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「ドイツ社会学会」の成立

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(1)「ドイ ツ社会学会」の成 立 堀. 望. ―-1. 序 0社 会学 と ドイ ツ社会学会. ―-2. デ ィル タイとジ ンメル. ーー 3 ーー 4. ドイツ社会政策学会 とマ クス ●ウェーバ ー テ ンニ ェスとゲ マイ ンシャフ ト0ゲ ゼル シャフ ト. ーー 5. ドイツ社会学会 とテ ンニ ェス 1. 「 ドイツ社会学会」 は1909年 に組織 され ,翌 10年 10月 フラ ンクフル ト・ ア ム 0マ イ ンにおける第 一回大会を もって華 々 しく発足 した。今か ら2世 代前 の 出来事である。 それは ,マ クス・ ウェーバ ーを中心とす る精力的な推進に 1). 負 うもので あり,こ こに はじめて「 評判の悪 いこの名称」 とかれの呼ぶ「 社 会学」が,社 会科学 の学問的共同体における独立 の成員としての地位を公認 されるにいたった ことを意味する。 これまで哲学 0社 会科学 の周辺で この新 しい科学 のために比較的恵まれない個 々の研究に努力を重ね ,し たが って ウ ェーバ ーを除けば講壇 と大学教授団の権威か らむ しろ疎外 されてきた学者た ちのこの宣言 は ,か れが1863年 パ リの「 サ ロ ン 0デ ・ レフュゼ」 (SalOn des. R6fus6s)に. これをたとえたといわれるように の曙にたいするかれの ?時 代. 自負を象徴的に物 語 った もの といえ る。会長 に推薦 された テ ンニ ェス と理事 に 名を つ らねた ジ ンメル はすでに50才 を超 し,20年 以上 におよぶ研究業績 と 名声 においてむ しろ国外で著 名 な 国際的な社会学者 であ った。社会政策学会 で つ ねに ウェーバ ーの 同志 と して活躍 した ゾ ンバ ル トおよび ヘ ル クナ ー ,シ 1)LI.Weber,Geschaftsbericht,グ ηVerhandlungen des Ersten Deutschen Soziolo_ gentages,vonl 19.-22.Oktober 191o in Frankfurt a.Nl。 ,1911,S.39.. 2)Marianne weber,Max Weber,Ein Lebensbild,(1926),1950,S.467..

(2) 「 ドイツ社会学会」 の成立. 362. ュル ツ ェ 0ゲ ー ヴ ァニ ッツ らの経済学者が 中心 に参加 した。 ゴー タイ ン (国 家学 ), トレル チ (宗 教 哲学 ), アル フ レ ト・ ウェーバ ー (文 化史), カー ル 0バ ル ト (歴 史哲学 ), カ ン トロヴ ィ ツチ (法 律学 ), オ ッペ ンハ イマー (人 種学 )な ど ,そ れ ぞれ 専門を異 に しなが ら純 粋 に科学 的な研究 の 目標を. 共通 に し,そ の 専門分野 の交流を めざす点 で ウェーバ ー と同世代 の 同志た ち で あ った。 そ して よ り若 い世代 で は , フ ィーア カ ン トを例外 と して ウィー ゼ ,ミ ヘ ルス ,ホ ニ ヒハ イ ム らは ,何 れ も30才 代 およびそれ以下 の新 進 と し て 次代を継承す る ものであ り ,か れ らは第 一 次世界大戦後 の20年 代以 降 の ド イ ツ社会学を代表 し,学 会 の苦難 にみ ちた変遷を連続的に発展 させ ることが で きた ので あ る。 それに して も ドイツにおけ る社会学 の この公式 の発足 は ,あ ま りに も遅 き にす ぎた とい わねばな らな い。 す でに19世 紀 の90年 代 の は じめには ,コ ン ト の祖 国 で はウォル ムスが「 国際社会学研究所」 (1893)を 組織 し ,そ の専門 の 年 報を発刊 し (1894),か れ はまた95年 に「 パ リ社会学会」 を も設立 して い る。海を へ だてた アメ リカで は1895年 スモール が 中心 とな って「 アメ リカ社 会学雑誌」を創刊 し ,そ れ は今 日に いた るま で 社会学 の 専門研究 の公表 に貢 献す るとともに ,そ の 国際的 な交流 の場所 と して機能 しつづ けて きた。 そ し て1905年 には ,同 じくスモー ル によ り「 アメ リカ社会学会」 が倉1設 され るに いた った。 イギ リスにお いて も1903年 ,ス ペ ンサ ーの死 と同年 に「 ロ ン ドン 社会学会」 の設立 と,次 いで「 社会学評論」 の発刊 (1908)が 見 られ る。 イタ リアで は1897年「 イタ リア社会学 評論」 が創刊 されて お り ,極 東 の新興 国 日 本 において も1893年 (明 治26年 )は や くも外 山正一 によ り東京帝 国大学 の社 会学講座 が開設 され ,96年 に は「 社会学会」 の組織が見 られ る。 このよ うに して 19世 紀 90年 代 は ,国 際的 に社会学 の繁栄 の 時期 で あ ったので あ る。 この 時期 に は ドイツで も ,社 会学 の個別 的な業績 で は こ と欠かなか った。 テ ンニ ェスはす でに1887年『 ゲ マ イ ンシ ャ フ トとゲ ゼ ル シャ フ ト』 の 名著 に おいて ,社 会学 の基 礎 づ けにつ いて 古典 的な業績 を公 に し,社 会学者 と して の 国際的な評価を えて いた。 ジ ンメル は『 社会 分化論』 (1890)に おいて フ.

(3) 喜 望. 堀. 363. ラ ンスのデュルケ ームと共通の問題を取 りあげ ,社 会学 の新 しい方向に照準 を定めて いた。また国際的な学会活動 としては ,テ ンニ ェスがすでに1894年 さきの フランスの「 国際社会学研究所」 の会員 に推されており,1905年 には 「 アメ リカ社会雑誌」 の編集顧間に任ぜ られている。 そ して その前年1904年 にはアメ リカのセン ト・ ル イスで万国博覧会 が開催 され ,そ れを 記 念 し た 「 芸術・ 科学会議」 には ,多 数の学者が ヨー ロ ッパか ら招聘 されたが ,テ ン ニ ェスは ミュ ンスターベル クとスモールの招 きに応 じて「 現代 の社会構造 の 3). 問題」 につ いて 講 演 して い る。 これ らテ ンニ ェス・ ジ ンメル によ る社会学 的な開拓 のほかに ,ひ ろ く文化. 0社 会科学 の領域 で は ,社 会的・ 歴 史的探求 の 関心が拡 り ,社 会学的方法 と い うこ と もしば しば 口に されたのであ る。 それ に もかかわ らず社会学 その も の の独立 に幸 いす ることのなか った 事情 は , ドイツの社会学 に秘 め られた学 問的運命を物語 る もの とな るで あろ う。 2. 90年 代 の ドイッは ,社 会科学 の領域 にあ って は在野の社会主義政党を代表 す る社会主義理論 の ほか ,講 壇で は社会政策学会 を 中心 とす る倫理的経 済学 が なおその支配を維持 しつ づ けて いた。 72年 創 立 の この学会 は ビスマル クの 退陣を転機 と してすでに内部的な崩壊 の徴候を示 しなが らも ,マ クス 0ウ ェ ーバ ーな ど次 の世代 によ る理 論的批判 に さ らされ るまで ,な お高 い伝統 的権 威を誇 ることがで きた ので あ る。 また精神科学 にあ って は ,歴 史主義 の思 想 が その認 識批判 的な反省を精密化 しつつ も ,前 者 と同様 な精神 的風土 の うえ に 繁栄 し,教 養 と知識 の世界 に臨んで いた。社会学 はこれ らの重 圧 の も と で ,独 立 の地 位 にまで成長す ることが阻まれて きた ので あ る。. 3)こ の同 じ1904年 ,ウ ェーバ ー夫妻 もまた病気回癒 の間 にアメ リカ各地を旅行 してい る (Marianne weber,S.317ff.)。 ウェーバ ーは,新 大陸のプ ロテスタン ト0セ ク ト ・ホ に強 い興味を示 し, またアメ リカ的な 資本主義的生活様式に共感をもってア ト ームに過 した という。 かれの「 プ ロテスタンティズムの倫理 と資本主義の精神」の 思想を裏づ け る経験 とな ったことは有名である。.

