく登場し社会に大きな影響を及ぼしている情報技術や電子機器に焦点をあてる。新 しい技術や新サービスが,組織体の情報セキュリティならびに個人のプライバシーにどのような 問題を起しているかについて,検討しようとするものである。
2.デジタル社会についての2つの視点
デジタル技術の普及は,前述のように,これまでとは次元の異なる新しいデジタル社会をもた らしている。このデジタル社会は,カメラ付携帯電話に代表されるように,すべての人が情報機 器を身に着け,どこでも情報の発信と受信ができる社会であり,ユビキタス社会と呼ばれている。 この呼び方は,21 世紀初め頃より広く使われはじめている。 情報通信白書〈平成 15 年版〉[51]は,「ユビキタス社会とは『いつでも,どこでも,何でも, 誰でも』がコンピューター・ネットワークを初めとしたネットワークにつながることにより,様々 なサービスが提供され,人々の生活をより豊かにする社会である。『いつでも,どこでも』とは パソコンによってネットワークにつながるだけでなく,携帯情報端末をはじめ屋外や電車・自動 車等,あらゆる時間・場所でネットワークにつながる事であり,「何でも,誰でも」とはパソコ ン同士だけでなく家電等のあらゆる物を含めて,物と物,人と物,人と人がつながることである。」 (p. 86)と説明している。 ユビキタスという概念は,もともと米ゼロックス社のマーク・ワイザー(Mark Weiser
)によ り提唱された6) 。我が国では,OSトロンの開発者として世界的に著名な東大の坂村健教授が, 産業界だけでなく一般市民向けの啓蒙にも精力的に活動してきている。 このユビキタス社会がどのような社会かについての初期の紹介書としては,坂村健[41][42],野村総合研究所編[64]ほかがある。 また,政府の白書でも,情報通信白書〈平成 16 年版〉[52]が,特集「世界に拡がるユビキタ ス・ネットワーク社会の構築」として取り上げている。以後,情報通信白書では,「ユビキタス エコノミーの進展とグローバル展開」〈平成 19 年版〉[53],「安心・安全なユビキタス社会の構築」 (平成 21 年版)[54]と,ユビキタスをテーマに取り上げてきている。 このユビキタス社会では,性善説の立場にたってバラ色の未来を想定したデジタル社会を紹介 している。逆に,性悪説の立場にたって灰色の未来を想定したデジタル社会を紹介しているのが, 監視社会である。 監視社会の研究については,カナダの社会学者デイヴィッド・ライアンによる一連の研究・著 作がある[88][89]。彼は,近代社会の成立を「監視」という視点より社会学的に捉え,IT革 命に伴う情報技術の革新が監視社会の動向に,どのような影響を与えているのかについて,多く の論文を発表してきている。 特に,9・11事件以降,世界各地での監視社会化が進む事例を数多く紹介し,テロ対策を御 旗に,市民のためのセキュリティ対策よりも社会的弱者への監視措置を強めてきていることに警 告を発している。アメリカ,日本,東南アジアを中心とした世界各国の監視社会の状況について は,白石・小倉・板垣による報告[50]がある。 監視社会という捉え方は,ライアンも指摘するように,近代社会の成立とともに始まる。しか し,デジタル社会による監視社会とそれ以前の監視社会との間には根本的な差異がある。江下雅 之[ 9 ]は次のように説明している。 「従来の監視システムは,少数者(権力者)が多数者を監視する形態か,多数者が少数者(権 力者)を監視する形態の 2 つであった。それが,今日,新しい電子技術と低価格化と普及によっ て,すべての人が監視者であり同時に被監視者であるという 3 つ目の新しい形態が始まっている」 と指摘している。江下は,この 3 つ目の形態を前提として,民主的な監視社会を構築すべきと提 言している。
3.本研究の関心と研究対象
ユビキタス社会と監視社会は,電子社会を相反する観点から捉えるものであるが,本稿は,監 視社会という観点から電子社会における組織体と個人に関わる情報流通やコミュニケーションに 関する問題を取り上げる。特に,組織体の情報セキュリティと個人の個人情報保護の相克に焦点 をあてる。 さらに,1990 年代から台頭しはじめた革新的なコンピュータ(パソコンや携帯電話といった マルチメディア機器)とネットワーク技術(インターネットやブロードバンドなど)が,政治・ 経済・社会におけるコミニケーションに及ぼす影響に焦点をおく。ただし,最近大きな話題と なってきている人の生命や人体に関する技術革新,生体認証や遺伝子問題(遺伝子操作,遺伝子 治療)といった技術革新とその影響については,本研究の対象外とする。 筆者らは,21 世紀はじめの 10 年間を,アナログ社会からデジタル社会へと大きく転換してい る途中の時期であり,移行期であり過渡期であると捉えている。古い社会から新しい社会に移行 する過渡期においてみられるコミュニケーションの変化と,それにともなう秩序の変化に関心が ある。コミュニケーションの主体としては,組織体と個人の 2 つを想定する。コミニュケーションで は,組織体と組織体,組織体と個人,個人と個人との間の情報交換を想定する。組織体としては, 国家,公益企業,私企業などを含み,個人としては国民,市民,従業員,消費者などを含むもの とする。 本研究における監視社会でのコミニュケーションでは,相手にとって不利益をもたらすコミュ ニケーションを前提とする。相手からもたらされる不利益なコミュニケーションに対して,組織 体は自己の所有・管理する情報を安全に保持しようと努め,個人は自己のプライバシーを守ろう とする行為に努めることを,前提とする。 具体的には,国家は,国家秩序の維持のために国民を監視しようとすることを想定し,大企業 は,経営活動維持のために従業員を監視し,ライバル他社との競争に勝ち抜くために諜報活動に 努め,顧客囲い込みのために消費者の購買行動の把握などをするものとする。 本研究では,国家,官公庁,大企業といった組織体においては,その情報セキュリティの維持, 従業員,消費者といった個人においては個人情報保護やプライバシー保護について,主として取 り扱うものとする。 以上の事柄に関わる事件や出来事について紹介している新聞,雑誌,単行本で紹介されてきた 具体的な事例や理論的な研究を取り上げ,国家,企業,個人のそれぞれのレベルにおける情報セ キュリティと個人情報保護にかかわる問題点を整理し,各レベルに共通する監視社会の問題点, 特に,21 世紀はじめの 10 年間における問題点をクローズアップさせることにある。
4.監視社会における諸問題
