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フォーサイスと第一次世界大戦 利用統計を見る

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(1)

Title フォーサイスと第一次世界大戦 Author(s) 高, 萬松

Citation 聖学院大学総合研究所紀要, No.26, 2003.3 : 331-360

URL http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/de tail.php?item_id=4125

Rights

聖学院学術情報発信システム : SERVE

SEigakuin Repository and academic archiVE

(2)

フ ォ

l サイスと第一次世界大戦

E

I 司

高 松

二 O 世紀に入ってから起こった大きな歴史的出来事に﹁第一次世界大艇﹂をあげることができよう︒

八月四日にイギリスはドイツに宣戦布告しが)︒ 一九一四年七月

五日にドイツ帝国軍事会議は開戦を決し︑

( H v o

g ﹃ 吋

ω 1

0

フ ォ

1 サイス

司 ︒ 円

ω 1

F

一 八

四 八

i 一九二一)が六六歳になった時︑ つまり彼の晩年にこの戦争が起こった︒

近年︑チャプマン

( 富

山 岳

‑ ロ

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8 5

8 )

は 同 司 ︑

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ザ ミ

E S h g 札

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ミ 同

討 さ

目 ︒

( N C C H )

という書において︑

( 3 )  

神学者たちは︑第一次世界大戦という歪んだレンズを通して読まれるにふさわしいとは限らない﹂︑と述べている︒

﹁ 偉

大 な

かし︑われわれはフォ 1 サイスに関しては︑彼の見方に同意できない︒なぜなら︑われわれはフォ l サイスの神学の花

がこの戦争を通して再び咲いたと確信しているからである︒ つ ま り ︑ ブ ラ ウ ン ( 問 ︒

Z 1

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言 う

よ う

に ︑

( 4 )  

( ‑ z ‑ E N 包 )

フ ォ

1 サイスが約二 0 年間述べてきたことは︑ 一九一四年から一九一八年にかけてさらに﹁強調された﹂

のである︒彼は︑恐ろしい戦争の最中にも神学者として沈黙していなかった︒

一 方

で は

﹂の時期に彼の著作活動は活

発 に

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わ れ

た ︒

彼 は

六 つ

の 著

作 ︑

同 起

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( 5

5 )

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( 5

5 )

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( 5

5 )

︑ 同

出 向

♀ 柏

pghNS ︒

そして彼の最後の著作である同封な h$

︒ ミ

一 一

忌 ぬ

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円 ( S

H ∞)を世に出した︒他方では︑彼がイギリ

' 切

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近 ︑ む き ミ 悼 な

( ]

S H

吋 )

フオーサイスと第一次世界大戦

3 3

(3)

スの国外にも影響力を及ぼした︒彼は開戦初期に︑他のイギリス神学者たちと共にドイツのハルナック信号胃さロ

同 時

E 兵一八五一ーー一九三

O )

宛の公開書簡に連帯署名したのである︒

本稿では次のようなことを考察してみたい︒第一に︑この時期に︑フォ l サイスは︑ドイツをどのように見ていたのか︑

第二に︑彼はハルナックについてどのような見方をもっていたのか︑ そして第三に︑国家についてどのような倫理観を

もっていたのか︒

第一のフォ 1

サ イ

ス の

︑ ド

イ ツ

観 に

つ い

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近 年

︑ 守

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D 題

︑ ミ

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令 見

守 ︑

︑ も

お し

( 5

8 )

と題するフォ l サイス関連の論文集が出版された︒その前書きにおいてガントン(打︒

‑ E

( 6 )  

︒ z E C D )

が ︑

﹁ フ

1 サイスに関して最も不思議な・魅惑的な問題は︑ドイツとの関係と関連がある﹂と書いている︒

まず︑ドイツ国民︑ドイツ教会︑ドイツ国家に対する彼の見方を見てみる︒第二のハルナックに対する見方について︒

書簡に署名した史実に立脚して︑ 上述のように︑彼は他のイギリスのコングリゲイショナリストたち(門︒ロ

m B

官 t C E ‑ ‑ 2 ω )

と共にハルナック宛の公開

さらに︑最近︑この時期のハルナックに対する研究 その手紙のやりとりを見てみる︒

が発表されたので︑これを参照する︒第三の国家の倫理観について︒彼によれば︑戦争はナショナリティ

から発す(ね︒なぜなら︑不完全なナシヨナリ

( ロ

色 ︒

E E

判)

から発するのでなく︑不完全なナショナリティ

( E

8 5

℃﹃窓口 RZ

ロ 色

々 )

ティは︑法︑正義

( } g t

2 ) ︑自由というキリスト教的愛を信頼するのではなく︑武器の力を信頼するからである︒

ような評価の上で考察する︒彼は︑ の時期に彼が国家聞のキリスト教的倫理に関心をもっていたのはこういう理由が考えられる︒以上の三つのことを次の

の 伝

統 ﹂

﹁ イ

ン グ

ラ ン

ド の

非 国

教 徒

( 開

ロ m

‑ 2

F 口

町 湾

巳 )

つまりピューリタン・イン

ディペンデンシ l の伝統の線に立っているということである︒

(4)

戦時中フォ!サイスの︑ドイツ観

ドイツの神学的状況

イギリスでは︑

フ ォ

1 サイスがピューリタン的伝統を受け継いで︑ の観点から第一次世界大戦を見た︒

﹁ 神

義 論

れでは︑ドイツでは大戦の前後の時代に︑ どういう神学的思潮があったのであろうか︒大木英夫教授によれば︑ シュラ

イエルマッハ 1(p ・

H V

ロ ‑ r

E 包

q B R F q

一七六八!一八三四)以来︑

( 島 o

E ) q 色 ︒

H ︐

z g z m

‑ σ )

と呼

﹁ リ

ベ ラ

ル 神

学 ﹂

ばれるドイツ近代神学は︑ フランス啓蒙主義の反キリスト教的な傾向を排して︑宗教改革と啓蒙主義の結合を企て︑ド

イツ独自の近代文化形成を推進する役目を担うことにな的︒この意味において︑

二つの特徴があげられ列︒ ﹂の時期の︑ドイツ神学については次の

一 つ

は ︑

それが近代︑ドイツのナショナリズムと結びついていることである︒

ハ ル

ナ ッ

ク は

フィヒテ C

︒ ﹃

自 口

︒ ︒

邑 ぽ

ず 目

︒ E

Z

一 七

六 二

l 一 八 一 四 ) からドイツの文化形成的課題を得て﹃キリスト教の本質﹄

のように述べている︒ ﹁今から百年足らず前︑ドイツ国の無残な敗北を眼前にして︑ フィヒテがこのベルリンで有名な

講演を試みた︒彼はその講演で何をなしたか︒第一に︑彼は国民の前に一の鏡を掲げ︑彼等の罪悪とその結果︑すなわ

( ロ )