(4) 「 ドイツ社会学会」 の成立. 364. デ ィルタイは「 社会 と歴史の研究」にた いして「 精神科学」 の固有の基礎 を認識批判的に解明 し,精 神諸科学 のあいだの体系的な「 関連」を明 らかに す るために ,文 学・ 歴史・ 宗教・ 思想 の歴史的文献の林 のなかにその解釈 の 道を探求 した。そ して精神科学 における「 歴史的世界の構成」を,自 然科学 の対象 とす る「 自然的世界」 の体系的統一か ら認識論的に区別す ることによ って ,コ ン ト・ スペ ンサーによる世界の統一的な体系の把捉 と「 社会学」 の 綜合的理論を拒否す ることを,か れ の使命 のひとつ としてきた。デ ィルタイ による若いジ ンメルにたいす る批判 は,後 に (1906)そ の評価 の変化が認 め られるが ,ジ ンメルの「 進化論的」な社会分化 の発展理論にた いす るかれの 強 い嫌悪 に由来す る部分が多いといわなければな らな い。 ディルタイは ,カ ン トの純粋理性批判が自然科学 の法則的統 一性を 自己の 前 に立て られた表象 (VOrstellung)と 思惟形式 の認識主観とにおいて基礎づ け ,そ の対象を現象的世界 として体系づ けのたのにたい して ,こ れを継承発 「歴史的理性の批判」にまで徹底 し,精 神科 展 して精神諸科学 の領域 について 学 の全体 としてまとま った独 自の関連を保証す ることを課題 とした。デ ィル タイによれば精神科学 の対象は ,知 覚 と認識において外的に与え られる「 現 象」 の領域にとどま らず ,歴 史・ 社会的現実 としてわれわれの内的体験 とと もに直接 に与え られる事実である。 それはむ しろ「 意欲 と感情 とを もって表 2). 1). 象す る存在者」と しての「全体人 間」で あ り ,「 人類」(Menschengeschlecht) とい う偉大 な事実 にほかな らな い。 これ らの 事実 は自然的 と心理 的 とに思惟 によ って 分離 され る こ とはない。 そ こで は自然 はわれわれの衝 動 と して 内面 的に はた らいて お り ,ま た心理 的な もの も身体的な表現 と して ,ま た制度 に おいて 客観化 されて い る。 それ は両 者 の生 きた関連を含んで お り ,精 神科学 3). はかか る人 間 の 事実を「 記述 し,物 語 り ,判 断 し概 念や理論を構成す る」 こ 1)Wo Dilthey,Einleitung in die Geisteswissenschaften,(1883),″ Schriften,Bd.I。. Gesammelte. 1923.S.XVHI.. 2)W.Dilthey,Der Aufbau der geschichtlichen Weltin den Geisteswissenschaften, グ π Gesalllllnelte Schriften,Bd.VII,1927,S.79.. 3)ebenda..

(5) 堀. 喜. 望. 365. とを 課題 とす るもので あ る。 精神諸科学 のかかわ る歴 史的現実 は, この よ うに直接 の体験 に 与え られ る 生 の 関連 と して 同一 の事実で あ り ,ま た この共通 な事 実 に関係す るとい う点 で諸科学 の 関連 が基 礎 づ け られ るので ある。 しか しかか る人 間的生 の 現実 に 目を 向け る立 場 は ,デ ィル タ イによれ ば「 理解」 の 観点 で あ り,「 人 間 の 自己 自身につ いて の省察 とい う遥かな 目標 に接近す る」 とい う精神 の方 向に よ る もので あ る。すな わち「 人 間 の出来 事 において ,感 性的 に表 出され る経過か ら感官に入 らな い ものに 向 って還帰 し,こ の外 的な経過 のなかで 自 己を顕現 4). す る ものを省察す る」 こ とによ って 可能 とな るので ある。精神科学 のかか る 態度 0方 向は ,し たが って 自然科学 の主知主義的な認 識か ら明確 に 自己を区 別す ることにな る。「 人 間 は ,も し知 覚 と認 識作用 において 把 え られ るな ら ば ,わ れわれに と って物理 的事実で あ り ,し たが ってかか る もの と してただ 自然科学 的認識 に したが うにす ぎないであろ う。 しか しこの人 間が精神諸科 学 の対象 と して成 りた つ の は ,人 間的状態が体験 され るか ぎ りにおいてで あ り ,ま たそれが生 の表 出 の なかで表 現 され ,こ の表現が理解 され るとい うか 5). ぎ りの こ とで あ る」。 この体験 ,表 現 と理解 の 関連 は ,人 間的現実を精神科 学 の対象 と して成 りたたせ る独 自の立 場を示 し,生 その ものが 含む「 意義. 0. 価値 0目 的」 にかか わ り ,「 個別的な ものの把捉 の意義」 を強調す る観点 で あ った。 しか しなが らデ ィル タイに とって精 神科学 はたん にかか る観点 ,対 象を成 りたた せ る立 場 において基 礎 づ け られ る もの に はとど ま らな い。精神科学 の 対象 は ,自 然科学 の「 自然」 とは全 く異 な った固有 の世界 で あ り ,精 神が客 観化 され ,そ れ 自身意味 と価値 に充 ちた もので あ り ,か か る もの と して認 識 主観 との生 の 関連 にあ る現 実 で あ る。「 精神科学 と自然 科学 とのあいだで問 題 とな るのは ,た ん に客観 にた いす る主観 の態 度 にお け る相違 ,す なわ ち取 りあつ か い方 ,方 法 の みで はない。 む しろ理解 の手続 きは ,精 神科学 の対象 4)ibid.S.83。 5)ibido S.86..

(6) .3σ. σ. 「 ドイツ社会学会」の成立. を形成す る外的な もの が ,自 然科学 の対象 とは全 く相違 して い るとい う点 に お いて 客観的な根拠を も って い る。 精神が そのなかに客観化 され ,目 的が そ の なかで 自 己を形成 し ,価 値が そのなかで形 成 され るので あ って ,こ のよ う に 対象 の なか へ 向 って 形成 され る この精神 的な もの こそ理解が捉 え る もので 6). あ る。私 とそれ との あ いだに は生 の 関係が成 りた って い る。」 このよ うに して あ らわ に され る精神科学 の対象 で あ る人 間的事実 は ,デ ィ ル タイによれば「 人間が遭遇す る一切 の もので あ り,か れが創造 し行為 す る 一切 の もの ,人 間が そ こにおいて 生 き抜 くと ころの 目的体系 ,個 々人 が この 人 間性 において一緒 に ま とめ られ る社会 の外面 的組識であ り ,そ れ らす べ て 7). は ここでひとつ の統一を もつ ので ある」 。 すなわち それは暗い衝動 として無 意識的にはた らく人間的自然のみな らず ,表 情や身振 り言葉 として表現され る意識状態 ,さ らに客観的精神 として の「 国家 ,教 会 ,制 度 ,風 習 ,書 物. ,. 芸術作品であ り,そ れ らの事実は人間その ものと同様 に ,つ ねに感性的側面 8). と,感 官を取 り除 きそれゆえに内面 的な側面 との 関係を含 んで い る」 ものに は かな らな い。 デ ィル タイにおけ るかか る歴 史的世界 の観念 は「 歴史学派」 に おいて形成 された民族精神 と して の客観的精神を認識論 の立 場か ら基礎 づ け 発展 させ た もの とい うこ とがで きる。 デ ィル タイは ,か か る認 識論的基 礎 づ け とな らんで ,こ れ らの研究 の発展 の もとで精神科学 と して統一的な関連が形成 され る歴史的展開を辿 り ,そ れ 、 によ って歴 史的世界 の構成を明 らか にす る。 かれに とって精神科学 の基礎を おいた もの と して は ,FOA・ ヴ ォル フ ,フ ンボル ト,ニ ー ブ ール ,ア イ ヒ ホ ル ン,サ ヴ ィニ イ ,ヘ ーゲ ル と シュライ エルマ ッヘ ル ,ボ ップとヤ コブ・ グ リムな どの 名が挙 げ られ ,「 文 献学 ,原 典 批判 ,歴 史記述 および体系的精 神 科学 のなかで比較方法を遂行す る こ と ,精 神的世界 のす べ ての領域 に発展 の 思想を適用す る こ とが ,こ こに は じめて相互 に内面的関係を形成す るにい 16)ibid.S。 118.. 7)ibid.S.83. 8)ibid.S.84。.

(7) 堀. 喜. 望. た り」,精 神科学 の新 しい組織 が可能 にな った , とされ るので あ る。す なわ ち これ らの科学 は ,現 実 の 享受 と理解 との視 野を開 き ,作 品 の生 におけ る内 面 的形式 と して の構成 の解釈学 的な観念を明 らか にす る。 このよ うに して成 立 した精神科学 においては ,そ の統 一 的対象 と して の歴 史的世界 の構成 が形 成 され るとと もに ,こ の世界 にた いす る統一的な関係 と して の歴史的意識が 開 かれ るので あ る。 デ ィル タイにおける歴 史的発展 と普遍史 の観点 は ,こ の よ うに して ドイツの ロマ ン主 義 と歴 史主義 の固有 の伝統 のなかで 位 置づ け ら れ ,こ の「 歴史」 を基 礎 とす ることによ って 精神諸科学を ひ とつ の全体 に結 び つ け る関連が明 らかに され るので ある。 普遍 史 の観点 は ,デ ィル タイ も指摘す る ご と く,歴 史過程 の なかに科学 的 に基礎 づ け られ る関連 を見 よ うとす る啓蒙 の理 念 のなか に見 いだ す ことが で きる。 そ こで は人 間性 の理性 の啓蒙 と人類 の連 帯 ,そ の幸福 と完全 性 へ の 進 歩 の観念が ,人 類 の 目的 と して歴 史 の基準 とな る。近世 におけ る自然科学 の 発 展 は合理 的認識 の普遍 妥 当性 とい う理念を 同様 に精神科学 の 指導原理 とす る とと もに ,か か る知識の 自覚 と増大 が精神 的世界 の進歩 の基準 とされ るよ うにな った。 デ ィル タイによれば ,か か る「 精神科学 にお け る自然的体系 は. ,. 宗教・ 法 0人 倫 0芸 術 のな かに啓蒙 の 意味で の 進歩一一 野蛮な無 規 則 性 か ら ,人 間本性 のなかに基 礎を もつ 理性的な 目的関連 にいた るひ とつ の進歩を 見 る」 と ころに成 立 す るものであ る。 このよ うな「 自然研究 の立場」 にた っ た歴史 の思想 は , コ ン トの歴 史理論を 基礎 づ け ,特 に フラ ンス に生 じた研 究一―「 宇宙 の 進化 ,地 球 の歴史 ,地 上 におけ る植物・ 動物 の発生 ,さ らに は高等動物 の型 と人 間 の型 との類親性 ,そ して最後 に人 間 の歴 史 の法則 的関 11). 連 と歴史における知的な らびに社会的進歩 の提示を基礎 とす る研究」一―を 発展させた もので ある。 自然認識を人間精神 にまで拡大す るかか る普遍史と それを基礎づ けるコン トにおける知識の「 三段階 の法則」, な らびにこれに 9)ibido S.93. 10)ibido S.97. 11)ibido S.111。.

