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韓 国 ・占領 体制下 にお け る社会保 障制度

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韓 国 ・占領 体制下 にお け る社会保 障制度

片 桐 由 喜

は じ め に

日韓 の 現 行 社 会 保 障 法 制 は1),多 くの 点 で よ く似 て い る。 この こ とは 他 の法 分 野 に お い て もい え る。 これ に は 二 つ の 理 由 が あ る。

一 つ は

,現 行 韓 国 法 の多 くが,日 本 植 民 地 時代 に適 用 され て い た 法 律 を,基 本 的 に維 持 して,今 日に至 っ て い る か らで あ る 。 つ ま り,こ の 「日本 植 民 地 時 代 に適 用 され て い た 法 律 」 の 大 半 は,後 述 す る よ う に,大 日本 帝 国 時 代 の 日本 法 で あ る 。 そ して,日 本 に お い て も,民 法,商 法 あ る い は 刑 法 等,当 時 と同 じ 法 律 が 存 続 して い るた め,現 行 日韓 法 に多 くの 類 似 点 が 見 られ る の で あ る。

も う一 つ の 理 由 は,戦 後,韓 国 が社 会 整 備 を 目的 と して 立 法 に着 手 す る に 際 し,我 が 国 の法 律 を参 考 に した,と い う こ とが あ げ られ る2)。 こ れ は,と りわ け,社 会 法,つ ま り,労 働 法 や 社 会 保 障 法 分 野 にお い て,顕 著 で あ る 。

と こ ろ で,こ れ まで の 社 会 保 障 法 に お け る比 較 法 研 究 は,主 と して 欧 米 諸 国 の 法 制 度 を研 究 し,そ れ らか ら我 が 国 は 何 を学 び,ど の よ う な示 唆 を 得 る こ と が で き,そ し て,今 後 の立 法 政 策 に お い て,何 をモ デ ル と し う る か を,研 究 の 目的 と して き た。 しか し,前 述 した とお り,韓 国 社 会 保 障 法 制 に お い て は多 く

1)本 稿 で 用 い る 用 語 に つ い て は,以 下 の 通 り とす る 。 まず,朝 鮮 半 島 を 日本 の 植 民 地 支 配 下 に お か れ て い た 期 間 の み,朝 鮮 と表 記 し,そ れ 以 外 の 時 代 に つ い て,韓 と 表 記 す る 。 但 し,戦 後 は現 在 の 大 韓 民 国 の み を 指 す も の とす る 。 ま た,時 代 に か か わ らず,人 に つ い て は 韓 国 人 と表 記 す る 。

2)韓 相 範 「第1章 韓 国 法 の 展 開 と法 思 想 」 姜 京 根 ・サ 龍 澤(編)『 現 代 の 韓 国 法 そ の 理 論 と動 態 』(有 新 堂,2004年)5頁

〔143〕

(2)

が,日 本 法 が 母 法 で あ る 。 そ の た め,英 米 法 研 究 と同 じ視 点 で 研 究 す る こ とは で き な い。i換言 す れ ば,少 な く と も,1990年 代 以 前 の 韓 国 社 会 保 障 法 の 立 法 過 程 や そ の 規 範 構 造 を3),日 本 法 の モ デ ル と して 研 究 す る意 義 は 乏 しい。

そ こで,二 つ の 疑 問 に 答 え な け れ ば な らな い 。 一 つ は,で は,韓 国 社 会 保 障 法 を研 究 す る 意 義 は何 か,も う一 つ は,研 究 す る場 合 に,英 米 法 研 究 と は異 な る,ど の よ う な 視 点 に立 脚 す る の か,と い う こ とで あ る 。

まず,韓 国社 会 保 障 法 研 究 の 意 義 は,本 稿 が 論 ず る範 囲 に 限 っ て い え ば,こ れ まで 英 米 法 中 心 の 制 度 紹 介 お よび 研 究 で あ っ た た め に,十 分 に 明 らか で な か っ た韓 国 社 会 保 障 法 制,と りわ け草 創 期 の法 制 を紹 介 す る こ とに あ る。

こ れ まで の韓 国 社 会 保 障 法 制 に 関 す る 先 行 研 究 は,主 と して,現 行 制 度 の紹 介 や 分 析 な どが 中 心 で あ り,体 系 的 な制 度 史 研 究,と りわ け,占 領 期 に まで 遡 っ て 検 討 した もの は 少 な い4)。 した が っ て,本 稿 が 韓 国 の 開 国 を 始 点 と し,植 民 地 支 配 か らの 解 放 に 至 ま で の期 間,ど の よ う な社 会 保 障 法 制 が 存 在 し,ど の よ う に機 能 した か あ る い は機 能 し なか っ た か を検 証 す る こ とは,同 法 制 を体 系 的 に 理 解 す る う え で い く らか な りと も 資す る と思 わ れ る。

そ して,本 研 究 を よ り発 展 させ た次 の段 階 に,日 韓 社 会 保 障 制 度 に お け る共 通 点 と相 違 点,あ る い は こ れ らの 制 度 と欧 米 先 進 諸 国 の そ れ と比 べ た と きの 異 質性 な い しは 特 質 性 が どの よ うな も の で あ るか を抽 出 し,そ の 背 景 を分 析 す る こ とが あ る 。 こ れ に よ り,東 ア ジ ア 圏 に,欧 米 諸 国 と は異 な る 社 会 保 障 規 範 が 存 在 す る こ と を提 示 し5),そ の規 範 を今 後 の 立 法 に どの よ う に 反 映 させ て い く

3)1990年 代 以 降,医 療 保 険 制 度 改 正 に よ り実 現 さ れ た 保 険 者 一 元 化,年 金 制 度 に お け る 種 種 の 改 革 等,我 が 国 に お い て 実 施 さ れ て い な い 先 駆 的 体 制 が 作 ら れ て い る 。 こ れ ら は,日 本 法 へ の 示 唆 とな り う る 。

4)占 領 期 間 中 の 制 度 を 研 究 対 象 と した もの と して は,金 早 雪 「朝 鮮 総 督 府 の 社 会 事 業 」 『大 原 社 会 問 題 研 究 所 雑 誌 』392号(1991年)19頁 が あ る 。 ま た,軍 事 政 権 期 の 立 法 過 程 に つ い て 論 じ た,朴 明 喜 「韓 国 の社 会 福 祉 政 策 の 成 立 過 程 と社 会 統 制 一軍 事 政 権 の 福 祉 立 法 を 中 心 に 一」『社 会 福 祉 学 』38巻2号(1997年)136〜151頁 が あ る 。 5)近 年,我 が 国 に お い て,ア ジ ア社 会 保 障 法 の紹 介 な い し は研 究 が 活 発 に展 開 さ れ

て い る。 制 度 紹 介 の 文 献 に は,広 井 良 典=駒 村 康 平(編)『 ア ジ ア の 社 会 保 障 』(東 京 大 学 出 版 会,2003年),宇 佐 見 耕 一 編 新 興 福 祉 国 家 論 ア ジ ア と ラ テ ン ア メ リ

(3)

韓 国 ・占領体 制 下 にお ける社 会保 障制 度 ヱ45 こ とが,制 度 構 築 に資 す るか を示 す こ とが,も う一 つ の 意 義 で あ る。

次 に,後 者 の 問 い につ い て,韓 国 社 会 保 障 法研 究 の視 点 とは,日 本 の社 会 保 障 法 制 が 韓 国社 会 に どの よ う に移 植 され,継 受 され て きた の か とい う こ とで あ る。 言 い換 え れ ば,植 民 地 支 配 下 で,日 本 法 が 韓 国社 会 保 障 法 制 形 成 あ る い は

非 」 形 成 に与 え た 影 響 は,ど の よ う な もの で あ っ た か,と い う こ とで あ る 。 そ して,本 稿 の 目的 は,こ の よ うな 視 点 に 立 ち,占 領 体 制 下 に あ っ た 韓 国 に お い て,ど の よ うな 社 会 保 障 制 度 が 創 設 され て い っ た か を 明 らか に して い く こ と に あ る 。 なお,本 稿 の 検 討 対 象 は,日 本 が 韓 国 へ の干 渉 を始 め た1876年 か ら 終 戦 の1945年,続 い て ア メ リ カ軍 の軍 政 が 開始 され た1945年 か ら1948年 の大 韓 民 国 樹 立 まで とす る6)。

