奈良教育大学学術リポジトリNEAR
オーストラリアにおける「学習困難(Learning Difficulties)」への教育的対応 ―オーストラリ ア下院特別委員会報告書を中心に―
著者 玉村 公二彦
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 29
ページ 91‑101
発行年 1993‑03‑01
その他のタイトル Educational Policy on Learning Difficulties in Australia: Focusing on the Report of the House of Representatives Select Committee on
Specific Learning Difficulties in 1976.
URL http://hdl.handle.net/10105/6824
オースートラリアにおける「学習困難
(Leam,ng D.ff.cu1t,es)」への教育的対応‡
一オーストラリア下院特別委員会報告書を中心に一
正村 公二彦
(障害児教育研究室)一
要旨1 オーストラリアにおいて、「学習困難(障害)」を持っ児童・生徒とは、
学校におけるひとっかそれ以上の教科の領域で一定の標準に到達していない子 どもと青年を広義にはさしている。「学習困難(障害)」という用語はイギリス、
オーストラリアなどにおいて使用されているが、これらの児童・生徒を叙述す る際、アメリカにおいては「学習障害」という用語がより一般的に用いられる。
この用語は重大な論争を引き起こしているが、オーストラリアの教育実践にお いて、教師は学級の中でどの子どもが付加的な援助を必要とするかを考慮して 教育的判断をすることができると考えられている。本稿は、オーストラリアに おいてこの「学習困難(障害)」への教育的対応の形成過程とその特徴を、197 0年代のオーストラリア下院特別委員会の報告書を中心として吟味し・それへ の教育的援助の展開のために・1970年代後半から公教育に導入されたリソース・
ティーチャーの役割を検討したものである。
キーワード: 学習困難、学習障害、リソース・ティーチャー
I 問題の提起
「学習障害」は、「新しい教育概念」という言われ方もされ、各方面から注目されるものとなっ てきているが(上野、1991)、「学習障害」についての研究は、読字障害(dys1exia)などの概念 も含めれば、おおよそ100年もの研究史を持つものである。国際的にみて、「学習障害」を持つ子 どもたちのための教育サービスと「学習障害」問題についての調査の問題意識は、1960年代にお けるアメりカを中心とした「学習障害」運動の発展の以前から認められる。筆者らは(徳永・玉 村、1989)、アメリカの「学習障害」研究の歴史をたどったWiederho1t(1974)の学間の発展に そった時代による局面と障害の分類による局面の2次元モデルに基づいて、アメリカにおける
ヰEducatigna1Po1icy on Learning Difficuユties in Austra1ia:Focusing on the Report of the House of Representatives Se1ect Committee on Specific Learning Difficu1ties
in1976.
・‡Kunihiko Tamamura(Department of Specia1Educa七ion,Nara University of Education,
Nara)
「学習障害」研究の概観を試みたことがある。すなわち、Wiederho1tは、「学習障害」の歴史を 概観するために、「学習障害」の概念の成立の歴史を、障害による区分として、(1)話し言葉の 障害、(2)読み書き言葉の障害(読み、書き、スペリングを含む)、(3)知覚運動過程の障害、
の3領域とし、時期区分としては、(1)創設期(1800年頃一1940年頃)、(2)変遷期(1940年 頃一ユ963年頃)、(3)統合期(1963年一1970年代前半まで)としていたのである。ユ962年におけ る最初のKirkの「学習障害」の提唱以降、アメリカ全障害児教育法の成立によって、アメリカ 教育制度上の障害のカ÷コリーとして「学習障害」が使用されたことを契機として、「学習障害」
