ベートーヴェンのオーケストレーション
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770–1827)の音楽が19世紀ロマン派の作曲家たち に与えた影響の大きさについては、あえて強調するまでもあるまい。作曲技法の面に限っても、
3 度の近親関係を重視する和声法、徹底した動機操作、ソナタ形式の拡大などをあげれば十分 だろう。しかし、ことオーケストレーションに関しては、疑問符が付されることが少なくないよ うに思われる。そのことは、リヒャルト・ワーグナー(1813–1883)以降、20世紀後半に至るま で多くの指揮者たちが、ベートーヴェンの総譜にさまざまな「修正 Retusche」を加えていたこと にあらわれている1。音楽研究の分野におけるベートーヴェンのオーケストレーションについて の評価も、20世紀前半からこれをポジティヴに評価していたパウル・ベッカーのような存在は 少数派であり2、テオドール・W・アドルノの「ベートーヴェンがオーケストレーションできな かったと証明するのは容易だ」3という手厳しい指摘に代表されるように、ネガティヴなものが大 半であった4。
アドルノは、「彼[ベートーヴェン]が[…]、クラリネットよりもオーボエを、それらの音域 による音色の特性を考えることなしに、一貫して優遇していた」こと、「金管を騒音のために 使っていて、各声部を形成することなしにまがまがしい自然倍音が突出する」こと、「弦楽器と 木管楽器の釣り合いを考慮していなかった」こと、そして「木管楽器は同一音色の弦楽器声部の 等価物として扱われており、対話において木管楽器群は完全に機能を失っている」ことを批判し ている5。実際、このような箇所をベートーヴェンの総譜に見出すことは容易である。とはいえ、
そうしたことは同時代の楽器の響きやオーケストレーションの原則に照らして慎重に検証される べき事柄であろう。
概して、古典派の作曲家のオーケストレーションが音楽分析の主要な研究テーマとなることは 稀だが、18世紀の交響曲のオーケストレーションに関する包括的な研究は存在するし6、ハイド ンやモーツァルトのオーケストレーションについては個別研究もなされている7。だがベートー
ベートーヴェンの第9交響曲第3楽章における 音色の「移行の技法」
„Die Kunst des Übergangs“ der Klangfarbe im 3. Satz der Neunten Sinfonie Beethovens
岡 田 安樹浩
OKADA Akihiro
ヴェンについては、ベッカーの著作におけるまとまった言及を除けば8、特定の楽器の扱いに着 目した研究や論考が散発的に存在するのみで、十分に議論されているとは言い難い。グレン・ス タンレイが述べているように、ベートーヴェンのオーケストラ作品の創作過程において音色の選 択が重要な要素であったことは疑いなく、この分野の研究の進展が望まれるところである9。
古典派交響曲のオーケストレーションは、コントラストの原理に基づいていると言える。それ は、このジャンルの起源のひとつがコンチェルトであることに鑑みれば、自然なことである。す なわち、コンチェルトにおけるソロとリピエノの交代による音量や音色のコントラストを受け継 いでいるのである。ヴァイオリン属弦楽器の合奏に、オーボエ、ファゴット、ホルンからなる管 楽器群「ハルモニー」が加わった前古典派のオーケストラには、18世紀後半へいたる過程にお いてフルートとクラリネットが加わった。その役割は、旋律やハーモニーに彩りを与えたり、音 量を補強したり、時折ソロを担当したりすることだった。世紀転換期には、それまで臨時的な参 加に限定されていたトランペットとティンパニもオーケストラに定席を得るようになり、主要楽 章において強奏部で音量やリズムを補強したり、ドミナンテからトニカへの和声進行を強化した り、祝祭的な彩りを与えたりする役割を担った10。これらの管楽器をすべて一対ずつ備えた「 2 管編成」が、ベートーヴェンのオーケストラ創作の基礎となった。すでに第1交響曲から管楽器 が頻繁に使用されており11、金管楽器の主要旋律への関与も第 3 交響曲以降で増加するが、ベー トーヴェンのオーケストレーションが古典派のオーケストレーションの基本原則から大きく逸脱 することは基本的にない。しかし、彼の最後のオーケストラ作品である第 9 交響曲では、とり わけ緩徐楽章において、響きのコントラストを和らげるオーケストラ書法が用いられているほ か、古典派交響曲のオーケストレーション原則から逸脱する楽器の使用法も認められる。これ は、後にロマン派の作曲家たちが用いることになる書法の先取りと言える。
第 9 交響曲の成立・初演・オーケストラ12
ベートーヴェンが第 9 交響曲を構想し、スケッチを散発的に書き留めていた時期と、完成を 目指して本格的に創作が行われた時期との間には大きな隔たりがある。第 9 交響曲と関連する スケッチは、1815年から1820年の間に多数存在するが、彼がこの交響曲の作曲を本格化させる のは、1823年になってからであった。この間ベートーヴェンは、1819年に着手してから数度の 中断を余儀無くされていた《ミサ・ソレムニス》を1822年末頃(遅くとも1823年 1 月まで)に 完成させ、続いて、同様に中断していた《ディアベリ変奏曲》の仕上げに取りかかった。そし て、1823年の 2 月頃(遅くとも 3 月)に新しい交響曲の創作に着手すると、今度はほとんど中 断なく一気に総譜を仕上げた。第 1 楽章は 5 月か 6 月頃、第 2 楽章は 8 月か 9 月初旬頃までに 総譜が書き下ろされ、秋頃には第 3 楽章、そして12月以降に第4楽章へと筆は進み、1824年 2 月
に全曲が完成された13。
この交響曲をめぐっては、ロンドン・フィルハーモニック協会と契約が交わされていたが、完 成とほぼ同時期の 2 月に、この新作交響曲をウィーンで初演することを求める「誓願書 Petition」
