A. マーシャル『経済学原理』における連続性の認 識と方法――労働階級の倫理的成長と経済的成長の 相互性を中心として――
著者 舛谷 謙二
雑誌名 東北学院大学論集. 経済学
号 137
ページ 123‑143
発行年 1998‑03‑20
URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024494/
A.マーシャル『経済学原理』における連続性の認識と方法*
−労働階級の倫理的成長と経済的成長の相互性を中心として−
舛谷謙
−ユ目 次 1.序論
Ⅱ、マーシャルの問題意識
Ⅲ経済力学と経済生物学
Ⅳ、有機的成長誌 l .労働階級観 2.欲求と活動 3.有機的成長の過程
(1)生活基準の上昇:労働者の進化
(2)教育の効果写家庭教育と学校教育
(3)経済騎士道:公共的精神 V.結語
I.序論
『経済学原理』(PrmciplesofEconomics,1890,1891,1895,1898,1907, 1910, 1916, 1920.本稿においては以下『原理』と略記する)公刊100年を ひとつの契機として,マーシャル(AlfredMarshall, 1842‑1924)研究が 活性化し, これまでの『原理』のみならず, 『産業経済学』 (TheEcono‑
* 本稿は,経済学史学会東北部会1997年度(第18回)例会<1997年6月21日,
東北学院大学>における研究発表要旨iこ加筆したものである。馬渡尚憲先生,斧 田好雄先生をばじめ,貴璽なコメントを頂戴した東北部会の諸先生方に衷心より 御礼申し上げます。
東北学院大学論集経済学第137号 1998年3月
−123 I
東北学院大学論集経済学第137号
micsoflndustry,withM. P・Marshall,1879)などの初期の体系や,
『産業と商業』(IndustryandTrade,1919)ならびに『貨幣信用貿易』
(Money, CreditandCommerce, 1923) といった晩年の体系を視野に 入れつつ,彼の全体系を捉えようとする試みがなされてきている!L
このようなマーシャルの全体像を描写しようとする試みにおいて,われ われは『原理』『産業と商業』『貨幣信用貿易』の3つの著作を繋ぐ基本 概念として, 「連続性continmty」なる概念に注目したい。
マーシャルは『貨幣信用貿易』の序文において, 「経済学研究の主要 な分野のもつ連続性が強調されている」ことをもって『原理』を特徴付け
l ) 『原理』刊行100年を契機とした出版活動は国内外ともに活発である。英国 王立経済学会(RoyalEconomicSociety) 1jt,Whitaker,J.K・ (ed. ), :CentenaryEssaysonAlfredMarshall' (CambridgeU.P.,1990)を出版 している。また, 1991年以来毎年, JohnWhitakerを長とする縄集委員会
(他の編集委員はGiacomoBecattini,MarcoDardi, Peter Groenewegen,AlonKadish,JohnMaloney)によって, 「国際的な情報交 換を目的として」 (Whitaker,INTRODUCTORYREMARKS,v0l.1, 1991, P、 3), #MARSHALLsmdiesbunetin' 力轆行されている。なお,
同雑誌はその趣旨に相応しく Internetでアクセス可能である (URLは,
http://www.cce,un瞳. it/rivista/welcome・htm)。一方,国内でば経済学史 学会が機関誌において「マーシャル『原理』100周年記念特集」を掲峨して いる(経済学史学会年報,第29号,October l991, pp. 12‑31)。さらに,マー シャル体系の総合的研究として,橘本昭一縄著『マーシャル経済学』 (ミネ ルウァ書房, 1990),鈴よび,井上琢智・坂口正志編著『マーシャルと同時 代の経済学』 (ミネルヴァ書房, 1993)は現在のマーシャル研究の水準を示 すものである。特に,本稿との関連でいえば,橋本編著番所収の坂口論文は
『原理』第6編の重要性を取り上げ, 「不可逆的な累積的プロセス」を描写 することにマーシャルの意図があったことを明らかにしている点で注目に値 する (坂口正志「有機的成長論」,同雷, pp,214‑50)。なお,本稿脱稿後,
思想から理輪にわたるマーシャル研究,西岡幹雄『マーシャル研究』 (晃洋 謹房, 1997年)が出版されたことを付記しておく。
このような学説史的関心とば別に,一方では,経済における収穫逓増を強 調するアーサー (W. BrianArthur, $IncreasingReturnsandPath DependencemtheEconomy',Univ ofMichiganPress,1994)らの複 雑系の問題意識や, ネルソン(RichardR.Nelson, $AnEvolutionary TheoryofEconomicChange',HarvardUniv・ Press, 1982) らの進化 経済学との関連で,新たな経済学の方向性を示唆するものとしてマーシャル が注目されつつあるように見える。
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マーシャル『経済学原理』iこ端ける連続性の認識と方法ており2), また, 『産業と商業』の題辞(Themanyintheone, the one inthemany: 「多くのことが一つのことに,一つのことが多くのこ とに」)に言及して, 「この題辞は,私の『原理』の題辞一自然は飛躍せ ずハノ"雌沌刀。〃"c"sα"脚沈, すなわち経済的な発展economicevolu‑
tionは無数の進路のどれをとって象ても漸進的であり,連続的である
−を補完するものである」と述ている3も少なくとも以上のことからし て,マーシャルが『原理』において「連続性」なる概念を重視し,後の2 著作においてもそれが引継がれていると見ることは可能であるように思わ れる。
以上のようなマーシャル理解を踏まえて,われわれは改めて「連続性」
の観点から,それが最も端的に表現されていると思われる『原理』公刊前 後の基本的社会認識と問題意識,それを支える方法的特徴の構造とをマー シャルに即して明らかにすることによって,マーシャルの全体系を捉える 際の予備的考察としたい4もその順序として,序論に続くⅡにおいて,労
2) A・Marshall, $MoneyCreditandCommerce' (1923) , P.
