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美術教育における彫塑指導の課題

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Academic year: 2021

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美術教育における彫塑指導の課題

美術科研究室 山  崎   猛

1.彫塑教育における基本的な考え方

明治以後,彫塑の持つ意義が論議され,体質的な変化をきたしている現在,その基本的な考え 方や構えに対する意見を述べ,今後の彫塑教育をよりよい方向へ前進させたいと考える。

彫塑のもつ特質は,実材をとおして,人間感情と,質量,空間による高次な構築によって融合 し,美的な統一を生み出す行為であるから,美術教育の中では欠くことの出来ない領域であるこ とは言うまでもない。

子どもの世界の中で,この行為がどのように根をおろし,豊かな創造力を身につけてより高次 な世界にふれ,味わうことが出来るだろうゐ・という疑問を反趨しながら考えてみると,それは,

形態感覚練習と心象表現練習との二つの柱の交叉によって生まれてくるように思われる。前者の 場では,自由な発想の素地を養い,創造活動の巾をひろげるために,たとえば基本的形態美の把 握,自然的,人工的立体からの美を捜し出すなど,立体美に対する美的感覚を鋭敏にすると同時 に,立体の構築美,美的秩序をさぐりながら豊かな思いつき,ひらめきが可能なように指導する。

この発想の最初の段階のひらめきは,もっとも純粋で,新鮮味をもっている。このひらめきの 状態は,発動的,瞬間的,点滅的,流動的,不連続で,構造化や組織化がなく,意識として統一

されていないものである。しかしながら,ひらめきは,直接的には刺戟と契機により,また間接 的には人格とエネルギーにより,生命を得て変化し発展する可能性をもっている。

然し,現場の教育では,後者の方に重点が置かれ,このひらめきを伸ばし深めていくことはな かなか困難である。だから,それらをふまえながら,具体的な動物や人物に題材を求め,自由な 物語り,空想等を織り込みながら指導しているのが現状であろう。

2.子どもの彫塑活動と芸術性

子どもには,ひとりひとりに夢がある。それなのに,技術の切り売りに終ったり,完成作品を 通してのみ,その子を見勝ちになる。友達の顔をみても,働らく母の姿に印象づけられた場合で

も,単にその通りつくりたかったとか,美しい顔立ちに表現したかったというだけで,子どもの 夢は充たされるものではない。そこには,もっと深い子どもの「なにか」が内在し,「なにか」を

いいたがっているのである。それを知らない限り彫塑教育の本質にはならない。

本来,子どもは自然環境の中にいて,その環境の中から手近かに見出される材料をもってあそ

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ぶことを本能的に好むものである。いま,その中から造形的な活動を取り上げてみると,小石を 拾って並べたり,積み上げたりすることや,棒きれを使って砂の上にすじをつけたり,砂や土で 小山を築き,トンネルを掘り,穴を掘ってよろこぶ。そして又,水あそびに大きな関心をもって いるので,土と水といっしょにしたどろんこ遊びはいっそう魅力を感ずるものである。肉づけす る彫塑は,このようなどろんこ遊びや砂あそびの中にその芽生えがあるものとみてよい。

生まれて,まだ字も読めず絵も理解できない幼児であっても,現実の量をもったおもちゃの類 はいつまでもしっかり握っていて離さない。手は本来ものを握るのがその役目であって,幼児の

●    ●    ●    ●

このような傾向は,無意識的な触覚本能のあらわれともいえるであろうが,一つは量に対する本 能的なあこがれのあらわれでもあると考えられる。もともと人間は生まれながらにして量を愛し,

量にあこがれる性質をもっているといえるのである。

リードは,『マッスの実珊という論述の中で次のように言っている。「いかにして児童が諸性質 の量の概念にたっするか一言いかえれば,数や部分の全体に対する関係のような数的関係の概 念ないし論理的といわれてしかるべき量から,いかにして,児童が重量とか物理的体積のような

