キルギスにおける社会体制転換に伴う観光の変容
―ソ連時代経験者の観光実践を中心に―
グリザット アコマトベコワ
本論文は,社会主義と資本主義の二つの社会体制を経験したキルギス国民のライフヒスト リーから,体制転換に伴う観光の変容を,観光に関わる制度・制約,観光の動機,観光の社 会的機能,観光に付与された意味を中心に解明した.今日の資本主義社会の観光は,個人が 自らの意思で選択し余暇に楽しむものと考えられているが,その対象はメディア等によって 作られたものであるとも言える.一方,社会主義社会である旧ソ連における観光は,党・政 府によって憧れの対象から誰でも実施可能なものまで巧妙に階層化され,配給制度を通じて 権力上位の者の特権意識の自己確認と労働者の労働意欲の向上を促した.結果として観光は,
ソ連国民が国家や社会秩序を肯定し,国家への信頼と帰属意識を高める役割を果たした.中 には農業活動のような労働に準じるものもあり,また人々は観光を職場の人間関係を駆使し て入手するなど,観光は労働の延長線上にあったとも言える.特に旧ソ連における少数民族 のキルギス人にとって,ソ連時代の観光は人脈作りなど人生の可能性を広げうる点で資本主 義化後よりも重要であった.それでも人々は観光に娯楽や癒しを求めており,この点は資本 主義・社会主義を問わず両社会に共通する観光の基底部分である.資本主義化後に階層間移 動を経験する中で,富裕となった者は他者との差異化のために,富裕でない者は他者との同 化のために観光を消費しており,観光に与えられた意味は階層分化しつつある.その一方で,
ソ連社会の秩序や規律が失われると同時に,観光には親類・部族内の相互扶助や,制約から 解放されたキルギス民族のアイデンティティの投影など,社会の安定化と新秩序への再構築 の役割が課されている.ただし,資本主義化後に導入された観光を忌避する者もおり,観光 の動機や実践はソ連社会で育まれた彼ら自身の文化資本に左右されてもいる.
キーワード:社会体制転換,旧ソ連,キルギス,観光実践,観光動機,階層分化 博士論文概要
St. Paulʼs Annals of Tourism Research No.22 March ʼ20 pp.31-42.
1.はじめに
(1)研究の背景と目的
観光は余暇の時間に行うレクリエーションを主 目的とした行動で,その際に移動や一時的滞在を 伴 う も の, あ る い は そ れ ら の 関 連 現 象 で あ る
(Pearce,2001).しかし,この前提にあるのは資 本主義に基づいた西欧社会だと考えられる.18 世 紀後半の産業革命以降,人々は労働で賃金を得る と同時に余暇をも得ることになり,近代観光はこ の労働の中から発生し,仕事と余暇をはっきり区 別して発展してきた(小池ほか,1988).だが,20 世紀前半に出現した社会主義体制では,観光の社
会的な意味も資本主義体制と異なっていた.たと えば,ソ連における観光のうち,一部の温泉クロー ルトへの旅には仕事で成果を上げた人しか行けず,
計画経済下の観光は経済や労働と同様に管理され,
原則として共産党によって与えられるものと考え られていた(アコマトベコワ,2015).以上のこと から,資本主義社会を前提にして議論されている 観光の概念は,様々な社会体制を踏まえた議論に より拡張される可能性を秘めている.そこで本論 文では,社会主義と資本主義両体制下の観光を扱 い,観光の経験と動機,観光に付与された意味を 考察する.
社会主義体制下の観光に関する既存研究には,
党・政府が観光に与えた役割や機能を解釈した資 本主義側の研究者によるもの(Hall, 2004 ; Palmer, 2006 ; Fitzpatrick, 1992 ; Lysikova, 2012 など)と,
計画経済を前提にした施設立地や配分効率を分析 した社会主義側の研究者によるもの(Azar, 1972 ; Kozlov, 1973 など)がある.いずれの研究も観光を 俯瞰的に捉えたものに過ぎず,旧社会主義国にお いて個々人の経験や動機などミクロな視点からの 観光研究は皆無だと言える.他に,体制転換後の 観光地としての認知度やイメージ,アイデンティ ティといったインバウンドツーリズムを分析対象 とした研究もある(Schofi eld, 2011 ; Palmer, 2007 ; Kantarci, 2006 ; Thompson, 2004 ; Kantarci, 2015).一方,体制転換前後の経済・社会に関する 研究が一定数あり,中でも企業経営と労働者を分 析した石川(2009)の研究結果は,社会転換期に は企業内の人間関係や組織への帰属意識の変化と いった個人の分析が重要であることを示唆してい る.
以上を踏まえ,本論文はキルギスにおいて社会 体制転換に伴う観光の変容を明らかにすることを 目的とする.