が、作曲者のパトロンをはじめとした30人の署名入りで出され、結果的にウィーンで初演され ることとなった。詳細は割愛するが、ウィーンで第 9 交響曲の初演が計画され、具体的に会場 や日程、オーケストラ、合唱団、ソリストの選定と決定が行われたのは自筆総譜の完成後であ り、作曲中のベートーヴェンには̶契約を結んだロンドンを別とすれば̶具体的な演奏者や 会場の想定はなかったと考えられる。
第 9 交響曲は1824年 5 月 7 日、ケルントナートーア劇場にて、同劇場のオーケストラ(楽友 協会のメンバーによって増強)と合唱団によって、《献堂式序曲》と《ミサ・ソレムニス》から の抜粋̶〈キリエ〉〈クレド〉〈アニュス・デイ〉̶とともに初演され、同月23日には大レ ドゥーテンザールにて、交響曲以外のプログラムを変更して再演された。
第 9 交響曲第 3 楽章の形式区分と楽器配分
第 9 交響曲の形式分析を行った研究者や識者、演奏家は数多く存在するだろう。分析者によっ て見解に大きな相違が生じるとすれば、それは合唱を含む第 4 楽章であろう。対して最初の 3 つの楽章については、形式は明快であり、ほとんどの場合その区分は̶各部分の命名や解釈に は差異があるとしても̶一致する。ここでの分析対象である第 3 楽章については、 2 小節の 導入をもつ主題と変奏、と見るほかに検討の余地はあるまい。以下では、第 9 交響曲の詳細な 分析のひとつであるハインリヒ・シェンカーの著作に基づいて以下の分析を進める14。
表 1 に示した通り、この楽章は主題と変奏の間に中間主題をもつ独特の構成をとっている。
中間主題は第 1 変奏の後にも別の調で回帰し、自由な移行部を経て第 2 変奏へ至り、その後に コーダが続く。各部分の総小節数(小節数欄の丸括弧内)を見ると、変奏主題と 2 つの変奏、そ して中間主題とその回帰で完全に一致しており、それぞれが対応関係にあることがわかる。「第 2 変奏への自由な移行」を 1 つの変奏と見なす分析者もいるが、この楽段は総小節数も調も原 主題とは異なっており、楽段内での転調経過も主題に対応していない。この移行部は、中間主題 から主題の変奏へ向けての転調プロセスを、同主題が異なる調で回帰した際にもそのまま踏襲し たために必要となった部分である。調関係の欄に示したように、変奏主題は変ロ長調、中間主題 はニ長調であり、先行調から見て後続調は「対和音の同主長調(TG)」であり、中間主題から第 1 変奏へ転じる際に生じるのはその逆の関係、すなわち「同主短調の対和音調(tG)」への転調 である。ところが、中間主題の回帰はト長調̶第 1 変奏の変ロ長調から見て平行和音の同主 長調(TP)̶であるため、次に変奏へ移行する際は、転調に操作を加えない限りト長調の「同
主短調の対和音調(tG)」、すなわち変ホ長調へ転調することになる。転調を操作して変ロ長調へ 直接接続するのではなく、変ホ長調を経由することを作曲者が選択したという事実は、彼にとっ てこの移行部は音楽展開の上で必要な部分だったということである。
表 1 第 9 交響曲第 3 楽章の形式区分・調・調関係15・楽器配分16
区分 小節数 調 調関係 楽器配分
導入部 1–2 (2)
B: T Clar, Fg, Cor, Timp, Str
変奏主題 3–24 (22)
中間主題 25–42 (18) D: B: TG Fl I, Ob I, Clar, Fg, Str 第1変奏 43–64 (22) B: D: tG Clar, Fg, Cor, Timp, Str
(pizz)
中間主題の回帰 65–82 (18) G: B: TP Fl, Ob, Fg, Cor, Str (arco) 第2変奏への自由
な移行 83–98 (16) Es:–Ces: G: tG–Es: tG=B: Sn Fl I, Clar I, Fg I, Cor IV, Str (pizz)
第2変奏 99–120 (22)
B: Es: D=B: T
Fl, Ob, Clar, Fg, Cor, Timp, Str (arco/pizz)
コーダ 121–157 (37) Tutti
変ホ長調(移行部)から目的の変ロ長調への転調は、属調への単純な転調だが、ここでは一旦
「同主短調の対和音調(tG)」である変ハ長調へ転じる。そして、これが変ロ長調の「ナポリの和 音(Sn)」となってドミナンテ(四六の和音)へ進行し、第 2 変奏となる。こうした手の込んだ プロセスを踏んだことの意味は、後にオーケストレーションと調の関係を総合的に検討する際に 明らかになろう。
表 1 の「楽器配分」の欄には、各楽段において登場する楽器についても示してある。これを 見ると、各区分で登場する楽器は毎回少しずつ異なっていることがわかる。導入と変奏主題では 弦楽合奏(大半でコントラバスは休止)とクラリネット、ファゴット、ホルン、ティンパニのみ が登場し、中間主題部では弦楽合奏(独立したコントラバスを含む)に第 1 フルート、第 1 オー ボエ、クラリネット、ファゴットが参加している。弦楽合奏の最低声部にコントラバスを含む一 方で、ホルンがほぼ全面的に休止となり、主題提示部とは異なる響きが生み出される。
第 1 変奏では、ふたたび主題部と同じ楽器編成に立ち戻るが、伴奏声部が弦のピッツィカー トと、楔形アクセントをともない „sempre staccato“ と指示されたホルンによる和音の刻みとなっ ており、主題提示部とは異なる響きが作り出されている。
中間主題の回帰では、最初の提示の際には第 2 ヴァイオリンとヴィオラのユニゾンだった旋 律がフルート、オーボエ、ファゴットによる 3 オクターヴに置き換えられ、チェロとクラリネッ トが担っていた保続音は 2 本のホルンに割り当てられているほか、旋律の一部を音色的に際立
たせていた木管楽器の役割は弦の上 3 声部に取って代わられ、バス声部はチェロとコントラバ スが引き受けている。その一方で、主題提示部から一貫して加わっていたクラリネットは休止と なっている。