Groenewegen(ed.),CollectedWorksofAlfredMarshall,Overstone, 1997, p,v 永濡越郎訳『貨幣信用貿易』,岩波プックサービスセンター,
1988年,第1分冊, 1ページ。
3) A.Marshall, $IndustryandTrade'(1919), P.Groenewegen(ed.), Col‑
leCtedWorksofAlfredMarshall,Overstone,1997,P.v・ 永澤越郎訳
『産業と商業』.岩波プックサーピスセンター, 1986年,第1分冊, 5ペー ジ。
4) マーシャルの位置付けを明確にすることは, 20世紀経済学の意味を明らか にすることにも資するものと思われる。例えば, 20世紀を代表する経済学者 のひとりとしてシュムベーター(J.A・Schumpeter, 1883‑1950)はマーシ ャルとの関係を無視しては語り得なL,。彼のマーシャルに対する評価は次の 通りである。
シュムペーターは人間の知識の発展が飛躍的に進歩する局面があることを 強調して, 「自然は飛踊せず」という表現のもとで社会と人間の連続的発展 を強調するマーシャルの立場との差異を指摘する。
「《自然ば飛踊せず》 この命題を題辞としてマーシャルはその著宙の 冒頭に掲げたが.実際,それはこの著雷の特色を適切に表現している。
しかし私は彼に反対して,人間の文化の発展, とりわけ知識の発展ば,
まさに飛躍的に生ずることを主張したい。力強い飛踊と停滞の時期,/
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働者の境遇の改善こそが経済学研究に託された社会的目的であると見た マーシャルの問題意識を概観し,それに続くⅢでは,経済現象を生物学と のアナロジーで捉えようとする方法論を述べる。次のⅣはマーシャルによ る社会認識であって,社会の有機的成長を支える原動力が経済主体の態度 に内在しており,その態度そのものが成長過程の中で変化を遂げるという 累積的構造について考察する。
Ⅱ、 マーシャルの問題意識
マーシャルは1842年7月26日, イングランド銀行事務員であった父ウィ リアム(WilliamMarshall, 1812‑1901) と母レベッカ(Rebeccah Oliver, 1817‑78) との間にロンドン郊外にて生まれている。RonaldH.
、塾溢れるばかりの希望と苦い幻滅とが交替し,たとえ新しいものが古いものに 基礎を置いてL,ようとも,発展は決して連続的でばない。われわれの科学は 如実にこれを示しているのである。」 (DasWesenundderHauptinhalt dertheoretischenNationalOkonomie,1908.大野・木村・安井訳『理論経 済学の本質と主要内容』,岩波, 1983‑4年, 52‑3<‑ジ)。
その一方では, マーシャルの業績が古典派経済学の伝統を発展させたもの であることを認めるとともに,それが「巨視的ならびに殻視的な社会科学上 の洞察iこついての無尽蔵の宝庫であり続ける」という最大限の評価を与えて いる。
(a) 「マーシャルが70年代に自分の貨幣理論の全体を展開したとなすケ インズの言明は,無条件に受け容れられるべきであろう…. (中略)…マー シャルの貨幣分析は,彼の経済分析一般と同様に,明らかにジョン・ス チュアート ・ ミルのそれから出発したものであり,後者の考えの一展開 として理解されなければならない」 (HistoryofEconomicAnalysis, 1954, p*1083.東畑精一訳『経済分析の歴史』(6),岩波, 1960年, 2279 ページ)。
(b) 「マーシャルの『原理』は,現今および未来になされうることや これまで ・ ・ (中略) ・ ・ ・なされたことの90パーセントを萌芽のうちにふく んでいる。それらは,巨視的ならびに微視的な社会科学上の洞察につい ての無尽蔵の宝庫であり続ける。もちろん,最新の日づけを有する不毛 な知識の貯蔵庫でばない。」 (Gustavv・ SchmollerunddiePro‑
blemevonheute, "SchmoUersfurGesetzgebung,Verwalmngund‑
Volkswirtschaft", J9.50, 1926, S.337‑388.中村友太郎/島岡光一訳
「歴史と理論」,玉野井芳郎監修『シュムペーター・社会科学の過去と 未来』所収, ダイヤモンド社, 1972年, 494ページ)。
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マーシャル「経済学原理』における連続性の認識と方法Coaseの論考によれば,父は牧師の家系であったがその年収は中産階級 のそれにはほど遠く,母親は労働者階級の出身, また出生地も労働者地区 であったという5もヴィクトリア朝後期の大英帝国に厳然たる階級社会が 存在したことを考慮すれば,マーシャルの経済学が常に労働者の生活状況 の改善に配慮していたのも, このことと無関係ではないようにも思われ る。
この時代, 自由貿易体制と金本位制度のもとで「世界の工場」として経 済的覇樋を獲得し繁栄の極にあったイギリスは,対外的には徐々に迫り来 る新興国の追い上げと61国内的には大量の貧困階層の出現による社会問 題の発生に直面していた。すなわち,マーシャルの時代は繁栄と貧困とが 共存する,大英帝国がまさに「鰯りゆ<時代」であったともいえよう。
1865年にケンブリッジ大学セント・ジョーンズ・カレッジのフェローと 5) R、H・Coase, "AlfredMarshall'smotherandfather",Hisfo""
恥"""JEC"DFWy, Vol、 16,N0.4,1984.一方,格調高いマーシャル伝記 として知られるケインズのそれには,階級的あるいば経済的事柄については 殆ど触れられていない(J.M.Keynes, "AlfredMarshall l842‑1924",加 A.C.Pigou(ed.), #MemorialsofAlfredMarshall',1925,pp.1 65)。
なお, ケインズのこのマーシャル伝は執筆者存命中に3度異なる箇所に掲峨 されているが(Q)E""c7wicJD#77z(z/, Sept. 1924 @Pigou(ed. ) , fMemorials' , 1925.③Keynes, $EssaysinBiography',1933),①と③ は同一のものであるが,②は若干の変更が加えられており, ケインズ全集縄 集者はピグーが縞者の資格で変更した可能性を示唆している(TheCol‑
