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Vol.36 , No.1(1987)062海野 孝憲「ラトナーカラ (R) とカマラシーラ (K)」

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Academic year: 2021

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印 度 學 佛 敏 學 研 究 第36巻 第1號 昭和62年12月 ラ ト ナ ー カ ラ(R)と カ マ ラ シ ー ラ(K) 海 野 孝 憲 KとRは, 従 来, 多 くの学 者 に よ って そ の類 似 性 が 指摘 され, とき に はRは シ ャー ンタ ラク シタ(S)やKの 亜 流 と も 目され て き た。 それ はRが 多 くの箇 所 で, SやKと 同 じ よ うな各 種 の典 拠 に も とづ き, 論 書 を著 述 して い る こ とに よ る。 し か し, SやKは 中観 喩 伽 派 の学 者 と して, 中観 思 想 の 確立 を 意 図 した の に対 し, 喩 伽 唯 識 思 想 の復 活 に ひ たす ら努 力 を か た む け たRと の 間 に は, 次 に 見 られ る よ うな 大 き な差 異 の あ る こ と も否 定 で き な い。 資 料A それ は, 唯 識 説 を立 場 とす るRが, 中観 説 へ の 向上 を 意 図 したKの 論 書 の一 部 を, そ の ま ま 引用 し, 中観 説 批 判 を 展 開 した 箇 所 で あ る。Rは 引 用 に 際 し て, S やKと 同 じ よ うに,「 龍 樹 の二 偶 」1)とい う言 葉 を何 回 も使 用 して い る こ とは注 意 す べ きで あ る。 資料 に お い て, 引用 さ れ た 各種 の テ クス トの 意 味 は, 凡 そ, 次 の 通 りで あ る。 「樗 伽 経 」X-592 「因と縁 の否定 と能作者 の否定 によ って, 不生 であ ると, 私 は説 き, 唯 心を確立 す る。」 「樗 伽 経 」X-595 「諸法 は外 の存在 で もな く, 心 に摂せ られ る存在で もない。一 切の見解が否 定 され る こ とが不生 の相 であ る。」 「龍 樹 の二 偶 」 「ここには生 もな く, 滅 もな く, この知 だけが生 じ滅す る。」(「樗伽経」X-85)2) 「大種等 と説 かれ るものは識 に属 し, それは智 に よって滅せ られ る時, 虚 妄に分 別 され た もので はない か。」(「六十頗如理論」34偶) まず 第 一一に, KがMAPの, 唯 識 説 か ら中観 説 へ の 向上 を意 図 した部 分 の構 成 を述 べ るMAP(129a-6ff) 1「 樗 伽 経 」X-592を 引 用 して,「 唯 識 説 に お け る不 生 」 を説 く。 2「 樗 伽 経 」X-595を 引 用 して,「 中観 説 の不 生 」 を説 く。 3「 龍 樹 の二 偶 」 を 引用 す る。

