1 はじめに 表現というのは、自分の内部にあるものを外 部に表しだすこと、もう少し具体的にいえば、 自分が心の中で感じること・思うことを、心の 外の何かに置き換えて表し示すことである(1)。 その方法は、声・音・彩色・造形・言葉・身振 り・行為など多岐にわたる(2)。 領域「表現」では、豊かな感性を育て、感じ たことや考えたことを表現する意欲や、創造性 を豊かにすることが目標である。上手に歌わせ るとか、上手に絵を描かせるというのが保育者 の役割ではなく、歌うことの楽しさ、描くこと の楽しさ、表現することの楽しさを十分に味わ わせ実感させるのが保育者の役割である。 保育所や幼稚園では、子どもが手を洗ってい るときや絵を描いているときに鼻歌を歌ってい ることがある。ある園で5歳児が園外保育に出 かけたときに周りの景色を見ながら自然と詩が 生まれ、その詩にメロディがついて歌になり、 延々と歌っている光景を見たことがある。園外 や遠足は、いつもの園内での保育とは異なり、 期待で心がいっぱいになり、足取りも軽い。景 色に心が動いただけではなく、友達と一緒に園 外に出かけることへの喜びが、言葉になり、歌 になったのだろう。まさしく感じたままを表現 しているといえよう。その表現が周りの友達や 保育者に伝わり、肯定され、共有されると嬉し くなる。即興で作った歌であってもそばにいる 子どもと顔を見合わせ、声を合わせて歌ってい る光景はほほえましい。心が通じ合ったことを 喜び、その喜びが表現意欲を高めていく。また 歌うことを通してコミュニケーションがとれて いるように思われる。その場限りの創作した歌 であるが、機嫌のよさから自然にメロディが生 まれてきたのがわかる。その歌を聞いて子ども の気持ちを想像することができる。子どもたち を見ていると、「うた」は淡いあこがれや夢や 感傷の産物としてではなく、現実にぶつかって いる「今」への対決であり融合としてとらえて いる(3)。つまり今を生きている証といえよう。 この園外保育の例は、子ども達が「今」を歌 に表現したのではないかと思う。歌うというこ とは、自分の内面を外に表現する活動である。 音楽教育の第一歩は歌うことであるともいわれ ている。声は自分の気持ちを素直に表すことの できる道具であり、歌は、いつでも感じたまま を即興的に表すことができる。 2 保育現場の現状 最近、保育現場ではアニメの曲がよく取り入 れられ、歌詞の難しいものや音域の広いもの、 メロディの複雑なものがある。また若い世代の 保育者が多く、TVで話題になっているものや アニメなどメディアの影響を受けたものを取り 入れる傾向が目立っている(4)。 保護者に見せる音楽会・生活発表会では、子 ども達の普段のありのままの姿を見せるのが 「生活発表会」である。しかし、そうした建前 幼年児童教育研究 第31号 2019 − 23 −
幼児の歌唱指導における実践研究
田井 敦子
と実際とは大きく異なるのが現実ではないだろ うか。子ども達は園生活の中で楽器遊びや合奏、 ダンス、身体表現、劇遊びなどを十分に楽しい と感じたら、誰かに見てほしいと言い出す。自 分達が表現した活動を見て、他の人達が驚いた り、感動したりする経験も大切である。しかし、 見せることに重きを置きすぎて、技術のうまさ、 出来上がりの正確さを競い、親を満足させるこ とが目的となり、まとまりだけを気にする状況 を生んでしまうと訓練的な指導になってしまう。 表現を心の表しと捉えるなら、幼児の音楽表現 は技術指導ではなく、訓練的な指導でもないこ とは明白である。 保育所や幼稚園では発表会のための曲選びで、 より難しい曲を選びがちになる。年中・年長児 は年少児よりも難しい曲を、昨年よりもレベル が落ちたといわれないように、もっと難しい曲 を選ぶ傾向にある。何のために歌うのか、子ど も不在になっている。生活発表会のために保育 があるのではなく、日常の園生活の実際を積 み重ねて展開して見せるというのが本来の姿で ある。子どもが保育所や幼稚園で歌う歌、出会 う歌は数曲しかない。その曲を選ぶのは保育者 である。アニメの曲が悪いというのではないが、 1年で数曲しか出会うことのない歌なら子ども の歌いやすい、心に残るものを選ぶようにした いものである。幼児にとって歌うことは自然で 直接的な音楽表現である。 保育現場では、子どもの音楽表現をどう捉え ているだろうか。保育者が日常の生活の中で無 意識に音、音楽を使っていることがある。例え ば、騒がしい子どもを鎮めるためにピアノを鳴 らしたり、片づけを急がせるために速いテンポ で曲を弾いたりする姿を見かける。音楽を教師 の方に向かせるためや号令のように使っていて は音楽性が育たない。子どもの感性の育ちに与 える音環境の影響は大きい。 3 保育現場での歌唱指導について 筆者は保育者養成校で、音楽担当者と幼稚園 実習を担当している。学生の幼稚園実習の記録 を読むと、歌唱指導においてフレーズごとに切 って、歌詞を覚えこませるという指導や歌詞を 紙に書いてボードに貼って歌わせるという指導 を記録から読み取ることがある。フレーズごと に歌うと子どもが歌の全体像、情景がイメージ できない。また紙に書いてある歌詞を読みなが ら歌うというのは大変難しい。絵本の読み聞か せで、子どもが文字を読めるようになったから と子ども自身に本を読ませるのと同じである。 文字が読めるようになっても、読むのに精いっ ぱいで絵から想像することは困難である。それ と同じであり、歌詞を追うだけで歌を楽しむこ とは難しい。 ある保育現場によっては、造形、音楽、運動 などの専門家によって保育の時間内に指導が行 われているところもある。その時間は専門家が 指導するので、保育者は子ども達がどんなに夢 中になって遊んでいてもそれを中断させなけれ ばならない。保育とは何か。専門家の知識を学 ぶことは大切ではあるが、保育は総合的なもの である。子どもの様子や保育の流れ、内容を大 事にし、専門家に任せてしまわないようにしな ければならない。 筆者は、長年、わらべうた研究家の指導を受 けてきた。その研究家に月に1度、園に来てい ただいて保育をしてもらい、私自身もわらべう たをするのではあるが、それは決して子どもの 生活の流れを壊すものではなく、子どもの生活 や興味のあることなどを事前に話し合い、どの ようなわらべうたが適切か入念に準備をする。 そしてそのわらべうた研究家の方は、園に来ら
幼年児童教育研究 第31号 − 25 − れてしばらくは子ども達の遊んでいる様子を見 学され、自分の用意してきたわらべうたを変え られたり、遊び方を子どもに合うように工夫さ れたりしていた。専門家の指導を受けるのでは あるが、それは違った角度、多面的に子どもを 見ることにもなるし、子どもにとっても保育者 にとってもよい刺激となる。わらべうたの専門 家の指導を受けても日常の保育は担任保育者に よる。 専門家の指導を受けた後は、園の保育者が継 続して保育をする。そうしなければ専門家の指 導が出前保育の一時的なものになってしまう。 保育者は保育のプロであるという誇りを持ち、 自信を持ちたいものである。 4 どのような声で歌うのかーなぜ、怒鳴って 歌うのか 子どもは曲によっては元気にはつらつと大き な声で歌う歌もあれば、静かな曲はしんみりと 柔らかい声で歌うだろう。ところがどの曲も怒 鳴り声で歌わせている保育現場が少なくない。 保育者は、子ども達に子どもの歌を伝え一緒 に歌う。そのときに、子どもにどのような声 で歌わせたいのかというはっきりとしたイメー ジを持ち、声の出し方にまで気を配る必要があ る(5)。歌唱指導をする前に保育者が歌をどの ように解釈し、イメージしているかによって指 導の在り方が変わってくる。 