(8) 368. 基 づ く「 社会学」 の綜合的理論が ,デ ィル タ イの精神科学 の 関連 に とって正 当な位 置が認 め られな い こ とは明 らか で あ ろ う。 コ ン トのいわ ゆ る「 三 段階 の法則」 は ,周 知 のよ うに人 間 の知識が神学 的 ・ 形 而上学 的・ 実証 的 の三 段階を経 て「 科学 的」認識 と して発展す ることを 自然科学 の認識 につ いて証 明 し,こ れまで 実証科学 の段階 に到達 し た も の を ,そ の順序 に したが って 天文学 0物 理学・ 化学 0生 物学 にいた る 自然科学 の体統 的関連 と して明 らか にす る。 それ と同時 にかか る知 識 の発展 は人 間 の 社会 的現象 につ いて も適用 され ,新 しい実証 的認識をそ こに推進す ることに よ って ,実 証科学 の体系的統 一が 完成す ることが で きると した。 そ してかか る人 間 の実証 的知識が社会物理学 ない しは社会学 にほかな らな い。 コ ン トに お け る新 しい「 社会学」 とは人類 の 包括 的認識で あ るとと もに ,人 間 につ い て の諸諸 の認識 ,デ ィル タイの い う精神諸科学 の綜合 的認 識 と して人 間精神 を支配 しよ うとす る もので あ る。 この よ うに して コ ン トの普遍史的見解 は ,デ ィル タイによれば「 自然的体 系」 の法則 的斉一性を歴史的世界 の領域 に適 用 した もので あ り,歴 史 にお け る多 様 な契機を一面 的な外面 的 目標 によ って 方 向づ ける抽象 的な 体 系 で あ る。 デ ィル タイの精神科学 に とって「 歴 史 の 意味 は何 よ りも先ず現存す る も ののなかで 求 め られな ければ な らな い。 すな わち諸 くの 構造 関連 や作用 関連 のなかで反 覆す る もの , それ らの うちでの価値や 目的 の形成 , それ らが相 互 に関係 しあ う内面 的秩序 のな かに求 め られなけれ ばな らな い」。歴 史的現 実 はそれ に内在す る内面的 目的 と意味 0価 値 に充 ちた生 の 関連 で あ り ,そ の 「 理解」と しての精 神科学 の見地 は個別的な ものの 把捉 に方 向 づ け られ る もの でな けれ ばな らな い (註 )。. それ と同時 に コ ン トの社会学 にた いす るデ ィル. タイの反攪 は ,人 間 の認識をす べ て ひとつ の理念 に総括 し,社 会学 とい うひ とつ の科学 に綜 合す るこころみに 向 け られ る。 この よ うに「 事実 と して人 間 社会 のな かで起 るす べ ての ものを ひ とつ の科学 に総括 しよ うとす る」 の は. ,. 「 人 間社会 において ,そ の歴 史 の うちに 進行す る もの は ,同 じ対 象 の統 一 に 12)ibido S.172..

(9) 堀. 喜. 望. 総括 されな ければな らな い」 とい う原理を仮定す るもので あ る。 それ は自然 科学 の領域 において ,諸 現象が同一 の物理 的世界 の 内部 で経過す るもの と し て ひ とつ の普遍 的 自然科学 に総 括 しよ うとす るこころみに対応す るもので あ るが ,か か る普遍 的 自然科学 とい うの も科学 的研究 に とって はひ とつ の「 問. 0芸 題 的展望 であ って , その出発点 で はな い」。 綜合社会学 と して ,「 宗教 術・ 道徳・ 法 な どを説 明す る原理」 を社会 のなかに ,す なわ ち「 そのなかで はた ら く分化 や統合 ,関 心 の連帯 ,共 通な利益 に適合す る秩序」 の なかに見 い だ そ うとす る こころみ は ,個 々の精神科学 の研究を無原理 に寄せ集めた「 ご った 混 ぜ の壺 」 か ,あ るい は「 心理学 の基 礎 の うえにたて られた 個 々 の 科 学」 の総括的な「 百科全書」 にす ぎな いで あろ う?デ ィル タ イに とって「 精. 0歴 史 的・ 神科学 はまず 第 一 に主 と して ,測 り知 れぬ拡が りを も った人 間的 社会 的な外的現実を ,そ れが生 じた源 で あ る精 神 的生 の はた らきのなか に遡 って 訳 出す ることによ って 秩序 づ け るもので あ る〕。 そ こで は 自然 の 抽象的 関連 とはちが って ,精 神 的・ 歴 史的関連 は「 生 きた もので あ り生 に充 た され て い る」 ので あ る。 註 歴史的現実をかかる意味的個体としてそれにかかわる文化科学を自然科学から 区別するこころみは,デ イル タイのみならず,当 時の強い学問的傾向であった。社 会政策学学の素朴な「有機体説」から,認 識論的な体験 と理解のディル タイの立場 や,さ らには科学方法論 としてのヴィンデルバ ン トや リッケル トの新カント派にい たる立場は,何 れもこの点にかんしては共通の課題を担 っている。ジンメル・ ウェ ーバー もかかる学問的状況のなかで分析的な社会学理論を基礎づけるのに多くの精 力を費さなければならなかった。 ウェーバーの科学論は,「 意味的」行為にかかわ るものとしての社会科学において,行 為者の「主観的に思われた意味」を客観的妥 当的な意味および神秘的な意味から分析的に区別し,そ れに対応 して「理解」の範 疇を追体験なそれとともに,動 機の「説明的理解」 という経験的に検証可能な概念 として,社 会学理論に導入 したが,そ のこころみはこれらの問題についてのウェー 13)W.Dilthey,Bd.I,S。. 421。. 14)ibido S.422.. 15)W.Dilthey,Bd.VH,S.119f..

(10) 「 ドィッ社会学会」の成立. 37θ. バー独 自の方向づ けとい うことがで きる:). その頃若 いジンメル は ,同 じベル リンで『 社会分化論』 (1890)を もって かれの学問的経歴の苦難 の道を切 りひらきつつ あった。それはスペ ンサ ーの 問題を継承す る ものといえるが ,す でに ジンメル 自身に固有 の弁証法的な考 察を認 めることができる。 それに もかかわ らず「 スペ ンサ ーの進化主義の立 場」 とい うジンメルにたいする評価は ,そ の後なが くかれにまといつ くもの とな った。かれの形式社会学 の確立は ,む しろデ ィルタイに代表されるコ ン ト・ スペ ンサーの社会学批判の問題点に応える努力を通 して結実 した もの と い うことができる。かれの多彩な研究の過程 において F歴 史哲学 の諸問題』. (1892)は ,歴 史的現実の実体論 ,そ の形而上学的理解を克服 して ,そ の認 識論的基礎づ けを 目ざ し,ま た『 道徳科学序論』. (1892/3)は ,進 化主義. 的傾向を合みなが ら,道 徳・ 精神 の分野に社会学的批判を こころみた もので あ り,何 れ もデ ィル タイの精神科学論を意識 した思想的所産 とい うことがで きる。「 社会学 の問題」 (1894)の なかでは ,後 の F社 会学」 (1908)の 大 著 で認識論的に基礎づ けられた形式社会学の立場を明 らかに している。「 社 会 のなかの事象」すべてを合み ,こ れを「 外面的統一」 のなかに押 しこめ る 綜合社会学につ いて ,デ ィルタイの批判を見通 して ,そ の「 空虚な一般化 と 抽象化」を批判 し,精 神諸科学 のあいだにあって分業的に区分された特殊 の 社会学 の領域を基礎づ けている。人間の相互作用における社会化 の形式を専 門分科的に研究す るいわゆる形式社会学がそれであった。 ジンメルの不遇 な経歴 も,し か しこれ らの業績を通 して次第 に高 い評価を かちとるにいた った。「 社会学」 にたい して厳 しい拒否の態度を示 して きた デ ィルタイも,1898年 のジンメルの員外教授昇進の推薦 にあた ってはパ ウル ゼ ン,シ ュモ ラー , ワグナー などと ともに 署名 して次のように書 いている 16)Max Weber,Sozioloische Grundbegriffe,J″ Gesammelte Aufsatze zur Wissen_ schaftslehre,2。 S.93ffo S。. Aufl.von Jo Winkelmann,1951.S.533.な お 同書. S。. 75 ff。. loof.Se lo6fo S.114f.そ の他 にお け る「 理 解」概念 につ いての ウェーバ. ーの批判的分析 の数 々を挙 げ ることがで きる。.

