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ケインズと保護主義

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(1)

ケインズと保護主義

著者 岩本 武和

雑誌名 靜岡大学法経研究

40

3‑4

ページ 386‑350

発行年 1992‑02‑29

出版者 静岡大学法経学会

URL http://doi.org/10.14945/00008721

(2)

ケ イ ン ズ と 保 護 主 義

目 次 はじめに

I。

自由貿易の擁護

.保護主義への傾斜

(1)

(1)金本位制離脱前の状況

(五)収入関税の提唱

.保護主義への傾斜

121

(i)金本位制離脱後の論争 (五)国家的自給の思想

Ⅳ。双務主義 と多角主義

(i)武器貸与 と双務主義

(五)オーヴァー トー ン委員会 と数量制限 (■)英米金融協定 と双務主義

おわ りに

(386) "

(3)

法経研究40巻

3・

4号 (1992年

)

は じめ に

自由貿易 と保護主義 に関す るケイ ンズの見解 は生涯に二転三転 している。 こ の転変 はハ ロッドによると次の二つに要約 されよう(1ゝ

①ケインズはまず伝統的な自由貿易論者 としてスター トした。1923年末の総 選挙に際 して彼は、輸入関税の導入によって失業を減 らしうるとするボール ド

ウィン率いる保守党のキャンペーンに対する反論を企てた。

②厳格な自由貿易論者として知 られていたケインズが、その立場を一変させ たのは、1931年に収入関税導入を提言 した時であった。これを巡って広範な論 争が引き起 こされたが、英国が金本位制を離脱すると、直ちに彼は自説を撤回 した。 しか し、1933年の世界経済会議が失敗に終わると、またしても彼は「反 動的」で一層手の混んだ保護主義に転 じた。

③ケインズは生涯の最後になって再び自由貿易論者に復帰 した。1945年の英 米金融協定の締結に向けて、米国側がそれまでの孤立主義を捨てて、拡張主義

の採用についてす ぐれて協調的になっていたからである。

こうした転変に対 して、ハロッドは次のようにケインズを擁護 している。

「 ある人達にとって終始一貫ということは、同 じ解決策をそれが採用 される望 みがあろうがなかろうが、最善の策であるという理由だけで、いつも変 らず押 しつけることを意味する。受け入れられる次善の策に味方することはヽ裏切 り のように考えられている」

2)。

しか し、ケインズは常に実践家であったか ら、

最善の策を実現できる可能性がないと判断すると、直ちに次善の策を模索した。

貿易政策に関するケインズの転変 も然 り。例えば、②の段階においてケインズ は収入関税を提案 したが、「 もし失業問題に対 してある種の救済策を適用す る ことができたなら、自由貿易のほうがいいだろう、と考え続けていた。しかし、

それ らの救済策が次々と否定されたとき、彼は次善の策 [保護貿易]に味方 し たのである」

(3ゝ

ハロッドは当時の心境を次のように振 り返っている。「金本位 に対する彼の偶像破壊主義的な攻撃には、私は初めか ら彼に心から好意を持っ ていた。・ 00ところが、今度の場合の偶像破壊は、一時的な便宜のために、

それ自体 としてあまりす ぐれていないものに向かっての動 きであった」4、「 も し金本位が1930年のはじめに崩壊 していたならば、ケインズが自由貿易論者に とどまっていたであろうということを私は疑わない」

(5ゝ

っまり、金本位制の 放棄がケインズにとっての最善の策であり、それが実現された時、次善の策 と

" (385)

(4)

ケインズと保護主義 しての保護主義 は放棄 された、というのがハ ロッ ドの解釈である。

また③の段階において、彼が自由貿易の回復に望みを持ったことについても 次のように解釈 している。「対米交渉を通 じてよりよい道がわれわれに開かれ ていることを悟ったのであって、それゆえに彼は再びそれ [自由貿易]を擁護 することになったのである」6、「結局、彼は国際主義者そのものであったので あって、他の国々が非協調的な態度を取るだろうと判

1断

したために、いっそう 自由な貿易の回復に望みを失っていたにすぎなかった。しかし今米国側はす ぐ れて協調的になっている。われわれはもはやある程度の自給自足を意味するケ インズ経済学における国家主義的な実験に満足 している必要はなく、世界的規 模におけるケインズ経済学実験のよりよい道を選び、国際貿易か ら生まれる完 全な利益を捨てないようにすることができる」7、 ゃはりここで も、拡張主義 的な国際協調がケインズにとっての最善の策であり、それが実現される可能性 が見えた時、次善の策 としての保護主義は捨てられていった、というのがハロッ

ドの解釈である。

今日このようなハロッドの解釈と基本的に同 じ立場を取っているのが、アイ ケングリーンである。「保護主義は、拡張的な雇用政策を対外的な制約 と調和 させる一つの方法であったが、もっと望ましいものは、調整を容易にするよう な方針を持 った国際金融制度を再建することであつた。関税は、必要な政策に 付随する以上のものではなく、その点でセカンド・ ベス トの政策であった」

8)。

他方、ウィリアムソンは、ハロッドの解釈に対 して次のような疑義を表明 して いる。「 ハロッドは、ケインズが ミクロ経済的自由主義の復活を許すマクロ経 済的環境の創設の可能性について懐疑的であったが、いったんマクロの問題が 十分に解決されることを確信 してからは熱心な自由主義者 とならた、として描 いている。私は、『ケインズ全集』特に26巻のいくつかの章句を読むと、ハロッ

ドがケインズを賞賛するあまりその真意を歪めて しまっている、という印象を 与え られたことを言 っておかねばならない」9ゝ

本稿はハロッドによる段階区分のそれぞれの時期について、『 ケインズ全集』

を参照しつつより詳細にアクセスし、ケインズと保護主義に関するこれらの解

釈 を再検討す るものである。

以下では『 ケイ ンズ全集』(動θ Corzθ

θα Иζrj励so/Joんん駒 κのん ,Vols l‑30)か らの引用 は、邦訳のあるものも含めて (CL巻

,

(384)

