0.はじめに
東京都大田区羽田地区には、穴守稲荷をはじめ7ヶ所の稲荷神社と、番外の多摩川 弁天社(玉川羽田辯財天下社)の七社一番外からなる、「羽田七福いなりめぐり」の巡 礼コースがある。「羽田七福いなりめぐり」の巡礼は、1989年に穴守稲荷神社責任役 員・酒井績氏の発案で開始された。 現在、「羽田七福いなり」となった各社は、江戸期から豊漁祈願・海上安全・洪水防深 田 伊佐夫
0.はじめに 1.本報の調査対象地域と研究方法 1 1.対象地域 1 2.研究方法 2.調査結果 2 1.羽田七福いなりの概要 2 2.羽田七福いなり各社 2 3.その他の社寺・小祠の概要 2 4.大田区羽田地区の土地環境 2 5.羽田地区の自然災害 3.考察 3 1.考察の方向性 3 2.自然災害への宗教的対応 3 3.中流域での調査との比較 3 4.「大田区洪水ハザードマップ」からみた「羽田七福いなり」 4.まとめ 5.謝辞 〈文献〉 〈資料〉止・浪害防止(大田区史事典作成グループ:2006)などの信仰と祈願を目的に当地域 に建立され、現在に至っている。 このような信仰と、祈願が受け継がれてきた背景には、羽田地区が多摩川河口と東 京湾に囲まれた立地におかれ、住民たちは水害などの自然災害と向き合いながら、漁 業を営んできた歴史のあったことがあげられる(大田区史事典作成グループ:2004)。 現在は、商売繁盛・学業成就・金運成就など、現世利益を前面に出して庶民の信仰 を集め、正月期間限定の御朱印巡礼では地元や京浜地区から、毎年1000数百名の参拝 者が訪れる(穴守稲荷神社:2008)。 ところで、筆者は2003年から多摩川中下流域を中心に、地域の自然災害と民俗信仰 の形態との関係について調査・考究をしてきた。その結果、地形・地質・河道・海岸 線状況などの土地環境と地域の自然災害経歴の特徴を意識した、信仰による自然災害 回避の祈願、災害地形を意識した社寺配置など、宗教的対応のあったことが確認でき た(深田・三阪:2003・2004・2005)。 こうした視点で、「羽田七福いなり」をみるとき、羽田地区の土地環境の特徴と、信 仰の内容、稲荷各社の地理的立地条件との間にも、上述の地域のような土地環境と自 然災害の特徴を意識した、信仰的対応や社殿配置があるのではないかと考えた。 そこで、本報では羽田地域の地勢・自然災害史・七福稲荷に受け継がれてきた信仰 の内容を調査し、以下3点について考察する。考察内容は、①自然災害への宗教的対 応、②中流域での調査との比較、③大田区ハザードマップからみた「羽田七福いなり」 についてである。 なお、本報の一部は2012年9月7日から9日に開催された、日本宗教学会第71回学 術大会(於・皇學館大學)の個別報告にて口頭発表したことを付記する。
1.本報の調査対象地域と研究方法
1-1.対象地域 本報の調査対象地域は、多摩川下流域左岸に位置する、東京都大田区羽田地区を中 心に隣接する萩中・本羽田の各地域である(図1参照)。当地域を、対象地域として選 定した理由は、次の2点である。 第1は、当地域の土地環境が多摩川の河口部と、東京湾沿岸部におかれているため、 水害を中心とした自然災害に対して、地域住民が日常生活や生産活動の場面で、災害 と向き合ってきたことである。国土交通省(2001)、大田区(1984)、川崎市(1994) の統計で確認した多摩川中下流部の水害件数は、1600年代から1974年までの374年間で 100回以上に及んでいる。 第2は、当地域の自然災害への対応のひとつに、宗教的・信仰的側面からの対応がみられたことである。こうした対応は、前回のまでの調査(深田・三阪:2003、2004、 2005)でも土地環境により自然災害を意識した、特徴のある祭礼の執行や、独特の社 寺配置が確認できた。 今回の調査対象地域でも、洪水防止・浪害防止などに対する宗教的・信仰的な対応 がみられたため、前回までの調査結果との比較検討も可能になると考えた。 また、当地域内には「七福いなり」に指定される各社のほかにも、稲荷を中心とし た10数社が存在している。その中で、「七福いなり」に指定された各社は、旧集落単位 で建立され、自然災害に対する宗教的・信仰的な目的が明確であることから、今回の 調査では「七福いなり」というカテゴリーで選定した。 図1 調査対象地域概要 国土地理院1:25000地形図より(掲載許可済) *対象地域は、地図右下の罫線で囲んだ部分。 1-2.研究方法 次に、研究方法について記す。本報では、①自然災害への宗教的対応、②中流域で の調査との比較、③大田区ハザードマップからみた七福いなりについて考察するため に、以下の3つの方法で研究を進める。 第1は、調査対象地域内の社寺状況・民俗信仰・祭礼執行などの宗教的環境に関す る調査である。ここでは、「羽田七福いなり」に指定されている各社についての文献調 査と現地調査により、基本属性・災害に対する祈願などの宗教的対応・建立されてい
る場所の地理的立地条件を明らかにする。合わせて、七福いなり以外の社寺・小祠の 状況と祭礼などについても、概要調査を実施する。 第2は、調査対象地域の地勢・土地利用情況の変化・災害史などの自然環境・社会 環境に関する調査である。調査は、文献調査により地形と地質を中心とした地勢、水 圏環境、災害史の概要について把握するとともに、文献調査の内容を現地調査により 確認する。 第3は、第1の宗教的環境が、第2の自然的環境・社会的環境と、どのような関連 性があるのかということについて調査し、上述の3点について考察したい。
2.調査結果