ち軽薄・不信仰・自己満足・迷妄・虚弱を彼等に示した﹂︒もう一つは︑それがドイツ的ロマンティ!クの伝統を神学

に取り入れたことである︒

(円

ω 包各国 q ロロ)によれば︑ドイツの詩人ハイネ(固め吉ユ各国巳ロ σ 一七九七ー一八 バ l

リ ン

五 六

)

いつの日かその狂信的な︑ドイツの後継者たちによって自由

( 臼

)

おそろしい結果を招来するであろう﹂と予言した︒

l ま

﹁フィヒテやシェリングのロマン主義的信念は︑

主義的な西欧文化への敵対物に変じ︑ ﹂のハイネの予言どおり︑

そ で

フオーサイスと第一次世界大戦

3 3 3  

(5)

ベ ラ ル 神 学 は ︑ フランス的啓蒙主義とは異なる精神を︑ドイツ的ロマンティ!クの伝統に見出し︑ それを導入することに よって︑神学を再構築し︑ドイツ的近代を基礎付けようとした︒ドイツ的ロマンティ

l ク の 伝 統 は ︑

義の)﹃西欧﹄と﹃ドイツ精神﹄との対比の中に自覚的に受け継がれてい硲﹂のである︒ ﹁ ト レ ル チ の

リベラル神学の後継者たちの思想の中には︑大戦期の前後に︑﹁文化プロテスタンテイズム﹂(同己宮弓

g Z

ω E

E Z

B Z

ω )

と呼ばれる理念があった︒グラ l

フ (

司 ユ

え ユ

各 当

口 ﹃

o ‑ B

の E H

)

教授は︑﹃トレルチと︑ドイツ文化ブロテスタンテイズム﹄

と い

﹀ つ

室 田

に お

い て

その概念を︑ドイツの文脈で概念史的に分析した︒彼は︑文化プロテスタンテイズムの成立した背景

が不明瞭であると前提した上︑次のような見方を示している︒すなわち︑二 O 世紀の初頭にプロテスタント的敬慶の二

つのタイプ︑古プロテスタンテイズムと新プロテスタンテイズムの対立の中で︑新プロテスタンテイズム概念が第一次

( 日

)

大戦前に政治的世界観によって不明瞭になった︒それだけでなく︑宗教的・神学的にもあいまいになって︑文化プロテ

スタンテイズム概念が新プロテスタンテイズム概念を次第に押しのけ鳩︒文化プロテスタンテイズム概念は︑

﹁ す

で に

れ 第

た 2 ー

し一

. h

ク、

世 界 大 戦

日 目

ハルナックの神学は大戦期において︑

また大戦にともなって引き起こされた神学上の大変革の前に神学政治的闘争概念として用いら

の典型であったと見ることができ持︒ ﹁文化プロテスタンテイズム﹂

フ ォ

l サイスのドイツ観

次 に

ブ ォ

1 サイスの︑ドイツ観をとりあげる前に︑

フ ォ

1 サイスがイギリスをどのように見たか簡単に考察しよう︒

彼は︑イギリスが完壁であったと見ていない︒ むしろ危機感を示している︒彼は︑当時の戦争というさばきが完全なエ

ゴイスト(認︒互)と神の不在の(問︒

2 2

ω )

文明に基づいているものとして見︑

( 四

)

そしてその結果は公的狂気守口亘片 B 包

5 2 )

だと警戒している︒それだけではなく︑地上の帝国主義の精神︑非道徳 ﹁われわれもその一部である﹂

と 認

め ︑

(6)

的ナショナリズム︑情熱的拝金主義︑軍国主義︑宗教的な見せかけの中に隠されているキリスト不在の

( n

ω F ユ

︒ ω ω )

世界の理想という精神から︑ ﹁ わ れ わ れ も 免 れ て い な い ﹂ と彼はイギリスの現実を憂慮している︒

では︑観点を︑ドイツに移して見ょう︒

フ ォ

i サイスは︑ドイツという名に親密感を持っていたし︑ドイツ国民を愛し

ていたと見られる︒彼の語った言葉の中にそういう面がある︒

( 初 )

の同僚から学んだことについて感謝の心を表しているし︑一九一六年の著作では

( 紅

)

に︑われわれはドイツを愛している﹂︑と述べている︒フォ 1 サイスの娘は︑一九一四年の戦争の勃発が︑限界を超え

( 幻

)

て フ

1 サイスを悩ませたと見ているが︑それにもかかわらず彼はドイツ国民を愛した人と見ることができる︒フォ l

q ( の

B S

︒ 司

E ‑ o )

だと呼んでいる研究者もいるが︑彼がドイツ国民を愛したことには違い

フ ォ

l サイスは一九一四年九月の文章でハルナックと彼

﹁キリストがパリサイ人を愛したよう

サ イ

ス を

﹁ ド

イ ツ

崇 拝

者 ﹂

h h h ︒

中匂し

既 述

の よ

う に

ガ ン

ト ン

は ︑

フォ!サイスに関する最も不思議であるが魅惑的な問題は︑ドイツと関連があると見て

い る

一番大きな要因は第一次世界大戦の勃発によるフォ 1 サイスの動揺であると考えられる︒

フ ォ

l サイス

そ こ

で ︑

が︑ドイツ教会とドイツ国家をどのように見たかを考察して見ょう︒

第一にドイツ教会に対して︑彼は

﹁ 道

徳 的

怠 慢

を指摘している︒彼は自国の教会を甘く見ていない︒彼は︑同出向

︑ N R

詩 ︑ w

g 民

営 内

さ さ

S な

( S H

吋)という著作の中で︑自由教会の無力を次のように指摘している︒

(何日)

教会はほとんどあまりにも取るに足らぬものになっている﹂︑と︒彼の眼が︑ドイツの教会に向いた時︑彼は何を見つけ ﹁われわれ自身の自由

たのか︒それは︑ドイツ教会の

﹁ 道

徳 的

怠 慢

で あ

る ︒

かつてドイツは世界に︑義人はその信仰によって生きることを

教 え

た ︒

その根拠の聖書箇所は

﹁ 見

よ ︑

パクク二・四) である︒しかし︑ しかし義人はその信仰によって生きる﹂

( お )