本研究は,「電子社会」の到来が,新たに生起させている情報セキュリティと個人情報のテー マについて,これまでの経緯とそこで生起した主要な事柄について紹介し,全体像の把握に努め る。ここで紹介した具体的な事件や事例の中から,筆者らが特に注目すべきと考える個別テーマ については,次の 5 章で更に詳しく紹介する。 ここで扱う事例の多くは,現在進行形の現象であり,それについてのあるべき姿の提言や結論 を提示するのは時期尚早であるといってよい。このため,ネットニュース,新聞記事,雑誌や単 行本にて記述された内容について,筆者らの見解や評論はできるだけ加えずに,現象の経緯,特 徴について詳しく紹介するように努めている。 4. 1 国家間の情報監視と情報セキュリティ(国家 対 国家) 政治・経済・社会のグローバル化の進展は,国家間の相互依存を高め,国境を超えた人々の移 動を加速している。同時に,冷戦崩壊後の新しい政治・経済・社会の再構築に伴い,世界各地で 国家間や民族間の摩擦・紛争・テロを多発させている。 実際,ロシア元スパイのリトビネンコ暗殺事件,エシュロンによる産業スパイ問題,中国政府 によるインターネット監視問題,アメリカでの9・11事件など,世界を震撼させる事件が相次 ぎ,国家の情報セキュリティと外国人や国民の個人情報侵害の問題がクローズアップされてきて いる。 このために,通信衛星やインターネットといったネットワークに,監視カメラ,GPS,RF ID(ICタグ)などのIT技術が採用され,国境間での人間や情報の移動に関する検閲・監視の強化に利用されている。 人々の国境間の移動に関する監視は,まずパスポートが対象となる。パスポートの個人情報は, 国家の安全性のために監視対象となるだけでなく,個人のプライバシー侵害の危険性を助長させ ることになる。9・11事件によるテロ対策のために,アメリカ政府はICパスポートの採用を 決め,外国人に対する監視体制を強めている。アメリカに続いて,世界各国でICパスポートの 採用がなされている7) 。 それが,デトロイト上空でのデルタ航空機爆破テロ未遂事件(2009 年 12 月 25 日)により, 監視体制はさらに強化されてきている。世界の主要空港での身体検査や手荷物検査の強化だけで なく,乗客に対する全身透視スキャナーまで導入され,個人のプライバシー侵害は無視同然の扱 いにまで到っている8)。 インターネットの世界においては,国境を超えてのサイバーテロが大きな問題となっている。 国家がテロの対象になり,世界各国で被害が発生している。この種のサイバー犯罪に対しては, 欧州評議会が起草し,日米欧の主要国を含む 30 カ国が署名したサイバー犯罪条約が 2001 年 11 月に結ばれており,我が国でも 2004 年 4 月に批准している[66]。 国境を超える事件では,国際的な相互協力を必要とするにもかかわらず,友好国の間でさえ複 雑な利害関係のため対立も生じている。世界各地で発生するテロ(サイバーテロを含め)に対す る欧米諸国の姿勢は,一枚岩にはなっていない。また,先進国と発展途上国間の経済発展のギャッ プは,企業の情報セキュリティと個人の人権擁護やプライバシー保護について大きな温度差を生 じている[65][81]。 次章で取り上げるエシュロンはこの代表であり,英米と欧州諸国との間に,おおきな軋轢をも たらした。また,欧米先進国と新興国や発展途上国との間では,政治の民主化や人権擁護の考え 方に大きな差異がみられる。新興国の中には欧米先進国からの進出企業や企業人に対して厳しい 監視や検閲を行っている国があり,欧米諸国はこれに強く批判している。 たとえば,中国政府によるネット監視システム「サイバー万里の長城」は,中国国民への監視 強化に止まらず中国進出の海外企業にも及び,欧米諸国や日本はこれに強く反発している。特に, 2010 年 1 月 16 日,グーグルは検索エンジンに対する中国政府の監視に反発し,中国から撤退す る可能性を公けにした。このグーグル問題は,中国とアメリカとの間での政治問題に発展する可 能性も出てきている9)。 次の 5 章で,このエシュロンとサイバー万里の長城の 2 つの事例について取り上げ,紹介する ことにする。 4. 2 国家による電子監視と国民のプライバシー保護(国家 対 国民) 国家による国民の監視という問題については,これまでは国家権力による市民のプライバシー 侵害が大きなテーマとして取り上げられてきた。たとえば,国民総背番号制の導入であり,住民 基本台帳ネットワークシステム(2002 年 8 月稼動)の導入がその代表であった10) 。 特に,国民総背番号制の導入は,昭和 40 年代初期に情報化社会の到来が叫ばれ,それ以降, 大型コンピュータの導入と表裏一体の形で議論されてきた。この情報化社会の進展に伴うプライ バシーの問題については,堀部政男[75]に詳しい。また,田島・斎藤・山本編[56]は,住民 基本台帳ネットワーク・システムを軸に,監視社会実態の問題を法的観点から批判をしている。 それが,アメリカでの9・11事件以降,海外からのテロの脅威や経済不況などに伴う国内の
犯罪増加といった問題に対して,国家は治安維持や国民の安全保護の対策を迫られている。海外 からのテロの脅威に対する国民の安全確保の問題は,国民の個人情報やプライバシーの侵害問題 と相克を引き起こしている。 イギリスでは,ロンドンでの同場爆発テロを契機に,繁華街を中心に監視カメラの設置を急増 させている。我が国も例外ではない。空港や鉄道,市繁華街や住宅地への監視カメラの設置だけ でなく,高速道路など幹線道路ほかにおける交通監視(Nシステム)の強化もなされている。N システムについては,国民のプライバー権を侵害しているという指摘もあり訴訟もなされている 11) 。公的空間と私的空間における監視カメラ設置に関する法的な問題については,甲斐素直[25] は,プライバシーの一環として見られたくないときに見られない人間の権利について考察してい る。 さらに,1990 年代後半から普及したインターネットについては,国家によるウェブ監視体制 の強化が進んでいる。政府に都合が悪いと判断されたウェブサイトは,ネットから遮断される事 態も相次いでいる。特に,中国では,反日抗議デモ(2005 年 4 月),チベット弾圧(2008 年 3 月), ウイグル暴動(2009 年 7 月)などの際には,ウェブの閲覧制限やネット切断がなされ,海外か ら強い批判を浴びた。 国境なき記者団(RSF)は,インターネットの検閲などで国民の言論の自由を脅かす国とし て,ミャンマー,中国,キューバ,エジプト,イラン,北朝鮮,サウジアラビア,シリア,チュ ニジア,トルクメニスタン,ウズベキスタン,ベトナムの 12 カ国を名指しで非難している12) 。 もうひとつ,国民の電子監視で注目を集めているのが,刑務所のハイテク化,すなわち電子刑 務所の導入であり,犯罪者や刑期終了者などの電子監視である。