韓国祖先祭祀の変化 : 都市アパート団地居住者を 中心に
著者 朝倉 敏夫
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 13
号 4
ページ 741‑786
発行年 1989‑03‑29
URL http://doi.org/10.15021/00004310
朝倉 韓国祖先祭祀の変化
韓 国 祖 先 祭 祀 の 変 化
都 市 アパ ー ト団 地 居 住 者 を 中 心 に
朝 倉 敏 夫*
Changes in Korean Ancestor Rites
—A Social Survey of the Middle Class in City Apartments—
Toshio ASAKURA
Korean culture is deeply based on Confucianism. This influence is seen not only in ancestor worship, but also in the sphere of daily life, such as in human relations, and especially in relationships among the family and in kinship.
Yet in recent years, with the progress of modernization and industrialization, Korean society is experiencing a sudden change.
A parallel, major change in people's values can be observed.
At present, traditional culture based on Confucianism and modern culture are in competition, yet both can coexist, as demonstrated by the heightened interest in maintaining Con- fucianistic ancestor rites.
In this paper I present an example of the changes in Korean ancestor rites, and, by a statistical survey, demonstrate changes in Korean society.
First, ideas on seasonal rituals (sije), holiday rites (ch' arye) and death day rites (kije) in the traditional culture are presented.
An example of changes in each rite is then examined. Changes can be observed in the weakening of the function of patrilineal lineage (munjung) influence in the seasonal rituals, the changes in holiday rites from third cousin agnates (tangnae) to the limited intimacy of siblings, and changes in the death day rites, including the object of worship, the person who is responsible, and the participants.
The background of these changes in Korean society is then examined.
*国 立民族学博物館第4研 究部
国立民族学 博物館研究報告 13巻4号
1. Lifestyle has been modernized by urbanization and
industrialization, and, as a result, traditional rites do
not suit the modern lifestyle. There is a tendency to
simplify the rituals. At the same time, the phenomenon
of the traditional rites as adopted by the modern family can be examined;
2. Due to the spread of Christianity, there has been either an avoidance or a modification of rites. In particular
there a large number of Christian females, and the role of these women must be considered as they must handle
the troublesome preparations for traditional rites;
3. In contrast to these modern movements is the movement
for preservation of tradition or reconfirmation of tradition ;
To both examplify and assess the degree of such change, I surveyed the conditions and attitudes of the Korean middle class in city apartments and group housing. The group has absorbed the burden of modernization. The results show the current conditions and attitudes which led to the simplification of ancestor ties in the rites. There is also a conservative desire to preserve tradition, but, at the same time, there is a diversifi- cation of values. This phenomenon reflects the diversification and confusion of values in modern Korean society.
は じめ に
1.伝 統 的祖 先 祭祀 とそ の変 化 1.伝 統 的 な 祖先 祭 祀
2.事 例 か ら見 た祖 先 祭 祀 の 変 化 H.現 代 社 会 と祖先 祭 祀
1.都 市 化 ・産業 化 (1)祖 先祭 祀 の簡 素 化 (2)祖 先 祭 祀 と家 族 ・親 族 2.キ リス ト教 の普 及
3.伝 統 の 固 守 ・
皿.都 市 アパ ー ト団地 居 住者 の祖 先 祭 祀 1.問 題 の 所在
2.調 査 の概 要 (1)調 査方 法 (2)調 査 対象 3.調 査 結 果 おわ りに
は じ め に.
韓 国 社 会 の 伝 統 文 化 は 儒 教 を 基盤 に して い る と いえ よ う。 そ れ は,日 常 の生 活 にか か わ る規 範 に も,人 の一 生 を通 した儀 礼 に も,家 族 や 親 族 を は じめ とす る人 間 関係 に お い て も深 く根 を お ろ して い る。
朝倉 韓国祖先祭祀の変 化
一 方,近 年 の 韓 国 社 会 は,近 代 化 ・産 業 化 が進 展 す るな か で 急 激 な社 会 変 化 を経 験 して お り,人 々の 価 値 観 に お い て も大 きな変 化 がみ え て い る。
こう した 状 況 の 中で,儒 教倫 理 に根 ざす 伝統 文 化 と近 代 化 との 相 克 に よ って様 々な 問題 が生 じて い る。 そ して,こ れ らの 問題 を解 決す るた め に多 くが 論 じられ,ま た両 者 を両 立 させ て い くた めの 方 策 が模 索 され て い る。1986年9月 に韓 国 国 際 文 化協 会 主 催 で 『儒 教 家 族 の 精 神 文 化 の ダ イ ナ ミクス ー過 去 と現 在 一 』 と題 して 開 か れ た 国 際 セ ミナ ーに お いて,「 歴 史 と文 化 」 「地 位,性 役 割,自 己実 現 」 「精 神 力 学 」 の3セ ッ シ ョ ンで 活 発 な 討 論 が な され た の も,そ の一 つ の 表 われ で あ る。 この 儒 教 と近 代 化 の相 克 と両 立 に つ い て は,韓 国 社 会 の 問題 に留 ま らず,NIEs諸 国 の経 済 発 展 と も関 連 し, 広 く関 心 が 高 ま って きて い る。
