不
室
三
藏
渡
天
年
次
繹
疑
-特
に
﹃
付
法
傳
﹂
の
史
料
的
債
値
遮
就
い
て-長
部
和
雄
( 一 ) 支 那 入 竺 櫓 は、 東 漢 職 帝 の 建 安 十 年 皇 紀 八 六 五 ( 西 紀 二 〇 五 ) の 成 光 子 を 始 め と し て、 之 以 後 千 名 程 あ る が、 就 中 其 の 事 蹟 の 學 界 に 紹 介 せ ら れ し 者 は 極 め て 一 部 分 に 停 つ て ゐ る。 例 へ ば 東 習 の 法 顯 三 藏、 唐 の 義 漂 玄 奨 爾 三 藏 の 如 き は、 周 知 の 如 く 其 の 尤 な る 者 で あ る が、 北 魏 の 慧 生 及 宋 雲、 唐 の 慧 日・ 悟 室 ・ 慧 超 等 も 多 少 は 學 者 の 注 意 を 牽 く 所 と な つ て ゐ る。 藪 に 支 那 人 で は な い が、 彼 等 と 比 肩 す べ き 不 室 三 藏 の 渡 天 に 關 し て は、 纏 か に 佛 教 僻 典 の 類 に 一 項 目 を 停 め る に 過 ぎ す、 未 だ 之 に 特 に 注 意 せ し 人 あ る を 聴 か な い の は 抑 汝 如 何 な る 理 由 に 基 付 く 者 で あ ら う 鰍。 筆 者 霧 か に 惟 ふ に、 法 顯 に は ﹃ 高 櫓 法 顯 傳 ﹄ 一 雀 あ の、 玄 奨 に は ﹃ 大 唐 西 域 記 ﹄ 十 二 雀 あ の、 義 浮 に は ﹃ 南 海 寄 瞬 内 法 傳 ﹄ 四 雀 あ る を 始 め と し て 慧 生 及 宋 雲 に も 今 日 完 本 は 傳 は つ て ゐ な い が、 ﹃ 洛 陽 伽 藍 記 ﹄ に 其 の 名 見 え、 ﹃ 大 正 薪 修 大 藏 経 ﹄ 雀 五 十 一 に 牧 め ら れ て ゐ る ﹃ 使 西 域 記 ﹂ 一 雀 あ の、 悟 室 に も ﹃ 入 竺 記 ﹄ 一 雀 大 正 新 修 大 藏 纏 巻 五 、 ( 十 一 遊 方 記 抄 所 牧 ) 慧 超 に も、 ﹁ ミ ツ シ ヨ ン ペ リ オ ﹂ 將 來 の ﹃ 往 天 竺 五 國 傳 ﹄ 大 正 新 修 藏 経 雀 五 十 一 ( 及 大 日 本 佛 教 全 書 所 牧 ) あ の、 其 の 他 唐 代 初 期 の 求 法 僧 等 に 就 い て は、 ﹃ 大 唐 西 域 求 法 高 曾 傳 ﹄ 二 雀 等 存 す る 不 空 三 藏 渡 天 年 次 繹 疑 一不 空 三 藏 渡 天 年 数 繹 疑 二 に 拘 は ら す、 猫 の 不 室 三 藏 に 限 つ て 族 行 記 の あ つ た と 云 ふ こ と を 聞 か な い。 之 が 恐 ら く 不 室 三 藏 の 入 竺 に 關 し 學 者 の 注 意 を 牽 く に 至 ら な か つ た 最 大 の 原 因 で あ ら う と 思 ふ の で あ る。 併 し 夫 れ は 兎 も 角 と し て、 不 室 三 藏 は 後 世 よ の 翼 言 付 法 の 第 六 組 と 仰 が れ、 事 實 上 支 那 密 教 史 上 で は 興 法 の 傑 櫓 で あ の、 殊 に 其 の 入 竺 と ﹃ 金 剛 頂 維 ﹄ 及 ﹃ 砒 盧 遮 那 維 ﹄ と の 將 來 は 正 純 密 教 成 立 過 程 上 に 歴 然 た る 一 時 期 を 劃 せ る 所 爲 る こ と は、 栂 尾 鮮 雲 博 土 が ﹃ 秘 密 佛 教 史 ﹄ に 於 て 道 破 せ ら れ た 通 の で あ る。 然 る に 其 の 入 竺 年 次 に 關 し て は、 從 來 の 諸 傳 匿 々 甥 女 に て 未 だ 定 読 な き は 塞 に 遺 憾 と 云 は ね ば な ら な い。 是 に 於 て 私 は、 圖 ら す 弘 法 大 師 撰 ﹃ 秘 密 曼 茶 羅 教 付 法 傳 ﹄ を 閲 覧 す る に 及 び、 勘 か ら す 啓 獲 せ ら れ、 此 の 小 稿 を 草 し 博 雅 の 叱 正 を 仰 ぐ こ と ゝ 致 し た 次 第 で あ る。 (二) 不 室 三 藏 の 傳 記 と し て 今 日 傳 は れ る 者 の 中、 專 傳 と し て は 後 光 嚴 院 慮 安 三 年 の 爲 本 た る ﹃観 智 院 本 ﹄ を 底 本 と せ う ﹃ 大 日 本 綾 藏 経 ﹄第 二 十 三 套 及 ﹃ 大 正 新 修 大 藏 経 ﹄ 雀 五 十 所 牧 の 唐 の 趙 遽 撰 ﹃ 大 唐 故 大 徳 贈 司 室 大 辮 正 廣 智 不 室 三 藏 行 状 ﹄ 一 雀 を 歎 へ 得 る の み で あ る が、 主 と し て 宋 元 時 代 の 編 纂 に 係 る 佛 教 史 傳 の 類、 例 へ ば 宋 の 贅 寧 撰 ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ 雀 ︼ (太 (宗 端 撲 元 年 撰 )、 西 紀 九 八 八 ) 同 祀 誘 撰 ﹃ 隆 興 佛 教 編 年 通 論 ﹄ 巻 十 六 孝 宗 隆 興 二 年 撰 、 ( 西 紀 一 一 六 四 ) 同 宗 鑑 集 ﹃ 繹 門 正 統 ﹄毬 八 ( 糎 序 爪 出鼎 臨 湘 元 文年 襯 蝸)、 ( 西 紀 一 二 三 七 ) 同 本 畳 編 集 ﹃ 歴 代 編 年 繹 氏 通 鑑 ﹄ 雀 九 度 虚然 威 涼 乗 年 撰、 ( 西 紀 一 二 七 〇 ) 同 志 磐 撰 ﹃ 佛 禮 統 記 ﹄ 雀 四 十 度 宗 蔵 淳 七 年 撰 、 ( 西 紀 一 二 七 一 ) 元 の 煕 仲 集 ﹃ 歴 朝 繹 氏 資 鑑 ﹄ 雀 七 ( 順 宗 至 元)、 ( 八 年 撰 ? ) 同 念 常 集 ﹃ 佛 組 歴 代 通 載 ﹄雀 十 三 噸 僚 至 圧 元 年 撰 ( 西 紀 一 三 四 一 ) 元 末 明 初 の 畳 岸 編 ﹃ 繹 氏 稽 古 略 ﹄ 雀 三 (順 宗 至 正 ( 十 四 年 撲 西 紀 一) 、 三 五 四 ) 元 明 人 撰 者 不 詳 ﹃ 神 櫓 傳 ﹄ 雀 八 、 元 曇 墨 撰 ﹃ 新 修 科 分 六 學 櫓 傳 ﹄ 雀 五 等 に は 敦 れ も 其 の 傳 を 掲 載 し て ゐ る 。
今 此 等 を 勘 合 し 其 の 渡 天 年 次 を 比 較 封 照 す る に、 其 の 記 す 所 塞 に 多 種 多 檬 に し て 且 つ 殆 ん ど 之 等 の 悉 く が 誤 つ て み る に 拘 は ら す、 猫 の 我 が 弘 法 大 師 撰 ﹃ 秘 密 曼 茶 羅 教 付 法 傳 ﹄ の み は 正 當 な 年 次 を 示 唆 せ ら れ る の を 観 て、 今 更 乍 ら 大 師 の 史 的 綱 眼 に 敬 服 の 念 を 禁 じ 得 な い の で あ る。 以 下 之 等 に 就 い て 一 瞥 す る に、 先 づ ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ 巻 一 大 正 新 修 藏 纒 釜 五 十 大 ( 日 本 校 訂 藏 輕 第 三 十 套 ) ﹁唐 京 兆 大 興 善 寺 不 室 傳 ﹂ に、 (1) 二 十 九 年 十 二 月。 附 毘 喬 船。 離 南 海。 至 詞 陵 國 界 蓄 訳 と あ の、 ﹃ 歴 朝 繹 氏 資 鑑 ﹄ 雀 第 七 に 大 日 本 綾 大 藏 (輕、 乙 第 五 套 ) (2) 巳 卯 二 十 七 年。 三 藏 不 室。 遊 西 域。 博 求 師 匠。 壌 廣 其 學 於 師 子 國 一苔 訳 と あ の、 ﹃ 繹 氏 稽 古 略 ﹄ 雀 三 ( 大 正 新 修 大 藏) ( 輕、 春 四 十 九 ) こ、 (3) 開 元 二 十 五 年 十 二 月。 携 弟 子 三 七 入。 附 箆 喬 舶。 返 五 天 印 度。 と あ の、 ﹃ 歴 代 編 年 繹 氏 通 鑑 ﹄ 雀 九 ( 大 日 本 陵 大 蔵 ) (輕、 乙 第 四 套) こ、 (4) 丙 子 二 十 四。 三 藏 不 塞 遊 西 域。 博 求 師 匠 雪 誠 と あ の、 ﹃ 佛 租 統 記 ﹄ 巻 四 + ( 大 正 新 修 大 藏 ) (輕、 巷 四 十 九) こ、 (5) 二 十 年。 ⋮⋮弟 子 不 室 三 藏。 奉 遺 教。 復 回 天 竺。 至 師 子 國。 と あ の、 ﹃ 佛 組 歴 代 通 載 ﹄ 雀 十 三 大 正 新 修 大 藏 ( 輕、 巻 四 十 九 ) こ、 (6) 二 十、 八 月 壬 申 。 ⋮⋮及 智 獲。 不 室 奉 遺 教。 游 天 竺 云 蓉 と あ の、 之 等 を 通 覧 す れ ば、 開 元 二 十 九 年 読、 同 二 十 七 年 読、 同 二 十 五 年 読、 同 二 十 四 年 読、 同 二 十 年 読 に 分 れ て ゐ る が、 我 が 弘 法 大 師 は 二 十 九 年 読 を 採 ら れ、 ﹃ 付 法 傳 ﹄ 第 二 雀 弘 法 大 師 (全 集 首 巻 ) に 次 の 如 く 記 さ れ て ゐ る。 不 空 三 藏 渡 天 年 家 繹 疑 三