研究は本格的に発展してきた。「学習障害」研究の画期となるアメリカ全障害児教育法の成立を 経て以降、おおよそ20年も経過しており、アメリカはもとより英語圏においては概念・定義をめ
ぐって論争が繰り広げられてきた経過を持っているのであ乱
わが国でもこれまでに多数の翻訳、著書・論文が発表されているが、その多くがアメリカの研 究の紹介・解説にとどまるものであった。しかしながら、今日の研究の発展段階に即して言えば、
アメリカにおける「学習障害」研究と紹介・解説に終始することでは十分とは言えないだろう。
近年・「学習障害」に関する研究の過程では・国際的視座が強調され・国際比較研=究が進められ つつあり、アメリカでのアプローチとの類似性と異質性が指摘されつつある(Kronick,1992)。
これらのアプローチは、「学習障害」が、教育上の障害概念であるが故に、各国の文化と教育を 根に持つ概念であるという点からみても当然のことがらであるといえよう。
ところで、「学習障害」の概念が、教育上の障害として考えられなければならないことは強調 されてよいことだと思われる。わが国における「学習障害」の研究は、文部省が「通級学級に関 する調査研究協力者会議 審議のまとめ」(1992年3月)において、「学習障害」という用語をは じめて公に採用して以降、文部省サイドの「学習障害」の調査研究が本格的に進められっっあり、
研究指定校などが設置されてきている。ところが、「審議のまとめ」において、「学習障害」につ いては、「中枢神経系の機能障害を想定」し得る徴候が存在すること、そして「一般的には、特 に目立った知的な遅れは見られないが、読み、書き、計算など特定の分野の学習に著しい困難が みられるとともに、しばしば行動や情緒面で不適応症状を示し、何らかの形での特別な指導を必 要としている」との一般的な認識を示した。つまり、「審議のまとめ」においては、従来からの 障害についての医学モデルや心理学モデルの枠組みから論理が展開されているという特徴が指摘
し得るのである。
また、「審議のまとめ」では「学習障害児については、その対象を特定することは現状では困 難であるが、学習障害児や境界線児(知的にやや遅れはあるが精神薄弱児ではない児童生徒)を 含め、通常の学級において学習している児童生徒の中には、指導上特別な援助を必要としている 者が数多くおり、通常の学級での指導上の大きな問題となっている」として、「学習上困難を示 す児童生徒に対する対応」を示した。これは、「学習障害」と「学習困難」の区別と連関を明ら かにするのではなく、「学習障害」と「学習困難」を便宜的に区分し、より漠然とした概念とし て「学習困難」を使用して、教育の多様化をはかろうとするものである。このような方向では、
「学習障害」や「学習困難」の問題がなぜ生ずるのか、どのような対応が教育学的なのかを検討
するという視点を欠落させてしまっているという批判を受けざるを得ないであろう。いずれにし ても、「学習障害」「学習困難」の概念を教育上の障害概念として定立し、今後わが国の「学習障 害」をめぐる教育制度を含めた教育的対応に関する実践的、理論的見通しを得ることが重要な課 題として存在するといえよう。
以上の課題に迫るために、本稿では、オーストラリアの場合を取り上げ、そこでの検討の歴史 的過程を概観し、その教育学的な特徴と教育サービスの動向を明らかにすることを目的とする。
E1kins(1983)によれば、オーストラリアでは、「学習障害」を障害のカテゴリーとして認定し 教育措置を展開したアメリカとは異なり、障害のカテゴリーとするというよりは教育全般の生態 学的な検討を進展させる中で、「学習障害」について教育サービスを展開してきた経過を持って おり、比較教育学的にアメリカの「学習障害」研究を相対化することが可能であると考えたから
である。
本稿中における「学習障害」の用語の使用について、注釈をしておくことが妥当であろう。先 に触れておいたように、わが国の「学習障害」概念は今だ形成の端緒に入ったばかりであり、大 きな影響力を持つアメリカの「学習障害」研究においても定義は多様であり・多方面での論争が 現在なお行われている途上である。同じ英語圏のイギリスやオーストラリアでは、「学習障害」
