淀川学公開シンポジウム 大阪の川の変遷と今日 Vicissitude of the river in Osaka and today s issue 水の都と呼ばれた大阪の川の成り立ち 多様な川の役割と人々との関わり 近代化と川の変化 今日の状況と課題 技術と環境教育の役割 について考えて見たい 大

全文

(1)

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    大阪の川の変遷と今日 大阪の川の変遷と今日

Vicissitude of the river in Osaka and today’s issue

水の都と呼ばれた大阪の川の成り立ち 水の都と呼ばれた大阪の川の成り立ち 多様な川の役割と人々との関わり 多様な川の役割と人々との関わり 近代化と川の変化

近代化と川の変化 今日の状況と課題 今日の状況と課題 技術と環境教育の役割 技術と環境教育の役割  

について考えて見たい。について考えて見たい。

   大阪は橋で覚えた町の位置 不知詠人        タツタ環境分析センター 土永恒彌

 淀川学公開シンポジウム淀川学公開シンポジウム

2 (社)農業農村整備情報総合センターのHP

出典:淀川農業水利史近畿農政局

淀川と河内の川の成り立ちと水 淀川と河内の川の成り立ちと水

河内湖の時代

水信仰

水信仰 水と祭祀、導水埴輪文献18],19]

3

    

  池溝の開発と水耕農業

 4世紀中庸から7世紀末までの古墳時代大和、河内を中心 に行われた。

 垂仁35年:河内の国高石池、茅淳池築造 4C中               

 応神7年:渡来人来朝し、竹内宿禰の命で池を築造        韓人池と呼ばれた。      5C  仁徳11年:茨田の堤築造、12年:山城大溝築

 仁徳14年:感玖の大溝築。この時期仁徳帝により行われた とされている工事は年代推定によると1世紀の開きがある。

  すべて仁徳帝の事業とする所謂始祖伝説始祖伝説である。

 推古15年:高市池、山背大溝、河内に依綱池7C初 31年、34年:長雨で洪水

4

山林伐採と洪水 都の造営と開発 山林伐採と洪水 都の造営と開発

天武5年:山野の木材伐採を禁止。7C 山林伐採による洪水の被害が頻発した。

朝廷は再三にわたってこれを禁じている。(類聚三代格)

源流の森林保全は古くから認識されていた。

 築堤と農地の拡大、堤防管理の頽破と洪水築堤と農地の拡大、堤防管理の頽破と洪水

8世紀〜9世紀:畿内で洪水頻発

延暦3年(785):河内の国洪水、茨田堤決壊 延暦4年(786):河内の国洪水、堤防30箇所決壊 大同元年(806):河内・摂津の堤築

嘉祥元年(848):畿内の洪水、人畜の荒損多           茨田堤築(補修?)

近世淀川と大和川の治水 近世淀川と大和川の治水

淀川の洪水は今日まで250回を超えるといわ れている。1802(享和2)年の淀川大洪水の 被害が大きかった。東は生駒山脈のふもとか ら南は大阪市平野区付近まで浸水した。

明治大洪水(1885年、明治18)は枚方市伊 賀地先が決壊し、さらに下流の淀川南岸の堤 防が決壊し、府下の北・中河内群、東成群の 113町が水没した。

大阪の町と掘割

1496 (明応5) 蓮如石山御坊建立、寺内町

1532 (天文元年) 蓮如山科から本願寺を移す    石山本願寺寺内町、数千軒の町屋があった 1583 (天正11年) 豊臣秀吉大阪城を建設 1583 (天正11年) 東横堀川開削

15981600(慶長35) 西横堀川、阿波堀川 1615〜1617(元和元〜3)道頓堀川、江戸堀川

     京町堀川

    〜1735      合計14の堀川が開削された 下水溝を背割線として宅地割が行われた。

      (背割下水=太閤下水)

(2)

7

⇐大阪の掘割大阪の掘割 文献25]

