ハモンド島(トレス海峡)の村落と住居
著者 杉本 尚次
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 3
号 1
ページ 95‑113
発行年 1978‑03‑31
URL http://doi.org/10.15021/00004590
杉 本 ハ モ ン ド島(ト レス海 峡)の 村 落 と住 居
ハ モ ン ド島(ト レ ス海 峡)の 村 落 と住 居
杉 本 尚 次*
Villages and Dwelling Houses of Hammond Island, Torres Strait
Hisatsugu SUGIMOTO
This is a preliminary report on an ethnological and geo- graphical survey conducted in 1975 on Hammond Island, Torres Strait.
The aim of this study was to investigate the fishermen's culture and the societies of the Torres Strait Islands as a transition area lying between the Asian Continent and the Pacific Islands, and to make clear the roles played by these island people in cultural diffusion as well as their processes of acculturation. This report is divided as follows:
1) Introduction
2) Natural environment and land use on Hammond Island 3) The appearance of a village
4) Changing house types
5) A new catholic village and movement of the population 61 Conclusion
1.は じ め に
fi.ハ モ ン ド島 の 自 然 環 境 概 要 皿.村 落 の 景 観
IV.住 居 の特 色 V.寄 合世 帯 的 村 落 VI.お わ りに
1.は じ め に
1975年7月 〜9月 め3カ 月 間,昭 和50年 度 文部 省 科 学 研 究 費 補 助 金 に よ る共 同 調査
「トレス海 峡島嶼 民 の地 理 学 的 ・民族 学 的研 究 」 第1次 調 査 に参 加 す る機 会 を 得 た。
*国 立民族学博物館第4研 究部
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国立民族学博物館研究報告 3巻1号 こ の 調 査 は,ア ジ ア 大 陸 と 太 平 洋 諸 島 の 接 触 地 域 に お け る 島 嗅 民 の 伝 統 的 漁 労 文 化
・漁 民 社 会 の 研 究 を 通 じて 接 触 地 域 の も つ 文 化 伝 播 上 の 役 割 を 明 ら か に し,加 え て 当 地 域 の 文 化 変 容 の 過 程 を 明 らか に し よ う と し て い る 。
第1次 調 査 の 隊 員 は,藪 内 芳 彦(関 西 大 学 教 授)を 隊 長 に,大 島裏 二(関 西 学 院 大 学 教 授,国 立 民 族 学 博 物 館 運 営 協 議 員),島 田 正 彦(立 命 館 大 学 教 授),筆 者 の4名 と, 現 地 参 加 の ラ ・ ト ロ ー ブ 大 学(メ ル ボ ル ン)社 会 人 類 学 講 師 の 北 大 路 弘 信 か ら な っ て
い る 。 さ らに 大 阪 市 立 大 学 大 学 院 学 生 松 本 博 之,関 西 学 院 大 学 大 学 院 学 生 瀬 川 真 平 が 加 わ っ た 。 そ れ か ら和 歌 山 県 立 新 宮 商 高 の 久 原 脩 司 教 諭 が,和 歌 山 県 出 身 出 稼 ぎ 漁 民 研 究 の た め 特 別 参 加 した 。
第1次 調 査 に つ い て は,ト レ ス 海 峡 諸 島 概 況,ハ モ ン ド島,マ ビ オ グ 島,ダ ー ン リ ー 島,ヨ ー ク 島,メ ー ル 島 に つ い て,昭 和51年 人 類 学 ・民 族 学 連 合 大 会 で 各 分 担 者 に よ り報 告 した 。 調 査 記 録 は 「ト レ ス 海 峡 諸 島 調 査 記 」と し て ま と め られ た[藪 内1977:
70‑77;久 原 1977:74‑84;杉 本 1977a:58‑65;松 本 1977b:58‑66;島 田 1977;43‑52;大 島 1977a:56‑62]。 各 隊 員 に よ る 個 別 発 表 も行 わ れ つ つ あ る[大 島 1977b:10Hl9;松 本 1977a:121‑143,1977c:368‑388;杉 本 1977b:1‑19]。
第2次 調 査 は1977年7月 〜9月 を 中 心 に 実 施 さ れ た 。 調 査 地 は,ト レス 海 峡 諸 島 の
図1 ト レ ス 海 峡 諸 島 全 図
杉 本 ハ モ ン ド島(ト レス海 峡)の 村 落 と住 居
う ち,サ イ バ イ 島,バ ド ゥ 島,モ ア 島,コ コ ナ ツ 島,ヤ ム 島,ヨ ー ク 島,メ ー ル 島, ダ ー ン リー 島 と,パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ ア 側 の ダ ル ー 島 で あ る 。
こ こ で は 第1次 調 査 の ハ モ ン ド島 に つ い て 報 告 す る 。 調 査島嶼 で は 隊 員1〜2名 ず つ に 分 散 し て 調 査 した が,ハ モ ン ド島 は 地 域 中 心 木 曜 島 に も近 く,他 島 の 調 査 許 可 に 時 間 が か か っ た 関 係 も あ っ て,第1次 調 査 隊 員 全 員 に よ っ て 調 査 が 行 わ れ た 。 こ れ ら 資 料 を 活 用 し な が ら,と く に 村 落 と住 居 つ い て ま と め よ う とす る 。 な お ト レ ス 海 峡 諸 島 全 域 や 隣接 地 域 と の 比 較 な ど は,第2次 調 査 の 資 料 な ど を も 加 え て 次 の 機 会 に 報 告
した い 。
ト レ ス 海 峡 は,ニ ュ ー ギ ニ ア 島 と ケ ー プ ヨ ー ク 半 島(オ ー ス ト ラ リア 大 陸)に は さ ま れ た 海 峡 で あ る 。 最 短 部 で128kmあ る が,大 塗 礁 の 北 端 部 や,ウ ォ リ ア ー リー フ な ど 珊 瑚 礁 が 無 数 に あ り,そ の 間 に 島 々 が 散 在 し て お り世 界 屈 指 の 海 上 交 通 上 の 難 所
と な っ て い る 。
ト レス 海 峡 は,1606年 ト レ ス が 発 見 し た 海 峡 で あ る が,1770年 ク ック が 測 量 を と も な っ た 探 査 を し て い る 。 そ の 後 こ の 海 域 の 探 検 航 海 が 続 く。 学 術 研 究 と して はA.C.