2-1.羽田七福いなりの概要 「羽田七福いなりめぐり」は、東京都大田区萩中・本羽田・羽田地内の多摩川左岸堤 防に近接して建立されている稲荷神社七社と番外の弁天堂の七社一番外から成る巡礼 のコースである。 「羽田七福いなりめぐり」の巡礼は、1989(平成元)年に穴守稲荷神社責任役員・酒 井績氏が、都内各所に見られる七福神めぐりになぞらえて、当地に建立されていた稲 荷社の巡礼参拝を発案したことに由来する(穴守稲荷神社:2008)。主な参拝期間は、 正月を想定している。期間中には各社に御朱印が用意され、参拝者は御朱印を集印帳 に記しながら巡礼する。初年度の巡礼者数は300名程度であったが、コースの整備や京 急電鉄によるポスターや地図の作成などの協力もあり、2007年には1500名にまで増加 している(穴守稲荷神社:2008)。 巡礼コースは、第一番の荻中・東官守稲荷神社から東方向に番外の多摩川辯財天を 含めた七社を経て、第七番の東京羽田・穴守稲荷神社に至る全線4km・所要時間2時 間程の道のりである。→図1参照 七社一番外に数えられる各社は、東官守稲荷神社・妙法稲荷神社・重幸稲荷神社・ 高山稲荷神社・鴎稲荷神社・玉川羽田辯財天下宮(番外)・白魚稲荷神社・穴守稲荷神 社である。 2-2.羽田七福いなり各社 次に、七社一番外に数えられる各社の詳細について述べる。ここでは、各社の現況・ 来歴・祭神・祭礼などについて、大田区教育委員会(1971)および大田区史事典作成 グループ(2004)の記述と、2011年9月と2012年5月の、現地調査の結果をふまえて 述べる。 稲荷各社の名称の頭につけられた、荻中、上田などの名詞は所在する地名(旧字名 を含む)である。七福いなりの概要についての総括表を、表1にまとめた。2-2-1.第一番 萩中・東とう官かん守もり稲荷神社(大田区萩中1-15-8) 東官守稲荷神社は、大田区萩中の萩中神社本殿左側の境内地内に、末社として合祀 されている。祭神は宇う迦か之の御みた魂まの命かみで、当地は、長く半農半漁の地域性を有していたた め、海上安全を祈願する守護神として崇敬されてきた。 当初は、現在地より500m西方向の七辻付近(現・大田区南六郷一丁目)に、東京湾 の方向を意識して東向きに鎮座していた。しかし、1917(大正6)年の東京湾台風の 図2 「七福いなりめぐりマップ」穴森稲荷神社 HP http://anamori.jp/inari.html より転写 写真1 東官守稲荷神社の小祠 2011年9月筆者撮影
大暴風雨の水害により社殿が損壊し、現在地に遷座された後に、1945(昭和20)年の 戦災で焼失したため、地域住民の手により再建され現在に至る。七福いなりでのご利 益は、身体安全が謳われている。 2-2-2.第二番 上じょう田でん・妙法稲荷神社(大田区本羽田1-12-9) 妙法稲荷神社は、現在の大田区本羽田の最西端に所在し、境内域は大田区南六郷・ 萩中の2地区と接している。 創建は、1801(明和元)年で、当時発生した大洪水の被害からの復興を願い、京都・ 伏見稲荷神社からの御霊分けにより、宇迦之御魂命を勧請し建立された。 初期に建立された場所にはマツの大木があり、その根元には白蛇が生息していたこ とから白蛇稲荷、また当地の地名にちなみ上田稲荷とも呼ばれる。 その後、1917(大正6)年に東京地方に甚大な被害をもたらした、東京湾台風の大 暴風と高潮被害(北原:2007)により、境内地のマツの大木が倒壊した。このマツは、 由緒ある霊木として信仰されていたため、地元住民が切り株に八角堂を建立して祀っ た。しかし、1945(昭和20)年に戦災で焼失したため、1956(昭和31)年に社殿が再 建され、現在に至る。祭礼は、初午祭・10月22日の例祭および7月第4土日曜日に、 羽田神社を中心に行われる羽田地区連合祭である。七福いなりでのご利益は、招福厄 除けが謳われている。 写真2 妙法稲荷神社の社殿 2012年5月筆者撮影 2-2-3.第三番 大野 ・ 重じゅう幸こう稲荷神社(大田区本羽田1-7-14) 重幸稲荷神社は、宇迦之御魂命を祭神に五穀豊穣・田畑守護を祈り建立された。建 立年代は不詳であるが、樹齢400年のクスノキの大木が1945(昭和20)年の戦災で焼失 するまで存在していたという。
例祭は、初午祭・7月第4土日曜日に、羽田神社を中心に行われる羽田地区連合祭 である。七福いなりでのご利益は、開運長寿が謳われている。 写真3 重幸稲荷神社の小祠 2012年5月筆者撮影 2-2-4.第四番 中村・高山稲荷神社(大田区本羽田3-12-2) 高山稲荷神社は、宇迦之御魂命を祭神とする。1929(昭和4)年に、多摩川の堤防 整備にともない現在地の、中村天祖神社境内地に遷座されたが、創建年代や由緒は不 明である。 遷座前の社殿が、飛騨高山の大工により建築されたことから、高山稲荷と呼ばれる ようになった。 写真4 高山稲荷神社の小祠(写真左側) 2012年5月筆者撮影
当地の風習として、寺小屋に入門する前の子供たちに、初午祭の時に社殿前に仮に 造った小屋の中で「お籠り」をさせる風習があったという。このことから、七福いな りでのご利益は、学業成就が謳われている。 例祭は、初午祭・7月第4土日曜日に、羽田神社を中心に行われる羽田地区連合祭 である。 2-2-5.第五番 仲町 ・ 鴎かもめ稲荷神社(大田区羽田6-20-10) 鴎稲荷神社は、宇迦之御魂命を祭神とする。創建年代は不明であるが、現存する石 の鳥居に「弘化2年(1845年)護摩講中世話人」との記載があることから、それ以前 の創建であることが推察できる。 かつて、当地は羽田猟師町と呼ばれて漁業の盛んな土地柄であったため、漁師たち の豊漁祈願が行われ、祈願すると大漁の兆しであるカモメが飛来したことから、鴎稲 荷神社と命名された。社殿脇に、厄除け様の小祠を併設している。 祭礼は、初午祭。七福いなりでのご利益は、開運招福が謳われている。 写真5 鴎稲荷神社の社殿 2011年9月筆者撮影 2-2-6.第六番 鷹取・白魚稲荷神社(大田区羽田5-27-8) 白魚稲荷神社は、宇迦之御魂命を祭神とする。創建年代は不明であるが、「新編武蔵 野風土記稿」に「社はわずか一間に二間南向に鳥居たてり、幅一間、土人呼て白魚神 社と云、漁人白魚を取ころ初めて得し時は、まず此社に供ふる故にかくいへり」との 記述がある。このことから、白魚の豊漁を願い白魚稲荷神社の命名があったことが推 察できる。 また、当地域が漁師町であったころは、建物が密集していたため、白魚稲荷神社に 火災が発生しないようにとの祈願をする住民も多かった。このため、白魚稲荷神社に