(5)

法経研究40巻

3・

4号 (1992年

)

原書ページ)というように表記する。邦訳のあるものは参照させて頂いたが、

訳文は自由に変更 している。

I。

自由貿易 の擁護

1923年12月の総選挙において、ボール ドウィン (Stanley Baldwin)率 いる 保守党は、失業対策 として輸入関税の導入をスローガンに掲げた。これに対 し てケインズは、『 ネーション・ アンド・ アシニアム』誌に「 自由貿易」 と題す

る論文を二回に渡 って連載 して反論を企てた。

自由貿易は次の二つの基本原則に基づいている。第一は、比較優位の原理で ある。「わが国が相対的に他の国民より効率的に行い得る貿易に資本 と労働を 雇用 し、これらの貿易財をわが国が相対的に効率的に生産 し得ない財と交換す ることが望ましい」(CW,19,p。147)。 ただし例外として、①非経済的理由か ら比較優位の原理に従 うことのできない農業、②外国貿易に頼ることが安全の 観点から望ましくない基幹産業、③幼稚産業保護 としての自動車産業、④一時 的な外国のダンピング、の四つのケースは比較優位の原理 を適用す ることが できない (jb湖,pp。147‑48)。 しか し、自動車産業に対 してはマッケナ関税 (Mckenna Duties,1915年)が、基幹産業に対 しては産業保護法(Safegarding of lndustry Act,1921年)が、すでに存在 しているので、新たな保護措置を 設けるには及ばない(jb湖,p.151)。

第二に、関税によって輸入を減少させると輸出も減少する。なぜならば、輸 入を減 らせば、外国の自国製品に対する購買力 も減 らすからである(jb燿,pp.

148‑49)。 だから「保護主義の中心的な考え方が貿易を縮小させることである」

のに対 して、「 自由貿易論者は常に拡張主義者であった」(ib認,p.151)。 輸入 は輸出に対する受取 りであり、輸出は輸入に対する支払いである。だから「輸 入はわが国の所得である。それを妨害することが馬鹿げているのは、商人が顧 客や債務者にその手形の支払いをさせないのが馬鹿げているのと同 じである」

(jbガ.,p。 149)。 古典派貿易論の根幹をなすこの考え方 は、重商主義 に対す る

アンチ・ テーゼであった。の。

この二つの基本原則に加えて、決 して絶対的なものではなく状況の変化に応 じて変化するものではあるが、第二の原則がある。それは自由放任の原理であ る。確かに、何の拘束 も受けない利己心の追求が常に最善の結果をもたらすと

 (383)

(6)

ケインズと保護主義 い う19世紀的な自由放任 は、20世紀 においては妥当せず、公共の利益のために は無制限な自由放任 は規制を受 けなければならない。 しか し、「 ロビー活動 、 出費、時間の浪費、あ らゆる種類の軋礫が果て しな く続 くよ うな場合」、必要 な ものは「政治家の気紛れ」ではな く「注意深 く考察 され明確 に説明された国 家 にとって確固たる利益」である(jbガ .,p.149)。 ここでケイ ンズは、議員 に 対す るロビー活動や政治家 の気紛れといった当てにな らない ものに頼 ることを 避 ける指針 として、自由放任を限定的に把握 しているのである。

失業の原因は、①国内の景気循環、②外国の景気後退、③高水準の生産費、

④人口の増加の四つであるが(jbガ.,pp.153‑54)、 問題は何れも需要の不足 にあるのではなく供給側に求められる。つまり、戦前に比べて仏・独からの輸 入は減少 しているのであるが、それは外国が戦後の景気後退によって生産が縮 小 しているからであり、英国内の景気後退は必要な原材料が入手できないから である。また、英国の輸入の大部分はこうした原料や食料であるか ら、関税の 賦課によつて生産費や生活費は高騰する。したがって、関税は失業の原因を除 去 しないばかりか、事態をさらに悪化させる。「保護貿易が成 し得ない、のが 一つあるとすれば、それは失業を救済することである。保護主義には、理論的 には考え得るが実際にはあり得ない利益を保証するということを根拠にした若 干の擁護論があるが、その利益については単純な答 は存在 しない。 しか し、

(保護貿易が)失業を救済するという主張は、保護主義の誤謬を最 も粗野なか つ最 も露骨な形で含んでいる」(ibjJ。,pp。151‑52、

̀CW,7,p.334)。

「 輸入 は受取 りであり、輸出は支払いである。わが国が一つの国として受け取 りを減 らす ことによって裕福になるなどと、どうして期待できようか。地震がよく成 し得ないもので関税がよく成 し得るものが何かあるだろうか?」 (jb湖,p。 155)。

このように、保守党=保護貿易に対する自由党=自由貿易という構図におい て、ケインズの立場は鮮明であった。それは、1903年のジョセフ・ チェンバ レ

ンによる関税改革運動に対して頑迷に反対し、これを葬り去った師マーシャル の立場と軌を一にするものであったいゝ総選挙の結果、保守党は敗退し、1924 1月にマク ドナル ド(Ramsay MacDonald)を首班 とする第一次労働党内 閣が成立 した。労働党 も、自由貿易の維持 という点では自由党 と同 じ立場を堅 持 していたのである。

(382)

(7)

法経研究40巻304号 (1992年

)

.保護主義への傾斜(1)

(1)金本位制離脱前の状況

1929年 5月の総選挙に辛勝 した労働党によって、第二次マクドナル ド労働党 内閣が組閣された。この内閣が直面 した課題は、失業問題の深刻化と国際収支 の悪化であった0。

まず、失業問題についてみると、労働党が政権に就いた1929年当時は、1925 年の金本位制復帰後の旧産業の再編と合理化が漸 く緒に付き始め、景気にやや 明るさが見え始めた時期であった。実際、1921‑29年 の間で失業者 は常 に100 万人を下回ることはなかったが、1929年のうちに失業率は