フ ォ

l サイスは︑ドイツが二章四節の前半を無視するようになったと見なし︑ その魂の正しくない者は衰える︒

たは事をはかつて自分の家に恥を招き︑多くの民を滅ぼして︑自分の生命を失った﹂(一 O 節)という言葉を強調する︒

戸 旬 、 、 ノ 、 、

フオーサイスと第一次世界大戦

﹁ あ

3 3 5  

(7)

このような箇所は︑彼が︑ドイツ教会に送るメッセージであった︒彼は︑ドイツ教会にアモスのような預言者的声がない

と指摘している︒即ち︑ ﹁アモスと他の預言者たちは︑周囲の国々に対するユダヤ人の残酷に対してイスラエルに破滅

を宣告した︒そして︑それは来た︒︑ドイツ教会から︑

( お )

も起こったのか﹂︑と︒ そのような残酷さに反してキリスト教的抗議における声が少しで

第二に︑彼はドイツ国家がナショナリズム の犠牲となり︑軍隊と道徳的冷笑

( B

ω QE 2 巴 巳 自)の雰

そして神と人間に対して道徳的敵対者

( B

2 己

g g

可)に変わったと見てい認︒さらに︑彼はドイ

( E 昨 日 ︒

E E ω

自 )

囲気の奴隷となり︑

ツ教会と国家の関係が︑教会において預言者を殺し︑諸王の前でキリスト教の義に対する抗議を弾圧し︑教会をキリ

ストの使徒から軍隊の雄弁のチャプレンに変えたと見なしている︒ ﹁福音について言えば︑彼らは︑あなたがたのゆえ

に︑神の敵とされているが︑選びについて言えば︑父祖たちのゆえに︑神に愛せられる者である﹂(ロマ書一一・二八)︒

この箇所は︑神が︑同じ対象を憎み︑また愛し︑神は殺し︑また生かすという原理が含まれている︒

フ ォ

1

サ イ

ス は

この原理に立脚して︑

とができる﹂︑と断言している︒彼がドイツ国家に対してこのように見ている理由は︑国家が神の国に対して国家的義務 ﹁ドイツ国民を愛するように教えた同じ神の名によって︑ われわれは今日のドイツ国家を憎むこ

( g 昨 日 ︒

s ‑

︒ 宮 山

m m 伊丹目︒ロ)を果たしているかどうかを問題視するからである︒すなわち︑それは国家道徳(ロ色︒

s ‑

B 2

m E

q )

の問題である︒例えば︑道徳を持たない国家︑ つまり軍事力を根拠としている国家︑国家を越えている力を持たない国

家︑そして神の国の理念を拒絶する国家があるとする︒彼は︑こういう国家を︑純粋に異教徒の国家あるいはサタン的

( m m )  

そのような国家に対して︑彼は神を畏れていない国家︑人間をも考慮していない国家である

な国家として見ている︒

あ と

る 8

評 し て し ユ る

一九一六年の時点でフォ 1 サイスによれば︑

ドイツは言葉と行為において国家道徳を否認したので

(8)

フ ォ

1 サイスとハルナック

フ ォ

l

サイスにとって第一次世界大戦は︑熱狂的愛国者の愛国心

( n g s E ω

仲 間

出 丘

三 百

5 )

の乱闘ではなかった︒こ

の戦争は︑自らのために道徳をかつてに扱っているような国家と争う﹁世界の義﹂

( 訂

)

っ た

( 調 ︒ ユ

己 ' ユ

m F

︒ ロ Z

ω ロ ゆ

ω ω )

の問題であ

彼は一九一五年の著作

S S

句宮内ぎミ E

M N g h N

匂 宮 町 内

( 5

5 )

の附録を二九一四年九月﹂

に書いたと明記している︒

彼はその中で︑ ﹁イギリス神学者たちへ送るハルナックの返事﹂

について言及している︒ここでいうイギリス神学者た

ち と

は ︑

ハルナック宛の手紙に連帯署名した一一人の神学者たちである︒

書簡のやりとりの経過

イギリスの神学者たちとハルナックとの間での手紙のやりとりの経過を見てみたい︒

( 幻

)

響力あった神学者﹂と見なされるハルナックの影響力と思想の概略を︑

﹁ 二 O

世紀の最も影

そ の

前 に

一 九

OO

年と一九一四年の聞を限定して︑考察

することにしよう︒

グラ 1 フは︑二

OO

二年度聖学院大学大学院﹁海外研究者講義﹂

( お )

ハルナックについて語った︒

一 九

OO

に お

い て

︑ と一九一四年の聞のハルナックに関する言及の中で︑次の四つのポイントが見られる︒すなわち︑

ハ ル ナ ッ ク は ︑

その時期に多様な組織に係わり︑ ヨーロッパ諸国が精力的に帝国主義政策をとっているのを克服しようとした︒ そのよ

フオーサイスと第一次世界大戦

3 3 7  

(9)

うな交流の中で︑

( 鎚

)

イギリスとドイツの教会人がそれぞれベルリンとロンドンを訪問するように働いた︒二︑第一次世界

大戦はハルナックの目から見れば破局であった︒他の参戦国の学者と同様︑ ハルナックは

﹁ 精

神 戦

﹂ (

同 ミ

ぬ 号

︑ む

な 号

︑ )

に参加し︑ドイツの大多数の知識人と同じく︑

( お )

︒ 258 可・)ものとの前提に立ち︑帝国の存続のために必要なものと見た︒三︑古くからのイギリスの政治制度︑政治 ﹁戦争はドイツに押しつけられた﹂

( 吾

命 者

向 日

同 何

回 門

日 σ

ロ 2

問 ︒

月 ⑦

︻ ︼

ロ ℃

︒ ロ

文化を高く評価していたハルナックはイギリス人に深く失望した︒ 四︑後になって戦時の神学者ということで︑

四年に皇帝に代わって︑ドイツ人に訴え︑ 二九一四年の理念﹂

( E ‑ g

ω

︒ 同

HCE) に宗教的観点から正統性を賦与した人物

だと考えられているのは︑ この戦争に対するハルナックの複雑な思いを十分には表現していない︒以上がグラ l フの見

方 で

あ る

フ ォ

l サイスとハルナックの間での手紙のやりとりの全体的な経過は次のようになる︒ 一九一四年八月一一日のハル

ナックの演説に対して︑イギリスの神学者たちが八月二七日付の反論の手紙を送る︒これに対してハルナックは九月一

O 日付の公開書簡で彼らの非難を拒絶する︒

フ ォ

l

サ イ

ス は

ハルナックの手紙を彼の著作で言及するという流れで

あ る

開 ︒

戦 初

期 ︑

一九一四年八月四日の夕方︑ ハルナックはドイツ国民に対する皇帝のアピールを作成するというカイザ!

