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子供のフアンは キリスト教徒として育てられたのであった

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Academic year: 2021

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GAIDAI BIBLIOTHECA

スペイン語圏を知る本(その21)

コンチャ・ロペス・ナルバエス著 宇野和美訳

『 約 束 の 丘 』

(行路社 2001)

評者 坂東 省次

1492年と言えば、コロンブスのアメリカ大陸到 達によって広く知られるが、この年は711年に開 始したイスラム教徒のスペイン支配が、最後の牙 城グラナダ王国の陥落をもって終わりを告げた年 でもあり、また数百年にわたりスペインの文化と 経済の発展に多大の貢献をしてきたユダヤ人が、

イサベル女王とフェルナンド国王の下で、キリス ト教への改宗もしくは国外退去を迫られ、およそ 15万人にのぼるユダヤ人がスペインを去って、西 欧諸国、アフリカ、そしてオスマントルコへと旅 立った年でもある。

スペイン北部にバスク地方の首都でバスク語で ガステイスとも呼ばれる人口21万のビトリア市が ある。ここはかつてスペイン北部最大のユダヤ人 街のあった市で、15世紀には1000人のユダヤ人が 住んでいたと言われるが、「ユダヤ人追放令」に よって、1492年627日、ほとんどのユダヤ人が フランスの南部バイヨンヌに移住したのであった。

本書『約束の丘』は、バイヨンヌに移住したユダ ヤ人の子孫の間で、語りつがれてきた逸話を基に して書かれた、ユダヤ教徒とキリスト教徒のあつ い友情の物語である。

この物語は1492年3月のとある日に始まる。舞台 は、ビトリア市。そこに親子三人の家族が住んでい た。先祖代々住んでいた古都トレドからこの町に逃 げてきた両親はユダヤ教徒ではあったが、それは心 の内に秘めたこと。表面上は名前を変えて、生粋の キリスト教徒を装って生きていた。子供のフアンは キリスト教徒として育てられたのであった。

しかし、フアンは両親がユダヤ教徒であること を突如として知る日がやってきた。それはフアン にとって青天の霹靂以外の何物でもなかった。そ の日を境に自分がキリスト教徒とユダヤ教徒の いったいどちらなのか、フアンの迷いと煩悶の

日々が続くのであった。1492年331日、国王陛 下の伝令が伝えられた。「キリスト教に改宗しない ユダヤ教徒は、国内から三ヵ月以内に立ちのき、

二度ともどることのないよう、ここに命ずる。退 去しない場合は、死刑および全財産没収の刑に処 するものとする。

キリスト教とユダヤ教の選択を迫られたのは、

フアンひとりではなかった。今や、スペインに住 むすべてのユダヤ教徒に課せられた最後の選択で もあったのだ。ユダヤ教徒の毎日は一転して、不 安と苦悩に満ちたものとなったことは言うまでも ない。そんな中、ペストが発生して町中に真夏の 山火事のように広がり、ユダヤ教徒はさらなる打 撃を受けた。一刻も早く市を去らなければならな かった。しかし、ユダヤ教徒の多くは勅令の撤回 に一縷の希望を抱いて市にとどまり、ユダヤ人の 医者たちは宗派を超えてキリスト教徒の市民をペ ストから救うべく立ち上がったのである。

まもなくペストから市は救われた。ビトリアは、

喜びにわきたち、神に人々は祈った。がしかし、勅 令が撤回されることは決してなかった。627 の朝、ユダヤ人は旅立の日を迎えた。ユダヤ人街 の門のところで、キリスト教徒の一団が待ちうけ ていた。ビトリア市の代表、フアン・マルティネ ス・デ・オラベはこう言ったという。「お気持ちを お察しいたします。最後に、私たちに何かしてさ しあげられることはございませんか。私たちの感 謝の気持ちです。あのいまわしいペストのとき、 こにおいでになる先生方が身を粉にして尽くして くださったおかげで、町は救われました。このご 恩は決して忘れません。何か少しでもお役に立て ることがあれば、どうぞおっしゃってください。

このときユダヤ教徒が願い出たのは、亡き兄弟 たちの眠るユダヤ人の丘、フディスメンディの墓 所をそのまま残すことであった。両教徒の間で結 ばれたこの約束は、その後何百年もの時を超えて 守りとおされたという。かつて「ユダヤ人の丘」と 呼ばれた丘の片隅には、今、ユダヤ教とキリスト 教の和解の希望の歴史を刻む記念碑が立っている。

ばんどう しょうじ(教授・スペイン語学)

参照

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