は火伏せの信仰も持たれてきた。 祭礼は、初午祭。七福いなりでのご利益は、無病息災・報恩感謝が謳われている。 写真6 白魚稲荷神社の社殿 2012年5月筆者撮影 2-2-7.第七番 穴守稲荷神社(大田区羽田5-2-7) 穴守稲荷神社は、1804(文化元)年、現在は東京国際(羽田)空港の敷地になって いる羽田地内の干潟、要島に創建された。創建の由来は、当地の名主・鈴木弥五右衛 門が、干潟であった当地域に鈴木新田を開発した際に、構築した堤防に激しい波が押 し寄せ、幾度も大穴が開き被害を受けたため、稲荷大神を勧請したことによる。創建 当初は、鈴木家の屋敷神として勧請され、新田の住民の崇敬の対象になっていた(穴 守稲荷神社:2008、宮田1979)。 穴守稲荷神社の名称は、堤防に穴が開かないように、守護してもらうことに由来す るが、のちの時代には別の意味での、「穴を守る」という信仰観も生じて、女性・婦人 病患者・花街からの信仰も集めた。同時に、「羽田で流行るお穴さま」として、諸願成 就の祈願も盛んに行われ、現在も「諸願成就の黄金の福砂」が、受け継がれている(穴 守稲荷神社:2008、宮田1979)。 1902(明治35)年には、京浜電鉄穴森線(現・京急電鉄羽田線)が開通し、参拝の 利便性の向上が図られたため、地元以外からの参拝者も増加し、1912(大正元)年に は、5000坪の境内地に拝殿などが建立された。しかし、終戦に伴う GHQ の羽田空港 接収による強制立ち退きで、1948(昭和23)年に現在地へ遷座された。現在、弁天橋 東詰の空港入口付近にある朱塗りの鳥居は、穴森神社が空港敷地内に建立されていた 時の名残である。 現地調査の結果、1991(平成3)年の、「平成の大造営」により現在の境内空間が整
えられ、末社には出世稲荷社・開運稲荷社・出世稲荷社・繁栄稲荷社・築山稲荷社・ 飛龍明神があり、境内地に合祀されていることが確認できた。 祭神は、豊受姫大神。祭礼は、初午祭・10月7日の例大祭のほか、8月下旬の土日 曜日の献灯祭がある。 なお、1923(大正12)年の行政界の変更前までは、現在の多摩川右岸側の神奈川県 川崎市川崎区殿町一帯も、荏原郡羽田村(現・大田区羽田)に属していた。これは、 多摩川の度重なる洪水で河道が移動し、土地の位置関係と形質が変化していたことを 意味する。このため、穴守稲荷神社建立の根拠となった鈴木新田の開発地域も、現在 の多摩川両岸にまたがって存在していた。 写真7 穴守稲荷神社本殿 2011年9月筆者撮影 写真8 奥宮への参道 2012年5月筆者撮影
2-2-8.番外 玉川羽田辯財天下宮(大田区羽田6-13-8) 玉川羽田辯財天下宮の由来は、830(天長7)年の弘法大師作との伝承のある辯財天 女像を、1711(宝永8)年に当地へ勧請したことに始まる。上宮は、大田区羽田2丁 目の龍王院(真言宗智山派)に所在する。 玉川羽田辯財天は、厳島神社(広島県)、江の島辯財天(神奈川県)とともに、日本 三大弁財天の1つとされている。 祭礼は、5月11日の例祭。七福いなりでのご利益は、金運成就が謳われている。 写真9 玉川羽田辯財天下宮社殿 2012年5月筆者撮影 表1 「羽田七福いなり」の概要総括表 筆者作成 番号 名称 形態 祭神・勧請対象 現在のご利益 災害被災 第一 東官守稲荷神社 小祠 宇迦之御魂命 身体安全 水害 第二 妙法稲荷神社 社殿 宇迦之御魂命 招福厄除け 風水害 第三 重幸稲荷神社 小祠 宇迦之御魂命 開運長寿 第四 高山稲荷神社 小祠 宇迦之御魂命 学業成就 水害(間接) 第五 鴎稲荷神社 小祠 宇迦之御魂命 開運招福 第六 白魚稲荷神社 社殿 宇迦之御魂命 無病息災(報恩感謝) 第七 穴守稲荷神社 社殿 豊受姫大神 諸願成就 浪害 番外 玉川羽田辯財天下宮 社殿 辯財天女 金運成就 2-3.その他の社寺・小祠の概要 今回は、「羽田七福いなり」として、比較的規模と知名度の高い各社を取り上げた が、このほかにも調査対象地域内には、社寺・稲荷社・水神・水難供養慰霊碑・小祠
などの建造物がある。 これらの建造物は、大田区教育委員会(1971)等の公刊資料に記されている社寺・ 小祠と、個人の屋敷神を起源に勧請されているものがあり、その数は神社4社・寺院 17ヶ寺・小祠12社であった。 現地調査結果をもとに、大田区教育委員会(1971)・大田区史事典作成グループ (2004)を参考に、その他の社寺・小祠の概要を巻末資料として掲載した。(巻末資料 1∼3参照) 写真10 五十間鼻無縁仏堂 大田区本羽田6丁目 2012年5月筆者撮影 *五十間鼻無縁仏堂は、多摩川河口付近の突起型地形の先端部に位置する。 2-4.大田区羽田地区の土地環境 2-4-1.羽田地区の地形・地勢 大田区羽田地区は、区内中心部の蒲田地区から南東方向へ2∼3kmの、多摩川下流 部・河口部と東京湾に囲まれた標高1m ほどの低地部に位置する。地域が接する、多 摩川の幅員中央部には、左右両岸に蛇行する形で行政界があり神奈川県川崎市川崎区 と接している。 地区東端の羽田5丁目・6丁目からは、穴守橋・環状8号線稲荷橋・弁天橋、歩行 者専用の天空橋の、3系統の道路と、京急電鉄羽田線が東京国際(羽田)空港に接続 している。また、地区中央部羽田1丁目付近には、南北方向に産業道路と高速神奈川 1号線横羽線が貫通し、東京都心部と川崎市・横浜市を結ぶなど交通の要衝となって いる。 大田区の地形は、武蔵野台地に属する西部・西北部の丘陵部高台から、三角州の低 地に属す東部・東南部に向かい傾斜している。このため、西部・西北部の武蔵野台地