12。

9%か

9。

6%ヘ

と下落 した。 しかし、1929年10月24日にウォール街で起 こった株価の大暴落を 引き金に始まった世界同時不況は、イギリス経済を再び悪化させ始めた。この 結果、29年 6月120万人だった失業者数は、30年6月には190万人、31年6月

には270万人と増加の一途を辿った6他方、貿易収支の赤字 も、1929年2億

5900万ポンド、30年は2億8200万ポンド、31年には3億2300万ポンドとやはり 増加の一途を辿 り、海外投資収益 と海運収入を中心 とする貿易外収支の黒字は、

29年3億6200万ポンド、30年には3億1000万ボンド、31年には2億1800万 ンドと減少 した。この結果、経常収支は、29年は 1億300万ポンドの黒字が30 年には2800万ポンドに減少 し、31年には遂に 1億500万ポンドの赤字 に転落 し てしまったのである。

しか し、蔵相に就任 したスノーデン (Philip SnOwden)は 、古典的な均衡 財政論者かつ自由貿易論者であり、これらの経済的困難に対 して自由党の提唱 した公共事業計画とも、保守党の看板である保護主義 とも、相容れないものが あった。労働党政府の唯―の失業対策は、保守党や資本家団体が 励 (dole)

と椰楡 した失業給付の拡大であった。この結果、失業保険財政の赤字は、29年 300万ポンドから30年には3600万ポンド、31年には5000万ポンドヘ と急増 し た。この赤字はそのまま国庫借入れによって埋め合わされねばならず、1931年

7月31日に提出されたメイ委員会 (Committee on National Expenditure、

通称「節約委員会」)の報告書は、31年末の財政赤字は 1億2000万ポンドに達 すると見込み、失業保険の切 り下げと増税でこれを埋めることを提言 した。

このように当時のイギリスは、失業問題の深刻化に加えて、財政赤字と貿易 赤字 という「双子の赤字Jに悩まされていたのである。アイケングリーンが言

56  (381)

(8)

ケインズと保護主義 うように、1920年代のフランスの経験から、財政赤字と国際収支の赤字が 致することを人々は学んでいた」°。すなわち、ISバランスの項等関係 は、既 に知 られていたのである。 したがつてメイ委員会の予測はポンドに対する信任 を失墜させる契機 となったのである。

ケインズが保護主義に転 じたのは、こうした英国の経済的混迷を打開するた めであった。彼の変説が公にされたのは、『 ニュー・ ステイツマ ン・ アン ド・

ネーション』誌の1931年 3月 7日号に発表された「収入関税のための諸提案」

(CW,9,pp。231‑38)においてであった。収入関税の導入が、失業の救済、

財政赤字の削減、対外不均衡の是正に貢献 しうるとする主張は、彼が頑迷な自 由貿易論者 として知 られていただけに大きな反響を呼び、同誌上で多 くの論争 が展開された。特に、伝統的な自由貿易論を根拠 としてケインズに真っ向から 反対 したのが、ロビンズ (Lionel Robbins)や ビヴァレッジ(Sir William Beveridge)等 のLSEの経済学者たちであつたの。これに対 して、ケインズ

は同誌の3月28日号・4月 4日011日号の三回た渡って「 自由貿易に関する 経済的覚書」(CW,20,pp.489‑505)と 題する反論を連載 した。

しかし、ケインズの変説はすでに、彼自身が重要な委員を勤めた「マクミラ ン委員会J及び同委員会での彼自身の非公開証言の席上においてめ、また「経 済諮問会議」及びその下部組織であり律自身が委員長を勤めた「経済学者委員 会」において6)明らかにされていたものであり、これらの委員会で賛否両論 の論争が展開されていた

C17p。

マクミラン委員会の報告書では、補遣の中でケ インズの提言が盛り込まれたも

'の

の、委員の一人であったグレゴリー (T.E.

Gregory)は これに反対 し、単独で別の補遺に署名した

C18D。

また、経済学者委 員会の報告書でも関税導入の提言が盛り込まれたが、やはり委員の一人であっ

たロビンズはこれに署名することを拒否したの。

以下では、これらの論争を整翠しつつ、ケインズの真意を明らかにしていこ

O

(五)収入関税の提案

自由貿易論者は次のような根拠によつてケインズに反対 した。輸出は輸入に 対する支払いであり、輸入は輸出に対する受取 りである。輸入を減 らせば、外 国の自国製品に対する購買力も減るので、輸出も減ることになる。関税の持つ 経済全体にとつての意味は、単に生産要素を効率的な部門から非効率的な部門

(380)  57

(9)

法経研究40巻304号 (1992年

)

へと移動させることであり、輸入競争産業における雇用の増加は輸出産業にお ける雇用の減少によって相殺され、決 して経済全体にとって失業の救済になら ない。このように比較優位の原則に逸脱することは、イギ リスの産業構造を歪 め、効率の低い旧産業から効率の高い新産業への産業構造の転換を遅らせるのゝ

しかも、輸入品価格の上昇の結果、原料コス トの上昇によって企業家は損失を 被 る。過剰能力を抱え失業が集中しているのは、輸入競合部門ではなく、輸出 産業部門においてであり、関税の導入は困窮 している輸出部門にさらなる打撃 を与えるにすぎないの。

これに対 して、ケインズは次のように反論 した。第一に、関税は失業を救済 しうる。確かに、生産要素が完全雇用されている状況で関税を導入 しても、そ れは雇用・生産を増加させず、生産をある部門から他の部門へ移動させるだけ である。 しか し、不完全雇用の状況で関税を導入すれば、それは生産の転換で はなく、確実に生産の純増を可能にする(CL 20,p.298)C22b。 自由貿易の利 益は完全雇用を仮定 した場合にのみ成 り立つ。つまり「それは、安定均衡へ向 か う固有の能力を持つ仮設的な経済システムにのみ真実であろう。このシステ ムは初めの状態 も最後の状態 もともに均衡にあるばかりでなく、このシステム の弾力性はいかなる撹乱に対 しても直ちに反応 してシステムが均衡から著 しく 乖離することはありえないのである」(jb燿 .,p.503)。