(Learning Disabi1ities)という用語というよりは・「学習困難」(Leaming Difficu1ties)とし て総称される傾向にある(またその中の特別な困難を持っタイプをさしている場合もある)。オー ストラリアの場合、用語として「学習困難(Leaming Difficu1ties)」が使用されることは「学 習障害」のとらえ方の特徴を示すものではあるが、対象となる児童・生徒は、アメリカでの「学 習障害(Learning Disabihties)」と同等の子ども連を指すものである。ここでは、混乱を避け るために、以下では、オーストラリアの「学習障害」を記述するために、「学習困難(障害)」と いう表記で統一しておきたい。いずれにしても、教育制度上の相違や障害児教育の蓄積、教育的 な取り組みの相違などによって、概念上の変化が生まれることは、「学習障害」研究において特 記すべき事柄であるといえよう。
■ オーストラリアにおける「学習困難(障害)」研究の歴史的訓提
少なくとも1950年代以降、オーストラリアの学校において、幾人かの児童・生徒が基本的なカ リキュラムの分野で一定の標準に達していないということが明らかにされてきていた。初期にお いては、知能テストの結果に信頼がおかれ、知能テストの得点から標準的なこのような子どもた ちは学力不振児(mderachievers)として認識されるのが一般的であった。それに対して、低い 学力水準でしかも知能テストの得点が標準以下の他の生徒たちは、学力遅進児(s1ow1eamers)
と呼ばれてきた。
1 オーストラリアにおける「学習困難(障害)」研究の高矢
オーストラリアにおける「学習困難(障害)」研究は、Shone1ユ,F.J.とShone11,R.E.の研究にそ の嗜矢を見ることができる。Shonen,F.J.は、1930年代はじめロンドン大学において博士号研究
を行い、読みについての心理学的・教青学的研究へ貢献し、Shone11,R.E.は診断的達成的テスト の開発に貢献した(Shone11and Shone!1.1960;Shone11.1948)。バーミンガム大学にいる間・
Shone11,F.J.は、基礎教科の学習における諸困難についての研究のために臨床と実験の研究のた めの治療教育センターを設立した。オーストラリアに帰国した1949年、Shom11はクイーンズラ
ンド大学に同様の治療教育センターを設立していれ
このセンターでは、リメディアル・ティーチャー(治療教師)の養成と「基礎教科において遅 れ」を経験している子どもについての研究を活発化させていった。Shone11,F.J.は、「遅れ(Back−
WardneSS)という用語を用いながら、「学習困難(障害)」と「軽度知的障害」の両者を含む内 容を検討していたのである。
教員養成については、治療教育センターでは、1952年にリメディアル・ティーチャー(治療教 師)の養成をおこない、オーストラリアの各州から多くの教師が参加した。しかし、当時、訓練 された特別な教師および学校教育における治療プログラムは少なく、治療教育を展開する上で多 くの制約が存在した。
治療的教育実践と連携した研究について、1953〜1957年の間、治療教育センター報告(Shone11 and Richerdson,n.d.)は「基礎教科において遅れ(Backwardness)」を経験している子どもに 対して用いられる診断的、治療的手続きを報告している。治療訓練の効果について、示されたデー
タの興味深い点は、年少の子どもたちに比して、小学校の最後の2年において(第7学年、第8 学年)においては、子どもたちの反応はより乏しいものであったということである。その時期、
調査研究のフィールドとなったクイーンズランド州においては中等教育に入学する子どもはきわ めて希であったことにも注意がいるであろう。従って、12歳から14歳までの子どもを援助する治 療教師は・教師自身が最後の援助者であるということを認識せざるを得なかったのである。治療 教師は、遅れを持つ子どもたちが学校を離れる以前に、彼らがすべて成人に求められることが可 能となるように、読み、算数、作文が熟達のレベルにまで到達するように努力をしていたが、
「もっと長く援助することができるならばもっと満足が行くであろう」と指摘していたのである。
また、いくつかの研究が治療教育の題目の下に、50年代から60年代にかけて行われ、それらの大 多数は、Shone11によって1954年に発刊されたThe S1ow Learning Chi1dというジャーナルの中 で報告されていることも付言しておきたい。
2 アメリカ「学習障書」運動の影響と「特臭性学習困難(障害)児協会」の設立
