王畿の「一念自反」の思想--王畿良知心学原論(2)
著者
小路口 聡
著者別名
Satoshi Shoujiguchi
雑誌名
東洋大学中国哲学文学科紀要
号
19
ページ
23-67
発行年
2011
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00000051/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja王畿の
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前稿﹁王畿の︿一念﹀の思想﹂の末尾において、﹁この︿一念﹀の思想が苧んでいる切迫感、緊迫感は、更に突き 詰 め て い け ば 、 ﹁ 造 化 閏 砕 の 玄 機 ﹂ ( ﹁ 答 楚 伺 欧 子 問 ﹂ ﹃ 王畿集﹄巻四一 O O 頁)に由来するものである﹂と述べた。 まずは、王畿の著作の中にも、しばしば、その名が挙げられる、北宋の部落 ( 郡 康 節 一 O 一 一 i 一 O 七 七)の有名 な ﹁冬至吟﹂二首を枕に、論を起こしていきたい 。 この詩は、まさしく端的に、王畿の所謂﹁造化闇畔の玄機﹂のも っ ﹁ 危機的時間の推移﹂について述べたものであった。 何 者 を 理 か 極 之 め を て 幾 微2と け 謂し ふ
何者謂之幾 今 天 年 根 天根理極微 初めて霊くる庭 今年初童庭 明 日 未だ来たらざるの時 明日未来時 王畿の﹁一念自反﹂の思想 │ │ 王畿良知心学原論会乙││此の 際 其の問 人 東洋大学中国哲学文学科紀要 意を得やすきも 僻を下し難し 何事をか能く知らざらむ 能く此の意を知らば 糸 、 至 世 盟 問 物 玄 酒 大昔 天 心 此 の ちZ Eコ 更に請ふ ね な か 子の半ば 改移すること無く 陽 初めて起こる慮 第十九号 四 聾
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味 未 如 正3方iだ しゅに に 生 信1
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る ざ の れ 時 ば 庖犠に問へと ﹁ 冬 至 吟 ﹂ ﹃ 伊 川 撃壌集﹄巻十八 此際 易得意 其問難下僻 人能知 此 意 何 事不能知 冬至子之半 天 心 無改移 一陽初起庭 禽 物 土 木 生 時 玄 酒 味 方 淡 大昔整正希 此 言 如不信 更請 問庖犠 理学叢 書本﹃部落集﹄中華書局 四 七 二 ・ 四八九頁) あらためて 、 こ の二つの詩を見れば、﹁幾 ﹂ という語に始まり、 ﹁ 微 ﹂ ﹁ 際 ﹂ ﹁ 間 ﹂ ﹁ 初 ﹂ ﹁ 改移﹂﹁未生 ﹂と 続 く 、 連の語棄は、既に前稿でも見てきたように、また、今後も頻繁に目にすることになる 、 王畿の ﹁ 一 念 ﹂ の思想の言説 に連なるものであり、両者の思索が深いところで通底していることを 、 窺い知ることができるであろう 。いったい、我々は、今日もまた、昨日と同じように、朝になれば、 日が昇り、また一日が始まると信じて疑うこと がない。そして、明日もまた、今日と同じように:、と信じて、床に就く。冬の厳しい寒さをしのげば、必ず、ま た春が訪れ、暖かい陽光が戻ってくると信じて疑うことがない。しかし、 一体、何が、それを保証してくれるという のか。ただ、それまでの経験的事実だけにたよって、それを信じて疑おうとしないだけのことに過ぎないのではない のか。部落の詩に、﹁今年 初めて壷くる慮、明日 未だ来たらざるの時﹂とあるように﹁冬至子の刻﹂とは、とも すれば、この世界が終駕を迎えかるかもしれない危機的瞬間であり、このまま一陽が来復することがなければ、陰が 陽を押しのけて、この世界を支配してしまうやもしれぬ、暗黒時代の到来が危ぶまれる、そんな危機を苧んだ、緊迫 し た 一 瞬 で も あ る 。 しかしながら、宋明の儒 学者の中には 、陽は、決して亡び尽きる道理はない、という確信があった 。そ こ に こ そ 、 ﹁天地の心﹂があると信じて疑わなかったのである 。そして 、この﹁天地の心﹂に相当するのが、人で 言えば 、内心 における﹁一念﹂の良知(独知)の現出である。王畿は、﹁一陽、初めて起こるは、陽の動なり、是れ良知の覚悟す 出 の ﹁ 昏 蔽 の 複 ﹂ ) の 中 か ら 、必ず、忽然と、その閣をこじ開けて、 る 処 、 之 を 天 根 と 謂 う ﹂ ( 後 述 。 ﹁ 答 楚 伺 欧 子 問 ﹂ ﹃ 王畿集﹄巻四)と言、っ。問題は、その空寂 と見紛う、漆黒の暗闇(後 か す 一条の微かな光が来復してくる、 一陽の初動の時 において、人は、それにどう対処すべきかということである。決して、それを見逃したり、見過ごしたり、やり過ご したり、ましてや、抑え込んだり、押し殺したり、欺いたりすることなく、必ず、その ︿ 沈 黙 の 声 ﹀ に 耳 を そ ば だ て 、 それをしっかりと受け止め、その声を聞き分け、それを自らの使命として引き受けて立ち、着実に、それを行動に移 してゆくこと。そうすることによって、その心は、確実に、昔交われ、培われ、育っていく。それが、﹁天機﹂に順い、 ﹁ 天 則 の 自 然 ﹂ に 順 う 、 つまり、﹁本体﹂に順った、真の人間の側の生きるかまえであった。﹁之を誠にする、人の道﹂ 王畿の﹁一念自反﹂の思想││王畿良知 心 学原論会乙 │ │ 五
東洋大 学 中国哲学文学科紀要 第 十九号 ム ノ、 (﹃中庸﹂)である。人の功夫 、す なわち 、 人間的な努力の意義は 、ま さに、そこにある。偶然を必然として 、自 ら引き 受けて立つ、すなわち、 ﹁自立﹂の道。しかし、それは、あくまで、本体としての良知に順った行動でなければなら ない。﹁一念独知﹂の場において、︿沈黙の声﹀に導かれて行われるものであれば、本来、それは﹁自然﹂なるもので あった。これが、王畿の ﹁ 本体に即して工夫を為す ﹂と いう思想である 。 ︹ * l ︺ 程 伊 川 は 、 ﹃ 程氏易伝 ﹄ 剥 卦 上 九 の 伝 に 、 ﹁ 陽 元 可 謙 之 理 、 仙 波 於上則生於下、元関可容息也 。 聖人後明此理、以見陽 奥君子之道不可亡也。﹂(理学叢書本 ﹃ 二 程 集 ﹄ 中華書局 八 二 ハ 頁 ) と 言 、 っ 。 更 に 、 朱 喜 ⋮ は 、 そ れ を 受 け て 、 先 に 引 い た 部康節の ﹁ 冬至吟﹂の﹁冬至子之半﹂を引きながら、﹁正是及子之半、方成一陽。子之半後、第二陽方生 。 陽 無 可 蚤 之 理 。 這箇才剥輩、陽首下使生、不曾断鎖。伊 川 説這庭未分暁、似欠雨句在中間、方説得陰剥陽生不相離慮 。 ﹂ ( 理 学 叢 書 本 ﹃ 朱 子 語 類 ﹄ 巻七十 中 華 書 局 一 七 八 七 頁 ) と 言 っ て い る 。 ︹ *2 ︺ 王 畿 も ま た 、 ﹁ 復根於坤、度以胎之、静以育之、鹿極静 篤 、 間 胴 上 而 反 下 、 故 能 一 陽 矯 主 於 内 。 寓物作而観其復、則天 地之心見 失 。 ﹂ ( ﹁ 宛 陵 税 復 楼 悟 語 ﹂ ﹃ 王畿集 ﹄ 巻 五五、六頁)、﹁易稀復其見天地之心、程子謂静見天地之心非耶。郁子 指天根、亦以一陽初動而言。蓋窮上反下、 一陽初動、所謂復也 。 ﹂ ( ﹁ 再 答 旦 ハ 悟 策﹂同巻 十 二五一頁)と言っている。なお 王畿のテキストは、呉震編校整理 ﹃ 王畿集﹄(鳳風出版社 二 OO 七)を底本として使用し、引用、及 、 び、その巻数・頁数 は同書に拠った 。 引用に際して、句読点は適宜改めた。 ﹃ 龍渓舎語 ﹄ については、明高暦四年刊本 ﹃ 龍渓王先生舎語﹄の景 印本(稲葉本)を使用した 。 ︹ *3 ︺﹁良心は、ひたすら不断に沈黙という様態において 語 る 。 ﹂ ( ハ イ デ ガ │ [ 著]/原佑・渡溢二郎[訳] ﹃ 存在と時間 ﹄ E 中公クラシ ッ ク ス
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三 四 五 頁 )︹* 4 ︺ ﹁ 夫 聖 賢 之 向 学 、 致 知 雄 て 而 所 入 不 同 。 従 頓 入 者 、 即 本 健 為 工 夫 、 天 機 常 連 、 終 日 競 業 保 任 、 不 離 性 館 。 雌 有 慾 念 、 一 党 便 化 、 不 致 為 累 。 所 調 性 之 也 。 ﹂ ( ﹁ 松 原 暗 記 聞 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 二 四 二 頁 ) 、 ﹁ 即 本 健 以 篤 功 夫 、 聖 人 之 内 学 也 。 ﹂ ( ﹁ 大 学 首 章 解 義 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 八 一 七 五 頁 ) 、 ﹁ 大 人 以 天 地 蔦 物 為 一 鐙 。 明 徳 是 立 一 億 之 躍 、 親 民 是 達 一 健 之 用 、 止 至 善 是 慢 用 一 原 、 明 徳 親 民 之 極 則 也 。 此 是 即 本 健 為 功 夫 、 聖 人 之 撃 也 。 ﹂ ( ﹃ 龍 渓 舎 語 ﹄ 巻 五 ﹁ 南 遊 会 紀 ﹂ ) と 言 わ れ る 。 さて、部落の詩に戻れば、この詩に込められた深遠な道理については、既に、木下鉄矢氏が、適確な解説を書かれ ているので、それに譲りたい。 冬至になるその夜半、陽の気はついに上に消えゆかんとし、 ば、宇宙は生起する力を失い、 一 瞬 た り ともとぎれて陽の気が下に復活しないなら 一塊たる死物へとなり果てて行く。その危機的時間の推移がここには表現されて いるのである。在りとし在るものが息をひそめて見守るなか、かすかなものであるが、世界の命運のかかった、 文字通り起死回生の逆転劇がその時に果たされる。 ﹁ 冬至・復の時﹂とは、まさにそのような﹁とき﹂であった。 ( ﹃ 朱 喜 ⋮ 再 読