の願いを受けた︒彼がそのテキストを書こうとした時︑敵国はフランスとロシアであったが︑ それを書き終わる前にイ

ギリスがその敵に加えられたという伝達が来た︒ラムシャイト(冨

ω H A E

ロ ‑ μ B

R E

巳 仏

門 )

に よ

れ ば

( お )

うなニュースを聞いて呆然となった︒イギリス神学者たちがハルナック宛に書簡を送ったきっかけは︑ ハルナックはそのよ

その一週間後

(八月一一日)に行なわれたハルナックの演説であった︒彼らは八月二七日付の手紙の冒頭で言う︒ ﹁拝啓︒下に署名し

たわれわれ神学者グループは︑ 一人の人間として

q ( ℃

ω

︒ ロ

m w ‑

守 )

はあなた

[ ハ

ル ナ

ッ ク

]

にそして大変多くのドイツの

思想家たち

( F

σ m

R 旦

} 5 巳えの

2 5

m 百 件 ︒

R F

o a

h 昌

弘 ‑ g

号 話

︒ コ

z c

m Z

)

に表現できないほどのことを負っている︒

(10)

し︑われわれは最近のあなたの演説に痛みをもって注目した︒そしてその中であなたは︑今の戦争においてイギリスの

行 為

( の

g E 2 )

を文明に対する反逆者の行為として述べが)﹂︑と︒

八月一一日のハルナックの演説は︑ ベルリンでドイツ人とアメリカ人の連帯大会

( ω

︒ ロ

含 ユ

q s

‑ 守

)

に出席して行つ

た も の で あ る ︒ ハルナックはその演説で次のように言う︒ ﹁人類の宝であるわれわれの文化は三つの民族に委ねられた︒

そ の 民 族 と は ︑ われわれであり︑ アメリカ人であり︑ そしてイギリス人である︒これ以上︑私は何も言わない︒私は自

分の頭を隠す︒彼らはこの文化の旗を高く維持するに当って︑堅く一緒に立っているに違いな吋﹂︑と︒ つまり︑ドイ

ツが共通文化のために混乱したアジアの群れと戦っているという内容であった︒

オ ニ

l

ル に

よ れ

ば ︑

その共通文化は次

の三つの基礎を持つ︒すなわち︑個々の魂の永遠の価値に対する承認︑理想のために自身を犠牲にする義務︑

( 扮

)

に対する敬意である︒ そして法

このような演説がイギリスに報道されると︑イギリス神学者たちは連帯署名して︑八月二七日付でハルナック宛に公

( 紛

)

開書簡を書き送ったのである︒驚くべきことは︑ 一一人の署名者の中にフォ l サイスがいるという史実である︒

フ ォ

l

サイスが彼の著作においてハルナックの書簡について触れたのは︑ ﹂ういう理由であったであろう︒興味深いのは︑

イギリス神学者たちの書簡の中にもフォ l サイスからの影響と見られる箇所があるということである︒

そ れ

は ︑

ツに対して個人的に数えきれないほど恩義をもっているわれわれが︑心から愛している国[ドイツ]と国民(任︒‑自己

何 回

ロ 門

円 安

己 主

︒ )

に ﹂

という箇所である︒イギリス神学者たちの手紙の中には三つの要点がある︒

第 一

﹁われわれは︑:::ドイツがベルギーの中立を尊重するのを拒絶した時︑ イギリスは国際法を選ぶかキリスト

教倫理を選ぶかではなく︑ ベルギーの国民を守るべきことを信じている︒ドイツの帝国首相は︑八月四日にルクセンブ

ルクとベルギー政府の抗議が正しく︑ そして︑ドイツが国際法の命令に反して過ちを行なったことを認めた︒彼のただ一

つの弁明は必要

2 2

己 2

守 )

であった︒﹃必要︑暴君の弁解﹄(ロ

2 2 ω ‑ q L r q g E

ぱ 司 ‑ g )

というミルトンの句を思い

﹁ ド

フオーサイスと第一次世界大戦

3 3 9  

(11)

出 す

﹂ ︒

第 二

は ︑

﹁あの小国の独立と両立しなかったセルビアに条件を命ずるために同盟国オーストリアを認めることに

おいて︑ドイツは小国の権利に無関心であったことが証明された︒大国の主権に対して同様な無関心は︑ ロシアが軍事

動員を解除すべきだという要求において示された︒:::間接的にはセルビアに関してまた直接的にはロシアに関して同

様に︑議論の余地なくドイツは侵略者(諸問一月

ω ω

︒ 吋 )

で あ っ た ﹂ ︒ 第 三 は ︑ ﹁われわれはどのような戦争も嫌っている︒

しかしわれわれは︑ ﹂の闘争におけるイギリスが良心︑正義(︺

5 E

8 )

︑ ヨーロッパ︑人類と永久の平和のために

戦っていることを信じている¥

と︒以上のようにイギリス神学者たちは︑︑ドイツを侵略者と見なし︑ イギリスが義の

ために戦っているということを述べている︒

ハ ル

ナ ッ

ク は

一九一四年九月一 O 日付の公開書簡でイギリスの神学者たちの非難を拒絶する︒彼は手紙を次のよう

に 始

め て

い る

拝啓︒私は﹁控えめなイギリス人は文明に対する裏切りである﹂という一言葉を必要としなかったが︑しかし︑

その言葉は控えめなイギリス人をめぐる私の判断を正しく伝えている︒私の演説の文章には次のように書

い で

あ る

﹁人類の宝であるわれわれの文化は三つの民族に委ねられた︒ その民族とは︑ われわれであり︑

そしてイギリス人である︒これ以上︑私は何も言わない︒私は自分の頭を隠す﹂︒私は

( 位 )

それをこの判断に従って私の深い痛みを保持しなければならない︒ アメリカ人であり︑

ハルナックがその手紙の中で語ったことの中で二つの要点︑ つまり︑ドイツの正しさの主張とイギリスへの不満を見

てみよう︒第一にハルナックはドイツの違法を認めていない︒彼は言う︒ ﹁首相は彼の性格上用心深い道義心をもって︑

不法がわれわれに生じたと説明した︒私[ハルナック]