(11) 堀. 喜. -一 ジ ンメルの「 授業 において は ,社 会学. 371. 望. 0社 会 倫理学 および社会心理学 に. かんす る講義を通 して ,コ ン トや ス ペ ンサ ーの諸 労作以来 ,現 在 の 哲学 的公衆 の 関 心 のな かで顕著 な位 置を 占めて い る一領域が主張 されたが ,こ れ につ い て はわれ われ の大学 で は他 に代表す るものが誰 もい な い」。 ジ ンメルの業績 は時代 的要求 に応 え る もの と して ,も はや無視す る ことはで きな い。「 かれ が いわ ゆ る社会学 のなかで 特 に提起 した課題 は ,社 会 の なか で 現わ れそ こで はた らくことが証 明 され るよ うな支配 的な出来 事 や形象 ,心 理的諸形式を分 析す ることにあ る1そ こで もかれ の 「 コ ン ト・ ス ペ ンサ ー」 の進化主義 の 立場が指摘 されて は い るが ,「 社会学」 で の「 功績 あ る栄 誉」 が公式 に承認 された わけで あ る。 またデ ィル タイ自身 もかれ の F精 神科学序 説』 の第 2版 にたいす る「 補遺」 と して 書 き留 めた もの (1904-06)の なか で は ,「 社会 を操 り返 しなが らも ,ジ ンメ ・ スペ ンサ ー にたいす る批半」 学」につ いて コ ン ト 「諸 個人 の ル にた い して はそ の学 問的意義を評価 して い る。ジ ンメルにおいて 18). 社会 的関係 の制約 の もとで ,心 的生活が とると ころの形式 の理論 」 と して の 社会学 は ,「 様 々の変化 に もかかわ らず 同一 の ままで あ る社会 的形式 その も の を対象 とす るもので ある」。 デ ィル タ イは 「 このよ うな科学 的領域を分離 20). す ることは ,い うま で もな く私 の承認 しな けれ ばな らぬ ことで あ る」 と述 べ るにいた って い る。 しか し ドイツの支配的な学 問的風土 のなかで ,社 会学 が 自己の権利を確保 す るには ,す で に 19世 紀を超 えて20世 紀 も10年 に近 い時間 を経過 せ ねばな らなか ったので あ る。 3. 社会学 の確立 にとって同様な困難 は,マ クス 0ウ ェーバーの科学論 におけ る悪戦苦闘に見 られ るごとく,社 会政策学会 に代表される倫理的経済学 の科 17)Ko Gassen u.Mo Landmann(hrSg。 Se 22f.. 18)W.Dilthey,Bd.I.S。 420. 19)ibido S。 421。. 20)ebenda.. ),Buch des Dankes an Georg SimIIlel,1958,.

(12) 372. 「 ドイツ社会学会」の成立. 学論 との対 決 と訣別 の過程 に示 されてい る。 ウェーバ ーにおけ る科学 の客観 性 と価 値判 断排除 の立 場を基礎 づ け る科学方法論 の一連 の研究が ,ま た 社会 学 へ の道を切 りひ らくための基礎 づ けとな らねばな らなか った。 1872年 に発 足 した 社会政策学会 は, ドイッの資本主義 の もた らした 中産階 級・ 中小 企業従業者 の窮乏化 と他方労働者 階級 の新 しい運動 の なか に生 じる 「 社会 問題」 につ いて の理解を 目的 と して 成立 した もので あ る。 そ して その 理 論的立場 は , ドイ ッ・ マ ンチ ェス タ ー学 派 に見 られ る個人 の欲求的 自然を 基 礎 とす る個人主 義・ 自然主義 と ,生 産の物質的・ 技 術的発展 にかか わ る自 然法則 の 合理主 義 とに反 対 し,経 済 にお け る「 人 間的要 因」 を 強調 してその 「 倫理化」を主 張す る立 場 で あ る。経済 の 関係 は人 間的生活 にお け る事象 で あ り ,民 族 の歴史的・ 社会 的状態 の全体 に規定 されて い る。 したが ってそ れ はたん に物質的財 の 生産にかかわ る物質的・ 技 術的な 自然法則 に 抽象化 され る もので はな く,人 間生活 の倫理・ 法・ 習俗 0与 論 などの諸要素 の 関連 の も とで歴 史的 0社 会的 に形 成 され ,そ れ らの 有機的統 一に おいて ,人 間的完全 性 の 目的 に調和的 に適合す る ものでな ければな らない。 この よ うな 国民経済 の 現実を対象 と して 経済学 は「 社会学的な取 りあつ か い」 を 目ざす もので あ り ,国 民生活 の全体性 の理 念 (理 想 )の もとに 目的論的に組織 され る「 倫理 的」 経済学 でな ければな らな い。 しか しかか る理想 の観点 は ,後 に ウ ェーバ ーの指摘す る ご と く「 価値判 断」一― そ して それ は研究者 の 立場 に お い て 「 主観 的」 な一― の 問題 にかかわ る ものに ほかな らな い。 しか し倫理 的経済学 に と って ,人 間的完全性 の理念 は ,国 民 の全 体的福祉 で あ り ,そ の構成員が国民的文化 に参加す ることによ る人 間的完成 の 目的 と して 自明で あ り,客 観的な観念であ った。 そ してかか る理念 の現実態 は ,ヘ ーゲ ル の「 客観精神」 の 哲学的伝統 の示す ご と く 国家」 において実現 され 「 る もので ある。 国家 は「 全体 の 福祉」 のために労働者を保 護 し,国 民を文化 に参与 せ しめ ることによ ってその理 念を現実的 とす るので あ る。 この よ うに して「 国家社 会主義」 の もとに国家的干渉を理 論化 し,倫 理 的経 済学 を基礎 づ け るところに ,社 会政策学会 の 共通 の課 題が あ ったので あ る。.

(13) 堀. 喜. 望. 373. したが ってかか る理論 は政 策 と結 び つ き,政 策 の動機 づ け によ って 方 向 づ け られた もの とい う ことがで きる。 自由主 義 の経済学 は ,資 本主義 の発展 の もとで 私 的資本 の蓄積 と自由な労働力・ 商 品 の 倉1設 のための 自由放任 の政策 に動 機 づ け られて い ることを暴露 し,そ の 「 自由放任 の ニ ヒ リズ ム」が批判 さ れ るよ うにな る。 このよ うな抽象性 にたいす る批判 に導 かれて倫理 的経済学. は国民生活の全体的関連を強調 しつつ ,労 働者 の「 保護 と救済」 を 目 的 と し,労 資 の対立を「 全体の福祉」 のために裁定 し,国 民生活の調和的発展の ために国家的干渉を正当化す る観点のもとに政策的提案を基礎づ けることを 課題 とす る。 このよ うな立場がプ ロイセ ン・ ユ ンケル的支配 の主導性 による 統 一 ドイツ帝国の理 念に基 づ き,70年 代 におけ る ビスマル ク的社会保険制度 と社会党弾圧政策 (1878)を 合理化す るもので あることはす でに しば しば指 摘 されたところである:)国 家社会主義 における「 国家」 の「 理念」は ,じ つ はプ ロイセン的国家官僚 と旧中産階級的講壇の「 理想」 であ り,提 唱者自身 の利害 と立場を内実 とす るとともに ,そ の「 社会主義」 は拾頭す る労働者階 級 による社会主義運動を全体福社の名の もとに抑制す ることを意図するもの であ り,今 日の意味での「 イデオ ロギ ー」的理論にほかな らない。 ウェーバ ーによる主観的価値判断排除とその認識批判的な社会科学 の基礎づけは ,か かるイデオ ロギ ー批判を含むとともに ,社 会政策学会 にたいす る内部的挑戦 として成 りたつ もので あった。. 社会政策学会 の理論 と政策 とは ,7080年 代 の ビスマル ク時代を通 じて. ,. ドイ ツの 国家政策 の 現実 に照合す る もの と して 繁栄 し,社 会科学 の領域 で 高 (昭 24年 上下 2巻 )。 なお大 河内一男著作集 (青 林書院昭和43年 )第 102巻 に再録。 社会政策学会 および倫理 的経済学 については同書を参照。 本書は ドイツ社会政策学 の文献 の詳細な 分析批判. 1)大 河内一男『 独逸社会政策思想史』昭和11年 日本評論社. を通 して, その思想史的展開を明 らかにした もので, 社会政策学会の発展 の評価 に つ いては, 今なおも っとも精密なものに数え られるであろう。 本稿 の記述 について 負 うところが多い。 なおウェーバ ーの政策学会批判の意義 も正鵠 をえて参照 さるべ きである。.

(14) 374. 「 ドイツ社会学会」 の成立. い権威を もつ もの とな った。社会科学を 自然法則 的探求 の 自然科学 か ら区別 し,歴 史的個体 の理 解を その課題 とす る観点 や ,歴 史的現実を有機的全体 と して把 え精神 的世界 の 自由を非法則的・ 創造 的な もの と して保 障 しよ うとす る形 而 上学 な ど の立場 は , ドイツの理想主 義的哲学 や歴 史主義 ,ロ マ ン主義 の思 想を通 じて ドイ ツの 強 い精神 的風土を支 配す るもので あ った。 さきに述 べ たデ ィル タ イにおいて もこれ らの要素 は ,か れ独 特 の組合 わせをみせ て お り ,テ ンニ ェス もまた その影響 の もとで歴 史学 派 の業績を高 く評 価 し て い る。 ジ ンメル や 特 に ウェーバ ーの 批判 も,こ れ らの状況を基 礎 と して「 合理 的」 な ものを弁 明根拠 づ けるとい う方 向に成 りた つ もの とい うこ とがで きる ので あ る。 かか る思想的背景に支 え られなが らも学会 の政策論議 は ,し か し90年 に入 るとひ とつ の 転機を迎 えねばな らなか った。 ビスマル クの退陣 と社会主 義政 党 の禁 圧法 の廃絶 はその象徴で あ った。 ドイ ツ資本主 義 の発展 はすでにそ の 独 占化を果 し,国 際的な市場進 出によ って 帝 国主 義 の段階 に達 して いた。資 本 は このよ うな市場競争を通 じて ,産 業負担 の立 場か らこれ ま でのよ うな改 良主 義政策を重荷 とす るとと もに,他 方 90年 代 の社会民主党 の 進 出が労働者 階級を もはやたん な る救済 の対象 に とどめてお くこ とな く,か れ らは自 ら社 会 改造 の主体 と して登場 したので あ る。 このよ うに して社会 改良主義 は自己 の足場を喪失 し,社 会政策学会 の危機 はすでに この時 に胚 胎す る。 しか しな が ら学会 の過去20年 の栄光 の伝統 は ,学 問社会 の なかでなおその権威を維持 しつづ け る こ とがで きた。 このよ うな矛盾が顕在化 し,社 会 政策 の基礎 その ものが 問われ るの は ,20世 紀 に入 って ウェーバ ー ,ゾ ンバ ル トな どを 中心 と す る「 価値判 断排除」 の論争 によ って導 かれ ,よ うや く1909年 社会政策学会 ウ ィー ン大会 の舞台 においてで あ った。 ウェーバ ーが社会科学 の基礎 ,そ の客観性 の認 識論 的根抵 にまで遡 って. ,. 歴史学派 の社会科学 の 批判を手が けた の は ,か れ の長 い病気 か らの 回復 の き ざ しが見 え は じめ ,学 問的研究 の 中断か ら立 ち直 った新 たな出発 といわれ る 「 ロ ッ シャー と クニ ース」 (1903-)の 批判 的研究以来 の一連 の「 科学方法.