これ と並 行 して,儒 教 倫 理 を最 も具現 化 した と考 え られ る 「祖 先 祭 祀 」 に も関 心 が もた れ て い る。1986年 度 韓 国文 化 人 類 学 会 全 国大 会 で は 「韓 国祖 上崇 拝 の総 合 的考 察 」 を 主 題 と して 様 々 な 角度 か ら祖 先 祭 祀 が論 じ られ1),ま た 同年 に崔 吉城 の 『韓 国 の祖 上 崇 拝』 が 刊 行 され た の も,こ う した動 きの 中 に と らえ る こ とがで き よ う。
本 稿 は,韓 国祖 先祭 祀 の あ り方 の 変 化 を,事 例 の提 示 と数 量 的調 査 に よ って,韓 国 社 会 の 変 化 を 背 景 に 映 しだ そ うとす る もの で あ る 。 そ して,先 祖 を祀 る祭 りの 変 化 を 通 して,現 代 韓 国 の 社 会 ・文化 の根 を 探 り,今 後 の韓 国社 会 の 歩 む 道 を考 察 しよ う と す る もの で あ る。
1.伝 統 的 祖 先 祭祀 と その変 化
1. 伝 統 的 な 祖 先 祭 祀
祖 先祭 祀 の 「変 化」に つ い て言 及 す る に は,そ れ が 変 化 す る前 の姿 で あ る 「伝 統 的」2) 社 会 に お い て ど うで あ った か を 明 らか に して お か な け れ ば な らな い。 韓 国 社 会 に お い て,い わ ゆ る 「伝 統 的」 な祖 先 祭 祀 の あ り方 は ど こ に求 め られ るで あ ろ うか 。 こ こで は,李 氏 朝 鮮 時 代 の 朱 子 家 礼 に 則 った 『四礼 便 覧 』 な ど 「礼 書 」 に基 づ い て 行 な わ れ
1)そ の 内容 につ いて は,[韓 国文 化 人 類 学 会 1986]に 報 告 され て い る 。
2)「 伝 統 的」 と い う概 念 に つ い て蒲 生 は,日 本 で は 「か りに第 二 次大 戦 後 の現 在 を 『現 代 』 と 規 定 す る な ら,こ の 『現 代 』以 前 か ら引 き継 がれ た す べて の もの は,そ の成 立 年 代 に拘 わ らず r伝 統 的』 で あ る。 しか しこ こで は 『現 代 』 に直 接先 行 した 時 代 一 お よそ 明 治20年 代 か ら第 二 次 大戦 終 了 時 ま で を と りあえ ず 一 括 して 考 え て い る一 に存 在 し 『現 代 』 に 引 き継 が れて きた も の は,差 し当た って 限 定 して 『伝 統 的 』 と呼ん で お く」 と 規 定 して い る[蒲 生 1974:190‑
191]。 筆 者 も この概 念 に 同意 す る が,韓 国で は この 時代 は 日本 の植 民地 時 代 にあ た り,時 代 的 に は李 氏 朝 鮮 時 代 に さ か の ぼ らな け れ ば な らな い 。
国立民族学博物 館研究報告 13巻4号
図1伝 統 的 祖 先 祭 祀
る 祭 祀 の あ り方 を モ デ ル と して 設 定 し て お く こ と に す る3)。
こ の 儒 式 の 祖 先 祭 祀 に お い て は,人 が 死 に,祖 先 と し て 祀 られ る 過 程 に は,そ の 儀 礼 的 地 位 の 変 化 が み ら れ る(図1)。 ま ず 人 が 死 に 際 して 複 雑 な 「喪 礼(葬 礼)」 が 執 り行 な わ れ<stage l>,喪 を 脱 し て か ら 「祭 ネL」に 転 化 して い く。 こ の 段 階 か ら,各 家 に お い て 祭 主 か ら 数 え て 四 代 祖 ま で の 祖 先 に 対 して,い わ ば 故 人 の 忌 日(命 日)に そ れ ぞ れ の 「忌 祭 」 が あ げ られ,ま た 名 節 に は 「茶 礼 」 と い い,各 家 で 「忌 祭 」 に 祀 ら れ る べ き す べ て の 祖 先 が 祀 ら れ る<stage II>。 そ し て,五 代 祖 か ら は 次 の 段 階 に 移
り,「 時 祭 」 と い い,ふ つ う 年 に 一 度 日 を 定 め て 墓 に お い て 祭 祀 を あ げ る4》<stage III> [JANELLII&JANELLI l982:84]。
こ れ ら の 「忌 祭 」 「茶 礼 」 「時 祭 」 に つ い て,そ の 伝 統 的 あ り 方 の 概 要 を 簡 単 に 示 し て お こ う5)(図1)。
(A)忌 祭:各 祖 先 の 命 日 の 前 夜 半 過 ぎ か ら夜 明 ま で の 間 に,家 内 の 大 庁 に 位 牌 を そ な え,祭 物 を そ な え て 行 な う。 忌 祭 を 行 な う主 た る 義 務 と権 利 は 父 か ら長 男 に 継 承 さ れ る が,そ の 他 の 子 孫 や 近 親 者 も参 加 す る か ら,こ れ に 集 ま る 人 々 は 高 祖 父(四 代 前 3)張 哲 秀 は,1900年 に刊 行 され た 『増補 四 礼 便 覧 』 と1974年 か ら韓 国 の各 道 別 に調 査 報 告 した 『韓 国 民俗 綜 合 調 査 報告 書 』 の資 料 を も と に して,慣 行 と して の 冠婚 葬 祭 が礼 書 のそ れ と どの
よ うに異 な って い るか を 明 らか に して い る[張 哲 秀 1984]。 実 際 の慣 行 もま た,地 方,家 門 に よ って そ の詳 細 は異 な って い る 。
4)た だ し 「不遷 位 」 と い い王 が 未来 永 劫 祠 堂 に祀 る こ とを 許 した神 位 は5代 祖以 上 にな って も, そ の忌 日に 祀 られ る 。
5)伝 統 的祖 先 祭祀 につ い て は,社 会 組 織 との 関連 で は拙 稿[朝 倉 1989a],位 牌 祭 祀 の あ り方 は拙 稿[朝 倉 1989b]を あ わ せ て 参照 され た い 。
朝倉 韓国祖先祭祀の変化
の 父 系祖 父)の 子孫 た ちで あ り,こ の範 囲 は チバ ン[堂 内親]と 呼 ばれ る父系 近 親者 た ちの範 囲 と い ち お う対 応 す る。 長 男 の 系 統 で 四世 代 を 過 ぎ て い て も,次 男 以 下 の 系 統 で 四世 代 以 内 の子 孫 の あ る場 合 には,厳 格 に 行 な う場 合 に は祭 祀 を それ らの子孫 の 家 に 移 して行 な う(祭 遷)。
(B)茶 礼(名 節 祭 祀):年 に3〜5回,元 旦 や秋 夕(陰 暦8月15日)な どの 名 節 の 朝, 忌 祭 の ささ げ られ る すべ て の祖 先 に対 して 行 な わ れ る。普 通 は チ バ ンの本 家(ク ンチ プ)に 全 員 が集 合 して祭 祀 を行 な い,つ いで チバ ン内の 各 家 を ま わ って そ れ ぞ れ の家 の祖 先 を祀 る。
(C)時 祭(墓 祭):五 世 代 以 上 前 の祖 先 た ちに 対 して,毎 年 一 定 の 日(陰 暦10月 また は3月)に 墓地 で行 な われ る。 こ の祭 祀 は 各 個 の 家 を 離 れ て,当 該 祖 先 た ち の子 孫 全 員 の責 任 に お い て,普 通 は門 中(父 系 血 縁 に よ る親 族 集 団)の 行 事 と して行 な われ る。
この 時 に は始 祖 か ら順 に一 つ 一 つ の墓 を まわ って 祭 祀 を す る[嶋 1986:256‑257]。
2. 事 例 か ら見 た 祖 先 祭 祀 の 変 化
これ らの祭 祀 も現代 生 活 の 中で,こ れ まで の あ り方 とは 違 った様 相 を みせ て い る。
任 敦 姫 は,そ れ ぞ れ の 祭 祀 の 社 会 的側 面 に注 目 して,事 例 を あ げ つ つ,祖 先 祭 祀 が どの よ うな変 貌 を みせ て い るか を 指 摘 し,今 後 の 姿 を 予測 して い る[任 敦 姫 1985, 1986a,1986b]。 この 指摘 を ふ ま え て,筆 者 の 事 例 な どを 加 え な が ら,そ の変 化 の局 面 を 時祭 か ら順 に み て い く こ とに しよ う。
(C)時 祭 門 中 の威 勢 の た め の儀 礼 :