Haddonを 中 心 と し た ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 ト レ ス 海 峡 調 査 隊 の 研 究 報 告 を ま ず あ げ ね ば な らな い[HADDON 1901‑1935]。 こ の 調 査 に は リヴ ァ ー ス な ど 著 名 な 学 者 が 多 く 参 加 して お り,自 然,島 民 の 経 済,物 質 文 化,社 会 生 活,民 族 心 理 な ど 多 岐 に わ た っ て い る 。 この 調 査 研 究 は,ヨ ー ロ ッパ 文 化 流 入 前 の,か な り伝 統 的 な 島 民 の 生 活 文 化 の 諸 相 を 伝 え て い る の で,調 査 研 究 の 基 本 的 文 献 と な って い る 。Haddon隊 の 調 査 以 来,規 模 の 大 き な 調 査 は,キ ャ ン ベ ラの オ ー ス ト ラ リア 国 立 大 学 太 平 洋 地 域 研 究 所 が 行 っ た 一 連 の ト レ ス 海 峡 地 域 に 関 す る 研 究 が あ る 。D. Walkerら 編 集 の オ ー ス トラ リア 大 陸 と ニ ュ ー ギ ニ ア 島 間 の 自 然 的,人 文 的 諸 関 係 を 論 じ た も の 「WALKER I972]
や,H. Duncanほ か 数 名 に よ る ト レ ス 海 峡 諸 島 民 研 究 を あ げ る こ と が で き る [DuNcAN l974]。 前 者 の 中 に はJ. R. Beckettの ト レ ス 海 峡 諸 島 民 研 究 が 含 ま れ て い る[BEcKETT l963]。 後 者 は ト レ ス 海 峡 諸 島 の 社 会 や 経 済,人 口,国 境 問 題 等 々 現 状 分 析 が 中 心 と な っ て い る 。 そ の 他W.Laadeの 北 部 トレ ス 海 峡 諸 島(サ イ バ イ 島 な ど)を フ ィ ー ル ドと した 詳 細 な 研 究[LAADE l971], B. Nietschmannの 西 部 ト レス 海 峡 諸 島 を 中 心 と した 報 告 が あ る[NIETscHMANN 1977:1‑17]。 M. Lawrieの
ト レ ス 海 峡 諸 島 の 神 話 と伝 説 集[LAWRIE 1970]も 興 味 を ひ く。
従 来 オ ー ス トラ リア 原 住 民 や ニ ュ ー ギ ニ ァ 山 地 民 の 研 究 は 比 較 的 多 く み ら れ る が, 概 して 島 嗅 や 海 岸 部 の 研 究 が 少 な い よ う で あ る 。
皿.ハ モ ン ド島 の 自然 環 境 概 要
ト レ ス 海 峡 諸 島 は,一 般 に 東 部,中 部,西 部 諸 島 に 区 分 さ れ て い る 。 ハ モ ン ド 島 は 97
国立民族学博物館研究報告 3巻1号 西 部 諸 島 に 属 し て い る 。
西 部 諸 島 は,パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ ア に 近 い サ イ バ イ 島,ボ ィ グ 島,ダ ウ ア ン 島 。 海 峡 の ほ ぼ 中 央 部 南 緯10度 付 近 の マ ビ オ グ 島,バ ド ゥ島,モ ァ 島 。 三 つ の 大 珊 瑚 礁 を は さ ん で 南 側 に は ハ モ ン ド島,木 曜 島,プ リ ンス オ ブ ウ ェ ー ル ズ 島,ホ ー ン 島 な ど が 比 較 的 近 接 して 位 置 し て い る 。
西 部 諸 島 は 石 英 斑 岩,花 南 岩 な ど 古 い 火 成 岩 で 構 成 さ れ る も の が 多 く,ハ モ ン ド島 や 木 曜 島 も 基 盤 は 火 成 岩 で あ る 。
ハ モ ン ド島 は 全 般 的 に 低 山 性 の 島 だ が,中 央 や や 北 寄 り が130m前 後 と高 く,島 の 南 側 は60m余 で 花 闘 岩 の 露 出 す る と こ ろ も あ る 。 こ の 両 地 区 が 植 生 が 密 に な っ て い る が,他 は ユ ー カ リ樹 の 疎 林 で,パ ンダ ナ ス の 点 綴 す る 草 原 状 の と こ ろ も あ る 。 一 種 の サ バ ナ 的 景 観 を な して い る。 全 般 に 赤 味 が か っ た ラ テ ラ イ ト土 で,セ ピ ァ 色 の 奇 異 な 姿 の 蟻 塚 が 散 在 し て い る 。 村 落 は 島 の 東 南 部 に 位 置 し て い る ロ 狭 小 な 砂 浜 海 岸 部 と,や や 内 陸 部 に 家 屋 が 集 ま っ て い る 。 約15mの 小 丘 上 に 石 積 み の カ ト リ ッ ク教 会
図2ハ モ ン ド 島 現 況 図
杉 本 ハ モ ン ド島(ト レス 海峡)の 村 落 と住 居
写真1 小 丘 上 に 立 地 す る 教 会
が 建 ち,景 観 上 目立 って い る。 トレス海 峡 の 島 々か らカ ト リック教 徒 を 集 め て新 し く 村 づ く りを した の で あ る(後 述)。
教 会 の位 置 す る小丘 背後 の村 落 の立 地 して い る と こ ろ は平 坦 な盆 地 状 の地 形 だ が, 涸 川(調 査 時 は乾 季)が 侵蝕 蛇行 しな が ら北 流 して い る。 丘 陵性 山地 を越 えた 島 の南 西 部 に も平 坦 地 が あ り,塩 分 を含 んで い る。 ここ か らも河 川 が 北流 して い る。 下 流 部 は いず れ も マ ング ロ ー ブ林 で,か な り内 陸部 ま で拡 が って い る。 この よ うな状 況 か ら み て,古 くは 北側 か らの 入 江 が 深 く入 り こん で い た と考 え られ る。
