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インテグリティとは何か

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Academic year: 2021

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麗澤大学大学院経済研究科 博士課程

大 塚 祐 一

Reitaku University, Graduate School of Economics and Business Administration Yuichi Otsuka

インテグリティとは何か

What is Integrity?

ABSTRACT

The notion of integrity, one of the central concepts in business ethics, has been perceived as a virtue of character and recognized as an essential quality that manager and leader should hold. Every time corporate scandals and corporate unethical behavior come into the open, we repeatedly hear the word. However, despite the common sense that integrity is important, there is no common definition or understanding because of its ambiguity. In this paper, as a first step of understanding of integrity, I will roughly describe the outline of integrity. In that work, I will classify the previous studies on integrity into broad sense and narrow sense and then try to give integrated interpretation of integrity.

キーワード

狭義のインテグリティ、広義のインテグリティ、首尾一貫性 が活発化され始めた1980年代中頃からである。 この頃より「インテグリティ」は、倫理綱領や 行動基準など、企業が制定する諸原則をまとめ る言葉として多用されるようになり、「説明責 任」「透明性」「持続可能性」といった言葉と並 んで使われるようになっていった(2)。また、21 世紀に入ると、エンロン事件を契機として、企 業や経営者に対してインテグリティを求める 声がより一層高まっていった(Koehn:2005, p.125)。 しかしながら、いざ「インテグリティとは 何か」と問われた時、そこには必ずしも共通の

1.はじめに

Audi & Murphy(2006, p.3)によれば、イン テグリティは、ある種の理想や目指すべき目標 として、また、人間の性格に関する徳(virtue of character)として言及されてきた(1)。この 言葉は、経営倫理学の議論においても長きに 亘って重要視されてきた概念の1つであり、と りわけ経営者や組織のリーダーが保持すべき資 質として、その重要性が繰り返し説かれてき た。梅津(2008, 350頁)によれば、経営倫理 学の脈絡においてこの言葉が頻繁に使われるよ うになったのは、アメリカで企業倫理の制度化 日本経営倫理学会誌 第26号(2019年) 論 文

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答えが用意されていないのが現状である(Audi & Murphy, 2006;Gosling & Huang, 2010; Koehn, 2005; Monga, 2016)。ある人は、「正 直さ」こそがインテグリティであると言い、別 の人は「高潔であること」こそがインテグリ ティであると言う。いずれの説明も誤りではな いが、インテグリティとは結局の所いかなる意 味を持つ概念であるのか、との疑問は残された ままである(3) そこで本稿では、かかる疑問の解消に向け た最初のステップとして、インテグリティの輪 郭を大まかに描き出すことにしたい。抽象度の 高いこの概念を厳格に定義することは、一方で は有意義であるかもしれないが、他方では、イ ンテグリティという言葉の持つ広がりや深みを 限定的なものにしてしまう恐れもある。そのた め、本稿では、大まかな概念整理を行うに留め ておく。ただし、概念整理を行うにしても、何 らかの枠組みなり視点なりが必要となろう。本 稿では、インテグリティを巡るこれまでの議論 が、大きく「狭義のインテグリティ」と「広義 のインテグリティ」の2つに分類されることに 着目し、両者の関係性を踏まえつつ、この言葉 の統合的な解釈を示したい(4)

2.狭義のインテグリティ

本節では、以下の2つの問いに答える形で 議論を進めていく。第1に、狭義のインテグリ ティとは具体的に何であるのか、第2に、イン テグリティを狭義に捉えることの意義と課題は 何であるかの2点である。 (1)具体的な美徳としてのインテグリティ 本稿では、インテグリティを巡るこれまで の先行研究を、大きく狭義と広義の2つに区分 すると述べたが、ここに「狭義のインテグリ ティ」とは、「正直さ」「公平さ」「誠実さ」「高 潔さ」といったような、個別の美徳(個々の人 間の道徳的資質)をインテグリティの構成要素 として説明しようとするアプローチを指す。例 えば、Zaudere (1992)は、インテグリティの 欠如した経営者の具体的な性格特性や行動を列 挙し、その上で、それとは逆の性格や行動をイ ンテグリティの構成要素として説明している (表1)。 彼は「自らの地位を誇張し、放漫な態度を取 る経営者」や「他者を不公平に扱う経営者」な どをインテグリティの欠如した経営者像として 説明した上で、これと対峙する美徳として、そ れぞれ「謙遜さ(humility)」と「公平さ」を挙げ、 表1.インテグリティを構成する主な要素 インテグリティの欠如した経営者 インテグリティの構成要素 1.自らの地位を誇張し、放漫な態度を取る経営者 謙遜さ 2.大儀よりも自らの利益を第一に考えて行動する経営者 大儀への関心 3.虚偽の申告などにより、相手を騙す経営者 正直さ 4.契約を破る経営者 約束を果たす 5.他者を不公平に扱う経営者 公平さ 6.責任転嫁をする経営者 責任を引き受ける姿勢 7.個の尊厳を軽んじる経営者 個を尊重する態度 8.他者の成功を妬む経営者 他者の幸運を祝福する器量 9.部下の成長に無関心な経営者 部下を育てる姿勢 10.不都合なことに目を瞑ることで、不正の表面化を避ける経営者 不正行為を非難する姿勢 11.わだかまりや恨みを保持し続ける経営者 寛大さ 12.仲間のために力を注がない経営者 仲間のために尽力する姿勢 (出所)Zaudere (1992, pp.13-14)をもとに筆者作成。