欧米先進国や日本では,治安の 悪化による刑期服務者の増加,刑期終了者の再犯増加が大きな社会課題となってきている。この 結果,刑務所内だけでなく仮釈放者・刑期終了者に対する電子監視も進み,彼らのプライバシー 擁護が議論されている。これについては,次の5章で検討することにする。 4. 3 企業の顧客サービスと消費者のプライバシー侵害と犯罪(企業 対 消費者) 100 年に一度といわれる厳しい経済状況の中で,企業は新しい顧客サービスの創造と経営のさ らなる効率化を追及してきている。小売業ではネット通販が大きく成長している。量販店ではポ イント・サービスが増えている。また,割引販売をポイント・サービスという形で提供する量販 店も多い。交通機関で急速に普及する自動改札での電子マネー(お財布ケータイなど)による支 払いが進んでいる。 これらの顧客サービスへの見返りとして,消費者は自身の個人情報を企業に渡している。この 個人情報が,様々な業界でインターネットを経由しての漏洩問題につながっている。さらに,流 出した顧客情報が,払い込め詐欺などに悪用されるケースが増えていることが,消費者団体など からの強い批判につながっている。 21 世紀を迎え,これとは別の新しいタイプの問題としては,ICタグによるトレーサビリティ 問題がある。この問題は,もともとは,牛肉や魚介類や米の産地偽装問題が相次いで発覚し,大 きな社会問題となったことに端を発する。この偽装対策として生産地から消費者に届くまでの食 品のトレーサビリティが要求されるようになった。このITツールとして注目されたのがICタ グであった。 しかし,このトレーサビリティのためのICタグが,小売店で販売されるアパレルなどの商品
に付けられるようになると,今度は消費者の購買行動が追跡され消費者のプライバシーが損なわ れるという批判に,メーカーは晒される皮肉な結果になってしまった。 2003 年に,米ウォルマート・ストアーズとジレットのICタグの共同実験,伊アパレル・メー カーのベネトンによるICタグ採用の試みがなされた。しかし,これらがマスコミに報道される や,消費者団体から「追跡装置つきの商品は買うな」という批判が起こり,両ケースとも採用の 試みを放棄したのである13) 。 さらに,ネット企業による新たなウェブ・サービスの中には,生活者や消費者の不安を引き 起こしているものもある。そのひとつが,グーグルのストリートビューと呼ばれるものである。 グーグルのウェブ画面で住所を入力すると,その場所の建物や道路の映像を見ることができる サービスである。これについては,次章で紹介することにする。 以上の例は,消費者が被害者になるケースである。しかし,消費者が加害者となるケース,す なわち犯罪者となるケースが増えている。それは,カメラ付ケータイ,ビデオカメラ,デジカメ による盗撮やデジタル万引きである。これは,誰もが所有する携帯電話にカメラが標準装備され るようになった 21 世紀初期に発生した典型的な事件のひとつといってよい。 デジタル万引きとは,書店やコンビニでは,雑誌や書籍の一部誌面のみを勝手に盗撮し,料金 を支払わない問題である。日本雑誌協会と電気通信事業者協会は,2003 年 7 月 1 日から書店で のデジタル万引きを防止するためのキャンペーンを行っている。 さらに,銀行のATMでは,振り込め詐欺による不正な現金の引き出しが相次いでいる。警察 庁によれば,被害件数は過去最悪のペースで拡大している14)。この振り込め詐欺には,携帯電話(カ メラ付ケータイも含め)を利用するケースが多いので,銀行側はATM周辺での防犯カメラの強 化や携帯電話の利用を出来ないようにする対策などを講じている15)。また,ATMからの引き 出し限度額を引き下げるなどの対策を講じている。 このため,消費者が商品を購入したり,サービスを受けたりする小売店や金融機関の店頭,A TMほかの自動販売機,空港や鉄道といった公共輸送機関などで,防犯カメラを設置するように するところが増えたのである。 企業が防衛措置として設置した防犯カメラの急増によって繁華街や商店街,そして公共施設至 る所で,消費者は防犯カメラに取り囲まれることになってしまったのである。すなわち,消費者 が被害者としてだけでなく加害者にもなっていることが,互いに相手を監視しあう監視社会をも たらしている。 4. 4 組織体によるセキュリティ確保と組織員の監視 (企業 対 従業員) 1980 年代に情報化時代を迎え,企業にとって個人情報の収集,特に消費者情報の収集は,消 費者ニーズの多様化と高度化に対処するために,重要な課題となった。このため,企業は,磁気 カードやPOS端末の導入に努め,顧客情報の蓄積に努めてきた[71]。官公庁も例外ではなく, 税収の確保のためにグリーンカード,納税者番号制,住基ネットワーク・システムという具合に, 各種システムの導入に努めてきた[ 6 ]。 同時に,政府や私企業といった組織体による消費者情報の収集は,市民や消費者による個人情 報保護への関心を高めてきた。そして,その顧客情報や国民情報が組織外に流出する事件が相次 ぎ発覚し,個人のプライバシーが危機にさらされる事態が,大きな社会問題になってしまった [79]。このような経緯のすえに,個人情報保護法が成立した(2003 年 5 月 23 日成立,2005 年 4
月 1 日全面施行)のである。 この法律を転機として,顧客情報の漏洩は,組織体にとって社会全体から批判されるだけでな く,情報漏洩に対する損害賠償他ペナルティが課されるようになった。すなわち,企業にとって, 大量の顧客情報の蓄積は,巨大な経済的損失を伴う経営リスクへと変わったのである16) 。 それが,21 世紀を迎えて,データベースに収集した大量の顧客情報流出は,企業にとって情 報セキュリティティの維持管理を重要課題にさせたのである。このため,企業はコンピュータ・ ネットワークのセキュリティ管理が問われる時代を迎えている。顧客情報の流出の大きな要因が, 内部犯行によるものや,内部構成員による持ち出しにあることから,コンピュータ・ネットワー クの機器を管理するだけでなく,これらの情報を扱う構成員に対する監視が必要になってきた。 この中で大きく注目されたのは,ウィニーによる個人情報の流出事件である。この流出事件が それ以前の情報漏洩と大きく異なるのは,会社所有のパソコンではなく,社員の個人所有のパソ コンが,この流出に大きく関わっていたという点であった。 すなわち,会社の仕事を自宅に持ち帰り自分のパソコンで処理したり,逆に会社に自宅のパソ コンを持ち込み会社の仕事をしていた事が,会社が管理している顧客情報の流出を招いてしまっ たのである。これについては,次章で紹介する。 