これに続く移行部では、第 1 フルート、クラリネット、第 1 ファゴット、第 4 ホルンによる 室内楽的なアンサンブルとなり、その背景では、弦のピッツィカート(コントラバスは休止)に よる同音反復がリズム動機として鳴り響く。第 2 変奏ではトランペットを除くすべての楽器が 参加するが、主題旋律の修飾変奏は第1ヴァイオリン、その骨格保持と和音の進行は木管楽器と 第 1 ・第 2 ホルン、リズムの刻みを弦のピッツィカートとティンパニ(前半はこれに第4ホルン も参加しているが、第103小節からは和音進行に合流)というように、役割の配分がなされてい る。ピッツィカート、ホルン、ティンパニの応唱風の組み合わせは、古典派オーケストラとして は目新しい響きといえよう。コーダ冒頭のファンファーレにトランペットが加わり、ようやくす べての楽器が勢ぞろいするが、すべての楽器が同時に鳴り響くことは巧みに回避され、終結直前 の第147小節 2 拍目まで先送りにされている。
このように、形式上の区切りを境として参加する楽器の種類が変化することで、各部分は音色 的に差異化されている。だが、総譜をより詳しく観察すると、各部分の冒頭や末尾に直前の部分 に参加していた楽器や次の部分から参加する楽器が鳴り響いている場合があるのである。
音色の「移行の技法」
すでに楽章冒頭の導入部から、ある声部の音色(楽器あるいは楽器群)を別のそれへと滑らか に移行させるオーケストレーションが施されている。第 1 小節で最初に入声する第 2 ファゴッ トによって長く引き伸ばされるa音に、同小節 4 拍目で第 2 ヴァイオリンとヴィオラが重なり、
第 2 小節 2 拍目で第 2 ファゴットはこの声部から離脱する17。ヴァイオリンとヴィオラが引き継 いだa音は 4 拍目の裏でb音へ進行し、瞬間的に第 2 ファゴットとユニゾンとなる。さらに変 奏主題の提示が始まる第 3 小節冒頭では、導入部で最上声部を担っていた第 1 クラリネットと、
主題旋律を担当する第 1 ヴァイオリンがd2音で、内声部のアルトに相当するd1音は第 1 ファゴッ トと第 2 ヴァイオリンが1拍の間重なっている。この措置によって、導入部ではファゴットとク ラリネットの音色に弦楽器の音色がオーバーラップし、変奏主題の提示とともに弦の音色への切 れ目ない移行が実現される。この手法は、ワーグナーのオーケストレーションの特徴としてしば しば指摘されるものである。
ワーグナーは《トリスタンとイゾルデ》の作曲中に、自身の作品を成り立たせているのは「移 行」であると明言し、これを「移行の技法 die Kunst des Übergangs」と名づけた18。ワーグナー作 品の分析研究の歴史において、音色の「移行の技法」に属する書法は、アドルノによって「楽器
の『余韻』の技法 Technik instrumentaler „Reste“」19と命名された。近年、トビアス・ヤンツがこの 技法を「リガトゥール(合音)Ligatur」と呼び換え、ある音色と音色が「短い音価で重なること によって分節が覆い隠される」20ものと具体的に説明した。本論文では、これをワーグナーの言 葉にさかのぼって、「音色の移行の技法」と呼ぶこととする。
第 9 交響曲第 3 楽章では、この技法がいたるところで用いられている。変奏主題の提示部内 でも、第14小節 4 拍目と第15小節 3 拍目の裏拍において、弦楽器群と管楽器群(クラリネット、
ファゴット、ホルン)が短い音価で覆いかぶさり、音色の急激な変化が覆い隠されている。それ に対して、第11小節 3 拍目から 4 拍目や第18小節 3 拍目から 4 拍目に見られるように、作曲者 が響きのコントラストを必要とした場合には、両楽器群は交わることなく並列される。
前章末尾で示唆したように、形式区分に対応して楽器編成が変化する際にも「音色の移行の技 法」が施されている。主変奏題提示から中間主題への移行(第24〜25小節)では、旋律が管楽 器群から弦楽器群へ移る。その移行は、まず第24小節 3 拍目において、バス声部を担当してい る第 2 ホルン(d音)にコントラバスがオクターヴ下(D音)で重なり、 4 拍目で第 2 クラリ ネットと第 2 ファゴットによるa/a1のオクターヴ重複の下にチェロがA音で重なる。その裏拍に おいて、第 2 ヴァイオリンとヴィオラによって中間主題がアウフタクトで導入されるが、その
¿V1音は第 2 ファゴットの¿V音のオクターヴ重複でもあり、同時にそれまで最上声部(d2音)を 担っていた第 1 クラリネットが¿V1音に下行して中間主題冒頭の 2 度下行音形(¿V1–e1)にのみ 重なり、第25小節では主題を担う第 2 ヴァイオリンとヴィオラよりも半拍早く休止となる。同 様に第 2 ファゴットの¿V音も、主題旋律のオクターヴ重複として 2 度下行(¿V1–e1)して休止 となり、第 2 ホルン(およびそのオクターヴ上の第 1 ホルン)も第25小節の最初の半拍で休止 となり、バス声部はコントラバスに引き渡されるが、第 2 拍から第 2 ファゴットがオクターヴ 上で重複する。さらに第 2 クラリネットと第 2 ファゴットのa/a1オクターヴ重複は第25小節 1 拍 目で休止となり、オクターヴ下のチェロ(A音)に移行する。これらは、ヤンツが「保続音響に4 4 4 4 4 おける音色交代
4 4 4 4 4 4 4
Farbwechsel im liegenden Klang」21と呼んだ書法に一致する。
中間主題から第 1 変奏への移行(第41〜43小節)は、フルートおよびオーボエが離脱し、ホ ルンが再加入する。まず、第41小節 3 拍目で第 1 ・第 2 ホルン(b/d1音)が第 2 クラリネット
(d1音)と第1ファゴット(b音)とのユニゾンで再登場し、次小節 3 拍目でやはり同じ楽器のユ ニゾンで 5 度音程(f/c1)へ進行する(第 2 ファゴットは1拍早くf音へ下行)。同拍でf2音から es2音へ 2 度下行した第 1 フルートに、分散和音で上行する第 1 ヴァイオリンがes2音に到達して フェルマータとなり、第43小節でd2音へさらにユニゾンで下行するが、その後主題旋律の修飾 変奏を行う第 1 ヴァイオリンに対して、第 1 フルート第 1 拍までで休止となる。その 3 度下を 並行している第 1 オーボエも同様で、この 2 声部は第 1 ・第 2 クラリネットのオクターヴ重複 でもある。また、第 1 変奏で伴奏声部を支配している弦のピッツィカートも、第42小節におい