に属する荏原台・久ヶ原台・田園調布台などの丘陵部高台の標高が40∼42m、羽田地 区は1m 前後であるため比高は40m 内外である(大田区広報公聴課;2008)。 2012年7月に現地調査をした結果、羽田地区の地形は概ね平坦な低地地形であり、 地区内の地形の高低差はほとんど見られなかった。現地調査の結果、多摩川河口付近 の羽田6丁目の地盤高は、干潮時(2012.7.25PM14:42)から2時間経過時点で、平 水面と同レベルであった(写真11参照)。 地域内には、丘陵部の谷地地形のような形で、明確に判別できる中小河川の川筋は 見当たらないが、羽田地区北方1km付近を東流する新呑川、現在は公園化した旧呑川 と南前堀・北前堀跡地がある。また、多摩堤通り北側に旧六郷用水に関連した細流の 痕跡、隣接した南六郷2丁目の多摩川左岸にはその排水路の六郷水門がある。 地域全体は、住宅地としての性格を持つが、個人漁業者や観光釣り船店が営業し、 羽田6丁目には大田漁業協同組合事務所が設置されていることなど、かつての漁師町 の面影も残している。 写真11 多摩川の平水面と左岸の景観 大田区羽田6丁目 2012年7月筆者撮影 2-4-2.羽田地区の地質 次に、羽田地区の地質について述べる。 当地の地質は、第三紀層中後期更新世の砂層・砂泥互層に、完新世の泥層・砂層が 堆積し、その上部に河川氾濫源の堆積物と表土により成り立っている(関本ら:2008)。 羽田地区の層序関係の概要を、関本ら(2008)による羽田沖の調査結果により示せ ば、図1のようになる。 また、「東京の地盤 Web 版」により羽田地区のボーリングデータを確認すれば、深 度30m 付近の凝灰岩を基盤に、砂層・シルト層・粘土層または、その互層が堆積して
いる。堆積深度と図1の層序関係を対比してみれば、凝灰岩が基盤岩層となり、その 上部に上述の第三紀層に属する各層が堆積していることが推察できる。 なお、地盤強度を表すN値は、基盤岩層が40∼50でVD(きわめて強固)、中間の粘 土層が3∼7で VL(大変軟弱)・L(軟弱)または M(中程度)、締め固まった砂層・ 砂質ロームは7∼30で M または D(強固)である。 ただし、基盤岩層が強固であるのに対して、多摩川河口付近の表土部分は多摩川の 三角州地形と、河川氾濫源の堆積物の影響で軟弱な地盤となっており、N 値は1∼3 で VL(大変軟弱)という結果である。 図2 羽田沖地域の層序と環境変化 関本ら(2008)より転写 2-5.羽田地区の自然災害 2-5-1.羽田地区の自然災害 諸資料(長島;1999・三橋;1998・世田谷区;1989・1984)によれば、羽田地区の 主な自然災害は、多摩川の増水を原因とする水害であることが確認できた。 これは、羽田地区が多摩川河口部と東京湾沿岸に囲まれた低地という土地条件を有 することから、台風による風雨や大量の降雨などの気象環境の変化が、洪水・水害と いうかたちで影響を与えてきたからである。 したがって、ここでは羽田地区の自然災害について、多摩川の水害を中心に述べる
ことにする。 国土交通省(2001)によれば、多摩川の水害は1600年代から1974年までの間に100回 以上の水害が発生し、人的・物的な被害を出している(表2参照)。 このため、多摩川中流域の川崎市多摩区登戸から、河口付近の大師川原までの流域 では、出水による河道の変遷や左右両岸の地形の変形で、不規則な飛び地の形成や地 域の分断も発生している(長島:1999)。現在、多摩川の幅員中央部に東京都と神奈川 県の行政界があるが、直線化した多摩川の形状と異なった蛇行した形状を描いている ことからも、過去の河道の変遷を推察できる。 その中で、特に羽田地区に大規模な被害をもたらした水害について、国土交通省 HP:(www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/.../tama-4-4.pdf)には1907(明 治40)年の洪水についての記録が残されている。それによれば、1907(明治40)年の 洪水では、多摩川流域の多くの地点において堤防決壊が発生し、羽田地区東部の鈴木 新田では弁天橋の崩落と220戸の浸水、その他の羽田地区では「一尺三寸(39cm)」の 出水により2120戸が浸水したとある。 また、多摩川関連の洪水被害について国土交通省(2001)と上記の国土交通省 HP により確認したところ、1913(大正2)年の羽田堤防決壊、1914(大正3)年の出水、 1938(昭和13)年の出水のあったことが判明した。 このほかに、2 2 2.の妙法稲荷の事例のところで触れた1917(大正6)年の東京湾 台風の大暴風と高潮被害(北原:2007)も当地域に被害をもたらしたが、現時点で詳 細な資料を得る事は出来なかった。 2-5-2.羽田地区の治水対策 2 5 1.のところで見て来たように、古くから羽田地区では多摩川の増水により、中・ 下流域を中心に複数回の洪水を起してきた。特に、河口部の羽田地区では河川増水に よる浸水、橋梁流出に加えて、東京湾からの高潮の影響も受けて来た。 このため、当地域の浸水被害防止策として、近代以降現在まで多摩川自体の護岸工 事と、地域内の公共下水道の敷設など、治水対策工事も推進されてきた。 多摩川流域の護岸工事関係では、1917(大正6)年・1932∼33(昭和7∼8)年・ 1966(昭和41)年・1989(平成元)年に、複数回の護岸堤防の新規構築と構造の増強 が行われた(国土交通省 HP:(www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/.../ tama-4-4.pdf)。 地域の排水にかかわる公共下水道の敷設では、1966(昭和41)年に隣接地域の大田 区大森東地内に、森ヶ崎下水処理場が開設された。これにともない、1966(昭和41) 年には雨水排除の開始、1967(昭和42年)からは処理場の本格稼働による、合流式下 水道の使用が開始された(東京都下水道局 HP:(www.gesui.metro.tokyo.jp/gijyutou/ j-nenpo/jn20/nenpo02.PDF)。
