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小学6年生 ・社会 の無料学習プリント歴史の流れをつかもう!弥生~平安編

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Academic year: 2021

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(1)

)作りの技術が伝わり、狩りから稲作中心になる。 )式土器が作られる。 米をめぐって争いが起きるようになり乱れ始めたくにを 邪馬台国の( )が王となりまとめる。 中国の魏に使者を送る。強い国とやりとりし、力がある ことを民にしらしめた。 ( )が摂政となり、天皇中心の「助け合いの 国」をめざして国づくりを始める。 当時は( )と呼ばれる権力者が人々を支配し争い を起こしていたが、争いをやめなければ国は成長しな いと考え、権力者のひとりである( )と協力して 国をまとめ始めた。 ( )を定める。役人の身分を十二階に分け、 能力のある者には身分に関係なく良い位をあたえる制 度。 ( )を定める。「和を大切に」「人と争わ ない」など仏教の教えにもとづいたきまり。 遣隋使として( )を送る。仏教を取り入れて国 の制度を作り、東アジアで勢力をのばしていた隋から 文化と制度を学び、対等な交友関係を築き国内外に天 皇の力を認めさせようとした。 聖徳太子が亡くなると再び蘇我氏が好き勝手にふるま うようになった。 天皇を父母に持つ中大兄皇子はそれを不満に思い、 もとのよい世の中に戻したいと思っていた。 豪族出身でとても勤勉な人物であった( )と手 を組んで蘇我入鹿を倒し、再び天皇中心の新しい国づ くりを始めた。=( 土地や人々は国のものとなり、各地に役人を派けんし 国がまとまるようになった。 農民は税として( )( )( )をおさめることに なり、国の財政は安定したが農民の負担は増えた。 平安時代へ→

歴史の流れをつかもう!

弥生~平安編

全体的な流れがわかると歴史がぐっとわかりやすくなります。 ( )にあてはまる語句を入れて年表を完成させよう。

紀元前4世紀ごろ

紀元239

593

603

604

607

645

(2)

聖武天皇が即位。 当時の日本は災害やはやり病、などで荒れており、「都 をうつせば国が安定するのではないか」と考え、奈良 の( )に都をうつす。 都をうつしても国は安定せず、民から信頼のあつかっ た( )と協力して( )を作る。人々も積極的に 協力した。 大仏づくりのため重い税の負担があったが、僧は免除 されていたため、僧になる者が増え、仏教界が乱れて しまった。 そこで正しい仏教を教わるため中国の唐から ( )を呼び寄せる。 桓武天皇が即位。 奈良時代の終わり頃、平城京はとても栄え、貴族は優 雅なくらしをしていたが、農民は重い税に苦しんでいた。 桓武天皇はそれを直そうとするが、貴族の勢力争いな どにより妨げられてしまう。 そこで都ごと引っ越してやり直そうと考え、 京都の( )に都をうつす。 平安時代になり中国に使者を送るのをやめたことで日 本風の文化が発達し、( )文字が誕生。 紫式部の( )が書かれる。 平安貴族たちの間で流行した。 政権は天皇にあったが、実質的には天皇に仕える貴 族が政治を行っていた。 有力な貴族だった( )が、自分の娘を天皇と結 婚させるなどして天皇と関係を深め、摂政となり政治の 実権をにぎる。 「この世をば わが世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思えば」 貴族の護衛などをしていた武士が力をつけ始める。 中でも( )ひきいる平氏と、源義朝ひきいる源氏 がトップ争いをくりひろげる。 ( )で平氏が勝利。 平清盛が武士として初めて政治の実権をにぎる。 源頼朝が平氏をうつため兵をあげる。 頼朝の弟、( )が壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼ す。 鎌倉時代へ→

710

743

753

794

1008

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1159

1185

(3)