て、第 2 ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスによって先取りされている。
第 1 変奏から中間主題の回帰への移行部分(第64〜65小節)では、旋律を担う楽器群は木管 楽器のままだが、それまで最上声部を担当していた第 1 クラリネットは、やはり中間主題の最 初の 2 度下行音形を重複したところで休止となるほか、第 2 ファゴットの声部が第64小節 4 拍 目で¿V音からg音に進行した瞬間にチェロとコントラバスがオクターヴ(g/G音)でこれを重 複し、次小節からはバス声部としてこの声部を引き継いでいる。
中間主題回帰から移行部への転換(第81〜83小節)では、第81小節において、それまで休止 していた第 1 ・第 2 クラリネットが第 1 ・第 2 ファゴット(c1/a1)のオクターヴ重複(c2/a2)と して登場するのと入れ替わりにフルートが重複なしで休止となり、第82小節 4 拍目でオーボエ も半拍を残して休止となる。同拍では第 4 ホルン̶移行部において重要な役割を果たす̶
がチェロの重複としてあらわれ、第83小節 1 拍目で弦楽合奏は休止となる(第 1 ヴァオリン以 外はすべて管楽器声部と重複)。第83小節からの移行部と、これに続く第 2 変奏への推移がもっ とも繊細な移行を実現しているが、その説明には第 4 ホルンの役割を正しく理解する必要があ る。
第 4 ホルンの室内楽的使用法と新しい音色
この楽章の第 4 ホルン・パートは、特にこの移行部で非倍音が頻出し、変イ長調の音階上行
(第96小節、実音は変ハ長調)が置かれているため、ヴァルヴホルンのために書かれたと主張さ れることがある。当時、すでにホルンのヴァルヴ機構は発明されており、ベートーヴェンもその ような楽器の存在は認知していた。しかし、彼がこのパートをヴァルヴホルンのために作曲し た、ということはありえないように思われる。これについては、すでにウォルター・ブランド フォードが詳しく論じている22。だが近年、このパートをヴァルヴホルンと関連づける主張がふ たたびなされているため、まずはこの点を明確にしておく23。
まず、第 4 ホルンのパートを観察すれば、同じ第 3 楽章内でさえナチュラルホルンに典型的 な非倍音を回避した跳躍(第122/132小節におけるd1音を回避したオクターヴ上のd2音への跳 躍進行)が認められる。同様の措置は、他の楽章でも多数確認できる。これは、このパートがナ チュラルホルンを前提として書かれていることの証左である。また第 4 楽章において、楽器の 調の変更が必要な箇所で、管を付け替えるために230小節もの長い休止(第490〜720小節)が置 かれていることも、このパートにヴァルヴホルンが想定されていないことを示している。仮に、
ベートーヴェンが第 3 楽章でヴァルヴホルンへの「持ち替え」を考えていたとすれば、それは 言葉で明示されてしかるべきだが、そうした指示はない上、これも前述の第 3 楽章内にもナチュ ラルホルンに典型的な跳躍音形が存在することと矛盾する。
仮に、ベートーヴェンが新発明のヴァルヴホルンのために作曲したとするならば、そのような 特殊な楽器を所持していた人物を想定して作曲したはずだが、すでに確認したように、第 9 交 響曲は1824年 5 月の初演直前まで、演奏会場もオーケストラも決定していなかったのだから、
ベートーヴェンが特定の奏者を前提としてこれを作曲したということはない24。以上のことから、
第 4 パートも他の 3 パートと同様にナチュラルホルンを前提として書かれたことは明白と言え る。
ベートーヴェンには、当時ウィーンで活躍していた楽器奏者たちに直接、演奏技術上の可能性 や限界についても質問する機会があっただろう25。彼はホルンの扱いにとりわけ大きな関心を示 しており、『総合音楽新聞』からホルンについての記事を抜き書きしたメモも残されている26。 また、同時代の著作において、すでにハンドストップ奏法について詳細に解説されており、ベー トーヴェンは第 9 交響曲を作曲する時点で、こうした知識を相当に深めていた可能性は高い。
従って、この移行部の非倍音はすべてハンドストップ奏法での演奏を前提として作曲されてい たことになる。その音色は、開放の自然音と比べると大きな音質差が生じるとされているが、ア ンソニー・ベインズも述べているように、この奏法に習熟した奏者は開放音と閉鎖音の音質差を ほとんど判別できないほど小さなものにしていたという27。その際、開放音の音質をストップ音 に近づけるよう工夫されたことは、原理上明らかである。従って、ハンドストップを必要とする 音が頻出する箇所では、その音色はくぐもった響きに近づくことになる28。
すなわち、ベートーヴェンがここで望んだのは、ハンドストップ奏法によるくぐもったホルン の響きなのである。これにフルート 1 本、クラリネット 2 本、ファゴット 1 本を加えた管楽五 重奏がこの移行部の主要楽器編成である。前述の通り室内楽においては、ホルンにハンドストッ プ奏法を使用した非倍音を多く含むパッセージが要求されることは珍しくなかった29。この編成 はまさに室内楽であり、ここでのホルンの使用法がそれに一致しているのは偶然ではあるまい。
従って、名高い第96小節のホルン・ソロも、同様にくぐもった音色で鳴り響くことが想定さ れていたことになる。背景の和音が音階上行の間休止となっているのは、コンチェルトのカデン ツァのような効果を狙ってのことではなく、「柔らかな dolce」響きを聴き手に届けるためだろ う30。第95小節における変ハ長調の属七和音から主和音へ解決するのがソロ・パッセージのおか れた第96小節であることから、和声進行上このパッセージは「カデンツァ」ではないし、前後 の調関係から見ても、作曲者がこのパッセージに求めていたのは華々しい響きではなく、柔らか な響きであったと考えられる。