背割り下水⇒

背割り下水⇒

大阪市下水道局資料

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   大阪の川と人々の暮らし 八百八橋と大阪の堀割⇒多様な役割

灌漑 番水と香版、水論

舟運 剣先船、古代の舟、三十石舟 生活 洗濯

上水 水屋→水がめ、大阪の井戸 排水 背割り下水

水車 石切の水車

文化 心中天の網島、近松、西鶴 娯楽 野崎参り、水遊び、雑魚取 景観 浪花百景

9

大坂の水

大坂は井水塩気を帯ぶ。俗に是をかなけかなけと云う。鉄気なり。

貯井水、鉄錆に似たる一物浮かび、飲食の用にならず。故 に必ず河水を汲み運び河水を汲み運びてて飲食の用飲食の用とす。

大坂の厨(くりや)には必ず二瓶二瓶を並べ置く。

河井の水を別つ

河井の水を別つ故なり。河水の瓶には蓋あり、井水の瓶に は無蓋なり。瓶、坂俗その形と大小を択ばず、つぼと云う。

井水は諸物を洗ひ浄む等の雑用とするのみ。河水は毎朝専 ら僮僕に命じ、これを汲みて飲食の用とす。

しかれども、江戸のごとく樋をふせず。官令なきをもって、

船舟および種々の汚穢なきにあらずといえども、坂人は馴 れて特に厭わず。

また、僮僕なきは、雇銭をもってこれを汲ましむ。その夫その夫 を水屋と云う

を水屋と云う。担ぎ桶江戸とあらあら相似たり。

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道頓堀角座

道頓堀角座 四つつ橋 長堀石浜長堀石浜 浪花百景に描かれた川の風景 

浪花百景に描かれた川の風景 文献文献20]

11

石切の水車 石切の水車

雑魚取り 雑魚取り文献文献21]

河内平野 河内平野

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心中天網島 文献22]

道中名残りの橋づくし

女殺油地獄 女殺油地獄 野崎参り 野崎参り文献文献21]

近松文学と大阪の川 近松文学と大阪の川

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大阪の川の

大阪の川の100100年、衛生研究所年、衛生研究所100周年100周年

○大阪市立環境科学研究所創立100周年を迎えた。

○大阪市内河川の水質調査は1904年から始められている。

○大阪市立衛生試験所の北豊吉所長が調査結果を「大阪市内河流 汚染ニ就テ」と題して日本衛生学会雑誌に報告した。

○淀川の塩化物イオンは4.2mg/ L、アンモニア性窒素は.04mg/L で市内でも塩化物イオンは10.0mg/L程度で当時の河川の清澄 さを知ることが出来る。

○英、仏の河川と比較し、数倍清澄と述べている。

○当時の大阪市の井戸の水質は上町台地周辺を除いて全体に悪かっ た。

○多くの市民は、天満橋上流で採取した水を簡単な濾過器を備え た濾水船で処理し市内で販売された水を利用した。

14 191 0 192 0 19 30 1940 1950 1960 1970 1980 1990

0 5.0 10 .0 15 .0 20 .0

Year KMnO4 Consumption(mg/L)

Annual change of KMnO4 Consumption in Yodo River (Kunijima st.)

50 100 500 1000 5000

1 5 10 50

Flow rate m3/sec Chloride ion(CL-1) mg/L

Relationship between Chloride ion and Flow rate in Yodo River

淀川の

淀川の水質の変化水質の変化と特徴と特徴

過マンガン酸カリウム消費量の経年変化 塩化物イオンと流量の関係

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今日:埋め立てられた川筋 今日:埋め立てられた川筋

都市型洪水

農地の減少と都市化の進展により、水田 の湛水機能が喪失し、多くの水路や河川 が埋め立てられた。その結果降雨時の流 出量の増大と流下時間の短縮により洪水 の負担が狭い河道に集中し都市型洪水が 随所で起こった。

寝屋川の改修計画の基本高水流量は、

563m3/s(1953年)、16503/s(1972年)、

27003/s(1988年)と増加している。

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掘割と埋め立て 掘割と埋め立て

赤塗潰しは埋め立てられた河川 赤塗潰しは埋め立てられた河川 文献文献2828を参照に作成を参照に作成

19500 1960 1970 1980 1990 20

40 60

0 20 40 60 80 100 Spred % Dotonbori R.