このほかに,企業の経営効率化の徹底が従業員の監視につながっている例としては,企業によ るGPSの採用がある。長距離便の運送会社,宅配会社,タクシー会社は,GPSを採用してき ている。これは,経営の効率化,タクシーの適正配置,利用者サービスの向上,トラックの運行 時間管理の徹底といったプラスの側面がある。反面,運転手は四六時中監視されている,労働強 化を迫られているというマイナスの側面が大きな問題になってきている。 4. 5 個人情報の加害者になる市民(市民 対 市民) これまで,個人(市民や消費者)が政府や企業によるプライバシー問題の被害者となるケース を取り上げてきた。しかし,デジタル機器の大衆化により,個人が加害者になる事件が日常化し ている。これらの事件では,個人のプライバー侵害のレベルを超えて,特定個人へのいじめ,誹 謗中傷,名誉毀損といった大きな社会問題になるものも少なくない。 インターネット上の掲示板やブログなどで生起している問題は,それぞれ「ネットいじめ」,「サ イバー暴力」,「ウェブ炎上」などと呼ばれ,日本だけでなく世界中で顕在化している。中国では, 「人肉捜索」と呼ばれる問題が議論を呼んでいる。 これらの事件は,以前はパソコンを介してであったが,最近は3Gケータイを介しての事件が 増加し,問題を深刻化させている。日本では,特に,デジカメやカメラ付ケータイによる盗撮が, 大きな社会犯罪となってきている。女性のスタートの下や公衆便所や公衆浴場などでの盗撮が後 を絶たず,その中には盗撮画像をネット上に流すなどの悪質な行為も続いている。 このような市民が加害者となる問題の中で,立法措置が講じられるような大きな社会問題と なったのは,学校非公式サイト(通称は,「学校裏サイト」)問題である[47][86]。学校単位の 「ネットいじめ」であり,匿名掲示板に,実名や伏字で誹謗中傷が書き込まれて,該当する生徒 個人だけでなく,苗字が同じ製と教員までも被害者になるなど被害を被る者の範囲は広く,また, 被害者は転校を余儀なくされたり自殺するケースも報告されている[ 2 ]。特に,山脇[86]は,「教 室の悪魔」というタイトルで深刻なイジメの実態を紹介し世論を喚起した。 下田博次[47]によれば,学校非公式サイトの問題は,2002 年頃より発生している。マスコ
ミがこの問題を大きく取り上げるのは 2006 年からであり,これ以降社会で大きな問題となった。 文部省も調査に乗り出し,2007 年2月に調査報告書を提出している。2008 年入ると,全国の地 方自体も相次いで実態調査に乗り出し,2009 年に入ると,地方自体が,学校非公式サイトの監 視を民間業者に次々と依頼するようになった17) 。 この結果,「青少年ネット規制法」(正式には,「青少年が安全に安心してインターネットを利 用できる環境の整備等に関する法律」)が,紆余曲折をへて,2008 年 06 月に成立している。こ の規制法については,ネット業者からは表現の自由を制限するものであるといった反対論から, どのように規制できるのか,規制の効果はあるのかといった懐疑論も根強かったのである18)。 また,子供が携帯電話で有害サイトにアクセスして事件に巻き込まれるのを防ぐためのフィル タリング対策は,政府や関係官庁によって,2006 年より始まっている19)。 この問題は,さらに子供に携帯電話を持たせるべきでないという議論にまで発展している。た とえば,政府の教育再生懇談会は 2008 年 5 月に,小中学生が携帯電話を所持しないよう保護者 や学校関係者に求める提言を盛り込んだ報告書をまとめている。下田博次[48]は,子供がケー タイを利用してインターネットに接続し,メールをやり取りしウェブサイトを渡り歩く実態につ いて紹介し,親が知らな過ぎることが問題であり,子供のあるべきケータイ・リテラシーについ て論じている。 次の 5 章では,中国での人肉捜索,日本の盗撮を取り上げる。人肉捜索は,最近世界が注目し はじめた問題であるが,日本の「ネットいじめ」とは,社会的背景やいじめ内容が異なっている。 盗撮は,海外諸国に比べ,日本で特に大きな社会問題になっているにもかかわらず,法的対策が 遅れているのである。 4. 6 家族の安全とプライバシーの侵害 (親 対 子ども) 少子高齢化の進展とマスコミによる犯罪報道の増加は,市民や家族の不安を拡大している。家 族の中でも,幼児,若者,老人は,誘拐や詐欺といった犯罪に晒される危険性が高く,連日のよ うに被害報道がなされている。 子供の安全ついての親の関心は高い。たとえば,サーベイリサーチセンターによる子どもの携 帯利用に関する調査(2009 年 9 月 30 日発表)によれば,子どもに携帯電話を持たせる理由のトッ プは,“防犯への期待”であった。 家族による見守りのツールとしては,携帯電話,GPS,ICタグなどのIT技術がある。ま た,最近はGPS機能付の携帯電話も増えており,子どもに持たせれば,親は子どもの居場所が 簡単にわかる。 これは見方を変えれば家族による監視問題といってよい。これは,家族の一員である老人(特 に痴呆症),娘(とくに結婚前),幼児(幼稚園児や小学生)の危険回避や安全のために,家族に 発信機をもたせてその所在を常時監視しているからである。 発信機をもたされる側からすれば,自分の居場所が常に親に把握されていることになるので, 本人は自分のプライバシーが侵害されていると感じることになる。また,IT機器による安全性 はどこまで保障されるのかという技術的問題もある。 これらの研究については,たとえば,藤田修[72]は,GPSを利用した登校下校時における 安全システムの構築に関する技術的課題について説明している。また,ICタグを利用した子供 の完全確認システムの可能性と課題について,江間有沙[13]のアンケート調査がある。江間有
沙は,ICタグシステムによる安全性は地域特性が影響しており,このシステムだけで不十分で あると述べている。 痴呆症などの徘徊する老人の介護と安全性の確保については,地域医療や在宅医療といった観 点から,実態や研究報告がなされてきている。たとえば,在宅医療情報ネットワークの構築と運 営,介護施設と医師会と家族の協力のもとでの老人介護について,本田忠[209]は,電子カル テの可能性,患者の個人情報の取り扱いの問題,情報の集中・分散の問題について説明している。 他方,新人類とかデジタル・チルドレンと呼ばれる若者や子供は,携帯電話やインターネット を巧みに利用するようになってきており,IT機器に不慣れな親との世代ギャップが生じている。 IT機器を使いこなす子供達は,親の知らない世界で,ネット犯罪の餌食にされたりするケース が急増している[19]。この世代ギャップが,親世代による子供への監視や保護の問題解決を困 難にさせている。
