身体障害者スポーツに関する一考察 −ソーシャル
・ロール・バロリゼーションの視点から−
著者 高橋 豪仁
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 48
号 1
ページ 37‑48
発行年 1999‑11‑10
その他のタイトル Study on Sport for the Physically Disabled − From the Viewpoint of "Social Role
Valorization"−
URL http://hdl.handle.net/10105/1458
Bull. Nara Univ. Educ.,Vol. J. No.KCult. &Soc), 1999
身体障害者スポーツに関する一考察
‑‑ソ‑シャル・ロール・バロリゼ‑ションの視点から
高 橋 豪 仁 (奈良教育大学保健体育教室)
(平成11年4月30日受理)
キーワード: 身体障害者スポーツ、ソーシャル・ロール・バロリゼ‑ション
I は じ め に
ジレは『スポーツの歴史』の中で、 「一つの運動をス ポーツとして認めるために、われわれは二つの要素、即 ち、遊戯、闘争、および激しい肉体活動を要求する」1,' と述べている。カイヨワは、遊びの分類において、スポー ツ競技をルドゥスの要素の強い了ゴーン(競争)とLて 位置づけている(2)。また、ブートマンは、スポーツを
「遊び」の要素の濃い肉体的な競技〔コンテスト)と定 義している(3)。いずれにしても、おおよそスポーツは、
遊び(プレイ)、競争、身体活動の3要素によって特徴 づけられるものであり、身体上の優劣を競うゲームであ
ると捉えられる。
こうした身体的卓越性を競うというスポーツについて の「常識」ゆえに、身体に障害(disability)をもつ人 のスポ‑ツ活動が、社会的認知を得るのには長い歳月を 要した。日本では、 1970年ころから「みんなのスポ‑ツ」
というスローガンの下に、女性スポーツや高齢者スポー ツの振興がなされてきたが、身体障害者は「みんなのス ポーツ」の「みんな」の中に含まれていたとは言えない 状態であった。近年になってようやく、特に、 R本では 1998年に長野で開催されたパラリンピック冬季大会によっ て、身体障害者のスポーツは多くの人々の知るところと gKlfl!
身体障害者のスポーツの進展には、ノ‑マライゼーショ ンの理念の影響が大きい。ノーマライゼーションとは、
障害のある人たちに、障害のない人と同じ生活条件を作 り出すことである'{1‑。ノーマライゼ‑ションの理念は、
社会福祉全領域に共通する理念として受け入れられ、更 に統合的な共生原理として重視されている。この理念に よって、障害者を一般居住地からは遠隔地のコロニー等 には収容せず、一般市民と同じ居住地に住まわせ、一般 市民と障害者が「共に生きる」社会をっくることが目指
されるのである。
ノーマライゼーションの理念をスポ‑ツに適応し、障 害をもつ人も、もたない人と同じようにスポーツを楽し むために考え出されたのが、アダプティブ・スポーツ (adaptive sports/adapted sports)である。アダプティ ブ・スポーツは、 「それぞれの体の状況に応じた形のス ポーツ」という意味であり、一般のスポーツに用貝や工 夫を取り入れたスポ‑ツという意味で、実施者の身体的 状況に応じて、用いる道具やルールを変更したものであ る。スポーツに体を適応させるのではなく、体に合わせ てスポーツを変えるのである(5‑O
この小論では、身体障害者スポーツの競技化の過程を 概観するとともに、ウルフェンスバーガーがノ‑マライ ゼ‑ションの心髄として提示したソ‑シャル・ロール・
バロリゼ‑ションCG】の概念を手がかりにして、身体障 害者スポーツの意味を再検討することを目的とする。
障害者のスポーツは、歴史の浅い女性スポーツや高齢 者スポーツに比べてみても、今なお充分な市民権を得て いるとは言い難い。また、障害者のスポーツは、その始 まりが、リ‑ビリテ‑ションであったことからも、障害 を持たない人のスポ‑ツとは性格を異にしている。しか しながら、障害をもたない人のスポ‑ツに対して、マイ ノリティあるいはマージナルな位置にあるからこそ、身 体障害者のスポ‑ツを検討することは、周辺部からスポー ツ全体を逆照射し、スポーツ全体を見渡す上で、有効性 を発揮できるのである。即ち、障害者のスポーツの研究 を適して、これまで当然のこととして考えられていたス ポ‑ツの在り方を再考し、問い直す機会が私たちに与え られるのではないだろうか。更には、この作業を通して、
私たちが生きているこの社会の在り方を考えることがで きるかも知れない。
Ⅲ 国際的な身体障害者スポーツの変遷(7) 1880年にロンドンで、両腕に杖を持った2人の片下肢
切断の人が、国王の前で競争を行ったという記録がある が、現在のように国際的にルールを統一し、多くの国の 障害のある選手が参加する競技大会を行うようになった
のたは、 20世紀になってからである。
障害者スポ‑ツの組織が、世界で初めて設立されたの は、 1888年のドイツにおける聴覚障害者のスポーツクラ ブとされ、このクラブは、 1910年にドイツ聴覚障害者ス ポーツ協会へと発展したo また、 1928年にはドイツで視 覚障害者のスポーツ団体が設立されている。