1占 領体制基盤形成期の社会保障制度

社 会 保 障 制 度 は,多 くの 場 合,救 貧 制 度 か ら始 ま る。 そ して,そ れ は 当 初, 国 民 が 国家 に対 し権 利 と して 請 求 で きる性 質 を有 さず,国 家 が 恩 恵 と して 実 施 す る 施 策 で あ る。 韓 国 にお い て は,こ の救 貧 制 度 の 起 源 は 三 国 時 代 に遡 る と さ れ る7)。 しか しな が ら,本 稿 で は研 究 対 象 を江 華 島 条 約 締 結(1876年)お よ び

カ の 比 較 研 究 』(ア ジ ア 経 済 研 究 所,2003年),全 光 錫 「第11章 韓 国 の 社 会 保 障 法 」 姜 京 根=サ 龍 澤 ・前 掲 書(注2)221〜238頁,が あ る 。 ま た,ア ジ ア に お け る 福 祉 国 家 形 成 過 程 に つ い て の 理 論 的 研 究 に は 上 村 泰 裕 「福 祉 国 家 形 成 理 論 の ア ジ ァ NIEsへ の 拡 張 」 『ソ シ オ ロ ゴ ス 』23号(1999年)232〜248頁,大 沢 真 理 編 著 『ア

ジ ア 諸 国 の 福 祉 戦 略 』(ミ ネ ル ヴ ァ 書 房,2004年),Kwon,Huck‑ju,"Democracy andthepoliticsofsocialwelfare:acomparativeanalysisofwelfaresystemin

EastAsia",in:RogerGoodman,GordonWhiteandHuck‑juKwon(eds.),TheEast AsianVaelfareModel!WelfareOrientalis〃zandthestate,(Routledge,1998),25‑74;

Kwon,Huck‑ju,TheWelfareStateinKorea,(MacmillanPressLtd,1999)な ど が あ る 。

6)歴 史 的 な 部 分 は,通 史 的 概 説 で あ り,一 つ 一 つ に つ き 参 考 文 献 を あ げ る こ と を 略 し た 。 本 稿 の 目 的 を 果 た す の に 必 要 な 範 囲 に 限 っ て,引 用 文 献 を 示 し た 。 7)こ れ に つ い て,詳 細 は 権 五 球 『社 会 福 祉 発 達 史7刊 碧 秀 旦2魁 』(弘 益 斎,2002年)

234〜258頁,司 甘 叫 「刈3x.V軒 入ト司 昇 ス1入}9立 暑 」 河 相 洛 編 韓 国 社 会 福 祉 史 論 』(博 英 社,1989年)40〜47頁 参 照 。

(4)

甲午 改 革(1894年)以 降 と した 。 そ の 理 由 は,江 華 島条 約 に よ っ て 韓 国が 開 国 し,ま た,甲 午 改 革 に よ り韓 国 の近 代 国 家 建 設 が 始 ま っ た か らで あ る8)。

す な わ ち,少 な くと も,社 会 保 障 法 制 史 研 究 に お い て は,当 該 国 家 が 法 制 度 を作 り,施 行 す る こ と を期 待 で きる 時代 と な っ た 時 点 を も っ て検 討 対 象 の始 ま りと しな け れ ば な あ ろ う。 しか も,そ の 立 法 過 程 が 形 式 的 にで あ れ 民 主 的 な プ ロセ ス を経 て い る とい う前 提 が 必 要 で あ る。 韓 国 にお い て は そ れ が1876年 以 降 で あ る と考 え る。 この 時 期 以 降,韓 国 は 近 代 国家 と して の体 制 を整 え,社 会 整 備 に必 要 な 立 法 を期 待 で きる よ う に な っ た とい え るか らで あ る。

た だ し,最 初 に,社 会 保 障前 史 と して,1894年 以 前 の 李 氏 朝 鮮 時 代 の 救 貧 制 度 につ い て 簡 単 に触 れ る。 なぜ な ら,李 氏 朝 鮮 時代 に は早 い う ち か ら法 典 編 纂 が 進 め られ,そ の 中 に救 貧 制 度 に関 わ る 法 典 が 少 な か らず 含 まれ て い るか らで あ る 。 い わ ば,韓 国 にお け る制 度 と し て の 社 会 保 障 の 始 ま りと い っ て よい9)。

そ れ ゆ え,こ の 時 代 の救 貧 制 度 ・事 業 を概 観 す る こ と は,当 時,す で に 救 貧 制 度 が存 在 す る こ と を認 識 し,ま た,そ の後 の 諸 制 度 との 連 続 性 を考 え る 上 で 参 考 に な る と思 わ れ る。

(1)李 氏 朝 鮮 時 代 の 救 貧 制 度

根 拠 法 典

李 氏 朝 鮮 時 代 は 法 典 編 纂 事 業 が 活 発 に行 わ れ,多 くの 法 令 が 公 布 さ れ た10)。

この た め,法 令 間 の 矛 盾,齪 飴 が 生 じる こ と と な り,第7代 世 祖(1455〜1468 年)は これ ら法 令 を体 系 的,統 一 的 法 典 に編 纂 し直 す作 業 に着 手 し た。 この 法 典 は経 国 六 典 と呼 ば れ,吏 典,戸 典,礼 典,兵 典,刑 典 お よ び工 典 で 構 成 され て い る。 経 国 六 典 は 第9代 成 宗 の と き に完 成 ・施 行 さ れ た(1485年)11)。

8)表 基 孝 『日 帝 時 代q福 祉 行 政 』(弘 益 出 版 社,1999年)3頁 9)具 慈 憲 韓 国 社 会 福 祉 史 』(弘 益 斎,1970年)188頁

10)参 考 邦 語 文 献 と して は,朝 鮮 総 督 府 中枢 院 調 査 課(編)『 李 朝 法 典 考 』(朝 鮮 総 督 府 中 枢 院,1936年),朝 鮮 総 督 府(編)『 李 朝 法 典 考 』(第 一 書 房,1977年),等 が あ る 。

11)高 翔 龍 現 代 韓 国 法 入 法 』(信 山社,1998年)4〜6頁

(5)

韓 国 ・占領体制 下 にお け る社 会保 障制 度 147 これ ら経 国 六 典 の う ち,社 会 保 障 制 度 的 な内 容 を 有 す る もの は 吏 典,戸 典, 礼 典 お よ び 兵 典 で あ る12)。 吏 典 は 医療 救 護,戸 典 は 主 と して 農 民 の 生 活 安 定 施 策,礼 典 は 老 人 と孤 児 に対 す る救 済,そ して 兵 典 は免 役 と救 貧 につ い て 定 め る 。 また,李 氏 朝 鮮 末期 の1783年 に は 「字 憧 典 則 」 が 定 め られ た 。 こ れ は 遺 棄 児 や 浮 浪 児 に 対 す る保 護 法 令 で あ る。

救 貧 事 業

こ れ らの 法 典 に基 づ き,李 氏 朝 鮮 時 代 の救 貧 制 度 が 実 施 さ れ た 。 これ を 内 容 別 に,当 時 の 分 類 に 従 っ て整 理 す る と,3つ に分 け る こ とが で き る。す な わ ち, 備 荒,救 荒 お よ び救 療 で あ る13)。 これ が 先 述 し た 救 貧,老 人 や 孤 児 に 対 す る 保 護 お よび 医 療 救 護 を意 味 す る14)。

まず,備 荒 は三 倉 制 度 と も称 さ れ る 。 三 倉 制 度 と は常 平 倉,義 倉 お よ び社 倉 の 各 制 度 をい う15)。こ れ ら三 倉 制 度 の 基 本 的 な機 能 は 穀 物 を一 定 量,保 管 し, 安 定 した 穀 物 供 給 を行 う こ と にあ っ た 。 次 に救 荒 制 度 は 四 窮(鰹 寡 孤 独)に す る保 護,給 食 事 業,穀 物 価 格 安 定 事 業,免 減 税 制 度 お よび 隣 保 相 助 事 業 等 か ら な る。

注 目す べ き こ とは,李 氏 朝 鮮 時 代 に行 わ れ て い た 救 貧 事 業 が,ほ ぼ 同 時 代 の 日本 に お い て も見 られ る こ とで あ る16)。 これ は,こ れ ら救 貧 事 業 の 起 源 が 中 国 大 陸 で あ り,そ こか ら 日韓 両 国 に伝 搬 され た こ と に 由来 す る17)。