lectedWritingsofJohnMaynardKeynes, Vol.X,Macmillan, 1972, p. 162,大野忠男訳『人物評伝』,ケインズ全集第10巻,東洋経済鉾殿社, 1980 年, 215‑6ページ)。家庭的な背景についての詳細な考察を含むマーシャル の本格的伝記としては, P.D.Groenewegen, @ASoringEagle:Alfred Marshall l842‑1924' , Elgar, 1995̲を参照されたい。
6) 世界経済におけるイギリスの地位低下とマーシャルの立場に関しては,斧 田好雄「貿易理論・貿易政策論」 (橘本網著『マーシャル経済学』所収, pp、
251‑82)を参照されたい。なお, 1870年代から第1次世界大戦に至る時期の の工業生産に占める英国の比率は,アメリカの急激な追い上げによって劇的 に滅少している。すなわち,世界の工業生産に占めるアメリカの割合は, 1870 年にば23 3%であったが, 1896‑1900年にば30. 1%となり,第1次世界大戦 直前の1913年には35,8%まで伸びている。一方. イギリスは同時期, 31.8%
から19.5%"、,そして14.0%まで急落している(LeagueofNations: In‑
dustrializationandForeignTrade,1945,p.13.)。
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なった頃からマーシャルは,進化論の影響のもと,人間性の形成に及ぼす 社会環境の影響に注目するようになった。すなわち,人間のもつ可能的な 資質を伸長させるような,社会環境の育成こそ社会哲学上の基本問題であ ると考えるに至ったのである。その転換は,ウォード(JamesWard,1843
‑1925)に宛てた書簡から知ることができる。
「1871‑72年ごろ,私は生涯の仕事として心理学かそれとも経済学か いずれかを選ぶべきか決意しなくてはならない時がきたと考えた。一 年ほど迷い抜いた。研究の興味からいえば心理学の方が望ましいが,
経済学は富の増大のためというよりはむしろ人間の品性との関連にお いてその実際上の重要さが次第に大きくなってきているので,私は経 済学を選ぶことにした7も」
このように書き送って,彼は環境の構成要素としての経済的条件の重要性 に気付いて,学問的関心は心理学(倫理学)から経済学研究へと向ったこ
とを明らかにしている。
このような問題意識に基づいて執筆された『原理』の冒頭で,マーシャ ルは「人間の性情は, 日常の仕事と仕事によって得られる物的な資力の大 小によって形成されるところが大であった8uとして,人間の性格が所得 の大小によって影響されることを指摘し,都市の最下層の人々(残津階級)
の肉体的,知的・精神的不健康の主要原因を貧困に求めた。貧困なるがゆ えにその能力を発揮しえず,そのために生涯貧困から脱却できない労働者 の境遇の改善こそが,経済学研究に託された社会的目的であると見たので ある。
7) Marshall'slettertoJamesWarddatedSept.23, 1900. , J,K.
Whitaker(ed.), ;TheColTespondenceofAlfredMarshall,Economist' , Vol.2,LetterNo.620, CambridgeU.P. , 1996, p.285.
8) A.Marshall, :PrinciplesofEconomics' (8thed、 1920) , P.
Groenewegen(ed.),CoUectedWorksofAlfredMarshall,Overstone, 1997, p@i永澤越郎訳『経済学原理』,岩波プックセンター信山社,
1985年,第1分冊, 2ページ。 本稿では以下, PE, p. 1 ,邦訳1 , 2ペー ジ. のように略記する)。
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マーシャル『経済学原理』に潟ける連競性の認識と方法このようにマーシャルにあって,社会的行動及び個人的行動の基本とし ての倫理を据える試みは,社会環境を構成する経済的条件を究明すること によって可能と考えられたのであった。
Ⅲ、経済力学と経済生物学
マーシャルが経済学の課題を貧困問題の解決に求めたことは先に述べた が,貧困問題の経済学的取扱いは分配論の領域であることから,労働供給 に関する長期的問題を主題としなければならず,そオ1はもはや力学的方法 ではなく,むしろ生物学的方法に依拠した有機的な成長の問題として取扱 われるべきものであった。
アダム・スミス(AdamSmith, 1723‑90)の方法論に餓大限の称賛を 与えつつ,生物学においてダーウィン(CharlesR・Dawin,1809‑82)の 企てた革新に大きな意義を認め,マーシャルは次のように述べて,経済学 における経済力学(economicdynamics)から経済生物学(economic biology)への方法的革新の可能性を示唆している。
「わたしはアダム・スミスの創意が個々の学説よりもむしろこれらを 総合する視野のうちにあると考えるようになった。この点に関しては,
かれを知れば知るほど,一層かれを尊敬するようになった。かれに独 自の地位を与えたものは,かれの調和,釣り合い,一のうちに多を見,
多のうちに一を見る眼力,分析を用いて歴史を解釈するとともに歴史 をもって分析を調整する練達さであった。これと極めて類似した資質 が近年ダーウィンをして独自な地位を獲得させたのであった9も」
9) Marshall's lettertoL.L・Price,Aug. 19, 1892. , J.K・Whitaker(ed.), opcit.,V0l.2,LetterNo̲418,pp,80‑Jなお, マーシャルがここで スミスの資質として高く評価してL、るものば, スミスが自ら「哲学Philo‑
sophy」と呼ぶ内容の学問的素養であるように思われる。スミスは「哲学と は自然の結合陳理(connectmgprinciplesofnature) iこ関する学問である」
として,一見関連のないように見える事柄を人間の想像力によって結びつけ る技術をもって「哲学」と性格付けてL,る・W.P.D.Wightman, J.C.
