「研究一
相良村西原遺跡で観察された地質構造について
1.はじめに
熊本県球磨郡相良村西原遺跡については,
平成7年11月13日に,相良村教育委員会の 依頼を受けて,トレンチ群の地質調査と出土 した石器類の岩石鑑定を実施した.その結果,
西原遺跡の表層下に分布する姶良火砕流堆積 層,即ちシラス層に階段状断層を主体とする 多数の小断層や小噴砂を伴う特異な摺曲構造 が存在することが認められた.
その後,平成8年2月8日に,相良村教育 委員会学芸委員出合宏光氏から,新しいトレ ンチに巨大な噴砂と思われるものが出現した との連絡を受け,現地に赴いた.そこで,堆 積層を切断して下方から上方にラッパ状に広 がる大きな粘土脈の存在を見て,出合氏同様 の判断を下した.
更に2月18日に噴砂現象に詳しい鹿児島 県立串木野高校教諭成尾英仁氏の遺跡への訪 問があり,調査検討の結果,大型粘土脈は噴
原 田 正 史 砂現象の一種であり, 巨大噴砂出現 とし て新聞紙上に大きく報道された.
ところが,その後の粘土脈基部の掘り下げ や,問題解明のためのトレンチの新設等が実 施されたことから,再度その粘土脈を詳細に 観察する機会があった.その結果,粘土脈は 噴砂ではなく,むしろ断層破砕帯として把握 するのが妥当であろうとの判断に達した.そ
こでこの断層を 西原断層 と命名した.
然しながら,この 西原断層 も,粘土脈 が下位に存在する粘土層の上昇によって形成 されていることを確認するため実施された,
4mを超える深部掘削によって,旬日の内に その命脈を完全に絶たれる運命にあったので した.深部掘削によってその全貌を露呈した 粘土脈の実態は,第2図に示されるように,
下底を細脈状に側方へ延長させた後,本体シ ラス中に完全に消滅しており,噴砂としても 勿論のこと,断層としての構造も全く保持し
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第1図西原遺跡の位置
写真−1西原遺跡の全景
写真−2西原遺跡における露頭断面
(写真−1の右方向から撮影 ていなかったのである.
当初,粘土脈を噴砂と誤認したことについ ては,遺跡下部のシラス層中の広範囲に小噴
砂が散在していることの認識があったことや 用件のために人吉へ赴いている途中だったこ ともあって,トレンチ内部へ降りての観察を 省略して,トレンチ上部から露頭をのぞき込 んだだけの判断であったことに起因する.大 変ご迷惑をおかけしました関係者各位,特に 出合宏光氏に陳謝申し上げる次第である.
西原遺跡の発掘によって明らかになった地 震によって形成されたと考えられる地割れを 主体とする構造は,球磨地方で初めての発見 であると思われる.また共存的に存在する階 段状断層を主体とする小断層群を伴うドーム 状摺曲(仮称)は,高原(たかんばる)丘 陵地の高位段丘に分布するドーム状摺曲,即 ち新期層摺曲としては日本唯一と判断される 高原摺曲と一連のものである可能性が高いも のと考えられる.
以下,その実際について記述し,考察を試 みることにする.
2.西原遺跡の地層について
西原遺跡の地層は,下方の比較的厚いシラ ス層と上方の比較的に薄いシラス被覆層とに 大きく二分される.シラス被覆層は発掘作業 に伴ってその殆どが除去されていて,実態の 正確な把握が不可能であるため,出合氏の調
褐色粘土質土層
第2図大型切断粘土脈断面図
査区分に従っておく.
出合氏によれば,基本的に上方から表土層,
アカホヤ層,黒色士層.褐色粘土質土層,黒 色砂質土層と整合状に成層し,黒色土層には
縄文早期の遺物が介在されており,また褐色 粘土質土層と黒色砂質土層からは多数のシラ ス粒子が検出されたとのことである.
更に,出合氏は,褐色粘土質土層を隣接す
第 3 図 ド ー ム 状 摺 曲 模 式 図
〆 /
霧I天ルフ
一
雲 鱗
N面 ‑s面
シラス噴砂
i S L ^
溌
E面
第4図1号トレンチ側面図(上部シラス)
る山江村狸谷遺跡の狸谷Ⅱ文化包含層(約 1.5万年前)に対比している.シラス層は,
基本的に上方から黄色シラス層(1〜2m), 粘土シラス互層(0.5〜1m),上部シラス層 (1〜2m),本体シラス層(約10m)に区分さ れている.各層の殆どが堆積後の変動を受け ていることから,本来的な整合状の成層構造 を喪失しているばかりでなく,流水作用に伴 う削剥や二次的堆積などが部分的に生じてお り,黄色シラス層が直接本体シラス層に乗っ たり,黄色シラス層或いは粘土シラス互層が 完全に欠除しているなど,目まぐるしく変化 する複雑な堆積構造を呈している.
