静岡大学教育学部研究報告(人文・社会科学篇)第58号(2008.3)21卜220
保育時間と保育内容の関連についての実践史的研究(2)
、1970年代における「延長保育」実践史料の収集及び分析の観点について〜
AHistoricalStudyontheContentsofExtendedDayCareinthe1970,S(2)
渡 連 保 博 Yasuhiro WATANABE
(平成19年10月1日受理)
211
1.はじめに
保育時間の問題は、保育研究の中核的問題の1つでありながら、その理論的・実践分析的研究はあま り多くはなくい。保育時間の長さは、親の労働や社会的・文化的活動、保育者の労働や家族生活、子ど もの健康や親子の家庭生活時間等に深い関わりを持つとともに、家族の生活のかなりの部分を含みこみ ながら保育目標・内容のあり方を大きく変えていくことになる○それにも関わらず、保育時間と保育内 容の関連についての研究があまりないのはなぜか。それは、これまでの保育時間研究の多くが、保育時 間が長いと子どもは発達上のリスクを抱えるという観点に立って行われてきたからであろう。問題とし ての「延長」「長時間」保育というとらえ方では、その保育内容のあり方を積極的に検討していくこと にはなりにくいと思われる。近年の欧米での研究も、保育時間の長さを子どもの発達のリスク要因とみ なしていた。
しかし、安梅勅江らは(2004)、夜間保育児に象徴される(超)長時間保育児の大規模な追跡的研究によ って、保育時間の長さと発達上のリスクは直結しないことを明らかにし、そのリスクの低減を可能にし ているかもしれない園の保育の質に注目した。また、保育時間問題に関心を寄せてきた清水民子(2006)
は、近年の(超)長時間保育実践の進展を踏まえながら、乳幼児の24時間の生活構造と保育のあり方に関 する発達研究を行った。
保育時間と子どもの発達の関連についての実証的な研究が一定の進展を見せてはいるが、保育時間と 保育内容の関連についての研究、特にその歴史的・実践史的研究は、まだほとんど手つかずの状況であ
る。そのために、今日の(超)長時間保育実践をめぐる保育目標・内容のあり方は、現場の模索に委ねら れた格好である。また、近年問題になった「総合施設」「認定こども園」の保育時間・内容意識をどう 考えるかという点でも、理論的・実践的混乱が続いている○つまり、原則の保育時間が違う幼保2つの 保育を一体化し、午前中の4時間を「共通の教育時間」として位置づける保育時間・内容意識をどう考
えるかという点での混乱である。
しかし、1960年」970年代にかけて、保育時間の延長がその是非論を検討する段階から実施の段階に 入っていった保育現場では、その保育目標・内容のあり方についての検討を開始し、試行的な実践を行
う保育園が増えていった。その経過、成果と問題は、連年開催された民間の保育研究団体の集会要綱・
報告書、保育研究運動団体の機関誌などに報告されている○にもかかわらず、保育時間と保育内容の関 連についての歴史的・実践史的研究が少ないのは、必要悪としての「延長」保育という保育研究者の認 識によるばかりではなく、その研究方法上の問題もあったからではないか。特に、保育時間と保育内容
の関連を見る上で取りあげるべき史料は何かということと、その分析の観点がはっきりしていなかった ためではないか。本研究は、この点の検討を目的にしている。
2.集会要綱・報告書及び機関誌の論稿の史料的価値と限界
①保育時間研究にとっての史料的価値と分析の観点
・その史料的価値
保育時間の延長に伴う保育目標・内容の検討とその試行的実践を紹介してきたのは、当初から「保育 時間」分科会を設置して延長保育のあり方を議論する場を提供してきた仝国民間保育団体合同研究集会
(1969年に第1回開催、第4回から全国保育団体合同研究集会)の「要綱」「報告書」,延長保育問題を
「保育所存在の原点を再確認」する最重点課題に位置づけ議論と模索を続けてきた民間保育研究団体の機 関誌『関西保育問題研究』(第104号から『大阪保育問題研究』)、及び『さんりんしゃ』(三多摩公立保 育所連絡会)である。
これらの要綱・報告書・機関誌に載った報告は、以下のような内容であった。つまり、(a)保育時間の 延長をめぐる保育関係者の議論の紹介、制度化を求める運動の展開と課題、研究者からの問題提起。(b)