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朱 子 学 理 解 へ の 一 序 説 │ ﹄ 研 文 出 版 一 九 九 九 八 五 頁 * 傍 点 木 下 ) ﹁ 冬 至 子 の 半 、 一陽初めて動く処﹂とは、﹁在りとし在るものが息をひそめて見守るなか、かすかなものであるが、 世界の命運のかかった、文字通り起死回生の逆転劇 ﹂ が果たされる、そんな﹁時﹂であり、ここにこそ、とりもなお さず、王畿の所謂﹁世界を挽回する大機括﹂(﹁孟子告子之 皐 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 八 後述)が潜んでいるのである。﹁一念﹂の 思想も、まさに、こうした世界観を背景としたものであった。 王 畿 の ご 念 自 反 ﹂ の 思 想 │ │ 王 畿 良 知 心 学 原 論 ( 一 一 ) │ │ ーじ東洋大学中国哲学文学科紀要 第 十九号 !¥ ﹁ 最初の 一 念 ﹂ と ﹁ 一陽来復 ﹂ こうした世界観を背景にして、王畿は、﹁最初の一念は、即ち ﹃ 易 ﹄ の 所 謂 復 ﹂ と 述 べ 、 ﹃ 易 ﹄ の復卦の一陽来復の 刻、すなわち、﹁造化閤昨の玄機﹂に擬えて、この﹁一念﹂現出の場の重要性、その根源性を説いた 。 王畿の﹁天根月窟﹂の思想も、 やはり、部薙の詩に見える語にインスピレ ー ションを受けたものであるが、次に挙 げる王畿の発言では、﹁一陽の初動﹂を、﹁良知の覚悟の処﹂とした上で、それを﹁天根﹂に擬え、更に、その覚悟し た﹁良知﹂の﹁翁緊の処﹂を、﹁月窟﹂に擬え、両者が相依り相侠って、 互いに交代循環して窮まりないのが、﹁造化 閤僻の玄機﹂であると言う。 を 貴 ぶ 。 天根月窟は 、部 康節が、生涯、その恩恵を こうむ った根本原理である。学は、︿初め﹀においてつかみ取ること めざめる つまり、良知が覚悟するところであり、これを天根と呼ぶ。 一陽が初めて生起するのが 、 陽 の 動 で あ る 、 一陰が初めて[陽に]遭遇するのが、陰の垢であり、これが良知が翁緊 ( 収紋・凝緊)する場であり、これを月 窟 と 呼 ぶ 。 たくわえる て、蓄蔵も安定しないし、垢(収数)しでも、復(覚悟)することがなかったならば、陰は凝滞して、感応は すみやか 神速に働かない 。 垢(凝陣取・収数)と復(発散・覚悟)とが交互に入れ替わりながら、始端も終端もない円環のよ と ひ ら うに終わり無く循環し続ける、これが﹁造化閏昨の玄機﹂、すなわち、造化の閤じたり砕いたり[することで万 か ら く り か み わ ざ 物を生成]する玄妙なる機構であり、これを弄丸と言、っ。 一陽が来復(一念が覚悟)しでも、垢 (それを収紋・凝液)することが無かったならば、陽は散逸し
天 根 月 窟 是 康 節 一 生 受 用 本 旨 。 同 学 貴 得 之 於 初 。 一 陽 初 起 、 陽 之 動 也 、 是 良 知 町 内 以 悟 慮 、 諸 之 天 根 。 一 陰 初 遇 、 陰 之 垢 也 、 是 良知翁緊慮、謂之月窟。復而非垢、則陽逸而裁不密、垢而非復、則陰滞而懸不神 。 一 垢 一 復 、 如 環 無 端 、 此 造 化 閤 砕 之 玄 機 也 、 謂 之 弄 丸 。 ( ﹁ 答 楚 伺 欧 子 問 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 四
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OO 頁 ) ここで、王畿は、﹁学は、之を初に得るを 貴ぶ ﹂ と言っている 。 ここに所謂﹁初﹂とは、﹁一念 ﹂ の初動、すなわち、 前稿でも取り上げた﹁最初の無欲の 一 念 ﹂ である。学は、この一念の発動するところにおいて、すなわち、その、欲 かす いっさいの先入主を差し挟む余地のない、その純粋無雑なる初発の段階において、良知の微かな 望をも、意見をも、 萌芽を、しかと、 つかみ取ることこそが、大切だというのである。この最初の一歩が 、 なによりも大切なのだ。それ め ざ め る が、すなわち、良知が覚悟した瞬間。そして、更には、それを、けっして欺くことなく、損なうことなく、真つ直ぐ に遂行していくことを通して、善を実現すると同時に、そうすることを通して、その根底において、自己の内面性を しっかりと養っていくことが、人が工夫(人間的努力)として為すべき仕事である 。それ が、すなわち、収紋・蓄 ト リ プ ル 蔵 ・ 凝緊である。そうすることで、天地の造 化 と匹敵する内面性を備えた人聞は、天地と参たる存在として、この天 地の聞において、﹁天下(世界)を以て己が任と為す﹂、﹁大丈夫﹂として、この世に生まれた使命を、確 実なものと していくことができるのである。 ︹ * l ︺ 王 畿 は 、 ﹁ 以 天 下 為 己 任 ﹂ ( ﹁ 書 同 心 冊 後 諾 ﹂ ﹃ 龍渓曾語 ﹄ 巻 六 ) と 言 、 っ 。 ま た 、 ﹁ 機 首 世 界 ﹂ 、 ﹁ 以 挽 回 世 界 為 己 任 ﹂ ( ﹁ 三 山 麗 浮 録 ﹂ ﹃ 龍 渓 舎 一 諾 ﹄ 巻 二 ) と も 言 、 っ 。 こ れ は 、 北 宋の泡仲海の﹁天下を以て己が任と為す﹂( ﹃ 宋 史 ﹄ 巻 コ 二 四 列 傍 第 七 三 ・ 沼 仲 流 伝 一 O 二七五頁)という気概と向じ志であろう 。 天 下 H 世 界 で 起 き る 全 て の 出 来事の一切の責任を、自 王 畿 の ﹁ 一 念 自 反 ﹂ の 思 想 │ │ 王畿良 知心学原論( 一 一 ) l l ' 九東洋大 学 中国哲学文 学 科 紀 要 第 十九 号
。
ら 引 き 受 け て 立 と う ( ﹁ 担 当 ﹂ ﹁ 承 当 ﹂ ) と し た 、 儒 家 の エ ー ト ス を 、 端 的 に 表 明 し た 言 葉 で あ る 。 拙稿﹁天下を以て己が任 と 為 す │ 宋明儒学者の志│﹂を参照 。 ︹ 中 2 ︺ ﹁ 天 根 月 窟 ﹂ の 思 想 に つ い て は 、 ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 八 に 所 載 の ﹁ 天 根 月 窟 説 ﹂ 、 ま た 、 そ の 原 型 と 見 ら れ る ﹃ 龍 渓 舎 語 ﹄ 巻 二 ﹁ 三 山 麗 浮 録 ﹂ の 二 十 一 条 を 参 照 。 そ の 末 尾 に 、 ﹁ 知 復 知 垢 、 方 自 定 陰 陽 互 根 、 方 固 定 太 極 生 生 之 機 、 方 自 定 一 陰 一 陽 之 道 。 : 到 熟 慮 、 使 是 内 聖 外 王 之 挙 。 ﹂ と あ る 。 なお、早坂俊康氏に﹁王畿の﹁ 天 根 月 窟 説 ﹂ に つ い て ﹂ ( (﹃ 哲 学 ( 広 島 ) ﹄ 日 九 九 八 ) が あ る 。 ﹁ 凡 を超えて聖に入るの機﹂ この﹁一陽が来復する﹂時こそ、ほかでもない﹁超凡入聖の機﹂であれば、ここにおいて、人は謹まないわけには いかない、と王畿は言う 。 み なさん 諸友は、今日の議会では、 ひたすら、こんなふうに[心は意見にとらわれることなく、]空寂でしたが、これこ チ ャ ン ス そ、まさしく 一 陽来復して、凡俗を超えて聖境に入る転機なのです 。 もし、[この心本来の空寂さを]保ち続け ることができなければ、旧来の悪習が、これに乗じて、[本心を]見失ったり、取り戻したりの繰り返しで、き っとまた凡俗に戻ってしまうでしょう 。 慎重にしないわけにはいきません 。 諸友今日之舎、専寂若此、此正一陽来復、超凡入聖之機。若不能保任、奮習乗之、頻失頻復、且柏村復入於凡失。可不慎乎 。 ( ﹁ 宛 陵 観 復 楼 謄 語 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 一 五 回 頁 )︹ 牢 ︺ ﹁ 空 寂 ﹂ に つ い て は 、 引 用 の 直 前 に 、 ﹁ 孔 子 称 顔 子 日 、 回 也 、 庶 乎 屡 空 。 空 者 、 道 之 原 也 。 