(2)研究の方法
この目的を明らかにするために,本論文は社会 主義と資本主義の二つの時代を生きた人々の観光 実践に注目する.また,その体制転換における観 光の変容に,社会主義以前の移牧社会としてのキ ルギスの習慣も関わっていたため,その時代の観 光の内容についても補足する.帝政時代までのキ ルギスは部族を生活集団単位とした移牧社会であ り,現代よりも広範な移動範囲を持っていた.し かし,社会主義化後その移牧社会が固定化・定住 化され,住民はソ連内の他国と同じように近代的 な観光を享受するようになった.それが資本主義 化後,再び移牧社会がコミュニティや民族として のアイデンティティ,観光対象などの点で見直さ れるようになっている.
社会体制転換による観光の変容を個人の観光実 践に着目して明らかにするためには,まず社会階 層間の移動と観光との関係をみる必要がある.本 論文では,87 人のキルギス国民にインタビュー調 査を行い,ソ連時代と資本主義化後の彼らの観光 実践と社会階層の変化を明らかにする(第 3 章).
ソ連時代については,国民の生活が安定し,観光 が多かったと推測される 1977〜82 年の黄金時代(ダ ダバエフ,2010)を対象とした.また,社会階層 間の移動類型の代表者として,表 2 で示す人物(A 氏;B 氏;C 氏)を対象にライフヒストリー調査を 行った.
補足調査としてソ連時代にキルギスの観光連盟 協会会長や工場の部門長等であった 5 人にもライ フヒストリー調査を行った.語りの内容の他に彼 らが持っている資料も分析に活用する.さらに第 5 章では,前述の体制転換期を乗り越えた企業内労 働者の経験を解明した石川(2009)の分析項目と も対応した,①制度・仕組み・制約,②観光の動機,
③観光の社会的機能と,これに加えて④観光に付 与された意味を中心に考察する.なお,社会階層 は個人の持つ知識や能力,加齢によって移り変わ る可能性があるが,本論文では調査時点で回答の あった社会階層に限定する.
2.キルギスにおける観光の展開
近世ロシアにおける観光の始まりは 1697 年の ピョートル大帝による西欧への旅であり,その目 的は,外交と科学技術,文化の視察,導入にあった.
1780 年以降ロシアはクリミア半島からコーカサス 地方に進出し,中央アジアも 1880 年代までに完全 にロシア領となり,ロシア人の学者や探検家がコー カサス山脈や天山山脈で探検や登山(alpinizm)し た.19 世紀に,ロシア内での鉄道の発達,ホテル の開業,銀行の両替制度の整備などを契機として,
ロシア商人による西ヨーロッパへの商業旅行が始 まった.1885 年にペテルブルグ在住外国人 Lipson がトーマスクックを参考に,ロシア初の新興富裕 層向け海外旅行会社 Lipson を設立した(Usyskin, 2000).1895 年にはロシアに自転車観光者協会が設 立され,「観光はスポーツである」という概念で扱 われるようになった.
19 世紀半ばに帝政ロシアに支配されるまでキル
ギス人は移牧生活を送っていた.キルギス人の遠
方への観光の萌芽は馬に乗って羊の放牧に行く他
に,他地域で暮らす他部族を尋ね,会話や宿泊を
することであった.また,湧水地を石で囲んで入
浴するだけでなく(Ashmarin, 1934),温泉を含む
湧水地を聖地として扱った(Aigine, 2009).
しかし,1922 年のソ連形成と共にキルギスにお ける遊牧・移牧民としての自由な移動も制限され ていった.1962 年には全ソ連の観光管理システム が再編され(Ganskiy and Andreichik, 2014),観 光者の属性に応じて,労働者の観光は全ソ連労働 組合中央評議会が,国際観光は国際観光協会委員 会が,軍における観光は防衛省が,学校の修学旅 行は文部省が,青少年のための観光はスプートニ ク/コムソモールが管理するようになった(図 1).
これらの管理機関がそれぞれ休暇施設を建設し,
管轄する人々に向けてバウチャーを配分した.
1964 年から 1982 年までのブレジネフ時代は,住 宅供給が全国に行きわたり,政治的な圧力も比較 的少なく,国民の多くが現在もなお肯定的に評価 する時代である
1.国内観光が発展し,観光産業従 事者も増加し,人材育成が必要になったことで,
1960 年代には観光教育が大半の大学で取り入れら れ, 大 学 内 に は 観 光 ク ラ ブ も 作 ら れ た( 中 子,
2010 ; Ganskiy and Andreichik, 2014).なかでも体 育大学や教育大学の体育教育で,「観光」は必須科 目として導入され(Nikulshin, 1965),学生は観光 理論と合わせ,5 日間の野外訓練に参加する必要が あった.特に黒海やカフカス山脈を有するコーカ サス地方は観光教育に熱心であり,アゼルバイジャ ンではソ連で初めて全大学全学部で観光を必須科 目にした.そして,表 1 で示している通りソ連全 体に計画的に休暇施設が整備された.表 1 で示し
ているもののほとんどが統計局の経済学者 Azar
(1972)の著書に含まれていたことから,1970 年代 には表 1 に示された施設が整っていたと考えられ る
2.Azar(1972)は休暇施設を受動的休暇施設と 自発的休暇施設に二分しており,表でも休暇施設 を温泉治療に代表される受動的休暇施設と,登山 やスキー等の自発的休暇施設とに分けている.