日本の子どもには、3歳頃から学童期にかけ て、嗄声(しわがれ声)が見受けられるが、そ の原因は子どもの誤った発声法と声の過度使用 により、生理的に脆弱な声帯に負担をかけすぎ たためである。幼児の発声器官は未発達なので、 保育者は発達段階上の肉体的条件をよく理解し た上で指導に当たらなければならない(6)。 乳児が、喃語がことばらしきものに変わって いく頃、歌も歌いだす。この時期の子どもの声 は非常に柔らかく静かな声である。子どもが2、 3歳になって、一人で遊びながら歌っている声 も非常に静かで柔らかいものである。どうも日 本の子どもたちは、幼稚園などに入って集団で 歌うようになってから怒鳴ることを覚えるよう である(7)。 テレビのニュース番組で幼児の歌っている様 子を放送しているのを見ることがある。口を大 きく開け、大きな声を出そうと必死になって歌 っている。ほとんど音程はとれていない。なぜ、 子ども達は怒鳴って歌うようになるのか。その 理由について考えると、 ① 子どもは元気なものだ、大きな声で歌うと 子どもらしいと捉えられていることが多い。 ② 保育者のピアノ伴奏の音量が大きいと正確 な音が聴こえず、またその音に負けまいと 怒鳴って歌う。 ③ 友達よりも目立ちたい、自分はこんなに頑 張って歌っているんだと主張する。そして 大きな声で歌うと保育者に褒めてもらえる。 ④ 保育者自身が怒鳴って歌っているか、怒鳴 って歌う子どもを一生懸命歌っていると捉 えている。 ⑤ 保育者が子どもの音程がとれているか、ど のような声で歌っているか無関心である。 大人が子どもは元気なもの、元気な声を出す ものだという決めつけが多い。だから小さな声 であいさつをしたり、歌を歌ったりすると「元 気がないね。もっと元気に」という大人の言葉 を聞くことがある。 怒鳴って歌うと喉に力が入り、音程がとれな いだけではなく、喉を傷めてしまう。喉を傷め てしまうと高音が出にくくなる。高音が無理な く出せるようにするには、まず音を聴かせる。 耳で聴いた音と自分の声が一致するように音を
聴かせては歌わせる。喉を締め付けないように 力を抜いて、身体の力も抜いて歌う指導をする。 するとだんだん伸びやかな声が無理なく出せる ようになり、表情も明るくなり、身振りをつけ て歌の世界を楽しむようになる。 保育者のピアノの伴奏の音が大きいとそれに 負けまいと大声で歌ってしまう。特に前奏の音 の大きさに注意しなければならない。前奏の音 が大きいとそのまま曲を弾き続けてしまうこと になる。案外、保育現場では前奏の音の大きさ や速さに対して無関心であるように思われる。 歌う速さもこの前奏で決まるのだから、子ども 達が歌える速さを考慮して弾く必要がある。楽 譜に曲の速さが明記されているが、その速さで 果たして子ども達が歌えるか。歌唱指導の初め は、子ども達は歌詞もメロディもわからないの であるから、保育者は美しい声でゆっくりと言 葉をはっきりと子どもに語りかけるように歌い、 子どもが保育者の歌につられて歌いたくなるよ うな気持ちを抱かせるように範唱する。これが 保育技術でもあろう。 保育者が大きな声で歌っている子どもを「し っかり歌っているね」と褒めると、子どもは褒 められたくて大きな声、怒鳴り声で歌ってしま う。友達に負けまいと声を張り上げる。保育者 がどのような声を望ましいと考えているのかが 問われる。大きな声で全身の力を込めて一生懸 命歌っている子どもの姿は、子どもの存在感を 感じ、感動することもある。それは子どもの一 生懸命さに命を感じるから感動するのであるが、 歌が好きで歌いたくなる子どもを育てているか といえばそうではないだろう。 少子化が叫ばれる現代において、入園児童確 保のためか、幼稚園・保育所での生活発表会・ 音楽会等は年々大規模に、華美になってきてい る。園としては、保護者に子どもの日頃の練習 の成果を披露し、「この園では、わが子にここ まで素晴らしい演奏をさせてくれる。」という 評価を期待して、外部講師を招き、演奏効果の 大きく難しい曲を歌わせたり、演奏させたりす るのである(8)。 細田・蟹江は、子どもの歌う声について次の ように述べている(9)。 ① 歌うことが楽しくて歌っている子どもらし い声。 ② 能動的に歌いたくて歌っている声。(無理 に歌わされているのではないこと) ③ 音程をきちんとコントロールできる強さの 声(つまり怒鳴っていない声を指す) ④ 歌詞をしっかり覚えて自信をもって歌って いる声。(自信がないと弱弱しい声になる。) ⑤ その歌のイメージをその子どもなりにつか んで歌っている声。(表現豊かな声にな る) 「歌うことが楽しくてしようがない」「歌い たい」という気持ちが素直に自然に表現できる 声が望ましいといえる。また歌詞がわかってい ると自信をもって歌うことができる。発表会は ほとんどの園で計画される。その発表会が次年 度の入園児確保にもつながる。そう考えると現 場の保育者は本音と建前の板挟みになっている といえる。しかし、保育者は今がよければいい というものではない。子どもの将来のことを考 え、歌の好きな子どもに育てることで、子ども の内面が豊かになる。つい口ずさみたくなる歌 があると、喜びや悲しみを味わったときにどん なに心が癒され、励まされるであろう。 5 歌唱指導の工夫と実際 「どんぐりころころ」 青木存義作詞・梁田 貞作曲 この曲を知らない人はいないだろうという
幼年児童教育研究 第31号 − 27 − くらい年齢を問わず、多くの人に親しまれて いる。(資料1) 子どものための新しい発想の歌が次々に作ら れた大正期の作品のひとつ。子どもたちに愛さ れ続け、戦後になって文部省によって編集され た最後の国定教科書2年生用の歌として採用さ れ、その後も民間各社の検定教科書のほとんど に掲載されている作品(10)である。作詞の青 木存義は、この詞を発表した際に「この歌は子 どもが見た世界を、子どもの心であらわした」 と語っている(11)。青木にとっては、この『ど んぐりころころ』が、子どもの世界への愛情が 最も強く表現された傑作なのである(12)。 「どんぐりころころ」は、2006年(平成18 年)に日本の文化庁と日本PTA全国協議会が、 親子で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌や歌謡 曲といった抒情歌や愛唱歌の歌101曲を選定し た「日本の歌百選」に含まれる。 歌詞の内容は青木存義の幼少時の体験が元に なっているといわれている。このどじょうにつ いて、青木存義の初孫である医学博士元女子栄 養大学教授の青木菊麿氏(73歳)がある月刊誌 に「どんぐりころころ」の起立性調節障害―と 題して次のように書いている(13)。 「(祖父は)子どもの頃から夜更かしの傾向 があり、夜遅くまで寝ないので、朝はなかなか 起きられなくて困ったそうです。そこで一策を 案じて、母堂が池の庭にドジョウを飼って早起 きを期待した、という話が伝わっています。」(14) と記している。 歌はその当時を回想して出来たようであるが、 子どもの世界の情景を子どもの心で歌ったのだ ろう(15)。 この歌の魅力について有永は、「出だしの 「どんぐりころころ」の動きのある軽快な五感 がいい。どんぐりとどじょうが出合うという奇 抜さがまた面白い。」(16)さらに「これが鯉で あったりふなであってはおもしろくなく、どじ ょうだからこそなにかユーモラスな感じをうけ る。そして、2番までの短い歌詞の中に物語性 があり、情景がありありと浮かんでくるのであ る」(17)と述べている。また作曲者である梁田 貞についても「貞としては珍しいほど軽やかな 明るいリズム感があふれ、アタック音の巧みな 使用と相まって子どもに好まれるであろう」(18) とこのように「どんぐりころころ」が長く歌い 継がれてきた魅力を分析している。確かにどじ ょうの顔を思い浮かべると、なんとも味わいの あるユーモラスで親しみを感じる。池の底の泥 の中にもぐったり、長い体をくねらせたりして 泳ぐ姿は面白い。 この青木の幼少時の体験を知ると歌詞の意味 がより一層深く理解でき、情景も浮かび、歌に 対して親しみを抱く。歌唱指導とは別に青木の 幼少時の話を年齢も同じくらいの子どもにする と興味深く聞くと思う。 筆者は保育者養成校に勤務し、毎年9月末か ら20日間の幼稚園実習を実施する。音楽担当者 は、毎年、学生の実習記録から各園がどのよう
