山形応用地質 第1
6
号7
‑ 11ペ ー ジ,1 996
年3
月新
潟
山 野 井
地 震 当 日
新潟地震 は1
964
(昭和39)
年6
月1 6
日に起 こった . 当時 ,私は新潟大学 の専門課程 に入 ったばか りの2
年 生で ,この地震 を体験 した . したが って ,地震に関 し ては,専 門的な知識 はほ とん どな く 「地割れ」や 「津 波」とい った現象が生ず る程度 の認識 しかなか った . 当 日は,午後 か らの講 義 が始 まろ うとす る ときで あ った .私 は授業がなか ったので, グラン ドの脇 の写 真部 の部室でたむろ していた .その とき木造校舎の窓 ガ ラスが一斉 にブ‑ンとい うような大音響 で振動 し始 めた .一瞬何が起 こったのか解 らなか ったが ,次 の瞬 間 ,激 しい揺れ とな り, これ はす ごい地 震 だ と気 づ 普,す ぐグラン ドに出た .足下が グラグラで立 ってい るのがや っとであった .しば ら くグラグラの揺れが続 いたが ,その揺れが ,ユ ラユ ラとな り,ついにはユー ラユーラと,大 きな船に乗 った ときの ような周期 の長 い揺れ とな って ,や が てお さま った .グ ラ ン ドに は 点 々と雨水 のプールがで きていたが ,その水が動 いた 跡が周 りの乾 いた地表 に くっき りと付け られていた . しば ら くして,港 の方 に真 っ黒なキ ノコ雲が立 ち上が り,大 きな被害 の発生を予感 させた .これだけの地震 であったか らに は ,何 か あ るはず , とカ メ ラを取 り に ,まず は下宿‑戻 った .大学 も下宿 も海岸 の近 くの砂丘の上にあ り,下宿 に 帰 る途 中 も被害 は見 られなか った .ただ ,下宿の部屋
写真‑ 1 津波で護岸堤の裏まで侵入 した海水の跡
*第1
6
回総会 ・講演会 で講演**
山形大学理学部地球環境学教室地 震 *
徹**
7
は棚 の ものが落下 し,畳上に散乱 していた .幸 いカメ ラに被害 はなか ったので,それを とるとす ぐとって返 して ,海岸‑出た .津波が来 るはずだか らそれを写 し てや ろ うとい うね らいであ った .予想に反 し,海 は穏 やかで ,いつ もと変わ りはない .津波 はないのか と, しば ら く歩 いてい くと,護岸堤 の切れた ところか ら, 背後 の砂地 に海水が回 り込 んだ跡が くっき りと残 って いた .その とき,す でに ここまで海水面が上が った こ とを知 った .通常 の海水面 よ り2m余 り上昇 したであ ろ うか (写真 ‑ 1).海 の方 に 目をや る と先 ほ どの海 と違 い,徐 々に汀線が後退 しているではないか .
50m
位後退 したであろ うか ,海底が広 く露 出す るとい う異 常な光景 とな った .海水がひいた後 の水たま りに取 り 残 され た魚 を捕 りに海 に は い る者 も現れ た (写真 ‑写真
‑ 2
海面低下により50m
ほど後退 した新潟海岸の汀 線.魚を捕 りに海に入るものも現れた2)
.海面変化 としては‑ 1m
位 と思わ れ た . この と き津波が単なる押 し寄せ る波 ではな く海水面 の上下運 動 であることを初 めて知 った .しば ら くは海水面 の変 化 を見 ていたが ,次 の上 昇 が前 回 の位 置 まで は来 な か ったので,まあ , この程 度 の ものか , とい うこ と で ,海を離れて, 砂丘 の下 に広が る市街地‑行 った . 砂丘 の上にある新潟大学 を下 ると繁華街 を経 て信濃 川 にかか る万代橋 ,そ してそ の先に新潟駅へ とつなが るメイ ンス トリー トがある.その道路を新潟駅方 向へ 進む と, 市街地 は砂 丘 の上 とは違 って騒然 と してい た .コンク リー トの舗装道路が ,継 ぎ 目の ところで破 壊 されていた り,アスフ ァル トの舗装道路 は圧縮 され て逆 Ⅴ字形に盛 り上が った りしていた (写真‑ 3).
こ うした道路の破壊 は信濃川 に近づ くにつれて大 き く
8 山 野 井
写真 ‑ 3
圧縮されて盛 り上がった路面な ってい った .そ して ,信濃川 の近 くでは一帯 が水浸 しにな っていた .交通機 関が マ ヒした万代橋付近 は通 行人 で混雑 し,膝 まで水 につか りなが ら往来 してい る 様子 は異様 であ った (写真 ‑
4).
