はじめに 中世後期に俗語で書かれ︑今日に伝わるキリスト教神秘主義文学作品のうちに︑﹃シュヴェスター・カトライ﹄
︵︶と呼ばれる中高ドイツ語の対話篇がある︒十四世紀前半にストラスブールで書かれたと考えら
れ︑﹁告解の娘﹂と呼ばれる女性と︑彼女を霊的指導するドミニコ会士と見られる﹁聴罪司祭﹂とが対話を繰り返 論文要旨 十四世紀前半にストラスブールで成立したと考えられている中高ドイツ語の対話篇﹃シュヴェスター・カトライ﹄︵︶は︑ベギンと思われる在俗信徒の女性と︑ドミニコ会士と思われる聴罪司祭の二人の登場人物が︑対話を繰り返しながら︑それぞれ霊的成長を遂げ︑神との合一に達するまでの過程を描いている︒主に異端研究︑あるいは︑作品にその間接的影響が窺えるマイスター・エックハルトの受容史研究の分野で扱われて来たが︑作者不詳で︑作品中にも人名や地名︑そして歴史的出来事への言及がほぼ皆無なため︑成立の背景と作品の意図については十分に解明されていない︒本稿は︑テクストに描かれている登場人物の立場や互いの関係を検証し︑そこから読み取れることを同時代の他の歴史資料に照らしながら︑十四世紀ストラスブールにおいて教区教会からの弾圧に晒されるベギンと彼女たちを司牧するドミニコ会の密接な関係が作品の背景にあること︑そしてドミニコ会士が彼女たちを擁護しその霊性に触れることで自分たちの創設の理想を取り戻すさまを描くことに作品の意図があることを示す︒キーワード ベギン︑ドミニコ会︑民衆の霊性︑中世キリスト教神秘思想
『宗教研究』95巻1輯(2021年)
対 話 篇 ﹃ シ ュ ヴ ェ ス タ ー ・ カ ト ラ イ ﹄ 成 立 の 背 景 と 作 品 の 意 図 に つ い て の 一 考
││
十四世紀ストラスブールにおけるベギンとドミニコ会をめぐる状況から
││
菊 地 智
しながら︑それぞれが神との合一に達するまでの過程を描いている︒作者が不詳で︑作品中にも人名︑地名︑並び に歴史的出来事への言及がほぼ皆無であるため︑作品の成立した具体的な背景や作品の意図については不明な点が多い︒この作品のテクストが︑ドミニコ会神学者・説教家マイスター・エックハルト︵Meister Eckhart 一二六〇頃︱
一三二八︶の作品や関連文書││伝説や格言等のいわゆる擬エックハルト文書││と共に流布したケースが見られ
ること︑また︑今日に残されている版の中に﹁聴罪司祭﹂が﹁エックハルト﹂と呼ばれる版もあること等から︑
﹃カトライ﹄は︑エックハルトと︑彼から司牧を受けた民衆︑とりわけ在俗の女性信徒らとの交流の跡を示す作品
として扱われることが多かった 1︒また︑ベギンと思われる﹁告解の娘﹂の説く思想には大胆な神秘主義的主張が見
られることから︑この作品はベギンと関わりの深い神秘主義的異端である自由心霊派の教説を証言するテクストで
あると見なす研究者もいた 2︒しかし︑エックハルトに特徴的な語彙││﹁なぜなし﹂や︑﹁神﹂と﹁神性﹂の区別等││がいくつか含まれることを除けば︑﹃カトライ﹄にエックハルトとの直接的な思想的関係はなく︑また︑テ
クストの中には大胆な神秘主義的主張と並んで︑異端に対する警戒も同時に見られる︒それゆえ︑この作品の背景
や意図を解明するには︑これまでとは少し別の角度からアプローチしなくてはならない︒
二人の登場人物が途中で役割を交替するというこの対話篇に特有の筋││﹁聴罪司祭﹂から指導を受ける﹁娘﹂
は︑清貧を実践することによって神的真理を体験し︑やがて﹁司祭﹂の指導を離れ︑終いには﹁娘﹂の方が﹁司
祭﹂に霊的指導を授ける││並びにテクストの中に見られる聖職者を非難する文言に着目し︑ラーナーや阿部は
﹃カトライ﹄を︑聖職者に対する批判や霊的刷新を意図して書かれたと見なしている 3︒たしかにこれらの特徴的な
点に作品を理解する鍵があると思われるが︑いかなる種類の聖職者が批判され︑誰の霊的刷新が目指されているの
対話篇『シュヴェスター・カトライ』成立の背景と作品の意図についての一考
かについて︑さらに具体的な考証が必要と思われる︒テクストをよく分析するならば︑登場人物の役割交替という筋には︑在俗信徒の女性︵ベギン︶の霊性に触れることによって︑﹁聴罪司祭﹂が自分の属するドミニコ会本来の
霊性に立ち返るというストーリーが織り込まれていることが分かる︒これは︑ドミニコ会とベギンとの密な関係が
作品の背景にあることを示唆している︒また︑聖職者への批判を詳しく見ても︑この作品が批判しているのは︑ドミニコ会が︑人生での実践を伴わずに︑神や人間救済に関する学問的知識のみを追求している現状であり︑しかも
その批判は︑ドミニコ会士の﹁聴罪司祭﹂が﹁娘﹂の生き方に促されて行う自己反省であることが分かる︒
この作品の成立した十四世紀前半のストラスブールでは︑一方でベギンたちが︑時に過激な使徒的清貧の実践に よって︑司教と教区司祭から弾圧を受けており︑他方で︑ベギンの司牧に携わって来た托鉢修道会もまた︑民衆に対する司牧の権限を彼らに狭められたことを不服とする教区司祭たちから圧力をかけられていた 4︒そうした状況で
托鉢修道会とベギンとは︑運命共同体的な意識を育んでいたと考えられる︒また︑同じ頃ドミニコ会では寄進が増
大して︑創設の理想である清貧に矛盾する事態が発生していた︒さらに︑綱紀の乱れに対する改革の動きも会内にあり︑ドミニコ会士たちの中でもとりわけベギンとのかかわりが密接な者がその動きに加わっていた︒それらの点
を鑑みると︑﹃カトライ﹄はそうした歴史的状況の中︑自らの監督下で使徒的清貧を追求するベギンたちの霊性に