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-355-第 一 偶 の 引 用 に 際 し て,「 唯 心 を 世 俗 と し て 説 く。」 と 述 べ る。 第 二 偶cの 「そ れ は 智 に よ っ て 」 の 「そ れ 」 を 識 と解 す る こ と に よ っ て, 勝 義 と し て の 心 の 無 を 説 く。 Rは, Kを 引 用 す る 際 に は, す べ て の 箇 所 で, Kが 「中 観 の 不 生 」 を 述 べ る も の と し て 引 用 し た 「樗 伽 経 」X-595の み を 無 視 し て い る こ と は 注 意 す べ き で あ る。 1 PPU(161b-8 ff) 1「 樗 伽 経 」X-592の み を 引 用 す る。 引 用 に 先 立 っ て, 勝 義 と し て の 心 の 有 を 説 く 2「 龍 樹 の 二 偶 」 を 二 偶 と も 引 用 し, こ の 二 偶 に 基 ず い て, 心, 心 所 の 有 を 認 め な い 中 観 派3)に 対 す る 批 判 に 移 行 す る。 2 PPU(172a-6ff) 1「 樗 伽 経 」X-592の み を 引 用 す る。 こ れ に 先 だ っ て,「 樗 伽 経 」X-625を 引 用 し, 識 の 自 性 は,「 不 生 」 で は な い と 述 べ, 更 に そ れ の 教 証 と し て 引 用 す る。 2 「龍 樹 の 二 偶 」 の 第 一 偶 の み を 引 用 し て, 中 観 派 批 判 へ と 移 行 す る。 3 VAV(119b-4ff) 1「 娚 伽 経 」X-592の み を 引 用 す る。 こ の 引 用 に 先 立 っ て, 心 の 無 を 説 く 中 観 論 者 を 「虚 無 論 者 」 と し て 批 判 し, 心 の 有 の 教 証 と し て, 引 用 す る。 Rは 経 を 次 の よ う に, 解 説 す る。 「因 は六 種 で あ り, 倶 有(因)等 で あ る。 縁 は四 種 で あ り, 因 縁 等 で あ る。 そ れ ら と は 別 の 能 作 因 と は, 創 造 主, 自在 天 等 で あ る。 それ ら は否 定 され る こ と に よ り, 唯 心 を確 立 し, それ ら に よ っ て,「 不 生 」 で あ る と い う意 味 で あ る。」 2「 龍 樹 の 二 偶 」 の 第 一 偶 を, 上 の 教 証 と して 引 用 す る。 続 い て, 二 派 の 中 観 派4)を 批 判 す る。 4 MAV(133b-1ff) 1「 樗 伽 経 」X-592のc, dの み を 引 用 す る。 こ れ に 先 立 っ て, X-625を 引 用 し て,「 依 地 性 の 有 」 を 主 張 し, そ の 教 証 と し て 引 用 さ れ た。 2「 龍 樹 の 二 偶 」 の 内, 第 一 偶 のc, dの み を 引 用 し, 上 の 教 証 とす る。

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(129) ラ トナーカラ(R)と カマラシーラ(K)(海 野) 5 MAU(226 a-4ff) 1 引 用 され て い ない。 2「 龍 樹 の二 偶 」 を, 二 偶 と も引用 す る。 これ に先 立 って, 二 相 が 出世 間智 に於 い て 滅 せ られ る時, そ れ は 「不顛 倒 な 真 実智 」 で あ る と説 き, 上 の二 偶 の 引用 の 後 で, そ れ は 出 世 間 智 で あ り, そ れ が 更 に 清浄 世 間智 と して, 作 用す る こ とを述 べ る。 6 MAC(128a-1 ff) 1 引 用 され て い な い。 2「 龍 樹 の 二偶 」 の 第 二偶 の み を引 用 す るの に先 立 って, 次 の 二 点 の 主 張 が な さ れ る。 a・ 依 他 の 知 に よ って, 悪 等 は分 別 され る。(そ れ らは)智 に於 い て は 顕 現 し な い。 顕 現 は真 実 性 で あ る。 b・ それ らは顕 現 し ない 故 に, それ の空 性 の相 は, それ らの 真 実 性 で あ る正 智 に 於 い て 顕 現 す る。 それ 故 に, それ にお いて は迷 乱 は存 しな い。 Rは これ に続 いて, 二 派 の 中観 派 を,「 龍 樹 の 門 弟 で は ない。」5)と批 判 す る。 7 PPU(169-6ff) 1 用 され ない 2「 龍 樹 のこ 偶 」 の 第二 偶 の み を 引用 す る。 これ に先 立 って, Kの 「修 習 次 第 」 の第 四段 階 に関 連 して, 中観 派 も, 喩 伽 行 派 と同 じ く, 「一切法 は空 であ り, 不 可得であ り, 無 顕現であ り, 全 く無 垢であ り, 無 辺 際 で あ り, 虚空 の ごと く顕現す る出世 間智 である と認 め る。」 と説 い て い る6)。 資 料 B 修 道論 に於 い て も, RはSやKの 論 書 に お け る 「樗 伽 経」 の 引 用 を, そ の ま ま用 い て, 独 自の 修 道 論 を展 開 す る。 引 用 され る 「樗 伽 経 」 は次 の 三 偶 で あ る。 「唯心に もついて, 外境を分別 しない。真如 とい う対象 に依止 して, 唯心を越 え るで あ ろ う。」(X-256) 「唯心 を更 に超 えて, 無顕現 を超 えるで あろ う。無顕現 に住 す るかの ヨーギ ンは大 乗 を

