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カンボジアと日本の仏教説話にみる布施

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著者 ペン セタリン

出版者 法政大学国際日本学研究所

雑誌名 国際日本学

巻 6

ページ 151‑164

発行年 2009‑03‑31

URL http://doi.org/10.15002/00022607

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ペン セタリン

一、はじめに

紀元 2 世紀頃から 13 世紀頃までのカンボジア人は、ヒンドゥー教や大乗仏 教を信仰していたが、それ以後はテラヴァダ仏教(以前は小乗仏教、近年は長 老仏教、上座仏教などという)を信じている。現在のカンボジアは、一つの村 ごとに仏教寺院が存在し、村の中心地、憩いの場、子供の教育の場となってい る。ただし、そこでの仏教信仰は来世のご利益を願う傾向が色濃く、仏教本来 のありようとはかなりの相異がみられる。たとえば寺院の境内には、ネアクタ ーやリンガの祠が設けられていることからも明らかである。ネアクターはカン ボジアの土着信仰、リンガー崇拝はインド系ヒンドゥ教の信仰である。これら の信仰がことのほか盛んなのは、子孫の繁栄、生活の安定など、現世の幸福を 強く求める心情が強いからである。しかしその一方で、年中行事化されている 風習とはいえ、寺院や僧侶に対して「布施」を行なっている信者も少なくない。

いったい仏教における「布施」とはいかなるものなのか、多少の関心があるの で、母国カンボジアの民衆に愛されている「ヴェッサンドー・チアドク」ジャ ータカの物語や、日本の代表的な仏教説話集である『今昔物語集』や法隆寺の 玉虫厨子に描かれている「捨身飼虎図」なども参考にしながら、「布施」の行 為について考察してみたいと思う。

二、仏教経典にみる「布施」の語義

小学館版『仏教大事典』の「布施」の項目には、「たんに施ともいう。dana

カンボジアと日本の仏教説話にみる布施

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の訳。音写して柁那・檀那・壇などともいう。布あまねく施すの意で、むさぼりの心 を離れて衣食などを仏や僧、貧しい人などに施与すること。施すものの内容に よって、財物を施す財施、教えを施す(説法)法施、畏れなき心を施す(恐怖 心を取り除く)施無畏などに分けられ、財施と法施を二種施、これに施無畏を 加えて三(種)施類ともいう。」(執筆、岩松浅夫)と解説されている(1)。しか しこの解説では多少のもの足りなさを感じる。というのは、元来の「布施」の 意味は、文字通り、釈迦とその弟子たちに袈裟を施すという行為であったから である。すなわち原始仏教教団は、釈迦と弟子、そしてその教えを信奉する在 家の信者たちによって構成され、釈迦を模範とする精神修養に励んだ。釈迦と その弟子たちは、三枚の袈裟(衣類)と一個の鉢(食器)を所持するだけの質 素な生活スタイルであった。そのため衣類などは、尸陀林(墓場、死体置き場)

に行って拾い集めた死体包みの布や、埃まみれのぼろきれなどをつなぎ合わせ、

それを袈裟(福田衣)と称して身につけていたという。やがてその後に、一枚 の布による袈裟を施してくれる在家信者が現れたことから、「布(袈裟)を施 す」=「布施」ということばが生まれたと推察されるからである。

大乗仏典には「布施」の用語に関して、「無貪の心を以て、仏および僧、な らびに貧窮の人に衣食等を施与するならば、大果報を得るであろう」という文 章をはじめ、「布施」に関するさまざまな文章が明示されているが(2)、「布施」

に関する逸話といえば、かの須達長者のことが連想される。須達長者は尊敬す る釈迦のために自らの全財産をなげうって祇園精舎を建立し、寄進した人物と してあまりにも有名である。仏教教団が成立した直後の偉大な布施の実践者は 須達長者その人であった。しかし布施の原初的なスタイルは、やはり釈迦とそ の弟子たちに袈裟や食物を施すことにあったと考えられる。このことに関して、

岩本裕氏は『仏教入門』の中で「出家するということは俗世間の生活と絶縁す ることであるから、一般の社会生活とくに経済生活とは完全に無縁になる。(中 略)アーナンダが毎日シュラーバァスティーの町に出かけたのもそのためであ る。出家修行者を比丘(ビクシュ)「食物を乞う者」と呼ぶのはここに由来する。