山 地 に は 野生 化 した牛 や 豚 が 相 当 数生 棲 して い る とい われ る。 ハ モ ン ド島 の付 属 島 ラ ウ ン ド島 は低 平 な 島で,州 政 府 の許 可 を うけ た 島民 に よ って バ ナ ナ ・コ コヤ シ ・ヤ ム イモ な ど が 栽培 さ れ て い る。
写 真2 干 潮 時 の マ ン グ ロ ー ブ 林
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国立民 族学博物館研究報告 3巻1号
島 の 周 囲 は 珊 瑚 礁 が と り ま い て お り,潮 流 が 速 く,島 間 の 距 離 は 短 く て も船 は 大 き く迂 回 し難 航 し て い る 。
隣 接 す る 木 曜 島 の 測 候 所 資 料 に よ っ て 気 候 の 特 色 を み る と,4月 〜10月(と く に7
〜9月)は 南 東 貿 易 風 が 強 く,乾 季 に あ た って い る。 気温 も8月 の平 均 気 温25.7。C (1966)で 朝 夕 は 涼 し い 。11月 か ら3月 は 北 西 季 節 風 に な り,年 間 降 水 量 の 多 く が こ の 時 期 に 集 ま る 。1月 平 均 気 温 も28.8。Cと 上 昇 し,高 温 多 湿 と な る 。 し か し年 降 水 量 は1 700 mm前 後 で あ り,オ ー ス トラ リ ア 北 部 の サ バ ナ 気 候 区 の 外 縁 部 に 属 し て い る 。
皿.村 落 の 景 観
ハ モ ン ド島 で は,村 落 地 区 に つ い て,簡 易 測 量 に よ る1,000分 ノ1地 形 図 を 作 製 し た 。
海 岸 の ア ー モ ン ドの 大 樹(後 述)を 基 点 に し て,線 引 き,歩 測,実 測 を 隊 員 全 員 で 分 担 し基 本 図 を 作 っ た 。 こ れ に 主 要 樹 種 か ら 栽 培 植 物 な ど 土 地 利 用,家 屋 型,付 属 建 物 な ど を 詳 細 に 記 入 し た[図3‑4]。
こ め 地 図 を 中 心 に し て,村 落 の 景 観 を 検 討 す る 。
村 落 は 細 長 く海 岸 沿 い に 立 地 す る地 区 と,や や 内 陸 部 の2地 区 に 分 け ら れ る 。 海 岸 沿 い で は 北 部 に 小 平 地 が あ り,北 端 が 村 長J.Sabatinoの 屋 敷 地 で あ る 。 高 床 式 の 住 居 と 洗 濯 場,便 所,鶏 小 屋,回 転 式 洗 濯 干 場 が 各 々別 棟 と な って い る 。 道 路 を は さ ん で 海 岸 側 に 船 小 屋,船 置 場 が あ る 。 小 川 の 川 口 あ た り に,土 砂 の 堆 積,小 砂 嗜 状 の 地 形 が 形 成 さ れ つ つ あ る 。 屋 敷 内 の 樹 種 は ア ー モ ン ド樹,コ コ ヤ シ が 主 で,バ ナ ナ と マ ニ オ ク を 少 し栽 培 して い る 。 小 川 が 境 界 と な り,T. sabatinoとJ. Ahwangの 屋 敷 地 と な る 。 小 川 沿 い に 少 し平 地 が あ る が 南 側 は 山 地 が 海 岸 ま で 達 して い る 。 コ コ ヤ シ が か な り 計 画 的 に 植 え ら れ,バ ナ ナ,マ ン ゴ ー,山 麓 部 に は パ ンダ ナ ス が み ら れ る 。 こ こ か ら南 へ 山 地 が 迫 って い て 村 落 を み な い が,約200m距 て て 狭 小 な 平 地 が あ り, 民 家2戸 と 墓 地 が あ る 。
木 曜 島 と の 間 に 運 行 さ れ て い る 通 学 船 な ど の 発 着 地 点 に は,片 流 れ 屋 根 の 小 屋 と ア ー モ ン ドの 大 樹 が あ り,測 量 の 基 点 に した 。
「こ の 島 は ア ィ ラ ン ダ ー ス の た め の リザ ー ブ ラ ン ドで あ る 。 許 可 な く 入 島 し た 者 は 500ド ル の 罰 金 ・… ・・」 と 記 した 立 札 が 目 を ひ く 。 こ こ か ら南 側 の 山 麓 海 岸 部 に は8戸 の 民 家 が 立 地 し て い る 。 そ れ ぞ れ 小 川,コ コ ヤ シ,ア ー モ ン ド樹,敷 石,ト タ ン 囲 い, 樹 木 と 樹 木 の 見 通 し線 な ど で 屋 敷 の 境 界 と して い る 。
海 岸 に は 小 型 の 発 動 機 船(デ ィ ンギ)な ど が 置 か れ て い る 。 古 び た カ ヌ ー も み られ る が,今 は 全 く使 用 し て い な い 。6〜9月 は 南 東 の 貿 易 風 が 強 烈 で 飛 砂 も あ る 。
図3 (左上 図)ハ モ ン ド島 村 落北 部(凡 例 図4参 照) 図4 ハ モ ン ド島村 落 主 要 部
〔地 図 の 作 製 は 調査 隊 全 員 によ る〕
杉 本 ハ モ ン ド島(ト レス 海峡)の 村 落 と住 居
写真3内 陸 側 の 村 落(地 図作製風景)
干 潮 時 に は珊 瑚 礁 が 姿 を あ らわす 。石 を大 き く半 円状 に積 ん だ 石 干 見 がW.Cowley 屋 敷 の 地 先 に一 カ所 あ る。 彼 は石 干 見 の 多 く残 って い るダ ー ン リー 島 か ら移 住 して き た 。 南 東 貿 易 風 の卓 越 す る時 期 は風 波 高 く,石 干 見 で の漁 期 は 凪 に な る 北西 風 の冬 季 が 最 適 で,低 潮 時 に ナ イ フ や銛 な どで 獲 る。
教 会 の あ る小 丘 に は神 父 館,集 会 所,旧 小学 校 舎,バ スケ ッ トコー トな どが あ り, 美 し く整 備 され て い る。 カ トリ ック教会 を 中軸 に新 し く村 づ くりを した 島で あ る か ら,
この 地 区 が 村 落 生 活 の 中心 と な って い る。
