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明治維新期における大蔵省銀行検査 : 日本の銀行業の近代化

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(1)研究ノート. . 明治維新期における大蔵省銀行検査 ──日本の銀行業の近代化──. 邉     英  治 目次 1.はじめに.   ⑴岩崎小二郎銀行課長による実地検査. 2.日本の銀行業の近代化について.   ⑵大蔵検査の着眼点. ⑴機械制大工業の成立の視点 ⑵独占の進展(銀行合同の進展)の視点 ⑶預金銀行化の進展の視点(預金業務) ⑷リスク・マネジメントの展開の視点(貸出 業務) 3.維新期における大蔵検査体制 ⑴検査実施数  ⑵検査官 4.維新期における大蔵検査の実態① ―第三十二国立銀行を題材に―  4- 1 第三十二国立銀行の概要  4- 2 大蔵検査の実態 1.はじめに.   ⑶外山と堤による再検査 4- 3 小括 5.維新期における大蔵検査の実態②   ―第十六国立銀行を題材に―  5- 1 第十六国立銀行の概要  5- 2 大蔵検査の実態   ⑴岩崎小二郎銀行課長による実地検査   ⑵外山と堤による再検査    ⑶渡辺頭取の嘆願  5- 3 小括 6.おわりに. 他方で,新たに銀行業を営もうとする者たち (商人,華士族,地主)は,近代的な銀行業に関.  周知のように,明治維新期において,政府は. する知識を基本的には持ち合わせていなかった. 「富国強兵」 ・ 「殖産興業」を進めるための金融. と思われる.では,このような政府と民間との. 的な仕組みとして,銀行制度,株式会社制度の. ギャップはどのように埋められていったのだろ. 導入を図った.銀行制度については,紆余曲折. うか. 本稿では, 近代的な銀行業の育成に関わっ. を経て,アメリカを模範とする国立銀行制度が. て,大蔵省の政策を検討する 2).. 採用されるに至る.その中で,大蔵省銀行検査.  明治維新期における銀行業の近代化政策に. (実地検査)が開始されたのである.. は,国立銀行条例の制定に象徴されるような法.  ところで,日本には江戸期においても両替商. 制度の整備,啓蒙を目的とする銀行学伝習所の. という有力な金融業者が存在しており,為替業. 開設といったどちらかといえばマクロ的な政策. 務を中心に活発な金融活動を展開していた.し. と,個々の国立銀行を直接チェックして諸々の. かしながら,政府が“bank”の訳を「両替屋」. 問題点を摘発し,その改善を指導することを通. とせず「銀行」としたこと 1)からも窺えるよう. じて近代化を個別的なレベルで誘導していく実. に,政府は銀行業を両替商とは異なる近代的金 融機関と想定していたと考えられる.もっとも, 1)第一銀行八十年史編纂室編(1957)64 頁.. 2)もちろん,本稿は銀行の支配人などの努力に よって近代化が促進された側面を否定しているわ けではない.大蔵省と銀行経営者の双方があいま って,近代化が進展したとさしあたり考えている.. 『エコノミア』第 58 巻第 2 号(2007 年 11 月),1 - 24 頁[Economia Vol. 58 No.2(November 2007),pp.1 - 24].

(2) . 地検査を柱とするミクロ的な政策が存在する.. そこで,大蔵検査の検討に移る前に,本節では. 本稿が取り上げるのは,後者(大蔵省銀行検査). 「日本の銀行業の近代化」という別の視点から,. である.. 簡単な整理を行う..  本稿でも明らかとなるが,近代的な銀行業の 知識に乏しい明治維新期の銀行経営者の多く. ⑴機械制大工業の成立の視点. は,大蔵省の定めた法令や制度の趣旨を十分に.  産業革命(企業勃興)について多くの著作が. 理解していたとは言い難い状況であった.この. ある高村直助氏らは,製造業,農業,商業,鉄. ような状況下,国立銀行を個別的に指導する大. 道業など幅広い産業を取り上げたが,民間の銀. 蔵省銀行検査は,銀行業の近代化を推進するに. 行業を正面から分析対象とすることは基本的に. あたって重要な政策の 1 つであったと考えるこ. なかったように思われる.例えば,高村直助編. とは,自然であろう.実際,本稿で明らかとな. (1992)や高村直助編(1994)においても,民. るように,大蔵省は実地検査を通じて,国立銀. 間の銀行業は取り上げられていない.したがっ. 行の近代化を誘導していたのである.にもかか. て,実は,銀行業の近代化の指標に関する教科. わらず,明治維新期における大蔵省銀行検査に. 書的な考え方は,おそらく存在しないように思. ついて,一次史料に基づきつつ,銀行業の近代. われる.. 化政策という視点で,正面から検討されること.  製造業の場合には,動力の機械化の進展,電. は,これまでなかったように思われる 3).. 化,自動化, 「熟練の解体」→「半熟練」化, 「効.  明治維新期の大蔵省銀行検査の実態を一次史. 率的な組織の形成」などを,近代化の指標とす. 料に即して明らかにすることを通じて,日本に. ることができよう.仮に,同様の考え方を銀行. おける銀行業の近代化過程の一端を解明するこ. 業に適用すれば,日本の銀行業の近代化は,コ. と,これが本稿の主な目的である.. ンピュータや現金自動預入支払機(ATM)が. 2.日本の銀行業の近代化について. 導入される 1960 年代から 1970 年代において, ようやく成立したと結論づけることも可能かも.  周知のように,日本金融史研究の有力なサー. しれない.しかしながら,このような考え方に. ベイの 1 つとして石井寛治(2001)がある.石. やや違和感を覚えるのは,私だけではないだろ. 井寛治(2001)は, 「制度的接近から機能的接. う.. 近へ」 (1950 年代), 「産業金融史的接近」 (1960 年代∼) ,「金融市場・決済制度的接近」 (1970. ⑵独占の進展(銀行合同の進展)の視点. 年代∼) , 「金融政策史的接近」(1980 年代∼).  伝統的に,日本の銀行業に関する研究では,. と発生史順に研究を整理している.確かに,こ. 独占の進展(銀行合同の進展)が注目されてき. のような整理方法はオーソドックスであり一般. た 4).やや強引かもしれないが,見方をかえれ. には有用だが, 本稿の「日本の銀行業の近代化」. ば,銀行合同に関する一連の研究は,銀行業の. という視点からは十分には参考とはならない.. 近代化の指標として独占の進展を想定していた とみることもできる.しかしながら,戦前期に. 3)もっとも,個別の銀行史の中で,大蔵省銀 行検査が取り上げられていることはある.詳しく は,本稿の第4節を参照されたい.また,明治財 政史編纂會編(1905)は,「銀行検査手続」や「銀 行視察之心得」などを紹介しており,大蔵検査の 制度的枠組みを知る上で有益である.なお,邉英 治(2003),邉英治(2004)及び邉英治(2006)は, 国立銀行時代の大蔵省銀行検査についても言及し ている.. おける独占の進展は,紡績業をはじめ,他の産 業でもよくみられた現象である.したがって, 銀行業独自の近代化を示す指標としては,あま り意味がないように思われる 5).また,規模を 基準にとれば,江戸期の三井や鴻池のような大 4)進藤寛(1961),後藤新一(1968)など..