この判断に従わないと思うし︑何も不法を認めることがで

(12)

きない︒なぜならわれわれは︑もはや形式的行為が支配するのではなく︑道徳的義務のみが支配している状況にあった

( 必 )

からである﹂︑と︒すなわち︑彼は︑ダビデが空腹だった時に神の家に入り︑主の前から取り下げた供えのパンを食べ

(HH) 

た時︑ダビデが正しかったように︑ドイツ側が完壁に正しかったと主張している︒第二にその手紙にはイギリスに対

﹁イギリスがわれわれに反してベルギーを戦争へと励まし︑戦争を義務づ

けた︒したがって︑この不幸な国が遭った恐ろしい責任はイギリスの頭に落ちか)﹂と言い︑セルビアのロシアの依存に する強烈な非難が見られる︒

ハ ル

ナ ッ

ク は

対するイギリス神学者たちの無知を次のように猛烈に非難した︒ ﹁では結論は何なのか︒イギリスはロシアとともにド

イツに敵対して進む!

ロシアと汎スラプ主義のアジア的非文化 それは何を意味するのか︒ つまりそれはイギリスが︑

の砂漠の砂から西欧とその文化を保護したダムを取り壊したことを意味したのである︒今やわれわれドイツ人は︑われ

われの体でダムの破れ口を埋め合わさなければならない︒ われわれは血を流してもそれをし︑また勝ち抜くであろう︒

われわれは勝ち抜かなければならない︒なぜならわれわれは全ヨーロッパと︑ またイギリスにも代わって一五

OO

年の

業を守るからである︒ しかし︑イギリスがそのダムをずたずたにするその日は︑世界の歴史において決して忘れること

ができない︒そしてあなたたちの判断はこうなるであろう︒つまりロシアのアジア的な力が西欧文化の上に突進した日︑

( 必

)

セルビアという残忍な国家の主権が侵害されたからだ!﹂︑ イギリスはロシアの側に立つことを宣言した︒なぜなら︑

フ ォ

l サイスは彼の著作において評したのである︒ このような内容が含まれているハルナックの書簡について︑

ニ ー ー ニ

ハルナックに対する批評

ブォ l

サ イ

ス は

同 起

き 守

也 ︑

言 内

言 ︑

sg

一 色 ‑

M H

ね な

( 5

5 )

という著作の第二番目の附録を︑

二九一四年九月﹂という言葉はわれわれの関心を引く︒彼はその中で

に 室

田 い

﹁ 一

九 一

四 年

九 月

と明記している︒ ﹁イギリス神学者たちへのハ

フオーサイスと第一次世界大戦

3 4

(13)

ルナックの返事﹂ について言及する︒ そこには︑二つの核心︑

﹁ 義

﹂ (

ユ m

E 8 5 5 g )

という理念と

﹁法なき愛の危険性﹂を加えたい︒

つ ま

り ︑

﹁ ピ

1 リ

タ ニ

ズ ム

の強調が見られる︒ さらにわれわれは︑

第一にフォ l サイスは

﹁ 義

の 領

域 ﹂

( ω

志 向

日 ︒

ロ え

ユ m E 2

5 5 ω ω )

を問題視している︒彼は︑ ハルナックに感謝の意を

示しながら思慮深く批評している︒彼は義の領域を︑ ハルナック自身と︑ドイツ精神に照らして見る︒彼が次のように言

うのはハルナックの博学に照らした結果であろう︒すなわち︑ ﹁ハルナックの返事は︑:::彼が突然に︑彼のすぐれた

才能にもかかわらず彼と非常に関係の遠い義の領域にむりやりに押しつけられたことを示している︒そしてその領域は

( U )  

彼の博学にもかかわらず彼に不慣れな領域である﹂︑と︒そして︑ドイツ精神(の

q B S B z e

に照らして義の領域は︑ド

( 必

)

イツ精神の豊かな・独創的な学聞が育ったことのない国際的良心という倫理的感受性

( σ

笹 山

の 包

E 2

)

を必要とする領域

として見ている︒

第二に﹁ピュ!リタニズム﹂ の強調が見られる︒

フ ォ

1 サイスは︑博学かつ有能な︑ドイツが霊的自律と自由教会の良

心を理解していない ﹁道徳的結末﹂を見ている︒すなわち︑ドイツ教会が公共的生において教会として道徳的殉教者た

( B 2 m

‑ s m w

﹁ q

︒ ョ E

ω )

をもたなかったという結末である︒その結果は︑イングランドでは

( 約

)

イツではただ敬慶主義として表れたのであろう︒ドイツの教会が預言者的職務をまっとうしなかったこと︑

﹁ ピ

1 リタニズム﹂︑ド

そしてド

イツの教会の霊的・道徳的自由の欠如に対する結果の根源には︑彼によれば︑ドイツの歴史にピュ 1 リタニズムがなく︑

カルヴァンがなかったからである︒これがフォ 1 サイスの洞察である︒彼は一九一六年にも同様の考え方を堅持してい

つ ま

り ︑

同 起

こ ぎ

円 志

向 ︒

止 さ

ミ c

ミにおいて

( 印

)

破滅された﹂と彼は述べているが︑この背後にはドイツの霊的歴史にピューリタンの基調がなかったという思惟構造で

﹁ドイツは教会の自由とその公共的勇気の不足のため道徳的に・政治的に

あ ろ

う ︒

で は

ピ ュ

1 リタニズムの強調に対して︑ヴェ l バ

l

( 冨

員 当 め ず

2 )

との親近性について見てみよう︒︑ヴェ 1 バ 1

(14)

も︑ルタ 1 主義の否定とピューリタンの精神の強調に対してハルナックに手紙を送ったことがある︒﹃マックス・ヴェ

ーバ!と︑ドイツ政治一八九 O ー一九二

O

I ﹄という書の著者であるモムゼン

( 当

︒ 戸

片 岡

山 口

問 ]