粛 心 坐 忘 、 不 信 周 意 見 所 格 、 故 能 屡 空 。 ﹂ と あ り 、 ﹁ 意 見 ﹂ に つ い て は 、 ﹁ 吾人今日之病、莫大於意見。著於意、則不 能 静 以 貞 動 。 箸 於 見 、 則 不 能 虚 以 適 愛 。 不 虚 不 静 、 則 不 能 空 。 意 見 者 、 道 之 賊 也 。 後 儒 ( 朱 喜 ⋮ を 指 す ) 尚 以 為 好 意 見 不 可 処 ⋮ 、 勝 終 身 従 事 鷲 、 反 以 内 エ 篤 異 撃 、 民 所 謂 認 賊 篤 子 、 溺 於 弊 而 不 自 知 也 。 ﹂ と あ る 。 陸 九 淵 と 朱 喜 、 の 聞 に 交 わ さ れ た ﹁ 意 見 ﹂ 論 争 を 踏 ま え る 。 吉 田 公 平 ﹃ 陵 象 山 と 王 陽 明 ﹄ I 部 第 二 章 ( 研 文 出 版 ) 、 及 び 、 拙 著 ﹃ ﹁ 即 今 自 立 ﹂ の 哲 学 ﹄ ( 研 文 出 版 ) を 参 照 。 また、次の発言を見れば、この﹁凡俗を超えて聖境に入る転機﹂としての ﹁ 一陽来復﹂の時、すなわち、﹁一念の 微﹂への注視は、先師王陽明の ﹁ 当下具足﹂説に由来するものであることが分かる。 王陽明先生門下に伝えられた学問の本質は、 ン ン プ ル いたって易簡なものであった。 [ すなわち、人の良知は]現に今、 完全無欠なるものであれば、 一 念 [ 独知の場において ] 自らを反省する [ 心が湧き起こった ] ならば、即座に、 本心は回復 し 、凡俗を超えて聖人に入ることができる。[この] 一念の霊明[なる働き]を、 いつも保ち続けて、 世情や暗欲によって、 [ 働きを ] にぶらされたり、かきみだされたりすることなく、 [ また ] 文才や経学によって、 おびやかされたり、うばわれたりしないようにすることこそ、[良知を]永遠に明るく輝かせ続ける学なのであ る 師門所僻事旨、至易至簡。嘗下具足 一 念 自 反 、 即 得 本 心 、 可 以 超 凡 入 聖 一 。 一 念 震 明 、 時 時 保 持 、 不 鴬 世 情 噌 欲 所 昏 援 、 不 矯 才 名 護 術 所 侵 奪 、 便 固 定 絹 照 之 夢 。 ( ﹁ 奥 莫 廷 韓 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 十 二 三 三 五 頁 ) 王 畿 の ﹁ 一 念 自 反 ﹂ の 恩 想 ││王畿良知心学原論﹁二 J │ │
東洋大 学 中国 哲学 文 学 科紀 要 第 十九 号 王畿が、ここで明確に述べているように 、 所謂 ﹁ 首 下 具 足 、 一 念 自 反 、即 得本 心 、可以超 凡 入聖﹂という思想は、 先師王陽明伝来の学の根本義であった。この点については、後に再びとりあげる。 さ て 、ここで 注意すべきは、この﹁一念﹂発動の場は、凡人が聖人の領域に参入する玄妙なる契機であると同時に 、 裏 返せば、その対処の仕方を間違えれば、聖人でさえも、凡人に陥ることもあるものとして、万人にとって、例外な く、極めて緊張感に富んだ、危うい場でもある、という点である 。 この点についても、後に詳しく見ていきたい 。 ﹁学﹂の無窮性を説き、﹁至善﹂の追求を目指してゆく上で、なによりも﹁自是(自己絶対化・自己正当化)﹂を戒め、 良知の内在と、その完全無欠性を信じて、 い つ も 真 つ 新 な 状 態 ( ﹁ 無 ﹂ ﹁ 空 ﹂ 。 後述)において、他者と向き合い、良知 の判断に身を委ねていこうとした、王畿ならではの思想であると z = 守 え よ う 。 ド ク サ ︹ 申 ︺ 遡 れ ば 、 こ の ﹁ 自 是 ﹂ の 語 は 、 ﹁ 自 安 ﹂ ﹁ 自 足 ﹂ の 諾 と 共 に 、 陸 九 淵 が 門 人 た ち の ﹁ 意 見 ﹂ へ の 執 着 、 自 説 へ の 自 足 ・ 安 住 を 戒 め る 語 と し て 頻 用 し た 言 葉 で あ っ た 。 拙 著 ﹃ ﹁ 即 今 自 立 ﹂ の 哲 学 ﹄ ( 三 九 O 頁 ) 以 下 を 参 照 。 王 畿 の 用 例 と し て は 、 例 え ば 、 ﹁ 撫 州 擬 腕 蓋 舎 語 ﹂ に ﹁ 挙 問 到 執 己 自 是 庭 、 雌 以 明 道 筋 兄 、 亦 無 如 之 何 。 況 朋 友 乎 。 ﹂ ( ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 一 一 七 、 八 頁 ) と あ る 。 また、既に前稿でも引いた、次の発 言 の中にも、﹁一念﹂という、元来、われわれの内心の実感 ( 王 畿 は 、 そ れ を ﹃ 中 庸 ﹄ の言葉に基づいて﹁独知﹂と呼んだ)としてのみ存在するはずの 心 的事実を指す言葉 H 概念のうちに蔵された宇 宙論的な背 景 を見て取ることができる 。
天地の霊気は、ただ単に聖人だけが持っているのではなく、人であれば、だれもが持っている。今、乳飲み子が 井戸に落ちようとしているのを見た瞬間、人であれば、誰でも流協側隠の心が湧き起こってくる。これこそ、そ の最初の、欲にとらわれることのない一念であり、 [ ﹃易﹄に]所謂[四徳の]元である。: : : [ ﹁ 易 ﹄ の四徳の うち]元は始める、亨は通じる 、 利は遂げる、貞は正す[というように、それぞれの働きがある]が、 い ず れ も 、 最 初 の 一 A 念を本源とするものであれば、﹁天を統括する﹂( ﹃ 易﹄乾卦家伝)ものである。最初の一念は、 ほかでも な い 、 ﹃ 易 ﹄ の 所 謂 復 で あ る 。 ﹁ 復は、其れ、天地の心を見るか﹂( ﹃ 易 ﹄ 復 卦 象 伝 ) 、 と 。 : : 天 地 盤 気 、 非 濁 聖 人 有 之 、 人 皆 有 之 。 今 人 乍 見 孫 子 入 井 、 皆 有 流 協 側 隠 之 心 。 乃 其 最 初 無 欲 一 念 、 所 誇 元 也 。 -a 元 者 始 也 、 亨 通 、 利 遂 、 貞 正 、 皆 本 於 最 初 一 念 、 統 天 也 。 最 初 一 念 、 即 易 之 所 諮 復 。 復 其 見 天 地 之 心 。 ・ : : ( ﹁ 南 落 諸 友 幾 鳴 怨 虚 閤 舎 語 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 六 頁 ここでは、﹁天地の霊気 ﹂ の内在として、﹁流協側隠の心﹂が説かれ、更には、それこそが﹁最初の無欲の了念﹂で あることが明かされた上で、それを、﹃易﹄乾卦文言伝に見えるの天の﹁四徳﹂(元 ・ 古 7 ・ 利 ・ 貞 。 そ れ ぞ れ 、 四 季 で 言 え ば 、 春 ・ 夏 ・ 秋・冬のそれぞれの仕事としての、生長・収・蔵を司る徳)の﹁元﹂に擬える。この﹁元﹂は、程朱学の概 念を使えば、﹁専言の元﹂であり、他の三つの徳である亨・利・貞を、内に包蔵する未分化なる全体として、﹁天を統 H 始端は、﹁易﹄の﹁復﹂卦の﹁一 ぶる﹂ものとして捉えられている。また、その天の四徳の最初の現出(自己限定) 陽の初動﹂において露見する﹁天地の心﹂に相当するものである。朱菓に拠れば、﹁天地の心﹂とは、﹁天地、物を生 ずる心﹂である。それは、言、つまでもなく、﹃易﹄繋辞下伝の﹁天地之大徳日生﹂や同繋辞上伝の﹁生生之謂易﹂を 王畿の﹁一念自反﹂の思想││王畿良知心学原論ご乙││
東洋大学中国哲学文学科紀要 第 十九号 四 踏まえた思想であるが、天地が、生きとし生ける物を生み出して己まないところに、﹁天地の心﹂、すなわち、天地の 意志 H 目的を見る思想の表明である。そして、更に言えば、この﹁天地、物を生ずる心 ﹂ が、人に宿ったものが、す なわち﹁仁﹂である(以上、朱烹﹁仁説﹂を参照)。この点は、王畿も同じ考えと見てよかろう 。 前稿でも、既に指摘し ておいたように、この ﹁ 一念﹂の現出が、単なる、人の内 心の 事実としてだけではなく、天地の造 化 に お け る 、 ﹁ 一 陽の初動﹂に匹敵する事態として説かれている点に注目したい 。 そして、更に注目すべきは、この﹁一念﹂の現出と は、具体的な仕事としては、﹁是非の弁別﹂であるという点であり、また、それを、王畿は、﹁無より有を生み出す﹂ 、 ひとつの創造行為として捉えていたという点である。 例えば、こうした考えは、次の発 言 に、端的に示されている 。 天 地が物を生み出す心は、その 完全なかたちで、人にも賦与されている。そして、知というものは、人 心が 覚醒 している状態にして、 [ 人智では捉えようもない、不可思議な働きを為す]霊なるものである。大昔から、天を 生み、地を生み、人を生み、物を生んできたのは、すべて、この一つの霊なるものにほかならない 。 孟子は、そ ピ ソ ク ア ジ プ の中から 、良知を 指出したのである。 天 地 生 物 之 心 、 以 其 全 付 之 於 人 。 而 知 也 者 、 人 心 之 内 党 而 為 霊 者 也 。 従 古 以 来 、 生 天 生 地 、 生 人 生 物 、 皆 此 一 盛 而 己 。 孟 子 於 其 中 指 出 良 知 0 ・ ・ ・ ( ﹁ 南 遊 曾 紀 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 七 一 五 四 頁 ) 王陽明にも 、﹁良知は是れ造化の精 霊なり。這些あ精霊は、 天 を 生 じ 、 地 を 生 じ 、 鬼 を 成 し 、 帝 を 成 す 。