1960年代注目すべき変化が現れた。すなわち、実際上全ての子どもが、少なくとも中等学校の 3年間は終えるようになってきたのである。「学習困難(障害)」を持っ生徒達が、治療的な援助 が利用可能な小学校から、基礎的教科技能の獲得を要求するような教科学習の課程の中では治療 的援助があまりない中等学校に移ってきたのである。
その間、初期のオーストラリアの「学習困難(障害)」を経験している子どもたちについての 研究実践には、イギリスの強い影響が見られるものであったが、60年代においては、アメリカの 展開についての問題意識の増大がみられた。
1960年代の間、アメリカ合衆国での調査が、学力不振の子どもについての父母・教師の考え方 に主要な影響を与えてきた。医学研究者は、「微細脳損傷」r識字障害」ないし「知覚障害」とい
う分類を用いて、学力不振について異なった説明を展開した。アメリカにおける「学習障害」運 動の成長は、過去20年間の間オーストラリアにおける教育的変化に重大な影響を及ぼしたものの
1つであり、Dua1ey Hagger(1976)によってオーストラリアにおける「学習困難(障害)」の 自覚の発展が詳細に記述され、また、いくつかのオーストラリアにおける初期の「学習困難(障 害)」研究は・E1kins(1975)によって要約されている。
アメリカの「学習障害」運動の最大の影響は、そのような子どもを持っ親の組織化という点に みることができる。1968年、オーストラリアの親たちは各州において特異性学習困難(障害)児 協会(SPLD)を組織した。アメリカ合衆国における学習障害児協会(ACLD)と同様、SPLD は「学習困難(障害)」の諸問題を公表し、政治上においてもロビー活動において効力を発揮し た。いくつかの州では、学校では高まった自覚に対して、子どもへの治療的援助のレベルを向上 させるよう準備が行われた。
SPELDの確立以前においては、診断と教授サービスは十分利用可能なものではなく、通常は 大学のクリニックないしは子どもの保健サービスの一部としてのみ行われていた。しかしながら、
公立学校の特別サービスの拡張は・r学習困難(障害)」の要求の一層の意識の向上がなされつつ ある社会での必要に今だ十分合致するものではなかった。C1ements,Kerk,Frostigを含むアメ
リカのr学習障害」のリーダー違がオーストラリアを訪問した。1972年頃・オーストラリアにお ける大多数の教師養成機関では、特殊教育のコースを提供しはじめ、急速に特別な教師の供給を 増加させた。治療的援助の制度が高められ、学校心理学者や多くの治療ないしリソース教師の養 成は、70年代初期における教育システムによる特徴ある対応であった。そして、教育行政は「学 習困難(障害)」を持っ子どもたちのために開発されたサービスのタイフについて再度着目をし て、取り出し指導のモデルやリソースルームモデルが、学習困難(障害)を経験している全ての 子どもたちの要求に合致するよう拡大される必要があるならば、治療教師の養成と雇用を連邦レ
ベルで認識していくことが求められることは明らかとなった。
皿 「学習困雌(障害)」についてのオーストラリア下院特別委員会の活動一「学習困難(障害)」
の定義とその処理の問題
「学習困難(障害)」の分野への問題意識と運動は、オーストラリア連邦政府が調査を行うこ とによって解決策を見い出さなければならない地点にまで高まっていた。SPELDのロビー活動 は・とりわけ国レベルにまで影響を及ぼし・1974年10月・連邦政府は、特別の権限を持っオース
トラリア下院特別委員会を設置した。
委員会は、次のことを目的とした(Se1ect Committee Report.1976)。
(a) オーストラリアの子どもと大人の間における「特異性学習困難(障害)」のすべての形 態の出現率を調査すること、
(b) それらの困難を制圧するために現在とられている方法を検討すること、
(C) 「特異性学習困難(障害)」の軽減の際にとられている現在の方法での成果について報 合すること、
(d) コミュニティー殻における、とりわけ医療、保健、教育、社会福祉の専門職の間におけ る、「特異性学習困難(障害)」の認識を検討すること、
(e) オーストラリアにおいて、現在、特別な「学習困難(障害)」の出現率と関連した諸問 題がどの程度まで調査されたのかを検討すること、
(f) 「特異性学習困難(障害)」を持っ個人が被る社会的、情緒的ないし他の社会的不利を 検討すること、