な歌を歌っているか、季節の歌、生活の歌、宗 教の歌などを書き出し、幼稚園で歌われている歌 の傾向について調査し、学生指導に役立てている。 保育現場では、秋になるとよく歌われるのが 「どんぐりころころ」である。「どんぐりころ ころ」はほとんどの実習園で歌っているのが下 記の表(抜粋)からも読み取れる。また、本校 でも「どんぐりころころ」を保育現場で歌い継 がれてほしいという願いで、毎年、学生に指導 している。 「どんぐりころころ」の歌詞は、起承転結の はっきりとした物語になっている。ところが1 番の歌詞の「どんぶりこ」を前の「どんぐり」 につられて「どんぐりこ」と間違って歌ってい ることが多い。これはこの情景が理解出来てい ないからではないだろうか。そこで「どんぶり こ」が何の音なのか、どんぐりが山から転がっ てくる情景がイメージできたなら「どんぶり こ」という池にはまったときの音であることが 自然に理解できる。そして、池にはまったとき のどんぐりの心情を思うと「さあ たいへん」 がいかにも大変そうな歌い方になる。「さあ」 を強調すると大変そうに聞こえる。「さあ た いへん」をどんな風に表現するのかを考えて、 保育者は範唱する。 泳げないどんぐりが池にはまって気落ちして いるときに「どじょうがでてきて」声をかけて くれたときのどんぐりのうれしい気持ちが子ど もには理解できる。また「ぼっちゃんいっしょ に あそびましょう」がセリフになっているの で、子どもにはどんぐりとどじょうが楽しく遊 んでいる姿が想像でき、どんぐりの感情の変化 が子どもの声や表情に表れる。 2番の歌詞においても同様である。どんぐり に泣かれて困っているどじょうに思いを寄せて いる子どもは、眉を寄せ、暗い表情で歌ってい る。これは歌に登場するどじょうに自分を置き 換えて表現しているのだろう。1番のどんぐり においても同様のことが言える。歌の世界を通 して想像力を豊かにしているといえよう。 「どんぐりころころ」の歌を取り上げる時期 は、園外保育や散歩で野山に出かけ、どんぐり や木の実、木の葉を採ってきて友達と見せ合っ たり、製作に使ったり、身体表現をしたり、絵 を描いたりと様々な表現活動を展開する。子ど もの想像を広げ、深めるのに「どんぐりころこ ろ」の歌は最適である。それを歌詞だけ覚えさ せては、子どもは山のどんぐりや池にはまった ときのどんぐりの心情、どじょうという友達が できたときの喜び、別れの寂しさなど、情景を 膨らませ想像しながら歌うことができるだろうか。 幼稚園や学校で子どもたちが歌うと、話題に なるのは「どじょうをこまらせた」後、どんぐ りはどうなった、ということらしい(19)。 作曲家の岩河三郎が、合唱公演に際して1986 年(昭和61年)に創作した3番の歌詞が作者不 詳として広まった、といわれているものに「ど んぐりころころ 泣いてたら 仲よし子リスが 飛んできて 落ち葉にくるんで おんぶして いそいでお山に つれてった」という歌詞があ る。また、幼稚園教員などに広まっていると いわれている歌詞に「どんぐりころころ 泣い てたら やさしいハトさん 飛んできて 山ま で送って くれました どんぐりお礼を いい
幼年児童教育研究 第31号 − 29 − ました」というものもあるという。どんぐりは、 ちゃんと家まで帰り、お礼まで言っている。こ れは蛇足というものである(20)。このような3番 の歌詞が必要であるのか。子どもがそれぞれに どんぐりやどじょうがどうなったかを想像する のも楽しいことである。3番を付け加えること は作者の意図に反するのではないだろうか。 「バスごっこ」 香山美子作詞・湯山 昭作曲 4/4拍子 ヘ長調 たのしく ゆかいに ♩=138 この歌は湯山昭が作曲し、児童文学作家で 詩人の香山美子が作詞したものである。(資料2) 1966年(昭和41年)NHK教育テレビの幼稚園・ 保育所の時間で放送されていた音楽系教育番組 『なかよしリズム』で歌われたヒット曲である。 他には「ホ!ホ!ホ!」「ヘイ!タンブリン」 「やまびこごっこ」「トントントンはいってま すか」「ケンパであそぼう」などがある(21)。 遠足前によく取り上げる歌である。大型バス に乗るというのは子どもにとっても憧れであり、 前奏の軽快な部分が遠足に行く子どものワクワ クした気持ちとぴったり合う。歌だけではなく、 遠足への期待をもたせるために子ども達の椅子 を並べて、バスの車中の雰囲気を出し、運転手 役の子どもを決めて遊ぶ遠足ごっこも楽しい。 リン」「やまびこごっこ」「トントントンはいってます か」「ケンパであそぼう」などがある。()譜例 遠足前によく取り上げる歌である。大型バスに乗る というのは子どもにとっても憧れであり、前奏の軽快 な部分が遠足に行く子どものワクワクした気持ちとぴ ったり合う。歌だけではなく、遠足への期待をもたせ るために子ども達の椅子を並べて、バスの車中の雰囲 気を出し、運転手役の子どもを決めてする遠足ごっこ も楽しい。この歌は車中での様子がわかりやすい歌詞 になっている上、簡単な身体表現ができるところが面 白い。切符を隣の子どもの掌にのせる、眠る、上下左 右に頭を動かすといった身体表現や他者とのかかわり を喜ぶ歌でもある。 図1は、秦・梶間の(「幼児教育における子どもの うた遊びの研究と課題」)学生が上げたうた遊びの中 で多く取り上げられている上位をグラフにしたもので ある。この中に「バスごっこ」は含まれている。 保育現場でよく取り上げられている歌であるが、こ の歌の楽譜の分休符を見落として歌唱指導をしてい る保育者を見かけることが多い。そこでこの分休符の 意味を考える。 西野によると、「上記曲想表示、速度表示に加えて、 拍頭のバス音と、裏拍の右手和音とが交互に刻まれる 伴奏の形からも、縦のリズムに乗って弾むように歌い たくなる楽曲である。特に、「おおがたバス○に」「き っぷをじゅん○に」の小節では、8 分休符(左記 ○の 部分)の存在に十分留意したい。この部分は、3・4 拍 目にかけてシンコペーションのリズムで書かれており、 その上どちらも4 拍目の拍頭は 8 分休符となっている。 このことは、「強拍が休符によって無音の場合、その次 の音は、弱拍であっても強拍として意識される」(『新 装版 楽典 理論と実習』 音楽之友社 2001)ことを 目的として、つまり「おおがたバス」のあとの「に」、 「きっぷをじゅん」のあとの「に」の音(4 拍目の裏 拍)をねらって歌うことによって、正規の進行を逸脱 する面白さを歌い手に味わわせようとした例であると 見て取れる。 なお、4 拍子の曲においてはふつう、強拍とは第 1 拍目を指し、2・3・4 拍は弱拍にあたる。そのため、 バスごっこのこのケースでは、強拍の位置が移動する 図1 保育現場で見られたうた遊びの上位(13) リン」「やまびこごっこ」「トントントンはいってます か」「ケンパであそぼう」などがある。()譜例 遠足前によく取り上げる歌である。大型バスに乗る というのは子どもにとっても憧れであり、前奏の軽快 な部分が遠足に行く子どものワクワクした気持ちとぴ ったり合う。歌だけではなく、遠足への期待をもたせ るために子ども達の椅子を並べて、バスの車中の雰囲 気を出し、運転手役の子どもを決めてする遠足ごっこ も楽しい。