「延長」を必要とする親の就労状況と時間延長要求、保育時間の実態に関する調査報告。(C)保育時間の 延長の実施状況(各自治体の制度化の実態と条例、実施箇所数、開所時間、超勤・変則の勤務体制と勤 務時間意識、保育者の労働時間、職員の健康と疲労・職業病など)の紹介、(d)実施園における保育目 標・内容(「延長保育」のスペースや遊具も含む)の検討と試行などであった。
いずれも保育時間の延長を実施した、あるいはその予定をしている全国の保育園の関係者(保護者会、
保育者、行政担当者、保育運動家、保育研究者)からの報告であり、当時のわが国の保育時間と保育内 容に関わる意識と実践の分布状況をうかがう上で、価値ある史料といえる。
しかも、これらの報告の内容は、上記の(a)から(d)へと多岐にわたっている。このことは、保育時間 延長と保育内容の関連を実践史的に検討するためには、相当に広範囲な史料の収集と分析が求められる ことを示唆している。
・史料分析の観点について
収集が必要なものの1つとして、保育時間延長を求める親のニーズに関する史料をあげることができ る。保護者と子どものニーズがないのであれば、保育時間を延長する必要はないからである。また、保 育時間延長のニーズがあるということは、1つの事実ではあっても価値ではない。そのニーズ実現の是 非、保育所保育にとっての価値をめぐって「社会政策論争」が起こる。この論争に関わる史料も検討の 対象となる。さらに、保育ニーズは、顕在的であるばかりではなく、潜在的でもありうる。あるいは、
保育ニーズが顕在的であっても、保育関係者の目にはなかなか見えないということも起こりうる。保育 ニーズがみえないのでは、時間延長に向けた保育者側の動きは出てこない。
保育関係者の目に親の時間延長ニーズが見えにくかったのはなぜか。上記の史料及び関係者への聞き とりによれば、以下のような要因が考えられる。つまり、(a)保育所保育をめぐる行政の立場や意識
(「保育所は必要悪」「保育所は救貧施設」)、(b)女性労働の見方(「性別役割分業観」「子どもがかわいそ う」)、(C)一面的な労働運動論(婦人の労働権・時短が先決という理念的・空想的テーゼを主張し「働く 婦人」の実態をみない)、(d)保育労働者の労働観や仕事の仕方(公務員という雇われの身で「上」のいう 通りに対応する/一般の公務員と同じ勤務時間で仕事をし「延長」時間には関与しない/福祉労働の勤務 形態を考慮できない)、(e)保育者の労働条件(保育・労働条件が厳しく、父母の要求が職員の自分たち
保育時間と保育内容の関連についての実践史的研究(2) 213
の勤務条件の悪化を招き、両者の利害が対立する)、(f)保育ニーズの実現をめざす保育運動が困難(運 動しても要求が実現しない等)、(g)職員の自主的な立場が末確立(全職員が参加する職員会議があり問 題解決の方向を主体的に探れるかどうか等)、(h)親とのつながり(PTAの有無/送迎時のパートによる 保育/日々の連携・連絡が不十分/要求実現のための協働体制の有無)などの要因である(蔵持康子 a,2006年3月16日)。
このように、保育時間の延長を求める親のニーズが保育関係者に見えていたかどうかということ1つ をとってみても、多面的な分析が求められるのである。
②保育時間と保育内容の関連についての研究史料とは
・少ない保育内容関連の史料
ところで、先の要綱・報告書・機関誌などに載った報告は、「延長」保育の内容にかんする現場のチ ャレンジも紹介していた。先の保育時間延長に関わる制度や運動の報告に比べると、その数は少ない。
その中身は、(a)時間延長と保育目標・内容のあり方に関する研究者の問題提起、(b)夕方を中心とした
「延長保育」の実態と工夫(夕方の子どもの人数、「合同保育」「テレビ保育」などの保育状況、あまり に低い「保育の質」についての問題提起、夕方の生活・遊びと異年齢保育、子どもの空腹とおやつのあり 方など)についての報告であった。それだけに、この1つ1つの報告は、時間延長に伴う保育内容の模 索を示す貴重な史料となりうる。
・なぜ史料が少ないのか
保育時間の延長にともなう保育目標・内容の模索を示す史料が少ないのはなぜかということは、重要 な検討課題の1つである。この点については、いくつかの事情が考えられる。
その1つは、「延長保育」実践は、8時間(原則の保育時間)外の実践として位置づけられることが多か ったからである。つまり、主に夕方からお迎えまでの時間帯の保育、「待ち時間」「時間外保育」「居残 り保育」として制度化されたからである。いわば「付け足しの時間」の保育であったために、保育者が 記録をつけ意識的に保育をふりかえることはなかったのではないか。