ベートーヴェン後年の作品では、ある調が絶対的な性格を持っているというよりは、前後の関 係が象徴的な意味をもっている場合がある。ベートーヴェン作品の言葉と音の関係に着目したマ ウゴルザタ・グライテルによれば、ト長調(中間主題回帰の調)、変ホ長調(移行部前半の調)、
ロ長調=変ハ長調(後半の調)は、それぞれ「希望と祈り」「神や絶対的なものの表現」「死と悲
しみ」の調であるという31。声楽作品における調の象徴性を器楽作品へ直接に援用することには 問題もあるが、このように解釈する余地があることもまた事実である。
このソロ・パッセージの最初のas1音(記譜音、実音はces1)は音質の変化が著しい音である が、当時のホルン教本等によれば、g1音(実音はb)が先行し、そこから 2 度上行する場合は音 色の著しい変化をともなわずに演奏できるとされている32。これはすなわち、ハンドストップ奏 法による独特な音色をある程度は均質に保持できることも意味している。
ソロに続く 2 小節では、ふたたび変ハ長調の属七和音へ進行して徐々に参加する楽器の数を 増やし、音域も上下に広く拡大され、音量も増大させながら(クレッシェンドの指示)第 2 変 奏を準備する。さらに注目すべきなのが、第98小節 4 拍目で変ロ長調の主和音第 2 転回形へ進 行した瞬間である。ここでは、第 4 ホルンがそれまでのdes2(実音fes1)から半音上行して開放 音のd2へ進行する。以後の楽段では、非倍音の使用率が大幅に下がり、自然音が主体となる。
つまり、それまでのくぐもった音色は、この瞬間に明朗な音色へと変化するのである。しかしこ の音色変もまた、すでにその 2 拍前で第 1 ・第 2 ホルンによるオクターヴ音(B/b)が鳴り響く ことで、変化の急激さは緩和されている。
この移行部では、背景で弦のピッツィカートによる同音反復動機が鳴り響き続ける。第85〜
86小節では 8 分音符単位の「弱|強」リズムだが、第87小節以降は 8 分 3 連符の「休・弱・弱
|強」リズムへ変化し、第93小節から動機の入りが切迫して絶え間ない 8 分 3 連符リズムとな り、第95、97〜98小節では分散和音へ変容する。こうして、リズム変容と入声の切迫によって 第 2 変奏の 8 分の12拍子(= 4 分の 4 拍子: 8 分 3 連符 × 4 )への滑らかな移行が実現されて いる。
第 2 変奏の開始は、これまでよりもはっきりとした変化をともなっているものの、ここから 再加入するオーボエは、まず第99小節で第 1 フルート(d3)のオクターヴ重複(d2)として第 1 パートが、 1 小節遅れて第100小節 2 拍目において第 2 オーボエが第 2 フルートの保持音(f2) のオクターヴ重複(f1)として入声する。これもまた、新しい音色が加わることによる急激な変 化を和らげる措置と考えてよいだろう。
しかし、第 2 変奏からコーダへの転換は急激で劇的である。第200小節第 1 拍で最弱音(pp)
だった音量指示が、第 3 拍から第 4 拍へかけての急激なクレッシェンドによって強音(f)とな り、 4 度跳躍上行に始まるファンファーレ音形が鳴り響く。この瞬間には、それまで休止して いた第 2 フルート、第 2 オーボエにくわえて、この楽章で初めてトランペット 2 本が登場する。
完全な総奏(Tutti)は避けられているものの、この変化は劇的であり、これまでのなだらかな移 行とは完全に性格を異にしている。斯くして、ベートーヴェンはコーダを全体のクライマックス として演出することに成功した。これまでの「移行の技法」は、ここでの急激な変化に劇的な効 果をもたらすことに貢献したのである。
ロマン派オーケストレーションへの接近̶結論にかえて
本論文では、ベートーヴェンの第 9 交響曲第 3 楽章を対象としてオーケストレーションの詳 細な分析を行い、音色の「移行の技法」と呼びうる技法が用いられていることを明らかにした。
すでに分析の中で示唆したように、このような「手仕事的 handwerklich」なオーケストレーショ ンはベートーヴェンより後の時代、特にワーグナーが用い発展させた技法であり、ロマン派の書 法に属す書法である33。一方で、ベートーヴェンのオーケストラ作品全体を俯瞰すれば、これほ ど綿密なオーケストレーションが施されている事例は稀であることに気がつく34。
本論中では第 3 楽章のオーケストレーションにのみ着目したが、たとえば第 1 楽章冒頭のオー ケストレーション̶ホルン 2 本による空虚 5 度の保持音に第 2 ヴァイオリンが16分 6 連符の 刻みで重なる ̶は、ワーグナーの多層的なオーケストレーションの源泉だと考えられてい る35。ベートーヴェンのオーケストレーションは、彼の時代のコンテクストにおいて詳細に分析 がなされるべきであると同時に、19世紀後半のオーケストレーションとの関係の中で、その影 響力や意味を考察する必要がある。
注
1 ワーグナーは、ベートーヴェンの交響曲における楽器群同士の音量バランスの悪さ、旋律の不明瞭さ、ナチュ ラル金管楽器の不自然な休止や跳躍などを修正することを提案した。Cf. Richard Wagner, „Zum Vortrag der neunten Symphonie Beethoven’s,“ in: Gesammelte Schriften und Dichtungen in 10 Bänden, Bd. 9, Leipzig: Fritzsch, 1898, pp. 231–257. ̶邦訳「ベートーヴェンの《第9交響曲》を演奏するために」松原良輔訳、三光長治 監訳『ベートーヴェン』、法政大学出版局、2018年、69〜110頁。ワーグナー以後の、第 9 交響曲へのさま ざまな「修正」の試みについてはアイヒホルンの著作で詳述されている。Cf. Andreas Eichhorn, Beethovens Neunte Symphonie. Die Geschichte ihrer Aufführung und Rezeption, Kassel: Bärenreiter, 1993.
