1 はじめに
1-1.課題
本稿の課題は、政策金融機関である日本開 発銀行(以下、開銀と略す)1がその設立初 期にあたる
1950
年代前半に第一次審査(=申込受付。説明は脚注
19
参照。)において どのように個別融資案件の選別を行っていた のかについて、限られた範囲であるとはいえ、開銀の内部資料を用いて実証分析を行なうこ とである。
開銀に関してはこれまで多くの研究がなさ れている。包括的な研究では、設立の経緯か ら、各時期における業務体制・融資活動・経 営成果等、そして、日本政策投資銀行への移 行過程までを対象とした宇沢弘文・武田晴 人編[2009]2が現時点での研究水準を代表 する成果である。個別的な研究では、日向 野幹也[1986]3をはじめとして民間金融機 関に対する誘導効果を中心とした開銀融資 の意義に関する研究4が多数あり、橋本寿朗
[2001]
5は、産業政策実施機関である開銀の1950 年代前半における日本開発銀行の第一次審査
─『借入申込聴取書綴 福岡支店』の分析─
First screening by The Japan Development Bank in the fi rst half of the 1950s.
宮 﨑 忠 恒
抄録
本稿では、日本開発銀行(以下、開銀)の第一次審査(=申込受付)について、期間(開銀にと って設立初期にあたる
1950
年代前半のみ)と範囲(福岡支店経由の案件のみ)
の点で限りはあるが、開銀の内部資料を用いた実証分析を行った。その際、①第一次審査のプロセス、②第一次審査で の調査、
③
第一次審査での選別基準に分けて順に考察している。その結果、①
プロセスについては、支店経由案件の審査には地方部(本店)も関与した「2回の調査と
1
回の選別」であったこと、② 調査については、支店段階ですでに、協調銀行への問合わせ・借入申込企業の主要取引銀行に対す る協調融資への参加要請・抵当権順位の折衝が行われていたことなどが、そして、③選別基準につ いては、「工事の意義・必要性・緊要性」や「管理貸・債権保全確保」、そして、開銀自身の経営に 関わる問題が重要な選別基準となっていたことなどが明らかとなった。1
1951
年4
月20
日に、日本開発銀行法(1951年3
月31
日公布・施行)に基づき、全額政府出資により 設立された。1999年10
月に、北海道東北開発公庫と統合して日本政策投資銀行となった。2 宇沢弘文・武田晴人編『日本の政策金融Ⅰ─高成長経済と日本開発銀行』、同編『日本の政策金融Ⅱ─
石油危機後の日本開発銀行』、ともに、東京大学出版会、2009年。同書は、日本開発銀行全史である日 本政策投資銀行編『日本開発銀行史』2002年を基礎としており、同一の執筆者(第
1
部;
岡崎哲二、第2 ・ 3
部;日高千景、第4
部;橋本寿朗、第5
部;武田晴人)によるものである。なお、本稿で主に参照・引用するのは第
1
部(Ⅰの15 〜 133
頁)である。3 日向野幹也『金融機関の審査能力』東京大学出版会、1986年。
自律性(主体的判断・行動)の重要性につい て
1950
年代における海運業への融資を対象 として分析している。このように、包括的・個別的な研究が蓄積 されている一方で、開銀の審査については、
宇沢・武田[2009]における融資決定手続 きの制度的な枠組みの記述に止まっており6
、
その実態に踏み込んだ分析は全く行われてい ない。しかし、実証研究がないということは、それが重要な論点ではないということを意味 しない。むしろ逆に、先行研究においても、
開銀の審査はその政策金融機関としての活動 を支える重要な基盤であったとされている。
1
つは、個別融資案件選別における開銀の自 主性を維持するための基盤である7。開銀の
前身である復興金融金庫(以下、復金と略す)の融資決定手続きでは復興金融委員会などの 外部組織の承認が必要とされており、その ことが融資の責任所在の不明確化やレント・
シーキング発生(昭電疑獄)などの問題につ ながったことに対する反省から、開銀の融資 決定手続きは外部からの介入なしに開銀内部