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-353-見 る。」(X-257) 「樗 伽 経 」X-258に つ い て は, 各 テ ク ス トに お け る 語 句 の 相 違 が 著 し く 繁 雑 さ を さ け る た め に, 偶 の 和 訳 は 示 さ な い。(参。 「名城 大 学 人 文 紀 要20-2, 1985年3 月p. 11」 BK(32a-2ff) 1「 樗 伽 経 」X-256 a, bに よ り, 所 取 の 無 に よ り能 取 が 無 と な り, 心 は 無 二 の み で あ る と 観 察 す る。 c, dに よ り 「二 と して の顕 現 の な い無 二 の智 に住 して, 更 に, 二 の 顕 現 の な い智 を 超 え る。」(35b-lff) 2「 樗 伽 経 」X-257 「無 二 智 を実 在 と して, 執 着 す る こ と を捨 て て, 無 二 智 が顕 現 しな い智 の み に お い て 住 す る。 こ の よ うに, ヨー ギ ンは無 二 智 が 顕 現 しな い智 に住 す る と き, 見 道 に住 す る ゆ え に, 大 乗 を 見 る。」(35b-4H) 3「 樗 伽 経 」X-258 X-257で 述 べ ら れ た 最 高 段 階 の 位 を 解 説 す る。 Kは256か ら257の 解 説 に 移 る に 際 し て 「唯 識 に入 る もの は真 実 に は入 らな い と, 前 に説 か れ た よ うに 」7)(BK36b-1の と 述 べ て い る よ う に, こ こ で は 唯 識 説 か ら 中 観 説 へ の 向 上 を, 修 道 論 の 上 で も 明 ら か に し て い る これ に 対 し て, 唯 識 説 を 立 場 とす るRは, 次 の よ う に, 述 べ て い る 1 PPU(183a-8 ff) 1「 樗 伽 経 」X-256 a, bに お い て 「唯 心 を 対 象 と す る 」 瞑 想 の 第 二 段 階 に 到 達 す る こ と。 c, dに お い て 「智 に よ っ て 真 如 を 了 得 す る」 第 三 段 階 に 到 達 す る。 2「 樗 伽 経 」X-257 「無 顕 現 に 住 し, 法 と 法 性 の 諸 相 が 全 く顕 現 し な い こ と を 見 る こ と 」 で あ り, 最 高 の 第 四 段 階 に 住 す る こ と。 3「 樗 伽 経 」X-258 最 高 位 に 到 達 し た 者 が 「こ の 大 乗 に よ って, い か に して 行 き, 誰 が, ど こ へ 行 く