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これをインテグリティの構成要素としてみなし ている。ただ、なぜこの12の美徳がインテグ リティの構成要素を成すのかについては、十分 な説明が与えられていない。 Zaudere(1999)と同様に、ドラッカー(2001) もインテグリティの欠如したマネジャーの特徴 を列挙することで、間接的にインテグリティの 構成要素を説明している。ドラッカー(2001) によれば、インテグリティの欠如したマネ ジャーとは、「強みよりも弱みに目を向けるマ ネジャー」「何が正しいかよりも、誰が正しい かに関心を持つマネジャー」「部下に脅威を感 じるマネジャー」「自らの仕事に高い基準を設 定しないマネジャー」であると言う(5) (2)狭義のインテグリティの意義と限界 このように、狭義のインテグリティにおい ては、この言葉の意味やイメージを、具体的 な形で我々に与えてくれるという長所を持つ。 通常、インテグリティを備えた人のことを英語 ではperson of integrityと呼ぶが、上記のような 経営者(e.g.謙遜さを持ち、責任転嫁をするこ となく、常に大儀への関心を抱きながら、仲間 や部下のために力を尽くす経営者/常に何が正 しいかに関心を寄せ、部下との良好な関係の 中で仕事に対し高い基準を設定する経営者な ど)は、person of integrityと呼ぶにふさわしい 経営者であると言える。他方で「インテグリ ティとは何か」と問われた時に、狭義のインテ グリティでは、明確な形で答えることができな いという課題もある。狭義の理解においては、 既に見てきたように、インテグリティの構成要 素の一部分を例示することはできても、全体 を説明することはできないのである。例えば、 Zaudere (1992)では、インテグリティを巡る 12の構成要素が列挙されているが、これ以外 にも「熱意のない経営者」「協調性に乏しい経 営者」「慈悲や思いやりのない経営者」「冷静さ に欠ける経営者」なども、インテグリティの欠 如した経営者の例として挙げることができるか もしれない。これに関連して、吉武(2005, 17 頁)は、インテグリティに対峙する言葉とし て、偽善、卑怯、姑息、我欲、自分本位、身勝 手さ、名誉欲、権力欲、責任転嫁などを挙げた 上で、これら辞書的定義は最大公約数の機能を 持つが、インテグリティの持つニュアンスは掴 みにくいと指摘している。 本稿では、こうした認識を共有しつつも、 狭義のインテグリティの重要性を認めることと し、次に広義のインテグリティへと議論を進め たい。広義のインテグリティを理解すること で、狭義のインテグリティの重要性や両者の関 係性が浮かび上がってくるからである。

3.広義のインテグリティ

本節では、広い意味でインテグリティを捉 える立場について概略的に確認していく。ここ に、広義のインテグリティとは、個別具体的な 美徳や行動からではなく、語源的な意味合いか ら、この言葉の本質を求める立場を指すものと する。そこでまずは、インテグリティの語源に ついて確認しておこう。 (1)インテグリティの語源 インテグリティという言葉は、フランス語 のintégrité及びラテン語のintegritasから入った 語であり、これら2つはさらに「完全体」や「完 全なもの」を意味するラテン語のintegerに遡る (図1)。