大田区役所防災課からの聞き取り調査によれば、これらの治水関連の基盤整備の進 捗により、羽田地区では1985年7月14日の集中豪雨(90mm/h)を最後に、近年では際 立った浸水被害は発生していない。 表1 調査対象地域と周辺地域の主な水害 年代 水害名 被害状況・被害回数 1600年代 ・ 19回 1700年代 ・ 32回 1800年代(江戸期) ・ 30回 1800年代(明治期) ・ 23回 1900年代初頭 ・ 2回 1906(明治39)年 京浜電鉄(現・京急電鉄)橋梁が流出 1907(明治40)年 明治40年水害 同年8月、2個の台風が連続して接近。降雨による堤防決 壊・浸水・土地家屋流出などが発生。 1910(明治43)年 明治43年水害 同年8月、2回の台風の降雨により堤防決壊と高潮で浸水・ 土地家屋流出・流路変化による地域分断。 1911(明治44)年 同年6月から9月の3ヶ月間、大量の降雨傾向に。7月の 台風では、暴風雨・高潮・洪水被害。 1913(大正2)年 台風による出水で、六郷・羽田で堤防決壊。六郷地区では 50センチの出水。浸水面積300ha、浸水家屋400余戸。 1914(大正3)年 台風による出水。多摩川右岸の川崎市では、度重なる堤防 決壊に対して、「編みがさ」をかぶった住民が一斉行動を以 て、行政の治水対策を批判し、強い抗議行動と陳情を行っ た。 1917(大正6)年 東京湾台風水害 同年10月、東京湾に接近した台風による、暴風雨・高潮・ 洪水被害。 1938(昭和13)年 六郷橋流出。 1947(昭和22)年 浸水被害。 1974(昭和49)年 台風による多摩川増水により、中流域の狛江市で民家19戸 流出。 国土交通省(2001)・国土交通省 HP:(www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/.../tama-4-4.pdf)を 参考に作成
3.考察
3-1.考察の方向性 本報の考察の目的は、「羽田七福いなり」が羽田地区の土地環境の特徴と地理的立地 条件に対応した、信仰の内容、稲荷各社の信仰形態や社殿配置について明らかにする ところにある。 ここでは、現地と文献調査の結果をふまえて、初めに計画したとおり①自然災害へ の信仰的対応、②時代相による信仰内容の変化について、③中流域での調査との比較、④大田区ハザードマップからみた「羽田七福いなり」について考察する。 3-2.自然災害への宗教的対応 まず、現在の「羽田七福いなり」に属する稲荷各社が創建当初、自然災害に対して どのような宗教的対応をしてきたのかについて考察したい。 調査結果で明らかになったように、「羽田七福いなり」各社のうち、第一番の東官守 稲荷神社、第二番の妙法稲荷神社・第四番の高山稲荷神社・第七番の穴守稲荷神社の 4社が、それぞれ水害にかかわる経歴を共有している。各社に、水害にかかわる経歴 がみられるということは、羽田地区の自然災害が、総じては水害であり地域の生活と 生産活動に影響を与えてきたことが考えられる。 また、水害にかかわる経歴には、該当する各社が①水害の防止等の祈願を目的に創 建されたものと、②創建後に水害の影響を受け、遷座または再建されたものの2つの 場合がある。 それらについてみれば、①のケースが、第二番の妙法稲荷神社と第七番の穴守稲荷 神社であり、前者は水害からの復興を、後者は新田開発地の浪害防止の祈願を目的に 創建されている。 しかし、この2社は人間の生活と生産活動が、水害からの影響を受けることを防止 する目的で創建されている点では共通性を持つが、その創建の意味と宗教的対応の対 象には微妙な相違点もある。 まず、妙法稲荷神社についてみれば、大洪水からの回避を祈願したことが創建の目 的になっている。その祈願内容は、既存の地域住民の生活と生産活動に、洪水という 自然現象が影響したことに対して、宗教的対応をしてきた性格を有している。 いっぽう、穴森稲荷神社は新田の開発という、人為的な国土の改造に伴い、自然界 との接点拡大によるリスク増加で、開発にとって不都合な堤防の損壊という状況が発 生したことが、創建の根底にある。 したがって、両社は水害からの回避を祈願するという点では共通性を持ちながらも、 妙法稲荷神社では既存の自然現象を、穴守稲荷神社では開発行為に伴う自然リスクを、 宗教的対応の対象にしている点で相違があると考える。ここでいう、開発行為に伴う リスクとは、人間の生活、生産にとって不便な自然条件を利用しうるように変化させ てきた開発の過程(大熊:1988)とみなすことができる。 ②のケースは、第一番の東官守稲荷神社と第四番の高山稲荷神社である。東官守稲 荷神社は、海上安全を祈願するために創建されたが、後に水害による社殿の損壊を機 に、遷座・再建されている。 東官守稲荷神社の、創建目的である海上安全の祈願には、風雨・高潮・津波等の、 航海と漁業の妨げになる自然現象からの回避が含まれると考えられる。このようにみ れば、第五番の鴎稲荷神社と、第六番の白魚稲荷神社の掲げる豊漁祈願は、広く捉え
れば海上安全を前提とした祈願内容であると考える。 このことは、羽田地区の主要産業が漁業を中心とした半農半漁であった時代におい て、安定した自然環境の中で、安定的な水産生物資源の採取が可能になることを祈願 する信仰がもたれて来たことを意味する。 また、高山稲荷神社は勧請事由の詳細は不明であるが、1929(昭和4)年に行われ た多摩川の堤防構築による、土地利用の変化を事由に遷座が行われている。これは、 地域の防災対策を契機とした遷座であり、間接的に多摩川の水害の影響を受けている ことになると考える。 いずれも、羽田地区の住民の生活に直接結び付く産業としての漁業と、生活の根本 的な安全にかかわる自然災害、とりわけ多摩川と東京湾からの水害に対して、治水を 意識した信仰的対応をしてきたことが考えられる。 3-3.中流域での調査との比較 次に、今回の羽田地区での調査と、深田・三阪(2005)の多摩川中流域での調査結 果とを比較し、地域と地理的立地条件の差異による、羽田地区の自然災害に対する宗 教的な対応の特徴について考察する。 