時 祭 は,そ の ム ラに最 初 に 入 って きた入 郷 祖 を は じめ いわ ゆ る派祖 に つ な が る 門 中 の 子孫 に よ って祀 られ,そ の 目 的 は近 隣 に住 む あ る地 域 住 民 に 対 して 自 分 た ちの 門 中 の 威 勢 を誇 るた め に あ る。 しか し近 年,農 村 か ら都 市 へ の 人 口移 動 に と もな い,門 中 が ム ラを 維 持 す る こ とが 難 し くな り,門 中成 員 で あ る こ とが 特 に生 活 の 助 け に もな ら な くな って きた 。 ま た,時 祭 の経 済 的負 担 もか な りの もの で あ る。 そ れで 門 中 の結 束
を基 盤 と した 時祭 は,だ ん だ ん 弱 化 ・簡 素 化 され て い る と い う[任 敦姫 1985:53]。
こ とに 若 年 層 で は 時祭 とい う言 葉 さ え知 らず,大 学 生200余 名 中 わ ず か10余 名 しか 時 祭 が何 か を 知 らず,そ の 学生 も時祭 に直 接 参 与 した経 験 は ほ とん どな い と い う結 果 で あ った[任 敦 姫 1986b:161]。
時 祭 が行 な わ れ て い る場 合 で も,祭 日を一 定 の 日とせ ず 日曜 日な ど 都合 の よ い 日に 変 更 した り,祭 需(供 え 物)や 儀 礼 節次 を簡 素 化 した り,祭 官 が 必 ず し も宗 孫 に 限 ら れ な くな って い る[崔 在 錫 1987:261‑263]。 ま た,こ れ まで 祖 先 祭 祀 の た め に使 わ
国立民族学博物 館研究報 告 13巻4号 れ て きた 門 中財 産 も,奨 学 金 な ど子 孫 の福 祉 の た め に使 う方 向 に変 わ って きて い る と い う[任 敦 姫 1986a]。
この よ うに 時祭 は そ の概 念 が弱 化 して い るが,一 部 に お い て,他 者 に 自慢 で き る代 表 的 な 先 祖 の祭 祀 を 盛 大 に行 な い 自門 中の 象 徴 と した り威 信 を誇 った り,急 に金 持 ち に な った 人 の あ い だ な どで は祖 先 の墓 碑 を新 た に建 立 す る とい った逆 の現 象 もみ られ る。
(B)茶 礼 堂 内結 束 の た め の儀 礼 :
茶 礼 は,チ バ ン 〔堂 内親 〕 と呼 ばれ る近 親 た ちが高 祖 父(四 代 祖)の 子 孫 とい う こ とを 強調 す る儀 礼 と いえ る。 この チバ ンは八 寸(ふ た い と こ)ま で の 関 係 で,ム ラ社 会 で は農 事 や吉 凶時 な ど何 か に つ けて互 い に助 け合 う関 係 にあ った 。 しか し近 年,農 事 は機 械 化 され,ま た 八 寸 まで の近 親 が 隣 り合 って 住 む 環 境 にな くな って きた 。 この た め 日常生 活 で の 相 互協 力 の 必 要性 が減 少 す るに した が って,近 親 間 の相 互 的経 済 的 協 力 と結 束 を 確 か めて きた茶 礼 は しだ い に消 え て い くこ とに な ろ う。 しか し,父 母 子 女 間 の感 情 的 紐 帯,お よび 兄弟 姉 妹 間 の相 互 的 結 束 感 に 基 づ く茶 礼 は今 後 も維 持 さ れ るで あ ろ う。 茶 礼 は そ の 目的 を チ バ ンの結 束 か ら兄 弟 姉 妹 の 親 睦 に 転 化 して い る とい え よ う[任 敦 姫 1985:53,1986b:172]。
(A)忌 祭 家 族 間 の 儀 礼 :
忌 祭 の 対 象 とな る祖 先 は,宗 家 で は四 代 祖 ま で で あ るが,一 般 に は子 孫 が記 憶 し, そ して愛 す る祖 先 とい え る。 参 加 者 は 直 系 子孫 の み な らず傍 系子 孫 まで も含 む近 い家 族 の よ うな親 戚 間 と いえ る[任 敦 姫1985:48]。 した が って,宗 教 的 理 由 に よ って 忌 祭 を行 な わ な い こ と はあ って も,一 般 的 に忌 祭 そ の も の を行 なわ な い と い う こ とは ま れで あ る。 ただ,そ の あ り方 には い くつ か の 変化 の局 面 が み られ て い る。
a.忌 祭 回 数 の縮 少
父 の 祭 祀 に母 の 祭 祀 を 合 わ せ て行 な うと い う事 例 が あ る。 も と も と父 の祭 祀 に そ の 位 牌 と と も に母 の 位 牌 を 「合 設 」 す る とい う慣 行 もあ る が,そ れ とは 異 な り母 の祭 祀 を 父 の そ れ と 「合 祀 」 し,母 の 忌 日に は祭 祀 を行 な わ な い こ とに な る。
また 高 祖 父 母 や 曽祖 父 母 の 祭 祀 を父 の祭 祀 と合 祀 す る と い う事 例 もあ る。 父 が死 ん だ 後 ソ ウル に 住 む 長 男 が 曽 祖父 母 まで の祭 祀 を 行 な う こ とに な り,地 方 に住 む母 が そ の 度 ご とに ソ ウル に行 か ね ば な らず 大 変 な の で 合 祀 した とい う。 い わ ば父 の祭 祀 に名 節 に 行 な う よ うに 祀 られ る べ き祖 先 のす べ て を 一 度 に祀 る こ とに な る。
この 他,忌 祭 は 父 母 あ るい は祖 父母 まで しか 行 な わ ず,高 祖 ・曽祖 の祭 祀 を時 祭 に まわ す 傾 向 に な る とい う指 摘 が あ る[任 敦 姫1985:53]。 実 際,1983年 か ら忌 祭 は祖
朝倉 韓国祖先祭祀の変化
父 母 の み と し,曽 祖 父母 と高 祖 父 母 は祖 父 の墓 の 近 くに 碑 を 建 て,門 中 の 派 の人 がす べ て 集 ま る時祭 とは別 の秋 の都 合 の よ い 日 に堂 内 の 人 が 祀 る こ とに した と い う事 例 も あ る。 父 が死 亡 した後 に 資金 がで きれ ば祖 父 母 の 碑 も建 て る とい う。 これ は単 に 回数 を 減 らす とい う こ とだ けで は な く,忌 祭 と して 祀 る対 象 祖 先 を 減 らす こと を 意 味す る。
b.儀 礼責 任 者 の変 化
祖 父 の祭 祀 を,長 男 が 死 亡 した 場 合,孫 で は な く次 男以 下 の子 息 に任 せ る傾 向 にあ る とい う指 摘 が あ る[任 敦 姫 1985:53]。
これ は一 つ には,孫 が 祖 父 母 を 祀 る よ り も子供 が親 を祀 る とい う,よ り身 近 な人 が 祭 祀 を しよ う と い う意 味 を もつ 。 高 祖 父 ・曽祖 父 の 代 を合 祀 した り,父 や 祖 父 の 代 ま で しか 祭 祀 しな くな るの も,み た こ と もな い祖 先 に対 して は それ ほ ど愛着 が わ か な い
と い う理 由が あ ろ う。
も う一 つ に は,次 男 以 下 の祭 祀 責 任 と い う問 題 が あ る6)。
今 日,長 男 が 都 市 あ るい は 海 外 に まで 出 て行 くと い う場 合 が多 くな って きた 。 した が って,必 ず しも長 男 が 家 に 残 って祭 祀 をす る こと が な くな って きた た め,場 合 に よ って は次 男 以 下 も責 任 を負 わ ね ばな らな くな って きた 。 さ ら に,従 来 農村 で は祖 先 祭 祀 を 行 な うた め の位 土(祭 田)が 長 男 に相 続 され た が,長 男 が都 市 に 出て しま った場 合 を は じめ,財 産 の 分 与 に つ い て も変 化 が み られ る よ うに な って きた7)。
この 他 に,娘 しか い な い場 合 の祭 祀 責 任 者 の 問 題 が あ る。 この 場合,従 来 はふ つ う 父 系 親 族 か ら しか る べ き男子 を養 子 に迎 え た。 時 と して 婿 養 子 ・入夫 婚 もみ られ た が, そ の 場 合 の 男 子 は 依 然 と して生 れ た ま ま の 「姓 」 を 名 乗 るた め,祖 先 祭 祀 の原 則 で あ
る 「異 姓 不祀 」 に違 反す る こと に な り,9こ れ らの 慣 行 は ひ ど く嫌 わ れ た。 しか し,各 家 に お い て子 女 の 数 が減 り,娘 しか いな い 家 の 数 が 増加 して きた。 そ う した 中で,あ
くま で も男児 の 出生 を願 うか,養 子 を 迎 え るか,そ れ が不 可 能 な ら祭 祀 の継 承 を断 念 す るか,あ る い は儒 式 祖 先 祭 祀 の原 則 に も と る こ とが わ か って も婿 に祭 祀 を任 せ るか 否 か,選 択 をせ ま られ る状 況 に な って きた8)。