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諸原則や、その人によってなされたコミットメ ントに矛盾がないという意味である(個人内部 における諸価値の一貫性)。第2の種類の一貫 性は、自らの持つ信条や原則(principle)と実 際の行動との一貫性である。別の言い方をすれ ば、髙(2006, 51頁;2013, 489頁)が指摘する ように「「言うこと」と「行うこと」が一貫し、 そこにぶれがない状態」となろう。また、自ら の価値や信念にぶれがないということは、別の 視点から見れば「自分の価値観や信念に忠実で ある」とも言えよう(6) Solomon (1999, p.38) も ま た、 イ ン テ グ リ ティの本質を首尾一貫性に求める。ただし、 彼は首尾一貫性という言葉ではなく、完全性 (wholeness)という言葉を用い、「1つの全体 としての完全性」という意味合いを重視する。 ここに完全性とは、徳の完全性(wholeness of virtue)や人間としての完全性(wholeness as a person)を指す(7)。徳の完全性とは、然るべき徳 を然るべき状況において、首尾一貫した形で発 揮することであり、「異なる状況間で同じ徳を発 揮すること」とも理解することができよう(8)。ま integerは、否定を表すinと、「触れる」を意 味するtangereから成る言葉で、触れられてい ない状態、傷つけられていない状態、元のま まの状態、欠けていない状態などを原義に持 ち、そこから派生して、16世紀半ばに、正直 さや誠実、高潔、完全、首尾一貫性などを意 味するintegrityが生まれた。なお、ラテン語 のintegerから派生した言葉として、インテグ リティの他にも「integral(必須の、完全な)」 「integrate(統合する、一体化する)」などがあ る。インテグリティを広義に捉える立場の論者 は、これら語源的な意味合いを重視するが、と りわけ「首尾一貫性」をインテグリティの中核 に据える。以下、詳しく見ていきたい。 (2)中心概念としての「首尾一貫性」 McFall (1987, p.7)によれば、インテグリ ティとは、分裂していない(undivided)状態、 すなわち、完全な全体性(an integral whole) を意味する言葉(=首尾一貫性)であり、彼女 によれば、一貫性とは次の2つを指す。第1の 種類の一貫性は、その人が保持している一連の 図1. インテグリティの語源 integer Integralis (ラテン語) integral (必須の、完全な) Integrare (ラテン語) integrate (統合する、一体化する) intégrité (フランス語) integritas (ラテン語) integrity (正直、誠実、 高潔、首尾一貫性) 16 世紀半ば 17 世紀半 16 世紀半ば (出所)水谷内(2002, 636頁);チャントレル編(2015, 515-516頁)をもとに筆者作成。

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of integrityに該当することになる。だが、多く の人は、少なくともA氏がインテグリティとい う言葉で称えられるようなタイプの人間ではな いと直感的に思うはずである。B氏とC氏につ いては、上記の説明だけを見れば特に問題は なさそうであるが、状況によっては彼らもま たperson of integrityの候補から外されることに なる。以下、いかなる意味でA氏がperson of integrityたり得ないのか、そして、どのような 状況においてB氏とC氏がperson of integrityの 候補から外れるのかを見ていきたい。

4.首尾一貫性に関するいくつかの条件

まず、A氏(他者との関係を断ち切り、自 己利益の追求に首尾一貫性を示す人)について 考えてみたい。自らの富の追求を首尾一貫して 追求するような人は、なぜインテグリティと結 びつかないのであろうか。最も簡単な説明を与 えようとするならば、次のように言うことがで きるかもしれない。それは「そもそもインテグ リティには「高潔さ(私欲のために心を動かさ れないさま)」という意味があるため、A氏の ような人は深く考えるまでもなくインテグリ ティの対象外である」との説明である。この 説明を以ってほとんど十分であると思われる が、もう少し立ち入って、アリストテレス的な 発想に基づいて考えてみたい。狭義にせよ、広 義にせよ、インテグリティとは「個々の人間の 称賛されるべき(道徳的)資質」であると言え るが、ここで着目したいのは、人間の4 4 4という部 分である。人間という言葉が意味するのは、第 1に、動物や植物とは異なり理性的存在である ということ、第2に、他者との関係性の中での み生きることができる社会的存在であるという ことである(Hartman:2013, p.247)。アリス トテレス的な発想に基づいて考えるということ の第一義的な意味は、かかる人間理解を前提と た、人間としての完全性とは、こうした徳の発 揮を含め、その人の価値観や信念、性格的な一 貫性が保たれていることを意味する。例えば、 プライベートでは友人に対して正直であり、 公平に付き合っているが、職場では顧客を騙 し、部下を不公平に扱っているような人がいる とすれば、そのような人を価値観や性格が一貫 しているとは呼べないということである。ニュ アンスは若干違うが、McFallもSolomonも同じ ことを述べていると理解して差し支えないだろ う。 ここまでを整理してみると、インテグリ ティとは「自分自身の価値観や信念に忠実で あり、実際の行動が、当該諸価値に基づいて ぶれのない状態」と一先ず理解することがで きる(9)。だが、ここで直ちに、次のような疑問 が浮かび上がってくる。それは、「自らの価値 体系に忠実であると言っても、価値の中身がど のようなものであれ、首尾一貫していればイン テグリティと呼べるのか」との疑問である。こ の疑問に答えるべく、まずは、次の3人のよう な人物について考えてみたい(10) A 氏 は、 友 情 や 正 義、 信 頼 を 持 た ず、 い つ・いかなる時でも自分の富の蓄積を邪魔され ないよう気配りすることに対し、卓越した一貫 性を保持している。 B氏は、他者から認められることをひたむ きに追求する人であり、彼女は、これを人生に おいて最も価値あるものとし、その目的(他者 に認められること)を達成するために卓越した 一貫性を行動で示している。 C氏は、「素直であること」という価値を最 も重視し、いかなる場合においてもそうするこ とを心掛けている。 上記の3人は、いずれも自分自身の価値観 に忠実であり、ぶれがない。それゆえ、先の理 解に照らし合わせると、彼らはいずれもperson