Bryceandl.S.Ross (eds.), :EssaysonPhilosophicalSubjeCts',/
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プライス(L.L.Price,1862‑1950)宛の書簡でこのように述べ,マーシ ャルはスミスと比肩しうるものとしてダーウィンを称賛している。すなわ ち,マーシャルは,古典力学体系の建設者であるニュートン(Sirlsaac Newton, 1642‑1727)の強い方法的影響のもとにあったスミスによる,
力学のアナロジーとしての経済分析とともに,ダーウィンの首唱した進化 論の中に,生物学のアナロジーとしての経済分析の可能性を見たといえよ 5'0ももしそうだとすれば,力学的方法に基づいて経済分析を行うことの 限界をマーシャルは何処に求めたのであろうか。
第1に,現実社会で人間行動を捉えるためには「時間」 (単なる時計的 時間ではなく,人間行動と密接に絡象合った「作用的時間」)の要素を考 慮する必要があり,その場合,数理的解析には限界があると見る。
「一定の確定的な原因の組合せの作用の数学的な例証は,それ自体と しては完全で,明確に定義された限界内では,厳密に正確でありうる が,実生活の複雑な問題の全体を,ないしはそのかなりの部分であっ ても,方程式の連続によって掌握しようと試象ることについては,そ のようには言えない。なぜなら,重要な多数の考慮が, とくに時間の 経過と結びついた問題は,容易に数学による表現になじまず,完全に 無視されるか,刈り込まれて,型にはまった,装飾用の鳥や獣に類似
したものにならざるを得ないからである'1も」
マーシャルはこのように述べて,時間の経過と深く結びついた実生活上の 問題を数学的な論理整合性の枠内に置くことの危険性を示唆している。
第2に,実生活の分析において取扱う変数と対象の複雑さとが,力学的 方法の想定する単純な規則性とはほど遠いという点を,次のように指摘
、GlasgowEd・ ofWorksandCorrespondenceofAdamSmith, Oxf0rd, 1980, pp.45‑6.
10) 「ニュートン的方法NewtonianMethod」を科学的方法として高く評価す るスミスの方法論については拙稿を参照されたい。 「アダム・スミスの経験 主装と自然法‑H.J・ピッターマンの所説を中心として−」, 『東北学院 大学大学院論集経済研究年誌』第6号, 1982年。
ll) PE,p.850.邦訳3, 328ページ.
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マーシャル『経済学原理』における連競性の認識と方法 する。「経済学が考慮しなければならない諸力は力学のそれよりも多数であ り,不明確であり,熟知されておらず,性格において多機である。ま たそれらが作用する素材も不確実であり,同質的ではない'2も」
第3に,静学的均衡の方法によって経済問題を取扱うことは経済研究の 序論にすぎないとの認識をもって,マーシャルは決のように述べる。
「経済問題を静学的な均衡として取り扱い,有機的な成長の問題とし て取り扱うことをしない場合には,不完全にしか提示できないこと を, とくに記憶にとどめておく必要がある。なぜなら,静学的な取り 扱いの象がわれわれに思考の明確さと正確さとを与えることができ,
またそれゆえに有機体としての社会のより哲学的な取扱いにとって必 要とされる導入ではあるとしても, それは序論にすぎないからであ る13も」
このように,社会を有機体として捉えてその「哲学的取扱い」を志向する マーシャルにあって,力学的方法は分析装置として不満足なものであった。
それでは,有機的成長の問題を取扱う場合の方法は如何なるものであろ うか。 「生物学と同じく経済学は,外的な形態の象ならず内的な性質と構 造が絶えず変化しつづける問題をとり扱うl4uと述べて,マーシャルは方 法として生物学との類似性に注目する。そして, ヨリ高度な段階において は,力学的方法よりも生物学的方法から多くの有益な類推が可能となると いう理由から, 「経済学上の推論を,物理学の静学の方法と類似した方法 で始めるが,その基調を徐々により生物学的にすべきである'5uと結論づ ける。
jjjj
2 3 4 5 1 1 1 1
PE,
p.772.邦訳1 , 296ページ,PE, p.461.邦訳3, 1956‑‑R‑ジ.
PE, p.772,邦訳1 , 297ページ.