(9) 「特異性学習困難(障害)」のコミュニティ内での意識を向上させるためにとることが できる方法を推薦すること、
(h) その困難を軽減するために、わけても、適切な治療プログラムが早期から奨励できるよ うに、特別な学習上の兆候を発見するための広範囲にわたる幼児のスクリーニングの二一ズ を検討するために、ボランティア団体と同様、連邦政府ないし州および地方政府と協力した 連邦政府がとることができる活動を推薦するこ㍑
特別委員会は、公的に情報を求め、400以上にわたる上申書と親や関心を持っ市民からの手紙 が受け付けられれこの証言の吟味に続いて・公聴会がオーストラリア中の主要都市で開催され た。証言は4,000頁以上となり、委員会は報告書の中で次のような示唆を行った。
・「学習困難(障害)」の出現率とオーストラリアの学校の効率性についての資料を得ること、
・障害児と他の教育上不利益を持っグループのためのプログラムの開発を育成すること、
・後の困難を減少させるために早期教育の機会を増やすこと、
・遅滞をもつ読み手のために、適切な研究を教材化すること、
・読み書きの問題を克服することを希望する成人を援助すること、
・読みを教授したり、「学習困難(障害)」を経験している子どもを援助するための教師を一層 準備するような教師養成プログラムを開発すること、
審議が進むに連れて、特別委員会によせられた意見具申の中に定義的立場において重大な多様 性が存在することが明確になった。第1は、古い習慣が容易になくならないことが指摘された。
「読字障害(dis1exia)」ないし「微細脳障害(minima1brain dysfunction)」といった古い用語 が必ずと言っていいほど語られた。第2は、多くの定義は基本的神経学的損傷の存在に基づいた
ものであった。定義の第3のグループは排除原理に基づくものであった。しかし他は、「学習困 難(障害)」と他の学力上の問題を区別する困難性を処理するような相関的なものを用いたもの であった。第5の定義のカテゴリーは特定の知能に中心的な役割を与えたものであった。(ただ
し、軽度精神遅滞児の教育措置の見直しを行い、精神遅滞の判別についてのDum(1968.1971)
の概念化は、アメリカにおいてみられたようにはオーストラリアにはインパクトを与えることが
なかった。)
しかし、他の意見具申は診断上から導かれた「学習困難(障害)」の定義に強く反対するもの であった。一数多くの意見具申は自己満足的予想の危険性に警告を唱えていた。1つの意見具申は、
定義を企図することを唱道するのではなく、「学習困難(障害)」を持つ子ども(障害児)から、
子どもの「学習困難(障害)」へと焦点を転換することを示唆するものもあった。このような変 化に賛意が表され、次のような議論が表明されていた(Se1ect Committee Report,1976p.10)。
(a)学校での学習の際に困難を経験している子どもたちを援助する教育的手続きは、病因論 それ自体に依存することは少なく、子どもの診断的なラベリングというよりはむしろ教育的 二一ズに基づいて組織されるべきである。
(b)特殊な「学習困難(障害)」に適した定義を行うための資料を得る調査は実りあるもの とはならなかった。実際、子どもの持っ問題が生来的な損傷と関連しているのか、対応の不 適切さと関連するものなのか、子どもと子どもが受けた対応とが合致していなかったのかを 決定することは難しい。いいかえれば、学習のっまずきとしての「落ちこぼし.(dyspedago−
gia)」仮説は、r読字障害(dysIexia)」「微細脳障害(minimaユbrain dysfunction)」ない し別の用語と同様、筋道の通ったものである。
(C)一般的にいって・問題を持っ学力の問題は、個々の二一ズにあわせるためには・学校教 育が不適切で効果的でないことを指摘することを考慮すべきである。
(d) もし、委員会が「特異性学習困難(障害)」についてカテゴリー的ないし狭い定義に基 づいた課題にその審議を限定するならば、教育実践が狭い教育的二一ズに焦点づけられたも のとなり、逆にカテゴリーの使用を層永続させることになる可能性がないか。
特別委員会が、当初、アメリカ議会の「学習障害」の定義を出発点としては有効であろうと考 えていた事実にもかかわらず、「学習障害」としての子どもの特別な類型の定義は、「措置、対応、