のみで個別融資案件選別ができるように設計 された8
(後述)。そのようにして制度的に
与えられた自主性を支える基盤として審査が 重視され、産業金融に関して戦前からの長い 経験を有する日本興業銀行から審査ノウハウ と人員が導入された9。もう 1
つは、開銀融 資がもったとされている誘導効果の基盤であ る。宇沢・武田[2009]は、開銀の審査に おいて、「(融資案件が─引用者)政策課題に 即して選別されると同時に、市中の金融では 資金調達ができないとしても、金利や返済完 了までの期間についての配慮が図られれば十 分に返済可能である(中略)案件が選択され 続けたことが「開銀の審査能力」として評価 され、民間銀行の融資に対してシグナルを送 りうる効果をもった基盤でもあった」10とし ている。このように先行研究においても重要なポイ ントとされているにもかかわらず、開銀審査 の内実に関する実証研究がこれまで行われて こなかった理由は、一次資料(審査の際に開 銀によって作成された内部資料)へのアクセ
4 堀内昭義・随清遠「情報生産者としての日本開発銀行」貝塚啓明・植田和男編『変革期の金融システム』
東京大学出版会、1994年、福田慎一・照山博司「政策金融の誘導効果―製造業における強誘導効果と 弱誘導効果」本多佑三編『日本の景気』有斐閣、1995年、花崎正晴・蜂須賀一世「開銀融資と企業の 設備投資―エージェンシー
・
アプローチに基づく実証分析」浅子和美・
大瀧雅之編『現代マクロ経済動学』東京大学出版会、1997年。
5 橋本寿朗「戦後日本の金融システムと日本開発銀行の役割」同『戦後日本経済の成長構造─企業システ ムと産業政策の分析』有斐閣、2001年、第
10
章。また、同書で橋本は、誘導効果について、第1
次機 振法における自動車部品産業の中堅・中小企業に対する開銀融資には呼び水効果があった(第8
章)一 方で、第14
次計画造船の開銀融資に関してはカウベル効果はなかった(第10
章)とした上で、「開銀 の融資に一般的にカウベル効果を想定する指摘は誤りであった」(同書292
頁)としている。6 また、1950年代前半の開銀における融資決定手続きに関する同書の記述は、史料的にも、「大蔵省が
1956
年初めに参議院決算委員会に提出した資料を中心に整理」(同書98
頁)されたものに過ぎない。7 この点についても橋本寿朗は、海運業向け融資においては
1959
年度の第15
次計画造船から「どの企業 に貸すかという点で開銀の自主性は確立した」(『戦後日本経済の成長構造』295頁)としている。8
『日本の政策金融Ⅰ』36 〜 44
頁。9
『日本の政策金融Ⅰ』104 〜 105
頁。10
『日本の政策金融Ⅰ』2
頁。引用部分が含まれる「プロローグ」の執筆者は武田晴人である。スが著しく困難であったからであろう11
。本
稿の目的は、その高い壁を超えて、開銀史研 究の領域をその審査実態の解明という方向へ たとえ小さくとも一歩押し進めることであ る。1-2.史料について
本稿が分析する史料は、『借入申込聴取書 綴 福岡支店』
(東京大学経済学部図書館所蔵)
である。この史料は、1952年度分、1953年 度分、1954年度分、1952年度取下分、1953 年度取下分の
5
冊の綴りから成っている。各 綴りの目録に記載されている案件の合計数(後継表 5)は 95
件であるが、1952年度分、1953
年度分、1952年度取下分で各2
件、計6
件の欠がある一方で、1954年度分に目録 には記載されていないが収録されているも のが1
件あるため、実際には90
の案件に関 する書類が納められている。しかし、それら の各書類が誰によって作成されたのかについ ては、これらの綴りが、①東京大学経済学 部図書館に所蔵されている復興金融金庫史 料群に含まれていたこと、②各綴りの表紙 には「○○年度 借入申込聴取書綴 福岡支店」とだけ記されていること12から、すぐ には判明しえない状態であった。そのため、