調査は、東京都世田谷区の多摩川水神社「水神祭」・川崎市高津区の正福寺「水子供 養」・中原区の春日神社「雨乞い神事」、山王日枝神社「神輿の川入り神事」の4つの 神事・祭礼と、住民生活・河川環境・自然災害との関係について調査した。 多摩川中流域での調査の結果、地域の神事・祭礼で多摩川の洪水に対する治水にか かわるものが1件、利水にかかわるものが1件、治水と利水の両面にかかわる複合的 なものが2件という状況であった。 そこでの宗教的対応は、正福寺水子供養が、一般的な水子供養と多摩川の水死者供 養を、春日神社の雨乞い神事は干ばつ防止に対する神事、多摩川水神社祭礼と山王日 枝神社の神輿の川入り神事は、川への報恩感謝であった。なお、正福寺の本堂は多摩 川を背にした変則的な方位で建立されている。その理由は、正福寺住職によれば「仏 さまのご加護により、多摩川の洪水から地域を守る意味が含まれているからである」 という。 また、中流域では洪水により運搬される河川氾濫原堆積物が栄養分を含むため、営 農に適した土壌が定着するとして歓迎する傾向もあり、洪水被害よりも干ばつに対す る意識が強くはたらいていた(深田・三阪:2005)。 したがって、多摩川中下流域での自然災害への宗教的対応は、治水的な要素よりも、 干ばつに対する雨乞い神事、水利を得る対象である多摩川自体への報恩感謝などの利 水に対する傾向にあることが分かる。 羽田地区では、多摩川と東京湾からの水害に対して、治水を意識した信仰的対応が 中心になっているのに対して、多摩川中流域での対応が利水を意識した対応になって
いる。このように、ふたつの地区の宗教的対応が異なっているのは、地域の地理的立 地条件の差異によるものと考えられる。 その差異とは、①多摩川中流域の左右両岸(川崎市・世田谷区)の標高が10m∼12m であり羽田地区とは10m 内外の比高があること、②中流域の河川流路が頻繁に変化し たため、地域の水利条件が変化したことの2点であると考える。 なお、今回の調査対象の羽田地区に隣接する、大田区大森東3丁目の厳正寺には、 降雨による洪水を防ぐことを祈願する「水止舞」が継承されている。このことからも、 当地区の自然災害への宗教的対応の内容には、治水が意識されていることが考えられ る。 3-4.「大田区洪水ハザードマップ」からみた「羽田七福いなり」 3番目に、現在の大田区「洪水ハザードマップ」に示された洪水被害予想範囲と、 かつて水害等に対して宗教的対応をしてきた「羽田七福いなり」の建立されている場 所の位置関係との間にどのような関係があるのか考察したい。 羽田地区は、現在では治水対策が施されているが、多摩川河口部と東京湾に接した 低地に置かれていることから、七福いなり各社が創建された当時と同様に、潜在的に は河川氾濫の発生する可能性もある。 また、山崎(1994)によれば多摩川は、氾濫危険区域の居住人口が全国第3位であ ることが指摘されており、上述の河川氾濫と並び水害に結びつく大きな要素となって いる。 こうした可能性があることから、大田区では水防法第15条の規定による、「大田区洪 水ハザードマップ(最新・2010年版)」を発行し、区民に配布している。洪水ハザード マップは、「多摩川版」と「中小河川版」の2種類があり、区内の各地区別の床上・床 下浸水の水深予測、緊急避難場所等の防災情報が地図上にまとめられている。配布用 のほかに、大田区 HP 上にも公開されている。 「多摩川版」は、羽田地区を含む多摩川左岸流域地域を中心とした低地部、「中小河 川版」は、区内全域の中小河川流域の低地・谷地地形での浸水深を、降雨量・堤防決 壊などの諸要因により予測している。 これらの、ハザードマップに示された洪水予想範囲の確認と、羽田七福いなりの位 置関係についての現地調査をしたところ、以下のような特徴のあることがわかった。 まず、「中小河川版」では、羽田地区の北部1km 付近を東流する呑川と、その支流 に当たる細流を対象とし、氾濫した場合の浸水深が予測されている。 その浸水深の予測と、七福いなりの配置関係をみれば、第五番の鴎稲荷神社が水深 0.5m以下の浸水深予測地帯内に建立されている以外は、番外の玉川羽田辯財天を含め た7社すべてが、水深0.5mまたは1mの浸水予測地帯を取り囲むように建立されてい た。
いっぽう、「多摩川版」では羽田地区を流域左岸とする多摩川の氾濫を想定した浸水 深が予測されている。ここでは、羽田地区の浸水深を①0.5m 以下、②0.5m∼1m、③ 1m∼2m、④2m∼5m の4段階に分けて予測している。 その予測と、七福いなりの位置関係を確認してみたところ、第三番の重幸稲荷神社、 第四番の高山稲荷神社、第五番の鴎稲荷神社、第六番の白魚稲荷神社が②の段階に、 それ以外の3社1番外の各社が、②と③の段階の境界域付近に建立されていた。 ハザードマップ各版の侵水深予測と、七福いなり各社の建立されている位置関係を まとめれば、表2の総括表のようになる(表2・図3・図4参照)。 表2 洪水ハザードマップからみた「羽田七福いなり」総括表 筆者作成 番号 名称 中小河川氾濫 多摩川決壊時(下記注) 備考 第一 東官守稲荷神社 ②と③の境界 線に位置 1917年の東京湾台風の水害のため遷座・再建された。 第二 妙法稲荷神社 ②と③の境界 線に位置 創建の由来は、洪水防止の祈願。 第三 重幸稲荷神社 ②に位置 第四 高山稲荷神社 ②に位置 1929年に、多摩川の築堤工事実 施のため現在地に遷座・再建。 第五 鴎稲荷神社 ②に位置 第六 白魚稲荷神社 ②に位置 第七 穴守稲荷神社 0.5m以下の浸水 深地点に位置。 ②と③の境界線に位置 創建の目的は、新田開発に伴う築提の、浪害による穴を守るこ とに由来する。 番外 玉川羽田辯財天下宮 ②と③の境界 線に位置 注)多摩川決壊時の浸水深記号:①0.5m 以下、②0.5m∼1m、③1m∼2m、④2m∼5m 以上のことから、羽田七福いなり各社は、何らかの形で浸水域を取り囲む配置で建 立されていることが分かったが、その理由としては以下の2つのことが考えられる。 1つは、過去に羽田地区が洪水による浸水を受けた際に、洪水被害に対して宗教的 に対応するために、浸水被害を受ける場所の守護を意識した社殿・小祠の建立を行っ たことである。こうした考え方に基づき建立されたのは、第二番・妙法稲荷神社と第 七番・穴守稲荷神社である。 ただし、穴守稲荷神社については、現在の建立地が羽田空港の GHQ による接収に ともなう遷座で、創建当初の創建由来である水害回避とは異なった価値観による再建 が行われている。しかし、接収という外的要因による遷座・再建が行われたにもかか わらず、結果的には現在の羽田地区において、水害からの回避を意識した場所に建立