この歌は車中での様子がわかりやすい歌詞 になっている上、簡単な身体表現ができるところが面 白い。切符を隣の子どもの掌にのせる、眠る、上下左 右に頭を動かすといった身体表現や他者とのかかわり を喜ぶ歌でもある。 図1は、秦・梶間の(「幼児教育における子どもの うた遊びの研究と課題」)学生が上げたうた遊びの中 で多く取り上げられている上位をグラフにしたもので ある。この中に「バスごっこ」は含まれている。 保育現場でよく取り上げられている歌であるが、こ の歌の楽譜の分休符を見落として歌唱指導をしてい る保育者を見かけることが多い。そこでこの分休符の 意味を考える。 西野によると、「上記曲想表示、速度表示に加えて、 拍頭のバス音と、裏拍の右手和音とが交互に刻まれる 伴奏の形からも、縦のリズムに乗って弾むように歌い たくなる楽曲である。特に、「おおがたバス○に」「き っぷをじゅん○に」の小節では、8 分休符(左記 ○の 部分)の存在に十分留意したい。この部分は、3・4 拍 目にかけてシンコペーションのリズムで書かれており、 その上どちらも4 拍目の拍頭は 8 分休符となっている。 このことは、「強拍が休符によって無音の場合、その次 の音は、弱拍であっても強拍として意識される」(『新 装版 楽典 理論と実習』 音楽之友社 2001)ことを 目的として、つまり「おおがたバス」のあとの「に」、 「きっぷをじゅん」のあとの「に」の音(4 拍目の裏 拍)をねらって歌うことによって、正規の進行を逸脱 する面白さを歌い手に味わわせようとした例であると 見て取れる。 なお、4 拍子の曲においてはふつう、強拍とは第 1 拍目を指し、2・3・4 拍は弱拍にあたる。そのため、 バスごっこのこのケースでは、強拍の位置が移動する 図1 保育現場で見られたうた遊びの上位(13) 図1 保育現場で見られたうた遊びの上位 (資料2) 「バスごっこ」歌詞 この歌は車中での様子がわかりやすい歌詞にな っている上、簡単な身体表現ができるところが 面白い。切符を隣の子どもの掌にのせる、眠る、 上下左右に頭を動かすといった身体表現や他者 とのかかわりを喜ぶ歌でもある。 図1は、秦・梶間の(「幼児教育における子 どものうた遊びの研究と課題」)学生が上げた うた遊びの中で多く取り上げられている上位を グラフにしたものである(22)。この中に「バス ごっこ」は含まれている。 リン」「やまびこごっこ」「トントントンはいってます か」「ケンパであそぼう」などがある。()譜例 遠足前によく取り上げる歌である。大型バスに乗る というのは子どもにとっても憧れであり、前奏の軽快 な部分が遠足に行く子どものワクワクした気持ちとぴ ったり合う。歌だけではなく、遠足への期待をもたせ るために子ども達の椅子を並べて、バスの車中の雰囲 気を出し、運転手役の子どもを決めてする遠足ごっこ も楽しい。この歌は車中での様子がわかりやすい歌詞 になっている上、簡単な身体表現ができるところが面 白い。切符を隣の子どもの掌にのせる、眠る、上下左 右に頭を動かすといった身体表現や他者とのかかわり を喜ぶ歌でもある。 図1は、秦・梶間の(「幼児教育における子どもの うた遊びの研究と課題」)学生が上げたうた遊びの中 で多く取り上げられている上位をグラフにしたもので ある。この中に「バスごっこ」は含まれている。 保育現場でよく取り上げられている歌であるが、こ の歌の楽譜の分休符を見落として歌唱指導をしてい る保育者を見かけることが多い。そこでこの分休符の 意味を考える。 西野によると、「上記曲想表示、速度表示に加えて、 拍頭のバス音と、裏拍の右手和音とが交互に刻まれる 伴奏の形からも、縦のリズムに乗って弾むように歌い たくなる楽曲である。特に、「おおがたバス○に」「き っぷをじゅん○に」の小節では、8 分休符(左記 ○の 部分)の存在に十分留意したい。この部分は、3・4 拍 目にかけてシンコペーションのリズムで書かれており、 その上どちらも4 拍目の拍頭は 8 分休符となっている。 このことは、「強拍が休符によって無音の場合、その次 の音は、弱拍であっても強拍として意識される」(『新 装版 楽典 理論と実習』 音楽之友社 2001)ことを 目的として、つまり「おおがたバス」のあとの「に」、 「きっぷをじゅん」のあとの「に」の音(4 拍目の裏 拍)をねらって歌うことによって、正規の進行を逸脱 する面白さを歌い手に味わわせようとした例であると 見て取れる。 なお、4 拍子の曲においてはふつう、強拍とは第 1 拍目を指し、2・3・4 拍は弱拍にあたる。そのため、 バスごっこのこのケースでは、強拍の位置が移動する 図1 保育現場で見られたうた遊びの上位(13) (譜例1) 保育現場でよく取り上げられている歌である が、この歌の楽譜の8分休符を見落として歌唱
指導をしている保育者を見かけることが多い。 そこでこの8分休符の意味を考える。 西野によると、「上記曲想表示、速度表示に 加えて、拍頭のバス音と、裏拍の右手和音とが 交互に刻まれる伴奏の形からも、縦のリズムに 乗って弾むように歌いたくなる楽曲である。特 に、「おおがたバス○に」「きっぷをじゅん○ に」の小節では、8分休符(左記 ○の部分) の存在に十分留意したい。この部分は、3・4拍 目にかけてシンコペーションのリズムで書かれ ており、その上どちらも4拍目の拍頭は8分休符 となっている。このことは、「強拍が休符によ って無音の場合、その次の音は、弱拍であって も強拍として意識される」(『新装版 楽典 理論と実習』 音楽之友社 2001)ことを目 的として、つまり「おおがたバス」のあとの 「に」、「きっぷをじゅん」のあとの「に」の 音(4拍目の裏拍)をねらって歌うことによっ て、正規の進行を逸脱する面白さを歌い手に味 わわせようとした例であると見て取れる。 なお、4拍子の曲においてはふつう、強拍と は第1拍目を指し、2・3・4拍は弱拍にあたる。 そのため、バスごっこのこのケースでは、強拍 の位置が移動するという、規定どおりのシンコ ペーションを適用しているものとは言えないが、 それと同様の効果を生んでいると言える。 音楽的に考えてもこの休符があることで歌の 面白さが伝わり、子どもの心が弾むのである。 ところがこの休符をどのように指導するか、保 育者の工夫が問われるところである。 次の事例は筆者がこの休符を子ども達に感じ 取らせたいと考え、実践したものである。 〔事例〕「バスごっこ」 保育者の範唱は楽譜通り、休符を意識し て歌うが、子どもに歌わせるとどうしても 休符を取らず伸ばしてしまう。そこで子ど もの歌い方を真似て歌う。少しオーバーに、 わざと休符を無視して伸ばし、特に「スー」 を強調して子ども達に聞かせ、考えさせる。 保育者「おおがたバス~」 子ども「タイヤの空気が抜けしまう。」 保育者「タイヤの空気が抜けるとバスはど うなるかな。」 子ども「タイヤがペッチャンコになって、 遠足に行けない。」 保育者「せっかく遠足に行くのにタイヤの 空気が抜けたら走らないね。」 このやりとりだけで子ども達はどのように歌 えばよいのか感覚的にわかるようである。それ をもっと確かなものにするために保育者が休符 のところを両手で軽く握って示すとよりわかり やすい。ただ、休符で息を止めて切ってしま うのではなく、息は続けて軽く休むだけにす る。難しいようではあるが、リズムに乗ってく ると自然とできるようになってくる。もし、こ の休符で止まってしまったら、バスは休憩に入 り、遠足の場所にたどりつけない。遠足への期 待、うれしさという気持ちを生かして保育者も 歌う。身体表現をすればますます楽しい雰囲気 が作れるだろう。 お話の世界、遊びの世界で歌うことにより自 然と休符がとれるようになるだけでなくよりリ ズミカルに表現できるようになると考える。 ところが保育現場では、この作者の意図を理 解せず、子どもに教えていることが多い。保育 者は歌唱指導をする前に、楽譜を良く読み、教 材研究をする必要がある。 前奏から歌に入るときの指導であるが、「バ スごっこ」の場合、どこから入ってよいかわか りにくいが、指導方法によってうまく歌いだす