A.Marshall, "MechanicalandBiologicalAnalogies inEcono・
mics"(1898),A、C.Pigou(ed.),$MemorialsofAlfredMarshan',1925, p‑314.永澤越郎訳「経済学における力学的類推と生物学的類推」・ 『マーシ
ャル経済論文集』,岩波プックサーピスセンター, 1991年. 57ページ。
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この場合,マーシャルは「均衡」概念そのものを否定したのではないこ とは注目に値する。
「<釣合い>とかく均衡>という言葉は,元来は, より古い科学であ る物理学に属するものである。その後それらは生物学によって受継が れている。経済学の早い段階では,われわれは需要と供給を,互いに 押し合い,力学的な均衡に向う,粗野な力として考える。しかし,の ちの段階では,釣合いないしは均衡はむき出しの力学的な力ではなく,
生命と凋落の有機的な力の間のそれとして考える'6も」
すなわち.マーシャルにおける「経済力学」も「経済生物学」もともに,
大きく言えば,スミス以来の「均衡論」の範鴎として認識されていると見 ることができよう。では,両者の根本的相違点はどのようなものであろう か。
力学における均衡移動は作用する諸力の「量」に起因するが,生物にお けるそれは「量」の験ならず「質」も変化するとして,マーシャルは次の ように述べて,社会進歩を描写する方法としてとして生物学的方法の優位 性を強調したのである。
「産業上および社会上の<進歩>ないし<進化>は単なる増減ではな い。それは有機的な成長であって,無数の要因の凋落によって抑制さ れ,限定され,時には逆転させられる。要因のおのおのはその周囲に 存在する要因に影響し,影響される。そして,すべてそのような相互 の影響は,それぞれの要因が成長の過程においてすでに到達した段階
とともに変化する'7も」
このようにマーシャルは方法上の転換の必要性を説いた上で, 「経済学 者のメッカは,経済力学であるよりも経済生物学である。TheMecca oftheeconomist iseconomicbiologyratherthaneconomicdyna‑
mics.」という有名な言葉で, "Analogies"(1898)を締めくくっている。
16) 17) 10
前掲邦訳,
前掲邦訳,
‑132‑
8 7 1 1 3 3 p P 叩 叩 t t c C p p O O
︑L○L皿 皿
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鵡 麺 a M
M
62ページ。
61‑2ページ。
A・ ‐マーシャル「経済学原理』における連続性の認識と方法
Ⅳ、有機的成長論
マーシャルは,社会の有機的成長を支える主要な原動力を労働階級の倫 理的成長に求め,その経済的発展との相互性において,社会の進化を「有 機的成長」として捉えようとする。われわれはこのようなマーシャルの社 会認識を明らかにするために,主体としての労働階級に関する彼の見解を 本章の最初で概観し,次いで, 目的と手段との関係において「欲求」と「活 動」を考察し,最後に有機的成長の過程をマーシャルに即して明らかにし
ようと思う。
1 .労働階級観
マーシャルはケンブリッジ大学での講義「労働階級の将来」 (The FutureoftheWorkingCIasses,1873)において,労働階級を3つの範 購に分類している。
第1は「紳士gentleman」であって, 自らの性格に教巽と洗練を与え,
この傾向を高めるような職業に就いている人々であり,具体的には, 自立 心と自尊心・他人への親切心をもって,市民としての私的・公的装務を果 たす人々にその資格が与えられる。
第2の範鴎は, 「耐えることが重荷であるような労働のために生きる以 外に,生きることを許さない傾向がある人間旧uとされる「未熟練労働者 unskilledlabourer」であって,彼らは重労働にも拘らず低賃金であるこ とから, 自己啓発の時間を一切持てず,低能率と粗野な快楽の追求に走る 結果,未熟練労働者の状態から脱却することができない。
そして労働階級の第3の範鴎は上述の「中間に存在する階級in・
tennediateclass」である「熟練労働者skilledlabourer」であって,絶 えず紳士の地位に向かって,着実に青年期から向上の努力をしている入舎 である。
この分類で注目されるのは, これら3つの範鴎が「絶対的に連続的で,
18) A.Marshall, "TheFutureoftheWorkingClasses" (1873) 、 Memorials, p. 108.永澤越郎訳「労働階級の将来」,前掲邦訳, 198ページ。
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中断することがない'9uとされていることである。すなわち,労働者の性 格の中に人間としての人格形成力が備わっている限り,その漸進的成長に よって, 「紳士」の段階に達することも可能と,マーシャルは労働者を見 たのであった。その際, 「人間の心の成長において,精神的な教餐が人生 の目的であって,物質的な富は単なる手段にすぎない」との観点から,教 育による労働者の質的成長の可能性が強調されるのである"も
2.欲求と活動
マーシャルは, 「労働階級の富の増大は真実の欲求の満足に主として使 用されるゆえに,人間性の成熟と高貴さに貢献するものと言ってよいかも しれない2'l」と述べ,富が「真実の欲求」の充足に使われる限り人間性の 発展に寄与すると見た。それでは, ここに言う「真実の欲求」とは如何な
るものであろうか。
マーシャルは,人間の「欲求desire」と「活動activities」とを関連さ せて考察している。そして,人間の欲求の変化を, 「多様性への欲求 desireforvariety」→「差異への欲求desirefordistinction」→
「卓越性への欲求desireforexcellence」と段階的に進化するものと捉 えた。
単に目立つことの象を目指す低級な欲求から脱した最高度の欲求である
「卓越性への欲求」は, 「ニュートンやストラディバリュスのような人々 のそれから,だれも見ておらず急いでいるわけでもない時にも, 自分の舟 を巧みに操り,それがよく出来ており,操作に迅速に従うことを喜ぶ漁夫 のそれにいたるまでさまざまである」とされる。すなわち, この欲求は種
19) 20)
MarshaU, op・cit. , p・ 105.前掲邦訳, 198ページ。
Marshall, 0p・dt. 、 pp. 117‑8.前掲邦訳, 217ページ。マーシャルは, 「人 間は自分の子供たちlこ, 自分が受けたよりもより良い, より完全な教育を与 える義務を負う」と述べ,家庭教育の必要性を強調するとともに, 「社会は いかなる子供も無知で育ち,生産機械となることができるだけで,人間には なり得ないことがないように,見守る義務がある」として,国家による学校 教育の必要性も強調する。
PE, p.136.邦訳1 , 203ページ.