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個々人の内に「絶対的な内的規範」があってこ そ発露される人間的資質であるため、B氏のよ うに自ら規範や価値を持たない人はインテグ リティとは一線を画することになる。同様に、 McFall(1987, p.9)は、「ごまをする人」「こび へつらう人」などの言葉で言い表せるような人 は、インテグリティを持つことはできないと し、その理由として中身のないコミットメント はインテグリティとは正反対である点を挙げて いる。 最後に、C氏(「正直」という価値の遂行に 首尾一貫性を示す人)について考えてみたい。 正直であることは、1つの美徳であり、称賛さ れるべき性格である。通常のケースにおいて は、正直であることとインテグリティは対峙す ることはないが、C氏のように「いつ・いかな る時においても例外なく正直であること」は、 Dudzinski (2004)が「形式主義者のインテグ リティ」として退けるように、必ずしも称賛に 値するとは言えない。同様にSolomon(1999, p.39)も「インテグリティ=正直さ」という理 解は極めて限定的であるとし、次のような問題 提起をしている。すなわち、病床で死の間際に ある妻に対し、自分が浮気をしたことを素直に 告白する男は、インテグリティを備えた人と言 えるのか、との問題提起である。彼によれば、 この男の素直さはインテグリティとは異なるも のである。なぜなら、この男の素直さは、自ら の浄罪という利己的な動機に基づくものであ り、妻への配慮に欠ける行為だからである。そ の上でSolomon(1999, p.39)は、インテグリ ティとは配慮に欠ける身勝手さとは違うと指摘 している(13)。その意味では、例えば、母の死 期が近いことを知っている息子が、母に対して 「病状は少しずつ回復している」と励ましの言 葉を掛けることは、嘘の言葉ではあるが、彼の 人柄はperson of integrityに値すると言えるかも して「インテグリティ」を理解するということ である。この前提に立つならば、ある人が保持 する価値観や信念がどんなに首尾一貫していた としても、それがもっぱら独り善がりの4 4 4 4 4 4価値や 信念である場合には、そうした人をperson of integrityとは呼べないということになる(11)。こ れに関連して、Solomon (1999, pp.42-43)は、 インテグリティという言葉の多義性を認めた上 で、それがどんなに多様な意味を持つ概念であ ろうとも「インテグリティとは、他者との良好 な関係を築くことに関わるものである」と指摘 している。かかるがゆえに、A氏のように、他 者との関係を断ち切り、そのような生を善きも のとして考える人は、インテグリティとは無縁 の人だと言えるのである。 B氏(他者から承認されることを追求する ことに一貫性を保持する人)についてはどうで あろうか。他者から認められることは、人間が 持つ欲求の1つであり、こうした価値観を持つ こと自体が直ちに批判の対象になることはな い。むしろ、優れた業績や優れた性格などによ り、多くの人からの尊敬や信頼を集め、結果と して他者から認められるような人になるのであ れば、その人はperson of integrityと称される人 と言えるかもしれない。そうであれば何も問題 はないが、B氏のような人は、しばしば「カメ レオンのようなタイプの人間」と結び付けられ ることがある。すなわち、自らの評価を落とさ ないことに気を配るあまり、周囲の状況に合わ せて都合の良い方にへつらうような態度を取る ような人である。企業の脈絡に即して言えば、 いわゆる「イエスマン」と呼ばれる人がこれに 該当する。Solomon(1999, p.41)によれば、 こうした人はインテグリティとは無関係の人で ある。なぜならば、彼らは通常、自らの信念を 持っているとは言えないからである(12)。吉武 (2005, 16頁)によれば、インテグリティとは、