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程右出品 れより出づ。異に是れ物と釣無し﹂( ﹃ 伝 習 録 ﹄ 下 巻 ) という発言がある。これは、前稿でも既に述べたように、この世界の秩串と意味を生み出す、良知のはたらきを語ったものに他ならない。王畿がしばしば言う﹁無中に有を生ず﹂ も、またまさにこの謂いである。しかも、この﹁良知﹂の創造行為は、実は、日常的に、不断に行われているもので あ っ た 。 更には、これも前稿で見たように、 ﹁良知﹂は、また、﹁混沌初聞の 第一寂にして、寓物の始たり﹂とも言われてい た 。 ﹃ 易 ﹄ に﹁乾知こそ、大いなる始まりである﹂(繋辞上伝)とあるが、この乾知[と名付けられるもの]こそが、 ほかでもない良知であり、すなわち、混沌に初めて穿たれた最初の知覚であり、全ての存在者の始源であれば、 全ての存在者とは、対等な存在ではないものである。それ故に、﹁独﹂と呼ぶのである。[人が気づく以前に]自 分だけが[その現出に]気づくものであることから、﹁独知﹂と呼ばれる。 易 日 ﹁ 乾 知 大 始 ﹂ 、 乾 知 即 良 知 、 乃 混 沌 初 閑 第 一 疲 、 為 蔦 物 之 始 、 不 興 寓 物 作 針 。 故 謂 之 慣 例 。 以 其 自 知 、 故 諸 之 濁 知 。 ( ﹁ 致 知 議 略 ﹂ ﹃ 玉 畿 集 ﹄ 巻 六 頁 すなわち、人事に即して言えば、﹁良知﹂の仕事とは、人の分別知による分節化以前の﹁混沌﹂、すなわち、未分化、 無限定、無規定なる世界に立ち返って、そこから、生まれてこのかた、長年来、身 心に染みついてきた、 種々の噌 好・貧着・特異な技能・凡俗の旧態、 一 切の虚見(先入観)や勝心(競争心)の類を、ばっさりと断ち切り、きれいさ e $ N C h 勺 っぱり洗い流して、リセットし、真つ新な状態から出発して、そこに、常に、新たな意味と秩序を創造することであ 王 畿 の ﹁ 一 念 自 反 ﹂ の 思 想 │ │ 王 畿 良 知 心 学 原 論 ( 一 一 ) ││ 五
東 洋大 学 中国哲 学文学科 紀 要 第 十九 号 ム ノ、 り、その意味で、﹁良知﹂は、﹁万物の始め﹂とされるのである 。 ﹁ 日 々 、 新 た ﹂ ( ﹃ 大 祭 ﹄ )に、良知によって、世界は 常に刷新され続けるのである 。 ︹ * ︺ ﹁ 天 泉 証 道 記 ﹂ の ﹁ 上 根 之 人 、 悟 得 加 熱 善 無 悪 心 健 、 便 従 無 成 立 根 基 、 意 血 ハ 知 物 、 比 白 従 無 生 、 一 了 百 嘗 、 即 本 健 使 是 工 夫 、 易 簡 直 哉 、 更 無 剰 欠 、 頓 悟 之 向 学 也 。 ﹂ ( ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 二 頁 ) に 見 え る 。 こ の ﹁ 無 な る 処 ﹂ も ま た 、 こ の ﹁ 混 沌 ﹂ に 同 じ 。 次 の発言は、この点について、さらに端的に語ったものであると 言 え よ う 。 そ も そ も 学 は 、 一 つ し か な い 。 そして、何よりも志を確立することが第一である 。 た だ 、 そ の [ 肝 心 の ] ﹁ 立 志 ﹂ が本物でないために、せっかくの功夫も 、 どうしても途切れがちになってしまうのだ 。 功夫を、我が身に親密な ところで行わないから、[後出の﹁虚見﹂や﹁勝心﹂に]引きずられ、まとわりつかれるとい った弊害から抜け 出すことができないのだ 。 [その弊害の原因を]他所に求めてはいけない 。 諸君が、本当に、自分の志が本物に なることを望むのであれば、空虚な意見で上辺を取り繕ったり、競争心︹勝心︺から[志を]求めたりするのは よくない 。 根本のところから、徹底して取り組んで、生誕以来の、くさぐさの晴好、くさぐさの欲望、くさぐさ のへんてこな技能(?)、くさぐさの凡俗な心や 習慣的な態度を、丸ご とばっさり断ち切り、きれいさっぱり洗 い 清 め て 、 [ 世俗の価値観に染まる以前の純粋無雑なる ] 混沌の中から、根基(存在 H 倫理の根本原理)をうち立 て、ここから、[新たに ] 世界の秩序と意味を創造し、偉大な 事業 を生みだしていってこそ、はじめて本当の生 生の真の命脈(創造と価値の源泉)と見なすことが出来るのです。
夫製一而己失、而 莫 先 子 立 志 。 惟 其 立 士 心 不 真 、故用功未免間断 。 用 功 不 密 、 故 所 受 之 病 未 免 子 牽 纏 。 是 未 可 以 他 求 也 。 諸 君 果 欲 此 志 之 真 、 亦 未 可 以 虚 見 裂 之 及 以 勝 心 求 之 。 須 従 本 原 上 徹 底 理 舎 、 将 無 始 以 来 種 種 晴 好 、 種 種 貧 著 、 種 種 奇 特 技 能 、 種 種 凡 心 習 態 全 穏 斬 断 、 令 乾 乾 凋 伊 国 伊 従 混 沌 中 立 根 基 、 自 此 生 天 生 地 生 大 業 、 方 矯 本 来 生 生 真 命 脈 耳 。 ﹂ ( ﹁ 斗 山 舎 垣 間 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 二 二 八 頁 ) ﹁混沌﹂からの創造を説く、王畿の、この発言は、われわれが、実は、 日々、行っている、常に真つ新な状態から 行う倫理的創造行為について述べたものにほかならない。それを実現するのが、 ﹁ 本来生生真命脈﹂、すなわち、存 在 H 倫理の源泉としての﹁良知﹂にほかならない、と言うのである 。 ﹁ 無 是 無 非 ﹂ 説 この点については、既に、中純夫氏が、﹁王畿の四無説について﹂( ﹃ 富 山 大 学 人 文 学 部 紀 要 ﹄ 二 十 五 号 一 九 九 六 ) に おいて、﹁四無説の側面のみから王畿思想を論ずることは、かえってその思想の全体像を 覆 い隠す危険性﹂が有ると 指摘した上で、﹁無善無悪﹂と﹁無是無非﹂の意味を明確に区別し、﹁無是無非﹂説の方にこそ、王畿思想の本領があ ると述べている 。 中氏は、王畿の﹁無是無非﹂説を、端的に示した資料として、﹁艮止精一之旨﹂の次の一節││ 心之良知是為聖。知是知非而 賓 無是無非。知是知非者、麿用之跡 。 無是無非者、良知之龍也 。警 之明鏡之照物、 鏡髄本虚而折媛自排、折婚者、照之用也。以照為明、実官千里 。 ( ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 八 一 八 四 頁 ) 王 畿 の ﹁ 一 念 自 反 ﹂ の 思 想 │ │ 王 畿 良 知 心 学 原 論 会 乙 │ │ ー七
東洋大学 中 国哲学 文 学 科紀 要 第 十九 号 J¥ を 引 い た 上 で 注 目 す べ き は 、 その場合の是非が単に外在する既存の是非 ( 既 成 の 価 値 観 ) を指すにとどまらず 、 当の自らが下 した是非の 判 断もまたそこに含まれていることである ( ﹁ 知 是 知 非 者 、 応 用 之 迎 。 ﹂ ) 。 即ち良知は、自らがかつて下 した是非の判断にすら拘束されなく、そのつど新規に白紙の状態で是非を吟味検証せねばならない 。 このように 良知による不断の検証とそれにも と づいた価値判断の 必 要性を説くのが王畿の無是無非思想である 。 ( 一 六 頁
*