(3) . 規模両替商も近代的な銀行(金融機関)に位置. あったのではなかろうか.すなわち,資金源泉. づけられる可能性が出てくるかもしれない.こ. が資本金中心であれば,資金運用は収益性のみ. のような議論に違和感を覚える読者もまた少な. を追求して特定の貸出先に集中してもそれほど. くなかろう.. 問題はないと極論することもできるかもしれな.  以上の簡単な検討から,近代化については,. いが,資金源泉が預金中心になると,預金取付. 銀行業固有の視点から検討する必要性が示唆さ. のリスクが発生し,さらに決済システムの安定. れたように思われる.周知のように,銀行の主. 的運営や零細預金者保護(弱者保護)といった. 要な業務は,預金業務と貸出業務である.以下. 公共性が銀行に付加されるため,資金運用は収. では,それらに従って検討する.. 益性だけでなく, 満期構成や安全性 (クレジット・ リスクなど)にも配慮しなければならなくなる.. ⑶預金銀行化の進展の視点(預金業務). にもかかわらず,資金運用が,従来同様,特定の.  預金銀行化の進展についての一連の研究は有. 関係企業等に集中しているような銀行は,とて. 益な視座を提供してくれる.周知のように,明. も近代的とはいえないと考えられるのである 8).. 治維新期における日本の銀行業は自己資本比率 が高く,どちらかといえば,高利貸しに近い存. ⑷リスク・マネジメントの展開の視点(貸出業務). 在であった.その後,銀行の資金源泉は,徐々.  本稿では,リスク・マネジメントの展開とい. に資本金から預金へとシフトしていくこととな. う視点が,銀行業の近代化を示す指標の1つと. る .そして,それに伴って預金支払準備も拡. して,有効なのではないかと考える.というの. 充されていく .したがって,預金銀行化の進. は,銀行業の資金的基盤が資本金から預金へ移. 展という視点は,銀行業の近代化を示す 1 つの. 行していくにつれて,リスク・マネジメントの. 指標となりうると考えられる.しかし,預金銀. 重要性は増大していくからである.さらに,ク. 行化の進展という指標だけでは,日本の銀行業. レジット・リスクだけではなく,金融市場の発. の近代化を検討する指標としては十分ではな. 達や国際化の進展はマーケット・リスクやカン. い.. トリー・リスクを増大させるし,銀行規模の拡.  かつて,加藤俊彦(1957)は,融資先が特定. 大はオペレーショナル・リスクを増大させる.. の関係する企業や個人に偏っているような日本. 近代的な銀行業にとって,リスク・マネジメン. の銀行業の特徴を「機関銀行」と規定した.加. トの展開は必要不可欠といってよいだろう.裏. 藤氏がこのように考えた背後には,資金源泉が. を返せば,リスク・マネジメントの進展は,銀. 6). 7). 資本金から預金へとシフトしているのにもかか わらず,資金運用が旧態依然としているのは, とても近代的な銀行業とは言い難いという点が. 5)なお,現在の日本の銀行業の特徴として,規 模の大きさと収益性の低さが指摘されることがあ る.そして,欧米の銀行と比較して,日本の銀行 の低収益性が問題視されることも多い.このこと も,銀行業の近代化という観点からは,銀行合同 の進展という指標の無意味性を示唆していると考 えられる. 6)石井寛治(1970),寺西重郎(1990)など. 7)例えば,粕谷誠(1991a,1991b)は,三井銀 行を題材にして,支払準備の充実化のプロセスを 明らかにしている.. 8)なお,近代的な銀行システムの特徴として信 用創造が強調されることが多い.もっとも,信用 創造は,個々の銀行が預金・貸出業務を行う結果 として生じるものである.この点については,別 稿で詳しく論じる予定である. 9)この点については,靎見誠良(1991)が強調 した内国金融市場の発達(金利水準の低下等)や 伊藤正直(1989)が強調した国際金融市場の発展 との関連など,深く掘り下げる必要がある(銀行 の三大業務の 1 つである為替業務との関連).もっ とも,内国為替市場の発展(為替業務)の視点を 強調すると,日本の銀行業(金融業)の近代化は, 既に江戸期において,大きく進展していたという 結論になるかもしれない.別稿で詳しく検討した い..

(4) . 表1 明治維新期における国立銀行に対する大蔵検査実施数の推移(1875 ~ 1885 年)   検査回数 a 銀行数(本店)b カバレッジ(a/b). 1875 23. 1876 18. 1877 13. 1878 65. 1879 107. 1880 177. 1881 191. 1882 54. 1883 34. 1884 7. 1885 14. 4. 5. 26. 95. 151. 151. 148. 143. 141. 140. 139. 575%. 360%. 50%. 68%. 71%. 117%. 129%. 38%. 24%. 5%. 10%. 出所)明治財政史編纂會編(1905)603 ∼ 605 頁;大蔵省編纂(1937)79 頁.. 行業の近代化を示す1つの指標となりうるので. 隈重信大蔵卿時代の検査頻度は高い.例えば,. ある.. 1880 年( 明治 13 年 )の検査頻度は,1 年に 1.  機械制大工業の成立や独占の進展(銀行合同. 回を超えている.推測の域を出ないが,大隈は. の進展)ではなく,預金銀行化の進展を考慮し. アメリカ型銀行システムの形成・定着を意識し. つつ,リスク・マネジメントの展開に着目する. て,銀行検査を励行していたのではないだろう. のが,銀行業の近代化過程を考察する際,重要. か.. な指標となりうると,本稿ではさしあたり考え.  これに対して,1882 年( 明治 15 年 )以降,. ることとしたい 9).. すなわち松方正義大蔵卿時代は,著しく検査頻. 3.維新期における大蔵検査体制. 度が減少している.周知のように,松方は日本 銀行の設立を通じて中央集権的な銀行システム.  国立銀行に対する大蔵検査は,国立銀行条例. への転換,中央集権的紙幣制度の確立(「貨幣. 第 73・74 条の趣旨に従って実施される.明治財. 運用ノ機軸ヲ定ム」)を目指していたから 11),ア. 政史編纂會編(1905)には, 「銀行ノ業務未タ全. メリカ的な銀行検査を後回しにした可能性があ. ク整備セス」 , 「其役員タル大抵皆舊来ノ商估ニ. る.なお,明治 10 年 10 月から銀行課長(明治. シテ簿記ノ法ヲ解スルモノ殆ント稀ナリ」とい. 13 年 5 月からは銀行局長)を務めていた岩崎. う記述がみられるから,検査の趣旨は銀行業務. 小二郎は精力的に実地検査を行っていたが,松. の内容に関わるものであったと考えられる 10).. 方が大蔵卿に就任した(明治 14 年 10 月)直後, 明治 14 年 11 月に更迭されてしまっている 12).. ⑴検査実施数.  明治期における銀行業は近代的貨幣制度の確.  明治維新期における国立銀行に対する大蔵検. 立を優先する政府の方針のため,自由放任で. 査の実施数の推移をみよう( 表1) .国立銀行. あったとイメージされることがあるが,それは. 条例改正以前において,銀行数は少なかったが,. 松方が大蔵卿に就任して以降のことであり,少. 検査は頻繁に行われていた.実施頻度が 100%. なくとも大隈大蔵卿時代は検査が頻繁に実施さ. を大幅に超過している年も多々みられることか. れており,国立銀行はさしあたり厳しい監督下. ら明らかなように,1年の内に数回検査がある. に置かれていたといえよう.. ことも珍しくなかった.国立銀行条例の改正後 しばらくは,原則 2 年に1回の検査頻度であっ たが,後の検討で明らかになるように,問題の ある銀行に対しては,何度も再検査が実施され ていた.  本節で特に注目したいのは,大蔵卿(大蔵大 臣 )と検査頻度との関係である.概して,大 10)明治財政史編纂會編(1905)638 ∼ 639 頁.. 11)松方正義「財政議」1881 年 9 月,『松方伯財 政論策集』(大内兵衛・土屋喬雄編『明治前期財政 経済史料集成』第 1 巻,1978 年,原書房,433 ∼ 438 頁) . 12)大蔵省百年史編集室(1973)22, 34, 163 頁. なお,後任は加藤済(銀行局長:1881 ∼ 1888 年) であった..

(5) . 表2 本稿で取り上げる実地検査に直接関わった大蔵省の役人 役職 銀行課長. 氏名 岩崎 小二郎. 銀行課員. 外山 脩造. 銀行課員. 堤 長發. 備考 後に,初代銀行局長となる.福岡県知事などを歴任する. 後に,第三十二国立銀行の総監役,日本銀行大阪支店長を歴任する. 後に,宮崎農工銀行の頭取を務める.. 出所)大蔵省百年史編集室(1973) ;武内義雄編(1928);泥谷良次郎(1934). 注)役職は,実地検査実施当時のもの.. ⑵検査官. 属された.当初, 「財政経済等のことは全く不.  当時,銀行検査官という専任のポストは存在. 案内」で, 「俄に銀行書を讀むやら簿記法を學. しなかったため,銀行課長や銀行課の役人達が. ぶやら彼れや之れやと焦り出し候得共中々譯が. 適宜実地検査に赴いていた.当時,実地検査を. 分り不申」という状態であったが,同年秋の岐. 担当した堤長發の書簡によると 13),外山脩造,. 阜及び大阪への実地検査に際して,外山脩造と. 山崎忠門,町野五八,遠藤敬止,藤村胖 らが,. 同行して指導を受けつつ実地で学んだ.明治 14. 大蔵省銀行「課中の先進」であったようである.. 年,岩崎銀行局長が更迭されるまで,検査業務. 本稿で取り上げる実地検査に登場するのは,次. に従事していた 16).その間, 大阪を中心に, 山梨,. の 3 名である(表2).. 長野,東北への実地検査に携わっている 17)..  銀行課長の岩崎小二郎は,初代銀行局長に就 任しており,大隈大蔵卿時代の銀行行政のいわ ゆる現場責任者である.後の検討で明らかにな. 4.維新期における大蔵検査の実態① ──第三十二国立銀行を題材に──. るように,自ら実地検査に赴くなど銀行検査を.  維新期における大蔵検査の実態は,具体的に. 着実に実行していた.既述のように,明治 14. どのようなものであったか.最も有名なのは,. 年の政変がおそらく関係して,明治 14 年 11 月. 第一銀行の社史に収録されている第一国立銀行. に更迭されている 14).. に対する検査(1875 年 3 月実施)報告書の全文.  勤務中の居眠りがたたり紙幣寮押印課に左遷. 紹介(補遺も含む)であろう 18).資料を通じて,. されていた外山脩造は,外国「簿記整理法」の. この検査では,「近頃破産」した小野組関係者. 「譯書の會讀に従事」した際,他の出席者は「そ. への大口貸出(130 万円 )の不良化の問題など. の難澁」に苦しんだのに対して, 「容易に譯意. さまざまな経営事項についての指摘が幅広く行. を推測して全書の意味を會得して譯官を驚嘆せ. われ,その改善が厳しく指導されていたことを. しめし」たため,銀行課員に抜擢された.銀行. 窺い知ることができる 19).後に,澁澤榮一はこ. 課では,オフサイト,オンサイト両方の検査を. のときの検査について, 「種々八釜しく言はれ. 担当していた.明治 11 年 12 月,岩崎銀行局長,. たが…今考えて見ると私は大変に利益があつた. 澁澤栄一,五代友厚の要請により,官を辞し第. と思ふ,成程あゝ云ふ覚悟でなければ銀行業は. 三十二国立銀行の「総監役」として同行の整理 に従事することとなる 15).  堤長 發 は,明治 11 年春に大蔵省銀行課へ配 13)「堤長發氏来翰(大正五年四月阿部直躬氏に 送り来りしもの)」武内義雄編(1928)263 ∼ 264 頁. なお,大蔵省編(1878)もあわせて参照した. 14)大蔵省百年史編集室(1973)22 頁. 15)武内義雄編(1928)21 ∼ 40 頁.. 16) 「堤長發氏来翰(大正五年四月阿部直躬氏に 送り来りしもの) 」武内義雄編(1928)263 ∼ 264 頁. 17)泥谷良次郎(1934)113 ∼ 122 頁. 18)第一銀行八十年史編纂室編(1957)214 ∼ 235 頁.なお,同箇所は土屋喬雄氏が執筆した.ま た,第一国立銀行の検査の内容については,同書 及び土屋喬雄(1966)において整理されている. 19)邉英治(2006)18, 41 頁..