6)次 男 以 下 の祭 祀 につ いて は,「 祭遷 」 と いい,嫡 系 の 宗 家 で はす で に五 代以 上 を 数 え て も傍 系(次 男 以 下 の支 系)の 分 家 で は 四代 以 内 に含 まれ る とい う場合,四 代 奉 祀 を 忠実 に実 行 す る た め祭 場 ・祭 主 な どを 分 家 に移 して 忌 祭 を続 け る こ と もあ る。 ま た,済 州 島 を は じめ周 辺 地 域 に 「分 割 祭祀 」 が み られ る が,こ こで はそ う した場 合 は除 く。
7)慶 尚南道 安東 郡 陶 山面 土 漢 洞H部 落 とK部 落 を1973年 に 調 査 した佐 藤 に よ れ ば, 「長 男 は父 母 と同 居す る のが 原 則 で あ る が,両 部 落 に お いて 長 男 の他 出 が多 いの は現 在 の農 村 家 族 の変 化 を 示 す もの と して 重 要 で あ る 。韓 国 で は 長男 の社 会 的優 位性 は就 学 にお い て も次 ・三 男 に卓 越 して い た。(中 略)現 実 の 父 祖 の 家 が廃 屋 と化 して も,祭 祀 は長 男 に よ って 継 承 され て い くの で あ る」 と,父 母 と別居 して も長 男 の 祭祀 継 承 を 順 守 して い る とい う報告 があ る[佐 藤 1975:
80‑83]。
8)養 子 は,子 息 の い な い 場合 に,こ とに宗 家 で は必 ず とい って よい ほ ど迎 え られ た 。 崔在 錫 は/
国立民族学博物 館研究報 告 13巻4号 c.儀 礼 参 加 者 の 変 化
か つ て は 嫁 に 出た 娘 た ちが祭 祀 に来 る こ と は な か ったが,今 は 娘 が 婿 と と もに父 母 の 祭 祀 に参 与 し,扶 助 も して い る事 例 が増 え て い る と い う[任 敦 姫 1985:53]。
確 か に娘 た ちの祭 祀 へ の 参加 は,他 の報 告 に も み られ て い る。 た だ,参 加 の仕 方 に つ い て は,祭 祀 に 直接 加 わ って礼 拝 を行 な う者,祭 祀 の 準 備 を手 伝 う女 性 た ち,忌 祭 の 家 を 訪 れ るが儀 礼 に は直 接 加 わ らず 隣 室 で 見 守 って い る者 に 分 け られ,何 を も って 祭 祀 へ の 参 与 とす るか は留 意 しな けれ ば な らな い[末 成 1985:18]。
娘 の 参加 と も関連 して,そ の夫 まで が 妻 家 の 祭 祀 へ 参加 す る とい う例 も増 え て きて い る。 こ とに妻 の両 親 の祭 祀 に は,単 な る参 加 だ けで は な く,祭 祀 の負 担 を 分 担 す る とい う事 例 が 多 くみ られ て い る。
これ らの事 例 を整 理 して み る と,次 の よ うな 変 化 の 流 れ が予 測 され よ う。
1. 祭 祀 の 対象 が,よ り近 い人,記 憶 の あ る人 へ と変 化 して い る。 高 祖 父 母 ・曽祖 父 母 とい った 会 った こと も な い祖 先 よ り も,祖 父母,こ とに父 母 の祭 祀,あ る いは 妻 の 父 母 と い う身 近 な人 の死 へ の 追 慕 の気 持 が 素直 に 表 出 され る傾 向 にあ る。 も ちろ ん祖 父 ・曽祖 父 ・高 祖 父,そ して派 祖 へ と遡 る父系 系 譜 へ の帰 属 感 は維 持 され て い るが, 祭 祀 とい う行動 に お い て は近 くに い る とい う現 実 的条 件 が よ り強 く働 く状 況 に な って
きて い る と い え よ う9)。
2.祭 祀 に 関す るつ きあ い 関 係 に お い て も,縦 の 関係 か ら横 の 関 係 へ と い う変 化 が み られ る。 す なわ ち,親 族 よ り も家 族,こ とに兄 弟 姉 妹 間 の つ きあ い が 強 調 され て くる。
なか で も,こ れ まで は 「出嫁 外人 」 と して建 前 と しては つ きあ い が み られ な か った姉 妹 との つ きあ いが 顕在 化 して こよ う10)。
3. 一 方,祭 祀 を 行 な う人 は,人 口問題 に よ って各 家 が 息 子 ・娘 の 区別 な く二 人子 女
\ 養 子 制 度 とそ れ に関 連す る祭 祀 相続 の実 態 につ い て全 羅 北 道 の一 部 落 を調 査 し,「 入 養 にっ い て は1940〜50年 代 ま で は事 例 が あ る が,60年 代 か らは ほ とん ど養 子 の事 例 を 探せ な か った 」 と 報 告 し,祭 祀 相 続 につ いて は 「離 村 の一 般 化 に よ り祭 祀 の直 系 主 義 は弱 化 し,奉 祀 権 が次 男 に 移 って い った り,父 が生 存 して い て も子 に 引 き渡 す こ ともあ る」 と 指 摘 し て い る[崔 在 錫 1986:215]0
9)未 婚 のま ま 死 亡 した子 女 や 異 常死 した入 の霊 は,儒 式 祭 祀 で は な く巫 祭 と して 慰 霊 す べ き と さ れて い るが,そ の親 が 忌 日や 名 節 に イ ンフ ォー マ ル に は儒 式 で祭 祀 す る例 が あ る 。身 近 な人 の祭 祀 を す る とい う意 味 で は,こ う した 人 々の霊 の祭 祀 も一般 化 され て い く こと も考 え られ る 。
10)姉 妹 との つ きあ い の他 に,女 性 を介 在 して 姻 戚 関係 と のつ きあ い も考 え られ る 。韓 国 の 姻戚 関係 につ いて は,済 州 島 の事 例[佐 藤 1976]を 除い て は これ まで あ ま り報 告 がな く,伝 統 的 社会 に お け るつ きあ い関 係 はよ く分 か らな い が,こ と にか つ て の両 班 社 会 で は祖 先 祭 祀 を め ぐ るつ きあ い は な か った もの と考 え る 。 しか し,夫 妻 の親 同 士 の サ ド ン関 係 や母 方 の実 家(外 家) や 妻方 の実 家(妻 家)と の つ きあ い はそ の 重 要性 を増 して お り,今 後 の 研 究 課題 の一 つ と した い 。
朝倉 韓国祖先祭祀の変化
運動 が推 進 され 小 規 模 家族 に な って い く中で は11),長 男 か らそ れ 以 外 の 兄弟 あ る い は 姉 妹 へ と,誰 で もが 祖 先 を祭 祀 す る権 利 と義 務 を もつ 方 向へ と変 化 して い くこ と も予 測 さ れ よ う。
4. これ は ま た,財 産 相 続 の あ り方 と も関係 して くる。 そ して,そ れ は 歴 史 的 変 移 の な か に捉 え る こ と もで き よ う。
も と も と高 麗 時代 末 か ら李朝 時代 の初 め にか け ては 子 女 均 分 の 財 産 相続 が 一般 的 で あ り,15世 紀 末 に 完 成 され た 『経 国大 典 』 に お いて も,祭 祀 継 承 者 に 対 して の み五 分 の一 の 加 算 が 認 め られ て は い た もの の,男 女 お よ び 出生 順 位 に 関 係 な く均 分 の 原則 が 規 定 され て い た 。 そ れ が しだ い に父 系 血 縁 が重 視 され,祖 先 祭 祀 の継 承 に よ る系 譜 の 継 嗣 が強 調 され,嫡 長 子 に奉 祀 が 集 中す る よ うに な り,嫡 長 子 に対 す る祭 祀 の た め の 財 産 相 続 が 大 幅 に加 算 され るよ うに な った 。 そ して李 朝 末 期 には 男 子 の う ちで もと く に長 男 を 優 待 した相 続 慣 行 が一 般 化 して い った[伊 藤 1986:250]。 した が って,今 後 韓 国の 相続 法,す な わ ち息子 ・娘 の 区別 な く均 等 相 続 が,法 的 次 元 の み な らず慣 習 にま で 行 な わ れ る と韓 国 の祖 先 崇 拝 は朝 鮮 前 期 の よ う に娘 に よ って も行 な わ れ る と い う指摘 もで て くる[任 敦 姫 1985:53]。
皿.現 代 社会 と祖 先 祭 祀
韓 国社 会 は今 世 紀 に 入 って か ら,日 本 の 植 民地 時 代,そ れ か らの解 放,朝 鮮 戦 争 と 南 北分 断,そ の後 の 「漢 江 の 奇 跡 」 と呼 ばれ る高 度 成 長 とい った激 動 期 を 経 て きた 。 こ とに こ こ二 十 数 年 聞 に お け る経 済 成 長 率 は 世 界 で も比 類 の な い も ので あ り,さ らに 今 日民 主 化 に向 けて の 歩 み を 始 め て い る 。 そ う した急 変 す る社 会 の 中で,韓 国の 伝 統 文 化 も様 々 な分 野 で 変 化 して い る12)。