本稿では各書類の作成主体の特定から分析 を始めている(第 2 節)
。その分析
を通じ て、この史料に綴じられていた書類は、復 金ではなく13開銀の福岡支店を通じて1952
〜 54
年度に借入申込がなされた案件の第一 次審査にだけ関する書類であったことが明ら かになる。また、90件の業種は、石炭鉱業48、電力業・国内海運業各 9、製氷業 7、セ
メント製造業・造船業各3、ガス業 ・鉄鋼業・
陸運業各
2、観光ホテル業・合板製造業・製
粉業・製缶業・肥料製造業各
1
であった。以上のような構成を持つことから、『借入 申込聴取書綴 福岡支店』は、開銀審査に関 する史料としては次のような限定性を有して いる。すなわち、①開銀の活動期間の全て をカバーしていないこと、②1952
〜 54
年度 に限っても第二次審査(審査部審査。後述)をカバーしていないこと、③第一次審査に 限っても
1952~54
年度の全てをカバーして いないこと14、そして、④
業種別では石炭 鉱業に大きく偏っていること15である。また、資料での裏付けはとれないが、⑤福岡支店
11 審査に関する一次資料の利用困難性の高さは、開銀に限ったことではなく、金融機関一般に共通するも のである。そのような状況の中で、「閉鎖機関清算関係」資料(国立公文書館つくば分館所蔵)を用い てなされた山崎志郎『戦時金融金庫の研究―総動員体制下のリスク管理』日本経済評論社、2009年は 重要な成果である。
12 分類のために表紙に貼られているシールには、部店課名;地方部第
1
課、文書名;借入申込聴取書綴、保存年限;永久、保存番号;190と記されている。
13 復金にも地方部が設置されていた期間がある。ドッジ・ラインにより新規貸出が抑制された後、中心と なった管理
・
回収業務の体制整備のため、1949年5
月に職制が改正された。その際、地方部が設置され、支所
・
出張所・
代理店の統括・
把握が強化された。10年史編纂委員会編『日本開発銀行10
年史』1963年、486 〜 487
頁。14
1952 〜 54
年度の借入申込受付件数(=第一次審査をパスした案件数)は1,095
件であった。後述のよ うにすべての案件が第一次審査をパスしたわけではなかったから、借入を申し込んだ案件数はさらに多 かったであろう。数値は、大蔵省銀行局編『銀行局金融年報』第2
回(昭和28
年版)、1953年、統計 編17 〜 18
頁、第3
回(昭和29
年版)、1954年、統計編17 〜 18
頁、第4
回(昭和30
年版)、1955年、統計編
16 〜 17
頁より算出。経由の案件に限ってもその全てをカバーして いないと推測される。このような史料の限定 性から、開銀審査全体の特質の解明やこれま で開銀史研究で重要な論点とされてきた開銀 の自主性や開銀融資の誘導効果などに対して 真正面から取り組むことには、本稿も慎重に ならざるをえないということをあらかじめお 断りしておく16
。
以下、本稿では、『借入申込聴取書綴 福岡 支店』から、1950年代前半の開銀における 福岡支店を経由した案件の第一次審査につ いて、プロセス(第 2 節)
、調査(第 3 節) 、
選別基準(第 4 節)の順に考察する。2 第一次審査でのプロセス
『日本の政策金融 I』によると、1950
年代 前半の開銀の融資決定プロセス17は、表1
のようであり、「1つの融資案件の融資決定 までに、開銀の内部で、受付・審査・融資決 定の3
つのプロセスを通り、しかも各プロセスごとに役員会に付議されるという慎重な決 定手続がとられていた」18とされている19
。
本節では、『借入申込聴取書綴 福岡支店』に 綴じられた各書類を作成した部・支店を特定 する分析を通じて、1950年代前半の支店を 通じた第一次審査のプロセスに関して、『日 本の政策金融I』による説明を修正する。
2.1 営業第一部・総務部・地方部・福岡支店 まず、本節での分析に関係する開銀の部・
支店について確認する。
営業第一部と総務部はともに、1951年
4