一方イギリスでは、 1922年に肢体不自由者のための身 体障害者自動車クラブが設立され、 1932年には片腕のゴ
ルファー協会が設立されている。
世界で初めての国際的な障害者スポーツの組織として、
聴覚障害者を対象とした「国際ろう者スポーツ委員会」
が1924年にパリで設立され、その翌年には、この委員会 による世界で初めての国際的な障害者スポーツの大会と なる「世界ろう者競技大会(World Games for the Deaf)」が開催されたO この大会は、以降、第二次世界 大戦を挟んだ10年間を除き、ほぼ4年ごとに開催されて おり、障害者スポーツ大会としては、最も歴史のある大 会である。日本においても、 1963年に発足した「U本ろ うあ体育協会」がこの委員会に加盟しており、第10回ワ シントン大会(1965)より選手を派遣している。表1に、
世界ろう者競技大会の開催地及び日本選手団数を示 す(8)。参加国、参加者数とも増加傾向にあることが分 かる。
このように、第二次世界大戦以前にも身体障害者スポー ツは実施されていたが、国際的規模で身体障害者スポー ツの組織が進展してきたのは、第二次大戦以降である。
大戦は脊髄損傷や切断などの多くの戦傷者を出し、特に 欧州諸国において、その人たちへのリ‑ビリテーション
回
1957 9 ; 1961
の一つとして、スポーツが積極的に取り入れられ、普及 したのであった。
1950年代の初めに、退役軍人の組織や医師の働きかけ によって、西ドイツ、フランス、オ‑ストラリア、フィ ンランド、ベルギー、ユーゴスラビア、オランダなどに おいて、身体障害者のスポーツ協会が設立された。各国 における障害者スポーツ協会の設立は、国際的なスポー ツの交流を促し、障害別の国際的なスポーツ組織が設立 された。
第二次大戦後に最も早く設立された障害別国際競技団 体は、 「国際ストークマンデビル競技連盟(ISMGF:
International Stoke Mandevill Games Federation)」
であり、脊髄損傷により車椅子を使用する人を対象とし て、 1952年に英国のアイレスベリーで設立されたO この 連盟の設立には、スポーツを医学的なリ‑ビリテ‑ショ ンの一つとして積極的に取り入れたスト‑クマンデビル 病院脊髄損傷センターU944年設立)のダットマン博士の 業績が大きい。この連盟は、ストークマンデビル病院に 隣接するストークマンデビル競技場において、陸上競技、
水泳、車いすバスケットボールなどを行う「国際ストー クマンデビル競技大会」を毎年開催した。
このストークマンデビル競技大会は、 1960年の第17回 オリンピック競技大会(ローマ)から、オリンピック競 技大会に引き続き、同じ開催地で行われるようになった。
このローマ大会は、第9回国際スト‑クマンデビル大会 でもあり、第1回パラリンピック競技大会でもある。
1964年の第18回オリンピック競技大会(東京)の後に、
第13回国際ストークマンデビル競技大会が開催された。
この東貢大会は、第2回パラリンピック競技大会でもあ る。パラリンピックという名称は、 「対マヒ」を意味す る「パラプレシック」の「パラ」と、オリンピックの 表1世昇ろう者競技大会の開催地及び日本選手団数
開 催 地
^I)
アムステルダム ニュールンベルグ ロンドン
ストックホルム コペンハーゲン ブリュッセル
ミ ラノ ヘルシンキ ワシントン ベオグラード マルメ ブカレスト ケルン ロサンゼルス
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参加国 参加 者数 日本
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14 316 12 283 13 264 14 393 (ベルギ‑〕
(イタリア) (フィンラン再 (アメリカ合衆国) (ユ‑ゴスラビア〕
(スウェーデン〕
(ルーマニア) (旧西ドイツ) (アメリカ合衆国) クライストチャーチ 〔ニュ‑ジーランド) ソフィア (ブルガリア) コペン‑ーゲン (デマーク)
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「リンピック」をっなぎ合わせ、日本が東京大会で大会 の愛称として用いたものであり、パラリンピックの旗や 歌、ポスターなどを作り、リ‑ビリテ‑ションとしての スポーツの役割を広く啓蒙した。 1988年のソウル大会で、
パラリンピックは愛称から公称となった。そして、 1992 年のバルセロナ大会から、もう一つのオリンピック
(pallallel Olympics)の意味で用いられるようになっ た。
身体障害者スポーツ組織は、第12回オリンピック冬季 競技大会(インスブルック)の開催された1976年に、
「国際身体障害者冬季スポーツ大会」 (現在、第1回のパ ラリンピック冬季大会としている)をスウェーデンのエ‑
ンシェルスヴィ‑クで開催した。
表2‑1にパラリンピック競技大会の概要、表2‑2に冬季 パラリンピック競技大会の概要を示すl。1,。参加国は増加 傾向にあり、ここ10年の大会の参加者数は、夏季大会で 四千人以上、冬季大会でも約千人と大規模な大会である ことが分かる。