されていることは興味深い事実である。 2つは、直接的・間接的な水害による浸水の影響で、遷座・再建されたケースであ る。このケースには、第一番・東官守稲荷神社、第四番・高山稲荷神社の2社があげ られる。この2社は、実際の浸水等の水害の影響を受けたことから、水害を受けにく い地形や土地条件を選定し、遷座・再建された可能性があると考える。 図3 「大田区ハザードマップ中小河川版」からみた「七福いなり」 図4 「大田区ハザードマップ多摩川版」からみた「七福いなり」
注)図2と図3に表示した①から⑧の番号は、「七福いなり」を示す。 地図・凡例は、大田区洪水ハザードマップを転写・加工。大田区防災課承認済み 表3 地図上の表示番号 筆者作成 地図上番号 名称 ① 東官守稲荷神社 ② 妙法稲荷神社 ③ 重幸稲荷神社 ④ 高山稲荷神社 ⑤ 鴎稲荷神社 ⑥ 白魚稲荷神社 ⑦ 穴守稲荷神社 ⑧ 玉川羽田辯財天下宮
4.まとめ
ここで、本報のまとめと今後の課題について述べることにしたい。まとめは、土地 環境と自然災害の特徴を意識した信仰的対応や社殿配置、時代推移に伴う信仰的内容 の変化の2つの観点から行う。まず、土地環境と自然災害の特徴を意識した宗教的対応や社殿配置の関係であるが、 ここでいう信仰的対応とは、①神体の勧請による水害回避、②水害に被災したことを 契機とした遷座・再建のことを指す。 そして①と②の信仰的対応について、「羽田七福いなり」各社の位置関係を土地環境 との対比の中でみるとき、多摩川の河口部と東京湾に囲まれた低地という、羽田地区 特有の土地環境に即した位置関係にあることが判明した。 このことは、羽田地区の主な自然災害である水害からの回避を意識した上で、現在 の「七福いなり」各社が、水害の発生可能性のある範囲と、人間の生活や生産活動の 範囲が接点をなす限界線を中心に建立されてきたことを意味する。 この限界線は、等高線上の地形の変化を示す境界線でもあるが、「大田区洪水ハザー ドマップ」の、浸水地域や浸水深を表示した、被害想定区域の境界線ともほぼ一致し ている。 このことから、「羽田七福いなり」各社は、水害からの回避を意識した場所に稲荷神 社を建立し、水害に対して神からの守護による回避を目論むとともに、人間の生活や 生産活動に水害の影響のある限界線に対して、一種の結界を形成していることが考え られる。 ただし、「羽田七福いなり」各社が建立されている場所は、現在でも洪水被害が発生 した場合、被害程度の段階を分ける位置にあり、洪水被害に対する一種のランドマー クの役割も果たしている可能性もあると考える。 次に、時代推移に伴う信仰的内容の変化について述べる。考察でも触れてきたよう に、「七福いなり」各社のご利益の内容は、時代とともに変化している(表4参照)。 このように、ご利益の内容が変化した原因には、時代の推移に伴う産業構造の変化 にともなう価値対象の変化と、治水対策の充実による自然災害の防除の2つの要素が 考えられる。 産業構造面では、1960年代後半までは羽田地区がノリ養殖と漁業を主産業とする場 所であったものが経済成長に伴い衰退し、現在は一般的な市街地・住宅地に変化して いることがあげられる。 また、治水対策の充実の面からみれば、洪水などの水害の発生頻度が大幅に減少し、 宗教的対応により水害からの守護を得る必要性が低くなったこともあげられる。 このため、現在の「羽田七福いなり」が創建された当時のご利益が、漁業にかかわ る祈願や自然災害回避にかかわる祈願であったのに対して、現在は一般的な現世利益 の祈願に変化していることが考えられる。 さらに、今後の課題について触れてみると、本報でも考察してきたように、かつて の羽田地区では水害発生に対して、稲荷神社の創建という宗教的対応により回避しよ うとしてきたことが明らかになった。
次の段階では、羽田地区に隣接する六郷・大森東地区と、多摩川右岸の川崎市川崎 区での比較を行い、土地環境と自然災害の特徴を意識した、宗教的対応がどのように 結びつくかについて課題として考究を継続する。 表4 七福いなりの創建時・現在のご利益 筆者作成 番号 名称 創建当初のご利益 現在のご利益 備考 第一 東官守稲荷神社 海上安全 身体安全 水害により遷座・再建 第二 妙法稲荷神社 洪水復興 招福厄除け 水害あり 第三 重幸稲荷神社 五穀豊穣・田畑守護 開運長寿 第四 高山稲荷神社 不明 学業成就 堤防増強による遷座・再建 第五 鴎稲荷神社 豊漁祈願 開運招福 第六 白魚稲荷神社 豊漁祈願 無病息災(報恩感謝) 水害あり 第七 穴守稲荷神社 浪害守護 諸願成就 浪害(水害)あり 番外 玉川羽田辯財天下宮 不明 金運成就
5.謝辞