不 空 三 藏 渡 天 年 次 繹 疑 四 開 元 二 十 九 年 秋 、 先 師 入 塔 之 後 、 有 詔 爲 請 大 本 金 剛 頂 維 及 大 本 臨 盧 遮 那 経 等 最 上 乗 教 。 差 和 上 及 弟 子 僧 含 光 恵 辮 丼 俗 弟 子 李 元 踪 等 。 令 齎 國 信 。 使 南 天 竺 龍 智 阿 閣 梨 所 。 一誠 云 然 ら ば 何 故 大 師 の 開 元 二 十 九 年 読 が 愛 當 に 近 く し て 他 の 諸 論 は 悉 く 謬 傳 で あ る 鰍 。 之 を 根 本 史 料 に 照 合 し て 、 徹 底 的 に 他 の 諸 読 の 託 傳 た る 所 以 を 究 明 し て 見 よ う 。 而 し 其 の 前 に 姑 ら く ﹃ 付 法 傳 ﹄ 其 の 者 の 傳 來 を 書 誌 學 的 に 考 究 し て 見 る 必 要 が あ る 。 (三) 私 が 本 論 に 於 て 使 用 し た ﹃ 秘 密 曼 茶 羅 教 付 法 傳 ﹄ ( 一 名 ﹃ 廣 付 法 傳 ﹂ 略 し) ( て ﹃ 付 法 傳 ﹄ と 巽 ふ ) 二 巻 は 、 明 治 四 十 二 年 十 ご 月 吉 川 弘 丈 館 刊 行 、 租 風 宣 揚 會 編 纂 の ﹃ 拡 法 大 師 全 集 ﹄ 本 で あ る 。 同 本 は 大 正 六 年 刊 行 の ﹃ 大 日 本 佛 教 全 書 ﹂ 本 及 大 正 九 年 刊 行 の ﹃ 日 本 大 藏 経 ﹄ 本 と 並 ん で 現 行 の 三 種 の 活 字 印 刷 本 中 の 一 で あ る が 、 同 本 が 他 の 二 本 に 比 し て 漸 然 優 秀 な 事 實 を 観 破 し た か ら 本 研 究 に は 之 を 使 用 し て ゐ る 。 然 ら ば 如 何 な る 事 實 を 目 し て 私 は 斯 く 断 言 す る 者 な る か と 、 護 者 よ の 反 問 を 受 け る こ と を 豫 期 し て ゐ る が 、 一 例 を 墨 け る と 、 夫 れ に は 次 に 示 す 如 き 歴 然 た る 讃 擦 が あ る か ら で あ る 。 抑 々 諸 現 行 本 の ﹃ 付 法 傳 ﹄ に 就 き 其 の 底 本 の 由 來 を 討 ぬ る に 、 先 づ 第 一 ﹃ 日 本 大 藏 経 本 ﹄ は 明 記 な き 故 姑 ら く 措 く と し て 、 第 二 に ﹃ 大 日 本 佛 教 全 書 ﹄ 本 は ﹃ 寛 永 八 年 板 ﹄ を 底 本 と し 、 ﹃ 明 治 十 四 年 版 ﹄ に 依 の 校 合 せ る 旨 雀 末 編 者 の 添 書 に 明 白 で あ る 。 ﹃ 大 日 本 佛 教 全 書 ﹄ 本 の 毬 頭 に 韓 載 し て あ る ﹃ 明 治 十 四 年 京 都 藤 井 文 政 堂 刊 行 ﹄ 本 の 序 は 、 明 治 十 四 年 辛 巳 九 月 封 け の 左 大 寺 現 佳 三 條 西 乗 灘 の ﹁ 付 法 傳 序 ﹂ 及 洛 之 東 山 遜 鋼 旭 雅 の ﹁ 刻 付 法 傳 序 ﹂ の 二 首 で あ つ て 、 ﹃ 大 日 本 佛 教 全 書 愚 本
は 其 順 位 が 前 後 顛 倒 し て ゐ る の み に て、 爾 者 殆 ん ど 相 違 な い。 今 試 み に ﹃ 明 治 十 四 年 刊 行 ﹄ 本 よ の 之 を 韓 載 す れ ば 次 の 通 の で あ る。 付 法 傳 序 吾 宗 有 ( 日 ) 秘 密 曼 茶 羅 教 付 法 傳。 則 叙 法 嫡 潟 餅 之 授 受。 賛 的 嗣 七 葉 之 謙 徳。 差 密 門 之 領 袖 也。 蓮 傲 和 尚 詳 明 典 擦 來 歴。 而 壽 梓 由 來 歳 久 焉。 有 今 一 信 士 藤 井 佐 兵 衛 者。 再 上 梓 以 欲 傳 後 代。 來 求 序。 予 由 此 書 以 與。 明 治 十 四 年 辛 巳 九 月 左 大 寺 現 佳 三 條 西 乗 暉 刻 付 法 傳 序
我
秘
案
者。
舗
資
霧。
故
論
蕎
云。
大
阿
遮
黎
言
是
也。
上
自
法
身
如
來。
下
華
今
呈
智
之
襲。
邊
塗
華
三 密 之 法 燈。 換 々 熾 盛 者。 職 而 此 之 由 也。 故 鼻 租 大 師 著 廣 略 二 之 付 法 傳。 顯 支 竺 七 祀 之 徳 行。 末 流 之 薪 學。 不 可 不 拝 護 焉。 愛 朝 近 以 當 書 列 本 宗 下 等 之 學 科。 塞 有 所 以 者 鰍。 然 而 雛 僧 等。 東 購 西 求。 不 得 此 書 焉。 是 故 書 難 藤 井 某。 策 壽 梓 省 縢 爲 之 螢。 而 請 序。 旭 雅 嘉 其 淑 意。 珈 贅 片 辮。 以 鷹 需 云 爾。 (干 ) 旨 明 治 十 四 年 重 光 大 荒 落 南 呂 初 五 洛 之 東 山 蒙泌 甥 旭 雅 () は ﹃ 大 日 本 佛 教 全 書 ﹄ 本 の 改 作 字 然 ら ば 此 の ﹃ 明 治 十 四 年 刊 本 ﹄ は 何 本 を 底 本 と せ る 者 な る か と 云 ふ に、 先 づ 其 の 装 慎 よ の 示 す と、 和 紙 活 字 印 刷 本、 一 頁 十 二 行、 一 行 二 十 二 字 詰、 十 七 葉 三 十 四 頁 に て、 表 紙 黄 色、 題 名 は ﹃ 改 正 付 法 傳 ﹄ 全 と な つ て 居 の、 雀 末 に 不 空 三 藏 渡 天 年 家 繹 疑 五不 窒 三 藏 渡 天 年 次 繹 疑 六 (縛 ) ( ナ シ ) ( 備 ) 嵜 寛 永 八 年 辛 未 九 月 廿 一 日。 染 紫 毫 了 脩 湯 深 識。 () は ﹃ 大 日 本 佛 教 全、 書 隠 本 の 改 作 字 於 高 野 山。 尾 州 丹 朋 郡 住 丹 下 左 不 次。 入 澤 善 開 板。 と あ る に 依 の、 ﹃ 寛 永 八 年 板 ﹄ に 糠 つ た こ と 自 明 で あ る。 ﹃ 寛 永 八 年 板 ﹄ と は、 大 き さ 現 行 の 菊 版 大、 上 下 二 冊 の 綴 本 に し て、 表 紙 褐 色、 上 雀 二 十 二 葉 下 雀 三 十 七 葉、 表 裏 共 印 刷、 行 籔 一 頁 七 行、 一 行 十 七 宇 詰 に て、 毬 末 に 蹟 が あ る が、 ﹃ 明 治 十 四 年 刊 行 ﹄ 本 に 韓 載 せ る 者 と の 間 に 多 少 文 字 の 出 入 異 同 が あ る。 帥 ち、 暑 寛 永 八 年 辛 未 九 月 廿 一 日。 染 紫 毫 了 脩 湯 深 識。 ( 州 ) 於 高 野 山 尾 湯 丹 翅 郡 住 丹 下 左 手 次 入 浮 善 開 板。 () は ﹃ 明 治 十 四 年 刊 行 ﹄ 本 の 改 作 字 と あ の、 我 が 高 野 山 大 學 附 屡 圖 書 館 に は、 ﹃ 三 寳 院 寄 託 ﹄ 本 に 二 部、 四 冊、 ﹃ 光 毫 院 寄 託 ﹄ 本 に ︼ 部 二 冊 あ る か ら、 殊 更 に 稀 潮 本 と 云 ふ 可 き 程 の 者 で は な い。 ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 本 の 底 本 と な れ る ﹃ 東 寺 寳 菩 提 院 ﹄ 本 も 恐 ら く 之 等 と 同 一 の 者 で あ ら う と 想 像 さ れ る が、 弘 法 大 師 全 集 本 の 雀 末 に 韓 載 せ る 蹟 を 観 れ ば、 ( 脩 ) ( 鋤 ) 告 寛 永 八 年 辛 未 年 九 月 廿 一 日 染 業 毫 了 備 州 ( 揚 ) ( 入 ) 深 識。 於 高 野 山 尾 州 丹 羽 郡 佳 丹 下 左 雫 次 浮、 善 開 板。 () は 高 野 山 穴 學 圖 書 館 本 と あ つ て、 之 等 の 間 に 多 少 文 字 面 の 相 違 出 入 あ る は 冤 れ な い。 而 し 之 等 は 敦 れ も 開 板 の 際 の 誤 護 に 蹄 す べ き も の で、
問 題 と し て 特 に 取 の 墨 げ る 可 き 性 質 の 者 で は な か ら う。 扱 て 然 ら ば 此 の ﹃ 寛 永 本 ﹄ は 何 本 に 擦 る 者 な る か と 云 ふ に、 そ れ は 奥 書 を 鉄 い て 居 る が、 足 利 時 代 刊 本 と 稻 せ ら れ る 高 野 山 大 學 圖 書 館 所 藏 の 稀 襯 本、 三 寳 院 寄 託 の ﹃ 秘 密 曼 茶 羅 教 付 法 傳 ﹄ 上 下 二 冊 を 覆 刻 せ し 者 な る こ と 疑 ひ な い。 同 本 の 罷 裁 は、 大 き さ 現 行 の 菊 版 大、 表 紙 黄 褐 色、 上 下 二 雀 綴 本 二 冊 に し て、 上 雀 二 十 二 葉、 下 毬 三 十 七 葉、 表 裏 共 印 刷 一 頁 七 行、 一 行 十 七 字 詰 に て、 表 紙 右 下 に、 ﹁ 土 國 宜 観 随 心 院 ﹂ の 學 書 あ り、 装 釘 其 他 全 く ﹃ 寛 永 板 ﹄ と 同 一 に て、 正 し く 其 の 原 本 と 想 像 さ れ る が、 強 ひ て 爾 者 の 間 に 存 す る 相 違 黙 を 拾 ひ 畢 け る と、 ﹃ 足 利 板 ﹄ に は ﹁ 劉 ﹂ の 異 膿 丈 字 を 使 用 し て ゐ る に 樹 し、 ﹃ 寛 永 板 ﹄ で は ﹁ 剛 ﹂ の 通 常 文 字 に 改 め ら れ る な ど、 他 二 三 字 艦 上 の 相 違 が あ る 位 で、 殆 ん ど 此 の 間 に 著 し き 相 違 を 認 め 得 な い。 然 ら ば 此 の ﹃ 足 利 板 ﹄ は 何 本 に 擦 る 者 か と 去 へ ば、 こ は 申 す 迄 も 無 く 世 に 特 に ﹃ 高 野 板 ﹄ と し て 聞 え た る、 弘 安 二 年 己身 仲 秋 候。 爲 紹 隆 密 教 自 書 開 印 板矣。 権 少 櫓 都 能 海 と 云 ふ 奥 書 の あ る 高 野 山 大 學 圖 書 館 藏 ﹃ 三 寳 院 寄 託 ﹄ の 稀 襯 本 ﹃ 秘 密 曼 茶 羅 教 付 法 傳 ﹄ 二 雀 で あ る。 同 本 は 前 の ﹃ 足 利 板 ﹄ と 殆 ん ど 同 様、 此 の 間 の 相 違 黙 を 強 ひ て 列 學 す れ ば、 ﹃ 弘 安 板 ﹄ は 表 紙 青 色、 題 名 の ﹁ 漫 ﹂ の 字 が ﹃ 弘 安 板 ﹄ で は ﹁ 湧 ﹂ と 云 ふ 異 罷 丈 字 に な の、 ﹁ 傳 ﹂ の 字 が ﹁ 傅 ﹂ の 字 に 作 ら れ て ゐ る 位 の も の で あ る。 以 上 を 以 て 綜 観 す れ ば、 現 行 の ﹃ 付 法 傳 ﹄ 諸 本 は 悉 く 此 の ﹃ 弘 安 板 付 法 傳 ﹄ の 系 統 を 牽 く 者 た る こ と 極 め て 明 白 で あ る が、 其 の 内 容 に 就 き 仔 細 に 検 討 し て 見 る と、 必 す し も 古 版 が 花 當 で は な く、 亦 改 版 も 幾 分 訂 正 の 跡 は 見 え る け れ ど も 此 亦 十 分 と 申 す こ と は 出 來 な い。 一 例 を 墨 げ る と ﹃ 弘 安 板 ﹄ 第 二 毬 第 十 八 葉 の 表 六 行 目 以 下 に、 不 垂 三 藏 渡 天 年 衣 繹 疑 七