しかも、単に日常の食物だけではない。衣服、寝具、医薬品など生活の必需物 資のすべてを、かれらは信者たちの喜捨に待たねばならなかった。」と述べて いる(3)。そのように、仏教教団が誕生した当初、仏陀とその弟子たちは、一般

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社会の人々からの布施によって生活を維持したが、その代わりに法を説くとい う行為で、宗教者の立場からの布施をしたのである。それが布施の語義にふく まれる「法施」という布施である。

三、ジャータカにみる布施の行為

ジャータカとは、古代インドで用いられていたサンスクリット語(梵語)、あ るいはパーリ語のJātakaの音通語で、「かようしかじかの状況のもとに生まれ てあったときのこと」または「この世に生まれてくるより前の生涯の物語」の 意味である。訶梨跋摩が著した大乗経典の『成実論』には、「闍陀伽(ジャータカ)

とは、現在の事にちなみて、過去の事を説くなり」と定義されているが(4)、梵 文経典の翻訳に従事した僧は、おおむねジャータカを「本生経」「本生譚」と 漢訳したので、以来、ジャータカ=釈迦の前世の物語と理解されるようになっ た(5)

ジャータカの大きな特色は、一つ一つの物語が、「その昔、菩薩は鹿であっ た時、……」、「その昔、菩薩が象であった時、……」というように、動物の名 前を表題にして始まっていることである。そのため「Miga-Jātaka」(鹿本生)

「Nāga-Jātaka」(象本生)などというのである。カンボジアでも、「ササ・ジャ ータカ」(ウサギ・ジャータカ)とか「ジャッカルト・ジャータカ」とか、「ス シーマ王・ジャータカ」「チャンダ・ジャータカ」とよんでいる。さらに重要 なのは、「その昔、菩薩であった時」と明記されている菩薩がじつは仏教の開 祖サキャ・ムニ(以下、釈尊)を指していることである。この世に生まれてく る前の世の釈尊は、慈悲深い心をもった菩薩で、しかも鹿や象などに身を変え て、他者を救済する「布施」の行為をしたというのである。例えば大乗仏典に『鹿 母経』というのがあるが、これもまた釈尊の「本生譚」を内容とする有名な経 典の一つである。その内容は、佐藤心岳氏が述べているように、「猟師に追わ れた鹿母が自分の生んだ二頭の小鹿への慈悲心から身をもって猟師に子鹿の安 穏を懇願し、猟師はそれに感激して鹿母を放ち、国王にこのことを告げたとこ ろ、それ以来、狩猟が禁止されるようになった。」というものである(6)

ちなみに仏教の開祖釈尊は、インドのカピラストウに太子として生まれたが、

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29 歳のときに出家し、6 年間の修業後に悟りを開いて仏陀となった。しかしこ の世に誕生する以前、スメーダ(Sumedha)という青年であった時に、燃灯仏

(Dipamkara)という仏から「汝は未来、釈迦牟尼仏陀という仏になるだろう」

という予言を受けたことがあり、以来、さまざまな善根を積んで、この世に誕 生し、仏陀となったという(7)。そうした前世の物語と、80 歳で涅槃に入るまで の現世の釈迦の物語は、インドのサーンチに現存するストゥーパの欄楯や中イ ンドのバルフト古塔の玉垣の彫刻をはじめ、中国敦煌の石窟の壁画、さらには 日本の奈良の法隆寺の玉虫厨子などにも絵画化されていて有名である(8)四、カンボジアの仏教とジャータカ

インドで誕生した仏教がカンボジアに入ってきたのは、1 世紀ごろといわれ ている。インド人のバラモンがカンボジア入りし、初代の王になった。その名 を混填という。当時の国名は扶南(プノム=山)だったという。扶南王は 484 年に南インド出身のナーガセーナという僧侶を斉に派遣したり、500 年には梁 の武帝に珊瑚の仏像を貢献して「安南将軍扶南王」という称号を与えられたり した。また 520 年頃、二人の僧を仏教聖典の翻訳の手伝いに中国に派遣したこ となどがカンボジア仏教史上のできごととして証明されている。

カンボジアは 7 世紀頃、大乗仏教をうけ入れ、11 世紀のジャヤヴァルマン 七世王の時代にピークを迎えた。ジャヤヴァルマン七世はアンコール・トムと いう巨大な寺院を造った国王としてたいへん有名である。アンコール・トムの 浮き彫りには、大乗仏教の「慈(Metta)、悲(karuna)、喜(Mudita)、捨(Uppekha)」