こ こで は,現 代 韓 国 社 会 に お いて 伝 統 的祖 先 祭 祀 の 変化 の条 件 と な る社 会 変 化 に つ い て概 括 的 に捉 え て お こ う。
1. 都 市 化 ・産 業 化
韓 国 社 会 の 近 年 の 急 激 な 変 容 は,都 市 化 と 産 業 化 と い う言 葉 に よ っ て 簡 潔 に 表 現 で 11)中 央 日報 「86年度 の わ が 国社 会 指 標 」[1987・1・・23]に よれ ば85年 の 調査 結 果 「理 想 的 な子 女 数 」 は2名 で あ る が,実 際 に産 む の を願 う 「期 待 子女 数」 は2・48名で あ る。 な お 「期 待 子 女 数 」 も76年 が3.35名,82年 が2・82名で あ り,か な りの 減少 傾 向 にあ る。
12)1970年 代 半 ば ま で の 急 激 な社 会 変 化 に よ る伝 統 文 化 の変 化 につ い て は,[韓 国 文化 人 類 学 会 1975]を 参 照 され た い。
国立民族学博物館研究報告 13巻4号 きよ う13)。産業 化 が本 格 化 す る の は,1960年 代 後 半 に軌 道 に乗 った 経 済 発 展5力 年 計 画 以 降 で あ る が,都 市 へ の 人 口集 中に よ る都 市 の膨 張 は,解 放 後 ま もな くす で に 始 ま って いた 。 しか し,離 農 向 都 型 の本 格 的 な都 市 移 住 は,明 らか に 産 業 化 に と もな う も ので,若 い世 代 を 中心 に した新 しい住 民 層 を都 市 に もた ら した 。70年 代 の 中 ごろ に急 速 に都 市 の産 業 社 会 に吸収 され た の は,主 に常 民 出身 層 で あ り,も と も と儒 教 的 な生 活 慣 習 に対 して 関 心 が 薄 い とい う社 会 的背 景 も あ った[伊 藤 1985b:261‑263]。
(1)祖 先祭 祀 の 簡 素 化
祖 先祭 祀 は 日本 の 統 治時 代 に お いて あ る程 度 簡 素 化 した と もい わ れ る が,「 孝」 の 観念 と直 結 して お り韓 国で は非 常 に重 要 視 され て きた 。1973年 に は冠 婚 葬 祭 を 簡 素 化 す るた め 政府 が 「家 庭 儀 礼 準 則 」 を 制 定 した が,葬 祭 に 関 して は思 うよ う な成 果 は あ げ られ な か った。 しか し,時 代 の 推 移 に と もな い現 代 生 活 は時 間的 忙 しさを 増 し,労 力 や経 済 的 に も負 担 の か か る伝 統 的 祖 先祭 祀 を合 理化 しよ う とす る動 き が次 の よ うな 局 面 に お い てみ られ て きた 。
a.合 祀:
高 祖 ・曽祖 を 父 の 祭 祀 時 に合 わせ て祀 っ た り,母 の 祭 祀 を 父 の そ れ と一緒 に夫 婦 合 祀 す る事 例 がみ られ る。 例 え ば高祖 父 の代 まで 祀 る家 で は,父,祖 父,曽 祖 父,高 祖 父 とそ れ ぞ れ そ の 配 偶者 た ち の忌 祭 を少 な くと も年8回 行 な わ な け れ ばな らな い。 親 族 が 近 隣 に い れ ば大 きな 問題 で は な い が,都 市 で 分 散 して 居 住 す る場 合 そ の た び ご と に集 ま るの は か な りの負 担 に な って くる。 ま た年 に1〜2度 で あ れ ば,親 族 全 員 が集 ま ろ う とい う気 に もな る とい う。
b.祭 祀 時 間:
本 来 は 夜 中の12時 を期 して 行 なわ れ る が,そ の 時 間 にな って は翌 日の会 社 や工 場 の 勤務 に 支 障 を来 す こ とも あ り う る。 ソ ウル 市 に居 住 す る 中学 生 の学 父 母355名 を対 象 と したSeoの 調 査 に よ れ ば,夜11時 以 後 に 行 な う とい う人 が全 体 の52%を 占 め,未 だ 祖 先 の 霊 が夜 に現 れ る と考 え る傾 向 が 支 配 的 な よ うで あ る が,し だ い に よ り生 活 に便 利 な時 間 に祭 祀 を 行 な う もの と予 想 され る[SEO 1987:148]。
c.祭 需 ・費 用:
祭 需(供 え物)と して 陳 設 され る もの は各 家 ご とに よ って 多 少 異 な るが,礼 書 に し た が え ば 肉 ・魚 ・野 菜 ・果 物 な どか な りの 品数 と量 が用 意 され な けれ ばな らな い 。 こ れ らを す べ て 準 備 し調 理 す るの は 大変 で あ り,簡 単 に した い とい う主 婦 の 思 い が あ る。
13)韓 国 社 会 の都 市 化 と産 業化 につ い て は,[伊 藤 1985a]に 簡 潔 に説 明 され て い る。
朝倉 韓国祖先祭祀の変化
また,こ う した もの よ り,む しろ故 人 が 好 ん だ もの を 供 え た ほ うが よ い と い う考 え も あ る。 した が って,そ の経 費 も徐 々 に減 少 す る傾 向 に あ る。
d.位 牌 ・紙 榜:
前述 したSeoの 調 査 に よ れ ば,紙 榜(紙 に書 いた 位 牌)を 必 ず使 用 す る 人 が全 体 の 75%で あ る[SEo l987:148]。 しか し,筆 者 の 調 査 地 で あ る農 村 に お い て も紙 榜 と と もに写 真 を飾 る事 例 が み られ,故 人 を 偲 ぶ うえ に も写 真 に 代 置 さ れ て い くこ と も考 え られ る。
以 上,総 じて い え ば儒 式 の祖 先 祭 祀 も簡 素 化 の 方 向 へ と進 ん で い る とい え よ う。 こ う した動 きに合 わせ て,祖 先 祭 祀 を 仏 教 式 に す る こ とに よ って簡 素化 を計 る と い う事 例 もみ られ る14)。
(2)祖 先 祭 祀 と家 族 ・親 族
都 市 化 ・産 業 化 とい う社 会 変 化 は,必 然 的 に 家 族 形 態 や 家族 生 活 の あ り方 に も変 化 を もた ら した。 李 萬 甲 は,第 二 次 大 戦 後 か ら1970年 に か け て の 社会 的変 化 と,そ れ に と もな う結 婚 と家 庭 生 活 に お け る変 化 に つ い て 言 及 して い る。 そ こで は核 家 族 の 増 加 と平均 世 帯 人 員 の減 少 が推 測 され,女 性 ・子 供 の 地 位 の 向 上 と妻 の実 家 との 関 係 の 緊 密 化 な ど が指 摘 され て い る[李 萬 甲 1971:87‑90]。 そ れ か らさ らに20年 近 くが経 過
し,近 代 化 に即 応 した 家 族 の 様 態 の 変 化 が 進 ん で い る。
こ う した家 族 の 変 化 が 祖 先 祭 祀 に 影 響 を 及 ぼ して い る。
ま ず,子 女 の数 が 減 る こ とに よ って,誰 が祖 先 を祀 るの か とい う祭 主(祭 祀 責 任 者) の 問題 が生 じて きた 。 従 来,祖 先 を 祀 るの は 長 男 に定 め られ て い た。 その た め男 児 の 出生 が 強 く望 まれ,や む を え ず 娘 しか い な い 場 合 に は ふ つ う婿 を と らず 父 系 親 族 か ら 養 子 が迎 え られ た。 しか し,人 口問 題 に よ る家族 計 画 や 教 育費 の負 担 な どか ら子 女 の 数 が 減少 し,そ れ に よ って 娘 しか い な い家 族 の 数 が 増 え,ま た養 子 を 迎 え る に も困 難 が生 じて きた 。 こ う した 状 況 の 中で,祭 祀 を誰 に ま かせ る か と い う選 択 を せ ま られ る よ うに な って きた 。
次 に,女 性 の地 位 の 向 上 お よび 妻 の 実 家 との 関係 の緊 密 化 も,祖 先 祭 祀 の あ り方 に 影 響 を与 えて い る。 娘 が実 家 の 祖 先 祭 祀 へ 参 加 した り,そ れ に そ の夫 がつ いて い くの 14)父 の死 後 四十 九 日 に寺 に 行 き,三 周 忌 に あ た る 「大 祥」 まで 済 ま せ て しま う祭 儀 に 参加 した が,は じめ本 堂 正 面 の仏 像 に 向 か って 巫 俗 との習 合 を 思 わせ る に ぎや か な読 経 が あ り,次 に本 堂 右 横 に安 置 した紙 榜 に 対 して 僧 が祭 官 の 役 を し,儒 式 と相 似 した 手 順 の祭 儀 が 行 な わ れ た。