不 空 三 藏 渡 天 年 衣 繹 疑 八 験 項 幾 了 義。 禮 具 師 資。 永 訣 之 辰。 枚 深 震 働。 香 恭 之 費。 有 籔 照 之。 と あ る が、 此 の 中 夫 女 正 し く は ﹁ 項 ﹂ は ﹁ 頃 ﹂、 ﹁ 恭 ﹂ は ﹁ 茶 ﹂、﹁ 費 ﹂ は ﹁ 彙 ﹂ の 誤 字 で あ の、 ﹃ 足 利 板 ﹄ で は ﹁ 費 ﹂ は ﹁ 彙 ﹂ に ﹁ 黍 ﹂ の 異 罐 丈 字 は ﹁ 承 ﹂ の 通 常 字 髄 に 改 ま の、 験 項 承 了 義。 禮 具 師 資。 永 訣 之 辰。 仮 深 震 働。 香 恭 之 糞。 有 験 照 之。 と な つ て ゐ る。 更 に ﹃ 寛 永 板 ﹄ で は 如 何 と 云 ふ に、 ﹁ 恭 ﹂ は ﹁ 茶 ﹂、 ﹁ 働 ﹂ は ﹁ 動 ﹂ に、 ﹁ 彙 ﹂ は ﹁ 費 ﹂ に 戻 の、 験 項 黍 了 義。 禮 具 師 資。 永 訣 之 辰 。 仮 深 震 動。 香 茶 之 費。 有 難 照 之。 と あ つ て 珈 か 改 悪 の 膿 で あ る。 之 が ﹃ 明 治 十 四 年 版 ﹄ に な る と、 ﹁ 費 ﹂ の 字 を ﹁ 貧 ﹂ に 改 め た の み に て、 全 く ﹃ 寛 永 板 ﹄ を 其 の 儘 翻 刻 し、 次 の 通 の で あ る。 験 項 衰 了 義。 禮 具 師 資。 永 訣 之 辰。 仮 深 震 動。 香 茶 之 彙。 有 難 照 之。 所 が ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 本 に て は、 項 は 頃、 ﹁ 幾 ﹂ は ﹁ 承 ﹂、 ﹁ 動 ﹂ は ﹁ 働 ﹂、 ﹁ 恭 ﹂ は ﹁ 茶 ﹂、 ﹁ 費 ﹂ は ﹁ 璽 ﹂ に 更 ま の、 悉 く 訂 正 を 完 了 し 左 の 通 の で あ る。 朕 頃 承 了 義。 禮 具 師 資。 永 訣 之 辰。 紋 深 震 働。 香 茶 之 奥。 有 漿 照 之。 猫 ほ 此 の 後 の ﹃ 大 日 本 佛 教 全 書 ﹄ 本 は、 再 び ﹁働 ﹂ を ﹁動 ﹂ に 攣 へ、 験 頃 承 了 義。 禮 具 師 資。 永 訣 之 辰。 赦 深 震 動。 香 茶 之 彙 有 難 照 之。 と な の、 ﹃ 日 本 大 藏 維 本 ﹄ は 亦 之 を 蕾 に 戻 し ﹁ 動 ﹂ を ﹁ 働 ﹂ に 作 の、 朕 頃 承 了 義。 禮 具 師 資。 永 訣 之 辰 赦 深 働。 香 茶 之 貧。 有 漿 照 之。 と あ つ て、 ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 本 の 通 の で あ る か ら、 ﹃ 日 本 大 藏 維 ﹄ 本 は ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 本 を 實 直 に 踏 襲 せ し も の で あ る。
斯 く の 如 き 字 面 の 異 同 出 入 は、 何 故 ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 本 を 以 て 準 擦 と な す か と 云 ふ に、 之 を 徴 讃 す る に 足 る 屈 寛 の 史 料 が 存 す る か ら で あ の、 卸 ち ﹃ 勅 使 劉 仙 鶴 致 祭 丈 ﹂ 一 首 で あ る。 同 祭 文 は 唐 の 圓 照 集 ﹃ 代 宗 朝 贈 司 室 大 辮 廣 智 三 藏 和 上 表 制 集 ﹄ ( 大 正 新 修 大 藏 鰹 ) ( 雀 五 毛 二 所 挽、) 雀 四 に 牧 め ら れ、 大 暦 九 年 歳 次 甲 寅 七 月 戊 戌 朔 六 日、 代 宗 皇 帝 劉 仙 鶴 を し て 不 室 三 藏 を 祭 ら し め た 時 の 祭 文 で あ の、 其 の 中 の 一 節 が、 朕 承 了 義。 禮 具 師 資。 永 訣 之 辰。 紋 深 震 働。 香 茶 之 食。 有 露 昭 之。 で あ つ て、 前 掲 の 諸 引 用 文 に 較 ぶ る に、 ﹁ 頃 ﹂ の 字 を 敏 き、 ﹁ 照 ﹂ の 宇 が ﹁ 昭 ﹂ に な つ て ゐ る。 併 し 同 じ く 唐 の 徳 宗 貞 元 十 一 年 四 月 二 十 四 日 の 啓 上 に 係 る 圓 照 撰 ﹃ 大 唐 貞 元 績 開 元 繹 教 録 ﹄ 雀 上 大 正 噺 修 大 藏 纏 (巷 五 十 五 所 牧 ) に、 ﹁ 皇 帝 遣 内 給 事 劉 仙 鶴。 以 香 茶 之 彙。 敬 突 故 大 辮 正 廣 智 三 藏 和 上 之 露。 ﹂ 云 云 と 云 ひ、 同 祭 文 を 載 録 し、 朕 頃 承 了 義。 禮 具 師 資。 永 訣 之 辰。 故 深 震 働。 香 茶 之 彙。 有 緊 照 之。 云 云 と 明 白 に 記 さ れ、 恐 ら く 之 が 最 も 正 し き 原 文 で あ ら う と 想 像 さ れ る、 さ う し て ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 本 は 當 に 右 の 通 の で あ る。 故 に 此 の 事 實 を 以 て 観 れ ば、 ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 本 ﹃ 付 法 傳 ﹄ は 如 何 に 周 到 綿 密 に 勘 同 補 正 せ ら れ て ゐ る か が 判 る で あ ら う。 惟 ふ に 板 本 為 本 は 永 年 開 板 遙 録 の 改 ま る 毎 に、 誤 脱 の 生 す る こ と は 已 む を 得 な い 所 で あ る が、 後 學 者 は 宜 敷 善 本 に 就 い て 研 究 す べ き で あ る こ と 申 す 迄 も な い。 斯 る 理 由 の 下 に 私 は ﹃ 付 法 傳 ﹄ に 關 す る 限 の、 ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 本 を 第 一 に 推 す 所 の 者 で あ る。 併 し ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 本 が 決 し て 偶 然 善 本 た る 繹 で な く、 編 者 の 雀 末 の 辮 に ﹃ 開 貞 二 録 表 制 集 ﹄ 等 を 槍 べ た と 去 へ る に 依 の、 理 由 は 明 白 で あ る。 不 空 三 藏 渡 天 年 衣 繹 疑 九
不 空 三 藏 渡 天 年 象 緯 疑 一 〇 次 に ﹃ 付 法 傳 ﹄ の 註 繹 書 と し て は、 (1) 信 龍 撰 ﹃ 秘 密 湧 茶 羅 教 付 法 傳 鋤 ﹄ 明 暦 元 年 刊 (本、 六 珊 ) (2) 蓮 傲 撰、 ﹃ 秘 密 海 茶 羅 教 付 法 傳 纂 解 ﹂ ( 寛 文 三 年 刊 ) (本、 五 冊 ) (3) 撰 者 不 詳、 ﹃ 付 法 傳 見 聞 集 ﹄ 天 和 三 年 刊 (本、 五 珊 ) (4) 泰 晋 撰、 ﹃ 付 法 傳 纂 解 紗 ﹂ 享 和 四 年 刊 ( 本、 六 班 ) 等 が あ る が、 敦 れ も 是 非 参 考 に 資 す べ き 程 の 者 で な く、 信 龍 の ﹃ 付 法 傳 紗 ﹄ の み 稽 参 稽 に 債 す る 者 で あ る。 其 の 故 は 後 節 に 論 究 せ る 通 の、 不 室 三 藏 渡 天 並 び に 聾 航 の 歳 次 に 就 き、 其 の 所 傳 の 異 同 に 注 意 せ し 最 初 の 著 作 で あ る か ら で あ る。 四 扱 て 本 論 に 立 ち 戻 の、 不 室 三 藏 渡 天 歳 次 は ﹃ 付 法 傳 ﹄ 所 記 の 開 元 二 十 九 年 読 が 何 故 安 當 で あ る か。 惟 ふ に 不 室 傳 に 關 す る 根 本 皮 料 と 申 せ ば、 唐 の 沙 門 圓 照 撰 集 の ﹃ 代 宗 朝 贈 司 室 大 辮 正 廣 智 三 藏 和 上 表 制 集 ﹄釜 四 (大 ( 正 新 修 大 藏 経 ) 第 五 十 二 巻 ) に 牧 む る 不 室 三 藏 自 作 の 諸 表 進、 及 び 弟 子 飛 錫 の 撰 丈 ﹃ 大 唐 故 大 徳 開 府 儀 同 三 司 試 鴻 膿 卿 粛 國 公 大 興 善 寺 大 廣 知 三 藏 和 上 之 碑 ﹄ ( 大 暦 九 年、) ( 七 月 六 旨口 建) 及 び 嚴 郵 の 撰 丈 に 係 る ﹃ 唐 大 興 善 寺 大 辮 正 廣 智 三 藏 和 上 之 銘 井 序 ﹄ ( 表 制 集 春 六、 建 中 ( 二 年 十 一 月 十 五 目 建、 西 安 碑 林 現 存、 足 立 喜 六 ) 、 氏、 ﹃ 長 安 史 蹟 の 研 究 ﹄ 参 照 ) 及 同 入 撰 ﹃ 大 唐 大 廣 智 三 藏 和 上 影 讃 井 序 ﹂( 表 制 脚集、)、 ( 巻 四 所 牧 ) 唐 の 趙 遷 撰 ﹃ 大 唐 故 大 徳 贈 司 室 大 辮 正 廣 智 不 室 三 藏 行 歌 ﹄ ( 大 日 本 績 藏 纒 第 二 十 三 套 ) ( 大 正 新 修 藏 輕 巻 五 十 ) に 墨 き て ゐ る 奄 先 づ 飛 錫 撰 の 碑 文 に 現 は れ る 所 を 観 れ ば、
至 開 元 二 十 九 年 秋。 先 師 厭 代。 入 塔 之 後。 有 詔 令 齎 國 信 使 師 子 國。 ⋮⋮至 天 寳 六 載。 自 師 子 國 還。 ど あ の、 嚴 鄙 撰 の 碑 文 並 び に 影 讃 に は 年 次 の 明 記 な く、 趙 遽 の ﹃ 不 室 三 藏 行 歌 ﹄ に は 後 籔 年。 粗 師 奉 詔 蹄 國。 大 師 随 侍 至 河 南 府。 組 示 疾 而 終。 是 時 開 元 二 十 九 年 伸 秋。 影 塔 既 成。 以 先 奉 先 師 遺 言。 令 往 師 子 國。 ⋮⋮天 寳 五 載 還 瞬 上 京。 云 云、 と 見 え る。 是 に 由 つ て 観 れ ば、 開 元 二 十 九 年 の 仲 秋 組 師 金 剛 智 三 藏 示 寂 後、 組 師 追 弔 の 影 塔 成 つ て 後 に 不 塞 三 藏 は 渡 天 の 肚 途 に 登 ら れ し も の に て、 是 の み を 以 て し て は 其 の 渡 天 の 年 次 を 明 確 な る 精 籔 を 以 て 限 定 す る こ と は 出 來 な い。 是 が 解 明 に は 先 づ 金 剛 智 三 藏 の 示 滅 年 次 か ら 確 定 す る 必 要 が あ る。 而 し 此 の 金 剛 智 三 藏 圓 寂 年 次 に も 異 同 の あ る こ と、 已 に 高 楠 博 士 が ﹃ 慧 超 傳 考 ﹄( 大 目 本 佛 教 ) ( 全 書 所 牧 本 ) 中 に 指 摘 せ ら れ た 通 の で あ る が、 左 に 遙 録 せ る 如 く、 之 亦 宋 元 時 代 撰 述 の 皮 傳 類 に 於 て は 極 め て 不 正 確 で あ る。 就 い て は 支 那 佛 教 史 研 究 に ぱ 之 等 の 皮 傳 類 が 如 何 に 信 愚 す る に 優 し な い か を 謳 へ ら れ る の み な ら す、 僧 家 の 間 に 殊 に 著 名 な る ﹃ 佛 租 統 記 ﹄ や ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ の 如 き 者 が 誤 傳 流 布 の 先 鋒 で あ の、 之 を 丸 呑 に す る こ と が 如 何 に 危 瞼 で あ る か を 今 此 虚 に 更 め て 知 る 可 き で あ る。 印 ち 殆 ん ど 之 等 全 部 の 史 傳 類 は 開 元 二 十 年 を 以 て 金 剛 智 三 藏 の 寂 年 と 定 め 左 の 如 く で あ る。 (1) 二 十 年 壬 申 八 月 既 望 於 洛 陽 廣 幅 寺 ⋮⋮寂 然 化。 (宋 高 曾 ) ( 傳 巻 一 ) (2) 二 十 年 八 月 壬 申 朔。 三 藏 金 剛 智 告 其 徒 日。 白 月 圓 時 吾 逝 莫。 至 時 邊 殴 盧 像。 頂 焚 爽。 退 蹄 農 室。 蜘 朕 而 逝。 一事 弐 優 興 繍 罪轍 編 年 涌 隅 論 胴巷 粍丁 六 (大 日 本 纏 藏 纏 乙 第 三 套 ) 不 空 三 藏 渡 天 年 次 繹 疑 一 一