教 会 の あ る小丘 の 内側 に 山地 に囲 ま れ て や や ま とま った平 坦 地 が あ り,13戸 の民 家 が立 地 して い る。 前 記 の 上 陸地 点(船 着 場)か ら道 路 が の びて い る。 この平 坦地 は 澗 川(乾 季)が 北 流 して い る 。各 屋 敷 は この 平 坦地 周 囲 を と りま くよ うに 立地 して い る。
小 石 を整 然 と並 べ て 屋 敷 境 と した ものが 多 く,樹 木列 や 見通 し線 な ど もあ る 。 各 屋 敷
写 真4 屋 敷境 界 の石(J.Amberの 家)
101
国立民族学博物館研究報告 3巻1号 地 に は 主屋 と洗 濯 場,便 所,天 水 タ ン
クが セ ッ トに な って い る例 が 多 く,風 車 で 揚水 した り,山 の 中 腹 に タ ン クを 置 き数戸 で利 用 す る も の も あ る。 井戸 を もつ家 も3例 あ る。 屋 敷 内の樹 種 は コ コヤ シ,ア ー モ ン ド,マ ン ゴー が主 で,バ ナ ナ と僅 か なが らマ ニオ クを栽 培 して い る。
平 坦地 中央 部 は空 地 で 植生 も乏 しい。
古 くは 塩分 を含 んだ 凹 地 だ った よ うで, 類 似 の地 形 は 島 の南 西 部 に もひ ろが っ て い る。 屋 敷 地 は これ を 避 けた ので あ ろ う。 内陸 部 の村 落 位 置 は南東 貿 易 風 を あ る程 度 遮 断 す る こ と も立 地 条 件 と
して 見逃 せ な いで あ ろ う。
Ⅳ.住 居 の 特 色 写真5 揚 水 用 風 車
19世 紀 に 行 わ れ たA.C. Haddonら の 調 査 で は,マ ビ オ グ 島 と メ ー ル 島 な ど の 伝 統 的 住 居 の 報 告 が あ る が,Haddon隊 調 査 当 時 の 新 し い 住 居 は,各 種 の ポ リネ シ ア,メ ラ ネ シ ア か ら の 外 来 者 に よ っ て も た ら さ れ た モ デ ル に 基 づ い て 造 られ,多 く の 点 で 伝 統 的 な 古 い タ イ プ と は 異 な っ て い る と し,新 し い 様 式 の 増 加 を 指 摘 して い る [HADDoN I901‑1935]。 Haddonの 調 査 か ら80年 近 く を 経 た 今 日,ト レ ス 海 峡 諸 島 の 住 居 は さ ら に 大 き く変 化 して い る 。
近 年 ト レ ス 海 峡 諸 島 に 対 して は,連 邦 政 府,ク イ ン ズ ラ ン ド州 政 府 の 手 厚 い 援 助 が あ り,連 邦 お よ び 州 政 府 資 金 に よ る 住 宅 の 建 設 や ミ ッ シ ョ ン に よ る 住 宅 の 建 設 が 進 ん で い る 。
ハ モ ン ド島 で も30戸 の 住 宅 の う ち 連 邦 政 府 資 金 に よ る ア ル ミ プ レハ ブ 高 床 式 住 宅 が 4戸,ミ ッ シ ョ ン の 資 金 に よ る ブ ロ ッ ク 積 み の 住 宅4戸 が あ り,他 は個 人 資 金 に よ る 住 宅21,旧 校 舎 利 用1と な って い る 。 コ コ ヤ シ の 葉 な ど を 材 料 と し た 伝 統 的 民 家 は こ の 島 で は み ら れ な い(表1)。
オ ー ス トラ リ ア 国 立 大 学 のDuncanは,バ ドゥ,サ イ バ イ,メ ー ル,ヨ ー ク4島 の 住 宅 を 調 査 し て い る が[DUNGAN 1974],資 金 別 に み る と,連 邦 お よ び 州 政 府 に よ る 住 宅 が ヨ ー ク 島 で76%,バ ドゥ 島54%,サ イ バ イ 島35%,メ ー ル 島44%を 占 め て い る 。 壁 材 料 別 で は,ア ル ミ ニ ュ ー ム プ レ ハ ブ,ト タ ン,石 綿 な ど が 大 半 を 占 め て い る 。 102
杉本 ハ モ ン ド島(ト レス海 峡)の 村 落 と住居
写 真6 アル ミニ ュー ムプ レハ ブ,高 床 式 の 連邦 資 金 住 宅
写 真7 ミ ッシ ョ ン資 金 によ る ブ ロ ック住 宅 と天 水 タ ンク
コ コヤ シの葉 な どを 用 い た伝 統 的民 家 は メー ル 島 で38%あ った が,最 近 伝 統 的材 料 は 急 速 に減 少 して い る。 第2次 調 査 の報 告 に よ る と,コ コナ ツ 島 の よ うに 島 に よ って は 伝 統 的材 料 を使 った住 宅 が残 って い る と ころ もあ る。 これ は交 通 上 の問 題 や,島嶼 に
よ る住 宅資 金 援 助 の差 異 な どが 関 連 して い る よ うで あ る。
ハ モ ン ド島 の個 人 資金 に よ る住 宅 の う ち47%が 北 ク イ ンズ ラ ン ド型 と もよ ば れ る高 床 式 の 洋 風 熱 帯住 宅 で,他 の 島で もこの 型 が 多 い 。
コ ンク リー トで 基 礎 を つ く り,50cm前 後 床 を あ げ た型 は53%あ り,4〜5段 の小 梯 子 を 使 って い る家 もあ る。 ハ モ ン ド島 は,ト レス海 峡諸 島各 地 か ら集 ま って新 し く 集 落 を形 成 して い るの で,か つ て トレス海 峡 諸 島 に み られ た地 床 式(土 間 式)住 居 の 様 式 を持 ち込 ん だ そ の残 像 形 態 と も考 え られ る。 しか し他 島 と の比 較 な ど資 料 の 集 積 103
国立民族学博物館研究報 告 3巻1号
写真8 少 し床 を あ げ た 住 居
が 必 要 で あ ろ う 。