と教えにもとづく四面菩薩が刻まれている。その当時のカンボジア国民は、四 つの心を大切にする仏教を信仰するよう法律で定められていた。ちなみに、ア ンコール遺跡群(9)の一つであるネアク・ポアン寺院(龍が絡んでいる、12 世 紀建立)には雲馬王に救われる 250 人の商人という「ジャータカ」の立像が立 てられた。当時、大乗仏教国だったカンボジアは「自己犠牲」ではなく「救済 譚」が主たるテーマだった。

その後、13 世紀以降、テラヴァダ仏教を迎え入れた。どうして大乗仏教か らテラヴァダ仏教にかわったのか、その理由は明らかでないが、テラヴァダ仏

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教は 14 世紀にはカンボジアのあらゆる階層にまで浸透していった。それまで 用いられていたサンスクリット語にかわってパーリ語やクメール語(カンボジ ア語)が使われるようになったし、カンボジア古典文学も生まれるようになっ た。また釈尊の伝記や前世の物語などを通じて、輪廻転生の思想や勧善懲悪の 思想、さらには天国地獄の思想などが生まれた。仏教寺院の壁や天井には「ヴ ェッサンドー・チアドク」(布施太子の物語)の絵が好んで描かれるようにな ったし、テラヴァダ仏教聖典の南伝大蔵経(以下、『三蔵』)も成立した(10)。『三 蔵』は、仏陀入滅後に行なわれた二度、三度の結集(経典と戒律を編集した仏 教徒会議)で成立した原始仏教聖典から発展したものといわれている。その『三 蔵』聖典の中には、仏陀の伝説や比喩を内容とする「ジャータカ」が数多く見 いだされる。

カンボジアでは、「ヴェッサンドー・チアドク」という「ジャータカ」が現 在も人々に愛されている、「ヴェッサンドー・チアドク」は、ヴェッサンドー 太子とその小さな王子と王女の物語である。聴聞の人々は二人の身に起きる事 件に、喜び、悲しみ、怒り、嬉しさをあらわにし、また涙を流して聞き入る。

音韻、言語、比喩のすべてが格調高いからである。そのため僧侶は、仏教の普 及、ことに「布施」の意味を民衆に知らせるために、これを語って聞かせるの である。「布施」という行為が、いかに仏教信仰上にとって大切であるか、十 の波羅蜜の中の「布施」が最高の徳であるということを強調してやまない。

「ジャータカ」は一種の経典であるが、誰にも分かるやさしい物語でもある。

仏教の思想にもとづく倫理観、人生訓、処世訓ばかりではなく、人間の感情に 訴える文学的な要素も豊富である。いうなれば人間を探求する書物ともみなさ れるものである。しかもジャータカは、慈悲による他者の救済をテーマにした 内容の説話が多く、その数およそ五百数十篇という(11)。その主人公は、動物に 身を変えた菩薩、すなわち前世の釈迦だけに、すぐれた仏伝文学と評すること もできるようである。「ジャータカ」という言葉が生まれたのは、紀元前 3 世 紀の終わりごろかと推測されている(12)

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五、「チアドク・ジャータカ」について

カンボジアの仏教寺院でよく説法に使われる書物に、①『パンニャサ・チア ドク』、②『ブッタ・パヴォアット』、③『ニアニア・チアドク』、④『プロチ ュム・ニテアン・チアドク』(『チァドク集』)、⑤『トサ・チアドク』、⑥『ヴ ェッサンドー・チアドク』、⑦『パンニャサ・チアドク』などがある。『チァド ク集』は全七巻からなり、二六一話の仏教説話が収められている。それらの説 話はあらかた『三蔵』やインドのいろいろな『説話集』から抜書きされ、仏教 学者によって編集された書物である。主たる読者は僧侶で、説法用の手引きと しても用いられている。

ところで、『トサ・チアドク』という書物は、十のジャータカともいい、カ ンボジアでは高等学校の教科書にも取り上げられているほど有名な書物であ る。内容は①「テメイ・チアドク」(出離行譚)、②「マハ・チョヌオク・チア ドク」(精進行譚)、③「ソヴァンナサーム・チアドク」(慈悲行譚)、④「ネマ リアチ・チアドク」(決意行譚)、⑤「マハウソット・チアドク」(智慧行譚)、

⑥「プリトアット・チアドク」(持戒行譚)、⑦「チャンコマー・チアドク」(忍 耐行譚)、⑧「ニアラテアック・プロム・チアドク」(無執着行譚)、⑨「ヴィ トウラ・チアドク」(真実行譚)、⑩「ヴェッサンドー・チアドク」(布施行譚)