不 空 三 藏 渡 天 年 次 繹 疑 一 二 (3) 二 十 年。 金 剛 智 三 藏 亡。 佛 顧 紬 記 ( 巷 四 十 ) (4) 二 十 年 八 月。 告 其 徒 日。 白 月 圓 時 吾 其 逝矣。 至 期 旋 続 既 盧 遮 那 像。 頂 貝 葉 朕 坐 而 寂。 (澤 門 正 ) (統 巻 八 ) (5) 壬 申。 二 十。 八 月。 金 剛 智 法 師 跡 朕 而 逝。 歴 代 編 年 繹 ( 氏 通 鑑 巻 九 ) (6) 唐 蹟 日。 羅 苦 菩 提 華 言 金 剛 智。 ⋮⋮二 十 年 於 洛 陽 廣 幅 寺 語 門 入 日。 白 月 圓 時 吾 當 逝矣。 八 月 既 望。 禮 砒 盧 遮 那 佛 像。 続 旋 七 匝。 還 院 焚 香。 獲 願 頂 戴 梵 爽 所 課。 從 容 付 囑。 寂 然 化。 云 云 六 學 ・倫 假 儒 母 巻 五 ( 彗 心銘 攣 僅 貰 然 科 三 ) (7) 二 十。 八 月 壬 申 朔 三 藏 金 剛 智 告 其 徒 日。 白 月 圓 時 吾 逝矣。 ⋮⋮而 逝。 ⋮⋮及 智 没。 不 室 奉 遺 教 游 天 竺 増 其 學。 ( 佛 祀 歴 代 通 ) (載 梱 十 三) (載 奮 判 三 ) (8) 金 剛 智 ⋮⋮開 元 二 十 年 八 月 十 五 日。 於 洛 陽 廣 幅 寺 命 門 入 日。 白 月 圓 時 吾 當 去 突。 逐 禮 昆 盧 遮 那 佛。 旋 邊 七 匝。 退 蹄 本 院。 焚 香 襲 願。 頂 戴 梵 爽 井 薪 繹。 教 法 付 囑 詑。 寂 然 而 化。 繹 氏 裕 古 ( 略 巷 三 ) (9) 至 二 十 年 壬 申 八 月 既 望。 於 洛 陽 廣 幅 寺 命 門 人 日。 白 月 圓 時 吾 當 去矣。 途 禮 砒 盧 遮 那 佛。 旋 続 七 匝。 退 聾 本 院。 焚 香 獲 願。 頂 戴 梵 爽 井 薪 課。 教 法 付 囑 詑。 寂 然 而 化。 ( 紳 曾 一傳 春 七、 大 日 本 綾 藏 輕 第 三 ) ( 十 六 必 甲 大 正 新 修 藏 経 春 五 十 ) 此 の 開 元 二 十 年 は、 嚢 き に 引 用 し た 飛 錫 撰 文 の ﹃ 三 藏 和 上 之 碑 ﹄ 及 趙 遽 撰 文 の ﹃ 不 室 三 藏 行 歌 ﹄ に 照 合 す れ ば、 開 元 二 十 九 年 仲 秋 の 誤 傳 な る こ と 明 白 で あ る の み な ら す、 亦 ﹁ 貞 元 薪 定 繹 教 目 録 ﹄ 毬 十 四 ( 大 正 新 修 藏 ) ( 輕 巷 孟 十 五 ) 所 牧 の 唐 の 混 倫 翁 撰 文 の 天 費 二 年 二 月 十 七 日 建 立 に 係 る ﹃ 大 唐 東 京 大 廣 輻 寺 故 金 剛 三 藏 塔 銘 ﹄ の 序 詞 に も、 至 二 十 九 年 七 月 二 十 六 日。 天 恩 放 還 本 國。 至 東 京 廣 幅 寺。 乃 現 疾。 ⋮⋮其 年 八 月 十 五 日 誼 果。 と あ の、 亦 本 邦 仁 治 三 年 乃 至 弘 安 四 年 頃 の 承 澄 撰 述 に 係 る ﹃ 阿 娑 縛 抄 明 匠 等 略 傳 上 ﹄ 大 唱 本 佛 教 ( 全 童 臼 所 牧 本 ) に も ﹃ 三 國 高 僧 碑 ﹄ を 引 用 し て、
金 剛 智 三 藏 者。 ⋮⋮廿 九 年 八 月 十 五 日。 終 薦 隠 寺。 春 秋 七 十 三。 鼓 云 と あ る。 猫 ほ 亦 ﹃ 大 唐 貞 元 綾 開 元 繹 教 録 ﹄雀 上 の 撰 集 者 唐 の 圓 照 の 言 に、 金 剛 智 三 藏 開 元 二 十 九 年 八 月 十 五 日 卒 於 東 都 廣 輻 寺。 と あ る 故、 金 剛 智 三 藏 の 寂 年 は 開 元 二 十 九 年 八 月 十 五 日 た る こ と 最 早 鐵 案 に し て 動 か し 得 な い。 然 ら ば 如 何 に し て ﹃ 宋 高 櫓 傳 ﹄ 以 下 の 開 元 二 十 年 読 を 派 生 せ し か と 云 ふ に、 之 は 恐 ら く ﹃ 貞 元 録 ﹄ 毬 十 五、 ﹃高 麗 藏 ﹄本 を 底 本 と せ る ﹃ 大 正 薪 修 大 藏 維 本 ﹄ で は 第 五 十 五 雀 目 録 部 四 ノ 八 八 一 頁 上 段 に、 撰 者 圓 照 が 不 室 三 藏 が 金 剛 智 三 藏 に 師 事 せ し 顛 末 を 記 し、 至 十 九 年 辛 未。 天 恩 下 降 弘 教。 三 藏 及 弟 子 等 放 還 本 郷。 出 自 西 京 至 予 東 洛。 大 師 避 疾 逐 致 麗 焉。 印 年 八 月 十 五 日 也。 と 云 へ る に 濫 傷 す る ら し く、 併 し 之 も 圓 照 の 誤 記 の 罪 に 蹄 す 可 き で な い の で あ つ て、 同 本 の 註(8)(9)に 櫨 れ ば、 ﹃ 正 倉 院 聖 語 藏 本 ﹄ に は 明 白 に、 二 十 九 年 辛 巳 と な れ る 故、 此 の 誤 傳 は 恐 ら く ﹃麗 藏 ﹂ 本 に 至 の 獲 生 し た ら し く、 ﹃麗 藏 ﹄本 の 誤 の は 更 に 之 を 資 料 と 仰 ぎ 編 纂 さ れ し 宋 元 時 代 成 立 の 佛 教 史 傳 類 の 誤 傳 を 成 さ し め た の で あ ら う と 考 へ ら れ る。 尤 も ﹃ 麗 藏 ﹄ 本 に は、 ﹃ 十 九 年 ﹄ と あ の ﹃ 二 十 年 ﹄ と 記 さ れ て 居 な い の で あ る け れ ど も、 私 の 云 は ん と 欲 す る 所 は 託 傳 の 獲 生 せ し 時 期 が 宋 元 時 代 史 傳 撰 述 の 盛 ん な の し 時 期 に あ つ た と 云 ふ こ と を 立 識 出 來 れ ば 足 の る の で あ る。 斯 く の 如 く 金 剛 智 三 藏 の 寂 年 に 就 い て も、 多 く の 史 傳 が 誤 つ て 居 る に 拘 は ら す、 猫 の 我 が 弘 法 大 師 の ﹃ 付 法 傳 ﹄ は 混 倫 翁 の ﹃ 金 剛 三 藏 塔 碑 銘 ﹄を 其 の 儘 に 載 せ ら れ、 正 傳 を 後 世 に 邉 さ れ て ゐ る、 印 ち 左 の 通 の で あ る。 二 十 九 年 七 月 二 十 六 日。 天 恩 放 蹄 本 國。 行 至 東 都 薦 幅 寺。 乃 現 疾 墜 有 身 之 患。 坐 而 遽 化 弟 子 櫓 智 藏 等 請 留 逡 教。 須 間 復 還 囑 付 畢 日、 西 國 浬 藥 鑑 皆 鯖 坐 法。 随 師 返 寂 右 脇 而 眼。 邸 師 子 王 維 所 載 也。 悟 身 非 有 蝉 蜆 遽 基。 其 年 八 月 十 五 不 空 三 藏 渡 天 年 家 繹 疑 一 三
不 空 三 藏 渡 天 年 家 繹 疑 一 四 日 謹 果。 云 鼓 但 し 右 の 薦 幅 寺 は 廣 幅 寺 の 誤 の に し て、 ﹃ 大 日 本 佛 教 全 書 ﹄ 本 に 廣 幅 寺 と あ る に 從 ふ 可 き で あ の、 之 の み は ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 本 の 勘 同 が 不 劇 分 な の で あ る 。 此 の 外 本 邦 撰 述 の 眞 言 傳 記 の 類、 例 へ ば 後 冷 泉 天 皇 康 不 三 年 ( 宋 仁 宗 嘉 ) (砧 八 年) 撰 の 成 尊 の ﹃ 眞 言 付 法 纂 要 抄 ﹄ 大 唱 本 佛 教 ( 全 書 所 牧 本 ) 及 正 中 二 年 ( 兀 巫 目 虚 示 山泰 ) (定 二 年 )撰 の 榮 海 の ﹃眞 言 傳 ﹄ (大 日 本 佛 教 ) ( 全 書 脈 牧 ) に も ﹃ 付 法 傳 ﹄ を 正 し く 踏 襲 し て 之 を 誤 ら す、 ﹁ 開 元 二 十 九 年 金 剛 智 入 滅 後 ﹂ 云 雪 と 掲 け て ゐ る。 是 に 於 て 私 は 我 國 撰 述 の 佛 教 史 傳 の 類 は、 概 ね 同 時 代 成 立 の 支 那 入 撰 述 の 夫 れ に 比 し て、 著 し く 正 確 た る こ と を 誇 る に 足 る と 思 ふ の で あ る。 さ う し て 之 が 正 し き 指 針 は、 申 す 迄 も 無 く ﹃ 付 法 傳 ﹄ に 依 つ た の で あ る か ら、 ﹃ 付 法 傳 ﹄ は 史 學 者 の 立 場 か ら 申 し て、 日 支 眞 言 傳 中 の 白 眉 で あ る と 構 揚 し て も 阿 護 的 贅 言 と は 云 ひ 得 な い 課 で あ る。 (五) 斯 様 に 金 剛 智 三 藏 の 入 滅 年 次 が 開 元 二 十 九 年 八 月 十 五 日 と 決 定 す れ ば、 飛 錫 撰 文 の ﹃ 大 廣 智 三 藏 和 上 之 碑 ﹄ に、 先 師 厭 代 入 塔 之 後。 有 詔 令 齎 國 信 使 師 子 國。 云 巽 と あ る 如 く、 不 室 三 藏 の 渡 天 も 開 元 二 十 九 年 後、 更 に 嚴 密 に 云 へ ば、 金 剛 智 三 藏 追 弔 の 塔 婆 建 立 以 後 で あ の、 其 の 年 次 は ﹁ 天 寳 二 年 癸 未 之 歳。 二 月 辛 未 朔 二 十 七 日 丁 酉。 龍 門 起 塔 時。 有 逸 人 混 倫 翁。 撰 文 書 題 日 ﹂ と 云 つ て ﹃ 貞 元 録 ﹄雀 十 四 に 牧 む る ﹃ 大 廣 東 京 大 廣 幅 寺 故 金 剛 三 藏 塔 銘 井 序 詞 宥、 至 天 實 二 年 二 月 二 十 七 日。 於 奉 先 寺 西 嵩 起 塔。 云 々