5.事 例
本章では,第 4 章で紹介した各領域の問題の中から,特に,組織体の情報セキュリティ維持と 個人の情報保護・プライバシーに関して,これまでとは異なる新しいタイプの話題を取り上げ, 更に詳しく紹介することにする。 5. 1 英米のエシュロンによる諜報活動(国家 対 国家) ここで取り上げる「エシュロン」は,世界最大級の諜報機関である。これまでもその存在が噂 されてきたが,2000 年に初めて,この諜報機関の活動が公けの舞台で取り上げられた。 エシュロンは,複数の人工衛星と高速型並列式のコンピューターを結びつけたシステムであ る。諜報対象としては,軍事無線,固定電話,携帯電話,ファックス,電子メール,コンピュー タ・データ通信などが含まれる20) 。 エシュロン問題とは,イギリスとアメリカがエシュロンを利用して,欧州同盟国の産業スパイ 活動を行っている疑惑が,欧州議会で取り上げられ批判された問題である。エシュロンの諜報活 動は,冷戦時代のスパイ活動から大きく逸脱しており,欧州議会は,同盟国の産業スパイや世界 平和に貢献している著名人に対してまでスパイ活動していたことを,公に批判したのである。 わが国のマスコミが,エシュロン問題を大きく取り上げるようになったのは,2000 年 7 月に, 欧州議会で「エシュロン問題に関する特別委員会」が設置され,英米による欧州諸国の経済活動 や企業行動への産業スパイ疑惑調査が始まってからである。 エシュロンは,世界中の情報通信を傍受し暗号を解読,NSAやMI6など英米の諜報機関に 情報を瞬時にして送っている。その情報が友好国の産業界や企業に対する産業スパイとして利用 されていた疑いが浮上した。 欧州諸国によるエシュロン批判に対して,米国では,米下院情報小委員会がこの問題が取り上 げ,2000 年 4 月 12 日,CIAとNSAの長官が証人として呼ばれている。ここで,証人は傍受 情報が米国の経済活動のために利用されていることは認めたが,一般の国民は諜報活動の対象に なっておらず,国民のプライバシーは侵害していないと証言している。 歴史的には,1943 年に「英米通信傍受協定」(ブルサ協定)が,1948 年に米,英,カナダ,オー ストラリア,ニュージーランド間で「UKUSA協定」が結ばれ,今日のエシュロンによる通信傍受の協力体勢が形作られた。冷戦期は共産圏を対象にしていたが,現在は商業通信や個人向け メールも傍受しているという。米国家安全保障局(NSA)主体の運営とされているが,同局が エシュロンの存在を公式に認めたことはない。 エシュロンの誕生から 1990 年代末の通貨危機までの動向と各国間の争いについては,鍛冶[26] に詳しい。また,エシュロンについての欧州議会最終報告書については小倉編[21]がある。産 経新聞特別取材班[46]は,アメリカによる世界の情報支配という観点からまとめている。 この監視対象は,産業スパイとは無縁と考えられる世界的に著名な要人や団体に対しても向け られており,彼らの個人情報の収集や監視にも利用されていたことが,暴露されている。ローマ 法王,ダイアナ妃,マザーテレサら世界の著名人や,アムネスティ・インターナショナルなどの 人権団体やグリーンピースなど国際環境保護団体にも及んでいたのである21)。 また,サッチャー英元首相が,エシュロンを利用して自国の 2 閣僚を盗聴していた疑いも報告 されている。この盗聴に関与したというカナダの元情報機関員が,アメリカのテレビ局で証言す る事態にまで発展したのである22) 。 エシュロンによるテロ監視対象は,海外に活躍の場を求めた日本赤軍にも及んでいたことが, 明らかにされている。日本赤軍最高幹部の重信房子の電子メールは,エシュロンによって監視・ 追跡されており,それが逮捕につながったという23) 。 5. 2 サイバー万里の長城(政府 対 海外企業 対 市民) CNNIC(中国インターネット・ ネットワーク情報センター)は,中国のインターネット人 口が,2009 年 6 月末に,米国の総人口を上回る 3 億 3800 万人に達し,世界最大となったと報じ ている。 この世界最大のインターネット人口を抱える中国は,世界で最もネット監視の厳しい国のひと つであることが知られている24)。このネット監視に使われているシステムは「サイバー万里の 長城」(中国では「金盾」)と呼ばれている。この監視システムの監視は,中国人だけでなく,中 国国内で活動する欧米企業やその従業員にも向けられており,日本や欧米の政府はこれに反対し ているのである25) 。 中国政府は,急成長するパソコンとインターネットの国内市場を逆手にとって,マイクロソフ トやグーグルといった中国進出の海外企業によるインターネット・サービスに対して,様々な規 制の網をかぶせている実態が報告されている26) 。 中国政府による国民へのネット監視の特異性は,中国に海外から進出している企業に対して, 中国政府への協力を強要しているところにある。このため,中国政府のネット監視に協力を余儀 なくされている欧米のネット関連企業は,欧米諸国や国際的な人権擁護団体から,中国人の人権 侵害に加担していると批判されているのである。 人権擁護団体 Amnesty は,中国のネット検閲・協力している企業として,Yahoo!,Microsoft, Google,Sun Microsystems,Nortel Networks,Cisco Systems の名を挙げ,これら企業が中国で果た してきた役割に関して報告書を公開している27) 。 それだけでなく,中国政府は,国民監視のために国民の中からネット監督者を募り,中国国民 によるウェブサイトの書き込みを,常時監視する体制を敷いている28) 。 中国政府による監視 強化は,インターネット網だけではなく,インターネットに接続するパソコンにも向けられたの である。