2 Cf. Paul Bekker, „The dynamic Orchestra,“ in: The Orchestra, New York: Norton, 1963 [1936], pp. 99–117. ̶邦 訳:「ダイナミックなオーケストラ̶ベートーヴェン」、『オーケストラの音楽史̶大作曲家が追い求め た理想の音楽』松村哲哉訳、白水社、2013年、75〜100頁。
3 „Es ist leicht, Beethoven nachzuweisen, daß er nicht instrumentieren konnte.“(Theodor W. Adorno, Beethoven.
Philosophie der Musik, Rolf Tiedemann (ed.), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1993, p. 238. ̶邦訳:テオドール・
W・アドルノ『ベートーヴェン:音楽の哲学』(改訂版)大久保健治訳、作品社、2010年、267頁。)以下、
本論文における翻訳引用の訳文はすべて筆者によるが、邦訳書のある場合は、文献情報と当該頁を併記する。
アドルノはベートーヴェンについての著作をまとめる作業を生前に完遂できなかったため、当該文献はア ドルノのアーカイヴに残された複数のノートとメモをもとに、ロルフ・ティーデマンが再構成したもので ある。編者によれば、このメモが記されたのは1941年である。Cf. ibid., p. 370. ̶前掲書、413頁。
4 ただし後年の講演では、ベートーヴェンのオーケストレーションのバランスの悪さを指摘しつつも、そう したことを「出来の悪いオーケストレーション schlechte[r] Instrumentation」と非難するのは問題だと述べ
て い る。Cf. Theodor W. Adorno, „Funktion der Farbe in der Musik [1966],“ in: Darmstadt-Dokumente I. (Musik- Konzepte Sonderband), Heinz-Klaus Metzger / Rainer Riehn (edd.), München: edition text+kritik, 1999, pp. 263–312, p. 272.
5 „Er [Beethoven] hat [...] die Oboen durchwegs über die Klarinetten gesetzt ohne ihrer spezifischen Register zu gedenken. Er braucht das Blech zum Lärmen; ohne je Stimmen zu bilden, stechen die unseligen Naturtöne heraus. Er hat die Proportion von Streichern und Holzbläsern nicht erwogen: ein Holzbläser wird als Äquivalent einer chorischen Streicherstimme behandelt, und im Dialog fällt der Holzbläserkörper völlig ab.“ (Adorno, Beethoven, p. 238.) 6 William Heartt Reese, Grundsätze und Entwicklung der Instrumentation in der vorklassischen und klassischen
Sinfonie, Diss.: Friedlich-Wilhelms-Universität zu Berlin, 1939.
7 Hans Engel, „Mozarts Instrumentation,“ in: Mozart-Jahrbuch (1950), pp. 53–98; Frits Noske, „Zur Semantik der Orchestration in Mozarts Opern,“ in: Mozart-Jahrbuch (1978/79), pp. 88–94; Bernhard Grundner, Besetzung und Behandlung der Bläser im Orchester Mozarts am Beispiel der Opern, München: Herbert Utz, 1998; Hans Grüß, „Über die Grundzüge der Instrumentation Wolfgang Amadeus Mozarts“, in: Ansichtssachen. Notate Aufsätze Collagen, hrsg. von Andreas Michel, Altenburg: Klaus-Jürgen Kamprad, 1999, pp. 121–129; Emily I. Dolan, The Orchestration Revolution: Haydn and the Technologies of Timbre, Cambridge: Cambridge University Press, 2013.
8 Bekker, op. cit., pp. 99–117. ̶邦訳:75〜100頁。
9 Glenn Stanley, „Warum strich Beethoven die Flöte im ersten Takt der Fünften Sinfonie? Beethovens Orchestrierung in der Ästhetik und in der Analyse,“ in: Beethovens Orchestermusik und Konzerte, Oliver Korte / Albrecht Riethmüller (edd.), Laaber: Laaber, 2013 (Das Beethoven-Handbuch Bd. 1), pp. 147–173.