魅了されたドミニコ会士の誰かが︑弾圧されている彼女たちの霊性の価値を積極的に認め︑なおかつ自分たちドミニコ会の創設の理想を省みるために︑書いたとは考えられないであろうか︒本稿は︑作品のテクストを検証し︑さ
らにそこから読み取れることを︑同時代の他の歴史資料にも照らしながら︑﹃シュヴェスター・カトライ﹄が成立
した背景と作品の意図を︑以上のような観点から考察する︒
一 作品の概要 はじめに﹃カトライ﹄の概要を述べておきたい︒﹃カトライ﹄は︑上ライン地方のストラスブールで︑十四世紀
前半頃に成立したと推測されている︒これまでに発見されているこの作品を含む十七の写本のうちの七つが︑上ラ
インの方言で筆写されていること︑並びに︑この作品を含む最も古いストラスブール写本︵一八七〇年に焼失︶が︑﹃カトライ﹄をエックハルトのドイツ語説教︑論述︑格言と一緒に収録していることから︑それらと同時期に
成立したと考えられるためである││エックハルトは一三一四年頃から一三二三年頃にかけてストラスブールに滞
在し︑民衆へ向けた多くの説教を残している 5︒ この作品を含む十七の写本のうち 6︑十四世紀に制作されたと考えられる来歴不詳のミュンヘン写本に含まれる版では︑登場人物の女性が﹃ストラスブール出身︑マイスター・エックハルトの︵霊的︶娘であるシュヴェスター・
カトライ﹄︵︶と導入部で紹介されている︒しかし︑その他
の写本版では︑女性は固有名を与えられず︑単に﹁告解の娘﹂︵︶等と呼ばれる︒またミュンヘン写本版では︑女性の霊的指導者である対話相手が﹁エックハルト﹂とされているが︑同様の設定であるのは︑
もう一つパリ写本版のみであり︑その他の版では主として﹁聴罪司祭﹂︵︶とのみ呼ばれている 7︒今日この作
品が﹃シュヴェスター・カトライ﹄︵︶の題で研究者のあいだで通用しているのは︑阿部の指摘する通り︑このミュンヘン写本版が︑中世神秘思想研究の嚆矢プファイファー編集の﹃十四世紀ドイツ神秘思想テクス
ト集成﹄第二巻の﹃エックハルト作品集﹄︵一八五七年刊行︶に収録されて普及したことにおそらくよる 8︒並びに︑
対話篇『シュヴェスター・カトライ』成立の背景と作品の意図についての一考
この作品が研究者によってエックハルト受容史の観点から扱われるのが多いことにも︑プファイファー版の普及が影響を与えていると考えられる︒なお︑本稿も慣例に従い︑この作品を﹃シュヴェスター・カトライ﹄︵約して
﹃カトライ﹄︶と呼ぶが︑依拠するテクストは︑二十世紀に発見されたカールスルーエ写本版を基に︑一九八一年に
シュヴァイツァーによって編集されたものである 9︒シュヴァイツァーによれば︑写本系統から見てカールスルーエ版の方が︑ミュンヘン版よりも未発見の原本に近いと考えられるという A︒
作品には︑﹁聴罪司祭﹂とその司牧を受ける﹁告解の娘﹂との対話と︑それぞれが霊的に成長を遂げる過程とが
描かれている︵以下︑テクストへの参照の後で括弧内に示す数字は︑頁数と行数を意味する︶︒一方の﹁告解の娘﹂と呼ばれ
る女性は︑﹁聴罪司祭﹂を告解師とし︑彼から霊的指導を受けているという設定である︒実在の人物との関連や︑出自や所属については何も言われないが︑在俗に留まり清貧と宣教に身を投じるという作品に描かれる彼女の生き
方は︑研究者の多くが見なすように︑彼女が︑誓願を有する既存の修道会に属することなく宗教的生活を営んだベ
ギンであることを示唆している B︒他方の﹁聴罪司祭﹂も︑彼が﹁エックハルト﹂と呼ばれている前述の二版を除けば︑架空の人物とされているが︑ドミニコ会士として想定されているようである︒﹁娘﹂が︑二つの代表的托鉢修
道会の創設者であるドミニコとフランチェスコの二人││全編を通じてこの二人のみが固有名で言及される││の
ことを︑﹁司祭﹂に向かって﹁あなた方の聖人たち﹂と呼んでいること︵345, 7︶︑さらに︑﹁司祭﹂が﹁聖ドミニコのように生きたなら︑自分は聖ドミニコになったであろうに﹂と︑特にドミニコの名を挙げて述懐していることか ら︵344, 10‑11︶︑それは明らかである︒ ﹃カトライ﹄の英訳者ボーグスタットが︑作品を七つの場面に分けており︑それはあらすじを把握するのに分か
り易い C︒第一場面から第五場面までは︑﹁司祭﹂の指導に応じた﹁娘﹂の霊的成長が物語の中心である︒﹁娘﹂の 成長は︑罪の克服並びに諸徳の実践に始まり︵第一場面322, 1‑19︑第二場面322, 20‑323, 20︶︑外的事物︵財産︑係累︑被造物から受ける慰め等︶の放棄︵第三場面323, 21‑328, 24︶︑内的事物︵自己︶の放棄︵第四場面328, 25‑331, 14︶の段階を経て︑神との合一を体験し︑さらに︑時間のうちで肉体を有して生きながら神と合一した状態を失わ ない境地に至って終わる︵第五場面331, 15‑335, 18︶︒第六場面︵335, 19‑369, 33︶では︑霊的に完成した﹁娘﹂の方が﹁司祭﹂に多くの教えを説く︒そして︑最後の第七場面︵369, 34‑370, 27︶では︑﹁娘﹂が﹁司祭﹂に霊的完成への
道筋を示す︒
二
﹁
告解の娘﹂
と﹁
聴罪司祭﹂
の描写 ここからは︑﹃カトライ﹄成立の背景を考察するヒントとするために︑﹁告解の娘﹂と﹁聴罪司祭﹂それぞれの立場︑並びに両者の関係が窺われるテクスト箇所を検証したい︒冒頭で述べたように︑対話の進行に応じて二人の役
割が交替するという筋自体が︑両者の特殊な立場と関係とを示しているので︑以下の検証はそうした筋に沿って行う︒