この ほか 葬儀 に おい て は,葬 儀 社 にす べ て を任 せ た り,最 近 は 「葬 礼式 場 」 の 必 要性 が問 わ れ る[東亜 日報1987・8・4]な ど,業 者 に た よ る傾 向 が 強 ま って お り,祭 儀 に おい て も次第 に こ う した 動 き がで て くる こ と も予想 され る。
国立民族学 博物館研究報告 13巻4号 も,そ の 表 わ れ で あ ろ う。
ま た,韓 国 の 家族 法 は,男 系 血 統 を 中心 と した祭 祀 本 位 の儒 教 的家 族 制 度 の 原 理 が 生 きて は い る もの の,1977年 に は相 続 に おい て 女 性 の地 位 を 向上 させ る法 の 改 正 が な され て い る[山 田 ・他 1986:112‑ll5]。 こ う した相 続 に 関す る法 律 の 改 正 も,そ れ が 従来 祭 祀 と不 可 分 の 関係 に あ っ ただ け祖 先祭 祀 に大 きな変 化 を もた らす 要 因 とな っ て こよ う。
これ ら近 代 化 に よ る祖 先 祭 祀 の 変 化 と と もに,む しろ伝 統 的規 範 で あ る祖 先 祭 祀 を 反 映 した家 族 ・親 族 の新 しい現 象 の 局 面 もみ られ る。
そ の一 つ は,都 市 に流 入 した若 年 層 と農村 に残 され た老 人 が祖 先 祭 祀 に よ って 結 び つ け られ て い る と い う点 で あ る。 す な わ ち都 市 にで た子 女 は そ こで 夫 婦 家族 を 形成 す る が,こ とに長 男 は祖 先 祭 祀 の た び に 故 郷 の父 母 の家 に戻 る。 こ う した 場 合 世 帯 と し て は別 に して いて も,「 家」 と して は そ の継 承 と繁 栄 が願 わ れ て い る こ とに な る。 こ う した形 を李 光 奎 は 「修 正 され た 直 系家 族(stcm family in a modified form)」 と 呼ん で い る[LEE l986]。
も う一 つ は,故 郷 に お け る門 中に か わ る都 市 に お け る 「宗 親 会 ・花樹 会 」 の形 成 で あ る。 これ は,同 じ門 中 の成 員 が 都市 に お いて 共 同 の 事 業 や 情 報 交 換 の た め の連 絡 事 務 所 を 設 け,定 期 的 に 親 睦 を兼 ね た集 会 を 開 くと い うもの で あ る。 こ こで は族 譜 の編 纂,祖 先 の 墓 碑 ・祭 閣 の建 立,奨 学 基 金 の 運 営 な ど が行 な わ れ る。 門 中 が故 郷 に お い て 祖 先 祭 祀 を 主 た る 目的 と して い る の に対 して,宗 親 会 ・花 樹 会 は 都市 に お い て親 族 の 保 護 と福 祉 を 目的 とす る と い う違 いは あ るが,そ の 成 員 の 連帯 と財 産 の維 持 と い う 原 理 は 同 じで あ る。
2. キ リス ト教 の 普 及
現 代 韓 国 社 会 に あ っ て,そ の 驚 異 的 な 経 済 成 長 率 の 伸 び と と も に,キ リス ト教 の 教 勢 拡 張 は 目 を み は る も の が あ る 。 韓 国 の キ リス ト教 に つ い て は,天 主 教(カ ト リ ッ ク) と 改 新 教(プ ロ テ ス タ ン ト)が あ り,こ と に 改 新 教 は は な は だ し い 諸 派 分 立 の 歴 史 を た ど っ て きて お り,す べ て の 教 団 に わ た っ て 体 系 的 に 論 ず る こ と は 難 し い15)。 こ こ で 15)韓 国 の キ リス ト教 につ い て,参 考 の た め に ご く簡 単 に そ の概 要 を 記 してお く。
キ リス ト教 の 普及 と広 範 な 社会 活 動 は 目を見 張 る もの が あ る 。1960年 以後 の増 加 は 急激 で, 1980年 には 全人 口 の約25%に 達 して い る。都 市 部 の人 口が1980年 には 総人 口 の過 半 数 を 占 め, しか も信 者 が農 村 部 に少 な い こ とを 考 慮 すれ ば,都 市 に お け る キ リス ト教 信 者 の 占め る割 合 は 半 数 近 くに な る と考 え られ る 。新 旧別 にみ る と新 教 が 圧倒 的多 数 を 占め てお り,こ れ は さ らに 多 くの 宗 派 に分 れ て い る[伊 藤 1985b:276]。
この 韓 国 で の教 会 成 長 の促 進 要 因 に つ いて,坂 元一 光 は先 行 研 究 を 整理 して 次 の3つ を あげ/
朝倉 韓 国祖 先祭祀 の変化
は,キ リス ト教 の普 及 が 伝統 的 な儒 式 の 祖 先祭 祀 とど の よ うな関 係 を もつ の か に つ い て だ け言 及 して お こ う。
ま ず,こ の 関係 につ いて,崔 吉城 は そ の歴 史 的推 移 を 次 の よ うに 説 明 して い る。
キ リス ト教 の 受 容 は,は じめ カ ト リッ クが伝 え られ た が,儒 教 に よ って 形 式化 さ れ た祖 先 祭 祀 と衝 突 した 。 その 大 きな事 件 が 辛亥 教 難(1791年)で あ る。 カ ト リッ クが 天 主 教 と い う一 つ の 学 問 と して研 究 され た時 は それ ほ ど問 題 で は な か った が,そ れ が 宗 教 と して 信 仰 され 伝 道 活 動 をす る よ うに な る と,旧 い習 慣 を 破 り,新 しい生 活様 式 を作 り出す 必 要 があ った 。 そ の と きに,祖 先 崇 拝(祭 祀)と 真 正 面 か ら対 立 した ので あ る。一 方,改 新 教(プ ロテ ス タ ン ト)の 伝 来 は,辛 亥 教 難以 来,開 化期 の 西洋 文 明 の 流 れ に した が って殉 教 や衝 突 な しに入 って 現 在 に至 った もの で あ る。 改新 教 の宣 教 方 針 には 儒 教祭 祀 は 親孝 行 の追 慕 行 事 と して み る消 極 的 な 態 度 が あ るに もか か わ らず, つ ね に衝 突 す る潜 在 性 が あ る。 しか し共 存 しな が ら キ リス ト教 は さ らに拡 大 され て い
くだ ろ う[崔 吉 城 1985:154‑156]。
そ して現 在 は,一 般 的 に天 主 教 で は 伝 統 的 祖 先 祭 祀 に 対 し比 較 的寛 容 な態 度 で あ り, 改新 教 で は それ を偶 像 崇 拝 と して 否 定 す る傾 向 に あ る とい わ れ て い る。 しか し,坂 元 一 光 は 「追 悼 式 とい う死 者 の 記 念 日の 設 定 は,儒 礼 に よ る祖 先 祭 祀 との正 面 か らの 衝 突 を緩 和 して い る と考 え られ るの で あ る。 しか も この追 悼 式 は ま た,社 会 変 化 の 中で お ざ な りに な りが ちな 儒 式 祭 祀 を,新 しい別 の 形 式 に よ って維 持 して い る と も考 え ら れ る」 と述 べ,改 新 教 を 含 む キ リス ト教 が 伝統 的宗 教 生 活 に適 合 して い る と指摘 して い る[坂 元 1984:84]。
で は,実 際 に キ リス ト教 徒 は儒 式 の祖 先 祭 祀 を どの 程 度 行 な って い るで あ ろ うか。
朴 順 川 が ソ ゥル 市 内 の 主 婦360名 を対 象 と して調 査 した 「都 市 主 婦 た ちの 家庭 生 活 観 と祭 祀 儀 礼 」 に よれ ば,伝 統 式 に祭 祀 を行 な うの は全 体 の70.8%で あ るが,仏 教 徒 は 94・5%が 伝 統式 で行 な うの に対 して キ リス ト教 徒 は46.7%で あ る[東 亜 日報 1987・
9.22]。 確 か に 数 字 の うえ で は他 宗 教 の信 者 に比 べ て キ リス ト教 徒 は 伝 統式 に祖 先 祭 祀 を 行 な う人 は少 な い。 しか し,そ れ で も半 数 近 くは 伝 統 式 で行 な って い る。
カ ト リ ック信 者 の あ る主 婦 は 「義 理 の 父 母 の祭 祀 に は紙 榜 は書 か な い が飲 食 は原 則 の ま ま に準 備 す る。 祭 祀 の た び に教 理 と伝 統儀 礼 の 間 で葛 藤 を もつ 」 と述 べ て い る。