など、仏教の教理である十波羅蜜に対応させている。それゆえに『トサ・チア ドク』を読むことは、仏教の説く慈悲の心(布施)を知ることにもなるのである。

仏教では、「布施」は六波羅蜜、十波羅蜜の実践徳目の一つで、僧侶も信者 もすこぶる大事にしてきた。ことに大乗仏教においては重視された。波羅蜜と は、ものごとの成就をめざして努力する意味である。いま菩薩の位にある者が、

さらにその上の如来(仏陀)の位をめざしてその修行に励む実践徳目のことで ある。したがって六波羅蜜とは、大きな誓願を成就させるための六つのつとめ、

すなわち「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」のことである。「布施」は 第一番目にあげられている。それゆえに菩薩行として重んじられるのである。

カンボジアの仏教聖典である『三蔵』に収録されている「ジャータカ」の数は 五四七話であるが、仏陀が菩薩の時に行った波羅蜜の行いが主たる内容になっ ている。

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六、「ヴェッサンドー・チアドク」について

カンボジアの民衆に人気の高い「ジャータカ」といえば、「トサ・チアドク」

の末尾(第五四七番目)を飾る「ヴェッサンドー・チアドク」である。「ヴェ ッサンドー」とは、布施太子の名である。この「ヴェッサンドー・チアドク」

は、『三蔵』からの抜粋版であるが、他の「チアドク」よりも、丁寧に翻訳さ れているのが特色である。また僧侶が説法しやすいように工夫されており、「説 法用の台本」として活用されている。内容は、巻一「十祝福」、巻二「ヒマラ ヤの森の巻」、巻三「布施の巻」、巻四「森の入り口の巻」、巻五「バラモンの 巻」、巻六「小さな森の巻」、巻七「大きな森の巻」、巻八「子供の巻」、巻九「メ トリー妃の巻」、巻十「インド人の言葉の巻」、巻十一「大王の巻」、巻十二「チ ューチュオックの巻」、巻十三「王都への返還の巻」からなる。カンボジア国 土自然の描写が多く、僧侶が修行をめざす森林や隠棲処の叙景、二児に対する 意地悪なバラモンの虐待,二児の泣き声、母の悲しみの描写などがことこまか に描写されており、これを読む人、聞く人を感動させずにはおかない哀感と気 品を備えているので、仏教の普及、そして「布施」や「勧善懲悪」を目的に民 衆に語られることが多い。

この「ヴェッサンドー・チアドク」は、出安居の祭典、高僧の葬儀、地方に おける合同納骨式、盂蘭盆の初日などに、僧侶らが説法リレーをするので、多 くの人々が参集し、その話に耳を傾けるほどである。人々は寺院で、高僧から その「ジャータカ」の説法を聞くことができたなら、ただそれだけでも「天国」

に行ける、というほどに大きな功徳を得たとして喜びは限りない。徳を積んだ から未来仏の「プレア・セアー・メトレイ」(弥勒)に救済されること疑いがない、

という民間信仰があるくらいである。それ故に、この「チアドク」(ジャータカ)

は、カンボジア人の精神形成の基になっているといっても過言ではない。チア ドクの内容は、カンボジア全土の仏教寺院の壁画のモテイーフにもなっている ほどに有名である。当初「ジャータカ」は、難解な教理を説いた経典に先立っ て、一般民衆の教化のために広く各国に伝えられた。美術作品の形であったり、

舞踊の形であったり、仏教流布に大きく貢献した。仏教の教理が織り込まれた

「ジャータカ」は、その口承的な性格から現地の人々に受けいれられた。

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次に「ヴェッサンドー・チアドク」のあらすじを簡単に説明しておきたい。

主人公のヴェッサンドー太子は、慈悲深い人物で、他人が救いを求めて自分の ところに来た場合は、目であれ心臓であれ血であれ、そのものに提供すること を惜しんではならない、という人物であった。あるとき、飢饉に苦しむ隣国の 人に神威力のある象を喜捨したことから、太子は母国を追放され、妻と二人の 子供を四頭立ての馬車に乗せて、森をめざした。ところが、その途中で乞食に 馬車を所望されたので、これを与えてしまい、めざす森まではてくてくと歩い ていくことになった。森に着いた太子は、庵を作り、毎日禅定に励み、妻のメ トリー妃は、食べ物を探しに出かけた。