近 隣 の 木 曜 島 は 高 床 式 の 洋 風 熱 帯 住 宅 が 多 い 。 木 曜 島 は ト レ ス 海 峡 諸 島 の 地 域 中 心 で あ る が,ト レ ス 海 峡 諸 島 の 中 で は 歴 史 も 浅 く,1877年 以 降 植 民 地 拠 点 と な っ て か ら 本 格 的 な 居 住 が 始 ま って い る 。 した が っ て 当 初 か ら ト レ ス 海 峡 諸 島 民 の 伝 統 的 住 居 と は 別 系 統 の,白 人 に よ る 北 ク イ ン ズ ラ ン ド型 洋 風 熱 帯 住 宅 が 建 て られ た の で あ る 。 こ の 木 曜 島 の 家 屋 型 が 新 し い 家 屋 型 と して ト レ ス 海 峡 の 島 々 に 影 響 を 与 え,伝 統 的 民 家
に と っ て 代 っ た よ う に 思 わ れ る 。
住 宅 の 屋 根 材 料 は ほ と ん ど トタ ン で あ る 。 形 態 は 波 状 トタ ン(Corugated Iron),小 波 状 トタ ン(RipPle Iron),薄 鉄 板(Sheet Iron)な ど 種 々 の も の が 混 じ っ て い る 。
ス レ ー ト(石 綿 板)な ど も み ら れ る 。
家 屋 型 と し て は 壁 面 の 材 料 が 指 標 と して よ く用 い ら れ て い る 。 ハ モ ン ド島 の 家 屋 壁 面 の 材 料 は,繊 維 質 板(石 綿 な ど)46%,ア ル ミニ ュ ー ム プ レハ ブ17%,ト タ ン20%, ブ ロ ッ ク17%と な っ て い る 。 木 曜 島 市 街 地 で は 繊 維 質 板(石 綿 な ど)48%,木 材30%, ア ル ミ ニ ュ ー ム プ レ ハ ブ10%,ト タ ン10%,ブ ロ ッ ク2%で,戦 前 型 と い わ れ る 木 材 (下 見 板 な ど)が か な り残 っ て い る 。 ト レ ス 海 峡 諸 島 の 人 々 を 集 め て 新 し く作 られ た 木 曜 島 の タ モ イ は,繊 維 質 板(石 綿 な ど)70%,ア ル ミニ ュ ー ム プ レハ ブ22%,ト タ
ン7%で,全 く 新 建 材 中 心 で あ る 。
北 ク イ ン ズ ラ ン ド型 は オ ー ス トラ リ ア に お け る 洋 風 熱 帯 住 宅 で,高 床 が 特 色 で あ る 。 こ の 高 床 は,1m前 後(Low Block)と,1m以 上(2 m前 後 の も の)(High Block) に 区 分 さ れ る 。 ハ モ ン ド島 で は 個 人 資 金 住 宅 で も 大 半 がHigh Blockで あ る 。 連 邦 資 金 住 宅 は 杭 が 鉄 パ イ プ で2mの 高 床(High Block)と な っ て い る 。 High Blockの 家 で は 床 下 に 洗 濯 場,干 場 を 設 け た も の が あ り,物 置 と して 利 用 す る 例 も あ る 。 古 い 家 屋 は 高 床 の 杭 も 木 材(角 材,古 くは 自 然 木)だ が,白 蟻 の 害 が あ り,コ ン ク リー トや 104
杉 本 ハ モ ン ド島(ト レス海 峡)の 村 落 と住 居
写 真9 個 人資 金 に よ る高 床式 住 居(村 長J.Sabatinoの 家)
鉄 パ イ プ が 増 加 し て い る 。
北 部 ク イ ン ズ ラ ン ドは 熱 帯 地 域 で あ り,雨 除 け,日 除 け や 室 内 気 温 の 調 節 上 広 い ベ ラ ンダ を も つ 住 宅 が 多 い 。 北 部 ク イ ン ズ ラ ン ドの サ ン プ ル 調 査 で は62%が3面 に ベ ラ ンダ を も っ て い る[SUMNER l 974:17‑24]。
1920年 代 初 期 の 北 部 ク イ ンズ ラ ン ドの 標 準 的 家 屋 型 は,ト タ ン ぶ き の ピ ラ ミ ッ ド型 (寄 棟)屋 根,高 床 で3面 に ベ ラ ン ダ が あ り,寝 室2〜3,居 間,食 堂 を も ち,炊 事 場 は 分 離 して い る か,主 屋 の 背 後 に 設 け る も の で あ った[SuMNER I 974:17‑24]。
木 曜 島 に も 標 準 型 が み ら れ る が,木 曜 島 で は か な り経 済 的 に 上 層 の 住 宅 に 多 く,現 在 で は 古 い 型 と な っ て い る[杉 本 1977b:1‑19]。 ハ モ ン ド島 で は,標 準 型 の ベ ラ ン ダ 部 分 を 寝 室,居 間 な ど 居 住 空 間 と し た 型 が 多 く み ら れ る 。
炊 事 場 は,多 く の 家 は 主 屋 に と り こ ん で い る が,概 して 背 後 の ベ ラ ン ダ 部 分,下 屋 部 分 に 配 置 し て い る 。 古 い 型 と い わ れ る 炊 事 場 を 別 棟 に し た 型 は ハ モ ン ド島 に は み ら れ な い 。
最 も 単 純 な 型 は 寝 室 と 居 間 が 中 心 部 を 占 め,炊 事 場,食 堂 と ベ ラ ンダ が つ く型 で, 家 族 数 の 増 加 に と も な っ て ベ ラ ン ダ 部 分 を 居 室 と し,さ ら に ベ ラ ンダ を 後 補 し て 拡 張
して い る よ う で あ る 。
現 在 の ハ モ ン ド島 の 民 家 は,最 近 の 連 邦 や 州 政 府 の 住 宅 政 策 に よ っ て 画 一 的 な 型 が か な り 普 及 し て い る 。 個 人 資 金 住 宅 の 場 合 は ベ ラ ン ダ の 装 飾,窓 型,壁 面 の ペ ン キ の 色 彩 な ど は 経 済 的 な 面 や 居 住 者 の 嗜 好 に よ っ て 多 様 で あ る 。
主 屋 以 外 に 洗 濯 場,便 所,天 水 タ ン ク が セ ッ トに な っ て い る 例 が 多 い 。 洗 濯 場 は 片 流 れ の ト タ ン 屋 根,コ ン ク リー ト床 と 貯 水 槽 が あ り,連 邦 資 金 住 宅 な ど 高 床 式(High Block)の 家 で は 床 下 に 洗 濯 場 を 設 け て い る(6例)。 便 所 は1m四 方 の 箱 型 の も の で,内 部 は 木 製 腰 掛 式 で,一 種 の 洋 風 トイ レで あ る 。 回 転 式 の 洗 濯 物 干 しを 持 つ 家 も 105