国際ストークマンデビル競技連盟や国際身体障害者ス ポーツ連盟が開催する競技大会は、欧米で開催されるこ とが多く、それらの国の選手の参加が中心であった。そ のため、欧米から遠い東アジアや南太平洋諸国・地域の 障害者も参加しやすい競技大会を開催するため、 1974年
に「極東・南太平洋身体障害者競技連盟」 (Far East
and South Pacific Games Federation for the Dis‑
abled :フェスピック)が日本の社会福祉法人「太陽の家」
理事長の中村裕らの働きにより設立された。翌年に大分 県で、陸上競技や車いすバスケットボールなど8競技を 行う第1回の「極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会」
が開催された。これ以降、この競技大会は、概ね4年ご とに開催されている(表3を参照)[lD:,。
1999年1月にバンコクで開催された第7回大会には、 40 か国・地域から約二千四百人が参加し、 1週間に15の競 技が実施された。今回から、後述する国際パラリンピッ
ク委員会(IPOに公認された大会となったLHi。前年の長 野冬季大会はマスコミでも大きく取りあげられ、トップ レベルの選手を主な対象とする厚生省の「障害者スポー ツ支援金(三百億円〕」が創設されることになった。し かし、 IPC末公認のフェスピックで好成績を挙げてもパ ラリンピック‑の出場権は得られない。そこで、連盟内 に「このままでは、フェスピックの大会には強い選手が 参加しなくなる」という危機感が広がり、 IPCの公認を 得ることになったのだo そのため、この大会の柔道競技 が、 2000年のシドニー・パラリンピックの予選を兼ねる
ことになり、一年前に出場が決まっていた人が外される という事態も起こった。こうしたことから、フェスピッ 表2‑1 パラリンピック競技の概要
開 催 地 ( オリンE=1ソク)
[ 蕃 加 同 日本選手用 日本Jj成績
種 目 等
日本 不参加
陸 ト、 水泳、卓球、 アーチェ リー、 7 エ ンシ ン ダ、
日 及 び人員 憧舶 切断 視覚 C P 一機能 〜計 役員 台計 1 2 3 車
1 イタリア ローマ ( ローマ〕
同 人 ノl\
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2 日本 19糾年
567‑ 53 0 〔) 一一 一一
0 H 53 31 84‑‑ 1 5 4 …l 10
東京 …1日∃8 U ‑ 口 22 ウl イ卜リフテ ィング、車椅子 バスケbソ卜ポ‑ ル、
(東京) 〔5 日間) ‑ ‑ スヌーカI
3 1 < :蝣.i.a ラマ HJ トガン
1968年
11月 3 H ‑ 13 H 29 l▼047l一 一 37
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63 2 (} 9 13
陸 上、水泳、 卓球、 IT 一子ユ I) 一、 フェ ンシ ング、
ウエ イトり7 テ ィング、車椅子 バスケ、ソ卜ボー}L、
〔メキ シコ) O H 」聞1 1972年
l スヌーカI 、 5 種競技、 ポt l」ンケ
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4 5 3 12
陸上、水泳、 卓球、 アーチエlJ 一、 7 ユ ンシ ング、
ハ イテ ンブ′レナ 8 月 2 日〜10 日 ウエイ トリフテ ィング、車椅子 バスケ"j トボール、
〔ミュンヘ ン〕
カナ ダ
〔9 日間二> ‑ スヌーカー、 5 種競技、射撃
5 1976年
40 1,000 20 9
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陸上、水泳、卓球、 アーチェリー、 7 1 ンシ ンダ、
了} ′\ン 8 3 日〜11 日 ウエイ トリフティング 日子 ′{Tスケりノ卜ポーJL
〔モントリウ寸‑ ル〕
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(9 日間 ) スヌ‑ 力‑ 、射撃、 ボ‑ リンす、 5 極競技、 、 一
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陸上、水泳、卓球、ア‑ チ エリ‑ 、 フエ ンシ ンゲ、 nl
了h へ ン 6 月21日〜7 月5 日 ウエイ トりフテ ィング、車椅子 バスケッ トボーJレ、
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i スヌーカーl、射撃、 5 極競技 Ej 本不参加 l
陸上、水泳、卓球、 7 ‑ チ エl}‑ 、 フ⊥1ンシ ンダ、 1 ウエイ トリフテ ィング、 スヌーカー、 ノ\レ‑ ボー7レ、‑
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日
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ソウ ル 10月ー5 日〜24 日 デ、スヌI カI 、バレZ ポール、サイJ? リンデ、車椅子バスケl/ 卜ポー