﹁娘﹂は︑﹁司祭﹂の指導に││指導は︑罪の浄化や諸徳の実践を勧めるという常套から始まる││最初のうちは 従順でありながらも︑やがてそれに飽き足らなくなり︑財産︑係累︑被造物から受ける慰め等の一切を捨て去ろうとする︒﹁娘﹂は︑キリストの弟子たちのように﹁真の自発的貧﹂︵ů︶を実践したいと欲して
いるのである︒そうした﹁娘﹂と﹁司祭﹂との対立が第三場面に起こる︒
対話篇『シュヴェスター・カトライ』成立の背景と作品の意図についての一考
娘﹁私は名誉も財産も友も同胞も︑被造物から与えられ得る一切の外的な慰めも︑捨て去りたいのです︒﹂聴罪司祭﹁あなたは私のことをも捨て去りたいのか︒﹂
娘﹁はい主よ︑私が一切のものを捨て去らねばならないとしたら︑あなたをも捨て去らねばなりません︒﹂
聴罪司祭﹁そんなことを考えてはならぬ︒女にそのようなことは許されていない︒﹂娘﹁存じております︒何よりもまず男にならないかぎり︑いかなる女も天の国に入ることはけっしてできませ
ん︒このことをあなたは次のように理解なさらなくてはなりません︒女は男性的仕事を果たし︑力に満ちた男
性的心を有し︑自己自身と一切の罪障とに打ち克たなければならないということです︒﹂︵324, 18‑31︶ ﹁娘﹂と﹁司祭﹂の考えはここで女性信徒の立場をめぐって対立する︒﹁娘﹂は︑使徒的清貧に身を投ずるために
聖職者による保護監察から自由になることを女性に認めるよう求めているように見える︒しかし︑聖職者による信
徒の保護監察に性差は無関係なはずであるし︑﹁女にそのようなことは許されていない﹂という﹁司祭﹂の発言に
対する﹁女も男性的仕事を果たさなければならない﹂という﹁娘﹂の返答に着目するなら︑﹁娘﹂が真に求めているのは︑男性にのみ許されていた聖職に匹敵する女性の霊的役割であると解釈することもできる︒そのことは︑後
の第六場面で︑マグダラのマリアが大罪を克服し︑キリストに完全に従い︑さらには宣教で使徒たちに劣らぬ成果
を上げたことを﹁強い男が成し遂げることのできる一切を成し遂げた﹂と﹁娘﹂が述べていることからも窺われる
︵356, 4‑6︶︒﹁娘﹂は︑マグダラのマリアは﹁およそ女から生まれた者のうち︑彼より偉大な者はなかった﹂︵マタイ 一一︑一一︶とキリストをして言わしめた洗礼者ヨハネに劣らない人物であるとも評しているが︵352, 30f.︶︑中世に おいてマグダラのマリアは︑まさしく洗礼者ヨハネと並ぶ宣教者の模範であった D︒教会は﹁女が教えたり︑男の上
に立ったりするのを私は許さない﹂とするパウロの書簡を根拠に︵一ティモテ二︑一二︶︑女性が公で説教をしたり宣 教することを認めていなかったが︑マグダラのマリアを拠り所に女性の使徒的役割を肯定する修道女やベギンらの声も根強かったようである E︒
第三場面で結局﹁司祭﹂から送り出され清貧に赴いた﹁娘﹂は︑第四場面で聖霊に導かれて完全な貧の境地に至
り︑さらにキリストについて宣教するためにあらゆる町へ赴き︑人々から蔑まれ迫害される体験を経て︑第五場面で司祭のもとへ帰って来る︒ところが彼女はいつしか﹁司祭﹂を凌駕して霊的成長を遂げていた︒第五場面の︑
﹁娘﹂が﹁司祭﹂の境地を越えたことが示される箇所は︑次のように印象深く描かれている︒
娘﹁主よ︑神において私の告解を聴いてください︒﹂
聴罪司祭﹁あなたはどこから来たのか︒﹂娘﹁遠い国からです︒﹂
聴罪司祭﹁あなたはどこの国の者か︒﹂
娘﹁主よ︑私のことが分からないのですか︒﹂聴罪司祭﹁神にかけて︑私には分からない︒﹂
娘﹁それが分からないのは︑あなたご自身のことが一度たりともあなたに知られたことがないしるしであると
思われます︒﹂聴罪司祭﹁その通りだ︒私には分かる︒私が自分自身のことを知るべくして完全に知っていたならば︑私は一
切の被造物のことを完全に知っていたであろう︒﹂
対話篇『シュヴェスター・カトライ』成立の背景と作品の意図についての一考
娘﹁その通りです︒しかしこの話はやめましょう︒神において私の告解を聴いてください︒﹂聴罪司祭﹁喜んで聴こう︒始めなさい︒﹂︵331, 16‑29︶
霊的に成長して﹁司祭﹂のもとへ戻った﹁娘﹂を︑﹁司祭﹂は誰であるか見分けられない︒もはや被造物の境地
で自己を理解する││すなわち︑肩書︑身分︑家族等によって自己同一性を得る││のではなく︑神の主体と一つとなった者として真の自己を理解している﹁娘﹂のことを︑その境地に達したことのない﹁司祭﹂は││それゆえ
真の自己が彼には知られていないと言われる││認識できないのである︒この会話の後︑﹁司祭﹂は﹁娘﹂の告解
を聴いてその高い聖性に驚き︑他の修道士たちのところへ行って語る︒﹁或る人の告解を聴いたが︑私にはあの人
が人間なのか天使なのか分からない﹂︵331, 34‑332, 1︶︒
﹁娘﹂は自分が誰であるかを打ち明け︑彼女がかつて自分の指導した娘であることを﹁司祭﹂は知る︒さらに第
五場面の後半に︑﹁娘﹂は永遠と時間とのあいだを何度も行き来する体験をする︒時間的世界に帰ってくるたびに
彼女は﹁司祭﹂のもとに現れ︑永遠において体験したことを報告する︒真の霊的完成に至らんとする﹁娘﹂にとってのこの最後の局面は︑躁と鬱とのあいだの激しい振れにも似ている︒或るときには神と合一して忘我に陥り︑
﹁司祭﹂のところで﹁主よ︑私と一緒に喜んでください︒私は神になったのです︵︶﹂︵334, 13‑14︶︑ あるいは﹁キリストが本性からそうであるところのものを︑私は恩寵によって得ました﹂︵334, 38‑335, 1︶と告げる︒また別のときには︑再び自分自身に戻って疲弊しながら﹁もはや自分にはいかなる助けもあり得ません︒何と