すなわち,中国国内で販売されるパソコンには,有害サイト接続阻止を名目にした特別の「検 閲ソフト」のインストールを,2009 年 7 月から実施するように,中国進出企業に強要したのである。 世界各国からの反対が強く,中国当局はこの強制措置を延期することを表明したので,この問題 は表面的には一段落している29) 。 中国政府が,このような強行措置に訴えようとしてきたのは,上述のように中国国内でのイン ターネット人口の急増により,ネット世論の高まりを心配しているからである。中国政府は,政 府への不満分子や民主化推進の運動家によるネット世論が,政府批判に向けられる事態を憂慮し ている。それは,中国では,天安門事件,チベット事件,新疆ウイグル事件といった政府を震撼 させる暴動が繰り返されてきたことからも伺える。 中国における民主化要求と言論の自由を求める動きが,確実に強まってきているという事情も ある。たとえば,2009 年 10 月には,中国の学者や弁護士が,言論の自由を求めて「ネット人権 宣言」を出している30)。 中国当局は,マイクロブログサービス「ツイッター(Twitter)」,ソーシャルネットワーキング サービス(SNS)「フェースブック(Facebook)」,動画共有サイト「ユーチューブ(YouTube)」など, 共有サイトへのアクセスを現在遮断している。 5. 3 ロンドン市街での監視カメラ(政府 対 市民) 世界で人の大勢集まる繁華街を中心に,防犯を目的とした監視カメラが世界の主要都市で急増 している。監視カメラの急増の背後には,テロだけでなく,市民による犯罪の急増があるとされ ている。わが国でも,東京の新宿歌舞伎町をはじめ監視カメラが急増し,街の風景が一変してい る31)。 監視カメラの相次ぐ設置には,犯罪防止の基本的な考え方が大きく変化していることが,大き く影響している。小宮信夫[38]は,1980 年代に主流であった「犯罪原因論」から現在の「犯 罪機会論」へと,犯罪防止の考え方が大きく変わってきていると指摘している。 また,政治的・経済的な背景としては,グローバル化に伴う国家覇権や経済競争といった国家 レベルの問題がある。斎藤貴男[40]は,小泉政権が規制改革という名目のもとで,国内の規制 緩和や競争力強化のために,メディア規制,国民総背番号制,監視カメラ設置をすすめてきたと 指摘している。 ロンドンが注目されているのは,世界で最も多く監視カメラが設置されている都市というだけ ではない。監視カメラ設置による防犯効果について,世界がその成否を注目しているのである。 それは,監視カメラの設置の大前提となっている治安悪化説や監視カメラ設置の防犯効果に対し て,これまで様々な疑問が提出されているからである32)。 各国ともに,市民を守るために導入してきている防犯カメラであるが,どの程度の効果があっ たのかに関しては,説得力のある資料はいまだ提出されていない。 我が国では,犯罪研究者や学者の多くが治安悪化説に疑問を呈していると,奥田昭則は指摘し ている33) 。また,監視カメラの設置は,個人のプライバシー侵害にしかなっていないという主 張も根強い。このように数多くの疑問が提出されているにもかかわらず,監視カメラが急増した のは,アメリカで 2001 年 9 月 11 日に発生した同時多発テロが大きく影響しているといってよ い34)。 ロンドンの監視カメラ設置は,同時爆破テロで大きく注目されたが,実際の監視カメラの設置
は 1990 年代前半にさかのぼる。1993 年に起きたアイルランド共和軍(IRA)のテロ事件が引 き金になっている35) 。これにより,ロンドンの監視カメラ設置は,1994 年からの 4 年間に急増 している。イギリス政府は,テロ事件の翌年から,自治体や地域団体に防犯カメラの設置に助成 金を出している。 しかし,これによって,イギリスで犯罪が減ったかどうかは,必ずしもはっきりしない。政府 は犯罪件数が減ったと報じているが,市民への聞き取り調査では,84%の回答者が増えていると 回答している36) 。 ロンドン同時多発テロの際にも,監視カメラが効果をあげたという報道と,必ずしも効果を挙 げていないという報道の両方がある37) 。 監視カメラの設置については,実際の効果よりも,国 際テロや国境を超える犯罪への心理的不安の解消の方が,大きく影響しているといってよい。 国際テロや国内犯罪に対する国民全体の不安が,個人のプライバシー侵害や個人情報保護への 関心を大きく上回っているのが,先進国に共通した状況といえる。この状況が変わらない限り, 監視カメラの設置は続くことになるであろう。 5. 4 犯罪者への電子監視システム (政府 対 市民) ここで取り上げるのは,犯罪者の監視と犯罪の予防のためのIT技術の活用である。電子刑務 所とか電子足輪(または電子腕輪)として取りあげられる問題である。これは,犯罪の歴史はじ まって以来の画期的な監視方法の導入といってよく,現在その成果が問われている。 電子監視システムは,物理的な壁や檻による隔離,監視員による直接的な監視ではなく,監視 カメラ,ICタグ,GPSといったIT技術の組み合わせによって,電子的にバーチャルな檻を 作って,遠隔的かつ間接的に監視しようとするものである。 このシステムによって,犯罪者を刑務所という特殊な場所に隔離することを止めることが出来 る。一般市民と同じ地域で普通の生活を送らせながら,電子的に隔離して,犯罪防止や再発防止 に効果があるというわけである。 リアルな監視からバーチャルな監視への転換によって,犯罪常習者や暴行歴のある者,さらに 仮出所者による犯罪の再発防止が容易になり,しかも犯罪防止の経費を低く抑えられると政府は 期待している。 この電子化の背景には,欧米先進国や日本において,犯罪の増加,刑務所の不足,犯罪者の待 遇悪化,刑期終了者による再犯の増加という悪循環に悩まされている事情がある。この悪循環が 断ち切れない背景に,政府として刑務所の維持管理コストを増やせない財政事情がある。各国政 府の厳しい財政事情が,少ない予算で効果が挙げられる犯罪防止策を要求している。 ここで注目されたのが,電子刑務所である。刑務所の維持管理コストが少なくて済み,犯罪者 の再発防止効果も望めるというわけである。このため,世界中で電子監視をする国が増加してい る。 2000 年当時の欧州での電子監視の成果について,三井美奈は,「EU域内で導入済みの四 ケ国とも成果は順調で,欧州保護観察常設会議によると,“電子刑務所”で受刑者が無事刑 期を終える確率はスウェーデンで 92%,オランダでは 90%にのぼった」と報告している38)。 電子刑務所は,わが国でも既に実施されている。2007 年4月より,PFI (民間資金を活用し た社会資本整備) 方式による電子刑務所が開設されており,現在まで 4 箇所に設置されている。 名称は,刑務所ではなく「社会復帰促進センター」と呼ばれている。マスコミも注目しており,