ないし財源確保」にとっては、必ずしも必要ではないということが確認されはじめた。特別委員 会によって示され、それを支持するような議論は次のようなものである。
(a)提案された定義のいずれもが、一般的には受け入れられるものではなかった。
(b)定義のカテゴリー的な適用は、基準に合致しないものを除くことによって、援助の必要 な子どもたちに対する援助の制度化を妨げるかもしれない。
(C) アメリカにおける「学習障害」のカテゴリー的財源確保の実践は成功しているとは思わ れないこと。
(d)障害児教育についてのオーストラリアの教育政策は、メインストリーミング(統合)を 促進するものであり、障害の定義によるものではないということである。
委員会は、「学習困難(障害)」の定義と原因に関しては多くの概念上の混乱があり、解決をす るのには多くの年数がかかるであろうと結論づけた。それにも関わらず、子どもたちの「全体的 な学習環境」を見つめて子どもたちを援助する活動が必要とされるということが認識された。委 員会は、また、定義は、援助サービスの基礎をつくることとは無関係であると指摘した。それは、
アメリカに普及している見解とはまったく反対のものであった。州教育庁から特別委員会によせ られた証言においても、厳格な定義の束縛なしに普通学校が学習困難を経験している子どもたち に援助の試みをおこなうという政策を支持していた。
委員会では明示的には述べられていないが、委員会の使用した「困難(difficu1ty)」は、「障
害(disabi1ity)」という用語とは、意味の上で違いがあると思われる。この違いのひとっは、
「障害(disabiユity)」は人間が持っ条件ないし特性をいうのに対して、「困難(difficu1ty)」は人 間の経験をいうという点であろう。つまり、子どもが障害(disabi1ity)を持っている(possess)
と言い、それとは対比的に子どもが課題を行う際に困難(difficuユty)を経験している(experience)
と言う。このような考え方の変化の結果、委員会の報告の第2章は、「その状態の発生率ないし 出現率」というよりむしろ「学習困難(障害)の生起」というようなタイトルとなったのである。
考慮されるべきは、ラペルを張られた子どもではなく、学習における困難に焦点づけられたので
ある。
特別委員会の最後の提言は、これらの子どもたちが1っ以上の分野で援助が必要な場合にその 援助から排除されないように、修飾語の「特異性(specific)」という修飾語を落とすというもの であった。学習困難をもつ子ども、学力遅進児と軽度知的障害をもつ生徒との間の明確な境界は 必ずしもサービスの実施にとって必要なものとはいえないとされたのである。
1V リソース・ティーチャーの導入一取り出し指導モデルと学習援助協議モデル
初期の「学習困難(障害)」を持っ子ども達のための治療的援助は、しばしば、学校から遠く はなれたクリニックにおいて用意されたものであった。サービスが拡張されるにともなって、よ り多くの学校でリソース・ルームでの治療的援助が準備され、そこに子ども達は毎週数時間通う ことになった。特別委員会の報告書が公にされて以降、1970年代後半において、普通学級におい て特別な二一ズを持っ多くの子どもに役立つような試みが行われ(狭く限定された意味での学習 障害のみではない)、新しいスタッフの呼称が、リソース・ティーチャーとして導入された。例 えば、クイーンズランド州において、小学校におけるリソース・ティーチャーの役割は次のよう に記述された。
「リソース・ティーチャーは、学期の間、学級から子どもを取り出す。その子ども達は、学習 困難(障害)、軽度知的障害、情緒障害、ないし軽度感覚障害を持っている。リソース・ティー チャーは、過度に診断カテゴリーに固執するのではなく、むしろ基底となる線の行動とその後の 対応の評価を行う。リソース・ティーチャーは、同時に学級担任のコンサルタントとしての活動
も行う。ティーム・ティーチングに参加したり、学級担任に対して特定の教授技術をデモンスト レーションを行う。この主要な目的は、協力的な教授である」(Queends1and Department of Education,1976,P.9)