いう辛いことでしょう︒天国も地上も私には狭すぎます!﹂と嘆く︵333, 25‑26︶︒ところで︑この間に﹁司祭﹂と
﹁娘﹂のあいだに交わされる次の会話に注目したい︒
聴罪司祭﹁これ﹇娘の語る︑神的な真理や霊的完成を得る体験﹈は︑すべての人間にとっては馴染みがないと
いうことを知って欲しい︒もし私が神的な知識︵︶を書物のうちに学んだ僧侶︵︶でなかったならば︑私にとっても馴染みのないことだったであろう︒﹂
娘﹁それは情けないことです︒私は︑あなたにそのことを生きて知って欲しいのです︒﹂
聴罪司祭﹁そのことなら︑私が今日ミサを挙げたことを自分で分かっているのと同じくらい︵はっきり︶分かっている︒それを生きることによって得たのではないのを私が残念に思っていることを︑あなたにも分かって
もらいたい︒﹂︵333, 34‑334, 8︶ ﹁司祭﹂は︑神的な真理について︑あるいはそれを獲得するすべについて︑﹁娘﹂がしたように体験によって知っ
たのではなく︑書物のうちに読んで学問的知識として知ったに過ぎないことを恥じている︒体験を欠いた学知に対するこうした批判が︑この架空の対話編の中で︑ドミニコ会司祭の自己反省として提出され︑しかもその反省が司
祭から霊的指導を受ける女性によって促されていることに留意されたい︒
﹁娘﹂はやがて永遠と時間とのあいだの行き来に馴れ︑完全性に至る︒その境地は︑﹁娘﹂が神のうちに﹁確立された﹂︵︶と表現される︒時間のうちで肉体と共に生きる身でありながら︑既に永遠のうちに常住するという
意味である︒被造物と関わりつつ︑神との合一がもはや失われることも損なわれることもない境地を指す︒いわ
ば︑神人イエス・キリストに従う生き方が完成した状態であると言える︒そこで﹁司祭﹂は︑﹁娘﹂が自分を凌駕して霊的成長を遂げたことを認め︑永遠の浄福に至る手立てについて﹁娘﹂に教えを請う︒このとき﹁司祭﹂と
﹁娘﹂のあいだで役割が入れ替わるのである︒
対話篇『シュヴェスター・カトライ』成立の背景と作品の意図についての一考
そして第六場面で﹁娘﹂が﹁司祭﹂に様々な教えを説くが︑﹁司祭﹂は︑自分と異なり︑﹁娘﹂が神的真理を﹁生きている﹂のを目の当たりにし︑次のように述懐する︒
聴罪司祭﹁もし私が聖ドミニコのように生きたならば︑自分は聖ドミニコ︵のような人間︶になったであろう
に︒聖ドミニコは自分の書物と︑自分が所有していた一切とを売り払い︑それを神のために貧しい人々へ与えた︒愛する娘よ︑そうしたことや︑聖ドミニコが行った多くの徳を︑我々は行っていない︒それゆえ我々は︑
我々のままに留まっている︒我々は偉大な僧侶になろうとしているのに︑︵実のところ︶彼﹇ドミニコ﹈のよ
うに生きてはいないのだ﹂︵344, 10‑17︶︒ ﹁司祭﹂はここでは︑自らの修道会の創設者がなしたようには清貧を実践していないことを反省している︒﹁司祭﹂は︑ドミニコの実践した清貧のうちに﹁書物を捨て去ること﹂も殊更挙げていることから︑清貧から自らが乖
離していることと︑上で見た︑自分が学問的知識にのみかかずらい︑神的真理を生きて体験せずにいることとを︑
結び付けて理解しているように見受けられる︒
第六場面で﹁娘﹂はさらにマグダラのマリアの人生について長く物語る︒既に見たように︑マリアはキリストに
従った生き方において使徒たちにも劣らぬ達成を遂げたにもかかわらず︑一切を無であると悟って森の﹁孤独﹂
︵︶に赴き︑そこで神と最も親密に交わったと︑﹁娘﹂は述べる︒その際の次の発言が注目に値する︒娘﹁森の中では誰がいったい彼女の告解を聞いたでしょうか︒誰に彼女は従ったでしょうか︒そして誰が彼女
に神のご聖体を授け︑あるいは何が彼女に慰めを与えたでしょうか︒﹂
聴罪司祭﹁神が!﹂
娘﹁その通りです︒彼女は神を神から受け取りました︒そこで彼女は︵神と︶合一され︑確立されたのです
︵︶︒﹂︵356, 38‑44︶ ﹁娘﹂のこの発言は︑一切を捨て去った清貧に生きるためには指導司祭をも離れるべきであるとする上で見た発
言からさらに進み︑秘跡の授与によって神と信徒とのあいだを媒介する聖職者の役割に限界があることを示唆して
いる︒﹁確立された﹂という表現は︑上述のように︑時間のうちで身体と共に生きながらも同時に永遠のうちで神と一つに留まる境地に達したことを指すが︑その局面では︑聖職者は信徒を神へと導く役割を神自身に譲らなくて
はならない︑としているのである︒この考えは次節で論ずるように︑ストラスブール司教により審問されたベギン
に帰せられる反教会的教説に関連している︒
﹁娘﹂が﹁司祭﹂に向かって延々と教えを述べ続けるうち︑第六場面の終わりに︑﹁司祭﹂は忘我の境地に陥り︑再び生気付くまで長いこと僧房の中で臥せっていなくてはならなくなる︒そして最後の第七場面では︑そこから快
復した﹁司祭﹂が︑いましがたの忘我の境地のうちに長く留まれるように助けて欲しいと﹁娘﹂に頼む︒﹁司祭﹂
に対して﹁娘﹂は︑彼がまだそれに対して備えられていないと教える︒そのためには︑魂が﹁上ったり下りたり﹂することに馴れなくてはならない︒すなわち﹁娘﹂自身が第五場面でしたように︑彼もまた︑神人合一への上昇と
時間的世界への帰還とを︑何度か繰り返さなくてはならない︒魂の頻繁な上昇と下降とによって初めて﹁司祭﹂は
﹁確立される﹂であろう︑と﹁娘﹂が霊的完成に至る道筋を﹁司祭﹂に示したところで︑この対話篇は終わる︒