この施設と経緯について数多く紹介してきている39)。まとまった紹介としては刑事立法研究会 [36]によるものがある。このPFI方式による刑務所についての実態(2006 年 3 月時点)につ いては,田嶋・岩本・松永の報告[57]がある。 電子監視については,わが国では,パリス・ヒルトンが保護観察期間中に飲酒運転を行い有罪 となった事件(2007 年)で,刑務所での収監から自宅謹慎に変えられて,GPS機能つき足環 をつけられたことが話題となった40) 。 実際の電子監視の歴史は古く,1983 年にアメリカでこの制度が導入されている。次いで 1987 年にカナダ,1989 年にイギリスで導入されている。ただし,現在主流になっているGPS型の 電子監視システム導入は,1990 年代半ば以降のことである。 欧米諸国でGPS型が急速に広まるようになるのは,2000 年を迎えてからである。イギリス では,2000 年 11 月に刑事司法裁判所法が成立し,GPS 使用の電子監視が始められた。試行的 にGPS 電子監視が行われている。アジアでは,韓国では 2007 年 4 月にGPS装着法が制定され, 2009 年 8 月に「電子足輪法」が成立し,実際に運用されている41) 。 我が国は,現在検討段階にあるが,電子監視に近い判決結果が 2009 年に出されている。東京 地裁の強姦致傷事件の公判で,加害者はGPS携帯電話で被害者に居場所を通知し,被害者に近 づかないという異例の誓約書を提出し,執行猶予付きの有罪判決を受けた事例である42) 。 電子監視に伴う犯罪者の情報公開については,唯一,アメリカのメガン法が定めている。この 法律では,性犯罪者の刑期を終了した後も,その情報を一般公開することを定めている。メガン 法は,1994 年にニュージャージー州で成立した性犯罪者情報公開法の俗称であったが,他州で の類似した法律もメガン法と呼ぶようになっている。このメガン法については,藤本哲也[73] (第三章)に詳しい。 5. 5 ウィニーによる個人情報の流出 (企業 対 従業員) ウィニーと呼ばれるファイル共有ソフトを介して,官公庁や企業がデータベースに蓄積してい る個人情報が,ネット上に流出する事件が続出している。この情報漏洩は,2004 年 3 月に発覚し, それ以来今日まで続いている43) 。 この事件の特異性は,この情報漏洩の主要な原因が,従業員による意図的な犯罪行為によるも のでは無く,従業員が私的パソコンで勤務先の仕事をしていたことにある。この背後には,官公 庁や企業が,経費節減のために従業員に充分なパソコンを配備せず,自宅でのサービス残業を黙 認してきたことがある。 ウィニーは,東京大学助手の金子勇によって開発されたP2Pタイプのファイル共有ソフトで あり,2002 年 5 月に公開された。このウィニーを標的とした暴露ウィルスが個人のパソコンに 感染したことが,ネットへの個人情報流出の原因となっている。注意すべきは,情報流出そのも のは暴露ウィルスによるものであり,ウィニー自体はファイル共有ソフトとしての特徴を悪用さ れたに過ぎない44) 。 ウィニーに仕掛けられた暴露ウィルスは 2004 年 3 月に発見され,官公庁や企業は,これ以降 何らかの対策を講じ始めている。この個人情報流出問題が,社会的な関心をあつめるようになっ たのには,個人情報保護法の成立(2003 年 5 月)と施行(2005 年 4 月)とが大きく影響して いる45)。 個人情報保護法の成立翌年の 2004 年だけを取り上げてみても,大手企業による大量の個人情
報流出事件は,毎月のように報道されている。たとえば,大手企業での主な流出事件としては, ソフトバンク(2004 年 2 月,460 万人分),ジャパネットたかた(2004 年 3 月,51 万人分),コ スモ石油(2004 年 4 月,92 万人分),三洋信販(2004 年 5 月,116 万人分),阪急交通社(2004 年 6 月。62 万人分)などがある。 この相次ぐ顧客情報流出事件は,企業による社員メールの監視強化を強める結果となった。そ れまでは,従来は,サーバーやファイルへアクセスする社員のパソコンの中身まで踏み込んで, チェックしようとはしなかった。それは,企業による社員メールまでの監視は,社員の私的文書 の覗き見であり,プライバシー侵害と受け取られていたからである。 しかし,企業の情報セキュリティ保護と社員のプライバシー保護の境界線での力関係が,個人 情報保護法の成立を契機に,大きく変わった。企業は,社員メールの監視にまで踏み込んで,組 織の情報セキュリティ強化を優先するようになった。この法律により,企業は社会的責任を強く 求められるだけでなく,実質的なペナルティを負わされることになったからである。 このウィニー事件によって判明したことは,情報漏洩に従業員の私物パソコンが大きく関与し ていることであった。情報漏洩をした従業員は,暴露ウィルスに感染した私的パソコンを使用し ていたのである。 すなわち,勤務先のデータベース内の個人情報がネット上に流出させる大きな原因として,従 業員がウィルス感染した私的パソコンを使い,仕事場もしくは自宅で仕事をしていたことが明る みになった。しかも,従業員の多くは,個人情報がネットに流出している事実を,警察などから 通知されるまで,気づかなかったのである。 この背後には,官公庁や企業による従業員へのパソコンの社内配備が不十分だったことと,自 宅でのサービス残業を暗黙のうちに認めてきた組織風土がある。企業は業績低迷や経営不振によ る経費節減が強く求められ,従業員への労働強化などの問題が無くならない限り,従業員の私物 パソコンによる被害は,無くならないのである。現在も,ウィニーに関する情報流出事件が続い ているのはこのためである。 この事件の抜本的な技術的な対策としては,会社のコンピュータのデータは,パソコンにコピー や保存をさせないことである。すなわち,パソコン本体にはデータを一切保存させない仕組みが 必要となる46) 。 なお,ウィニーの開発者である金子勇は,2004 年 5 月に著作権侵害(公衆送信権の侵害)幇 助の共犯容疑で逮捕された。2006 年 12 月に京都地方裁判所で有罪判決,2009 年 10 月に大阪高 等裁判所で無罪判決を得ている。しかし,大阪高検は最高裁に上告している。 この警察の逮捕と地裁の有罪判決に対しては,マスコミや専門家から一斉に批判がなされてき た47)。有罪判決だけでなく,警察による開発者本人の拘束・監禁と証拠品としてウィニーのソー スコードの押収は,ウィニーの被害対策を大きく遅らせることになり,結果的に情報流出の被害 拡大を放置してしまったことに対して批判されている。 5. 6 米グーグルによるストリートビュー問題 (企業 対 市民) 「ストリートビュー」とは,検索エンジンで知られるグーグルが,2007 年 5 月に開始したネッ ト閲覧者向けの映像サービスであり,閲覧者が住所を入力するとそこの建物と周辺の映像が見れ るようにしたものである。 この事例が興味深いのは,スタート直後から世界各地のマスコミに大きく取り上げられ,マス