受動的休暇施設とは,労働組合等によって配給 されるバウチャーが必要なものである.その中で もクロールトとサナトリウム,一部パンシオナッ トの利用には医者が発行した処方箋の提出を必要 とし,休暇ホーム,子どもキャンプや一部のパン シオナットの利用にはその必要はなかった.
クロールトとは,ピョートル大帝によってヨー ロッパから導入され,海辺・湖畔,森林・山間部 に立地する治療やリハビリ,病気予防のための温 泉・泥療養施設であり,休暇施設の中で最も高級 で贅沢なものだと国民に認識されていた.サナト リウムは,海や湖畔,森林・山間部での療養がで きる施設で,結核等の特定の病気治療用のものも 存在する.パンシオナットは海や湖畔に立地し,
一部では温泉・泥治療,物理治療が行われる.
一部のパンシオナット,休暇ホームと子どもキャ ンプ(ピオネールラーゲリ)
3では治療が行われな い代わりに,健康な人々のための休暇プログラム が 提 供 さ れ た(Azar, 1972 ; Koenker, 2009 ; Preobrajenskiy and Krivosheev, 1980 ; Belovinskiy.
2015).子どもキャンプへの参加には親の職場から
コムソモール 中央委員会
観光と遠足 中央委員会
労働組合自主的 スポーツ協会
国際観光協会
委員会 防衛省 文部省 青少年海外旅行局
SPUTNIK
↓ ↓ ↓
観光と遠足管理局 州委員会 → ピオネールの家
↓ ↓
労働組合 自主的体育・
スポーツ協会
共和党レベル インツーリスト
協会
観光と遠足,
軍隊と海軍の 地域管理局
共和党,州・
地方レベル青年 ツーリスト局
青年海外遠足 管理局
↑ ↑ ↑
国際観光 軍における観光 青少年のための
観光
全ソ労働組合中央評議会 ソ連邦大臣評議会
中央青年観光 と遠足局
↓ ↓ ↓
共和党,州・地方 レベルの 若者海外旅行局
↑ ↑
労働者の観光 学校の修学旅行
中央コムソモール委員会の下での 観光と遠足の機関間委員会
共和党、州・
地方,地区・市 レベルの観光と 遠足協議会
図 1 ソ連時代の観光管理機関 (1962 年以降)
出典:Ganskiy and Andreichik(2014)
配給されるバウチャーが必要であり,配分の構造 がバウチャーと類似する.
これらのバウチャーは,プチョフカ(putyovka)
と呼ばれ,中央労働組合当局によって割り当てら れ,地元企業の委員会を通じて配布されることに なっていた.中でもクロールトへのバウチャー調 達が困難
4であった.クロールト施設の滞在は 1‑4 週 間 で あ り, 治 療 の た め に 訪 れ る 者 は 患 者
(bol̀noi), 休 暇 す る た め に 訪 れ る 者 は 休 暇 者
(otdykhayushiy)と呼ばれた(Palmer, 2006).そ こでは「治療手順」があり,看護師や医師の監督 下での温泉入浴,日光浴,海水浴,マッサージ,
体操といった治療が毎日行われた.クロールト施 設ではコンサート,映画鑑賞,ダンス,ボート乗 りや谷・森林・山間エクスカーション,テニス,
チェス,プール等のプログラムも提供されていた.
自発的休暇施設とは,バウチャーの不要な,治
療を提供しないもので,観光ホテル,観光ベース,
登山キャンプ,休暇ベース,狩猟と釣り人のベー ス
5,子供観光・エクスカーションベース,少年ス ポーツ・労働キャンプ(15‑17 歳),憩いの場(プ リユート),山小屋(ヒージナ:観光ベースから離 れた山間部の小屋),文化創作組合(トヴォルチェ スキー・ドム tvorcheskiy dom)の施設である.ブ レジネフ時代は政治的な圧力が比較的少なかった とされるため,1960 年代から 1970 年後半にかけて 自発的休暇施設が増加したと考えられる.
第 2 次大後戦後のソ連の観光管理システムの再 編と観光推進政策により,キルギスでも 1965 年ま でに治療を提供するサナトリウムおよびパンシオ ナット(大人用)が 23 軒に,休暇ホームおよび休 暇パンシオナットが 32 軒に増加するとともに,予 防用サナトリウム 9 軒,観光ホテルと観光ベース 4 軒 が 建 設 さ れ, 休 暇 施 設 は 1939 年 の 15 軒 か ら 表 1 ソ連の計画的に整備された休暇施設(1970‑1980 年代)
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Azar(1972),Preobrajenskiy and Krivosheev(1980),Kozlov(1985),Ganskiy and Andreichik(2014)を参考に筆者作成
1965 年に 68 軒に増加した.1970 年に休暇施設数 のピークを迎え,合計 164 軒になった.また,休 暇施設の建設とともにクロールト・サナトリウム 施設等では,当時の最新医学設備の設置,医療人 材の育成等がされたことで,治療の質が向上した
(Jyrgalbekov, 1995).