また,黄色シラス層,粘土シラス互層,上 部シラス層の各層は,明瞭な成層構造の存在 から二次シラスであると考えられる.これに 対して本体シラス層には鮮明な成層構造が存 在せず,一次シラスとして誤認される恐れが ある.然し注意深く観察すると,本体シラス 層内部にも,粘土交じりの部分が極めて漸移 的ながらレンズ状乃至薄層状の形態を呈して 介在するのが認められ,少なくとも西原遺跡 に露出した本体シラス層上部に限っては 一 次シラスでないと判断される.
公轟
なお,ボーリング調査によって,本体シラ ス層の下部に洪積含喋粘土層の存在が認めら れている.
3.ドーム状摺曲(仮称)と階段状小断層群 西原遺跡の各トレンチの側面に露出する主 として上部シラス層に認められる4断層群は,
その殆どが摺曲に伴う階段状断層である.露 出が非連続的であり,小範囲に限定されたト
レンチであるために,ドーム状摺曲と階段状 小段層との一体的な関係を直接的に認識する ことは,高原摺曲による知見なしには到底不 可能であったと思われる.
第3図は,高原丘陵地に発達するドーム状 摺曲を模式的に描いたものである.図はドー ム状摺曲の頂部手前と左側端を切断している 訳であるから,実際には摺曲層のそれぞれが,
手前にも左側にも球面状を呈しながら垂れ下 がっている.
第4図は,具体例としての1号トレンチの カット面スケッチである.また,第5図は,
黒色粒状物を介在するシラス層によって,摺 曲構造の存在を直接的に認識することが可能 な1号トレンチの平面見取り図である.1号
●
第5図1号トレンチ平面見取図
4.噴砂構造について
西原遺跡において認めれる明瞭な噴砂は,
上部シラス層に数多く存在する4哨砂であり,
通常指状を呈する幅1cm,長さ数cm程度の 大きさのものであるが,中には幅数cm,長 さ10cm程度の大きなものも存在する.噴砂 は,周辺シラスより粗粒のシラスの集合体で あったり,或いは粘土交じりのシラスであっ たりするために,容易に識別される.
第7図は,9〜26号トレンチに認められる 噴砂状構造とでも呼称すべき構造である.勿 論,噴砂状構造といった変な表現をとらざる を得ないのは,噴砂とういう用語そのものに 表現上の欠陥が存在するからである.現実に 地震活動に伴って下方から上方へ流動上昇す るものは,砂だけに限定されたものではない.
少数例であるとしても,磯もあれば粘土もあ る.今では,噴砂現象は広い意味で使われて おり,噴上体とか噴流体とかいったような,
実際に適合した用語に改める必要があると考 える.
カット面では,下方に粘土シラス互層が位 置し,これに漸移状の接触関係を持つ黄色シ ラスが乗っている.粘土シラス互層では,下 部の粘土層がその上のシラス層を切断して上 昇し,一段上の粘土層に接続している.切断 された粘土層は変形移動し,上昇部の粘土層 トレンチの小断層群の中で明らかに逆断層と
認められるのは,E面の1本だけであり,そ の他のものは全て正断層と推定されるものば かりである.E面では,10個ほどの小噴砂 が認められ,その一つが逆断層を切断した状 態で存在している.壁面カット後の崩落によっ て本来の形状が完全に保持されておらず,確 実性に欠ける点もあるものの,小断層と小噴 砂との前後関係を示す事実として重要である.
第5図から読み取れる摺曲構造(平面的に は湾曲構造)は,直線的な帯状構造と交錯し て切断されており,実際の地質構造が複雑な 応力のもとで形成されたものであって,単純 簡明なものではないと思われる.
第6図は,9〜26号トレンチに分布する小 断層群の中の主要な断層の走向,傾斜を測定 したものである.東西方向に伸びる壁面では,
東側落ちの南北系段層の発達が顕著である.
また南北方向の壁面では,南側落ちの東西系 断層の発達が顕著である.小断層群における 南北系断層と東西系断層の顕著な発達傾向は,
他のトレンチにおいても明確に把握される.
人吉盆地を支配する基本的な構造方向である 東北〜南西方向の断層系の発達が顕著でない ことについては,本地方の新期層摺曲を考察 する上で大変注目される事実である.
3
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南面
第6図9−26号トレンチ側面展開小断層図
第7図9−26号トレンチ噴砂状構造図
一 一 ・
写真−3大型切断粘土脈
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