国立民族学博物館研究報告 3巻1号
図5 個 人 資 金 住 宅 間 取 り(F.Sabatinoの 家)
図6 連 邦 政 府資 金 住 宅 間取 り(S.Pearsonの 家)
106
杉 本 ハ モ ン ド島(ト レス 海峡)の 村 落 と住 居
写 真10連 邦 資 金 住 宅 の 内 部
居 間 で ワル ー プ(ニ ュ ーギ ニ ア製 ドラム)を 囲 んで の 調 査
写 真11主 屋(左)と 洗 濯 場
6例 あ る 。 生 産 関 係 で は 小 規 模 な 鶏 小 屋 を もつ 家3例,豚 小 屋4例,船 小 屋1例 と 少 な い 。
各 家 の 屋 内 は 美 し く整 頓 さ れ て い て,床 に パ ン ダ ナ ス 製 の マ ッ トな ど を 敷 い て い る 。 机,椅 子 な ど 家 具 類,冷 蔵 庫(ガ ス),ガ ス レ ン ジ な ど は 大 部 分 の 家 が 所 持 し て い る。
F.Dorante家 の 場 合,洗 濯 機 が1961年 か ら,ガ ス レ ン ジ]968年,冷 蔵 庫1974年 の 他, レ コ ー ドプ レ イ ア ー,テ ー プ レ コ ー ダ を 持 っ て い る 。 ポ ラ ロ イ ドカ メ ラ を 持 つ 家 も あ る 。
各 家 庭 で 差 異 は あ る が,最 近 の オ ー ス ト ラ リア 連 邦 政 府 や ク イ ン ズ ラ ン ド州 政 府 に よ る 手 厚 い 社 会 保 障 が 日常 生 活 面 に も お よ ん で い る の で あ る 。 こ の 背 景 に は,パ プ ア
・ニ ュ ー ギ ニ ア と の 国 境 問 題 が 絡 ん で い る こ と も充 分 考 え られ る こ と で あ ろ う。
国立民族学博物 館研究報告 3巻1号
V.寄 合世 帯 的村 落
Haddonら の 報 告 に よ る と,ハ モ ン ド島 を は じ め そ の 付 近 の 島 々 は 無 人 島 が 多 か っ た と い う。 ハ モ ン ド島 の 村 落 形 成 の 歴 史 は 比 較 的 新 し い こ と に な る 。
ハ モ ン ド島 に 住 むEDorante夫 妻 に よ る と,1920年 代 に 先 住 者 が い た が,悪 事 を 重 ね た と り 理 由 で 政 府 が 追 放 し,そ の あ と カ ト リ ッ ク 教 会 に よ っ て 管 理 させ た と い わ れ て い る 。
そ し て1928年 カ ト リ ッ ク 教 会 が 開 か れ た が,こ の 時 期 に ハ モ ン ド島 に 来 住 し た の は, Kanak家, Sabatino家, Sebasio家 で い ず れ もダ ー ン リー 島 や そ の 付 近 の ネ ピ ア ン 島 か ら移 住 し て き た 。 そ の 後,バ ド ゥ,ヤ ム,コ コ ナ ツ,マ ビ オ グ,メ ー ル(マ レ イ 群 島)な ど ト レ ス 海 峡 の 島 々 か ら カ ト リ ッ ク 教 徒 が,あ る い は カ ト リ ック に 改 宗 し た 人 々 が 来 住 し,村 落 を 形 成 し た の で あ る(表1)。
比 較 的 居 住 の 歴 史 の 古 い 他 の 島 々 に 比 べ て 寄 合 世 帯 的 な 特 異 な 性 格 を も っ た 村 落 な の で あ る 。
人 種 的 に は,ト レ ス 海 峡 の 島 々全 域 が メ ラ ネ シ ア 人 種 に 属 して い る が,著 し く混 血 が 進 ん で い る 。 ハ モ ン ド島 は,そ の よ う な ト レ ス 海 峡 各 島 填 か ら移 住 し て き た た め, 形 質 的 に も 毛 髪 は 縮 毛 か ら直 毛 に 近 い 形 状 ま で 各 種 あ り,皮 膚 も 暗 黒 色 か ら褐 色 と バ ラ エ テ ィ に 富 ん で い る 。
こ こ で は 家 族 調 査 の 中 か ら数 例 を と り あ げ て 検 討 す る 。 ハ モ ン ド島 は29家 族(1975 年8月)だ が,Sabatino家 とDoranre家 の2家 系 に つ な が る も の が15あ り,両 家 の
間 に 通 婚 も あ る 。
Sabatino家 の 場 合, F. Sabatinoの 父Nicholas(1860‑1948)は,フ ィ リ ピ ン の パ ナ イ 島 イ ロ イ ロ 出 身 で,ダ イ バ ー と して ト レス 海 峡 ダ ー ン リー 島 に 来 住 し,島 の 女 性 と結 婚,工948年 ハ モ ン ド島 に 移 住 し た 。F. Sabatinoの 妻Marcellaは, Kanak家
の 出 身 だ が,彼 女 の 父Joseph Kanakは フ ィ リ ピ ン人,母 は ダ ー ン リー 島 民 で あ る 。 F.Sabatino夫 妻 の 間 に は18人 の 子 供 が あ り,こ の う ち ハ モ ン ド島 在 住 者 は4人 で あ る 。[長 男 がEDoranteの 長 女 と結 婚 し,三 男 はA. Dorantcの 三 女 と 結 婚 し て い る 。 次 女 はV.Bobongiと 結 婚 した が 死 亡 し,4人 の 子 供 はF. Dorante夫 妻 と住 ん で い る 。 三 女 はE.Millsの 三 男 と 結 婚 し て い る が,現 在 ウ ィ ー パ へ 出 稼 ぎ 中 で あ る 。]島 外 へ 流 出 し た も の は 多 く,タ ウ ン ス ビ ル1,ウ ィ ー パ4,マ カ イ2,木 曜 島3 (不 明2,死 亡2)と な っ て い る 。
Dorante家 の 場 合, F. Doranteの 父 は フ ィ リ ピ ン の サ マ ー ル 島 か らダ イ バ ー と し て ダ ー ン リ ー 島 に 来 住,母 は メ ー ル 島 の 出 身 で ニ ュ ー カ レ ドニ ア 島 民 の 血 も 混 じ っ て い る と い う。 夫 妻 はF.Doranteら7人 の 子 供 と 近 く の ネ ピ ア ン島 に移 っ た 。 F, 108