(15) 堀. 喜. 望. 375. 論」 にかんす る論稿 にお いてで あ った 。社会科学 にお け る歴 史的個体 とそ の 因果 的認 識 におけ る客観性 の保証 と して の価値判 断排除 の立 場 ,客 観的認識 の認識手段 と して の「 文化科学 的な普遍概念」 た る理念型 ,な らび にかか る 理 念型的構成 におけ る社会学 的な普遍 的理論化 にいた るウ ェーバ ーの 研究 の. ・. 経過 が ,か れ の社会学 へ の道を ひ ら くもの とな った ので あ る。 ウェーバ ー は文化科学 と自然科学 との区別 にかん して ,ま ず 旧歴史学 派 の 対象 的区別 の立 場を批判 し ,こ れにた い してかれ の一 才年長 の親 しい友人 リ ッケ ル トの F文 化科学 と自然科学』 (1899)の 影響 の もとに認 識論的 な価値 関係 の観点 に依拠 して ,ブ ィ ンデ ル バ ン ト,ジ ンメル ,デ ィル タイな どを検討 しつつ 認識 の観点 ,方 法 ,態 度 の うち にその相違 の基 礎を根拠 づ けた。 ロ ッ シャーに おいて は社会科学 の対象 は民族 の有機 的統 一 体 で あ り ,精 神 的実在 と して実体化 され る。 しか しなが らそれの法則 的認 識 にかん して は発展段階 の 自然主義的法則性 が適用 され ,精 神 的実在 の認 識 につ いて の混乱が見 られ る。他方精神 的実在 につ いて の非合理 的な見解 は ,個 人 の 自由意志 の説 明不 可能 な神秘性 と行為 の非合理性 とい う立場か ら,か か る実在 にた いす る直接 的 。感情移入 的・ 体験的「 理解 」 の 明証性が主 張 され る。 これ ら多様 な見解 にた い して ,ウ ェーバ ーの論争的批半」は じつ に多方面 にわた って展 開 して い る。理解 の 問題で は ジ ンメル ,デ ィル タ イか ら ミュ ンステル ベル ク,ゴ ッ ト ル ,リ ップ スに た い して煩瑣 なまで に執拗 な批判 が繰 り返 され るので あ る。 このよ うな批判 的検討 を通 して ウェーバ ーにお け る文化科学 の認識的理説 が 基礎 づ け られ る。 それ は ,周 知 の よ うに文化科学 の固有性を その対象・ 素材 の 特殊性 のな か に求 め る実在論 の方 向で はな くて ,そ の認識 関心が現実 の 具 体的過程 0対 象 の個別的特性 ,そ れが文 化過程 と して担 う「 意義 と意味」 に 向け られ るとい う点 に見 いだ す もので あ る。 そ こに「 科学 の研究領域 の根抵 にあ るの は ,<事 物 >(Dinge)の <事 実 的 >(SachliCh)関 連 で はな くて ,間 2) . ●● 0 題 の思惟 的関連 で あ る」 とい う命題が結実 す るので あ る。. 2)M.Weber,Die〕 ≫Objektivitat≪. sOZialwissenschaftlicher und sozialpolitischer 〔 Aufle. Erkenntnis,(19o4),ル 7 Gesammelte Aufsatze zur Wissenschaftslehre,2。 von Jo Ⅵrinckelmann,1951,S.166..

(16) 376. 「 ドィッ社会学会」の成立. 歴史的現実の「 特性」認識とい う文化科学 の課題は,し か したんに現実の 経験的記述や体験的な「 理解」 によって達成されるにとどま らず ,そ の思惟 的整序 として客観的な合理的因果認識に従わされな ければな らな い。 ウェー バーはかかる「 個性的事実 の因果的説明」 としての因果帰属 とい う理論を明 らか にするとともに ,そ の認識手段 となる一般概念 としての「 理念型」 の概 念 と意味「 理解」 につ いての独 自の規定を与えることとなる。 ウェーバ ーに よれば「 何かある具体的な現象をその充全 の現実性において漏れな く因果的 に遡 源す ることは ,た んに実際上不可能であるのみな らず ,全 く無意味であ る。 ただある現象 の個 々のばあいにおいて<本 質的>な 部分が帰属せ しめる べ き原因だ けを ,わ れわれは引き出すので ある。ある現象 の個性が問題 にな っているところでは ,原 因性 の問題 とは ,法 則を求める問題ではな くて具体 的な因果関連 の問題 で あり,そ の現象がひとつ の例証 として如何なる公式 の もとに秩序づ け られるかの問題ではな くて ,如 何なる個別的な構造配置の も とで この現象が結果 として帰属せ しめ らるべ きかという問題である」 。 歴史的現実 のこのような因果帰属 の説明にとっての認識手段 として役立つ 一般概念が ,ウ ェーバ ーの「 理念型」にほかな らない。 それは ,現 実 において 類的一般性にまで抽象 された「 法則」 の一般概念ではな く,「 現実の特定諸 要素を意催晶に昂昇す ることによって獲得された■■「 善子ゴ の性格を もっ て「 構成」 され るものである。 このように思惟 によ り仮構的 に構成された法 則的関連 として ,「 このよ うな思想像は ,歴 史的生 の特定 の関係 と事象を思 惟 された諸関連 の 内的無矛盾性のひとつの宇宙にまで統一結合す る」 という 機能を もっている。 ウェーバ ーはさらにかか る理念型 において把え られた諸 現象 の「 法則的」関連を分析的に解 明 し,そ れ ら類型の相互的な比較研究を す る分野 に「 社会学」 の理論的課題を発展させた。 ウェーバ ーの社会科学. 0. 社会学 の基礎づ けにおいて ,か れの価値関係の観点 と価値判断排除の態度 と は。このよ うに して結びつ くのであった。 3)ibido S.178。 4)ibido S.19o。.

(17) 堀. 喜. 望. 377. ウ ェーバ ーに と って1903年 か らは じま る一連 の「 科学方法論」 の展開 は. ,. 1909年 の社会 政策学会第 9回 ウ ィー ン大会 と ,「 ドイツ社会学会」 の結成 に ま で 発展す る。 そ して この両 者を媒 介す る もの が ,い わゆ る「 没価値性」論 争 にほかな らな い。 ウェーバ ー はすで に1904年 ,ヤ ッフェの懲憑 によ って「 社会科学 および社 会 政策雑誌」 の編 集を ゾ ンバ ル トと共同 で 引 き うけて い る。 かれ の 有 名 な 「 客観性」 の論文 はそ の編集方針 の 宣言 のために書かれ た もので あ り ,「 一 定 の学 派的見解 」 に囚われな い純理論的 な研究 のために門戸を開 いた 。 この よ うな学 問的立場を共通 にす る盟友 ゾ ンバ ル トとともに ,ウ ェーバ ー は1909 年社会 政策学 その ものの科学 的任務 とその限界 とを明確 に して ,学 会 の方 向 を公式 に批判す るた めに登 場す ることとな った。 そ して この学会 へ の 内部告 発 は ,す でに急 速 に進 行 しつつ あ った社会政策 の退 潮を決定的 な もの と した ので あ る。 ウ ェーバ ー によれば ,国 民経 済 の理想 とされ る「 国民福祉」 の概念 には一 定 の倫理 的価値態度が含まれ ,経 済学 はかか る目的達成 の手段 と して それに 従属す る。 したが って 国民福社 の理 想 は , また国民経済学 その ものの理想 とな り ,科 学 的問題 の領域 に当為 が侵入す ることとな る。 しか しなが らかか る実践的価値判 断 は ,如 何 な る もの も ,科 学 の立 場か らそれ の 客観 的妥 当性 を保証す ることはで きない。経験 科学 は ,純 粋 に認識的な価値理念 にかん じ てのみ ,現 象 の 客観的関連を明 らか にす る ものでな ければ な らな い。科学 の 客観性 と価値判 断排除 の原理 は ,倫 理的経済学 の評価 的態度を あ らわに し. ,. その 政策 的立論 の主 観性を批判す るとと もに ,さ らに社会 的現実 の科学 的取 りあつ か いの任務を方 向づ け る原理 であ る。 ウェーバ ー によれば ,社 会科学 は人 間的行為 の現実を対象 と し,行 為 の かかわ る意 味 0価 値―― すなわ ち行 為 者 の「 主観的 に思 われた意 味」―― を含む現実を対象 とす るもので あ るか ら ,そ れ は実践的諸 問題 と価 値判 断や世界観を その研究か ら排 除す る もので はけ っしてな い。 しか し経験 科学 がかかわ るこれ ら「 諸 くの理想や価値判 断 の科学 的批半」 」 とい うの は ,す でに ウェーバ ーの「 客観性」 の論文 で 論究 さ.