ある日のこと、妃が食料を探しに出かけた隙に、醜い老バラモン、チューチ ュオックが若い美しい妻の下男下女として、幼い二人の王子、王女を乞いに来 た。太子は嫌がっている子供に協力するように諭した。醜い老バラモンは嫌が る王子たちを無理やりに連れて行った。それを目の当たりにした太子は、我慢 できず、矢を取り、バラモンを射殺そうとしたが、心を落ち着かせて、矢を射 るのを止めた。妃はまだ十分に熟していない果物をわずかばかり見つけて、急 いで帰ろうとしたが、途中で、恐ろしい獣たちに妨げられ、帰りが遅くなって しまった。太子は、妃の帰りが遅いと怒り、子供たちが他人に連れていかれた というと、妃は失神してしまった。その後、太子は妃を変身したサッカ天に与 えてしまった。一方、二児は天神の力で父王の国にたどり着くことができた。

太子は、父王と国民に迎えられて王位を継ぎ、仏法に基づく善政を敷き、国は 栄えて、平和を享受したという物語である。

七、日本の仏教説話集とジャータカ

大乗仏教の思想を説く諸経典の中でも特に『六度集経』『根本説一切有部毘 奈耶楽事』は、「ジャータカ」と関係の深い経典である。例えば日本の近江の 余呉湖の伝説や沖縄の伝説などに「白鳥少女伝説」があるが、この話は、『六 度集経』や『根本説一切有部毘奈耶楽事』がルーツであるといわれている。そ のほか『菩薩本縁経』『賢愚経』『雑宝蔵経』なども「ジャータカ」と縁が深い(13)

また日本の古典文学で「ジャータカ」と共通する内容の物語が見出されるの

(10)

は『日本霊異記』『三宝絵詞』『今昔物語集』『古事記』『宇治拾遺物語』『沙石集』『宝 物集』『古事記』『太平記』などである。ことに日本における代表的な仏教説話 集である『今昔物語集』は、『六度集経』『根本説一切有部毘奈耶楽事』という 経典や「ジャータカ」に大きな影響を受けていることはつとに知られているこ とであるが、天竺篇の「仏陀伝」や本朝篇の「一角仙人」「久米仙人」などは、

それぞれジャータカ五二三番の「アランブサー・ジャータカ」や五二六番の「サ リナカ・ジャータカ」と「イッシッシンガ仙人」に対応する内容である。また

『今昔物語集』巻五第八話の「大光明王、婆羅門ノタメニ頭ヲ与エルコト」や『今 昔物語集』巻五第十四話の「獅子、猿の子を哀れみ、肉を割いて鷲に与える語」

などは注目に値する物語である。

『今昔物語集』巻五第十四話の内容を要約すると、「二人の子供を持っている さるの母は食べ物を取りに行けないため貧乏のどん底にある。ある日、彼女は このままいたら飢え死になるのでどうせ死ぬのなら子供を隣に住んでいるライ オンに預け、食べ物を探しに行くことにした。母猿が出かけた後にライオンは 懸命に子守をしたがうっかりしてうとうとうしていると鷲に小猿を取られてし まった。気がついたライオンは鷲にいった。「小猿を返してくれないか。きち んと見ると母猿に約束したのだ」しかし鷲は、小猿を返したら今日の餌はなく なる。ライオンはそれなら自分の腿肉を代わりに与えようと提案した。鷲はラ イオンの提案を受け入れ、小猿を返した。ライオンは自分の腿肉を切り取っ て鷲に与えた。後に帰ってきた母猿に起ったことをいわずに、小猿を戻した。」

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これは法隆寺の「玉虫厨子」に描かれている「捨身飼虎」や「施身聞掲」の 図と関係が深い。ことに「捨身飼虎」図は、飢えに苦しむ虎の親子を救ってや りたいと、童子が崖の上から投身した自己犠牲の図である。そのモデルは前世 における釈迦という。捨身という行為は菩薩の善行を示す「布施」の行為その ものである。厨子の図はその「布施」をテーマにした絵画作品として有名であ る(15)

自己犠牲は大乗仏教で説くところの「他利行」にあたる。他利行とは、自己 を犠牲にしてまでも、他者を救済したいという誓願を秘めた慈悲の行いである(16)。 それは物や金銀よりも最善の布施だと信じているからであろう。菩薩だけがで