月の開銀設立時に、営業第二部、審査部、秘 書室、経理部、検査部とともに本店内に設置 された20。営業第一部が所管した事項は、石
炭業・鉄鋼業・非鉄金属業・電力業に関する 貸付及び社債の応募に関する事項(営業課)と、債権の管理及び回収に関する事項(管理 課)であった21
。
総務部は、はじめ総務課と庶務課の
2
課で スタートし、1952年1
月16
日から庶務課に 代り支店課が、さらに、1952年9
月1
日以15
1952 〜 54
年度の借入申込受付件数(1,095件)に占める石炭鉱業(106件)の比率は9.7%であった。
数値の算出元は脚注
14
と同じ。16 開銀の審査に関しては、現時点で他に利用できる史料は管見の限りない。さらなる史料発掘の努力は筆 者に残された課題である。
17 開銀の融資決定手続は、大きく分けて、融資対象の選定と個別案件の選別の
2
段階を通じて行われてい た。その内、融資対象の選定、すなわち、どの産業ないしどの分野のどのような資金需要を開銀融資の 対象とするかは、基本的に政府が年度ごとに決定する運用基本方針により決定されていた。その融資対 象の変遷と特徴については『日本の政策金融』Ⅰ・Ⅱに詳しく、また、開銀が融資対象の選定に対して ただ受動的であったのではなく能動的に働きかけていたことも同書や橋本寿朗『戦後日本経済の成長構 造』第10
章により明らかにされている。18
『日本の政策金融Ⅰ』99
頁。19 審査の段階で案件の調査・選別が行われていただけでなく、その前の段階である申込受付においても案 件の調査・選別が行われていたことから、本稿では申込受付を第一次審査と呼ぶことにする。『日本の 政策金融Ⅰ』も「受付の段階で事実上第一次的な審査が行なわれていたといえよう」(同書
101
頁)と している。また、本稿では表1
の審査にあたるプロセスを第二次審査または審査部審査と呼ぶ。20
『日本の政策金融Ⅰ』93 〜 94
頁。1950年代前半の開銀における組織の推移については、『日本開発銀行 史』74頁の図1-3-1
を参照。降は支店課に代り外国課が設置された22
。こ
のうち、支店課が設置されていた時期が本稿 での考察に関係する。その時期の総務部所管 事項に関するまとまった記述資料は見当らな いが、「昭和27
年9
月1
日から(中略)総 務部において所掌していた支店、事務所及び 代理店関係事務を地方部を設けてこれに移管 することとし」23とあることから、支店、事 務所及び代理店関係事務も所掌していたと考えられる。これら営業第一・二部と総務部の 本稿での考察に関係する時期における役付職 員は表
2
のようであった。地方部は、債権管理の問題と見返資金承継 に伴う業務の拡大に対応するために
1952
年9
月1
日に新設された24。地方部の所管事項
は、本店直轄代理店の統轄および中小企業関 係以外に関する支店・事務所・代理店の諸取 引の審査および申請の承認であった25。これ
融資希望企業↓ ↓借入申込 ↓
営業部門・支店;企業提出資料、ヒアリングに基いて「聴取書」を作成(調査)
↓
↓「聴取書」
↓
役員会;申込受付可否=審査部回付可否の決定(選別)
申込受付
(=第一次審査)
↓
↓申込受付可=審査部回付とされた案件 ↓
審査部;企業提出資料、実査、関係者意見に基いて「審査調書」を作成(調査)
↓
↓「審査調書」
↓
役員会;融資可否の決定(選別)
審査
(=第二次審査
・審査部審査)↓
↓融資可とされた案件 ↓
営業部門;「融資議案」を作成 ↓
↓「融資議案」
↓
役員会;最終的に融資を決定
融資決定
出所;『日本の政策金融Ⅰ』98-104頁より作成。
表 1 1950 年代前半の開銀における個別案件選別プロセス
21
『日本の政策金融
I』94〜 95
頁。1951年8
月1
日に開銀の最初の事務分掌規程が定められた。営業第 一部の所管業種以外の産業に関しては、営業第二部が営業第一部と同じ2
つの事項を所管した。22
『日本開発銀行 10
年史』資料編48
頁。23 大蔵省銀行局編『銀行局金融年報』第
2
回(昭和28