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ティとは、ほとんど完全無欠を意味する言葉で あり、失敗を許さないような完璧主義的な意味 合いを含む言葉であるようにも思われる。だか らこそ、インテグリティとは最高の称賛を示す 言葉なのであるが、本稿では、これをもう少し 柔軟に捉え「完全無欠の状態のみならず、将来 に向かってそのような人間になろうとする姿勢 や努力」の中にも、ある種のインテグリティが 含まれるべきであると考える。 (1)首尾一貫性の再考 これに関連し、Paine(1997, pp.335-336)は、 インテグリティの特徴の1つとして「一貫性」 を挙げながらも、いかなる状況においても完全 な一貫性を保持することは不可能であり、望ま しくないかもしれないと述べている。その上で 彼女は、「インテグリティを備えた人は、自分 自身の原則と行動を調和させようと努力する人4 4 4 4 4 であり、自己の内部の一貫性を維持するよう懸 命に努力する人4 4 4 4 4を指す」と指摘している。この 点から、インテグリティとは、ある種の理想に 到達している状態というよりは、むしろそこに 到達しようとする姿勢や行動の中に見られるも のでもあると言える。 また、Solomon(1998, p.30)は、「あなたの インテグリティが、あなたが何者であるかを決 定づける」と述べているが、この一文が示唆 することは、インテグリティというものが「自 分はどういう人間であるのか」という問いに加 え、「自分はどのような人間であることを望む のか」という徳倫理学的な問いに関わるもので あるということだ。 このように、PaineとSolomonの主張を踏ま えると、インテグリティを備えた人とは「自ら こうありたいと願う人間になるために、自分自 身をつくっていくことに努力を惜しまない人」 と理解することができる。誤解を恐れずに言う しれない。 ここで重要な点は、「正直(素直さ)」はイ ンテグリティを構成する美徳ではあるが、例外 を認めずに、いつ・いかなる時でも「一貫性を 保持すること」がインテグリティに合致すると は限らないということである。既に述べた通 り、インテグリティとは、何よりもまず、理性 的・社会的存在としての人間が備えるべき資質 を意味する言葉であるため、自らの信念を貫く ために他者を傷つけたり犠牲にしたりするよ うな行為を善きものとは見なさないのである。 従って、インテグリティとは、極めて複雑であ り、置かれた状況に応じて、どのような振る舞 いや態度が適切であるかを判断するような総合 的なセンスが問われることになる。ここから想 起されるのは、アリストテレスの『ニコマコス 倫理学』で繰り返し述べられる「有徳な人間」 像である。アリストテレスによれば、有徳な人 間とは「然るべき時に、然るべき事柄につい て、然るべき人に対して、然るべき目的のため に、然るべき仕方において」感情を持ち、行動 するような人間であるが(14)、まさにperson of integrityとは、置かれた状況に応じて発揮すべ き徳を理解し、その実行を可能たらしめるよう な性格の卓越性を意味すると言えよう。 これまでの議論を整理すれば、次のように なる。インテグリティとは、ある人が自らの価 値観や信条、信念に忠実であり、ブレのない状 態を言う。そして、ここで言う価値観や信条、 信念とは独り善がりのそれではなく、また原 子論的な個人にとってのそれでもなく、理性 的・社会的存在としての人間4 4が一貫して保持す ることが望まれるようなものだということであ る。

5.インテグリティ= 完全無欠か

さて、このように考えると、インテグリ

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る人や、責任を果たそうとする人についてはど うだろうか。これまでの議論を踏まえ、本稿で は、消極的な意味においてインテグリティに妥 当すると考える。失敗や誤りそれ自体は避難さ れるべきであるが、少なくとも上記のような人 は、自らの一貫性を放棄するのではなく、む しろ保持しようとしているからである。Paine (1997, p.335)の言葉を借りれば、インテグ リティを備えた人であれば、「状況が私をそう させたのだ」「私は単に指示に従っただけだ」 「こうする以外には方法はなかった」などのよ うに、責任転嫁をしようとしたり、無実の弁明 に躍起になったりしないのである(15)。逆を言 えば、重複になるが、自らの誤りを認め、それ を改めようとする人を、消極的な意味でperson of integrityと呼ぶことができるのではないだろ うか。 (3)信頼の源泉としてのインテグリティ 危機的な状況においてインテグリティを発 揮した有名な事例として、ジョンソン&ジョン ソン社のタイレノール事件(1982年、同社の 製品であるタイレノールに毒物が混入され、シ カゴ地域で7名の死者が出た事件)を挙げるこ とができる。この事件が発生した際、J&J社は、 直ちにタイレノールをアメリカ全土から完全に 回収した。死者が出たのはシカゴ地域のみで あったにも拘わらずである。その費用は、1億 ドルと推定されるほか、2,500人の従業員を動 員して、事故の危険性を警告し、問題の対応に あたった(コリンズ&ポラス:2008, 100頁)。 J&J社の決断は、同社の経営理念である「我が 信条」に従ってなされたものであった。その第 1条には「我々の製品を使うすべての人々に対 して責任を負う」と示されており、同社はこれ に従って全商品のリコールに踏み切った。同社 の対応は、その後、企業のインテグリティを示 ならば、インテグリティを備えた人とは、自分 が完全無欠ではないことを自覚し、その上で自 らを見つめ直し、常に高みを目指そうとする人 とも言えよう。狭義のインテグリティにおいて は、目指すべき理想像を具体的な徳目や行動に よって示しているが(静的)、広義のインテグ リティにおいては、その理想に向かうプロセス も視野に入れている(動的)と捉えることがで きる。 (2)消極的な意味でのインテグリティ インテグリティを完全無欠な状態ではな く、そこへ向かおうとする個々の姿勢や努力 も含めるとすれば、(倫理的な)失敗や過ちを どう理解すべきだろうか。何らかの過ちを犯し たその時点で、インテグリティの欠如と見なさ れるのであろうか。インテグリティは、一面で はそうした失敗を許さないような完璧主義的な 意味合いを含む言葉ではあるが、他方で、そう した状況において、自己保身に走るのではな く、自らの行動によって引き起こされた結果に 責任を持つことのできる人や責任を果たそうと する人を指す場合もある。 Zaudere (1992, p.13)は、「インテグリティ は、平時よりもむしろ、危機的な場面に置か れた時に試されるもの」と特徴づけているが、 まさに企業経営の脈絡においても、経営者や リーダーのインテグリティは、危機的な状況に おいて試されると言える。例えば、不正の隠 ぺいや不祥事が発生した際の責任逃れ、口実 を作って言い訳をすること(社員とその家族 の生活を守るためには、こうする以外に方法 はなかった)などは、全てインテグリティの 欠如の例として挙げることができる。他方で、 そのような場面において自己保身に走るのでは なく、自らの誤りを率直に認め、自らの行動に よって引き起こされた結果に責任を持とうとす