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9 月 3 日 ‑14 H (12日間)
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1996年
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陸上、水泳、卓球、アーチユrト、7 ユンシンす、ウエイトり7 ティンデ、車:
椅子バスケットポーPレ、射撃、柔道、′ヾレ‑ ポ‑ 1¥,、ゴI l「しポーlーレ、ポ.ソチャ、 (ア トラ ンタ〕 C11日間〕 l車椅子テニス、乗馬、サLソ小一、自転車、ローン即 ltし、lLうケ七‑ l、lLl、∃tj 卜l ll オー ス トラリア
シドニー
〔シ ドニー)
2000年 1l0月14日〜24 日 ‑ C11 日間〕
la
表2‑2 冬期パラリンピックの概要
開 催 地
(オ リンピック) 開 催 期 間 参 加 国 及び人員
日本選手団 日本 の成績 】 種 目 等
車特子 切断 視覚 C P 機能 汁 役員 合計 1 2 3 汁
1 スウェーデ ン エー ンシェル ド スピー ク (イ ンスブル ック)
1976年 2 月23 日〜28 日 (6 日間)
国
17 人
400 人
0 人
1 人
0 人
0 人
0 人
1 人
1 人
2 自費参 加
2 ノルウェー ヤ イロ( レイクブラシド)
1980年 2 月 1 日〜 7 日
(7 日間) 18 700 0 6 0 0 0 6 5 tl 0 0 0 0 アルペ ン、 クロスカ ン トリー(アイスホ ッケ一の競技 を行 って見せた0 )
3 オI ス トリア イ ンス ブルック (サ ラエボ)
1984年 1 月14 日〜20 日
(7 日間) 22 1,000 0 6 1 0 5 12 9 21 0 0 0 0 アルペ ン、 クロスカ ン トリー ア イススレツジスピー ドレー ス 4 オース トリア
イ ンスブル ック (カルガ リー)
1988年 月 1 日17‑ 24 日 (8 日間)
22 800 5 ll 0 0 0 16 7 23 0 0 2 2 アルペ ン、 クロスカ ン トi} I 、バイア スロン
5 フランス アルベ ールビル (アルベ‑ ルビル)
1992年 3 月25日〜4 月1 日 (8 日間)
24 900 4 8 0 1 2 15 12 27 0 0 2 2 アルペ ン、 クロスカン トり‑ 、バ イア スロン
6 ノル ウェー 1994年
3 1 1,0 13 10 P
8 3 1 5 27 24
12 63 0 3 3 6
アルペ ン、 クロスカ ン トリー、バ イア スロン、
リレハ ンメル 3 月10 日〜19 日 ア イスス レツジスピー ドレース、ア イススレ1f/ ジホツ
( リレハ ンメル) (9 日間) r ‑
7 日本 1998年
32
‑〜
lt146 39 18 5 70 71 14 1 12 16 13 l 41
アルペ ン、 クロスカントリー、バ イアスロン、
長野 3 月 5 日〜14 日 アイススレツジスピー ドレI ス、 アイススレLl/ ジホッケー
(長野) (10 日間〕 (知的障害者のクロスカントリーを正式種目とするロ)
8 ア メリカ ソルトレークシティー (ソルトレークシティ)
2002年(予定) i
a i ‖
表3 極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会の開催地及び日本選手団 回 開 催 年 :‖ 開 催 地 ‑T] 参掴 ●地域 参 加 者 数 日本 選 手 団 ‖ll
l 1 19 75 大 分 市、 別 府 市 (大 分 県 )
B か 国 18 l
人 ‥
‖ 9 73
} ノ\
749 2 19 77 パ ラマ ツ タ ( オ ー ス トラ リア) 16 4 30 56
3 19 82 香 港 23 7 44 103
4 19 86 ス ラ カル タ ( イ ン ドネ シ ア) 19 8 34 78 5 19 89 神 戸 市 (兵 庫 県 ) 4 1 1 ,6 46 586 g 冒 19 94 北 京 (中 国 )
‑ 4 2 2 ,0 8 1 126 19 99 バ ン コ ク ( タ イ 34 2 ,4 23 142
クの競技化が窺える。
Ⅲ 国際的なスポーツ組織し12)
国際的なスポーツ組織は、聴覚障害者を対象とする国 際ろう者スポーツ委員会、知的障害者を対象とするスペ シャルオリンピックインタ‑ナショナル、および障害別 競技団体の5つの組織からなる国際パラリンピック委員 会がある(表4を参照A(13)。
国際パラリンピック委員会は、 1989年に設立され、世 界6地区(アフリカ、アメリカ、アジア、ヨーロッパ、
中東、南太平洋)からの代表を含めた執行委員会、各国・
地域の障害者スポーツ組織の代表、そして5つの下位組 織の代表を含めた執行委員から構成されている。国際パ ラリンピック委員会に加盟している障害別スポーツ組織 は、車いすを使用する選手を対象としている国際ストー クマンデビル車いすスポーツ競技連盟、脳性マヒの選手 を対象とする国際脳性マヒ者スポーツ・レクリエーショ