コミやウェブ上で賛否両論が渦巻いたことである。国によっては禁止しているところもある48)。 これらの騒動は,このサービスがいかに革新的であったかを物語っている。これまでの個人情 報保護やプライバシー侵害の問題では,このような新しいサービスがもたらす問題を,全く想定 していなかったからである。 このサービスは,アメリカのサンフランシスコ,ニューヨーク,ラスベガスから始まり,サー ビスの受けられる地区は,現在も世界中で拡大し続けている。日本では,2008 年 8 月から各都 市でサービスが始まり,2009 年 12 月 2 日現在,サービスが受けられる地区は,22 都道府県に及 んでいる49)。 このサービスにより,住宅の外面だけでなく玄関の表札,敷地内の様子,通行人の顔や自家用 車のナンバープレートまでもが,世間に公開されてしまうことが,社会的に問題視されること なった。このようなサービスはプライバー侵害であるとして,世界各地で,市民や行政などから 反対運動が起こったり,裁判所への訴訟がなされたりしている50)。 グーグルは,完全なプライバシーは存在しないという立場で,現在もこのサービスを継続して いる。ただし,一部のクレームに対しては,撮影する路上の高さを低くしたり,顔や車のナンバー プレートなどにボカシをいれるなどの改善措置をとっている。ウェブサイトとして興味深いのは, この「ストリートビュー」を監視告発するウォッチャーが存在していることである51) 。 我が国では,総務省がこのサービスについて取り上げ,平成 21 年 4 月より「利用者視点を踏 まえたICTサービスに係る諸問題に関する研究会」(座長:堀部政男名誉教授)で検討している。 同研究会は,第一次提案を平成 21 年 8 月 27 日に総務省のウェブサイト上で公表している52)。 この提案では,現時点でストリートビューなどの道路周辺映像サービスについては「個人情報 保護法の義務規定に必ずしも違反するものではない」としたうえで,写真の内容や写り方,撮影 の様態によってはプライバシー侵害となる恐れがあると,指摘している。そして,グーグルに対 して次のような対策を要請し,グーグル側も基本的に同意したという。 「(1)人の顔やナンバープレートを判別できないようにする,(2)撮影前,公表前に,地方自 治体等に情報を公開する,(3)削除要請に対応する枠組みを整備する,(4)違法な二次利用(面 白い写真の紹介サイトなど)への対応を検討する,(5)プライバシーポリシーを公表し遵守する。」 ちなみに,米国での訴訟では,原告の訴えは却下されている53) 。このグーグルのサービスに ついては,高田[55]が法的な観点から論点を整理している。 5. 7 中国における人肉捜索 (市民 対 市民) ここでは,中国政府による市民の監視ではなく,中国人の市民による市民の人権侵害とも呼べ る問題を取り上げる。すべての人が互いに相手を監視しあう社会の到来を示唆する典型的な事例 のひとつといってよい。 これは,中国で「人肉捜索」(または,「人肉検索」)と呼ばれるもので,2001 年頃より始まっ ている54) 。中国では最近の流行語として取り上げられるほど,ここ数年活発化している出来事 であり,アメリカや韓国などのマスコミもこの現象に注目している55) 。 人肉捜索とは,「インターネットを利用する人達の参加協力を得て,ある事件,あるいはある 人物の真相やプライバシーを追及し,その詳細をウェブ上に公開しようとするもの」である。中 国のネチズンは「網民」と呼ばれるが,人肉捜索の主役としてネットへの情報提供者は,「網友」 と呼ばれている。
ウェブサイトで紹介されている事例をひとつ紹介する。留学先で新型インフルザに感染し帰国 してきた学生を,中国国内に新型インフルエンザを撒き散らす元凶として,ネット上で徹底的に 批判中傷した事例である。感染者の留学先での言動,子供の頃からの生い立ちや普段の行動など を,ネッチズン達はよってたかって調べ上げ,徹底的に批判・糾弾したのである。このため,中 国では新型インフルエンザに感染するより,新型インフル感染者として人肉捜索の餌食にされる ほうが,恐怖になるといわれた。 現在,中国で大流行している人肉捜索の背後には,中国大衆の間に,「悪い人間やその家族・友人・ 勤務先の個人情報を,ネット上に公開することで懲罰すべき」という価値観が共有されているこ とがあげられる56) 。 この価値観は現在の中国人に浸透しているという。たとえば,人肉捜索を法的に規制しようと する動きに対して,多くの中国人が反対している。ただし,現在の人肉捜索には行き過ぎである という声も強くなっており,歯止めをかけようとする動きも始まっている57)。 5. 8 カメラ付き携帯電話による盗撮(市民 対 市民) 1990 年代までは,盗撮といえば,社会的な有名人,皇室関係者,テレビ・タレント,政治家 などの有名人のプライバシーを暴き,それをイエロー新聞や週刊誌に載せる類であった。盗撮を プロとする人々による,収益目当てのマスメディアや,パパラッチによるものであった。 ここで取り上げる盗撮は,誰もが所有するデジタルカメラやカメラ付携帯電話による市民の盗 撮である。特に,カメラ付携帯電話は,誰もが常時携帯しているツールである。すなわち,いつ でもどこでも,誰かに盗撮される可能性がある。 しかも,この盗撮という犯罪行為は,世界の中で日本が際立っている。日本の携帯電話はカメ ラ付きが当たり前になっており,カメラ付き携帯電話の普及が際立っていることが,大きく関係 している58)。 盗撮写真は,ウェブ上に不当に掲載される場合も少なくない。最近の盗撮は,不当な撮影行為 だけに止まらず,撮影画像をもとに被害者を脅迫したり,ストーキングといった脅迫行為に及ぶ セクシャルハラスメントやパワーハラスメトといった悪質なケースが増えている。さらに,この 盗撮行為は,男性が女性に対しての盗撮だけではなく,女性が女性に対して行う盗撮(更衣室, 公共浴場など)もある。 盗撮して逮捕された人の職歴をみてみると,教師 ・ 警察官 ・ 弁護士 ・ 公務員・議員・医者・銀 行員 ・経営者など,社会的な地位や信用がある人たちまでに及んでいる。これは,誰もが加害者 になりうることを示唆している59) 。 社会通念として,盗撮は違法行為として法的に処分されるべき行為といってよい。アメリカで は,カメラ付携帯電話が普及しはじめた 2004 年に,盗撮防止法(Video Voyeurism Prevention Act of 2004)が成立している60) 。 しかし,盗撮天国と呼ばれる我が国では,盗撮防止法が国会に提出されたことはあるが,廃 案になったままである。盗撮防止法案は,自民党の「盗撮防止法ワーキングチーム」がまとめ, 2005 年に議員立法として第 162 回国会に提出が予定されていたが延期され,廃案になっている 61) 。 このため,現在,既存の法律で取り締まっているのが現状である。この問題について,平成 18 年警察白書は,盗撮について次のように指摘し,暗に現行法の不備について言及している。