ことができる。 前奏から歌に入った時に「バスに乗れた?」 とピアノを止め、子ども達に尋ねる。子ども自 身に判断させるのである。「乗れてない」と答 えたら、前奏を弾き、バスに乗れたかどうかを 尋ねる。これを繰り返すと前奏から歌に入るタ イミングを子ども自身が理解することができる し、ピアノの音をよく聴こうとする。またこの 前奏のリズムに合わせて子どもが身体を動かす。 全員がバスに乗れないと出発ができないのであ るから、全員が「乗れた」と言ったらバスは出 発する。つまり前奏から続けて歌うのである。 歌は遊びの世界であるから、保育者も遊びの世 界を忘れずに工夫すれば子どもの表現意欲が高 まると考える。 「やまのともだち」 倉橋惣三作詞・小林宗作作曲(資料3) この歌(資料3)には戸倉ハルの振付がついて いる。(遊戯『山のともだち』(秋の保育の實 際)(23)振付には「キノコがニョキニョキ出る 表現」とある。これは子どもが自然にする動作 と同じである。このような振付をつけて踊ると 歌もいっそう楽しいものになると思う。友達と 一緒に声を合わせて歌うだけでも楽しいのであ るから、歌いながら身体表現をするともっと楽 しいものになるだろう。 歌うことも、楽器を奏することも、体を動か すことも、それぞれが独立した活動ではなく、 歌いながら楽器を奏する、歌いながら体を動か す、などさまざまに重なり合う。幼児の表現活 動は、感性豊かな保育者の働きかけによって誘 発され、生き生きと展開するだろう(24)。 幼年児童教育研究 第31号 − 31 − という、規定どおりのシンコペーションを適用してい るものとは言えないが、それと同様の効果を生んでい ると言える。 音楽的に考えてもこの休符があることで歌の面白さ が伝わり、子どもの心が弾むのである。ところがこの 休符をどのように指導するか、保育者の工夫が問われ るところである。 次の事例1は筆者がこの休符を子ども達に感じ取ら せたいと考えたものである。 〔事例1〕「バスごっこ」 保育者の範唱は楽譜通り、休符を意識して歌うが、 子どもに歌わせるとどうしても休符を取らず伸ばし てしまう。そこで子どもの歌い方を真似て歌う。少 しオーバーに、わざと休符を無視して伸ばし、特に 「スー」を強調して子ども達に聞かせ、考えさせる。 保育者「おおがたバス~」 子ども「タイヤの空気が抜けしまう。」 保育者「タイヤの空気が抜けるとバスはどうなるか な。」 子ども「タイヤがペッちゃんこになって、遠足に行け ない。」 保育者「せっかく遠足に行くのにタイヤの空気が抜け たら走らないね。」 このやりとりだけで子ども達はどのように歌えばよ いのか感覚的にわかるようである。それをもっと確か なものにするために保育者が休符のところを両手で軽 く握って示すとよりわかりやすい。ただ、休符で息を 止めて切ってしまうのではなく、息は続けて軽く休む だけにする。難しいようではあるが、リズムに乗って くると自然とできるようになってくる。もし、この休 符で止まってしまったら、バスは休憩に入り、遠足の 場所にたどりつけない。遠足への期待、うれしさとい う気持ちを生かして保育者も歌う、身体表現をすれば ますます楽しい雰囲気が作れるだろう。 お話の世界、遊びの世界で歌うことにより自然と休 符がとれるようになるだけでなくよりリズミカルに表 現できるようになると考える。 ところが保育現場では、この作者の意図を理解せず、 子どもに教えていることが多い。保育者は歌唱指導を する前に、楽譜を良く読み、教材研究をする必要があ る。㻌 前奏から歌に入るときの指導であるが、「バスごっ こ」の場合、どこから入ってよいかわかりにくいが、 指導方法によってうまく歌いだすことができる。 次に前奏から歌に入った時に「バスに乗れた?」と ピアノを止め、子ども達に尋ねる。子ども自身に判断 させるのである。「乗れてない」と答えたら、前奏を弾 き、バスに乗れたかどうかを尋ねる。これを繰り返す と前奏から歌に入るタイミングを子ども自身が理解す ることができるし、ピアノの音をよく聴こうとする。 またこの前奏のリズムに合わせて子どもが身体を動か す。全員がバスに乗れないと出発ができないのである から、全員が「乗れた」と言ったらバスは出発する。 歌は遊びの世界であるから、保育者も遊びの世界を忘 れず、工夫すれば表現意欲が高まると考える。 「やまのともだち」 倉橋惣三作詞 小林宗作作曲 (譜例 3) という、規定どおりのシンコペーションを適用してい るものとは言えないが、それと同様の効果を生んでい ると言える。 音楽的に考えてもこの休符があることで歌の面白さ が伝わり、子どもの心が弾むのである。ところがこの 休符をどのように指導するか、保育者の工夫が問われ るところである。 次の事例1は筆者がこの休符を子ども達に感じ取ら せたいと考えたものである。 〔事例1〕「バスごっこ」 保育者の範唱は楽譜通り、休符を意識して歌うが、 子どもに歌わせるとどうしても休符を取らず伸ばし てしまう。そこで子どもの歌い方を真似て歌う。少 しオーバーに、わざと休符を無視して伸ばし、特に 「スー」を強調して子ども達に聞かせ、考えさせる。 保育者「おおがたバス
~
」 子ども「タイヤの空気が抜けしまう。」 保育者「タイヤの空気が抜けるとバスはどうなるか な。」 子ども「タイヤがペッちゃんこになって、遠足に行け ない。」 保育者「せっかく遠足に行くのにタイヤの空気が抜け たら走らないね。」 このやりとりだけで子ども達はどのように歌えばよ いのか感覚的にわかるようである。それをもっと確か なものにするために保育者が休符のところを両手で軽 く握って示すとよりわかりやすい。ただ、休符で息を 止めて切ってしまうのではなく、息は続けて軽く休む だけにする。難しいようではあるが、リズムに乗って くると自然とできるようになってくる。もし、この休 符で止まってしまったら、バスは休憩に入り、遠足の 場所にたどりつけない。遠足への期待、うれしさとい う気持ちを生かして保育者も歌う、身体表現をすれば ますます楽しい雰囲気が作れるだろう。 お話の世界、遊びの世界で歌うことにより自然と休 符がとれるようになるだけでなくよりリズミカルに表 現できるようになると考える。 ところが保育現場では、この作者の意図を理解せず、 子どもに教えていることが多い。保育者は歌唱指導を する前に、楽譜を良く読み、教材研究をする必要があ る。㻌 前奏から歌に入るときの指導であるが、「バスごっ こ」の場合、どこから入ってよいかわかりにくいが、 指導方法によってうまく歌いだすことができる。 次に前奏から歌に入った時に「バスに乗れた?」と ピアノを止め、子ども達に尋ねる。子ども自身に判断 させるのである。「乗れてない」と答えたら、前奏を弾 き、バスに乗れたかどうかを尋ねる。これを繰り返す と前奏から歌に入るタイミングを子ども自身が理解す ることができるし、ピアノの音をよく聴こうとする。 またこの前奏のリズムに合わせて子どもが身体を動か す。全員がバスに乗れないと出発ができないのである から、全員が「乗れた」と言ったらバスは出発する。 歌は遊びの世界であるから、保育者も遊びの世界を忘 れず、工夫すれば表現意欲が高まると考える。「やまのともだち」