傍 占 ⋮ は 小 路 口 。 と 言 う 。 極めて的確な洞 察 と明快な解説であるが、更に、その 意 味を明瞭にさせるために、 繁 を厭わず、先程引用し た一節の試訳を挙げておく 。 [ 先師王陽明は ] ﹁ 心 の 良 知 、 是 れ を 聖 と 為 す ﹂ ( ﹁ 書 貌 師 孟 巻 ﹂ ﹃ 王 陽 明 会 集 ﹄ 巻 八 われた ]。 [ 良知は、その都度その都度、対象に 即 し て ] 是非を弁 別 しながらも、実に、[それ以前に下した]是 非[の判断]にもとらわれない 。 是非を弁別すること ( 是 非 の 判 断 ) は、[良知の]感応の働きの痕跡である 。 上海古籍 出 版社 二 八 O 頁 ) [ と言 [自ら下した]是非の判断︹ H 痕跡︺にもとらわれないのが、良知本 来 の在りょうである 。 これを明鏡 ( 澄 み 切 っ た 鏡 ) が物を映し出すことに 誓 えるならば 、 鏡それ自体 ( 鏡 面)はもともと虚(か ら っ ぽ ) でありながら、[物が その前に現れれば]美醜を自然と弁別する( 美 し い も の は 美 し く 、 醜 い も の は 醜 く 、 そ の あ る が ま ま の 姿 を 映 し 出 す )。[鏡面に映し出された]美醜は、[明鏡が物のありのままの姿を]映し出すという働き[の痕跡] である。映し出 さ れ た も の ( 映 し 出 さ れ た 美 醜 の 像 H 痕跡)を明(鏡本体の働き)だと見なしたならば、[両者は]千里の隔たりどこ ろ で は 済 ま な い 。 ここに所謂﹁知是知非者、麿用之跡。無是無非者、良知之龍也。﹂という発言こそ、王畿の良知心学の本質を解く 鍵である。すなわち、王畿は、既成の価値判断のみならず、自己の良知が、かつて下した是非の判断にも拘束される ことなく、全ての価値判断をリセットした、常に、真つ新な状態において、その都度その都度、状況に即して、是非 を吟味検証し直し、新たに是非を生み出していくところに、良知の真価を見出しているのである。そこにあるのは、 それをやってのけるだけの力量を、良知は、既に、そして、常に、備えているという絶対的信頼である。王畿がしば しば口にする﹁良知を信じ切る(信得及良知ことは、そうした良知の完全無欠性(﹁当下 具 足﹂性)に対する絶対的信 頼 で あ る 。 王畿は、﹁無是無非者、良知之健也﹂と言い、また、﹁良知原是無中生有、無知而無不知﹂(﹁撚陽舎語﹂﹃王畿集 ﹄ 巻 三 五 頁 ) と 言 、 っ 。そして 、この﹁無﹂こそが﹁聖学の宗﹂、すなわち、聖人の学の根本 義 で あ る 、 と 王 畿 は 一 言 、 っ 。 以下、節を改めて、この王畿の﹁無是無非思想﹂の根底にある﹁無﹂の哲学について明らかにしていきたい。 ︹ * ︺ ﹁ 良 知 無 知 、 然 後 能 知 是 非 、 無 者 聖 祭 之 宗 也 。 ﹂ ( ﹁ 艮 止 精 一 之 旨 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 入 一 八 四 頁 ) 。 王 畿 の ﹁ 一 念 自 反 ﹂ の 思 想 ││ 王 畿 良 知 心 学 原 論 ( 一 一 ) │ │ 九
東洋大学中国哲学文学科紀要 第十九号 四 0 四 ﹁ 錘 ⋮ ﹂ の 哲学 王畿は、﹁天泉誼道紀﹂の中で、﹁無善無悪﹂の意味を述べて、次のように言っている。 ﹁ 天 命 の 性 ﹂ は、混じりけの無い、この上もなく善なるものであって、 [ そ れ は 、 かみわざ 事物が目の前に現れれば]神業 のごとく素速く感応し [ て、その後には何らの痕跡も留めずでその働きは [ 常に生成変化して]決して停止す ることはないものであれば 、 言葉で限定的に定義することのできるような善なるものは存在しない。悪はもとよ り存在しないが、[かといって]善もまた、固定的にあるものとみなすことはできない 。 こ れ が 、 つまり、無善 無悪ということだ。もし、善悪が [ あらかじめ]存在するのであれば、 [心の発動としての]意は [ 既 に 善 悪 に よって色づけされた]外物に動かされてしまうことになり、[そうなれば、それは 、 もはや良知の]自ずからな る 流 行 で は な く 、 ﹁ 有﹂(既成の価値観)にとらわれていることになってしまう。﹁天命の性﹂の自ずからなる流行 は、[対象に応じて]動きながらも、[それ自身は]動かされることはない 。 ﹁ 有 ﹂ ( 既 成 の 価 値 観 ) に と ら わ れ た ものは、[対象に応じて]動きながらも、 [ 本体そのものも]動かされてしまっている 。 天 命 之 性 粋 然 至 善 、 神 感 神 慮 、 其 機 自 不 容 己 、 無 普 可 名 。 悪 国 本 無 、 善 亦 不 可 得 而 有 也 。 固 定 謂 無 善 無 悪 。 若 有 善 有 悪 、 則 意 動 子 物 、 非 自 然 之 流 行 、 著 於 有 失 。 自 性 流 行 者 、 動 而 無 動 、 著 於 有 者 、 動 而 動 也 。 ( ﹁ 天 泉 諮 道 紀 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 一 頁 ) ここに所謂﹁有 / 無﹂は、決して、存在 / 非存在を表す概念ではない 。 ﹁ 天命の性﹂としての﹁良知﹂は、まず、
﹁至善﹂であるとする。ただ、﹁天命の性﹂の働きは、発動すれば、その都度その都度、自由無碍、臨機応変に、﹁神 感神応﹂、﹁正感正応﹂するものであれば、言葉で限定的に、﹁これが善だ﹂と、その内容を固定化して決めつけるこ とはできない。そもそも、﹁名﹂(命名・名づけ)という行為は、元来、 一つの対象を、それ以外のものと区別するた めに、境界線を 引いて切り取り、それがもともと 埋め込まれていた地から 、 一つのものを図として浮かびあがらせ、 更には、それによって切り取られた対象に、名前を与えることで、自己の所有物として領有化しようとするものであ れば、それは、優れて人間的な知的営為である。しかしながら、この名づけの行為によって、本来、無限なるものは 限定され、未分化なるものは分節化される。それ故、それを﹁善﹂と名づけてしまうことは、﹁天命の性﹂の﹁純粋﹂ ﹁至善﹂性、その働きの﹁神﹂(不可測)性、﹁不容己﹂(無窮)性を、限定してしまうことになる。それを避けるため に、﹁至善﹂であると同時に、やはり、﹁無差問﹂と言わねばならなかったのである。 ︹ * ︺ ﹃ 老 子 ﹄ 第 一 章 に 、 ﹁ 名 可 名 、 非 常 名 ﹂ と 言 い 、 ﹁ 無 名 、 天 地 之 始 ﹂ と あ る の を 参 照 。 王 畿 は 、 ﹁ 乾 知 即 良 知 、 乃 混 沌 初 開 第 一 媛 、 為 寓 物 之 始 ﹂ ( ﹁ 致 知 議 略 ﹂ ) と 言 っ て い た 。 また、﹁善亦不可得市有﹂とは、陸九淵の﹁悪は能く心を害するも、善も亦た能く心を害す 。済道 の 如 き は 、 是 れ 、 善の害する所と為る﹂(﹃陸象山語録﹄下巻・一九一条)という発言を想起させる。﹁悪﹂は、もちろん、人の心を損害す るが、﹁善﹂もまた、それが固定化されてしまった時、それは、人の心の﹁虚霊﹂性を侵害することがあるというの である。それは、既成の﹁善﹂の観念(価値観 ) を盲目的に信じ込み、それを絶対視し、それに固執することによっ て、かえって、本来、状況に即して、素速く、適切なる判断を下すことのできる本心の働きを阻害してしまう危険性 王畿の﹁一念自反﹂の思想││王畿良知 心 学原論会 乙 │ │ 四
東洋大学中国哲学文学科紀要 第十九号 四 があるということである 。そ れが、陸九淵の所謂﹁善も亦た能く心を害す﹂ということであろう。良知は、本来、そ の場の状況に合わせて 、 素速く、しかも、適切な判断を下すことができる。それが﹁神感神応﹂であり、﹁正感正応﹂ である 。 既成の価値観に縛られてしまった人聞は、ともすれば、状況判断を見誤ってしまい、過去に固執して、判断 を誤ってしまうことがある。あるいは、規則 ・ 規範に対する絶対的な盲信は、往々にして、現場の緊張感を欠いてし まい、その判断は、形骸化し、 マンネリズムに堕して、惰性的となり、良知は判断停止状態に陥ってしまう。往々に して、当人は 、 それを﹁善﹂であると信じており 、 その遵法精神は頑ななまでに堅固であれば、その間違いに気づく ことはなく、それを改めることは容易ではないのだ 。 ︹ * ︺ 例 え ば 、 こ う し た 事 態 を 具 体 的 事 実 に 即 し て 指 摘 し た も の と し て 、 ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻一所収の﹁維揚悟語﹂における王畿と 唐順之の応酬が載せられている。その中で、王畿は、唐順之が、兵部職方員外郎として、担当していた海防の仕事に即し な が ら 、 そ の 判 断 に 、 ﹁ 意 見 ﹂ ﹁ 典 要 ﹂ ﹁ 格 套 ﹂ ﹁ 擬 議 按 排 ﹂ ﹁ 気 腕 ﹂ と い っ た 、 種 々 の 先 入 観 が ﹁ 後 入 ﹂ し て い て 、 真 の 良 知 に 基 づ い た ﹁ 自 然 の 流 行 ﹂ で は な い こ と を 、 具 、 体 的 に 例 を 挙 げ な が ら 、 一々指摘している。王畿によれば、真に﹁良知を 致 す ﹂ と は 、 ﹁ 若 是 真 致 良 知 、 只 宜 虚 心 感 物 、 使 人 人 各 得 蓋 其 情 、 能 剛 能 柔 、 鰯 機 而 磨 、 迎 刃 而 解 、 更 無 比 一 一 子 挽 入 。 密 之 明 鏡 営 蓋 、 研 婚 白 地 附 、 方 自 疋 経 給 手 段 。 才 有 些 子 才 智 伎 何 奥 之 相 形 、 自 己 光 明 、 反 骨 刷 所 蔽 。 ﹂ ( ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 一 七 、 八 頁 ) と い う こ と で あ っ た 。 王畿は、それ故、既成の是非の価値観のみならず、 一度、自らが下した是非の判断ですら、良知の神速なる感応の 痕 跡 ( ﹁ 感 謄 之 跡 ﹂ ) に 過 ぎ な い と し 、 いつまでも、その痕跡を、後生大事に守株し、不変の﹁典要﹂﹁格套﹂としてマ