(18) 378. 「 ドイツ社会学会」 の成立. れた ところであるが?こ こで も また基準 として 繰 り返されて いる。 すなわ ち ,意 欲された ものにつ いての科学的考察はまず第一には ,「 与え られた 目 的 にさい して手段 の適合性」 の問題を合理的に明 らか にす ることができる。 さらにまたその「 必要な手段 の使用が ,あ らゆる事象 の全体関連 の結果 とし て ,意 図された 目的の所期 の達成 のほかに如何なる諸結果を生 じうるで あろ うか」 という行為に伴 うコス トの比較商量の問題があ る。 これ らの技術的批 判 にたいして ,ウ ェーバ ーは第 3と して「意欲 された もの 自体 の意義の認識」 を挙げて いる。すなわち行為者が「 意志 し選択する諸 目的を ,わ れわれがそ の関連 と意義 とにかん して知 らしめることができるが ,そ れはまず具体的な 目的の根抵 にあるか ,あ るいは根抵 にありうるところの<理 念>を 開示 し,論 6). 理 的 な 関連 に した が って これを 展 開す る こ とに よ って で き るので あ る」。 こ の よ うな行 為 の 目的 とそ の 根 抵 に あ る理 念 との 関連 を 明 らか にす る こ とか ら. さ らに進んで ,ウ ェーバ ー はそれ の「 批判的評価」 の問題 に触 れて い る。 し か しそれ は意欲 された ものの「 内的無矛盾 性 の要請 に したが って 諸理念を 検 討 す る」 とい う純論理 的な分析 で あ り,そ れ によ って 行為者 にたい してかれ の究極 の価値基準を 自 らに反 省 せ しめ る援 け とな ることがで きる。社会科学 が経験科学 と して価値判 断 の 問題 にかか わ るの は以上 の か ぎ りで あ り ,そ の よ うな価値理 念を承認す べ きか否か は, もはや科学 の 問題 でな く行為 者 の良 心 と決断にかんす る問題であ る。実践的 な価値 の 問題 につ いて ,こ のよ うな 「 純経験的な い し純論理 的思惟 系列を主観的・ 実践的価値判 断 と混 同す ると き ,そ こに堕落が は じま るので あ る」。 ウェーバ ーの社会政策学会 におけ る批判 と社会政策論 か らの訣別 は ,ま た 同時 にかれの新 たな学 問的関心 に したが った 社会学 的研究 へ の発 足 を 意 味 し,「 ドイツ社会学会」 の 創設 は このよ うな ウェーバ ーの 意欲 の結集 によ る もの とい う こ とがで きる。 かれ は純科学 的な客観的研究 の気運 の増大 にあた って ,社 会 的現実 の諸 問題一― それ は自由主 義 0社 会主義・民主主義 の経済 ・ 5)ibido S.149f. 6)ibido S.150..

(19) 喜. 堀. 望. 政治 の領域か ら,宗 教 的宗派 ,官 僚主義 さ らに は思想・ 世界観 におよぶ一― に つ いてそ れぞれ専 門 の純科学 的研究を相互 に交換 し強化す るとともに ,社 会 的行為 にかかわ るかれの社会学 的な理 論を発展 させ るた め,社 会学 の共 同 を促 進す るた めの新 たな学 問的共同体 の組織 に向 って,中 心的な活動 に 献身 す る こ ととな ったので あ る。. 4. マ リア ンネ夫人 によれば ,1909年 は年末年始 にか けて ウェーバ ーの非常 に 活躍 した年 とな った。社会 政策学会 の ベル リンの 委員会 や ウィー ンの大会 に 参加す る一 方 ,そ の 間 に社会学会 の 設立 のために ゾ ンバ ル ト,ジ ンメル や 弟 の ア ル フ レ トな ど親 しい人 び とと しば しば会合 して議論 を交 して い る。新 し い学会 は ,社 会政策学会 に欠 けた ものを補 うべ く,「 価値 自由な学 問的研究 1). と討議 の場所を見 いだそ うと期待」 を もって ウェーバ ーの 意欲をか きたて る もの が あ った。社会学 の長老 テ ンニ ェス とは ,前 年 1908年 夏 ハ イデ ル ベ ル ク の 国際哲学者会議 の席 で会 い ,か れを 自宅 に宿泊 させて い る。 この「 思 慮深 2). くと っつ きに くい」社会学 者 は ,す でに 国外 に おいて は 高 い 名声を えなが ら , ドイ ツの 国内 で は充分 に評価 されず ,専 門 の社会学者 と して はむ しろ不 遇 の地位 にあ った といえ る。社会学 者た ちは当時まだ専門科学 と して講壇で の 座席を もた ず ,諸 くの 専門分野 のなかで 附 随的な地位を充す にす ぎなか っ たが ,こ れ らの恵 まれ ぬ「 大家 た ち」を相互 にま とめて学 問的共 同体を組識 し,名 誉 あ る地位を保証す るために ,ウ ェーバ ー は神経 的な労苦を も払 わね ばな らなか った。. 1909年 の春 , ドイ ツ社会学会 は「 われわれが 社会 と名 づ け る独特 の形象 を ,そ の本質 , その形 式 および発 展 において認 識」 す る こ とを 方針 と し. ,. 1)PIarianne Weber,ibido S.468. 2)ibid.S.434.. 3)F.Tё nnies,Die Deutsche Gesellschaft fur Studien und Kritiken,Ⅱ o Sanllnlung,1926,. Soziologie,(1919)グ η SOZi01ogische S.150..

(20) 「 ドイツ社会学会」の成立. 38θ. 「 社会学 の あ らゆ る学 問的方 向 と方法 とに一 様 に余地を与 え ,し か しなん ら か の実践的 (倫 理 的・ 宗教的・ 政治的 0美 的な どの)目 標を拒否す る」 とい う純 粋 な理論 的研究 と実践的価値判 断 の排除 の原則 とを規 約 に うた って 成立 した。 そ して テ ンニ ェス を会長 に推薦 して ジ ンメル ,ヘ ル クナ ー を理 事 に 加 え ,ウ ェーバ ー 自身 は会 計幹事 の 事務 的な役割を 引 き受 けて ,翌 10年 秋 の 大 会 に臨んだ。 この 時 ,社 会学 は苦難 の 前史 に幕を閉 じ,新 しい「 未来」 が 約束 されたので あ る。 それ はまた古 典 的綜合社会学 と実在論的有機体説 との 終焉を象徴す る転機を なす もので もあ った。 イギ リスの ス ペ ンサ ー はす でに 1903年 に死 んでお り ,そ の 同 じ年 ドイツで は有機体理論 の 代表 リリエ ン フェ ル トと シェフ レが亡な り ,ラ ッツェ ンホー フ ァー は翌1904年 ,や や お くれ て 1909年 に グ ンプ ロヴ ィツが相 つ いで 世を去 り ,ひ とつ の世代交替を告 げ る も ので あ った。 ドイ ツの社会学 は ここに新 しい理論を もって登場す ることにな るので あ る。. 会 長 に推 された テ ンニ ェス (1855-1936)は 当時 55才. ,学 会 での長老 の 1. 人 で あ った が (か れ は1933年 ナチ スの支配 の年 ま でその地位を持続す ること にな る),す でにかれの32才 の1887年「純 粋社会学 の根本概念」に触れた Fゲ マ イ ン シャ フ トとゲ ゼ ル シ ャ フ ト」 の 名著を通 して ,国 際的 には著 名な社会 学 者 と して知 られ て いた。 しか しかれ の祖 国 ドイ ツで は ,か れ 自身 の訴 え る よ うに ,そ の第 2版 (1912)が 出 るまで の25年 の あ いだ ,ほ とん ど黙殺 され たままで あ った。 上述 の「 純 粋社会学 の根本概念」―― ウェーバ ーの「 社会 学 的根本概念」 の表題 の 名を想 え一一 の 副題を も って 自己主 張す るよ うにな ったの は ,よ うや くこの第 2版 においてで あ る。第 1版 において は「 経験的 文化形態 と しての共産主義 と社会主義論考」 と傍題 され ,か れが後に第 2版 の序文 で この 書 の成立 につ いて 回顧的 に触れて い るところによれば ,こ の書 4)Verhandlungen des Ersten Deutschen Soziologentages vorr1 19。 -22.Oktober 1910 in Frankfurt ao L任 。 ,1911,S.v..