(6) . 出来ない」と回顧しているほどである 20).. ずし字等で記された一次史料に基づく研究は,.  しかし,この検査は,政府のお雇い外国人ア. 管見の限り皆無のように思われる.私は以前か. ラン・シャンドによる模範検査としての性格が. ら史料収集を進めてきたが,今のところ,当時. 強く,明治維新期の大蔵検査の実態を解明する. の大蔵検査の実態を具体的に知ることができる. という視点からは,必ずしも最適な事例ではな. のは,次のものに限られる.. い.というのは,模範は往々にして例外となる 可能性を考慮しなければならないからである.. 第十六・三十二・二十六 三銀行検査始末. ここに,日本人の検査官の手による通常の実地. 竝関係書類(「手控」 ), 1878 年 8 月, 『大. 検査の事例を検討する必要性があるのである.. 隈文書』 (マイクロフィルム)検索番.  この点,十六銀行の社史は参考となる.同書 は,第十六国立銀行の創業当初の経営問題を明 らかにするため, 「大蔵省検査と当行初の試練」 という項目を設けている 21).同書では,大蔵検. 号 A1167 第十五国立銀行検査報告,1877 年,同上 検索番号 A5076 第一国立銀行検査報告書,1872 年 7 月∼. 査(1878 年 8 月実施 )において,1 万 5,800 円. 1875 年 2 月,同上検索番号 A1126. の準備金不足が指摘されたことが強調されてお. 銀行検査官報告書撮要(福島県――筆者. り, 「準備金不足の最大の原因は,起業公債の. 注), 大蔵省銀行課『銀行雑誌』第六號,. 買入れであった.5 万円増資しても,公債を 9. 1878 年 5 月,所収 22). 万円も購入したのはやや無理があったと思われ. 銀行検査官報告書撮要(新潟県,長野県―. る」と評価されている.また,同年 10 月の再. ―筆者注),同上第七號,1878 年 6 月,. 検査の際,行員に現金を持参させて出張させて. 所収 23). いた分を金庫内に現金があるものとみなしてい. 銀行検査官報告書撮要(山梨県――筆者注). たことが指摘され,「検査官の態度は…厳しい. 同上第八號,1878 年 7 月,所収 24). もの」であったことが明らかにされている.  このように,同書は銀行史の視点で叙述が進.  本節では,上記の中で,大阪府の有力銀行で. められているせいか,大蔵検査の検討が準備金. ある第三十二国立銀行を,次節では岐阜県の有. 不足の問題に集中している.確かに,国立銀行. 力銀行である第十六国立銀行を取り上げ,明治. は紙幣発行という特権を有していたから,準備. 維新期における大蔵検査の実態の一端を明らか. 金不足が重要な問題となりうることを否定はし. にしたい 25).. ない.しかし,次節で明らかになるように,同 書は大蔵検査の実態分析としては,不十分であ. 4-1 第三十二国立銀行の概要. るといわざるをえない.少なくとも,この事例.  第三十二国立銀行は,大阪の有力両替商千草. のみをもって,当時の大蔵検査の役割を準備金. 屋の平瀬家主唱の下に設立され,1878 年 2 月. 不足の指摘とその改善に限定するのは危険であ. に営業を開始した 26) 「大阪の代表的銀行の一つ」. ろう.ここに,他の事例の検討を進め,大蔵検. である.同行についてはこれまでほとんど研究. 査の実態解明を重層的に行う必要性が生じるの である.  ところで,以上 2 つの銀行史を除いては,く. 20)邉英治(2006)29 頁. 21)十六銀行編(1978)82 ∼ 86 頁.なお,加藤 隆氏は同書を監修している.. 22)日本銀行調査局編(1957)45 ∼ 49 頁. 23)日本銀行調査局編(1957)55 ∼ 66 頁. 24)日本銀行調査局編(1957)75 ∼ 78 頁. 25)なお,本稿で検討できなかった史料につい ては,「松尾家文書」所収のものも含め,別稿にお いて取り上げ検討する予定である. 26)浪速銀行(1918)..

(7) . 表3 第三十二国立銀行に対する大蔵検査に関わった役員等(1878 年) 役職など. 氏名. 備考. 三十二銀行・頭取. 平瀬 亀之助. 三十二・取締役. 白木 保三. 三十二・取締役. 冨子 助次郎. 所有株数 100 株.. 三十二・取締役. 甲谷 権兵衛. 所有株数 100 株.. 三十二・取締役. 行松 儀八. 所有株数 84 株.. 三十二・支配人. 平池 玄四郎. 所有株数 80 株.. 大阪財界有力者. 五代 友厚. 大阪商法会議所(現,大阪商工会議所)初代会頭などを務める.. 東京財界有力者. 澁澤 榮一. 東京商法会議所(現,東京商工会議所)初代会頭などを務める.. 所有株数 1,272 株.日常的な経営にはあまり関与していない. 実地検査の結果,辞任.大阪商法会議所の設立発起人.. 出所)『大隈文書』 (マイクロフィルム) ;石井寛治(2007)251, 253 頁. 注)本稿で,直接関わったと考えられる人物のみ取り上げた.所有株数は 1879 年上期のもの.網かけの白木保三は,   石井寛治(2007)で看過されている役員.. がなかったが,最近,石井寛治(2007)が両替. に, 「外山の伝記が,同行の経営は極度に悪化. 商から銀行業へと転換した事例として,取り上. しており,検査官として同行に赴いた外山が,. げている.同書では,第三十二国立銀行の人的. 『資本を切り下げて整理を行ふの第一急務たる. 側面(経営陣,主要株主)及び経営内容(資産負債,. を勧め』たところ資本金三〇万円のうち一〇万. 収益源,配当率,主要貸出先など)について明ら. 円を減資したとする叙述は誤りである」 , 「『内. かにしており,参考となる.しかし,本稿で利. 状紊乱』とは,そうした活発な業務を行うさい. 用する『大隈文書』 (マイクロフィルム)所収の. の役員間における人間関係の乱れを指すもの. 同行への実地検査(1878 年 8 ∼ 10 月 )関係の. だったのかもしれない」と,同行の経営悪化の. 史料については,未見のようである.. 側面を完全に否定している 29)..  本稿で明らかとなるが,このことは,同書が.  このように同書は,第三十二国立銀行は創業当. 「半季実際考課状」 (第 1 ∼ 2 回)を未見のこと. 初から一貫して経営内容は概ね良かったと評価し. とあいまって 27),創業当初の実態を必ずしも正. ている.しかし,同書は創業当初については実証. しく評価できていないことに関係しているよう. 的裏付けが乏しいという問題を抱えているだけで. に思われる.この点をやや敷衍しておく.. はなく,そもそも本当に経営内容は当初から良好.  すなわち同書は, 「同行は,両替商平瀬家の. だったのか,という点で疑問も残る 30).実際,本. 関係者が結集し,…その好成績を梃子に七万円. 節で取り上げる実地検査の際に登場する同行役. の増資を行い,広く社会的資金を集めることに. 員等の構成を示すと( 表3),検査の結果,辞. 成功したと思われるのである」 , 「このように発. 任することとなる白木保三取締役の存在を,同. 足した年の内に資本金十三万円を二〇万円に増. 書は看過していることに気付く.. 資したことは,同行の経営の積極性を示すもの.  本稿の主眼は,あくまで明治維新期の大蔵検. と言えよう」と,創業当初の同行の経営内容を. 査の実態を明らかにすることであるが,以上の. 好意的に評価している. .そのため,1879 年 1. 疑問点にも鑑み,本節では石井寛治(2007)に. 月に大蔵省銀行課の外山脩造が同行総監役とし. 学びつつも,そこでは未見と思われる大蔵検査. 28). て迎え入れられる理由について, 『東京経済雑 誌』に記載された純益金及び配当率のみを根拠 27)もっとも, 私も創業当初の「半季実際考課状」 を入手することはできなかった.. 28)石井寛治(2007)250 頁. 29)石井寛治(2007)253 ∼ 254 頁. 30)本節で明らかとなるが,大蔵検査を通じて, 白木保三取締役が経営悪化の責任で更迭されてい るという事実を, 石井寛治(2007)は看過している..