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きる尊い行為であるが、仏教では釈迦の前世にそれが数多く行なわれたという ことで、大きな特徴となっている。日本の仏教説話集である『日本霊異記』に みる、蚊に血を吸わせる説話や獅子が肉を割いて鷲に与える話なども、大乗仏 教の菩薩の行為の例証である。仏教経典によりどころをもつジャータカ説話が 昔話や謡曲などの芸術作品に反映しているわけであるが、さらには壁画や絵画 のモテイーフに選ばれたものもある。

ところで、ジャータカ説話に注目していた日本の近代小説家といえば、菊池 寛、芥川龍之介、泉鏡花らが連想されるが、かれらの作品と「布施」の関係は どうであろうか。菊池寛の『恩讐の彼方へ』、芥川龍之介の『運』、泉鏡花の『高 野聖』などは僧侶が行うべき行為や御利益に対する疑問や精神の訓練について くる試練などについて、芸術的に述べられているので今後、関心を寄せていき たいと思っているが、菊池寛は『恩讐の彼方に』で、僧侶の果たす義務を具体 的に述べている。人々を救済するためには、努力してお経を学び、寺院を後に して人々の救済活動に出かける。菊池は、民衆は僧侶に対する「不信感」を示 し、ご飯の布施を求め、トンネルを掘るという市九朗にたいして、住民は反感 を示したが、市九朗はトンネルを完成させ、その「義務」を果たした人物とし て描かれている。

菊池寛のこの作品は、長い年月をかけて洞窟を掘り、隧道を開通させた物語 であるが、その主人公の行為は、まさしく他人のために自分を犠牲にする「布 施」の行為にほかならない。

日本は大乗仏教の国、カンボジアは上座仏教の国と、信仰上のスタイルは違 うが、ジャータカ説話を好み、慈悲心による布施の行為を尊んできたことでは 共通性がみられる。

八、まとめ

カンボジアは近代化の途上にある。そのため多くの問題を抱えている。人々 は戦争が残した後遺症を癒すのに仏教を復活させた。しかし、この仏教は「布 施」を中心にしたものである。元来のカンボジアの年間行事の旧正月、結婚式、

入安居、出安居、プチョムバン(盆祭り)、カテン(辺鄙な寺院を援助するた

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めに行う布施祭り)などはすべて仏教寺院と僧侶に食事や物品を「布施」をす るための祭りでもあった。布施の行為によって、死んだ親族たちは徳を得たり、

自分自身も死んだ後生まれ変わった時にましな生活を営めるような願掛けをし たのである。しかし、現在のカンボジアの「布施」の行為には問題がある。本 来のあるべき姿の「布施」は、恩返しを期待しない、見返りを求めないという ものであったが、いつの間にか、金持ちは貧人に施しをしなければならないと いう義務にまでなってしまった。いうなれば一種の強要ともみなされるような

「布施」の姿に変容してしまった。

「ヴェッサンドー・チアドク」は、貧人においては、与えられた、施された ことに関して、なんらの責任も義務も負わないし、恩返しも必要ないと説かれ ている。僧侶も一般の人も、布施した人から、与えられたことに対してはお祈 りでお返しをするだけでいい、というものであった。それがカンボジア人の精 神形成の根底となっていた。しかし人は救いの為に功徳を積もうと考える。そ の際、比較的に行ないやすいのが「布施」であった。しかし、現在のカンボジ ア仏教にみる「布施」の行為は、儀式としての「布施」に止まっていて、本来 のあるべき倫理道徳や助け合い精神などは稀薄である。自己犠牲をもいとわぬ 最上の「布施」は大乗仏教、テラヴァダ仏教を問わず、実践することが難しい。

大乗仏教の聖典や物語には、自己犠牲の物語が多く見いだせる。しかし、現在 のカンボジアのテラヴァダ仏教では、自殺行為は最も罪深い行為であり、深い 地獄に落ち、なかなか成仏できないと信じているため、『チャドク集』に登場 する「ウサギ・チアドク」などの物語は自殺行為に等しいと思われ、敬遠され ている。いまもカンボジア人の社会に生きている「布施」の行為は、年中行事 上の儀礼としての「布施」である。たとえば、毎日托鉢にやってくる僧侶に対 する布施、貧しい人々に与える金銭や物品などがそれである。そうした「布施」

の行為は、他界した両親や親類への供養、冥福を祈る善根と信じられているか らである。

中野東禅著『人生の問題がすっと解決する名僧の一言』(17)には、「布施とは、

あまねく施すという意味である。一般的に寺やお坊さんに施すお金や物品をい うが本来は他者へ施すことすべてが布施である。たとえば、労働奉仕も布施の 一つである。ごみ拾いも笑顔で接することも布施」と書かれている。このよう