ニュアル化して、それに拘泥してしまう、精神の怠惰を、常に戒めた 。そ こ に 、 ﹁ 無 者 聖 撃 之 宗 也 ﹂ ( ﹁ 艮 止 精 一 之 旨 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻八)と喝破した、王畿の﹁無﹂の哲学のラディカルさがある。決して、既成の価値観を絶対視することな 一歩進んで、自ら 下した是非 善悪の 判断す ら、その都度その都度 、リセ ッ ト し 、 常に、真つ新な状態で、 く 、 更 に は 、 今、目の前にある事態、﹁倫物感応 ﹂ の現場に臨み、必ず具体的な対他関係の場において、﹁即今当下﹂の現在におい て働く良知の判断に、全幅の信頼を寄せ、全てをそれに委ねようとするのである。 ﹁無なる処より根基を立つ﹂(天泉 証道記)と言い、﹁混沌の中より根基を立つ﹂(斗山舎語)と言うのは、まさに 、 この謂である 。それが 、真に﹁良知を 信じ切る(信得良知及こということである。あらかじめ、是非が既定の事実として決まっているのであれば、既に色 づけされている物の是非(既成の価値観)に順って、その通り行動すればよいのである。しかし、その時、人は、外 物に従 属 してしま っ ていることになり、真の 実践主体 としての﹁良知 ﹂ の主体性は、奪われてしまっている。﹁自然 の流行に非ず﹂とは、そういうことであろう。さらに、﹁動市無動﹂という、 一 見 矛 盾 し た 言説は 、 つ ま り 、 良 知 が 、 働きとしては、自由自在、臨機応変に働きながらも、それ自体は、 ﹁寂然不動﹂、すなわち、決して外物に牽かれて動 かされることはない、という事態の言明である。それに対して、﹁有に著す﹂とは、既成の是非の価値観を絶対視し、 それに拘束されて、自由が奪われてしまうことを言う。その時、人は、﹁動而動﹂、自ら動いているようで、実は他に 動かされているだけなのである 。良 知の自由無擬にして確固不動なる主体性(﹁虚寂﹂﹁寂而通﹂性)は奪われ、損なわ れてしまい、外物の奴隷となってしまっている状態を言うのである 。 王畿の﹁一念白反﹂の 思 想 ││王畿良知心学原論(二)││ 四
東洋大学中国哲学文学科紀要 第 十 九 号 四 四 五 ﹁ 一 念 自 反 ﹂ の 田 山 想 以上、見てきたように、王畿は、先師王陽明の﹁良知﹂の思想を、﹁無﹂の哲学において、深化発展させたが、更 に 、 ﹁ 一 念 自 反 ﹂ の思想において、それを内面化・具体化して、功夫論へと展開していく。良知心学は、ここにおい て真面目を呈することになる 。 以下、王畿が王陽明から伝授されたという﹁一念自反、即得本心﹂の思想について、 考察を加えて行きたい 。 そもそも、この ﹁ 一 念 白 反 、即得本心﹂の思想は、先師王陽明の教えを引き継いだものであったことは、既に見た 。 この点について、その淵源を端的に説き明かした、次の証 言 に 即しなが ら、その意味を確認 していきたい 。 次の一文は、王陽明との最後の別れを﹁追憶﹂した時のものである 。 巌陵での [先師との]お別れの時を追憶するに、[先師は] 教謡のお言葉 と し て 、 次のように言われた。﹁私(王 陽 明 ) は 、良知の二文字を取り出して示したが、[この 良知が行う ] 是非の判断には、おのずと天則が現れる。 ﹂れこそ、千聖の秘蔵である 。 昏蔽の極みにあったと しても 、 一 念 [独知の場において]自分自身を反省する [ 心 が 湧き起こった ] な ら 、 即座に、本心は回復 し て 、立ちどころに聖なる境地に踊ることができる。ただ[残 念なことに、たいていの]人は、[一念良知の現出を]とても安易に見てしまい、むしろ、あなどって、いい加 ま つ げ 減な対処をしてしまうのである。[それはちょうど]、[目のすぐ上にあるのに]眼陵乏が見えないようなもので ある。それがあまりにも近すぎるからだ。しかしながら、その中にこそ、かえって機寂[すなわち、凡から聖へ
切り替わる転折点]が存在するのである。良知は、是非の別を把握しているが、その実、[良知それ自身は、既 成の]是非の観念にとらわれることはない 。 この無(とらわれない)ということこそが、全ての存在の 基 で あ る 。 自に見えないところで、周到綴密に計算し尽くされて、天と一体となって自由自在に動くことができるのである 。 し ん 人 は 、 [ 鬼 神の働きのような]神[なるもの]が神 ( 捉 え 所 が な い も の ) で あ る こ と を 知りながらも、[ 一 見 ] 不 神 ( 神 と も 思 わ れ な い 日 常 的 な 動 作 や 振 る 舞 い 、 そ の 源 と し て の 心 ) も [実は ]神であ ることに気づいていないのである。 [しかしながら]もし、あまりにも是非の分析が行き過ぎてしまったならば、純粋性も損なわれてしまうので、 徳を畜うやりかたとは言えないのだ。 追 憶 巌 陵 別 時 、 申 諺 之 言 有 日 、 五 口 拍 出 良 知 商 字 、 是 是 非 非 、 自 有 天 則 、 乃 千 聖 秘 裁 。 雛 昏 蔽 之 極 、 一 念 自 反 、 即 得 本 心 、 可 以 立 麟 聖 地 。只縁人看得太易、反成玩忽。如人不見限随選、以其太近 也 。 然 中 間 尚 有 機 銭 。 良 知 知 是 知 非 、 其 賓 鑑 ⋮ 是 鉦 ⋮ 非 。 無 者 高 有 之 基 。 冥機密速、奥天同遊。人知神之神、而不知不神之神也。若是非分 別 太過、純白受傷、非所以畜徳也 。 ﹁ 書 先 師 過 釣 蓋 遺 墨 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 一 六 四 七 O 頁 ) 冒頭に﹁巌陵での別れの時を追憶するに ;::﹂とあるように、ここに 挙げられた 、 ﹁ 一 念 自 反 、 即 得 本 心 ﹂ の八字 を含む、王陽明の ﹁ 教誇の言葉 ﹂ は、嘉靖六年(一五二七年)、王陽明が、思恩・ 田州 への不帰の征旅に向かう途上に 発せられたものであったことが分かる 。事 の経緯を、王畿の記録にもとづいて 、 かいつまんで述べれば、以下のよう になる 。 嘉靖六年(一五二七年)、王陽 明が、思恩・田州への不帰の征旅に向かう途上、天泉橋において、王 畿は、王陽明の 四句教の解釈をめぐって、﹁四無﹂説を提示する 。王陽 明は、それを印可した上で、もはや﹁天機﹂が聞かれたと、 王 畿 の ﹁ 一 念 自 反 ﹂ の 思 惣 │ │ 王 畿 良 知 心 学 原 論 ( 二 ) │ │ 凶 五
東洋大学中国哲学文学科紀要 第 十九号 四 六 今まで封印してきた ﹁四無説﹂の解 禁を宣言した、と王畿は言、つ(﹁天泉詮道紀﹂)。その後、銭徳洪らと共に、王陽明 を見送って、呉山の月巌に遊び、釣蓋に至って、巌灘(﹁巌陵瀬﹂の一名)で別れる 。 ﹁ 先 師 過 釣 蓋遺墨﹂とは 、この時 の 遺 墨 で あ る ( ﹁ 復 過 釣 台 ﹂ ﹃ 王 陽 明 全 集 ﹄ 巻 二 十 七 九 四 頁 ) 。 別れにあたって、教えを請うと、王陽明は、﹁究極の説﹂ を説いたと言う(王畿﹁銭緒山行状﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 二 十 五 八 四 頁 及 び 、 銭 徳 洪 ﹁ 卦 告 同 門 ﹂ ﹃ 王 陽 明 全 集 ﹄ 巻 三 十 八 四 凹 四頁)。この﹁究極の説﹂とは、﹃伝習録﹄下巻所載の﹁先生起行征恩田、徳洪血(汝中追送巌灘、汝中翠併家賓相幻想 之説 ﹂ の 一 段 で あ る 。 ︹ * ︺ 彰 図 刻 氏 の ﹃ 王 能 渓 先 生 年 務 ﹄ 嘉 靖 六 年 九 月 の 条 に 、 ﹁
O
九 月 七 日 、 天 泉 証 道 。 王 龍 渓 発 ﹁ 回 無 ﹂ 奥 義 。/O
九 月 下 旬 、 王 陽 明 征 恩 田 、 王 龍 渓 借 銭 徳 洪 等 人 送 陽 明 遊 呉 山 、 月 岩 、 巌 灘 、 至 釣 蓋 。/O