第二に、関税は貿易収支を改善する。ケインズにとって失業を救済するため に最 も望ましい処方箋は、金融緩和と国内投資の拡大であった。他方、ケイン ズが保護主義に転 じたのは、彼が国内拡張計画を本格的に提唱 し始めた後、

1929年10月24日にウォール街で起こった株価の大暴落を引き金に始まらた世界 同時不況を契機 としていることに注意すべきである。つまり、世界同時不況の 中でイギ リスだけが拡張政策を追求すれば、一方で拡張計画によってイギリス の物価が高騰するため輸出は停滞 し、原材料・食料の輸入は増加するのでイギ リスの貿易収支はますます悪化 し、他方で金融緩和によって海外への資金流出 は拡大する。貿易収支の悪化にもかかわ らず対外貸出しが増加するという不均 衡が続 くと、イギ リスから金が流出し、ポンドの平価を維持することが困難に なる。

貿易収支を改善するためには、関税のほかに、ポンドの切 り下げまたは生産 費の切 り下げという代替的な処方箋が考えられるが、この二つは以下のような 理由から望ましくない。第一に、ポンドを切 り下げると、外国人のポンド建て

" (379)

(10)

ケインズと保護主義 債権が減価 し、彼 らのポンドに対す る信任を失墜 させ、ひいては国際金融セ ン

ターとしての書ン ドンの地位を低下 させ るい)oケ インズは、アメリカやフラン スといった黒字国が金を保蔵 してそれを対外貸出 しに当てるといった、かつて イギ リスが行なっていたような機能を果たしていない事態を嘆いた。アメリカ が世界の金ス トックの三分の一を保有 し、フランスが四分の一を保有 している といった金の偏在 こそ、世界的な物価下落と世界的な不況の最大原因であると みな したのである●

)。

アメリカやフランスが債権国としての役割を果たさない のであるならば、「 イギリスが現在空席となっている世界金融界の指導者の地 位を占める」(CW,9,p.236)こ とが必要である。そのためには為替相場の 現在の水準を守 りぬかねばならない。このようにケインズは、1925年の金本位 制の復帰に反対 していた当時とは異なり、むしろ金本位制の維持を上むを得な

い前提 としていたのである。

第二に、自由貿易論者は、関税の導入による輸入の削減によってではなく、

生産費の削減による輸出の増加によって、貿易収支の改善を達成するべきであ ると反論 している。しか し、「 自由貿易は均衡状態および賃金がいつ も厳密に 経済的水準にまで下落するとの仮定に大きく依存 している。もしそうではなく、

またいくつかの理由によってそれが望めない場合に、自由貿易が目指すような 異なった用途間での資源の理想的な配分を達成 しうるのは、関税によってのみ である」(CL 20,p.379)。 自由貿易論者は、貨幣賃金が伸縮的であることを 仮定 しているが、貨幣賃金の下方硬直性は今や経済の構造的与件となっている。

「わが国の費易収支の黒字は、輸出を増やしても、また全 く同様に、輸入を減 らしても有効に増加する。わが国の過剰労働を雇用 して現在わが国が輸入 して いる財を生産することは、それを雇用 して追加的に輸出するための財を生産す ることと、同 じ結果をもたらすのである。 しかし、輸出を増大させることより 輸入を制限することのほうが、おそらくずっと簡単であろう」(jb″,p.378)。

「 自由貿易はわが国の輸出を増加させることによってそれを行なお うとす る。

保護主義はわが国の輸入を減少させることによってそれを行なおうとする。わ が国が現在よりももっと大規模に海外に投資す ることが均衡を達成す るため に不可欠であるならば、保護主義的な方法でそれを行なうことが、最 も抵抗 の少ない方法であろう。なぜならば、それは貨幣賃金を切 り下げる必要 もない し、000交易条件をわが国に不利になるようにする効果が比較的小さいか ら である」(ibだ,p.117)。 自由貿易論者の言 うように貨幣賃金を切 り下げた場

(378)″

(11)

法経研究40巻

3・

4号 (1992年

)

合、次のような三つの困難が伴 ういゝ 第一は、貨幣賃金の切 り下げに対する労 働者の抵抗、第二 は、外国でも賃金切 り下げ競争が発生 し得 ること (jb″

,,

p.499)、 第二は、輸出財価格の下落によって輸出量は増加するかもしれないが、

輸出額が増加するとは限 らないこと、つまり輸出財価格の下落の割合よ りも 輸出量の増加の割合が大きくない限り輸出額は増加 しないことである。イギリ スの輸出財 に対す る外国の需要の弾力性は大 きくな く、マーシャル・ ラー ナーの条件は成 り立たないというのがケインズの見込みであった (CL 13,p。

192)(26)。

このように、ケインズの自由貿易論批判は、それが国内における完全雇用均 衡 と貨幣賃金の伸縮性を仮定 していることにあった。対外不均衡を除去するた めに自由貿易が想定するメカニズムは、バ ンク・ レー ト政策が想定するメカニ ズムと同 じである。「 自由貿易の議論はバ ンク・ レー ト政策の議論 と全 く同様 のものです。マッケナ関税を取 り上げてみましょう。マッケナ氏の前で恐縮で すが、もしもこの関税を停止 してしまったら一体どうなるでしょうか。わが国 はおそらくもっと多 くの外国製自動車を購入するはずです。これ以降、自由貿 易の議論は以下のように続 きます。すなわち、この輸入増加は金を喪失させ、

金の喪失はバ ンク0レー トを上昇させ、バンク・ レー トの上昇は失業をもたら し、失業は賃金の下落圧力を引き起 こします。賃金が下落 してしまえば、わが 国は自動車生産で競争できるようになり、今まで輸入 していたその他いくつか の商品を作れるようになります。最終的には、貨幣賃金が以前より下落する一 方で、実質賃金は下落 しないばかりか、実際のところ実質賃金は保護されてい た状態よりも上昇するでしょう。これは、わが国が明 らかにより適 した商品を 生産 しているはずだからであります。・・・ 自由貿易の主張の根本的な基礎は、