倉橋惣三作詞 小林宗作作曲 (譜例 3) この歌には戸倉ハルの振付がついている。(遊戯『山 のともだち』 (秋の保育の實際)(14)振付には「キノコが ニョキニョキ出る表現」とある。これは子どもが自然 とする動作と同じである。このような振付をつけて踊 ると歌もいっそう楽しいものになるのではないかと思 う。友達と一緒に声を合わせて歌うだけでも楽しいの であるから、歌と身体表現つながることでもっと楽し いものになるだろう。 歌うことも、楽器を奏することも、体を動かすこと も、それぞれが独立した活動ではなく、歌いながら楽 器を奏する、歌いながら体を動かす、などさまざまに 重なり合う。幼児の表現活動は、感性豊かな保育者の 働きかけによって誘発され、生き生きと展開するだろ う。(15) 【歌詞の一部】 きのはひらひら かれはザクザク きのこがにょっき にょっき どんぐりコウロコウロ 下線の擬態語によって、ものの様子がよくわかるの でイメージしやすく、子どもはそのものらしく表現し ようとする。特に「ザクザク」という言葉は、枯葉を 踏みしめているイメージで上半身を上下に動かし「ザ ックザック」と歌う。この歌詞の最後、「みんなそろ ってアッハッハ」のところでは体を反らし、本当に笑 っているように歌う。この歌によって山の情景が子ど もの中で膨らんでいくのであろう。園外保育に行った 子どもは歌と経験をだぶらせて表現するだろう。 前奏は軽快に今から山へ出かける子どものうれし そうなわくわくした気持を考えて弾むように弾くと よい。 「つきとさるのこ」 阪田寛夫作詞 大中恩作曲 この歌は、「新しいこどものうた 第 4 集ろばの会 編」の中の1 曲である。(譜例 4) 「ろばの会」は、1955 年(昭和 30 年)に発足した。 中田喜直、大中恩、磯部俶、中田一次、宇賀神光利の 5 人はすでに『うたのおばさん』などの幼児番組や保 育絵本に芸術的価値の高い作品を発表していたが、外 部からの依頼ではなく主体的に子どもたちのために歌 を作ろうと考え、『赤い鳥』の血をひく詩人たちもその 意志をくみ詩を提供した。(16) 「うたのおばさん」とは、終戦直後の貧しい時代に、 「歌」は最も重要な娯楽の一つだったが、いわゆる流 行歌には、子どもの歌唱にふさわしくないものも多く、 健全な子どものための音楽文化育成のために、番組が 制作された。当時は、幼稚園や保育園に通う子どもは まだ少なく、団塊の世代とその前後の、多くの人たち が当番組を聞いていた。戦後の童謡の黄金期を作った。 月1 - 2 回の外出録音を実施し、幼児と密接になるよう (譜例2) (譜例3)【歌詞の一部】 きのはひらひら かれはザクザク きのこがにょっき にょっき どんぐりコウロコウロ 下線の擬態語によって、ものの様子がよくわ かるのでイメージしやすく、子どもはそのもの らしく表現しようとする。特に「ザクザク」と いう言葉は、枯葉を踏みしめているイメージで 上半身を上下に動かし「ザックザック」と歌う。 この歌詞の最後、「みんなそろってアッハッハ」 のところでは体を反らし、本当に笑っているよ うに歌う。この歌によって山の情景が子どもの 中で膨らんでいくのであろう。園外保育に行っ た子どもは歌と経験をだぶらせて表現するだろ う。 前奏は軽快に今から山へ出かける子どものう れしそうなわくわくした気持ちを考えて弾むよ うに弾くとよい。 「つきとさるのこ」 阪田寛夫作詞・大中 恩作曲 この歌は、「新しいこどものうた 第4集ろ ばの会編」の中の1曲である。(資料4) 「ろばの会」は、1955年(昭和30年)に発足 した。中田喜直、大中恩、磯部俶、中田一次、 宇賀神光利の5人はすでに『うたのおばさん』 などの幼児番組や保育絵本に芸術的価値の高い 作品を発表していたが、外部からの依頼ではな く主体的に子どもたちのために歌を作ろうと考 え、『赤い鳥』の血をひく詩人たちもその意志 をくみ詩を提供した(25)。 昭和20年代から30年代前半の保育現場は、 日々の子どもの生活とかかわりが深い季節や行 事、生活習慣、指・手遊び、遊戯などの実用音 楽が中心で、純音楽的なクラシック系の作曲家 が作った曲を積極的に取り入れることはなかっ た。しかし、『うたのおばさん』『うたのえほん』 『おかあさんといっしょ』などから流れる歌に 鋭く反応する子どもたちの姿を目のあたりにし て、保育現場に変化が起こってきた。親が幼児 教育の必要性を認め始めたともいえる(26)。 「ろばの会」の一員でもあり、この歌の作詞 者でもある阪田寛夫は、「子どもに媚びるよう な歌詩を廃止、「詩的」なものよりは「詩」そ のものを直接歌う」(27)と述べ、さらに「世間 の趣味や技術レベルに妥協しないで、芸術上の 判断だけに従って作曲したこと。音程やリズム や伴奏の難しさも、それが必要な時は避けなか った」(28)と述べている。確かにこの曲は、音 域の広さに加え、音程のとりにくいところがあ る。またリズムの難しいところもあるが、歌詞 が子どもの心を揺さぶるものであり、工夫がで きる。歌を創り上げていくプロセスが楽しい曲 であると思う。そこで歌唱指導を工夫しながら、 考えながら、実践を行った。 ○保育者はピアノの音を小さくし、しっかり 歌う。 ○「落っこちた」の音程を正確にとり、「お 池にゆらゆら」を本当に揺れているように クレッシェンドとデクレッシェンドを意識 して範唱をする。 ○音程とリズムがとれるようになったら伴奏 をつける。音がとれないうちに伴奏をつけ ると子どもが混乱するので、メロディをし っかり弾く。 ○速さは初めはゆっくり弾き、だんだん速く する。 ○前奏から歌に入る出だしの音をそろえるた めに「ハイ」と声をかけるが、そろいかけ たら保育者が歌に入るときに息を吸って呼 吸を整える。出だしの音がそろったら「ハ イ」も息を吸って合図をするのをやめる。
歌唱指導 1日目 保育者「『つきとさるのこ』という歌を歌 います。その中で動物が出てきます。どん な動物が出てくるか聞いててね。」 保育者「何が(動物)出てきたかな?」 子ども「さるや」 保育者「何匹?」 子ども「6匹」 保育者「おさると何が出てきたかな」 子ども「お月様」 保育者「みんな、お月様、知ってる?」 子ども「知ってる。こんなんや、こんな ん。」 (身振りで満月や三日月、いろいろな形を 表す) 保育者「一緒に歌えるところがあったら 歌おうね。間違えても気にしなくていい よ。」 歌い終わって、 保育者「お月様がどうなった歌なのかな」 子ども「落ちてきた。池に。」 子ども「違う、違う。お月様が池に映った んや。」 本当にお月様が池に落ちてきたと思ってい る子どもが半数いる。 保育者「お月様がみんなの上に落ちてきた らどうする?」 子ども「ドッカーン。そんなことないわ。 お月さんは高いところにおるから落ちてく るはずないやんか」 情景の浮かぶ子どもはどんどん答えが返って くるが、そうでない子どもは頭の中が混乱して いるようなので歌詞を物語風にして子どもに話 す。 ある夜、お月様が池に映っていました。 風が吹いて池に映ったお月様がゆらゆら揺 れているのを見て、1匹のさるが「おーい、 みんな、お月様が落ちてきたぞー」と仲間 のさるに知らせました。レモン色のおいし そうなお月様は落ちてきたのではなく、池 に映っていたのでした。それを見てさるは、 「お月様、おいしそう。食べたいな」と言 って喉をゴックンと鳴らしました。 「つきとさるのこ」は音域は広いが、指導方 法の工夫によって正しく音がとれるようになる。 歌詞の「おっこちた」というところでは「落っ こちたから拾おうか」と両手で月を拾う動作を つけて歌うと音程がとれる。また、音程の外れ ているところは、メロディを弾いて耳に集中さ せて聴かせると、音がとれるようになる。ゆっ 幼年児童教育研究 第31号 − 33 − 「つきとさるのこ」は音域は広いが、指導方法の工 夫によって正しく音がとれるようになる。歌詞の「お っこちた」というところでは「落っこちたから拾おう か」と両手で月を拾う動作をつけて歌うと音程がとれ る。