'
杉 本 ハ モ ン ド島(ト レ ス海 峡)の 村落 と住 居
表1ハ モ ン ド 島 の 家 族 と 人 口
人 口*
1 2 3 4 5
家族(戸主名) JosephSabatino
ThomasSabatino
JacksonAhwang
空 屋
OrdrickMosby
61TaumSepon
7 AntonyDorante
男
3(2)
×1 6(4)
・2
1 ×1・13(1) 1 2(2)
4(3)
×1(Ad2)
1 女
10(7)
×1・2
4(4) 2(2) 3(3) 1(1) 4(4)
i
1 計 13(9) 10(8) 5(3)
55) 1(1) 8(7)
住 居
個 人
〃 ミ ッ シ ョ ン
1
個 人1 連 邦 個 人
〃
戸主移住前住地
⑪
⑪
←Badu
←Yam
←Badu
←Darnley 8
9 10 11 12
OwenDorallte FrancisDorante VincentDorante SonghiePearson AdaSamuel
5(5)
5(4)
×1
10(0)
6(5)
・1
1(1)
5(5)
4(3)
・1
8(0) 1(1) 5(3) } ×2
10(10) 9(7) 18(0) 7(6) 6(4
〃
〃
〃
・連 邦
連 邦
1 ㊧
←Darnley
→ ・Mackay
13 JamesAmber
14 EdwardMills 15 JosephDavid
←CQconut
←Yam 5(4)
・1
2(1)
×1
7(5) 個 人 ←Mabuiag
1(1) 0(0) 1(1) 〃 ←Nagir
5(5) (Ad1)
2(2) 7(7) ・〃 ←Yam
16 HendryGarnier 5(5) 5(5) 10(10) ミ ッ シ ョ ン ⑪
17 LouisGarnier 1(1) 1(1) 22) 個 人 ←Coconut
18 JohnMills 1(0) 4(0) 5(O)
19 ElithoaBowie 2(1)
×1(Ad1)
1(1) 3(2)
〃 ←Coconut
〃 ←Coconut
20 21
JohnDorante CharliePrice
2(2)
2(1)
×1(Ad1)
2(2) 3(3) (Ad2)
4(4)
5(4) 旧学校舎1
ミ ッ シ ョ ン
⑪
22 ThomasCowley 1(1) 5(5) 6(6) ミ ッ シ ョ ン ←Badu
23 LucioSabatino 3(2)
×1
3(3) 6(5)
個 人i ⑪
24 WannieCowley 2(1)
×1(Ad1)
0(0) 2(1)
〃 1‑B・d・‑D・ml・y 25
26 27 28 29 30
HisloSabatino VictorBobongi FrancisSabatino GeorgeRobinson
25の 所 有 TonnySabatino
計
4(3)
×1 1(0)
×1 3(2)
×1
3(3) 0(0) 3(3) 1(1)i11) 2(2)}3(3)
86(59)
・5
×10(Ad6)
8566)
・3
×4(Ad2)
7(6) 1(0) 6(5) 2(2) 5(5)
171(125)
・8
×14(Ad8)
連 邦 個 人
〃
〃
〃
〃 個 人21 ミ ッ シ ョ ン4
連 邦4
←Yam←Damley
→Weipa
トD・rnl・y
1←Cairns
1
1 ⑪
人 口 〔登 録 人 口〕
()内 は現 住 人 口 1975・8
・ 本 土 の学 校
× 本 土 そ の他 の職 場 Ad養 子
⑪ ハ モ ン ド島生 れ
← 前 住 地
吟 出稼 ぎ .
国立民族 学博物 館研究報告 3巻1号 Doranteら の 世 代 に な っ て ハ モ ン ド島 に 移 っ て い る(戦 前)。 F. Doranteの 妻 は ダ ー
ン リー 島 生 れ で,父 は イ ギ リ ス 人(ス コ ッ ト ラ ン ド)で あ る 。 子 供 は11人 あ り,ハ モ ン ド島 在 住 は4人(1人 は マ カ イ 出 稼 ぎ 中)。 島 外 で は ウ ィ ー パ3,ア リス ス プ リ ン グ ス1,ケ ア ン ズ1,木 曜 島2と な っ て い る 。F. Doranteの 兄A. Doranteも 近 く に 住 み,妹Camillaは, F. Sabatinoの 弟 と結 婚 して い る 。
L.Garnierの 場 合,コ コ ナ ツ 島 生 れ で 父 は フ ラ ン ス 人,母 は ワ ラ ビ ル 島 民,妻 は ヤ ム 島 民 で,1950年 ハ モ ン ド島 に 来 住 し て い る 。
0.Mosbyは ヤ ム 島 生 れ で,父 は ヨ ー ク 島,母 は ヤ ム 島 出 身,祖 父 は ヨー ク 島 に 来 住 し た ア メ リカ 人 で あ る 。
J・Ahwangは バ ドゥ 島 。 妻 は ダ ー ン リー 島 の セ バ シ オ 家 の 出 身,彼 女 の 父 は ポ リ ネ シ ア の ロ ト ウ マ 島 か ら ダ ー ン リ 」 島 に 来 住 し て い る 。Ahwang家 は シ ンガ ポ ー ル か
写真12島 の 子 供 た ち
写 真13神 父 館 削 に ま った 村 人 た ち 110
杉本 ハ モ ン ド島(ト レス 海峡)の 村 落 と住 居
ら ト レ ス 海 峡 へ 来 た と い わ れ て い る 。
s.Pearsonは コ コ ナ ツ 島 出 身 で,祖 父 は イ ギ リ ス人 で あ る 。 J. Amberは マ ビ オ グ 島 か ら,]945年 に 来 島 し て い る 。