( 米 )作りの技術が伝わり、狩りから稲作中心になる。 ( 弥生 )式土器が作られる。 米をめぐって争いが起きるようになり乱れ始めたくにを 邪馬台国の( 卑弥呼 )が王となりまとめる。 中国の魏に使者を送る。強い国とやりとりし、力がある ことをしらしめた。 ( 聖徳太子 )が摂政となり、天皇中心の「助け合いの 国」をめざして国づくりを始める。 当時は( 豪族 )と呼ばれる権力者が人々を支配し争 いを起こしていたが、争いをやめなければ国は成長し ないと考え、権力者のひとりである( 蘇我氏 )と協力 して国をまとめ始めた。 ( 冠位十二階 )を定める。役人の身分を十二階に分 け、能力のある者には身分に関係なく良い位をあたえ る制度。 ( 十七条の憲法 )を定める。「和を大切に」「人と争わ ない」など仏教の教えにもとづいたきまり。 遣隋使として( 小野妹子 )を送る。仏教を取り入れて 国の制度を作り、東アジアで勢力をのばしていた隋か ら文化と制度を学び、対等な交友関係を築き国内外に 天皇の力を認めさせようとした。 聖徳太子が亡くなると再び蘇我氏が好き勝手にふるま うようになった。 天皇を父母に持つ中大兄皇子はそれを不満に思い、 もとのよい世の中に戻したいと思っていた。 豪族出身でとても勤勉な人物であった( 中臣鎌足 ) と手を組んで蘇我入鹿を倒し、再び天皇中心の新しい 国づくりを始めた。=( 大化の改新 土地や人々は国のものとなり、各地に役人を派けんし 国がまとまるようになった。 農民は税として( 租 )( 庸 )( 調 )をおさめること になり、国の財政は安定したが農民の負担は増えた。 平安時代へ→

歴史の流れをつかもう!

弥生~平安編

まずはじめに全体的な流れがわかると歴史が理解しやすくなります。

( )にあてはまる語句を入れて年表を完成させよう。

紀元前4世紀ごろ

紀元239

593

603

604

607

とおかったろおな~

遣隋使

645

むかしごうぞくの世

今天皇の世

(4)

聖武天皇が即位。 当時の日本は災害やはやり病、などで荒れており、「都 をうつせば国が安定する のではないか」と考え、奈良の( 平城京 )に都をうつ す。 都をうつしても国は安定せず、民から信頼のあつかっ た( 行基 )と協力して( 大仏 )を作る。人々も積極 的に協力した。 大仏づくりのため重い税の負担があったが、僧は免除 されていたため、僧になる者が増え、仏教界が乱れて しまった。 そこで正しい仏教を教わるため中国の唐から ( 鑑真 )を呼び寄せる。 桓武天皇が即位。 奈良時代の終わり頃、平城京はとても栄え、貴族は優 雅なくらしをしていたが、農民は重い税に苦しんでいた。 桓武天皇はそれを直そうとするが、貴族の勢力争いな どにより妨げられてしまう。 そこで都ごと引っ越してやり直そうと考え、 京都の( 平安京 )に都をうつす。 平安時代になり中国に使者を送るのをやめたことで日 本風の文化が発達し、( かな )文字が誕生。 紫式部の( 源氏物語 )が書かれる。 平安貴族たちの間で流行した。 政権は天皇にあったが、実質的には天皇に仕える貴 族が政治を行っていた。 有力な貴族だった( 藤原道長 )が、自分の娘を天皇 と結婚させるなどして天皇と関係を深め、摂政となり政 治の実権をにぎる。 「この世をば わが世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思えば」 貴族の護衛などをしていた武士が力をつけ始める。 中でも( 平清盛 )ひきいる平氏と、源義朝ひきいる源 氏がトップ争いをくりひろげる。 ( 平治の乱 )で平氏が勝利。 平清盛が武士として初めて政治の実権をにぎる。 源頼朝が平氏をうつため兵をあげる。 頼朝の弟、( 源義経 )が壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼ す。 鎌倉時代へ→ 710 743 753 794 なくようぐいす平安京 1008 1016 ひとのわひろげ、 天皇と親せきに 1159 平氏が勝っていい号泣 1185

参照

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