12)権 五 球 ・前 掲 書(注7)262頁 13)糾 甘 軒 ・前 掲 論 文(注7)54〜77頁

14)こ れ らの 救 済 を 担 当 す る 機 関 と し て,救 荒 庁,恵 民 局,活 人 署 お よ び誉 老 所 が 設 置 さ れ た 。 救 荒 庁 は 第4代 世 宗(1418〜1450年)に 困 窮 農 民 の 救 済 の た め に設 置 さ れ た 。 恵 民 局 は 一 般 庶 民 の 疾 病 治 療 を 担 当 し,活 人 署 は,患 者 の 救 貧 を担 っ た 。 ま た,書 老 所 は 今 日で 言 う と こ ろ の 老 人 施 設 で あ る 。 前 記 「字 憧 典 則 」 は,賑 憧 庁 留 接 所 を 規 定 し,遺 棄 児,浮 浪 児 の 収 容 保 護 を図 る こ と と し た 。子 ス団 『妊 号 亙 司 昇

ス1善菅 』(甘翔 刈,1977年)129頁 15)子 叫 観 ・前 掲 書58〜61頁

16)一 番 ヶ 瀬 康 子=高 島 進(編)『 講 座 社 会 福 祉2社 会 福 祉 の 歴 史 』(有 斐 閣,1981 年)16頁

17)社 会 保 障 制 度 に つ い て,日 本 法 が 中 国 法 を 継 受 した こ と に 関 して,桑 原 洋 子

(6)

こ れ まで,韓 国社 会 保 障 制 度 は,日 本 の植 民 地 化 に よ り近 代 的 発 展 を とげ, そ れ 以 前 に は制 度 と呼 ぶ に ふ さ わ しい 立 法 お よ び施 策 は,ほ とん ど,な い か の

よ う に い わ れ て きた 。 しか しな が ら,こ こ まで 述 べ た と こ ろ か ら も理 解 され る とお り,諸 外 国 同 様,韓 国 も ま た前 近 代 的 な 時 代 か ら救 貧 法 制 を作 り,実 施 し て い た 。 した が っ て,韓 国 社 会 保 障 制 度 の始 ま りが,全 くの 「外 来 」 の もの で は な く,他 国 同様,固 有 の 歴 史 を有 し て い る こ と を認 識 す る必 要 が あ る。 す な わ ち,三 国 時 代 か ら,そ れ ぞ れ の 時代 の 為 政 者 が 民 心 安 定 の た め 必 要 に迫 られ て,救 貧 事 業 を実 施 して い た の で あ る。

も っ と も,後 述 す る よ う に,日 本 に よ る 開 国 ・植 民 地 化 後 は,日 本 政 府 あ る い は朝 鮮 総 督 府 が 制 定 した 法 律 に基 づ き社 会 保 障 行 政 が 施 行 さ れ た 。 しか しな が ら,日 本 に よ る 占 領 を 契機 に,韓 国 国 内 で 適 用 さ れ た社 会 保 障行 政 が そ れ 以 前 と の連 続 性 を まっ た く失 っ た わ け で は な い 。 な ぜ な ら,前 述 の とお り 日韓 社 会 保 障 の 少 なか らぬ 部 分 が,起 源 を 同 じ く して い るか らで あ る18>。

た だ し,植 民 地 化 以 後 の両 国 が 支 配 従 属 的 関係 と な っ た こ と に よ り,そ の 後 の社 会 保 障 制 度 の展 開 過 程 は 全 く異 な った 。 す な わ ち,日 本 は 開 国 後,独 立 国 と し て,富 国 強 兵,健 兵 健 民,等 の 国 策 に基 づ い て 社 会 保 障 立 法 を 整 備拡 充 し て い っ た。 これ に対 し,韓 国 は 日本 の植 民 地 と され た た め,そ こ で 適 用 さ れ る 法 律 や 制 度 は 日本 の 利 益 に な るか 否 か とい う観 点 か ら選 択 され た。 そ の た め, 給 付 行 政 た る社 会 保 障 制 度 の 適 用 優 先 順 位 が 当 然 の こ とな が ら低 位 に 置 か れ, 十 分 に整 備 され る機 会 を得 な か っ た の で あ る。

会 福 祉 法 制 要 説 第4版 』(有 斐 閣,2002年)7〜9頁,韓 国 法 が 中 国 法 を継 受 し た こ と に つ き,苛 な 叫 ・前 掲 論 文(注7)52〜58頁

18)小 山 進 次 郎 『改 訂 増 補 生 活 保 護 法 の 解 釈 と運 用 』(中央 社 会 福 祉 協 議 会,1945年) 3〜6頁

(7)

韓 国 ・占領 体制 下 にお け る社 会保 障制 度 ヱ49 (2)江 華 島 条 約 ・甲午 改 革 か ら 日韓 併 合 ま で

開 国 と外 来 型 社 会 福 祉 事 業 の 導 入 李 氏 朝 鮮 王 朝 は,1876年,

一1876年 〜1910年

日本 との 江 華 島 条 約 締 結 に よ り開 国 した 。 ま た, 韓 国社 会 が 近 代 化 す る 契 機 とな っ た の が1894年 の 甲午 改 革 で あ る とい わ れ,旧 弊 を排 し,多 くの社 会 改 革 を断 行 した と され る19)。 しか し な が ら,こ れ らの 近 代 改 革 の 過 程 で 日本 の 韓 国 内政 干 渉 が 顕 著 と な っ た 。 そ の た め 近 代 国 家 を め ざ した 改 革 は 途 中 で 挫 折 し,日 本 政 府 の 干 渉 は 韓 国 の植 民 地 化 へ と至 る こ とに な る20)。

こ の 時 期,韓 国 は李 氏 朝鮮 解 体,大 韓 帝 国(1897〜1910年)建 国 と国 家 体 制 そ の もの が 混 乱 して い た 。 そ の た め,社 会 保 障 行 政 は も っ ぱ ら公 衆 分 野 に 限 定

さ れ21),救 貧 事 業 は主 と して,民 間 宗 教 団体 に よ っ て担 わ れ て い た22)。

そ の た め,当 時 の 救 貧 制 度 は,「 開 国」 「宗 教 団 体 」 が キ ー ワ ー ドで あ る。 す な わ ち,開 国 に伴 い,外 国 人 宣 教 師 が 韓 国へ 来 て,救 貧 事 業,正 確 に は社 会 福 祉 事 業 を 始 め た こ とが,こ の 時 代 の 特 徴 で あ る23)。 そ れ に 加 え て,韓 国 人 宗 教 家 に よ る事 業 も始 ま っ た 。 彼 らは,国 家 の 機 能 を代 替 す る役 割 を果 た した と

19)甲 午 改 革 に つ い て は,月 脚 達 彦 「甲 午 改 革 の 近 代 国 家 構 想 」『朝 鮮 史 研 究 会 論 文 集 』 33号(1995年)67〜92頁,李 文 行 「日 ・韓 近 代 化 に お け る 明 治 維 新 と 甲 午 改 革 の 比 較 」 『国 際 文 化 研 究 紀 要 』8号(2002年)289〜298頁 等,参 照 。

20)日 本 に よ る 韓 国 の 植 民 地 化 に つ き,多 くの 文 献 が あ る 。 そ の 一 部 と して,森 山 茂 徳 『近 代 日韓 関 係 史 研 究 一朝 鮮 植 民 地 化 と 国 際 関 係 一』(東 京 大 学 出 版 会,1987年), 大 江 志 乃 夫 「植 民 地 戦 争 と総 督 府 の 成 立 」 『岩 波 講 座 近 代 日本 と植 民 地2帝 統 治 の 構 造 』(岩 波 書 店,1992年)3〜33頁,杵 淵 信 雄 『日韓 交 渉 史 一 明 治 の 新 聞

に 見 る 軌 跡 一』(彩 流 社,1992年),等 を 参 照 。

21)当 時 の 公 衆 衛 生 施 策 は,社 会 防 衛 的 観 点 に 立 脚 した も の が 多 い 。 す な わ ち,1895 年 に 公 布 さ れ た 検 疫 規 則(勅 令115号),虎 列 刺 病 予 防 規 則(内 部 令2号),虎 列 刺 病 消 毒 規 則(内 部 令4号)等 で あ る(表 基 孝 ・前 掲 書(注8)56頁)。