Neyagawa R.

Year

BOD(mg/L) Ratio of Area Served by Sewerage System(%)

Trends in BOD Value and Development of Sewerage System

0 2 0 4 0 6 0 8 0 1 0 0

 

Tennoden st.

1972 1975 1980 1985 1990

BOD(mg/L)

Nakatakochi st.

         

Year

大阪市内河川の

大阪市内河川の水質の変化、何が変わったか水質の変化、何が変わったか

BODと下水道普及率の経年変化BODと下水道普及率の経年変化

BODの変化

水質評価から水環境評価へ

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

0

Rank of BOD value

Rank of Visual amenity BODの低下にも関わらず 市民の印象は必ずしもよ い評価ではない。そこで 視覚的評価による汚濁調 査を試み、各地点に視覚 による快適さの順位をつ けた。そしてこの順位と BODや透視度などの汚濁 指標との関係を検討した。

快適さの順位とBODの相 関が逆の地点がある。

(4)

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有機物の割合が減少

(硝化寄与率が増大)

有機物の評価が困難 有機物の評価が困難

BOD

BODをとりまく現状をとりまく現状

CODの割合が増大

難分解性有機物が増加 難分解性有機物が増加

0.4 0.5 0.6 0.7 0.8 0.9 1

1996 1998 2000 2002 2004 中竹渕橋

南弁天橋 城見橋 天王田大橋

桜宮橋

C-BOD/BOD

0 0.2 0.4 0.6 0.8 1

1996 1998 2000 2002 2004 中竹渕橋

南弁天橋 城見橋 天王田大橋

桜宮橋

C-BOD/COD

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「溶存酸素溶存酸素((DO)DO)の挙動」が水環境保全の鍵の挙動」が水環境保全の鍵DODO消費に注目しよう消費に注目しよう       新たな問題が起こっている

      新たな問題が起こっている

○都市の中小河川では溶存酸素(溶存酸素(DODO))濃度が昼夜で大きく変濃度が昼夜で大きく変 動する動する現象が見られる様になった。現象が見られる様になった。

○有機物分解よりも,硝化に起因する硝化に起因するDO消費の割合DO消費の割合が  高まって いる。

○汚濁河川でも付着性藻類の呼吸にともなう付着性藻類の呼吸にともなうDODO消費消費が無視出 来ない

○健全な水圏生態系の構築にはDOの消費要因を減らす必要が ある 。→DOの挙動」が水環境保全の鍵DOの挙動」が水環境保全の鍵

      昼夜の変動の割合が問題       昼夜の変動の割合が問題

BODの指標性の低下、DODOの指標としての役割の指標としての役割        

○硝化細菌の分布, およびアンモニア,有機物との関係の把握

DO,アンモニア性窒素も含めて,望ましい有機性汚濁指標  の検討が求められる。

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水環境

水環境健全性指標健全性指標

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再生と課題 再生と課題

清渓川再生事業 道頓堀川再生

清渓川(チョンゲチョン)

http://japanese.metro.seoul.kr/chungaehome/

seoul/main.htm

豊かな川の文化・水文化が花開くような 豊かな川の文化・水文化が花開くような 都市を作りませんか。

都市を作りませんか。

道頓堀川

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再生と課題 再生と課題

気候変動の激化は不可避である。

気候変動の激化は不可避である。

脆弱性が益々増加すると考えられている。

脆弱性が益々増加すると考えられている。

都市型洪水に対しどう立ち向かうか 都市型洪水に対しどう立ち向かうか 川との関りの多様性

川との関りの多様性⇒⇒脆弱性を克服脆弱性を克服 工学・技術の役割と理念が求められる 工学・技術の役割と理念が求められる 環境教育はその基盤を支える

環境教育はその基盤を支える

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アジアの川で 北タイでの経験 アジアの川で 北タイでの経験

ブレインストーミング

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  Thank you for your kind attentionThank you for your kind attention

 豊かな川の文化・水文化が花開くような     都市を作りませんか。

    豊かな感性を養おう。

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淀川学シンポジウム

大阪の川の変遷と今日

    Vicissitude of the river in Osaka, and today's issue.