対話篇『シュヴェスター・カトライ』成立の背景と作品の意図についての一考
三
﹁
告解の娘﹂
と﹁
聴罪司祭﹂
の描写に窺われるベギンとドミニコ会の関係 ここまで︑﹁告解の娘﹂と﹁聴罪司祭﹂それぞれの立場︑並びに両者の関係が窺われるテクスト箇所を検証したが︑以下︑そこから得た観察を同時代の他の幾つかの史料に照らしながら︑﹃カトライ﹄成立の背景について考察したい︒
まず作品の大筋を振り返ると次の通りである︒﹁告解の娘﹂は︑完全な清貧に生きるために︑その指導下に置か
れるべき﹁聴罪司祭﹂を一時離れる︒やがて神との合一に達して﹁司祭﹂のもとへ戻ると︑永遠と時間のあいだを
さらに何度も行き来し︑そのたびにその体験を彼に報告する︒そして自らが霊的完成に至った後は︑﹁司祭﹂を自分が到達したのと同じ完成へと導く︒見方を変えると︑自らの司牧の領分を越えるようなベギンの霊性の高さがド
ミニコ会士の司祭としての権能によって承認され︑ドミニコ会士の霊性がベギンによって補完されるという︑承認
と補完の関係が︑この作品のいわば中心構造であると言うことができる︒
﹃カトライ﹄に見られる登場人物のこうした関係構造は︑研究者らによって指摘されている通り︑﹃カトライ﹄と
おそらく共通するコンテクストで成立し︑同じプファイファー編﹃十四世紀ドイツ神秘思想テクスト集成﹄に収録
されている﹃エックハルトの娘﹄︵︶と呼ばれる短い伝説に見られるそれに類似している F︒この伝説は︑無名の﹁娘﹂︵︶がドミニコ会修道院を訪れ︑﹁エックハルト﹂と問答をし︑﹁娘﹂の高い聖性に
打たれた﹁エックハルト﹂が︑彼の弟子たちにその出会いの驚異を伝える︑というのものである︒﹁娘﹂が﹁誰で
もない者﹂と名乗り︑いわば被造的自己同一性を捨て去った存在として自分を紹介していることばかりでなく︑そ
のような﹁娘﹂の聖性がドミニコ会士によって承認され︑さらにそうして承認された霊性がドミニコ会の霊性を
︵再︶覚醒させるという筋書きが︑﹃カトライ﹄に共通している︒同時期︑同時代に成立したこうした二つの作品は︑ドミニコ会士たちと女性信徒たち︵ベギンたち︶とのあいだに︑このような承認と補完の関係の見られる状況が︑
当時実際に存在していたことを想像させる︒
ここで︑冒頭でもすでに簡単に示した︑﹃カトライ﹄の成立した時期のストラスブールにおけるベギンと托鉢修道会をめぐる状況に目を向けたい G︒十三世紀以来︑ストラスブールはケルンと並びベギンたちの一大拠点であっ
た︒早いうちから托鉢修道会が彼女たちの司牧に携わっていたが︑教会の認可を受けずに宗教的生活を営む彼女た
ちは︑教区教会からはしばしば懐疑の目を向けられていた︒そのような中︑一三一七年から一九年にかけて︑ベギ
ンに対する大規模な迫害が起こる︒ストラスブール司教ヨハネス一世が︑一三一七年に反教会的思想を有する信徒らを異端審問にかけてその誤りを正し︑従わない者は破門すると通告した︒その際には︑フランシスコ会第三会︑
教会に従順な﹁善き﹂ベギンたち︑並びに托鉢修道会の監督のもとにある者たちを除くとしたが︑一三一九年に
は︑司教は一切のベギンを善し悪しの区別なく禁じる命を下した︒この時期に︑多くのベギンたちがストラスブールを逃れるか︑従わずに世俗の司直の手に渡されたと言われる︒その間︑ストラスブールでベギンを監督する托鉢
修道会の権限もまた教区教会によって狭められようとした︒当地の民衆司牧の権限をめぐって︑托鉢修道会と教区
教会とは十三世紀以来対立関係にあったが︑司教は一三一九年︑托鉢修道会に対して︑ベギンを保護せず教区教会に戻すよう要請する︒結局︑托鉢修道会が︑ベギンを含む彼らの監督下にある人々に︑その告解を聞いて罰を科
し︑赦しの秘跡を与えることは譲歩して認められたが︑教区司祭と托鉢修道会とのあいだの不和はさらに拡大する
対話篇『シュヴェスター・カトライ』成立の背景と作品の意図についての一考
こととなった︒そうしたストラスブール教区教会からの圧力下で︑ベギンと托鉢修道会とは︑単なる被保護者・保護者関係を越えた︑運命共同体的な絆を強めたのではないだろうか H︒﹃カトライ﹄が描く﹁司祭﹂と﹁娘﹂の承認
と補完の関係は︑それに関連した状況を映し出しているように思われる︒それをもう少し具体的に考察したい︒
まず︑﹃カトライ﹄における﹁娘﹂が﹁司祭﹂によって承認を受ける局面は︑ベギンと托鉢修道会のいかなる関係を映し出しているであろうか︒﹃カトライ﹄の中で﹁娘﹂が﹁司祭﹂から承認されるのは︑﹁娘﹂が﹁司祭﹂の司
牧を離れてキリストにのみ従い︑それによって﹁司祭﹂を越えて霊的に成長し︑神と合一する場面においてである︒
その際に﹁娘﹂は︑﹁私は神になったのです﹂といった︑あるいは︑媒介者としての聖職者によらず神から直接に
聖体や霊的指導を受け︑神にのみ従わなくてはならないといった︑大胆な発言をしていた︒これらは︑一三一七年に信徒らを異端審問しようとした際にストラスブール司教が取り上げた︑信徒のあいだの反教会的教説のうちの幾
つかと響きが似ている︒すなわち︑人間が本性から神になることができるといった極端な神秘主義的教説や︑善き
信徒には聖体を授けることができるといった︑神と信徒との媒介としての司祭の役割を不要とする教説である I︒ ところで︑彼らがそうした教説を唱えていると教会側から指摘されていながら︑ラーナーによれば︑自由心霊派 やベギンたちが破戒的放縦によって実際に訴えられた記録は残されてはおらず J︑それらの教説は採取した教会側に