22)襲 基 孝 ・前 掲 書(注8)55〜56頁

23)ま ず,外 国 人 宣 教 師 ら に よ る 事 業 は,概 略,以 下 の 通 りで あ る 。1888年 に フ ラ ン ス 人 宣 教 師 が 現 在 の ソ ウ ル 市 内 に 「天 主 教 孤 児 院 」 を 創 設 し,1895年 に は イ ン チ ョ ン市 に 天 主 堂 付 属 孤 児 院 が 作 られ た 。 次 に,ア メ リ カ 人 宣 教 師 が1894年 に,初 め て 盲 人 の た め の 施 設 を 開 設 し,1903年 に は 盲 人 女 学 校 を 開 設 した 。 また,韓 国 人 宗 教 家 で あ る 白 圭 三 は,1888年,初 め て 老 人 福 祉 施 設 を 開 設 し た 。 具 滋 憲 ・前 掲 書(注

9)189〜190頁,権 五 球 ・前 掲 書(注7)270頁

(8)

評 価 で き よ う。

民 間 宗 教 団 体 に よ る救 貧 ・社 会 福 祉 事 業 の創 設 の 意 義

外 国 人 宣 教 師 や 韓 国 人 宗 教 家 が 韓 国社 会 にお い て,社 会 福 祉 事 業 を創 設 し た こ と の意 義 は 以 下 の2点 で あ る。

まず,第 一 に は,彼 らの 活 動 が 社 会 福 祉 事 業 の先 駆 と な っ た とい う点 で あ る。

前 述 の通 り,遺 棄 児 や 浮 浪 児 に 対 す る収 容 保 護 施 策 は,李 氏 朝 鮮 時 代 に起 源 を 有 す る。 しか し,老 人 や 障 害 者 に対 す る 施 設 収 容 型 福 祉 事 業 は,開 国後,こ

ら宗 教 団体 に よ っ て始 め られ た か ら で あ る 。

第 二 は,宣 教 師 達 の 活 動 が,今 日 に至 る まで の,韓 国 にお け る キ リス ト教 慈 善 事 業 の 基 盤 形 成 の 契 機 と な っ た 点 で あ る 。そ して,現 在 に お い て も宗 教 団 体,

と りわ け,キ リス ト教 団 体 が 行 う社 会 奉 仕 活 動 は,社 会 保 障 行 政 を補 完 補 足 す る重 要 な役 割 を果 た して い る24)。

と こ ろで,宗 教 団 体,と りわ け キ リス ト教 団 体 に よ る慈 善 事 業 は,西 欧 諸 国 の社 会 保 障 制 度 の 原 点 で あ る こ とは 周 知 の とお りで あ る。 しか し,そ の 史 的 発 展 の過 程 に お い て,宗 教 団 体 に よ る事 業 は 国 家 の 制 度 へ と発 展 吸 収 され,そ 役 割 は 縮 小 して い くの が 通 常 で あ る。 とこ ろ が,韓 国 の 場 合,現 在,国 民 に対 す る社 会 保 障 は 国 家 責 任 と して認 識 され,法 制 度 もあ る 程 度,整 備 され て い る

に もか か わ らず,他 国 ほ ど に は,宗 教 団体 の役 割 が 縮 小 し て い な い 。

こ の理 由 の ひ とつ は,韓 国社 会 全 体,つ ま り,国 家 も国 民 も と も に宗 教 団 体, と りわ け キ リス ト教 教 会 に よ る慈 善 事 業 へ 相 当 程 度,依 存 す る一 方,宗 教 団体 側 は 自 らの 存 在 意 義 を確 立 す る た め に も慈 善 事 業 に積 極 的 に 関 わ っ て き た とい う,双 方 の 利 害 が 一 致 す る 関 係 が あ った か らで あ ろ う。 この よ うな 関 係 が 有 る が ゆ え に,韓 国 の 政 策 担 当 者 は,現 在 ま で 国家 に よ る社 会 保 障 制 度 の 発 展 充 実 を遅 らせ る こ とが で きた と も解 せ られ る。 特 筆 す べ き こ と は,こ の よ う な依 存

24)こ れ に つ い て は,(召 司 唱 『尋 号 釧 入団 昇 ス1外 暑 丑 』(ヱ 冑 明 叫 旦o}刈1叫 呈 刈 ajL子,1),1987年)が 詳 し い 。

(9)

韓 国 ・占領体 制 下 にお ける社 会保 障制 度 151 に堪 え 得 る だ け の 能 力 や 組 織 力 を,韓 国社 会 の キ リス ト教 教 会 が 有 して い る と い う こ と で あ る25)。

日本 に お け る宗 教 団 体 の 役 割

日本 にお い て も,社 会福 祉 事 業 あ る い は救 貧 事 業 に 宗 教 団体 が 積 極 的 に取 り 組 ん で きた こ とは,先 行 研 究 が 明 らか に して い る26)。 そ の 中 に は,韓 国 同 様, キ リス ト教 宣 教 師 に よ る活 動 も含 ま れ て い る27)。 しか しな が ら,当 時,社 事 業 に参 画 した宗 教 団体 が そ の 後 も発 農 し,国 家 に大 き く代 替 す る 役 割 を担 っ た 形 跡 は 見 られ な い 。 む しろ,我 が 国 の 場 合,そ れ ら慈 善 団 体 は,当 初 か ら強 固 な行 政 指 導,国 家 管 理 統 制 下 に お か れ て い た との 指 摘 が な さ れ て い る28)。

こ う して み る と,福 祉 国家 の 形 成 ・発 展 過 程 に は少 な く と も三 つ の パ タ ー ン が あ る とい え よ う。 一 つ は,西 欧 先 進 福 祉 国家 の 例 で あ る 。 こ れ は,民 間 団体 が 実 施 して い た慈 善 活 動 一多 くは救 貧 ない しは 施 療 活 動 一 を 国家 が 制 度 と して 取 り込 み発 展 させ て い くパ ター ンで あ る。 二 つ め は 日本 の よ う に 当 初 か ら,国 家 が 強 く関 与 す る もの で,い わ ば官 製 福 祉 国家 型 とい え よ う。 最 後 は 韓 国 に見

られ る イ ン フ ォ ー マ ル部 門 共 存 発 展 型 で あ る。 家 族,慈 善 団 体 な い し は宗 教 団 体 の 活 動 が 国 家 の制 度 を補 完 し,そ の存 在 が 国家 に よ る制 度 設 計 や 運 営 の 前 提

と され る場 合 で あ る 。

25)韓 国 に お け る キ リス ト教 の 発 展,実 態 等 に つ い て は,紹 谷 智 雄 「第7章 宗 教 的 伝 統 と キ リス ト教 の 発 展 」小 林 孝 行 編 『変 貌 す る現 代 韓 国 社 会 』(世 界 思 想 社,2000 年)141〜162頁,滝 沢 秀 樹 『ア ジ ア の 中 の 韓 国 社 会 』(お 茶 の 水 書 房,2000年)135

〜164頁 ,等 参 照 。

26)吉 田 久 一 「宗 教 的 慈 善 事 業 」 『社 会 事 業 』40巻8号(1957年)122〜129頁,山 憲 昭 「近 代 社 会 形 成 期 に お け る 仏 教 的 慈 善 」 『龍 谷 大 学 仏 教 文 化 研 究 所 紀 要 』35巻

5号(1982年)275〜290頁,山 下 憲 昭 「明 治 末 期 に お け る仏 教 と社 会 事 業 一大 谷 派 慈 善 協 会 の 設 立 を 中 心 に 」 『竜 谷 史 壇 』36巻12号(1983年)51〜67頁,福 嶋 寛 隆 「 代 仏 教 と 「慈 善 」」 『龍 谷 大 学 仏 教 文 化 研 究 所 紀 要 』37巻2号(1983年)154〜163頁, 等 が あ る 。

27)一 番 ヶ瀬 康 子=高 島 進(編)・ 前 掲 書(注15)21〜22頁

28)右 田 紀 久 恵=高 澤 武 司=古 川 孝 順(編)『 社 会 福 祉 の 歴 史 一政 策 と運 動 の 展 開 一 新 版 』(有 斐 閣,2001年)11頁

(10)

2日 本植民地期の社会保障制度

(1)植 民 地 朝 鮮 の 法 制

日韓 が 宗 主 国 ・植 民 地 関 係 とな っ た後,植 民 地 朝 鮮 にお い て 適 用 ・施 行 され る 法 律 は,本 国 日本 政 府 が 決 定 す る こ とに な っ た。 した が っ て,朝 鮮 に お け る 社 会 保 障 立 法 お よ び制 度 の 施 行 は,日 本 政 府 の 判 断 に よ る。 そ こで,ま ず,植 民 地 朝 鮮 時 代 の 法 制 が ど の よ うな 状 況 で あ っ た か を 理 解 す る必 要 が あ る29)。