\ている。1.民 族間,国 家間の葛 藤状況 におけるアイデ ンティテ ィと統合の シンボルと して成 長 してきた,2.キ リス ト教を現代韓 国の大衆層の生活に意味付 けを付与する象徴的体系 とし て捉 える,3.伝 統 的シャマニズムとの関連でその成長を捉える[坂 元 1984:82]。
そ して,柳 東植は 「現在,韓 国人 と韓国形成に積極 的な活動を してい る宗教はキ リス ト教で ' あ る。(中略)今 日,韓 国人の心性 を語 るとき,特 にその形成過 程面 か ら見 ると,キ リス ト教 を一個 の重要な宗教的要因 として数 えな ければな らないだ ろう」 と韓 国宗教におけるキ リス ト 教の位置を捉えてい る[柳東植 1975:184F185]。
国立民族学博物館研究報告 13巻4号 ま た,改 新 教 信 者 の あ る主 婦 は 「名節 と忌 日 に は簡 単 な 飲 食 の み 準備 し,家 族 と近 い 親 戚 で 追 悼 礼 拝 を 行 な って い る」 とい う。 しか し,一 方 で は 「祖 先崇 拝 は決 して偶 像 崇 拝 で は な く,十 戒 命 に も 『父母 に侍 り仕 え よ』 と あ る。 祭 祀 は 祖先 に対 す る崇 慕 と 感 謝 を象 徴 す る一 つ の儀 礼 で,宗 教 とは別 個 の問 題 で あ る」 と い う意 見 もあ る。 こ う した 立場 か らは,「 キ リス ト教 だ か らと い う理 由は,煩 わ しさか ら祭 祀 を行 なわ な い ことの 口実 で あ る」 とい う批 判 もあ る[東 亜 日報 1987.9.22]。
これ まで キ リス ト教 の 教 義 と儒 式祖 先 祭 祀 と の関 係 につ いて は 様 々に論 議 され て き た が16》,その答 え は 実 際 の 社 会 に お い て様 々 に解 釈 され て い る よ うで あ る。 とは い え, キ リス ト教 が 伝 統 的 祭 祀 を 全 く肯 定 して い る と は い えず,そ の 普 及 に よ って 伝統 式 祖 先 祭 祀 は簡 素 化 ・修 正 の 方 向 に 進 ん で い く こと は確 かで あ ろ う。 そ れ と と もに,儒 式 の祭 祀 に あ って 実 際 にそ の 準 備 を す るの は主 婦 で あ り,こ と に長 男 の嫁 で あ る主 婦 の ノ イ ロ ー ゼの 要 因 に祖 先祭 祀 の 義務 と負 担 が あ る こ とが 指摘 され て お り[RHI l986], また キ リス ト教 の 信者 に 女 性 が 多 い こと を考 え合 わせ る と,キ リス ト教 が祖 先 祭 祀 に 影 響 を及 ぼす とす れ ば,教 義 以 前 に 儒 式 の祭 祀 に お け る女 性 の役 割 と い う現 実 的 条件
も考 え られ な けれ ばな るま い 。
3. 伝 統 の 固 守
近 代 化 が進 む 一 方 で,民 族 の伝 統 文 化 を 再 認 識 ・再 評 価 しよ うと い う動 き があ る17)。
こ う した動 きは,研 究 と教 育(民 俗 学 の普 及),保 存 と啓 蒙 の 事 業(文 化 公報 部 に よ る文 化財 政 策 ・博 物 館 ・公 演 な ど),実 践 活 動(仮 面 劇 サ ー クル ・農 楽),生 活 へ の 応 用 とい う形 を と って 展 開 して お り,と くに1970年 代 後 半 以 降 は定 着 した 観 があ る。 そ の 一方 で,セ マ ウル 運 動 以 来,実 生 活 で は 農村 に お い て も民 俗 文 化 の衰 退 が 急 速 に 進 ん で い る。 しか し,そ れ と同 時 に都 市 部 で は新 しい社 会 状 況 の もとで 国 民 統 合 の 社 会 的媒 体 な い し象 徴 と して 重 要 性 を 帯 び て お り[伊 藤 1985b:275‑276],新 しい形 で の伝 統 文 化 の再 認 識 が な され て い る。
また 都 市 住 民 の 中 に は,上 昇 主 義 と教 育 水 準 の 向上 に根 ざ して高 い社 会 的 ・経 済 的 地 位 を達 成 して い こ う とす る,い わ ゆ る 「両 班 化」 現 象(Yangbanization)が 起 きて い る[1.EE l986]。
こ う した 人 々を 狙 って 『韓 国人 の家 訓 』 や 『名 家 の 内訓』 とい った本 が 出版 さ れ18),
゜ 16)キ リス ト教 の教 義 にお け る儒 式 祖 先 祭 祀 の位 置 付 け に 関す る論 議 に つ いて はf崔 吉 城 1986:
224‑234;柳 東 植 1986:85‑93]な どを 参 照 さ れた い 。
17)民 俗 文 化 の再 認 識 ・再 評 価 の動 き につ い て は,拙 稿[朝 倉 1987]を 参 照 され た い 。 18)農 村 か ら都 市 に若 い時 に出 て き た人 同士 が 家庭 を も った 場合 を は じめ 都市 生 活 者 の 間 で,冠/
朝倉 韓国祖先祭祀の変化
図2全 体 的 図 式(仮 設)
伝統 的冠 婚 葬 祭 の再 認 識 と い う動 き も進 ん で い る。 そ して,そ の 裏 側 には 時 代 を 通 し て伝 統 的生 活 規 範 で あ る儒 教 の 礼 節 を守 り続 け て きた 「両 班 」 の存 在 が あ り,彼 らは 現 在 まで そ う して き た よ う に 未 来 に わ た って も儒 式祖 先 祭 祀 を 固持 して い くの で あ
る19)。
最 後 に,1960年 代 以 降,伝 統 的 祖 先 祭 祀 が 社 会 変 化 を 背 景 と し て ど の よ う に 展 開 し て き た か に つ い て 仮 設 と し て 全 体 的 図 式 を 示 して お く(図2)。
以 前 に ど の く ら い 祖 先 祭 祀 が 行 な わ れ て い た か を 知 る 資 料 が あ る 。 こ れ は,1971年 に ソ ウ ル 市 の 主 婦350名 を 対 象 と し た 調 査 で,「 祭 祀 を 行 な う 」 が74.3%,「 行 な わ な い 」 が25.7%と な っ て い る[MooN l974:82]20)。 これ に 対 して,1987年 に 同 じ く ソ ウ ル 市 の 主 婦360名 を 対 象 と し た 調 査 に よ れ ば,「 名 節 に 伝 統 式 祭 祀 を 行 な う」 が70. 8
%,「 キ リス ト教 式 追 悼 式 を 行 な う」 が20.6%,「 全 く行 な わ な い 」 が7.5%で あ る[東 亜 日 報 1987. 9.22]。 こ の 数 字 か ら だ け み れ ば,ソ ウ ル 市 に お い て も祖 先 祭 祀 を 行 な っ て い る か ど う か に つ い て は こ こ十 数 年 の 間 あ ま り変 化 して い な い 。
し か し,都 市 化 ・産 業 化 と い う 流 れ の 中 で,現 代 生 活 に 適 応 す べ く,ま た 簡 素 化 令
\ 婚 葬 祭 の や り方 につ いて な ど分 か らな くな って きて お り,依 りど ころ とな る規 範 が求 め られ て い る。 これ に答 えて,家 訓 は 家庭 教 育 の 根 本 と して 韓 国伝 来 の家 訓 の紹 介[孫 仁 鉄 ・李 元 浩 1984],あ るい は両 班家 系 の宗 婦 に よ る 内訓 の 口述[朴 弼 述 1985]と い った 家庭 生 活 図 書 が続 続 と刊 行 さ れて い る。
19)制 度 ・身 分 と して の両 班 は 消滅 して か ら久 しい 。 しか し両 班 が もと も と法 的 な規 定 を 欠 い た 存在 で あ った た め,李 朝 時 代 か ら続 く両 班 へ の 上昇 志 向 はい ま だ に根 強 く,し か もむ しろ拡 大 す る傾 向 にあ る[吉 田 1986:420]。
20)数 字 は,LEE Hyo‑jae 1971 Urban KinshiP Relations in Korea Korean Research Center Table 6‑1pp.160か ら引用 した もの で あ る 。
国立民族学 博物館研究報告 13巻4号 (1973年 家 庭 儀礼 準 則)や 民 法 改 正(1977年)に よ って も,祖 先 祭 祀 は や は り合 理 化 さ れ る方 向 に向 か って い る。 さ らに キ リス ト教 徒 の増 加 に よ り,キ リス ト教 式 の祭 祀 へ の修 正 あ る い は伝 統 的 な 祭 祀 を 行 な わ な い とい う方 向へ の動 きが加速 され て い る。 し た が って 時 間 的 推 移 の な か で み る と祖 先 祭 祀 は全 体 と して は伝 統 的 あ り方 が厳 密 に行