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(131) ラ トナーカラ(R)と カマラシーラ(K)(海 野) か。」 を示 す 為 に説 かれ る。 2 MAV(136a-4ff) 1「 樗 伽 経」X-256 a, bに つ い て,「 所 取 は存 しな い と知 る こ と」 で あ り, 第 二 段 階 に到 達 す る こ と。 c, dに つ い て は, 「能 取 の相 は心 で あ り, 所 取 の 無 に よ り能取 は 存 しな い。」 こ と で あ り, 二 つ の もの が空 で あ る と智 るそ の こ とは 真 如 を所 縁 と し, それ に住 す る 唯 心 で あ り, か の二 つ を 超 え る こ と」 で あ り, 第 三 段 階 に到 達す る こ とで あ る。 2「 樗 伽 経 」X-257 「名 と相 と所 取 と能 取 をす べ て 滅 した 彼 は無 顕 現 の 智 に住 す るの が, 偶 の 余 意 で あ る。」, それ は 「大 乗 を 見 る」 こ とで あ り, 第 四段 階 に到 達 す る。 3「 樗 伽 経」X-258 第 四段 階 に 「どの よ うに して行 くか。 い か な る もの か。 誰 が行 くの か」 を示 す た め に説 かれ た もの。 3 MAU(230b-6ff) 四 つ の段 階 の教 証 と して,「 樗 伽 経 」X-256, 257の 二 偶 が 引用 され て い る が, 偶 の 各 々 に つ い て の解 説 は な い。 さ て, ラ トナ ー カ ラ とカ マ ラ シー ラに つ い て, 我 々 は つ ぎ の よ うな二 つ の疑 問 を有 して い る。 1), RはSやKを 批 判 して い るの で あ ろ うか。 RはSやKの 論 書 を, あ る箇 所 で は, 極 めて 忠 実 に引 用 して い るが, 筆 者 の 知 る か ぎ りで は, RがSやKを 名 指 し で批 判 して い る箇 所 を 見 い 出す こ とが で き な い。 む しろ, SやKの 論 書 を知 り 尽 くし た うえ で, 注 意 深 く, それ らを引 用 し, 批 判 せ ず に, 独 自 の理 解 を展 開 し て い る。 2), RはSやKの 権 威 を認 めた 上 で, 後 世 の 中 観 派 が, SやKの 論 書 を 誤 って 理 解 して い る こ と を い ま し め る為 に, 殊 更 に, SやKを そ の ま ま引 用 して い るの で あ ろ うか。Rは, SやKの 言 葉 の各 々 に批 判 して い る箇所 は 存 しな い が, Sや Kと 同 じ典 拠 に よ りR自 身 の解 釈 を示 し, 殆 どの場 合, 中 観 派 を批 判 して い るか らで あ る。 しか し, Rは 自説 を権 威 づ け る際 は, 常 に, 弥 勒, 無 着, 龍 樹 の 三 者 で あ って, SやKの 著 書 を引 用 して も, 中 観 説 や 喩 伽 唯 識 説 と の 同一 を主 張 す る際 は, 中 観

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-351-の 始 祖, 龍 樹 とR自 身 と -351-の一 致 を求 め る-351-の で あ って8), SやKと の 一 致 と見 られ る主 張 は全 く見 当 た らな い。 以 上 の結 論 と して, Rが, SやKが 唯 識 説 よ り中 観 説 へ の 向上 を意 図 し た箇 所 を, 殊 更 に 引用 し, 中観 説 批 判 へ と移 行 した真 の意 図 は何 で あ った の か, 明 らか で は な い が, RがSやKの 学 説 に, 少 な くと も, 批 判 的 で あ った こ と は 否 定 で き な い。 論文 では, 字数 の節約 のため, 使用頻度 の高 い人名や書名 には, 略号 を使用 した。 R=Ratnakarasanti K=Kamalasila S=Santaraksita BK=Bhavana-krama of Kamalagila MAP=Madhyamakalamkara-panjika of Kamalasila MAU=Madhyamakalamkara-upadesa of Ratnakarasanti MAV=Madhyamakalamkara-vrtti of Ratnakarasanti PPU=Prajnaparamita-upadesa of Ratnakarasanti 1) ツ オ ン カ バ のDrahhesに よ れ ば,「 竜 樹 の 二 偶 」 の 中, 後 の 一 偶 の み が, 竜 樹 の 「六 十 頚 如 理 論 」 よ り の 引 用 で あ り, 前 の 偶 は 「樗 伽 経 」 よ り の 引 用 と さ れ て い る。 従 っ て, ラ トナ ー カ ラ が 本 文 に 於 て, 二 偶 と も竜 樹 の 偶 と す る の は 誤 ま り で あ っ て, シ ャ ー ン タ ラ ク シ タ が 引 用 し た 偶 を 竜 樹 の 偶 と誤 っ て 伝 え た も の と さ れ る。 片 野 道 雄 「ッ オ ン カ バ の 解 明 す る シ ャ ー ン タ ラ ク シ タ の 中 観 思 想 」(仏 教 学 セ ミ ナ ー 第44号, 22頁)。 2) カ マ ラ シ ー ラ は そ の 著Madhyamakalamkara-pahjika(129b-2)の 中 で, 第 一 偶 に つ い て 次 の よ う な 注 釈 を 与 え て い る。 「聖 樗 伽 経 の 中 に 説 か れ て い る 出 典 は 『知 の み で あ る 』 と説 か れ, 識 の み で あ る こ と に 尽 き る。」 ツ オ ン カ バ も, こ れ を 受 け て,「 〔カ マ ラ シ ー ラ の 〕 注 釈 の 中 で 初 め の 偶 頽 は 「入 樗 伽 (経)」 か ら の 引 用 で あ る と述 べ て い る。」 片 野 道 雄ibid., 22頁。 3) 中 観 派 は 次 の よ う に 主 張 す る。 「あ る 中 観 派 は 説 く。 『世 俗 と し て 心 心 所 が 有 で あ る 如 く, 外 境 も 有 で あ る が, 勝 義 と し て は 心 心 所 も又 自 性 と し て 迷 乱 で あ る故 に(心 ・心 所 は)自 証 の 自 体 と し て 有 で は な い。』 『諸 菩 薩 は 一 切 衆 生 の 利 益 を 全 く 自然 無 作 に な さ ん が た め に, 如 意 宝 珠 の 如 く, 色 身 を 加 持 し て, 示 現 し て 等 正 覚 を 現 証 す る。 そ れ は 又, 一 切 法 が 勝 義 と し て 全 く無 で あ る そ の 如 く に, 一 切 の 心 心 所 も勝 義 と し て 全 く無 で あ る か ら, 心 心 所 の 滅 は 従 っ て 正 覚 で あ る。 そ れ 以 外 の 場 合 は, そ れ は 不 適 当 で あ る が 故 に。』」