      ㈱タツタ環境分析センター  土永恒彌      

1.  タイトル  大阪の川の変遷と今日:Vicissitude of the river in Osaka, and today's issue. 

水の都と呼ばれた大阪の川の成り立ち、多様な川の役割と人々との関わり、近代化と川の変化、

今日の状況と課題、環境教育の役割について考えてみたい。

Osaka has long been called an “aquatic city”, Nobody could count how many bridges we had in Osaka. All the rivers and canals in Osaka have played an essential role for the city development as especially for the life and culture, which is mostly similar to all the aquatic cities in the world. 

2.  淀川と河内の川の成り立ちと水   

河内平野は、縄文時代早期には海面上昇(縄文海進)によって河内湾が形成されていた。その 後の海退によって淀川と大和川が運ぶ土砂が堆積し河内湾へと変化し、5世紀の始め河内王朝の 頃、河内平野の中央部は淡水の河内湖を形成していた。

弥生後期・古墳時代、川の沿岸や中州に住み着き稲作を始めた人々は淀川と大和川の度重なる氾 濫に苦しめられた。

長い年月の中で人々の心の中には水をなによりも大切なものとして崇める意識が芽生えていっ たことは推測に難くない。日照が続けば雨乞いを河の神に祈り、大雨が降れば荒ぶるカミを鎮め、

工事の無事を祈願した。民を治める支配者(王)にとって祭祀は必須であった。そのための祭祀 に「特別な水」を用いる施設があった。古墳時代中期の遺跡(南郷大東遺跡等)に、貯水池を作 り、木樋で水を引き、覆屋(おおいや)のなかの水槽に導く沈殿とろ過をへた「特別の水」を得 る装置と「カミ依る水のまつり」が行われた覆屋の跡がある。このような「特別の水」を得る導 水施設には当時の池溝・治水技術が用いられている。近年導水施設の埴輪(木樋形埴輪)や湧水 施設(井戸形埴輪)の埴輪が出土している。古墳時代後期まで続く水の祭祀は飛鳥時代にはより 洗練された「亀形石槽」に引き継がれる。「井」から得た水を神聖なものとする思想はこのような 歴史を背景にして発達したように思われる。井戸の水の信仰は東大寺二月堂下の「閼伽井」へ引 き継がれていく。「東大寺山堺四至図」(さんかいしいしず)には大仏殿東方の山、川や湧水の井 戸(二月堂の井戸も)が描かれている。東大寺二月堂の修二会(お水取り)は二月堂下の井戸(閼 伽井屋)から汲み上げられる。この水信仰の原点は水の神の源流として諸国の社の祭神や民俗信 仰としての水の神へと広がっていったのであろう。

Filthy water cannot be washed と言う西アフリカの格言があるが、水を汚さない思想は民

の共通の意識であった。

図:河内湖の図。      写真:水と祭祀、導水埴輪  18],19]

3.  地溝の開発と水耕農業

4〜5世紀にかけて、歴代朝廷による地溝の掘削、堤防の築造が精力的に行なわれた様子が記 紀に記されている。当時の様子は記紀や万葉の歌から思い浮かべることが出来る。

仁徳天皇の時代に依網池、難波の堀江の開削、茨田堤、河内の感玖(こむく)の大溝の着手など の多くの治水事業が仁徳朝に施工されたとう伝えが記紀に共通している。   

このような水利事業がスムーズに進められたわけではなく、迷信を信じる民衆は容易に協力し なかった。このような民衆を啓蒙したのが当時の最高の知識人であった宗教者、行基であり、空 海であった。