わが国が自動車生産を止めてわが国にもっと適 した他のものを生産するために マッケナ関税は撤廃すべきである、というものです。・・・ バンク・ レー トの 議論 と同様に、それは流動的なシステムにおいてはうまく機能 します。 しかし わが国が失業で悩んでいることを考えると、ある時点での代替案は、自動車を 生産するか、何 も生産 しないかにあります」(jb冠,p.114)。

ところで、古典的な自由貿易論者であった労働党のスノーデン蔵相は、イギ リスの輸入は食料・原料が主なものであるために、関税の導入による輸入品価 格の上昇は、労働者の生活水準の低下=実質賃金の下落を意味する、として保 護貿易に反対 した

0)。

ケインズもこれを認めた。「 自由貿易の利点 は、貨幣賃

δθ  (377)

(12)

ケインズと保護主義 金を引き下げるが、実質賃金は引き下げないことにあります。他方、保護貿易

は、貨幣賃金を引き下げることはありえないが、実質賃金を引き下げることは 大いにありえます」(jb湖,p。115)。 なぜならば、自由貿易の下では、自国に 比較優位のある産業に生産要素が配分されるために貨幣賃金は下落するが、外 国に比較優位のある産業 (例えば食料)は自国製品より安 く輸入されるため実 質賃金は不変である。逆に保護貿易の下では、生産要素の配分は変 らないので 貨幣賃金は不変であるが、外国に比較優位のある産業 (例えば食料)には関税 が課せ られる分だけ高 くなるので実質賃金は下落する。「 しか し、保護貿易の 利点は、今す ぐに目的を達成することにあります。したがって問題は、どれく らい短期の考慮によって支配される用意があるか、・・・ そしてどのような代 替的な手段があるか、また現状がどれ くらい長 く続 くか、に依存 します。もし

もわが国が当分の間は窮状にあるならば、私は適当に調整された関税によって 直接的な救済を受けるべきだと考えます」

(Jο cocι

ι

)。

特に、諸外国が短期的な手段に頼っている時、英国のみが長期的な視点に立 つことは望ましくない。19掲年以降でさえ、わが

,国

は世界中の諸国の中でた だ一国、状況の如何にかかわらず『健全な』一般原則の下僕であった。わが国 は、経済学者の言 うようなある均衡状態 ともう一つの均衡状態の間の『短期』

が、実際に短い期間であるかのように振舞ってきたが、以前そうだったように、

それは一国が没落するほどに長い期間でもありうるのだ。わが

1国

の困難のほと んど全ては、全ての隣国が無視 している『健全財政』という原則に断固として 奉仕 してきたことに帰することができる。この長期の政策がそれなりにうまく いくのは、短期を生き長 らえるだけの資源を十分に持ち合わせている場合であ る」(jb燿,p.379)。 ここでケイ ンズは、英国以外の国が保護主義に転 じて いること、特 に1930年に米国で課 されたスムニ ト=ホー レー関税 (Sm00t‐

Hawley tariff)に 大きく影響されていることは間違いない

C23D。

このように、ケインズは短期の政策として関税の賦課を提唱したが、この提 案を彼は躊躇 しながら述べたい

)。

なぜならば、いったん関税が導入されると、

それが不必要になったときでも撤廃することが容易ではなく、長期的に使用さ れるかもしれないからであった。「 いったん設けられた関税 は、それを必要 と した特別な状況が過 ぎ去っても、決 して撤廃されることはないだろう、という ロビンズ教授の主張に私はやや心を動かされた。そうなるかもしれないという 危険があることを私は知っている。・・・ [だから]もし物価が以前の水準ま

(376) 

(13)

法経研究40巻

3・

4号 (1992年

)

で騰貴 し、また、 もし無制限の自由貿易が、19世紀の状態 において確かに利益 があったと同 じ程度に、20世紀の状態 において もわが国の利益 になることが半

1

明す るな らば、関税 は再 び撤廃 されるであろうと私 は信 じる。・・・ 関税 は自

lil表荏ふらあ夫熟な腕蔀驀あら、をれよら子された武塞を持ち各お薔そ

f、

f、

たあIL藻角薔ゐ瀞ならな

f、

もあをおるぶ、キぶそをれ

│ま

、自li抜荏人あ覆鳥IL よらそネ

│ま

(、 荷らえあよら色落島な由豪詐歯曇Liらそ、こらそ兆あられ るであろら」(jb冠,p・495,[ ]及び傍点は引用者

)。

ケインズは、あくまで

関税を短期的な失業対策として用い、不必要となればそれは撤廃されうること を望んだ。「関税はどれ くらいの期間必要か」という質問に対 してケイ ンズは 次のように答えた。「それは確かに重要であると思いますが、私 はどこに分岐 点があるのかについて明確な考えを持つに至っておりません。私は長期的な政 葉 ここそあ凛護費易を基れそ

f、

ます。長崩由た貞乳瀞凛護費勇

│ま

蘭違

fヽ

t未 健全であると思いますが、わが国は長期的な見方をする余裕はありません。全 く同様に、凛護費易ILIま萌らふた違崩島taillふぶふることも権ふです。私の考 えでは、問題は、当面の状況に役に立つものを得るために長期的な不利益をど

こまで被 る容易があるか、ということです」(ib湖.,p.120,傍 点は引用者

)。

本節では次の四つのことを確認 しておこう。第一に、関税導入の一つの目的 は失業の救済にあったが、その根拠は¨ と貨幣賃金の下方硬直性にあっ た。第二に、関税導入のもう一つ目的は、国内的拡張計画に伴 って発生 しうる 対外的制約を除去することにあった。したがって、保護主義の目的は、国内均 衡に対する国際均衡から制約を排除 し、国際均衡を維持するための体制は別途 に考えなければならない、とする管理通貨の目的と軌を一にするものであった のである。第二に、ケインズは、金本位制の維持とポンド平価の維持を所与の 前提 として受け入れた上で、国際的制約を緩和するためのセカンド・ ベス トの 政策として、保護主義に転 じたのである