火災 に よる黒煙 (石 油 タンクの火災) は空 の半 分 以上 もおおい ,一層不気写真 ‑4
万代橋西側の浸水と帰宅する人々味 さを増 幅 させた .野次馬根性 で ,そんな火災 を見 る べ く,川下 の方 に行 くのだが ,道路 にた まる水 は徐 々 に深 くな り,膜下 まで きた ところであ きらめた .引 き 返す途 中 ,屋根 の上 に避難 してい る一家 を見 て ,この 水が浄波 の水 である ことを知 った (写 真 ‑
5).そ れ
まで この水 は水道管 が破裂 して ,た まった もの と思 っ ていたので ,再来 を恐れ て大学 が ある砂丘地へ もどった .
写真 ‑ 5
津波の襲来を恐れ,避難する一家徹
以上 ,当 日の足 ど りを思 い出 したが ,翌 日か らは市 内各地 を歩 き回 り震災 の写真 を撮 った .新潟大学 の地 質 の教室 では教 官 と学生が手分け して地盤災害 を調査 し,後 日報告書 として まとめ られ た .そ の 目玉 であ る 新潟地震地盤災害図を第1図に引用 してお きたい .ま た新潟地震 に関 す る諸 デ ー タは第 1表 の とお りで あ る .以下 に新潟 地 震 で の主 な災害 を取 り上 げ て み た い .
第 1
表 新潟地震に関するデータ震 源 時 1964年6月16日 13時01分39.9秒
震 央 東経139011′北緯38021′ 深 さ 40kn
マダ ニチ ュ‑ ド 7.5±0.2
津 波
新潟地震 に伴 って ,津波 の波高が高か った地域 は , 新潟県 の北部 で ,岩 船 や 鼠 ヶ関 で約4mとされ て い る.佐渡 の両津 では最大波高 が3m余 りで,300戸 の 家屋 が浸水 し, 村上市や男鹿半 島南部 で も,家屋 の一 部浸水 が あ った (茅原,1994).新潟市 の験潮記録 は3
mであ るが ,信濃川河 口の新潟港 周辺 で ,大 きな被 害
写真 ‑ 6
津波により道路に打ち上げられた漁船写真 ‑7
上流側に倒された街路樹とダンプ トラック新潟地震 9
第
1図 新潟地震地盤災害図 ( 新潟大学理学部地質鉱物学教室調査作成)
があった .験潮記録 と実際の津波の高 さは場所に よっ て異なると言われている.信濃川を逆流 した津波は , 被害状況か ら波高が ,
3m程度 とは思えない.小形漁
船が ,路上に打ち上げ られていた り (写真‑ 6),5m もある街路樹やダンプ トラ ックが川上側に倒 されてい ることか ら (写真‑ 7),5‑ 6mの波高の津波が ,か な りのス ピー ドで逆流 した ものと考 えられ る.液状化現象
地震に伴 って,地盤の液状化が起 こ り,それが災害 にな ったのは, この新潟地震か らである.地盤の液状 化は多量 の地下水が ,砂や泥を伴 って地表 に噴出す る ので,いわゆる噴砂現象 とも呼ばれている.新潟地震 の際の噴砂現象は,建造物 の密集区域 と,建築物を欠
写真
‑ 8新潟駅横 内で見 られた噴砂列
く平地 とでは異な った様相が観察 されている.建物 の 密集区域では,建物 の周囲,側溝 ,道路上の弱線な ど か ら起 こっているのに対 し,平地では,地割れや単独 の ピッ トか ら噴出 し,噴砂の量 は,前者の方が多い と い う (茅原
,1 9 9 4 ).
信濃川周辺の滞水域は津波 よ りは む しろ,噴砂に よるものが多い.新潟駅の構 内で見た 噴砂の跡は,直線上に配列 していた (写真‑ 8).
地表の変形
断裂 (主に垂直方 向の破断)や地割れ (主に水平方 向の破断)は,信濃川周辺 の低地に多 く,と くに,昭 和大橋 の左岸側 の盛土部では, 全体に
2m
以上の沈下 を伴い,さらに細かな断裂 を生 じていた (写真 ‑9).
写真‑10は,地割れの現場 である.地割れの内部は噴
写真 ‑ 9 昭和大橋西側取 り付け道路の陥没
IO 山 野 井
写真‑10地割れによって拡幅された道路
砂に よって充填 されている.この道路は
5m幅であっ
たが,約1mの地割れに よって 6m幅に拡幅 された .