もちろん、この時間帯の保育を「付け足し」にしてはならないというのは、「延長」に踏み切った保育 者たちの願いであった。しかし、その実施条件は厳しく、パート制による「延長」保育が圧倒的であっ た。たとえば、1974年という時点で、朝夕に正規職員を配置した「長時間保育」を実現していった鳩ヶ 谷市の公立保育所でも、そこに至る経緯をみる限り、パート職員が「長時間保育」の記録を書くことは なかったようである。その間の事情を、簡単に紹介してみよう(鳩ヶ谷に咲いた子育ての輪がめざすも の編集委員会+垣内国光、1987)。
鳩ヶ谷市では、職員・親の自主努力によって実施してきた「長時間保育」(5年間)を、1967年に制 度化させ、パート2名による夕方16時30分→8時30分の保育を実現させた。しかし、このパート職員の 身分は不安定であり、低賃金で交通費もなかった0しかも夕方2時間半のみという雇用の仕方だったの で、なかなか人が見つかりにくかった。有資格者は皆無だった。もっと割のいい仕事が見つかればやめ てしまうし、「そのたびにまた一からパートの職員と(正規職員との)チームワークをつくって」いかな ければならなかった。パート職員は、こういう悪条件の中で、しかも日中の保育の流れを全く知らずに 保育にあたらざるをえなかった。また、保育の専門家でもないのに『絵本を読んでほしい』『子どもと いっしょに遊んでほしい』など、あれこれいわれるのは「迷惑なこと」であったという(蔵持康子 a,2006)。こうして、「保育の一貫性が4時30分を境にして分断され」てしまったのである。こういう状
況を考えれば、パート保育者が「延長」保育の記録を書くことはなかったように思われる。
では、正規の保育者なら、この時間帯も含む保育の記録を書き残せたかというと、そう単純にいうこ とはできないだろう。そもそも保育記録が書けるということは、勤務年数と経験の蓄積があってのこと である。全般的に見て、当時の保育者たちの勤務年数は、あまり長くなかったといわれるが、そのこと
と記録する力量との関連を精査してみることも必要だろう。たとえば、1960年代から70年代にかけて、
保育者はきびしい労働条件の中で仕事をし、「全くの肉体労働者」といわざるをえない実態があった。
いくつかの調査では、勤務年数は公立でも平均2.6年あるいは平均1.5年といわれ、「仕事に疲れて」やめ ていく保育者たちが多くいたという。ある私立保育所の場合、経験年数4年以下が「圧倒的」(14人中11 人)であった。それだけに、「保育」者・「教育」者として自分たち仕事の意義を確かめ、また力量を 高めたいという願いは切実であった(渡遵保博,2006)。
あるいは、「長時間保育」の記録が少ないというけれど、そもそも記録する時間があったのかという問 題もある。というのは、当時も今も、保育者の労働時間は、そのすべてが保育時間であり、保育の計
画・記録に必要な時間は労働時間に含まれていないのである。つまり、「延長」時間帯も含め、保育の実 践を記録する条件がないのである。
以上のことは、保育者が「延長」保育を記録する力量・条件を持っていたのかという問題である。しか し、記録が書かれたとしても、その保管・保存がどうなされていたのかという問題もある。先のような 経緯を経て、1974年4月から、朝夕の時間帯にも正職員を配置した「長時間保育」をスタートさせた鳩 ヶ谷市の公立保育所ではあったが、保育記録の保存もなかなかむつかしかったようである。同市におけ る「延長」保育を推進した蔵持康子は、その間の事情を次のように語っている(蔵持康子b,2006)。つ まり、鳩ヶ谷では、1962年に創立以来、「延長」保育を一貫して行い、その経過をまとめた単行本も公 刊している。ただ、本の作成過程で史料を処分しており、「一部(「公立保育所PTA合同ニュース、1979 年3月27日」「市役所職員組合保育所部会、1979年3月27日号」等)しか残っていない」という。職員会 議の記録も「全然ない」。デイリーなどの計画については、「立ててはいましたよ。ありましたよ。でも、
とっておこうという発想がなかった」。正規・パート職員間の「(夕方の保育の)連絡ノートは、今でも 目に浮かびますけど、これも誰がどこにやっちゃったか。私は、若い立場だったから、管理もしてませ んでした」という。夕方の保育内容の記録も「ない」。
職員会議の記録・デイリーなどの計画・連絡ノートは保管義務のある公的記録であったかどうか、そ の保管責任者・期間はどうなっていたかということも調べてみる必要があるが、鳩ヶ谷に関する限り、