よって潤色されている可能性がある︒その頃に活動したベギンと言われる北フランスのマルグリート・ポレート
︵Marguerite Porete 一三一〇没︶が異端排斥されたのも︑そうしたケースを示唆している︒教会の審問官らによって
その著作﹃単純な魂の鏡﹄︵︶の中から文言を抜き出され審査を受けているが︑そのうち
の一つ︑﹁自己を捨て去った魂は︑徳への隷属から解放される﹂という教説は︑﹃鏡﹄のテクストの文脈では︑徳を
外的強制によらず内面化することを述べているのであり︑それにもかかわらず断片的に引用されたことで無律法主 義的と見なされた K︒こうした事例から︑ベギンの教説についてバイアスのかかった不正確な情報が扱われ︑異端性の軽微な教説まで曲解され︑一緒くたに殲滅されていった状況が窺われる︒﹃カトライ﹄の﹁娘﹂が述べる﹁私は
神になったのです﹂という発言も︑近年研究者が示唆する通り︑自由心霊派の言説に特徴的と言われる神と人間と
の本性的一致を説くのではなく︑それが﹁キリストが本性からそうであるところのものを︑私は恩寵によって得ました﹂と言い換えられていることにも示されているように︑本性によってではなく恩寵によって信徒が神の子性に
与ることを説く︑キリスト教に伝統的な﹁神化﹂の教義に則った主張として理解すべきものである L︒また︑﹁娘﹂は
﹁司祭﹂による司牧を離れて︑神との一対一の交わりを追求するとは言え︑教会位階制度への不服従を訴えたり︑
無律法主義を唱えたりしているわけではない︒むしろ﹃カトライ﹄は︑﹁娘﹂に︑神のうちでは一切が区別なく存在するゆえ︑欲することは何をしてもよいといった教説を︑異端的であるとして退けさせている︵348, 26‑349, 7︶︒
作品のこうした配慮には︑ベギンの思想から教会の立場に抵触するものを取り除く意図が窺われる︒ベギンたちと
日頃から接していて︑実際には様々な立場が彼女たちのあいだに見られることを熟知していた托鉢修道会士たちの中には︑彼女たちの善き教説が誤解によって葬られることを惜しみ︑それを残そうとする動きが存在したのではな
いだろうか︒﹃カトライ﹄は︑そうした動きの文学的結実であるか︑あるいは彼女たちへの﹁反教会的﹂というレ
ッテル貼りに対する反論であった可能性がある︒ちなみに︑﹃カトライ﹄が教会から排斥された記録はなく M︑このことは︑作品が教会の警戒を解くことに成功したか︑もしくは教会の目に付かないように流布したか︑そのどちら
かを意味するかもしれない︒
対話篇『シュヴェスター・カトライ』成立の背景と作品の意図についての一考
ついで︑﹃カトライ﹄における﹁聴罪司祭﹂の霊性が﹁告解の娘﹂によって補完される局面は︑ストラスブールにおけるベギンと托鉢修道会の置かれたどのような状況を映し出しているか考えたい︒﹃カトライ﹄では︑ドミニ
コ会司祭である﹁聴罪司祭﹂が︑キリストに従って清貧に生き︑神的真理を体験によって得る﹁告解の娘﹂すなわ
ちベギンの生き方に触れることによって︑彼女の司牧者として彼女のそうした生き方を承認するばかりでなく︑そこに自分たちの修道会の創設者が掲げて実践した理想との共通性を見出し︑それを達成できていない自らの現状を
省み︑最後には進んで﹁娘﹂の霊的指導に身を委ねている︒この描写は︑ドミニコ会が教区教会と対立するに至っ
た流れと︑それによって生じたことが推測されるところのドミニコ会内部の改革精神にリンクしていると思われ
る︒
一二一六年にドミニコ会が設立され教皇によって認可されたのは︑使徒的清貧の理想を掲げて教会から逸脱する
民衆の宗教運動︑とりわけ南フランスのカタリ派に対処するためであった︒一二二三年に設立されたフランチェス
コ会と並んで︑ドミニコ会は︑既存の修道会のように所領を持つことなく︑信徒からの寄進によって会の活動を維持し︑民衆の理想と同じ使徒的清貧を持すことで彼らと対等に交わることを︑設立の趣旨の一つとした︒加えて︑
﹁説教者修道会﹂を正式名称とするように︑ドミニコ会は民衆への説教をもう一つの設立趣旨とした︒すなわち︑
神学的訓練によってキリスト教教義に関する知識を培い︑それをもって説教に取り組み││彼らにとって学問とはそのためのものである││民衆を救いへ導き︑異端をすべからく正統信仰へと改宗させることを目指したのであ
る N︒そのような目的に従い︑ドミニコ会はヨーロッパ各地に活動を広げたが︑民衆の宗教運動の特に盛んな都市ス
トラスブールでは︑誓願によってドミニコ会に帰依する女性信徒が増え︑それに伴い修道会への不動産の寄進も増
大する︒帰依を望みながら裕福ではないためにドミニコ会に寄進できない女性信徒の多くは︑ベギンとして在俗に
留まり︑修道会の周辺に共同体︵ベギンホフ︶を形成して修道会から司牧を受けながら自活したという︒ドミニコ会にとって寄進の増大はしかし︑一方でそれによって財源を奪われる形となった教区教会との対立の大きな原因と
なったが O︑他方で︑設立の趣旨である清貧との矛盾という︑修道会が内部に抱える問題ともなったはずである︒そ
のような状況下︑自分たちの周辺で︑自分たちの失った清貧を実践するベギンたちの霊性に触れ︑それによって創設の理想を取り戻したいと願うドミニコ会士らが︑修道会内部に一定数存在したのではないだろうか︒実際︑一三
一〇年代から二〇年代にかけて︑ドミニコ会の綱紀の乱れを憂える改革派が修道会内部に存在したことが知られて
いるが︑この改革派に属するエックハルトに対抗する勢力からの内部告発が︑彼に対する異端審問の発端となった