ン協会、視覚障害の選手を対象とする国際視覚障害者ス ポーツ協会、その他の身体に障害がある選手を対象とす る国際身体障害者スポーツ組織、知的障害の選手を対象 とする国際知的障害者スポーツ協会の5組織である。 19 94年に開催されたリレ‑ンメルでのパラリンピック冬季
大会より本格的な活動を開始した。
国際ろう者スポーツ委員会は、国際的な障害者スポー ツ組織としては最も歴史のある組織であり、 67か国が加 盟(平成9年現在)している。日本においては、 「日本ろ
うあ体育協会」が加盟している。この組織は、陸上競技 や水泳など15種目を競う「世界ろう者競技大会(夏季大 会)」とアルペンスキーなど4種目を競う「世界ろう者
冬季競技大会」を開催している。
スペシャルオリンピックインターナショナルは、元来
アメリカ合衆国の知的障害のある人たちのための組織で あったが、アメリカ合衆国の各州52か所と、合衆国以外 の144か国に、承認された組織がある。夏季大会で12種 目、冬季大会で5種目が、それぞれ4年ごとに実施され
衰4 国際的な障害別スポーツ組織
柿 ( )内略称 設立年 対象 とす る障害者
ツ委員会 1924年
1968年
聴覚 障害者 i 知的障害者 m al des Sports des Sourds (C ISS)
ピックイ ンターナ シ ョナル In ternational (SO I) 名
国際ろう者スボー
Comite Internatio スペシャルオリン Special Olympics
国際パラリンピック委員会
International Paralympic ComiTlittee (IPO (国際パラリンピック委員会加盟組織〕
国際ストークマンデビル車椅子競技連盟 International Stoke Mandevill Wheelchair Spoets Federation (ISMWSF)
国際身体障害者スポーツ組織
International Sports Ogamzation for the Disabled (ISOD)
国際脳性麻樺者スポーツ:レクリエーション協会 Cerebral Palsy International Sports and Recreation Association (CP‑ISRA)
国際視覚障害者スポーツ協会
International Blind Sports Association (IBSA)
国際知的障害者スポーツ協会
International Sports Federation for Persons with Mental Handicap (INAS‑FMH)
ている。
これらの組織は、すべて国際オリンピック委員会(IO C)に承認を受けた組織であり、各組織が常にこのこと を強調している。また、国際パラリンピック委員会は、
障害者スポーツを、 1「‑ビリテーションではなく、競技 そのものであるとの位置づけ明示し、 IOCより財政的支 援を受け、障害者スポーツの展開を図ると同時に、パラ リンピックの種目をオリンビ・ソク競技大会に統合するよ うIOCに働きかけている111!。
IV 日本国内の動向し15'
L」本における身体障害者スポーツ大会は、東京都で19 51年から、埼玉県で1952年から、長野県で1958年から、
各地方公共団体により開催されていたが、当時は、必ず しも競技としてルー>lを定めた大会ではなかった。
初めて確止した競技として開催されたのは、 1961年の
「第1回大分県身体障害者体育大会」であり、この人会の 開催にあたって、日本初の障害者スポーツ協会である大 分県身体障害者体育協会が設立されている。
1962年には、その年に国民体育大会を開催した岡山県 において、 「第1回岡山県身体障害者体育大会」が開催さ れた。この大会は、それまで他の地方公共団体で行われ
(車いす使用者〕
切断、四肢体幹機能障害着 也
(原則全ての身体障害者) 脳性マヒ者
視覚障害者
1986年)知的障害者
ていた大会と異なり、県外の身体障害者の出場を認めた。
1963年には、山口県での国民体育大会の後に「身体障害 者体育大会Ujn大会」が開催された。この大会は、翌年 のパラリンピック東京大会を意識したものであり、山口 県と、 (財〕国際身体障害者スポーツ大会運営委員会の 主催した大会となった。
日本における身体障害者スポーツが、全国に広がる契 機となったのは、 1964年に東京で開催された第13回ストー クマンデビル大会(第1回パラリンピック競技大会)で ある。この大会は、二部構成であり、第1部は国際大会 として、各国の対マヒ者を対象とした車いすによる競技 が実施され、その直後に、第2部の国内大会として、視 覚障害、聴覚障害、対マヒ、切断などの障害のある選手 を対象とした競技が実施された。
この大会の運営を行った(財)国際身体障害者スポー ツ大会運営委員会は、翌年1965年に解散したが、その年 に、国内の身体障害者スポーツを統括する組織として、
(財〕日本身体障害者スポーツ協会が設立された。また、
第2部として開催された国内大会は、国民体育大会秋季 大会の後に行われる「全国身体障害者スポ‑ツ大会」へ と名称を変えて引き継がれた。 (財)日本身体障害者ス ポーツ協会と全国身体障害者スポーツ大会が、その後の 日本における身体障害者スポ‑ツの普及に大きな役割を
表5 日本で毎年開催されている主な全国規模の競技大会
琶 大 会 名 闇 値 回
開 催 地 ‑
主 た る 主 催 者 l 全 国身 体 障 害 者 ス ポ P ツ大 会 3 2