・ 富

E ︒ 包括ロ)によれば︑ヴ

エ 1 パ l は一九 O

六年二月五日にハルナック宛の手紙において︑次のようにルタ

1 主義を批判している︒

﹁ ル

1

が ︑

他の追随を許さないほどに抜きん出ていたとしても︑

ル タ

l 主義は︑私にとっては︑ その歴史的な現象形態において

は︑身震いするほどの驚惇を与えるものです︒私はこれを認めざるを得ません︒ そしてルタ 1 主義は︑貴兄が︑将来は

こうあって欲しいと願われたような理想的な形態においてさえも︑私にとっては︑ われわれ︑ドイツ大にとっては︑生活

の隅々まで浸透している力がどれだけそれから由来することになり得るのか︑私にはしかとは分からない精神的形象

( 日

)

です﹂︑と︒そして次のように︑ドイツ国民がピューリタン的国民であればよかったのにというヴェ!バ!の願いは極め

てピューリタン的思想に基づいている︒ ﹁わが国民が︑厳格な禁欲主義の学校を︑

一 度

も ︑

いかなる形においても卒業

しなかったことは︑私が︑:::わが国民に(また私自身にも)憎むべきものと感ずるすべてのものの源泉なのであり

( 臼

)

ま す

﹂ ︑

と ︒

第 三

に ︑

フ ォ

l

サ イ

ス は

忌 内

( リ

マ 註

芯 ミ

同 変

︒ ︒

¥ 司

( 5

5 )

という著作において︑神の聖性の法︑ つまり絶対的な義

の法を尊重した上︑

﹁ 法

な き

愛 ﹂

の危険について次のように言う︒ ﹁われわれの信仰が関係回復

E Z 5 5

8 円 ) に よ る 啓

示の中にあるならば︑法は神の愛の的となった

( U

当 日

ω g p ﹁

︒ ロ

め 門

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任 命

5 H .

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︒ ︒

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︒ コ ︒ ︿

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) ︒

法 な

き 愛

は 暖

( 色 ︒ ロ

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色包括︒ q

2 B

)

にすぎない﹂と︒彼は︑神の聖性を宗教の真の基盤と見なし︑そして﹁愛

( 日

)

は聖なる法とかかわって初めて福音的となる︒虹のまん中に王座がある﹂と言って︑愛についての間違った概念を訂正

しているのである︒ 昧なエゴイズム

ハルナックの思想には

﹁ 法

な き

愛 ﹂

の危険性が見られる︒

こ れ

に つ

い て

バ ル

ト (

同 町

丘 一

∞ 自

・ F 一 八 八 六 二九六八)とオニ l ルの見方を考察してみよう︒大戦勃発後︑九三人 l

の ︑

ド イ

ツ 知

識 人

た ち

は ︑

﹁全世界に皇帝ヴィルヘルム二世とその首相べ 1 トマン u ホルヴェ l クの戦争政策への支持を

フオーサイスと第一次世界大戦

3 4 3  

(15)

表明﹂する宣言に署名した︒ ﹁ドイツがこの戦争を引き起こしたとは真実でない︒罪はそ

( 関

)

の国民にも政府にもなく︑カイザ 1 が戦争を願ったことでもない﹂というキ!・センテンスを全生涯をかけて弁護した︒ ﹂れに対してハルナックは︑

プ ッ

シ ュ

(HW

ぴ め ﹃ }

戸 川 凶 吋

品 目 ロ

ω の﹃)

に よ

れ ば

バルトはハルナックなど︑彼の神学教師たちが戦争の事態にとった態度につ

( 印

)

いて︑彼らの倫理的屈服によって︑彼らの﹁聖書釈義や教義学の前提も間違っている可能性﹂を見た︒バルトにとって

( ω )  

世界大戦の勃発は彼の神学教師たちに﹁誤り﹂として現れたのである︒特にオニ l ルは︑一九一四年の開戦に積極的な

役割を果たしたハルナックの思想を﹁法なき愛の危険﹂(回二

s m g

え Z

S 豆任︒ロニお)と見なしている︒なぜなら︑

﹁神は創造者ではなく︑立法者でもなく︑審判者でもない︒神は排他的に具体化された愛であり︑祝福を

( 臼

)

生じさせる噴いの愛である﹂と述べたからである︒ある意味でハルナックは自分自身を神と見なした︒それゆえ︑開戦 ハルナックは

期のハルナックの思想は︑

フ ォ

1 サイスの見方によれば︑

﹁ 暖

昧 な

エ ゴ

イ ズ

ム ﹂

の残浮として見ることができる︒

国民的エゴイズムと国家道徳

トレルチによれば︑

﹁ 国

民 的

エ ゴ

イ ズ

ム ﹂

( 口 町 伊

丹 円 ︒ ロ

色 ︒ ロ 何

向 ︒ 日

ω E

C ω

)

( 何 回 )

はドイツから生じた学説である︒ トレルチは﹃ド

イツ精神と西欧﹄という書において国民的エゴイズムと国家道徳という理念について触れている︒同じ時期にフォ l サ

イスもそれについて神学的に思索しているので︑二人の思想を見てみたい︒

(16)

γ ー 一

卜レルチの場合

トレルチの戦時思想は︑主な見方によれば﹁中庸の穏健派﹂ ではないかと思われる︒

﹁ ト

レ ル

チ の

戦 時

思 想

が ︑

時の戦況などによって微妙な変化を見せたことは:::否むことはできない︒しかし彼が原則的な立場として好戦的な愛

( 邸

)

国主義に陥ったり︑偏狭なドイツ主義に陥ったことは一度としてなかった﹂︑と近藤勝彦教授は一言う︒こうしたことを

われわれは︑彼が論

( ω )  

文を発表した一九一六年の時点での思想に限って考察する︒なぜなら︑彼の思想には変化が見られるからである)︒ ふまえてトレルチの﹃ドイツ精神と西欧﹄に含まれている論文を二つ取り上げてみたい︒(但し︑

まず︑﹁一九一四年の思想﹂と題する論文を見てみよう︒トレルチはこの中で︑ドイツ国民の体験から﹁ドイツ精神﹂

を再発見しようとしたと考えられる︒トレルチは一九一四年の理念を求めるために︑世界観からでなく国民の体験を考

そこに含まれている精神的意義を自覚しようとし問︒彼が見たドイツ国民の体験には︑

察 し

﹁ 信

仰 へ

の 国

民 の

復 帰

﹂ ︑

﹁ 国

民 と

民 衆

の 発

見 ﹂

﹁ 封

鎖 的

商 業

国 家

の 体

験 ﹂

﹁国際的偏見からくる対立の体験﹂がある︒彼は︑その対立の核心を

一七八九年の思想と創造的に対立してい(旬︑と見なしている︒

﹁ 自

由 ﹂

という思想から思索し︑ 一 九 一 四 年 の 思 想 は ︑

つ ま

り ︑

一 九

一 四

年 の

思 想

は ︑

ピ ュ

l リタニズムに根ざしているのでなくルソーにも根ざしていない︑独特に︑ドイツ精

神に根ざしているという見方である︒

し た

が っ

て ︑

( ω )  