(8) . の史料を利用することで,同書で示された創業. 計拾壱万千九百六拾九円三拾壱銭六厘ニシテ今. 当初の第三十二国立銀行像についても再検討を. 般ノ増株高拾七万円ニ割合スルトキハ六割六分. 行いたい.. 弱ニ当ル之ニ據リテ考フルニ増株金ノ強半ハ 只々名ノミニシテ真ニ入金セシモノトハ万々信. 4-2 大蔵検査の実態. セラレス又帳簿ノ記入モ前段ノ如キ始末ニテ之. ⑴岩崎小二郎銀行課長による実地検査. ヲ調整スルニ三日間ノ日子ヲ費ヤス以テ其間如.  第三十二国立銀行は,1878 年 8 月 16 日より. 何ナル取繕アルモ知ルヘカラス殊ニ平瀬亀之助. 大蔵省銀行課長岩崎小二郎の実地検査を受けた. 白木保三ノ義ニ付テハ世間種々ノ風聞モ之アル. が,検査への対応にかなり問題があったため,. ニ付篤ト密偵ヲ遂ケタキトコロ長嵜岡山等ノ検. 10 月に再検査を受けることとなった.その経. 査アルヲ以テ数日ヲ費ヤス能ハス不得已思フト. 緯を示すのが,次の史料1である.. コロヲ果サスシテ岡山長嵜ニ出発シ各地ノ検査 ヲ了リ再ニ神戸ニ戻リ直チニ西京大津ニ至リ同. 史料131). 所ノ銀行ヲ検査シ九月十五日再ヒ大阪ニ入リ前. 八月十六日大阪三十二國立銀行ニ臨ミ検査ニ取. 回取遺シタル第十三銀行第一銀行支店等ノ景況. 掛ル此時平瀬亀之助ハ出京中ニテ取締役白木保. ヲ一観シ同月十七日郵便滊船出発ニ付神戸ニ向. 三主任ヨリ我々同人ニ向ヒ直チニ調査ニ取カヽ. ケ出発セントスル際河鰭権少書記官来リテ五代. ルニ付金銀並ニ諸帳簿等ヲ排列スヘク且昨日ノ. 友厚ノ言ヲ致ス(別紙甲号ニ載スルヲ以テ茲ニ. 差引残高表ヲモ差出スヘシト命セシニ同人頗ル. 略ス)神戸ニ至レハ滊船ノ抜錨延引セシニ付再. 周章ノ体ニテ恐入タルコトニテハ候ヘトモ實ハ. 大阪ニ至リ三十二銀行役員及五代ニ面會シ委曲. 当七月中ヨリ当店ノ帳面方ヲ株式取引所ヘ遣ハ. 事情モ承リ余カ考案(別紙甲号ニ詳記スルヲ以. シ其時ヨリ諸帳簿ノ記入ヲ止メ其侭等閑ニ打過. テ略ス)ヲモ説キ聞カセ十八日神戸ヲ発シ東京. タルニ付今日ノ検査ハ受ケ難シ何トソ帳簿整理. ニ帰ル然レトモ同銀行ノコト頗ル心ニ関スル所. ノ為メ明日マテノ猶豫ヲ乞フタキ旨ヲ述フルニ. アルヲ以テ本局ニ稟議シ課員二名(外山 脩造. 付如何ナル帳面ニテモ金銀ノ出納ヲ記載セシモ.  堤 長發)ヘ別紙甲号ノ心得書ヲ輿ヘ九月廿. ノハナキヤト問フ此時支配人日本風ノ帳面ヲ持. 八日大阪表ヘ発出セシメタリ其後出張官員ヨリ. 来リ之ニテモ苦シカラスヤト云フ右ヲ一見スル. 尋テ別紙三通ノ信書ヲ送ル然レトモ大蔵卿ノ御. ニ其記入ノ法錯雑混淆其正否ヲ知ルニ由ナシ然. 帰ノ上稟議ヲ経尚何分ノ儀申送ルマテ其地ニ滞. レトモ此帳面ニ就キ金銀有高ヲ調査セシニ不都. 在スヘキ旨ヲ申遣ス. 合ナカラモ多少ノ時間ヲ費セシ上ニテ突合セ整 フタリ然レトモ前ノ如ク帳面ノ記入ナキヲ以テ.  検査に際して当然応対すべき頭取平瀬亀之助. 全体ノ営業上ヲ検査スル能ハス依テ明日ヨリ戸. が東京に出張中であり,取締役の白木保三が応. 次兵吉ヲ出張セシムルニ付同人ニ謀リ前日ヨリ. 対した.まず,岩崎は最初にチェックすべき現. ノ勘定ニ溯リ諸帳簿トモ精理スヘキ旨ヲ申付ケ. 金有高や諸帳簿及び昨日付の残高表の提出を求. 帰寓ス稍ク十九日ニ至リ粗緒ニ就キタル趣申出. めたが,同行は増資手続のためか 7 月より帳面. ブ依テ逐次検査セシニ表面ニ於テハ差シタル不. を株式取引所へ送っており,「其時ヨリ諸帳簿. 都合ナシト雖疑ハシキハ貸付金及当座預金貸越. ノ記入ヲ止メ其侭等閑ニ打過タル」という状態. ナリ右二口ニテ株主ニ貸出セシ分(無抵当)合. であった.そこで岩崎は,他の帳面の提出を求 めたところ, 「日本風ノ帳面」が提出された.. 31)本稿では, (コト)や (トモ)などの合字 は改めた.また,難読と思われるものについては, 適宜ルビを付している.. それは,「記入ノ法錯雑混淆其正否ヲ知ルニ由 ナシ」という代物であったが, 「金銀有高」の 突合だけは実施できた.しかし,他の項目を検.

(9) . 査できなかったので,翌日(17 日)より課員の. ヘカラス依テ戸次ヲ遣シ帳簿ヲ整頓セシメ数日. 戸次兵吉によって帳簿の整理がなされることと. ヲ経テ漸ク計算ノ端緒ヲ見ルヲ得タリ其不始末. なった.. ナル言語ニ堪タリ殊ニ該店不始末ノ次第世人多.  帳簿の整理が「粗緒ニ就キタル」のは 19 日. ク之ヲ知リ預ケ金ノ如キハ大抵之ヲ引取リタリ. のことであった.逐次検査の結果, 表面上は「差. 我國人民ノ感覺ナキト政府ノ保証アルトヲ以テ. シタル不都合ナシ」であったが,株主向けの. 社幣ノ流通ニ差支ナキモ殆ト「パニック」ノ形. 貸付金及び当座貸越の 2 口 11 万円余(無抵当). 情ニ迫レリト云フヘシ○余阪地出立ノ朝即九月. については, 「疑ハシキ」とされた.というのは,. 十七日五代ハ不得止事故アリ来訪スル能ハサル. 同行は「今般」17 万円の増資(13 万円→ 30 万円). 旨ニテ河鰭氏来リ其意ヲ致シテ曰三十二銀行ノ. を実施していたが,その 66%が貸金に振り向. 事ハ五代モ大ニ之ヲ憂ヒ本月六日白木保三ヲ招. けられてしまっており,これでは, 「増株金ノ. キ之ヲ糺朙セシニ他ヨリ借用金拾萬圓余アリ貸. 強半ハ只々名ノミニシテ真ニ入金セシモノトハ. 付金ノ内損失ノ恐レアルモノ二口アリ加之増株. 万々信セラレス」と判断されたからである.7. 金ノ内猶五萬圓許ノ不足アリ(五代ノ見込ニテ. 月以降に帳簿が記入されておらず,帳簿整理に. ハ拾萬圓余ノ不足アリ云々)五代ハ猶之ヲ以テ. 3 日間もかかっている以上, 「如何ナル取繕ア. 満足セス其銀行ヲ検査セント発言セシニ白木ハ. ルモ知ルヘカラス」と粉飾決算を疑われたのも. 之ヲ欲シタルニ付第一支店役員某三井支店役員. 無理はなかろう.さらに,平瀬頭取と白木取締. 某ト謀リ日ヲ期シテ之ヲ検査セントナシタレト. 役には「世間種々ノ風聞モ之アル」ことも,岩. モ子細アリテ之ヲ止メ先ツ其銀行ヲシテ其資本. 崎の印象を悪くしていたようである.. ヲ減シ鋭意諸事ヲ改良セシメ白木ハ前ノ失政ヲ.  結局,岩崎は,岡山,長崎での実地検査の予. 償フタメ一層勉励セシメ然ル後チ之ヲ検査シ. 定があったため,同行に対してさらなる検査. 其整頓シタル事ヲ世上ニ公告シ之ガ信用ヲ恢. を行うことはできなかった.ところが,9 月 15. 復セント欲スト(以上河鰭ノ言及ヒ翌日五代ヨ. めい. 日再び大阪に戻った際,河鰭齋権少書記官から. リ面話ノ要領ヲ折衷ス)余之ニ答テ曰ク余ノ見. 「五代友厚ノ言」を伝えられたこともあって,. ハ之ニ異ナル第一資本ヲ減スルノ説ハ之ヲ救ハ. 岩崎は同行役員及び五代と面会し, 「委曲事情. ントシテ返テ之ヲ斃スニ近シ何トナレバ該店資. モ承リ余カ考案ヲモ説キ聞カセ」る機会があっ. 本増加ノ許可ヲ得タルハ普ク世人ノ知ル所ナリ. た.. 然ルニ此際資本ヲ減縮セハ益世間ノ疑議ヲ来シ.  岩崎は東京に戻っても,同行のことが心に. 遂ニ如何トモスヘカラサルニ至ルヤ必セリ第二. ひっかかっていたため,銀行課の外山脩造,堤. 世上ノ信用ヲ失タルハ多ク白木ノ所為ナルカ如. 長發に, 「別紙甲号ノ心得書」を与えて,9 月. キヲ以テ今依然トシテ之ヲ役員中ニ存在セシム. 28 日に大阪へ出張させた.. ルトキハ恐クハ信用ヲ恢復シ難カラン第三同業 者即チ三井第一等ハ謀テ之ヲ検査シ之ヲ世上ニ. ⑵大蔵検査の着眼点. 公ニスルハ却テ保護ノ點ニ戻ラレ余カ見ヲ以テ.  次に,第三十二国立銀行に対する大蔵検査の. スレハ先ツ白木ヲ免去シ別ニ確實ナ人物ヲ撰テ. 着眼点を具体的に示す「別紙甲号」の検討に移. 之ニ代ハラシメ一旦許可ヲ得タル増株ハ成丈之. る.まず,史料2をみよう.. ヲ取纏メ外皃ハ決シテ退縮ノ情況ヲ示サス漸次 其内向ヲ調理改良スルヲ以テ上策トス斯ク該銀. 史料2. 行ヲ保護スルノ旨趣ハ啻該銀行ノ為ニ計ルノミ. 甲号. ナラス全國ノ為メニ計ルナリ今我國銀行新創ノ. 八月十六日大阪第三十二銀行ニ至リ検査セント. 際ニ当リ大阪ノ如キ要地ニ在テ千草屋ノ如キ名. スルニ本月一日以来帳簿ノ記載ナシ如何トモス. 家ノ創立シタル銀行ニシテ世間ノ信用ヲ失シ遂.