以 下 で は,こ の 点 につ き概 観 す る30)。

統 監 府 時代 一1906年2月 〜1910年8月

1905年,日 韓 保 護 条 約(乙 巳条 約)締 結 が 日本 に よ る韓 国 の 実 質 的 支 配 の 契 機 とい わ れ る 。 なぜ な ら,同 条 約 に よ り1906年2月,韓 国 に 日本 政 府 に よ る統 監 府 が 設 置 され た か らで あ る31)。 こ の 統 監 府 時 代 は 日韓 併 合 ま で の植 民 地 化 準 備 期 間 とい え よ う32)。

次 い で,1907年,第 三 次 日韓 協 約(丁 未 七 条 約)が 調 印 さ れ,司 法 権 お よ び 立 法 権 が 統 監 府 の 支 配 下 にお か れ た 。す な わ ち,日 本 の 勅 令 が 統 監 府 令 と して, 朝 鮮 に お い て 適 用 さ れ る こ と とな っ た。 さ ら に,同 年,日 本 に よ る植 民 地 支 配 29)も っ と も,金 昌 禄 「報 告 二 韓 国 に お け る 日帝 強 占 期 の 法 体 系 の 性 格 」 『北 大 法 学 論 叢 』52巻2号641〜671頁 は,植 民 地 時 代 の 法 は 「そ もそ も法 と呼 べ る も の で は な か っ た 」 しか し 「法 体 系 が,た と え規 範 的 な効 力 は 持 っ て い な か っ た と し て も, 事 実 上 法 と して 通 用 して い た の で,仕 方 な く韓 国 の 歴 史 お よ び 法 史 の 重 要 な 一 部 分 を構 成 す る しか な か っ た 」 と論 ず る 。

30)日 本 統 治 下 に お け る 植 民 地 朝 鮮 の 法 制 に つ い て は,梶 村 秀 樹=姜 徳 相 「日帝 下 朝 鮮 の 法 律 制 度 につ い て 」 『日本 法 と ア ジ ア(仁 井 田 陞 博 士 追 悼 論 文 集 第 三 巻)』(勤 草 書 房,1970年)319〜337頁,韓 相 範 「憲 法 一 憲 法 政 治 と立 憲 民 主 化 の 課 題 一」 小 島 武 司=韓 相 範 『韓 国 法 の 現 在(上)』(中 央 大 学 出 版 部,1993年)141〜228頁,高 翔 龍 ・前 掲 書(注11)9〜22頁,等

31)統 監 府 時 代 につ い て,山 本 四 郎 「韓 国 統 監 府 設 置 と統 帥 権 問 題 」 『日本 歴 史 』336 号(1976年)11〜18頁

32)1905年2月 か ら統 監 政 治 が 始 ま っ た 。 統 監 部 は 全 国 に理 事 庁,支 庁 を 設 置 し,日 本 人 警 察 官 を 配 置 し た 。 同 年3月 に は初 代 統 監,伊 藤 博 文 が 着 任 す る 。 統 監 政 治 期 間 中 に,日 本 は大 韓 帝 国 か ら外 交 権,司 法 権 お よ び 警 察 権 等 を 剥 奪 す る な ど,い ゆ る顧 問 政 治 を通 して 強 力 な 内 政 干 渉 を 行 っ た 。

(11)

韓 国 ・占領体 制下 にお け る社会 保 障制度 153 の 法 的基 盤 を確 固 とす る た め 法 典 調 査 局 が,立 法 機 関 と して 設 け られ た33)。

日韓 併 合 以 後 一1910年8月 〜1945年8月

1910年8月22日,日 韓 併 合 条 約 締 結 に よ り,韓 国 は 日本 の 植 民 地 とな り,そ れ まで の 国 名 「大 韓 帝 国 」は 地域 名 で あ る 「朝 鮮 」 と な っ た 。こ れ に 合 わせ て, 統 監 府 を廃 止 し,新 た に朝 鮮 総 督 府 を 設 置 した(朝 鮮 総 督 府 設 置 令1910年 令 第319号)。

続 い て,日 本 は法 的 支 配 を 目的 と して 日韓 併 合 条 約 公 布 日で あ る 同年8月29 日 に,緊 急 勅 令324号 朝 鮮 二 施 行 ス ヘ キ 法 令 二 関 ス ル件 」 を公 布 した34)。 こ れ に よ り朝 鮮 総 督 に事 実 上,立 法 権,す な わ ち制 令 権 が 与 え られ る こ と に な っ た35)。加 え て,同 日,制 令 第 一 号 と して 「朝 鮮 二於 ケ ル法 令 ノ 効 力 二 関 ス ル 件 」 が 発 布 さ れ た36)。 こ の 制 令 に よ り旧韓 国 法 令 及 び 統 監 府 令 も し ば ら くの 間 は 効 力 を有 す る もの と され た 。

33)法 典調 査 局 は韓 国 の慣 習調 査,主 要 法典 の起 草 を行 う こ とが 主 目的 とされ た。 と りわけ重 要視 された のが民 法典 制 定で あ り,こ の ため梅 謙次 郎 が民事 法起 草者 と し て任 命 され た。韓 国 にお け る民 事 法制 定過 程 につ いて は,鄭 鍾休 「韓 国 にお け る西 欧法継 受 の初 期様湘(二)」 民商法 雑誌 』88巻5号(1983年)632〜658頁 同 「韓 国 にお け る 日本 民法 の変 容(一)」 『民 商 法雑 誌』89巻2号(1983年)155〜170頁 34)「 朝鮮 二施 行 スヘ キ法令 二 関ス ル件」(明 治43年 勅 令324号)は,以 下 の通 り。

第1条 朝鮮 二於 イテハ 法律 ヲ要 ス ル事項 ハ朝 鮮 総督府 ノ命令 ヲ以 テ之 ヲ規 定 ス ル コ トヲ得

第2条 前 条 ノ命令 ハ 内閣総 理大 臣 ヲ経 テ勅裁 ヲ請 フヘ シ

第3条 臨時緊 急 ヲ要 スル場 合 二於 イテ朝 鮮総 督府 ハ 直二 第一 条 ノ命 令 ヲ発 ス ル コ トヲ得

前 項 ノ命令 ハ発 布後 直 二勅裁 ヲ請 フヘ シ若 勅裁 ヲ得 サ ル トキハ朝 鮮 総督 ハ 直 二其 ノ命令 ノ将 来 二向 テ効力 ナ キ コ トヲ公 布 スヘ シ

第4条 法律 ノ全部又 バー部 ヲ朝 鮮二施行 スル ヲ要 スルモ ノハ勅令 ヲ以 テ之 ヲ定 ム 第5条 第 一条 ノ命 令ハ 第 四条 二依 リ朝鮮 二施 行 シ タル法律 及特 二朝 鮮 二施行 ス

ル 目的 ヲ以 テ制 定 シ タル法律 及勅 令 二違背 ス ル コ トヲ得 ス 第6条 第 一条 ノ命 令ハ 制令 ト称 ス

35)総 督 へ の立 法権 委任 が帝 国憲 法上,違 憲で は ないか との 議論 が あっ た ことにつ き, 鄭鍾休 ・前掲 論文(注33)「 韓 国 にお ける 日本 民 法 の変容(一)」5〜12頁 36)「 朝 鮮 二於 ケ ル法令 ノ効 力 二関 スル件 」 は,以 下 の通 り。

朝鮮 総 督府 設置 ノ際 朝鮮 二於 テ其 ノ効 力 ヲ失 フヘ キ帝 国法令 及韓 国法 令ハ 当分 ノ 内朝鮮 総 督 ノ発 シ タル命令 トシテ 尚其 ノ効力 ヲ有 ス

(12)

上 記 緊 急 勅 令 に対 す る 日本 国 内 法 上 の法 的根 拠 と して,同 命 令 と 同 じ内 容 の 法 律30号 朝 鮮 二 施 行 ス ヘ キ法 令 二 関 ス ル件 」 が 制 定 され,1911年3月25日 布 され た37)。

従 っ て,日 韓 併 合 以 後,朝 鮮 に お け る法 体 系 は以 下 の よ う に 整 理 す る こ とが で き る38)。 す な わ ち,① 朝 鮮 総 督 の 定 め る 制 令,② 旧 韓 国 法 及 び 統 監 府 令,