西欧とドイツ精神の相違を明らかにしている﹂︒ ご九一四年の思想﹂ は︑大木英夫教授が言うように﹁狭い意味の

次 に

﹁ 個

人 道

徳 と

国 家

道 徳

と ﹁国家道徳﹂という理念を見てみたい︒ という論文から﹁国民的エゴイズム﹂

第一にトレルチは ﹁国民的エゴイズム﹂を越えようとした︒彼は︑ ﹁国民的エゴイズム﹂を含んでいる道徳概念にお

け る

判 断

基 準

の 対

立 を

次 の

よ う

に 一

= 守

つ ︒

そ の

対 立

は ︑

﹁平和道徳と戦争道徳との︑人間性の道徳と国民的エゴイズムの

の そ

フオーサイスと第一次世界大戦

3 4 5  

(17)

道徳との︑英雄気質の道徳と市民的 H 自由主義的文化の道徳との︑キリスト教的愛の道徳と生存競争のそれとの︑::

自己限定の道徳と無限な意欲や自己称揚のそれとの︑対一回)﹂から起こる困難と緊張である︑と︒このような道徳概念の

対 立

の 中

で ︑

トレルチが問題として提議するのが

﹁ 国

民 的

エ ゴ

イ ズ

ム ﹂

という理念である︒トレルチはこの論文の冒頭

で︑イギリスとフランスには ﹁国民的エゴイズム﹂が隠蔽されていて︑ そうしたことが偽善だとする︒

つ ま

り ︑

トレル

チ は

﹁敵のほうにも国民的エゴイズムと道徳や暴力の野蛮この上もない賛美がないではない﹂︑

と 言

い ︑

﹁ こ

﹀ つ

し た

いみじくも平和主義的 H 民主主義的道徳の名にかけて国際的に追放に処し︑

このような反対の道徳にたいして全道徳的世界の強制執行を動かそうとする﹂と非難している︒しかし︑トレルチが敵 [国民的エゴイズムという]反対の道徳を︑

に対してこのように非難するにもかかわらず︑沈着と冷静さをもって事態を収拾しようとする︒

つ ま

り 彼

は ︑

﹁ し

か し

われわれが相手を道徳的尺度で測るなら︑ われわれはわれわれじしんを道徳的尺度というものから免除してはならな

われわれの軍事的政治的指導がつねに模範的におこなったように︑:::敵にたいして沈着な尊敬と公平

とをできるだけ保持しなくてはならない﹂︑という姿勢をもっていた︒そして彼は い

︒ と

に か

く ︑

﹁国民的エゴイズム﹂を次のように

越 え

て い

る ︒

﹁われわれは今次の戦争のパ l トスを︑熱烈に賛美された国民的エゴイズムのなかへおいてはならない︒

そうではなくて︑われわれの有能と存在にふさわしい偉大な将来の発展にかんする権利と確信のなかへおかねばなら

ない﹂︑と︒ここにおいてトレルチは敵に対して沈着と公平を保持して︑国民的エゴイズムを脱皮しようとする努力を

見ることができる︒

第二にトレルチの言う﹁国家道徳﹂を見てみよう︒上記の論文を全体的に言えば︑トレルチの中心思想は︑個人道徳

から国家道徳の方ヘ移っていると考えられる︒個人道徳についてトレルチは︑人聞から︑尊厳︑自尊︑理性の普遍妥当

性的な倫理的な至上命令に対する献身による生活の自己限定を要求するカントを重んじている︒ カントのこのような理

念を国民的団結に移して︑ トレルチは︑民族の尊厳の相互承認︑他人の自由が並存しうるような各個人の自己限定の意

(18)

味を見出してい的︒ ﹁国家のほんとうの固有飽﹂ その上︑彼はドイツの諸学者の思想を踏まえて︑ として次の四つをあ

げ て

い る

一︑国家は無数の個人的エゴイズムの破砕によって感じられるような︑飽くことを知らない集団的エゴイズ

ムにその本体があるのではない︒二︑国家は個人意志を自己に集め︑個人意志を他の諸民族に個人として対立するので

はなく︑個人を国家の一員として︑国家にたいする個人の義務によって定められるものとして︑対立する︒三︑国家は︑

互いに個人のような態度をとることができず︑個人のように道徳的な意向の至上命令に服することができない︒ 四︑国

家は︑あらゆる生きもののように成長し進歩し︑民族に偉大な将来の時代のための生活条件を保証してやらねばならな

( 花

)

い︒彼は個人道徳に献身や自己限定として﹁国家に一身をささげる﹂ことを要求し︑個人道徳から国家道徳へ移してい

﹁個人道徳︑国家道徳︑民族共同体道徳という︑これら三つは変わらない︒しかし国家道徳は︑現

在にとってそれらのうちで最大のものであ(夕︑と述べている︒ る︒すなわち彼は︑

特に︑既述のトレルチの言う﹁国家に一身をささげる﹂という理念に注目して見たい︒この言葉を︑グラ l フの言う

﹁ ド

イ ツ

国 家

へ の

献 身

﹂ (

己 注

目 g

E S Z

任 命

︒ 2

5 8 5 t

︒ p )

という言葉と同一視することができるならば︑ それは当時

の時代的産物である

﹁ ナ

シ ョ

ナ リ

ズ ム

の影響ではないかと考えられる︒グラ l

フ に

よ れ

ば ︑

一九世紀末にすでにプロ

テスタントナショナリズムは

﹁ 政

治 宗

教 ﹂

は伝統的宗教的確実性に対する信仰が失わ の兆候を示し︑この

﹁ 政

治 宗

教 ﹂

れるのに代わって︑個人に生命の新しい意味を提供し︑道徳的生活の基盤としてドイツ国家を提供することで補償しょ

うとした︒この政治宗教は国家的諸国体に属する大衆を一つの権威主義的体制にしばって︑大衆の社会的状況を改善し

新たな生活の意味を提供するには︑ドイツを世界大の大国にし︑ドイツ人により大きな生活領域を確保するのがよいと

論じられる︑大衆的ナショナリズムに発展した︒このようなナショナリズムは︑明快な敵を示し︑対立と社会変化の危

機の時に安定したアイデンティティーを提示するものであって︑ 一九一四年までにおよそ三

OO

万人を要する大衆組織

になった︒彼らのナショナリズムは︑

﹁ ﹃

ド イ

ツ 国

家 へ

の 献

身 ﹄

( 母

告 の

怠 g

z p o

の 2

5 8 5 位

︒ ロ

・ )

が 神

か ら

与 え

ら れ

フオーサイスと第一次世界大戦

347 

(19)

義務を果たすことであると見られるというプロテスタンテイズムによって︑

(押印)

その宗教的基盤がはっきりしていた﹂︑

グ ラ

1

フ は

ヨ 一

守 つ

= ?