(10) . ニ「バンクロフト」ニ至ルトキハ其全國銀行ノ.  答曰五万円程振替ヲナシ其外ハ悉皆. 興敗ニ差響ヲナス實ニ僅少ナラス故ニ該銀行ヲ. 入金セリ  (以下,欄外記載――筆者. 助ケ其信用ヲ回復スルハ該銀行ノ為メニ私スル. 注)中野ノ説七万円注入金(欄外記載. ニ非ス即チ全國ノ為メニ計ルナリト○右ノ如ク. 終り). 述ヘ河鰭氏ニ別レ将ニ宿所ヲ出テントスルニ際.  又問實際悉皆入金調達スヘキ見込ア. シ平瀬並ニ甲谷某来リ謁シ頻リニ罪ヲ謝シ歎願. リヤ. ヲナス余問テ曰五代氏ヨリ何ゾ咄シアリシヤ平.  答曰現時ノ猶豫サヘアレバ必ス悉皆. 瀬等答テ曰ク粗同氏ノ説ヲ聞ケリ余曰ク先刻河. 調達スヘシ (以下,欄外記載――筆. 鰭氏来リ五代氏ノ意ヲ述フ余ノ見ハ河鰭氏ヘ委. 者注)五代ハ十五日間ニ調達セヨト白. 細咄シ置キタリ同氏ニ就テ聞取ルヘシト云ヒ棄. 木ニ□□シ由 甲谷富子モ五代ニ依頼. テヽ出テ去ル. スル筈(欄外記載終り). 神戸ニ至レバ出舩延ヒタリ依テ大阪ニ差戻リ甲. 右問答畢リ余又其銀行回復ノコト更ニ勉励シテ. 谷冨子ヲ余カ宿所ニ招キ之ニ告テ曰ク余ハ今. 其功ヲ奏セント欲スルカト問フニ誓テ心力ヲ盡. 三ヶ條ノ訊問アリ正直ニ答フヘシ其店ノ不始末. サント欲ス謹テ厚庇ヲ仰クト云テ相別ル. ナルコトハ世人既ニ之ヲ知ル固ヨリ掩慝シ得ヘ. 翌十八日五代ニ面シテ前説ヲ(河鰭ニ答ヘシ). キニ非ス故ニ此等ノコトハ更ニ問ヲ要セス先ツ. 述フ五代曰ク足下ノ説ハ真ニ上策ナリ然レトモ. 第一 其店ニ於テ創業以来遣ヒ道ノ知レサル. 其實況ヲ観察スルニ殆ント救薬スヘカラサル. 金銀ハナキヤ. (手の施しようがない――筆者注)モノアルカ.  答曰右様ノコトハ决メナシ壱銭タリ. 如シ今新ニ株金ヲ募ルモ之ニ應スルモノアルヘ. トモ皆ソレゾレ遣先キ明瞭ナリ世間当. シト思ハレズ故僕ハ不得已下策ニ出ラント欲セ. 銀行ヲ評メ舊 ト云ヒ其手堅キヲ笑フ. シナリ然レトモ今足下ノ言アリ精々之ニ依テ整. ニ至ル即チ其証ナリ (以下,欄外記. 理セシムルコトヲ務ムヘシ○現今該銀行営業上. 載――筆者注)第一問ハ余京都ニ於テ. 懸念ナルモノハ神戸ノ地所抵当ニテ貸付ケタル. 聞キタルコトナリ創業ノ際白木カ交際. モノ(銀行ヨリ其社中平瀬某ヘ貸付ケタル名目. 費等ニ用ヒシモノニハ非サル乎(欄外. ナリ)五萬円程并阿州人(鑛山會社ノ者カ)ノ. 記載終り). 蒸気船抵当ニテ貸附ケタル金若干円ノ如キナリ. 第二 白木ハ其銀行ニ在テ折合如何. ト云フ  (以下,欄外記載――筆者注)此貸付.  答曰随分良キ人物ニテ萬事世話行届. 二口ノ如ク聞取リタレトモ其實或ハ一口ニテ相. キ敢テ非難スヘキナシ但当行役員等未. 関係スル者歟モ計ラレズ(欄外記載終り). タ銀行ノ功用ヲ知ラサルヲ以テ早其實. 前段ノ次第ナルニ付出張ノ上ハ擧措可成機密ヲ. 功ヲ示サント欲シ一二無理ナル仕事ヲ. 努メ他ノ銀行ニハ少シモ構ハス日々該銀行ニ出. ナセンコトナキニ非ス  (以下,欄外. 席シ左ノ心得ヲ以テ事務取扱フヘシ. 記載――筆者注)世人ノ風説及ヒ東京. 一 総テ該店保護ノ旨趣ヲ体シ萬事懇切ニ協議. 支店支配人某ノ渋澤ニ告ケタル言ヲ以. シ彼ノ役員ヲシテ真情ヲ吐露シ我ヲ信シ我. テ観ル□□ 32) 此答ハ實ヲ以テセサル. ニ頼ラシムル様注意スヘシ. ニ似タリ(欄外記載終り) 第三 増株金ハ實際何程入金アリ何程振替ヲ ナセシヤ. 一 該店創業以来ノ諸勘定ヲ逐一精査シ且将来 万事改良ヲ図ルヘシ 一 増株金ハ悉皆現実ノ入金ヲ慥ニ見届クルヘ シ. 32)□は原史料の痛み等により,判読不能だっ たもの(以下,同じ).. 一 増加証書ハ既ニ差出有之ニ付株主姓名並 銘々ノ増株高等事實増加証書ト相違アラシ.