と あ る 故、 起 塔 の 年 次 は 天 寳 二 年 二 月 二 十 七 日、 随 つ て 不 室 三 藏 の 渡 天 年 次 も 同 年 同 月 同 日 以 後 で な く て は な ら な い。 而 し て 之 以 上 明 確 に は 如 何 な る 根 本 皮 料 を 渉 猛 す る も 明 記 さ れ て 居 な い の で あ る か ら 知 る 術 も な き 故 姑 ら く 措 き、 後 考 に 譲 る と し て 先 き に 蹄 朝 の 年 次 を 検 討 し て 見 よ う。 大 暦 六 年 十 丹 十 二 日、 不 室 三 藏 漸 く 死 期 に 近 付 き た る を 畳 え、 自 ら 代 宗 皇 帝 に ﹃ 三 朝 所 翻 経 論 請 入 目 録 流 行 表 ﹄ ( 表 ( 柵 集 巻 三 ) 所 牧) を 上 の、 其 の 中 に、 天 寳 五 載。 却 至 上 都。 と あ る を 観 れ ば、 三 藏 蹄 朝 の 年 次 は 天 寳 五 載 な る こ と、 之 亦 鐵 案 に し て 動 か し 得 な い。 此 の 瞬 朝 の 年 次 は 左 に 示 す 如 く、 後 世 の 多 く の 諸 傳 も 正 し く 傳 へ る に 拘 は ら す、 凋 の ﹃ 佛 租 統 記 ﹄ の み は 誤 の 傳 ぺ て ゐ る。 同 書 は 如 何 に 戸 惑 ひ せ し も の か、 佛 教 史 家 が 之 を 利 用 す る に は、 宜 敷 幾 重 に も 警 戒 を 怠 ら ぬ や う 注 意 が 肝 要 で あ る。 印 ち 左 の 通 の で あ る。 (1) 至 天 寳 五 載。 還 表 進 師 子 國 王 羅 迷 伽 表。 云 巽 ( 宋 高 僧 傳 巻 一、 京 ) (兆 大 興 善 寺 不 空 傳 ) (2) 天 寳 五 年。⋮⋮是 年 不 室 三 藏 自 西 域 還。 云 云 ( 隆 興 佛 教 編 年 ) ( 通 論 船筍 十 六 ) (3) 丙 戌 五 載。 不 室 三 藏 自 西 域 還。 歴 代 編 年 繹 ( 氏 通 鑑 巻 九 ) (4) 丙 戌。 是 歳 不 室 三 藏 自 西 域 還。 ( 佛 阻 歴 代 通 ) ( 載 春 十 三 ) (5) 不 室 三 藏。 ⋮⋮天 寳 五 載 還 京。 繹 氏 穆 古 略 春 ( 三 紳 僧 傳 巷 八 ) (6) ご 十 九 年。 不 室 三 藏 自 師 子 國 復 來。 ( 佛 租 統 記 巻 二 ) ( 十 九、 四 十 ) 併 し 唐 代 撰 述 の 皮 料 中 に も 必 す し も 異 読 な い こ と は な い の で あ つ て、 例 へ ば 飛 錫 撰 文 の ﹃ 大 廣 智 三 藏 和 上 之 碑 ﹂ (代 ( 宗 不 空 三 藏 渡 天 年 茨 繹 疑 一 五
不 空 三 藏 渡 天 年 衣 繹 疑 一 六 た 暫 九 文甲 七 ) 月 六 日 建 立 ) こ 至 天 寳 六 載。 自 師 子 國 還。 と あ の、 從 來 は 之 が 唯 一 の 異 読 と 考 へ ら れ、 之 に 從 へ る 者 に 元 の 曇 垂 述 ﹃ 新 脩 科 分 六 學 僧 傳 ﹄雀 二 十 忍 辱 學 特 志 科、 唐 の 含 光 の 條 に 見 え る、 天 寳 六 載。 復 楷 不 室。 東 同 京 師。 雲 究 で あ の、 信 龍 の ﹃ 付 法 傳 砂 ﹄ 雀 一 に 已 に 此 の 事 實 に 注 意 を 彿 ひ し 一 節 が あ る。 其 の 二 及 三 は 共 に 唐 の 文 宗 太 和 八 年、 海 雲 の 撰 に 係 る ﹃ 爾 部 大 法 相 承 師 資 付 法 記 ﹄ 巷 上 大 日 本 佛 教 全 書 (遊 方 傳 叢 書 四 ) 及 ﹃略 叙 金 剛 界 大 教 王 師 資 相 承 傳 法 次 第 記 ﹄ ( 大 日 本 績 藏 経 ) ( 第 九 十 五 套) こ、 次 至 太 唐 天 寳 九 載。 三 藏 不 室 阿 閣 梨。 自 往 五 天 遍 求 勝 法。 行 至 南 天 竺 國。 得 遇 長 年 普 賢 阿 閣 梨。 逐 再 諮 求 重 學 金 剛 界 法。 と あ の、 此 の 丈 面 で は 主 旨 晦 澁 に し て、 要 領 を 得 な い が、 天 賓 九 載 三 藏 已 に 天 竺 よ の 聾 來 し て 居 て、 更 に 諮 の 求 め て 重 く 金 剛 界 の 法 を 學 ん だ と 去. 諭 意 味 で あ ら う と 思 は れ る か ち、 天 寳 九 載 に 三 藏 齢 朝 し た と 云 ふ 意 味 で は な い。 是 等 の 年 次 の 異 同 に 就 い て は、 己 に 申 す 如 く 信 龍 の ﹃ 付 法 傳 砂 ﹄ 毬 一 に 夙 に 指 摘 せ る 所 で あ の、 亦 之 に 随 つ た 運 傲 の ﹃ 付 法 傳 纂 解 ﹄ に も 同 様 一 言 を 費 し て ゐ る が、 共 に 之 等 に 決 定 的 断 案 を 下 す に 足 る 謹 左 を 蒐 集 し 得 な か つ た と 見 え、 爾 者 敦 れ も 天 寳 五 載 は 聾 唐 の 年、 六 載 は 瞬 京 の 年 で あ る と 云 ふ 苦 し い 裁 決 を 下 し て ゐ る。 猫 ほ 岡 崎 密 乗 師 も 大 正 三 年 七 月 ﹃ 密 宗 學 報 ﹄第 十 三 號 以 下 に、 ﹃ 不 室 三 藏 傳 記 考 ﹄を 掲 け ら れ、 三 藏 の 渡 天 年 次 に 言 及 さ れ て ﹃ 付 法 傳 紗 ﹄ と 同 檬 の 言 を 成 し て 居 ら れ る が、 遺 憾 乍 ら 同 書 よ の 一 歩 も 踏 出 し て 居 ら れ な い の は 建 に 惜 し む べ き
で あ る。 惟 ふ に 斯 く の 如 き 不 室 三 藏 の 渡 天 並 び に 蹄 朝 年 次 に 關 す る 託 誤 傳 は、 已 に 考 誼 を 重 ね し 如 く 写 主 と し て 金 剛 智 三 藏 の 示 寂 を 開 元 二 十 年 と 誤 解 せ し が 主 因 に て、 之 が 爲 め 不 室 三 藏 渡 天 年 次 も 同 じ く 開 元 二 十 年 と 誤 ら ざ る を 得 な く な の 随 つ て 其 の 蹄 唐 年 次 も 亦 ﹃ 佛 租 統 記 ﹄ の 如 く 開 元 二 十 九 年 と な の、 渡 航 年 次 と 蹄 朝 傘 次 を 入 れ 替 へ た 様 な 結 果 に な つ て ゐ る 。 是 に 於 て 翻 つ て ﹃ 付 法 傳 ﹄ を 観 る に、 天 寳 五 年。 歳 在 景 戌。 自 師 子 國 還。 と あ の、 之 は 恐 ら く ﹃ 貞 元 録 ﹄ 毬 十 五、 (﹃ 大 正 薪 修 藏 経 ﹄ 本 に 附 せ る ﹃ 正 倉 院 聖 語 藏 経 ﹄ 本 の 註 ) に、 天 寳 五 年。 歳 在 景 成。 還 至 闘。 と あ る に 擦 ら れ た ら し く、 天 寳 五 載 読 を 採 ら れ、 随 つ て 之 を 組 述 せ し 成 奪 撰 ﹃ 眞 言 付 法 纂 要 ﹂ 大 目 本 佛 (教 全 書 本 ) 天 寳 五 載。 却 至 上 都。 と あ の、 亦 金 剛 智 三 藏 示 寂 年 に 就 い て も 同 書 に、 開 元 二 十 九 年 秋。 先 師 厭 世。 入 塔 之 後 有 詔。 令 費 國 信。 使 師 子 國。 云 去 と 見 え、 亦 榮 海 撰 ﹃ 眞 言 傳 ﹄ 雀 一 大 目 本 佛 (教 全 書 本) に は 麟 朝 年 次 は 落 せ る も、 開 元 二 十 九 年 二 金 剛 智 入 滅 ノ 後。 天 寳 元 年 二 玄 宗 ノ 詔 ア リ テ。 爾 部 大 教 十 萬 順 ノ 廣 本 ヲ 渡 サ ン 爲 メ ニ。 三 藏 蛙 二 弟 子 ノ 曾 含 光・ 恵 辮 俗 弟 子 李 元 踪 等 二 國 信 ヲ 持 タ シ メ テ 天 竺 二 遣 ス。 一苔 誠 と あ の、 之 等 本 邦 撰 述 眞 言 傳 記 の 類 が 金 剛 智 三 藏 の 圓 寂 年 次 以 下 を 誤 つ て ゐ な い の は、 畢 寛 ﹃ 付 法 傳 ﹄ に 随 つ た 爲 め で あ の、 夫 れ は 亦 ﹃ 付 法 傳 ﹄ が 史 料 の 選 繹 を 誤 ら な か つ た 爲 め で あ る。 不 空 三 藏 渡 天 年 次 繹 疑 一 七
不 空 三 藏 渡 天 年 家 繹 疑 一 八 故 に 以 上 の 考 讃 の 結 果、 不 室 三 藏 渡 天 並 び に 蹄 唐 年 次 は、 ﹃ 付 法 傳 ﹄ 所 牧 の 根 本 史 料 に 随 ひ、 天 寳 二 年 渡 航、 同 五 年 齢 朝 之 致 す 可 き で あ る。 猫 ほ 支 那 よ の 天 竺 へ の 航 海 は、 北 東 恒 信 風 の 吹 く 陰 暦 の 十 月 末 よ の 逞 く と も 翌 三 月 初 め 迄 に 限 ら れ る の で あ る か ら、 不 室 三 藏 の 箆 喬 舶 に 便 乗 し て 廣 東 を 獲 航 せ ら れ し も、 天 寳 二 年 二 月 二 十 七 日 直 後 と 観 て 然 る 可 き で あ ら う。 (六) 次 に 不 室 三 藏 渡 天 年 次 の 考 謹 に は 直 接 の 徴 謹 と は 成 の 得 な い か も 知 れ な い が、 ﹃ 付 法 傳 ﹄ が 如 何 に 正 確 な 史 料 で あ ゐ か を 更 に 立 讃 し、 同 時 に 三 藏 渡 天 年 次 決 定 の 基 準 を な す 金 剛 智 三 藏 圓 寂 年 た る 開 元 二 十 九 年 が 絶 謝 不 動 で あ る 所 以 を 今 一 度 異 れ る 角 度 よ の 考 定 す る た め、 ﹃ 付 法 傳 ﹄ に 依 る 不 室 三 藏 の 年 譜 を 試 作 致 し、 之 に 重 ね て 槍 討 を 加 へ て 見 よ う。 ○中 宗 紳 龍 元 年 白 萬 輌 帽 一 三 六 五 (西 紀 七 〇 五 )誕 跡。 ○同 開 元 二 十 九 年 皇 紀 一 四 〇 一 ( 西 紀 七 四 一 ) 先 師 示 寂。 ○玄 宗 開 元 六 年 皇 紀 一 三 七 八 ( 西 紀 七 一 八 ) 年 甫 十 四。 ○同 天 寳 五 藪 皇 紀 一 四 〇 六 ( 西 如爬 七 四 六 ) 自 師 子 國 還。 ○同 開 元 八 年 皇 綻 一 三 八 〇 ( 西 紀 七 二 〇 ) 至 東 洛。 ○代 宗 大 暦 六 鉦 皇 紀 一 四 三 一 ( 西 紀 七 七 一) 承 事 先 師。 二 十 有 四 載。 ○同 開 元 十 二 年 皇 紀 一 三 八 四 (西 紀 七 二 四) 弱 冠。 ○同 大 暦 九 年 皇 紀 一 四 三 四 ( 西 紀 七 七 四) 入 寂。 曾 夏 五 十。 享 年 七 十。 先 づ 第 一 に 不 室 三 藏 誕 跡 の 年 次 に 就 い て 籔 ふ る に、 恐 ら く 弘 法 大 師 が ﹃ 貞 元 録 雀 ﹄ 十 五 に 撰 者 が、 計 當 大 唐 神 龍 元 年 乙 巳 之 歳 誕 跡 焉。 と 云 へ る に 擦 ら れ し 噛 の な ら ん と 思 は れ、 此 の 年 次 の 當 否 は 其 の 示 寂 年 大 暦 九 年 享 年 七 十 よ の 逆 算 す れ ば 自 明 に し て 當 に 神 龍 元 年 に 相 當 す る。