(13)

に日本においては、最近、「布施」を単なる精神的なものに留まるのではなく、

行動に現すように提言している。その行動は、単なる儀式ではなく、他人への 思いやりや倫理的な考え方から生まれた行為としての「布施」であり、現代社 会の営みの中で積極的に行われるような提案である。日本の仏教は、明治時代 以降、妻帯制を認めるなど、本来の仏教とはかなり変容したようであるが、そ れでもなお「布施」の精神と行為が生きつづけていることは尊いことである。

カンボジアの仏教も日本の仏教に学ぶところが少なくないと思う。今後さらに カンボジアと日本両国における「布施」をテーマーに研究を深めていきたいと 考えている。この論文を書くにあたり、指導教授の勝又浩先生には大変お世話 になったが、さらに非常勤講師の高橋秀榮先生、立教大学の小峯和明教授から もご親切な助言をいただいた。末尾ながら各先生方に対し感謝申し上げます。

<注>

1 古田紹欽・金岡秀友ほか監修『仏教大事典』839 頁(1988 年、小学館)

2 布施を説く経典は、『中阿含経』『大般若経』『宝雲経』『大品般若経』『菩薩善戒経』『増 一阿含経』『大智度論』をはじめ、すこぶるその数が多い。繁雑になるので、引用は 割愛させていただいた。ただし、中国の『拾得詩』の中に、布施の語義に関して興 味深い漢詩があるので、それを引用しておきたい。拾得は中国の天台山に住んでい た清貧の僧で、布施を内容にした次のような漢詩を残している。「運心常寛広、此則 名為布、輟己恵於人、方可名為施、後来人不知、焉能会此義、未設一庸僧、早擬望 富貴」(心を運らすこと常に寛広なるを、此れ則ち名づけて布と為す、己を輟めて人 に恵むを、方めて名づけて施と為すべし、後来人知らず、焉くんぞ能く此の義を会 らん、未だ一庸僧を設けざるに、早くも富貴を望まんと擬す)と。この詩の現代語 訳を担当された入谷仙介氏は、布施の二字に寄せて「いつも広やかな心くばりをし てこそ、これを「布」と名づけられるのだ。利己心を捨てて人に恵んでこそ、はじ めて「施」と名づけられるのだ。」と訳している。(入谷仙介・松村昴訓注解説『禅 の語録』13、筑摩書房、1970 年)

3 岩本裕著『仏教入門』(中公新書 32、139 頁)

4 『大正新修大蔵経』巻三二

5 干潟龍祥著『ジャータカの概観』(鈴木学術財団、1961 年)、中村元監修・補註『ジ ャータカ全集』全十巻(春秋社、1988 年)

中村元・増谷文雄監修『ジャータカ物語』(仏教教化出版センター)

6 佐藤心岳「竺法護訳『鹿母経』について」印度学仏教学研究通巻 44 号 7 渡辺照宏著『仏教 第二版』(岩波新書、1984 年)

中村元著『仏陀のことば スッタニパータ』(岩波文庫、1958 年)

中村元著『ブッダの真理のことば 感興のことば』(岩波文庫、1978 年)

8 奈良の法隆寺に伝わる玉虫厨子の扉の側面に描かれている「捨身飼虎」や「施身聞偈」

の図は、「ジャータカ」を画題にしたものである。

9 アンコール・ワットという大寺院は「バンテイアイ・バイセイ」(バンテイアイ・スレイ)

が完成した後に建立されたものです。私がその遺跡を訪ねた時、案内してくれた老 人は「バイセイ」とは、クメール人なら誰でも知っているが、供物という意味だと

(14)

教えてくれました。そしてそのことによって、ジャヤバルマン五世が神をよろこば すために白い象を先頭に行列し、象が歩みを止めた場所にお供物を供えて、アンコ ール・ワットの建立に着手し、25 年後に完成させたのです。(セタリン「バンテイアイ・

スレイ物語」バク斉藤『母と子でみるアンコールのモナリザたち』所収、草の根出版会、

2002 年)

10 『三蔵』にクメール語の訳をつけた聖典が『トライバイドク』(トリピタカ=三蔵)

である。『三蔵』は、『トライバイドク』百十巻、「律蔵」十三巻、「経蔵」六十四巻、「論 蔵」三十三巻からなる膨大な内容である。1930 年に設立された仏教研究所が総力を 結集して完成させたが、首尾 39 年間の歳月を費やしたという大部な仏教聖典である。