(11) . ムヘカラス. た.さらに詳しい経営状態を解明するため,第. 一 若シ増株入金不調達等ノコトアラハ平瀬等 ノ自金(即銀行資本ノ外)ヲ株券引当ニテ. 一銀行大阪支店役員と三井銀行大阪支店役員も 加えて,実地検査を行うことが計画されたが,. 貸付増株金ニ充テ或ハ旧株ヲ禄券所有ノ士. 「子細アリテ」中止となった.結局,五代の対. 族ニ賣渡代料ハ禄券ニテ受取リ増株ニ充テ. 応策(案)は,減資を実行して, 「鋭意諸事ヲ. シムル等適宜ノ方法アルヘシ且ツ士族ニ旧. 改良セシメ」 ,白木を「前ノ失政ヲ償フタメ一. 株ヲ買ハシムルコトハ五代等ニ謀ラハ多分. 層勉励セシメ」た上で,再検査を実施して同行. 調フヘシ尤モ士族ヲ募ルハ萬々已ムヲ得サ. 整理が完了したことを「世上ニ公告」,信用回. ルノトキナリ. 復を図るというものであった.. 一 貸借口〃ノ形行サヘ分明ナレバ貸付金ヲ.  この五代の案に対し,岩崎は次のように反論. 急ニ引揚クル等ノコトハ好マシカラス其邉. した.増資した直後に減資すると, かえって「世. ハ固ヨリ緩急アルヘキ筈ナレトモ可成丈ケ. 間ノ疑議ヲ来シ」必ず「遂ニ如何トモスヘカラ. 舒々ト着手シ都テ世間ノ耳目ヲ驚カサス平. サルニ至ル」 .今回「世上ノ信用ヲ失タル」のは,. 穏ニ處置スルヲ要ス. 白木取締役の「所為」によるものとみられるの. 一 諸所調向良ク整頓増株金實際皆入ノ上惣体 ノ検査ヲ遂ケ報告書ヲ製シテ帰京スヘシ 一 最初ヨリ諸事調理ノ始末ハ委詳筆記シ置ク ヘシ. にもかかわらず,白木が役員にとどまると,同 行の「信用ヲ恢復」することが困難である.し たがって,白木を「免去」して「確實ナ人物」 を新たに選ぶこと, 増資金は「成丈之ヲ取纏メ」 ,. 岩崎小二郎. 外見上は「退縮ノ情況ヲ示サス」に徐々に内容. 外山脩造殿. を改善することが「上策」である.. 堤 長發殿.  なお岩崎は,同行を保護して信用回復を図る 理由として,国立銀行「新創ノ際ニ当リ」,大.  先の岩崎銀行課長の実地検査によって,同行. 阪という要地で千草屋という名家の創立した銀. の「其不始末」は言語に絶するものであること. 行の信用が失墜し, 「バンクロフト」33)に至ると,. が確認された.しかも,同行の内容が悪いこと. 「全國銀行ノ興敗ニ差響ヲナス」ところが少な. については,既に「世人多ク之ヲ知リ」 ,預け. くないためと説明している.岩崎がいわゆる決. 金はほとんど引きあげられてしまっており, 「我. 済システムを通じたシステミック・リスクを認. 國人民ノ感覺ナキト政府ノ保証アルトヲ以テ」. 識していたかは微妙だが,近代的な銀行制度の. 国立銀行券の信用をかろうじて支えているとい. 草創期において,一銀行の信用失墜から金融危. う状態であった.このような同行の状態を,岩. 機(連鎖倒産)の勃発を懸念していた点は間違. 崎は「殆ト『パニック』ノ形情ニ迫レリト云フ. いないだろう.すなわち,当時の銀行業への介. ヘシ」と評価している.. 入根拠は,そういう点にあったことが窺われる..  先述した河鰭による五代の伝言及び翌日の岩.  河鰭と別れた後,五代の話を伝え聞いた平瀬. 崎と五代との面談において,次のことが明らか. 頭取と甲谷取締役が岩崎を訪ね,謝罪と歎願を. となった.五代は同行のことを心配して,既に. 行ったが,岩崎は「河鰭氏ヘ委細咄シ置キタリ」. 9 月 6 日,白木取締役を呼びつけ,その内容を. として相手にしなかった.ところが出航延期の. 糾明したところ,同行は「他ヨリ借用金拾萬圓. 関係で,岩崎は甲谷取締役と冨子取締役を自分. 余アリ」 , 「貸付金ノ内損失ノ恐レアルモノ」が. の宿所に呼びつけた.そして,同行が「不始末. 2 口あり,加えて「増株金ノ内猶五萬圓許ノ不. ナルコト」は一般に知られており,もはや覆い. 足アリ(五代ノ見込ニテハ拾萬圓余ノ不足アリ 云々)」という状態であることが明らかにされ. 33)破産(bankrupt)のことだろう..

(12) . 表4 大蔵省銀行課長(岩崎)が指摘した第三十二国立銀行の経営問題一覧(1878 年 9 月時点) 指摘事項 帳簿の記載漏れ. 備考 7 月より諸帳簿の記入がストップ,そのまま「等閑」にされていた.. 増資金の入金不足. 「増株金」の内,5 ∼ 10 万円が入金不足.. 隠れた借金. 「他ヨリ借入金」が,10 万円余り存在.. 不良債権問題. 平瀬頭取関係の貸付金 5 万円などが「損失ノ恐レ」 .. 出所) 『大隈文書』 (マイクロフィルム).. 隠すことはできないので,その点についてはさ. 見を述べたが,それに対して五代は次のような. らに質問しないと断った上で,次の 3 つの質問. 考えを明らかにした.岩崎の意見は「真ニ上策. を行った.. ナリ」.しかし, 同行は「救薬スヘカラサル」 (手.  第一に,いわゆる使途不明金の有無について. の施しようがない )状態に近いため,新たに株. である.これに対して甲谷らは,使途不明金は. 金を募集してもそれに応じる者があるとは思え. 存在しないと回答している.しかし岩崎は,同. ない.したがって,「不得已下策ニ出ラント欲. 行創業の際,白木が交際費等に用いたという噂. セシナリ」.ともかく,まずは整理に努めるべ. を京都で聞いていたため,この説明を信用して いない.. きだが,現在, 同行の「営業上懸念ナルモノ」は, 「神戸ノ地所抵当ニテ貸付ケタルモノ」5 万円.  第二に,白木取締役の銀行での「折合」につ. 程(平瀬某向け貸付の名目)と徳島の「阿州人(鑛. いてである.これに対して甲谷らは,白木は 「随. 山會社ノ者カ)ノ蒸気船抵当ニテ貸附ケタル金」. 分良キ人物」で,功を焦って「一二無理ナル仕. 数千円である.. 事」をしたに過ぎないと,白木を庇う回答をし.  以上から同行は,帳簿の記載漏れ,資本金の. ている.しかし,岩崎は,世間の噂や東京支店. 入金不足,隠れ借金,不良債権問題といった種々. 支配人の渋澤への密告を根拠に, 「此答ハ實ヲ. の経営問題を抱えていたことが明らかとなった. 以テセサルニ似タリ」として,この説明も信用. ( 表4).少なくとも同行の経営状態は良好で. していない.. あったとは言い難いだろう..  第三に,増資金(17 万円)の内,実際の入金.  以上の点をふまえ,実地検査に赴く大蔵省銀. 額及び振替額についてである.これに対して甲. 行課の外山脩造と堤長發には「擧措可成機密ヲ. 谷らは,5 万円程振り替えたのみで,残り(12. 努メ」つつ,以下の「心得」をもって「事務取. 万円)は全て入金したと回答している.しかし,. 扱」を遂行するよう命じられた.. 岩崎は実際の入金額が 7 万円に過ぎない説があ.  ①銀行保護の趣旨を示し,「萬事懇切ニ協議」. ることを知っていた.また,入金の時期につい. することで,銀行役員から「真情ヲ吐露」 させて,. ても質問したところ, 「現時ノ猶豫サヘアレバ. 信じ頼らしめるよう仕向けること.②創業以来. 必ス悉皆調達スヘシ」と回答している.なお,. の諸勘定を「逐一精査」して, 「将来万事改良」. 問答終了後,岩崎は「銀行回復」に邁進する. を図ること.③増資金の「現実ノ入金」を全て. かと質問している.これに対し,甲谷らは全力. 確認すること.④株主姓名とそれぞれの増株高. を尽くすが手厚い庇護もお願いしたいと回答し. が,実際の「増加証書」と相違ないようにする. た.. こと.⑤増資金の入金が「不調達」の場合,平.  以上の問答から,岩崎の質問に対し,甲谷取. 瀬頭取以下役員の「自金」(「銀行資本ノ外」)に. 締役らはいずれも説得的な回答ができていな. よって充当すること.なお,やむをえない場合. かったことが窺われる.. は,五代などの財界有力者にお願いして, 「禄.  9 月 18 日,岩崎は五代と面会して既述の意. 券所有ノ士族」を紹介してもらい, 「禄券」の.