10 Cf. Reese, op. cit.; Peter Jost, Instrumentation. Geschichte und Wandel des Orchesterklanges, Kassel: Bärenreiter, 2004, pp. 34–39, 92–94, 103–105. また、Stanley, op. cit., p. 151も参照されたい。
11 すでに第 1 交響曲の初演評において、「ただ、管楽器があまりに用いられ過ぎていた。そのため、これ
[第 1 交響曲]は完全なオーケストラ音楽というより吹奏楽だった。[N]ur waren der Blasinstrumente gar zu viel angewendet, so daß sie mehr Harmonie, als ganze Orchestermusik war.」(Allgemeine musikalische Zeitung Jg. 3 (1800/01) 15.10.1800, col. 49.)と指摘されている。これは、その後のベートーヴェンのオーケストラ作品 全般に当てはまる特徴を言い表しており、第 1 交響曲の管楽器の使用法が批判的に論評されているのは、
当時の「シンフォニー」をめぐる美学論争が背景にあったからである。これについては Stanley, op. cit., pp. 152–154 に手際よくまとめられている。
12 本章では、第 9 交響曲の創作過程と初演にいたるまでの出来事の詳細を論じたセオドア・アルブレヒ トの論考と最新の作品カタログの記述を基に、初演までの概略を示すに留める。Cf. Theodore Albrecht,
„Die Uraufführungen von Beethovens Sinfonie Nr. 9 (Mai 1824) aus der Perspektive des Orchesters,“ in: Wiener Oboen-Journal Nr. 61 (2014) pp. 6–16, Nr. 62 (2014) pp. 8–24, Nr. 63 (2014) pp. 4–13, Nr. 64 (2014) pp. 13–22, Nr. 65 (2015) pp. 3–12, Nr. 67 (2015) pp. 13–22, Nr. 68 (2015) pp. 9–19, Nr. 69 (2016) pp. 3–19; Kurt Dorfmüller / Norbert Gertsch / Julia Ronge (Edd.), Ludwig van Beethoven. Thematisch-bibliographisches Werkverzeichnis, München: Henle, 2014, Bd. 1, pp. 814–821.
13 Cf. ibid., p. 815sq.
14 Heinrich Schenker, Beethovens Neunte Sinfonie. Eine Darstellung des musikalischen Inhaltes unter fortlaufender Berücksichtigung auch des Vortrages und der Literatur, Wien/Leipzig: Universal-Edition, 1912. ̶邦訳:『ベートー ヴェン第 9 交響曲 分析・演奏・文献』西田紘子、沼口隆訳、音楽之友社、2010年。シェンカーの著作は、
彼がまだ「シェンカー理論」と呼ばれる独自の分析法を編み出す以前に書かれており、理解も比較的容易 である。日本で一般的な楽式論とは用語法などが異なるものの、形式の区分法、命名法、その根拠の提示 などが周到であり、今日でもなお、もっとも信頼のおける第9交響曲の分析のひとつだと言える。一例として、
第 3 楽章における 2 つの「中間主題」を第 2 主題とその変奏、「第 2 変奏への自由な移行」を主題の第 2 変奏とする誤解を、説得力ある論拠を示しながら否定している。
15 ベートーヴェン以降の 3 度関係を重視する和声法の分析には、フーゴ・リーマンの和声理論に基づくドイ ツ語圏の理論体系を用いると理解が容易である。表 1 および本文中の調関係に関する略記号と用語につい ては以下の文献を参照のこと。Cf. Diether de la Motte, Harmonielehre, Kassel: Bärenreiter, 1976. ̶邦訳:『大 作曲家の和声』滝井敬子訳、シンフォニア、1980年。
16 区分と小節数は Schenker, op. cit., p. [194] による。楽器名の略記はBeethoven Werke. Gesamtausgabe(いわゆ る新全集)に従った。
17 音名表記はドイツ語を採用し、音名の右肩に記す数字によって音高を明示する。
18 1859年10月29日のマティルデ・ヴェーゼンドンク宛て書簡(Richard Wagner Sämtliche Briefe, Bd. 11, Martin Dürrer [ed.], Wiesbaden: Breitkopf und Härtel, 1999, pp. 328–333, p. 329.)。
19 Theodor W. Adorno, Versuch über Wagner [1936/37, 1951], in: Die musikalischen Monographien, Frankfurt am Main:
Suhrkamp, 1971 (Gesammelte Schriften, Bd. 13), pp. 7–148, p. 72. ̶邦訳:『ヴァーグナー試論』髙橋順一訳、
作品社、2012年、87頁。
20 Tobias Janz, Klangdramaturgie. Studien zur theatralen Orchesterkomposition in Wagners „Ring des Nibelungen“, Würzburg: Königshausen und Neumann, 2006, p. 144.
21 Ibid.
22 Cf. Walter Fielding Holloway Blandford, „Studies on the Horn. III. The Fourth Horn in the ‚Choral Symphony‘,“ in:
The Musical Times Vol. 66 (1925), pp. 29–32, 124–129, 221–223.