「延長」保育関連の記録は作成されたが、その保管・保存は十分ではなかった。そのために、保育時間の 延長に伴う保育目標・内容のあり方に関する記録は、少なくなってしまったと思われる。
・要綱・報告書・機関誌などに載った提案や実践記録の史料としての限界
さて、要綱・報告書・機関誌などに載った「延長」保育に関する提案や実践記録は、分科会提案ある いは機関誌への投稿記事という制約もあってか、夕方の「延長」保育を中心にしたごく簡単で断片的な 実践の紹介にとどまっていた。また、これらの提案は、その年の研究集会における1回限りの発表に終
わるケースが圧倒的で、その後の展開は不明であった。
保育実践がある変容を遂げるのには、相当の年数の積み上げが必要であり、3年後あるいは10年後に なってその変容が構造化されていくといえる。しかし、「延長」保育実践の変容過程を継続的に追った 提案や実践記録はなかったのである。
また、研究集会での議論をまとめた報告書は、各地の「延長」保育の模索と参加者の議論を紹介して
保育時間と保育内容の関連についての実践史的研究(2) 215
おり、そこから実践の展開を推察できる場合もあった。しかし、報告書には執筆者の観点が入り込むた め、発表者や発言者の趣旨とズレた内容になっていたり、事実誤認もあったりした。その点で、この報 告書は、実践の実態に迫る上では、二級史料にすぎなかった。また、「保育時間」分科会の司会をつと めた当事者への聞きとりも行ったが、当時の実践提案の内容と議論について「はっきりした記憶がない」
という。
「延長」保育実施にいち早く取り組んだ民間の保育研究運動団体の要綱・報告書・機関誌に載った提 案や実践記録ではあったが、保育時間の延長に伴う保育目標・内容の変容過程を追うには、史料的な限 界もあったといえる。
3・「延長」保育実践分析のキー・コンセプトと園を単位とした実践史料分析の必要性
①要綱・機関誌に載った提案・実践記録と「延長」保育実践分析のキー・コンセプト
このような史料的限界にもかかわらず、これらの提案や実践記録が、保育時間の延長に伴う保育目 標・内容の変容過程を実践史的に考察する上で、非常に重要な1つのキー・コンセプトを提示していた ということに注意しておきたい。つまり、これらの提案や実践記録は、「延長」保育の関係者の中に、
「午前中に重点をおく」保育からの脱却という問題関心が共有されつつあったことを示していたのであ る(渡連,1998)。たとえば、何人もの保育者が、「設定保育に重点がおかれている」保育を克服しなけ ればならないことを自覚し始めていた。あるいは、「保育時間は短ければ短いほどいい」という「短時 間保育主義」や「(保育時間が)短ければ『教育』的である」かのような見方と対決し、「保育時間全体
(時間外保育を含めて)の中味を充実」させようと努力していた。そういうことが、これらの提案や実践 記録からはっきり読み取れるのである。
②岡田正章の分析とその問題点
保育関係者の中に、「短時間保育主義」というような保育時間意識が広範にあったということについ ては、岡田正章も指摘していたところである(渡通,2003)。岡田は、保育関係者を対象にして「保育施 設の在り方に関するアンケート」調査研究(1968年)を行い、その結果を次のように分析した。つまり、
全般的にみて、保育所職員は、ほぼどの年齢についても「1日四時間ないし年長の幼児で五時間程度が 適切な教育時間」と考えていたと(岡田,1970)。
保育時間と保育内容の関連を実践史的に検討する場合、このような「教育」時間意識に注目する必要 があるといえる(表1参照)。たしかに、年齢別の回答で「適切」と考える割合がもっとも多い時間に 注目すれば、岡田の指摘どおりである。しかし、公私の保育団体別に見た時、回答の傾向にはかなりの バラツキがあった。たとえば、全国私立保育所長の場合、4、5歳・5〜6歳では「7、8時間」がも っとも多く、他団体と比較してより長い時間を選択する傾向があった。
東京都公立保育所長や全国保育所保母会保母の場合、年令が上になるほど、「適切」と考える時間も 長くなる傾向があった。しかし、千葉県保育所保母の場合にはそういう傾向は読みとれなかった。つま り、0歳児の回答の最多は「0時間」、1歳児は「2〜3時間」、2歳児は「0、1時間」、3、4歳児は
「1、2時間」、4、5歳児は「0〜1時間」、5〜6歳児は「7、8時間」であった。
同一の年齢でも、東京都公立保育所長と全国私立保育所長では、回答の傾向に違いがみられた。4〜