③ 朝 鮮 に 施 行 す る 目 的 を も っ て 制 定 され た 日本 の 法 律 お よび 勅 令39),お よ び

④ 勅 令 を も っ て 朝 鮮 に 施 行 され る 日本 の 法 律40),等 が 植 民 地 朝 鮮 の 法 体 系 を 形 成 す る こ とに な っ た。

な お,大 日本 帝 国 憲 法 は 植 民 地 朝 鮮 で は 適用 さ れ な い と した41)。 これ は1910 年6月3日 の 閣議 決 定 「併 合 後 ノ韓 国 二 対 ス ル 施 政 方 針 決 定 ノ件 」 に よ る 。 す な わ ち,同 決 定 に お い て 「 朝 鮮 ニ ハ 当分 ノ 内 憲 法 ヲ施 行 セ ス 大 権 二依 リ之 ヲ統 治 ス ル コ ト」 が 定 め られ た。

こ の よ う に,植 民 地 朝 鮮 にお い て,本 国 日本 が 統 治 す る に際 し都 合 の よ い 法 律 を制 定 ・適 用 す る こ とが 可 能 に な った 。 つ ま り,植 民 地 統 治 に お い て,利 益 と な る よ う な本 国 法 を適 用 し,日 本 法 で は不 十 分 な場 合 に は制 令 と し て立 法 す る一 方42),適 用 す る こ とが 望 ま し くな い と判 断 した 場 合 に は,日 本 法 を適 用 対 象 外 とす る こ とが 可 能 に な っ た の で あ る。

以 下 で は,本 国 日本 の社 会 保 障 立 法 と比 較 し なが ら,植 民 地 朝 鮮 にお け る 立 法 の存 在 あ る い は 不 存 在 を概 観 す る 。

(2)植 民 地 朝 鮮 の社 会 保 障 制 度

日本 の 植 民 地 統 治 は,1910年 か ら1945年 ま で の35年 間 で あ る。 この 期 間 は そ

37)こ の 立 法 過 程 に お け る議 論 に つ い て,鄭 鍾 休 ・前 掲 論 文(注33)お よ び姜 徳 相=

梶 村 秀 樹 ・前 掲 論 文(注30)321頁 参 照 。

38)松 岡 修 太 郎 「朝 鮮 に 於 け る 行 政 権 及 び そ の 立 法 権 並 び に 司 法 権 と の 関 係 」 『法 制 論 纂 』 第 一 部 論 集 第4冊(1931年)136〜139頁

39)法 律30号 自体 そ う で あ る し,ま た 「朝 鮮 総 督 府 特 別 会 計 法 」 等 が あ る 。 40)た と え ば,勅 令335号 に よ り 日本 の 特 許 法,意 匠 法,商 標 法 等 が 適 用 さ れ た 。 41)蓑 基 孝 ・前 掲 書(注8)65頁,高 翔 龍 ・前 掲 書(注11)17頁

42)代 表 的 な 法 律 に 「治 安 維 持 法 」(1925年5月 勅 令 第175号)等 が あ る 。

(13)

韓 国 ・占領 体制 下 にお け る社 会保 障 制度 155 の統 治 態 様 に よ り,一 般 に3つ に 時 代 区分 され る。 第1期 は 日韓 併 合 か ら三 ・ 一 運 動 ま で(1910年 〜1919年)で 武 断 政 治 期 と 呼 ば れ る 。 第2期 は 三 ・一 運 動 か ら 満 州 事 変 ま で(1920年 〜1930年)で 文 化 政 治 期 と い い,最 後 の 第3期 は, 大 陸 侵 略 兵 姑 基 地 化 期(1931年 〜1945年)と 呼 ぶ43)。 以 下 で は,こ の 時 代 区 分 に 従 っ て 検 討 し て い く44)。

武 断 政 治 期 一1910年 〜1919年 一

武 断 政 治 期 の 特 徴 は 露 骨 な 暴 力 支 配 で あ る とい わ れ る45)。 そ して,こ の 時 期 に植 民 地 朝 鮮 を 日本 の 食 糧 ・原 料 供 給 基 地 お よ び 商 品 販 売 市 場 と して作 り上

げ る た め の基 礎 作 業 が行 わ れ た 。 そ の 法 的根 拠 と な っ た の が,会 社 令(1910年 制 令 第13号),土 地 調 査 令(1912年 制 令 第2号),朝 鮮 林 野 調 査 令(1918年 制 令 第5号),等 で あ る46)。 こ れ らの 制 令 に よ り,韓 国 人 は土 地 を収 奪 され,資 形 成 を抑 圧 さ れ た 。

武 断 政 治 期 の 深 刻 な社 会 問 題 は,没 落 農 民 層 が 形 成 され た こ とで あ る 。 朝 鮮 総 督 府 に よ る収 奪 的 土 地 政 策 に よ り自作 農 の 多 くは小 作 農 とな った 。 さ らに 小 作 農 は過 酷 な 小 作 条 件 下 で 離 農 を余 儀 な くさ れ,火 田 民 と な る か47),あ る い は都 市 へ 流 出 し都 市 貧 民 層,す な わ ち 土 幕 民 とな っ て い っ た48)。 こ の 土 幕 民

43)こ の 時 期 は,ほ か に 皇 民 化 政 治 期,戦 時 動 員 期 等 と も 呼 ば れ る 。

44)脚 注 で 引 用 した 文 献 の 他 に,昇 な 望 『入国 昇 ス園 朴 』(叫ス1舜,2002年),慎 墜 重 監 修 韓 国 公 的 扶 助 論 』(大 学 出 版 社,1996年),等 を 参 照 し た 。

45)昇 冠 眉 「第10章 日帝 時 代 釧 貧 困 政 策 」 河 相 洛 編 韓 国 社 会 福 祉 史 』(博 英 社, 1989年)329頁,等 。 武 断 政 治 期 を 始 め,各 時 期 の 統 治 方 針 や そ の 実 態 に つ い て は, 日韓 の 歴 史 文 献,韓 国 社 会 保 障 制 度 史 を 論 ず る 文 献 に は,た い て い 記 述 さ れ て い る の で,一 つ 一 つ の 引 用 文 献 を あ げ る こ と は し な い 。

46)土 地 調 査 令 や 朝 鮮 林 野 調 査 令 は,土 地 の 収 奪,国 有 地 や 未 開 地 の 占有 等 を 目 的 と して 施 行 され た 。 ま た,会 社 令 は,韓 国 人 に よ る 会 社 設 立 を 許 可 制 と した 。 こ れ は 民 族 資 本 の 発 達 を 阻 害 す る 目 的 を持 つ 。

47)蓑 基 孝 ・前 掲 書(注8)336頁 に よ れ ば,火 田 民 と は,一 般 の 農 地 で は な く,山 林 を燃 や して 農 地 を作 り,一 定 期 間 耕 作 し た 後 で,地 力 が 落 ち た ら,移 動 し,再 他 所 の 山林 を 燃 や し て 耕 作 す る 農 民 を い う。

48)同 ・前 掲 書(注8)336〜337頁 に よ れ ば,土 幕 民 と は 農…村 や 都 市 の 下 層 民 が 都 市 の 国 有 地 や 遊 休 地 を無 断 占 拠 し,そ こ の 住 宅 を建 て て 住 み 着 い た 者 を い う 。

(14)

は 植 民 地 時 代 に な っ て 初 め て 現 れ た類 型 の 貧 民 で あ り,植 民 統 治 の 産 物 と い わ れ る49)。

この よ うな 状 況 下 で,当 時 の 社 会 保 障 制 度 の うち,こ こ で は 中 心 的 な 役 割 を 果 た して い た 二 つ に つ い て論 じ る。 一 つ は上 述 した 貧 民 あ る い は罹 災 民 に対 す る救 貧 事 業,も う一 つ は 恩 給 制 度 で あ る 。

① 一1日 本 の 社 会 保 障

武 断 政 治 期 間 中 あ る い は そ れ 以 前 に 日本 で 制 定 され た 社 会 保 障 立 法 の う ち, 重 要 な もの は恩 給 関 連 立 法50),工 場 法(1911年),軍 事 救 護 法(1917年)等 あ る 。 こ れ らの う ち,朝 鮮 に適 用 され た もの も あ れ ば,日 本 国 内 に お い て の み 適 用 され た もの もあ る。 なお,退 隠 料 等 関 連 立 法 お よび 軍 事 救 護 法 は,植 民 地 朝 鮮 に 居 住 す る 日本 人 を保 護 す る もの で もあ る の で,日 韓 併 合 直 後 か ら,同 旨 の立 法 が な さ れ て い る 。 しか しな が ら,1911年(明 治44年)の 工 場 法 は 適 用 さ れ な か っ た51)。