因 み に 不 室 三 藏 の 入 寂 年 女 は、 大 暦 九 年 歳 次 甲 寅 五 月 己 亥 朔 七 日 乙 巳 附 の 三 藏 自 身 の 遺 書 一 首 が ﹃ 表 制 集 ﹄雀 三 に 牧 録 さ れ て ゐ る を 始 め と し て、 同 雀 四 に は 大 暦 九 年 六 月 十 五 日 鮒 に て ﹃開 府 議 同 三 司 試 鴻 櫨 卿 粛 國 公 大 興 善 寺 三 藏 沙 門 大 廣 智 不 室 上 表 ﹄ と 題 せ る ﹃ 三 藏 和 上 臨 絡 陳 播 鱒 表 ﹄ 一 首 あ の、 猫 ほ 嚴 郵 撰 丈 の ﹃ 大 唐 大 廣 知 三 藏 和 上 影 讃 井 序 ﹄ 表 制 ( 集 管 四 所 ) 牧 ) に 夫 々、 大 暦 九 年。 示 疾 而 臥。 ⋮⋮至六 月 十 五 日。 忽 沐 浴 蘭 湯。 換 潔 衣 服。 抗 表 辮 主。 奄 然 而 化。 春 秋 七 十。 夏 騰 五 十 牟。 云 云 (影 讃 井 序 ) 大 暦 九 年 夏 六 月 癸 未。 滅 度 於 京 師 大 興 善 寺。 ⋮⋮凡 櫓 夏 五 十。 享 年 七 十。 (碑 銘 ) と あ る 故、 三 藏 の 寂 年 は 當 に 大 暦 九 年 六 月 十 五 日 た る こ と、 之 亦 鐵 壁 の 案 に て 毫 も 疑 團 の 飴 地 な き に 拘 は ら す、 例 に 依 の ﹃ 歴 代 編 年 繹 氏 通 鑑 ﹄ 雀 九 で は 庚 戌 五 年。 三 藏 不 室 示 寂。 ⋮⋮六 月 癸 未。 沐 浴 更 衣。 吉 鮮 安 臥 。 而 寂。 一訳 云 と 云 ひ ﹃ 歴 代 繹 氏 資 鑑 ﹄ 巻 七 に も、 庚 戌 五 年。 不 室 示 疾 表 譜。 帝 遣 内 使 螢 問。 ⋮⋮六 月 癸 未。 吉 群 安 臥。 而 寂。 一苔 誠 と 云 ひ 之 亦 託 傳 で あ る。 併 し ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ 毬 一 ﹃ 佛 組 統 記 ﹄ 雀 四 十 一 ﹃ 繹 門 正 統 ﹄ 雀 八 ﹃ 佛 租 歴 代 通 載 ﹄ 雀 十 四 ﹃ 繹 氏 稽 古 略 ﹄ 雀 三 等 は 誤 ら す、 次 の 通 の で あ る。 (1) 大 暦 九 年 六 月 十 五 日。 香 水 深 沐。 東 首 僑 臥。 北 面 謄 望 闘 庭。 以 大 印 身 完 中 而 寂。 享 年 七 十。 櫓 騰 五 十。 云 去 柔 高 僧 傳 ) 不 空 三 藏 渡 天 年 茨 繹 疑 一 九
不 空 三 藏 渡 天 年 衣 繹 疑 二 〇 (2) 九 年 六 月。 不 室 三 藏 告 病。 ⋮⋮及 示 寂。 帝 綴 朝 三 日。 ⋮⋮(佛 魍 統 記 ) (3) 不 室 ⋮⋮大 暦 九 年 六 月 癸 未。 示 寂 大 興 善 寺。 慶 朝 三 日。 ⋮⋮壽 七 十。 縢 五 十。 云 云 (繹 門 正 統 )。 (4) 是 年 ( 大 暦 九 年 ) 大 廣 智 三 藏 不 室 示 疾。 ⋮⋮逐 沐 浴 更 衣。 吉 群 安 臥 而 寂。 (佛 祀 歴 代 通 載 ) (5) 九 年 示 寂。 ( 繹 氏 ) ( 簿 吉 略 ) 而 し て 此 塵 に 特 に 注 意 す べ き は ﹃ 隆 興 神 佛 教 編 年 通 論 ﹄毬 十 八 及 ﹃佛 組 歴 代 通 載 ﹄ 雀 十 四 所 載 の 嚴 郵 撰 文 の ﹃ 不 室 三 藏 紀 徳 碑 ﹄ に は、 大 暦 五 年 夏 六 月 癸 未。 滅 度 予 京 師 大 興 善 寺。 云 去 と あ の 、 ﹃ 表 制 集 ﹄ 所 牧 の 同 碑 丈 に 較 べ て 四 年 の 差 が 認 め ら れ る 故 、 後 學 は 宜 し く 必 す 嚢 制 集 ﹄ 所 牧 の 同 碑 交 に 依 ら る べ き で あ る。 次 に 開 元 六 年、 歳 甫 め て 十 四 に て 師 事 せ し 年 次 も、 神 龍 元 年 を 誕 跡 の 年 と し て 起 算 す れ ば、 當 に 同 年 に 相 當 す る。 猫 ほ ﹃ 付 法 傳 ﹄ に も 韓 載 さ れ て ゐ る が、 大 暦 六 年 十 月 十 二 日 附 の 不 室 三 藏 の ﹃ 三 朝 所 翻 経 論 請 入 目 録 流 行 ﹄ 一 首 ( 表 制 集 巻 ) ( 三 所 牧 ) こ、 承 事 先 師 大 弘 三 藏 和 上、 二 十 有 四 載。 一本 云 と あ る は、 實 に 不 室 三 藏 年 譜 考 讃 の 上 に は 金 科 玉 條 と で も 構 す 可 き 最 有 力 な る 一 節 で あ の、 之 を 基 準 に 逆 算 す れ ば、 大 暦 六 年 よ の 二 十 四 年 前 邸 ち 開 元 二 十 九 年 が 先 師 金 剛 智 三 藏 示 寂、 不 室 三 藏 其 の 後 事 を 承 け ら れ た 年 で あ る。 是 に 於 て 金 剛 智 三 藏 圓 寂 の 年 は 開 元 二 十 九 年 に 確 に 相 違 な き こ と、 前 節 に 考 誰 の 結 果 を 更 に 裏 書 す る 者 で あ の、 随 つ て 私 は 之 を 基 準 と し て 決 定 せ ね ば な ら な い 爾 後 の 不 室 三 藏 の 渡 天 年 次 も、 以 上 考 誰 の 通 の 誤 算 な き も の と 信 す る 者
で あ る。 之 を 要 す る に ﹃ 付 法 傳 ﹄ は、 弘 法 大 師 親 か ら の 筆 に 成 る 部 分 は 必 す 正 確 な 史 料 に 仰 が れ、 例 へ ば 不 室 三 藏 誕 跡 年 次 は ﹃ 貞 元 録 ﹄ 雀 十 五 の 撰 者 圓 照 の 記 に、 ﹁ 大 唐 紳 龍 元 年 乙 巳 之 歳 而 誕 跡 焉 ﹂ と あ る に、 亦 金 剛 智 三 藏 の 寂 年 は 已 に 關 明 せ し 如 く、 飛 錫 撰 丈 の ﹃ 大 唐 故 大 徳 開 府 儀 同 三 司 試 鴻 膣 卿 粛 國 公 大 興 善 寺 大 廣 智 三 藏 和 上 之 碑 ﹄ 丈 表 制 集 、 ( 養 匹 ) 趙 遷 撰 ﹃ 大 唐 故 大 徳 贈 司 室 大 辮 正 廣 智 不 室 三 藏 行 釈 ﹄、 混 倫 撰 ﹃ 大 唐 東 京 大 廣 藤 寺 故 金 剛 三 藏 塔 銘 ﹄ ( 貞 元 録 ) ( 春 十 四 ) 等 の 正 確 な る 根 本 史 料 に 依 ら れ て ゐ る の み な ら す、 其 の 儘 引 用 せ ら れ し 者 も、 例 へ ば 不 室 三 藏 の ﹃ 三 朝 所 醗 経 論 請 入 目 録 流 行 表 ﹄( 表 制 集 ) (巻 三) と か、 ﹃ 三 藏 和 上 臨 終 陳 情 僻 表 ﹄ 表 制 集 (巻 三 ) の 如 き 一 等 忠 料 の み よ の 成 る は 襲 き に 考 讃 せ し 通 の で あ つ て、 不 室 三 藏 の 麟 唐 年 次 に 就 い て ば、 天 寳 六 載 と 誤 の 傳 へ る 飛 錫 撰 の ﹃ 大 唐 故 大 徳 開 府 儀 同 三 司 試 鴻 騰 卿 粛 國 公 大 興 善 寺 大 廣 智 三 藏 和 上 之 碑 ﹄ を 採 用 せ ら れ て 居 な い 大 師 の 鋭 い 史 眼 に は 推 服 の 外 は な い 軌 (七) 更 に 今 一 つ 之 は、 不 室 三 藏 渡 天 年 次 の 考 誼 に は 全 く 無 關 係 の 問 題 な る も、 ﹃ 付 法 傳 ﹄ が 如 何 に 正 確 な る 史 傳 な る か を 重 ね て 立 謹 す る た め、 恵 果 和 術 の 年 譜 に 眼 を 韓 じ て 見 よ う。 恵 果 和 尚 の 傳 に 關 し て は、 夙 に 岡 崎 密 乗 師 が ﹃密 宗 學 報 ﹄ 第 十 九 號 ( 大 正 四 年 ) ( 一 月 刊 ) に ﹃ 恵 果 和 倫 傳 記 考 ﹄ を 掲 ぴ ら れ て ゐ る が、 之 は 年 譜 の 考 誰 に 迄 及 ん で ゐ な い。 其 の 後 昭 和 四 年 五 月 に 至 の ﹃ 東 洋 學 報 ﹄ 第 十 雀 第 四 號 に、 村 上 長 墨 學 士 の ﹃ 恵 果 和 荷 に 就 い て ﹄ と 題 す る 精 緻 な る 研 究 が 獲 表 さ れ た。 故 に 私 は 同 墨 士 の 研 究 に 基 き 論 を 進 め て 見 る。 先 づ 第 一 恵 果 和 術 の 誕 生 に 就 い て 籔 ふ る に、 村 上 學 士 は 天 寳 五 年 を 以 て 之 に 充 當 せ ら れ て ゐ る。 此 の 天 寳 五 年 な る 不 空 三 藏 渡 天 年 次 繹 疑 一二