5歳では、東京都公立保育所長は「3、4時間」、全国私立保育所長は「7、8時間」が最も多かった。
あるいは、東京都公立保育所長の回答は「3、4時間」の前後に、千葉県保育所保母は「0、1時間」
「5、6時間」「7、8時間」という3つの時間に集中する傾向がうかがえた。それに対して、全国私立
表l 適切な一日の教育時間(首分率)
幼 稚 園 職 員 内訳 保 育 所 職 員 内訳 要 言 芙 会
釈 幼
稚 同 職 員
保 育 所 職 員
保 育 学 会 々員
誓 / ク
区 / 回 回
分 寺 谷 等
数 分区
幼全 幼 芸 芸 主 著 耳
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幼 稚 聞郡 教 公 輸
保 育 所 葉 保 母 県
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母 国 青 田
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1 1 1 8 50
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3
6 1 6 1
6
0 0 〜 1 時 1 〜 2 時 2 〜 8 時 3 〜 4 時 4 〜 5 時 6 〜 6 時 6 ′−7 時 γ{′8 時 8 時 間 を越 え る
回 答 な し 0 歳 児 の
−日 の 教 育 時 間 4
1 0 1
7 5 3 0 0 0
9 3
1 1 8 1
6
3 3
0 0 1 7 9
8 9 1 1
5
4 5
4 9 6 3 5 4 2 1 1 6 4
8 8 5 9 3
4 3 12
6 7
0 1 5 2
1 0 1 8 5 4 0
30 5 4
2 0 2 3 1
0 0 0 1 5 5
1 0 9 3 2 0 0 2 5 6 3
3 6
1 0 1 0
8 7
7 6 4 3 1 3 1 5 3
1 4 1 5 5 3
2 1 1 5 7
琉 間
2 〜 3 時 何 章謂
8 時 間 を越 え る 回 答 な し
一■■■ 歳 児 の
−日 の 教 育 時 間
2 1 1 4 5 3 3 5
9 16 13 9 2 2 1 1 0 4 2 0 1 0 3 1 28 103 3 1 0 10
0 2 2 4 3 1 5 1 5 4 3 0 7
0 1 3 1 3 9 21 7 5 3 70
6 2 3 7 0 ■■■l
5 5 7 l 1 1 3 13 1 1 1 3 5 1 1 2 0 〜 1 時
1 〜 2 時 2 ′− 3 時 3 〜 4 時 4 〜 5 時
虎 児 の 日 の教 育 時 間
.■■ 丁 四 戴 児 の 一日 教の 書 時 間 四! 五 歳 児 の 一日 の 教 育 時 間 五
‡ 六 歳 児 の 一日 の教 育 時 間
9 4 6 9 1 7 1 2 2 1 9 6 8 1 8
7 3 5 6 7 9 1 9 5 8
1 1 2 3 5 7 5 2 7
1 0 4 1 0 1 2 1 4 1
1 0 6 4 0 0 4 2 嵩 瀾
0 1 1
1 1 4 1 1 0 3 1 7 ′〉 8 時 間
0 0 0 0 5 0 0 1 8 時 間 を越 え る
7 8 6 7 0 7 6 5 5 3 3 5 4 5 3 9 7 9 4 8 4 7 回 答 な し
… 召描 0 0 0 0 0 2 1 21
21 7 108 97 70 28
1 0
1 1 1 1 1 1
1 5 1 1
4 1 4 3 3
28 3
1 3 3 6
1 4
1 1 17
1 3
…≡ 瀾
1 8 4 5
2 0 79 3 1 8
2 34 4 1
1 93
1 2 32
0 0 3
2 1 1 0
26 8 4 6
2 董≡ 瀾
7 〜 8 時 間
0 1 0 1 1 8 時 間 を越 え る
3 1
5 8 13
7
0 9 10 1 1
15
17 14
2 14
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1 6 1 l 回 答 な し
腑 萱
0 18 6 3
1 1
7 0 2 5 2 0
0 0 〜 1 時 間
・ 1 ′− 2 時間
嵩 開
6 1 6 3 4 6 7 3 6 2 1 1 4 4 1 3 3 8 5 2 3 8
17 8 13 7 7 8 1 1 1 11 1 1 l 1 3 4 〜 5 時 間