1969 年にはインツーリストのキルギス支店と Sputnik 青少年海外旅行局のキルギス支局が開設さ れた.キルギスはモスクワから 3,700 km の距離に 位置しているにもかかわらず,鉄道によるアクセ スが良好であり,全ソ連の観光流動では 2 位を占 めていた.しかし,外国人観光客数は,インフラ の脆弱性や宣伝の少なさから,最下位のグループ に入っていた.また,夏季の観光はイシック・ク ル湖の北岸に集中していた(Jyrgalbekov, 1995).
キルギスは,1991 年 8 月 31 日に独立を宣言し,
1992 年 5 月に憲法の制定,通貨ソムの発行を行った.
独立宣言後,キルギスは他の中央アジア諸国と異 なり,自由市場経済と民主的社会の確立を選択し た(Starr, 2006)が,市場経済はかつてない衰退を 経験し,1992‑1995 年に工業と農業の生産額ともに 大幅に減少した(秋吉,2012).そこで,天然資源 のないキルギスは経済政策の一つとして観光推進 を決め(Anderson, 1999 ; Alymkulov eds. 2002),
1999 年に「観光に関する法律(Law of Tourism)」
を制定した(岩田ほか,2008).キルギスは,歴史 文 化 を 代 表 す る 著 名 人 の 銅 像 の 建 立 や,Rihter
(1930)が提唱した「中央アジアのスイス」をアピー ルし,国境を接する中国,カザフスタン,ウズベ キスタンとの差異化を図った.そして,2000 年に 入ると,観光による外貨獲得の議論が盛んになり,
2007 年には観光庁(State Agency on Tourism)
が独立機関として設置され,インバウンド観光に 力を注ぐようになった(岩田ほか,2008).
インバウンド観光について研究した Schofi eld
(2004)によると,キルギスの遊牧民としての伝統 的な家での宿泊,キルギス人家族との交流,もてな し等のホスピタリティが外国人観光客に人気であ るという.スイス政府と協力した「Helvetas Agro Project」 の 下 で 2000 年 に Kyrgyz Community Based Tourism Association が誕生し,地元の自然・
レクリエーション資源を基に持続可能なエコツー リズムが進められ,外国人観光客に民宿や伝統料
理,ショー等を提供し始めた.このようなインバウ ンド客向けに農村地域でキルギスの伝統・文化を 提供する観光が促進されたことが「まなざし効果」
を生み,国内客向けにもキルギス遊牧生活習慣に基 づくジャイロ(草原)観光が誕生した
6.
一方,Lysikova(2012)によると,ロシア人に よるロシア国内旅行ではノスタルジー観光が流行 している.ノスタルジー観光の動機となっている のは,ソ連時代に対して抱く肯定的な追憶であり,
Lysikova は社会的記憶の伝説化と表現している.
このソ連時代を偲ぶノスタルジー観光はキルギス 国民にも当てはまる現象である.また,アウトバ ウンド観光については,Lysikova(2012)によると,
ロシア居住のロシア人にとって「All inclusive」の トルコやエジプトへのパッケージ旅行が人気であ り,観光先の選択や観光行動には観光客自身の経 験,マスメディア,インターネット,流行と宣伝 が 影 響 を 与 え て い る と い う. 以 上 の よ う な Lysikova(2012)が解明した観光の状況は,筆者 によるキルギス国民へのインタビュー調査でも確 認されている.
3.キルギス国民の社会階層間移動と観光(第 3 章)
インタビュー対象者 87 人の社会階層と観光を,
1970‑80 年代前半と資本主義化後で比較した結果は 次の通りである.ソ連時代の社会階層の内訳は,
階層区分については Zaslavskaya(1995)にならっ たものであり,まず支配的権力を持つ共産党書記 局・政治局員や工場社長,ソフホーズ・コルホー ズ長等からなるノーメンクラツーラという者たち がエリートとされた.本論文では,ノーメンクラ ツーラのみならず管理職の全てをエリート(13 人)
とする(表 2).
その他に,教師や医者等からなるインテリ(37 人),商工業を中心とする労働者(15 人),コルホー ズやソフホーズで働く農民(10 人)からなる階層 が形成されていた.ソ連崩壊後は,収入レベル・
財産所有等の経済力も社会階層を分ける指標に加
わり,それに応じて新興富裕層,中産階級,基礎
階級と下流階級に分けられるようになった.体制
転換に伴う階層間移動の内訳は,エリート・イン
テリから基礎階級・下流階級に移動した者が 38 人 を占め,その主な観光は湖観光,草原観光とクロー ルト旅行であるが,エリート・インテリから新興 富裕層・中産階級に移った者は 16 人であり,スキー や海外旅行およびハンティングも実施している.
一方,労働者・農民から基礎階級・下流階級に移っ た者は 18 人で,主な観光は湖観光,草原観光,クロー ルト旅行と聖地旅行であるが,労働者・農民から 新興富裕層・中産階級に移った者は 3 人にすぎな い.ソ連時代における観光は,政府主導によるも の(パッシブ観光:滞在型のクロールト等)と,
自由に行えるもの(アクティブ観光:登山,ピク ニック,キャンプ等),そしてそれらの中間的なも のが存在した.