十 月 初 、 巌 灘 問 答 、 王 龍 渓 再 発 有 無 合 一 之 論 。 巌 灘 問 答 後 、 王 龍 渓 、 銭 徳 洪 、 与 陽 明 告 別 帰 越 。 ﹂ と あ る の も 参 照 ( ﹃ 良 知 撃 的 展 開 │ 王 龍 渓 奥 中 晩 明 的 陽 明 皐 │ ﹄ 所 収 。 島 一 生書局 一 九 九 二 ) 。 冒頭に ﹁ 追憶﹂とあるが、これを ﹁ 追 憶﹂しているのは、上記の巌陵での別れから五十年後のことである。寓暦五 年(一五七七年)、八十路を迎えた王畿は、水西会に赴いて、呉中准と会っている 。 その時、呉中准は、王畿に、先師 の遺墨一巻を差し出す。見れば、 ﹁ 丁 亥過釣蓋﹂と記されている。丁亥は、嘉靖六年。王陽明の手筆であった。そし て、その末尾を見れば、﹁従行進士王汝中﹂とある 。 先師の手筆に、我が名 ( 賎 字 ) が記されているのを発見した王 畿 は 、 ﹁ 五 十年相従うの跡、悦として昨 夢の知きも、而れども、 仙艇は砂として 馨るべからず。量に、感傷に勝えん﹂ と深い感傷に浸り、往時を追憶し、先師王陽明の教認の 言葉 を想起し、それを記録に留めておくことで、呉中准の﹁遺志﹂を成就させる助けにしようとしたものであ る 。 しかしなが ら 、 五 十年の 歳月を超えての想起であ れば、それ は、必ずしも、王陽明が発した、そのままの言葉ではなかったかもしれない。かといって、決して、創作とか、担造 とかいった性質のものではなく、あくまで、王 畿が 、 五十年の歳月を経ていく中で、王畿自身の﹁事上磨練﹂を通し て、より 磨き 上げ られ、鍛 え抜かれ、血肉化され、熟成された、先師の教講の 言葉ではあった と見るべきであろう 。 ︹ * ︺ 王 畿 の 見 た ﹁ 先 師 過 釣 蓋 遺 墨 ﹂ と は 、 ﹃ 王 陽 明 全 集 ﹄ 巻 二 十 に 所 収 の ﹁ 復 過 釣 台 ﹂ ( 七 九 四 頁 ) で あ る 。 そ の 践 に は 、 確 か に 、 ﹁ 嘉 靖 丁 亥 九 月 廿 二 白 書 、 時 従 行 進 士 銭 徳 洪 ・ 王 汝 中 、 建 徳 苦 ノ 楊 恩 臣 及 元 材 、 凡 四 人 ﹂ と あ る 。 事実 、このまま の言葉は 、現行の ﹃ 王 陽 明 会集﹄に は見出せない 。 しかし、類似の言葉なら確かに確認できる 。 ﹁ 戊 寅 ﹂ ( 正 徳 十 三 年 一 五 一 八 年 。 こ の 時 、 王 陽 明 四 十 七 歳 、 王 畿 二 十 一 歳 ) という執 筆 年 次が 記された﹁ 諸弟 に寄す﹂と いう一文の中に、﹁一念改過、首時即得本心﹂という 言葉が 見える 。 身、気づかずにいるということはない 。憂う べきは、改めることができないことだ 。 本心の明は、白日のように[万物の是非善悪を]明らかに照らし出すものであれば、過失を犯しながら、自分自 一念と気づいたところで、 過ちを改めることができできれば、まさにこの時、即座に、本心は回復しているのである。人として、過 失を犯 さない者など、どこにいょうか 。 改めることこそが 貴 いのである 。 本 心 之 明 、 段如白目、無有有過 而 不 自 知 者 、 但 患不能改耳。一念 改 過 、 掛 同 時 即 得 本 心 。 人 執 無 過 。 改 之 為 貴 。 ( ﹁ 寄 諸 弟 ﹂ 戊 寅 ﹃ 王 陽 明 全 集 ﹄ 巻 四 一 七 二 頁 ) 王畿の﹁一念自反﹂の思想 │ │ 王畿良知 心 学原論(二) │ │ 四 七
東洋大学中国哲学文学科紀要 第 十九号 四 八. この王陽明の言葉では、﹁一念自省﹂が﹁一念改過﹂となっている。王畿は、学ぶ者の模範として、常に、顔淵の 名を挙げているが、その評価の主眼は、顔淵が、﹁有不善未嘗不知、知之未嘗復行﹂( ﹃ 易 ﹄ 繋 辞 下伝)という点である 。 なぜならば、この﹁気づき ︹ 知 ︺ ﹂、すなわち、不善の存在に気づくところにこそ、良知の働きの真価があり、 ﹁ 自 省 ﹂ して、﹁改過﹂できるのも、まさに、この﹁気づき﹂があるからである 。 ︹ * l ︺王畿にとって、﹁学問﹂の実質は﹁改過﹂にほかならなかった。例えば、﹁吾人欲輿直下承賞、更無巧法 、 惟須従心 悟入、従身護揮、不在凡情裏営実臼、不在意見裏尋途轍、只在一念籾知成黙黙改過、徹底掃務、徹底超脱。良知真健、椅 融 霊 洞 、 織 臨 調 悉 除 、 高 象 昭 察 、 絹 配 ⋮ 千 百 年 之 絶 筆 、 以 抵 於 大 昌 休 明 、 使 人 不 以 西 河 致 疑 於 夫 子 、 始 骨 周 報 答 師 恩 耳 。 ﹂ ( ﹁ 答 季 彰山龍鏡書﹂﹃王畿集 ﹄ 巻 九 二一五頁)、﹁吾人一生等閑只是改過、須常立於無過之 地方 鐙有 過、方是改過 真工夫。所謂復 者、復於加熱過者也。良知真慌時時務用流行使是無過、使是格物。其工夫之難易精粗、存乎所造之浅深、而以改過矯宗則一 而己 。 吾人之内学所以異於仙仰正在於此 。 過是妄生、本無安頓庭、才求個安頓所在使固定認著、便落支離失 。 ﹂ ( ﹁ 答 話 蟹江 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 九 一 九 九 頁 ) 、 ﹁ 聖 賢 之 等 、 不 質 於 無 過 、 而 寅 於能改過。過而悌改、斯謂之 悪 。 震 加 熱 机 信 者 、 義 口 補 過 也 。 震 者 、 自訟之謂。過則可以善補而復 。 ﹂ ( ﹁自訟問答﹂同巻一五 四二八、九頁)といった一連の語を参照 。 ︹ 申 2 ︺ 王畿の﹁一念自反、即得本 心﹂にしろ、王守仁の﹁ 一念改過、省時即得本 心﹂にし ろ、遡れば、おそらくは、陸九 淵 の ﹁ 知 非 則 本 心 即 復 ﹂ ( ﹁ 陸 象 山 語 録 ﹄下巻
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条)を、その淵源とする思想であろう 。 拙著 ﹃ ﹁ 即 今 自 立 ﹂の哲学 ﹄三三 五 頁 参 照 。-'-/¥, 千聖の 秘蔵 王畿は、﹁意識解 ﹂ と題された一文において、﹁古今の学術の 牽置の弁 ﹂を述べて、次のように 言 っ ている 。 -: 孔 門 の 学 で い え ば 、 顔子 は、﹁不善があれば気づかないことはないし、気が付けば二度と行わなかった﹂が、 し ば む な これが徳性の知である 。 これを﹃屡しば空し﹄と言ったのは 、 その意識を空っぽにした(先入観に染まった心をリ セットした)ならば、遠くまで行かないうちに [ 本来のすがたに]復帰することができるということである。子 貢は、﹁多く学んで、臆測して的中した﹂が 、 学ぶことを[多く]識ることだと考え、[多く]聞くことを知るこ ほんのわずかちがい とだと考えているので、意識が邪魔をするのである 。 これが古今の学術の 華麗 の弁である 。 これが分かれば、先 師の ﹁ 良知を致す ﹂ という宗旨 ( 教 え の 本 質 ) が分かる 。ただ 心そのものの本来の姿に復帰するというだけのこ となのだ。後儒の支離の悪習を一洗したならば、愚昧なるものにでもでき、たちどころに聖人の境地に足を踏み 入れることができる、千聖の秘離である。 -孔門之向学、顔子有不善未嘗不知、知之未嘗復行、此徳性之知、謂之屡空、空其意識、不遠之復也 。 子 貢 多 事 而 億 中 、 以 向 学 篤 識 、 以 聞 骨 周 知 、 意 識 累 之 也 。 此 古 今 附 学 術 乏 麓 之 排 也 。 知 此 則 知 先 師 致 良 知 之 旨 。 惟 在 復 其 心 鐙 之 本 然 。 一洗後儒支 離 之 習 、 難 愚 味 得 之 、 可 以 立 麟 聖 地 、 千 聖 之 秘 蔵 也 。 ( ﹁ 意 識 解 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 八 一 九 二 頁 ) ここで、王畿が、﹁子貢の学﹂として挙げているのは、 ﹁ 多聞多識﹂を﹁学 ﹂ と見なし、既成の知識の蓄積に専念す る学問(陸九淵の所謂﹁外入の学 ﹂ ) を言うが、挙げ句の果てには、その知識が先入主となって意識を蔽い尽くしてしま 王 畿 の ﹁ 一 念 自 反 ﹂ の 思 想 │ │ 王 畿 良 知 心 学 原 論 ( 一 一 ) │ │ 四 九
東 洋大 学 中国哲 学 文 学 科 紀 要 第 十九 号 五
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うことによって、意識の場における、良知本来の自由無碍なる働きを阻害して、状況に応じた適正にして、神速なる、 是非の判断ができなくなってしまうという、決定的な問題が生ずる 。 これに対して、﹁顔子の学﹂として述べている ﹁其の意識を空にす﹂とは、知識や意見など、先入観に染ま っ た意識をリセ ッ ト し て 、 常 に 、 真 つ 新な状態に保って おくことで、その都度その都度、あるがままのすがたにおいて、対象と向き合って、良知の自由無碍なる働き(﹁生 機﹂)に、すべてを委ねていこうとするものである 。 ﹁子貢の学﹂を受け継いだ﹁後儒(朱烹を指す)の支離﹂を一洗す れば、どんなに無知蒙昧なる凡人でも、たちどころに聖人と同じ境地に至ることができる、と言う 。 こ れ こ そ が 、 ﹁ 千 聖の秘戴﹂、すなわち、あまたの聖人たちの秘伝の教えであったが、その秘伝を、万人に開示したものが、すなわち、 王陽明の﹁致良知﹂の教えであるというのである 。 幸 い に も 、 良知は [どんな]人にも内在しているのであれば、千年 一 日 ( 千 年 の 問 、 一 日 も 変 わ る こ と な く て 警 え るならば、古い鏡が塵や砂で 目 撃 っていても、鏡の明(物の 姿 を あ る が ま ま に 映 し 出 す は た ら き)はもとより失われる ことはないようなもので、 一念[独知の場において ] 自らを反省する [ 心 が 湧き起こった]ならば、即座に、本 心は回復している。その人の中に存在しているからだ 。 