年版)、1953年、64頁。24
『日本の政策金融
I』97頁。らは前述の総務部から移管された事項である と考えられるが、そのうち後者は、『日本の
政策金融
I』による説明(表 1)の中には含
まれていない。この点については後述する。
地方部の役付職員は表
3
のようであったが、人事面から見ても、地方部は主に管理部と総
務部(支店課)が統合されたものであったこ とが分かる。
福岡支店は、1952年
1
月16
日に、復金の 地方機構を承継してまずは事務所として設置 された26。事務所時代は、「もっぱら各地に
おける復金承継債権の管理回収にあたっ」27営業第一部 営業第二部 総務部
部長 高木良一 部長 三沢 勝 部長 正宗猪早夫
次長 淡河 正 次長 早川支郎 次長 中谷 貢
営業課
課長 楢原章五 営業課 課長 川崎一臣 総務課
課長 岡田 豊 課長代理 佐野清伍
管理課 課長
(兼)
早川支郎 課長代理課長待遇 網野貞雄 課長代理 櫟木茂男 課長代理 佐野一郎 課長代理 田中武喜 課長代理 水田正二
支店課 課長
(兼)
中谷 貢管理課 課長
(兼)
淡河 正 課長代理 高野子雅宣課長代理 森山 彰
出所; 金融財政事情研究会編『金融財政事情』第3巻第8号(第87号)1952年2月18日35-36頁よ り作成。
注; 1952年8月27日付で異動があったことは、同第3巻第37号(第116号)1952年9月15日41 頁で確認できる。
表 2 営業第一・二部と総務部の役付職員(1952 年 1 月 16 日〜 8 月 27 日)
1952
年9
月1
日現在1954
年3
月20
日付1954
年11
月30
日付 部長 中村美芳(管理第三部長)
部長 中村美芳 部長 中村美芳 次長 植田一夫(管理第二部次長兼第一課長)
次長 植田一夫 次長 植田一夫 第一課 課長 速水悌二朗(大阪支店総務課長)
第 一 課
課長 速水悌二朗 第 一 課
課長 速水悌二朗 課長代理 須藤典次
(管理第一部第二課長代理)
課長代理 須藤典次 課長代理 須藤典次 第二課 課長 高野子雅宣(総務部支店課長代理)
主査 木村昌一 主査 木村昌一所属課 不明
係長待遇 岡井安正
(管理第二部)
主査 辻昌夫 主査 辻昌夫 係長待遇 中村正雄(総務部)
第 二 課
課長兼 植田一夫 第 二 課
課長 石崎恂 係長待遇 吉村善三郎
(管理第二部)
調査役 井戸茂雄 調査役 井戸茂雄 係長待遇 原田敏夫(総務部)
主査 岩井欣次郎 主査 岩井欣次郎 係長待遇 木村昌一(管理第三部)
主査 南雲純 主査 南雲純 出所; 金融財政事情研究会編『金融財政事情』第3巻第37号(第116号)1952年9月15日41頁、第5巻第13号(第191号)1954年3月29日39頁、第5巻第49号(第227号)1954年12月13日39頁より作成。
注;( )内は前職。
表 3 地方部の役付職員
25
『日本の政策金融
I』98頁。なお、地方部は1958
年5
月に廃止されたが、その理由は、融資重点業種の 拡大のもとで、業種ごとの企業の把握、貸付管理の強化を図る目的で、営業各部に縦割りで業種を担当 させるためであったとされている(日本開発銀行『日本開発銀行25
年史』1976年、560頁)。26
『日本の政策金融
I』97頁。また、その際、同様に復金の地方機構を承継して大阪支店と名古屋・札幌・仙台・富山・神戸・広島・高松の
7
事務所が設置された。ていたが、1952年
6
月1
日に支店へ昇格し た28。福岡支店内は、1955
年4
月までは総 務課、営業課、管理課の3
課から成り29、こ
れらの課の事務内容は、たとえば営業課は営 業部、管理課は管理部というように、本店の 各部に準じて定められた30。すなわち、事務
所時代とは異なり第一次審査の一端を担うよ うになった。その役付職員は表4
のようで あった。2.2 支店経由融資案件に関する第一次審査 のプロセス
『借入申込聴取書綴
福岡支店』に綴じられ ている各案件の書類(表5)は、概ね、「申
込聴取書」とその「別紙」、 「本店調査書類」 (後