E.Millsは ナ ギ ー ル 島 か ら1951年 ハ モ ン ド 島 へ 来 た が,父 は サ モ ア か ら来 住 し た ら し い 。E, Bowieは コ コ ナ ツ 島 か ら1959年 頃 来 島 し た が,父 は イ ン ドネ シ ア,ス ラ ウ ェ シ 島 の メ ナ ド付 近 の 出 身 と い う。W. Cowleyは ダ ー ン リー 島 生 れ で,少 年 時 バ ド ゥ 島 へ 移 り,1943年 頃 来 島 し て い る。 祖 父 は フ ィ リ ピ ン 人 で あ る。
19世 紀 の 後 半 に,東 南 ア ジ ァ(主 と し て フ ィ リ ピ ン),南 太 平 洋 の 島 々(メ ラ ネ シ ア ・ポ リネ シ ア),ヨ ー ロ ッパ か ら真 珠 貝 を 求 め て 人 々 が ト レス 海 峡 諸 島 に 来 住 す る 。 こ れ に キ リス ト教 の 布 教 活 動 が 加 わ る 。
す で にHaddonら の 調 査 し た 時 点 で こ の 傾 向 は み ら れ た が,そ れ か ら80余 年 の 間 に 島 間 の 移 動 や 混 血 が さ ら に 進 行 し,新 し い 混 血 種 と して の ト レ ス 海 峡 諸 島 民 が 形 成 さ れ た と い え る 。
ト レス 海 峡 諸 島 の 人 口 は,パ プ ア ・ニ ュ ー ギ ニ ア の 独 立 以 後 に 増 加 し た 島 も あ る が, 一 般 に 減 少 傾 向 が み ら れ る。 ハ モ ン ド島 の 村 落 は29家 族 だ が,そ の う ち2家 族 は一 家 挙 げ て 本 土 の ウ ィ ー パ,マ カ イ へ 出 稼 ぎ 中 で あ る 。
家 族 員 の 中 で 島 外 に 不 定 期 的 に 職 場 を も つ も の が14人 い る が,西 オ ー ス ト ラ リ ア の 鉄 鉱 山 や,ケ ー プ ヨー ク 半 島 の ウ ィ ー パ の ボ ー キ サ イ ト鉱 山 な ど へ の 出 稼 ぎ が 目 立 つ 。 ま た1964年 〜73年 の 間 に オ ー ス ト ラ リア の ク リ ベ イ の 真 珠 養 殖 場 に 出 稼 ぎ に 行 っ た 者
は8人 を 数 え る 。 オ ー ス トラ リ ア 本 土 の 経 済 開 発 と の 関 連 が 密 接 で,島 の 人 口 は 極 め て 流 動 的 で あ る 。 ケ ア ン ズ な ど 本 土 の 学 校 へ 行 く学 生 も8人 あ る 。
人 口 は 村 長 の 所 持 す る 帳 簿 だ と171人 だ が,出 稼 ぎ や,本 土 の 学 校 へ 行 く学 生 を 除 く と125人 と な っ て い る(1975年8月 調 査)。
各 島 に は教 会,小 学 校,1.1.B(政 府 経 営 の 商 店)の 支 店,診 療 所 が あ る が,ハ モ ン ド島 で は カ ト リ ッ ク 教 会 の み で,他 の 施 設 は 近 隣 の 地 域 中 心 木 曜 島 に あ る 。 ハ モ ン ド島 は 木 曜 島 と 海 峡 一 つ 隔 て る だ け で,小 学 校 も木 曜 島 の 公 立 学 校 か ミ ッ シ ョ ン ス ク ー ル に 通 学 し,毎 日 通 学 船 が 出 て い る 。
木 曜 島 の 港 湾 工 事,ホ ー ン 島 の 空 港 拡 張 工 事 な ど に 日 傭 い と して 出 る 者,木 曜 島 の 役 所 や 会 社 に 勤 め る 者 も み られ る 。 買 物 も木 曜 島 の 商 店 に 出 か け て い る 。 交 通 は デ ィ ン ギ(小 型 発 動 機 船)ま た は 通 学 用 船 に 便 乗 して い る 。 他 島 と 異 な り,地 域 中 心 的 機 能 を もつ 木 曜 島 の 近 郊 島 と して の 性 格 を も っ て い る 。
Ⅵ.お わ り に
ト レ ス 海 峡 諸 島 の ハ モ ン ド島 に つ い て,そ の 自 然 的 特 色,村 落 と住 居,家 族 構 成 な
国立民族学博物館研究報告 3巻1号 ど につ い て概 要 を報 告 した が,居 住 の 歴 史 が古 い他 の 島 々 に比 べ て,村 落 形 成 の 歴 史 が 薪 しく,寄 合世 帯 的 性 格 を もち,さ らに地 域 中 心木 曜 島の 近 郊 島 と して の特 色 を 示 して い る。 トレス海 峡で は木 曜 島の 新 村落 タ モ イ が,ト レス海 峡 諸 島 か らの移 住 者 に よ って 形 成 され て お り,ま た本 土 ケー プ ヨー ク半 島 に建 設 さ れた バ マ ガ も トレス海 峡 諸 島か らの移 住 者 を 計 画 的 に集 め て い る。
ハ モ ン ド島 は宗 教 的要 素 が濃 厚 な村 づ く り,タ モ イ とバ マ ガ は計 画 的 な村 づ く りで あ る。 今 後 比 較 検 討 が必 要 で あ る。 第2次 調 査 隊 の 報 告 に よ れ ば,ト レス海 峡 のパ プ ア ・ニ ュ ーギ ニ ア側 の 地 域 中心 ダ ル ー も,対 岸 パ プ ア ・ニ ュー ギ ニ ア か らの移 住者 に よ る村 落 形 成 が み られ るの で,将 来,ダ ル ー,木 曜 島(タ モ イ),バ マ ガ,ハ モ ン ド の比 較 検 討 も課 題 で あ る。住 居 につ いて は第2次,第3次(予 定)調 査 の資 料 集 積 を ま って,整 理 して み た い。
謝 辞
トレス海 峡島 懊 民 の地 理 学 的 ・民 族 学 的 研究 は,現 在 第2次 調 査 を 終 り,資 料 の整 理 を進 めな が ら,定 期 的 に研 究 会 を続 けて い る。 ハ モ ン ド島の 調 査 は 第1次 調 査 隊全 員 に よ って行 わ れ た も
の で あ る。 隊長 の藪 内 芳彦 先 生 や大 島嚢 二 先生,島 田 正 彦先 生 は じめ 隊 員諸 氏 には種 々御教 示 を 頂 いて い る。厚 く御 礼 申 し上 げ る次 第 で あ る。
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