所 幸 良 知 在 人 、 千 古 一 日 、 警 之 古 堅 努 於 塵 沙 、 明 本 未 嘗 亡 、 一 念 自 反 、 即 得 本 心 、 存 乎 其 人 也 。 ( 向 上 鏡の嘗輸は、王畿の常套句であるが、それは、また、﹁日月の明﹂とそれを遮る﹁雲霧﹂との関係でも述べられる 。 厚い雲が天を覆っているからといって 、 太陽の輝きそれ自体が無くなってしまったわけではなく、太陽は、雨の日も、 晴れの日も、千年一日、変わることなく、常に、この大地を照らして、万物 ( 生 き と し 生 け る も の ) の生育繁茂に寄与している。鏡が曇って、物を映さなくなったからといって、鏡の、物を映し出すはたらき(能力)それ自体が無くな ってしまったわけではない。鏡を覆っていた曇りの要因を取り除いてやりさえすれば、その働きは、自然と元に戻り、 万物を、そのあるがままの姿において、正しく映し出す 。 それは、良知も同じである 。 ︹ * ︺ 例 え ば 、 ﹁ 致 知 議 婦 ﹂ に 、 ﹁ 愚 則 謂 、 良 知 在 人 、 本 加 熱 汚 壊 、 難 昏 蔽 之 極 、 有 能 一 念 自 反 、 即 得 本 心 。 唇 之 日 月 之 明 、 偶 骨 周 雲 霧 之 臨 調 、 謂 之 晦 耳 、 雲 霧 一 関 、 明 億 即 見 、 原 未 嘗 有 所 傷 也 。 : : ; ﹂ ( ﹃ 王 畿 集 ﹄ 巻 六 一 三 四 頁 ) と あ る 。 どんなに心が厚く覆われていても、是非を弁別する良知のはたらきそれ自体が失われてしまうことは決してない 。 どんな愚昧な人間でも、 ハッと自らの過ちに気づくことがある 。 そこが正念場であるということだ 。 その良知の微か な萌しを、決してやり過ごしたり、誤魔化したり、無視したりすることなく、その ︿ 沈黙の声﹀に耳をそばだて、そ れに気づけば、その声に耳を傾け、応えることができたとき、人は、その本来の姿に戻っているのである。本心が回 復している証である。本来、良知は、万人に備わっているのであれば、どんな人間でも 、 その固有の良知の発動に気 づき(所謂﹁覚悟﹂)、それを、真つ直ぐに実現発揮してやりさえすれば、そのまま聖人の境地に到達することができ るのである。では、どのようにして、人は、良知の内在具足に気づき、それを実現発揮するのか。その手がかりが、 すなわち、﹁一念自反﹂である 。 この﹁一念自反﹂を、﹁本心﹂である﹁良知﹂の呼びかけとして、それを信じ切り、 我が身に引き受けて立つ覚悟があるかどうか。すべては、そこにかかっている、ということである 。 王 畿 の ﹁ 一念自反﹂の思想 │ │ 王畿良 知 心 学 原 論 ( 一 一 ) │ │ 五
東洋大学中国哲学文学科紀要 第 十九 号 五 七
﹁
一
念自反
﹂
の時処 既に見たように、王陽明 ( H 王 畿 ) は、次のように言っていた 。 難 昏 蔽 之 極 、 一念自反、即得本心、可以立瞬聖地 。 只縁人看得太易、反成玩忽、如人不見眼陵這、以其太近也 。 然中間尚有機寂。(既出) ここに所謂﹁昏蔽の極﹂とは、先の王畿の言 葉 を 使 え ば ﹁ 愚 昧 ﹂ で あ ろ う ( ﹁ 意 識 解 ﹂ に も 、 ﹁ 難 愚 昧 得 之 、 可 以 立 麟 聖 地 、 千 聖 之 秘 裁 也 。 ﹂ と あ っ た ) 。 どんな愚かな人間であっても、あるいは、どんなに心(意識 )が厚く蔽わ れ て い て も 、 ﹁一念独知﹂の処において、﹁自反﹂を促す﹁良知﹂の現出 ( ︿ 沈 黙 の 声 ﹀ に よ る 促 し ) に よって、﹁立ちどころに聖なる の ぼ 境地に踊ることができる﹂というのである 。 つまり、凡愚から聖人へ切り替わる転折点がここにある、むしろ、ここ にしかない、と言うのである 。 ﹁ここ﹂とは、すなわち、﹁一念自反﹂の時 。 では、この凡愚から聖人へと切り替わる 転折点としての﹁一念自反﹂とは、どのような瞬間なのだろうか 。 マ y ゲ ここで興味深いのは、王陽明 ( H 王 畿 ) は 、 ﹁ 本 心 ﹂ の顕現としての ﹁ 一 念 自 反 ﹂の心 を、自の上にある臆毛のよう なものだ、と言っている点である 。 つまり、あまりにも、目に近すぎるが故に、人はその存在に気づかないでいる、 マ ソ ゲ と 言うのである。自分の陵毛は 、確かに目には見えないけれど、それは 確かに存在する のである 。我々は 、 折 に 触 れ 、 事に 即して、﹁本心﹂の顕現としての﹁一念自反﹂の心を、内面において、 実感しているは ずである 。 この﹁独知の 処﹂としての内心 H 意識の場ほど、わ れわれにと っ て身近なものがあるだろうか 。 ﹁一念自反﹂の心は、目や耳のよダイレクト うな外部の感覚器官を介すことなく、実践主体の意識に、直裁に訴えかけてくる、最もリアルな感覚である。それ故 に 、 そ れ は 、 ﹁ 念 ﹂ ﹁ 今 十 心 ﹂ 、 す な わ ち 、 ﹁ 現在之 心 ( 現 に 在 る 心 ) ﹂ と言われるのだ 。 しかし、往 々にして、われ われは、この内 心 の実感として、意識に上ってくる、良知の現出に、ともすれば、気づかないか、あるいは 、 気 づ い たとしても、さして 、 それを重大視することないまま、 やり過ごしたり、無視したりしてしまうことがあるのではな いだろうか。だからこそ、王畿は、この﹁独知の処﹂における ﹁ 一 念 の 微 ﹂ へ、細心の注意を払い、心の耳を傾けて、 その︿沈黙の声﹀をしっかりと聞き届け、それに応えていくことの大切さを説いたのである 。 ﹁謹しみを一念の微に 致 せ ﹂ ( 後 出 ) と 王 畿 は 言 う 。 ﹃ 大 皐 ﹄ や﹃中庸﹄に所謂 ﹁ 慎独﹂とは、まさに、このことである 。 以 上 を 踏 ま え て 、 ﹁ 一 念 自 反 ﹂ を 、 こ れ ま で 、 ﹁ 一 念 [ 独 知の場において]自 らを反省する [ 心 が 湧 き 起 こ っ た ] ﹂ と訳してきたが、それは、次の発言にもとずく 。 われわれは、直接、我が身に引き受けていこうとしているのであるが、[その為の ] うまいやりかたなんかは全 く な い 。 ただ、我が 心 の導くがままに核心に分け入り、我が身の導くがままに[力を ] 発揮していくだけだ 。 つ マ ン ネ リ ズ ム ド ク サ マ ニ ュ ア ル きなみの情欲の中で、葉臼に流されるでもなく、意見の中で、決められた道筋を辿っていくのでもなく、ひたす ら、人知れず、内心において、 一念が発動する、まさにその気づきの場において、 [ 良知の︿沈黙の声﹀に導か れるがままに]歎黙と、過ちを改め、徹底して [ 邪念・妄念を]取り除き、徹底 し て [ 情欲と意見の渦巻く利己 的な世界から ] 抜け出そうとするだけである。良知の真のすがたは、縦横無尽、自由間違なるものであれば、 lま んの僅かな窮りに至るまで、ことごく除き去ったならば、あらゆるものは 、 その真実の姿を白日の下にさらけだ 王畿の﹁一念自反﹂の思想
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王畿良知心学原論会乙││ 五東 洋大 学 中 国留学 文 学 科 紀要 第 十九 号 五 四 す ロ 吾 人 欲 輿 直 下 承 骨 園 、 更 無 巧 法 。 惟 須 従 心 悟 入 、 従 身 後 揮 。 不 在 凡 情 裏 管 案 臼 、 不 在 意 見 裏 尋 途 轍 、 只 在 一 念 獅 知 慮 黙 黙 改 過 、 徹 底 掃 務 、 徹 底 超 脱 。 良 知 真 健 、 精 融 霊 洞 、 織 田 明 悉 除 、 首 向 象 昭 察 。 (﹁ 答 季 彰 山 龍 鏡 書 ﹂ ﹃ 王 畿 集 ﹂ 巻 九 二 一 五 頁 ) 問題の箇所は、﹁只だ一念濁知の庭に在りて歎歎として過ちを改めるのみ﹂とある 。 ﹁独知﹂とは、前稿において既 に述べたように、﹁良知﹂の現出が、常に、自己の内心という﹁隠微﹂な世界(﹁独処﹂ ) に お い て 、 言葉 を媒介とする ダ イ レ ク ト ことなく、直裁に呼びかけてくる、︿沈黙の声﹀(ハイデガ i ) による促しであることを明らかにした概念である。そ うした良知の ︿ 沈黙の声 ﹀ に促されるままに、黙黙と、未然に﹁過ちを改め﹂ょうとする、それが、すなわち、﹁一 念自反﹂ということであろう。それは、意見や欲望によって汚染された意識の閤を打ち破って、心の根底から、己む に己まれぬ、内発的な力として、実践主体の意識の上に、直裁に現出する、良知の、 ︿ 沈黙の声 ﹀ に促されて、自己 反省の心が、忽然と湧き起こってくる、そんな事態を言ったものであろう 。 それは、作為按排や思慮計画の結果では なく、あくまで﹁自然の流行﹂に他ならない 。 更に、王畿は、こうした、他でもない、言わば﹁私のなかからやってきて、私のうえへと襲って来、私に向けて発 せ ら れ る ﹂ ( ハ イ デ ガ 1 [著 ] / 原 佑 ・ 波 法 二 郎 [ 訳 ] ﹃ 存 在 と 時 間 ﹄ ( E ) 中公クラシックス