23 現代におけるベートーヴェン研究の旗手の一人、ルイス・ロックウッドは、ベートーヴェン評伝のなかで、
この第 4 ホルンのソロについて、「新しく発明されたヴァルヴホルンのために書かれたのだろう perhaps written for the newly invented valve horn」(Lewis Lockwood, Beethoven. The Music and the Life, New York: Norton, 2003, p. 432. ̶邦訳:『ベートーヴェン 音楽と生涯』土田英三郎他訳、春秋社、2010年、639頁。)と記し ているが、その根拠は何も示されていない。大崎滋生は、本紀要に発表された「ナチュラルホルンの時代」
(『桐朋学園大学研究紀要』第35号[2009年]、 1 〜23頁、当該の問題は12〜14頁)と、近著『ベートーヴェ ン像 再構築』、春秋社、2018年、1025〜1030頁、において、この第 4 ホルンのソロが「ヴァルヴホルンの ために書き下ろ」されたものだと主張している。一方セオドア・アルブレヒトは、初演時のホルン奏者の1人、
フラデツキー(Friedrich Hradetzky, ca. 1772–1846)が1822年 2 月20日にヴァルヴホルンでアイブラー(Joseph Leopold Eybler, 1765–1846)の作品を演奏していることを引き合いに出し、このソロはナチュラルホルンと ヴァルヴホルンのどちらでも演奏され得た、と論じている(Albrecht, op. cit., Nr. 61, p. 9)。
24 アルブレヒトは、ベートーヴェンが1814年以来、ウィーンのオーケストラ奏者と親交があったことから、
この第 4 ホルン・パートはケルントナートーア劇場のフラデツキーのために作曲したと述べているが、確 たる根拠は示されていない(Cf. Albrecht, op. cit., p. 6, p. 9)。第 9 交響曲ウィーン初演時に第 1 ホルンを担 当したと考えられるレヴィ(Eduard Constantin Lewy, 1796–1846)もまた、ウィーンでヴァルヴホルンを披 露したことで知られているが、それは早くとも1825年12月 8 日のコンサートであったと考えられており、
第 9 の成立とは無関係である。Cf. Theodore Albrecht, „E. C. Lewy and Beethoven’s Nineth Symphony Premiere,“
in: International Horn Society, URL: https://www.hornsociety.org/publications/horn-call/horn-call-archive/142-ec- lewy-and-beethovens-ninth-symphony-premiere?showall=1(2021年 3 月26日閲覧)
25 1814年のベートーヴェンの日記には、音楽家との交流を示す次のような記入がある。「毎日、だれかしらと 食事へ、音楽家たちと、さすればそこで楽器のことについて、たとえばヴィオリンやチェロなどについて、
話せる。 Jeden Tag Jemand zum Essen, wie Musici, wo man dann dieses und jenes abhandelt, von Instrumenten etc.
Violin, Violoncell etc.」(Maynard Solomon [Ed.], Beethovens Tagebuch, Bonn: Beethoven-Haus, 1990, p. 55. ̶̶邦 訳:『ベートーヴェンの日記』青木やよひ、久松重光訳、岩波書店、2001年、66頁。)
26 Cf. Georg Schünemann, „Beethovens Studien zur Instrumentation,“ in: Neues Beethoven-Jahrbuch Jg. 8 (1938), pp. 146–161.
27 Anthony Baines, Brass Instruments. Their History and Development, London: Faber and Faber, 1976, p. 168. ̶邦 訳:『金管楽器とその歴史』福井一訳、音楽之友社、1991年、176〜177頁。ただし、ここでは均質な音質 に耳慣れてしまった現在とは異なる̶大きな差異がある前提の̶感覚を想定する必要があろう。
28 その音色は、手を開口部に入れたてミュートの効果を実現する奏法によって得られる響きと類似している ように思われる。当時のホルン奏者たちは、弱音器の使用を指示された場合、道具を使用するよりも、右 手と唇の調節で対応することが一般的だった。これについては、モーツァルトが《イドメネオ》ミュンヘ ン初演の際に、トランペットとホルンの弱音器を送って欲しいとザルツブルクの父親に依頼したことに対 して、父がその返答として息子へ宛てた書簡(1780年12月 7 日付け)が参考になる。Cf. Mozart Briefe und Dokumente ̶ Online-Edition, URL: https://dme.mozarteum.at/DME/objs/raradocs/transcr/pdf/BD_556.pdf(2021年
3 月26日閲覧)̶邦訳:『モーツァルト書簡全集IV』海老澤敏・高橋英郎訳、白水社、1990年、500〜501頁。
29 たとえば、ピアノと管楽のための五重奏曲(作品17)、七重奏曲(作品20)、管楽六重奏曲(作品71)、六 重奏曲(作品81b)などを参照されたい。
30 この移行部の第 4 ホルン・パートには、第83小節に „dolce“ の指示がある。
31 Małgorzata Grajter, Das Wort-Tonverhältnis im Werk von Ludwig van Beethoven, Berlin: Peter Lang, 2019, p. 210. グ ライテルは実例として歌曲《希望に寄せて》と《遥かなる恋人へ寄せて》、劇音楽《エグモント》第 8 曲〈メ ロドラム〉を挙げている。
32 Cf. Heinrich Domnich, Méthode de Premier et de Second Cor, Paris: Le Roy, 1808, p. 19; Franz Joseph Fröhlich, Vollständige theoretisch-praktische Musikschule Abt. 4, Bonn: Simrock, 1811, p. 15.
33 古典派のオーケストレーションは、概して「機械的 automatisch」だと言える。ワーグナーの「手仕事的 handwerklich」なオーケストレーションについては、前註19におけるアドルノの指摘とヤンツの研究(Janz, op. cit.)に加えて、ユルゲン・メーダーによる《トリスタンとイゾルデ》のオーケストレーションについ
て の 論 考(Jürgen Maehder, „Orchestrationstechnik und Klangfarbendramaturgie in Richard Wagners ‚Tristan und Isolde‘,“ in: Ein deutscher Traum, Wolfgang Storch (ed.), Bochum: Edition Hentrich, 1990, pp. 181–202)も参照さ れたい。
34 ただし、第 9 交響曲に先立って完成した《ミサ・ソレムニス》には、単なる補強ではなく、音色の変化を 意図した楽器の重複や、響きの急激な変化を回避する書法も認められるが、声楽作品の性質上、テクスト との関連を含めたより詳細な検討が必要である。この問題は、今後の検討課題とする。
35 Cf. Janz, op. cit., pp. 126sq.