Ii 公
都 道 府 県 持 回 り
厚 生 省 、 (財 ) 日本 身 体 障害 ′∃ ツ協 会 、 開 催地 都 道 府 県 . 辛:
、じ、
合 全 国精 神 薄 弱 者 ス ポ ‑ ツ大 会 大
会 I
5 ! 都 道 府 県 一 個 回 り
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)R本身 日本車椅子バスケットボール連盟、
(財〕日本身体障害者スポーツ協会 日本車椅子バスケットボール連盟、
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日本車椅子ツイン′\スケットボ‑ル 連盟、日本車椅子バスケットボール連 盟、 (財)日本身体障害者スポ‑ツ協会 全Lj本ろう社会人軟式野球連盟
日本身体障害者野球連盟、神戸市 (財)神戸市障害者スポーツ協会
u本身体障害者バドミントン協会 (財)u本身体障害者スポ‑ツ協会、
日本身体障害者水泳連盟
日本視覚障害者柔道連盟、 (財)日本
% wmm%スポ‑ツ協会 持回り ‑ (社福)日本盲人会連合、
表6 競技別及び障害別スポーツ団体
名 称 設立年月日 会 員 数
(平成9年7月1日現在) 日本ろうあ体育協会
tj本身体障害者スキー協会 E]本身体障害者アーチェリー連盟 日本車椅子バスケットボール連盟 日本チェアスキー協会
日本肢体不自由者卓球協会 日本身体障害者水泳連盟 日本盲人マラソン協会 日本視覚障害者柔道連盟 日本車いすテニス協会 日本身体障害者陸上競技連盟
ヨットエイドジャパン
日本身体障害者バドミントン協会 日本視覚‑ンディキャップテニス連盟 日本障害者自転車協会
日本身体障害者ゴルフ連盟 日本・車いすダンス連盟 H本身体障害者野球連盟
日本盲人会連合スポーツ連盟競技会 日本ゴールボ‑ル協会
R本障害者乗馬協全
日本身体障害者ライフル射撃連盟 電動車椅子サッカー連盟
障害者カヌ‑協会
E]本ウィルチェア‑ラグビ‑連盟 日本シッティンゲバレ‑ボール協会
果たした。
この大会の目的は、 「広く全国の身体障害者の問に、
スポーツを普及し、身体障害者がスポーツを通じて体力 の維持・増強及び残存能力の向Lを図るとともに、明朗、
快活かっ積極的な性格と協調精神を養い、明るい社会生 活の形成に寄与すること」 である。より多くの人がこ の大会に参加できるように、個人競技は1回しか参加で きないという原則があったが、第33担]大会(1997年〕から は2回まで参加できるようになった。
また、全ての障害者にスポーツへの参加を可能にする ために障害区分が設けられている。ところが、障害区分 ごとにレ‑スを行うので競技性が薄れるという理由のた めに、 1997年より障害区分が改訂された。すなわち、陸 上競技では42の区分から27の区分へ、水泳では42の区分 から26の区分‑、アーチェリーでは42の区分から7の区 分‑、卓球では42の区分から17の区分‑とクラスが集約 された。また、体ノ封こよる不公平を少なくするために、
39歳以下の人は1部、 40歳以上の人は2郡‑と年齢区分 が設けられたこ17i。ここでも、競技性の高まりが見られ る。
1970年頃から、競技別大会も開催されるようになり、
1971年から「日本車椅子バスケットボール選手権大会」、
1972年から「全国身体障害者スキー大会」、 1973年から
昭和38年3月 昭和年47月2 昭和48年4月 昭和50年5月 昭和55年11月 昭和57年4月 昭和59年4月 昭和59年9日 昭和61年4月 昭和61年5月 昭和63年3月 平成元年月8 平成2年6月 平成2年4月 平成2年4月 平成2年4月 平成5年5月 平成6年2月 平成6年8月 平成7年4月 平成7年4月 平成7年4月 平成7年7月 平成7年11月 平成9年4月 ‑
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「全国身体障害者アーチェリ‑選手権大会」が開催され ている。その後、表5'Lは)に示すように、車いすマラソ ン、視覚障害者柔道など多くの競技大会が開催されるよ うになった。平成9年時点で、主な競技別及び障害別ス ポーツ団体は26団体ある(表6を参照〕…、l。
1991年からは、標準記録により参加可能なレベルを示 し、より競技性の高い大全と位置づけたジャパンノヾラリ ンビック陸上競技大会と、ジャパンパラ1ノンピック水泳 大会が開催されるようになった。
Ⅴ ウルフェンスバーガーの示すソーシャル・
ロール・バロリゼーションの概念
ここまで、身体障害者スポ‑ツの変遷と現状について 概説し、大まかではあるが、その競技化の状況を把握す ることができたO次に、本稿の議論の手かかりとなるソー シャル・ロール・バロリゼーションの概念について論じ m
ウルフェンスバーガーは、北欧の知的障害児の親の運 動のなかで提唱されてきたノーマライゼ‑ション原理を、
米 やカナダに紹介し、知的障害児への対人サービスの 改善を実践してきた人である。彼の著書『ソーシャルロー ルバロ1)ゼーション入門』において、 「ソーシャルロ‑
ルバロリゼ‑ションの理論は、ノーマリゼーションの原 理から生まれたものであり、それを組み込むとともに、
それにおき代わるべきものである」(20'と述べている.