4.  山林伐採と洪水、築堤と農地の拡大、管理の頽破と洪水

灌漑水利事業の進捗は必然的に山林の伐採を促進する。都の建築物の造営や瓦の製造を始め 日々の生活用需要もあって近畿一帯の山林伐採が進められた。その結果、必然的に水源涵養機能 を低下させ、洪水を頻発させた。8 世紀初頭から水源地帯の山林伐採を禁ずる勅令がたびたび発

(7)

せられている。山林保護が水資源保護の基本であることはすでに奈良時代から知られていた。

  また、開発により堤防直近まで農地が拡大した一方管理の頽破は洪水被害を増大させた。

5.  近世淀川と大和川の治水

淀川の洪水は古代から度々あったと伝えられており、今日まで250回を超えるといわれている。

近世以降の洪水では1802(享和2)年の淀川大洪水の被害が大きかった。7月1日に淀川左岸の 枚方市楠葉付近や寝屋川市仁和寺周辺などの堤防が決壊し、東は生駒山脈のふもとから南は大阪 市平野区付近まで浸水した。明治以降でも 30 回を超える洪水があった。明治大洪水(1885 年、

明治18)は枚方市伊賀地先が決壊し、さらに下流の淀川南岸の堤防が決壊し、府下の北・中河内

群、東成群の113町が水没した。

6.  大阪の町と掘割 

大阪の川の成り立ちは豊臣秀吉による東横堀川の開削から始まった。開削された土は周辺の低 湿地帯であった船場地区に盛り土されて大阪の街が整備された。その後1598年から1698年の間 に西横堀川、道頓堀川、長堀川など 11 の堀割が開削された。このような堀川は天下の台所と言 われた商都大阪に不可欠の存在であった。堀割によって諸国の物資が舟で運ばれ、また良質の井 戸の少なかった大阪では川水を飲用に用いていた。一方、生活排水は背割(太閤)下水を通って 東西横堀川に流され、排水路としても重要な役割を果たした。当時の水辺の認識は名所図絵など に描かれた親水風景や川柳、文学などから当時の状況を知ることが出来る。江戸や大阪の水辺は

「河岸」であり「堀川端」であった。そこでは、維持管理は市民の負担であり、市民の日常生活 との密接に関わっていた。 

7.  大阪の掘割と太閤下水

      近世大阪の掘割:図左25]、 背割り下水:図右:大阪市下水道局資料 8.  大阪の川と人々の暮らし

  大阪の川は人々の暮らしと深く結びつき多用な機能を発揮していた。その姿は名所図会や百景 に、近松や西鶴の文学に描かれた。

  灌漑(番水と香版  水論)、舟運(剣先船、三十石舟)、生活(洗濯)、上水(水屋)排水(背割 り下水)、水車(石切の水車)、文化(近松門左衛門、心中天の網島)、娯楽(野崎参り)、水遊び

(雑魚取)、景観(浪花百景) 

9.  大阪の川と人々の暮らし

    浪速百景に描かれた川の風景。左:道頓堀川角座、中:四ツ橋、右:長堀川石浜   20]

10.  大阪の川と人々の暮らし

生駒山麓の水車産業(石切の水車):図左、      雑魚取:図右21]

11.  大阪の川と人々の暮らし     近松門左衛門と川、

心中天の網島「名残の橋づくし」に詠まれた橋(左)22]、野崎参り(右) 21]   