とされる P︒そして香田によれば︑ストラスブールやケルンにおける司牧の場面で密接に触れるベギンをはじめとする女性信徒の霊性に彼が理解を寄せていたことが︑ドミニコ会からエックハルトを排除しようとした勢力の不満の 種であった Q︒エックハルトの他に改革派に加わっていたと言われるヨハネス・タウラー︵Johannes Tauler 一三〇〇 頃︱一三六一︶やハインリヒ・ゾイゼ︵Heinrich Seuse 一二九五頃︱一三六六︶︑また︑エックハルトの審問に先立って巡察使として教皇から派遣されてエックハルトに好意的な評価を下したニコラウス・フォン・シュトラスブルク
︵Nikolaus von Strassburg 十四世紀︶らのドミニコ会士が︑いずれも女性信徒への説教の場で活躍していたことも注目 に値する R︒こうしたことは︑修道会の内部改革を肯う精神と︑司牧対象である女性信徒の敬虔に対する共感とが結び付いている事例が︑ドミニコ会士たちのあいだに多く見られたことを示唆している︒ベギンに向かって説教で清
貧を説きながら︑自らは清貧を実践してはいない現状︑言い換えると︑人間の救いに関する生きた知識を伴わず
対話篇『シュヴェスター・カトライ』成立の背景と作品の意図についての一考
に︑学識のみを追求している現状を︑﹁娘﹂の生き方に照らして反省する﹁聴罪司祭﹂を描く﹃カトライ﹄は︑まさしくこうした事例の存在を︑架空の文学作品のかたちで証言しているのではないだろうか︒
結論に代えて
││ 誰が何のために書いたのか ││
本稿はここまで﹃カトライ﹄の成立背景の解明を試みたが︑不明の著者がどのような立場の人物であり︑この作
品を誰のために︑何のために書いたのか︑という問題を︑最後に考察して結論に代えたい︒
作品には︑読者を霊的完成へ導く修徳的機能や S︑在俗信徒の敬虔を擁護する意図が見られるものの︑﹃カトライ﹄の著者がベギン自身であるとは考えづらい︒ベギンの生活は托鉢修道会の監督下にあったのであれば︑ベギンによ
って書かれるテクストも托鉢修道会士の目に触れたはずであり︑自分たちの監督者を凌駕する筋の作品を著すこと
は︑ベギンであればためらったと思われるからである︒むしろ︑これまで見てきたことに鑑みると︑ベギンを司牧
するストラスブールのドミニコ会士が書いたと推測する方が妥当であるように思われる︒ベギンや修道女の聖性を記録する中世後期の伝記︵︶の多くが托鉢修道会士によって書かれている事実からすれば︑それは決してあり
得ないことではない T︒彼はそれをしかし︑自分たちと対立する教区教会に向けて︑ベギンたちを弁護するために書
いたのではないであろう︒そうであれば︑自らの失態を晒すかのようにベギンたちを自分たちのコントロールを越えた存在として描きはしなかったであろうし︑聖職者を読者に想定するなら使用言語はラテン語であったはずであ
る︒むしろ彼は︑いまや教区教会による殲滅の脅威に晒される中でベギンたちが在俗でありながら守ろうとしてい
るキリスト中心主義的霊性を敬意を込めて承認し︑さらには自分たちが失った創設の理想に通ずるそれを取り戻す
べく︑彼女たちのために︑そして自分たちドミニコ会士らのために︑﹃カトライ﹄を書いたのではないだろうか U︒
もとよりこれは仮説であるが︑少なくとも︑教会行政にかかわる公文書には残されることのない︑托鉢修道会とベギンとのあいだに存在したであろう霊的かつ私的な交流の跡を︑こうした文学作品の行間から読み取ることは︑当
時の霊性にアプローチするために無駄ではあるまい︒
注︵
︵ , ed. Jeremiah M. Hackett (Leiden, Brill, 2013), pp. 509‑551. Dagmar Gottschall, Eckhart and the Vernacular Tradition: Pseudo-Eckhart and Eckhart Legends, in “”は︑次を参照︒ 四二︱二四五頁︒擬エックハルト文書の流布というより広範な文脈から﹃カトライ﹄とエックハルトの関係を扱う研究として 関係学部編﹄七号︑二〇〇六年︶︑一︱七頁︒香田芳樹﹃マイスター・エックハルト││生涯と著作﹄創文社︑二〇一一年︑二 1︶中川憲次﹁エックハルトとベギンの神秘主義の比較││シュヴェスター・カトライを手懸りに﹂︵﹃福岡女学院大学紀要人間
︵ Press, 2007), pp. 213‑221. E. Lerner, , 3rd ed. (Notre Dame, IL, University of Notre Dame Cf. Gordon Leff, (Manchester, Manchester University Press, 1967), pp. 401‑404; Robert 2︶
︵ 稲田大学ヨーロッパ中世・ルネサンス研究所編﹃別冊エクフラシス﹄二〇一四年︶︑八二︱八四頁︒ Lerner, , p. 220.3︶阿部善彦﹁マイスター・エックハルトの霊的姉妹カトライ││研究と試訳﹂︵早
︵ , 30, Heft 2 (Köln, Böhlau, 1974), S. 56‑198.” , pp. 85‑105Alexander Patschovsky, “を参照︒より詳しくは Lerner, 4︶十四世紀ストラスブールにおけるベギンの状況と︑ベギンの司牧をめぐる托鉢修道会と教区教会との対立については Franz-Josef Schweitzer, 5“︶
”“”
(Frankfurt, Peter Lang, 1981), S. 194‑195.