3 0 0 1 2 8 1 3 3 5 1 1 4 …霊 謂
0 0 6 8 6 3 0 ・l 1
0 16 3 2 1
1 1 7 3 3 1 1
8 品 豊蓮 貿 る
0 1 1
4 14 1 10 2 6 2 6 6 13 1 1 4 回 答 な し
0 0 0 0 0 0
1 1 3 0 1 3 3 ・l 1 0 ′・■1 時
1 3 0 5 7 2 l 4 1 ′〉 2 時
2 〜 3 時
1 2 1 3 1 1 1 1
5 0 5 3 3 6 0 3 1 1 3 3 4 3 0 4 9 2 1 3 3 − 4 時 3 6 2 8 2 2 1 1 1 3 1 3 1 2 8 2 9 1 5 2 8 4 ′−5 時 5 〜 6 時
6 5 3 1 0 1 6 3 1
1 0 1 1 5 0 0 7 1 8 〜 7 時 間
1 0 0 2 1 2 6 3 1 5 1 7 〜 8 時 間
0 0 0 1 3 1 8 時間 を越 え る
4 16 1 6 1 1 2 6 2 5 7 1 2 2 1 1 1 4 1 1 3 回 答 な し
保育時間と保育内容の関連についての実践史的研究(2) 217
保育所長の回答は、各時間に分散していた。
さらに、「回答なし」が相当数あり、設問の妥当性が問われた。
たとえば、「保育施設での計画的組織的な教育のための時間」という設問は、多様な読みとりが可能で あり、そのために回答が分散したのではないかと思われる。あるいは、これは、幼稚園の「教育」時間
(原則4時間)をモデルにした設問のようである。実際、幼稚園入園年齢の3歳以上の場合、幼稚園職員の 回答は、「2〜3時間」「3〜4時間」に集中する傾向がはっきり見られた。その半面で、3歳未満の場 合には、「回答なし」が7割〜9割もあった。保育所職員の場合でも、三歳未満児については「回答な し」が3割程度から8割程度あったが、相対的にみて、幼稚園職員の「回答なし」の割合の方が高率で あった。つまり、この設問は、3歳未満児を保育することのない幼稚園職員にとって、回答することが 難しいように思われた。また、「教育」年齢に至らない三歳未満児を担当している保育所職員にとって も、回答しにくい設問であり、そのために、回答が分散したり「回答なし」が多くなったのではない か。
また、設問の仕方にも問題があった。というのは、「母親が労働などの理由で日中、家庭にいないた め、長時間(1日8時間位)保育施設で保育されることの必要な乳児・幼児がいます。他方子供の望ま しい発達のためには、1日のうち一定時間(通常半日程度)保育することが望ましいといわれています」と いう設問になっていたのだが、これは一種の誘導質問ともいえた。この設問は、多くの保育所職員に
「半日程度」、つまり4時間前後が「適切な1日の教育時間」であると回答させる誘因になったのではな いか。
ただ、設問の妥当性が問題であるとはいえ、保育団体別あるいは各保育団体内において、回答にこれ ほどのバラツキがあったということは、「適切な一日の教育時間」に関する保育者の意識を、1つの見方 や1つの代表値で捉えることは不適切だということを示しているともいえる。また、回答がこれだけ分 散したということは、「適切な一日の教育時間」に関する保育者の意識が多様であったことを示唆してい る。あるいは、全国私立保育所長の回答にみられるように、「短時間保育主義」や「設定保育に重点がお かれている」保育を克服し、保育時間の全体が「教育」時間であるとみなすような動きが生まれ、広が
りつつあったということもできる。
そもそも、「延長」保育は園を単位とした実践であり、職員の多様な意識のありよう、その対立と合 意とをふくみこんで、園ごとに多彩な展開をみせる。その点で、各園の「延長」保育実践は、その時代 の保育界の多様な意識と実践の1つの縮図ともいえる。したがって、全般的・代表的な保育・「教育」
時間意識に注目するだけではなく、保育時間の延長にふさわしい保育のあり方を探求していた園の実践 を探りあて、その史料を収集・分析することが大事であるといえる。そういう作業の積み上げによって、
同時代の、多様な保育時間意識、あるいは保育目標・内容のあり方の多彩な展開に迫ることができるの である。
4.園を単位とした「延長」保育実践分析とその視点
①園生活の全体を大事にする保育実践
園単位の「延長」保育実践史料を収集・分析するという場合、これまでの検討からわかるように、そ の対象となる実践は、「短時間保育主義」や「設定保育に重点がおかれている」保育の克服をめざした 園の実践ということになるだろう。