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(133) ラ トナ ー カ ラ(R)と カ マ ラ シ ー ラ(K)(海 野) 4) 第 一 派 の 中観 派 の主 張 「も し勝 義 と し て は無 で あ る が, 世 俗 と し て は有 で あ る と言 うな らば, そ れ も正 し く な い。 車 の支 分 が あ る時, 車 と して仮 設 され る。 そ の よ うに纏 が有 る時, 人 を仮 説 す る。 一 切 の ものが 無 で あ る時, 何 に依 止 し, 何 を仮 説 す る の か。」 第 二 派 の 中観 派 の主 張 「一 切 の もの が有 で もな く, 無 で もな く, 中道 で あ り, 一 切 の もの は無 で は な い と我 らは説 くと言 え ば, そ れ も又 不 合 理 で あ り, 有 と無 とは相 互 に他 を排 除 す る一 つ の特 相 で あ る の で一 つ の もの を滅 す る こと に よ っ て, 第 二 の もの が示 さ れ る か ら, 二 つ の もの を滅 す る こと は不 合 理 で あ る。」 5)海 野 孝 憲 「ラ トナ ー カ ラ ・シ ャー ンテ ィ と竜 樹 」(印 度 学 仏 教 学 研 究34巻No. 1. 347頁)。 6) こ れ に続 い て ラ トナ ー カ ラ は 中観 派 批 判 に移 行 す る。両 派 の相 違 点 に つ い て, 次 の よ うに述 べ る。 「この よ うに喩 伽 行 派 は諸 法 の 自性 で あ る本 来 明浄 な る もの(自 証)の み を実 有 で あ る と認 め る が 中観 派 は この実 有 を認 め ず, この差 別 も, 名称 の み で あ る と理 解 す る。」 ラ トナ ー カ ラは 中観 派 批 判 に先 立 って,「 最 勝 の友 人 で あ る喩 伽 行 派 に 対 し て, 怒 り を心 に い だ き, 論 争 を意 図 す る 中観 に計 執 す る者 」 とい う激 しい言 葉 を発 して, 実 在 論 者, 有 相 の 中観 論 者, 無 相 の唯 心論 者 を批判 して い る。

7) rnam par rig pa tsam la hjug pa ni to kho na la hjug pa ma yin to/sear bad pa bshin no// 8) 海 野 孝 憲 「ラ ト ナ ー カ ラ ・ シ ャ ー ン テ ィ と 竜 樹 」(印 度 学 仏 教 学 研 究34巻No. 1. 347頁)。 〈キ ー ワ ー ド〉 ラ トナ ー カ ラ, カ マ ラ シ ー ラ, シ ャ ー ン タ ラ ク シ タ (名 城 大 学 教 授)

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