対話篇『シュヴェスター・カトライ』成立の背景と作品の意図についての一考
︵
︵ 頁︶︒ ﹁マイスター・エックハルトの霊的姉妹カトライ﹂七三頁︑注6︶︑作品の受容について有益な考察をしている︵同七四︱七九 Schweitzer, , S. 304‑3096︶一七の写本の制作年代や保管場所についてはを参照︒阿部がそれを一覧にし︵阿部
︵ Schweitzer, , S. 378‑379.7︶
︵ 475.阿部﹁マイスター・エックハルトの霊的姉妹カトライ﹂︑七四︱七八頁参照︒ Franz Pfeiffer, , Bd. 2, Abteilung 1 (Leipzig, Göschen, 1857), S. 448‑8︶
︵ , S. 322‑370に収録されている︒ Schweitzer, 9︶カールスルーエ版をもとにシュヴァイツァーによって編集された﹃カトライ﹄のテクスト本文は
︵ 10 , S. 312.︶
︵ Lerner, , pp. 35‑60.二四三︱二四四頁︒ベギン運動の概要については York, Herder & Herder, 2005), p. 344.中川﹁エックハルトとベギンの神秘主義の比較﹂︑香田﹃マイスター・エックハルト﹄︑ 11 Bernard McGinn, (‑), vol. 4 (New ︶
︵ Bernard McGinn (New York, Paulist, 1986), pp. 347‑387. 12 Elvira Borgstädt, trans., Appendix: The Sister Catherine Treatise, in , ed. “‘’”︶ Katherine Ludwig Jansen, ライ﹄の背景を考えるうえで興味深い︒中世におけるマグダラのマリア像の成立と流布について詳しくは次の文献を参照︒ 洗礼者ヨハネとも並び称される使徒職の模範とされた︒しかも︑説教者修道会ドミニコ会の守護聖人でもあったことは︑﹃カト 二〇︑一一︱一八︶︒それゆえ彼女は﹁使徒たちの使徒﹂︵︶と呼ばれ︑荒野でキリストの出現を予告した 形成されたのは︑彼女がキリストの復活を最初に目撃し︑それを使徒たちに告げ知らせたという福音書の記述にちなむ︵ヨハネ 宣教し︑多くの人々をキリスト教に改宗させた後︑荒野に赴いて亡くなるまで隠修士として暮らしたという︒そのような伝説が 13 ︶中世カトリック世界で流布した伝説によれば︑マグダラのマリアはキリストの昇天後︑現在の南仏に渡ってキリストの復活を
(Princeton, NJ, Princeton University Press, 2000).︵
Caroline Walker Bynum, の例については次を参照︒ 14 Susan Haskins, (New York, Reverhead, 1993), ch. 3.︶中世の女性による使徒職実践
(Berkeley, University of California Press, 1982), ch. 5.
︵
︵ nacular Tradition, p. 544.” texte, 34 (1909), S. 378; Gottschall, Eckhart and the Ver-”“ 15 69, Pfeiffer, 2, S. 625. Ex., Adolf Spamer, “Zur Überlieferung der Pfeifferschen Eckehart-︶
︵ 16 ︶詳しくは注︵4︶に挙げた文献を見よ︒
︵ の情緒的な交流について明らかにできることは少ない︒ 両者の関係を具体的に記録する史料は︑寄進やベギンホフ建設などに関する公文書にほぼ限られており︑そこから両者のあいだ (California, Stanford University, 1941), pp. 219‑225.もっとも︑ 17 Dayton Phillips, ︶ストラスブールにおけるベギンと托鉢修道会との密接な関係については︑次を参照︒
︵ 18 Lerner, , pp. 85‑91.︶
︵ 19 , pp. 239‑240.︶
︵ Cressonessart (1309‑1310), 81 (1986), pp. 50‑51.”’ 20 Paul Verdeyen, “Le procès d’inquisition contre Marguerite Porete et Guiard de ︶告発されたポレートの教説は次を参照︒
︵ 21 McGinn, , p. 345.︶阿部﹁マイスター・エックハルトの霊的姉妹カトライ﹂︑八〇︱八二頁︒
︵ 22 McGinn, , p. 344.︶
︵ (Freiburg i. Br., Eberhard Alberd, 1968), S. 61. Cf. Eugen Hillenbrand, 参照︒ドミニコ会における学問の本来の意義については︑次を参照︒ 23 ︶ドミニコ会の設立趣旨については︑上田閑照﹃エックハルト││異端と正統の間で﹄︵講談社︑一九九八年︶︑三二︱三六頁を
︵ 24 ︶香田﹃マイスター・エックハルト﹄︑二一五︱二一八頁︒
︵ ningh, 1988), S. 66. 25 Winfried Trusen, (Paderborn, Ferdinand Schö-︶
︵ 26 ︶香田﹃マイスター・エックハルト﹄︑二八八頁︒ ed. Jeremiah M. Hackett (Leiden, Brill, 2013), pp. 415‑443. of Women’s Spirituality in the Context of the ‘Free Spirit’ and Marguerite Porete,” in , Lydia Wegener, “Eckhart and the World これまでの研究を挙げながらこのテーマについて扱っているので︑参照されたい︒ 27 ︶ここに名前を挙げた十四世紀のドミニコ会士たちの女性信徒への説教活動については多くの文献があるが︑次の近年の論考が
対話篇『シュヴェスター・カトライ』成立の背景と作品の意図についての一考
︵
︵ エックハルトの霊的姉妹カトライ﹂︑七四︱七九頁︒ 28 ︶﹃カトライ﹄が後に各地の修道院でその修徳的機能ゆえに受容された経緯を︑阿部が明らかにしている︒阿部﹁マイスター・
︵ 29 Cf. Jansen, , p. 126.︶ Cf. ない霊的美徳を︑司牧対象である彼女らの人生に託して称揚するためであったと考えられる︒ 30 ︶ヤンセンによれば︑托鉢修道会士がベギンや修道女らの伝記を多く残したのも︑教会行政や司牧に追われて自分たちには果せ
付記
本稿は︑草稿の段階で東京大学大学院博士課程の熊谷友里さんから論旨に関して適切な助言を受けた︒感謝を申し上げたい︒
The Spiritual Dialogue
A Testimony of the Close Relation between Beguines and Dominicans in Fourteenth-Century Strasbourg
K
IKUCHISatoshi
This contribution discusses the historical background of the dialogue-text, , written in Middle High German in the early fourteenth century in Strasbourg. The fictive dialogue presents a long conversation between the two central characters―a lay woman who is probably a beguine, and a Dominican priest who gives her spiritual direction―and their spiritual growth until their arrival at the union with God. Due to its bold mystical character, this text has been studied mainly within the scholarship on medieval heretics (especially the so-called “Free Spirits”) and on Meister Eckhart’s reception in folk religious literature. However, given that this anonymous text makes almost no reference to any proper names nor historical events, little is known about the origins of this text.
This paper analyzes the descriptions of the two figures in the dialogue, and, by looking at a number of historical sources, attempts to discover a link between those descriptions and the beguine movement in fourteenth- century Strasbourg under the persecution by the church authorities of the city. It is within this context that the paper also examines how the Dominicans tried to defend the legitimacy of this lay spiritual movement and, by so doing, to retrieve the founding ideals of their own order.