Wa七ts他(1978)は・リソース・ティーチャーと他のスタッフ・メンバーとインタビューを行 い、新しいリソース・ティーチャーの役割について研究していた。導入期においては、いくつか の混乱が存在した。通常の教師がリソース・ティーチャーを最もうまく用いるためには、より多 くの準備が求められると考えられた。しかしながら、教師達は学級内での協議と子どもの取り出 し指導の両方に価値を見いだしていた。一方、Morris(1980)は、クイーンズランド州におけ る中学校のリソース・ティーチャーの役割を検討した。Morrisの結果は、Wattsらのそれとは 異なって、リソース・ティーチャーが彼らの職務の為によく訓練されていないのならば、奨励で
きるとはいえないというものであった。明確に、特別な学習と適応の必要な子どもを担任してい る通常の教師に対して効果的な援助の方法が普及される必要があったのである。
中学校の教師は小学校の教師以上に「学問的」な方向性を持っており、彼らは生徒の二一ズと いうよりはむしろ、教育内容の伝達に焦点をあてている。Morrisは、アメリカの考え方がオー ストラリアの中学校という異なった教育環境において適用され、リソース・ティーチィングの実 践に影響を及ぼしていることを後づけたのである。Morrisのデータにおいては、普通教師が授 業準備上、リソース・ティーチャーのような専門家と共に仕事をする事が強く支持されていた。
小学校と中学校におけるリソース・ティーチィングの間には、本質的な相違があることが明らか になったのである。中学校においてリソース・ティーチャーが雇用されて以降、経済状態が変化 し、学級規模が大きくなり、多くのリソース・ティーチャーが彼らの時間の半分以上を通常の教 師として働いていたのである。このことは小学校では起こらなかった。なぜなら、リソース・ティー チャーは学校長に責任を負うのではなく、特殊教育部局に責任を負うていたからである。Morris の研究から学ばなければならない主要な教訓は、おそらく計画者が、特定のアメリカの実践の実 施を決める際・オーストラリアとアメリカの間の文脈上の相違に敏感である必要があるというこ とであった。オーストラリア公教育は、学校区というよりはむしろ州の教育省によって実施され ているので、もし教育上の革新を成功的に推移させよとするなら、大部分の教師と地域社会の教 育の努力が必要となるからである。
V.おわりに
多くの点で、「学習困難(障害)」に関するオーストラリアの経験は、アメリカにおいて見いだ されたものと類似したものであった。しかしながら、いくつかの重大な相違点を確認することが できる。アメリカにおいては、定義上の課題について専門的な議論はあるが、学習障害というカ テゴリーは、障害カテゴリーとして区別されたものとして、PL,94−142において結実したもの であった。オーストラリアにおいては、概念上の混乱はあるものの、「学習困難(障害)」「軽度 知的障害」「軽度の行動上の問題」の間での区別は、援助制度上重要でないという方向づけがな
されたのである。州教育省も「学習困難(障害)」を含めたカテゴリー的アプローチをよしとし てはいなかったのである。最も一般的なリソース・ティーチャー・モデルが主要なアプローチと して特殊教育サービスの拡張として採用されたのである。従って、アメリカの方法はオーストラ リアにおいて展開されなかったといえるだろう。
「学習障害(Iearning disabi1ities)」に対するものとしての「学習困難(1earning diffi㎝1ties)」
という用語のオーストラリアでの使用は、子どもの障害というよりはむしろ子どもの学校で経験 しているものを強調するものである。この強調は、研究の単位としての子どもから、多様な教育 的類型、広範なカリキュラム、教材、そして教育方法を持つ教師を含めた特定の教育的設定にお いて学ぶ者の分析へと焦点を移してきたのである。従って、「学習困難」の概念は、アメリカの 研究と実践を特徴づける逸脱した学習者のモデルを変更するものということができる。すなわち、
アメリカにおける普通学級での教授上の改革において開発されてきたマスタリーラーニング(完
全習得学習)(B1ock,1971)や組織的な形成的評価(B1oom,Hasting&Madaus,1971)などの 方法が、教育において逸脱した学習者としてのLDの子どもを見るという視点の変更として提示
されたように、r学習困難(障害)」の概念は、学校での学力上の到達度についての相互的モデル を強調することになっていったのである。
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