不 蜜 三 藏 渡 天 年 家 繹 疑 二 二 歳 次 は 如 何 に し て 算 出 さ れ た か と 云 ふ に、 臭 愚 撰 ﹃ 大 唐 神 都 東 塔 院 灌 頂 國 師 恵 果 阿 閣 梨 行 歌 ﹄ 弘 法 大 師 全 集、 (付 法 傳 巻 二 所 牧) 及 弘 法 大 師 撰 ﹃ 大 唐 神 都 青 龍 寺 故 三 朝 瞬 師 灌 阿 閣 梨 恵 果 和 術 之 碑 ﹄ ( 弘 法 大 師 全 集、 ) ( 性 難 集 春 ご 所 載 ) に 見 え る、 ﹁ 永 貞 元 年 十 二 月 十 五 日 春 秋 六 十 曾 夏 四 十 を 以 て 圓 寂 し た ﹂、 と 記 せ る を 基 準 と し て 逆 算 せ ら れ し 数 字 に て、 唐 の 無 名 氏 撰 ﹃ 大 唐 青 龍 寺 三 朝 供 奉 大 徳 行 歌 ﹄ ( 大 正 新 修 大 藏 纏 巻 五 十 大 ) ( 日 本 綾 大 藏 経 第 二 十 三 套 ) に、 ﹁ 大 暦 八 年 三 月 年 満 二 十 ﹂ と 記 せ る を 基 準 と し て 逆 算 せ る 天 寳 十 二 年 誕 跡 は 不 當 で あ る と 論 破 さ れ た 。 猫 ほ 私 の 観 る 所 で は、 恵 果 和 術 の 示 寂 年 に 就 い て は、 皇 國 承 澄 撰 ﹃ 阿 娑 縛 抄 明 匠 等 略 傳 ﹄ 上 大 日 本 佛 ( 教 全 書 本 ) 青 龍 寺 恵 果 阿 閣 梨 の 項 に も、 ﹃ 三 國 高 櫓 碑 ﹄ を 引 用 し て、 ﹁ 永 貞 元 年 十 二 月 十 五 日 五 更 去 世。 春 秋 六 十 ﹂ 曇 々 と あ る 故、 恐 ら く 右 の 算 出 に は 疑 念 を 挿 む 鹸 地 な か ら う し 推 想 さ れ る の み な ら す、 同 學 士 の 考 謹 は 已 に 賞 揚 せ し 如 く 精 緻 に し て 且 つ 合 理 的 で あ る か ら、 護 者 も 之 に 就 き 委 し く 熟 覧 せ ら れ る こ と を 希 望 す る が、 要 す る に 學 士 の 断 案 は、 ﹃ 大 徳 行 歌 ﹄ に 見 え る ﹁ 大 暦 八 年 ﹂ は ﹁ 大 暦 元 年 三 丹 年 満 二 十 ﹂ の 誤 爲 で あ ら う と 蓉 ふ に あ る。 扱 て ﹃ 村 法 傳 ﹄ に 就 い て 討 議 す る に、 第 七 組 恵 果 和 街 の 誕 跡 に 就 い て は、 大 師 親 ら 記 さ れ る 所 は 無 い け れ ど も、 嚢 き の 最 も 信 頼 す る に 足 る 呉 患 撰 の ﹃ 恵 果 阿 閣 梨 行 歌 ﹄ を 其 の 儘 韓 載 せ ら れ る を 始 め と し て、 大 師 親 ら の 筆 に 成 る ﹃ 恵 果 和 爾 之 碑 ﹄ も、 村 上 學 士 の 研 究 に 倹 つ 迄 も な く、 其 の 中 に 明 寵 さ れ た、 ﹁ 逐 乃 以 永 貞 元 年 歳 在 乙 酉 極 塞 月 満。 佳 世 六 十 櫓 夏 四 十 ﹂。 雪 誠 は、 當 に 正 傳 に し て 優 に 唐 人 無 名 氏 撰 ﹃ 大 徳 行 駅 ﹄ の 誤 謬 を 是 正 す る に 足 る 玉 條 で あ る。 是 等 を 以 て 襯 れ ば、 ﹃ 付 法 傳 ﹄ の 史 料 的 債 値 が 如 何 ば か の な る か ゞ 謳 へ ら れ る で は な い 歎。 因 み に ﹃ 大 唐 青 龍 寺 三 朝 供 奉 大 徳 行 歌 ﹄ の 撰 者 は 不 詳 で あ る が、 撰 述 年 代 は 行 末 に、 敬 宗 の 寳 暦 二 年 八 月 二 十 一 臼、 恵 果 和 尚 の 逡 弟 義 一 同 孫 弟 子 深 達 ・ 義 舟 等 が 灌 川 の 側 の 表 蘭 村 に 建 塔 し、 之 に 移 葬 せ し こ と を 附 記 せ る の と、 日 本 僧
圓 行 が 之 を 請 來 せ し 顛 末 を 記 し、 丈 宗 の 開 成 四 年 正 月 十 三 日 帥 ち 我 が 仁 明 天 皇 の 承 和 六 年 と あ る か ら、 此 の 間 十 三 年 の 間 に 在 る こ と 疑 ひ な い。 随 つ て 憲 宗 の 元 和 元 年 八 月 長 安 を 後 に 瞬 朝 の 途 に 登 ら れ し 弘 法 大 師 は 彼 の 地 に 於 て 同 書 を 寓 目 せ ら れ し 筈 な き 故、 之 を ﹃ 付 法 傳 ﹄ に 牧 録 さ れ て ゐ な い の も 異 し む に 足 の な い が、 同 じ 恵 果 和 尚 の 身 邊 近 く に 師 侍 せ し 者 の 中 で、 一 方 は 正 し き 傳 を 遺 し、 他 方 は 謬 傳 を 流 布 せ る 事 實 は、 依 然 注 意 に 便 す る 所 で あ る と 思 ふ。 更 に 今 一 つ ﹃ 付 法 傳 ﹄ に は 大 暦 十 年 十 一 月 十 日 附 に て 上 の し 恵 果 和 尚 の 表 進 ﹃ 恩 賜 錦 線 表 ﹄ (表 制 集 巻 ) ( 五 所 牧 ) を 牧 録 し て ゐ る。 抑 汝 此 の 謝 表 中 に え る ﹁ 先 師 に 事 へ て 臨 に 二 十 鹸 年 ﹂ と あ る 一 節 は、 村 上 學 士 が ﹃ 三 朝 供 奉 大 徳 行 歌 ﹄ に ﹁ 大 暦 八 年 三 月 和 尚 満 二 十 ﹂ と あ る は 大 暦 元 年 の 誤 の な の と 是 正 せ ら れ、 大 暦 十 年 恵 果 和 省 三 十 歳 と 算 定 せ ら れ た る 基 準 玉 條 で あ る。 斯 様 に ﹃ 付 法 傳 ﹄ 牧 録 の 史 料 は、 現 代 皮 料 學 の 立 場 よ の 峻 嚴 に し て 且 つ 精 細 な る 科 學 的 批 判 を 加 へ て 観 れ ば、 悉 く 正 確 な 一 等 史 料 の み を 以 て 充 て ら れ に ゐ る の み な ら す、 ﹃ 付 法 傳 ﹄ 其 者 も 撰 述 年 代 か ら 云 へ ば、 恵 果 和 爾 に 關 す る 限 の 一 等 史 料 と 評 贋 す べ き で あ る。 次 に 恵 果 和 尚 の 寂 年 に 就 い て 研 鞍 す る に、 村 上 學 士 の 研 究 に 已 に 明 瞭 な 如 く、 根 本 史 料 た る 呉 態 の ﹃ 大 唐 神 都 青 龍 寺 東 塔 院 灌 頂 國 師 恵 果 阿 閣 梨 行 状 ﹄ 弘 法 大 師 の ﹃ 大 唐 神 都 青 龍 寺 故 三 朝 國 師 灌 頂 阿 閣 梨 恵 果 和 荷 之 碑 ﹄、 同 ﹃ 付 法 傳 ﹄、 同 ﹃ 略 付 法 傳 ﹄、 圓 行 請 來 撰 者 不 詳 の ﹃ 大 唐 青 龍 寺 三 朝 供 奉 大 徳 行 歌 ﹄ 等 悉 く 異 読 な く、 順 宗 の 永 貞 元 年 十 二 月 十 五 日 を 以 て 一 致 し て ゐ る か ら、 殊 更 ﹃ 付 法 傳 ﹄ に 就 き 特 筆 す る 必 要 も 認 め な い。 併 し 此 塵 に 不 可 思 議 な る 事 實 は、 ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ 以 下 の 宋 元 明 時 代 編 纂 に 係 る 曾 家 の 史 簿 類 に 恵 果 和 尚 の 傳 が 一 切 見 え、 て ゐ な い こ と で あ る。 ﹃ 繹 門 正 統 ﹄ の 如 き は 台 教 流 傳 の 次 第 を 記 し、 天 台 一 家 の 正 統 を 傳 へ ん た め に 撰 述 せ ら れ た 僧 傳 不 空 三 藏 渡 天 年 次 繹 疑 二 三
不 空 三 藏 渡 天 年 衣 繹 疑 二 四 で あ の、 ﹃ 佛 租 統 記 ﹄ も 大 略 ﹃ 繹 門 正 統 ﹂ に 倣 つ て 撰 集 さ れ た 同 じ く 天 台 の 記 傳 典 で あ る か ら、 之 等 が 眞 言 密 教 の 付 法 者 た る 恵 果 阿 閣 梨 の 傳 を 脱 落 し て ゐ る こ と は、 一 癒 理 由 な き に し も あ ら す と す れ ば、 疑 團 は 氷 解 せ し も の ゝ 如 く で あ る も、 ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ 以 下 の 宗 派 的 色 彩 薄 き 史 傳 迄 も 悉 く 恵 果 和 術 の 傳 を 牧 め て ゐ な い 事 實 は 如 何 に 解 す 可 き で あ ら う 歎。 尤 も ﹃ 繹 門 正 統 ﹂ 以 後 に 撰 述 さ れ た る ﹃ 歴 代 編 年 繹 氏 通 鑑 ﹄、 ﹃ 歴 朝 繹 氏 資 鑑 ﹄、 ﹃ 佛 祀 歴 代 通 載 ﹄、 ﹃ 繹 氏 稽 古 略 ﹄ 等 は 天 台 の 史 傳 で は な い が、 ﹃ 羅 門 正 統 ﹄ 乃 至 ﹃ 佛 租 統 記 ﹄ に 依 糠 し た と 想 は れ る 故、 恵 果 和 術 の 傳 を 落 し て も 此 亦 異 し む に 足 の な い と す る も、 ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ 及 ﹃ 隆 興 佛 教 編 年 通 論 ﹄ の 如 き が そ の 傳 を 掲 け て ゐ な い の は 果 た し て 其 の 理 由 那 邊 に 存 す る で あ ら う 歎。 同 じ く 密 教 付 法 の 魍 で あ の 乍 ら、 不 室 ・ 金 剛 智 ・ 善 無 畏 の 諸 三 藏 の 傳 は、 ﹃ 宋 高 櫓 傳 ﹄ 毬 一 繹 経 篇 友 同 雀 二 に、 ﹃ 隆 興 佛 教 編 年 通 論 ﹄ 翁 十 五 雀 十 六 に 墨 け ら れ る を 始 め と し て、 ﹃ 佛 組 統 記 ﹄ 雀 二 十 九 諸 宗 立 教 志、 ﹃ 繹 門 正 統 ﹄ 雀 八 密 宗 思 復 載 記 に す ら 專 傳 を 掲 け て ゐ る に 拘 は ら す、 憲 果 和 省 に 限 の そ の 傳 を 歓 い て ゐ る の は 返 へ す 返 へ す も 不 可 思 議 干 萬 で な い 歎。 恵 果 和 尚 の 傳 記 に 就 い て 殆 ん ど 遺 漏 な き 迄 に 精 緻 を 極 む る 考 謹 を 途 渉 ら れ た 村 上 學 士 も、 斯 る 疑 念 を 抱 懐 せ ら れ し や 否 や、 之 を 糺 す 術 も な い が、 學 士 は 此 の 事 實 に 迄 言 及 し て を ら れ ぬ。 併 し 私 は 此 の 事 實 は、 恵 果 和 尚 の 傳 に 歴 史 的 批 判 を 加 ふ る に 雷 の 極 め て 重 大 で あ の、 且 つ ﹃ 付 法 傳 ﹄ の 債 値 を 彌 々 縢 か ら し め る 所 以 の 者 で あ る と 愚 考 致 す 次 第 で あ る。 故 に 以 下 姑 ら く 此 の 問 題 に 向 ふ て 研 鐙 の 方 向 を 韓 じ て 見 よ う。 先 づ 最 初 に 何 故 ﹃ 宋 高 僧 傳 ﹄ 以 下 の 諸 皮 傳 に 恵 果 和 衙 の 傳 が 欲 如 し て ゐ る か、 其 の 主 因 を 討 ぬ る に、 そ は ﹃ 宋 高 曾 傳 ﹄ 巷 一 不 室 傳 の 末 尾 及 ﹃ 繹 門 正 統 ﹄ 雀 八 密 宗 思 復 載 記 に、 ﹁ 系 日。 傳 教 令 輪 者。 東 夏 以 金 剛 智 爲 始 組。 不 室 爲 二 組。 慧 朗 爲 三 組 云 々 ﹂ と あ の、 恵 果 和 術 は 宋 代 で は 不 室 三 藏 の 付 法 者 と し て 第 三 組 に 列 せ ら れ て 居 な い た め な る ご と 疑 ひ な い が 私 は 之 に は 二 つ の 理 由 が 存 す る と 稽 へ て ゐ る。 即 ち 其 の 一 は 皮 料 の 嵌 如 で あ の、 今 一 つ は 教 派 關 係 で あ る。