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す好事例として広く共有されている。 これを踏まえると、インテグリティとは 「信頼」に関わる概念であると言える(岡部: 2016;吉武:2005)。いわゆる「信頼できる 人」「信頼できる会社」という際、そうした人 や会社にはインテグリティが備わっていると考 えられるからである。Solomon & Flores (2001, p.100)によれば、本物の信頼とは、第一義的 に「利益には関心はなく、人間関係の誠実さに 関心を払うもの」である。先のJ&J社の対応は、 まさに、自社にとっての(短期的)利益より も「消費者や社会との関係において、自らが誠 実であろうとすること」を選び取ったケースで あったと言えよう(16)

6.狭義と広義の関係性

以上、インテグリティを狭義と広義に分 け、それぞれの捉え方を確認してきた。本稿で は、これまでの議論を踏まえ、狭義のインテグ リティと広義のインテグリティの関係性を次の ように示したい(図2)。 図2.狭義と広義のインテグリティ (出所)筆者作成。 まず、広義のインテグリティとは、「首尾一 貫性」を概念理解の拠り所とし、大前提として 「自らの価値観や信条、信念に忠実であり、ブ レのない状態」を言う。ただし、その価値観や 信念の中身は、独り善がりのものであってはな らず、理性的・社会的存在としての人間が一貫 して保持することが望まれる類のものでなけれ ばならない。また、広義のインテグリティにお いては、自らの信念や信条に忠実であろうとす る努力や姿勢を具体的な行動で示す人もperson of integrityに含まれ、その意味で「動的」であ ると言える。これに対し、狭義のインテグリ ティは、個別具体的な徳目や行動を挙げながら 理想的な人間像(経営者/リーダー像)を提示 するものであり、どちらかと言えば「静的」で あると言える。狭義においては、必ずしもその 理想へと向かうプロセスに注意は払われないか らである。 この2つの立場は、一方が哲学的で抽象的 という特徴を持ち(広義)、もう一方が実践的 インテグリティ (integrity) 広義のインテグリティ (動的) 狭義のインテグリティ (静的) • 自らの価値観や信条、信念に忠実で あり、ぶれのない状態 • 社会的/理性的存在としての自らの生 が、その価値観に忠実であることを望 み、そうあろうとする努力を具体的な 行動で示すこと • また、その過程でもたらされた結果を 受け入れ、結果に対する責任を果たす こと 妥協のない一貫性 正直、高潔、公平、誠実、誠意、節操、 自律、寛大、謙遜、配慮、責任、慈悲、 正義、忍耐、機知、熱意など 行動指針/徳目 首尾一貫して保持するこ とが望まれ、具体的実践が 期待される価値の具体例 が、狭義のインテグリティ