また、音程の外れているところは、メロディを弾 いて耳に集中させて聴かせると、音がとれるようにな る。ゆっくり一つ一つの音をとりながら歌う。子ども の音程が外れていてもなんとも思わない保育者もいる が、自分の声がピアノの音とあったら気持ちがよいこ とや友達と声を合わせて歌うと楽しいという気持ちを 味わわせるためにも、また音楽性という点でメロディ や歌詞がいい加減にならないようにしなければいけな い。保育者の指導の工夫によって音がとれるようにな り、歌に感情がこもってくる。 歌唱指導の中で、歌詞「ろっぴき」が「のっぴき」 になるので、「ろっぴき」が「6 匹」であることをわか らせ、メロディをつけず、歌詞だけをはっきり口を開 けて言うと次第に「ろっぴき」と歌えるようになる。 また歌からイメージを広げ、絵を描き、描くことで歌 詞の理解が深まるだけでなく、子ども達が理解が出来 ているかが読み取れる。絵を描くことで子どもがどの ようにイメージを膨らませ、一人一人の子どもがどの ような思いで歌を歌っているのかが読み取れる。 「つきとさるのこ」は、静かな夜、山の猿が池に映 った月をレモン色のレモンパイだと思い込んで取ろう とする。月はよほどおいしそうに見えたのだろう。6 匹の猿が喉をゴックンと鳴らす、池に映った月がゆら ゆらと揺れてさぞかし猿はとるのに困っただろうと想 像する。そして池に映った月が取れなくてがっかりす る猿の気持ちにも共感できる。なんともロマンチック でどの歌詞、メロディを見ても子ども心をくすぐり、 虚構の世界へと引き込まれていく。 「そらはぱんやさん」 赤岡江里子作詞・田中正史作曲 この歌は「空」「雲」の世界がどうなっているのかと いう空想、想像の広がる歌である。(譜例 5)空を見上げ た時に、様々な形をした雲を見る。その雲がどうして できるのか、空にパン屋さんがいて次々とパンを作り 出していると想像するだけでも楽しくなる。前奏がと ても美しく、雲の流れるような雰囲気があり、うっと りする。 (譜例4)
くり一つ一つの音をとりながら歌う。子どもの 音程が外れていてもなんとも思わない保育者も いるが、自分の声がピアノの音とあったら気持 ちがよいことや友達と声を合わせて歌うと楽し いという気持ちを味わわせるためにも、また音 楽性という点でメロディや歌詞がいい加減にな らないようにしなければいけない。保育者の指 導の工夫によって音がとれるようになり、歌に 感情がこもってくる。 歌唱指導の中で、歌詞「ろっぴき」が「のっ ぴき」になるので、「ろっぴき」が「6匹」で あることをわからせ、メロディをつけず、歌詞 だけをはっきり口を開けて言うと次第に「ろっ ぴき」と歌えるようになる。また歌からイメー ジを広げ、絵を描き、描くことで歌詞の理解が 深まるだけでなく、子ども達が理解が出来てい るかが読み取れる。絵を描くことで子どもがど のようにイメージを膨らませ、一人一人の子ど もがどのような思いで歌を歌っているのかが読 み取れる。 「つきとさるのこ」は、静かな夜、山の猿が 池に映った月をレモンパイだと思い込んで取ろ うとする、レモン色のレモンパイはよほどおい しそうに見えたのだろう。6匹の猿が喉をゴッ クンと鳴らす、池に映った月がゆらゆらと揺れ てさぞかし猿は取るのに困っただろうと想像す る。そして池に映った月が取れなくてがっかり する猿の気持ちにも共感できる。なんともロマン チックでどの歌詞、メロディを見ても子ども心 をくすぐり、虚構の世界へと引き込まれていく。 「そらはぱんやさん」 赤岡江里子作詞・田中正史作曲 この歌は「空」「雲」の世界がどうなって いるのかという空想、想像の広がる歌である。 (譜例5)空を見上げた時に、様々な形をした 雲を見る。その雲がどうしてできるのか、空に パン屋さんがいて次々とパンを作り出している と想像するだけでも楽しくなる。前奏がとても 美しく、雲の流れるような雰囲気があり、うっ とりする。 保育者の範唱は、1番の「まっしろなこな」 は本当に白い粉をイメージして「ま」にアクセ ントをつけて歌う。「うさぎのパン」、「お耳 − 34 − 「つきとさるのこ」は音域は広いが、指導方法の工 夫によって正しく音がとれるようになる。歌詞の「お っこちた」というところでは「落っこちたから拾おう か」と両手で月を拾う動作をつけて歌うと音程がとれ る。また、音程の外れているところは、メロディを弾 いて耳に集中させて聴かせると、音がとれるようにな る。ゆっくり一つ一つの音をとりながら歌う。子ども の音程が外れていてもなんとも思わない保育者もいる が、自分の声がピアノの音とあったら気持ちがよいこ とや友達と声を合わせて歌うと楽しいという気持ちを 味わわせるためにも、また音楽性という点でメロディ や歌詞がいい加減にならないようにしなければいけな い。保育者の指導の工夫によって音がとれるようにな り、歌に感情がこもってくる。 歌唱指導の中で、歌詞「ろっぴき」が「のっぴき」 になるので、「ろっぴき」が「6 匹」であることをわか らせ、メロディをつけず、歌詞だけをはっきり口を開 詞の理解が深まるだけでなく、子ども達が理解が出来 ているかが読み取れる。絵を描くことで子どもがどの ようにイメージを膨らませ、一人一人の子どもがどの ような思いで歌を歌っているのかが読み取れる。 「つきとさるのこ」は、静かな夜、山の猿が池に映 った月をレモン色のレモンパイだと思い込んで取ろう とする。月はよほどおいしそうに見えたのだろう。6 匹の猿が喉をゴックンと鳴らす、池に映った月がゆら ゆらと揺れてさぞかし猿はとるのに困っただろうと想 像する。そして池に映った月が取れなくてがっかりす る猿の気持ちにも共感できる。なんともロマンチック でどの歌詞、メロディを見ても子ども心をくすぐり、 虚構の世界へと引き込まれていく。 「そらはぱんやさん」 赤岡江里子作詞・田中正史作曲 この歌は「空」「雲」の世界がどうなっているのかと いう空想、想像の広がる歌である。(譜例 5)空を見上げ た時に、様々な形をした雲を見る。その雲がどうして できるのか、空にパン屋さんがいて次々とパンを作り 出していると想像するだけでも楽しくなる。前奏がと ても美しく、雲の流れるような雰囲気があり、うっと りする。 保育者の範唱は、1 番の「まっしろなこな」は本当に 白い粉をイメージして「ま」にアクセントをつけて歌う。 「うさぎのパン」、「お耳を少し ひっぱって伸ばす」は、 やさしくパン生地を引っ張る動作をしながら歌う。 2 番のグローブのパンとボールのパンも同じである。 「ボールのパン」の歌詞のところでは、丸める動作をし ながら歌い、グローブは手を見せ、今からキャッチボー ルが始まるという雰囲気を漂わせる。 3 番になるとパン屋さんの居眠りでパンが真っ黒に焦 げてしまう。居眠り、雷、逃げるという歌詞のところは 保育者が身振り手振りでしなくても子どもが自然と動 作をつけて歌う。子どもは自分がパン屋さんになったつ もりで歌っているので腕組みをしてコックンコックン と居眠りの身体表現をしながら歌う。そしてこれまでの パン作りから一変して雷が鳴りだすとパン屋さんは急 ン」のときは両手を胸のところで下から上に向かって拳 を広げたり、胸の位置から下に向けて拳をたたきつけた りする身体表現をする子どももい いる。 子ども達がこの歌が好きな理由は、自分がパン屋に なったつもりになって次々にパンを作っていく、それ も雲という手の届かない、空の世界に様々な夢を抱き、 想像することの楽しさと歌詞が身体表現につながりや すいところではないだろうか。 歌唱指導をするときに、保育者自身がパン屋さんに なったつもりで「その気」になって、身振り手振りで 範唱すると、子ども達も「その気」になって歌う。時 には「おいしいパン焼けたね」と食べる動作もつける と子どもは大変喜ぶ。 6保育者の範唱 歌唱指導をするにあたり、保育者自身の歌う技術に ついて考えたい。多くの記述にある「楽しんで歌う」 は、微笑んで歌えばよいということではない。それは 曲の魅力が伝わる、子どもの心をひきつける歌い方 (声や表情も含めて)でありたい。()保育者自身が 歌の歌詞を理解し、物語の情景を思い浮かべながら、 表情豊かに範唱することが大切である。 保育者自身が歌うことに喜びを感じ、常に新鮮な気 持ちで、ひそやかながらきらきらとした光を放ち、表 情豊かに範唱してみせることが、何よりの指導となる。 (21) 保育者の範唱は、子どもの歌いたいという気持ち を引き出すものである。 筆者が保育現場に勤務しているときに歌の指導をし て頂いていた講師先生から、「先生は女優。子どもをど うやってこちら(保育者)の方を向かせるか。怒って 向かせるのではなく、子ども自身が歌を歌いたくなる ような気持ちにさせる」という助言を受けた。子ども が横を向いていたり、違うことを考えていたりしたら その子を注視して自分の方に向かせようとしていた。 (資料4) (譜例5)