(21) 堀. 喜. 381. 望 5). 物 はもっぱ ら「 哲学者 のために指定 された」 ものと書かれている。す なわち 19世 紀 において「 固定化 した合理主義体系にた いす る経験主義 と批判哲学の. 攻撃」を根抵 として ,「 これ らの方法 の関係を 把 える ことが , それゆえ に 社会生活 の根本問題を新 しく分析す る現在 のこころみ にとって もまた少なか 6). らぬ意 義を も って い る」。 このよ うな方法論 的課 題 に導 かれて ,社 会生活 に おけ る「 共産主義 と社会主義」 との対立―― これ に対応す る概念的構成がゲ マ イ ンシ ャ フ トとゲ ゼ ル シ ャ フ トの対概念 で あ る一― を人 間意志 の構造 の も とに基礎 づ け ることを志 向す る もので あ った。 テ ンニ ェス はまず概念的認識 の一 般性 につ いて ,カ ン ト的な認 識論 の立 場 に したが って ,自 然 の なかで知覚 され る多様 な諸性質 の あ いだ で概念的 に 同 一 的 と して把捉 され ,共 通 な同一 の 名前 で表示 され るの は認 識主 観 の綜合作 用 によ ることを認 め ,純 粋科学 の概念が「 思考産物 」 で あ る こ とを明 らか に して い る。 したが って「 一 般 的また は科学 的な概念 。命題・ 体系 は道 具 と比 較 す ることがで き ,こ れによ って 特殊 の所与 の 事例 にた い して ,ひ とつ の知 7). 識または少 くとも予想が達成され るのである」。 そこには 早 く概念の操作主 義 の見地が認め られるであろう。 このよ うな批判的見地が合理主義的な自然 法 と歴史主義的な有機体の理論のあいだで ,そ れを実体化す る「 固定化」 し た立場を克服 し,し たが って また両者 の相互的な依存性を基礎づ けることが 5)F.Tё nnies,Ge]meinschaft und Gesellschaft,1887,(2.Aufl。. 1912),VOrrede zur. 2.Auflage,グ ηSoziologische Studien und Kritiken,Io Sanllnlung,1925,S.45。 なお本稿で引用 した第 1版・ 第 2版 の「序 文」 の頁 づ けは, 何れ も この『 社会学的 研究 と批判 』 よ りの もので ある。 本書 はほかに 第 3版 (1919)序 文 を も再録 して い る。 また『 ゲ マ イ ンシ ャフ トとゲ ゼル シ ャ フ ト』 の 戦後復刻版 (1963)に は 第 8版 (1935)ま での「序 文」をす べ て再録 して ある。英訳では. WoJ.Cahnman&R.Heberle(ed.),Ferdinand Toennies,On Sociology:Pure, Applied,and Empirical,1971。 に第 1版 ・ 第 2版 の「序文」 が訳 出 されて い る。 邦訳 には 杉之原寿一 訳『 ゲ マ イ ン シ ャフ トとゲ ゼル シ ャフ ト』上 0下 (岩 波文庫・ 昭 T日 32年 )。 なお同訳書 は第 2版 序 文 (1912)の みを訳 出 して お り,好 訳 で ある。 6)ibid.S.34。 7)ibid.S.38。.

(22) 382. 「 ドイツ社会学会」の成立. できたのである。それと同時にテンニェスは,か かる2つ の対立が「 主観の 8). 道徳的感覚 と傾向性の領域に深い根抵」を もって,党 脈的な闘争を社会科学 のなかに もち込む ことにつ いて ,そ れが「 事物 の客観的な考察を妨げてはな らぬ」 ことを批判 し,認 識における価値判断排除の立場を明 らか にす ること とな った。 それゆえに, かれの ゲ マ イン シャフ トと ゲゼル シャフ トの対立 は ,社 会生活 におけるこの歴 史主義的見解 と合理主義的見解 とを範疇 として 固定化 し対立させ るものではな く,む しろ現実の要素の純粋概念 として認 識 論的 に把 え ,こ れを個 々に孤立 してそれ自体として見ることに反対 したので ある。かれの「 理論は両者を取 りいれて ,相 互に依存的 に保存す ることを こ 9). こ ろみ る もので あ る」。 この よ うに して テ ンニ ェスの 批判的立場 は ,認 識論的 に概念 の「 道 具」 的 機能 を基 礎 づ け ,社 会生活 におけ る純 粋理論を志 向す るとと もに ,価 値判 断 排 除 の立 場を明 らか に す る もの と して ,ジ ンメルの純 粋 (形 式 )社 会学 や ウ ェーバ ー におけ る客観性 と理念型 の科学 理 論を はるかに示唆す る もの とい う こ とがで きる。 しか しなが らテ ンニ ェスの かか る合理的な批 判的見地 に もかかわ らず ,か れ はその理論形 成 の70年 代を 中心 とす る巨大 な思想的 潮流 に取 り囲ま れ ,そ の強い影響を受 けて い ることは否定 で きな い。 それ は ,コ ン ト・ ス ペ ンサ ー の 社会 進化 の 巨大理論 であ り ,ギ ール ケを含 めて ヮグ ナ ー ,シ ェフ レの 有機 的全体主義的理論 と歴 史学 派 の歴 史的業績 で あ り ,さ らに は モー ガ ンを は じ め バ ッコーヘ ン,ク ー ラ ンジ ュ ,ラ ブ レイおよび メイ ンの歴 史的研究 の 名前 が 10). 挙 げ られ る。 元来 テ ンニ ェス はかれ の20才 代 の 初期か らの研究生活を ,ホ ッ 8)ibido S.41。 9)ibido S.42。. 10)6070年 代 の著者 で テ ンニ ェスが名前を引用 した ものの若干 を ,そ の 出版年代 に した が って註記 して お くcか れ の思想 形成へ の 参考 のためで ある。. J.J.Bachofen,Mutterrecht,1861. No D.Fustel de Coulanges,La cit6 antique,1864.. O.F.von Gierke,Deutsche Genossenschaftsrecht,4 Bde。. 1868-1913..

(23) 堀. 喜. 383. 望. ブ スの合理主 義・ 個人主義的な 自然法思想 の研究か らは じめて い る。 この 18 世 紀を頂点 と し近代社会 の 発展 に大 きな役割を貢献 した思想が ,19世 紀 とと もに急激 に没落 し,歴 史主義 の 波 に押 し流 された とい う事実 は ,若 い テ ンニ ェス に とって 大 きな衝撃 であ り強 い影響を与 えた こ とは否定す べ くもない。 テ ンニ ェス は後 に これに つ いて 書 いて い る一一「 この学 説 (合 理主義 0個 人 主義的法哲学 )一― それ は カ ン ト,フ ィ ヒテや AOフ ォイ エルバ ッハ のよ う な人び とがなおその核心を正 しい もの と確信 して お り ,ま た政治経済学 や 国 内行政全体にた い してそれが与えた影響 によ って ,近 代 の立 法全体や農民解 放や企業 の 自由にた い して基 準を与 えたので あ るが一― その学説が 実際 に無 価値 で正 しくな い と見倣 さるべ きで あろ うか」。 このよ うな 問 いが実 はテ ン ニ ェスの 研究 の基本的な課 題 とな った とい うべ きであ る。 テ ンニ ェスのい う歴 史主義的な研究 は何 よ りもまず合理主義的 な近代社会 以 外 の また それ以前 の 共同体 の歴史的事実をかれ に教 えた。 モーガ ンな ど の 一連 の 発見 によれば ,機 械論的合理主義に由来す る 自然法 と政治経済学 が. ,. その理念的構成 において把 えた「 規範的」・ 正規 の社会構造 と して の近代社 会 にたい して , これ と異 質的 な いわ ゆ る原始社会 の事実を多数明 らか にす る こ とがで きた。 このよ うに して「 大多数 の これまでの文化 は ,こ れ らのいわ ゆ る正規 の状態 な しに ,例 えば鉄道や電信や 自動機械が な くて も ,存 在 し繁 12). 栄 しえた とい う こ と」 は ,テ ンニ ェスに とって大 きな教訓で あ り ,か れ の理 論 的研究 に影 響を与 え る もので あ った。か か る歴史的 事実 の 発見 と同時に. ,. HoJ.S.Maine,Village Communities,1871. Eo deLabley,De la propri6t6 et des ses forπ. les primitives,1874。. (Deut.Uebers.. von K.Bucher,1879.) A.Eo Schaffle,Bau und Leben des Sozialen Kё rpers,4 Bde.1875-78。 A.ヽ Vagner,Lehrbuch der politischen Oekononlie,1876.. L.Ho Lttorgan,Ancient Society,1877.. Ko Marx,Das Kapital,I.Bd。 1867. R.vo Jhering,Zweck im Recht,2 Bde.1877--83. 11)「 Fё nnies,Soziologische Studien,Io Sanllnlung,S.52.. 12)ibido S.50..

(24) 384. 「 ドイツ社会学会」の成立. これ らの共同体 におけ る有機的関連 と協 同 の生活様式を通 して ,社 会 有機イ │( の理論や社会 進化 の観念 もまた ,か れ の理論構成 の なか に見 いだす こ とは困 │. 難 で はない。 これ らの点 の みか らす れば ,テ ンニ ェスにつ いて ゲ マ イ ンシ ャ フ トの 優位 とい う解釈 も可能 で あ り ,か れを もって ロマ ン主義哲学 と権 威主 義 0復 古主義 の理 論 とす る批判が 由来す るゆえんで あ る。 しか しなが ら社会生活 のかか る有機的構成 につ いて ,テ ンニ ェス は有機体 との「 類比」 の発見的意義を認 めなが らも ,人 間社会 が 有機体 であ るとい う 実体論的な見解 につ いて は鋭 く批判 して い る。 そ こにす で に述 べ たかれ の方 法 的・批判的見地 が強 く作用 して い るとと もに ,か れ の 研究 の出発点を な した ホ ッブ スの合理主義的 自然法 の 原理が もつ 社会構成的意義 の認 識が ,深 く動. :. 機 とな って い ることが認 め られ るで あろ う。 このよ うに して テ ンニ ェスに と って「 本来 的 に社会学 的認識」とは ,「 人 間 の実在 的な統一体 と関連 と思われ る もののほか に ,次 のよ うな統 一 体―― す なわち本質 的に人 間 自身 の 意志 に よ って 定立 され制約 され ,し たが って本質 的 に理 念的な性格を もった一一 が 13). ● ● ●. 存在 す る」一一 その逆 ,す なわ ち意志的理念的統一体 の ほか に実在的統一 体 と い うので はな い ことに注 目せ よ―一 とい う認 識 で あ る。 そ して「 かか る統 一 体 は人 間 によ って 創造 また は形成 された もので ある。 た とえそれが諸 個人 を超 えた 客観的なカーー それが つ ね に 個人意志を 超 えた 結合 意志 の 力 で あ :. り ,こ れを意味す ると して も一― を事実上獲得 した と して も ,や は り人間に 14). よ り創 られた もので ある」。かれは「 自然的結合体」 に「 社会的生活 にとっ て卓越 した意義」を認 めなが らも「 文化的または人為的統一体」 の範疇を強ヽ 調 し,ゲ マインシャフ トとゲゼル シャフ トの理念的類型の両者を「 相互 に依 存的 に保存」す る道を求めたので ある。そ してかかる関連 づ けの基礎を ,テ ンニ ェスは人 間的意志 の理論に見 いだ しているが ,そ れはス ピノーザの存在 と意志 との一元論や,シ ョーペ ンハ ウエル流 の意志 の形而上学 の流れ に影響 さざ るものを残 している。 この点 で もテ ンニ ェスの批判的認識論的見地は , 13)ibido S.53.. 14)ebenda..