11 安井昭雄氏が編集した『仏教説話体系――読書の手引き』(企画仏教文化出版センタ ー、発行すずき出版)には、各々の「ジャータカ」には、貪欲、不殺生、忍辱、親孝行、

智慧、詐欺、愚痴、慢過慢などのテーマがつけられているし、「ジャータカ」研究者 の田辺和子氏は、大乗仏教の修業の実践方法である六波羅蜜の「布施行譚」「持戒行 譚」「忍辱行譚」「精進行譚」、「禅定行譚」、「智慧行譚」、という方法の分類や釈尊が 前々世が人間になった場合の人間譚、動物になった場合の動物譚や奇跡譚などの分 類を提案している。

12 「ジャータカ」は、紀元前 4、3 世紀、マウリヤ王朝がはじめてインドを統一した時 代に成立した。ちなみにマウリヤ王朝の歴代の中でもっとも仏教を信仰し、手厚く 保護したのは阿育王(アショーカ王)である。

13 池上洵一編『今昔物語集』本朝部 下(岩波文庫、2001 年)の巻末には、『今昔物語集』

に題材を求めた作家名と作品名が掲示されていて参考になる。

高田修著『仏教の説話と美術』(講談社学術文庫、2004 年)

14 国東文麿著『今昔物語集』(講談社学術文庫、2001 年)、中野孝次著『今昔物語集』(岩 波書店、1961 年)、小峯和明著『今昔物語を学ぶ人のために』(世界思想社)

15 『仏教・インド思想辞典』によると、自利(サンスクリット語ではatma-hitaといい)

とは自己利益のために行動することで、仏教的には苦界をのがれて悟りを享受する という利益のために菩提心を発し、出家の身となって修業することを意味する。そ れに対して、利他(サンスクリット語ではpara-anugraha)とは他者の利益と安楽 のために行動することで、慈悲の実践を意味するという。つまり菩薩が慈悲の心を もって布施をすることの意である。

16 石田尚豊著『聖徳太子と玉虫厨子』(東京美術、1998 年)

17 中野東禅著『人生の問題がすっと解決する名僧の一言』三笠書房、164 ページ

<注に掲げた以外の参考文献>

・ 『トライバイドック』(『トリピタカ』カンボジア語版)Institut Bouddhiste PP.

・ 『プロチュム・ニテアン・チアドク』(『チアドク集』)Institut Bouddhiste PP.

・ 丘山新著『菩薩の願い―大乗仏教のめざすもの―』(NHK こころをよむ、2005 年)

・ 大久保良順編『仏教文学を読む』(講談社、1986 年)

・ 大曾根章介ら編集『研究資料日本古典文学③説話文学』(明治書店、1989 年)

・ 池田正隆著『ビルマ仏教』(法蔵館、2000 年)

・ 竹内順一監修『東洋の美術』(東京美術、2002 年)

(15)

<ABSTRACT>

The concept of “offering” in Cambodian and Japanese culture:

through Jātaka tales

P

ENN

S

etharin

Although the Buddhism of Cambodia and Japan differ in belonging to the Theravāda and Mahāyāna traditions respectively, both share the concept of offering. The most famous Cambodian Jātaka tale concerning offering is Vessandor chiadok (Vessantara, the Prince of Offering), which one can see depicted on the walls of every Buddhist temple in Cambodia, while that of Japan is “Prince Sattva’s Self-Sacrifice” (Jp. Shashin shiko捨身飼虎), which can be seen depicted on the Tamamushi shrine in the collection of the Nara temple Hōryūji. There are also some others like those given in the famous Japanese collection of tales Konjaku monogatari-shū, such as “The offering of the Rabbit Bodhisattva” (from Sassa Jātaka), and “The lion who gave his leg’s flesh to the goshawk in exchange for the life of a monkey’s baby” (thought to derive from King Sivi Jātaka of the Mahāyāna doctrine). According to the Bukkyō Indo shisō jiten (Dictionary of Buddhist and Indian thought, 1987), the term “offering”

means to extend money or other material objects to monks or beggars. But as Mahāyāna Buddhism stresses the concept of rita 利他 (Skt. para-anugraha), in which “offering” tends to be understood as self-sacrifice for the sake of other people, the concept of “offering” in Theravāda Buddhism appears to differ from that of Mahayana Buddhism.

This paper aims to study the differences and the similarities in the concepts of “offering” which appear in each country’s Buddhist tales, and examine how it is reflected in both cultures.

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