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l
2 2
1
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マーシャル「経済学原理』における連続性の認識と方法類において分類されるのではなく,程度において分類されるという意味で,
非日常的分野の象ならず実社会の日常的分野にも存在することが指摘され ているのである。それはまた, 「最高級の才能と最高級の発明の供給にお いて重要な影響をもつものであり, またそれらを需要する側においても小 さくない影響を持っている醜uと性格付けられている。
次に,われわれは,欲求と活動との関係について概観しよう。 「人間の 発展のもっとも初期の段階において人間の行動を喚起するものは人間の欲 求であるが,のちの段階の新たな上昇運動のおのおのにおいては…・・新た な活動の発展が新たな欲求を喚起する方向に作用することを認めなければ ならない鱒uとして,マーシャルは,欲求が目的で活動が手段であるよう な,従って新しい欲求が新しい活動を生糸出してきた初期の段階から,進 歩するにつれて, 目的と手段とが逆転して,活動自体が目的で欲求が手段 となるような,従って新しい活動が新しい欲求を生誤出し制御するように なってきたと考える。
このように,活動の意味を明らかにした上で,マーシャルは「経済進歩 の要諦は,新たな欲求の発展ではなく,新たな活動の発展にあると考える べき241」と述べて,活動の発展が経済進歩をもたらすことを強調したので あった。
3.有機的成長の過程
(1)生活基準の上昇:労働者の進化
『原理』では, 《労働者の質的成長》と《国民経済の発展》との間の累 積的進歩を《有機的成長》と表現している。経済進歩を支えるのは「欲求」
22) PE, p.89.邦訳1 , 128 9ページ. 卓越性への欲求を強調するマーシャ ルにあって,技術改変の主体は非連続的技術革新を行うシュムペーター的企 業者でばなく, スミスカ& $Undertaker'と呼んだ, 日常的改良の累積に基づ く技術革新者の系譜に属するものと見ることができよう。スミスの企業者観 については拙稿を参照されたい。 『UndertakerとPrcjector‑アダム・ス
ミスの企業者観」, 『東北学院大学論集経済学』第110号, 1989年。
23) PE, p.89.邦訳1 , 129=‑:‑ジ.
24) PE, p.689.邦訳4, 268ページ.
‑135‑ 13
東北学院大学論集経済学第137号
ではなく 「活動」であることは既述の通りであるが,それとの関連におい て,マーシャルは「生活基準standardoflife」を「欲求に対して調整さ れる活動の基準を意味するもの25uと定義する。すなわち,生活において 欲求より活動が重視される状況の基準である。
一方, 「活動に対して調整される欲求の基準」であって,生活において 活動よりも欲求が重視される状況の基準を,マーシャルは「安楽基準 standardofcomfort」と呼ぶ。 「安楽基準という言葉は, おそらくは粗野 な欲求が支配的であるかもしれない,人為的な欲求の単なる上昇を意味す る言葉である261」と述べ,安楽基準の上昇は欲求の増加をもたらすだけで あって,活動の増大をもたらすものではないことをマーシャルは示唆して いる。
社会の有機的成長は, 「生活基準」の上昇をもたらすように人々が生活 することによって実現するとマーシャルは説く。生活基準の上昇は, 「支 出において注意と判断力の増大を導き,食欲を満たすだけで体力を強化す ることに役立つことのない食欲と,肉体的ないしは道徳的に不鯉康な生活 様式を避けるように導く,知性と勢力と自尊心の増大271」を可能にするの である。このように,生活基準の上昇は低級な欲求を抑制して,活動を重 視する判断力を養い,卓越性への欲求を生じさせることになり, その結果 として,労働者の賃金上昇は労働者の生活と意識とを改善することによっ て一層の生産性向上を可能にし,それがまた労働者の賃金上昇をもたらす という関係が生まれる。後述するように, ここで労働者の賃金上昇を可能 にするのは企業者による経済騎士道である。
このマーシャルの所説を約言すれば,生活基準の上昇は人間の肉体的・
知的・道徳的向上を含む人間の進化そのものを表わしており,経済的進歩 が人間性の進歩を生糸出し,それがさらに経済的活動を上昇させて経済的
25)
26)
27)
14
4 4 4
訳訳訳邦邦邦
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p.689 p.690 p.689
268ページ 269ページ 268ページ
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A.
=‑シャル『経済学原理』における連統性の認識と方法 進歩を引き起こすという累積的過程を作り出すのである。(2)教育の効果:家庭教育と学校教育
マーシャルは,労働者が賃金の上昇を単に現在の安楽基準の上昇に使う ことなく,将来を展望しての生活基準の上昇のために使用するようになる 態度を養成する重要な要累として,教育(家庭教育と学校教育)を重視す る。労働階級がその賃金を, また国家がその資金を,子供たちの教育に使 えば,次の世代の労働階級がヨリ生活基準の上昇を目指すようになると考 えたのである。
まず,家庭教育の重要性を強調して,マーシャルは次のように述べる。
「労働者階級の堕落は,婦人によって行なわれる粗雑な労働の盆とほ とんど同一歩調で変化するのを見出す。あらゆる資本のうちでもっと も価値の高い資本は,人間に投下された資本である。人間に投下され た資本のうちでもっとも貴重な部分は,母親の配慮と影響の結果であ る28も」
ここで注目すべきは,マーシャルが次世代の人間を人的資本と捉え,その 人的資本の再生産に「母親の配慮と影響」という要素を重要部分として認 識したことである。家庭内における母親の役割の重要性については, さら に強調している。
「有能な労働者と立派な市民は,母親が一日のうちのかなりの時間留 守にするような家庭からは生まれないように思われる。また,父親が,
子供が寝るまでに帰宅することの稀な家庭の場合にも, 同様であ る鱒も」
マーシャルがこのように母親の役割を強調するのは,当時進行しつつあっ たイギリス社会の変容,特に専業主婦層の出現を背景としていたようにも 思われる卸も
28)
29)
30)
PE, p.564@邦訳4, 87ページ PE, p,721,邦訳4, 314"‑K‑ジ.