この点と関わって、当時の「延長」保育実践の進展に積極的な役割を果たした宍戸健夫(1975)は、次 のように指摘した。つまり、先の岡田の調査結果が示すように、「8時間ということをやむをえないも
のとしながら、『教育的』にはなるべく幼稚園の保育に近づけたいという意識が全般的に強く働いてい る」が、こういった保育時間・内容意識を克服するためには、「従来の狭い『教育』概念を克服」し、
「生活全体を学習の場として組織する」(宮坂哲文,1961)という「教育」概念に学ぶべきだと。
この提起に応える形で、「あらゆる時間帯の生活のなかに保育の意味をとらえ」ようとしていったの が、清水住子(1975,1976)を中心とするつくし保育園の保育者たちであった(中村君代,1976)。このつ
くし保育園という1つの園の実践記録を分析することによって、「設定保育に重点がおかれている」保 育を見直し、その転換を可能にした契機が何であったかが明らかになる。以下、簡潔に素描してみよ
う。
②つくし保育園における「生活」を大事にする保育の探求
つくし保育園が、「設定保育に重点がおかれている」保育を見直していくプロセスは、同園における
「延長」保育及び障害児保育の進展と切り離して考えることはできない。特に、障害児保育が与えた影 響は大きかったが、そこには少なくとも2つの契機があった。
その1つは、障害児が一番輝いているのは、設定保育や午前中の保育ではなく、むしろ給食以降の午 後の時間帯であるという事実に気づいたからである。たとえば、劣悪な保育条件ではあったが、園全体 で支えることを前提に、半日保育の形で重複障害児ユミちゃん(5歳児)を受け入れた。そのユミちゃ んが、「いちばん楽しそう」で「いちばん生き生きとする」のは「ひるね前のひととき」であったが、
そこでお迎えの時間になってしまう。「この時間帯が途中で打ち切られる」のは残念なので、1日保育 に移行し個別の取り組みもすすめていく中で、ユミちゃんは入園8ケ月で「歩いた!」のである。ある いは、自閉症児のヒロコちゃん(4歳児)が、「給食当番をした」「『オカアリ(おかわり)』っていった」
と園中にニュースをふりまいたのは、「ほとんど・・給食の場面の出来事」だったのである。
もう1つは、午前中の「一斉保育」に力を注ぐ保育が、障害児を「厄介者」にしてしまうという問題 に気づいたからである。というのは、クラスのみんなが「じょうずに絵をかいたり、合奏したり、体育 したり、文字をかいたり」できるよう「一斉保育」に力を入れていると、障害児はその「テンポ」にあ わず、「クラスの動きからはみ出」してしまう。そして、「部屋を出ていって、自分の思うところへどん どんはいって」行く。すると保育者は、「 あ、また来ている。帰ってね。 この子の先生なにしてるん やろ となりのクラスは合奏がじょうずだけど、私のクラスはあの子がいるし、調子があわないわ 」 などと思ってしまう。それでいいのか。「はみ出す子がいなくなってキチンと全員が揃うのをじょうず な保育」というのか。このように自分たちの保育の問題点を問いなおし、「クラスごとに競争」し障害 児を「厄介者」にしてしまう保育ではなく、園全体で障害児を支える保育をめざしていった。あるいは、
「障害をもつ仲間の子を切りすてることで、絵や合奏がじょうずになる保育」より「障害をもつ子も仲 間として楽しく生活する」保育、つまり「食べたり、寝たり、ケンカをしたり、泣いたり、笑ったり、
おしっこをしたりする生活そのもののなかで、人間としての気持ちの高まりや感動を育て上げる」保育 を志向していった。その過程で、「一斉保育のみに賭けて、午前10時から11時ころまでの時間に大半の エネルギーを費し、給食になったら、 ヤレヤレ、あとはひるねして、おやつを食べさせてさようなら でおしまい 」と考え、障害児を「はみ出し者」にしてしまうような保育をのりこえていった。
このような見直しと平行して、保育時間延長に伴う保育のあり方も、「生活そのもの」を充実させる という観点から模索していった。
清水住子らは、障害児保育のあり方を検討しながら、「一斉保育」に力を注ぐ保育を見直し、「あらゆ る時間帯の生活のなかに保育の意味をとらえ」ていったのである。そのことは、「延長」保育実践史を
保育時間と保育内容の関連についての実践史的研究(2) 219