① 一2植 民 地 朝 鮮 の社 会 保 障

① 一2‑1救 貧 事 業

まず,朝 鮮 総 督 府 は救 貧 事 業 担 当 機 関整 備 の た め,日 韓 併 合 直 後 に 「朝 鮮 総 督 府 お よ び所 属 官 制 」(1910年 勅 令 第354号),「 朝 鮮 総 督 府 地 方 官 制 」(同 年 勅 令 第357号),「 道 医 院 官 制 」(同 年 勅 令 第26号)を 制 定 した 。 さ らに,こ の 予 算 措 置 と して,朝 鮮 総 督 府 特 別 会 計 が 設 け られ,同 会 計 規 則(1911年 令 第406号)が 制 定 され た 。

49)同 ・前 掲 書(注8)337頁

50)こ れ に つ い て は,高 木 三 郎 恩 給 法 通 解 』(自 治 館,1925年),中 嶋 忠 次 恩 給 法 概 説 』(帝 国 地 方 行 政 学 会,1968年),等 が あ る 。

51)も っ と も,そ の 後,労 働 者 保 護 法 と して 「朝 鮮 船 員 令 」 「朝 鮮 鉱 業 令 」 「傭 人 扶 助 令 」 「労 働 者 募 集 取 締 規 則 」 あ る い は 「朝 鮮 鉱 夫 労 務 扶 助 規 則 」 な どが 制 定 され た 。 しか し な が ら,金 仁 在 「社 会 法 制 到 変 遷 一ユ 評 価 斗 展 望 一J『唱 刈 望 子』15号(1998 年)1〜38頁 は,こ れ ら は ほ とん ど実 効 性 が な く名 目上 の 規 定 に過 ぎ な い と主 張 す る 。

(15)

韓 国 ・占領体 制下 にお け る社 会 保障 制度 157 そ して,こ の 時 期 の 重 要 な 救 貧 ・救 済 立 法 は,「 朝 鮮 水 難 救 護 令 」(1914年 勅 令 第12号),「 伝 染 病 予 防 令 」(1915年 制 令 第5号),「 恩 賜 賑 憧 資 金 窮 民 救 助 規 定」「恩 賜 賑 憧 資 金 管 理 規 則 」(1916年 朝鮮 総 督 府 訓 令 第1号)お よ び 「 旅 病 人 救 護 資 金 管 理 規 則 」(1917年 府 令 第42号),等 で あ る 。

こ の う ち,救 貧 事 業 に お い て 中心 とな っ た法 的根 拠 は,恩 賜 賑 憧 資 金 窮 民 救 助 規 定 で あ っ た 。 同規 定 は 救 貧 事 業 お よ び貧 民 に対 す る 医 療 を 定 め る52)。

同 規 定 の 適 用 対 象 は,① 廃 失 者 又 は重 病 者 」,② 「60歳以 上 で,か つ,生 活 を維 持 す る こ とが 困 難 で 他 に頼 る 者 が い な い者 」,③ 独 身 者 で な く と も 他 の 家 族 が 幼 老,廃 失,不 具,失 踪 又 は 在 監 等 に よ りそ の 扶 養 を受 け る こ と が で き な い 者 」,④ 「13才未 満 の 無 為 無 宅 の 者 」 と され た 。 な お,こ の 対 象 範 囲 は1874年(明 治7年)に 日本 で 制 定 され た 憧 救 規 則 と ほ ぼ 同 じ で あ る53)。

武 断 政 治 期 に お け る救 貧 事 業 の 特 徴 の 一 つ は,上 記 立 法 名 か ら もわ か る よ う に 天 皇 と救 貧 事 業 を結 びつ け た こ とで あ る54)。 財 政 的 に も多 額 の 皇 室 内 幣 金 が 事 業 の 原 資 と な っ て い る。そ の背 景 に は,天 皇 の 慈 悲 や 恩 恵 を 強 調 し, か つ 朝 鮮 が 宗 主 国 日本 の支 配 下 に あ る こ とを韓 国 人 らに 強 く認 識 させ る意 図 が あ っ た と指 摘 され て い る 。

① 一2‑2恩 給 制 度

朝 鮮 総 督 府 は,既 に 日本 で 実 施 さ れ て い た恩 給 制 度 を ほ とん ど,そ の ま ま 朝 鮮 に導 入 し た。 そ の 当初 の 目的 は,朝 鮮 内 の 日本 人 軍 人 お よ び 当地 に 設 置 され た 日本 の 行 政 機 関 等 に勤 務 す る 日本 人 官 吏,等 の 生 活 保 障 に あ っ た 。 し か し,後 に は 日本 政 府 に忠 誠 を示 した 韓 国 人 に対 す る報 償 と して,あ る い は 日本 入 との 間 の待 遇 差 別 に不 満 を抱 か せ な い よ う に恩 給 制 度 を韓 国 人 に も拡

52)具 体 的 に は,食 糧 の 現 物 給 付 や 外 来 診 療 券 の 発 給 等 で あ る 。

53)憧 救 規 則 の 立 法 過 程 に つ い て,小 川 政 亮 憧 救 規 則 の 成 立 」 福 島 正 夫 編 戸 籍 制 度 と 「家 」』(東 京 大 学 出 版 会,1959年)261〜319頁 が 詳 し い 。

54)た と え ば,こ の 時 期 の 賑 憧 資 金 は大 正 天 皇 即 位 を 記 念 し た 下 賜 金 に よ り形 成 さ れ た 。 蓑 基 孝 ・前 掲 書(注8)86頁

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大 した 。こ れ ら韓 国 人 とは 軍 人,警 察 官,等 の 官 吏,お よ び公 立 学 校 教 職 員, で あ る55)。 た だ し,重 要 な こ と は,こ れ ら の 制 度 に よ っ て 恩 給 や 扶 助 料 を 受 け る者 の 大 半 が 日本 人 で あ っ た と い う こ とで あ る56)。 した が っ て,植 地 に本 国 と 同程 度 の 社 会 保 障 立 法 が 存 在 した とい って も,内 実 は 当地 の 住 民 が 適 用 対 象 外 とな る差 別 的 な 制 度 運 用 で あ っ た 。

こ の よ う な状 況 か ら 日本 政 府 が 植 民 地 朝 鮮 に対 し ど の よ うな 立 法 政 策 を有 して い た か が,理 解 され る 。 つ ま り,こ れ ま で も述 べ て きた とお り,本 国 に と っ て予 算 支 出 とな る立 法 の 適 用 に は消 極 的 で あ る。 しか しな が ら,た と え 予 算 支 出 を伴 う政 策 で あ っ て も,そ れ に よ り,よ り大 きな利 益 が 期 待 で き る よ う な場 合,こ の 時 期 につ い て い え ば,植 民 地 の 人 々 の 同化 や 不 満 の解 消 が 期 待 で き る場 合 に は,積 極 的 に本 国 と同 じ く法 律 を適 用 して い る こ とが わか

る。

も っ と も,武 断 政 治 期 の 日本 は,第 一 次 世 界 大 戦 へ の参 戦,戦 時 イ ン フ レ とそ れ に続 く米 価 暴 騰,米 騒 動 を経 験 した た め,後 の 時 代 と比 較 す れ ば,社 会 保 障 立 法 に ま で 十 分,配 慮 で き る よ う な状 況 で は なか っ た 。 した が っ て, この 時 期 の 朝 鮮 に お け る社 会 保 障 制 度 は,本 国 自体 が 本 格 的 な 社 会 保 障 立 法 を有 して な い こ とに 加 え て,適 用 法 の 選 択 に お い て は植 民 統 治 の 安 定 を最 優 先 にお い て い た た め,限 定 的 に機 能 して い た に過 ぎ な い とい え る。