述)、「受付級別通知書」、の4
種から構成さ れており、その他の書類が含まれている案件 もあった。1952
年1
月16
日現在1952
年9
月1
日現在1954
年3
月20
日付1954
年6
月19
日付 事務所長 大沢勉(嘱) 支店長 梅田実 支店長 梅田実 支店長 梅田実 事務所次長 春日原博茂(嘱)
次長 佐藤文四郎 次長 佐藤文四郎 次長 牧瀬時彦 事務所次長 梅田実 総務 課
課長 松本達雄 総 務 課
課長 松本達雄 総 務 課
課長 松本達雄
事務所次長 千木良清(嘱) 調査役 鈴木正男
事務所長代理 安藤廉
営業 課
課長兼 佐藤文四郎 営業 課
課長兼 金万滋 営業 課
課長 金万滋 課長代理待遇 金万滋 課長代理 阿部裕 課長代理 阿部裕 課長代理 阿部裕 調査役 小玉不二雄 主査 吉原節夫 主査 吉原節夫 主査 福田博行 主査 福田博行
管理 課
課長 金万滋 管 理課
課長 金万滋 管 理課
課長 小玉不二雄 課長代理 小玉不二雄 調査役 鈴木正男 主査 高山立朗
主査 高山立朗
出所; 金融財政事情研究会編『金融財政事情』第3巻第8号(第87号)1952年2月18日35-36頁、第3巻第39号(第
118号)1952年9月29日43頁、第5巻第13号(第191号)1954年3月29日29-40頁、第5巻第26号(第 204号)1954年6月28日39頁より作成。
注;(嘱)とあるのは旧復金職員を新に開銀において嘱託した者。
表 4 福岡事務所・支店の役付職員
目録記載 案件数
申込 聴取書
申込聴取書 別紙
本店調査 書類
受付級別
通知書 その他 地方部 受付丸印
「役員会
附議済」印イ 1952年度分
19 17 14 11 2 4 8 0
ロ 1953年度分
39 37 31 29 35 4 27 20
ハ 1954年度分13 14 14 14 0 2 12 0
ニ 1952年度取下分
12 10 7 7 0 4 7 0
ホ 1953年度取下分
12 12 11 11 11 3 9 9
計
95 90 77 72 48 17 63 29
出所;『借入申込聴取書綴 福岡支店』より作成。
表 5 『借入申込聴取書綴 福岡支店』収録書類
27
『日本の政策金融
I』97頁。28 日本開発銀行『日本開発銀行とその歩み』1958年、27頁。
29
『日本開発銀行 10
年史』資料編50
頁。30
『日本開発銀行とその歩み』32
頁。
「申込聴取書」は、B5
用紙1
枚の書類で、ほとんどの案件で
「別紙」
が添付されている。「申込聴取書」の表面の左上には、判定(後
述)と対象業種を記入する欄が、右上には支 店長31、次長、課長、係員のそれぞれが検印
を押す欄がある。最も古い案件の「申込聴取 書」の日付が1952
年6
月14
日(福岡支店 昇格は1952
年6
月1
日-
既述)であることと、検印欄にある捺印(表
6)と福岡支店の支店
長・次長・営業課課長・営業課課長代理の氏名(表
4)が、ほとんどの案件で一致する
32ことから、『借入申込聴取書 福岡支店』収 録の「申込聴取書」は開銀福岡支店によって 作成されたものと考えられる33
。また、1952
年9
月以降に作成された「申込聴取書」のほ とんどには、「受付 ×年×月×日 開銀地 方部」の丸印が押されており(表5)、この
書類が、地方部に回付されていたことが分か る。
「
本 店 調 査 書 類」
は、90案 件 中71
の案 件34に添えられている。その名称としては、1952
年度には「福岡支店回付 ○○株式会 社借入申込に関する件」、「○○㈱役員会附議 資料」などが用いられていたが、1953・54 年度には「○○㈱借入申込メモ」と「○○㈱問題点」が多く用いられるようになった。し かし、「役員会附議資料」という名称が用い られていたことと、その内容
(「本店調査書類」
での調査項目については次節で考察する)か ら、「申込聴取書」と一緒に申込受付役員会 に附議されたと考えられる。
地方部設置前
(1952
年8
月まで)作成の「申