以下、この節では、ウルフェンスバーガーがノ‑マラ イゼーションの心髄として提示したソーシャル・ロ‑ル・
バロリゼ‑ションのコンセプトを概観することにするo 人々は、他人から知覚され、その知覚する者から肯定 的あるいは否定的に評価される。知覚する者によって否 定的に評価される時に、 「価値の引き下げ(devaluation)」
が行われ、低い価値が斌与される。言い換えると、 「価 値の引き下げ」は、知覚する者が他の人に対して行うも のであり、知覚されるノ付こ本来備わっているものではな い。したがって、もしもある人が、他人の目から価値が あると映って欲しいと願うならば、他人を強力に促して、
肯定的な価値のある仕方で知覚するようにさせなくては ならないし:1)。
例えば、私たちの社会では、健康と肉体の美に価値が 置かれてる。そこで、病気と身体的奇形が価値を引き下 げられる。また、私たちの社会では、生産性と達成、物 理的な貢献に高い価値が置かれる。そこで、非生産的で、
他の人にとって利益となるよりも出費になるように見ら れる者の価値が引き下げられる。今EI、私たちの社会で、
誰が価値を引き下げられやすいかを理解するためには、
広くいきわたっている文化的価値を意識しなくてはなら ない〔22」。
人が、社会的に価値を置かれたり、引き下げられたり する際、他の人によってもたらされた役割期待が内面化 される。他者によって抱かれた役割期待が否定的なもの である場合、その人は否定的に行為し、否定的な役割を 内面化しがちである。それに対して、他者によって抱か れ伝えられた役割親侍が肯定的なものである場合、その 人は肯定的に行為し、肯定的な役割を内血化する。他者 によって期待された役割が肯定的であろうが、否定的で あろうが、その役割を内面化し、遂行することによって、
アイデンティティが形成される(23、0
ある人々が、社会的により肯定的な価値があり、また 肯定的な価値があるようになるためには、価値のある社 会的な役割が獲得され、維持されなくてはならない。そ うすることによって、価値を引き下げられている人々は、
価値を引き下げられているアイデンティティと結びっい た役割から解放される'2‑㌔
ソ‑シャル・ロ‑7レ・バロリゼ‑ションには、価値を 引き下げられた人々が、多くの生活領域で、社会的な価 値のある生活に統合されることが必要である。これは、
彼らが、価値のあるコミュニティ内の普通の住宅で、価 値のある人々(の近くでではなく)と共に暮らし、価値 を引き下げられていない仲間と一緒に学び、普通の人々 と同じところで働き、そして、レクリエーションや買い
物や、社会のメンバーが行っているその他すべての活動 に、肯定的な仕方で参加することを意味する。すなわち、
インテグレーション(インクルージョン)によって、社 会的な価値が引き上げられるのである。どのような優れ た教育が行われようとも、隔離の場においてそれがなさ れるのならば、価値の引き下げに結びつく(25)。
こうした議論を踏まえ、ソーシャル・ロール・バロリ ゼ‑ションの定義は以下のようになる。 「可能なかぎり 文化的に価値のある手段によって、価値の危機に瀕して いる人たちのために、価値のある社会的な役割を可能に し、確立し、増進し、維持し、防衛すること。」(2bj肯定 的な価値をもっ役割の例として、例えば教育の分野では 教師、学者、生徒があり、コミュニティ参加の分野では 政府の係官、納税者、投票者があり、そして、レクリ工‑
ションの分野において、運動家、選手、コーチ、スポー ツファンがあるi27)。
以上、簡単ではあるが、ウルフェンスバーガーのソー シャル・ロール・バロリゼ‑ションの概念を示した。彼 は、多分にラベリング理論の考え方を取り入れていると 思われる。すなわち、彼は、障害者に逸脱のラベルが貼
られる社会過程に注目し、その負の社会的イメージがフィー ドバックされ、増幅される悪循環を断ち切るための方法 として「ソーシャ>l> ロ‑ル・バロリゼ‑ション」を示 しているのである。
Ⅵ ソーシャル・ロール・パロリゼーション
としての身体障害者スポーツ
ウルフェンスバーガ‑の示すソーシャル・ロール・バ ロリゼ‑ションの考え方に基づいて、身体障害者のスポー ツを考案すると、どのようなことが言えるだろうか。ま ず、彼も指摘しているように、身体障害者がスポーツに 関わる役割を取得することは、社会的な価値の引き上げ につながると言える。このことは、スポーツを通じて臓 器移植への理解を深めて欲しいという趣旨で「全国移植 スポーツ大会」が開催されていることからも、理解され る(掛。,すなわち、身体的に低い価値が賦与されていた人 たちが、スポーツをすることによって、より高い社会的 な価値を得ることができるのである。
また、雑誌『アクティブジャパン』の投稿欄で、ある 車椅子バスケットボ‑ルの選手は、 「身体障害者のスポ‑
ツを、リ‑ビリの一環ではなく、一つのスポーツとして 認めて欲しい‑社会が身体障害者スポーツを『いちスポー ツ』として認識していれ12'、新聞で記事とLて取り上げ る際も社会面ではなくスポーツ面で掲載するはずなので あるo」と記していた。29‑0 医療行為としての身体運動よ りも、競技性のあるスポーツに関わる方が、より高い社 会的役割であるという考えが、暗黙の前提となっている
のである。また、山崎は、欧米の身体障害者スポーツは アダプティブ・スポーツであるのに対して、日本の身体 障害者スポーツは未だにリ‑ビリの段階であると指摘し、