文 化 政 治 期 一1920年 〜1930年 一

日韓 併 合 直 後 の 統 治 ス タ イ ル は 前 述 の 通 り,武 断 政 治 と呼 ば れ る暴 力 的 な も

55)こ れ らの 根 拠 法 令 は,主 な も の を あ げ る と 「巡 査 看 守 療 治 料 救 助 料 喫 弔 祭 料 給 与 令Oll[珊 遇 警 部 補or1準 用9件 」(1910年 勅 令126号),「 朝 鮮 総 督 府 巡 査 看 守 退 隠 料 臭 遺 族 扶 助 料 取 扱or1喜 を 件 」(1911年 府 令71号),「 朝 鮮 総 督 府 巡 査 看 守 製 女 監 取 締 退 隠 料 製 弔 祭 料 給 与orl暑 を 件 」(同 年 勅 令75号),「 公 立 学 校 教 職 員 隠 退 料 遺 族 扶 助 料 支 給 規 則 」(1912年 府 令82号),「 朝 鮮 軍 人 喫 朝 鮮 軍 人 遺 族 扶 助 令 」(1918年 勅 令299号),等 が あ る 。

56)1919年 当 時,社 会 保 険 受 給 者 の う ち,韓 国 人 の 占 め る 割 合 は,0.043%で あ っ た と い う 。 蓑 基 孝 ・前 掲 書(注8)104頁

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韓 国 ・占領体 制下 に おけ る社会 保 障制度 159 の で あ っ た 。 こ の よ う な植 民 地 統 治 に 対 す る抗 日 ・独 立 運 動 が,頻 発 し,つ い

に,1918年3月1日,三 ・一 運 動 が 起 こ っ た。

日本 政 府 は,三 ・一 運 動 が 起 きた 背 景 に は 露 骨 な暴 力 的 支 配 が あ る と分 析 し, 以 後 の 統 治 ス タ イ ル の 転 換 を 図 っ た。 そ れ が 文 化 政 治 と 呼 ば れ る も の で あ る57)。 こ の 文 化 政 治 期 の 統 治 政 策 の 方 針 は 懐 柔 と同 化 で あ っ た 。 そ れ は 日本 側 が 掲 げ た 「一 視 同 仁 」 「内 鮮 融 和 」 の ス ロー ガ ンに端 的 に表 れ て い る。

朝 鮮 総 督 府 は,こ の 方 針 に そ っ て,具 体 的 に は,憲 兵 警 察 制 度 の廃 止,朝 鮮 人 官 吏 の待 遇 改 善,等 を実 施 し た。 しか し,文 化 政 治 政 策 が 真 に企 図 した こ と は,反 日勢 力 の分 裂 ・親 日派 の 育 成 保 護 とい う民 族 分 裂 で あ る と い わ れ る。 こ の よ うな統 治 方 針 が 社 会 保 障 制 度 の あ り方 に も何 らか の影 響 を及 ぼ した の か 否 か につ い て,以 下 に 検 証 す る 。

② 一1日 本 の社 会 保 障

先 に述 べ た とお り,植 民 地 朝 鮮 で適 用 さ れ る社 会 保 障 立 法 は,朝 鮮 総 督 府 が 決 め,そ の よ り ど こ ろ とす るの は,本 国 日本 で の 立 法 で あ る。 そ こ で,ま ず,

この 時 期 の 日本 の社 会 経 済 状 況 お よ び 社 会 保 障 立 法,等 を概 観 す る 。

1920年,日 本 で は株 価 暴 落 が 始 ま り,こ れ が 経 済 恐 慌 の 契 機 とな る。そ して, 文 化 政 治 期 末 の1929年 に は世 界 大 恐 慌 へ 巻 き込 まれ る。 これ に よ り,1920年 の 日本 は,深 刻 な 不 況 に お か れ,失 業 者 や 生 活 困 窮 者 が増 加 し た。 また,こ よ う な状 態 を打 破 し よ う と労 働 争 議 も活 発 化 した 。 か か る社 会 不 安 を解 消 し, 事 態 を処 理 す るべ く,治 安 維 持 法(1925年)を 制 定 す る一 方,社 会 保 障 立 法 を 積 極 的 に 行 っ た58)。

この 時 期,以 後 の社 会保 障 制度 の基 盤 とな る重 要 な立 法 が な され た。 そ の意 味

57)こ れ に つ い て は糠 谷 憲 一 「5朝 鮮 総 督 府 の 文 化 政 治 」 『岩 波 講 座 近 代 日本 と 植 民 地2帝 国 統 治 の 構 造 』(岩 波 書 店,1992)121〜146頁 を参 照 。

58)日 本 に お け る 社 会 保 障 立 法 及 び 社 会 福 祉 制 度 の歴 史 に つ い て は,一 番 ヶ瀬 康 子=

高 島 進(編)・ 前 掲 書(注16),横 山 和 彦=田 多 英 範 編 著 『日本 社 会 保 障 の 歴 史 』(学 文 社,1991年),右 田 紀 久 恵=高 澤 武 司=古 川 孝 順(編)・ 前 掲 書(注28)等 を 参 照 。

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で,社 会 保 障 制 度 の 創 設 期 と も い え る 。 そ の 立 法 と は,健 康 保 険 法(1922年)59), 恩 給 法(1923年)お よ び 救 護 法(1929年)で あ る60)。

また,国 の救 貧 事 業 を補 完 す る方 面 委 員 制 度 が この 時 期 に 始 ま っ た 。 こ の 方 面 委 員 は,1918年 の 米 騒 動 を き っ か け に,ま ず,大 阪 府 で 設 置 さ れ,以 後,各 自 治 体 が こ れ に続 い た61)。 方 面 委 員 制 度 を積 極 的 に 活 用 す る た め,救 護 法 施 行 後,方 面 委 員 令(1936年 勅 令 第398号)が 制 定 され62),こ れ 以 後 は救 貧 事 業 に お け る国 の補 助 機 関 と して 機 能 す る こ とに な る63)。

② 一2植 民地朝鮮 の社会保 障

文 化 政 治 期 の 朝 鮮 は,日 本 の 農 業 政 策 の た め に社 会 全 体 が 貧 困 に苦 しん だ 時 期 で あ っ た 。 こ の 農 業 政 策 は,1920年 の 第 一 次 産 米 増 殖 計 画 に 始 ま る64)。 こ れ は 日本 の食 糧 危 機 を解 決 す る た め に韓 国 産 の 米 を大 量 に 日本 へ 輸 出す る 計 画 で あ る。 さ ら に,そ の 過 程 で 日本 人 農 民 を 移 住 地 主 とす る植 民 地 地 主 制 も推 し 進 め た65)。 こ の 結 果,ま ず,朝 鮮 が 食 糧 不 足 とな っ た 。 ま た,当 地 の 農 民 の 多 くは,農 地 を収 奪 さ れ小 作 農 や 貧 農 と な る か 一 火 田 民 一,あ る い は離 農 し 都 市 貧 民 一 土 幕 民 一 とな っ た。

59)健 康 保 険 法 の 立 法 過 程 に つ い て は,小 川 喜 一 編 著 「健 康 保 険 法 」 成 立 史 』(大 阪 市 立 大 学 経 済 学 会 研 究 叢 書4,1974年),坂 ロ 正 之 『日本 健 康 保 険 法 成 立 史 論 』(晃 洋 書 房,1985年),等 が あ る 。

60)救 護 法 に つ い て は 内務 省 社 会 局 社 会 部 編 『救 護 法 の 説 明 』(中央 社 会 事 業 教 会,1936 年)。

61)方 面 委 員 に つ い て は,遠 藤 興 一 「方 面 委 員 活 動 の 史 的 展 開 につ い て 一上 一」 『 治 学 院 論 叢 』231号(1975年)85〜128頁,同 「方 面 委 員 活 動 の 史 的 展 開 につ い て 一 下 一」 『明 治 学 院 論 叢 』235号(1976年)71〜108頁 が 詳 しい 。

62)同 勅 令 は,民 生 委 員 令(昭 和21年 勅 令 第426号)に よ り,昭 和21年10月1日 廃 止 さ れ た 。

63)救 護 法 と方 面 委 員 の 関 係 に つ い て は,吉 田 久 一 「『救 護 法 』の 成 立 と方 面 委 員 制 度 」

社 会 事 業 の 諸 問 題 』16号(1969年)25〜60頁

64)最 近 の 文 献 と して は,河 合 和 男 『朝 鮮 に お け る 産 米 増 殖 計 画 』(未 来 社,1986年), 久 保 文 克 『植 民 地 企 業 経 営 史 論 』(日 本 経 済 評 論 社,1997年),金 洛 年 『日本 帝 国 主 義 下 の 朝 鮮 経 済 』(東 京 大 学 出 版 会,2002年),が あ る 。

65)浅 田 喬 二 『旧 植 民 地 日本 人 大 土 地 所 有 論 』167〜166頁

参照

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