●   ●   ●   ●   ●

(外延的)量の概念にたっするか。これらの感覚の意識的自覚は,空間の自覚と同じく,生まれ ながらにしてあたえられているものではない。それは辛抱強い学習過程によって習得されねばな

らない。子どもは,或る対象が堅いとか,重いとか,光や熱を発するとかいうことを学ぶにはさ して時間がかからない。しかし,これらの量の測定のみならず,量相互の比較の評価となると,

ただ除々にしか進歩しない。」と述べているように,幼児のあこがれともみられる量に対する関心 は,教育の場において,それがどのように指導されるかによって決ってくる。

筆者が,かつての研究「貝殼工作」にお・いて,発想の種になった当時の子どもを,その論文の 中で次のように書いている。「高萩の海岸へ出てみると,きれいな貝殻が無数にころがっている。

『メダカラ貝』や赤い『サンショウ貝』,それに『ムギ貝』の小粒ではあるが色つやの美しいもの や,子ども達が投げ合うのにっかっていた『ダンベイキサゴ貝』や『レイシ貝』等々,子どもの ポッケは,いつもいっぱいだ。授業中でも,時々,ガチャガチャと手あそびを楽しんでいる子ど もがいて,注意をうけるのもいたが,子どもは,それほどまでに,貝殼の触覚を昧わいよろこんで

いた。

貝殼の一つ,一つをじっとみつめていると何かの貌を思う。子どもは子どもなりに。その美し い貝殻は,次第に変貌する。ここに創造のよろこびを感じ,子どもは,すばらしい作品を生む。

それは,たしかに,美しい子どもの夢だ。

貝殼はどの貝殼をとってみても,確かにある表情を持っている。子どもは鋭い感覚で子どもなり の貌を考案する。愛嬌のある貌,怒ったようなものや,魚・動物等,子どもの想像はいろいろに

発展していく。」

中国人や日本人は,かつて,弱翠や號珀や象牙のような素材から彫りあげた小さなオブジェの

一系列を発展させていったが,そのうちには懐中にいれて持ちはこび,ときどき出しては愛撫さ

れるものがある。こういうしかたで小石を大事にしまっている人々もあるし,また現代彫刻のな

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かには,手にとって愛撫されるのが目的でつくられたものもある。

彫刻家ヘンリー・ムアは・身につけで所持するということのこうした意味を力説した。「彫刻す るものは・いわば自分の手のなかに,その堅牢な形をうけとるのである。一彼はその大きさの いかんを問わず・あたかも手の掌におさめて完全に握っているかのようにそれを考える。彼は心       う

フなかで・すべての周囲そのものから,或る複合した形体を視覚化する。彼は一方を見ながら他 の側がどうなっているかを知る。彼はその重力の中心,そのマッス,その重量と自分を同一化す る。彼はその形が空中にうつしかえる空間として,そのヴォリュウムを実感する。」と。

触診の芸術とみなされる所以はここら辺にもあるので,彫刻されたものを触覚的な統一におい て把えたいという欲求は,あきらかに,彫刻芸術に或る種の限界を課すことになろう。それはあ まりにも複雑すぎたり,ばらばらになりすぎたり,或は大きくなりすぎるだけでも,この美的特 性は犠牲になってしまう。おそらくこの理由のために,どんな大きな彫刻もっねに一種の均密性 をもっている。ミケランジェロの作品には,この均密性があるが,彼は山の頂上から底までころ がしても壊れない作品だけがよいといった。ギリシャの傑作には,こういう頑強さをもったもの が数少ないが,ギリシャ彫刻のことを考えると,たまたま,その頭部や少なくとも両脚を失った

トルソーを眼に浮べがちである。

大成龍雄氏の言う「トルソーの諸問題」の中で,氏は次のように論じている。「要するに斯うい う胴体の生命感が強調されるためには,精神的表出の濃度の高い顔面や手などを美的に否定する 必要がある。極端な言い方を以てすれば,顔面などが附随することは,トルソーの効果を侵害する。