(13) . 売却代金または「禄券」そのもので,増資金に. ヲ伴スヘキ旨ヲ答フ就中平池ハ辛抱嬉度様子ニ. 充当すること.⑥貸付金を急に引き揚げること. 見ヘス白木ハ近頃余程弱リ果テタル様子ニテ顔. は好ましくないが,徐々に「世間ノ耳目ヲ驚カ. 色土ノ如シ斯ク御心配ヲ掛ルモ皆私壱人ノ罪ナ. サス平穏ニ處置スル」こと.⑦各種事項を十分. リ然シ今更御申譯ハ决シテ不申上ト申ナカラ頻. チェック整理し,増資金の全部入金を確認後,. リニ申譯ヲナシ或ハ世間風評其實ヲ失スルコト. 「惣体ノ検査」を遂行して報告書を作成して帰. 証言シ或之忠ガ却テ不忠ニナリシカ等ノ意ヲ述. 京すること.⑧「諸事調理ノ始末」は,最初よ. フ(先般御検査ノ際狼狽スルナ狼狽スルナト申. り詳しく筆記しておくこと.. ナガラ已ニ自ラ狼狽セシハ好一對)平瀬ハ嬉度.  以上の心得の下,外山と堤によって,再検査. モナク弱リモセス先ツ平気ナル風ナリ他ハ頓首. が実施されることとなった.後述のように,検. シテ厚意ヲ謝スルノミ此日ハ右等ノ咄シノミニ. 査の経過は逐次岩崎に送られた.当時の実地検. テ時ヲ移シ何事モ着手セスシテ退出○今朝平池. 査の実態を掘り下げるため,次にその書簡の内. 旅店ニ来ル程ニ咄ヲナス白木ヲ除クノ説ヲ冨子. 容を分析する.. 甲谷行松等ニ謀リシニ今俄ニ之ヲ除クハ返テ不 都合ヲ生セントノ説モアリシガ先ツ他事ヲ始末. ⑶外山と堤による再検査. シ其内ニ御出張モアリ始末ヲ整ヒシ上時宜ヲ見.  外山と堤の検査経過報告は,書簡の形式で岩. 計ラヒ之ヲ除クコトニ相談致シ置キシニ白木ハ. 崎のもとに送られた.ここでは,史料として確. 之等ノコトヲ漏レ聞キシカ昨七日ノ朝辞職届ヲ. 認できる 3 つの書簡を紹介し,あわせてその内. 差出シタリト(私共銀行ヘ到ラサル前ノコト但. 容を検討することで,大蔵検査(再検査)の実. シ真ニ辞職ノ决意ナルヤ否ヤ等ハ未タ判ルヘカ. 態をいっそう明らかにしたい.まず, 史料3(書. ラス)○私共之該店ニ到リシトキハ右ノコトヲ. 簡1)をみよう.. 議セント欲スル時ナリシト平瀬ハ今モ白木ヲ信 スルコト頗ル厚シト云○平瀬ノ白木ヲ信任スル. 史料3(書簡1). ヲ以テ冨子等モ之ヲ除クヲ難シ且ツ白木ニ事情. 出張官員ヨリ送ル例ノ書類. モアリ自然首鼠兩端ノ意アル様子ニ聞ユ併平池. 拝啓本月五日大津泊リ翌六日午後大阪着七日河. ハ大分憤懣ノ様子ニ見ユ且ツ増株金凡ソ目算モ. 鰭書記官ニ謁シ五代氏ノ居所ヲ 審 ニシ直チニ. 立チ候致(初メ起業應募ニ付登記無理ナル仕事. 之ヲ訪フ同氏ハ已ニ私共之出張ヲ知ル(平池. モアリシ処今般過年ノ割戻シ金之却テ都合宜度. 本月二日着阪委細ノ咄シアリシ主ニ且ツ澁澤氏. 願)能咄シアリ依而私共申ニハ白木ノ一件等ハ. よりモ書状アリシト云)談話数刻ニ及ビ辞シテ. 諸君宜度相談スヘシ我々者先ツ諸計算ノ取調ニ. 三十二銀行ニ到ル冨子甲谷行松平池等ハ在所平. 着手スヘキ旨ヲ話シ該店ニ到リ平常検査ノ通リ. 瀬白木ハ不在ナリ早速之ヲ呼ハシ候一同對峙シ. 日表ヲ取リ諸帳簿ヲ引合現金並ニ諸公債証書等. 且今般出張之趣旨ヲ述ヘ就テハ最初ヨリ金銀出. ヲ検査セリ但最初手ヲ下タス時検査ハセスシテ. 納ヲ始メ諸事委細ヲ取調ルコトアルヘシト尤モ. 發端ヨリノ諸計算取調偏々之検査スル積リノ処. 右ハ畢竟當店ヲ保護スル所以ニテ决シテ既存ノ. 先ツ一検査致シ置カサレハ追々取調ヲナス不都. 過失ヲ穿鑿シテ之ヲ督責スル等ノコトニアラス. 合ハ存シ先ツ一通リノ検査ヲ始メタルナリ依而. 依而此際我々ヲ以テ大蔵省出張ノ官員認スルコ. 明日ハ貸附金等ヲ取調其上ニテ發端より之計算. トナリ諸君之向後即チ相談相手ト見ナシ萬事伏. 取調ニ掛ル心得度存候. 臓ナク御咄シ有候様致シ度懇談セシニ役員等一. 右之景況ニ付如何成行ヘキ哉ハ未タ不相分候得. 同憲臺(法律を司る役所――筆者注)ノ御配意厚. 共平池ノ言ニヨレハ憲臺之御説意ハ兎母角も達. 且ツ深ナルノ 辱 ヲ謝シ(憲臺ノ御鋭意ハ平池. スル場合ニ至ル□□様申上候也先ツ概略耳半ハ. ヨリ咄シアリ已ニ承知ナリ)且ツ謹テ我々ノ意. 追々後信ヲ期シ.

(14) . 草々頓首拝具  十月八日拝認. ところが,白木は「之等ノコトヲ漏レ聞キシカ 昨七日ノ朝辞職届」を提出したという(もっと. 堤 長發. も,外山は「私共銀行ヘ到ラサル前ノコト」,「真. 外山脩造. ニ辞職ノ决意ナルヤ否ヤ等ハ未タ判ルヘカラス」. 岩崎小二郎様. と疑念を抱いている) .平池は, 「懇談」の際に,.     玉机下. 白木の件を「議セン」と考えていたが,「平瀬 ハ今モ白木ヲ信スルコト頗ル厚」く,そのため.  大阪に出張した外山と堤は,10 月 6 日午後. 冨子ら他の役員も白木の更迭については,頭取. 大阪へ到着したが, 翌 7 日検査に着手する前に,. の意向と大蔵省の意向にはさまれて「首鼠兩端. 河鰭書記官と会い,五代友厚と長時間にわたる. ノ意アル様子」 (ひよりみの様子)であるという.. 「談話」を行った.その上で,第三十二国立銀. そして,おそらくその役員達の煮え切らない態. 行に到着したところ,冨子取締役,甲谷取締役,. 度に対して,平池は 「大分憤懣ノ様子」であった.. 行松取締役,平池支配人らは「在所」であった. また,増資金については,「凡ソ目算モ立チ候」. が,同行最高経営者の平瀬頭取と問題の白木取. という話であった(なお,最後の点については,. 締役が「不在」であったため,2 人を呼びつけ. 書簡2で明らかになるように,虚偽である) .これ. 検査前の「懇談」が始まった.. に対し,外山らは,「白木ノ一件等ハ諸君宜度.  まず,外山らは,今回の出張の趣旨が,同行. 相談スヘシ我々者先ツ諸計算ノ取調ニ着手スヘ. を「保護スル」ためにあり, 「過失ヲ穿鑿シテ. キ旨」を話し,同行に赴き,検査に着手した.. 之ヲ督責スル」ことではないことを説明して,.  検査の手順は「平常検査ノ通リ」であって,. 出張してきた大蔵省の役人を「相談相手ト見ナ. 日表と諸帳簿を引き合わせ,現金・公債有高の. シ」 ,「萬事伏臓ナク」協力的な態度を取るよう. 確認をした.明日(9 日)は,貸付金等を「取調」 ,. 求めた.同行役員らは感謝して検査官に協力す. その上で「發端より之計算取調」(計数の確認). る旨を一応回答した.その際,役員らの様子は. を行う予定となっているが,「如何成行ヘキ哉. 多様であり,前回の検査で経営上の問題の責任. ハ未タ不相分候」と不安も示されている.. を厳しく追及された白木は,「近頃余程弱リ果.  実際,この不安は的中することになる.史料. テタル様子ニテ顔色土ノ如シ」であったが, 「斯. 4(書簡2)をみよう.. ク御心配ヲ掛ルモ皆私壱人ノ罪ナリ然シ今更御 申譯ハ决シテ不申上ト申ナカラ頻リニ申譯ヲナ. 史料4(書簡2). シ」 ,「世間風評其實ヲ失スルコト証言シ」 , 「忠. 拝啓益御清祥奉賀候然ハ増株之後虚額多ク目下. ガ却テ不忠ニナリシ」などと弁解・言い訳に終. 至急ニ之ヲ充タス事ハ頗ル困難能事情ト被存候. 始していた.逆に,同行最高経営者たる平瀬は,. 明日ご後迄評議ヲ遂ケ以天如何なる運ひニ至ル. 実際の経営にタッチしていないためだろうか,. 可申所就テハ四日市より創立願之件ハ如何相成. 「弱リモセス先ツ平気ナル風」であった.この. 申候外同所ハ要地之事にも有之候其発起人宛ヘ. 日の検査は, 「懇談」のみで終了した.. 旧株ヲ譲渡シ支店ヲ設ケ(支店ヲ設ケをれハ相.  翌 8 日の朝,外山らの宿所に平池支配人が. 談不相成□□しむ)候ハヽ双方能便ト可相成所. やってきて状況を説明した.前日の「懇談」後,. ト心付候事必取越御呉慮丈向申候至急御高案御. 平池が「白木ヲ除クノ説」 (白木を更迭すること). 洩被計下度奉願候乍恐同所願高ハ拾万なるらむ. を他の取締役と相談したところ,今すぐ更迭す. 七万なるらむ発起人ハ誰ニなるらむ後便御通被. ると「返テ不都合ヲ生セン」と難色を示す意見. 計下度奉願候. もあったが,結局「他事」整理が済み次第, 「時 宜ヲ見計ラ」 って白木を更迭することになった.. 草々頓首 拝具.