0の

1981年9月21日に英国が金本位制 を離脱 し為替相場が下落 し始めた直後、彼 は収入関税の提案を撤回 し (CW,

9,pp.243丁44)、 関税のかわりに為替相場の少な くとも25%の切 り下げを提 唱 した。ケインズにとって、金本位制の終焉は、もはや対外的制約が存在 しな いことを意味 したのである。第四に、ケインズは短期的な政策 として保護主義 を提唱 し、あくまで短期的な手段と用いることに限定 した。その立場は、余り にも人口に謄実 した次の言葉を想起させる。「長期的にみると、われわれはみ な死んで しまう。嵐の最中にあって、経済学者の言えることが、ただ嵐が過ぎ

62  (375)

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ケイ ンズと保護主義

去れば波はまた静まるだろう、ということだけならば、彼らの仕事は他愛なく 無用である」(CW,4,p.65)。

.保護主義への傾斜121

(i)金本位制離脱後の論争

ケインズの関税導入の提唱は、またしても「 カサン ドラの予言」α)に終わっ た。政府が実際に関税導入に踏み切るのは、彼が収入関税案を撤回 した金本位 制離脱後のことであつたからである。すなわち、同年11月 の非常輸入関税法 (Abnormal lmportation Act)、 12月 の園芸品緊急関税法 (Horticultural Product Emergency Customs Duties Act)と いった緊急避難的な措置に始 まり、翌1932年 3月の輸入関税法 (Import Duties Act)に よつてついに恒久 的な一般関税が導入されることとなったのである。これによって、英帝国か らの輸入品と食料および多 くの原材料 (小0肉・ 綿花・ 羊毛・ ゴム・鉄など) の輸入品を除いて、全ての輸入品に従価10%の一般関税が課せられぅこととなっ た。 しかし、英国が金本位制離脱後に保護関税を導入 したことは、英国経済史 における未決の謎であり、多 くの歴史家はこの選択を誤 った決定 とみなしてき たのである

C33D。

為替切 り下げという関税 と代替的な措置が取 りうるようになった環境の中で、

関税導入を巡 って、政府部内、学界、経済界それぞれで賛否両論の識争が展開 されたいヽ 政府部内では、金本位制離脱後の、1931年10月に総選挙が行なわれ、

保守党が圧倒的多数を占める第二次マクドナル ド挙国内閣が成立 し、スノーデ ンに代わって蔵相に就任 したネヴィル・ チェンバ レン(Neville Chemberlain) が、保護主義を積極的に推進 した。保守党が保護貿易を選挙公約 としていたこ

とのみならず、チェンバ レンが父オースティン=チェンバレンの果たし得なかっ た関税改革運動を実現させる夢を持 っていたことは周知の通 りである。20名 新内閣の中で関税に反対する閣僚は、蔵相に代わって国璽尚書のポス トに就い たスノーデンのほか、内務大臣のサ ミュエル (Sir Herbert Samuel)を 始め とする3名 の自由党員だけであった。経済学者の中でも意見は割れていた。金 本位制離脱後、ポンド相場は下落 し続け、31年末には3.40ドルと30%近く切 り 下げられた。ロビンズやベナム (Frederic Benham)ら は、為替相場の変動が 自動的にイギリスの国際収支を均衡させることを強調 したが、ヘンダーソン

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法経研究40巻304号 (1992年

)

(Hubert Henderson)や クレイ (Henry Clay)ら は、為替相場 によ る調整 を 疑問視 した。労働者側 と経営者側 も異 な った見解 を表明 した。労働組合会議 (Tradёs Union COngress,TUC)や 労働界の リーダーであるベビン(Ernest

Bevin)は、為替切 り下げは国際収支問題を解決するに十分であ り、 もはや関 税 は必要 な しと判断 したのに対 し、英国産業連盟 (Federation of British

lndustry,FBI)は、金本位制か らの離脱 はそれ自体で貿易収支 の赤字 を解 決す るものではな く、関税の導入が不可欠 との態度を表明 した。

これ らの うち、金本位制離脱に伴 うポン ド切 り下げが貿易収支の改善に対 し て必ず しも寄与 しない、とす る見解 はいかなる根拠によるものであろうかGゝ 第一は、弾力性ペシミズムである。クレイは、英国の輸入の大部分は食料・ 原 料であるか ら輸入需要の弾力性は小さく、為替切 り下げによる貿易収支の改善 につなが らない、と論 じた。これは、1919‑25年の変動相場制の経験か らも 明 らかである。1919年に為替相場は20%ほど下落 したが、貿易収支の改善には 見るべきものがなかったからである。第二は、為替切 り下げ競争への懸念であ る。実際、英国の金本位制離脱に従って金本位制を離脱 した国は24カ国に上る が、このうちカナダを除 く英連邦諸国は、自国通貨をポンドに連動させた。ま たポル トガルのようにイギリスが輸出市場として重要な国は、ポンドに対 して 直ちに自国通貨を切 り下げた。すでに切 り下げを行なっていたアルゼンチンの ような国はポンドにペッグさせた。すべてのスカンジナビア諸国や多 くの東欧 諸国 も事実上切 り下げを決定 した。

一般関税を正当化する最 も有力な根拠 となったのは、為替切 り下げによるイ ンフレの悪性スパイラルとそれに伴 う貿易収支の悪化であった。

0。

英国が金本 位制に復帰 した1925年から金本位制を離脱 した1931年の間に、卸売物価は34%

下落 し、1929年か ら31年の間だけで23%下落 した。 しか し、いったん金本位制 を離脱 したときに懸念されたのは逆にインフレであった。クレイによると、為 替相場の下落によって輸入品価格が上昇 し、生計費が高騰することによって賃 金上昇の圧力がかかる。コス ト高による物価上昇は輸出を減少させ、貿易収支 の悪化によってさらに為替相場が下落する。為替相場の下落はさらなる物価上 昇を引き起 こす。クレイの懸念 したのは、こうしたインフレの悪循環であった。