検討する上で貴重な視点を提示する。障害児保育に取り組んだ他の園でも、同様のことがあったのだろ うか。障害児保育に取り組ま(め)なかった園では、どうだったのか。障害児保育以外にも、この見直し に影響を与えた保育を展開した園もあったのではないか。たとえば、年齢別のクラスを核にした保育で はなく、異年齢保育を展開した園ではどうだったのか。あるいは、先の「はみ出し者」をつくらない保 育とは、子どもたち一人ひとりを大事にする保育のことでもあった。そういう観点から実践を展開して
いった園ではどうだったのだろう。
「延長」保育実践の多彩な展開を追っていく上で、こういった観点から検討対象となる園を発掘し、
史料収集と分析を行っていくことが必要である。その作業を通して、つくし保育園における保育時間・
内容意識の転換がどの程度の広がりをもちえたか、ということも明らかになる。
5.園を単位とした「延長」保育実践分析とその史料
ところで、園を単位として実践史的分析をすすめるという場合、史料となる実践の記録は多様である。
たとえば、①当該年度の保育のまとめ(公立の場合、公的な保育記録として役所への提出が義務づけら れている場合がある。その保管期間は自治体によって異なる。)、②保育計画・指導計画の作成と反省の ための記録(年間計画・期の計画とまとめ、月・過・日の指導計画と評価・反省、デイリー)、③研修 記録(公開研究会や園内研修用の記録、自主研修用の実践報告など)、④子どもの作品や写真・音声・
映像による保育記録(これらは編集しない限り素材としての記録にとどまる)、⑤家庭との連携用の保 育記録(クラス便りや園便り、公開用の週目案や日報、連絡帳・ノート、子どもの作品・写真・音声・
映像による保育記録)、⑥保育者個人の記録やメモ、⑦保育研究運動の記録(保育内容・条件改善の取 り組みのチラシ、要望書や回答、報告書、出版物)、⑧固史、記念誌、卒園文集(○○保育園30年誌な ど自園の歴史の概要を紹介した記念誌的な文書記録である。DVD等に編集した映像記録もある。)など がある。
園の保育の問題点を反省しその打開の方向を探るという点では、年間や期ごとの計画・反省の記録が、
きわめて重要な史料となるだろう。なぜなら、年間や期ごとの計画・反省は、職員全員の議論によって、
年度・期という長期スパンで保育をふり返った記録だからである。3年単位の実践分析研究が推奨され ることもあるように、保育実践の発展・変容は、単年度でとらえることはむつかしく、長期の、あるい は何年かの経過の中でこそとらえることができる。したがって、年間や期ごとの計画・反省の記録を継 続して収集分析することができれば、園の実践のダイナミックな発展・変容の様相に迫ることができる だろう。
その点で、1970年代以降、異年齢保育と障害児保育に一貫して取り組み、やがて期係を中心にした保 育総括の方式を編み出し、その組織的・継続的な計画と反省を積み上げながら、午前中の「意図的保育 が重視される傾向」を克服していった東久留米市立ひばり保育園の保育記録は、保育時間と保育内容の 関連を探る格好の史料になるだろう(鳴きな江,1993)。
[引用文献]
安梅勅江(2004)子育ち環境と子育て支援.勤草書房.
岡田正章(1970)日本の保育制度.フレーベル館.158−159,267−281,306−309 歳持康子〈鳩ヶ谷市立里保育所長〉からの聞き取りa(2006年3月16日)
蔵持康子からの聞き取りb(2006年8月25日)
宍戸健夫(1975)幼児の集団と教育.さ・さ・ら書房.177,204,219−220
鳴きな江(1993)人間としての 自然な関係 を大事にし、保育の裾野の生活を豊かにする、現代と 保育31号.ひとなる書房.
清水住子(1975)子どもの生活と保育時間.入門シリーズ・保育の理論と実践Ⅲ・大阪保育運動連絡 会.
清水住子(1976)荒地に育つつくしんぼ.さ・さ・ら書房.122−174
清水民子(2006)保育の現代的課題.保育実践と発達研究が出会うとき.かもがわ出版・
中村君代(1976)開園から長時間保育制度化の第一歩まで.第8回全国保育団体合同研究集会要綱・
鳩ヶ谷に咲いた子育ての輪がめざすもの編集委員会+垣内国光(1987)街のみんなの保育園・ひとな る書房.pp.43−70
宮坂哲文(1961)集団過程と人間形成.現代教育学15.岩波書店.236−238 渡邁保博(1998)生活を大切にする保育の胎動.新読書社.59−75
涯遽保博(2003)延長保育と保育の質.保育学研究第41巻第2号.8−15
渡遵保博(2006)保育時間と保育内容の関連に関する実践史的研究〜1970年代の『大阪保育問題研究』
誌を手がかりに.日本保育学会第59回大会発表論文集.