なわ れ な い とい う下方 向 に収 束 して い る と いえ よ う。 そ して ま た,こ れ を 現 時点 に お い て み る と,簡 素 化 あ る い は キ リス ト教 式 へ とい う下 方 向 へ の ベ ク トル と と も に,伝 統 的 な あ り方 を さ らに順 守 しよ うとす る上 方 向 へ の ベ ク トル もあ り,価 値 観 の多 様 化 を 反 映 して 祭祀 の あ り方 の偏 差 の 幅 は拡 散 して い る と もい え よ う21》。
皿・ 都 市 アパ ー ト団地 居 住 者 の 裡 先 祭 祀 ・
1. 問 題 の 所 在
これ ま でみ て きた よ う に,韓 国 社 会 で は伝 統 的 な規 範 が急 速 な社 会 変 化 に よ って 揺 り動 か され て お り,祖 先 祭 祀 に お い て も い くつ か の 事 例 か ら様 々な変 化 の局 面 が指 摘 され て い る。 しか し,事 例 の 提 示 の み で は,そ う した 変化 の局 面 が どの 程 度 進 展 して い る の か,そ う した事 例 が社 会 一 般 の 傾 向 とい え るの か,あ る い は今 後 の 変 化 の 方 向 を示 して い るか につ いて は必 ず しも知 る こ とはで きな い。 そ こで,こ れ らの 問 題 に 接 近 し,仮 設 と して 提 示 した 全 体 的 図 式 を検 証 す る うえで も,今 日韓 国社 会 にあ って 増 加 しつつ あ る都 市 に居 住 す る 中産 層 を対 象 と して,祖 先 祭 祀 の 実 態 とそ れ に 対 す る態 度 につ い て,ア ンケ ー ト調 査 に よ り数 量 的 に把 握 して み る こ とに した22)。
中産 層 を対 象 と した の は,一 つ に は 韓 国社 会 で も 中 流意 識 ・所 得 水 準 な ど い くつ か の統 計 か ら中産 層 が国 民 全 体 の60%を 越 え て きた と いわ れ て お り,二 つ には 経 済 成 長 に と もな って成 立 した 中産 層 は,同 時 に そ の経 済 発 展 の主 た る担 い手 で もあ り,政 治 の民 主 化 を は じめ 韓 国 社会 が近 代 化 す る 中で これ か ら進 む 道 に つ い て の 意 志 決 定 の 役 割 を 果 して い くと考 え られ た か らで あ る23)。
21)価 値 観 の多 様 化 は,現 在 韓 国 社 会 で進 め られ て い る 「民 主 化 」 と も結 び付 くと考 え る 。 と 同 時 に 国民 の統 合 を め ざす 新 しい 価 値 観 の定 立 が 求 め られ て い る。
22)今 回 は数 量 的 な 把握 を 目的 と した が,今 後 は これ に加 えて 都 市 アパ ー トにお い て 祭祀 が ど の よ うに行 な わ れ て い る か参 与 観 察 が な され な け れ ば な らな い。 例 え ば,ア パ ー トに お け る祭 祀 空 間,祭 祀 の 儀 礼 な ど具 体 的 な 事 例 の分 析 によ り何 が変 わ り何 が 変 わ らな いの か を 明 らか に し, 韓 国人 の祖 先 観 に も接 近 して い か ね ば な らな い 。 ま た儒 教 によ る 「孝 」 を 具 現 化 した祖 先 祭 祀 は,生 者 へ の 「孝」 で あ る老 人扶 養 とも関 連 して考 え られ る。 これ らにつ い て は 今 後 の課 題 し た い。
23)毎 日新 聞 の イ ンタ ビュ ーに 答 えて,韓 完 相(ソ ウル大 学 社 会 科 学研 究 所 教 授)は 「韓 国の 中 産 層 を月 収40万 ウ ォ ンか ら150万 ウ ォ ン程 度 の人 々 と し,専 門管 理 職 ・新 中 産 層(ホ ワ イ トカ/
朝倉 韓国祖先祭祀 の変化 2. 調 査 の 概 要 (1)調 査 方 法
設 問 紙 を 作 成 し24),1987年8月 の1か 月 間 に 知 人 を 通 して 大 都 市 圏 で あ る ソ ウ ル 市 と そ の 近 郊(以 下,ソ ウ ル 市 と す る),お よ び 地 方 都 市 で あ る 光 州 市 の ア パ ー ト団 地 に 居 住 す る 人 に 配 布 し,回 収 し た 。 都 市 ア パ ー ト居 住 者 を 対 象 と した の は,一 つ に 彼 ら が 中 産 層 と ほ ぼ 重 な っ て く る か らで あ る25)。 韓 国 の ア パ ー トは ふ つ う25坪 く ら い の 広 さ を も っ て お り,家 賃 の 支 払 い も 「伝 貰 」 と い い 予 め か な りの 金 額 を 所 有 者 に 預 け る か 買 取 で あ り,ア パ ー トに 居 住 す る に は 一 定 の 資 金 が な け れ ば な ら な い 。 二 つ に は, 短 い 期 間 に ま と め て ア ン ケ ー トを 回 収 で き る と い う現 実 的 理 由 か らで あ る 。
ア ンケ ー トの 配 布 は,標 本 抽 出 に 問 題 が あ る と は い え,韓 国 社 会 で は こ う し た 調 査 が ま だ 広 く普 及 し て お らず,多 い 人 で50部,少 な い 人 で10部 を,ソ ウ ル 市 で は10人, 光 州 市 で は4人 の 知 人 に 依 頼 す る と い う形 を と り,ソ ウル 市 で は300部 を 配 布 し245部 を 回 収,光 州 市 で は100部 を 配 布 し84部 を 回 収 した 。
(2)調 査 対 象
配 布 し た ア ンケ ー トは,で き る だ け世 帯 主 に 記 入 し て も ら い,代 りに 記 入 す る 場 合 も 世 帯 主 の 立 場 で 記 入 して も ら う よ う指 示 を し た 。
調 査 対 象 者 に つ い て の 基 礎 的 事 項 と して は,姓 名,本 貫(氏 族 発 祥 の 地 名),年 令, 兄 弟 中 の 順 位,故 郷,世 帯 員 数,家 族 構 成(核 家 族 か 父 母 同 居 か),宗 教,学 歴,長 男 の 場 合 長 孫(宗 家 の 長 男)か,故 郷 を 離 れ た 時 代,故 郷 に 住 む 親 戚 に つ い て 質 問 した 。 そ の 結 果,次 の よ う な 属 性 を も つ 人 々 が 調 査 対 象 と な っ た(表1)。
a.年 令:40代,つ い で30代 が 多 く,両 者 を 合 わ せ る と6&7%を 占 め る。
b.長 男 か 否 か:長 男 の 割 合 は42.3%で あ り,長 男 で あ り か つ 長 孫 は 全 体 の17.9%
で あ る 。
c.世 帯 人 員:四 人 世 帯 が 最 も 多 く(3&9%)平 均 世 帯 人 員 は,4. 4人 で あ る 。
\ ラ ー)・ 旧 中産 層(中 小企 業 主 や 家 主 な ど)に 独 立 自営 農 民 と労 働 者 の一部 を加 え て 約60%が 程 度 が 中産 層 と いえ,彼 らは オ ピニ オ ン リー ダ ーで あ り,そ の社 会 的影 響 力 は70,80%に もな る」[毎 日新 聞 1987.7.5]と 述 べて い る。韓 国の 中産 層 につ いて は,[ソ ウル大 学 校 社会 科学 研 究 所:1987b]に そ の 自画 像 が 描 か れ て い る。
24)設 問紙 の作 成 に あ た って は金 良 柱 君(東 京 大 学 大 学 院 学生)に 助 言 を 得 た。 記 して 感 謝す る。
ア ンケ ー トの 質 問 事 項 は 出来 るだ け 少 な く し,選 択 肢 は3つ 程 度 に して,そ の 他 の 項 に で き る だ け記 入 して も ら うよ う に考 え た 。
25)調 査 対 象 とな った アパ ー ト団 地 は,ソ ウル 市 で は 新興 住 宅 地 で あ る江南 区,江 東 区 が 中心 で あ り,近 郊 都市 は ソ ウル市 の 衛 星 都市 で あ る果 川市 と安養 市 にあ るア パ ー ト団 地 で あ る。光 州 市 で は市 全 域 か ら8か 所 の アパ ー トが選 ばれ た 。
ソ ウル市 で の ア ンケ ー ト配 布 につ い て よ り具 体 的 に は,拙 稿[朝 倉 1988]を 参 照 され た い 。