(25) 堀. 喜. 望. 385. なお「 形而上学 的」 な色彩を多分 に 帯び た もの とい う ことがで きる。 以上 テ ンニ ェスの理論 の形 成 に は ,当 時 の思想 の多 くが流 れ込 み ,各 種 の 歴史 的研究 の成果が取 りいれ られ て お り ,特 に個人主義的合理 主義 と歴史学 派 の 当時互 いに党派的 に対 立す る立場が錯綜 して「 没価値 的」 に統合 され. ,. そ してその綜合 はなお哲学 的・ 形 而上学 的 で あ った。 かれ の理論が社会科学 の 領域 で 長 らく理 解 されず に放 置され た理 由 のひ とつ は ,そ こにあ った とい うべ きで あろ う。 しか しなが らこのよ うに対立す る見解 において その評 価 的 立場を斥 けて ,そ の相互 的関連を客観的に明 らか に しよ うとす るテ ンニ ェス の志 向 と ,な らび にかか る社会 的認 識 に とって の概念枠組 を純粋 に分析す る 理論 的 こころみ は ,社 会学が専門科学 と して発展す るのに先駆的な基 礎を お くもので あ った。 それのみな らずかれ のゲ マ イ ンシ ャ フ トとゲ ゼ ル シ ャ フ ト の概念 は ,そ の 後 の ドイツ社会学を長 く方 向づ け る社会 の基礎範疇 と して生 き続 けたので あ る。 5. 1910年 10月 20日 か ら22日 までの 3日 間 ドイツ社会学会 は ,フ ラ ンクフル ト. ・ アム 0マ イ ンで第 1回 の大会を開催 した。 テ ンニ ェスは会長講演「 社会学 の道程 と目標」を もってその労頭を飾 り,ウ ェーバーは「 会務報告」 のなか で学会 の組織原則を明 らか にす るとともに,そ の共同研究 の課題と計画につ いて提案 した。新聞の社会学 と,近 代的な組織団体 と指導的職業選択 とにつ いての調査計画が それであった。 さらに前夜祭 の講演では ,ジ ンメルが「 社 交性 の社会学」 においてかれの形式社会学 の本質を ,こ の学会 の価値判断排 除の要請を象徴す るのにふさわ しく美 しい言葉で語 っている。続 く研究発表 は ,学 会倉1設 のために主要な役割を果 した人びとがそれぞれ専門の分野 につ いて行 な い,純 粋な学問的研究 の相互交流を 目ざ して活溌な討論が交わされ た。すなわちゾ ンバル トの「 技術と文化」 について両者 の関係を論 じた もの をはじめ ,プ レッツ「 人種 と社会 の概念」, トレル チ「 ス トア 0キ リス ト教 的自然法 と近代世俗的自然法」, ゴータイ ン「 恐慌 の 社会学」, フォイ ク ト.

(26) 386. 「 ドィッ社会学会」の成立. 「 経済と法」, および カ ン トロヴィチ「 法学 と社会学」 で あった。それ らは 経済・ 法 のほかに人種 0文 化・ 宗教などの各分野におよんで ,純 粋に客観的 な科学的研究 とい う共通 の志向の もとで ,社 会学 とい う新 しい領域に結びつ く道を探 るものであった。 テ ンニ ェスは会長講演として学会 の立場を明 らかに しなが ら,こ のよ うな 「 社会学」 の方向を示 し,か れ自身の社会学 の設計につ いての見解を意欲的 に展開 した。かれ は「 社会学 にとっては未来がふさわ しい」 という言葉を も って語 りはじめている。 そ して社会学 は ,「 あるところの ものにのみかかわ り,し たが って何 らかの見地 に したがい ,ま た何 らかの根拠か らあるべ きも のを取 りあつか うので はな く」,ま た「 一切の将来 の綱領 ,一 切 の社会的・ 政 2). 治的課題 に 関与す る もので はない」。 それ は 価値判 断排除 の原則 に基 づ いて 客観的 な認 識を 課題 とす る 純 粋な 理論的科学 で あ ることを 宣言す る もので あ る。 この よ うなむ しろ形式 的な規定 に したが って 社会学会 は ,「 種 々ちが った 多数 の学科 の専門学者」 か ら成 り ,か か る「 共通 な 目的 に貢献す るを平 等 な市 民を構成員 と し ,そ の課題 は「 多様な種類 の科学 的経験を ひとつ の社 会学 的焦点 に集合す ることで あ る」。 したが ってそれ は「 ひ とつの体系 ,多 4). 少 と も完成 された理論」 で はな くて 観察 と帰 納を方法 とす る研究 と探 求 にか かわ る もので あ ると して ,方 法論的な形式的規定を与えて い る。 しか しテ ンニ ェス は ,人 間 の社会生活 につ いての 思想 に遡 って理 論社会学 の成立を辿 り ,社 会学 の 分野を積極的 に解明す る。「 人 間社会 ,特 に政 治的 結合 の本質 につ いて の思弁 」 は ,「 社会学」の 名前 によ って は じめて創 りだ さ れた もので はな く,そ れ は「 礼儀 正 しい生活態度 と生活形成 との理念 に密接. 1)F.Tё nnies,Wege und Ziele der Soziologie.Verhandlungen des E)rsten Deutschen Soziologentages(1911),. Saminlung,1926,S.125. 2)ibid.S。 130.. 3)ibid.S.134. 4)ebenda。. グ 22 SOZi01ogische Studien und Kritiken,I..

(27) 堀. 喜. 望. に結 び つ いても 古 くか らあ る「 哲学 的分科」 で あ った。 哲学者 は生活 の「 正 しい道 Jを 見 いだ し指導す る もので あ り ,そ の思想 は規 範的 な理論 であ ると されて きた。 しか しなが ら絶対的 な 価値 0善 につ いてのかか る共通 な確信 は. ,. 19世 記 にな ると分裂 して人び とは これ に批判 的懐疑 的 とな った。 そ こに実践. 的 関心 の意 志傾 向 と理論 的な認 識 の方 向 とが たが いに分化 し ,科 学 の発展が 見 られ るよ うにな る。 かか る分化 において ,テ ンニ ェス は近世 の「 合理 的 自 然法」 の思 想が果 した役割を強調す る。か か る自然法 の法 哲学 は ,絶 対的価. 0概 念的な認識 内 値 の「 問題 の肯定 ない しは否定 か らもはや独立 した客観的 容を もつ 。す なわ ち それ は社会学 的また は社会哲学 的内容 で あ り ,人 間 の 関 係 と結合 ,そ の可 能 的および 現実 的 (し たが って また必然的)な 人倫 的・ 法 的 6). 関係 につ いて の理 解 で あ るJと して ,そ れ の認 識的・ 科学 的意義を評価 して い る。 これ はテ ンニ ェス 自身が ,ホ ッブ スの 自然法 の研究か ら出発 して客観 的合理 的認識 の基礎を そのなか に見 いだ し ,さ らに 6070年 代 の歴史主義 の 強 い影響を受 けなが ら ,そ の党派的価値判 断 の立 場を批判克服 して純 粋理論 的社会学 の理論的構成 にまで発展す る ことので きたゆえんを物 語 って い る。 社会 的生活 の観察 と考察 とい う純粋理論 的洞 察 の理念 は ,テ ンニ ェスに とっ て 独立 の「 社会学」 を導 くもので あ ったので あ る。 社会 的生活 の経験的事実 の観察を通 してそれを客観的認 識 に もた らす もの は ,テ ンニ ェスに とって概念 の合 目的 々手段 でな ければ な らない。 かれ にお いて「 哲学 的理説」 と して形成 され る社会学 は ,か か る「 概 念 の彫刻」を ま ず課 題 とす る。 それ は「 本質 的 に概念 にかか わ り ,す なわ ち社会 的生活 の概 念 ,社 会 関係 ,意 志形式 と社会 的価値 ,社 会 的結合 の概 念を問題 と し,か く て 何 よ りも道徳・ 法・ 宗教・ 教会 および国家 の概念を取 りあつ かわねばな ら な し(i。. そ こに テ ンニ ェスの純 粋社会学 の課 題 と社会学 的分析 の 対象領域 と. が示 唆 されて い る。 かか る概念 の彫刻 は,経 験的事実 の認 識 のための 方法的 5)ibide S.125. 6)ibid.S。. 126。. 7)ibido S.131..

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