1931年11月に非常輸入関税法が成立 した後、12月11日にチェンバ レンを委 員長 とする貿易収支に関する内閣委員会(Cabinet cOmmittee on the Balance

of Trade)が組織された。。サ ミュエル内相 ほか自由党の大臣 とスノーデン

(373)

(16)

ケインズと保護主義 国璽尚書のほかは、全て保護貿易論者で占められたこの委員会は、一般関税を 導入するための最後の議論の場であったが、「 サ ミュエルの言葉によれば『 た んなる申 し訳的なもの』にすぎなかった」

)。

ここでも、為替相場の下落によ るインフレの悪循環の議論が大勢を占め、チェンバレンは保護貿易に熱心であっ たはずのケインズの助言を求めた。 しか し、サ ミュエルは現在のケインズの考 えを次のように報告 した。「 ケインズ氏は貿易収支について懸念を持 っていま せん。彼の意見によると、政府はそれに関 して何 ら特別な行動をとる必要はな いのです。かれは一般関税に賛成 していましたが、通貨の切 り下げが、関税 と いう措置によって彼が行なおうとしていたことを行なっており、 しかもそれ以 上のことを行なっているのです。しかしながら、状況が変化 し何 らかの制限が 望ましい事態が将来起 こるかもしれません。そして、財政的また政治的条件が 収入関税を必要 となることもありえます」

)。

こうしたサ ミュエルやスノーデ ンの抵抗の結果、内閣での全員一致を見ないまま、1932年 2月 4日に輸入関税 法案が議会に提出さた。 しかし、議会では圧倒的過半数で可決され、同法は3 1日に施行されたのである。

(五)「国家的自給」の思想

ケインズはこうした動向に対 していかなる立場を取ったのであろうか。

すでに述べたように、金本位制離脱後、ケインズは自説の収入関税案を撤回 した。'なぜならば、「例えばポンド建て為替相場が25%切り下げられると、 こ のことはそれだけの額の関税 と同 じ程度だけ、英国の輸入を制限するのに役立 つか らである。 しか し、関税の方は英国の輸出を促進することはありえないし、

阻害することはあるかもしれないのに対 して、ポンドの切 り下げは、同 じ25%

の奨励金を輸出に与え、この奨励金によって輸入に対抗 して国内生産者たちを 助成することになる」(CL 9,p.246)。 輸入関税法施行後 も、ケインズは、

「 ポンドの切 り下げは、関税がそれをなし得るよりもはるかに効率的に、英国 のコス トを世界のコス トに再調整 しており、保護関税を支持する議論は大いに 弱まった」(CW,21,p.103)こ とを認めた。このように、ケイ ンズは雇用対 策 としての関税を自ら否定 したのである。

しか し、金本位制離脱後、ケインズは以前とは些か異なった意味において保 護主義を擁護 し始めた。すなわち、「保護貿易論者はしば しば間違 った経済的 論議を利用 したが、一国の健全な経済生活の複雑なバ ランスや調和や質に関

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3・

4号 (1992年

)

して、また全体に対 してある一部を不当に犠牲にすることのない知恵に関 し て、時としてより真実に近い良識を備えていた」(ib認,pp.206‑7)。 そ して 自動車・ 鉄鋼・ 農業の二つの特定産業に関 して保護主義を支持 した。新産業 (new industry)と しての自動車は、第一次大戦後アメリカが優位を持 ってい るものの、長期的にはイギ リスが比較優位を持ち得る産業である。逆に旧産業 (old industry)と しての鉄鋼部門を外国部門の競争に曝す ことは、「何万人 も の人間を家庭や社会から根こそぎにして、彼 らを助けることなく世界に捨て去 る」(jb認,pp。208‑209)こ とである。ここでケインズは効率より公正に重点 を置いている

)。

また、芸術と同様に「農業の追求は完全な国民生活の一部で ある」(jb湖,p.209)と 述べ、経済理論としての比較優位の原理を無視 した議 論を行 っている。「 自由貿易 も保護貿易 も、実際にどちらかが優位性を唱え得 る理論的主張を提供できない。保護貿易は、一国の経済生活の均衡 と安全の欠 如を緩和する危険で高価な一手段である。しか し、われわれが無分別な経済的 諸力に安ん じて身を委ねられず、かつ手中に関税の他に効率的な代替策のない 時 もあるのだ」(jb湖,p.210)。

こうした傾向を一層推 し進 めたのが、「 国家的 自給」(National Self‐

suffibiency)と 題する有名な論文である。ここでケインズは、自由放任資本主 (わs″/aj Capitalism)を次のような際どい言葉で攻撃 した。「 額廃 し

た、国際的だが個人主義的でもある資本主義は、000成功ではない。それは

知的でもなく、美 しくもなく、公正でもなく、有徳でもなく、そしてそれは財 貨を引き渡さない。要するにわれわれはそれを嫌 っているし、それを軽蔑 し始 めている。 しかしわれわれがそれにかわるべきものを考えるとき、極度に困惑 させ られるのである」(jb湖,p.239)。 自由放任の思想 にとってかわるべ きも のが、国家的自給の思想である。「私は、国家間の経済的な絡みを極大化 しよ うとする人々よりもそれを極小化 しようとする人々に共感を抱 く。思想、知識、

芸術、歓待、旅行、一これ らはその性質上国際的でなければならない。 しかし 財貨は、そうすることが合理的で便宜的に可能である場合にはいつでも国産に すべきであって、とりわけ金融はまず第一に国家的であるべきである。 しかし 同時に、一国をその絡みから解放 しようとする人々は、決 して急がず用意周到 でなければならない。それは木を根 こそぎにするといったような問題ではなく、