12.  大阪の川の100年、衛生研究所100周年     

演者が勤務した大阪市立環境科学研究所(元衛生研究所)は今年創立100周年を迎えた。

大阪市内河川の水質調査は 1904(明治37)年から始められているが、大阪市立衛生試験所の 北豊吉所長が調査結果を「大阪市内河流汚染ニ就テ」と題して日本衛生学会誌に報告したのが大 阪での初めての水質汚濁に対する学術論文である。当時の淀川の塩化物イオンは4.2mg/L、アン モニア性窒素は0.04mg/L で市内でも塩化物イオンは10.0mg/L 程度であった。当時の河川の清 澄さを知ることが出来る。この中で、日本の河川(東京、京都、大阪)と英国マンチェスターの アーウェル(Irwell)川及び、フランスパリのセーヌ(Seine)川と比較し、日本の2〜10倍汚濁 しており、その原因は屎尿の投棄よりも工場廃水に因るもの多しと述べている。

  当時すでに寝屋川は、「常に甚だしき汚濁を呈し一見険悪の念を起さしむ・・」とすでに汚濁が 進んでいたことを示している。又、東横堀川の今橋がその影響を受けていること、下流の下大和

(8)

ざれば憂慮すべき結果を招来すべき現況にあるは人の知る処なり・・」と汚濁対策を喚起してい る。この論文によれば当時の大阪市の井戸の水質は上町台地周辺を除き全体に悪く、1893〜94

年(明治 26〜27)に元大阪市飲水試験所が調査した全市の井戸 38707 の内飲料適は僅か 1838

にすぎず、多くの市民は、天満橋上流で採取した水を簡単な濾過器を備えた濾水船で処理し市内 で販売された水を利用した。1879(明治 12)年頃のコレラの流行後河川の飲用が禁止され、天 満橋上流の河川水のみが許可され、1887(明治20)年頃には濾過河川のみが許可された。 

13.  淀川の水質の変化と特徴   

明治になって、淀川は飲料水源として利用されるようになった。1914年に淀川の柴島に取水点 が設置された。淀川の水質調査の本格的な調査は 1914 年から始められている図は淀川の柴島取 水点における、有機性汚濁の指標である過マンガン酸カリウム消費量の経年変化を示した。

淀川の水質汚濁は近代化と工業化に比例して進行した。第2次大戦末期から終戦直後は一時減 少するが、以後経済活動の回復と共に増加し、高度成長期にピークに達した。その後排水規制や 上流の下水道整備などの対策が進み汚濁は減少し、最近は横這い傾向を示している。

    図(右)は淀川の塩化物イオンと流量との関係を示したものである。塩化物イオンは自然起源

(4-5mg/L)がほぼ一定で、非分解性でかつ流下の過程で吸着や沈降がないことから人間活動の 影響の指標として有効である。この図は淀川のような都市河川の水質が人間活動によって左右さ れることを示している。       

14.  今日、埋め立てられた川筋

    農地の減少と都市化の進展により、水田の湛水機能が喪失し、多くの水路や河川が埋め立てら れた。その結果降雨時の流出量の増大と流下時間の短縮により洪水の負担が狭い河道に集中し都 市型洪水が随所で起こった。1972年の大東水害はその典型である。また、水質改善に大きく貢献 した下水道の普及は一方では中小河川の水量の減少や枯渇を促進させた。さらに、水循環の遮断 は、降雨の流出率を増加させ、都市型水害を発生させることになった。

水辺環境の整備は川の持つ役割(治水、利水、環境)が総合的に発揮させることが望ましい。

治水対策と環境を統合的に進める試みも進められている。 

15.  今日、埋め立てられた川筋

図(右)の塗潰し部分は埋め立てられた川筋を示す。文献28]を参考に作成。 

16.  大阪市内河川の水質の変化、何が変わったか 

BODが汚濁指標として測定され始めたのは1938年からであるが、図に大阪市内河川のBOD と下水道普及率の経年変化とを示した。戦後1953年頃まではかなり低値を示すが、1960年代か ら急激に増加し1970年にピークを示す。以降1968年の公害対策基本法、水質汚濁防止法の制定、

排水規制の強化そして下水道の普及によってBODは減少する。   

図(右)に寝屋川水系の平野川および平野川分水路のBODの経年変化を示した。分水路には下 水処理水が流入し、BOD は低い値を示すが、一方平野川は上流から生活排水が流入し汚濁対策 が進められた。       