を少し ひっぱって伸ばす」は、やさしくパン 生地を引っ張る動作をしながら歌う。 2番のグローブのパンとボールのパンも同じ である。「ボールのパン」の歌詞のところでは、 丸める動作をしながら歌い、グローブは手を見 せ、今からキャッチボールが始まるという雰囲 気を漂わせる。 3番になるとパン屋さんの居眠りでパンが真 っ黒に焦げてしまう。居眠り、雷、逃げるとい う歌詞のところは保育者が身振り手振りでしな くても子どもが自然と動作をつけて歌う。子ど もは自分がパン屋さんになったつもりで歌って いるので腕組みをしてコックンコックンと居眠 りの身体表現をしながら歌う。そしてこれまで のパン作りから一変して雷が鳴りだすとパン屋 さんは急いで逃げようと駆け足の格好をしなが ら歌う。雷になると声を大きくし、鋭く、両手 で稲妻を表す。「ボンボンボン」のときは両手 を胸のところで下から上に向かって上げ、拳を 広げたり、胸の位置から下に向けて拳をたたき つけたりする身体表現をする子どももいる。 子ども達がこの歌が好きな理由は、自分がパ ン屋になったつもりになって次々にパンを作っ ていく、それも雲という手の届かない、空の世 界に様々な夢を抱き、想像することの楽しさと 歌詞が身体表現につながりやすいところではな いだろうか。 歌唱指導をするときに、保育者自身がパン屋 さんになったつもりで「その気」になって、身 振り手振りで範唱すると、子ども達も「その 気」になって歌う。時には「おいしいパン焼け たね」と食べる動作もつけると子どもは大変喜 ぶ。 6 保育者の範唱 歌唱指導をするにあたり、保育者自身の歌う 技術について考えたい。多くの記述にある「楽 しんで歌う」は、微笑んで歌えばよいというこ とではない。それは曲の魅力が伝わる、子ども の心をひきつける歌い方(声や表情も含めて) でありたい(29)。保育者自身が歌の歌詞を理解 し、物語の情景を思い浮かべながら、表情豊か に範唱することが大切である。 保育者自身が歌うことに喜びを感じ、常に新 鮮な気持ちで、ひそやかながらきらきらとした 光を放ち、表情豊かに範唱してみせることが、 何よりの指導となる(30)。保育者の範唱は、子 どもの歌いたいという気持ちを引き出すもので ある。 筆者が保育現場に勤務しているときに歌の指 導をしていただいていた講師の方から、「先生 は女優。子どもをどうやってこちら(保育者) の方を向かせるか。怒って向かせるのではなく、 子ども自身が歌を歌いたくなるような気持ちに させる」という助言を受けた。それまで子ども が横を向いていたり、違うことを考えていたり したらその子を注視して自分の方に向かせよう としていた。そうではなく、子どもの心を揺さ ぶるような歌い方を工夫して子どもを保育者の 方に向かせる努力をすることが教材研究でもあ る。 歌唱指導をするにあたり、保育者自身が教え ようとする歌をどう表現しようとするのか、教 師の範唱で子どもの心をつかみ、歌いたいとい う気持ちを抱かせたいものである。何事も学ぶ ことの第一歩は、真似をするところから入る、 とよくいわれる。幼児の歌唱も周囲の歌声を聴 いて模倣するところから出発する(31)。 7 おわりに 最近の保育現場で歌われている歌は、子ども の音域を超えるものやリズムが複雑なもの、歌 幼年児童教育研究 第31号 − 35 −
詞が子どもには難しく、子どもの世界から離れ てしまっているもの、曲が長く、覚えるのが困 難なものが多いように思われる。 子どもの心に残る歌、大人になった時にふと 思い出し、口ずさめる歌を保育者は選曲しなけ ればならないと思う。そしてその歌の伝え方、 指導方法も研究しなければならない。 子どもが楽しんで歌える歌を考えた時、選曲 が問題になる。子どもの音域に合ったもの、歌 詞が子どもにわかるもの、子どもの心情に合っ たもの、工夫ができるものなどを選ぶとよいで あろう。また身体表現や楽器遊び、絵画表現等 に発展できるものも望ましい。 モデルとしての保育者を考えたとき、ピアノ が上手に演奏できることや絵が上手に描けるこ とは、実はそれほど問題ではない。表現の質以 上に保育者自身が音楽を楽しんでいたり、楽し そうに絵を描いていたりといった姿勢そのもの が、子どもの表現する意欲をそそるモデルとな るからである(32)。 曲の魅力を保育者自身が理解し、それをどう 表現するか、保育者の表現力が子どもに歌が好 き、歌いたいという気持ちを抱かせるのではな いだろうか。これは歌唱指導だけではなく、保 育全般に通じることではないか。それが磨くべ き保育者の技能・技術ではないだろうか。さら にピアノの演奏がどんなに上手であっても、子 どもとともに音楽を楽しむ姿勢のない保育者は、 子どもの表現を本質的な意味で育てることはで きない(33)。保育者が上手にピアノを弾いても 子どもの歌える速さに合っていなかったら、歌 いにくい。また歌詞が不明瞭であるのに伴奏が 速いと歌いたくても歌えない。保育者が子ども 一人一人、どんな声で、どんなふうに歌ってい るのか関心を持っていないと音程やリズムが合 っていなくても気づかない。保育者は子どもと ともに生活をする人的環境であり、子どももと ともに音楽表現を楽しみたいものである。 「歌う」と「聴く」は表裏一体である。ピア ノの音と合い、友達の声とそろうという喜びが 子どもの表現意欲を高める。「音」を意識する、 自分の声、友達の声、周りの音を意識する。楽 器遊びでも「音」を意識すると子ども自ら美し い音を見つけ出す。保育者自身が「音」を意識 しなければ子どもの「聴く」という姿勢は育た ないだろう。「聴く」ことは、歌だけに限らず、 「音あそび」からも子どもの「聴く耳」を育て ることができる。 これまでの保育現場では表現能力の指導が重 視される傾向が強かった。ここでいう表現能力 は、上手に歌う技術や上手に描く技術などを身 につけさせることによって高まると考えられて いたので、保育者には上手な技術の指導が求め られたのである(34)。技術に走ってしまうと子 どもが楽しくなくなる。保育者が技術の指導 にこだわると、子どもがきれいな声でいくら上 手に歌うようになってもその顔は無表情にな り、楽しさが感じられない。歌うことの楽しさ や、描くことの楽しさ、表現することの楽しさ を一人一人の子どもに味わわせ、「もっと表し たい」と思える子どもを育てることが保育者の 役割である。 表現は表現した結果ではなく、表現するプロ セスに目が向けられなければならない。子ども が歌詞やメロディを覚えて歌えるようになった 結果ではなく、みんなで歌を創り上げていくプ ロセスが大切である。もっと表現するプロセス に目を向けるべきである。 引用文献 (1)黒川建一・小林美実編著『保育内容表現 (第2版)』、建帛社、2012、p1.