(15) .  十月十二日拝. 加可致段兼々五代氏ノ説モ有之旁以テ四日市ノ 堤 長發. 事ハ未タ一同ヘ公議ニ及ハズ候右ノ次第ニ付内. 外山脩造. 幕ノコトト増株ノ目的丈ハ廿六ノ一休御指揮迄. 岩崎小二郎様. ハ間ニハ御運ヒ可申様拝何分御示諭奉仰候也.     玉机下.  十月十四日. 再時成丈可否尓も當所談□之都合も有之候各間. 堤 長發. 何卒電報ニて御指揮之程奉願候. 外山脩造 岩崎様.  10 月 12 日時点で記されたこの書簡では,ま ず増株金について, 「虚額多ク目下至急ニ之ヲ.  この書簡では,まず,10 月 13 日,「白木免. 充タス事ハ頗ル困難能事情」があることが明ら. 除ノコトハ漸ク決議」したことが明らかにされ. かにされている.そこで外山らは,一計を案じ. ている.しかし, 「創業以来ノ帳簿突合セ」は「名. た.すなわち,四日市から「創立願」が出され. ニ御流」と実質的なレベルでは行えず,同行の. ているが,その発起人宛へ第三十二国立銀行の. 経営状態の「真実ヲ得ル能ハス」であった.さ. 「旧株ヲ譲渡シ支店ヲ設ケ候ハヽ双方能便ト可. らに,増株金の全額入金を「見届ル事ハ迚モ当. 相成」というのである.そこで, 「創立願」を. 月中ニハ無覚束」状況であり,「其目的サヘ確. 出している銀行の資本金高と発起人名を「至急. 定致候ハヽ引取リ候テ可能哉」,「時日ノ遷延ニ. 御高案御洩被計下度」 「何卒電報ニて 御指揮之. 拘ラス是非共見届不申テハ相成間敷哉」と,岩. 程」,岩崎銀行課長に願い出ている.. 崎の指示を仰いでいる.もっとも,増株金の入.  このように,同行の増資は一筋縄ではいかな. 金の件については, 「内幕サヘ整ヒ候ヘハ増株. かった.次に,同行取締役白木の更迭の件など. 金ノ事ハ遠方マテ手出シ不致候共纏マルベキ見. が記された史料5(書簡3)をみよう.. 込有之候」と楽観的な見通しが示されている. なお,「四日市ノ事」( 外山らの一計 )は,役員. 史料5(書簡3). 一同には「公議ニ及ハズ」と伏せられていた.. 前啓三十二ノ事ハ御賢察ノ通優柔不断実ニ困却.  このように,さまざまな限界を孕みつつも,. 罷在候際両澤正次郎ヘ御托シノ尊書ニテ大ニ地. 大蔵省は,検査を通じて,問題のある取締役を. 於不得断然不得ニ引揚クヘキ意ヲ示シ(五代ヨ. 更迭することに成功したのである.. リ該行ヘ不届ノ教誨モアリ)且二十六日及美掛 ル事ニ付数ハ放擲存候居處昨夕平池来リ白木免. 4-3 小括. 除ノコトハ漸ク決議―銀行ハ勿論平瀬ノ承事ニ.  第三十二国立銀行は確かに大阪の有力銀行で. テ一切立入ラシメサルコト―シ今日(即廿四日). あった.しかし,大蔵検査の結果,帳簿の記載. 本人ヘ御達シ恐惶ト申出テメリ貸借向内幕ノ校. が 2 週間ストップしていたり,基本的な帳簿の. 閲モ一切ハ次ニハ必ス貴検ノ都合ニ拠ルヘク様. 記帳方式が大福帳的なもの(単式簿記)であっ. 創業以来ノ帳簿突合セモ名ニ御流可申候併コレ. たり,単純な帳簿の整理に 1 ヶ月以上要したり. ノミニテハ到底真実ヲ得ル能ハス内幕ノ儀肝要. と,近代的な銀行とは言い難いマネジメントが. ハ□候然ルニ増株悉皆預入ヲ見届ル事ハ迚モ当. 行われていたことが明らかとなった.また,頭. 月中ニハ無覚束就テハ其目的サヘ確定致候ハヽ. 取関係の大口貸出先など 2 口 5 万円余が不良債. 引取リ候テ可能哉又ハ時日ノ遷延ニ拘ラス是非. 権化していることが摘発された 34).さらに,同. 共見届不申テハ相成間敷哉御伺候尤内幕サヘ整 ヒ候ヘハ増株金ノ事ハ遠方マテ手出シ不致候共 纏マルベキ見込有之候ニ付此場ニ至ラバ精々参. 34)岩崎銀行課長だけでなく,五代友厚も同様 の指摘をしていることから,同行に深刻な不良債 権問題が存在したとみて,間違いないだろう..

(16) . 行経営陣が,実地検査に出張してきた大蔵省の. 思われる.すなわち,石井寛治(2007)では,. 役人の質問に対して説得力のある客観的な説明. 両替商から国立銀行への転換をやや連続的にと. ができず,同行の経営者は近代的な銀行業務. らえ直すという新たな試みが行われているが 37),. についての知識が乏しいことも露呈した.創業. やはり両替商と銀行の両者の間には,その実態. 当初の同行の経営は,リスク・マネジメントが. にかなり断絶の側面があることが,本節の検討. 十分とはいえず,少なくとも質的には良好でな. によって示唆されたように思われる.. かったことが明らかとなったのである..  以上の点に鑑みるならば,大蔵省銀行検査は,.  結局,同行は,大蔵検査を槓杆に,問題のあ. 両替商から近代的な銀行への転換を推進する 1. る取締役を更迭,30 万円への増資を 20 万円に. つのファクターとして重要だったということが. 縮小して,さらに大蔵省の外山脩造を総監役と. できよう 38).. して迎え入れることで,経営の立て直しを図っ ていく.当時の大蔵検査は,国立銀行の経営問 題を明らかにして,その改善を促進する役割を. 5.維新期における大蔵検査の実態② ―第十六国立銀行を題材に―. 果たしていたのである 35).. 5-1 第十六国立銀行の概要.  石井寛治(2007)との関係では,本節の検討.  現在の十六銀行の前身である第十六国立銀行. を通じて,創業当初の第三十二国立銀行の経営. は,「先祖代々織物業を営み」,酒造業も営んで. は決して順調ではなく,帳簿の整備が不十分で,. いた「旧家」の渡辺甚吉が中心となって,1877. 深刻な不良債権を抱えており,白木保三が経営. 年 10 月に設立された岐阜県の有力地方銀行で. 悪化の責任によって取締役の座を退いていたこ. ある.開業地は松屋町であったが,渡辺家は「町. とが明らかとなった. すなわち, 「外山の伝記が,. 内の約半分の土地を所有」する有力地主でも. 同行の経営は極度に悪化しており,…減資した. あった.創立当初,渡辺甚吉頭取,上松武次郎. とする叙述は誤りである」とは断言できないこ. 支配人とも年齢が 20 代前半であったことから,. とが実証的に示されたのである.やはり,外山. 大蔵省からは「子供銀行」と評せられていたと. 脩造が総監役として迎えられることになった背. される.そこで,この二人は「第一銀行をとく. 景には,本節で明らかとなったような同行の経. に先輩銀行と考え,銀行経営の全般にわたり直. 営問題があったと素直にみる方が,より実態に. 接間接に指導を受け」ていた.創立過程で同行. 近いのではなかろうか. は,株主を募り設立資金を集めることに「難航. .. 36).  このことは,近代的な銀行業というものがほ. した」とされている.そして,1878 年に入ると,. とんど認知されていない状況下,両替商が近代. 西南戦争(1877 年)に伴うインフレが波及して,. 的な銀行に転換していくのにはかなりの困難が. 「岐阜町の金融は繁忙化」して,同行は「資金. 存在したことをあらためて示唆しているように. 不足」に陥ったため,最終的に 5 万円の増資を. 35)もちろん,本節の検討では,不良債権処理 や帳簿の記帳方式の改善が実際にどの程度進展し たか明らかでないという点には,留意する必要が ある. 36)同行が黒字決算をなしえたのはなぜだろう か.遺憾ながら史料の制約上,実証はできないが, 次の 2 つの可能性が考えられる.①経営上の問題 を抱えてはいたものの,それが決算に表われるに は至っていなかった.②赤字決算ではあったもの の,史料にあるように検査官が一行の蹉跌から国 立銀行システム全体の信用不安が惹起されること を懸念していたため,粉飾決算を容認した.. 行った.さらに同年,政府の起業公債の募集に 呼応して,同行は同公債を 9 万円購入した 39). 37)石井寛治(2007)237 頁. 38)「機能的優越性」を背景に両替商から銀行へ の転換が自生的に進展したという理論的想定は, いまだ実証的に裏付けられていないように思われ る.石井寛治(2007)244 頁.まずは,「機能的優 越性」が,明治維新期における銀行経営者にどの 程度認知されていたかを実証する必要があるので はなかろうか. 39)十六銀行編(1978)20 ∼ 43, 79 ∼ 86 頁..

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