│ ニ

フ ォ

I サイスの場合

三 二

i 一 国民的エゴイズムの克服

﹁国民的エゴイズム﹂ という理念はフォ l サイスの神学的思索の中にもある︒彼は一九一六年の著作吋言内てなきミ

心 的

な 向

︒ 互

目 ︒

)

でなければならない︒ ﹁ドイツの観点によれば︑危機に処する国民は絶対的に自己中

そ れ は 道 徳 を も っ て い な ( 川 ) ﹂ ︑ と ︒ 換 言 す れ ば ︑ ﹂れは国民的エゴイズムを意味 同町骨骨ミ.司ミにおいて次のように述べている︒すなわち︑

す る

が ︑

このような︑ドイツの思想を純粋な異教徒のものあるいはサタン的ものとして退けている︒彼が国民的エゴイズ

ムを拒否した理由は︑ それが神の国の理念を否定し︑国家を超えている力を認めないからだと考えられる︒

彼はどのようにして国民的エゴイズムを克服したのか︒結論的に言えば︑

﹁ ピ

ュ ー

リ タ

ン ﹂

の伝統の上で

﹁ 神

の 国

を確信し﹁愛国的祈り﹂ によって具体化されたと言えるであろう︒

彼は﹁神の国﹂を次のように目指した︒﹁神の全ての力をもって地を統治するために来たる神の国があるならば︑

イギリスは神の思寵によって多くの国よりもっと神の国のために働いた︒われわれは少なくともわれわれ自身の国を広

( 初

)

げるよりむしろ神の国に仕えている途上にある﹂︑と︒ つまり一般的に平和主義者

Q R E S

ではないと知られている

フ ォ

l サ イ ス は ︑ ク レ メ ン ツ ( 同 ・ 巧 ・

2 0

5 3

Z )

によれば︑諸国家にもう一度﹁神の国の僕﹂

( p

o g

ω g

z o

ごZED

尚 早

︒ ョ

( 創

)

えの︒己・)になる機会を与えるために︑国際的秩序が回復される必要があると信じていた︒既述のようにフォ 1 サイス

は︑イギリスが神の恩寵によって多くの国よりもっと神の国のために働き︑ そして自国を広げるよりむしろ神の国に仕

(20)

えている途上にあるという信仰の持ち主であった︒ その確信は次のような言葉に表れている︒

( 位 )

る神の栄光を見ることは︑:::しかも心を尽くして神の国を確信する﹂︒彼はこの確信によって︑あらゆるナショナリ ﹁顔を聞いて万事におけ

ズムやあらゆる愛国主義を越える

﹁ 勇

気 ﹂

を 得

て い

る ︒

そして︑諸国家にもう一度神の国の僕になる機会が与えられる

ことを期待している︒ どれほど遠大な思想であろう︒もっと重要なことは︑彼がこのような思想の根源をピューリタン

の伝統から探し出すということである︒心が落胆されそして悲しみに沈まれる時︑彼に神の国の確信を与えたのは︑

( お )

﹁ピューリタンの信仰のみ﹂であったと考えられる︒

彼のこのような信仰は︑ナショナリズムや愛国主義を乗り越えている

( 刷 出 )

℃ ロ

ユ 宮

口 巧

m q )

によって具体化される︒それが︑

論じた時︑祈る謙遜を読者に与えている︒

( お

)

ば な

ら な

い ﹂

︑ と

言 う

﹁奮闘的なピューリタンの方法﹂

( m R 己

ロ ︒ ロ

ω

﹁ 愛

国 的

祈 り

ω ‑ ( ℃

江 ︒ 位 ︒ 目

)

H

m w M

刊角川同・)

である︒彼は

﹁ 神

義 論

﹂ (

吋 町

︒ ︒

弘 一

ミ )

つ ま

り ︑

﹁われわれは少なくともわれわれの兵器

( g m z

o )

を逆転しなけれ

﹂こでエンジンとは ﹁祈り﹂を意味している︒同じ思想は︑豆町

ミミ平ミミ ' F

( 5

5 )

という

著作から得ることができる︒ ﹁われわれが祈りの偉大な両手の兵器(言︒

z g E a

g m z o

)

を隠しもせずに前面に押しや

のもつ効果の一つである﹂︑と彼は述べている︒ ることを余儀なくされるのも︑恐ろしい不幸な大戦(第一次大戦)

﹁愛国的祈り﹂が具体化されるが︑彼がこのモチーフをミルトン

( ﹄ ︒

E

宮 口

件 ︒

ロ )

から得ている点も重要であ

の よ

﹀ つ

( 釘

)

ろう︒ミルトンは h

R

R S

( 忌

ω 吋

) に

お い

て ︑

( ∞ ∞ )  

g 也

5 m

再 任

命 門

目 ︒

︒ ﹁

・ )

︑ と

歌 っ

て い

る ︒

﹁偉大な両手の兵器はわれらの両手の戸口にあり﹂

( 回 口 円

p m w

門 丹

4 ﹃ ︒ ︐

F m w D

︻ 目 ︒

ι

﹁ モ

1 セが手を上げているとイスラエルが勝ち︑手を下げるとアマレクが勝った﹂

(出エジプト記一七・一一)ように︑

フ ォ

l サイスはミルトンの言う﹁両手の兵器﹂

( 叶 者

︒ ︐

F m w

ロ 己

σ 品

︒ ロ

m ‑ D ⑦ )

によって国

それゆえ︑彼の祈りは次のように変わっている︒﹁われわれは他の諸国がまだ

( 鈎

)

預かっていない神の国に対する奉仕を続ける手段としての勝利のために︑祈ることができる﹂︒ 民的エゴイズムを越えたと考えられる︒

'‑

フオーサイスと第一次世界大戦

349 

参照

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