17.  水質評価から水環境の評価へ     

BOD の低下にも関わらず市民の印象は必ずしもよい評価ではない。そこで視覚的評価による 汚濁調査を試み、各地点に視覚による快適さの順位をつけた。そしてこの順位とBODや透視度 などの汚濁指標との関係を検討した。①流れのある地点では、BOD が高値を示しても不快に感 じない。②透明度が高くても、褐色〜黒褐色の着色が強い地点は評価が悪い。③「青さ」は視覚 的評価にとって重要な要素である。④一般的傾向として透明度と快適性は比例する。⑤透明度の 目標値として150 cm以上の水質が望まれることを明らかにした。     

  図は快適さの順位(数字の小さい方が快適)とBOD の関係を示した。快適さの順位とBODの 値

  の関係が逆転している地点がある。

18. BODをとりまく現状

下水道の普及によってBODは劇的に減少したが、BODに占める炭素系有機物による酸素消費

(9)

(C-BOD)の割合の変化を図(左)に示した。炭素系有機物による酸素消費の割合が年々減少し、

アンモニアの酸化(硝化)の割合が増大している。また、微生物の作用で分解しない難分解性有 機物の割合が増加している。図(右)

19.  「DOの挙動」が水環境保全の鍵  現在わかっていること   

    都市の中小河川では溶存酸素(DO)濃度が昼夜で大きく変動する現象が見られる様になった。

DO消費に注目する必要がある。有機物分解よりも硝化に起因するDO消費の割合が高まってお り、汚濁河川でも付着性藻類の呼吸にともなうDO消費が無視できない(昼間は逆に光合成で過 飽和を示すこともある)。健全な水圏生態系の構築には DO の消費要因を減らす必要があり、そ の為には当面「DOの挙動」の把握が水環境保全の鍵と考えられる。BODは特に寝屋川水域で硝 化の影響が大きい。BODの指標性の低下とDOの指標としての役割が高まっている。

硝化細菌の分布およびアンモニア,有機物との関係の把握や望ましい(新たな)有機性汚濁指 標の開発が今後の検討課題であろう。

* BOD をとりまく現状と現在判っていることの情報は大阪市立環境科学研究所の新矢将尚氏 の研究から引用させていただいたが、解釈は演者の責任である。

20.  水環境の健全性指標   

日本水環境学会は環境省より委託を受け,水環境を総合的に評価するための指標「水環境健全 性指標」の検討を進めている。水環境を自然環境と人間活動という2つの大きな視点を基本にし て、自然なすがた、ゆたかな生物、水の利用可能性快適な水辺、地域とのつながりの5つの軸を 設けて水環境を幅広く評価することを目指している。

21.韓国清渓川:韓国ソウル市は埋め立てで高速道路となっていた清渓川(チョンゲチョン)の 高速道路を撤去し川を再生した。

    http://japanese.metro.seoul.kr/chungaehome/seoul/main.htm

大阪市は道頓堀川の再生事業を進めている。一つの試みとして評価したい。開かれた市民参 加と情報公開、川文化の視点が重要である。       

22.  再生と課題 

    気 候 変 動 が 激 化 す る こ と は 避 け ら れ な い 。 そ し て 、 都 市 型 洪 水 被 害 の よ う な 脆 弱 性

(vulnerability)の増加が懸念される。環境保全型技術・工学の役割と理念が改めて求められる。

    環境教育はその基盤を形成する役割を担っている。高等教育における環境教育とは何かも問わ れている。網の目のような水との関りの多様性が脆弱性に対する防御策となるかもしれない。     

23.  アジアの川で水文化と関わって。環境教育の重要性

    2001 年から 3 年間北タイの古都の川で、地球環境センターが実施した「住民参加型環境保全 活動」に参加し、環境教育の実践を体験した。人々の川に対する思いと豊かな感性に触れること が出来た。川の文化は国境を越えて人々の心に共通である。

24.  終わり  Thank you for your kind attention.