政府主導の観光には,半ば強制された農家活動・
建設活動や,旗や風船などの持参品まで指定され たパレードへの参加なども含まれる.これらへの 参加者は半強制的な活動の中にも楽しみを見出し ていた.一方,自由に行える観光には,少額を必 要とするものも含まれるが,階層間の収入格差が 小さかったため,誰もが享受することができた.
両者の中間的なものにはソ連国内観光やオペラ鑑 賞などがある.例えば,オペラは配給される切符 と自由に購入できる切符が混在していた.
87 人の社会階層別の観光を上位階層から順にみ ると,ソ連時代もっとも階層間格差の激しかった ものは社会主義国・資本主義国への海外旅行であ り,エリートが 61% を占めている.資本主義化以 降どの社会階層も海外旅行を行うようになったが,
新興富裕層の割合が高い(89%).次に,帝政時代 にできた貴族階級向けクロールトは,ソ連成立後 その果実の一つとして労働者に提供されるように なったものの,実際は特権を利用したエリートが 大多数を占めていた(92%).資本主義化以降のク ロールト旅行は,経済的余裕があれば誰でも行け るものとなり,経済的余裕のない 60‑70 歳台の基 礎階級も,子供や親戚の支援によって実現してい る.一方,新興富裕層は,ソ連時代の温泉クロー ルトや保養地に興味を示さず,海外旅行や欧米人 を模倣したハンティングなどに注目している.最 後に,インテリ(97%)と学生(86%)が農繁期等 に行った農家活動・建設活動がある.インテリと 学生はこの活動を通して国に仕事力を示す立場に
あり,かつ成果を上げれば上位のエリートになれ た.活動先では都市内観光や地域交流,チーム内 のメンバーとの結婚の機会も,楽しみの一つであっ たという.
ソ連時代にいずれの社会階層でも比較的行われ ていたものとして,中間的な観光のソ連国内旅行 がある.バウチャー制のツアーに加え,汽車やバス,
飛行機などの切符を自ら買い,ソ連内を旅行した という.また,登山は各機関の下にある登山クラ ブへの所属により,ソ連内の登山ツアーに参加で きたが,労働者の割合が特に多かった(60%).他に,
ソ連時代には集団遠足,パレード,祭りなどの国 家行事と,当局推奨の映画,オペラやコンサート 等のエンタテイメントは安価であったため全階層 が行ったが,資本主義化以降は個人の興味や経済 能力により異なっている.
資本主義化後に全階層で盛んになったものには,
ソ連時代には制限された草原観光と Toi&Ash があ り,国民的な観光となっている.また,イシクク ル湖周辺には次々とホテルが新設され,高級ホテ ルには新興富裕層か外国人のみが宿泊し,地元住 民が提供する安価な民宿に基礎階層,下流階層が 宿泊している.最後に資本主義化後の宗教活動制 限の解除により,国内外の聖地旅行が発展しつつ ある.
以上の体制転換に伴う社会階層間の移動と観光 との関係をまとめたものが表 2 であり,4 類型から それぞれ代表的な人物を抽出し,表 3 の 3 名への ライフヒストリー調査を行った.
4.ソ連時代経験者の観光実践と社会体制転換 に伴う観光の変容(第 4 章)
第 4 章では,3 名のライフヒストリーをもとに,
社会主義体制下でどのような動機で観光が実践さ れ,それが資本主義化後どのように変容していっ たのかを分析した.
その結果を下記 a)〜d)の 4 点で考察したのが第 5 章である.以下では第 4 章と第 5 章を織り交ぜな がら説明する.
a)観光に関わる制度・制約・仕組み
ソ連では階層差がないという建前であったが,
共産党・政府はノーメンクラツーラ以外の階層の
賃金を平均化し,その代わり政府主導のクロール ト旅行やダーチャを労働の対価として配給した.
これは労働意欲を喚起するために使用されたが,
多くの場合,権力のある人から順番に享受できた.
また,中央アジアでは非土着系住民であるロシア 人が特権階級とされ,ソ連政府から優遇されたた め,彼らは夏季中にクロールトを利用できた.
一方で,A 氏のようなノーメンクラツーラ階級 ではない地元エリートは主に秋にしかクロールト 旅行できず,また B 氏のような大学教授のインテ リでもほとんどクロールトを利用できなかった.
しかし,配給制の観光を入手できない人々は他の 手段,たとえば同一出身地や同じ職場のノーメン クラツーラ階級との人間関係を築き,通常ならば 困難であった国内旅行や海外旅行の機会を手に入 れた.つまり,社会主義時代にはノーメンクラツー
ラ階級とのコネを持てば観光も可能であった.資 本主義化以降,労働組合によるクロールト等への バウチャー配給は大幅に廃止された.また,共産 党が独裁的に管轄していた海外旅行等は,市場経 済にもとづく多数の民間観光会社による海外パッ ケージツアーに変わった.基礎階級であっても,
富裕な家族や親戚から与えられるといった互助に よる観光も可能である.つまり,それまで国・職 場から配給された観光は,社会体制転換に伴い,
経済的制約の下で自ら購入するもの,あるいは家 族・親戚の援助によるものに変化したと言える.
b)観光の動機
共産党・政府は観光をも物資と同じく配給制に したが,人々はこのような政略を肯定的に享受し た.また,特別な旅行に行けるという特権意識は 権威者自身の自己確認作業にも,労働者の労働の 動機づけにもなった.たとえば,A 氏がクロール ト旅行に行った際には,彼の滞在先に親戚・知人・
部下などが敬意を示すために大量の羊肉などを持 参した.その伝統的なキルギスの交流が A 氏のク 表 2 体制転換に伴う社会階層間の移動と観光
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注:ソ連時の国民的観光とはパレード参加・鑑賞や祭り , 近場への集団遠足である .