Tullbergはマーシャルの初期識義録4LecturestoWomen' (1873)/"
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東北学院大学論集経済学第137号
労働者の人間的資質が家庭教育によって形成されることを認識した上 で,教育の積極的な充実を国家に求めて, さらにマーシャルは言う。
「教師の主要な任務は,性格と才能と活動を教育することであり,そ うすることを通じて,思慮深くなかった両親の子供たちでさえも,次 の世代の思慮深い両親となり得るように訓練される, よりよい機会を 持つことができるようにすることである。 この目標のためには公共の 資金を借し承なく投入すべきである31も」
ここで強調されていることは,学校教育が家庭教育を補完しつつ,次世代 の労働者の資質向上を目的とすることであり,そのための積極的な政府の 役割である。
このような家庭教育と学校教育の結果として,労働者が自らの生活態度 を改善し生活基準の向上を目指すように方向付けられることを,マーシャ ルは意図したのであった。
(3)経済騎士道:公共的精神
労働者における生活基準の上昇とともに,社会の有機的成長にとって必 要なものとして,彼らの雇用主である企業家の役割も重視されている。す なわち, 自己の利益獲得の象に関心をもつのではなく,労働階級の状況や 社会の発展を視野に入れた経済倫理を身につけるべきことを企業家に求め たのであって,マーシャルはそれを「経済騎士道EconomicChivalry」
と呼んだのであるが,先に述べた「欲求」との関連で言えば,それは「卓 越性への欲求」を純粋に追求する態度であるといえよう。
マーシャルは「経済騎士道の社会的可能性」 (SocialPossibilitiesof EconomcChivalry,1907)において,次のように言う。
、4の刊行に寄せて,特に女子高等教育に対するマーシャルの貢献について考察 しているが,その際,中産階級の女性の地位をめ<・る19世紀イギリス社会の 変容1こついて,社会経済史的観点から言及してL、る。RitaMcWilliams Tulberg, "Marshall'sconmbutiontowomen'shighereducationmove‑
ment",mRaffaelli, T、 , Biagini, E. andR.Tunberg(eds.), @Alfred Marshan'sLecmrestoWomen',EIgar,1995,pp.47‑75.
31) PE, p、718.邦訳4, 310ページ.
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A.
マーシャル『経済学原理』における連統性の認識と方法「経済騎士道は,容易に手に入れることができる勝利に対しては卑し 象,助力を必要とする人々を助けることを喜ぶのである。そして,正 当な方法で利益を得ることに対して軽蔑せず,見事な戦いぶりによる 戦利品・試合の賞品などを尊重するという戦士の立派な誇りを抱いて いるのである。その理由は,彼らに試練の結果与えられる功績のため であって,それが市場の貨幣によってどのように価値が評価されるか
ということは,第二義的問題にすぎない蛇も」
ここに述べられたマーシャルの意図は明らかであって,企業家は利己的な 目的だけではなく,労働階級の利益や福祉を, さらに社会の発展を視野に いれて事業に成功することに意味があるのであり,その結果として得られ る富を公共の福祉のために支出すれば,労働者の生活基準の向上と貧困問 題の解決につながるとの認識であった。
その可能性を踏まえた上で,マーシャルは経済騎士道に期待して次のよ うに述べたのであった。
「経済騎士道の社会的な可能性のより瞳範な理解によって,多くの方 面で弊害を減少できるかも知れない。 ・ ・ (中略)…公共の福祉に対す る富裕者の側における貢献が…(中略) ・ ・ ・大いに寄与するかも知れな い。そして,貧困の段悪の弊害を地上から除くことができるかもしれ ない測も」
われわれがここで留意すべきは,貧困の解消が経済騎士道という規範に全 面的に依拠させているのではなく,労働階級の倫理と経済発展の螺旋的循 環構造の中で,いわば労働分配率の上昇という形で与えられるだけで十分
であるという認識であるように思われる。
以上われわれが考察してきたところを概念図として示せば以下のように
32) A・Marshall, "SocialPossibilitieSofEconomicChivalry"(1907) , Memorials, pp,33131.
33) PE, p.719.邦訳4, 312ページ.
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なろう。すなわち,マーシャルは企業家の「経済騎士道」による労働分配 率の上昇に期待する。しかし,それを受容する労働階級の態度こそ問題で あって,賃金率の上昇がもたらされたとしても, 「多様性への欲求」段階 や「差異への欲求」段階に留まっている労働者は「欲求」を重視するがゆ えにそれを「安楽基準」の上昇に使うこととなり,それは単なる欲求の再 生産にすぎず,彼らはこの経路を循環することになる。一方,いわば紳士 としての特性をもつに至った「卓越性への欲求」段階に達した労働者は「活 動」を重視し,賃金率の上昇がもたらされるとそれを「生活基準」の上昇 に使う結果,国民経済の発展が実現し,その労働者の一層の倫理的成長を 可能にするという経路を循環することになる。マーシャルが家庭教育と学 校教育に期待したものは, まさに上述の第1の経路から第2の経路へ労働 者を誘導する機能であったといえよう。そして, この種の経路循環と移行 とを現実の時間を通じて連続的に世代間にまたがるものと認識したところ に,生物学的アプローチによるマーシャルの方法論上の転換点があったよ うに思われる。
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18 −140−
A,
マーシャル『経済学原理』における連続性の認識と方法 V.結語ケインズ(J.M.Keynes,1883‑1946)はマーシャルに内在する「説教 者」と「科学者」という二重の性格を指摘しているが34),説教者としては 倫理を求め,科学者としては経済の客観的法則を求めたものとすれば,有 機的成長論に展開された論理は, まさにそれを明らかにしていた。すなわ ち,有機的成長論は,人間の性格の成長を媒介とした「経済」と「倫理」