第 一 に 史 料 流 傳 の 關 係 よ の 考 究 す る に、 支 那 入 撰 述 の 恵 果 和 尚 の 傳 記 中 で、 呉 患 撰 ﹃ 大 唐 神 都 東 塔 院 灌 頂 國 師 恵 果 阿 閣 梨 行 状 ﹄ は ﹃ 付 法 傳 ﹄ 雀 こ に 所 牧 さ れ て 今 日 に 傳 は の、 撰 者 不 詳 ﹃ 大 唐 青 龍 寺 三 朝 供 奉 大 徳 行 歌 ﹄ も 幸 に し て 我 が 入 唐 求 法 曾 圓 行 が 彼 地 よ の 請 來 し、 現 に ﹃ 大 日 本 綾 藏 経 ﹄ 本 乙 第 ご (套 斯 牧) 反 ﹃ 大 正 新 修 大 藏 経 ﹄ 太 巻 五 十 (所 牧) は 共 に、 北 朝 崇 光 院 観 鷹 元 年 の 書 爲 に 係 る ﹃ 観 智 院 ﹄ 本 を 牧 め、 辛 う じ て 我 々 の 寓 目 し 得 る 所 で あ る か ら、 恐 ら く 唐 土 に 於 て は 逞 く と も 唐 末 五 季 の 交 に 侠 亡 せ し か、 早 け れ ば 會 昌 の 厄 に 遭 ひ 鎗 殿 せ ら れ 瓦 者 と 推 想 さ れ る。 量 猫 の 恵 果 和 術 傳 に 限 る の み か、 不 室 ・ 善 無 畏 爾 三 藏 の 傳 も 當 に 斯 く の 如 き 有 様 で あ つ て、 唐 超 遽 撰 ﹃ 大 唐 故 大 徳 贈 司 室 大 辮 正 廣 智 不 室 三 藏 行 歌 ﹄ 一 雀 及 唐 李 華 撰 ﹃ 玄 宗 朝 醗 維 三 藏 善 無 畏 贈 鴻 櫨 卿 行 歌 並 碑 銘 ﹄ 一 毬 の 如 き も、 今 日 ﹃ 大 日 本 綾 藏 経 ﹄ 第 二 十 三 套 及 ﹃ 大 正 薪 修 大 藏 維 ﹄ 第 五 十 毬 に 牧 む る 所 の 原 本 は、 共 に 後 光 嚴 院 鷹 安 三 年 の 爲 本 た る ﹃ 東 寺 観 智 院 ﹄ 本 で あ の、 亦 密 教 付 法 を 知 る 上 に 極 め て 重 寳 な る ﹃ 大 旧 本 佛 教 全 書 ﹄ に 牧 む る 唐 海 雲 撰 ﹃ 爾 部 大 法 相 承 師 資 付 法 記 ﹄ の 如 き も、 後 光 嚴 院 康 安 元 年 の 爲 本 た る 東 寺 金 剛 藏 の 第 一 本 を 底 本 と な し、 猫 ほ ﹃ 大 日 本 綾 藏 維 ﹄第 九 十 五 套 に 牧 む る 唐 海 雲 撰 ﹃ 略 叙 傳 大 砒 盧 遮 那 成 佛 紳 攣 加 持 経 大 教 相 承 傳 法 次 第 記 ﹄ の 底 本 の 如 き も、 其 の 毬 末 の 日 本 裏 書 に 依 る と、 ﹁ 永 暦 元 年 五 月 二 十 日 於 鋤 修 寺 西 明 院 書 爲 了 僧 範 果 之 本 ﹂ と あ の、 此 等 は 敦 れ も 我 が 國 に の み 傳 は る 眞 言 高 僧 の 傳 記 乃 至 相 承 傳 法 の 次 第 を 誌 す 貴 重 な る 皮 料 で あ の、 彼 地 に 於 て 夙 に 逸 亡 せ し 者 で あ る。 故 に 賛 寧 が ﹃ 宋 高 櫓 傳 ﹄ を 撰 述 せ し 宋 の 太 宗 ・ 大 卒 興 國 の 交 よ の 以 後 は、 汎 ね く 佛 教 史 家 の 想 像 の 通 の、 會 昌 の 塵 佛 を 維 て 佛 教 傳 記 の 類 は 多 く 散 侠 し、 恵 果 和 尚 の 傳 の 如 き も ﹃ 表 制 集 ﹄ に 牧 む る 爾 三 首 の 表 進 以 外 に は 專 傳 に し て 遺 存 せ る 者 絶 無 に 近 く、 聲 寧 も 之 を 傳 に 墨 げ る 可 く 其 の 史 料 に 窮 し た も の な ら ん と 想 は れ る。 猫 ほ 加 之、 恵 果 和 尚 の 正 嫡 た る 義 明 を 始 め と し て、 最 多 数 の 付 法 者 を 有 す る 義 操 で す ら ﹃ 宋 高 曾 傳 ﹄ 以 下 の 支 那 撰 述 佛 不 空 三 藏 渡 天 年 次 繹 疑 二 五
不 空 三 藏 渡 天 年 次 繹 疑 二 六 教 史 傳 類 に 其 の 專 傳 な く、 縫 か に 唐 の 丈 宗 太 和 八 年 海 雲 撰 に し て 、 已 に 申 し た 如 く 彼 地 に 於 て 夙 に 侠 秩 し た と 推 想 さ れ る ﹃ 爾 部 大 法 相 承 師 資 付 法 記 ﹄ 及 同 ﹃金 胎 爾 界 師 資 相 承 ﹄ 大 日 本 綾 藏 輕 第 ( 九 十 五 套 所 牧) 唐 の 造 玄 撰 ﹃ 胎 金 爾 界 血 脈 ﹂ 大 日 本 綾 藏 経 第 (九 十 五 套 所 収 ) 等 に 其 の 名 を 停 む る に 過 ぎ な い。 是 に 於 て 眞 言 密 教 の 付 法 者 の 傳 が 支 那 に 遺 ら な か つ た 主 因 を 稽 ふ る に、 天 台 に 於 け る ﹃ 繹 門 正 統 ﹄ 八 雀、 ﹃佛 組 統 記 ﹄ 五 十 五 巻 の 如 き 正 純 密 教 の 正 統 を 傳 へ ん と す る 史 傳 の 編 纂 が、 密 教 の 法 燈 が 断 綾 せ し た め 實 現 し な か つ た の と、 宗 派 的 色 彩 左 程 濃 厚 な ら 悉 る も、 ﹃ 隆 興 佛 教 編 年 通 論 ﹄ 二 十 九 雀、 ﹃ 暦 代 編 年 繹 氏 通 鑑 ﹄ 十 二 雀 の 如 き も、 其 の 撰 者 魍 誘 及 本 畳 は 共 に 灘 宗 徒 で あ つ た 事 實 に 蹄 す 可 き で あ ら う。 之 即 ち 私 の 學 け た 第 二 の 原 因 で あ る 。 龍 谷 大 學 教 授 高 雄 義 堅 師 及 同 佐 女 木 憲 徒 師 が 夫 々 ﹃ 宋 代 に 於 け る 天 台 と 輝 と の 抗 争 ﹂ 龍 谷 學 報 三 三 一 號 ( 昭 和 十 六 年 十 ご 月) ﹃ 支 那 天 台 と 密 教 ﹄ 下 龍 谷 學 報 三 一 一 (號 昭 和 十 年 一 月) の 中 に 論 究 せ ら れ し 如 く、 唐 の 武 宗 會 昌 破 佛 以 後、 支 那 佛 教 界 の 主 流 は 天 台 と 灘 と の 封 峙 と な の、 密 教 は 恵 果 以 後 に 第 二 の 恵 果 出 で す、 弘 法 大 師 に 依 の 日 本 に 蓮 び 去 ら れ し か の 観 あ の、 趙 宋 に 於 て は 最 早 再 び 芽 生 え る 機 會 が な か つ た。 剰 へ 唐 代 に 於 け る 宗 派 な る 者 は、 學 問 上 信 仰 上 の 分 派 と 諸 ふ 意 昧 に 過 ぎ な か つ た が、 宗 團 的 意 味 に 於 け る 宗 派 な る 者 が 治 極 的 で は あ る が 宋 代 以 後 に 顯 は れ て 來 た。 殊 に 灘 と 天 台 と の 抗 孚 論 駁 は 子 肪 從 義 の 頃 か ら 教 團 宗 派 的 意 義 頗 る 顯 著 と な の、 史 傳 撰 集 の 上 に も 編 年 禮 の 灘 宗 修 史 と、 紀 傳 騰 の 天 台 修 史 の 二 系 統 に 別 れ、 密 教 は 問 題 と せ ら れ な か つ た の で あ る。 故 に 恵 果 和 倫 及 以 後 の 眞 言 付 法 の 傳 記 が 支 那 に 遺 存 せ ぬ は 寧 ろ 當 然 と 評 す 可 き で あ る。 さ れ ば 我 が 國 の 密 教 史 傳 類 は 優 に 支 那 史 傳 に 代 の、 そ の 訣 を 補 正 す る に 足 る に 十 分 で あ の、 就 中 弘 法 大 師 撰 ﹃ 付 法 傳 ﹄ 二 毬 及 ﹃ 略 付 法 傳 ﹄ 一 雀、 成 尊 撰 ﹃ 眞 言 付 法 纂 要 抄 ﹄ 一 毬、 灘 遍 撰 ﹃ 爾 部 大 教 傳 來 要 丈 ﹂ 二 雀、 榮 海 撰 ﹃眞 言 傳 ﹄ 七 雀、
承 澄 撰 ﹃ 阿 娑 縛 砂 ﹄雀 百 九 十 四 ﹃ 明 匠 等 略 傳 ﹄ 上 ( 以 上 悉 く 大 日 本 ) ( 佛 教 全 書 所 牧 ) 等 な か の せ ば、 恵 果 以 後 の 何 入 の 傳 も 殆 ん ど 都 べ て 知 る 由 も な か つ た で あ ら う。 而 し て 爾 ﹃ 付 法 傳 ﹄ は 實 に 之 等 の 指 標 と な れ る 者 に て、 其 他 の 諸 傳 は 悉 く 之 に 倣 ひ し 者 た る こ と、 之 等 を 比 較 樹 照 し 閲 護 す る 勢 を 厭 は な い 者 に は 目 易 い 事 實 で あ る。 以 上 七 節 に 亙 つ て 考 謎 を 途 け た 結 果 を 総 括 す れ ば、 大 略 次 の 通 の で あ る。 ( 一 ) 不 室 三 藏 の 渡 天 年 次 に 就 い て は、 宋 元 時 代 撰 述 の 曾 家 史 傳 の 殆 ん ど 全 部 が 託 傳 で あ る こ と。 ( 二 ) に も 拘 は ら す、 弘 法 大 師 撰 ﹃ 秘 密 曼 茶 羅 教 付 法 傳 ﹄ は 之 を 正 し く 傳 へ て ゐ る こ と。 ( 三 ) 其 の 渡 航 年 次 の 精 籔 字 を 的 確 に 學 ぴ る こ と は 不 可 能 な る も、 獲 航 日 時 は 天 寳 二 年 二 月 二 十 七 日 直 後 な る こ と。 ( 十 七 ・ 十 ・五、 稿 ) (完 ) 不 空 三 藏 渡 天 年 次 繹 疑 二 七