インタビュー調査により筆者作成
表 3 ライフヒストリー対象者の属性,
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注:以上の 3 人いずれに対して Skype,Watsap の 遠隔のインタビュー調査も実施
インタビュー調査により筆者作成
ロールト旅行の動機となり,地元エリート A 氏の 権威者としての自己確認作業にもなっていた.そ のためにも A 氏は労働での努力の他に贈り物をす るなどしてノーメンクラツーラ階級の共産党書記 との人間関係を維持していたと言える.
一方,パレードなどのイベントや集団キャンプ,
修学旅行なども,国家にとって国民に社会主義を 受け入れさせるための道具として,またノルマ達 成の報酬としての役割を付与されていたが,イン タビュー対象者の多くは,これらの観光や生活自 体も楽しかったと評価し,彼らはソ連時代に設立 された温泉クロールト等に対してノスタルジーす ら感じている.
他方,資本主義化以降のアウトバウンド旅行会 社の増加や,メディアとインターネットの普及に より,他者の海外旅行記事やブログなどを容易に 閲覧できるようになったことで,海外旅行を経験 した人への羨望も海外旅行の動機となっている.
また,B 氏のように新興富裕層に登りつめたキルギ ス住民の多くは,自らを他者と差異化し,評価さ れるための顕示的消費として西洋趣味を取り入れ ている.これは資本主義社会における消費の典型 例と考えられる.
さらに,資本主義化以降,インバウンド旅行者 向けに観光化されたキルギス人の草原放牧生活(牧 畜はソ連時代にはコルホーズなどに再編された)
が再び注目されるようになり,都市在住キルギス 人の間でも草原放牧生活の習慣を対象とした草原 観光やイシック・クル湖観光が誕生した.これら は外国人観光客によって与えられた価値・イメー ジを確認するような新しい観光の動機である.し かし,資本主義化以降経済的に豊かになったにも 拘わらず,C 氏のように社会主義時代に農民・労働 者だった者の中には,ヨーロッパから導入された 観光を忌避する者もいるため,体制転換に伴う観 光の実践や動機は彼ら自身が持っている文化資本 とも関係しているとも考えられる.また,資本主 義化以降キルギスでは C 氏が行なっているような 聖地への観光が発展しつつあることもまた,ソ連 時代にはあまり意識されていなかったキルギス民 族の一員としてのアイデンティティが醸成され,
観光の動機にもなっていることを示している.
c)観光の社会的機能
社会主義時代の観光は,政府により労働の対価 や褒美として物と同様に配給された.国内外旅行 の団体観光客は出国する前に政府に教えられた ルール通りに動いており,観光はソ連政府にとっ て指揮者の棒と同じ機能を果たしたと言える.一 方,国民から見れば,海外旅行などはただ地理的 な国境を超えるものではなく,ソ連にはない海外 の高品質の物資を手に入れる機会でもあり,それ をソ連内の知人に売ることができた.つまり,観 光はソ連民にとって物資調達の手段や副収入を得 る資本でもあった.
また,ソ連民にとって観光は国民の団結や統合 の機能を持っていた.たとえば,国内外への団体 旅行は意図的にソ連のあらゆる共和国からの民族 で構成されていくため,民族間コミュニケーショ ンの連携役にもなった.これは,集団労働による 観光でも同様であり,特に学生同士の友情,恋愛,
結婚までつながり,当時の観光はカップルや家族 形成の役割も果たしたと考えられる.
そして,社会主義時代の観光はソ連民にとって 職場を中心とした集団の団結,上司との人間関係 を維持するためのコミュニケーションツールでも あった.政府は国民の賃金を平均化したが,住居,
車,輸入品,観光の配給により国民に差をつけて いた.しかし,その配給に限りがあったため,人々 は上述のように職場や個人の人間関係を利用する ことで,配給制の観光へのアクセスもできた.つ まり,観光の入手には人間関係やコネが特権と同 じ役割を果たしたと言える.Bourdieu(1979)は,
進学や就職などを通じて,社会的地位の再生産に 役立つ人脈を社会関係資本と表現しているが,ソ 連社会においてはコネが社会関係資本に相当し,
観光にも欠かせない要素であった.つまり,人付 き合いを大事にすることで,国家から順番に配給 されるはずの車などの物質的な富に加え,観光を もいち早く享受することが可能となった.