又精神的乃至は生命的表出という点を離れて,純粋に造形的な意味から考えて見ても,頭部や 四肢のような突出部を棄てた胴体は,立体感の最も強い部分であって,ここに彫刻的特質が,極 度に濃縮せられていると言い得るであろう。この際,ミケランジェロが,山の上から落されて欠 けるだけの部分は欠け尽して後に残ったものこそ,真の彫刻であると言ったと伝えられる言葉も 思い合わされるのである。」

3.彫塑学習指導発展への課題

(1)彫塑学習のめざすもの

かつて・彫塑家柳原義達氏のアトリエを訪問した折,氏は裸体モデルを前にして,その見方,

感じ方を中心にした量の把え方や,螺線形の動きの中でそれらがどのように変化していくかを教 えてくれた。そして氏は,一枚の白紙を二つに折り机上に立てた。その一片の端をつまんで一方 に折り曲げ,それが外方に向うようにしたり,内側へ向けたりして,それを四方から眺めるよう に指示し,「この単純直裁さが彫塑する上で最も大切な要因である。」として,彫塑教育のあるべき 姿を示唆したのである。そして,現代は新しい表現材料や新しい表現技法が次々と生み出され,

彫塑の内容もきわめて複雑化してきたようであるが,教師は,彫塑学習の場において「何を指導 すべきか」をよくわきまえなければ,真の彫塑学習にはならないと警告した。

彫塑は・自然の形や現象を対象としようが人間意識の内部から生ずる抽象形体をとろうとも,

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それは作者の自由である。いずれの場合でもその対象のとらえ方が重要で,それもまた各個人に よって異ってくる。

彫塑の対象には多く人物が登場する。たしかに人間以外のものをつくろうとしても,絵画のよ うに表現は容易でない。彫塑は実在性,孤立性,重量性,不動性などの点において,絵画よりは

るかにすぐれている点からみても,その対象は人間が一番適しているといえる。そうだとすると,         

l間をみて,その美しい根源を選び,抜き出し,これに彫塑と・しての特質を賦与しながら造形し ていくところに彫塑学習の価値を見出さなければならない。

(2)表現型の発達

1963年に東京教育大学内彫塑教育を進める会が行った実験報告(中学校1年)にも見られるよ うに,粘土を与えて自由に作らせてみると,立体把握の中で,扁平形と半立体形,それにわずか な立体形が表われることがわかる。

このように先ず子どもの心的活動と表現過程を知らねばならないことは言うまでもない。

彫塑教育を進める会が発足した当時,東京教育大学教授木村珪二氏は,その報告書の序文に次 のようなことばを寄せている。

「昭和37年度より実施された新指導要領にもられた『印象や構想による表現』の場における彫 塑というものは,従来の粘土細工と異った意味を持っている。

論理と目的は,推測はあってもそれをどのように実施するかの面に到っては,指導者が皆それ それ異った例証を示されている。然し決定的なことは文部省としても出せず,勿論,特定の人達 の意見だけでは困るのである。彫塑の表現活動が重要なものだと認めるならば,じっくり腰を据 えて目標とか,制作過程,到達点について,少々子どもがギセイになる面があっても教育現場で 自由にやらしてみたり,抱束するとかしてみて,材料の抵抗をどう克服するかを見る必要がある。

教師の考えた本当の自由をみつけるために,その思考の上から,実験資料をつくった上で改め てその到達点や子どもの思考過程のもとに指導案が作成されなければならない。」

言うまでもなく,表現活動は子どもの発達に応じてなされなければならないので,先ずその実 験授業を通してそれらがどのようなあらわれかたをするかの研究が必要となる。

今,ここで子どもの活動の中で,粘土を与えて自由に作らせてみた時,与えられた粘土の塊を どのような手順から出発させていくか。①与えられた粘土の塊を手に持ち扁平的に押して,皿や 木の葉のようなものになるか,②その扁平形が人形や動物などになるか,については,立体を把 握する発達上の大事な要件となる。