込聴取書」に添えられている「本店調査書類」
は
6
件あり、うち5
件は石炭鉱業で、1件は31 用紙には部長と印刷されているが、
「部」を棒線で消して 「支店」と書き直しているものがある。それは、
本店の営業部と同じ用紙を使用していたためと思われる。
32 表
6
中、「課長」─「小玉」となっている2
案件は、いずれも1954
年12
月のものであり、そのとき小 玉不二雄は管理課長であった(表4)。この 2
件に関して、営業課長や営業課長代理でなく管理課長が検 印していた理由は不明。33
「部長」 「次長」
検印欄が空欄で、「課長」
検印欄に速水(表 3
の地方部第一課課長速水悌二朗と推測される)の捺印がある案件が
1
つ(「申込聴取書」の日付は1954
年4
月13
日)あり、それは地方部により作成 されたものと考えられるが、その理由は不明。34 表
5
で本店調査書類の計が72
なのは、本店調査書類が2
つある案件が1
件あるためである。また、72 の本店調査書類の内、3つがペン書きで、残り69
は鉛筆書きであった。「部長」 「次長」 「課長」
梅 田 空
欄 佐 藤 牧
瀬 空 欄 病
欠 出 張 中
阿 部 金
万 小 玉 速
水 空 欄 イ
1952
年度分16 1 13 3 1 17
ロ
1953
年度分36 1 31 1 5 36 1
ハ
1954
年度分14 14 12 2
ニ
1952
年度取下分10 7 3 10
ホ
1953
年度取下分11 1 8 3 1 10 1 1
計87 3 59 14 9 2 6 73 12 2 1 2
出所;『借入申込聴取書綴 福岡支店』より作成。表 6 「申込聴取書」検印欄への捺印
陸運業であった。石炭鉱業の
5
件のうち最も 古い案件(「申込聴取書」の日付は1952
年6
月14
日)の「本店調査書類」には、「営業 第一部」のゴム印と「高野子」 「中村 ①」 「本間」
の捺印があり、最も新しい案件(同
1952
年7
月21
日)の「本店調査書類」には、「営業 第一部長」のゴム印と「楢原」 「正宗」 「岡田」
「高野子」「中村 ①」の捺印がある(表 7)。
表
2
より、「楢原」は、営業第一部営業課課 長楢原章五、「正宗」「岡田」「高野子」はそ れぞれ、総務部部長正宗猪早夫、同総務課課 長岡田豊、同支店課課長代理高野子雅宣と推 測される。残る二名のうちの「中村①」は、
地方部設置後のものにも確認できるから、表
3
の地方部係長待遇中村正雄(前職;
総務部)であると推測される。よって、これらはこの 時期に石炭鉱業に関する貸付を所管した営業 第一部か、支店関係事務を所掌していた総務 部により作成されたと考えられる。
残る陸運業の
1
件の「本店調査書類」
は、「申
込聴取書」の日付は1952
年8
月2
日と地方 部設置前であるが、業種としては営業第二部の所管であるにもかかわらず、「中村」の赤 字丸囲み署名と地方部第一課課長速水悌二朗 と推測される(表
3)「速水」の捺印があり、
その組み合わせ35から、地方部設置後に地 方部により作成されたものと考えられる。地 方部設置後(1952年
9
月以降)作成の「申 込聴取書」に添付された「本店調査書類」
は、「中村 ①」、 「中村 ②」
36、 「植田」、 「速水」、 「須
藤」、「木村」、「辻」といった地方部の役付職 員(表 3)
の捺印が確認できる(表 7)
ので、「申
込聴取書」を受け付けた地方部によって作成 されたと考えられる。
「受付級別通知書」は、地方部長から福岡
支店長に宛てられた「(申込企業・個人名)の借入申出に関する件」と題された
B5
用紙1
枚の通知書で、「昭和○年○月○日附申込 聴取書を以て貴店送付に係る掲題の件は昭和△年△月△日附役員会において受付級別が左
記の通り決定致しましたから此段御通知申上 げます」という文面と、判定のみが記されて いる。
「申込聴取書」と「受付級別通知書」で用
楢 原
中 村
① 中 村
② 中 村 署 名
植 田 速
水 須 藤
高 野 子
木
村 辻 市 川 西
村 稲 畑 本