資本主義化以降にもコネはキルギス社会に残存
しているが,社会主義時代にあった職場中心の人
間関係の代わりに,親類・友人・部族内の人間関
係へと転換した.たとえば,基礎階級や下流階級
に属している人たちは,子供や親戚の支援により
クロールト旅行に行き,また親戚や知人をフィン
ランド研修やノルウェー留学および国内の乗馬観 光に連れて行く新興富裕層に属する B 氏の例もあ る.B 氏の基礎階級や下流階級への援助の動機には,
金田(1995)が主張した血縁地縁主義が働いてい るほか,大倉(2013)が指摘した「尊厳の欲求」
が潜んでいる.このことからキルギス社会では,
職場中心と家族・親類中心の違いはあるが,両時 代に共通して観光は社会安定の役割(調整・互助)
を果たしていると言える.
また,資本主義化以降にインバウンドツーリズ ムがきっかけで発展し,キルギス人のほとんどが 行なっている草原観光は,手頃な値段で馬乳や馬 乳酒による治療を目的とするとともに,社会主義 時代に制限されたキルギス人の牧畜民としてのア イデンティティ(Kosmarskaya, 2006)を取り戻す 手段となっている.
d)観光に与えられた意味
社会主義では給料が平均化されていたことも あって,観光は労働の対価の一部として認識され ていた.観光は党・政府によって巧妙に階層化さ れており,憧れの対象となるものから,努力すれ ば手に入れられるもの,誰にでも実施できるもの まで用意されていた.その結果として,観光は,党・
政府にとっては国民支配(中央アジアのロシア化 政策,集団化なども含む)やイデオロギー普及の 道具として使用された.また観光は,人々にとっ ては労働の対価だけでなく,国家・党への信頼と 忠誠・貢献の成果(国を信頼すれば・国に尽くせ ば・秩序を守れば与えてくれるもの)としても認 識されていた.憧れの観光に行けるのは長年のあ るいは特別な忠誠・貢献の成果であり,その観光 は行った本人にとっても,それを憧れた人々にとっ ても国家への信頼と帰属意識を高める役割を果た した.なぜなら,このような階層的な配給の構造 は当たり前の秩序・規律としてソ連の人々に認識 されていたからである.
資本主義化したキルギスでは,観光は労働や党・
政府への忠誠の対価として国からもらうものとい う意味は大幅に減じた.その代わり人々は企業に 労働時間を売るようになり,得られた収入で個人 の選択によって観光を購入するようになった.富 裕な者は自己顕示的消費の対象として,観光を他 者と差異化するものとして利用している.一方,
富裕でない者は観光を他者と同化するものとして 消費している.それは他者に対して競争する気持 ちが湧き,人並み通りに観光したいという意識か らもたらされる.このように,観光に与えられた 意味は階層分化しつつある.なお,両者の観光に 対する意識は近年の SNS やブログで登場する他人 の旅行経験からも強く影響を受けており,人々の 観光実践はメディアという権力に管理されるよう になったとも言える.そして,必ずしも個人は観 光を完全に自由に選択しているわけではない.な ぜなら,企業やマスメディア,宗教による観光地 の宣伝や広告は一定の場所に限られており,観光 商品はパッケージ化され安価で提供されるため,
個人の観光商品の購入はある程度誘導されるから である.
資本主義化後,党・政府への忠誠や国家・職場 への帰属意識は低下したが,それに代わって観光 には家族・親戚・友人・部族などの身近なコミュ ニティを強化する役割が与えられている.特に富 裕でない者にとって,身近な家族などからの観光 の提供・同行によって,生活向上や社会安定が保 たれている.このように観光には,ソ連社会の秩 序や規律が失われた中で,身近なコミュニティを 中心とした新たな秩序や規律に再構築するための 潤滑油としての機能が付与されているといえる.
4.終わりに
今日の資本主義社会では,個人が労働で得た収 入を使って,労働とは切り離された余暇の時間に 自らの意思で観光を選択し楽しむものだが,多く の場合その対象はメディアや関連企業によって作 り出されたものと言える.社会主義社会では,観 光も党・政府により管理され,必ずしも自らの意 思ではなく,むしろ労働の対価として配給された.
中には農業 ・ 建設活動のような労働に準じるもの もあり,また人々は職場の人間関係を活用して入 手に努めるなど,観光は労働と区別されずむしろ その延長線上にあったと言っても過言ではない.
それでも人々は観光に娯楽や癒やしを求めており,
この点は両社会に共通した観光の基底的な内容だ と言える.
先行研究では,ソ連政府が観光を社会主義や愛
国心のイデオロギー普及のために使用したことが 指摘されていた.これに加えて個人の観光実践に まで踏み込んだ本論文で明らかとなったのは,ソ 連は階級の無い社会であることが建前で賃金も平 均化されており,それゆえ観光は労働の対価とし て配給されたが,クロールト旅行等の一部の観光 は権力のあるものから順に配給され国民を階層化 する手段としても使われたことである.さらに,
社会主義下の観光は労働者の労働意欲を高めるこ とにつながり,また権力上位の者による特権意識 の自己確認を促したことも明らかとなった.結果 として観光は,ソ連国民が国家や社会秩序を肯定 し,国家への信頼と帰属意識を高める役割を果た していたと言える.一方,資本主義化後は市場経 済により社会階層が明確に分化してきており,経 済力に応じた観光を行うことで,富裕な者は自己 顕示的消費で他者と自身を差異化する,富裕でな い者は競争意識から他者と同化しようとしており,
観光が個々人の社会的地位や他者への存在感をあ る程度規定していると言える.このように観光は,
政府による国民の階層化にも,個々人の市場原理 に基づいた選択による個人・社会の階層化にも使 われたと言える.