石岡市の府中中学校での実験授業(六崎敏光教諭)で子どもA.の反省録をひろってみると,

「自由に,自分の好きなものを作ってみよう。」ということになると,どんなものをつくろうかな と,頭の中ではなかなか考えつかない。友達に聞いても「わからない」という。こんな時,僕は

「題を与えられた方がいい。」と思った。考えながら粘土をねる。ふと小学校の頃を思い出した。

迷っている時だけに,あの時つくった「トラ」が,僕の方へとびかかってくるように思えた。「よ

しrトラ』をつくってやろう。」と決心した。頭,胴,脚が出来て,尾をつける番になって,全体

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の形が・ひどく・「犬」に似ているので尾をまるめてしまった。と書いている。又,六崎教諭が中 学1年生の彫塑指導のひとこまを次のように書いている。

「制作の方法は・一般的には一つのかたまりからひねり出すというあらわれが見えたが,飾ると いう本能もはたらいて小石やビー玉をはめこんだり,粘土を細長くまるめて髪を飾る生徒もいて 男女の作品傾向がはっきりあらわれた。

男生徒は・大部分が粘土を球体に丸めてからつくりだしたのに対して,女生徒は扁平な板状に してから・目・鼻・口をつけていったすべてに装飾的な匂いがあって,人形のような表庸が強く,

男生徒の作品に見られるような塊状のものではない。」

これを心理学的に把えた面から見ると,①扁平状形は,半立体型であり,立体と平面との間に ある心的表現活動として,立体把握の初期にあたる。又,②塊状そのままを,つまみ出しや押し 穴などして作り上げる子どもは,塊状形成型として空間把握の中位にある型である。そして,③ひ

も状や棒状に伸して分割し積み重ねや接合して構成する子どもは,ひも,棒状形成型で空間構成 としては,やや進みつつある子どもであることが理解できる。

編者中野佐三氏の「図画工作の心理」の中では,「扁平状形成型の子どもは,観念的平面視覚型 に属し・立体的芸術には性格的に進歩がない傾向をもっていることがわかる。塊状形成型や棒ひ も状形成型は・立体観念は明確であるが,抽象芸術に向く傾向をみせ,粒状形成型は,性格の強 い子どもか,特殊性や分裂性などの傾向があることなどを知ることができる。」と述べているよう に・こうした方法によって系統的に研究していくと,児童生徒の性格や立体の彫塑的指導原理が 導き出され,発展させるための一試案が生まれてくる。

(3)実践授業(平面から立体把握へ)

男生徒(中1)Sが,いつも全く同じようなマスクをつくっているのをみて,これに対して,

変った刺戟を与えても,反応を示さないものかどうか,又,どのような刺戟の与え方をしたら,

どんな傾向を示すであろうか。府中中学校六崎氏の協力を得て,その刺戟のあらわれかたを観察 することにした。

①刺戟A

「ぼくのお母さん」を作文する。作文を書かせることによって,母の印象を強くする。

②刺戟B

「母の印象」について,よく話し合う。

③刺戟C

母をモデルにしてつくる。

④刺戟D

母をスケッチしたり,よく観察した後でそれをもとにしてつくる。

こうした刺戟の与えられ方をした生徒Sは,今までのような扁平状のマスクから抜け出ること

が出来・まもなく塊状形成型へと進んだのである。ただし,刺戟AやBに於ては平面観念が抜け

きれず・部分的に立体的な把握が出来るようになった。そして次第に,そうした部分的立体把握

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から,全体的立体把握に進む段階で,「塊」とか,「面」の構築性を学び,やがて,彫塑的「量」を 強く意識するようになってきたことがわかる。然し,ここで留意しなければならないことは,最 初の感動がどのように持続し,その子の心の底にひそむ造形性が,刺戟を与えることによってど のように開拓され,発展していったかにある。この心的表現としての発展の動機は,何によるか,