間 不 明 正
宗 岡 田
イ
1952
年度分(-52.8)4 1 1 4 1 1952
年度分(52.9-)1 4 3 1 2 1
ロ
1953
年度分8 13 22 22 7
ハ
1954
年度分10 14 5 3 1 2
ニ
1952
年度取下分(-52.8) 1 1 1 1 1
1952
年度取下分(52.9-) 1 1 1 5 1 1 3
ホ1953
年度取下分2 3 11 4 7
計
1 6 2 1 20 39 37 5 6 26 22 1 1 1 2 1 1
出所;『借入申込聴取書綴 福岡支店』より作成。表 7 「本店調査書類」への捺印
35 しかし、地方部長中村美芳と地方部係長待遇中村正雄のどちらであるかは不明。
36 部長中村美芳のものと推測される。
いられていた判定には、A・B・C・Dの
4
種 類37がある。5冊の『借入申込聴取書綴 福 岡支店』のうち、1952年度分・ 1953
年度分・ 1954
年度分の3
冊には申込受付役員会の判 定がA
またはB
の案件が収録されている一 方で、1952年度取下分と1953
年度取下分の2
冊には申込受付役員会の判定がC
またはD
の案件が収録されていることから、判定A・
B
は審査部に回付、判定C・D
は取下げ、と いう評価であったと考えられる。また、「本 店調査書類」では、A〜 D
の判定も含めた 表8
のような表現で、審査部回付可否判断が 記されていた。2.3 小括
以上の分析の結果、1952
〜 54
年度におけ る福岡支店を通じた第一次審査のプロセス は、『日本の政策金融I』による説明(表 1)
のような
1
回の調査(営業各部または支店 による)とそれに基づいた1
回の選別(申込 受付役員会による)というものではなく、① 借入申込を受けた福岡支店が調査を行い「申 込聴取書」と多くの場合その「別紙」
を作成し、A・B・C・D
の4
段階で判定した福岡支店での評価を付して本店38に回付する、
②「申
込聴取書」を受け付けた本店が調査を行い、審査部回付可否判断を含めた検討結果をまと めた「本店調査資料」を「申込聴取書」とと もに申込受付役員会に附議する、③申込受 付役員会が受付級別
(A 〜 D
判定)を決定し、A・B
判定の案件は審査部回付とされ、C・D 判定の案件は取下げ(拒絶)とされた、とい う2
回の調査とそれらに基づいた1
回の選別というプロセスであった(後掲表
18)こ
とが明らかになった39。なお、その内の二回
目の調査が、先に確認した「中小企業関係以 外に関する支店・事務所・代理店の諸取引の 審査および申請の承認」という地方部の所管 事項にあたるものであったと考えられる。37 但し、営業第一部取扱いの案件では、BではなくB1またはB2であった。
38 既述のように、正確には、
1952
年8
月までは営業第一部か総務部、1952
年9
月以降は地方部であったが、以下、本稿では便宜上「本店」に統一する。また、事例を確認できなかったが営業第二部も営業第一部 と同様の役割を果たしていたものと考えられる。
39 もちろん、他の支店を通じた第一次審査のプロセスが本節で明らかにしたものと異なる可能性もある。
しかし、その点を検証するために必要な史料は入手できていない。
筆者分類
「本店調査書類」での記述 案件数
取上 本店判定;A
1
本店判定;B
4
本店判定;B
1 4
本店判定;B
2 1
審査回付
4
一応審査回付
12
採り上げ
1
採り上げ可能
2
採り上げ已むを得ない
1
取上可然
1
援助然るべし
1
融資の方針
1
取下 本店判定;C
5
本店判定;D
1
本店判定;C
〜
D1
一応見送り
2
見送り
1
消極的
2
否定的
3
拒絶
3
国家資金投入の必要なし
1
中間 慎重な検討必要
1
「判定ブランク」 1
其他 問題点の列挙のみ
15
結論・問題点なし
4
綴込みのため読めず
1
「本店調査書類」無 17
計
91
出所;『借入申込聴取書綴 福岡支店』より作成。
表 8 「本店調査書類」での審査部回付可否判断 の表現