「車椅子のバスケットは、身体の不自由な人のバスケッ トではなく、車椅子を使ったバスケットであり、使用さ れる椅子も足の不自由な人の道具ではなく、スポーツ器 貝の一つと考えられる」と述べている(30)
2000年のシドニーオリンピックでは、 1984年以来、デ モンストレーション種Ejとして実施されていた陸上競技、
女子800mと男子1500mの車椅子競争がオリンピック競 技大会の正式種目に組み入れられる(31)。こうしたインテ グレーションによって、その種目に関わる社会的役割が 高められ、パラリンピックにおいて実施されていた時よ りも高い社会的な価値が賦与されることになるだろう。
ソーシャル・ロール・バロリゼーションの考え方の特 徴は、障害者がもつ社会的役割ではなく、障害者が果た
していると周りの者が見ている社会的役割に注目してい るところにある。そして、その社会的役割が高いか低い かという評価は、社会的集合のレベル、すなわち社会意 識のレベルでなされるのである。では、スポーツに関わ ることで社会的役割が高まるという評価を卜す社会とは、
どのような社会だろうか。
それは、 「できる」原理 による社会である。つまり、
「ある」だけでは価値を見出さない社会である。かって、
全てのものには「神」が宿っていると考えられていた。
絶対的な神が造ったこの世界には、 「神」が、つまり
「価値」が、内在しているに違いないと考えられていた。
世界があること自体、私が、そして、あなたかいること 自体、価値があると感じていた。しかし、 「近代」は、
この価値をはぎ取るところに成立した。 「ある」だけで は、価値が無いのである。能力が高いもの、業績をあげ たものを評価する原理(業績主義・能力主義)が、近代 の基本的な原理である。
(近代)スポ‑ツは、身体上「できる」ことに価値を 置く。例えば、逆上がりができなかった子どもが、でき るようになると、先生は褒める。 1998年に70本のホーム ランを打つことができた米大リーグ・カ‑ジナルスのマ グワイヤーを、人々は賞賛する。一方、身体障害者は、
機能障害ゆえに能力障害(disability〕をもっ人たちであ る。したがって、彼らは、 「できる」原理の社会におい て、必然的にスティグマを負わされしまう。こうした状 況において、まさにスポーツは、身体障害者に、 「でき る」原理の社会で捺されたスティグマを消し去るための 絶好の場を用意してくれるのである。スポーツは、身体 障害者にとって、ソ‑シャル・ロ‑ル・バロリゼ‑ショ
ンを可能にしてくれる大逆転の場なのである。
Ⅶ ソーシャル・ロール・パロリゼーションの 地平を越えて
藤田は『ディサビリティ・スポーツー僕たちの挑戦‑』
の中で、ノーマライゼ‑ションの方法とLてウルフェン スバーガーの理論を提示している(33)。ノーマライゼーショ ンのためには、 「障害のある人の社会的なイメージアッ プ」と「障害のある人自身の社会的な適応力、能力の向 上」が必要であると述べている。確かに、藤田の言うよ うに、障害者がスポーツをすることは、スポーツの持つ 肯定的なイメージと障害のある人のイメージが結びっい てイメージアップにつながるという点と、スポーツにお いて今までできなかったことができるようになり、それ は個々人の人間的成長や自己実現になるという点におい て、スポーツは有用なノーマリゼーションの方法である ということは自明のことであると恩われる。
ところが、ウルフェンスバ‑ガ‑のソーシャル・ロー ル・バロリゼ‑ションの理論そのものに対する批判もあ る。茂木は、ウルフェンスバーガーのソーシャル・ロ‑
ル・バロリゼ‑ションという理論は、スティグマ、ラベ リング、逸脱、役割取得などを鍵概念とし、社会の側の 障害者に対する見方の改善を要求すると同時に、障害者 の側にも「逸脱者」的特徴の除去・軽減を求めており、
結果として障害者の権利拡充やそれに伴う諸条件の整備 に関する社会の側の責務についての認識を弱めると指摘 している̀抑O すなわち、ウルフェンスバーガーは、社会 の側の障害者に対する見方の改善を要求する一方で、障 害者の側にも「逸脱者的」特徴の除去・軽減を求めてい るのである。工夫をすればダウン症特有の頭蓋や顔ぼう というスティグマを少なくするへアカットもあり、美容 整形でスティグマを除去したり、減らすことも可能であ るとウルフェンスバーガーは例示している。ウルフェン スバーガーの理論は、障害者が障害とその表れを覆い隠 Lたり否定Lたりすることによってノ‑マライゼーショ ンが進むという考えをもっものであると茂木は批判して いるO ノーマライゼ‑ション原理は個人の尊厳から出発 するものであるにもかかわらず、ウルフェンスバ‑ガー は、逸脱集団の社会的位置の修正に関する理論へと変化 させているのである。
ところで、石川は、障害者が障害をふっ切る方法には 2つあるというし3㌔ 一つは、障害と自分との関係を否認 し、障害を差し引いた残りの部分が自分であるとする生 き方である。つまり、評価の対象となる能力のくぎり方 や能力の定義を、自己否定が和らぐ方向に修正するので ある。もう一つのふっ切り方は、障害を旺め恥じる「健 常者文化」から自由になって、障害をひとつのかけがえ のない個性として受け入れ、ありのままの自分を丸ごと 肯定する生き方である。石川は、どちらもれっきとした