が重要であり,平面表現の扁平な人間だけを長く作り続けていたSが,急に立体としての塊状型 の人間を作れるようになったことは,物の量感と位置を新たに把握し,具体的立体の世界に自己 をみいだした結果であろう。

4.彫塑学習評価の問題点

或る研究会の席上でT氏は,一つの換算点をもとにした評価法を提示した。それによると,出 来上った彫塑作品に頭部,上肢部,胴部,下肢部,服装,全体という各部に分け,それぞれに小 項目,例えば上肢部には「かたと上肢のつながり」,「ひじの曲り」,手指の表現」,「手と甲と腕の つながり」を挙げている。そして,「よい」ものには3点を与え「ややよい」2点・「ややわるい」

1点,「わるい」には0点を与えた。そして,この換算点を手がかりとして,項目別・個人別の表 現能力の傾向をみようとしたと言っている。

さて,T氏のこのような独自の評価法の良し悪しは別として,美術は他教科の評価に比べてい ちじるしく困難視されている事実,これをどのように解決していくべきかが,彫塑学習の面にも 大きくのしかかってくる。

っまり,万人を一様に納得させるに足る客観的な評価基準が立てにくいということであり・彫 塑学習の本質的な意味の解明が明確に意識された中から生まれてこなければならない問題である。

だから表面的な評価項目をいくら並べてみても,それは数量的測定では困難だという事実である。

評価の客観性ということは,とかく確保しにくくなり,評価するものの主観が大幅に介入してく ることの多様性が,ますます客観的評価が行われにくくなるというわけである。このことについ ては,又,改めて稿を起さねばならないが,美術教師の独自性が大きく支配する教科だけに・こ の評価基準,並に授業内容の構造化が叫ばれてくる所以ではなかろうか。

5.結  語

大学に於ける彫塑学習の傾向は,年々多人数の傾向を示している。平面から立体への魅力のあ らわれとも見られることであるが,小・中学校における美術指導の面にもこの立体把握の彫塑学 習を重要視していかねばならないとすれば,当然ながら,教員養成大学の教科指導の中で・その

●    ■    ●    o    ●    ・

本質をしっかり身につけさせることが最も大事なことである。ともすると,まとめの感覚が先行

      9    ●    ●    o    ■    o

オてしまう恐れがないでもないから,彫塑の本質をじっくり探し出す感覚の積み重ねに重点を置 きたいと考えている。

そのような本質的な構えが身についた時,はじめて生き生きした内容の実践を通して,子ども

が心からよろこぶような魅力のある授業に展開できるものと確信している。だから,時代の流行

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のみにおぼれたり,新しがりやで目新しい素材だけの切り売りに終ってしまうような授業はした くないし,もっと素朴でいいから,子どもの心の中に宿っている美しい夢を開発してやれるよう な心構えと,実践力を身につけさせたいと考えている。

● 参考文献

(1)中野佐三        ●図画工作の心理       ●岩崎書店

②佐藤忠良        ●彫刻をつくる        ●美術出版社

(3峰蔭英治  ・彫刻の芸術   ・みすず書房

(4)松原郁二        ●図画工作科教育法      ■誠文堂

(5)熊本高工       ●図工科の新しい研究授業   ●明治図書

⑥ 図工科研究会      ●図画工作科の系統的指導   ●東洋館

(7)箕田源二郎       ●教師の実践記録       ●三一書房

(8)彫塑教育を進める会   ●粘土と九人の子ども     ●東京教育大学

(9)    ク       ●彫塑教育の試論と実践    ■  〃

(1① 大成龍雄        ■トルソーの諸問題      ●美学第24号

(11)  〃         ●彫刻無色の問題       ●美学第32号

(12)山崎 猛        ●フオーム      ●日本文教出版

参照

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