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の手掛かりを「狭義のインテグリティ」と「広 義のインテグリティ」を統合的に捉えることに 求めた。これまでの議論を通じて得られた結論 は、以下の6つにまとめられる。第1に、イン テグリティとは、個々の価値観や信念に忠実で あり、実際の行動がその価値体系からぶれるこ となく首尾一貫していることを指す。第2に、 価値観や信念の一貫性と言う場合、その価値の 中身を無視してインテグリティを語ることはで きないということ(独り善がりの価値や信念で ある場合には、それが首尾一貫していたとし ても、インテグリティには該当しない)。第3 に、価値や信念を頑なに保持し、例外を認めず にその遂行を果たすことが、必ずしもインテ グリティに値するものではないということ(イ ンテグリティは、置かれた状況に応じてどのよ うな振る舞いや態度が適切であるかを判断する ことを要求する)。第4に、インテグリティと は、ある種の理想に到達している状態というよ りは、その理想に向かって努力する姿勢の内に も見られること。第5に、首尾一貫して保持す べき価値は数多く存在すると考えられるが、そ の具体例を示しているのが「狭義のインテグリ ティ」であること。第6に、狭義にせよ、広義 にせよ、インテグリティとは信頼の源泉となる 美徳であること。 本稿では、インテグリティの概念整理に主 眼を置いたため、やや抽象的な議論となった が、これを踏まえ、次のステップとして、具体 的な企業や経営者の行動を取り上げ、哲学的議 論と経営実践との接点を探っていきたい。 注 (1) これに関連して、Paine(1997, p.335)は、 インテグリティを「道徳上の自己統治 (moral self-governance)に関する人間 で具体的(狭義)という特徴を有している。例 えば、広義のインテグリティにおいて「社会 的・理性的存在としての人間が一貫して保持す ることが望まれる価値観や信念」と言った場 合、それが具体的にいかなる中身のものである のかについては、ほとんど言及されていない。 その意味において、狭義のインテグリティで示 されている個別具体的な徳目や行動は、経営者 やリーダーが一貫して持つべき価値観や信念を 提示するものであると捉えることができる。こ れが、本稿におけるインテグリティの統合的な 解釈である。 インテグリティには、多くの意味が含まれ るが、究極的には、Solomon(1999, pp.42-43) が指摘するように、他者との良好な関係を築 き、個々の生を充実した意義あるものにするた めに不可欠な人間的資質であると言える。我々 は、自らこうありたいと願うような人になるた めの価値観や信条を持たず、常に状況に流さ れながら生きている人を、信頼するだろうか。 また、他者への配慮や思いやりよりも、自らの 価値の遂行を最優先に考える人や、口実を作り 自らの行動によってもたらされた結果に責任を 持とうとしない人を信頼するだろうか。多くの 人は、そのような人を信頼することはないだろ う。その意味において、インテグリティとは、 他者との良好な関係を築き、その人の生を実り 豊かなものにするような美徳(性格の卓越性) であると言える。

7.結びにかえて

本稿は「インテグリティという概念が、企 業倫理学において重要であるとの共通認識は存 在するものの、共通の理解やコンセンサスが得 られていない」との現状認識から出発した。か かる認識を踏まえ、本稿ではインテグリティの 輪郭を大まかに描き出すことを目的とし、そ

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リティは「個々の信条や信念に忠実であ ること」を要求する。 (7) なお、Solomonは、インテグリティを「正 直さ」や「高潔さ」のような個別具体的 な徳目の1つとしては捉えていない。 (8) 大塚祐一(2017)「ロバート・ソロモン の「共同体としての企業」論」『日本経 営倫理学会誌』第24号、220頁。

(9) これについて、例えばAudi & Murphy (2006, p.9)は、インテグリティの最も 典型的な要素として「誠実さ(honesty)」 を挙げた上で、次のように述べている。 いわく「誠実さとは、何よりも強固な 一貫性に関わる類のものである。従っ てそれは、「信条と公言したことの統合 (integration)」を意味し、「公言したこ とと実際の行動の統合」を意味する」。 (10) 以下のケースは、McFall (1987)および Solomon (1999)を参考にしている。 (11) そのため、インテグリティとは個々の 人間の性格的な資質を指すものである が、一貫して保持することが称賛され る 価 値 や 信 条 は、 社 会 的 な も の で あ り、また相対的なものと言えるかもし れない(すなわち、その人が生きる共同 体によって、またその人が生きる時代 によって称賛される価値の中身が異な るということ)。 (12) な お、 ソ ロ モ ン は、 道 徳 的 自 律 (moral autonomy) も し く は 単 に 自 律 (autonomy)という言葉を用い、それら がインテグリティに深く関わるもので あることを示唆している。すなわち、自 らの道徳的自律性を持たず、あるいは それを放棄するような態度は、インテ グリティが欠如した状態であるという ことである。なぜならば、既に述べたよ 的な資質である」と述べた上で、「人間 としての幸福を充足するために不可欠 な美徳として、また社会的有効性(social effectiveness)として高く称賛されるよ うな個々の人間的な資質である」と説明 している。 (2) これと同様に、アメリカの企業倫理学 者であるSolomon(1998, pp.28-29)も、 イ ン テ グ リ テ ィ は、 多 く の 企 業 の ス ローガンやミッション・ステートメン トの中に見られる言葉であると述べて いる。 (3) インテグリティという言葉の複雑さ は、洋書の訳語からも見て取ることが できる。日本においては、インテグリ ティに対応する日本語として「誠実さ」 が多く用いられるが(髙, 2006;2013, 梅津, 2008)、例えばドラッカーの『マ ネジメント』では、それが「真摯さ」と 訳されていたり、徳倫理学者(共同体主 義者)のマッキンタイアの『美徳なき時 代』では、「全一性」という訳があてら れている。このことからも、インテグリ ティという言葉には多様な意味が込め られており、一言で説明するのが容易 ではないことが分かる。 (4) なお、本稿におけるインテグリティの 理 解・ 解 釈 は、McFall(1987)、Paine (1997)、Solomon (1999;2008)、 Zauderer (1992)に多くを負っている。 (5) ドラッカーも、インテグリティをどう 定義するかは難しいと述べているが、 インテグリティの欠如した人がマネ ジャーに選ばれることは許されないと し、企業経営におけるインテグリティ の重要性を強調している。 (6) McFall(1987, p.7)によれば、インテグ