本報作成にあたり、東京農業大学名誉教授杉浦孝蔵先生には、終始ご指導賜りまし た。大田区役所地域振興部防災課からは、洪水関連資料のご提供および地域の防災情 報についての、聞き取り調査にご協力いただきました。穴守稲荷神社からは、地域の 宗教関係の資料をご提供いただきました。中央学術研究所所員西康友氏には、考察の まとめ方についてのご助言と、図版作成へのご協力をいただきました。 記して、厚く御礼申し上げます。 (注記) ① 本文中の年代表記は、西暦を基本としたが、神社・小祠の創建、災害発生の記録 など歴史的背景のある事柄については、西暦と元号を併記した。 ② 「羽田七福いなり」の表記は、現在の巡礼コースの名称にしたがって「いなり」を 用いたが、個々の神社・小祠の名称については「稲荷」を用いた。 〈文献〉 ・穴守稲荷神社(2008):穴守稲荷神社史:穴守稲荷神社:pp.1 97 ・ 深田伊佐夫・三阪和弘(2003):保護されるべき自然環境に勧請される神仏:中央学 術研究所紀要第32号:pp.140 143 ・ 深田伊佐夫・三阪和弘(2005):急傾斜地崩壊危険区域における社寺配置と斜面崩壊に関する一考察:中央学術研究所紀要第34号:中央学術研究所:pp.79 95 ・ 深田伊佐夫・三阪和弘(2005):住民の生活と河川環境にかかわる神事・祭礼に関す る考察:社叢学研究第3号:pp.28 37 ・ 北原糸子(2007):歴史の中に見る教訓―大正6年(1917)東京湾台風が生み出した 関東大震災対応―:広報 消防基金:pp.13 16 ・長島保監修(1997):ニヶ領用水四百年:神奈川新聞社:pp.1 75 ・ 大田区史編纂委員会(1983):大田区史(資料編)民俗:東京都大田区:pp.4∼5、 298∼333、628∼644 ・大田区史編纂委員会(1996):大田区史(下):東京都大田区:pp.26∼29、118∼123 ・大田区広報公聴課(2008):大田区地図帳:東京都大田区:pp.37∼44 ・大田区郷土資料館(2008):大田区古墳ガイドブック:東京都大田区:p.68 ・大田区教育委員会(1997):大田区史跡めぐり:東京都大田区:p.68 ・ 大田区史事典作成グループ(2004):大田区の神々とお社:大田区史事典作成グルー プ:pp.66 79 ・ 大田区史事典作成グループ(2006):大田区の仏様とお寺:大田区史事典作成グルー プ:pp.41 43 ・ 大田区教育委員会(1971):大田区の文化財 第7集―大田区の神社―:大田区役 所:pp.112 137 ・ 大田区教育委員会(1972):大田区の文化財 第8集―大田区の寺院―:大田区役 所:pp.16 20 ・大田区防災会議(2010):大田区地域防災計画資料:pp.402 41 ・ 岡本勝久・遠藤邦彦・清水恵助(2008):東京湾北西部域、東京国際空港(羽田)付 近の沖積層と古環境:日本大学文理学部自然科学研究所紀要 No.43:日本大学文理 学部自然科学研究所:pp.337 345 ・ 大熊孝(1988):平凡社自然叢書7 洪水と治水の河川史―水害の制圧から受容へ― 平凡社:pp.9 138 ・ 東畑郁生・島田俊介・米倉亮三・江本康弘(2010):地震と地盤の液状化―恒久・本 設注入によるその対策―:インデックス出版:pp.1 44 ・ 東京都土木技術支援・人材育成センターHP http://doboku.metro.tokyo.jp/「東京の地 盤 Web 版・大田区」の項:東京都土木技術支援・人材育成センター ・山崎憲治(1994):年が阿多水害と過疎地の水害:築地書館:pp.15 48、93 157
〈資料〉 資料1 七福いなり以外の小祠等 筆者作成 番号 名称 形態 祭神・勧請対象 所在地 備考 A 福守稲荷 小祠 宇迦之御魂命 羽田6 個人邸と近隣住民の守護 B 五十間鼻無縁仏堂 小祠 十界曼荼羅(日蓮系 の勧請形態) 羽田6 第2次世界大戦戦死者・多摩川水死者の慰霊 C 別所御旅所 標柱 牛頭天王に由来 本羽田1 D 具足功徳稲荷神社 神社 本羽田1 E 竹純稲荷神社 小祠 本羽田1 個人邸内勧請 F 藤崎稲荷神社 小祠 火伏せの神 羽田6 個人邸内勧請 G 稲種稲荷神社 神社 羽田3 H 教徳稲荷神社 小祠 羽田6 個人邸内勧請 I 眼守稲荷神社 小祠 羽田3 個人邸内勧請・眼病に利益 J 富貴稲荷神社 小祠 火伏せの神 萩中1 個人邸内勧請 K 宝玉稲荷神社 小祠 羽田1 個人邸内勧請 L 松巳稲荷神社 小祠 羽田2 *表中の番号は、アルファベットの整理番号を用い、備考欄には勧請形態と勧請主体について記載した。 資料2 七福いなり以外の社寺(神社) 筆者作成 番号 名称 形態 祭神・勧請対象 所在地 備考 神社59 羽田神社 神社 素盞鳴尊・稲田姫命 本羽田3 鈴木新田を浪害から守る目的 で創建された鈴納稲荷神社を 遷座・合祀。 神社61 中村天祖神社 神社 天照皇大神・豊受姫大神 本羽田1 神社64 水神社 神社 水波乃咩命 羽田6 玉川羽田辯財天の所在地 神社68 天祖神社 (萩中神社) 神社 天照皇大神・豊受姫大神 萩中1 東官守稲荷神社の所在地 * 表中の番号は大田区教育委員会(1971)の整理番号を用い、備考欄には自然災害による社寺への影響を中 心に記載した。
資料3 七福いなり以外の社寺(寺院) 筆者作成 番号 名称 形態 本尊・勧請対象 所在地 備考 寺院66 龍王院 寺院 薬師如来 本羽田2 玉川羽田辯財天上社の所在地 寺院67 報身寺 寺院 阿弥陀如来 萩中1 関東大震災被災・再建 寺院68 善永寺 寺院 阿弥陀如来 萩中1 関東大震災被災・再建 寺院69 延徳寺 寺院 阿弥陀如来 萩中1 寺院70 福称寺 寺院 阿弥陀如来 萩中1 関東大震災被災・再建 寺院71 妙覚寺 寺院 阿弥陀如来 萩中1 関東大震災被災・再建 寺院72 真光寺 寺院 阿弥陀如来 萩中1 寺院73 正覚寺 寺院 阿弥陀如来 萩中1 寺院74 福泉寺 寺院 阿弥陀如来 萩中3 寺院75 秀明寺 寺院 聖徳太子 本羽田1 寺院76 本住寺 寺院 十界曼荼羅 本羽田1 寺院77 本覚寺 寺院 薬師如来 本羽田3 寺院78 了仲寺 寺院 不動明王 本羽田3 洪水被害・再建 寺院79 長照寺 寺院 一尊両塔 本羽田3 洪水被害・再建 寺院80 久宝寺 寺院 阿弥陀如来 本羽田3 関東大震災被災・再建 寺院81 海岸寺 寺院 阿弥陀如来立像 本羽田3 関東大震災被災・再建 * 表中の番号は大田区教育委員会(1971)の整理番号を用い、備考欄には自然災害による社寺への影響 を中心に記載した。