の連続的で相互的累積過程において展開されていたのであった。
マーシャルのこのような発想は,われわれが本稿Ⅱでウォード宛の畜簡 から見たように, 1871‑72年と早い段階から芽生えていた。そこにおいて 彼は,経済学を単なる富の増大の研究としてではなく, 「人間の品性」と いうすく・れて倫理的な問題を規定する基礎研究として捉えていた。
このマーシャルの観点はウォード宛書簡で示された時期から50年後に公 刊された『原理』第8版(1920年)でも不変である。曰く, 「政治経済学 または経済学は人生の日常の実務における人間の研究であり,人間の個人 34) 『届用・利子及び貨幣の一般理論』 (1936)においてマーシャルを「古典学 派」と呼び理論的批判を加えたケインズにとって, マーシャルは学問上の師 であるとともに父親J.N.KeyneSの同僚でもあり,公私共に大きな存在で あった。ケインズは伝記において,マーシャルが「牧師としての性格」と「科 学者としての性格」という 「二重の本性」を併せ持っていたことを指摘して いるが, この指摘は今日に至るまで, マーシャルを理解する手がかりを与え 観けている。いささか長文にわたるが以下に引用する。
「19世紀の般後の10年間, ケンブリッジにおける道徳学の識座を担当し ていた二人の同僚, ヘンリー・シジウィックとジ雲一ムズ・ウォードと 同様に, アルフレッド・マーシャルは賢者や牧師の樋族に属していた。
しかもまた彼らと同様に.二重の本性を授けられていて,科学者でもあ った。鋭教者としてまた人間の牧者として,彼は他の同様な人物よりも 格別すぐれていたわけではない。 しかし科学者としては,彼はその専門 分野において, 100年間を通じて世界中で最も偉大な学者であった。に もかかわらず、彼自身好んで擾位を与えようとしたのは,彼の本性の第 一の側面であった。この自我こそ主人であり,第二の自我はしもべでな ければならぬ. と彼は考えた。第二の自我ば知識のために知職を求めた。
第一の自我は抽象的な目的を実際的な進歩の必要に従属させた。鷲のよ うな鋭いまなこと天翔ける翼とは,道を説く人の言付けに従うためにし ばしば地上に呼び返された。」 (J.M.Keynes, op,Cit, , p. 173.前掲邦 訳, 232ベージ)。
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的,社会的行為のうちで,福祉の物的条件の獲得と利用にもっとも密接に 結びついた部分を考察の対象とする。/それゆえ経済学は一面において富 の研究であると同時に,他面において, またより重要な側面として,人間 研究の一部である。なぜなら人間の性情は, 日常の仕事と仕事によって得 られる物的な資力の大小によって形成されるところが大であったからであ る輻り・別言すれば,経済学は「人類の数と健康と強力さにおける発展の 問題と,知識,才能および性格の豊かさにおける成長の問題36Uを目的と する「人間研究」の重要な部分を担うものとされているのである。
ここにおいて経済学は,政策目的と政策手段の決定において政治家を助 けることを目的とする「ポリティカルエコノミーPonticalEconomy」と いう狭い意味から離れ,有機的成長の過程として「経済」と「倫理」とを 統一的に捉える人間研究を目的とした「純粋ならびに応用の両面における 科学37uとして, より広い憩味を持った「エコノミクスEconomics」と
して成立したのであった。
一方,人間の性格の成長を媒介とした倫理と経済の相互的累積過程にお ける統一をマーシャルが特に強調したことの意味を考えて象るとき,マー シャルが目的と手段の明別の必要性を認識して,近代社会が目的と手段を 逆転する傾向にあることに警鐘を与えたのではなかったか, ということが 想起される38もすなわち,労働組合は労働者の「生活基準」向上を目指し
35)
36)
37)
38)
PE, p@ 1 @邦訳1 , 2ページ.
PE, p 139、邦訳2, 3ページ.
PE, p、43,邦訳1 , 58ページ.
この認識はヴェーバー(MaxWeber, 1864‑1920)のそれと通ずるもの があるように思われる。すなわち, ヴェーバーばマーシャルと同時代人であ ったが,彼が『プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神』 (1905)の 末尾において述べた次の言葉は象徴的である。 「ともかく勝利をとげた資本 主義は,機械の基礎の上に立って以来, この支柱(禁欲の精神のこと−引用 者)をもう必要としない。 . ・ ・ (中略)……営利のもっとも自由な地域であ るアメリカ合衆国で朧,営利活勤は宗教的・倫理的な意味を取り去られてい て,今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり,その結果, スポーツの 性格をおびることさえ稀でばない。」 (M.Weber,DieProtestantische EthikundderGeistdesKapitalismus,190405大塚久雄訳『プロテ/
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A・ ‐才一シャル『経済学原理』における連続性の認識と方法
て高賃金の痩得に向かったものが, いつの間にか後者が目的化したのであ ったし, また,企業家も「卓越性への欲求」のもと経済騎士道に基づいた 活動が目的であったが,これも利潤穫得そのものが目的化している。また,
労働者における「欲求」と「活動」との関係も同様であって, 「欲求」を 自己目的化する「安楽基準の」向上にの糸関心をもつ労働階級の存在が貧 困を再生産しているのである。マーシャルの独自性は目的と手段の逆転化 傾向を認識しつつ敢えてその上で,労働階級をしてそのように方向付ける 環境を改善すべく彼らを向わせるように意を用いたことであって,ここに,
マーシャルが貧困問題解決を取上げる際の規範と理論の一体性のひとつの 根源があるように思われる。
、 スタンティズムの倫理と資本主義の精神』,岩波文琿版, 365−6ページ) と。
すなわち,彼は, プロテスタンテイズムの召命倫理から出発した近代資本主 袈が, 20世紀初頭の現実において既に,その倫理的基盤を離れ, もはや単な る利潤追求動機に支配された世俗的運動と化したことを皮肉をもって描写し たのであった。それが20世紀の幕開けにあたっての彼の資本主競社会の認識 であった。
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