        豊かな川の文化・水文化が花開くような都市を作りませんか。

        豊かな感性を養おう。

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文献

  本シンポジウムに関連する演者の著書と論文を以下にリストした。

1) 土永恒彌:淀川・寝屋川の舟運と河内平野の水利用.日本水環境学会編.日本の水環境5:近畿   東京:技法堂出版;2000. pp49-54

2) 土永恒彌、宇野源太、川島普:淀川における水質・負荷量の変動特性、環境技術22(3)、1993 3) 土永恒彌、大宮季宏:水環境の再生と大阪市内河川の水質評価、大阪市立環科研報告、56(1994) 4) 土永恒彌、石川宗孝、宇野源太、永井廸夫:淀川における1994年渇水と水質について.

環境技術、24(4)1995

5) 土永恒彌、石川宗孝:寝屋川の再生を考える.環境技術、25(12)1996 6) 土永恒彌:総説、都市の水環境の再生と創造、生活衛生、40 (4)1996 7) 土永恒彌:道頓堀川の水辺環境の再生と水質浄化.環境技術、25 (8) 1996

8) 土永恒彌:大阪における都市河川の再生と創造、第5回大阪市立大学国際シンポジウム論文集       1997.pp142-145

9) 新矢将尚、土永恒彌、鶴保健四郎:寝屋川水系の汚濁特性、大阪市環科研報告、59,1997 10) 新矢将尚、土永恒彌、鶴保健四郎:河内平野における都市河川の汚濁特性、全国公害研会誌、

23 (1)1998

11) 新矢将尚、鶴保健四郎、北野雅昭、土永恒彌:1990年代における大阪市内河川水質の変遷、

用水と廃水,44 (5)2002

12) 土永恒彌:淀川の成り立ちと変遷、生活衛生、48(6)2004注)

13) 土永恒彌:北タイにおける参加型水環境保全活動の実践、水環境学会誌、28(7)2005注)

注)生活衛生 Vol. 48 (2004) , No. 6 特集 「くらしと淀川」(淀川の成り立ちと変遷、淀川の水質、

淀川と水道、水系感染症リスクと淀川、近年の淀川の生態環境の変化)は「科学技術情報発信・

流通総合システム」(J-STAGE)で閲覧可能。「近年の淀川の生態環境の変化」は綾先生の論文。

http://www.jstage.jst.go.jp/browse/seikatsueisei/48/6/_contents/-char/ja/

      スライドに引用した参考文献

14) 山口佳紀、神野志隆光校注・訳:古事記、小学館、東京(1997)

15) 宇治谷  猛:日本書紀(上)、講談社東京(1988)

16) 西岡寅之助:池溝時代から堤防時代への展開、西岡寅之助著作集第一巻、三一書房、東京(1982)

17 寳月圭吾:中世灌漑史の研究、目黒書店、東京(1950)

18) 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館編:カミによる水のまつりー「導水」の埴輪と王の治水

―、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館。(2003)

19) 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館編:水と祭祀の考古学、学生社(2005)。 20) 大阪城天守閣編:浪花百景、大阪城天守閣特別事業委員会、大阪(1995)

21) 堀口康生  校訂:河内名所図会、柳原書店、京都(1990)

22) 信多純一  校訂:近松門左衛門集、新潮社(1986)

23) 喜多川守貞:近世風俗志㈠〜㈤(守貞謾稿)、岩波文庫、(2004)

24) 上井久義、他:なにわの水、玄文社、京都(1985)

25) コレクション「地図」京都・大阪・山陽道付録、改正増補国宝大阪全図文久3年、平凡社(1977) 26) 永井豊太郎:大阪市内河川の汚染度に就いて、大阪市衛生試験所研究報告第11編1938

27) 北  豊吉:大阪市内河流汚染ニ就テ、日本衛生学会雑誌、6,(3)1911 28) 大阪の川編集委員会:大阪の川、㈶大阪市土木技術協会(1995)

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参照

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