ソ連の人々は国内旅行や農家・建設活動などを 通して他民族との融和や他の組織・地域との関係 を構築した.このことはキルギスにおいては党・
政府によるロシア化政策への一助ともなったが,
ソ連時代の個人の経験が物語るのは交流の楽しさ だけでなく,身近な友情の確認,他民族も含めた 人脈の広がり,結婚相手との出会いなど,観光時 における人生に必要不可欠な人間関係の存在で あった.ソ連時代の観光は国によって管理され入 手も困難なことが多かったとはいえ,少数民族で あるキルギスの人々にとっては人生の可能性を広 げうる点で資本主義化以降よりも観光の重要性は 高かったと考えられる.これに対して資本主義化 後の観光には,親類・部族など身近なコミュニティ 内相互扶助や,制約から解放され外部のまなざし から喚起されたキルギス民族のアイデンティティ の投影など,社会の安定化と新秩序の再構築の役 割が課されている.これらはポスト社会主義国と して旧ソ連の盟主ロシアではなくキルギスを取り 上げた本論文の成果である.
本論文はキルギスにおいて社会体制転換に伴う 観光の変容を人々の観光の過去の経験と現代の実 践から明らかにすることを目的としたため,観光 の動機や社会的機能,観光に与えられた意味を中 心に解明した.そのため,観光を供給する側である,
共産党や政府,企業やメディアなどへの分析・考 察には深入りしなかった.また,本論文でインタ ビューの対象としたキルギス国民の多くは 1960‑80 年代のソ連時代経験者であり,社会主義時代から 資本主義時代への社会体制転換に伴う彼らの観光 実践を明らかにすることができたが,ソ連時代を 経験していない比較的若い世代のキルギス国民の 観光実践まで踏み切ることができなかった.キル ギスでも近代化が著しく進む他,グローバルコミュ ニケーションシステムズがキルギスの社会にも浸 透したため若者の価値観や観光行動はソ連時代経 験者と異なると考えられる.これらを解明するこ とで,ポスト社会主義国における観光の概念が総 合的に明らかとなり,資本主義国における観光研 究の蓄積との間でさらなる比較が可能になると考 えられる.■
【注】
1)筆者による A 氏,B 氏,C 氏へのインタビュー調査によ ると,ブレジネフ時代はソ連時代の中で最も安定した時 代である.ダダバエフ(2010)も,ウズベキスタン在住 の 10 人がこの時代を黄金の時代,皆生活を楽しんだ時代,
物が安くてなんでも手に入る時代,将来の夢を描ける時 代,と評価している.
2) 表 2‑1 の 施 設 内 容 は Preobrajenskiy and Krivosheev
(1980),Kozlov(1973 ; 1983 ; 1986),Ganskiy and Andreichik(2014)に基づいている.それらにはダーチャ は挙げられていないが,ダーチャは当時の市内在住の人々 にとって週末や夏季中の休暇施設であったため,筆者は ダーチャも休暇施設の一つとして含める.
3)子どもキャンプ(ピオネールラーゲリ pioner lager)とは,
労働組合,機関,企業により組織されたピオネール(ソ 連時代の共産党少年団員で満 10‑15 歳の少年が対象)お よび学校の生徒(7 歳から 15 歳まで)のための教育施設 およびレクリエーション施設であり,ソ連内各国の湖畔 や黒海等の自然豊かな場所に設置され,夏季休暇 3 カ月 間 の 内 2 週 間 か ら 1 カ 月 間 滞 在 で き た(Belovinskiy, 2015).子どもキャンプ旅行のバウチャーは両親の仕事先 の労働組合から配布された.あるいは,成績の優秀な子 供たちが学校から選ばれて行くこともあった.
4)A 氏,B 氏,C 氏,No4,No26 へのインタビュー調査に よる.
5)狩猟ベースを利用できるのは 1‑2 年の研修後にライセン スを受けた人のみであった.
6)なお,「観光客」という言葉は,ロシア語およびキルギス
語では以前から「туристツーリスト」というが,あくま でも海外からの「туристツーリスト」のことをいう.キ ルギス国民が国内の湖観光や草原観光をしたり,外国旅 行をしたりした場合は「休んでくる,休暇を過ごしてくる」
の方が一般的な言い方である.たとえば,資本主義化以降,
イシック・クル湖畔には民宿からホテルまで建設され,
観光が発展している.民宿やホテル従業員はそのホテル に宿泊しているキルギス国民のことを「お客さん」ある いは,「otdyhayushiiy 休んでいる人,休暇を過ごしてい る人」というが,外国人の場合は「ツーリスト」という.
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