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は社員にその重要性を説いているが、 いざ危機的状況に置かれた時に、経営 陣が自社の利益を優先するような意思 決定を下せば、従業員はどう感じるだ ろうか。平時に言っていた「顧客第一主 義」が本音ではなく建て前であったと 感じ、また、言っていることと実際の 行動が違うことに気が付くはずである。 これらについては、髙(2013, 515-517 頁)を参照されたい。なお、髙 (2013, p.489)では、企業経営におけるインテ グリティについて、「広義には、企業 が掲げるミッション(社会的使命)に 従って組織がぶれることなく行動する こと、狭義には、経営者個人の経営姿 勢が一貫し、基本から逸脱しないこと を意味する」と述べている。 参考文献

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Daniel. C., pp.240-264.(ハートマン著/立 花幸司[監訳]/相澤康隆・稲村一隆・佐良土 茂樹[訳](2015)「ビジネス倫理に対する徳 倫理学的アプローチ」『ケンブリッジ・コン パニオン徳倫理学』367-403頁) うに、広義の意味におけるインテグリ ティとは、価値や信念の一貫性を意味 するため、価値や信念を持っていない 場合には、そもそもインテグリティを 保持しているとは言えないのである。 (13) もっとも、このケースの場合、インテ グリティを説明する例としては適切で はないと考える人もいるかもしれない。 なぜなら、この男は、妻に対する正直 さを発揮する以前に、既に妻に嘘をつ いていると考えられるからである。すな わち、浮気相手と密会する際、男は妻 に対して別の口実を作って外出したで あろうと考えられるからである。もしこ の男が「正直であること」に高い価値を 置いているのであれば、この男のイン テグリティは、ずっと以前に既に崩壊 していたと言えよう。 (14) アリストテレス著/高田三郎訳(2011) 『ニコマコス倫理学(上)』岩波書店、 89-90頁、102頁。 (15) これに関連して、Solomon(2008, p.11) は、サルトルの「自己欺瞞」という概念 を援用し、これがインテグリティに対 峙することを説明している。自己欺瞞と は、Solomonによれば「その人の存在や その人の行動に対する責任を拒否する ことであり、口実をつくること」であ る。自己欺瞞とは、自分に都合の良いよ いに口実を作るという意味で、自らに 対して嘘をつく行為であるとも言え、 自己分裂した状態であるため、インテ グリティと対峙する。 (16) さらに言えば、同社経営陣の対応は、 従業員に対してもインテグリティを示 したと言える。J&J社に限らず、多くの 企業が「顧客第一主義」を掲げ、経営陣

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Zauderer, Donald G.(1992). “Integrity: An Essential Executive Quality,” Business Forum, pp.12-16. アリストテレス著/高田三郎訳(2011)『ニコ マコス倫理学(上)』岩波書店。 梅津光弘「インテグリティ」『応用倫理学辞 典』、丸善、2008 年、350-351 頁。 大塚祐一(2017)「ロバート・ソロモンの「共 同体としての企業」論―その意義と課題を 巡って」『日本経営倫理学会誌』第24号、 213-225頁。 岡部光明(2016)「なぜ「正直は最良の策」な のか?―インテグリティの個人にとっての 意義と社会的機能」『国際学研究』第49号、 105-122頁。 コリンズ・ジェームズ・C & ポラス・ジェ リー著/山岡洋一訳(2008)『ビジョナリー カンパニー』日経BP出版センター。 髙巖『誠実さを貫く経営』日本経済新聞社、 2006 年。 髙巖『ビジネスエシックス[企業倫理]』日本経 済新聞社、2013年。 チャントレル・グリニス編/澤田治美監訳 (2015年)『オックスフォード英単語由来大 辞典』柊風舎。 ドラッカーP.E.著/上田惇生編訳(2001)『マ ネジメント:基本と原則[エッセンシャル 版]』ダイヤモンド社。 マッキンタイア・アラスデア著/篠崎榮訳 (1993)『美徳なき時代』みすず書房。 水谷内徹也(2002)「インテグリティ・マネジ メント序説―倫理志向の経営システムの探 求」『富大経済論集』47(3)、635-651頁。 吉武利和(2005)「インテグリティ(integrity): 文化を超えた人格の信頼性の源について: 「文化」の境界を超えられる人間的資質」『香 蘭女子短期大学研究紀要』47、1-18頁。 Koehn, Darly. (2005). “Integrity as a Business

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参照

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