土地が広がるのは良い としても,玄関の コンク リー ト がめ くれて重な り,その下 の宅地がせばまった不運な 例 もある.断裂や地割れを伴わない変形 も見 られた . 写真‑11は信濃川左岸を走 る越後線の線路 とその路盤 の変形である. ここでは緩 やか な凹凸 の変 状 が見 ら れ ,地表に切れ 目は見 あた らない.写真‑11越後繰白山駅付近の鉄道路盤の変形 建築物の被害
新潟地震の被害の象徴 として,昭和石油の貯蔵 タン クの火災 ,昭和大橋 の倒壊, 川岸町アパ ー トの転倒が あげ られている.タンクの火災は精油所 の敷地 内だけ ではな く周辺の人家に延焼 した .延焼 した当時 ,津波 の水が ,人家を半分ほ ど浸 していたので,水上の部分 だけが焼け落ちるとい う異様 な光景が後 日見 られた.
昭和大橋 の倒壊 は橋 の中央部の橋脚が水没 していて見
徹
写真‑12 昭和大橋の橋桁の落下.背後の煙は石油タンクの
火災
えないが ,目撃者に よると倒れないで,立 ったまま沈 んでい った とい う (写真‑12).も しそ うであ るな ら ば,河床 の地盤が液状化を起 こした ことに よるもので あろ う.この昭和大橋 は,約1月前に行われた国体に 間に合 うように作 られた近代的な橋 で,古い万代橋が 無傷 であったの と対照的であった .
川岸町のアパ ー トの倒壊は地盤の悪 さに加えて,施 工 のまず さも加わ った ものであった .信濃川に近い場 所にあったので,地下 では液状化が起 こ り,地表に不 同沈下が生 じ,それに耐え られない棟は傾斜 した り, 転倒 した (写真
‑1 3 ).
写真‑13 転倒 したアパー ト
写真‑14 転倒して現れたアパー トの基礎の部分
新潟地震
もし,アパ ー トが ,十分な深 さの基礎杭 の上に建て られていたな ら,被害は受けなか ったであろ う.とこ ろが ,この建物 の基礎は,地表か らわずか数1
0 c m
を掘 り下げ ,そ こにグ リ石を敷 き詰めただけの ものであっ た .これは素人 目に も砂上の楼閣であることを印象づ けた (写真‑14 ).
被 災 者
人家 の転倒 は多 くはなか ったが ,津波や噴砂に よる 浸水な どの被災者は多数生 じた .地元の小中学校が避 難場所になっていた (写真‑1
5 )
.学校 は臨時 の夏休 みにはい ったので,混乱 は少なか った ようである.漢 帯 ラジオが ,家族 や知 人 の連絡役 を して いた .食事 は,近郷 の婦人会な どに よって支え られていた し,間 もな く仮設住宅 も建 て られた .また ,困 った ときには 互いに助け合 う, いわゆ る村の文化で間にあった と思 われ るので,
「ボランテ ィア」な どとい った都市 の文 化は ことさら必要 とされなか った .市 内の ライフライ ンはほ とん どが破壊 されたが ,電 気はす ぐに,水道は間もな く復 旧 したが,その間は古 井戸や給水車に頼 った (写真‑1
6 )
.ガスは まず地表 部に仮説 のガス管が敷設 され ,順次 ,本格的な復 旧が なされた .写真 ‑1 5 小学校庭 に避難 す る被災者
写真
‑16ドラム缶給水車 に よる給水
ⅠⅠ
新潟地震 の位置づけ
新潟地震
( 1 964 )以後 ,日本海中部 ( 1 983 )
,北海道 南西沖( 1 993 )
とマ グニチ ュ‑ ド7クラスの地震 が 起 った .こうした地震や 日本海で過去に起 った積丹半 島沖( 1 940 )
,庄 内沖( 1 833 )な どの大地震 も含めて,
中村( 1 98 3 )の提唱す る日本海 のプ レー ト境界説で解
釈 されてきた .ただ し,このプ レー トの境界は,佐渡 の沖を とおって,糸魚川‑ 静 岡線につなげ られてお り,それが正 しいな らば,新潟地震はプ レー トの童界 型 の ものではな く,内陸型 の地震に分類 され ることに なる.他方 ,この境界は庄 内沖か ら佐渡沖を通 らない で新潟地震 ,三条地震 ,善光寺地震の震源域を経て松 本で糸魚川‑ 静 岡線 につ なげ る説 もある (大竹 ,1 99 3 ).いずれが定説になるかは,今後 の地震活 動や
地表 の動 きか ら明 らかにされ るであろ う.第 2 図
有史以来の被害地震の分布 (早津,1 99 5)
引 用 文 献
茅原一也
( 1 99 4)新潟地震及び1 9 93‑1 99 4
年 の被害地 震 ダイジェス ト 鋤)産業地質料学研究所 研究年#
,No . 5
,21 9‑294.
中村一 明
( 1 983 )
日本海東縁新生海溝 の可能性 .地震 研桑報,58,207‑242.
大竹政和
( 1 9 93 )
日本海東縁部 の大地震尾発生系列 . 日本地震学会講演予稿集,No . 2,36.
宇津徳治
( 1 9 95 )大都市直下 の活断層が動いた .
ア サヒグラフ,