木を徐々に違った方向へ成長させるような問題でなければならないのである」

(jb燿,p。236)。 財貨、とりわけ金融を国家的なものとし、 こうした国家的自

(371)

(18)

ケインズと保護主義 給への移行 は慎重でな らなければな らないと言 う。

金融が国家的でな く、国際的に資本が自由移動する結果、平和 にかわって経 済的帝国主義が出現 した。「一国の海外既得権益の保護、新市場 の獲得 、経済 的帝国主義 の進展、一 これ らは国際的特化の極大化 と所有権の所在がどこであ ろうとも資本の地理的分散の極大化 とを目指す機構 の避 けがたい一部である」

(jb燿.,p.236)。 国内における所有と経営に分離の結果、「今日購入 した株を明 日売却するというように、自分が金銭的に所有 しているものに対 して何の知識 も責任 もない無数の個人間に所有が分散」 し、「私は自分が所有 しているもの に対 して責任を持たず、私が所有 しているものを運営 している人は私に対 して 責任を持たない」という状況が発生 した。「 しか し、同 じ原理が国際的にも適 用される時、緊張の際には、それは堪え難いものとなる」。だか ら「望ま しい 国内政策が時に比較的容易に達成できるかもしれないのは、例えば、資本逃避 として知 られる現象が除かれるような場合である」(以上、引用はjb認,p.236)。

しか し、資本逃避を回避するために必要とされた政策は、国内利子率を国内の 民間企業が要求する水準より高 く維持することであった。つまり「・・ 利子 率が、古い線に沿って働 く自然的諸力よって生まれがちなものよりも、ずっと 低い数字に下落 しない限 り、民間企業構造の維持は、われわれの技術的進歩が 可能にする物質的福祉の程度と両立 しない。実際、私が望ましいものとして心 に抱いている社会の変化は、来るべき30年以内のうちに利子率がゼロの点まで 下落することを必要とするかもしれない。しか し、正常な金融的諸力の下で、

利子率が、危険等を掛酌 して世界中で均一水準になるような制度の下では、こ のことは最 も起 こりそうにないことである。したがって、・・ 0貿易財のみな らず資本および貸付資金の自由移動を含む経済的国際主義は、来るべき一世代 の間に、この国を異なった体制下で得 られるものよりも低い程度の物質的繁栄 に陥れるかもしれないのである」(jb冠,pp。240‑41)。

また、財貨が国家的でない自由貿易についてはどうであろうか。比較優位の 原理に基づ く国際分業の利益は、20世紀においては19世紀ほど大きなものでは ない。なぜならば、大量生産が普及 した結果、生産技術の違いが少なくなり、

各国の生産性が同 じような水準に近づいてきたからである。確かに、「異なっ た国で工業化の程度や技術的訓練の機会に大きな違いがある場合、高度の国家 的特化の利益はリ常に著 しい。しか し私は、今日でも国際分業の経済的禾1益が、

からてそぅでぁった場合 と比肩 しうるとは思えない。0。・ 合理的世界におい (370)  δ7

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法経研究40巻3・4号 (1992年

)

てかな りの程度 の国際的特化が必要なのは、風土、天然資源、国民性、文化水 準、人口密度の広範な相違によって支配 されているようなあ らゆる場合におい てである。 しか し 。・・ たいていの近代的な大量生産工程がほとんどの国や地 域 においてほとんど同等の能率で行なわれ得 ることを立証す る経験が増えてき ている。さらに、富の増大 につれて、一次産品 も工業製品 も、家屋、個人サー ビス、地方的な楽 しみといった国際的交換の問題 とはな らないものに比べて、

国民経済の中で相対的に小さな役割 しか果た していない。0・・ 要す るに、国 家的 自給 は、多少 コス トがかかるけれども、われわれがそれを望む ことが起 こ り得 る場合は、手に入れることのできる贅沢品 となってい くだろう」(jb燿.,p。

238、 傍点 は引用者

)。

このよ うな比較生産費説に対す る態度 は、すでに経済諮問会議の経済学者委 員会に配布 された覚書 において も次のよ うに述べ られていた。「 ほとん どの工 業品の場合、今 日異なった国々の間で高度 に特化す ることで大 きな利益が得 ら れるかどうか、私 は疑間に思 っている。ある工業国 は、他の工業国 とほとんど 同 じくらい、大部分の製品を生産す るのに適 しているはずである。例えば、世 界中の全ての自動車 はアメ リカで生産 し、全ての錫 メッキは南 ウェールズで行 い、全ての鉄道 はベルギーで生産すれば、大 きな利益 をもた らすであろうなど ということはあ りえないことである。他方 、世界 中の ほとん ど全ての工業国 がある種の自給 を決意 したので、これに従わない国 は、特化を通 じて得 られる ものよりもはるかに大 きい不安定 (instability)と いう代償を支払 うであろう。

00・ 安定 (stability)と対比 して考えられる特化を支持する19世紀の見解は、

少なくとも英国では正 しかった、と私は信 じている。 しか し今日では、あらゆ る種類の周知の事実を考慮すると、安定がより重要であり、わが国が特化の程 度を下げる結果 として安定を得ることに対 して支払 うべき代償は、かなり小さ い代償であろう」(CL 13,p.193、 傍点は引用者

)。

ここで言 う「安定」とは、

今日の言葉で言 う経済的安全保障に近い概念であろう。つまり、たとえ比較生 産費に格差がある場合でも、国際分業の利益 という観点から自動車・鉄鋼・農 業 といった産業を放棄することは、国民経済の安定 という観点からは望ましく ない6「私はもはや、非常に高い程度で国が特化 し、やがてその地位を維持で きない産業は廃棄することがよいと信 じるほど、言葉の古い意味における自由 貿易論者ではなく、実際のところ他の誰 もがそうではないと信 じる。賃金が非 可動的な場合、これは従 うには非常に危険な教義である。長期的に見れば、例

δθ  (369)

参照

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